十六万女性修練会

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はじめに

 ここに収録された御言は、昨年のアラスカ・コディアックにおける女性幹部特別修練会、及び十月から十二月に行われた済州島での合計、二十五回にわたる修練会、さらに水沢里における修練会を合わせて、延べ十一万人に語られた御言の中心的内容であります。

 日本を世界的なエバ国家、母の国として立ててくださろうとする神と真の御父母様の熱い心情と、真のお母様を世に出すまでの三十数年にわたるご苦労の結晶というものが、背景に感じられます。さらに、これまで真のお父様の生涯において、誰にも語られることのなかった秘中の秘、統一原理の骨子、統一思想、共産主義の終焉等々、御言の背景の奥義が語られています。

 これらの内容は、統一教会の歴史にとってはもとより、日本の摂理にとっても、貴重な宝物であることはもちろん、将来の地上天国建設の宝ともなるべきものであります。この御言に、一人でも多くの人々がふれることによって、現在行われている摂理の背後における天の深い心情、また復帰の背後の事情、今後の我々の行くべき方向について、大きな示唆とビジョンを与えられるものと確信しております。

 この御言集は、女性の十六万人修練会に引き続き、男性の三十二万人修練会が行われるに際し、そのテキストとして準備されたものであります。五十回近く語られた御言の中で、済州島の最終回(二十五回)の御言を選びましたが、これを契機としながら、さらにお父様の御言を完璧に整理していきたいと思っております。

 特に、今回収録したものは、「真の自分を探しましょう」から始まって、「蕩減復帰の峠を越えましょう(摂理的総決算)」「真の父母と重生」「氏族メシヤ」「四大心情圏、三大王権」等々の重要な御言が含まれております。前述したごとく、男性の修練会のために準備されたものでありますが、今まで修練会に参加された十一万人以上の女性の方々にとっても不可欠なものであり、そこで、この御言を再度学習することによって、同時に、日本がエバ国家としての最終的勝利を果たすための大きな契機となることを念願してやみません。

   一九九四年十月三日(第七回「世界統一国開天日」を記念して)

真の自分を探しましょう(女性修)

 1993年12月19日 韓国・済州研修院


「女の子」とは

 みんなどこから来ましたか? (さまざまに答える)時間がないから始めます。(先生が黒板に題目を書かれる)何と読みますか? (真の自分を探しましょう)。これは、真の自分をどこかで失ったという話です。どこで失ったかという、それが問題です。そうなると、失った所を知らないし、失った時を知らないのです。どうしますか?

 ここは、先生の通路です。ちょっと、空けてください。先生に触ったら、話をするのに支障をきたすので、まずもって注意しておきます。

 先生を初めて見る人は手を挙げてください。ほう、大半だね。

 日本でさんざん先生のうわさを聞いたでしょう? うわさによると先生は悪い人ですか、良い人ですか? (笑い)兼ねているのです。「一番、世界でも悪辣な者、顔を見ただけで洗脳してしまう」と世界中でいろんなことを言っているのですが、そのような、悪くても良くても宣伝が必要な世の中は、一方では「悪い」と言っても、一方では「良い」と言うのです。悪辣な者が「悪い、悪い」と言うと、君たちが「良い、良い」と言っているのです。それで親戚関係を回ってみると、知らないでただうわさしているのです。

 ここに集まった者は、先生に近いほうですか、遠いほうですか? (近いほうです)。本当かね? 見るのが、会うのが初めてではないの? 君たちは、統一教会の先生とか、真の父母とか、成約時代とかいっても「大変、世界をかき回す先生とはどんな人か?」と、みんな手帳に書くか、写真を撮って持っていくだろう。見合いのようにね。先生の立場と君たちの立場は違うのだから、違う判断をしてもかまいませんが、すぐに判断するのではなく、一時間、二時間とたつと、根底がはっきりしてくるので、その時に批判しなければならないのです。分かりましたか? (はい)。

 今まで、先生はたくさんの人々を教育してきました。大変です「女さん」。「女さん」と呼びましょうか、何と呼びましょうか? 大衆を指導するには、標準を決めなければならないのです。さあ、何と呼びましょうか? 「女さん」と言いましょうか、「奥さん」と言いましょうか、「女様」と言いましょうか、「女の子」と言いましょうか? 何を願いますか? 願いのとおりに決めます。どうしますか?

 ここに立った人を統一教会では何と言いますか、先生ですか、お父様ですか? お父様は二人いるのが良いのですか、一人いるのが良いのですか? 皆さんのお父さんはどうしたのですか? 皆さんのお父さんもお父様だし、ここに立っているのも――(真のお父様です)。だから、困るのです。「真の父母」と言ったために、先生は世界中で迫害を受けているのです。真の父母という名前を言わなかったならば、反対される理由がないのです。

 真の父母を皆さんが強調すれば、自分を生んでくれた父母は偽りの父母になってしまうのです。自分を生んでくれた父母に、「地獄に行く!」と言えば、それは反対するようになっているのです。「女さん」たち考えてみてください。そんなこと言い出したら大変なことです。それで、先生にこんな悪い名前をつけたのが女たちです。女が問題です。女が問題なのです。

 先生は女が大好きですか、大嫌いですか? どっちです? (大好きです)。(笑い)大嫌いです! 女がいかなるものかよく知っているし、誰よりもよく知っているのが先生です。歴史を通して、大変よく知っているのです。女は、かわいそうです。歴史以来、今日まで、女の世界には代表がいなかったのです。陰とか暗闇とかの真っただ中で、行く方向も知らないで、男たちにいじめられ、迫害されながら今まで生き残ってきたのも偉いことです。それを、世界的に初めてお母様を前にして、「女性解放を宣布いたします」と。それは誰がしましたか? お母様がしましたか、先生がしましたか? 誰がしましたか? 発表はお母様がしたのだけれど、その内容は、先生がしたのです。

 男は女が大好きですか、大嫌いですか? 普通の男たちは大好きかもしれないけれど、先生は女が大嫌いです。皆さんは、その大嫌いな女たちです。ですから正直にどういう話をしようかと迷っています。それで、先生を何と呼びましょうか? お父様? お父様というのは血統的関係があるのです。そんな関係はないではないですか。では、内容はよく知らなくても、名前のとおり「お父様」であるとするならば、皆さんを何と呼びましょうか、「女様」と言いましょうか、「女さん」と言いましょうか、「奥さん」と言いましょうか、「女の子」と言いましょうか? (娘です)。娘、子供たち? その中に「女の子」はみんな入ります。娘も入ります。「女の子」にしましょうか、「奥さん」にしましょうか、「女様」にしましょうか? どうしますか? もし「女の子」と言ったら、「何だ、自分たちと先生は同じような年齢なのに、女の子って失礼ではないか!」。そう言ったら大変です。このことは、公的に発表して決めることです。

 では、決めましょう。娘は「女の子」と同じことです。娘? どうしますか? 「女の子」にしましょうか、「娘」にしましょうか? 「女の子」だったらみんな入ります。大人も、子供が大きくなった「女の子」だから、ちょっと時間がたっただけで、別に差別はないのです。「女の子」にしましょう! 「はい」です? 「女様」はどうです、嫌ですか? それでは「女の子」にしましょう。先生もかしこまりました。(笑い)

蕩減というもの

 先生を見てどう思いますか? 恐ろしいの反対は何ですか? (優しい―)。かわいらしいです。(笑い)どっちですか? 恐ろしいですか、優しいですか? (優しいです)。優しくて親しくなった場合には、かわいらしい人です。(笑い)先生の年が十五歳だったら、何ですか? 「かわいらしい」と言うのです。

 今、ずーっと先生を見て、その気持ちはどうですか? 悪い人のように見えますか、良い人のように見えますか? (良い人です)。やあー、ありがとう! 日本の感謝の言葉で「ありがとう」と言えば、蟻が十匹という話です。だから日本人はいつも「ありがとう、ありがとう」と言うので、蟻のように腰が細くならなければならないのです。前では引っ張るし、後ろでは引き止めるので、腰だけが細くならざるを得ないのです。だから日本人は蟻のように、よく働くというのです。そうです。それで、世界中では「日本人は、あまり働くな!」と言って、世の中では熱心に働くことにブレーキをかける人たちがいるのです。そういう人たちは滅びます。いくら良いことを言ったとしても、陰で聞こえてくるのです。

 しかし、日本人が熱心に働くよりも、統一教会の世界のメンバーたちは、その三倍以上働くように先生は願っているのです。一般の日本人ではなくて、統一教会の日本のメンバーは、統一教会に入って、それは話には素晴らしいのですが、内容はそう素晴らしくないというのです。(笑い)「蕩減という言葉がなかったならば良い所なのに、蕩減という言葉があるので大変だ!」と言うのです。分かりましたか?

 先生には蕩減しか分かりません。生涯懸けて蕩減を主に考えてきたのですから、蕩減の峠を越えないと復帰はできません。だから統一教会の理念の最高の基準には、ただ安らかな生き方では到達することが絶対できません。ですから、蕩減というものを尊重せざるを得ません。蕩減を通さないと絶対に行けない目標だから、蕩減を重要視せざるを得ないのです。

 その蕩減というものは、笑いながら行くものですか、泣きながら行くのですか? 笑いながら行くのではなく、その反対です。だから統一教会は大変です。どこへ行っても、泣く教会です。先生もたくさん泣いたのです。こんな大きな顔した男の泣くのは、みっともないものです。その時の写真なんか撮っておいたら、とても印象的なことです。統一教会とはそういう所です。だから先生の話を聞いても、先生のたくさんの本、二五〇冊以上の説教集を読んでも、「今まで統一教会は苦労したのだから、今からは休んでも良い」ということは、一つも書いてないのです。もし見つけ出せたならば、賞品を上げますから探してみなさい。

 だから先生は小さい時から大きくなっても、「いつも蕩減だ、蕩減だ、もっと犠牲になれ、もっとかわいそうになれ、もっと悲惨になれ!」ということを言いながら、もし自分が安らかに統一教会の中心としていた場合には、もっと大変です。その団体は、その時から滅んでいくのです。分かりましたか?

 今、先生は何歳ですか? (七十三歳です)。七十三歳は八十代につながるのです。一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。一は十につながるのです。ですから七十三歳といえば、八十代に入ります。「ここに集まった女たちで、八十代に入ったおじいさんを好きだという者は手を挙げなさい」と言えば、一人もいないはずです。先生はさておいて、八十代を歓迎するという女は手を挙げてみなさい。賞品を上げますから、手を挙げてみなさい! いないじゃないですか! それが常識なのです。普通なのです。それなのに、ここに八十代のおじいさんが立っていて、君たちに聞いた場合には、いくら統一教会の教祖であっても、みんなそう言うべきなのです。そうでしょう。

 本当に、先生を好きですか、先生を愛しますか? (愛します)。愛するということは、今、お母様がいなくて先生が一人でいれば、みんな結婚しているだろうということなのです。先生のようなおじいさんと結婚したいという女の子がいますか? いないというのです。それでも、愛しますか? 好きになりますか? 愛するとすれば、愛するという内容の話をするし、好きになるとすれば、好きになる話をしますが、好きは壁の隙、スキーのスキ、畑を耕す鍬など、たくさんあります。そうでしょう? どうしますか、好きになりますか、愛しますか? (愛します)。やあー、大変なことが起きました。

 それでは、君たちの旦那さんはどうしますか? (笑い)一人の女が二人の男を愛すると言った場合には、それは良い女ですか、悪い女ですか? (悪い女です)。どれくらい悪い女ですか? それは部落でたたき殺されるような女です。それを考えないで、大変なこと言ったら先生は困ります。そんなことを言うので、先生はどこへ行っても、大変なのです。

 初めて会う女たちがたくさんいます。教育をしたこともないのに、先生の話を聞いたこともないのに、初めから「愛します」とは、それはちょっと気が狂ったとか、正常な者ではありません。ですから皆さんの「愛する」という言葉は信じられますか、信じられませんか? どっちですか? 君たちがいくら「先生を愛します」と言っても、先生は信じられますか、信じられませんか? どうです? 信じられません。

 もう一回、はっきり言ってみてください。愛しますか、好きになりますか? (愛します)。はっきり言ってください。(愛します!)。ありがとう! それで、愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません。分かりましたか? (はい)。もし、旦那さんが横に座っていたとしても、「私はお父様を、あなたの何十倍も愛している」と言って、ほほにキスをしていっても、横に座っている旦那さんは喜ぶのです。あのおじいさんは日本一の金持ちなので、仲良くしていた場合には、亡くなった時には、何割か自分にも回ってくるというのです。ですから、心配ありません。心配しなくていいのです。「お父様」と言ったのだから、皆さんは「女の子」になっているのです。「女の奥さん」ではありません。「女の子」になっているから、「心配しなくてもよろしゅうございます」と言うのです。(拍手)握手でも一つしようか? (拍手)握手しようとするとこんなに騒ぐのに、キスしようとしたらどうなりますか? だから危険千万です。注意するように、ブレーキをかけておきます。

 さあ、「女の子」たちにこうして会ったんだから、「女の子」に対して一言、何か話しましょうか、それとも初めから「真の自分を探しましょう」という題目に入りましょうか? お母様が演説する時のエンターテインメントのように、ちょっと序論をしましょうか、直接、題目のみ言に入りましょうか?

「女」とは名ばかり

 なにしろ、立派な日本の女性たちがたくさん集まったこの場です。北海道から鹿児島まで、全国から集まったのですね。そうでしょう? (はい)。訛り言葉もたくさん使うでしょう。沖縄なんかも、日本語ではないみたいです。半分中国語のようなのです。

 「女さん」たちがたくさん集まっていますが、平均的に見ると実に美人が多いですね。(笑い)本当です。今晩の先生の目が美しいので、そう見えるのかもしれないけれど、美人が多いのです。そう言われて気持ちは悪くないというのですね。先生も美しい人たちを前にして話をするのだから、良いことなのです。

 さあ、それでは「日本の人」と言うのがいいですか、「日本人」と言うのがいいですか? (日本の人です)。

 「日本の人」がいいのですか? では、「の」をつけてあげます。日本は島国です。島国に住んでいるのが日本の人です。では、島国は広いですか、狭いですか? 昔は山陽線だったけれど、今は下関から東京まで、新幹線で軒つなぎ、町つなぎです。だから狭いというのです。島国はいつも大陸を慕っているのです。ですから、日本は大陸を侵略したのです。女なのにです。だから、ぺちゃんこになりました。

 それで、女たちの話し方は、大概、尊敬語を使うのです、上に侍るように、女は尊敬語を使ってきました。今まで女は歴史的に、そういう生活をしてきました。旦那さんの下で、言うとおりに服従してきました。いつもいじめられながら、何かちょっとでもしてもらうたびに「お願いします」と、お世辞を言わなければならない立場で生きてきたのが女たちです。ですから日本語を見ると、みんな尊敬の言葉を使っているのです。「御飯」「お水」「おかず」「お塩」これは、みんな女の言葉です。いくら弁明しても、それは男の言葉ではありません。男は「飯ちょうだい。水ちょうだい」と言うのであり、男が「お水ちょうだい。御飯ちょうだい」と言うのは大変気持ちが良くないのです。「お味噌ちょうだい」これは、女の言葉です。このように「お」を好むのが、「女さん」たちです。それで「女」というのは、「御名」の「お」を強く言ったものです。

 女というのは名ばかりであるという話です。名前しかないのです。日本語で、女というのは名ばかりで、中身が一つもないという話です。先生の名刺であっても、名刺は本人と違うのです。何万枚をまいても、自分とは関係ありません。町の人が踏んだり、破ったりしても、気持ち悪くすることができません。分かりましたか? 名ばかりの存在という者は、かわいそうな人です。話にもならないし、目標がないし、相対がないし、環境も許容しないのです。そういうような者が、名ばかりの人です。

 だから死ぬ時には、名が死ぬのですか、人が死ぬのですか? 名前は残っているのですが、本人はちゃんと墓場に入っていくのです。それはあってもなくてもいいという話です。動物なんかみんな、名前がなくても生きているのです。人間は、必要があって、所有権の分割のためにつけたのが名前であって、名前がなくてもいいのです。

 そう考えて見た場合に、「女は名ばかりの者だ」という話を聞いて、教祖様から教わる第一番目の話が、「女は名ばかりで、何も持っていない」ということを聞いて、気持ちが良いですか、悪いですか? 率直に答えてください。気持ちが悪かった場合には、反論することができるのです。あとで「あの時、率直に言うべきだった」と、そんなことを言っては駄目です。率直に言ってください。気持ちが良いですか、悪いですか? (悪いです)。

 女は名ばかりです。本当に、女は何も持っていません。本当です! 気持ち悪い顔をしなさい、おばあさんたち! 帝政時代の教育を受けたおばあさんたちは、「そんな馬鹿なことはありません」。そう言うはずなのです。最近の女の子たちは、フリーセックスなどで無価値な者になってしまいましたが、昔は名門の家のお嬢さんには、みんなが尊敬していたものです。

 では、女の体は、男に比べて軽いですか、重いですか? (軽いです)。どのくらい軽いのですか? (笑い)男は女に比べて一・五倍は重いのです。だから、女と男を比べた場合には、肉の値段だけでも一・五倍です。それが平等であるという話は合いますか、合いませんか? もし人間よりよいものが宇宙にあった場合には、男を取りますか、女を取りますか? はっきり答えてください。(男です)。男とは、どういう男ですか? 年を取った男ですか、若い男ですか? (若い男です)。若い男で美男子ですか、その反対の醜い男ですか? 美男子なのですね。

 では、その反対の女は何ですか、美人とブス様ですか? それで、女と男を比べて見た場合に、いかに「男女平等でなければならない」と日本語で叫んでも、平等になるものは何もありません。もしもオリンピックで男女が共に競争した場合には、女は一人も、チャンピオンになれる者はいません。

 そうした場合に、平等になりません。背丈から見ても、女が大きいですか、男が大きいですか? (男です)。女はいくら大きくても、首以上にあがったら、これは異常です。女の首がここ(あごの下)まできた場合には、大変です。それは不幸な女です。男と女二人が抱擁した場合には、女の頭はちゃんとここ(あごの下)にはまるようになっているのです。(笑い)

 話をするにも、前後をずーっと調べ、比べ合わせて話さないといけません。外交舞台においても同じです。話題の条件を相手に取られた場合には、負けてしまうのです。伝道は、最高の外交的方法でしないといけません。分かりましたか? (はい)。でたらめでは駄目です。

男は主体、女は客体

 さあ、そうなると、女は主体ではないのです。女は、なぜ主体ではなく客体なのでしょうか? 男に負けたいですか、負けたくないですか? 本当のこと言ってください。(負けたくないです)。負けたくないのに負けるようになったのだから、癪にさわるというのです。では、癪にさわるその恨みをどういうふうに解決するかというのです。それで、女は宗教を信じるのです。さらに大きい中心を中心として、自分に欠けた所を埋めていくのです。旦那さんなんか、ぺちゃんこになるようにするのです。「生きている時には、苛められたのだけれども、霊界に行けば私があなたの女王様になるのです」と言うのです。本当です。

 日本は、歴史始まって以来、二六〇〇何年ですか? その日本の女が、こんなにたくさん済州島にやって来るというのは日本の歴史にも、韓国の歴史にも、アジアの歴史にも、世界の歴史にもないことです。これは歴史的な大事件であり、これは戦争なのです。

 先生の前に、女が主体に一度なってみたいとは思いませんか? たくさんの女が先生の前でぺちゃんこになって気持ち悪くないのですか? (悪くないです)。何を言っているのですか! 先生の前にお世辞を言っても通じません。先生自体も気持ちが良くないのです。だから女はかわいそうに思います。先生が神様だったら、一瞬に切り返したらいいと思うのです。そういう考えを持っている先生は、悪い人ではないと思ってもいいのです。

 一度、主体になってみたい思いがしますか、しませんか? しないと言う者は、みんな嘘つきです。なぜ男が主体かと考えたことがありますか? なぜ男が主体ですか、君たちはなぜ客体ですか? そんなことを考えたことないのですか? たくさんの女たち! 男が主体になる資格は、子供の種を持っているからです。神様と同じようにです。だから主体というのです。そういうような創造原則、原理においての結論を出して、堂々とその主体を認識してやるのが、自分自身の高まる基台になるのです。客体なくしては、主体もなくなってしまうのです。分かりましたか? (はい)。

 女は何も持っていません、女は名ばかりです。神様から見た場合に、創造の世界で一番最後につくったのは、男だったのですか? (女です)。そんな表情で言っては良くありません。復讐の感情が詰まっています。(笑い)

 それでも良いです。ですから、女は籠でしかありません。空箱です。気持ちが良いですか、悪いですか? (悪いです)。そういう即断をしてはなりません。先生は、女が空き箱ということを知って、「いやー、私は空き箱になったら良かった」と、いまだ何回も考えるのです。女と男を変えることができるとしたら、すぐにも変えてしまいたいのです。そのことが何か分かりますか? ちょっと話を聞けば分かるようになりますが、話をしましょうか、やめましょうか? 関心がありますか? きょうの時間は、その話でいっぱいになり、「真の自分を探しましょう」という話ができなくなりますが、そうでも良いですか? 本当ですか。

 女の体の二分の一以上の重さがどこにあるかというと、尻にあります。胸と尻を測れば、半分以上だと思います。大きいのもあるし、小さいのもあるからです。女の半分以上の重さは尻とどこですか? (胸です)。胸ではないのです。ツインピークです。二つの山みたいなものです。この二つを合わせば、半分以上の重さになります。それで、胸には乳房がついているのですが、それは誰のものですか、自分のものですか? (男性のためにつくられました)。それは誰のものですか? (夫のものです)。夫のものですか、子供のものですか? あなたの答えは五十点にしかなりません。夫のものですか、子供のものですか? (夫のものです)。みんなが笑っているよ。そんなに自分の我が強くては大変です。あんな顔は、絶対死んでも譲歩したくない思いを持っている女です。そうでしょう? (はい)。先生はそんなことをよく知っているから、駄目です。女は正直で、率直がいいのです。率直は正直に通じるのです。真実の前には、いくら大きなものでも服従します。

 それは、子供のものです。間違いなく自分のものではありません。「自分のもの」と言う人は手を挙げてみなさい! 誰もいないのです。時間もないのに、それは聞く必要もないことです。それは子供のものです。それから、尻も誰のものかというと子供のものなのです。日本人は、よく「そうです」とか、「そうじゃないです」とか言っているのを見かけますが、「そう」というのは、韓国語では「牛」という言葉です。せっかく済州島に来たのだから、覚えていきなさい。なぜ先生が「牛」を紹介するかというと、牛は犠牲の象徴、一番の祭物だと教えているのです。分かりましたか? 日本人が、なぜか「そうです、そうです、そうです」と言うのは、「犠牲です、犠牲です」と言うことです。それで「あー、日本人は犠牲になる、祭物に近いものだなー」と思うと、それは悪くないのです。

 女の半分の重さは自分のものではないということを、はっきりと分かりましたか? それが分かったら、眠ることもできないし、死ぬこともできないのです。地獄に直行していくのだから、自殺することもできないのです。死ぬこともできないし、生きることもできないし、大変です。

 さて、女の顔は、女が好きますか、男が好きますか? (男です)。本当ですか? 先生は男ですが、女の子は好きではないのです。(お母様は好きです!)。お母様は、女のうちでも特別な女です。(拍手)

 君たちが見合いに行った場合、自分は相当の美人であると思って誇っていたのに、その前に現れた男の顔を見た時、自分よりももっと美しい男だったらどうしますか? 気持ちがすーっとしますか、ぞーっとしますか? 男の手を見れば、自分の手よりもっと細い手をしていたらどう思いますか? 一生涯、気持ちの悪い記憶となってしまうのです。考えてみても大変です。自分よりもっと美人の顔をした男の子と、自分よりももっと細い手をした男の子、気持ち良いですか、悪いですか? 死ぬほどに気持ちが悪いのです。(笑い)先生はそう思います。女でなくてもそういう気持ちは分かります。だから女に聞くより、説明するのが効果的です。「死ぬより気持ちが悪い」と言えば通じるのです。みんなが笑ったのは、気持ちが悪いことです。だから女の子の顔は、女は大嫌いです。そういう結論になります。

 そうすると、女の顔は、女のために美しい顔になりましたか、男のために美しい顔になりましたか? 先生には分かりません。答えてください。(男です)。女の顔は女のものではなく、男のものであるという結論になりました。男のためにそういう顔になったのです。自分のものではないのです。自分が欲しいような顔ではないのです。自分の欲しい顔は男です。反対になっているのです。

 それを今まで考えたことのない女は馬鹿です。どうにかなっているのです。だから、みんな自分を分からないままに死んでいったのです。今からは、一つ、一つ知っていくことによって、自分を探すことによって、元の自分が何なのかということが分かるようになっていくのです。それで、きょうの話の題目が、「真の自分を探しましょう」です。女として、完全に自分で忘れてしまったものを、一つ一つ探し出して、それで、「あー私は女だ。こういうものが女であり、名ばかりのものではない」ということが分かるのです。ですから首から上も自分のものがないのです。それは、誰のものですか? (男です)。気持ちが悪くないですか、気持ちが良いですか? そうなると、男の前に主張する何物もなくなってしまうのです。

人間は三時代を経て理想の姿になっていく

 それはそうとして、女が男と一つだけ違うことによって、女という名前がつくのです。その本体そのものは、女のものですか、男のものですか? (男のものです)。先生がそんなことを聞いても「旦那さんのもの」と答えないといけないのです。(笑い)はっきりと意味をわきまえながら、答えないといけません。いくら聞き方が間違っても、それは旦那さんのものです。そこまで突き詰めなくても、常識的に分かることなのです。そのものは誰のものですか? (旦那様です)。旦那様のものです! そうなると縦的に、すべては、臍は水中時代を象徴します。胎中時代です。そして口と鼻は空気時代であり、一番下は愛の時代を象徴します。分かりましたか? そのように、人間は三時代を通過して理想の姿になっていくのです。

 水中時代、胎中時代。地上時代、空気時代。それから愛の時代です。愛に向かって、すべての昆虫も、愛を求めてさなぎが蝶になり、飛ぶのです。昆虫だに、水中から陸中(空中)を経て、天中を飛ぶようになるので、万物の霊長たる人間も水中から陸中(空中)、天中を飛ぶようになるのです。ですから人間には、死ぬという悲しいことはありません。それを、統一教会では理論的にも教えるのです。

 水中時代でも呼吸するのです。その時は、口と空気ではないのです。もし、十か月も呼吸をしなかったら大変です。空気がないといかに苦しいか、考えてみなさい。それで、子供は自分より偉いと思うのです。十か月間、水の中に浮かんで、水がなくったら大変です。衝撃でみんなやられてしまうのです。実に科学的になっています。その水中時代に何を準備しなければならないのかというと、次の呼吸をする準備をしておかなければ、いくら生まれてきたとしても、すぐに死んでしまうのです。

 必ず、水中時代の切り替えとともに、すーっと空気を吸って、空気時代に生きるのです。その変化、その進化、突然変異と同じように大変です。水中から空気です。それで、お母さんの骨盤が開いたり閉じたりしないといけないのです。狭い所を押していって生まれる時に、すーっと圧縮され、空気にふれて膨脹し、「ハッ」として呼吸して、泣くようになるのです。もし泣かなかったら死んでしまいます。それは地中世界と同じ中間世界です。それで土というのは、お母さんの胎中と同じです。胎中で子供が十か月も飲んでいるのに、なぜ十か月間も小便もしないのでしょうか、大便もしないのでしょうか? お母さんたちはそれを考えてみたことがありますか? すべてがみな神秘的です。

 水中十か月、地上一〇〇年、それから霊の世界、それは愛の世界です。この地上で生きて呼吸をするように、水中で空気を吸う準備を完璧にしないと死んでしまうのです。それと同じように、中間の地中(空中)時代においては、永遠の愛中時代に生きる準備を完璧にしなければなりません。

 それで、水中時代から空中時代に生まれるには、みんな愛の袋を破って出てくるのです。破れて水が出ることによって、その狭い所を油と同じようにすべって出てくるのです。それと同じように、死ぬ時も苦しいということはないのです。再び蝶のように飛ぶために生まれるのです。肉体のすべてを放棄して、破壊して、さなぎから蝶が生まれてくるようにです。死ぬのではなく、新しく生まれ出るのです。そのためには、愛の空気を呼吸する、愛の準備が必要です。ですから、胎中の子供たちは父母の愛に守られているのです。胎中では、お母さんが子供をずーっといつも抱擁しつつ、立派に愛して育てるのです。愛の懐で育てるのです。そして生まれた場合には、父母の愛の胸で抱擁されながら、愛によって育つのです。人は愛のために生まれたのです。胎中時代の愛、空中時代の愛です。胎中時代はお母さんに頼っていたのだけれど、地中時代にはお父さんに頼るのです。地中時代はお父さんが責任を持つのです。そして愛中時代は根本なる神様が、根本の親として責任を持つのです。そうすることによって、各自の使命が、お母さんの使命、お父さんの使命、神様の三大使命が完璧に、一人によってこのように関係し、因縁を持っていると言わざるを得ないのです。そう考えた場合に、「あー、愛中、霊中世界がなければならない」となるのです。

 万物すべての創造の段階は、蘇生、長成、完成からなっているという原理の教えが真であったとするならば、人間一代において、蘇生水中時代、長成地中(空中)時代、完成愛中時代が必要であり、それで神様によって育っていくのです。そこでは、父母様は関係ありません。神様を中心としていくのです。神様の世界では食べもの、着るもの、住むものが問題ではありません、それはいつでも自由に、自分の愛の理想の届く限り、愛の理想が影響される限りにおいて不可能なことはありません。何千万人も一晩で連結が可能です。「あー、こういう十二のタイプの人で、こういう心情的な人は全部、過去、現在まで、霊界に来た者はみんな集まれ!」と言えば、さっと集まるのです。それで何千万人にもなるのです。こういう着物、こういう自分の構想に合わせてと、みんな可能です。直感の、完全に創造可能なる世界です。愛の理想の豊富な者によって、高次元な可能圏を持つようになるのです。

 まるでうそみたいな話です。そんなことを知っているから、先生はこの世に対してあまり関心がないのです。こんなにたくさん女がいても、美人がいても関心がないのです。お母様以外にはね。(笑い)

女は神様が最後につくった傑作品

 そうした場合に、女においては自分のものがないのです。だから名前ばかりというのは、失礼ですか、失礼ではないですか? (失礼ではありません)。それでは、「ありがとう」と言いなさい。(ありがとうございます)。はい、ありがとうございました。よい教訓になりました。本当です。そうすれば、女がかわいそうではありません。素晴らしいのです。空いた籠は大きいのです。あなたたちの良心は大きいのです。女の心は男に負けないくらい大きいのです。心は大きいのですが、その大きな空き箱に何を入れますか? (愛です)。愛を見たことがありますか、見たことがありますか? 愛に触ったことがありますか? (ないです)。では、分からないではないですか? 見たこともないし、触ったこともないものを入れようとしても、どうするのか? その方法、手段が分からないのです。どういうふうに分かりますか? (感じです)。感じが人間の幸福の元になりますか、愛自体が幸福の元になりますか? それは愛です。

 感じがよいからといっても、そこに愛はないのです。感じは人によって違うものです。そう言った場合、その感じでもって、良心はありますか、ないですか? (ないです)。ないのです。良心はないのです。なぜ黙っているのですか? 良心が「ある」と言ったのではないのですか? 「ある」と言ったならば、死ぬまで「ある」と言わないといけません。(あります)。ないです! (あります!)。ないです! (あります!)。こうやって負けるのです。

 真理は偉大なものです。いくら先生でも、王様でも負けるのです。神様も真理の前に跪くというのです。ですから、平等な世界が生まれてくるのです。真理の世界にのみ可能であって、不真理の世界では不可能です。そのように女として、本当の女になっていますか? 本当の女になった場合には、真理と一つになっているのです。本当とは、真理と一体となった立場をいうのです。

 少し考えてください。先生もちょっと考えて話をしなければなりません。研究しながら話をしなければなりません。分かりましたか? 神様が一番最後につくったのは誰ですか? (女です)。建築も、最後には仕上げをよくしないと、すべてが駄目になってしまうのです。全体の価値の正負を決定する八〇パーセント以上を左右するのです。そうした場合には、仕上げは、女がうまくできるのかどうかで、天宙の創造の八〇パーセント、合格か不合格かが左右されるのです。

 こういう話を聞いたら、もう気持ち悪くないですね。気持ちが悪い峠を越えました。安心していいです。(女は)神様が最後につくった傑作品です。万物の霊長として、神の愛の相対としてつくられているのです。愛の相対が、自分より劣る者を願った女の子はいますか、どうですか? 自分の相対は、自分より悪い者を願うような女の子、男の子はいないのです。そうでしょう? 自分の愛の相対は、自分よりも何倍よいことを願うのですか、答えてください? 一・五倍ですか? (限りなくです)。よく答えました。欲望の大きな女の子です。愛の相対は何億倍も、何億倍の何億倍も、永遠に続く最大のものを願っているのです。宇宙の最高のものを願うのです。誰でも自分の一倍を願うのではありません、無限! 無限です! 女として、愛の旦那さんは立派な美男子であり、美男子のうちでも、ナンバー・ワンの美男子を願うのです。宇宙最高のものを願うのは、男も女も同じです。

 (女は)仕上げがよくなっているから、顔がつやつやして、なめらかで、柔らかいのです。男を触ってみると、髭がザラザラして大変です。だから、美術館に行くと、裸体画は女が八〇パーセント以上です。男の体はみな、骨ばかりでみっともないのです。骨を見て笑う人はいません。(笑い)そうですね。それで、女はクッションがいいのです。クッションの悪い女だったら、男は死んでしまうのです。みな相対的です。硬い男にクッションがなかったらどうなりますか? 破れてしまうのです。ダイヤモンドを削るのは、ダイヤモンドよりもっと硬いものではなく、銅とか真鍮で削るのです。まるっきり反対のもので削るのです。工作機械の芯棒を支えるものは、パレットという鉛なのです。強いものには、柔らかいものの支持が必要なのです。ですから、強い男には弱い女が合うのです。分かりましたか?

女は善悪を知る木

 さあ、最後の仕上げです。気持ちが良いですか、悪いですか? (良いです)。こんなに欲張りの空き箱ですが、空き箱は入れるものの価値によって左右されるのです。入れるものと同じ価値を持ちます。宝がたくさん積んであった時、「宝を持って来い」と言うのですか、「籠を持って来い」と言うのですか? どちらですか? 「宝を持って来い」と言うのではなく、「あの籠を持って来い」と言うのです。入れるものと同等な価値を持つようになるのです。

 それで、聖書にはエバを象徴して、善悪を知る木というのです。善悪を知る木とは、女です。そして、木の実とは女のそれをいうのです。なぜ善悪を知る木というかというと、女は、善になれば善の実になるし、悪になれば悪の実にもなるのです。

 もし王子様と一つになった場合には、王宮を相続することも可能なのです。そして、王子を生むこともできます。反対に、悪辣なやくざの親父と結んだ場合には、悪魔世界の王子を生むようになるのです。善悪を知る木の実、それは善悪を知る女の体をいうのです。善にもなるし、悪にもなることを象徴しているのです。だから神様は堕落しないように、善につながるように、戒めているのです。「悪になったら大変だから、それを取って食べるな! 勝手にするな! 神様が命令するまで待て!」と。それは神様のものであって、自分たちのものではないのです。女は、それを自分のものだと思ったら大変なことです。それは男のものであり、男のうちでも王様の男、神様のものです! ですから、その女の実が何を願うかというと、最高の男まで、神様までも願うのです。だから女には、神様をすべて入れても休ませることのできる良心の袋があるのです。

 女の主人は男ですね? 女に聞いた場合は、主人のうちで一番の主人は誰かというと神様になるのです。女をつくった目的は、アダムのためにもつくったのだけど、一番の願いは神様のためにつくったというのです。なぜかというと、神様は相対が必要だからです。一人で住むのはかわいそうだというのです。先生でも、お母様がいなかった場合には「八十代のおじいさんは、かわいそうです」と言われるのです。相対がいなくなれば、すぐに除去されるのです。天運というものは、相対がいて保護するようになっているのであって、相対のないものは押し出すようになるのです。

 なぜ旦那さんが亡くなった場合に、女は、あんなに転がりながら泣き続けるのでしょうか? 誰が、何がそんなにさせるのでしょうか? 第三の力が加わって、押し出すような力で悲惨さを抱かせるのであって、自分の中にそういう力があるからそうするのではないのです。宇宙力、天運というものは、相対関係のあるものは保護するようになっているのだけれど、相対がないものは天運が押し出すようになっているのです。

 これが分かれば、大変なことです。先生はそれをよく知っているから、世界がいくら反対してもびくともしないのです。絶対なる神の相対圏に正しく立っているのです。「打つなら打て!」。ちゃーんと天運が保護するのです。いくら個人であろうと、いくら国であろうと、いくらアメリカ、いくら共産党が打ってきても、反対にやられるのです。日本もそうです、日本もやられます。

 今後の日本は誰が収拾しますか? アメリカもそうです。文先生の話を聞かなければなりません。韓国も北韓もみな、そうです。世界もみな、そうです。そういう自信満々なことを言う先生を、君たちは信じますか? (信じます)。詐欺師はいつも自信満々なことを言うのです。先生はよく詐欺師にも似ています。目が小さくて透視力を持っているし、鼻はすーっと一本で、理論的に優れているのです。唇は肉が少ないので、言葉は球が転がるように出てくるのです。唇を見て、弁護士になれる者かどうかを先生はすぐに選抜できるのです。

 統一教会の神秘さ、不思議さは何かというと、レバレンド・ムーンは歴史的に、世界的に、反対や迫害を誰よりも多く受けながら、その最中にいかにして世界の基盤をつくり、発展したかということです。そういう秘訣を教わりたいですか? (はい)。では、その授業料をいくら出しますか? ただで教われば価値が分からないというのです。

 その秘訣は何かというと、天運をつかさどりながら生活することです。天運は永遠に滅びないのです。天運と共に生きたとするならば、大きな天運は大きい所に、小さな天運は小さい所に、すべてのことに関係を持つようになるのです。この関係という言葉を世の中から抜いた場合には、みんなバラバラになるのです。この世の中であっても、父子関係、婦女関係、夫婦関係、兄弟関係、国家関係、家庭関係、外交関係、経済関係、政治関係、学問関係、みんな関係し合っているのです。関係という言葉は、相対圏を離れては成り立ちません。上下、前後、左右などと、価値比較の基準となるし、マイナスやプラス、高低などのようにレベルを決めることもできるのです。すべてが関係であり、それはみな、バランスを標準としているのです。ですから関係という言葉を抜いたら、絶対に世界は瓦解してしまいます。

 君たちは、曇った日に雷鳴や稲妻を見たことがありますか、ないですか? (あります)。雷鳴や稲妻というものは何の象徴かというと、それは結婚式の象徴です。それも知らなかったのですか? 空中のプラス電気とマイナス電気がキスし合うのです。それで火が出るのです。水蒸気の中で火が出ることを考えてみなさい。それが信じられますか? 水蒸気の中で、「ブワーッ」と火がともるのです。プラスとマイナスの空気の中に含まれている電気がキスする傑作品です。愛の絶頂で「ブワー」と火をともすのです。あなたたちが愛するのも同じです。ねずみなんかも、天井の裏で「チィチィチィ」と鳴くし、春になったら猫は「ニャォーニャォー」と鳴くし、鳩なんかも「クックックッー」と声を出して鳴くのです。それは悲しい声ではないのです。傑作品です。ジャンプしたり、こけたりするのです。この話は結婚した者に必要な話です。そのように愛し合ったことのない夫婦は、自由ではないのです。万物よりも劣っているというのです。

 愛する旦那さんに呼びかけるのも、歌で呼びかけるのです。「あなた様!」と。オペラなんかそうです。本当に愛し合う思いで、声を出すのです。光を出すのです。男も、女も、これ以上の明るいものはない、これ以上の希望はないという頂上に達して、そこから下がっていくのです。零から始めて、大きくなって、キスして、光を出して、零に帰っていくのです。あなたたちは結婚して、年を取るにしたがって大きく理想的になっていくのですか、小さくなっていくのですか?(大きくなっていきます)。

悲惨な大事件の八〇パーセントは、男、女の問題

 ここで一言、言っておきますが、世界のすべての歴史の悲惨な大事件の八〇パーセントは、男、女の問題です。八〇パーセント以上が、男、女の絡み合いによって悪くなっていくのです。平和の世界も、男、女問題を解決すれば、平和世界が八〇パーセント達成されるという結論になるのです。

 ですから、「人間はなぜ生まれてきたのか」ということが問題なのです。哲学の質問の第一条です。人間といえばすべて男と女であり、「私はなぜ女として生まれてきたか」ということが問題です。これは、今まで人類歴史を通して数多くの人たちが解決しようとしてきたことですが、今まで延長してきているのです。

 先生の時代に入って、神様とはいかなるものか、女とはいかなるものか、男とはいかなるものか、その出発はこうで、過程はこうで、結果はこうなって、最後の終着の理想のタイプはどうであるかということを、はっきり分かるように教えてあげるのが統一です。それで、心身統一、夫婦統一、家庭統一、氏族統一、国家統一、世界統一、天宙統一という、神人愛でもって一体となって統一が成される内容を教えるのです。ですから、これ以上の素晴らしいものはないというのです。本当ですか?(はい)。教祖様だから自分をこういうふうに高めて讃えるかもしれないのだけれども、事実、それを分かってみると、統一教会の思想は素晴らしいのです。素晴らしいですか、素晴らしくないですか?(素晴らしいです)。神様まで解放しようとしてきた人間は、先生が初めてです。こういう話は聞いたことありますか? (はい)。世界解放、天宙解放どころではありません。地獄を解放し、神様まで解放しようとするのです。それは可能ですか? 理論的可能だから、今や世界的に問題となってきているのです。

 君たちは、ビデオを見たでしょう? 「変革の風(ロシアにおける統一運動)」を見ましたね。日本は三十三年の歴史を持っているのだけれど、三年にもならないロシア(旧ソビエト)の動きを見た時に、日本は負けましたか、勝ちましたか? (…)。申し訳ない? そんなことでは駄目です。勝ったか、負けたのか聞いているのに、申し訳ないは零です。そんなことを言う必要はありません。それは、先生に対する礼儀ではありません。申し訳ないと涙を流すのは、家庭においてやることであって、公的場ではいけません。

 先生は北韓に行った時、金日成のもとの最高の指導部の案内において、先生の両親の墓参りをしてきました。その時、姉さんと妹が同行しました。そこで姉さんは、お母さんが自分の弟をいかに愛していたかということを、悲鳴のような声で「お母様! あなた様が日夜、願い叫んだ、その誰々という名前が来ています! 地中でご覧になって、この時代を喜んでください!」と叫ぶのです。その声を聞いていた妹も、共に涙をポロポロ流しているのです。その真ん中に先生が立っているのです。そこで、涙を流すべきや、流さないべきやというのです。腸が切れるような、胸が引き裂かれるようなことがあっても、公的な立場と私的な立場を分別しなければならないのです。悪辣な金日成の指導者たちに、「文先生が墓参りして、父母の心情に涙をたれました」と報告されるのです。その時、先生が思ったのは、「二〇〇〇万人の民族解放を成した後に、墓参りして涙を流す!」。

 だから、神様の解放まで、その例と、その理想でやるのです。分かりましたか? 先生の言うことは、高次元なことばかりです。高等推理数学なのです。ですから今、世界で自分がやらなければならないという者は、文先生を尊敬するのです。分かりましたか?(はい)。

 サタンも屈伏し、神様も屈伏しているのです。「サタン! こうじゃないの?」「神様。そうですか、そうじゃないですか? 答えてください」。神様は答えられません。サタンが答えないからです。神様は、サタンも「そうです」。「こうだね」、「間違いない」。神様は、「裁判で裁決をしなさい」。「こういうものは、先生に任せてください。よろしゅうございます」と、御印を受けなければなりません。(統一教会は)でたらめな所ではありません! 分かりましたか? (はい)。だから統一教会は高尚なる理想があるとともに、反対があるので、泥棒たちが住めないのです。分かりましたか? 寄生虫たちが寄りつかないのです。先生の心身に接するような振動数と同じ周波を持った者はつながることができるのですが、それに違反するような者は排斥するのです。排斥処分は、神の作戦です。どうですか、気持ち悪いですか、良いですか? (良いです)。良いと言っても、君たちが処分の対象になれば、処分されるのです。神様はちゃーんと知っているのです。その例を挙げましょうか。

良心は自分において第二の神様

 人間において、一番貴いものは何ですか?(愛です)。愛はどこに住みますか? 男の愛と女の愛は、どこで一つになりますか? どこですか?(生殖器です)。生殖器を合わせたところです。女の生殖器には愛はないのです。自分自身には感じないのです。あなたは愛を持ってるのですね? それは、父母の愛、父母の生命、父母の血統をみんな相続しているのです。それを持っていても、自分なりに一つになっているので感じないのです。これは、近くなったら見えますか? 答えてください。見えますか、見えませんか? (見えません)。

 なぜ見えないのですか? 目というものは相対的に物を見るようになっているのであり、一つになっていれば見えないのです。目玉が目玉を見ることできますか?(できません)。だから、良心がなぜ見えないのかというと、自分と一つになっているからです。相対的であればすぐ分かるのですが、一つになったら分からないのです。愛を見たことがありますか? ないのです。触ったこともないのです。一つになっているからです。人間はすべてが中間に浮かんでいるのです。すべて一気圧の中で調和が取れているのです。一気圧の力は大変な力ですが、一つになっているから分からないのです。分かりますか? 一つになっていると分からないのです。

 君たちの(胸の)鼓動は、「ドン、ドン、ドン、ドン」と聴診器で聞けば大変なのです。このように、心臓が動くということを一日に何回考えますか? 平均みんな一か月でも考えないのです。一年に数回しか考えないのです。忘れているのです。大変なことです。臼で突くよりもっと大きい音がするのに、なぜ感じられないのですか? 答えは、一つになっているから感じないのです。速度の一番速い所、一番遅い所、その中間しか聞こえないのです。感じることもそうです。相対関係に立たなければ感じられません。脈なんかもそうです。それが分かりますか?

 神様が良心を見たいと思うのに、良心がないという女の子がいたら、気持ちはどうですか? ひっくり返るほどに気持ちが悪いのです。愛がないというのです。気持ちが良いですか、悪いですか?(悪いです)。愛と良心をコントロールするのは神様です。神様は良心の主人であり、愛の主人なのです。分かりましたか? (はい)。

 良心は自分において第二の神様です。先生に続いて声を出してください。良心は(良心は)、自分において(自分において)、第二の神様です。(第二の神様です)。自分を中心としては(自分を中心としては)、絶対なる神様です!(絶対なる神様です!)。そのように定義するのです。

 第二の神様は、第一の神様の相対位置に立つのです。相対を中心としての主体・客体の関係は、男が中心に立ったら、女はその男の命令に従えばよく、神様に聞く必要はないというのです。分かりますか? 相対は、主体と一体であれば、それで万事「オーケー」です。分かりましたか? 着物と同じです。立派な着物も、その人が着ることによって、いくらでも御殿の王様の前にも出られるのです。立派な着物が出られるのではないのです。その人が着た着物だから、みんなが歓迎するようになっているのです。そのような相対関係をいうのです。分かりましたか?(はい)。

 相対関係において、神様を中心として良心は第二の神様です。それがなければ、神様と人間が相対的な内容の関係を持つ因縁がないのです。分かりますか? 良心は神様と人間が通じるようになっているのです。良心は第一の神様に対して相対的立場に立つのだから、第二の神様の立場に立つのです。しかし良心を、男、女と見た場合には、男の良心は神と一体になっており、その一体になった主体と客体は横的関係だから、これが一つになった場合には、幹と同じ、枝と同じで、相対基台が一つになったら、それで万事が「オーケー」です。

 国も、国会を中心として、行政府があるのですが、地方では県は県知事を中心として、相対的な県の法律に一体になった場合には、中央に報告しなくてもよいというのです。分かりましたか?(はい)。

 主体・客体関係の世界は、このような原則によってつながっているのです。どちらが上か下か、どこが中心か、相対かを決めることによって位置が決まるし、男、女の二人の問題が世界の八〇パーセント以上、悪辣な罪悪世界をつくったとすれば、男、女の問題をはっきりと解決することによって、平和世界が八〇パーセント無事達成できるというのです。ですから、男、女の処理問題は歴史的に重要なことです。

 この世界は悪い世界ですか、良い世界ですか?(悪い世界です)。今は、もう絶望の段階にきているのです。絶望の渦中で、現状の世界を眺めているのです。「どうすればよいか」と言っても、そこには中心もなければ、主体もないのです。相対ばかりがうごめいていて、今から上がるか、下がるか、この渦巻きがどうなるか分からないという世界です。そういう渦中に生死を決めなければならない運命圏に立っているのです。

 ここにおいて、絶対なる相対が、女としても絶対なる女がいないのです。絶対なる相対が完全ならば、絶対なる主体が生まれてくるのです。完全なるマイナスがあった場合には、プラスは自動的に生まれてくるのです。分かりますか? 空中において、そうなるのです。プラス電気があった場合には、マイナスをなくさないように保護するのだから、必ず自然はマイナスをつくって同伴させて、主体・客体関係を保つことによって、天運が保護するようになっているのです。分かりましたか? (はい)。

 すべてが主体・客体なのです。顔も、目玉をなぜ二つ、つくったのですか? これが一つだったら、消耗も少なくなるのです。鼻の穴も一つであったら便利です。風邪をひいた場合には、「チーン、チーン」と二回も大変です。耳も一つであったらいいのです。手も一つだったらいいのです。女も、男も、みんなそのものをつけて関係するようにすればいいのです。なぜかというと宇宙原則の公式に合うようになっているからです。もし、合わなかったら、みんな笑われるのです。目玉が一つあったら笑いますか、笑わないですか? 鼻がぺちゃんこになって、穴が一つであったら笑いますか、笑わないですか? 笑うのです。笑う者は相手にしないのです。それは障害物になるのです。分かりましたか?

 宇宙はそれをよく知っているのです。宇宙力は、両班さん(韓国・李朝時代の社会の指導者として、政治、学問、文化の発展に貢献した人々のこと)です。相対となるものは保護するようになるし、相対でないものは拒否するようになるのです。だから、宇宙には相応力と反相応力、作用力と反作用力が働きます。一般の人々は、反作用力は作用力反対と言うのですが、先生はそういうふうには言いません。「共に必要です」と言うのです。

 それをみんながはっきりと明らかに知らないと、女の立つ所も、男の立つ所もはっきりしません。分別されて立つ所がはっきりすることによって、秩序が整頓されていくのです。秩序が反対になった場合には、いくら多くの人々が良いとしても、みんなそれは放棄物になるのです。分かりましたか? みんな整頓して、正規の条件に合うようにしなければなりません。何でもって条件を分別するかというと、主体・客体関係によってです。

 だから、君たちもそうです。体が病気になった場合に、お医者さんに、「病気になったら、なぜ体が痛くなるのですか?」と聞けば、お医者さんは何と言いますか? 「それは、病気になったから痛いのです」と言うのです。それがなぜか分からないからです。なぜ痛いのですか? 自分の中から痛い力が別個にピーンと現れて、自分を痛いようにさせるのですか、そうでなければ、どこからか第三の力が作用するから痛いのですか? それが何か知らないから、「分からない」と言うのです。それをはっきりしないといけないのです。

 それが平均になった場合には、バランスが取れた場合には、平等になり、宇宙力が保護します。そのような天運という宇宙力があるのです。分かりましたか? 宇宙の天運というものは、相対関係になるものは保護するようになるし、相対関係が崩れた場合には、天運の相対圏には不合格なので、不合格なるものを残した場合には、合格品に被害になる恐れがあるので、すぐに処分してしまうのです。押し出すのです。その押し出す力によって、痛みを感じるのです。

主体と客体が一つになれば宇宙力が保護する

 なぜ旦那さんが死んだ場合には、女は気違いになるほどに、転び回りながら、「ウウー、ウウー、ウウー、ウウー」と大変なのですか? 生涯全部をひっくり返して、「私はどうなるのか!」と、悲惨な立場になるのです。なぜそんなに痛みを感じるのかというと、自分の旦那さんばかりが死ぬのではないのです。たくさんの男たちが死んでいるのに、なぜ自分だけの問題とするのですか? 自分と相対になった者が破れたならば、天運が「君は不合格品だから、この圏上にいることはできません」と押し出すからです。原理原則の全体圏に不合格品になったのだから、除外されるのです。嫌でも仕方がないのです。

 だから、そこで他の相対を求めて、結婚するとかしなさいというのです。そのような力によって、押し出す方向は悪いのですが、それは何か相対圏を保護するため、相対者を求めるように忠告することになるのです。分かりましたか? 先生は原理原則を話すのです。これに不合格になった場合には、宇宙力が押し出すのです。君たち、先生の話を聞かなかったならば、良心の呵責を受けるのです。なぜ、文先生の話が韓国に、アメリカに、とても遠い世界にいる人にまで、今まで見たこともない先生の話が、なぜ作用するのかというのです。

 日本の家庭にいても、先生を見たことがなくても、先生の命令を聞かなかったら、良心の痛みを感じますか、感じませんか?(感じます)。先生が主体だから、主体と客体が一つになれば宇宙力が保護するし、天運が保護するのに、一つになっていないので除外されるからです。押し出す力によって痛みを感じ、苦しみを感じるのです。そういう立場に立たないというと、滅びます。先生も同じです。神の原則から外れた場合には、良心が必ず命令するのです。「気持ちが悪いよ」と。先生は着物を着るにしても、きちんとしたものを着るのです。

 ここには、日本の名門の家の奥様たちが、たくさん来ているのです。話はいちいち言わないのですが、日本中がびっくりするような名門の家の女性が来ているのです。それで、暑いからといっても、上着を脱いで簡単にすることはできません。しかし、皆さんが公認すれば何でもできます。皆さんが願うのならば、裸になってもいいのです。分かりましたか? 女も、裸になっても罪ではありません。女も裸になれば夫婦になるのです。一番近いものになるのです。裸になるのが恐ろしいのではありません。一番近い関係、一番恐ろしい関係とともに、一番親しい関係になるのです。女が旦那さんの前で着物を脱ぐということは、大冒険なのです。革命的なことです、奇跡中の奇跡です。そうは思いませんか? 考えてみなさい。それは、簡単な事件ではありません。死ぬか生きるかということよりも重大事件なのです。

 先ほども話したように、天運というものは相対関係です。電気でいえば、プラス・プラスは反発するし、マイナス・マイナスは電気原理において反発するというのですから、自然の結婚式をするには、数億ボルトの力を持たなければ、あのように雲の中で火を発することはできません。数億ボルトが「よーい始め!」と言って、一緒に男のプラス電気と女のマイナス電気が、「ヤー!」とぶつかるのです。もし一つ一つの電気が集まって、ぶつかることになれば、電気の原理からするとプラス・プラス電気は反対するのだから、集まるようにはなっていないのです。マイナス・マイナス電気も全部反発するのだから、集まらないようになっているはずなのに、なぜ、どのようにして大きな電気が集まるのか考えたことありますか? ない! ない! ないのです。みんなが「そうだ」と言うので、みんな「そうだ」と言っているのです。それだけ分かればいいのではありません。先生は、聖書について、みんな神学界で「そうだ」と言っても、そうは信じません。自分が鑑定して、再び分析して、実験しないと信じません。だから、非常に先生を恐れているのは、質問が限りなく続くということです。

 だから、そういうような考え方でもって、宇宙の根本が何なのかを究明する責任を持って立っているのです。そして、失敗した男としてではなく、成功した男として認められているのです。天下すべての者が反対しても、神様が公認した場合には、神様公認の頂上圏を自動的に再建して、勝利者になるというのは自然的な結論です。分かりましたか? ですから、君たちは先生に会って気持ちが悪いのですか、気持ちが良いのですか?(気持ちが良いです)。男たちは気持ちが悪いよ。自分の奥さんが、自分の旦那さんより先生に対して、「もっと気持ちが良い」と言うのだから、後ろに立っている男は嫉妬心を持つのです。

 女たるものは先生の側です。生まれる前から初めから。いくら弁明してもそうなるのです。ですから文先生に、「女は格別に注意せよ」と言うのです。分かりましたか?

 立派な愛は、立派な後孫を残すのです。いくら学者でも、悪い学者は立派な後孫を残すことができません。国を滅ぼし、国に詐欺をするような、詐欺師のお父さんになるのです。分かりましたか?(はい)。

 先生が言います。プラス・プラス、マイナス・マイナス、それは反発しません。(します!) しません!(します!) しません!(します!) しません!(します!) しません! いかにして大きな数億ボルトが、どうしてプラス・マイナス一つになりますか? 説明してみなさい!(相手を生かすからです)。何を生かす?(生かし合うからです)。生かし合って、それはプラスになるのですか? 相反発するならば、殺すのですか? 反発するならば、それを変えて保護するのです。ただし条件があるのです。それが合うか合わないか、今から聞いてみなさい。プラス・プラスが反発作用をするのは、相対が決められた時に、そうなるのです。相対圏をつくった時に、そこにプラス・プラスが来た場合には、女を乗っ取る恐れがあるからです。分かりましたか? だから、プラス・プラスは反対するのです。その反対も真なりです。

 例を挙げれば、美人の女が二人いたとします。A美人とB美人です。A美人は何パーセントもよい美人なのです。そこで、B美人が言うのには、「あー、A美人が嫁に行かない限り、私は死んでも離れない。食べることも、寝ることも、遊ぶことも、一生を共にしたい」と。友達としては、二人とない友達として親しくなっていたのです。(一人が)部屋にいなかった場合は、電話で話すし、何時間も会わなかったら大変です。そういう仲のいいAとBの友達がいました。分かりますか?

 ある日、そのBの美人が結婚をしました。美男子の旦那さんを迎えて、素晴らしい結婚をしました。そして、結婚式を終えた次の朝に、A美人がその家を訪問して、「あなた! Bさんいらっしゃるの?」と言った場合に、昔ならば、もう窓を蹴飛ばして飛び出してきたのに、B美人は奥の間の中から「はーい、います。何ですか?」と言うのですか、それとも「いやー! よく来ました。いらっしゃいませ!」と言うのですか? どうしますか? 入りなさいと言うのですか、拒むのですか? 拒むのです。「入るな!」と言うのです。そんなことは、友達同士の時はあり得ないようなことですが、一晩のうちに、旦那さんが決定したことによってそうなるのです。それは何かというと、プラス・プラスが反発するというのは、相対が決まった女のためであるというのです。それは男女二人が一緒になった場合、もっと美人が訪ねてきた場合には、その女のために自分の相対が破れるので、女は「カーッ」と反発するのです。

 それを理解できますか? 相対が決まらない前には、女の子たちは群れ合って一つになるのです。もう十五歳、十六歳になった場合には、「どこどこの村のお嬢さんは、何とかいう立派な旦那さんをもらって、結婚した」という話をするのです。あなたたちもそうだったでしょう? そうでなかったら、女ではありません。

 だから、男もそうです。相対が決まった場合には、美男子が美女をもらった場合には、もし、美男子が訪ねて来たら大変です。反発するのです。夫婦になったら、男が来た場合には男が反発するし、女が来た場合には女が反発するのです。分かりましたか? 相対圏が決まった後には、そういうことをするのですが、相対が決まる以前には合うようになるのですから、雷雲の中のプラス・プラスの相対が決まっていないというのです。「ワー」と、何千ボルト、何億ボルトになって、一つでも間違った場合には、合わない場合には、ずーっとついて、これがストップした場合には、さーっと合って、切ってしまうのです。理解できますか?

 だから、宇宙には和合作用と反発作用があるのです。反発作用が悪いのではないのです。分かりますか? 相対圏を保護するために、相対が破れるプラス・プラス、マイナス・マイナスの危険性があるから反発するのです。

 天運がそうするのです。天運、宇宙力ともいうのです。分かりましたか? その原則を先生が知ったために、今までの生涯の戦に勝利する秘訣となったのです。だから問題があった場合には、すぐ神の相対圏に入るのです。神の相対になった者に、反対するような者があった場合には、直ちに切ってしまうのです。自分がやるのではなく、宇宙力が、天運が除外するのです。

 先生は、そういう実験的な生涯を活用して、ここまで来ました。だから間違いないのです。分かりましたか? (はい)。それだから、君たちも相対を変えることはできません。相対を中心として一つになった場合には、天運が作用した効力に反する者になったので、天運が逆に切ってしまうのです。そういう者は地上からなくなってしまうのです。

 先生の結論を出しましょう。統一教会は理想が高いために、反対も非常に世界的なのです。それで先生は、喜ぶと言いましたが、そんなに二つの法則が相反することはないのです。

愛の本宮

 さあ、一つ質問をしましょう。愛はどこで一体となると言いましたか?(生殖器です)。女の生殖器だけでは愛は生まれません。男と女が関係して一つになった時に、愛が生まれるのです。そうですね?(はい)。それが本場です。

 人間世界において、愛の起源地です。愛の泉の本源です。本家と同じです。その国の先祖の家になるのですから、それが本場です。王宮です。分かりましたか? 王様の家です。宮殿になるのです、そのように一体になった基準が、愛の本宮なのです。オリジナル・ファンデーションです。それは、「源なる基台」というのです。分かりましたか? アダム・エバの愛は、そこから始まるのです。はっきり分かりましたか? (はい)。だから、女も男も愛の本宮を持っているのです。二人が一つになることによって愛が成立するのです。一人では絶対に愛は成立しません。おばあさん、分かりましたか?(はい)。そこが夫婦が一体になる所が愛の本宮です。男女の生命が一体になる本宮です。そこにおいて、血統がつながるのです。それ以外は血統がつながりません。そこで、女も男も喜びの最高の興奮の中において一つになるのです。それが最も貴い愛というものです。

 その本場が、堕落のために悪魔の本場となり、本宮が地獄の悪魔の本宮になってしまいました。天国と神様の本宮になるべきものが、神様の愛の本宮、神様の生命の本宮、神様の血統の本宮になるべきものが、悪魔の三大の基地になってしまったのです。それを再び取り戻すには、大変なことです。第一の初愛の体恤心情を再び取り戻すことはなかなか難しいのです。それを、もとがえそうとする神様においては、数千万年の歴史を費やしても、その基準に到達することはできなかったのです。そのために救世主、メシヤが必要になったのです。分かりましたか? (はい)。

 だから、その場所が最も貴い所なのです。それを崇拝しなければなりません。そういう習慣を持たなければなりません。本来であれば、男も女に対して、生命の源、愛の源、血統の源を崇拝しなければならないのです。しかし、そんなことを考えた男は今まで誰もいないのです。初めて先生から聞く話でしょう? (はい)。それはお金で買うことができません。だから、愛とは恐ろしいものです。すべてを統括し、すべてを消化し得る力を持っているのです。愛は、神様までも消化するのです。その生命は神様の生命であり、その血統は神様の血統であり、血統の主人は神様から始まるのです。生命の主人も、愛の主人も神様から始まるのです。

 そのような本然の関係を持って生まれているべき人間であり、この人間が神様と一つになるようになっているはずなのに、サタンと共に地獄に陥ってしまったため、本心の要求は「神様、神様」と、本来の体験の源を探しているのです。それが人間の良心の欲望として現れるのです。歴史的な人々が言うには、「人間の欲望は不可能である」と思ってきたのですが、そうではありません。全部が可能になるようになっているのです。堕落しなかったならば、人間は完全に全部が神様の愛の相対なのです。神様もそういうものを持っているのです。分かりましたか? (はい)。

 無形性相の神様が、実体の神様としてつくったのがアダムとエバなのです。神様も愛が必要であり、人間も愛を必要とするならば、人間の愛と神様の愛が、どのようにして一つになるのか、これは大変な問題です。理論的に一つになった起点を満たさないと、神様と人間が共に生きる平和の基地、平和の出発、平和の過程、平和の結果の世界に到達することはできません。同じ出発点と、同じ過程を経て、同じ終着点に到達することができなければ、神人一体は永遠にできません。

 だから根本問題は、神様はなぜ人間をつくったかということです。それは、愛の相対者としてつくりました。なぜ、神様は愛の相対者を必要とするかというと、自分一人では何も感じません。刺激的な喜びを感じません。君たちも愛があり、生命があり、血統があるのですが、その愛と生命と血統は一人では刺激されません。女になって、男を見た場合に、この目がすーっと合った場合には作用するのです。愛の力が発動するには、作用が必要であり、作用するには主体・客体が必要です。これは、宇宙の根源の道理を明かすために、そういう例えをせざるを得ないのです。

 電気というものは、作用によって生まれてきます。電気というものは、プラス・マイナスの相対がなければ作用しません。科学者たちは、「宇宙は力によって構成されている」と言うのですが、力が先か作用が先かというと、作用を通して力が出るのです。しかし、その作用は一つではできません。主体・客体の内容で運動が始まるというのが理論的な結論です。運動するには、求心力と遠心力の作用による相対関係の釣り合いによって、そうならざるを得ないというのが理論的です。分かりますか? 良心が作用をすると、二人の良心の力が合った場合には、偉大な力になるのです。良心が作用して一体になった場合には、男と女の場合には、愛の関係に持つようになるのです。愛の関係を持った場合には、天地が共に動き出すのです。男と女がいた場合には、天地を象徴するのです。プラス・マイナスの全体の線上の代表的な基準を象徴するのだから、男と女は小宇宙として、そこに大宇宙が引っ張られてくるのです。

国家的基準から世界的基準へ

 復帰の時代において、復帰は正妻ではできません。妾を通してしなければなりません。こうなった者を逆にして上がっていくには、正妻ではできません。(先生が右手で「」のようなしぐさをされる)別の女を通していくのです。分かりますか? イエス様が来られた場合には、別のお母様を選ぶのです。共に生活していた妻を正妻としては迎えません。おばあさんと、お母さんと、三代目がつながらなければならないのです。そういう公式があるのです。でたらめにはできません。先生は四十歳で、お母様は満十七歳だったのです。そんなことをした先生は泥棒ですか、何ですか? 四十歳の男と結婚したというような十七歳の女の子がいると思いますか、いないと思いますか? 誰もいません。

 なぜ、そうしなければならないかというと、真のお母様になるには、ティーンエージャーでなければならないのです。十八歳、十九歳、二十歳を超えれば、真のお母様にはなれません。当時、先生は四十歳で、その周りには、博士の女性や、修士の学位を持ったたくさんの女性がいたのです。美人もたくさんいたのです。教授もたくさんいたのですが、その人々は真のお母様にはなれないのです。ティーンエージャーの時にエバが堕落したのだから、そういう条件を立てて、愛で一体になるのです。ティーンエージャーと一体圏になれば、十七歳の平等基準に立つことができるのです。

 そういう意味において、お母様と結婚するようなことになったのです。分かりましたか? (はい)。それは、悪くないのです。仕方なくやったのです。なぜかというと、女を救ってあげるためにです。お母様を訓練して、立派な女につくりあげたのです。三十三年間のイエス様の恨みを解いたのです。今年がその三十三年目です。イエス様が三十三歳で死んだ、第二の先祖としての失敗を蕩減復帰して、国家的基準を越えなければならないのです。それで、世界的な出発をして、今や世界の四十か国を凌駕する戦いをしているのです。分かりましたか?

 それを勝利した場合には、国家基準から世界基準へ上がっていくのです。そのような基盤を中心として、統一世界が成るのです。国も、南北を統一する黎明の時がやってくるというのです。金日成がいくら反対しても、思うようにはなりません。

 これから、日本もどんどんどんどん駄目になります。アメリカもどんどんどんどん駄目になります。しかし、文先生だけは、どんどんどん上がっていくのです。考えてみなさい。「八月には統一教会を全滅するのだ」と(一部の)言論界が、「ワーワー」言っていたのですが、何を言うかというのです。反対とは、反対する者の所有権を相続する神の第二の戦法であり、戦略戦術なのです。そういう公式を知っているので、「打つなら打ってみよ!」と言うのです。打てば、打たれる者の財産になるのです。罪なくして打たれた場合には、その賠償、弁償を支払わなければならないのです。

 先生が世界的に大変な立場に立って打たれた場合には、世界を全部相続するのです。世界的な個人、世界的な家庭、世界的な氏族、世界的な民族、世界的な国家、世界的な天宙、世界的な悪魔、すべて神様まで、善なる霊界すべてが先生に反対したのです。神様はなぜそうするのかというと、最高の賜を与えるには、最高のチャンピオンにならなければならないからです。チャンピオン(になりたい人々)が一〇〇人いた場合には、九十九人を落としてしまわなければならないのです、そのためには、反対のコースを取る以外に道がありません。だから、すべてに死の境地を何遍も越えてきたのです。最後に死の状態で一人残っても死んでしまうのを恐れてみんな逃げていくという立場で、死にそうになった者を神様は呼び起こして、今まで宇宙のすべての隠しておいた宝を、初めて授けることができるのです。

 立派な先生とは、(生徒が)優等生として一〇〇点を取るためにどうするかというと、みんなが逃げていくような方法を取るのです。頭でしなければ力でするのです。毎日、自分の僕みたいに便所掃除をさせたり、自分の奥さんの生理のものを洗わせたり、博士の女性に子守りをさせたりするのです。そして、みんな九十九名が落ちてしまうのです。試験というものは、そういうものです。分かりましたか? (はい)。

 だからそういうことを知っている先生は、「やりなさい。やりなさい」と言うのです。文先生の理想は神解放であり、最高の理想なのです。君たちもそうですね? 若い者が犠牲ということをなぜ好むか考えてみなさい。個人は家庭のために、家庭は氏族、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、世界は天宙、天宙は神様、神様は愛のために犠牲になってこられたからです。神様だに犠牲になってこられたのです。愛のため神様は犠牲になっているのです。

 愛の相対としてつくった人間です。だから、第一の神様の前に、第二の神様として良心があるのです。それが蘇生、長成(期)基準で堕落したのだから、神様と関係するには、完成圏が残っているので、神様は堕落したアダムには干渉できないのです。長成基準で止まってしまった良心に、下がってきて干渉することはできません。理論的にもそうです。もしも、完成基準に到達したとすれば、神様と直接一つになれるのです。分かりますか?

 神様が主体で、人間の良心は、神様の第二の人間の良心は客体としてぴったり一つになるようになっているのです。それがなぜできないのかというと、長成(期)完成(級)基準の堕落圏を残しているのです。完成基準の七年間が残っているのです。(そこで)祝福を通して、長成(期)完成(級)基準以下で止まっていたので、上に向かって七年間越えていくのです。

 先生も聖婚式で世界的な迫害を受けてきたのです、分かりますか? それは、原理的になっているのです。原理基準、原理過程を完成基準に通過しない者は、廃品と同じです。廃品は回収する必要がありません。完成した、再び修理したものを回収するのです。分かりましたか? そのような再創造の公式過程を通過するのです。このことをはっきりと知らなければ、あなたたちは永遠の高速道路に出ることはできません。あぜ道でさまよって、山奥で、山の頂上を上がりながら途中で落っこちてしまった場合には、地獄に直通するのです。

一番投入して犠牲になる者が中心者になる

 個人が、家庭に犠牲することを願う人はいますか? そうしなければ国が滅びます。七人家族であれば、七人のために犠牲になって、それが間違っていたとすれば大変なことです。七人共々に、みんなが自分を尊重します。価値からいっても、平等です。七人を殺して自分一人がよくなるというのは悪魔です。それは地獄に直行する悪魔です。自分が犠牲になることによって、七人がみんなよくなるのです。七人共々に犠牲になるとすれば、その家が直行、直立で、縦的にすーっと上がるのです。垂直に飛び上がるのです。

 こういう原則から見た場合に、当然、個人が七人の人々の前に犠牲になるということは、それは道徳社会の公的な道として、誰もそれには反対する者はいません。そのように犠牲になり、為に生きた場合には、神様の再創造の道、神様が成されてきた再創造の道と一体になるので、神様が現在立っている所につながる道が続いているのです。分かりましたか? だから滅びることはないのです。投入して忘れる犠牲の道をとっていく人は、その家族の中心者になります。みんなが犠牲しても、一番投入して、もっと犠牲になる者が中心者になります。国の大統領、国の総理という者は、その国のために自分のすべてを投入して、投入して、誰よりも投入して忘れ、投入した者がなるのです。分かりましたか?

 それが、今まで若い者には分からなかったのです。投入して投入して忘れていくことによって、中心者になるということです。中心者がみんないいと思い、みんな中心者になりたいでしょう? しかし、無責任な中心者は悪魔です。破壊ばかりを生みます。だから中心者は責任を持たなければなりません。統一教会の中心者は誰ですか? (お父様です)。お父様ではありません。そういう時は、先生です。統一教会の教祖様です。中心者は責任を負うのです。

 日本の統一教会はぺちゃんこになりそうです。それも先生が責任を持つのです。いかに難しくてもやるのです。日本の男女で、誰も五万人ができると信じた人はいません。日本の状況が大変であれば、女性解放が宣布されたので「私がやります」と言わなければなりません。完全なる主体と相対が立てば、環境は磁石のように収まるのです。先生の言うとおりにやりなさい。やってから不平を言うのです。みんな信じなかったし、やらなかったので、最終回になって、こんなにふくらんでしまったのです。最後になって、こんなにたくさん来いとは言っていません。先生はこんなにたくさん招聘していません。

 第二次大戦の時、出征した兵士も終戦時までに汽車に乗った場合には、第二次大戦の勝戦の参加者になるのです。そういう考えで、一歩でもいいから汽車に乗ろうとした者たちです。自分の利益だけをむさぼり、一身の幸福を考え続けてきた者たちです。そのような人たちが集まって来たと言われても仕方がないのです。なぜ最初に来なかったのですか? 先生は、皆さんが気持ちが悪くなるように、こんな話をするのです。もし気持ちが悪くならない人がいれば、どうかしています。死に物狂いで気持ちが悪くなって、自分自体が覚醒できるとすれば、新しい道が開けるのです。

 すみません。立派な奥さんたちをこんなにめちゃくちゃに扱っても、まだ堂々として続けて話せる腹を持っている先生なのです。みんな、「新しい家庭と統一の祖国」を誰からもらったのですか?(お父様です)。お父様ではありません。女を警戒し、お母様がおみやげを、ちゃんと買ってやっているのです。お母様が普通の女だったら大変なことです。先生が日本の美人たちに包囲されているのですから。先生は年を取っていても、まだ元気です。それは、お母様がよく知っているのです。それで、心配でもって講演もできないはずなのに、お母様はそういうことを凌駕しているのです。

 そういう面では、先生よりも完璧な女になっているかもしれません。先生はよく訓練しましたか、訓練しませんでしたか? どうですか? 考えてみなさい。アメリカでも一回だけの講演かと思ったら、三回やることになり、さらにアメリカ五十州を分けて、二十二回(最終的に、お父様が十二回、お母様が四十四回)も回ったのです。それでおしまいだと思ったのに、次は「日本に行け!」と言われて、日本に行って、日本の講演を終えたと思ったら、「韓国に行け!」。韓国が終わったら、「世界の四十か国を回れ!」となるのです。それで、また帰ってきてどうしますか? 休ませればいいのですか、働かせればいいのですか? 先生の気質から見て、休ませる余裕があるような男に思えますか、思えませんか? そうであれば、君たちも休ませたらいいのですね。長年の間、数十年の間、先生を知って、日本の先頭に立って迫害を受けて、もう気が抜けて、しおれてしまうような立場で、もうどうにもならない限界で、みんなのびてしまったのですね。

 それでも先生は気合いをかけて、火をつけるのです。みんな死にたくはないから起きてくるのですが、逃げる所は先生のほうしかないので、みんな先生の所に走って来るのです。いくら世の中を見ても頼れる所はないのです。世の中はみんな経験してみて、みんな駄目だと知っているのです。しかし、文先生には、まだ実験済みでないものがたくさんあります。世界から歓迎された国一つもまだ迎えていません。それなのに、こんなに発展しているのです。

 そういう立場でアメリカを救い、ソ連の共産党も先生の手によって解放し、アメリカの国連も、国会も、先生の手でまとめて、反対する日本も、反対する韓国も、反対するすべてを、先生はずーっと通過してしまいました。先生は能力のある男ですか、無能力の男ですか? (能力のある方です)。今後の未来の世界に対して、希望を持てる何かがあると思いますか、何もないと思いますか?(あると思います)。既に、世界的な共産主義も実験済みだし、民主主義も実験済みですが、この世界最高の思想は、いまだに未実験です。日本一国が歓迎をしておれば、世界は一瞬にして回っていくのです。韓国政府が受け入れた場合には、世界は一瞬にして回るのです。

 そういう材料はいくらでもあるのです。先生が四十年間ためてきた材料は、NHKなどで放送しても十年以上使えるのです。CIAなどでもって、今まで文先生に反対してきた者たちの内密の調査書がみんな先生の所にあります。日本では誰々が反対したし、韓国では誰々が反対したということを、みんな知っているのです。

 先生は新聞の王様です。世界平和は、言論界の組織でもってやるのです。日本では、統一教会の文先生は何でもないと思っているのですが、今度、拉致事件を中心として、言論界の有名な人々を何人か連れていって、消化してしまうのです。だから、文先生を知ったら恐ろしいのです。引っ張ってみても、根が切れないのです。どこまでも続いているのです。最後には、神様につながって「この野郎、何だ!」というようになっているのです。

済州島は再び修練をする道場

 ここに集まった者は、先生を夢の中とか、幻の中とか、また啓示とかで先生に会ったことのある人は手を挙げてみなさい! (はい!)。これが一〇〇パーセントにならなければなりません。考えてみなさい。生きている実体でもって、霊的世界を投入して、君たちの生活の中で寝ころんでいる女たちに命令して、「統一教会に行け!」「先生の命令を聞け!」と、こういうようなことをやれるような独裁者ではないのです。

 日本の東条さんも、ヒットラーも、ムッソリーニも、スターリンも独裁者の名前をもっているのですが、月給をやりながら(部下を)使ってきました。しかし統一教会の文先生は、月給(献金)をもらいながらやっているのです。(笑い)だから、世界でナンバー・ワンの独裁者だと言うのです。献金をもらっても、先生のために使ったことも、統一教会のために使ったこともないのです。飢え死にするかわいそうな人間を再創造するために使ったのです。分かりましたか? 神様を助けるためにやっているのですから、万年千年かけて糾明しても、裁判にかけることはできません。罪名をつけて地獄に送ることはできません! 分かりましたか? (はい)。

 そういうふうにやりましょうか? それとも、今までみたいに、のろのろ遊びながら、女は男が統一教会で熱心に活動する足を引っ張って、「あー就職をして、月給をたくさんもらって、男は家族を養わなければならない。子供を教育しなければならない。金、金、金、金」と、引っ張りだこにしたが、今度は先生が連れてきて反対にしたのです。男たちは、「いやー、あまり走るな」と、大変です。それで日本も騒ぐのですが、統一教会はそんなに簡単な教会ではありません。アメリカでも五百回以上裁判してきたのです。共和党や民主党の大統領顧問弁護士などをみんな使っているのです。だからアメリカ政府が、「一番、宗教圏で扱いづらい難しい所が統一教会であり、理論的組織体系でぶつかってくるから大変です」と言っているのです。分かりますか、何の話か? 先生はでたらめな男ではありません。いったん手を下した場合には着実に行うのです。

 統一教会のメンバーは着実な女でなければ消えていくのです。率直に言います。そういう自信がなかった場合には、十年、二十年待ちなさい。遊びながら待ちなさい。その時は無料で入場券を上げますが、それは落ち葉として肥料になるだけです。落ち葉は枝になりません。枝になりますか、落ち葉になりますか? 落ち葉でもよいです、統一教会にいて栄養分をずーっと補給されたのです。しかし、枝にならないと落ちてしまうのです。分かりましたか? 枝になれなかった場合には、落ち葉になるのだから、今早くみ言を聞いて、秋の落ち葉にならないで夏の葉になって、秋までに大きくなるようにして、自分も満足して生きたほうが良いのです、そうですね。分かりましたか? (はい)。

 何とか済州島へ行って、ちょっと様子を見て、何か決めようとした者がたくさん来たでしょう? ここが済州島です。済州島とは、再び修練する道場を済州島(再修道)と言います。その済州島に来たのだから、みんな修練に文句を言ってはなりません。修練は厳しければ厳しいほど効果があるのです。時間ごとにさぼるような学生に、「十分間だけお話しします」と言う先生は、学生時代には良い先生のように思えたのですが、学校を出てみた場合には、悪い先生であったと烙印されるのです。

 先生は厳しいほど、真の先生なのです。分かりましたか? 厳しい訓練をさせるほどに、よい先生なのです。だから二〇〇〇人が入る所に、二七〇〇人も詰め込んだのは訓練としても最高の訓練なのです。訓練の歴史において記録をつくるようになれば、記録を書き入れられる歴史になるのです。日本の歴史の記録を記載するのです。そして皆さんは、記録の場所に参席した有名人になるのです。記録に残りたいですか、記録に残りたくないですか? (残りたいです)。だから、先生は話を続ける甲斐があるのです。分かりましたか?

 先生は何を好きになりますか? 高尚な理想を持つとともに、迫害を歓迎すると言いました。なぜかということをはっきり答えてあげます。最も貴い愛の器官はどこですか?(生殖器です)。生殖器は、最も神様が精誠を尽くしてつくった部分です。それを「愛の本宮」といいます。分かりましたか? 生命がつながる本宮であり、それは血統、歴史がつながる本宮です。そこから天国は出発します。そこから王権が出発します。天上天国もそこから出発するのです。間違いありますか、ないですか? (ないです)。(先生が同じ質問を三回くりかえす)

 そこに謎があるのです。一番きれい、一番貴い所に一番汚いものがついているのです。神様はなぜ、そういうふうにつくったのかというと、高くなるには、その反面に低い所も共にしなければいけないということです。そうすることで無限に回るのです。無限に、永遠に続くのです。きれいなものばかりだったら、山をどんなに登っても雪しかないのです。名山になるには、鳥が集まらないといけないのです。蝶や蛾が飛ばないといけないのです。分かりますか? そのためには、高い山には深い谷のあることが条件です。深い谷にはたくさんの落ち葉があり、山の汚いものが、動物の糞なんかがみんな集まるのです。だから、汚い所には昆虫が集まります。たくさんの昆虫が汚いものを好むのです。その昆虫を食料とするのが、鳥とか蛾とかいうものです。分かりますか? だから、名山になるには深い谷があり、たくさんの昆虫を養育する本場がなければなりません。鳥がいなければ大変です。

 みんな人間は、高い所、富士山頂を願うのですが、山頂には何もありません。上がれば上がるほど、息が詰まるだけで道もありません。しかしおもしろいことに、下に下がれば下がるほど、くさい臭いがするけれど、たくさんの昆虫がすんでいるのです。それを中心として、たくさんの鳥が集まってくるのです。そのように、たくさんの鳥とたくさんの昆虫のすむ所が、万物の理想郷になるのです。分かりましたか? それと同じです。いつも便所に行った場合には、それを考えなさい。「あー、先生の高い理想とともに迫害はつきものだ」というのです。分かりましたか? それを中心として、押して来れば来るほど、先生は大きくなりながら、どんどんどんどん進んでいきます。上がったり下がったりしながらです。

 いつも先生はいいことがあった場合には、開拓伝道の宣教師のことを考えます。今までソビエトとか、衛星国家の地下要員を、二十八年、三十六年前に送っているのです。分かりますか? まさかKGBの足元に、統一教会の文先生の組織が、モスクワやレニングラードの地下にあるとは夢にも思わなかったのです。衛星国家の愛国運動、右翼運動を指導したのが宣教師たちです。今は大統領の友達になって、みんな建国の勇士として働きかけているのです。

 君たちみたいに、自分の一身を考えて「あー、統一教会の命令するところは大変だ!」「日本内でも、あー大変だ!」。そんなことばかりではないのです。生死の境できょう一日を、あす一日を生涯の戦いの場と思いながら、み旨の道を歩いている食口たちがいることを忘れてはなりません。

 ですから、高い人は必ず低い人を愛さなければならないのです。先生は反対する人たちの子供たちにも学費を送ってあげたのです。困っていた場合には、お米も買って送ってあげたのです。それは悪魔が侵入できない防備策です。そういう人には、サタンも讒訴することができません。だから神様は「怨讐を愛せよ」と言うのです。怨讐は死んでいくのです。その滅んでいく死骸と共に死なないように、それを避ける方策として、「怨讐を愛せよ」という話になるのです。これが分かった場合には、怨讐を愛するのはそう難しくないのです。

 だからイエス様も、槍でもって自分の胸を刺して血を流すローマ兵に対して、神様に祈るのです。「彼は自分がしていることがいかに悪いことか知らないので、許してあげてください」と。そういうイエス様だから、神様も、サタンも、すべての相続権を与えて、天下統一を成すことができたのです。

 先生の話が分かりましたか? (はい)。良いことを考えて、良いことを行いながら、悪い人を友達にしていくのです。悪い人も再創造していくのです。反対する者を訪ねて、改心させて、神様につなぐようなことをたくさんすれば、神様の再創造の路程を助けたことになるのです。神様の代わりに再創造を成し得たことになるのですから、その人は霊界でも高い神様の相対圏に立つことができます。

 世界は、こんなに悪いのです。男、女がこんなに悪い世界にしてしまいました。ですから、死亡の境地に立って、抜け出る道のない中で、もがき苦しんでいるのです。分かりますか? その反対に、統一教会は最高の基地に立っているのです。希望に燃えているのです。それで、「えーい、どうせ反対する者は死んでしまえ!」と言うのではなく、それを救ってあげたいのが神様だから、そういう心で日本で反対する者を、今から収拾工作しないといけないというのです。救ってあげなければなりません。そのままにしておけば、いくらでもその戦いは続くのです。それは真正面に話し合って、整理していかなければなりません。日本人は、日本の統一教会が責任持たなければなりません。今からは、そういう工作をする時代に入りました。

再創造の公式

 きょうの題目は何ですか? (真の自分を探しましょう)。みんな、こういうように、結局は世界が悪いというのですが、日本はどうですか? 日本は悪い国ですか、良い国ですか? (悪い国です)。日本が悪い国だったら、ここに集まっている日本の女はどうですか? (悪い女です)。悪い女は天国に行きますか、地獄に行きますか? (地獄です)。何で地獄に行く人が、ここに来ましたか?(……) 地獄が大変だから、地獄を免れる道があるから、ここに来たというのですね。それには結局、自分が悪いことをはっきり知らないと、よい所に行くことができないのです。分かりましたか? (はい)。

 自分がはっきりと悪いということを、知らなければならないのです。それは、先祖のアダム・エバが悪くなったのだから、その根っこが悪いので、全体が悪くなるのです。枝が悪かった場合は、全体ではなく枝を切ってしまえばいいのですが、中心の根が悪くなっているのです、中心の根、中心の幹、中心の穂先が幼い時に、それが悪くなったのだから、大きくなっても悪いのです。だから、そのことをはっきりと知らなければなりません。病気になったとすれば、それを治すには、救援摂理は復帰であり、復帰はただでは行けません。蕩減復帰というように、蕩減復帰するには再創造の道をたどって行かなければならないのです。再創造が何か分かりますか? 再創造とは何かという公式を知らなければ何もできません。

   図1

 神様は創造において、まず環境をつくりました。(先生が黒板に図1を書かれる)環境は、必ずプラス・マイナスになっています。

 これが公式です。再創造路程の公式はどういうふうになっているかというと、必ず環境によってつくられたすべてのものは主体・客体になっているのです。それで、すべての被造世界を見ると、鉱物世界、植物世界、動物世界、人間世界も主体・客体です。原子を見れば、プラス電気とマイナス電気が授受作用するのです。分子を見れば、プラス・イオンとマイナス・イオンが相対的になって、それを軸として運動するのです。全部がそうなっているのです。鉱物世界もすべて相対関係で運動しているのです。分かりましたか? それと同じように、植物はおしべとめしべ、動物は雄と雌、人間は? (男、女)。男、女。これはもう公式になっているのです。神様が環境をつくられた時、環境は水と空気、土と太陽。それらがなければ生物が存在できません。環境の中には、こういう公式の内容で配列されているのです。分かりましたか? 再創造の過程は、そういう公式でつながっているのです。

 あなたたちもそうですね? 小学校を卒業した場合には、中高等学校に入るし、だんだん大きくなって、どこまで行くかというと、神様を占領するまでです。神様の理想と自分の理想が一体になるまで発展していきたいのです。みんなの欲望、欲心がそうなのです。最高のものを願うのです。願わない者は一人もいません。その願いは、可能になるようになっているのです。真の愛でつながったとすれば、その真の愛の本郷、真の生命の本郷、真の血統の本郷に落ち着いたとすれば、心身は自動的に一体となるのです。心身一体となった場合、夫婦は絶対一つになって、それは自動的に、自然的に一つになるようになっているのです。今まで、それができなかったのは、長成(期)完成(級)基準の愛の基準だからです。その長成(期)完成(級)基準において、愛の関係を結んだ愛の力というものは、完成基準の愛の関係を持たない良心の力よりも強いのです。分かりましたか? (はい)。

 それで、堕落しなかったとすれば、心身を中心として、心を主体として体は自動的に一つになるようになるべきなのです。そうなった場合には、それは自動的に完成基準において、神を中心として、真の生命、真の血統を、絶対なる生命、絶対なる血統、絶対なる愛を伝授されて生まれた子供は、絶対なる愛と絶対なる生命、絶対なる血統につながるようになるのです。子供たちがそのようになった場合には、絶対なる愛、絶対なる生命、絶対なる血統で、万年歴史を超越できるようになるので、神様が永遠であるように、私たちも永遠の存在になるというのが理論的なのです。

 そのように、死亡圏を逆のほうに上がるべきなのに、逆に落ちてしまいました。それを堕落というのです。この堕落観念をはっきりと知らない以上は、自分を探し求める基準を得ることはできません。堕落して落ちた道と、一八〇度違った方向を取って戻る道が復帰です。救援摂理は復帰摂理です。復帰は反対に行くのだから、蕩減という名前が生まれてくるのです。

良心の基準

 サタン世界は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界まで、すべて制覇している中を、神様は逆の方向に上がっていこうとするので、サタンは切ってしまうのです。切ってしまっても、神様はどうにもできません。完成基準ではなく、長成基準で堕落する時に、神様は干渉できなかったのです。堕落とは、死ぬようにさせることです。だから神様が完成基準を凌駕しない前には、死の全権圏内にあるので、サタンは殺すことができるのです。廃品の圏内でつくられるものは廃品であって、完全なものにならないので、人を殺すことができるということです。分かりますか? だから悪魔は、今まで神の精神に従っている者たちを殺してきました。

 良心の長成(期)完成(級)基準まで、アダム・エバを殺してしまった権限をもって神様に反対するところにおいて、サタンの世界をひっくり返そうと、敵として、これを切ってしまっても、アダム・エバを殺されても、どうにも手を出すことのできなかったのが神様の立場です。分かりましたか? だから何とかして、長成(期)完成(級)基準を凌駕しなければならないのです。何でもってかというと、愛の力でです。それは決死的に対抗して、その基準を一瞬でも超えた立場に立たなければ、神様の干渉を受けることができないのです。神様の干渉を受けない所は、サタンの全権であり、いくらでも殺すことができるのです。

 ですからイエス様は言いました。「自分の弟子になるには、誰よりも、地上の世界において誰よりも、私を愛さなければならない。それは、お母さん、お父さん、自分の奥さん、旦那さん、舅、いずれにしても、私よりも愛した場合には、私の弟子にはなれない」と。そのようにサタン圏の基準を凌駕しなければなりません。分かりましたか? だから、聖書は逆説的な論法の内容で教えているのです。「死なんとする者は死に、生きんとする者は生きる」と言ったのですか、「死なんとする者は?」(生きる)。生きる! 統一教会の信者を死ぬような所に引き込むことが何ですか? (生きる)。生きるようにして「自由自在に、安らかにせよ」と言った場合には? (死ぬ!)。あなたはそれが好きですか? それは嫌でしょう。そうならなければなりません。逆説的な論法をいっているのです。

 イエス様の弟子の中で、「自分のお父さんが死んだので、葬式に行って、何日して帰ってきます」と言った時に、イエス様は、「死んだ者は、死んだ者に任せよ」と言われたのです。堕落した者は死んだ者です。地獄へ行く死んだ者です。それをはっきり知らなければなりません。この堕落圏を、いかなることがあっても抜け出なければならないのです。分かりましたか? (はい)。

 長成(期)完成(級)基準において、サタンの愛の力でもって一つになったのです。サタンというものは、神様を中心として相対できない立場に立っているのですが、アダムの前には相対できるのです。分かりましたか? だから心身一体を考えて見た場合に、良心を第二の神様とするならば、良心は自動的に、神様のほうにつくのです。サタンもそれは知っているのです。良心を自分のほうにつけることはできないのです。

 良心というのは、垂直に神のほうにいつも向くのです。それは、南極が磁力でもって北極に向かうのと同じように、良心は第一の主体なる神のほうに行こう行こうとするのです。だから良心は正しいのです。良心に教育は必要ないです。第二の神様だからです。良心は、自分に対して分からないことはないのです。良心は、自分に対して分からないことがありますか、ないですか? (ないです)。ないのです。これを知らなかったので、自分の良心をだましながらやってきたのです。

 ここに来た女たちも、たくさん旦那さんをだましてきたのでしょう? (笑い)良心をだましているのです! 姑をだましているのです! 子供をだましているのです! それで、良心が泣くのです。良心が痛哭するのです。愛の根が肉身を中心として、長成(期)完成(級)基準で愛というものが一つになった力は、良心よりも強いのです。もしも、良心が完成基準で真の愛と一つになった場合には、いくら肉身の基準において、蘇生、長成、完成(期)基準で一体となったとしても、堕落しないで良心基準が神様の愛と一体となったとすれば、サタン的なプラス的肉身を自由自在に主管し、一つにすることができるというのです。だからサタンは、その場に留まることができません。逃げていくのです。

 だから、君たちの良心に反対して、良心の願うことの、反対の方向に世界がみんな流れているのです。これが地上地獄として拡張された世界です。見込みがないのです。このまま滅亡するのです。それで緊急に再臨の主が来て、すべてにブレーキかけて、すぐに回さないといけないのです。すぐに回さないと、どんどんどんどん下へ落ちていくのです。自動的にみんな流れていくのです。「さっさっさっ」と、素早くしなければなりません。そういう展開時代になったのです。

 分かりましたか? (はい)。なぜ肉身が良心を支配し、良心を引っ張りだこにしながら、良心の命令を聞かないようになったのか、分かりましたか? (はい)。肉身が良心より強いからです。なぜ強いかというと、サタンの愛によって、長成(期)完成(級)基準において、サタンの根っこが肉身の所に根を下ろしているので、プラス・プラスで反発するのです。良心は神様と相対関係が決められているので、反発するのですが、肉身のほうが逆に強いので良心は引っ張られていくのです。

堕落したという観念に徹せよ

 そうなると、問題は何かというと、いかにして良心を解放させるかという決断を下すには、自分が堕落したということをはっきりと知らなければなりません。堕落したことをはっきりと知らないから、ぼやーっとしているのです。分かりましたか?(はい)。堕落していることを知らないのです。歴史がどういうふうになっているか知らないのです。それが問題です。中間位置でぼやぼやしながら自分を中心として考えているから、いくら解決しようとしても解決できません。分かりましたか?(はい)。堕落したという観念を、徹底して自覚しなくてはなりません。

 堕落は偽りの愛によって起きたのです。私の一身はサタン的な愛の結集体であり、生命の結集体であり、血統の結集体です。それを取り返すのは大変なことです。ですから神様も、数千万年の歴史を費やしてきたのです。救済が、そんなに難しいものだということを分からないといけないのです。宗教生活の一、二年でもって、救援を完成するという思いを持つ者は泥棒です。神様は今まで、真の父母、真の子供を持ったことがないのです。真の女、真の子供がいないのです。それなのに、自分が統一教会で、一、二年ですべて成そうというのは泥棒です。生涯かけて、何代かけても続けなければならない根強い歴史の背後が潜んでいることを忘れてはなりません。

 神様は今まで、再臨主を中心として、真の父母が立つために数千万年もかかったのです。君たちの負債は、そんなに、一、二年で、真の父母の血統を相続することができると思いますか? だから真剣に、神様の何十倍以上、真剣になれば、時間を短縮することもできるのであって、この世的に歩調を合わせながら、遊びながら、いい加減にして、何か福祉事業みたいにしてできるものではありません。これは本職です。分かりましたか? (はい)。

 今、分かったことは、堕落がはっきりしたということです。偽りの愛によって、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだのです。それを考えると、触りたくもないのです。みんな悪魔の手足であり、この身は国賊どころではなく、天宙を売った天宙賊です。怨讐の血が固まっているのです。

 その子女になった場合には、宿命的な立場に立つのですから、これは大変です。いくら国賊の子供が名誉の学位を何千持っていると言っても、それは国賊です。その国では、その名誉は通じません。どんなに美しい人で、お金をいくら持っていても、そのお金は神の国と関係がありません。分かりましたか? なめてかかってはなりません。真剣で、真剣になって、真剣に自分を切ってしまわなければなりません。遊び半分ではありません。先生は、そういう境地を知ったので、宇宙主管の前に自分を主管するのです。自分が怨讐です。自分が地獄と天国の基地になっているのです。軍事基地と同じです。分かりましたか? (はい)。

 良心と肉身を中心とした境界線の基地になっているのです。世界が基地にはなっていません。自分の心身が紛争しているのです。分かりますか? だから悪いのです。日本も紛争しています。野党と与党が紛争するので、悪い国です。野党と与党が紛争すれば、その国はだんだんだん弱くなってしまいます。アメリカは、二重の野党と与党政策なので、おしまいです。それは兄弟同士なので戦うのです。親子は戦いません。アメリカの政策は縦的観念がないのです。中心がないのです。だから握手は横的です。東洋(の礼)は縦的です。(先生がしぐさされる)

 そのように、みんな相対的な組み合わせになっているのです。分かりましたか? (はい)。堕落が分かりますか? この血が悪魔の血だと実感したことがありますか? 肉も骨もみんなそうだし、生命もそうだし、血統もそうです。こういう血統の子供を生むということは大変なことです。神様が、創造したアダムとエバの堕落した姿を見た時の大変さを、自分が生んだ子供を見て、それと同じような大変なことであることが分からないのです。堕落した子供を生む者は、アダムとエバが堕落して、神様より離れていったその時の痛みを、自らが感じないと神に帰ることはできません。分かりましたか?

 旦那さんを、自分の欲望を中心として迎えているのです。知識があるから、名門の家だから、親しい友達の紹介だからと。そんなものはいりません。本心が第二の神様なのです。絶対の神様なのです。堕落しなかった場合には、相対が誰かすぐに分かるのです。初愛の相手が決まった場合には、それ以外の道はつながりません。絶対つながらないのです。蘇生、長成、完成(期)基準での堕落の愛なので、真の愛がどのくらい強いかということを君たちは分からないのですが、統一教会の初代の信者たちはそれを体恤しているのです。

 人間はそれ以上にならなければいけません。分かれることは絶対できないのです。旦那さんを思うようになるのです。恋しくなるのです。そういう現象があるので、毎月、旦那さんの所を離れることができないというのです。 統一教会の初代の信者たちはそういう経験をしてきたのです。あなたたちも、そのような本当の真の愛と一体になって、その境地に入るのです。神秘的な体験をするのです。そうなると、愛の共鳴圏に入って、霊界肉界のすべてが見えるのです。だから、統一教会のメンバーたちは、初代教会の時にみんな伝道は霊界から案内されてきたのです。

 また、先生は迫害があまりに激しいので、一か月に十三回も引っ越ししたのです。女たちが、みんな集まってくるので、先生はこっそりと隠れて行くのですが、神様に「先生はどこへ行きましたか?」と、御飯も食べないで、眠らないで、泣きづりながら祈って、みんなで「行こう、行こう」と、足が歩いてやって来るのです。この家に必ず先生がいることを探して来るのです。

 君たちは、それから見た場合に、みんな本質ではありません。遠い所に離れているようなものです。モーセの直轄した十二士師や七十二門徒ではなくして、六十万の喧嘩しながら従ってくる者たちです。そういう者たちは、中心を立てて国家建設の勇士にはなれません。それが失敗して、今日のイスラエルになっているのです。だから、そのような歴史の前轍が分かる先生は、そういうことのないように徹底して教育をするのです。そこに参席する者は、そうたくさんいないのです。分かりましたか? (はい)。

祝福は命懸けの業

 アダムとエバが堕落した時に、神様に追放されたアダムとエバと同じように、君たちが堕落の後孫として生んだ子供を捨ててしまうような立場に立つ心を感じないと、神様の心情圏は分かりません。サタンの子供と同じことです。分かりましたか? それを感じることのできる女性が、今日まで、地上のお母様がいないのです。それを感じなければなりません。歯を食いしばって、そういう子供として生まれたのだから、早く祝福を受けなければならないのです。祝福を受けても、蘇生、長成(期)基準の上のほうに行くにあたって、七年間は自分で開発していかなければいけないのです。祝福してあげても、先生が監督してするのではありません。分かりましたか? (はい)。

 教会内でも、迫害を受けながら祝福を受けたのです。エデンの園の中で祝福されるような環境ではありません。自由千万で、平等圏で迫害が永遠になくなるような立場ではないのです。ですから蘇生結婚式であり、南北統一建国が成った場合には長成結婚式です。民主主義とカイン・アベルが一つになるのです。そうなった場合には、結婚段階に入るのです。そのような基準で蕩減を復帰していくのです。ですから統一教会のメンバーで祝福された家庭は、三十歳、三十三歳を超えなければ結婚生活ができないようになったのは、第二先祖のイエス様の過ちを復帰しないといけないからです。

 それが三十歳に下がってきました。イエス様が出家しないで、家庭内で結婚することのできるような環境に入ったので、昨年から三十歳に下がってきたのです。ですから真の父母様が、三十三年の結婚以後の時代に入るのです。分かりましたか? それらはみんな数理的な蕩減です、そのようなことを、君たちは何も知らないのです。ただついて来るのではありません。十年間もぼやっとしていてはなりません。それでは、六〇〇〇双の祝福を受けても何にもなりません。子供が霊界に行って、お母さんを悪魔として讒訴します。「なぜ、こんな子供を生んだ!」と讒訴します。

 神様が一番嫌がることは、堕落したアダムとエバを追放する時の痛みです。その後孫をまた追放しなければならない立場に立つことです。ですから安易に結婚するよりも、独身生活をしなさいというのです。宗教生活を通して、自分たちが今まで分別し、血統転換して天的な子供を生んだ時のように、それを神の子供として尊敬して、旦那さんと愛しながら育ててこなかったという話です。大変なことです。祝福を受けたことが讒訴圏になるのです。災いになるのです。遊びごとではないのです。命懸けの業です。分かりましたか、何の話か? (はい)。

 周辺にサタンがたかってきて、君たちの一族をみんな殺してしまうのです。でたらめになった場合、将来子供には良くないし、君たちの将来がもうだんだん狭くなるのです。見てみなさい。間違いなく、み旨を先頭切って行く者はだんだん広くなるけれど、後ろから批判してついて来る者はだんだん狭くなるのです。大変なことです。君たちの自由にはなりません。見てみなさい。だんだんだんだんと大変なことになるのです。自分自身どうにもならない境地に追われていくのです。そういうことを知っているから、先生は先頭に立つのです。先生は利口な男です。前後のすべてを知っているのです。分かりましたか? (はい)。

 堕落したアダムとエバに似たような、サタンの血統を相続した子供を生むような女になってはなりません。それが一つ二つとたくさん増えていけば、エデンの園で追い出したエバよりもっと悪くなるのです。だから真剣なのです。どんなことがあっても、四大心情圏と三大王権を中心とする基準に合わせるようにしなければなりません。分かりましたか? (はい)。

 だから、日本も悪いのだけれど、日本から来た女たちも悪いのです、なぜ悪いかというと、心身が紛争しているから悪いのです。心身が紛争するのです。世の中の世界大戦は、休戦条約で戦争を中止することはいくらでもできたのですが、この良心と体の心身紛争は、過去、現在、未来まで続くのです。その戦争をやめさせるために、解決するために、手をつけた者は一人もいません。それを先生が始めるのです。分かりましたか? (はい)。どんなに難しいことがあっても、紛争の相対を一つ切ってしまわなければならないし、元に帰らなければなりません。だから、絶対なる良心を自分の神様として侍って、絶対崇拝しながら、肉身をそれに合わせて収めていく以外に、サタンの基地を撲滅させる道はありません。分かりましたか? (はい)。

 どんなに難しくても根っこを取ってしまわなければなりません。これは、人間が肉身を持って地上に生きている間に果たさなければならない重大な宿題なのです。宿命的な宿題なのです。宿命というのは死んでも成し遂げなければならないのです。死んでも成し遂げないと、また再び地上に来て、成し遂げない限り帰る道がありません。ですからイエス様も、地上でもって家庭を持たなかったので、家庭を持って国家基準を立てるまで、再び来られて再臨の時代を中心として、それを復帰するのです。

 だからイエス様も、二〇〇〇年間にたくさんのキリスト教徒が殉教する血を見ながら、その痛みを感じながら、苦しい痛哭の声とともに、涙を流しながら復帰の路程を辿ってこざるを得なかったのです。分かりましたか?

 一億全体が引っかかっているのです。一億、一国が引っかかっているのです。勝手にやってはなりません。祝福受けている女が、そんなに十年間も何ですか! 自分は自分一人ではないのです。公的な連帯的な関係を持っているのです。親も、兄弟も関係しているのです。神の摂理は、そのように祝福したので、先祖の良い人の恩恵によって召されて、そのような立場に立っているとするならば、全体を代表した場合は、全体に責任を持たなければならないのです。中心者は責任を持って全体を保護しなければなりません。ですから、先生は中心者として、日本のエバ国家の使命に対して責任を持っているのです。責任感でもって、このようにやっているのです。それから、保護してあげるということです。死んでしまえばどうでもいいのではありません。保護しなければなりません。それから責任者は、成育、発展させなければなりません。

 ですから先生は、五万人を短期間にして、このように日本全体の女の方向を完全に回してしまったのです。皆さんは男の前に立っているのです。今までは、女の前に男が立っていたのですが、今や復帰時代、女性解放時代になったので、女が男の前に、完全に立つのです。日本全体のそういうようになっているのです。

 そこで、五万人が六〇〇〇万人の女に対して、一人が一二〇〇名に影響を及ぼさなければならないのです。そういう責任があるのです。

良心の命令には絶対服従

 先生に続けて言ってください。私は(私は)、堕落した女です。(堕落した女です)。エバと同じです。(エバと同じです)。それをはっきり知らなければなりません。これは嘘ではないのです。自分の血も、生命もみなサタン的なのです。ですから、今までの既成祝福のようであってはなりません。完全否定、無の境地を通過しなければなりません。それをしないで子供を持ってはなりません。それが公式になっているのです。誰にもどうにもできません。先生にもできません。

 良心が何か分かりましたか? 良心が無力になってしまったのです。ですから、問題は何かというと、神様と真の父母によって、再び関係づけられなければなりません。真の父母は蘇生、長成、完成(期)基準以上に、完成基準を通過して下りてきているのです。解放圏を経て、神様をお連れして、堕落圏の長成(期)完成(級)基準まで下りてきて、先生が接ぎ木してやるのだから、先生を通して完成基準に上がる道ができるのです。梯子が作ってあるのです。分かりましたか? 真の父母が通過した梯子があるので、それを上がることができるのです。それをサタンは何とか否定して、個人から家庭、氏族、民族、世界的に否定させようとしているのです。だから君たちは、否定する環境、家庭、氏族、民族、国家、世界的な否定圏を、何事にもとらわれないで真の父母と一体となっていけば、無難にその峠は通過します。真の父母を離れた場合には、行く道がありません。原理的にそうなっているのです。分かりましたか? (はい)。

 先生は長成(期)完成(級)基準に上がってきたので、世界の長成(期)完成(級)基準から完成(期)完成(級)基準を凌駕して、長成(期)完成(級)基準に来て、これをつないでいるのです。ですから、真の父母と完全に一つにならないと、完成(期)完成(級)基準に上がる道はないのです。神様は下りてきません。それは、未完成のアダムを主管することができなかったのだから、下がってくることはできないのです。

 しかし、アダム完成体は、その基準から、みんな凌駕して行ったのです。神様と一つになって、相対的真の父母圏をつくって下がってきたのですから、真の父母を中心として一つになった場合には、サタンは反対することはできません。分かりましたか? だから、下りてきた真の父母は何を教えるのかというと、良心が弱くなったことを、強調して教えるのです。良心を絶対的に第二の神様として、肉身は全部なくすように、それには良心を投入して、再創造しなければならないというのです。分かりましたか? そのことをはっきりと教えてやることによって、良心絶対権限、神様のように信奉して、真の父母様の命令と同じように信奉して、どんなことがあっても一つになりなさいという話です。

 そうなった場合には、自分をそこで失ったのだから、そこから自分を真の父母によって、案内することによって、堕落した時、アダムとエバが長成(期)完成(級)基準まで上がっていなかったので、神様も完成できなかったのですが、先生は長成(期)完成(級)から完成(期)完成(級)基準まで、みんな通過したのです。未知の世界を開拓したのです。アダムとエバが知らないで堕落した圏をみんな分かって、完成基準まで上がっていったのです。ですから、お父様の言うとおりに一つになった場合には、自動的にサタン圏限を凌駕することができるのです。分かりましたか? (はい)。

 サタンは世界的にそこに上がらないように、ずーっと文先生を殺そうとして、いろいろ計略しているのです。それらをみんな、個人的、家庭的、世界的に、各段階での八段階の迫害を凌駕してきたのです。そうして、出発から垣根をみんな砕いてしまって、完成したアダムが、神様をずーっとお連れして地上まで下りてくるのです。そのように下りてきたのだから、いかなる段階でも、反対するサタンがいなくなってしまったので、神と共に家庭的に、氏族、国家、世界的に、神と共に生きるような時代になってきたのです。これはアダムの家庭ではなく、世界的なアダム理想完成基準において、神様を東から西、西から東へ、個人から五十二億へ、横的に総括して命令し、指導するような時代に入りました。

 もはや、遠くないのです。七年間でもって世界を完全に一つにまとめるのです。だからサタン世界は、もう大変です。めちゃくちゃになってしまうのです。日本も今から大変です。見ていなさい。日本の女はみな、世界的な悪い男に一人ずつのせられて、みんな売られていくのです。世界の男たちがみな、日本の女を好んでやって来て、エイズを増やしていくという話です。

 分かりましたか? 良心権限を最大限に拡大するような教えをしているのです。これをはっきり分からないというと、自分を世界的に解放する動機がなくなるのです。力が出ないというのです、分かりましたか? (はい)。

 良心の命令には絶対服従しなければなりません。そして、その規定は、良心は第二の神様であり、神様の相対圏である自分を中心としては、第一の絶対なる神様として侍りなさいというのです。分かりましたか? (はい)。分かりましたか? (はい!)。分かりましたか? (はい!)。

良心が先に分かるか、神様が先に分かるか

 そこで、こういう質問があるのです。良心が自分に対して分かることは、神様より先なのか、神様のほうが先なのかということです。何の意味か分かりますか? 良心は、自分に対して分からないことがないということです。良心をだますことはできません。良心には教育が必要ではありません。良心は母よりも立派であり、先生より立派であり、神様より立派なのです。ですから、良心が自分に対して分かることは、神様が自分に対して分かるのと比べてみて、先に分かるか、後に分かるか、ということです。どうですか、はっきり答えてください? (先です)。何でそんなに言えますか?(先生が今、教えてくださいました)。それは今、先生から聞いたことです。

 自分に対して、神様が先に分かるか、良心が先に分かるかと聞いているのです。なぜ、そう言えますか? はっきりしてください。神様だに、自分に対して質問しなければならないというのです。神様が先に分かったとするならば、神様が、「君、こうだろう」と言うのです。「君、こうこうこういう悪いことをしたね」と言うのかというと、そうは言いません。分かりましたか? なぜ、そんなに言わないのかというと、「君、どうした?」と聞くのです。そうした場合に、「こうこうなったから、こうです」という時に、「そうだね」と解決してくれるのです。エデンの園でアダムが堕落したそのことは、アダム・エバ自体が知っていると同時に、神様も知っているのです。だから、誰が先に知ったかというと、良心が先に知っているのです。

 それでアダムは、第二の神様の位置に良心を立たせたのです。それから、自分自身を中心としては、絶対的な神様として良心を頂いているのです。分かりましたか? もしも神様が、先に知ってそうしたとするならば、神様の体と同じだというのです。神様の良心が先に自分を分かると同じように、神様と一体になったものだというのです。しかし、まだ愛の相対として一体にはなっていません。分かりましたか?(はい)。そういう、神様自体がなぜ、良心が自分より先に分かるようになっているかというと、良心の相対である肉身は神様の相対ではありません。それは、良心を中心に肉身が相対になっているのです。それが先に一つになるようになって、それをつなぐようになっているのです。それが先になって、それをつなぐのではないのです。分かりましたか? 良心を中心として、体が一つになって、神様につながるようになっているのです。

 だから、神様と一つになっていないということは、神様の相対の価値、そして別個の真理体として立たせるために、別個の中心の基準が、神様とは別になっているのです。自己完成とは、自分を中心として良心と肉身が一つになるのが先です。それが一つにならないというと、神様の相対としての良心と一つにはなりません。分かりましたか? (はい)。そういう面において、良心は、すべて神様よりも先に分かるのです。そういうような立場に立っているので、人間は神様の愛の相対の価値存在になるのです、分かりましたか? 神様をプラスとして、自分はマイナスとなって、プラスの相対の立場に立つのです。ですから、マイナスはマイナスとして先に分かるのです。これが重要です。

 だから神様も、良心に訪ねてくるのです。自分と一体となれば訪ねる必要はありません。分かりましたか? 訪ねるということは、相対的な個別真理体だからです。真理体になっているのです。それはマイナスの存在であって、プラスではないのです。分かりましたか? もしプラスであれば、もう聞く必要はないのです。一つになっているので、自分の手足と同じだから、聞く必要はないのです。先に知っているのに、何を聞くのかというのです。しかしこれは相対の立場だから、プラスではなくマイナスだから聞かざるを得ないのです。分かりましたか? (はい)。

 だから良心の命令は、絶対に受けなければならないのです。神様はプラスだから、マイナスはマイナスで一つになって、完全に完成しなければなりません。それで、良心を神様のように絶対信奉しながら、一つにさせる道が修養の一番の近道です。祈祷する時も、良心に向けて話をするのです。「あなたの良心は、いかに苦労しましたか、肉身とまるっきり反対の境地に立って、肉身がこういうことを反対したのを聞かないので、いかに痛哭しましたか」と。そうすると、良心と自分と友達になるのです。分かりますか? 良心と自分と話し合うのです。そうすると良心が、第一の神様の基準に立つようになるのです。

一体化した基準に、どんどん肉身が弱まって一つになれば、一つになることに比例して、マイナス圏が大きくなることに比例して、プラス圏と、どんどん一つになってくるので、だんだんと自分の良心が明らかになるのです。そのように一つになった境地になれば、教えなくてもすべてが分かるのです。堕落のサタン圏に奪われて、引っ張っていかれたので、自分が分からなくなり、みんな反対されて、ふさがっているのです。ですから、それを完全に回した場合には、すべてに通じるのです。分かりましたか? (はい)。

良心は両親に優る、良心は先生に優る、良心は神様に優る

 それで良心はー、一緒に言ってください。良心は(良心は)、両親に優る!(両親に優る!)。神様は何かというと親です。良心は、自分を生んでくれたお母さん、お父さんに優るというのです。神様より先に分かるというのです。分かりましたか? (はい)。良心は(良心は)、両親に優る!(両親に優る!)。良心は(良心は)、両親に優る!(両親に優る!)。親に聞く必要はありません。分かりましたか? (はい)。そういう習慣性を付けて、良心に聞くのです。最初は何も分からないのに、だんだんだんだんこういうふうに三六〇度を超えれば、一つの自信が基台になるのです。二回、三回になれば、これは王宮になり、円周が、半球になり、小さいのからだんだん大きくなって、こういうふうにして上がっていくのです。(先生が手で円を描くしぐさをされる)それが、半球型になった場合には、すぐ、良心の主体である天と一つになるのです。そうした場合には、堕落しない本宮の自信でもって、すべて霊界、地界が明らかになるのです。分かりましたか? 大変なことです。これが一番の近道です。

 今まで、こういうような内容を、修めようとして教えてきた教典もなければ、そういう先生もいないのです。先生自体に始まったのです。なぜかというと、完成したアダムの権限を持ってきたのだから、先生に従っていけば知らないうちに、アダムの堕落圏を突破することができるというのです。分かりましたか? そうして、神様と一つになり、神の創造理想と一つになった場合には、サタンはここにくっつくことができません。自動的に、天使長の立場に帰らなければならないのだから、神様に絶対服従するようになるのです。神様に対して悪辣な相対圏に立っているので、今は残っているのです。分かりましたか? (はい)。

 良心は(良心は)、先生に優る!(先生に優る!)。良心は(良心は)、先生に優る!(先生に優る!)。良心は(良心は)、先生に優る(先生に優る)。先生が教える必要はないのです。先生に教えを受けるところは何もないというのです。良心が教えてくれるのです。先生は教える必要がないというのです。分かりましたか? (はい)。

 良心の基準が基盤になった場合には、自分の生涯において成すべきことがみんな分かって、自分に必要なもの以外を成す必要がなくなるのです。それは何かというと、自分の必要とするものは、みんな成すようになっているのです。その必要の最高の目的は、神の愛を占領することです。分かりましたか? だから、宇宙を占領しても、まだまだ占領したいと思い、神様を占領しても、神様が一番尊ぶ愛まで占領して、「あー、終わりだ」と言えるのです。そこを占領した場合には、再び帰ってくることができるのです。

 そこで、占領したものを相続するために、子供が必要なのです。分かりますか? 神の愛を占領した場合に何が必要ですか? 後世に残していくためには、子供が必要なのです。神様と一体になる境地は、愛を中心として一つになることです。分かりましたか? (はい)。

 それで、良心は(良心は)、神様に優る!(神様に優る!)。良心は(良心は)、神様に優る!(神様に優る!)。良心は!(良心は!)、神様に優る!(神様に優る!)。神様に聞く必要がないというのです。自分が、真の父母を中心としてつながった場合には、自分を中心として、良心の命令に絶対に一つになれば、間違いなく天国につながる道があるのです。分かりましたか? (はい)。これは、死ぬまで地上で絶対必要なことです。分かりましたか? (はい)。

     図2

 真の愛を中心として、兄弟が一つになった場合には、(先生が黒板に図2を書かれる)小学校から中、高校へ、大きなプラスに向けて一つになった場合には、これが一つになるのです。こういうふうに発展して、これを対応的相対関係というのです。分かりましたか?

 こういうふうにすべてが発展していくのです。中高等学校を卒業して、マイナスが大きなプラスの大学になって、それが一つになって発展して、対応的相対関係でだんだん大きくなって、どこまで行くのかというと、神の愛を占領するまで行くのです。精神的には神の愛を占領することであり、肉身的には、原子世界、物の世界では、神の愛の接触分野の生殖器が最高の望みの基準なのです。だから人間の愛の分野に向かって、すべてのものは投入して入ってこようとするのです。

 ですから植物は鉱物が好きであり、鉱物は動物が好きであり、動物は人間が好きなのです。そして、最も最高の望みとする所は、神の愛の平面的な最高部の夫婦の愛の器官なのです。これが地上天国の基台です。良心の基準は神の愛です。分かりましたか? 神の愛を占領する所です。

 それは縦的な父子関係です。神様の愛は縦的な愛であり、天から地に下りてくるのです。真の愛は、直短(最短)距離を通過します。回っては行きません。縦的の距離でもって、一番近い直短距離は平面を中心とした九十度です。これは、家などをつくる時、まず平面を見るのです。そのためには、ずーっと重りを下ろして、それから水平になった計りを中心として、水泡を真ん中に合わせるのです。そのように縦的横的を組み合わせないと、立体構造物が生まれてきません、分かりますか? (はい)。

 ですから、人間の愛においても、二つの愛があるのです。父子関係の愛と夫婦関係の愛です。それから、兄弟関係の愛なのです。(先生が図3を書いて説明される)上下関係が父子関係、左右関係が夫婦関係です。前後関係が兄弟関係です。このようにすることによって、球体になるのです。

    図3

 このような球体になるのです。これは上下関係は父子関係、左右関係は夫婦関係、前後関係は兄弟関係です。その三つが一つの中心を中心としてつながっているのです。真の愛を中心としてです。これらが一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ。七つで完成なのです。この円は八番目です。円を描くことによって、いくらでも無限に回るのです。いくらでも繰り返し、繰り返し、繰り返しても再出発、再出発になるのです。分かりますか? (はい)。

統一完成圏

 神様はどこにいるのかというと、ここにいらっしゃるのです。(先生が図―3の7を示される)これをサッカーボールにした場合には、ここに数多くの線が引かれるのです。分かりますか? 無限の線でもって、同じような線でもって、表面を支持するのです。表面が真ん丸い表面になるには、そのすべてを支持する力の方向は、この中心の一点を通るのです。この一点です。分かりますか? この一点を通らないと、この表面が真ん丸にはならないのです。ちょっと外れた場合には、それが凸凹になるのです。点が一つしかないのです。分かりましたか? 一つでありながら、全体がそこに引っかかっているのです。神様はそういう所にいらっしゃるのです。ですから、良心の真ん中が、肉身と良心がつながる愛の四大心情圏なのです。子女愛、兄弟愛、夫婦愛、父母愛。そういうような愛が完成したその一点というのは、結婚の初夜の愛をつなぐ所に定着するのです。それで神様はどこにいらっしゃるのかというと、愛の生殖器、愛の一体の元に住むというのです。

 それで、女たちはどこを求めていきますか? 夫婦関係の愛を求めていきますか? そのように生活しますか、そうではありませんか? 男もそうです。男と女がどこを中心として生活を結ぶ点になっているかというと、それが夫婦関係です。夫婦の因縁ではなく、夫婦関係をする所です。それが円満であった場合には幸福であり、それが不満だと不幸なのです。分かりましたか? その器官が原理原則、四大心情圏を抱えるようになると幸福であり、それが欠けた場合には不幸なのです。子供を持たないと不幸なのです。分かりましたか? (はい)。

 こう見た場合に、結局夫婦というものは、真の愛を中心としていえば、(先生が上記の文字を板書される)第一に統一完成圏、第二統一、第三統一です。これは何かというと、心身一体です。分かりますか? 心身一体とは、真の愛を中心として心と体が一つにならなければならないのです。偽りの愛によって心と体が紛争するようになったのを、蕩減復帰して、真の愛を中心として心と体が一つにならなければ、元の基準に返った立場ではないので、天国に入ることができません。分かりましたか?

 そういう真の(愛の)第一統一完成体たる男と女が夫婦になって、一つになるのが第二統一完成体というのです。分かりましたか? (はい)。

 第二に夫婦が一つになったとすれば、見えない神様の形状と性相が一つになったと同じように、実体的に引き出して、男は性相の実体、女は形状の実体として、見えない神様の実体圏が見える実体圏となるのです。それはプラス・マイナスであり、例えば心と体と同じように、神様の見えない実体と神様の見える実体の、性相・形状一体圏は良心と同じです。分かりましたか? (はい)。

 心身が一つになって、夫婦が一つになって、第三番目には見えない性相・形状の実体が、見える実体の性相・形状として、心と体と同じように一つになっているのです。それは、真の愛によってです。ですから結婚初夜における愛の根は、神様なのです。良心と愛と神様が一つになって、アダム・エバが結婚式の前に、愛の主人は神様なので、神様が初めて一つになって、それから、これが二つになるのです。分かりましたか? アダム・エバの結婚式は横的結婚式であり、これは縦的結婚式になるので、縦的が横的よりも先に立つのです。

 だから、結婚初夜の夫婦関係の瞬間において、男が完成されるのであり、女も完成されるのです。男、女半分だったものが一つになるのです。半分ずつが、こういうふうに分かれて、(先生が両手でしぐさされる)また合うのです。神様において一つであった、無形なる性相が実体化して、分割されて、性相は男として、形状は女として、大きくなって、二人がここで一つになるのです。そうなった場合には、無形実体の神様において、性相形状が一体であったと同じように、実体的一体になるのです。だから、アダムとエバの結婚式は横的の結婚式であるとともに、神様と、アダムとエバが結婚する一体圏は縦的結婚です。先に縦的が始まって、横的がつながるようになるのです。分かりましたか? (はい)。

 この位置の縦的を中心として、横的になって、これが九十度です。(先生が図―4を書いて説明される)ですから神様は、ここ(神の座)にいらっしゃるのです。既に話したように、こういうふうに球形です。分かりましたか? (はい!)。神様は良心の根、愛の根としてそこに住んでいるのです。良心の主体も神様であり、愛の主体も神様です。そうですね、分かりましたか? (はい)。主体が初めてその愛の体恤を成すようになるのです。だから、アダムの結婚式は神様の結婚式なのです。そしてアダムとエバの完成は、神様の完成になるのです。これが、宇宙の根本の秘密です。分かりましたか、分かりましたか? (はい!)。

 神様はどこにいらっしゃるのですか? 夫婦生活の夫婦関係する本源の基準に、いつでも神様はいらっしゃるというのです。それで、神様は縦的だから、縦的の血統を相続して生まれたのが自分だから、自分には縦的な親の血統と生命と愛、横的な愛と生命と血統を受け継いでいるのです。だから二重になっているのです。縦的な父母より相続されたものが良心であるので、良心を縦的な自分というのです。分かりましたか? 神様の愛と一つになっているので、教育は必要ないというのです。肉身は横的な自分ということです。それで良心が縦的な自分であり、肉身が横的な自分なのです。分かりましたか? それが九十度を中心として球体圏を成すために、父子関係、夫婦関係、兄弟関係は切り離すことができません。

 アメリカなどは、兄弟観念がないのです。夫婦関係もめちゃくちゃであり、父子関係もめちゃくちゃです。だから滅びるのです。天運の保護圏を離れているので、自動的に分散してしまうのです。この基準に通じれば、天運の保護は永遠に、立体的に、球体的に保護されるようになるのだから、永遠に発展するのです。分かりましたか?(はい)。

真の自分を探しましょう

 そうすることによって、真の自分を探すことになるのです。男は男なり、女は女なり、神様と人間が一つになることによって、はっきりした自分の一体圏を生みだすことによって、この世の中の女や男のために乱されるようなことがなくなるので、世界の大問題も八〇パーセント以上が治まってしまうのです。分かりましたか? だから結論として、良心を強くしなければなりません。そうするには堕落観念を徹底させなければなりません。自分は堕落した者であるということです。分かりましたか? (はい)。

 私は堕落しました! (私は堕落しました!)。ぺちゃんこです。ぺちゃんこには価値がないのです。これを復帰しないと何の価値もない堕落したサタンの遊びものです。地獄の基地です。だから、平和の世界は自分から築くのです。紛争している者には、いくら世界が一つになっても、自分と何の関係があるかというのです。それが傾斜になっているので、置くものがみんな滑って転がって落ちてしまうのです。そのバランスです。分かりましたか? (はい)。

 だから統一教会の名前は、その平衡をいうのです。両方が統一になっているのです。その上に自由があり、その上に幸福があり、その上に希望があるのです。紛争する所に自由がありますか? 分かりましたか? この世の中の簡単な真理です。

 日本の若者は、「自由だ! ハッハッハー」とやっているのですが、何を言うかというのです。君たちが戦っている、本心の紛争する所に自由がありますか? まずもって、自分が自由を得るには、平面基台をつくらないといけません。その基台は統一基台しかないのです。それで「心身が一体になれ!」と言うのです。夫婦喧嘩をした朝、気持ちが良いですか、悪いですか? 御飯を食べても、良いことがあっても、みんな嫌になってしまうのです。夫婦が釣り合った場合には、すべてが「オーケー」です。それを考えれば気持ちが良いし、幸福であるし、すべてが円満に通じるのですが、それが、こうなった場合には、すべてが駄目です。自分が大変なのに、外的にいくら「平和だ」と言っても、自分と何の関係があるかというのです。元は自分なのです。分かりましたか? 自分がすべてに入るように、すべてと関係するような完成体を成すことによって、全体が必要とするのです。

 個体は、自分を必要とするし、家庭も必要とするし、国も必要とするのです。それが一つになるには、神様の再創造理想に投入して忘れることです。神様も、一〇〇パーセント投入した場合には、一〇〇パーセントの価値しか生まれてきません。一〇〇〇パーセント、億万倍の愛の相対を願うのであれば、億万倍を投入して忘れることによって、その倍加、倍加の価値が高まっていくのです。

 この自由世界、個人主義の世界において、いかに一八〇度違う世界を迎え得るかは、全く神の創造原則の理論と同じように、投入して投入して忘れることによって、もっと高い理想の相対者を得ることができるのです。理論的なのです、分かりますか? (はい)。だから個人において絶対必要な真理は、投入して忘れなければ蕩減復帰ができません。堕落した者が、逆に変わっていく道を探すことはできません。

 必ず、たくさん投入した者は、一家庭を中心として、八人を相手にした場合には八人の中心になるのです。氏族のために家庭を犠牲にして、氏族には自分の家庭みたいな家庭が何千も入っているので、何千倍の家庭のために、家庭はすべてを投入して犠牲にならなければなりません。次に、氏族はなぜ国のために犠牲にならなければならないのかというと、国は氏族みたいなものがたくさん入っているので、たくさんの氏族を滅ぼして、自分の一族を重んじようとする者は地獄へ行くのです、破壊分子なのです。原則ではないのです。分かりますか? (はい)。

 日本人として、日本ばかりを考えて世界を利用しようとする者は、世界を破壊させる罪に引っかかるのです。だから、世界の保護を受けるためには、世界に向けて投入して忘れることによって、世界の中心の国家になるのです。その原則は万年を通じても変わらないので、中心の国になるのです。中心者はその国に責任を持つのです。先生は統一教会の中心(者)なので、すべての悪いことにも先生が責任を持ってきました。それで、統一教会に無限に投入してきているのです。分かりますか?

 自動的に、中心になった者は責任を持つのです。中心者は保護しなければならないのです。みんな原理原則です。このように保護しなければならないので、統一教会全体を保護するのです。日本の国の中心の政府であれば、日本のすべてのことに責任を持ち、日本を保護しなければなりません。それから日本を立派に発展させ、生育させなければなりません。発展させなければならないというのです。そのような、三大責任があるのです。だから先生は、君たちに夜遅くまで、なぜこんなことを話すかというと、きのうよりきょう、どんなに時間を費やしても、きのうより大きくなるように、発展するように、成長させるために投入しなければならないので、こんなことをするというのです。分かりましたか? (はい)。

 それは、すべてが原理原則に一致したものであり、それで悪い自分にならないし、良いという結果になるので、どんなに時間を費やしても良い、断食しても良い、牢屋に入っても良いと言うのです。牢屋に入っても悪い所には行きません。先生が牢屋に入った結果、アメリカを凌駕する結果を生みだしているのです。牢獄から出て七年目に、アメリカ全国を踏みにじってしまうようなことを成し得て、「真の父母と成約時代! 新教と旧教をカイン・アベルとして、父母の前につながれ!」と命令しても、みんな反対する者はいなくなってしまいました。

 自分が怨讐であり、自分が悪いのです。自分が悪いということが分かりましたか? (はい)。自分が怨讐であれば、いくら家庭の平和と言っても、自分とは関係ないのです。それは除外されるのです。だから、平和でない者は地獄へ行くのです。地獄です。分かりましたか? 心身紛争する者は地獄へ行くのです。堕落のゆえにそうなったのだから、堕落の基地を完全に収拾して、心身一体にならなければ、天の元の国には帰れません。

 元の国に帰るには、真の愛というものが必要であり、真の愛というものは生命を投入して忘れる境地を越えないと出発しません。なぜかというと、サタンの愛は、サタン的な生命基準以上でなければ、神の愛につなぐことはできません。だから「死なんとする者は生きる」という、そういうような逆説的な定義を出さざるを得なかったのです。こういうような内容をもって、天的な教理、経典、聖書は、はっきり教えているのです。分かりましたか? (はい)。

 ですから、まるっきり、サタン世界に向けては一八〇度違う所です、だからサタン世界は、文先生がそういうふうに神様の国を誘致しようとするのだから、全世界のサタン世界は一〇〇パーセント、一八〇パーセント反対するのです。反対しない者は嘘です。サタン世界で喜ぶ者はサタン化された者だから、自分を通して、それは感じません。何の衝撃も受けないのです。だから、相対的に立つ所の者を「殺せー!」「駄目だ!」と言うのです。ですから、世界的な宗教指導者として、歴史的に出発して、世界的な迫害を受けるようになるという、このような原則が当然なければならないことになっているのです。それで先生は何を願っているのかというと、早く世界的な迫害の時代が来るように願ってきたのです。

女の全権時代は二〇〇〇年まで

 今や、それも過ぎました。その戦いも過ぎました。アメリカを中心として過ぎました。アメリカの五十州をまとめてしまって、みんな万歳したのです。一週間で国会演説を行ったのです。それは二年半かかることです。それにUN(国連)総会も、二週間から三週間以内に、お母様がUN会場で講演することになったのです。文先生はともかく可能だけど、お母様が成されたのです。先生はお母様と一体になっているのです。愛は一体だからです。

 エバ国家のキリスト教を中心とした新婦教会が失敗したのだから、新婦でもって蕩減しなければなりません。アベルはアメリカ国家、カインはヨーロッパ、自由世界です。自由世界の国会がUNで、アメリカの国会が相対圏です。それをみんなカイン・アベルとして、お母様が抱いて、旦那さんと一つになっているのです。分かりましたか? (はい)。

 第二次大戦後において、世界は英米仏と日独伊が心身一体として一つになっていたのです。カイン・アベルが一つになって、お母様を中心として先生に侍ったとすれば、そこから世界が、七年間で世界統一になるべきだったのです。今、「真の父母と成約時代」を発表したその基準は、第二次大戦後において新婦と新郎が会うようになったのと、ちょうど同じです。だからアメリカも神のほうに、イギリスの代わりに日本が、そうしてドイツは既にカイン圏として長子権を復帰したので、干渉してくるようになるのです。分かりますか? 長男とエバとお母さんが、お父さんを中心として一つになるのです。アメリカと日本のエバ国家と先生がこのようにして一つになるのです。

 韓国に来て、お母様がやるべきことは、青年を中心としてカイン・アベル。原研を中心として、共産党を中心として、大学を分裂されて、原研はみんな三年前に大学を追放されているのですが、それを復帰するのです。一つになっていくのです。これが一つになって、南の国の学生と金日成の学生が一つになった場合には、お母様の腹の中から二人の子供が生まれるのです。一つになったからです。その国家的な基準が立った場合には、世界は一つになるようになっているのです。それと同じように、日本は日本なりにカイン・アベルの子供を二人はらんでいるのです。その朝総連と民団を一つにしなければ、日本は救われません。

 同じように、イギリスのアイルランドとスコットランドが、新教・旧教として、お腹の中に入って戦っているのを、イギリスは一つにできなかったのです。日本も同じように、韓国の北と南のプラス・マイナスで反対するのを生んで一つにしなければならないのです。それは日本の女として一番嫌がることなのです。日本人も嫌がるのです。ちょうど、それと同じになっているのです。分かりますか?

 だから、これから帰った場合に、女たちは韓国僑胞の民団と朝総連をいかに統一するかというのです。それを統一しないと、日本の国が立つことはできません。それを一つにすることによって、六十万人のイスラエル民族と同じように大移動です。日本はエジプトと同じような国です。イスラエルをはらんできたのはエジプトです。それを追い出すのではなく、再び一つになって、女たちが一緒になって帰っていったとするならば、エジプトも天国になることができるというのです。分かりましたか? (はい)。

 だから民団を先にして、日本エバ国と一つになって、男を連れていくことにより、大きい民団に上がれるようにして、それに日本の男性がプラスにすれば、日本国家の救済になるのです。

 今は、そういう時代です。七年間で、一九四五年から一九五二年に、世界統一圏を成そうとしたのですが、それが四十年延長して、新婦と新郎が一つになって、韓国と日本エバ国家が、再び一体圏を成すことによって、今から七年間で一つにならなければならないのです。七年も延長させてしまったのですから、エバ国家の日本が全世界の女たちと再び組んで、方向を固めることによって、全世界が方向をまとめるようになるのです。エバ国家の日本の女は、旦那さんが誰であるかということを知っているのです。

 全世界の女はエバと見るし、全世界の男は天使長と見るのです。全世界の女の前に、真の完成のアダムは一人として、再臨の主と見るのです。女と再臨主は一つで、こちらは天使長です。天使長を再び接ぎ木して、先生が第二のアダムをつくりあげなければ、君たちの相対者はおりません。分かりましたか? 母の分身になって、お母様が姉さんだとすれば、君たちは妹です。先生から見た場合には、正妻と妾の立場です。

 復帰は、レアとラケルを中心として見た時、レアが正妻になるべきではないのです。ラケルが正妻になるべきなのに、レアがなぜ正妻になったのかというと、復帰路程において、堕落した女から復帰されたレアみたいな女がいなければならないからです。それがレアとレアの娘です。(一方)ラケルみたいな本当にヤコブの願った娘と子供とを一つにさせなければならないのです。そのことを全世界的に、ヤコブ家庭でできなかったのです。イエス家庭でもそっくり同じです。

 こういう関係を先生を中心として見れば、聖進様のお母様も獄中で離婚したのですが、聖進様がいる以上、ちょうどそれに引っかかるのです。聖進様のお母様は子供と一体となっているから、いくら年取ったとしても、いくら別れたとしても、聖進様の家に入って住むことができるのです。聖進様が切ってしまうことのできない場合には、いつもお母様を憎み、聖進様と共に反対するような立場に立ちやすいのです。これを凌駕していかないといけないのです。ちょうどそれと同じです。

 歴史は、ただでは通過できません。蕩減復帰というのは、堕落したとおりに再び再現して、反対に一八〇度違った方向に行くことによって、収拾の道ができるようになったのです。アダム・エバが堕落する時に、天使長とエバが、一つになってアダムを地獄に連れていったので、今度は天使長とエバ、お母様が日本の国を一つにするのです。一つにしてアダム国家を蕩減復帰するのです。アダムを追放したので、反対に救ってあげなければならないのです。それが日本と天使長です。今がちょうど、その時です。分かりましたか? (はい)。

 その基準は、既に終わりました。全世界を回ったのです。そうなると、七年間において、世界を一つの方向に、統一世界をつくらなければなりません。七年間に世界は、そのように急変していくのです。だから今、アメリカも、日本も、韓国も、そういうような境地を進んでいくのです。分かりましたか? (はい)。

 女の時代は七年間です。女の全権時代は二〇〇〇年までです。先生は、今から七十年代、八十年代までの七年間が残っているのです。一九四五年から一九五二年までの七年間ですべてをまとめようとしたことが、今残って延長されているので、再びそれを蕩減復帰して、完全な地上天上天国の成立が可能な時代に入りました。それで氏族メシヤを送って、家族メシヤを編成するというのは、地上天国編成が始まっているからです。分かりましたか? (はい)。

横的東西統一と縦的南北統一

 堕落観念を強く感じていくことによって、自分の良心圏が絶対権限の上に立ちます。それが立つとしても、どういう方向で、どういうような思いでいくかというと、神様が再創造するのに投入して忘れてきたと同じように、統一教会は家庭のために投入して忘れていくのです。犠牲になるのです。氏族は民族、民族は国家、国家は世界、世界は天宙、天宙は神様、神様自体も愛のために投入して忘れてきたのだから、それを成就しようとして従っていくことによって、勝利的な中心の国家として成り立つのです。

 国家が成立した場合には、それは世界的な代表国家になるのです。北の金日成共産主義と南の民主体制が一つになったとするならば、平面的東西の分裂がドイツです。それが一つになったとすれば、世界的縦的分裂国家、横的分裂国家群の最後の統一が、東西によって成るのです。縦的南北統一が最後のベースです。

 金日成が四十年間なぜ王様になったのかというと、キリスト教文化圏が、新婦を中心として新郎に侍ったとするならば、北の金日成は生まれてきません。南北は自動的に統一されたのです。キリスト教が反対したために、悪魔の再臨の主として唯物共産主義の父が生まれてきました。それで、二つの父が対立して争ってきたのです。それは、サタンの全権でもって、世界を一挙に攻めて七五パーセントまで占領するのです。蘇生、長成、完成(期)基準は第一次戦争も、第二次戦争も、第三次戦争の思想戦もみんな負けると思ったのに、そうはいきません。先生によって、みんなぺちゃんこになりました。

 だから、金日成は今からだんだん下がっていきます。先生は追放された荒野から、上陸作戦をして世界へ無限に上がっていくのです。このような交差時代に今、入りつつあるのです。それでソ連、中共を結び、金日成には、アメリカを中心として、日本まで活用して圧力を加えるような教会にしていくのです。分かりましたか? (はい)。何でもないような男が、そういう力を持つようになりました。何でもってかというと、神の保護力によってです。絶対なる神の権限の相対基準に立ったのだから、その相対圏を侵そうとする者は、反対しようとする者は、天運がみんな追放してしまうのです。迫害の境地をずーっと段階的に勝利して、最後の段階もみんな越えてきました。

 今は、もう世界的に「真の父母と成約時代」を発表しても、日本もびくともしなかったのです。それを取り戻すことはできません、サタンは取り戻すことができません。祝福家庭が一つでもあれば、その国は、その理念を未来までつなぐようになるのです。先生の教えはなくなりません。それは、一人が残っても続くのに、全世界の最高クラスが文先生の恵沢を受けているのです。頂上会議を中心として、PWPA、CAUSA会議、言論界などを通して、あらゆる識者、世界に手を伸ばしていないところはないのです。それは四十年以上、五、六十年間ぐらい、中南米からやってきているのです。だからアメリカの国会にしても、今後はアメリカ大統領も先生が指名すれば可能になる圏まで入っているのです。

 それを信じますか?(はい)。ソ連のビデオ(ロシアにおける統一運動)を見たでしょう? ソ連の科学施設全体を先生に提供しようと、向こうから願っているのです。ドイツとか日本では絶対にやらないのです。昔、怨讐だったからです。しかし、文先生は世界的な平和主義者として、投入して、怨讐国家のアメリカを救うために、『ワシントン・タイムズ』などを、今までつくってきたことを彼らはよく知っているのです。だから尊敬するのです。全面的に、この思想だったらアメリカを凌駕すると知っているのです。一つになって、アメリカも、自由世界も、みんな乗っ取ろうというのです。

 モスクワに行った時に、文教(文部)大臣が発つ前に十分だけ会ってもらいたいというのです。それで、「自分たちは八年前から統一思想を研究した。KGBが全面的に(研究した)」と言うのです。「悪辣な反共運動の王者のレバレンド・ムーンがこうやった場合にはー」と。それで、「もしかしたら、共産主義はもう、これ以上続かない」と、彼らは八年前から知っていたのです。「共産主義を撲滅させた場合に、レバレンド・ムーンがそれ以後の対策もなくてやった場合には、悪辣な者であり、何の代案があるのか?」と彼らは言っているのです。その結果、「先生の真理は我が国に必要です」と言っているのです。それで約束したごとく二四〇名の経済学者たちを案内して、自分たちの共産主義経済体制から民主主義、個人主義を中心とした体制、それらすべてのいろんな約束をみんな成して、彼らの道を示してやったのです。

 それで直ちに、二年半後には十万人近い人々を教育しました。「七十五日間で五万人をやったのだから、そういうペースでもってやれー!」と。だから、いかなる勢力、政治団体の基盤があっても、これを抜き取ることはできません。ソビエトに対して、それを指導し得る体制をもって、自信をもって指導したいという者は先生以外にはありません。分かりましたか? エリツィンの経済の最高分野まで手がついているのです。UN(国連)の共産地区の悪辣な地下運動をした者を、エリツィン政府に戻してやって、UN事務局を治めないといけないのです。いろいろな世界のことをしないといけないのです。分かりましたか? (はい)。

天願うエバ国になるには

 そのようなすべての経済(問題)は、エバ国家が支えないといけないのです。英米仏、世界を統一した立場に立つキリスト教文化圏が反対しているのも、エバ国のゆえです。イギリスがアメリカを生んであげなければならないのに、今は怨讐になっているのです。だんだんだんだんアメリカを生かす方向に、神のみ旨を中心としてやれば、すぐに目をみはるようになるのです。中共も、ソビエトもです。それをエバがしないといけないのです。生み直さなければならないのです。放蕩息子であれば、母は子供に対して泣きづりながら、お父さんより胸の心情の痛みを感じなければならないのです。分かりましたか? お父さんは送る時、そうは言わないのです。エバに全世界を任せているのです。分かりましたか? (はい)。

 英米仏のキリスト教文化圏が、新婦圏がそうだったのです。旦那さんとして来られる再臨の主は、たった一人だというのです。聖書を見れば、そのような歴史があるのです。親もなければ親戚も何もないのです。たった一人で来るのです。持ってくる財産は何もないのです。たった一つの真の愛と、真の愛の子供の種だけしか持っていません。堕落した世界の女は、すべてを犠牲にしても、それが必要なのです。それを通過しなければ、子供も再び、女も再び生まれ変わる道がありません。

 真のお父さんの真の愛の子供の種と、真のお母さんです。二人を通過して再び生んでもらわなければなりません。神の国に真の子女として生まれて、生涯を終えて移動していくのが天国であって、真の父母と関係のない者は、愛の門を通過しない者は天国と関係ありません。だから再び生まれ変わらなければなりません。

 あす、そういう内容をみんな話して、二日間でそういう内容をはっきり分かることによって、日本から集まった五万人の女性は、神がいよいよ信頼するようになるというのです。今まで自分勝手にしていたので、信頼も何もできないのです。先生の手が届いていなかったのです。この女や男たちが、先生の言うことを日本式にみんな解釈して、でたらめにして、ぺちゃんこにしたのです。先生はずーっと十年前から言っているのです。

 五年以上、戦わないといけないのです。必ずそういう過程を通過するのです。先生が(一九)八八、八九、九〇、九一、九二、九三、六年間、語ってきたことがぺちゃんこになったのです。それを先生が一人で、こういう重大な責任を負うのであって、今は大変な、窮地に立っているのです。

 エバ国の使命の不徹底のために、先生まで困るようになってきたのです。それで先生は四年前にエバ国家が失敗する可能性があることを知って、カナダを第二のエバ国家として選定することを神に宣布したのです。四人の女と日本の男を立てて(宣布)したのです。

 今度のお母様の大会を大々的に歓迎したのがアメリカの国会です。全体が一つになってです。アメリカやカナダでずーっと大会をしたあとに、表彰とか賞杯とかをもらったのが、こんなに一冊の本になっているのです。大変です。全国的になっているのです。日本はぺちゃんこになる反面、カナダはその反対に栄えているのです。日本は雑教国家ですが、カナダはキリスト教文化国家です。六か月も教育すれば、あなたたちに二十年以上教育したより、先立つような人材をつくることができるのです。分かりますか、何の話か?

 だから、英米諸国が失敗することによって、日本が祝福を得たのです。もしも、このように先生が選抜しなかったとすれば、日本は戦争犯罪として、賠償のために四か国に分割されて、今の女、娘たちは涙で月を眺めながら故郷を思いつつ、胸が裂けるような痛みに嘆くことを逃れることができなかったのです。先生がエバ国家として指定したので、日本はこうなったのです。日本が偉いからこうなったのではありません。

 ドイツも、みんな焼け野原になってしまった。そのような日本が、アメリカの助けによってこうなったのです。それから蒋介石の保護によって、日本は弁償を要求されていないのです。それなのに、ある総理は、蒋介石の功労どころではなく、台湾を切って中共と結んだ、その姿勢がよくないのです。

 その後、台湾は統一教会を追放したのですが、それでも先生は台湾を救ってやったのです。レーガン政権の時代にあらゆる問題の背後で援助したことが分かっているので、今度お母様を国家的に、国家全体が国会を動員して、みんなお母様に侍っているのです。国会大演説は、三〇〇〇名の講堂で国を中心とした大会をするようになったのです。そういう面によって、先生に感謝しているのです。だから「為に生きれば」すべてが収まるのです。分かりましたか? (はい)。

 この会場いっぱいに集まった「女さん」たちは聞きなさい。もうこれでおしまいです。この五万人の女たちは今からどこへ行くのかというと、行く所がないのです。韓国に責任を持たなければなりません。日本のために韓国が二つに分かれているのです。アメリカのために韓国が二つに分かれているのです。天使長とエバがアダムを堕落させたことの復帰です、蕩減復帰です。天使長のアメリカとエバが一つになって韓国を統一させなければならないのです。

 それを、自分たちの生命を懸けてなさないというと、日本の国はエバ国家として、アメリカは天使長国家として立つことができません。これは先生が適当に話すことではありません。摂理がそうなっているのです。公式なのです。それを逃れる道はありません、分かりましたか? (はい)。運命的になっているのです。だから、日本がやるのです。今から僑胞に向けて、エバはお腹に入った彼らを生んで一つにしなければ、日本の希望がないのです。

 リベカも、ヤコブとエソウを一つにするために死を覚悟したのです。タマルも、ペレヅとゼラを一つにするために死ぬ覚悟をしたのです。分かりましたか? 国家的基準のエバ国家になるには、すべての六〇〇〇万人が死を覚悟しないといけないのです。分かりましたか? (はい!)。

 なぜ五万人を教育するかというと、六数からアダムをつくりました。そのアダムを危うくしたのが女です。女の基台の上に、アダムを再創造する勝利的基盤をつくらなければならないので、前もって祭壇が必要です。分かりましたか? 女の祭壇です。女によって男を失ったのだから、女を中心として、男を再びつくり変えなければならないのです。だから五万人なのです。六〇〇〇万人を中心として十二数に当たるのです。十二、一二〇。蘇生、長成。一二〇〇は十二の百倍です。この五万人は一二〇〇人に責任を持たなければならないのです。分かりましたか? (はい)。五万人は、六〇〇〇万人を中心として、十二になるのです。十二を蘇生とすれば、十倍、十倍の一二〇、一二〇〇です。それに影響を与えないといけないのです。分かりましたか? (はい)。そういう意味があるので、こんなことをするのです。これを治めなければならないのです。八十日以内にです。

 先生がいなかったらこんなことができますか? これは誰にもできません。なぜ、みんなここへ来たのですか? 先生を見たくて来たのでしょう。再臨の主に会うのが、二〇〇〇年間のキリスト教の希望なのです。財産も、アダムとエバが結婚する前には、アダムとエバの所有の前に神様の所有になるべきです。君たちも祝福される前に、自分の財産を神の所有に回さなければならないのです。サタンの所有になっているのです。それを拘束して所有権を持った場合には、引っかかるのです。先生も、何も持っていません。

 先生の名前で残してはなりません。国の名前で残すのです。先生の名前も(国に)登録しないといけないのです。分かりましたか? 同じ運命なのです。君たちが、緊急の時に再臨の主に負債をさせて、天的な縦的なお父さんに、自分の負債を弁償させるようなことをしてはなりません! 法律的内容が問題ではありません。

日本民族としての使命

 だから、みんながそういうふうにした場合には、共産党にやられるのです。ソビエトがそのままほうってはおかないのです。みんな乗っ取られます。そうなるか、そうならないか見ていなさい。そうでなかったら先生がそういう道を案内してやるかもしれないのです。そうすることが、永遠に追放されて日本がめちゃくちゃになっても、悔い改めて生き返る道があるからです。分かりましたか、何の話か? 文先生は流れていくような者ではないのです。やろうとすれば何でもやります。先生が命令したら何でもできます。

 自分のお金ではないのです。お金は女の所にみんな集まっているのです。そうですね? お金は女の所に入ってくるのです。それをしないと日本は滅びるのです。見ていなさい。めちゃくちゃになるのです。こういうふうにして、先生がつばを吐いて、回れ右した場合には、日本は希望がないのです。先生の苦労した四十年間を、エバ国を立たせて苦労したすべてを、獄中の苦労、四十年間の苦労を、みんなエバ国家が蕩減しないといけないのです。他に抜け出る道はありません。こんな最後の話はしたくないのですが、終わりだから言うのです。分かりましたか? (はい)。

 ここには、でたらめな者がみんな集まっているのです。中間のいろんなだんだら者、みんなでたらめな者が入っているのです。それらが確信を固めて、悔い改めて、本心の道を正当に行かなければならないと警告します。分かりましたか? 先生の話が聞き取れますか? (はい)。聞き取った者は手を挙げてみなさい! (はい)。

 何のことか、分かりますか? これは先生の話ではないのです。原理原則がそうなっているのです。だから血統転換、所有権転換をするのです。心情圏転換は氏族メシヤです。血統転換して、氏族転換、所有権転換をしなければならないのです。みんな避難民になるイスラエル民族と思って、国に帰らなければならないのです。本郷の地です。分かりましたか? 日本の地ではありません。登録とともに、みんな韓国の基地に帰る道があるのです。民族大移動が起こるのです。韓国人であっても反対した者の土地をみな、買って入るのです。反対した者を追放して、逆に入っていくのです。

 それで、正妻が妾みたいになるし、妾が正妻みたいになるのです。分かりますか? (はい)。妾みたいな者が正妻になるし、正妻のようであった者が妾になるのです。そういうことが天地開闢というのです。分かりましたか? こういうことをはっきり分かって、日本に帰ってどこでも堂々と言うのです。そうすることによって、自分を探して、一家族、一国を探して国に帰ることができます。自分一人だけではないのです。真の自分だけではありません。真の家庭、真の氏族、真の国を生かしてあげなければならない、日本民族としての使命があるというのです。こういうような内容をまとめて告げてあげるのです。最後だからこんなことを言うのです、分かりましたか? (はい)。

 これを心に留めて、みんな五万人が火をたいて、釜で御飯を炊くように、みんなが日本全国を蒸すような決意をしなければなりません、四三〇〇名は、四十三数に当たるのです。四三〇〇年と同じです、韓国も四三〇双は四三〇〇数を中心として、四三〇と合うように組んだのです。分かりましたか? (はい)。真の自分を探すということは、自分一人だけではないのです。国を求めて、国を復帰してこなければ、世界に帰る道はありません。サタン圏を越えることができないということです。こういうような結論まで突き詰めて送るのです。分かりましたか? そういう覚悟で今から二日間教育して、日本に帰して、新しく種を蒔くような、そういう生きた実になるように決意しますか? (はい!)。決意する者は両手を挙げて誓いましょう! (はい!)。(拍手)

蕩減復帰の峠を越えましょう(摂理的総決算)

 1993年12月20日 韓国・済州研修院


旧約時代、新約時代、成約時代の目的

 聖書では、「再び蘇るという」ことをいっているのです。再び生まれなければなりません。それで、イエス様にニコデモが夜に訪問して尋ねました。「いかにすれば救われますか?」と。その時、イエス様は「再び生まれ変わらなければ、それは救われません」と言いました。それでニコデモが言うのには「いかにして、大きくなって再び腹の中に入って生まれることできますか?」。「それも知らずして、イスラエルの先生になっているのか」と、イエス様が反問したことがあるのです。だから、重生の意味は重ねて生まれるということです。最初に生まれたことが間違っているから再び生まれ変わなければならないという意味です。イエス様は、はっきり話しましたが、その内容は説明しなかったのです。言葉では言っているのです。

図1

 旧約時代、新約時代、成約時代です。(先生が黒板に図―1を書かれる)こうなるのです。神様の摂理の中心思想は、真の父母を再び取り返してくることです。創造するのではないのです。

 サタンによって盗まれていったのだから、もとがえしてこなければ、探し求めてこなければなりません。きのうの「真の自分を探しましょう」と同じく、失ってしまったということです。分かりますか? そうするには、良心を絶対なるものとして、それと一つとなる道以外には、自分を探すことができないというのです。それでは誰によって教わるのかというと、自分ではないのです。良心は何も知らないのです。堕落圏において長成(期)完成(級)基準の未完成期において、知らないで堕落した基準を凌駕する者が一人もいなかったのです。それを凌駕しないというと、サタンの支配下に永遠に止まります。

 それで、神様は真の父母として、蘇生(期)完成(級)基準ではなく、それを凌駕している完成(期)完成(級)基準に到達した場合には、神の直接主管圏に入るのです。だから間接圏は、神様の直接主管圏を中心として主管されるような基準に及んでいないので、その下に行って愛の問題を完成するようにはなってないのです。分かりますか? (はい)。何も知らないで堕落するのは、その知らない基準に神様は降りていくことができないから、そのまま待っている立場ですから、それを見ながらも、堕落することをほうりっぱなしにしました。それでアダムは分からなくって、知らないうちに堕落しました。そうなるというと、完全にアダム自体が分かるような基盤を、再び探してこなければならないのです。

 それを探してこられる方が、この世の中の救世主であり、宗教圏ではメシヤというのです。日本では、メシヤのことを食堂の親父と言ったね。(笑い)最初に先生に言ったのです。「メシヤは食堂の親父だ」と。(笑い)本当ですよ。霊的な食物の親父がメシヤです。そう考えてみると、それは間違いではないのです。

 旧約時代、新約時代、成約時代の目的は何かというと、アダム・エバが完全に完成し、完全なる真の父母の立場に立つべき立場を失ってしまったのだから、地上のサタンから、真の父母たる者を再び取り返してこなければ復帰ができません。復帰は反対の道をたどっていくので蕩減復帰しないといけないのです。だから、これは皆、連関関係を持っているから一つでも抜いたら説明に困るのです。

 図2

 本当は、きょう「蕩減復帰の峠を越えましょう」という話をしたいのです。(先生が黒板に図2を書かれながら説明される)神様。これはアダムです。エバです。カインです。アベルです。サタンです。アダムです。エバです。カインです。分かりましたね。アベルです。堕落しなかった場合には、神様の命令にアダムが従えばいいのです。アダムの命令にエバが、エバの命令に長男が、長男の命令に弟が従った場合には、それで済むのです。主体のプラスの前に横的になって、一つになればいいというのです。だから、アダムの命令をエバが守ればいいのです。エバがアダムの命令と一体になった場合には、相対関係だから、神様の直接命令を受けなくても完全なる完成の立場に立つのです。

 中央政府を中心として、国会を中心として、行政機関を中心として、中央の下には県があるのです。県知事を中心として、県全体が県知事と横的に一つになれば、中央政権の干渉がなくても、国家という木の枝の立場を守ったと同じような価値の位置に立つことができます。郡は郡の長を中心として横的に一つになればそれでいいのです。県の知事に聞く必要はありません。分かりましたか? (はい)。こういうふうになっているのです。

 だから、この前にも言ったように、良心は神様の前には第二の神様の立場であるのだけれど、自分には絶対なる神様であるというのです。だから、神様が干渉しなくても、プラス・マイナスが一つになれば、それで「オーケー」です。分かりましたか? (はい)。

神の創造と人間の堕落

 そういう観点から見た場合に、神様の命令をアダムがエバに命令すれば、それで下が完成されるのです。エバはアダムの次に、カインと一つになればいいのです。アダムの指示する方向にコントロールする方向に相対的に合わせていけばいいのです。母を中心として、長男と母が一つになった場合には、お父さんに聞かなくてもいいのです。家庭の規則がそうなった場合には、規則を子供に言い聞かせて、母の言葉と一体となった場合には、お父さんとお母さんの話を聞いたと同じであり、それから神様の話を聞いたと同じであるというのです。分かりましたか? (はい)。便利なようになっているのです。だから、カインはアベルを重視し、アベルとカインが一つとなったら、主体・客体関係で収まるようになっていたのです。

 こういう者が堕落したために、みな怨讐なのです。怨讐になってしまったのです。アダムはサタンに対して、「この野郎! 君は神様の王子となるべき者を堕落させて、地獄の王にさせた!」と言うのです。怨讐です。分かりましたか? それでアダム・エバ同士でも、エバはアダムに対して讒訴するのです。「私は堕落したけれど、あなたが主管圏を転倒したから堕落したのだ」と。責任を転嫁させてしまうのです。それは堕落の傾向です。女はみなそうするのです。女のけんかを聞けば、みな偉そうに、みんな自分が全部いいように、相対は全部悪いように言うのです。みな被せて責任を転嫁してしまうのです。だからみな怨讐です。「この野郎、何をやってるのか! 君が堕落して、みんなを誘致して!」と、そんな馬鹿なことを言っている怨讐です。それで、子供は「お母さん何で堕落して、地獄の長男になるようにして、何です!」と。みな反対なのです。だから、カインがアベルを殺したように、みな反対するのです。みな怨讐になっているのです。

 怨讐を植えてしまった家庭だから、世界は、みな分散するのです。怨讐のサタンの子供たちが成長して皆、サタンと同じくなったのだから、みな成熟して、自分なりの主張をして誰も聞かないのです。「お父さんは何だ?」「サタンだ!」。「君は何だ?」「夫婦だ!」。「旦那は何だ? 妻は何だ?」「君が悪いじゃないの!」。お母さんは子供に「君が悪いじゃない!」。「お母さんが悪いじゃないか!」。兄さんは「何だ! 弟が悪い」。弟を殺して、「この野郎!」。全部、そういうようにして、みな別れていくのです。

 だから、植えたとおりのことが結実されるのです。アダム、エバの堕落の実です。それは、いちじくの木の下でもって淫行行為をして堕落した青少年の倫理問題がなぜこうなるかというと、エデンの園においてそういうようなティーンエージャーによって人類が堕落して、自由行動でもってめちゃくちゃにさせたものを植えたのだから、末の結実の収穫期、秋の収穫期になると、全世界のティーンエージャーの混乱期になり、そのために国も世界も収拾の道がないのです。全部、地獄化していくのです。一番犯罪の多い年齢は二十歳、その三年前後のティーンエージャーが大変なことになっているのです。それを収拾する道は、なぜこうなったのかという原因を知らなければなりません。結果は動機があるからそうなったのであり、その動機を知らなければなりません。動機がこういうものであり、その堕落の結果、このように乱れてきたということです。分かりますか? (はい)。植えたとおりに収穫するのです。

 蕩減原則によって、エバといえば韓国語では、「イゴッパ」「これ見なさい」。「イゴッパ」「早くしろ。エバ」となるのです。「これ見なさい。悪くなった」と言うのです。エバは堕落のために何をしたかというと、アダムをだましたのです。それから親です。神様は親です。父子をだましたのです。こういうふうにして、堕落したのだから、こういうふうに落ちていったのだから、それを反対にして上がってこなければなりません。同じものをひっくり返して上がってこなければなりません。分かりましたか? 堕落した正妻の道では、復帰の女、真のお母様が生まれることができないのです。

  図3

 転覆して反対に上がるのだから、正妻一人では、二人のことができません。二人が必要です。そして、こういうふうになったのです。(先生が黒板に図3を書かれる)こういうふうに降りていく者が、こういうふうにして行くには、これは正妻ではできません。正妻は、それ本妻というのです。本妻としては上がることができないのです。これが妾です。妾、妾です。 妾の系統を中心として上がっていくのです。

 だからサタンは、ヤコブの時に、ヤコブは神の選民として帰る代表の家庭です。そのヤコブの家庭によって、堕落したすべてを清算していかなければならないのです。神の血統を考えて見た時、堕落したために生まれたサタンの血統をみな殺してしまうことはできません。殺してしまった場合には、女がなくなるのだから、メシヤという真の父母が生まれる基地がなくなるのです。分かりますか? 残さないわけにはいかないのです。それで女をたくさん持たないといけないのです。それで、妾として、妾の女を連れて神のほうへ戻っていかなければなりません。そうなるというと、妾は本妻の、正妻の怨讐です。地獄にみな同じく入ります。抱き合って転んで、そこに行こうというのです。大変なことです。これをなだめて一つにならなければならないという、復帰された家庭にはそういう内縁があることを知っているのだから、神様はそれを収拾するために、「怨讐を愛せよ」ということを発布せざるを得ませんでした。分かりました? (はい)。

 聖書の「怨讐を愛せよ」という話は何かというと、一家においては、兄弟です。レア・ラケルと同じように、姉妹の関係が共に一つの愛の後孫を取り合って戦うようになっているのです。それを一つにしないというと、天国に入れないのです。それで神様は未来の世界を望みながら、こういうような愛の怨讐圏が一家にかかっており、それを収拾しないといけないことを知っている神様は、遠い未来世界に向けて「怨讐を愛せよ」ということを発布、発表せざるを得なかったということです。分かりましたか? (はい)。どんなに難しいことであっても、これを収拾せざるを得ないのが女たちの十字架です。堕落した女が蕩減復帰の道を逆さまに行く、この運命を避けることはできません。こういうような内容です。

ヤコブ家庭の摂理

 それで、ヤコブ一代において、ラケルを中心として、ラケルを七年間、ヤコブが精誠を尽くして相対として求めたにもかかわらず、結婚の初夜に、それはラケルではなく、レアをヤコブの所に入れさせたのです。それで起きてみれば、大変なことです。「神様が、なぜそれを許したのか」と。こういう復帰の中心の家庭に、なぜこういうような悪辣な問題が起こるようにさせて、神様は保護されなかったかということが問題なのです。

 その時、ラバンはサタンの側に立って言うのです。「神様。神様の家庭を復帰していくには、正妻では復帰できないことをあなたは知っています。それでも正妻で復帰するのだったら、サタンと共に人の家でもって交代に愛する立場に立ちますか?」と。絶対できないのです。怨讐の立場です。怨讐の立場でもって、憎む怨讐の立場から手を着けるようになっているのです。分かりますか? それは愛の一家という、独特の一人の旦那さんを中心として二人の女の怨讐圏、愛の相対関係の怨讐以外にありません。だから正妻と妾の関係です。分かりましたか? (はい)。

 それで、ラケルが妾ではなくて、本妻になって、ヤコブと一つになっていたらそれでいいのに、堕落の系統から復帰されるには、正妻ではできないのです。分かりますか? 正妻の怨讐の女からです。それは分かりますね? (はい)。だから妾です。妾は正妻をさておいて、二番目のもっと過去より高い愛でもってつなぐのです。そこに、復帰伝統に一致する内容があるのです。

 それで終末の時には、妾の子供たちが世界を指導していくのです。出世する者がたくさんいるのです。大概、自分たち女は言わないのだけれど、そういうような関係の因縁で、はらんで身ごもった子供たちがたくさん世界的な指導者になっているというのです。お母さんにはみな隠してしまっても、自分の旦那さんが横で三角関係を結んではらんで生まれた者が、天下を治めるということがたくさん起きているのです。分かりますか?

 末の時期は、妾の子供が世界を指導して、こういうふうに切り返していくのです。(先生が黒板に図4を書かれる)だから、なぜ離婚が末の時期に許されるようになったかというと、妾が離婚することによって、正妻の立場に立つようになるのです。分かりますか? これが離婚したとするならば、このヤコブとラケルが一つになるのです。また離婚することによって反対するようになれば、この離婚した本妻が元の旦那さんを探していくのに、何の差し支えもないのです。

   図4

 再臨のメシヤが来た場合には、正妻も離婚することによって、妾も離婚することによって、本当の再臨の主の所に行くことができるのです。それはサタンに、「行くな!」とぶたれてもです。だから、末の時期において、離婚をなぜ神様が許したのかというと、神のほうに自由自在に、完成の旦那さんを訪ねて、神に帰る道を開いてやるために離婚という問題を、常識みたいな環境にしてきたということを知らなければなりません。分かりましたか? (はい)。君たちもそうでしょう。旦那さんをだましてここに来たのだけれど、すぐに帰れば離婚もできます。離婚は難しくないのです。それは誰が決めるかというと、男が決めるのではなく、女が決めなければなりません。優先権は女にあるのです。女はアダムの実体の女王様です。男は天使長です。金とか全権は、子供と共に女が持っています。

 だから追い出した場合には、「君が子供と出ていけ」とは言わないのです。「私が出ていく」と言うのです。(笑い)分かりましたか? 心配しなくてもいい、そういう時代が来たのはなぜかというと、再臨のメシヤは泥棒みたいに来るというのです。サタンの世界から横的に見た場合、何の関係かというと、縦的には関係があるけれども、横的に見た場合には外の橋の向こうの陰で、内緒の奥間に住んでいる奥さんに、「来い、来い」と誘うことです。それは天使長がエバを「来い、来い」と誘ったと同じように、誘っているのです。そして目が合った場合には、惚れて大変です。死んでも離れることができないので、「垣根を飛び越え、家を飛び出していく」と言って、部落の騒動問題を統一教会が起こしてきたのです。だから、「家庭崩壊! 文先生は家庭破壊の大将だ! 悪者だ!」と、自分の力ではできないので警察に頼むようになったのです。先生が動機になったのではなく、女がみな動機になっているのです。

 だから、ラバンが言うには、「復帰路程は、正妻でもってはできないことを知っているのではないですか?」。そうであれば、ラケルは本妻になれません。妾にならなければならないのです。それで、レアを許さざるを得なかったのです。分かりますか? レアは完全にサタンのほうです。自分の僕の三人の女を通して、十人の子供を生んだのです。ラケルは二人の子供を生んだのです。十二人です。これはレアの作戦で、ヤコブ家庭を自分のほうに完全にとりこにしたのです。ヤコブ自体もそれが分からなかったのです。こういうように内的に絡み合って、それで峠を越えて、明らかな道を開拓していくことを知らなかったのです。こういうふうにして、ヤコブ家庭はこうなっているのだから、こういう二つになって、これが一つになるのです。正妻は妾と一つにならないといけないのです。

    図5

 一つにならなかったのはなぜかというと、ラバンの妻、レアの母の補助が必要であり、ヤコブのお母さん、それと姑と婿の補助が必要だったのです。この二人の母が一つとなったとするならば、それでラバンに対して、「何だ! この悪辣な者! 二人の女を売ってしまう! そんなことはない!」と言うべきです。それから、レアを呼んで「この者! 妹の愛を盗んだ泥棒!」と言うのです。ラケルを中心に心情的な痛みを残してはいけないのです。「君は妾だ!」そういうふうに言うべきです。分かりますか? 本当にそうなるべきです。「君が妾である」と。夫婦が共に公文を出して、舅と嫁がレアに対して、「この者!」と、一人が主張した場合には、本妻は妾の立場で一つにならなければ駄目です。レアの子供たちとは、カイン・アベルです。これを屈伏させて家族を統一するのです。二代の女が一つにならなければならないのです。分かりますか?(はい)。

 第一代のアダムの奥さんを殺したのは女だから、第一代のアダムの代わりのお母さんが、自分の娘を一つにして、方向転換してやらなければならないのです。それを知らなかったのです。これが問題になったのです。一つにならなかったから、これがだんだんと民族的になって、北朝十支派を中心にして、南朝の二支派に分かれて争ったのです。(先生が図5を書かれる)家庭で統一できなければ、民族的に戦うのです。

エリヤの使命と洗礼ヨハネ

 北朝と南朝が一つになるための、イスラエルとユダヤの聖書の中の絡み合いの戦いなのです。それを成すために、中間の調和のために送ったのがエリヤです。エリヤは、北朝のバアルと偶像アシュラを崇拝する者たちを集めて、その祭司たちをみな動員して、南のほうのユダ支派の祭司と共に、「生きた神がいかなるものかを試して、それを証しした方向に南北を行かせよう」と提唱してやったのです。北方の十支派の祭司、偶像崇拝、サタン的な祭司たちを八五〇名が、みな祭壇を作って燔祭をささげ、「そこに水をかけて祈った場合に、天から火が降りてみな焼いてしまうような実証をしよう」と準備して、まず、八五〇名の北朝の十支派のカイン的な祭司たちは、いくら祈ってもびくともしないのです。それで、エリヤが一人で祈ってみると、天から火が降りてきて、祭壇とともに、祭物とともに祭司たち八五〇名をみなさーっと焼いてしまったのです。

 そうなると大変です。北朝の人々は自分たちの崇拝した祭司たちがみな死んだのだから、「このエリヤ!」と。約束したこともさておいて、「自分たちの信奉する祭司たちを殺してしまった」と、みな殺そうとしてきたので、エリヤは逃げて、山へ行って祈ったのです。「神様、あなたの命令によって、一つとなるように思ったのに、一つとなるどころか、みな私を殺そうとするのです。こういうふうになったのだから、私の生命を取ってください」と祈ったのです。その時、神様が言うのには、「いまだに、バアルに屈伏していない七〇〇〇人が残っている」と。その七〇〇〇人を中心として一つになる時までは、復帰はできません。カイン・アベルの二人を立たせないと、神の国に帰ることができないのです。

 そういうような言葉を残して、エリヤは昇天して使命を果たせなかったのだから、それを再びイエス様が、国家次元でなさなければならないのです。国家次元でイエス様が来られる時、イエス様は国家の王様として来られるのだから、その前に起こる支派的民族的な争いは大変なものです。それを平定して、エリヤの統一の理論を再びなさなければならないので、エリヤの再臨という概念が再び生まれてくるのです。それで、エリヤが九〇〇年前に火の車に乗って昇天していったと同じような姿で、再び降臨すると思っている旧約聖書を徹底的に信じていたのです。分かりますか? (はい)

 エリヤが来るといっても、火の車に乗って行ったので、火の車に乗って帰ってくると思っていたのですが、火の車に乗ってエリヤの霊人体が来て、何をするというのですか? 地上でもって、平面でもって、完成するようになっているのです。分かりますか? ヤコブの家庭のレアとラケルは、地上において家庭で完成するようになっているのです。イエス様はその失敗を国家的になさなければならないのです。家庭でできなくて、氏族的にできなかったことを国家的基準において統一するために来るのだから、氏族の失敗を延長させてエリヤが再び来て、主の道を正しておくと旧約聖書で約束していたので、降臨なさる時は火の車に乗って来ると思っていたのに、人として生まれてきたということは大変なことです。

 それで、イエス様の弟子たちが伝道に行くと、「君たちの先生が、もしメシヤだったら、エリヤはなぜ来なかったのか?」と言うのです。これが問題です。何も知らない、旧約聖書も知らない者たちが、イエス様に感化されて、伝道に行って「自分の先生がメシヤだ」と言った時、それを突っ込まれて、何も知らなくて、それで帰ってきて先生に質問するのです。「人々が言うのには、メシヤが来る前に、エリヤが先に来ると言うのですが、それは何のことですか?」と。それでイエス様は、はっきり言っているのです。マタイ伝の十一章にあるのです。「エリヤはもう既に来ている。それは洗礼ヨハネとして、エリヤは来ている」と。それは大変なことです。旧約聖書では、昇天した者が降臨すると思っていたのに、イエス様は、「そのエリヤが降臨するのではなく、もう既に洗礼ヨハネがエリヤとして来ている」と言ったのです。

 そうなると、その当時のユダヤ教会の信者たち、旧約(時代の)信者たちは、「この悪辣なイエスのやつ、悪魔の王者よ! 自分がメシヤになるために引っ張りだして、つくりあげたのではないか! 我々はそう思わない」と言うのです。だからといって、そのように追われたイエス様は、追われたままではいけないのです。死んでも、そのみ旨の道を発展させていかなくてはならないのです。それを消化していくために、どんどんどんどん、伝道を続けることによって、ローマの法廷闘争で、十字架上に、はりつけになって死んでいくのです。そのことは、イエス様をローマ自体が、ユダヤ人が殺したのではないのです。エリヤが来なかったからです。分かりましたか? (はい)。

 イエス様の言ったとおりに、イエス様はメシヤになりました。その当時、イエス様を誰もメシヤとは知らなかったのです。メシヤは神様が決めるのだから、いかに世の中が反対しても、神様の公認する基準に立ったイエス様の教えの教会を中心として、歴史以来初めて宗教、文化を通して、キリスト教が世界を統一したのです。第二次戦後にです。分かりましたか? (はい)。

 メシヤと神様が決めたのならば、それは絶対的なメシヤであり、ユダヤ人が否認したとしても、メシヤになれないことはないのです。だから、この世的にいって、(エリヤとして来た)洗礼ヨハネがイエス様と一体となった場合には、イエス様は死なないのです。洗礼ヨハネの率いる者はカイン圏です。七〇〇〇名以上のバアルに屈しなかったそういう群れをまとめて、イエス様が来る時に、それを一つにさせて家庭をつくるために祝福してやった場合には、ヤコブ家庭失敗と氏族、民族失敗が、ここで再び統一されたとするならば、イエス様を中心とした右翼と左翼、右の強盗と左の強盗も生まれてきません。

 バラバはイエス様の代わりに復活しているのです。死ぬべき者が、悪辣な暴動を起こしてローマ転覆運動をしたバラバが、イエス様の代わりに生きているのです。イエス様の体の代わりに生き残ったバラバの基準が今の回教圏です。イエス様が亡くなって七世紀、六〇〇年を超えて七世紀に始まったのです。

 イスラエル民族が六数の通過過程で悔い改めて一つになって、イエス様をメシヤとして侍ったとするならば、バラバ圏はなくなっていたのです。それで、イエス様を中心として、中近東が体の代わりです。イエス様の体は国家を代表しているので、その国家基準が統一された場合、ユダヤの国は、こういうような紛争の立場には立たないのです。イエス様を殺したために、それ(ユダヤ民族)はジプシーのように、世界的に追い出されて、二〇〇〇年の歴史にも蕩減の量がまだ満ちないので、ヒットラーを中心として六〇〇万の犠牲者を出すようになって、蕩減の量を越えることを神様はなさっているのです。

洗礼ヨハネの失敗

 それを蕩減して、第二次大戦で連合国が勝利することによって、アメリカが中心となって、日独伊が完全に負けたのだから、一体になっているのです。それでキリスト教文化圏は霊的救済を目的としてきたので、肉的救済の基盤を引きつけないというと、再臨の主が来て霊的救済ばかりではなく、肉的救済もともに成すのだから、霊肉共にカイン・アベル一体を成すために、第二次大戦後の連合国家勝利基準のカイン・アベルが一体となった所に、お母様を中心として新郎が、再臨の主が一つになったとするならば、それで世界は七年の間に統一されて、地上天国、天上天国が、アダム家庭でなすべき基準をイエス様が国家的基準で失敗したのだから、今度は世界基準によって、すべてを勝利するのです。

 ヤコブの家庭、モーセの七十二長老、イエス様の一二〇門徒がみなイエス様の氏族として、国に入籍するような基盤なのです。そこには、家庭が入っているし、氏族が入っているし、民族、国家が入っているのです。失敗した内容を全部引っくるめると一二〇軒です。一二〇軒の門徒たちが祝福されて、地上のイエス様の後孫と共に、血統の組み合わせをなすような相対関係になった場合には、その一族は世界を動かして余るようになるのです。死なずにイエス様が二〇〇〇年の歴史を通して、世界を統一したとするならば、生きた血統を持ったイエス様の直系のその民族は、国家基準を超えて、世界は既に一つの地上天国になっているはずです。だから、再臨ということはないのです。

 今、先生が語っている成約時代は、その時に始まって、先生がなしている氏族メシヤも派遣されて、家庭的メシヤ、そしてアダム家庭を復帰して、血統転換、所有権転換、心情転換を一族で成して、神の国に入籍した場合には、イエス様を先祖として、その次に弟子たちがみな十二弟子を中心として、こういうふうにつながって、結婚することによって、どんどんどんどん、祝福でもって世界をまとめていくことができたのです。そうなったら、先生みたいに、金もかかりません。分かりましたか? (はい)。

 そういうふうにして、イエス様が死んだために、大変なことになったのです。イエス様は、なぜ死んだのかというと、レアとラケルが一つにならなかったことを、イエス様の家庭において蕩減復帰しなければなりません。分かりましたか? (はい)。そうなるというと、イエス様のお父さんは誰ですか? これは奥さんのエリサベツ、これはマリヤです。(先生が黒板に図6を書かれる)マリヤは妾の立場です。エリサベツとマリヤは、ちょうどレアとラケルと同じです。姉妹関係、母同士がいとこ関係です。分かりますか? 姉妹です。姉さんであり、妹です。これは姉さんであり、妹を蕩減復帰しないといけないのです。

     図6

 母の系列が間違ったから、母のほうでもって組むのです。分かりますか? それが蕩減復帰です。こういうふうにして誰が正妻かというと、これが正妻です。これが妾です。しかし、レアとラケルは反対です。まるっきり反対です。それでエリサベツは、マリヤを自分の旦那さんの所に紹介してあげるのです。こういうことは有り得ないことです。蕩減復帰をするには、マリヤは妾の立場で心情的な絡み合いをしなければならないのです。分かりますか?

 こういうふうにして、イエス様をはらみます。これはヨハネです。エリサベツは、マリヤが身ごもった子供が、女であればいいと思ったのです。しかし、女では何もできません。女はお嫁に行ったら、それで問題ないと思うのです。しかし、男の子供を生んだのです。それが問題です。

 そうなると洗礼ヨハネとイエス様は、異母兄弟です。それを洗礼ヨハネは知っているのです。こういうような非公式な血統関係の者がメシヤになるとは、夢にも思いませんでした。ヨルダン川で、神様の直接の命令で天の門が開かれて、聖霊が鳩のように降臨して、神様の直接の命令によって、洗礼ヨハネに告げられてメシヤとして証し、天の命令どおりにしたのだけど、考えてみれば、(神様が)こういうような非公式な血統でもってメシヤを送るとは思えないのです。だから疑ったのです。イスラエル民族は、イエス様が「洗礼ヨハネがエリヤだ」と言うのだから、それは問題です。しかし、洗礼ヨハネは「自分はエリヤではない」と否定したので、大変なことになるのです。

 なぜ洗礼ヨハネがヘロデの奥さんと、妾の問題を中心にうんぬんして、それで首を飛ばすのですか? マタイ伝の十一章を見れば、イエス様は泣きながら言ったのです。「君たちは何のために野原に出ていったのか、それは洗礼ヨハネを見るためにか、それはきれいな着物を着た者を見るためにか? 結局は、メシヤを見るために行ったのではないのか」と言ったのです。「女のうちで一番、女が生んだ者で、洗礼ヨハネより大きい者はいなかった。しかし天国では一番小さい者になってしまった」と、反対のことを言っているのです。地上で大きい者だったら、天国でも大きくなるべきなのに、なぜ小さいのですか? 地上で、イエス様を王様と認めた場合には、天上では一番大きい者になっていたのに、それを地上で否定してしまったのだから、天国には住めなくなってしまうのです。

 聖書を見れば、それを否定できないのです。なぜ洗礼ヨハネが、主弟子にならないのか? そう見た時に、天(国)は戦う者が勝ち取るという結論です。洗礼ヨハネは戦えなかったというのです。それはペテロに取られてしまったのです。無関心で、放棄した者はみな天の栄光が取られてしまうことを、はっきりと記載しているのです。マタイ伝の十一章を読んでみなさい。そういうことを今まで知らなかったのです。

 だから、洗礼ヨハネの失敗のために、洗礼ヨハネの弟子がみな十二弟子になるべきなのに、主弟子が洗礼ヨハネであるべきなのに、主弟子はペテロです。それは誰が反対したからですか? 十二弟子、一二〇門徒などはいらないのです。昇天しないうちに、十二人、一二〇人の家庭基準を残していかなければ、未来の国家的一二〇国家を求めて来られないのです。みなそんなことを知らないで、洗礼ヨハネが切ってしまったのだから、証しするために、主の前の道を正すために送られた神のみ旨とはまるっきり反対に、一人の女のことにかかわって首を切られてしまうのです。イエス様を受け入れなかった罰です。

 そういうふうにして、なぜイエス様が三十三歳まで結婚できなかったかというと、(イエス様は)マリヤに何回も言ったというのです。マリヤに何回も、三回も懇切に、「神の摂理からして、こういかなければならない」ということを話したのです。お母さん(マリヤ)が中心になってエリサベツと共に、夫婦、姉妹が一つになって収拾しないと大変なことになるのです。それができなかったのです。

蕩減復帰は堕落の反対の道をとる

  
     図7

 イエス様の奥さんは、勝手にもらうことはできません。それは原理、原則によって二代が共に通過しながら、マリヤとエリサベツのお母さんたちができなかったことを蕩減復帰しながら、二代のすべてを、それはレアとラケルのお母さんのように援助して、援助して、お父さんお母さんのすべてを援助して、これ(A)が一つになって、これ(B)と一つになって、そうなることによって、カイン・アベルのお母さんたちを中心として、子供がいればこれ(C)がイエス様と一つになった場合には、お母さんたちが一つになった場合には、この二つ(A)と(C))がザカリアを中心として統一されるのです。神様を中心に全体が一つになることになるのです。

(先生が黒板の図7を示して説明される)

 そうすると、イエス様の奥さんは誰になるかというのです。なぜ結婚できないかというと、勝手に結婚はできません。女であれば、誰とでも結婚するのではないのです。必ず蕩減原則によって、血統的な問題になるのだから、蕩減復帰するのです。エバがするのです。エバは堕落したために、長子と父をだましたのです。アダムは子供です。神様は父です。父子をだましているのです。分かりますか?

 エバは堕落した時、アダムをだましたし、神様をだましているのです。これを蕩減復帰するには、反対の道をそのとおりに、目には目、歯には歯です。旧約時代は、そこで損なったとおりのものが傷付けられるようになるのです。エバが二人をだまして、長男と神様、お父さんをだましたから、復帰される過程においては必ず、神のほうに立ったエバの代わりの人が、長男とお父さんをだまさなければ、帰っていくことができません。

 そういうふうに、これらが結ばれてしまったのだから、反対の方向にしていかなければ道がないのです。堕落したとおりに、目には目、歯には歯で、同じようにです。分かりますか? (はい)。エバは長男のアダムとお父さんをだまして堕落したのだから、神のほうのエバの代わりのリベカは、長男とお父さんをだましているのです。堕落の日に、長男と神様をだまして、それを、この長男が相続したのです。

     図8

 神様は堕落によって、みななくしてしまって、これだけしかないのです。だから良心は神様のものであることをサタンは知っているのだから、サタンは肉身を中心として成り立っているのだから、良心のほうを神様は取らなければならないのです。上のほうをみなサタンは取ってしまったのだから、(神様は)これをみななくしたのだから、反対のほうのしっぽを握らなければなりません。しっぽです。分かりますか? アダムのほうをみな、サタンが取ったのだから、それ蕩減復帰していくには、一番しっぽを握って、逆の方向に行かざるを得ないのです。

 そうなるというと(先生が図8を書かれる)、神様の良心のほうがプラスになるのです(A)。これは原理原則から、こっち(B)がプラスで、こっち(C)がマイナスです。これを蕩減復帰で反対の方向に、これ(D)をプラスにして、これ(E)をマイナスにしないといけないのです。そうなると、こちら(サタン)のほうは家庭を持ち国を持つのです。世界はサタンのほうで、神につく者はアベルしかないのです。分かりましたか? それでアベルを殺してしまうのです。セツがアベルの代わりになって、歴史を通して、過ったものを、歴史過程を中心として個人で失敗したのを家庭で、家庭で失敗したのを民族で、民族で失敗したのを国で、国で失敗したのを世界でというようにして、移行しながら、大きい分野で成功した場合には、民族を責めても、その中には氏族、家族があるのです。

 こういうふうにして発展の度数を高めながら、イエス様は国において失敗したのだから、再臨の主は世界の土地を中心として再び収拾することによって、世界完成がなされた場合には、国も完成するし、民族も家庭も完成するのです。分かりましたか? (はい)。

 蕩減原則によって、(リベカは)父子をだましたのです。エソウは長男です。それから夫のイサクをだましたのです。考えてみなさい。(ヤコブは)自分の兄さんが祝福を受けようとする時、リベカがヤコブを誘って、羊を殺して、それで偽装して、長子が毛が多いから羊の皮でもって(夫を)だますような女は部落中で、身を鞭打ちして殺されるような者です。そんな者を神様はどうして、なぜ祝福したのか? それは今まで、聖書の謎として残っているのです。何の話か、分かりますか? 分かりますか? (はい)。

     図9

 なぜ神様は、こういう悪辣な女のほうに立って祝福してやったのか? それが、なぜイスラエルの選民圏になったのか? これは大変なことです。これは、人間の観点では理解できないことです。先生が現れて、こういう内容を明らかに説明することによって、結ばれたものを解かなければならないのです。目には目、歯には歯、そのとおりに蕩減していくのです。分かりましたか? (はい)。それは、お父さんをだまし、長男をだまして、祝福の権限を弟のヤコブのほうに乗っ取ってしまったのです。エバはだましてカインのほうです。まるっきり反対にしたのです。だから、弟を中心として逆のほうに上がっていくので、サタンは全権でたたきつぶすのです。分かりますか? (はい)。

 こういうような因縁で、(先生が図9を説明される)何回もこういうふう(A)(アベルとカインを一体化)にして、兄弟を復帰することによって、これ(原理原則のプラスとマイナス)が生まれてくるのです。環境には必ず主体・客体があるように、これ(B)(カインとアベル)が一つとなって、小さいプラスになって、(C)(カインとアベルとエバ)大きいプラスと相対的関係で持っていくのです。分かりますか? エバを中心としてカイン・アベルが一つとなって一八〇度違った所に、旦那さんと完成したアダムと神様が上がっていくのです。だから、これ(D)を切ってしまうのです。天の神様。天の旦那様。これ(E)は天から来るのです。分かりましたか? (はい)。こういうふうにつなぐのです。

 そうして大きいマイナスになって、もっと大きい神様を中心として、こういうふうにして(F)一つになっていくのです。分かりますか? これを何というかというと、「蕩減復帰の峠を越える」という題目の中の、一つ目は何かというと長子権復帰であり、二つ目は何かというと、父母権復帰です。分かりましたか? 父母権復帰です。三つ目は何かというと、王権復帰です。四つ目は何かというと、皇族圏復帰です。皇族というのは、レアを中心とした女と子供とラケルを中心とした女と子供の、両方の愛の敵対関係が残っているのだから、皇族というのはイエス様の直系の子供ではないのです。分かりますか? 堕落した正妻の圏で、神に反対してきたカイン的な者たちが復帰されて、妾が神のほうの正妻になるのです。神の正妻になって、妾の立場で、それを慕っていくことによって蕩減復帰になるのです。反対にして帰っていくのです。分かりましたか? (はい)。

 このことを再臨の時代に見た場合には、お母様と君たちは姉妹です。女は一つになるのです。正妻と妾と同じです。だから、あなたたちに旦那さんはいないのです。分かりますか? それを真のお父様がつくってやらなければならないのです。君たちは、それまではずーっと女として未完成の女です。再び、真の父母が生んでくれなければ、真の女にはなりません。分かりましたか? (はい)。

 

    図10

こういう皇族圏というものは、一族が復帰されたヤコブ圏によって反対になったと同じようなものを皇族圏というのです。それは復帰された、神様から見た正妻の立場に立った女と子供の所が長男です。長子権復帰の権限を持つのだけど、長子が次子としてここに一体となっていくのです。そうなるというと、本妻にラケルとマリヤがなって、エリサベツとレアが妾の立場より復帰していくのです。サタンのほうの姉さんが、本妻が、妾の立場で一つになっていかなければ復帰はできません。ちょうど反対です。分かりましたか? (はい)

 そうなると、イエス様の相対は誰になるかというと、(先生が図10を書かれる)アダムの妹です。アダムの妹を天使長が取っていったのです。これが堕落です。カイン(洗礼ヨハネ)の妹を、今度はアダム(イエス様)が取ってこなければならないのです。これが蕩減復帰です。分かりますか? イエス様とヨハネの関係を見れば、こっちがカインです、こっちがアベルです。アベル(アダム)の妹をカインが取っていったのだから、カインの妹を、今度はアベル(アダム)が取ってくるのです。まさしく蕩減復帰です。そうなるというと、洗礼ヨハネの妹を、イエス様は妻として迎えなければならないということになるのです。

 そうなったとするならば、大変なことになるのです。ザカリヤから見ても、またマリヤ自体も大変なことです。それがばれた場合には、部落中で石打ちにされるのです。マリヤはそれを口にして言うことはできません。ヨセフはというと、ヨセフは自分を守って保護してくれた男です。それにしてもヨセフは、「おなかに身ごもった子供のお父さんは誰か?」と聞いたでしょうか、聞かなかったでしょうか? 何回も聞いたのだけど、「聖霊によって身ごもりました」と。それを証しした場合には、一族がぺちゃんこになるのです。

 お父さんのザカリヤは、それは許されません。異母共混血になっているのです。大変なことです。その時のユダヤの歴史において、法律に許されません。分かりますか?

再臨の主を迎えそこねたアメリカの運命

 こういうような近親相姦関係が、神様を中心とした世界的蕩減復帰においては、生まれてくるのです。だから、なぜアメリカが、新婦教会、新婦の第一国家として、キリスト教体制を成して王座に座ったアメリカが、なぜフリーセックスの国になったか? 近親相姦関係で、なぜこういうフリーセックスをやっているかというのです。

 それは、再臨の主を迎え入れたとするならば、再臨の主によって、こういうような内容を明らかに整理して、みな回っていくのができるにもかかわらず、再臨の主を追い出してしまったために、再臨の主のために準備した勝利の英米仏諸国を、みんなサタンが取ってしまったからです。

 上のほうをサタンが、アダム、エバ、カインを取ったと同じように、神様はしっぽを再び泣きづりながら取らざるを得なかったのです。英米諸国が先生を反対するようになったので、反対の立場で神様と先生は荒野に追い出されてしまったのです。今まで数千年の勝利の基台を完全にサタンが握ってしまったのです。サタンは四十年間、キリスト教文化を完全に否定して、共産圏の足場がキリスト教になっているのです。日本も、そうなっているのです。韓国も、世界も、そうなっているのです。なぜそうなったかというと、キリスト教文化圏が再臨の主に反対したために、みな乗っ取られてしまったからです。サタンの足場になって、キリスト教理想の崩壊のために、サタンの全権を張るような地上地獄を拡張しているのです。分かりますか? (はい)。

 こういう現実を原則から、近親相姦関係でもって崩壊直前に属しているアメリカの運命を救う者はいません。なぜ、そうなったかというと、再臨の主を押し出してしまったから、蕩減復帰によって、そうならざるを得ないのです。再臨の主が、再び四十年の歴史を経て帰ってくることを知っているから、サタンは全権を振るって、めちゃくちゃにしてしまったのです。教会には若い者が一人も残らないし、おばあさんばかりが残って、葬送曲をかけるような悲惨な教会になってしまっているのです。教会が恋愛と男女関係、フリーセックスの紹介所になっているのです。それから、女同士、ホモセクシャル。天使長は最後の末端に迫ってくるのだから、相対関係を許さないのだから、男同士で、女同士で、相対関係を許さないのです。

 そのように再臨の主の希望が、完全に、男女でめちゃくちゃになっているのだから、それを収拾しなければ神の理想圏に帰ってくることはできないのです。完全に破壊したものを、神様は完全に再創造してしまうのです。それは誰によってかというと、再臨の主、統一教会を中心としてです。サタンの崩壊が、なぜこんなにも大きくなったかということが分かりましたか? フリーセックス、ホモセクシャル、レズビアンというのは、サタンの拡張運動であり、地獄万能圏を成しているのが、今の世界です。だから、理想的愛が根本的に崩壊しているのです。分かりましたか? (はい)。分かりましたか? (はい!)。

 アメリカでは、おじいさんが自分の(息子の)嫁、自分の孫のお母さんと関係するのです。自分の(息子の)嫁、それから孫娘と関係するのです。おばあさんは自分の子供とするのです。自分の孫とするのです。だから、獣だというのです。それで、女嫌いになるのです。男嫌いになるのです。だからといって、人間の性的欲情は残っているし、自分一人ではそれを解消することができないから、共にそういう欲情解消運動が、ホモとレズビアンになっているのです。獣でもそういうことはしないのです。

 また、妻をもらった場合には、アメリカでは大変です。結婚した場合には、すぐに離婚するからです。離婚した場合には、自分の財産が半分ふっ飛ぶのです。財産泥棒です。悪魔です。エバは最初に神様の財産を乗っ取っていきました。まるっきりそれです。愛を売って、それから所有権を争奪していくのです。これはもう、末恐ろしいことです。分かりますか?

 近親相姦関係が、こういうように回るということを神様は知ったのだから、家庭的な基準を、これからは環境で許容される周辺を掃除していって、そこで引っ張りだこに回って、みな切ってしまうのです。だからアメリカが再臨主に侍った場合には、全部が回って天に帰る道ができたのに、それを押し出してしまったのだから、サタンが主人になって完全に全滅するような境地に落ちているのです。それは、全滅の境地としてです。先生はその反対に上昇し、頂上に上がっているのです。だからひっくり返すには、国を下、国民をこういうふう(上)にするのだから、国民の基盤を高揚しないといけないということを考えているのです。分かりましたか? (はい)。

血統転換

    図11

 こういうような関係でもって、(先生が図11を書かれて説明される)これはヤコブ家庭と反対になってしまったのだけど、結局はイエス様が、これを成し得ずに死んでしまったのだから、再び来なければなりません。分かりましたか? (はい)。これが長子権復帰です(A)。分かりましたか? 長子権復帰です。これが父母権復帰です(B)。父母権復帰です。分かりましたか? (はい)。これが王権復帰です(C)。神様を介入することによって、国が成立するから王権復帰です。分かりましたか? 三番目の皇族圏復帰は、正妻圏が復帰されてきて、妾が正妻になり、正妻が妾になるような立場で立つのだから、マリヤの立場が姉さん、エリサベツは妹として、神様の妾の立場で蕩減復帰して、まるっきり反対にして、神に帰らなければならないのが蕩減復帰原則です。

 これは先生の話ではないのです。数千年の歴史の旧約、新約の内容が分からない道で、今は日本を探しているのです。世界は日本を探して回っているのです。分かりますか? これは否定できないことです。数千年前のヤコブも、リベカもそうです。自分の腹の中で、ヤコブとエサウを身ごもった時に、二人の子供が戦っているのです。「神様。二人の子供が戦って、どういう訳ですか?」と聞くと、神様が言うには「あなたの腹の中には二つの国をはらんでいる。大きい者が小さい者に侍るであろう」と言っているのです。それは、何の意味か分かりますか? リベカも分からないのです。これは、先生が内容を明らかにしたことによって、はっきり分かりました。

 神様は世界がいかに反対しても、リベカを中心として、み旨を全うするのです。リベカは四十歳で蕩減復帰しました。しかし、それでは、四十歳以下を中心として腹の中で、まだ蕩減されていないのです。だから、タマルを中心として、ペレヅ・ゼラを中心として、腹の中で、子宮の中で転覆運動をするのです。兄さんが先に出ようとするのを引き戻して、弟が兄さんの立場で出るのだから、血統基準下から、長子が逆になったのをもとがえしてきたのです。その血統をつなげて、イエス様が殉教されたので、イスラエル民族を中心として、選民民族を中心として、二〇〇〇年の後に国が成立する基準になった時に、初めて地上に生まれてくるのです。

 なぜ、国の基準を待たなければならないかというと、サタンは国を中心として、たくさんの国をもって神のほうを反対してくるのです。分かりますか? だから、神様も中心の国が必要なのです。なぜかというと、兄さんは、兄弟圏です。地上平面の立場に立って、弟になった者が兄さんの権限を復帰するのです。イエス様はローマから見たら弟です。それを長子権として、ローマを弟の立場に転換しなければ、天下統一になりません。みんな原理的になっているのです。

 それで、ヤコブがリベカを中心として、血統を転換した純潔の相続が二〇〇〇年続いてきたのです。二〇〇〇年の間に、いろいろな悪魔の戦場にあって、血統を汚される疑いがあるから、マリヤ自体もそっくり、リベカとタマルのように、タマルも自分の旦那さんを否認し、舅を信じて身ごもったのです。そうでしょう? それと同じように、国家を代表した中心者として王様として生まれてくる純潔な血統に対しても、もう一回、それを聖別するためにマリヤはエバと同じような行動を取るのです。

 ヨセフは、アダムとエバの約婚の時のアダムと同じです。分かりますか? それが堕落したのだから、ヨセフを約婚した時にだますのです。ヨセフを長男として、お父さんが嫁として決めたのだから、結婚すれば一家の希望の道が生まれてくると望んでいたのに、とんでもない子供を身ごもってしまったのです。それはヨセフのお父さんに、自分のことと言ったに違いないというのです。(そこでマリヤは、ヨセフを)だますのです。まるっきり同じです。同じですか、同じではないです? (同じです)。

 それからマリヤは、一家すべてに対してうそを言ったのです。そのような転換の責任を持った本人は、こういうことを成し得ることができるのだけど、普通の人はできません。全部がそういうふうにやったら、大変なことになるのです。それは大変なことになるのです。(皆さんは、)中心の本部が転換した場合、一体となっていけば自動的に神に帰ることができるのです。分かりましたか? (はい)。

 マリヤも旦那さんを、神の長男のヨセフをだまし、自分の父をだましたのですか、だまさなかったのですか? 蕩減復帰は、それを犯したとおりを再現して、反対の一八〇度違う所に立つことによって、天の基台になるのです。だから、マリヤも、彼らをだまして、国家的基準でイエス様を生んだことによって、イエス様は悪魔を退治し、国家的基台として、未来にはローマを屈伏して、長子権を復帰して、天下を取る中心になるのです。それで、個人、家庭、氏族、民族、国家を中心として、イエス様が王権、国を立てたとするならば、その国の中心に立つのです。サタンは相対圏だから移動してなくなるのです。

真の父母と成約時代は神の干渉圏

 統一教会が国を持ったとするならば、その国を打った場合には、世界中がいっぺんにやられるのです。鉄柱の杭を打ったと同じように、その流れにある国とかはぺちゃんこになるのです。分かりますか? 蕩減復帰の原則は、それを否定することができないのです。これは、先生がつくって、いいように当てはめて言うことでしょうか? 原理原則に合ったその基準につないで、それを発表しているので、こういうふうに歴史がつながるようになったのでしょうか? どっちですか? (……)だから問題です。文先生の解説と聖書の観と、自分たちが解いた観とはめちゃくちゃで、とてもつながりません。一から十まで全部がばらばらになって、いろんな集団のキリスト教の宗派をつくってしまったのです。しかし、統一教会はそうはいきません。ちゃーんと前後がつながっているのです。

 蕩減復帰して、堕落したその内容を反対にして、その内容が原理原則になっているので否定できません。分かりますか? こういうような悪辣な女の伝統を、神様が抱擁して祝福したその理由は何か分かりましたね。目には目、歯には歯。堕落したのと反対の方向に上がっていかないと、元に帰ってくることはできません。反対の方向を取っていくのだから、上はサタンが国を先に持っているのでみな、完成に到達しなければ神様が降りて援助することができないのです。アダム・エバの堕落に不干渉したと同じように、自分の子供たちを未完成期に殺しても、(神様は)降りてきて援助することができなかったのです。分かりましたか? (はい)。

 事実、クリスチャンたちがローマの闘技場で、ライオンなどに殺されるのを見て、なぜ神様が干渉できなかったのか? それは、アダム・エバが堕落するのに干渉できなかったことと同じです。完成圏以上に到達しない者は、サタンの廃品になっているのだから、それに神は干渉することができません。

 しかし今は、そうではありません。「真の父母と成約時代」を発表したことは偉大なことです。神の干渉圏に入ったということです。分かりますか? (はい)。だから、全世界がお母さんを歓迎しているのです。これに反対したら、めちゃくちゃに霊界から一億が「ばぁー!」と、ぺちゃんこになってしまうのです。先祖たちが総動員して降りてくるのです。それで、特にお母さんたち、女たちは、「真の父母と成約時代」を発表したのだから大変です。今まで女は地上に降臨して援助するようになっていませんでした。分かりますか? お母様が勝利して、世界的に女子解放を宣布して、「真の父母と成約時代」を宣布したから、家庭的完成圏ではなく、世界的な、最頂上でもって勝利圏を発表したのだから、世界頂上を中心として、先祖たちがすべて降臨して援助するようになるのです。

 特にお母さんたちが、今こそ働く時代になっているのです。分かりましたか? (はい)。昔は男たちだったのだけど、天使長の直系の男たちだったのだけれど、今はそうではないのです。再臨の主の直系になるには、お母さんの体を通して再び生まれなければ、直系にはなれません。だから、女が霊界、地上界を統一する時代になったので、女権時代に移行してきているのです。分かりましたか? (はい)。

 君たちは、こういう蕩減として、動員されてきても、心も浮き浮きして、「済州島、済州島、済州島、済州島へ。死んでも行きたい! 死んでも行きたい」と、そうなるのです。(笑い)運勢がそうなっているのです。だから、「自分たちは行かない」と何回も決心した者も、来ざるを得ないようになっているのです。(笑い)自分がやったのではないのです。みな先祖が何十名、何百名、何万名と動員しているのです。やらなければ大変なことです。

 物的旧約時代の蕩減時代が来るのです。それを聞かなかったならば、新約時代の子供を打つのです。「物を犠牲にせよ」と今、統一教会は、打つ者を神に返しているのです。「日本の統一教会の負債を弁済しなさい」と言うのです。そういうものを、こうやったら、ぺちゃんこになるのです。その次は、子供がぺちゃんこになるのです。その次は、自分たち夫婦がぺちゃんこに、一家がぺちゃんこになるのです。蕩減を平面的にして、旧約時代、新約時代、成約時代となるのです。成約時代は夫婦をいうのです。一家がぺちゃんこになるのです。間違いなく蕩減原則は生きています!

 だから、先生は子供たちに、貯金なんか残してやらないのです。全部、未来の国の教会のものです。分かりますか? そうしなければ打たれるのです。子供が引っ掛かるのです。子供が、その金のために引っ掛かるのです。蕩減復帰させるものがないので、それで子供が打たれるのです。それは親がやったのだから、父母が打たれるのです。大変な時代に入りました。エバは何の所有権もないのです。堕落した子供は所有権がないのです。分かりましたか? (はい)。

 だから、君たちは神に献納したいですか、したくないですか? (したいです)。それは、先生の子供を通して、長男と次男の立場に立つ先生の子供を通して、お母様を通して、先生を通して、神に返還していくのです。一、二、三、四。四代目です。カイン・アベル、カイン・アベルとして、父母様を通して上がるのです。分かりますか? 返還して神の所有物となった、神の所有の下で、本当の神の祝福を受けるのです。だから、三回待つのです。世界が一つになって、すべてを神のほうに返納する時まで、アダム・エバの祝福の所有権は神になっていたのです。分かりますか?

 サタンのものをみんな返納した上で、最後の祝福を受けるのだから、祝福は三段階です。二段階がまだ残っているのです。国家的祝福、世界解放祝福です。その後、君たちは何も持っていません。それで真の愛と、真の子供の種をもらうのが最高の目的です。それをもらわないというと、未来の所有権も持てません。子供の名を持たないというと、所有権も持てません。これは、先生の話ではないのです。

神の相対になった場合、天運が保護する

 だから、統一教会を中心として、世界が統一にならざるを得ないのです。戦う中でそういうふうになっているのです。原理原則がそうなっているからです。それはつくりごとではないのです。イエス様の時代も、物品共有共用時代だったのです。アナニア夫婦なんか、(使徒行伝五章を参照)そうです。自分の財産をみんな売って、イエス様を中心にしてみな共同生活をしているのに、アナニア夫婦は、自分たち二人で組んで、半分を全部だとして、自分たちもみな弟子と同じように、「自分の全財産を売って持って来ました」。「全部ですか?」「はい、そうです」と。それで、その場で倒れて死んでしまうのです。神様をだますとそうなるのです。天的良心のコンピューターをだますことはできません。分かりましたか? (はい)。女の子は貯金帳を持ったら駄目です。結婚していない者は、自分の貯金、所有権を持ったら絶対駄目です。まだ子供として養育する父母の養護をもらっていないのです。真の父母に会ってもいないのです。全部がそうです。

 だから今の時は、みんな金の袋は女に任せるのです。神のほうに、エバがみな総動員して、泥棒していったのだから、エバがまとめて探してこなければならないからです。真の自分を探してこなければいけないのです。これは先生の話ではありません。

 神は創造主です。投入して投入して、最も投入してつくる者に、金は回ってきます。神の相対になった場合には、天運が保護すると言ったでしょう! 先生の命令を絶対視していってみなさい。金は自動的です。先生は金など心配しないのです。生活も、今までの生涯、一回も考えたことはありません。金がなくなったら、ちゃーんと飛んできます。霊界で命令するのです。先生はそんなことをたくさん知っているのです。これはみな、自分の宝だと思ったら、何百万、何億、何十、何千と。名前も教えてくれるのです。それを計算した場合、神様の言ったことと一銭でも違った場合には、サタンと思って、これを実行しなければなりません。言ったとおり一銭までも合うのです。「それをどこまで持っていって、どこどこの文先生の所に持っていって」と、名前は知らないのですがさーっと飛んでくるのです。そういうことがいくらでもあります。分かりましたか? 先生は心配しないのです。エバが心配です。

 先生がエバ国家を中心として、全世界のエバ解放のために準備したものが、そのためにみな関係した者が、錨につないだ縄がみな切れてしまうのです。錨がなければなくなってしまうのです。船は太平洋を流れて、流れて、それは果てしなく流れてしまうのです。それを信頼する者はいません。だから先生が責任を持つのです。

 長子権、分かりましたか? 父母権、王権、皇族圏。これが、「蕩減の蕩減復帰の峠を越えましょう」の全般的内容になっているのです。

真の父母と重生

 1993年12月20日 韓国・済州研修院


神の創造の全体的目的

 真の父母と重生という問題ですが、真の父母という名前は、いつから始まったと思いますか? 一九九三年ですか? 統一教会の発表では、そういうふうになっているかもしれません。統一教会を中心として真の父母という名前は、統一教会によって(始まったの)ではなく、先生によって始まったのです。言葉の発表はそうですが、言葉の内容は創造の前からあったのです。

 神の創造の全体的目的はどこにあったのかというと、万物を創造して、万物の霊長たる主人の人間をつくって、人間と神が愛を中心として一体となることによって、神の完成がなるのです。きのうも話したように、個人完成、夫婦完成、神完成です。女は半分で、男も半分です。旦那さんはなぜ必要かというと、半分なる者が完全な者になるには、女には男がいなければ、完全にはなれません。何を中心として完全かというと、愛を中心としてです。理想とか、幸福とか、善とか、美とか、すべてのものは、愛を除いてしまえばみな、めちゃくちゃになるのです。

 愛を中心として善と言うのです。その善の中には、美も含まれているし、必ず愛も含んでいるのです。だから、善いことを言えば美しいのです。かわいいのです。みな愛を中心としていう話です。女の幸福というのは、愛がなければ幸福ではありません。男もそうです。幸福というのは、愛を中心としていうのです。だから、すべての創造物は愛によって始まり、愛の目的のために存在しているのです。その愛をなすには、一人ではできません。相対的存在になっているのです。相対的です。なぜ相対的になっているのかというと、愛のレベルがみな、違うからです。それが公式として作用するのです。

 それは、一番低級なもの、中級なもの、それから植物も愛を中心としてみな、おしべ・めしべの相対関係です。それから動物は雄・雌です。なぜ雄・雌になったかというと、それぞれに愛を中心として一つとなるためです。それが標準になっているのです。最低のものからだんだんと一番最高なものまでです。一番最高なものは何かというと、一番最高な神様は見えないのです。その見えないお方の相対となるためです。だから人間というものは、全部が愛を求めているのです。

 それで、きのうも話したように、水中時代、地中(空中)時代、それから愛中時代へとだんだんだんだん上がっていくのです。昆虫もみな、三世界を通過するのですから、人間は万物の霊長として、三中世界を通過せざるを得ないのです。だから最後には、愛を中心として復活できるようなすべての準備を、地上生活でしなければならないのです。死ぬということは、地中時代から霊的愛の世界に移行する現象です。さなぎが殻を脱いで、蛾になって空中を飛ぶように、昔の殻を脱がないといけないのです。殻を中心として見ると、ちょうど死ぬのと同じです。殻を破壊させなければなりません。肉身の生活が、ちょうどそれと同じです。肉身の世界を破壊して、見えない神様に似た霊人体となるのです。人間として、さなぎが蛾になると同じようにして、生まれる場面です。だから霊人体は、死ぬ時に肉身から出ていくのです。

 それで霊人体があるのは、無限の霊界とつなぐためです。その霊界は、愛を中心としているのです。空気が愛だと思えばいいのです。空気自体が愛の空気です。だから、愛を吸えるような全体的呼吸が必要です。細胞全体で呼吸すればいいのです。細胞全体が愛を中心として呼吸して、神様と同じように永遠に生きるのです。神様が愛を中心として呼吸しているというのです。だから、無形である神の性相・形状と、(すなわち)無形実体の内的性相・形状が愛を中心として一つとなると(神の)形状も性相も人間と同じようになるのです。人間自体も、心身が一体となるには愛がなければなりません。愛を中心に一体となるようになっているのです。神様もそういうふうになっているからです。神様の性相の中にも形状・性相があると原理は教えているのです。すべてが愛を中心として成長し、愛を中心として一つになるのです。愛を中心として一つになって、永遠の世界に飛んでいくのです。

 そのためには、神様に似たものでなければならないというのです。だから、人間は神様から生まれてきたというのです。それから、神様とアダム・エバが完成すれば、神様は縦的親、アダム・エバは横的親です。それがなされないというと、人間と神様が一つになる道がないのです。愛の主人は人間ではありません。生命の本体は人間ではありません。血統の本体は人間から始まっているのではなく、神からすべてが始まっているのだから、神とつながる道がなかった場合には、人間と神の関係とか、関係を結んで良いとか悪いとか、神の創造理想、神様のみ旨とはいったい何かと尋ねた場合に、一般の神学者は「それは易しくて難しい言葉です」と言うのですが、易しくて難しいという答えはないのです。易しいのは易しいのであり、難しいのは難しいのであって、易しくて難しいと言うのは暴言です。

 統一教会は、はっきりしているのです。み旨の道は創造理想を完成することです。神が創造した理想を完成することです。創造理想完成とはいったい何かというと、万物を対象にした小宇宙になっている万物の霊長である人間自体の完成です。人間自体の完成は個人だけではなく、家庭的完成をいうのです。四位基台の完成です。四位基台は、男、女の完成とともに、神様の完成がなされるのです。これが宇宙の最後の秘密でありました。

 神様と人間とは、何ですか? 神様と人間が共に完成する場面、それは結婚して初夜の愛の関係を結ぶことにより、神様も「これだ」、人間も「これだ」と、すべてが完成するのです。そのようにして宇宙を完成させ、宇宙を出発させ、宇宙を引っ張っていく基台が愛なのです。真の愛、宇宙の本然の愛なのです。

 だから、あなたたちも子供の時から、愛によって生まれて、父母の愛のもとに保護されて、それから旦那さんと愛を掲げながら、子供をつくっていく愛の連続です。それなのに、世の中が相対的愛の環境的相対基盤が合わないと問題なのです。それは堕落したために肉身が愛と反発し合って、肉身が良心を反対の方向へ引っ張っていくのだから、良心の願いの反対に行くのだから、良心の苦しみが自分から離れることができないのです。だから問題は、肉身を分別して完全に聖別しておけば、良心は良心なりに南北を指し、北極と南極が合った場合には、磁石みたいに、ちゃーんと方向を永遠に指し、永遠にほうっておいても、方向を一定して永遠につなぐのです。

 愛の関係を結んだとするならば、男と女の愛は東西を中心にして永遠に結ばれ、神様は南北を中心として縦的に、永遠に結ばれるのです。その二つの力が一つに合わないというと、運動ができません。宇宙の運動は、球体以外ではなされません。横的に引っ張っていった場合には、運動できないのです。これでは循環運動が不可能です。運動は中心に引っ張ろうとする遠心力によって、縦横が連結することで、釣り合いの運動がなされるのです。だから神を中心として、人間を中心とした共同的運動をするには、愛が中心になるのです。その愛が相対の場合は、逆に拡大するような力の釣り合いによって運動が始まるのです。分かりましたか? (はい)。

 だから、結婚の初夜の愛の関係を結ぶということは重大な事件です。男が初めて完成し、女が初めて完成するのです。旦那さんは、自分を完成してくれるお方です。それを知らないのです。旦那さんも旦那さんです。それを知らないでは済まないのです。その由来をはっきり究明して、自分との関係を、肯定的な結論として、公式化された結論を得たとするならば、人間は脱線することができません。みな列車が軌道を走らなければならないのと同じように、万民共々に自分の愛の軌道によって、永遠に自分の世界で、自分の理想の成果が違っていても、個人真理一体の目的に直行するようになっているのです。

愛の基準

 このことを語る前に、四大心情圏を語ってあげればよかったですね。分かりますか? (はい)。旦那さんは自分を完成させてくれる人です。女は半分です。旦那さんがいなかった場合には、完成されません。何によってかというと、旦那さんの愛によって完成するのです。いかなる者も、自分の完成を願わない者はいないのです。それは最高の完成を願うのだから、何によってそうなるかというと、金でもなければ、知識でもなければ、権力でもありません。それらは、何の関係もありません。女として金があるとか、知識があるとか、その人が何々の課長とか、局長とかいう、そんなものは、愛には関係がないのです。アダムとエバには局長もいなかったのです。アダムとエバは、ただ良心と神様を知ればすべて分かるようになっていたのです。堕落したから分からないのです。先生は普通の人と違って、ずーっと見れば分かるのです。

 良心には教育が必要ないと同じように、人間にも教育は必要ないのです。霊界では、博士などは、一週間以内にそれ以上になれます。だから、教育は必要ではないのです。言葉が通じなくても、良心がすぐに通じます。良心で考え、良心で聞くのです。口で言うのは、第二次的です。そうなっているのです。だから、天に近いのです。それから、何千年も昔の先祖であっても、自分の上か下かがすぐに分かるのです。愛の心情圏を地上で成し得たその基準を中心として、向こうに止まっているのだから、自分より高いという場合、何を標準にしてそれを決めるかというと、知識ではないのです。お金ではないのです。権力ではないのです。愛を中心として、その全部が決まるのです。愛の位がどんなに高いかということです。分かりましたか? (はい)。

 それが、自分の家庭的完成基準で完成した場合、家庭的基準の所に留まるのです。神様みたいに天宙を愛するには、より大きいものを愛しなさいというのです。個人より家庭を愛し、家庭を愛するには投入しないといけないのです。犠牲にならないといけないのです。愛の道は投入し、投入することによって、相対が大きくなる要求を求めていく道です。相対が大きくなることによって、自分が喜びを感じ、愛の喜びを体恤することができるのです。自分自体内では刺激を受けないのです。

 神がなぜ人間を創造したかというと、自体内で一つになったのでは刺激を受けないからです。刺激を受けるために相対をつくったのです。相対をつくったことによって、目も笑うし、鼻も笑うし、口も笑うし、耳も笑うし、肉体も笑うというのです。そうでしょう? だから、愛の相対という立場は、目も疲れないのです。それから、口もそうです。口は一日中しゃべっても、夜通しささやき語っても疲れを知りません。耳は愛の相対者が休まなくても、素晴らしく聞こえるのです。手はそれでみな、つかむために一つになっているというのです。相対によって、そういう全体、五感というものが一遍に、四〇〇億以上の細胞が刺激を受けるのです。だから、興奮するし、興奮して、興奮して、涙が出ます。喜んだ場合には涙が出ます。悲しい時も涙が出ます。これは不思議なことです。だから、天地は最低と最高のものが一つになっていくのです。分かりましたか? (はい)。

 きのうも話したように、立派な最高の所に汚いものがついているのです。君たちも本当にうれしい時には、涙が出ますね。そうですか、そうではないですか? (そうです)。悲しい時も涙、本当にうれしい時も涙です。そして、うれしい時は最高であり、悲しい時は最低です。それは話すこともできません。だから、堕落しなかったら涙を流すようなことはないかというと、あるのです。ナイフで切れば切れるのです。堕落しなければ切れないということはないのです。同じことです。

 だから、愛の基準が損なってしまった時には、みんな同じです。人間世界に真の愛が神様の創造したと同じようになったとするならば、これはもう、人間社会では苦労しても、苦労しても、それを面白く思うのです。愛する者と汗を流し、苦労しながら、そういうふうに苦労のあとに夫婦が共に愛する時は、深く骨肉から交わるのです。骨髄からつながるというのです。苦労しないのは、中間の肉だけです。苦労しながら死ぬような中でも、共に愛しながら一つになるというと、骨髄が刺激を感じるのです。そういうことを体験した者は、安らかなことを願わないのです。

 統一教会の宣教でいえば、統一教会の宣教に行った場合、そこには誰もいないのです。誰もいないから父母様が、直接教えてくれるのです。あすやるべきことを祈る時に幻の中でみな、教えてくれます。そして、そのとおりになるのです。そのとおりになるから、宣教師の生活はみすぼらしいのです。普通から見ると、誰があんなことをやって生きているのか、不思議なのです。一般の人だったら、もう風呂敷を包んで帰って消えるべきなのに、誰も見ていないし、誰も援助してくれなくても、ただ一人で寂しい生活を続けることが、なぜか分からないのです。

 それはなぜかというと、内心においては天と共に生活しているというのです。だから、そういう者たちが故郷に帰っていったらみな、切れてしまうのです。前線ではないからです。切れてしまうと、その暗黒さは話にもならないのです。いくら良いものを食べて、いくら良い所に住んでも、それは幸福ではないのです。いくら人の上の立場に立っても、そこにはスリルがないのです。神がすべてを教えてくれるのです。

 それで、宣教に行った場合に、大きな川などには、ワニがいくらでもいるのです。そういう中で、神が霊界と交信して「こっちから何メートル、何分以内に渡らなければやられる。あなたの水泳は平時はこうだから、一・五倍のスピードで」と教えてもらって渡るのです。ビザの問題で、どこかに出向して帰って来れなくなるという場合にもみな、コーチしているのです。聖書の内容の教えなど何でもないことです。神様が直接、教えてくれるのです。分かりましたか? (はい)。そういう生活をすると、環境が難しいということはないのです。自分の一身の霊的世界をつなげば大きくなっていくのです。

 だから、苦労するのが悪いのではないのです。苦労の生活をして、宇宙や世界に徹するような相対的な心を持ち続けると、神様と直接に通じるのです。深い根を持つ幹は土に埋もれているのです。そういう深い根とつながって埋もれるような立場になっても、それは不幸ではないというのです。安全な土をかぶっていた場合には、外的な被害に遭っても倒れないのです。分かりますか? だから、幹から見た場合に根っこは真っ暗で大変です。

 根っこの生活と幹の生活、それから枝の生活、葉っぱの生活は違うのです。葉っぱは、「幹の生活は何でああいうふうに黒くなって、動きもじーっとしていて、これはもう大変だ」と思い、自分自体は動いて、こういうふうに日ごとに大きくなるから素晴らしいと思うのですが、そうはいきません。それが最後になった場合には、枝がいいか、葉っぱがいいか? 枝がいいことが分からないので、そう言うのです。その小さい小枝がいいか、幹がいいかということは、その幹になってみないと、枝になってみないと分からないのです。

愛の完成のために投入して忘れる

 愛を中心にして、不幸なことはないのです。愛は苦労も消化します。死ぬことも消化します。愛する者のためには生命を消されても、それは悲しくないというのです。それ以上の忍耐の力があるというのです。だから、愛を得ることはすべての完成の内容を持っているから、お金もいらないし、知識もいらないし、愛を求めていくのです。結婚する時は、その愛と一つになるように、内外共に総和して一つとなるようになるから問題はないのです。動物は既に、自分の問題は解決しているのです。

 南洋から帰ってくるつばめを見た場合に、つばめは食べ物の袋を抱えて帰ってきますか、どうですか? たった二羽で鳴きながら来るのです。何千マイルを渡り鳥として、そのように行動するのです。渡り鳥は何かというと、愛を中心として最も素晴らしい後孫を残したいというのです。鮭なんかもそうです。なぜ海にすんだものが真水に入りますか? 環境が違う両方を通行することによって、完全なものになるのです。男も女も、両方を通過することによって、主体・客体、プラス・マイナスの違う境地を愛で占領することによって完成するのです。環境が違うのが悪いのではありません。必ず塩水の魚は、真水の境界線に来なければならないのです。だから、アラスカは寒流と暖流が交差するのです。それはプラス・マイナスです。そういう所には、必ず産卵のために魚が集まってきます。田舎に行くと、蟹なんかもそうです。

 日本の水田にも蟹がたくさんいましたが、今は農薬を使うのでいなくなってしまったのだけれど、蟹もそうです。春になると、ずーっと小さいものが川を上がっていきます。水田で大きくなって、秋になって下がってきてどこに行くかというと、海水と淡水が交わる所に行って塩抜きをしないといけないのです。真水の魚は塩水、海水を味わわないとプラス・マイナスの接触点にならないということです。分かりますか? 鶏にも無精卵というのがあるのです。無精卵というのは、子供にならないものです。男というプラスと和合することによって、生命がその中間に起こるのです。男、女の愛の通い合う中心で生命が始まるのと同じです。相対関係で、水もそういうことをやっているのです。だから、淡水が必要であり、海水が必要なのです。こんなことは、常識的に分からないといけないのです。

 愛のためにすべてが始まったとした場合、君たちが女になったことも恨みに思わないのです。「いやー!」とうらやましく思うのです。「いやー! 愛のために生まれた」と。だから、愛の完成は一人ではできません。愛の完成のために結婚するのです。分かりましたか? 自分の完成のためです。離婚は自分を破壊するのです。一つになったのを裂いてしまうのだから、裂いた紙をいくらくっつけてもつきません。それは破壊物であって、完全なものではありません。離婚した女にとって、「心がすっきりする。結婚する前より幸福だ」と言う女は一人もいません。みな傷ついているのです。それを埋める道はありません。だから離婚した女は、男を再び追おうとするという恐ろしいことになるのです。

 自分の旦那さんが前の旦那さんよりも悪かった場合に、殺すこともできないし、自分が死ぬこともできないのです。自分の旦那さんが、前の旦那さんよりもよいという保証はないのです。それは自分のやり方によって、良い悪いは決まるのです。いくら悪い人でも自分が良いことをやれば、良い人になるのです。だから、そういうすべての解決をなすために、神様は投入ということを教えたのです。投入して忘れて、投入して忘れていけば、もっと素晴らしい愛の相対を得るようになっているのです。間違いないのです。

 だから、神様が一〇〇を持っていて、一〇〇を投入した場合には、一〇〇の愛の相対しか生まれてきません。無限の相対を願うのだったら、無限に、無限に投入して、忘れて、また投入したいところに、無限に、無限の相対を得ることができるというのが理論的です。投入しても、何回かして止まれば、それ以上にはなりません。だから、それが無限に通じるには、一から三六〇回るのです。三六〇回が終わったら、また一から回るのです。回るのに、同じく回るのではなく、大きくなって、大きく回るのです。分かりましたか? (はい)。そうなれば、何のために生まれたのか、人間はなぜ生まれたのかという質問になるのです。それは愛のために生まれたというのです。

 世の中に一番幸福な男と女がいたとすれば、一番標準な男と女がいたとすれば、そのようなモデルケースになるために、生まれてきたという話になるのです。そのモデルケースは何かといった場合、それを知らないのです。それは、今から先生の言うのがモデルケースです。心には、なぜ厄介な体が必要かというと、それは心身がなければ平行であり、統一圏を持たないというと平面が生まれてこないのです。平らな、整地工作をして、そこに家を建てるのです。平らな所に建てるのであって、横になっている所に建物を建てることはできません。だから、人間自体も平地が必要です。そこで一つにならなければなりません。

 主体がこうなって、女はこういうふうにつくのです。(先生がしぐさされる)それで球体を願うのです。だから男の性格は上がろうという性格であり、女の性格は地につこうという性格です。それで、女は尻が大きいのです。女は座っても、クッションがあって、石に座っても痛くないのです。クッションがいいのです。男はずーっと座っていると、肩が重くて大変です。尻があまり大きくないから痛いのです。「男はこういう活動をして、力もこうやれ」と言うのです。だから、男は上向きです。男には「胸を張れー!」と言うのであって、女は「胸を張れー!」ではなく「尻を張れー!」です。(笑い)尻が張れば近くなるのです。(先生がしぐさをされる)(笑い)反対に、男はこうやって、女はこうやって回るのです。分かりましたか? (はい)。そういう別個体の行動が、別個の方向に行くのではなく、結局は回って一つになるのです。

 だから、それは「神秘」と言えるし、「不思議」と言えるのです。愛は分からなくて、こんなものだと方々回って、相手が分からなくても夫婦生活をしてみれば、これは離れては生きられないというのです。だから、男が必要です。女の前に絶対真理は何かというと、女自体が絶対真理にはなりません。愛を除いたら真理ではないのです。だから、もっと刺激的相対的な真理というものは、女の前に、男一人以外にはありません。一人です。二人ではないのです。(笑い)主体・客体です。主体が一人でなかったらどうしますか? 大変です。男一人です。主体です。

 女は東西南北、四方があるのです。だから獣の世界は雄を中心として、たくさんの雌が連れられていくのです。鹿なんかは五十二匹まで子供を産ませるのです。動物なんか優性を保つためにそういうふうにやっているのです。中心は一つだけど、相対は時期、時期に変わるのです。相対は切ってしまっていいのです。枝は切ってしまえば、早く大きくなるのです。柱は下の枝を切った場合に、立派な柱になるのです。

 愛のために生まれてきたということは、気持ち悪いですか、気持ち良いですか? (気持ち良いです)。今、あなたたちが気持ち良いと言うのは、人間を中心とした堕落した圏内の愛の大地の上で答えることであって、真の愛の大地圏で答えることではありません。堕落した社会での愛は、自分を中心としての愛をいっているのです。すべてを自分に引き付けようとするのです。自分から犠牲になり、自分から放棄して拡大していこうということはないのです。神様から、そういう力をもらって、もっと投入すれば、たくさん投入すれば、たくさんの群れが生まれてくるのです。それが生まれてきた場合には、主体として相対関係で自分を保護して、包んで安全圏にしてくれるのです。たくさんの人を持った指導者になるのです。二重、三重に、永遠に、安全地帯に中心者が包まれていくのです。

 たまねぎも大きくなった場合には、被せ、被せ、被せ、被せて、それに被せるとたくさんの殻に包まれて大きく、安全に立派なものになるのです。だから、父母という、家庭という殻を被せてくれるのです。家庭が中心になった場合には、氏族という殻です。国はもっと大きな殻です。その自分は、もっと、もっと中核に立って、内的な比重が重くなって、価値がもっと高くなって相対圏で平衡を保っていくのです。

 だから、男と女、二人が合った場合には、それは二人共に利益になるから、一つになるのです。その関係から見た場合に、現在より良くなるために、関係を持っていくのです。あらゆる分野の関係は、あらゆる分野の一体圏を願っていくのです。そうすれば、すべての者に尊敬されて、すべての者の相対圏で喜び、いろいろな種類を喜びに感じて、一遍に何百もの刺激を受けることができるのです。(先生がしぐさされる)(笑い)ストップ、ストップです。(笑い)死んだのではないのです。みな止まるのです。止まって見るのです。息が止まっても、すべての細胞は止まっていないのです。そこから跳躍の準備です。「いやーっ! いよーっ!」とね。(笑い)こういうことを言い出したら、限りがない、限りがないのです。

 先生の話が分かりますか? 人は何のために生まれますか? (愛のためです)。みな愛のためです。よくも、そうなっているのです。子供を生むのは愛の延長のためです。旦那さんを得るのは愛の延長のためです。そして、旦那さんの愛を得た場合には、父母となって離れるのです。愛は一つの道です。子供を生んだ場合には、別の世界が横的に拡大するのです。子供から横的に別れていくのです。第二の夫婦が生まれてくるのです。子供は大きくなって、父母についていくより、別れていくのです。だから、愛は神のほうに、段階的に上がるようになっているのです。それを否定することはできないのです。先生も、君たち以上に苦悶した男です。

神人愛の一体圏を求めて

 何が良いか悪いかを決めて、発表して、自分と関係を持たなければ大変です。一方のみではなく、東西南北を比べてみないと駄目です。御飯ばかりが良いのではないのです。世界にはたくさんの料理があるのです。中国料理、フランス料理、イタリア料理、日本料理、韓国料理、各国によってみな違うのです。それらをみな味わってみて、「これが自分の体に良いから、誰が何と言っても仕方がない」と。日本にいても西洋料理を食べるようになるのです。それは心がそれに引かれていくからです。そうではないですか? (そうです)。決めるのは自分が決めるのです。食べるのは自分が食べるのです。愛するのも自分が愛するのです。誰かが愛するのではないのです。だから、真剣な愛は、真剣なる立場で、絶対一つしかない道なのです。それを見ても、自分の絶対的統一圏を認めないということ、絶対に一つになる愛に関係を持つことはできません。だから、心身一体は絶対要求なのです。

 これが一つにならなければなりません。単位と同じです。数や単位を組み合わせて、公式になるのです。単位が間違った場合には、その公式が間違ってきます。この単位が間違った場合には、過程が間違ってきます。この単位の男と女を組み合わせて、公式になるのです。神様まで合わせていくのです。だから、結婚は自分の完成のため、結婚は神様を占領のためです。神様の実体です。外的な神様ではないのです。内的な神様とともに、良心と愛と一つになった神全体を占領したいのです。人間の欲望は、最高の欲望を持っているのです。神様を袋に入れて担いでいけるような大きさを持っているのです。それが堕落したので、それが困難になったのであって、本来だったら、神様から出発して神様に帰るのです。分かりましたか? (はい)。

 子供たちは、父母から生まれたので、父母に帰るのです。結婚するのです。分かりますか? (はい)。原因と結果が一つにならなければ、完成というものがないのです。原因と結果が一つになることによって、大きく回っている環境を抱擁して回って、すべて因縁でもって関係を結ぶことができるのです。たくさんの人類を知り合いながら、帰っていくのです。そうすると、いろいろな国の人々、いろいろな文化と交流していくのです。霊界はそういうような集合、連帯の世界なのです。そこに適応するには地上に住みながら、世界、人種、あらゆる国との関係を持って体験したことがあれば、向こうの世界(霊界)において、主体世界において、すぐに相対になれるのです。相対圏で一つになることができるのです。分かりましたか? (はい)。

 結婚をなぜするかというと、自分完成とともに宇宙占領、神様の愛まで占領したいのです。こういう問題になるのです。アダム・エバに神様が言うには、アダムとエバが結婚して、その次の朝に呼びかけて訓示するには、「君たちは、愛を中心として絶対に一つにならなければならない」と。そうすると、アダムとエバは「お父さんは、そういう愛を中心として絶対に一つになっていますか?」と質問します。すると神様は、「私はそういうことはないのだ」。そんな気持ち悪いことはないのです。

 先に父が成し得て、子供に訓示しないというと、それは主体がないことであり、主体がなければ、客体もなくなってしまうのです。それで神様は、「もちろん、あなたは知らない深い分野に、既に愛の主人としていたのであり、結婚して愛の関係を持つことは、神自体が初めに体験しており、君たちは二次的になっているのです」と言うのです。だから、神様に訓示し得る立場であり、神様自体も愛には絶対服従するというのです。平和的に今日の理論的出発が生まれてくるのです。分かりましたか? (はい)。

 愛を絶対的に感じて屈伏したとするならば、愛の本郷地が神だとすれば、神の本郷地はどこですか? そこで、愛が初めか、神が初めかということが問題になるのです。人間が初めですか、愛が初めですか? (愛です)。人間が男、女に分かれたのは、愛の完成のためです。見えない構想があって、こういうようになるのが愛であり、男、女が一つになっているのが愛です。神の無形実体が、性相・形状で一つになっているのが愛というのです。見えない世界では統一されているのです。それが見えるものとして、分化して、大きくなって再び、見える相対圏と見えない神様と同じような立場になるのです。

 見えない神様は良心の立場であり、見える立場は肉身です。これが縦横に一つになるので、人間は縦的自分、横的自分というのです。これを定着させておかないと、理想的出発をする理論的理想郷の結論を得ることはできません。出発点が二つであったら、目的とするところも二つになるのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。先生が一番苦労したことは、神人愛の一体圏をどういうふうに求めるかということです。これは重大な質問です。宇宙の根本問題の原因のはっきりした出発点を究明しないというと、過程が矛盾していくのです。それが一つになっていないのに、過程が一つになることはできません。

 運動して、こう回っていくのです。(先生が手先を回転させるようなしぐさをされる)鉄砲の弾も、こういかないのです。こう回っていきながら、宇宙も回るのです。そういうふうに電気も、電気の送電を見れば、電気もこう回りながらいくのです。そうすることによって、抵抗を少なくするのです。直線では抵抗があるのです。回るには、錐がこういう直線で「キー」と回りながら刺さるのと同じように、思わないといけないのです。だから、二人が同時に上下でもって、こういうふうに授受しながら、周辺を回りながらいくのです。ですから、送電線では表面は真鍮、銅だけど、中には鋼鉄が入っているのです。ここは電気は通らずに回っているだけです。分かりましたか? (はい)。

 出発点が相対関係で授受しながら移行する、そのようなペース、周波が異なれば、めちゃくちゃになるのです。だから、原因の出発は統一なるものを発見して、それが二性性相でもって運動するような基準に結び得てないというと、結果と原因が一体になる道は永遠にありません。神の愛と人間の愛はどういう関係かということは、大変なことです。

 だから、宗教と哲学がどう違うかというと、宗教というものは、神から始まるのです。大概、教祖たちは霊的に神様からの命令によって、教典とか、真理の内容とか教えられるのです。哲学というものは、人間が神を探していくものです。宗教は、神が人間を探してくる道です。それは堕落したからであって、堕落しなかったならば哲学も宗教もいらないのです。既に神も分かっているのです。自分の中にある神と共に生きているのです。宗教はいらないのです。分かりますか? (はい)。だから、完成した地上人においては、宗教はいらないし、哲学はいりません。人間自体が哲学完成体、宗教完成体になるのです。

 その完成の最も重要な要因は、天的な根本的な基本的な元の愛であり、元の愛の主人は神様です。人間は神様の相対的存在です。何を中心としてかというと、真の愛を中心としてです。だから、人間は愛を絶対的に必要とするのだから、それを絶対必要として占領した場合には、神自体もその愛の中で住みたいというのです。いくら大きい有名な旦那さんでも、愛する女の懐に住みたいのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。子供たちもみな、お母さんの懐が必要なのです。

人間は愛のために生まれた

 大きい男は愛の懐が必要なのです。分かりますか? 奥さんというのは、愛する旦那さんのお母さんと同じです。そうなると、これは別れることはできません。お母さんを好きになった場合には、女で自分に近いのは、お母さんです。お母さんの次に継続して、お母さんになるのが妻です。お母さんの代わりです。だから奥さんは、お母さん以上に愛さないといけないのです。奥さんは自分のため、お父さん以上に愛さないといけないのです。そういうことが理論的に分かるようになったとすれば、自分が移動した場合には、宇宙が移動するのです。分かりましたか? (はい)。

 そういう意味で、人間はなぜ生まれたのかというと、愛のために生まれたのであり、男も女もこの答えには何の不満もありません。「それで良い」と言うのです。愛を見たことはないし、触ったことはないが、それでも良いというのです。本当ですか? 考えてもそれ以外にないのです。分かりましたか? (はい)。

 真の父母というのは、こういうような全体の愛を総合し、宇宙に定着、安着した者をいうのです。そういう男と女は共に、宇宙と共に、神様と共に同じ場所で、神様が笑うと、同じくアダムとエバも笑うのです。「わーっ!」と一つになって中心を中心として、アダムとエバが笑うのです。アダムとエバが横的になって、神様はこうなって、一つになって、「あーっ」と、です。神様が中に入って、アダムとエバは袋みたいに被せるのです。中心がこう下がって縮まった場合には、(先生が両手でもってしぐさされる)これは十分中に入るし、男と女は周囲でもって縮めていくのです。円心を中心に、円形を中心として縮まっていくのだから、自動的に細胞は円形にならざるを得ないというのです。角があった場合には削られていくのです。均一的になるのです。

 だから、あなたたちも、いい人がこうやった場合には、こういうふうになるのです。(先生が上体をゆするしぐさされる)こういうふうにね。(笑い)こういうふうに、こういうふうに、(先生が両手で抱き込むようなしぐさをされる)それは削られるものがないように真ん丸くなって、一つになるようにです。だから背中を出して相対的に、これがこうなったのに、これがこうなったら駄目です。これは相対的に平均で、こうなった場合には、(先生が両手を左右に大きく広げられる)向こうから回って全部を捨てないといけないのです。そういうでたらめをやったら駄目です。先生はそういうのに敏感です。

 それで、韓国の舞踊団も先生がつくったのです。それは、西洋の舞踊団的にです。西洋舞踊団で有名なのは何ですか? (オペラです)。オペラは歌です。「UBA」を知っていますか? アメリカの「UBA」です。薫淑様を知っていますか? (はい)。薫淑様は何をやっているのですか? (バレエです)。バレエというのは、神を称えるものです。だから大衆は分かりません。そういう意味で、韓国は両方とも幅が広いのです。日本は着物を着て足を伸ばすことはできないのです。こういうふうにして、こういうふうに(先生が踊りのしぐさをされる)(笑い)「月が出た出た。月がー」なんてね。だから、韓国の舞踊には及びません。ジャンプができないのです。

 そういうように自然の中で、すべてが先生になっているのです。芸術品を見ればみな、自然から取り入れているのです。テーブルの足なんかもみな、こういうふうに自然にあるものを取ってきたのです。神様は芸術の王様です。

 真の人間というのは、どこから出発すべきかというと、今から出発すべきではなかったというのです。全知全能なる神様の直前から出発すべきだったのです。分かりましたか? (はい)。

 だから君たちは、偽物として生まれたので、ハンダ付けして臨時に使う以外にはないのです。大変です。それが恨みだから、何とか甘柿に接ぎ木して三代以上過ぎないと、本当の実としては使えません。接ぎ木する以外にはないのです。それで接ぎ木して、甘柿の実を得ることはできるのです。神の倉庫に入って、神の御膳の近くに上がることができるのです。甘柿でないものは、本当は御膳に上がることはできないというのです。純粋な種類ではなく雑種であり、雑種には異物が含まれているのです。堕落したために、サタンの血統と神の血統が混血しているのです。それを何代かで清めないといけないのです。分かりましたか? (はい)。

 人は何のために生まれたのですか? (愛のためです)。愛は何によって得られるのですか? (夫です)。旦那さん、夫、どんな旦那ですか? 一段、二段と、段階をつくってくれた名前を持ったものが旦那さんですか? (笑い)梯子の踏み台と同じです。(笑い)本当です。こういうふうにすると、旦那さんの説明がつくのです。文先生は、済州島で四〇〇〇名余りの女性の前で、初めて語った言葉が、「旦那さん」であったと、そのように、先生はたくさんの言葉をつくっているのです。英語もたくさんの言葉をつくったし、日本語も、韓国語もです。言葉がないのです。

 そういうふうに、人間は愛によって生まれるべきだということです。分かりましたか? (はい)。その愛の元なる男と女が出発するように始められたのが、神様の創造です。だから、創造の前から真の父母という観念はありました。存在するすべてのものは相対的関係を持ち、それなりに夫婦関係の内容を持っているのだから、創造の前からあったと言っても、理論的に矛盾はしていません。分かりましたか? そう考えた時、これが宇宙の根本であり、出発の動機であり、それに従わなければならないということに気づかなければ、自分は中途半端になってしまうのです。だから本然の根につきたいのですか、枝につきたいのですか? 本然の根につけば、葉先、幹の根、幹の枝、すべてのものについたと同じ価値があるのです。本然の根につくのが理想的だというのです。分かりましたか?(はい)。

 それで、真の父母という問題は、宇宙存在、出発する前からあったというのです。環境には相対的存在があり、相対的存在は必ず、それなりに次元は低いのだけど授受作用するために一つになるのです。一つになることによって、両方ともマイナスにはなりません。大きくなって、立体的にふくれていくのです。だから運動を続けていくのです。君たちが市場に出るとしても、毎日、出るたびに一円ずつ損をするとしたら、毎日継続するかというと、しないのです。十円でもいいから、いつでも出たり入ったりすれば、少しでももうけた場合には大きくなることによって、それは栄光と天国に通じるのです。

 神様を占領する道は大きくなることによって成されるのです。だから、大きく、良いことは蕩減を余計にしなければならないから、「犠牲になれ、奉仕せよ」と言うのです。こういうことをみんな知った場合には、説明がいりません。それで自分を守って、脱線せずに自分を安全地帯に導いて引っ張っていくことができるのです。分かりますか? (はい)。だから、真理を知ることにより、良心の元の知識を蓄えることができ、良心は神様と一つになるようになっているのです。良心は神様の真理の相対と一つになるようになっているのだから、それを蓄えておけば、すべての主体に適応して、すべてと一つになる動機をつくるのだから、どこへ行っても利益を残すようになるというのです。何の話か、分かりましたか? (はい)。

キリスト教の歴史を通して求めてきた新郎新婦の遭遇

 先生は、いつでも会って話をする時間はありません。これが初めであり、最後かもしれません。一度別れたら、もう十年会えないかもしれません。十年、二十年、三十年かかっても会えないことがあるのです。その時は、先生は既に霊界に行っているのです。

 これが生涯において初めであり、終わりであるそういうような切迫した緊張圏に立っているのに、座って鼾をかきながら寝るような者たち! (笑い)横に座っているそういう者を見て、放っておくのは、それはもっと悪いのです。寝る者よりもっと悪いのは、座って分かっていて、それを目を覚ましてあげないのがもっと悪いのです。もっと悪い女にならないように、警告します。分かりましたか? (はい)。

 これが大元です。小さいものから大きいものへ、人間と神様がみな、このケースに引っ掛かっているのです。神様も共に大きくなりたいから、投入して、投入して、忘れるのです。なぜかというと愛の大きい無限の愛の袋で包囲されるために、投入して、投入して忘れるのです。

 完全な真空圏になった場合には、すべての高気圧は上下左右に、一遍に「ふわーっ」と入ってくるのです。分かりますか? 先に入ってくるのが悪いのではないのです。それは、こういうふうに入って来た場合には、来たものがすーっとここを中心にして、全部がまとまって立体をつくります。「トネイドー」を知っていますか? 旋風です。英語では「トネイドー」と言うのです。こうなって、家も何でもみな、巻き上がるのです。無限に爆発的な力が生じてきます。分かりますか? 力が生じてきます。奉仕、奉仕して、絶対真空圏に立った場合には、無限の力が「ぱあー!」と最高に出てくるのです。だから、神様に奉仕するというと、台風が吹き寄せるのも、斜めから来ないで垂直に近く来るのです。垂直に近くなって、「びゅー!」と来るのです。爆弾投下みたいに爆発してしまうのです。強ければ強いほど迫力があるし、破壊力があるので強いのです。そういうふうな刺激、最高の刺激があるのです。

 だから、時には旦那さんと分かれても、真空圏と高気圧圏が必要です。そうすると、毎晩、夢で会うようになるのです。夢の中で、抱擁して愛した場合には、堕落した世界の愛よりも、もっと刺激的です。その基準を超えるということです。これから特別に、先生はそういうようなことを教育するのです。堕落のために四大心情圏を破壊したのだから、蕩減復帰は、エバがなしてきたと同じような所で、一八〇度転覆するのです。

 それで四大心情圏を女が体恤しないというと、宇宙の転換点を正すことができないというのです。堕落の瞬間に、四大心情圏、四大心情を失ってしまいました。子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情を一遍に崩壊してしまったことを、いつ女として体恤するかという蕩減復帰です。同じように体恤することです。その時が、キリスト教を中心として歴史を通して一点を求めてきた、新郎新婦の遭遇です。会い合うという遭遇の時です。その時に女たる者はみな、神の娘として、妹として、奥さんとして、お母さんとしての心情を爆発的に体恤しないというと、変わらないのです。

 そのような大元が、再び生まれてこなければならないのです。そういう体恤をした場合には、「旦那さん」と言えば、旦那さんは遠い所にいるのではないのです。もう既に、自分の中に入っているのです。それは主体だからです。そういうような愛の本郷地を求めていくのが、人間の生来の生涯の生活です。真の父母の観念が分かりましたか? 宇宙の根本的な基本姿勢となっているのです。

 あなたたちは何から出発しましたか? 真の父母ですか、偽りの父母ですか? (偽りの父母です)。偽りの父母という、血統が違っていたのです。エバが堕落して、君たちみたいな生まれるべきでない者が、故障した者が生まれてきてしまったのです。完成は一つもありません。だから、霊界は空いているのです。分かりましたか? 霊界、神様の創造した天国は、今まで一人も入っていないのです。真の父母が最初に入るのであって、神様と人間が愛の関係で、主体・客体の関係で一つとなった基準が、創造の本然の目的なのです。

 そういうような血統的因縁、愛の因縁を、生命の結合体と血統を伝授した者が、家庭、氏族、民族、それから天国の世界を主管することができるのです。堕落は反対です。血統的に過ったのだから、神様も血統的に、生きた者を殺さないで、そのまま一つ一つを転覆して消化していくために、何千万年もかかったのです。それで、神様の真の父母ということを体恤する根拠がないのです。相対がないのです。その相対たるべき者が長成(期)完成(級)基準でサタンと一体となって、なくなってしまったのです。良心一つでは、何にもなりません。良心も、それは長成(期)完成(級)基準で堕落したのだから、堕落した愛よりも弱いのです。だから、肉身がサタンの基準になって、肉身が良心を引っ張りだこにしているのです。これをはっきり知らないといけないのです。

 それを抑圧、却下させるのです。宗教者の目的は、主にそれを成すためです。それで宗教は、肉身の願うすべてを拒否しているのです。寝ることを克服しなければなりません。サタンは食べてよく寝ます。怠け者は食べてはよく寝るのです。良いものを食べても寝ながら消化してしまうのです。それから、食べ比べて良いものを食べるのです。きょうより、あすはもっと良いものを食べるのです。どんなことをやっても、泥棒しても良いものを食べるのです。だから食うもの、寝るもの、遊ぶものが怨讐になっているのです。

 それから情的問題です。原理原則を破って、誰でも乗っかって一つになろうとするのがサタンの性格です。君たちもそういう思いをしたのでしょう? そこに美男子がいた場合には、心で慕いながら、「あの美男子を夫にすればいいな」と、夢で抱えながら、そういうふうになって恋煩いに引っ掛かってしまうのです。そんなになるのです。男もそうです。そんなものはヤクザな世界です。複雑に交わる曲線を通過したそれが愛というものです。

 エデンの園にはアダムとエバの二人しかいないので、そんなことはないのです。それが伝統になった場合には、さーっと絶対愛によって、自分の相対者が、生まれると共に分かるようになるというのです。寝ながらも、共に生きるのです。目をつぶってからでも共にです。アダムとエバはそうなるのです。堕落しなかったら、寝ながらも共に話が出来るし、夢を見るのも、二人で見るのです。だから、因縁も関係も一体になっているのです。

 堕落圏に立っているから雑多な思いを持つようになるのであって、堕落しなかったとするならば、唯一の思いでふた心はないのです。毒蛇は二つの話をします。舌が二つです。堕落した人間は、蛇の後孫を象徴するふた心を持っているのです。うそをよく言うのです。蛇は舌が二つです。毒蛇の特徴です。それで人を殺すのです。噛まれた場合には死んでしまうのです。

 あなたたちはふた心を持っていますか、ひと心を持っていますか? 二つです。心身が紛争するからです。きょうはここで、あすは家へと、自分の利益になると思ったら、いつでもそーっと出ていくのです。だから、芸者なんかみなそうです。愛を中心とした自分の価値が分からないので、金が必要になったら、何でもやって売ってしまうのです。豚よりも悪いのです。そういう者で、統一原理を分かる者は絶対生まれてきません。

 真の父母の名というものは、宇宙の根本から出発しているのです。神様は愛を中心として、神人一体圏を考えながら創造を始めておられるのです。大きく高いものをつくるには、小さいものをたくさん加えて、大きいものをつくろうとするのだから、愛の相対の要素をみな集めて、大きい男女を神様の相対になるように投入しているのです。宇宙のすべての存在を投入して、神の相対をつくるのです。そのような相対は、神の無形実相が実体実相として現れた宇宙なのです。

 名前は何と言いますか? (森です)。盛り蕎麦? (笑い)これも、森さんです。あなたは黙っていなさい。教育されて使われるのは、神聖な者になるのです。黙っていてよ。(笑い)これも森さんです。一遍、触って分析すれば性格が出てくるのです。そのように、すべての宇宙は、神に属しているのです。分野が低くても、神のある段階にいるのです。その様相がみな、二性性相を持っているのです。自分の性相と自分の性質を分け合って生まれてくるのと同じです。そういうふうになっているのだから、みな大きいものへ大きいものへ上がろうとするのです。

 小さい小さい川で、浅っぽい川で泳いでいると、深い所へ、深い所へ、深い所へ、大きい所へと、こうなるのです。みな、あなたたちの欲望もそうです。最初に生まれた子供の時は小さいおもちゃですが、女の子も男の子も夫婦になると、一つの国を願うのです。そこから、どんどんと大きくなっていくのです。日本の奥さんや旦那さんよりは、西洋の奥さんや旦那さんのほうが、となるのです。(笑い)そうなるから、女としては生きた男の旦那さんが必要となるのです。それで最高の王様みたいなものになろうと思うのです。だんだん大きくなるのです。最高の所まで行くと、欲望の最高の絶頂は、神を占領して、神を最も愛する秘密の宝のバッグに入れて抱えていきたいのです。

停止は滅亡と地獄に通じる、発展は繁栄と天国に通じる

 良心は神の愛を占領するような構造になっているのです。元になっているのです。先生が多年の苦労で、真理は何かを分かってみた場合に、がっかりしたのは「真理は空中のどこかにある」と思っていたのにみな、自分の座布団の下に入っていたのです。自分も知らなかったのですが、神様はどこにいるかというと、愛の最も深い良心の寝る所に神様がいるのです。分かりましたか? これは、「人の人」です。こういう「の」の字があるのです。人すなわち神です。それは一体ではないのです。相対関係の組み合わせが分からなかったのです。

 お釈迦さんが「天上天下唯我独尊」と言ったのも、自分の中に神様がいると思ったからです。それは解明されていません。垂直の決着点に良心の基盤があるから、その決着点に止まる主体・客体観念を発見できなかったのです。だから、仏教も出発時から、世界終着点の中心に立つことはできないのです。根本がはっきりしていないので、結果もはっきりしていないのです。しかし、統一教会は根本がはっきりしているし、結果もはっきりしているのです。だから、この思想は誰が何と言っても、世界を統一せざるを得ないようになっているのです。

 多方面の実験を経て先生は、良い頭を持っているのです。本当です。そういうふうに実験して、自分が成してみて、世界が反対しても堂々と成功しているのです。それは、原理の内容が、教えが正しいから、その結果はどこでも成功するのです。サタンの世界で原理を知る者は、どの世界でも完成者になるようになるのです。

 そこで、各国の人々がどういうかと言うと、「統一教会には立派な青年がたくさんいます。いやー、文先生は幸福です。ああいう者たちが統一教会に入って先生を援助するから」と言うのです。先生によって相対としてつくられたということを知らないのです。日本もそうでしょう。「勝共さんでなければ、日本は救えない」と、みな言っているのです。なぜかというと、「それは話もうまいし、説得力もあり、金には一銭も工作はしないし、正直である。そして奉仕的だ。そういう人は、日本中一億二千万の中に一人もいない。いくら探しても、統一教会以外にはいない」と言うのです。

 また、学者たちも統一教会の学生と付き合った場合には、「自分の孫より立派であり、孫嫁や孫婿と比較した場合に、自分の娘というのは、孫娘は勝手な者です」と。私たちは、神様みたいに投入して忘れて、投入して忘れて、高尚な相対理想を求めて、きょうの苦難を忘れて、あすへの希望に向けて進んでいくのです。だから、停止しません。停止すると、とたんに死亡と地獄に通じます。停止した瞬間に、そこから下がっていくので、滅亡と地獄に通じるのです。発展というのは、繁栄と天国に通じます。それが宇宙の真理です。だから先生の生活は、毎日一つでもプラスさせることです。プラスさせる人は停止しないのです。普通の人が山に登った場合に、「ああ、上がった」と座り込むのですが、先生は必ず三歩ないし、十歩数えて座るのです。

 そういう習慣が大切です。きのうよりきょうへと新しいものを神様は願うのです。分かりましたか? (はい)。きのうのように、三日以上も同じものであったら、神様は嫌うのです。回れません。回っても、新しい者を組んで回るから発展します。大きいものに向けて運動する理論になるのです。停止は、滅亡と地獄に通じるのです。繁栄は? (天国です)。プラスさせるのは、大きくなることは、繁栄と天国に通じるのです。君たちもそうです。

 統一教会に入った時には、統一原理を聞いて興奮して、御飯を食べることも寝ることできないで、「教会、教会、教会」と言った者が、十年たった場合には、ぺちゃんこになってしまっているのです。それは地獄の地獄で、再び立ち上がることができません。そういう者は、いくら統一原理以上であっても、真の真理に反対した者は蕩減しなければ、再び真理に立つことができないのが宇宙の原則です。一度落ちた場合には、再び帰るためには何十年の蕩減の生活が必要です。統一教会に入る時は堂々と立って入ったのですが、出ていってから再び入る時は、這ってでも入ることができません。恐ろしい所です。

 こういうことがみな、生活に必要な内容になるのです。真の父母が分かりましたか? (はい)。真の父母という名はどこでも必要です。鉱物世界でも、その観念を中心として愛につながって生きているのです。植物世界もその観念と共に、おしべとめしべがまとまって生きていこうというのです。昆虫世界も、動物世界も、人間世界も、人間を中心としているのです。人間が王様です。そういう観点から見た場合に、人間というのは、男と女は小宇宙というのです。愛を中心として、小宇宙というのです。それで、どこでも人間は通じないところはないのです。君たちも霊的にそういう願いが出てきた場合には、みな話せるのです。水中の魚とも語ることができます。神様は、それができないと大変です。みな通じるのです。愛は偉大なものです。そういう尊いものを失っているのです。

 だから霊界に入れば、それが一〇〇パーセント活用できるのです。見たい者を呼べば、すぐに現れるのです。何億マイルでも一瞬に飛ぶのです。愛の速度を超えるものは何もないし、愛の速度を止めるものはありません。分かりましたか? (はい)。だから、真の愛の道は直短距離(最短距離)を通じるのです。直短距離です。上から下に行くのも直短距離は水平以外にはないのです。ちょうど九十度の一点しかありません。それが最高の直短距離です。上下をそのようにつなぐ直短距離が真の愛の行く道だとすれば、平面的直短距離は、アダムとエバです。その直短距離も九十度だったから、九と十と、横的に一つになっているのです。これが元です。それが一つになって、大きくなっていくのです。家庭、氏族、民族、国家です。それが大きくなるというと、相対的に平衡を取るのです。

 だから、そういう意味において、男と女は平衡をたどり平等です。これが横的に一つになるには、愛を中心として平等になるのです。ですから、女というのは土です。男は永遠に近いのです。分かりますか? こういうふうにして、螺旋で発展していく無限の世界です。たくさんつなげて、縄をなうのと同じです。大きな縄と同じようになって、どんどんどんどんと回れば回るほど、宇宙の理想は個人から天宙までつながって、どこにでも通じるようになるのです。だから膨大な霊界も自分の活動舞台になり、遮るものは何一つもありません。

 そういう永遠の大宇宙旅行のために、理想の相対が必要であるというのです。一人では寂しいのです。宇宙旅行です。あそこは飛行機もいりません。何百倍のジャンボ以上のスピードを持つ車が、ちゃんと自分の命令によって可能です。夫婦が一双になって、神様みたいに、神様と共に生きるのです。(一部割愛)

善の全権時代へ

 これからは、旦那さんを再教育するのです。だから今、「女性連合」をつくるのです。旦那さんたちを再教育するのです。女の組織を強力な組織にするのです。奥さんとしては一か月に一回ずつ、旦那さんの報告をしないといけないのです。どこへ行ってきたか調査して、他の女と関係があった場合には、どこかにやってしまうのです。部落の女の最高司令官が、「男ちょっと来い。この天使長の輩!」と。(笑い)それを切ってしまうのです。それが必要ではないですか、要らないものは切ってしまうのです。自分の奥さんが相談して切るのに、誰が不平言いますか。そこまで教育して、男が願うような境地まで詰め込む内容を持っているのです。立派な旦那さんで、酒も飲まないで自分ばかりを愛してくれる旦那さんを願いますか? でたらめに凸凹の道を歩いてきて、ぼろみたいな穴ぼこを流れてくる愛の子供を持ちたいですか、どうですか?

 みんな女は、だまされているのです。全部うそです。出張すれば、そんなことは一〇〇パーセントがやります。それを知っていますか? 知っている、知らない? 旦那さんはうそっぱちのサタンです。エバがだまして誘惑したと同じです。それはもう、何千代も続いた罪の塊になっているから、そういうことは平気です。分かりましたか? (はい)。そういうものをみんな綺麗にしたくないですか? (したいです)。だから、先生の言うとおりにやりなさい(はい)。

 それで、今度帰れば、反対する者に「何が悪いですか、統一教会の文先生の何が悪いですか、誰が悪いと言いましたか? 行きましょう!」と言うのです。そして「話しなさい!」と。それで、三人ぐらいで連れていきます。「ああ、私が悪い」と言えば、「どこから聞いた?」「新聞社です」。では「新聞社に行きましょう」「その、主筆とか、局長、編集局長の所に行きましょう」。そこで、「誰から聞いた? それを紹介してください」と三人ぐらいで問い詰めた場合にはみな、逃げていくのです。分かりましたか? 今度帰ったら、先生が女の口を開くのです。今までは黙っているしかなかったのです。神様は黙っていたのです。長子権が立ってないから、父母権、王権ができなかったからです。今はそういう時代を越えているのです。

 全体、全般に、善の全権時代に入るのです。三者から統一教会が指さされて、何を言われても従っていてはいけないのです。それを戒めて教育しないといけないのです。みな悪いからそういうことをしないようにするのです。女の将軍になるように、五万人の将軍になるように、先生が指示して、日本に派遣致しました。口を止めていてはいけないのです。分かりましたか? (はい)。それで君たちは番頭さんとして、自分の地域を守ることも必要です。自分の子供がめちゃくちゃになってしまうのです。自分の一家がめちゃくちゃになっていくのです。自分の舅さんにもその話をするのです。旦那さんから引き詰めて、それから舅さんを連れて、「お父さんを証しなさい。お母さんを証しなさい」と言って紹介します。

 (先生に対する)悪いうわさが世界まで、広がったので、先生はそのカラーを脱ぐのに一生涯かかったのです。神様もそうです。アダム・エバが堕落した責任は神様も同じです。その責任を先生が持っているのです。だから、神様が先生を愛するのです。神様に似ているから先生を必要とするのです。

 先生が日本にいた時も、日本の女に、「私は君を愛します」と手を取ってキスした人は一人もいないのです。むしろ、女のほうが先生の所に入ってきて「救ってください」と言ったのです。そういう女を、妹として教育して、将来は立派な奥さんになるようにしてあげたのです。涙を流しながら、振り返りながら「すみません」と言ったことが、今も忘れられません。その女の子は今どこに住んでいるだろうね? だから、あなたたちに何を言っても、先生は堂々としているのです。あの美人のお母様はさておいてもね。(笑い)お母様に対する先生の使命はまだ完成していないのです。一つ、二つ、まだ残っているのです。お母様はそれをよく知っているのです。だから、真の父母の伝統をはっきり知らないというと、こういう複雑な世界において、それを治めていくことはできません。

 真の父母が必要ですか、必要ではないですか? (必要です)。なぜ必要ですか、なぜですか? (真の愛ゆえです)。いいえ。堕落したのだから、堕落から始めないといけないのです。堕落して偽りの血統を受け継いだのだから、真の愛とは関係ない立場に立っているので、真の愛を再び接ぎ木して、接触させて、再び自分たちが甘柿になるために、真の父母が絶対必要です。真の父母が立たなかった場合には、渋柿の枝から甘柿は永遠に結ばれることはできないから、甘柿になるために真の父母が必要なのです。こういうふうな説明をしないといけないのです。絶対必要ですか? 絶対の反対は何ですか? 何、不絶対ですか? (笑い)それが一番良いのです。何か反語を探すことに考える必要はないのです。不絶対です。(笑い)それは絶対必要なことです。いなかったら大変です。分かりましたか? (はい)。

過って生まれたのだから再び生まれなければならない

    図1

(先生が黒板に図1を書かれる)これが八段階です。分かりましたか? これも、これも、これもです。これがこれです。八段階です。一、二、三、四、五、六、七、八段階です。これは蘇生、長成、完成です。これは旧約時代、新約時代、成約時代です。これは六〇〇〇年の六〇〇〇年です。これは歴史的に過ったすべてを綺麗にして、平面的にも綺麗にしないといけないのです。だから、ここ(A)にいる五十二億というものは、みなこっち(B)から生まれて生まれて、こういうふうになっているのです。分かりましたか? 蕩減復帰です。過って生まれたのだから、再び生まれなければ、正しく生まれなければならないのです。

 だから、こういうふう(C)に生まれていった者が、こういうふう(D)に逆のほうに生まれるために、母の腹に戻っていかなければならないのです。分かりますか? 重生のために再び生まれるためです。そうなるというと、ここ(E)で家庭を中心として、家庭と氏族をつなぐには梯子が必要です。ここで絶対必要なのは氏族メシヤです。(先生が黒板に図2を書かれる)その一六〇か国の中心が再臨の父母です。真の父母です(A)。こっちから、蘇生、長成、完成です。国を中心として、これが氏族のメシヤです(B)。氏族メシヤと家

    図2

庭的四位基台が整うことによって入籍ができます。分かりましたか?

 それと同じように、この基準によって家族はみな、氏族のお母さんの腹の中に戻っていかなければならないのです。女と子供です。神様を失ったのは、女とカイン・アベルです。分かりますか? アダム家庭を失っているのだから、それを探さなければならないのです。それで、再び腹の中に入ってしまわなければなりません。

 全世界の女はお母様の分身になるのです。分かりましたか? (はい)。それはナイロンの細い線をずーっと、つないだのと同じです。電気をつければ、そのナイロンを通して電気がつきます。そういう一体圏をつくりなさいというのです。それはなぜかというと、お母様の心情を体恤しなければならないからです。分かりますか? お母さんが寂しくなった場合には、自分も何となく寂しく感じないといけないのです。一体にならなければなりません。

 だから、「お母様の分身になりなさいー」と言うのです。全世界の女は一人のエバだというのです。分かりましたか? (はい)。全世界の男は、堕落した復帰時代に入った天使長だというのです。分かりましたか? (はい)。エバの相対基準は、再臨の主、完成されたアダム基準です。アダムと関係しないで、反対の方向へ行った者が、再び帰ってきて、アダムと関係するようになるのです。君たちは今、そういう立場に立っているのです。分かりましたか? (はい)。

 そうなるというと、真の父は二人ではないのです。分かりますか? 女はみな真のお母さんの腹とつながった糸みたいに、電線でつながって電気がつくのと同じように、その腹の中に子供をはらんで、家庭的な父母は、家庭でのカイン・アベルを中心として、氏族的なメシヤのお母さんの腹に入るのです。氏族的なメシヤのお母さんの腹を通して、民族的なお母さんの腹、それで先生を中心として、一六〇か国のお母様までつなぐのです。それは民族から、国家、世界、天宙まで、三段階をつなぐようになっているのです。蘇生、長成、完成です。ここだけをつないでおけば、すぐに神とつながるのです。一六〇か国です。分かりましたか? (はい)。

 全世界に同じようなペースでもって氏族メシヤを送っているから、家族メシヤはアダム家庭であり、氏族メシヤはアダム家庭です。それは、先祖をなくした、統一教会の祝福をされた者たちです。それはアダム家庭と同じです。アダム家庭で先祖をなくしたので、先祖復帰が氏族メシヤです。それから故郷復帰です。故郷を失ったので、神の基地がなくなってしまったのです。

 それで、再び故郷が生まれることによって、神と同じく同居する時代に復帰していくのです。家庭から氏族、国家を通して、世界へつなぐ道ができるのです。だから生まれ変わるには、逆の方向に向かって、逆に戻っていって、真のお母さんの腹の中にみな入ったような立場に立つのです。「うわー、そんな話がなぜか?」と言うと、天国という所は真の父母の愛を中心として、真の子供の種を結実させた者たちが、地上で王権に侍り、王族として生きた者が、最初の天国に入って王族になるのです。王族の兄弟をたくさん重ねた場合には国になるので、国民が増えていくのです。分かりましたか? そうなっているのです。

 だから、王族圏の心情を体恤しなかった者は、理想の神様の本郷の国に入る資格はありません。これは何人としても、否定できません。神様の考えは、それ以上のことを考えるのですが、それが最高の考えであれば、そうならざるを得ないのです。だからアダムとエバは、神様の万能の王子と王女であったということを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。 分かりましたか? (はい!)。

 だから、その女が天使長と――。イギリスの王権は天使長と女がぺちゃんこになるのです。日本の男は、天使長の女とぺちゃんこになっているのです。もう、おしまいです。東洋の宮殿を代表して日本、西洋の宮殿を代表してイギリスになっているのです。日本がプラスである時は、東洋が中心であるから、イギリスを消化していかなければならないのです。そういう立場です。そうすれば、イギリスの中にはらんでいたアイルランドの旧教とスコットランドの新教が、このカイン・アベルを一つにして、それを生んで、一つの国をつくらなければならないのです。それが一つの国になっていないから今、紛争しているのです。

 それと同じように、エバはカイン・アベルを生んで、自分の子供と一つにするように、一族をしないというと、エバ国家を天国につなぐ道はありません。だから交差結婚をするのです。アダム国家はマイナスです。ちょうど、そうなるのです。だから、お母様も国に帰って、カイン・アベルを生んで一つにしなければならないので、韓国の四十か所の大学を中心として戦っているのです。カインとアベル、カープと共産党を一つにしなければなりません。今、もう一つになっているのです。

 それで南のカイン・アベルが一つになった場合には、北の本当の赤、こちらのだんだらの赤と向こうの真っ赤な赤を一つにすることによって、母がそれを生んで一つにすれば、イギリスの天使長、こちらはカイン圏の韓国の天使長、向こう(北)は堕落天使長です。それはいらないのです。分かりますか? (はい)。南北の青年がお母様と一つになって、先生と一つになって、一体となった場合には、彼らは堕落した天使長と天使の立場でみな後について行かなければ、おしまいです。だから韓国の国会は先生が整理するのです。それは、自動屈伏という内容でもってなすのです。血を流すような、打つようなことはしないのです。自動屈伏させないというと、サタンの反発を生むなどして、どこかにつながるのです。分かりましたか? (はい)。

 逆に過って生まれたのだから、蕩減は反対の方向へ行くのです。生まれるのも反対の方向にこういうふうに生んできたので、(図―1(A)参照)これは、サタン圏を全部勝利した後で、サタンがいないのです。だから「逆に帰れーっ!」と。そういうふうに再び生んだものが(図―1(F)参照)、地上天国です(図―1(G)参照)。分かりましたか? (はい)。そういうふうにして、真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです。

真の父母と重生

 これに、入ってくる時は左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るかというと、お母様が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。それは、新婦の立場で、新郎を迎えて一つとなるということです。分かりましたか? 分かりましたか? (はい! )。

 全世界がここに入ってきて、それからどうなるかというと、真の父母の夫婦関係によって、はらんだ子供、その者を、真のお父様の真の愛を中心に、真の子供の種を持ったお父様が愛の関係を結ぶことを、実感したあとに生まれたと同じようになるのです。そのような期間を通過しながら、お母様の腹の中に入った子供たちが、真の父の子供の種が真っ赤だったとするならば、愛の関係を繰り返すことによって、色が染められていって、ピンクからだんだん深まっていくのです。ピンクからでもそうなったとすれば、真の父母の愛と真の子供の種と接ぎ木したという、つないだということになるのです。分かりますか? こっちは本物で、こっちは偽物で、(先生がしぐさされる)兄さんと弟と同じです。分かりましたか? そういうふうに一つとなった状況をもって、それはずーっとこれを回って、母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していくのです。右のほうを通してです。

 国家的お母様の腹、氏族的メシヤのお母様、家族的メシヤ、復帰された一六〇の家族メシヤの基台に行って再び生むことになるのだから、サタンの血統とは全然関係がないのです。別個の天的本来の真の父母から出発した子女の立場に立つのだから、天上、地上天国に、お母様と真の父母によって、入ることができるのです。

 女は真のお母様に対して、(真のお母様が)お姉さんだとすれば妹であり、それから男は将来どうなるかというと、真の完成した第一代のアダムとすれば、それにハンダ付けして、復帰されたアダムとしてつくってあげることによって、第二番目の妹と第二番目のアダムは、その時に祝福を受けて、自分の相対を得ることができます。まずもって、お母様の腹から、女、子供を生まなければなりません。

 そのようにして生んだあと、生まれたあとに、それは、先生から見た場合には本妻と妾と同じです。分かりますか? その妾にはみな、たくさんの男が必要です。先生を襲撃したら大変だからです。それで、自分の旦那さんは絶対に女と一つになるのです。女が命令するのです。女が子供までも絶対命令することによって、天使長の立場に入るのです。分かりましたか? (はい)。天使長の立場に帰った者を、お母様とお父様が認定していくのです。それで、アダムには体があるのです。

 あなたたちの旦那さんをどういうふうに創造するかというと、(先生が黒板に図―3と4を書かれる)十六歳の時のアベルとカインのように(図―3の(A))です。このアダムが蘇生、長成から二十代へ、三段階を上がるには、これは長男と長女が上がるようになっているのです。分かりますか? 次男は上がることができないようになっているのです。それで、次男がここへ上がるには、長男の立場を蕩減復帰しないというと、上がることができないのです。蕩減復帰は次男の立場からやるのだから、長男の立場ではないのです。

 だから長男の立場を得るには、次男として、アベルがサタンの世界に出ていくのです。八段階です。それは個人、家庭、氏族、民族の八段階です。このようにして、アベルが次男としてサタン世界に出て、迫害を受けて自動屈伏して、長男として全体の支持を受けて、「君たちの言うとおりにする」と言って、故郷に帰ってくるのです。長男として帰ってくるのです。次男として行った者が、勝利して長男として帰ってくるのです。

 

   図4     図5

そうなると、サタンは、あとについて来て、次男の立場に立つので、長男のカインが次男の座、アベルが長男の座に立つのです。だから、ここに来て(図4の(A))押して上げることによって、こっち(B)に上がるのです。分かりましたか? (はい)。このことを繰り返します。分かりますか? 八段階です。こういうふうに上がっていくのです。分かりましたか? (はい)。このようにした場合には、この圏内はサタンに勝利したために長子圏が復帰されているのです。長子圏です。

 これを誰がやったのかというと、アダム完成実体なるアダムが成しました。これは十六歳の時のアダムの体に、勝利したアダム全体の体をつないだような立場になるのです。この圏内に五十二億の子孫が、サタン圏にあったものがみな、アダム圏のほうにまとまるようになりました。分かりましたか? こっちから、こういうふうに回って、こういうふうに来ているのです。(先生が図3・4の全体を円で囲まれる)こっちから、こういうふうに来ても、サタンは反対することができないのです。

 だから、再臨の主、アダム完成実体を打とうとして、サタンが八段階の攻撃して、次子圏を長子圏として打って蕩減復帰したので、長子圏でもって堕落しなかったアダムとエバ、長男、長女が上がっていくことができるのです。そこに上がった場合には、いくら下がっていっても、サタンは移行することができません。分かりますか? 自由圏です。だから個人からの八段階に、神様が離れていったけれど、先生が戦って勝利して、神様をお連れしたので、どこへ行っても自由自在に、先生と共に地上世界から地上家庭まで、どこに行っても同居するようになります。

天の地上天国顕現

 そうなったならば、世界の万民は接ぎ木だけすればいいのです。分かりますか? 接ぎ木は何かというと、完成したアダムの体を、渋柿に接ぎ木させてやるのです。本当は茎を切って、根っこを切って、こういうふうに接ぎ木するのです。こうやったとするならば、枝でもいいのです。これが三年ぐらいたった場合には、神様はこの根の力を吸収して(サタンのもので)大きくなりたいとは思わないのです。三年たった場合には、この接ぎ木された木から新しい芽が起こってくるのです。芽を出して、こういう芽が生えてきても、これを切ってしまうのです。サタンの因縁でもって、その力を補給してきた悪魔のものを受肉したくないというのです。分かりますか?

 そうして、これを肥料として、肥料として早く処理しなければならないのです。それであなたたちが、以前に結婚していて再婚したとするならば、前の旦那さんのものを再び結婚した男に見せたら大変です。姿もその表情も指すものではないのです。神様も同じです。

 エバが、再び結婚した立場に立って接ぎ木された場合には、接ぎ木は過去の因縁の茎の上に残しておくことはないのです。だから新しい根っこで切ってしまって、これを腐るようにして、みんな肥料として処理してしまうのです。分かりましたか? そういう接ぎ木をいうのです。接ぎ木は、臨時的であって、大きくなった昔の接ぎ木は何十分の一であっても、そのままにしておけば、全部が一〇〇パーセント、サタンの株につながるので、それは嫌だと言うのです。分かりましたか? 神様の接ぎ木は違うのです。

 こういうふうにして接ぎ木して、あなたたちの旦那さんを完成したアダムとエバがかわいそうにと思って、本当は元はアダムの体につなぐのに、十六歳の良心基準が第二の神の相対であり、絶対的なる良心が神の立場であった者が、堕落してこうなったのだから、完成したアダムが完成基準で、長成(期)完成級から完成期まですべてサタン権限を残してしまったのだから、アダムの上に再びつないでやったので、何千年、何千万年の歴史を通してたくさん生んだサタンの体であったのが、接ぎ木されることによって、アダムの体の延長として子供を生んだような立場の価値を認められることになるのです。

 接ぎ木されて、同じような完成した第二のアダムと、完成した第二の奥さんで、お母様とお父様の第二のアダム、第二のエバとして、そうして、その二人を組んで兄さんの後に弟が、兄さんは真の父母の後に兄弟の夫婦として天に入ることができます。蕩減復帰はこんなに複雑です。こうすれば、サタンは、それについて入ることができません。分かりますか? (はい)。

 血統的純潔で接ぎ木して、本然のアダムの体、完成したアダムの体を残してやったのだから、それを乗っ取ろうとすることはできません。個人から八段階を勝利したその基準にはみなアダム完成権限があるのだから、それに再び侵入することはできないのです。分かりましたか? そういうふうにして、女も、男も、子供もみな完全に勝利することによって、それが一体となることによって、天の地上天国が顕現するようになります。分かりましたか? 中にはこういうふうに、再びお母様の腹に入って、こういうふうになるのが(先生がしぐさされる)「真の父母と重生」という話です。分かりましたか? 真の父母と重生です。分かりましたか? (はい!)。覚えておきなさい。分かりましたか? 重要なことです。(はい!)。お母様の分身であるということが、はっきり分かりましたか? (はい!)。

 これが地上天国です。新しく生まれてくるのであって、サタンとは全然関係がないのです。これは、みんな男を失った者が、天使長と一つとなってきたことをみんな切ってしまってどうするかというと、再び完成したアダムが勝利を接ぎ木してやることによって、第二のアダムとして、第二のお母様のエバとして立っている相対と組んで、堕落しなかった姿で、長男と次男の夫婦が天国に共に入ることができるのです。

 こんなに復帰が複雑なのに、キリスト教を信じていて救われるというのですか? 分かりましたか?(はい)。

 「真の父母と重生」が分かりましたね?(はい)。蕩減復帰によって、こういうふうにならざるを得ないのです(図―1(D)参照)。こういうふうに生まれた場合には(図―1(F)(G)参照)、地上天国です。ここはサタンとは全然関係ないということです。だから、真の父母が絶対的に必要なので、そこに生まれた者は絶対的に神に属することができるということが分かりました。

 それから、第二の旦那さんをいかにもらうかということです。妾の女が再び結婚するには、妾の男が必要です。二番目の男と同じです。それをもらうことで同じ立場で一つになって、長子と次子のカップルとして、神の国に入ることができるのです。分かりましたか?(はい)。

本当の純潔の祝福家庭となるには

 これは話しておかないと、君たちが今からの地上で解決する、直接解決する問題です。問題の言葉です。先生が成し得たすべてを君たちは、こういうふうな戦いの反対、サタンの反対圏内ではなく、歓迎圏内で氏族を中心として回復するようになっているのです。統一教会の真の父母と全世界の女たちが兄弟として、こういうことをなすようになっているのです。それが統一教会で、統一教会の世界本部で、先生を中心に、お母様を中心として、こういう運動がなされていることを忘れてはなりません。

 父母様は絶対必要ですか?(はい)。どのくらい必要か考えているだろうね。「いやー、重生。第二の祝福家庭」。これは原理にないことです。原理タイプに合うようにして、ハンダ付けをして神の国に入るのです。あなたたちは三代を通過しないと、本当の純潔の祝福家庭にはなりません。同じ過去、蘇生、長成、完成期だから、第一次先祖失敗、第二次先祖、第三次先祖の四十年間を迫害したという基準が残っているから、第三代までは忠誠を尽くさなければならないのです。家庭的に、長男においては天使長家庭として忠誠を三代尽くさなければなりません。分かりましたか?(はい)。

 アダム家庭蕩減、イエス様家庭蕩減、再臨の家庭蕩減、三代の忠誠を尽くさないといけないのです。分かりましたか?(はい)。向こうの後ろに立っている者、分かりましたか?(はい)。

 こんなおとぎ話みたいなことを、現実に成していくということです。だから、こういう内容を知らないと、先生が分かりません。先生がいかに必要かということは、こういう内容を知ることによって、いかに必要かということが分かるのです。絶対的か、相対的か、それは君たちが決めるようにするのです。相対的ならば相対の立場に立っても、地獄には行かないのです。中間で待っていながら、何千万年も訓練していくのです。

 そういうふうにやりたいか、積極的に先生の言うように、「ぴゅー!」と、先生と歩調を合わせて一体となっていくか? それは自由です。中間に立って見ながらやるのと、どっちですか? 直接ですか、間接ですか? (直接です)。直接ですか、間接ですか? (直接です!)。直接ですか、間接ですか? 直接を願う者は、手を挙げてみなさい? (はい!)。みんな、欲望ばかりだ。(笑い)ただ、そういうように手を挙げただけで通過すればいいのだね。(笑い)そうはいきません。

 蕩減の過程が残っているのです。イエス様が言うように、「誰よりも愛せ」「自分の十字架を担って、誰よりも私を愛さなければ、私の弟子になることはできない」と、はっきり言っているように、自分の十字架は、各自が蕩減があるのです。先祖が違うと同じようにです。それは歴史的連帯罪とか、自分の直接つくった罪とか、歴史的罪があるのだから、みんなそのレベルが違うことによって蕩減量が違ってきます。分かりましたか? 分かりましたか? (はい)。それを総合的に摂理総決算するには、一六〇軒を早くすることによって、総決算になります。分かりましたか? (はい)。

 第一先祖、第二先祖、第三心情先祖をつないで、自分の子孫たちにも同じ立場で祝福して、それを平面に立たせた場合には、数千代が入籍して大移動が起こるのです。日本人は、エバ国家になっていても、そうなった場合、アフリカに大移動していくのです。それが、統一世界です。全世界に散らばるのです。それで、全世界に先生が早く混じっていくのです。孤独にならないようにです。分かりましたか? (はい)。

 日本人が世界的に混じっていくのです。韓国人も散らばっているのです。韓国人の男も、女も韓国の政治体制の不均衡のためにみな世界に行っているのです。帰ってくればチャンピオンです。だから今から、日本の女を送ります。日本の女を送った場合には、韓国の男を送ります。父母の代わりです。分かりましたか? (はい)。

 日本の男女、家庭的な父母家庭になるのです。未来において、将来、総理になった場合には、男一人が総理にはなりません。それはカイン・アベルと父母が一つになって総理になるのです。夫が総理になった場合には、副総理は奥さんです。それから重要な部署はみな子供たちが治めるのです。そこには暴力とか詐欺は通じません。原理原則を中心としてやっていくのです。そうなると、その家庭には、総理家庭として侍るようになるのです。分かりましたか? (はい)。腐敗した組織体制、政治体制はなくなります。謀略、戦略、戦術でもって、やりくりする国家のように、サタン的手腕でもって悪辣な者が上に行ったり、下に行ったりする、そんなことはできません。原則的な世界に向かっていくのだから、そういう時代になってきます。

 それで、未来にどうなるか分からないのだから、家庭を中心に転覆しなければならないのです。世界が原理的に分かるようになっている統一教会の人たちは幸福です。こういう混乱なる世界を泳いで、自由に花園、彼岸に向けていくらでも泳いでいくことができます。分かりましたか? (はい)。先生に感謝しますか? (はい)。反対したら、「謝感」です。感謝の反対は謝感です。(笑い)君たちは、感謝というが、先生から反対見たら、謝感です。感謝してるの? (はい)。どのくらい? それは表示できません。何千万年の功労が、こんなにたやすく得られるのです。だから、真の父母の心は、いかに投入して、投入して、投入して、無限に投入して、自分の夫を求めてきたという、神様の親の心情で感謝する以外には何もありません。分かりましたか? (はい)。そういうふうに心にとめて、もう時間も過ぎましたね。

氏族メシヤ

 1993年12月20日 韓国・済州研修院


神の願いは親を訪ねていくこと

 エバは、真の父の話を絶対(視して)聞けばいいのです。(はい)。今、あなたたちの使命を先生がやっているのです。先生が乗っ取って蕩減復帰したので、先生が言うとおりにやるのです。五万人、まずもって完了しました。それは誰も信じませんでした。分かりましたか? 先生が言うのだから、やってみなさい。やってみてから不平を言いなさい。みな日本の輩たちは、先生が命令したら、「日本の現状に合わない」と、みんな足の下に敷いてしまうのです。そんなことでは、ぺちゃんこになるのです。主体を無視する客体はあり得ないのです! 分かりましたか? (はい)。誰が主体ですか? (お父様です)。お父様が主体です。

 日本は国がないのです。お母様は国がないのです。エバ国家がないのです。エバ国家の上に新婦として立つべきなのに、その国がないのです。英米仏。英国の代わりに日本を立て、日本の国をつながないといけないのです。全国がそうなり、女の国教の国になったと同じようにです。分かりますか? キリスト教の国教の国になったと同じように、先生と女だけが完全に一つになれば、男は反対しても、それは自動的に消耗していくのです。

    図1

 だから、神様の願いは、親を訪ねていくことです。第一先祖が失敗したことを、イエス様を中心として蕩減復帰しなければなりません。メシヤを中心として、家族基準を中心として、国家基準を願って、それを完成しようとしたのですが、これ(A)も成せないし、これ(B)も成せなかったのです。再臨の主には、一、二、三。全体です。ここを復帰しなければならなかったのです。第一先祖の失敗を復帰しないといけないのです。第二先祖の復帰がこれ(B)です。同じです。分かりましたか? これをこう(A)。これがこう(B)なるのです。分かりましたか? (先生が図1を書かれながら説明される)

 これが第一先祖、第二先祖、第三先祖です。再臨は第三完成のアダムです。国家的、世界的基準です。これを全部横的平面を中心として、一代完成、二代完成、三代完成です。世界的に、これはこうなってぷーっと押せば、(先生が両手でもって押すしぐさされる)こうなるのです。地上平面に立つのです。分かりますか? アダム家庭も平面で完成基台を願ったのです。イエス様も平面です。平面でなければ、縦的国家を中心として神様が介在することによって、縦的定着期間の基準が狂ってしまうのです。その定着基準は、この中心とこの中心です(先生が(A)(B)の丸を示される)。分かりましたか? だから、これは六〇〇〇年の歴史を通過してきます。六〇〇〇年です。

    図2

 これは何かと言うと(先生が図―2を説明される)、第一アダム(A)、第二アダム(B)、第三アダム(C)です。これは神様から見たら、六〇〇〇年かかったのですが、これは第一長男、次男、三男です。分かりましたか? (はい)。これを、縦的な基準がここにきて、ここへずーっと(縦的に下りてきて(D))定着して完成した場合には(D)、第一先祖、第二先祖、第三先祖と、平面圏に(E)伸びるのです。第一先祖はこれです。分かりますか? これは第二先祖です。これを中心としてイエス様です。これが結局、第一、第二、兄弟になるのです。兄弟です。兄弟は平面上に立ちます。分かりましたか? (はい)。

 だから、縦的な六〇〇〇年間、三代の第一、第二、第三の先祖は、神様から見た場合には、三番目は、第一の子供、第二の子供、第三の子供になるのです。それが平面的に、アダム完成自体も平面的完成すべきことが、平面で成されなかったのです。平面になるというと、それは三代が平面で、三人の子供になるのです。兄弟関係になるのです。分かりますか? (はい)。

 平面は兄弟関係です。そうでしょう? 長男、次男、三男です。これは平面的です。これは縦的ではないのです。神様から見ると、神の地上完成を定着した場合には、これをそのまま延長すれば、これ自体を延長したと同じように、歴史的な六〇〇〇年の三代の先祖は、平面的に一度にこういうふうになるのだから、それは三人兄弟の立場に立って一平面圏に入るのです。それを四十年間で蕩減しないといけないのです。一代でもって、父母を中心としての三人の子供が、地上で定着することができるのです。分かりましたか? (はい)。

 そうなるというと、これは第一先祖、これは第二先祖、これが第三先祖になるのです。完成はここでしたのだから(D)、孫の立場が、この三番目です。これは三代から見た場合に、それは孫と同じです。孫の立場が兄さんになるのです。お父さんが二番目になるのです。それから三番目が王様になるのです。完成したのだから、家庭基準ではなくて、世界的です。一代は家庭基準、二代は国家基準、三代は世界基準です。勝利した基準から見た場合には、世界が中心になるのです。世界がお父さんになって、国家がイエス様、国家基準になるのです。アダムが家庭基準になるのです。分かりましたか?

    図3

 そうした場合に、勝利圏から見た場合には、全権は長男が持つべきなのに、それを三男が持つようになるのです。だから、三男が全権の兄さんの立場でもって、次男と長男に分けてあげることができるというのです。それで、長男と次男が(先生が図3を書かれて説明される)こういうふうに祝福されて、次男もこういうふうに分けて(A)、自分の国を同じ立場に立たせてくれるのです。三男も同じくここまで、こういうふうにして、こういうような同じような立場です。同じ価値観で、それは平等になるのです。分かりましたか? (はい)。そういう時代がやって来るのです。

 それで、一九九二年八月二十五日を中心として、三万双の結婚式をしたのです。その時には、その親は、第一の先祖の立場と同じです。それは第二の親、第三の親になっているのです。こういうように見た場合に、これを勝利した者をみな同じ権限でもって祝福するのです(B)。だから一週間だけ修練すれば、七〇〇〇年の期間を費やして祝福家庭を求めてきた七〇〇〇年の功労、七〇〇年のイエス様の定着、イスラエル民族安着、それから七十年代を中心に、これを七十年で蕩減し、それから、七年の蕩減になるのです。それが一週間に入ってしまうのです。だから、海水が満ちて、それが引いていく時は、その時間的感覚は数分間なのです。そこに立った人は、苦労しなくて平面基準に立つことができるのです。分かりましたか?(はい)。

 その平面基準の表面の権限まで先祖たちを同じに祝福したのだから、それに属する後孫は、自分の父母が祝福されたものを、そのまま相続するようになっているのです。第一先祖圏のその子孫全体は、何千代を並べても、それは父子関係でつながるのです。分かりますか? お父様が無条件に祝福したものは、その子供が無条件に相続し得るのです。こういうようになると、自分の父母を子供たちが、祝福家庭の自分たちの氏族メシヤとして、お父さんお母さんに、三代で、おじいさん、お父さん、兄さんが屈伏するのです。氏族メシヤが絶対に必要です。

 そうすることによって、自分の親をアダムの完成圏の立場に立たせるのです。分かりましたか? 自分の親は何ですか? (アダムです)。堕落しなかった一代の完成圏に立つ氏族メシヤです。

氏族メシヤの三大重要項目

 (氏族)メシヤの重要項目、重要項目。三大要目は何かというと、第一は先祖復帰です。第二は故郷復帰です。第三は神と同居です。氏族メシヤでエデンの家庭を復帰しないといけないのです。分かりましたか? (はい)。

 自分の先祖、自分のお父さん、お母さんを復帰してあげることによって、一族を復帰してあげることによって、アダム家庭が堕落しないで氏族圏を成したと同じような立場になるのです。氏族圏をまとめることによって、家族、氏族、国をつなぐのです。全世界の一六〇か国宣教師を中心として、国の中心は先生になるのです。真のお父様、父母です。祝福家庭はイエス様の立場であり、そのイエス様のお父様が第一アダムだから、祝福された家庭のお父さんをアダムの立場に立たせておいて、アダム家庭を復帰することによって、アダムの時に失った先祖を復帰するのです。分かりましたか? (はい)。

 それから、二番目は故郷がなくなったのです。故郷がなくなったのですから、神様も追放してしまったのです。そのようにして、神様と一緒に住んでいた環境から神様がいなくなって、サタンと住むようになったのです。それを再び整備するために、氏族メシヤは必ず家族メシヤを復帰しなければならないのです。家族の責任は、堕落したイエス様時代の失敗の復帰です。それで祝福家庭は、イエス様が祝福を果たせないで死んでしまったのだから、祝福家庭はイエス様の祝福をなした基準なので、三十三歳にならないと生活できないようになっていたのです。分かりましたか? (はい)。

 イエス様の家庭を完成した場合には、イエス様の先祖がアダムです。アダム先祖に直系的に立つのが氏族メシヤ、自分の父母しかいないのです。分かりますか? だから父母を復帰することによって、氏族メシヤ、イエス様完成、アダム完成になるのです。

 こうなった場合には、この祝福を一週間でやった場合は、それに伴う代々の後孫もみな祝福されるのです。分かりますか? いくら何千代でも、これをつなげて(図―3の(A)参照)父子関係でもって、平面的につなぐことできるのです。だから祝福は、第一代、第二代、第三代を平面的に置いて、一編に祝福してやることができます。分かりましたか? (はい)。

 第一代の自分の父母たちは、統一教会の食口たちを拉致したり、反対したり、サタンのようなことをそっくりやってきたのです。その家庭を完成した先祖として祝福するのです。真の父母という名前のある所には、サタンは関係ないのです。サタン世界をみな勝利してしまったのです。分かりますか? だから過去が整理されて、それから、八段階の現在の全世界のサタンの権限もみな消化するようになったので、過去、現在が清まると、真の父母の名前に属した場合には、サタン権限とは何の関わりもありません。

 サタンの世界は長成(期)完成(級)の基準であって、真の父母の段階は完成(期)完成(級)の基準であり、直接、神主管圏内に入るのだから、サタンとは何のかかわりもありません。そういう基盤が立った場合には、それは、ずーっと復帰されてきた、反対していた者が降りて、蕩減復帰(完成して)聖別することができるのです。分かりますか? 勝利したその者をみな復帰して、サタンをみな征伐し、なくすることができるのです。だからサタン自体も、それを知れば自動的に屈伏してくるようになるのです。分かりましたか? (はい)。

天的入籍の氏族メシヤ

 そういうふうに平面的に見ると、人類というものは、(先生が図4を説明される)これが宗教圏です。これが非宗教圏です。だから人本主義とか、共産主義とか、フリー・セックスとかはみな非宗教圏です。その宗教圏、非宗教圏は、非宗教が政治世界になっているし、宗教圏は良心圏になっているのです。良心圏を代表した宗教統一が「世界平和宗教連合」であり、その反対に、肉的世界を総合した政治的な世界の「世界平和連合」、先生が内的な宗教と外的な政治世界を握って、これを回れ右しているのです。回れ右をして、方向を一八〇度転換するのです。

       図4

 そして、それが一つになったのです。共産主義と民主主義が一つになったのです。イエス様の死によって、左の強盗、右の強盗の讒訴圏でもって死んでいったことで、世界に向けて戦を展開してサタンの権限で、キリスト教を迫害してきたのですが、再臨の時は再び死なないで生きて蘇ってきたのです。だから、イエス様自体が左翼と右翼を統一し、天下を統一するというのです。カインとアベル、左翼と右翼です。分かりましたか? それを成そうとしたのに、成せなかったことを再臨の世界的な基盤において、民主主義と共産主義の悪辣な最中に収拾していくのです。それからイスラムまで、バラバ圏までを一つとすることによって、初めて回れ右をしていくのです。

 だから、右翼と左翼がこうなって、(先生が両腕を広げてしぐさされる)サタンのイシマエルが前に立って、悪が、サタンが前に立って、キリスト教は後ろに立って、神はその前に立って、それが後ろになった場合には、こういうふうに回れ右をして神の前に、神とキリスト教が一つになって、それから再臨の主が一つになって、右翼と左翼が統一されて、反対圏がなくなったので、全体が神の前に前進することができます。分かりましたか? (はい)。

 だからソビエトに、先生は緊急に手を着けたのです。二年八か月でイエス様がやったようにです。それは反対圏で三年以内に収拾しなければならないのです。だから、「変革の風」を見たでしょう? (ロシアにおける統一運動)ビデオです。それで今や、文先生の思想でなければ、何もやることはできないのです。ひょっとすれば、アメリカよりも先立つのです。なぜかというと、それは放蕩息子や娘が帰ってきた場合のようにです。先生は金日成を放蕩息子として扱ったのです。それで訪問する時は、放蕩息子に対する父母の心情で訪問したのです。だから忘れられないのです。兄弟であれば忘れるのですが、父母の心でもって訪問したのだから、何となく情的になって、そこに根が一体となって忘れられないのです。今、そう言っているのです。だから、放蕩息子を迎えていくので、兄さんたち民主主義が反対するのです。

 そうなると祝福して、放蕩息子に宴会をして、指輪をつけて新しい着物を着せてやると、兄さんが帰ってきて、「自分の罪でこういうことになったのに、放蕩息子の弟に対して何ですか!」「何言っているのか。君の財産ではないよ。お父さんは、君たちが放蕩息子の弟を親よりももっと愛するべきなのに、何じゃーっ!」と、放蕩息子に、かえって全財産が移行していくのです。だから、後の者が先になり、先の者が後になるという、聖書の話のようなことになるのです。分かりましたか? エバもそうです。果たすべき使命を果たせなかった場合には、代理の者が、後の者が先になって相続していくようになっているのです。洗礼ヨハネも、ペテロのように努力する者に奪われていったのです。努力するペテロが洗礼ヨハネの権限を握ってしまったのと同じです。分かりましたか? (はい)。

 だからこういうふうにして平面的に全部同じ立場に立って、家庭的祝福だけを受ければ、家庭出発を神を中心としてつないでおけば、アダムの家庭がサタンを中心に出発したことを、全世界で蕩減復帰して、先生は蘇生、個人復帰、家庭、氏族、民族、八段階のすべてを平定して、垣根を崩してしまったので、ずーっと通じるようになっているのです。先生に連れられて、どこでも神様は往来するようになりました。だから、五十二億の家庭の前に、真の父母の家庭ができて平面的に接ぎ木していくのです。それが祝福です。

 それで新しい国に入る時には、サタンの血統的系列の先祖入籍ではなく、天的入籍をして新しくなるのだから、それには必ず氏族メシヤの一六〇軒の家庭を収拾して、イエス様が一二〇を失敗したことの蕩減をして、世界基準において国家が生まれてくるのです。

 今から、その国家に入籍するには一六〇軒の者を収拾して登録するようになっているのです。その一氏族を中心として、何千、何万の家庭、何十の氏族メシヤが生まれてくるのだけども、それらはみな後孫になっていくのです。そのように平面的になったのを、再び神の国によって、縦的に系列の先祖を後孫までつないでおかなければならない時代になったので、四〇〇〇名以上の者が同じ時に祝福を受けたとしても、同じ日に受けたとしても、それは第一代、第二代、第三代。第一兄さん、第二兄さん、第三の弟というように、平面的に同じ祝福を受けても、国家に登録する入籍の順番は、先祖となり、後孫となるという問題が起きてくるのです。

氏族メシヤと摂理的総決算

 だから、それを解決する秘訣は何かというと、氏族メシヤの使命を着地化させるということです。全世界に発布しているので、全世界が氏族メシヤを中心として、南北統一圏ができた後すぐに入籍になった場合には、超国家的に移動が可能です。

 共産主義は世界的に大移動をして、スターリンは、韓国人でサハリンに行った者や、中央アジアの砂漠に行った者をみな、ほうりっぱなしにしたのですが、韓国人は強い民族なので、その中で部落をつくって中心的な民族として立派な生活をしているのです。大民族移動が可能になります。

 日本がエバ国家になった場合には、韓国と日本の国境はすぐなくなってしまうのです。そして、天使長国家は中国です。中国をアダムとエバが抱擁するようになるのです。分かりますか? そうしたら、天使長は何も持っていません。今そういうような一番最低の位置に立っておる中国を援助して、子供のように抱擁しないといけないのです。そうすれば全世界が、東洋文明と西洋文明が、カイン・アベルが、アベルはアジアの精神的文明であり、カインは物質文明であり、体を象徴するのだから、自動的に中心にアベルが立場に立った場合には、カイン圏西洋文明圏は自動的に東洋で一体になるのです。分かりましたか? (はい)。

 そういうことを中心に、今、内的処理問題に先生は手を着けています。ところで四〇〇〇名が今、氏族メシヤを果たして登録する場合、四〇〇〇段階の先祖として登録するのです。それは同じく祝福された場所でもって、四〇〇〇先祖が生まれてくるのです。大変なことです。霊界に行った場合には、この四〇〇〇の先祖の蕩減が大変です。だから氏族メシヤの権限を早くやれば、全霊界が動員するのです。分かりますか? 特に、善霊界の女たちは総動員しているのです。だから信念を持ってやれば、信念に作用して、すぐに氏族メシヤ権限をもって祝福させることは問題ありません。だから、氏族メシヤが分かれば、みなやってしまうのです。分かりましたか? (はい)。

 このようにすることによって、全世界が「摂理的…」何と言いましたか? (総決算です)。摂理的総決算で、すべてが解決するのです。分かりましたか? (はい)。氏族メシヤを早く入籍することによってです。全世界の統一教会に同じく、氏族メシヤ発布をしているのです。分かりましたか? (はい)。

 それで、国が一つになって登録するには、列をなして大変です。全世界が登録されるのに、十年以上待つかもしれないのです。だから太平洋も、トンネルを掘らないと大変です。日韓トンネルなどです。だから、サタン世界はめちゃくちゃになるのです。

四大心情圏と三大王権

 1993年12月21日 韓国・済州研修院


四大心情圏についての公式的な骨子 

四大心情圏について話しましたか? (まだです)。チョークは? (先生が題目を板書される)。これは、何と読みますか? (四大心情圏と三大王権)。何の意味ですか?

 周藤君。(はい)。四大心情圏について、ちょっと話してください。公式的な、骨子だけです。(はい)。よく聞きなさいよ。


 (それでは、「四大心情圏」について、簡単に骨子だけをお話し申しあげます。四大心情圏は、元々神様が創造の理想として持たれた構想理想をいかにして実体化するかという、その基本的な神様の計画であります。そして神様ご自身も、自分の中にいかなるものを持っていらっしゃったとしても、環境という相対圏を持って、その授受作用によらなければ喜びがありません。だから、その爆発的な喜びを経験するためには、どうしても、神様ご自身の性相と形状を実体化しなければならないという基本的な原理があるのです。

 したがって神様は、その中心として人間を創造されました。そして、神様の元々の構想理想では、アダムとエバを、神様の中において双子の兄さんと妹として構想され、それが具体的に誕生して、アダムとエバがこの地上に実体の、子女として展開しました。そして、それがさらに、環境と授受作用して成長して、アダムとエバそれぞれに、基本的に四つの愛、すなわち第一心情としての子女の愛、第二心情としての兄弟姉妹の愛、第三心情としての夫婦の愛、第四心情としての父母の愛という、この四つの心情を完成することを通じまして、それを一点において一挙に完成させて、神様もそこに同時に参加して、爆発的な喜びを体恤するという構想理想を神様は持たれました。

 そしてそのために、まず子女の愛が成長し、そして兄弟姉妹の愛、さらに夫婦の愛となってきますが、その子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛は離れたものではなく、それぞれ一直線上に連続的に存在するものであります。そして子女の愛の基盤の上に、兄弟姉妹の愛が成長し、兄弟姉妹の愛の基盤の上に夫婦の愛、最後に父母の愛という四つの心情圏が、アダムとエバが初めて夫として妻として一体化する初愛の瞬間に、一挙に完成するようになっていたのです。そのようなアダムとエバの結婚によって、子女の愛が完成し、兄弟姉妹の愛が完成し、夫婦の愛が完成して、さらに父母の愛が出発できる条件が成立するのです。その一点にまた、同時に神様ご自身も降りてこられて、神様も共に同じ経験をするというのです。

 そして、このアダムとエバの結婚の時には、実に全世界のプラス・マイナス、陽性実体・陰性実体が一体となるその瞬間であり、天使界も共に賛美する瞬間であり、そしてさらに、神様ご自身もそれに参加するのです。そのような意味において、神様の性相と形状がその時、同時に一つになるのです。

 しかし、神様の性相と形状が一つになることが内的に優先し、それが原因であり、その結果として、人間のアダムとエバが一体化するというのです。そういう意味において、神様がいつも優先し、先行しますけれども結局、アダムとエバの結婚のその時は、実に神様ご自身の結婚式でもあるのです。そして、その結婚によって、アダムとエバ両者は相互完成して、神様の愛を占領し、同時に神様もそこで完成するという素晴らしい理想なのです。その中心点がすなわち、四大心情の定着点であり、その一点が正に神様の住みたもう場所であり、それが至聖所であり、また同時に三宮すなわち、真の愛の本宮であり、真の生命の本宮であり、真の血統の本宮であるというのです。そこに永遠なる愛というものがあり、神様と人間が縦的横的な愛において完全に一体化して、永遠の基準となり、そこから具体的に神の永遠なる家庭、永遠なる氏族、民族、国家、世界、天宙、地上天国、天上天国が出発するという理想の一点となるのです。

 ですから、その愛の一点こそが重要なのです。しかし、堕落によって、そこにサタンが侵入したというのです。ですから、その至聖所を本当に守らなければならないのが私たちの立場であります。そしてそこから生まれる新しい生命は、神様がアダムとエバを創造した時に投入した基準を経験し、さらにまた神様が人間を愛する愛の基準を、自分の子供たちをすべて無私の愛で愛することによって体恤して、神様と同等の実体となっていくのです。そのようにして結局、人間は見えない神の実体として、第二の神として、第二の創造主としての立場に立つことができるのです。

 こうして神の構想理想が四大心情の定着点において完成するというのです。正にこれは天地創造の秘密であり、そして最高の中心点がその一点であり、それによってこの四つの心情圏が完成するのです。しかし堕落によって、それを失ってしまったのです。ですから、それは真のアダムによらずしてはできず、特に女性は真のアダムを通じて今、初めてそれを復帰できるのです。すなわち、お父様によらなければ、この四大心情の復帰の道がないということです。その素晴らしい恵みを私たちは今、この場所でもって受けているのです。どうも、ありがとうございました)。(以上で周藤先生の説明が終わる)


四大心情圏は、神様の心情圏を完成するための標本

 (先生が黒板に図1を書かれる)四大心情圏は、(人間始祖が)堕落した以降の問題ではなく、堕落以前の神様の心情圏を完成するための標本です。テキストです。「万民は、こういうような公式的基準によって天国に入る」という、その標準的な公式です。そういうようなことです。神様は無形実体なのです。形は見えないのだけれど、実体を持っているのです。無形実体の神様は、性相と形状をもっており、愛を中心として一つになっていたのです。

    図1

 いくら愛を中心として、その体内で一つになったとしても、心臓の中で鼓動がたくさん動いていても、感じないのと同じです。一つになった場合には、相対的に感じることが難しいので結局、相対的な存在をつくることによって、衝撃を受けるのです。すごく爆発的衝撃を受けるのです。だから、相対と向かい合うことによって、作用が始まり、それがどんどんどんどん深くなって、愛という力が生まれるのです。

 それでアダムとエバは、結局、神様の見えない姿そのものを全体的に表示して、実体化しようとするのが創造の目的なのです。実体化したその目的は何かというと、愛の相対のために、愛を完成するためです。その内的な愛が、外的な相対を中心として一つになることによって、衝撃を受け、衝撃を受けることによって、それは高い喜びを感じるのです。

 結局、神様の見えない実体がアダムとエバによって展開されるのです。そうすると、神様の無形実体内で、神様自体も一遍に大きくなったのではないのです。だんだんだんだんと大きくなってきたというのです。一遍に大きくなったということになれば、それは大変なことになるのです。すべてのものは、小さいものからだんだんと大きくなるのです。

 だから、神様自体がずーっと成長してきた内容を中心に、それをさらに展開しようとするのです。それは子女として、子女の形で、子女の心情、それから兄弟(姉妹)の心情、夫婦の心情、父母の心情という四大心情を中心として展開するのです。神様自体がそういう過程を通過してきたのだから、それを表面的に実体として展開していくのです。それは子女の立場で始まるのです。子女がどんどん大きくなって兄弟(姉妹)になり、兄弟(姉妹)が大きくなって夫婦になり、夫婦関係でもってある期間を通過しながら、父母になるのです。その内容のすべては、神様がずーっと成長してこられた内容を実体的に表示したものであり、だから神様自体が、どのようにして大きくなってきたかということを、アダムとエバを通して実体的に体恤するのです。

 君たちも奥さんになってみて、夫婦生活して、子供を生んでみるというと、その生まれた子供は男であり女であったとしても、自分たちの過去の姿であり、大きくなったお父さんお母さんの第二の表示体として体恤するのです。子供たちを見ることによって、自分の妻が過去にあのようにして大きくなってきたということを知るのです。娘はむしろお父さんに似ているのです。しかし主にお母さんを中心として、再びそれに似せて合わせて見ることができるのです。

 男の子は自分の夫の過去を思い出させるのです。大概、男の子の性格はお父さんに似るし、女の子はお母さんに似るのだから、その子供たちを通して、自分たちの過去を再び展開して感じることによって、自分という実体をはっきり分かるとともに、子女を中心として、その愛の刺激によって、どんどんどんどんと自分の内的覚醒、外的覚醒がなされていくのです。

 子供を育てていくことによって、いろいろと内面的な喜びが拡大していくというのです。そのようにして、人は子供を生んで、それが兄弟(姉妹)となり、家庭においては、兄さんと妹になるのです。兄さんと妹として育って、ここから別れてくるのです。

第一に子女の愛

 神様と子女は二重になっているのです。男と女、二重に展開して別れてくるのです。男は男なりに、女は女なりに完成に向かって、別れた立場で成長していかなければならないのです。女は西のほう(A)、男は東のほう(B)にやって来るのです。(先生が図1を示して説明される)ここが二重に(C)、神様を中心としてずーっと降りてくるのです。子供を生んで、その子供が大きくなることによって、いつも父母を中心として関係を持つようになるのです。子供は父母によらなければ習うところがないのです。父母を中心として大きくなるのです。お父さんお母さんを中心として、子供たちはすべてを習うのです。だから、大きくなるためには、いつも父母を中心とした関係で成長していくのです。これが幼稚園時代、小学校時代、中高等学校、大学時代と成長していくのです。

 

    図2

神様の見えない無形実体の中には、第一に子女の愛があったのです。(先生が黒板に図2を書かれながら説明される)その子女の愛がどんどんどんどん大きくなって、プラスして兄弟(姉妹)愛となり、さらに大きくなってプラスして夫婦愛となり、これがまた大きくなってプラスして父母愛というように発展してきます。子女の愛よりも兄弟の愛が大きくなっているのですが、どういうふうにして大きくなったのかというと、アダムとエバが兄妹愛を考えるとすれば、エバはお母さんが愛するアダムとして、まず、お母さんを中心として考えるのです(A)。お母さんが愛する兄さんにプラス、自分(の愛)となるのです(B)。エバはお兄さんを思う時、直接に思うのではなく、まずお母さんがどういうふうに兄さんを愛するかということを中心として、エバ自体も、それに伴って愛するのです。こういうように、二重になるのです。

 アダムも、お母さんがエバを愛する愛に、自分の愛を加えるのです。こういう関係です。だから兄弟愛は大きくなっていくのです。このようにしてだんだん大きくなって上がっていくのです。兄弟愛の次に、夫婦愛とは何かというと、父母を中心として、自分たちはそれまで兄妹同士としてやってきたのですが、ずっと父母が上がっていくというと、こちらは霊的には下がってくるのです。良心的にはこれで四段階です。これは相対的になっているのです。これはずっと上がっていくというと、これはずっと下がってくるのです。こういう関係です。

 結局、これを見れば、ここで(C)初めて霊界と二重になるのです。(先生が図2の縦の二重の点線と線、横の二重の点線と線を示しながら説明される)

 これが子女の愛、兄弟愛、夫婦愛です(D)と。この夫婦愛になるというと、ここを中心として神様が二性性相として一つになって、自分たちを育てたと同じように、父母の立場にある父母の内的性相と形状が実体として成就していくのです。そうなるというと、こちらがこう近づくとともに(E)、こちらも(F)どんどんどんどんと近づくのです。最初には子女の愛、それから兄弟愛、夫婦愛というように、だんだん近づいていって最後にはどうなるかというと、実体的にこれもこうなって、それらがどんどん近づいて、これがみんなこのように合うのです(先生が図2の中央の(G)に向けて矢印を、上下左右から書き込まれる)。これも下がって、こういうふうになるのです。有形実体がだんだんだんだん上がってくることによって、無形実体もだんだんだんだん下がってきて、上下が一つとなるのです。結局、神様は見えないのだけども、こういうような形で実体を中心として、実体がここで上がってきた場合には、無形実体と合うように近づくというと、アダムとエバも実体的に、こういうふうにして四つが、良心的、これは肉心的に、こういうふうにして、ここ(G)を中心として一つになるのです。

 だから、ここにおいて二重になるのです。これも(上)ここ(下)も二重になって、ここ(G)で全部が一つになるのです。分かりましたか? 神様を中心としてずーっと人間(子女)を成長させて、ここまで(D)(D’)を連れてきて、神様の見えない実体がこのように上がっていって、ここ(G)まで戻るというと、アダムは実体として、ここにいて相対的になるのです。ここ(全体)は二重ではないのです。ここ(G)が二重になっているのです。どこで二重になるかというと、これがどんどん近づくことによって、(有形)実体がここ(G)に上がることによって、この見えない(無形)実体は下がっていって、全部が同じように相対的になるのです。こっちから実体のアダムとエバがそこ(G)まで行くと、神様もずーっと上がって、アダムとエバがこっちに来るというと、神様もこっちのほう(G)に来られて、良心基準をプラスとして、マイナスとして一つになるのです。

 これは何かというと、結局、神様の内的な見えない心情圏、四大心情圏なのです。子女の心情圏、兄弟の心情圏、夫婦の心情圏、父母の心情圏が一体どこで完成するかというと、四つが別個に完成するのではなくて、これらを一つにまとめなければならないのです。では、どこでこれを決着させて一つにするかというと、結局、子供の完成を通して、子供の完成は兄弟の完成であり、兄弟の完成は夫婦の完成であり、夫婦の完成は父母の完成となるのです。その完成の終着点、決着点は一体どこかというと、子供を生んで育てる目的も、兄弟を成長させる目的も、夫婦の関係をもって一つになる目的も、みんなそれが別個になっているのではないのです。それを一つにまとめないといけないのです。そこが一体どこかというと、アダムとエバが、結婚するその初夜の愛の関係を結ぶことによってすべてが完成するのです。分かりましたか?

子女愛、兄弟(姉妹)愛、夫婦愛、父母愛

 神様が無形実体として、アダムとエバを教育しながらずーと引っ張り上げてきて、ここまで(図―2の(G)を参照)上がるというと、アダムが実体になって、これがこうなって相対になるのです。これが二重になっていくのです。これが二重です。これは霊的な心、内的な体と同じです。心身一体です。どこで一体になるかというと、ここです。(図―2の(G)を示されて)それで神様はずーっと上がっていって、神様に似た実体として、これは下がってくるのです。こういうようにして、実体の相対になるのです。これ((G)の左側)は心と同じで、これ((G)の右側)は体と同じです。ここで初めて二重になるのです。有形実体と無形実体、良心の立場と肉体の立場とが一つになるのです。

    図3

 それで夫婦の愛というものは、今までの兄弟愛にプラスさせるのです。お父さんお母さんと同じ愛ではないのです。(先生が黒板に図―3を書いて説明される)夫婦愛は兄弟愛よりも大きいのです。それから夫婦の愛よりも父母の愛が大きいのです。これは神様と一つになっているからです。神様と人間が一つとなって子供をプラスさせるのです。夫婦愛に子供が入るのです。子供をプラスさせて、父母の愛になるのです。これは子女の愛に、父母を中心として二重になるのだから、兄弟の愛は子女の愛よりも大きいのです。兄弟愛よりも夫婦愛が大きいのです。夫婦が一体になるのだから一つになるのだから、兄弟愛よりも夫婦愛が大きいのです。それから父母の愛は、その夫婦の愛に子供がプラスされるのだから大きいのです。

 このように、だんだん大きくなっていくのです。そのすべてがどこで結実するかというと、結婚の初夜の夫婦関係においてです。愛を中心として夫婦が一体になることによって、神様が内的に要望した子供の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情が完全にその一点で結ばれるのです。分かりますか? (はい)。

 夫婦というものは、夫婦二人きりではないのです。このように見た場合には、この連結体です。夫婦というものを考えて見た場合には、自分が神様の娘であるし、また、夫は神様の息子であるというのです。それはまた、神様の子女であるけれども、自分の兄さんであり、自分の妹であり、それが大きくなって夫婦になるのです。ですから、夫婦の愛というのは、兄弟愛とは違うのです。直接、男、女が一つになるのです。男が完成するし、女も完成するのです。兄弟愛は、男完成と女完成にはなっていません。分かりますか? それは、夫婦愛によって、半分半分の男と女が完成するのです。

 兄弟愛では、男、女が一つになることはないのです。だから、愛から見た場合に兄弟愛よりも、夫婦愛が大きいのです。分かりますか? いくら夫婦愛といっても、その夫婦愛には、子供は絡んでいません。夫婦愛の中に子供がプラスされ、子女愛というものが加わるのです。だから夫婦愛よりも大きいというのです。そのような概念を入れなければならないのです。子女の愛の場合には、父母と関係を持っていないのです。だから、それが一番小さいのです。父母を中心としてアダムがエバを考える時、父母が愛するエバに自分の愛をプラスさせるのです。だから大きくなるのです。

 それでエバもアダムを考える時、お父さんとお母さんが愛するアダムの基準の上に、自分の愛をプラスさせるのです。だから子女の愛より大きいというのです。夫婦の愛は兄弟愛よりも、半分半分の男女の完成を結ぶ愛なので、これは、さらに大きな愛です。だから、それは兄弟愛よりも大きいのです。兄弟愛では、男、女の完成はなされません。分かりましたか? (はい)。父母の愛には、子供が入るのです。だから夫婦愛よりも大きいのです。そこには縦的、横的関係が結ばれているのです。

 そして子供を生むということは、神様が創造した時のすべてを体恤するためであり、子供を生むことによって、神様が四大心情圏を体恤したと同じように、子供を生んで育てて、それが結婚まで、二世の完成圏までいくことによって、アダムとエバの時と同じように、子女の関係、兄弟の関係、夫婦の関係、父母の関係を再び完成させなければならないのです。だから、こういうように循環運動をするのです。アダムとエバも、結局子供を生んで、神様が創造した内的心情圏のすべてを体恤するというのです。アダムとエバがそういう心情圏、四大心情を体恤することによって、神様のすべてが完成されるのです。

 そういうような無形実体の神様が、それを中心として性相・形状が長い間、愛でもって一つになっていった時に、それは人間をつくり出したと同じように、夫婦生活を中心として一つになった上に、無形性相の神様の中にある形状・性相が愛でもって一つになって人間を創造したと同じように、夫婦関係は無形実体の神様の性相・形状が愛でもって一つになっていると同じ立場です。その中から時間を経て万物を創造したと同じように、夫婦関係を持つ期間の上で、時間性を経て子供が生まれてくるのです。

 子供が生まれてくれば、実体のアダムとエバは、無形実体の(神様の)性相がアダムであり、その形状がエバなのです。それが一つになったとすれば、それは(神様が)アダムをつくったと同じように、実体のアダムとエバが愛でもって一つになって再び子供を生むようになるのは、神様がアダムとエバをつくったと同じことを繰り返すことになるのです。分かりましたか? だから、神様がアダムとエバをつくる時の喜びを、実体の相対なるアダムとエバも同じように、実体的に子供を生んで体恤するのです。子供を生むということは、神様が創造して喜んだすべてのことを人間に伝授して、体恤させるように授けたことなのです。

人間は神様の第二の相対圏

 子供を生むことによって、女も男もみな非常に立体的な思いをするのです。新しい世界が自分たち二人の中から生まれてくるのです。お母さんとして、子供を身ごもった場合には、もう大変です。立体的な構想、思い、考えが広く高くなるのです。結局、見えない神様のすべてを見えるものにして、全体に展開していって、その相対位置に立てたのは何のためかというと、愛の完成のためです。愛を中心として、神様と相対共に同じ刺激的な喜びを体恤させるために創造したのです。分かりますか? (はい)。神様と共にです。この話は、神様ばかりではないのです。相対的だから、主体と客体が一つになるのです。愛によって一つになった場合には、主体だけが喜ぶのではなく、客体も喜ぶのです。だから神様は主体であって、人間は客体であって、それが愛の相対の立場に立って愛する時には、神様と同じような喜びを持つのです。分かりましたか? (はい)。それを体恤させるために人間をつくったのです。ありがたいことです。

 だから人間は結局、神様の相対者としてつくられたのです。神様はなぜそれを必要とするかというと、前にも言ったように、内的一体圏の愛では刺激を受けないのです。あなたたちも心臓の鼓動をいつも聞くことができないと同じように、外的に一体となれば動きも感動も、外的にそれは体験できないから、刺激的な喜びを拡大させるために、相対的に展開せざるを得なかったというのです。分かりましたか? (はい)。

 結局、夫婦というものは、存在のすべて、過去、現在、未来を完成させるその中心点にあるということです。アダムとエバの完成は神様の完成であるとともに、子女の完成なのです。子女を生んで、また完成体を成すのです。無形実体の神様の中間のアダムとエバを中心として、その子供を中心として、過去、現在、未来の三代圏をつなぐのが夫婦の愛というのです。その夫婦の愛が失敗した場合には、過去の愛の因縁が失敗するし、現在はもちろん、未来の基準も失敗圏に落ちるというのです。

 こうなった場合に、旦那さんは何かというと、神の無形実体圏にあった性相が男であり、形状が女だったのです。その男と女が愛でもって一つになっていた双子なのです。双子だから通じるようになっているし、一つになれるようになっているのです。男、女は別々に生まれても、会った場合には一つになれるようになっているのです。教えなくても一つになるような引力作用があるのです。

 その双子を展開したのがアダムとエバです。神の無形実体圏で性相と形状の一つになっていたものが分かれて生まれてきたのだから双子と同じなのです。旦那さんが元々、双子であったということを考えたことがありますか? そのことを今からは知らなければなりません。ずーっと昔、双子であったのです。夫婦という因縁は、アダム・エバの双子でもって、こういうふうにアダム・エバから始まったということは、これはもう否定できません。それから、その双子が兄妹になるのです。

 神様から見た場合には、それは子女の関係なのです。縦的には神様を中心としての子女関係なのですが、横的に見た場合には、兄妹関係なのです。それが横的に大きくなるために別れていくのです。女の行く道、男の行く道です。女として完成し、男として完成するためには、二人共にいたらいけないのです。別れていくのです。女は女の方向へ、姿を見ても女なりに完成するために勉強し、男は男なりに完成するために勉強するのです。だから、互いに向かう方向が違うのです。男はものすごく外的で、活動的で、それから発展的ですが、女はそうではないのです。内的で、それは活動的ではないし、それは発展的ではないのです。保守的な立場なのです。

 そういうふうにして、だんだん大きくなって、別れていくのです。そこは二重ではないのです。二重の関係は父母を中心としてつなぐことによって、二重になるのです。父母を中心として兄妹は一つになるのです。だから、幼稚園時代から小学校時代、学校によってみんな違うのです。それで、だんだん習っていくのです。そして結局、最後は何かというと、万物をすべて見れば、神様がアダム・エバに発展理想を教えるために展開されたものだというのです。万物を見ることによって、神様が創造した内的な性相が実体圏でもって一つになって、それが一つになることによって、どんどんどんどん、神様の成長してきた創造世界を体恤していくのです。神様の代わりに、みんな体恤することによって、神様の相対圏となるのです。

 人間は神様の大切な第二の相対です。平面的に相対圏として体恤できるのです。そうすることによって、相対の立場で見れば、みんな雄・雌からなっているのです。アダム・エバも当然、雄・雌が愛するようになれば、その相対的万物も愛するようになるのです。「みんな同じことをやっているなあー」と言ってね。だから、アダム・エバの理想を教えるために、理想的環境でもって、アダムとエバに刺激的な喜びを授けるために、すべてのものがみな、雄・雌で愛するようになっているのです。それを見て、アダムとエバも大きくなっていくのです。小さい時は何も分からないのです。そういう雄・雌の愛とか考えは、成熟することによって、「ああ、すべてを見れば男・女、雄・雌として、愛して子供を生むんだなあー」と、みんな習うのです。あなたたちもそうでしょう? 動物がみんな関係するのを見た場合に、「人間も、ああいうふうにしていくのだなあー」と、そういう好奇心からいろいろ聞いたり、勉強したりして、自分もそうなることをみんな考えるのです。

 だから、すべて周囲を見た場合に、アダムとエバも、初めはそう関心はなかったのですが、どんどんどんどんと、周囲の環境から関心を持つように教えられるのです。アダムも考えて、「ああエバも、内緒でもって、自分のあとから文句ばかり言っていたのに、エバというものは、ああいうような雌の立場と同じだなあー」と言うのです。ああいうふうにして関係を持つということをみんな教えられるのです。エバもそうです。「ああいうふうにして、アダムというものは結局、自分の相対になるべきだなあー」と考えるのです。そういうような考えで共に会うというと、昔と違ってくるのです。愛という力でもって、引力でもって、触ってみたり、連れて一緒に行きたいと思うのです。そういうふうに、だんだんだんだんと、一つになるのです。

 アダムとエバもキスしたのだろうね。(笑い)それもみんな、アダムとエバから始まるのです。アダムとエバの始めは神様と同じです。神様が良心の立場で、アダムは肉身の立場です。心身一体となって愛するのです。だから結局、実体の体がキスする前に、心が先にキスするというのです。二重になっているのです。

 結局、神様が二重の向こうで、アダムとエバが大きくなってだんだん近寄っていくというと、神様は下からずーっと中心に上がっていくのです。この実体が下のほうの相対圏なのだから、良心圏は上のほうに上がって、プラス・マイナスで結婚をすることによって、東西南北、前後左右、全部が一つになるのです。だから向こうから、こっちからアダムからエバ、エバからアダムに向かう時に、この上の良心も二重になるのです。そこから二重に始まるのです。(先生が両手でもって、しぐさされる)分かりますか? (はい)。

神様だに愛には絶対服従する

 ここまでは二重ではないのです。ここ(二一九ページの図―2(D)(D’)を参照)に来るまでは、二重ではないのです。こちらから、こうなるというと、こうなるし、点が生まれてくるのです。そうすると、神様はここから無形実体で、子供を引っ張って、こっちから成熟して、ここまで(図―2(G))来た場合には、良心圏はこういうふうにして、神様はこういうふうにして(図―2の中央を大きなカッコで囲まれる)待つのです。待つ所にアダムとエバがこういうふうにして(図―2(G))に来た場合に、初めてドッキングするのです。

 心身が一体になるのです。だから、結婚の初夜というものは、神様の子女としての心情圏が完成するというのです。あなたたちも、父母としてそうでしょう? 子供を生んであなたたちも、その子供を育てていって、結婚させないと、完成したとは言えないのです。結婚でもってみんな完成するのです。

 だから父母の愛というものは、自分たち、男女二人だけではないのです。一家を代表し、一族を代表するのです。一族の過去、現在、未来の全体が入るのです。結婚して愛で結ばれるということは、神様の娘、神様の息子として完成していくことです。(その愛は)自分が持っているのです。だからそうなるというと、神様が、子供を愛する愛も持っているというのです。分かりますか? (はい)。兄弟愛、女として兄さんを持っているということは、神様が家庭において兄さんを愛する愛を持つように、すべてをつくってあるのです。分かりますか? 夫婦として愛し合うところには、旦那さんを神様が愛するという、つまり旦那さんの愛とともに、神様の愛が加わっているのです

 父母の立場で、自分の旦那さんがお父さんになっているとすれば、その中で子供を愛するとともに、自分の夫、旦那さんを愛するのです。二重の愛を自分が持つのです。そして、だんだんだんだん、プラスさせて、愛の圏を所有するようになるのです。そうすることによって、神様の全体の愛の内的、見えない素性を外的に見えるものとして、完全に受けもったのが旦那さんであり、奥さんであるのです。分かりますか?

 それで、離婚するということは、すべてを破壊させるのです。神様の愛する子供の愛とともに、神様の愛する兄弟愛、兄さんの愛、それから夫の愛とお母さんの愛、夫と子供の愛をみんな一遍に崩壊してしまうのです。大変なことです。それでも離婚ということを考えられますか? そうした場合には、離婚した場合には、エバと離婚したとすれば、男はどこへ行きますか? それは、心が定着する基地が完全になくなるのです。それは、神様の息子としても落第生だし、兄さんとしても落第生だし、夫としても落第生だし、父として落第生です。「夫をそんなに惨めにさせることのできる無情な女ですか!」と言うのです。

 男もそうです。神様の娘をあんなにぺちゃんこにして、妹をぺちゃんこにして、自分の愛の相対もなくなって大変なことです。子供を持たない時は、みんなぺちゃんこにしてしまっているのです。定着する基準が全然ないのです。さまよって、その姿も、形も、一方向きりで、止まるところがないのです。地にも定着基地がないのです。空に浮かんだ雲みたいに、風が東から吹けば西に行くし、西から吹けば東に行き、東西南北へ、浮いて回るような姿です。どこに定着しますか?

 だから夫婦の愛というものは、こんなに重大な問題なのです。夫婦の愛を結ぶということは、男女のすべて、子供から、兄弟から、それはもうすべて死ぬまで、幼いころから死ぬまでのすべての関係です。男関係、女関係です。社会の心情関係もすべてが備わっているのです。それが離婚すれば、みんなめちゃくちゃになるのです。結婚している者は手を挙げて! 旦那さんに対して、そういうことを考えたことがありますか、ないですか?

 愛が絶対になるには、一つしかないのです。二回求めてやることはできません。一回でもっておしまいです。それが絶対になるというのです。絶対自体は最初であり、最後なのです。神様は絶対なるお方だから、神様は有りて有る者であり、初めであり終わりなのです。その神様の愛の相対として定着する瞬間が、夫婦の愛を結ぶその瞬間なのです。男、女が愛の関係を結ぶことです。あなたたちもそうでしょう? 女として、男として、知り合った場合には関係を持つのです。関係を持ちたがるのです。そうでしょう?

 その門を初めて開くのが、結婚した最初の夫婦関係なのです。そうなれば、旦那さんのすべては女(妻)のものです。体から一切全部が女のためにつくられ、女のために生まれてきたのです。また、女は男のために生まれてきたのです。自分を主張する何ものもありません。

 愛を中心としては絶対服従です。いくら喧嘩をするようなことがあったとしても、愛を超えるものはありません。愛を汚す者は宇宙にないというのです。分かりますか? だから夫婦喧嘩で、愛を汚すようなことをしてはいけないというのです。喧嘩をしても、離婚とかそんなことを絶対に考えてはいけないのです。喧嘩は悪いことであり、サタンの行動のつなぎだと思うのですが、それが神様の愛を破ることにはならないのです。いくら血を流してもぶっかけ合っても、別れるということは駄目だというのです。喧嘩というものは、悪いことですが、悪が善の最高の位置にある愛を崩壊させることはできません。どう思いますか? いくら喧嘩をやっても、愛の心でもって平和を保てるのです。だから夫婦共に争うということで、愛の道を破壊することは絶対あり得ないのです。

 神様だに、愛には絶対に服従します。現代の神学の観点と、統一教会の先生の話す観点は違うのです。神様は絶対全能なるお方だから、愛を自由自在にすると思っているのです。愛までも屈伏させて、愛をけ飛ばしたり、投げたりすると思っているのですが、そうではありません。絶対なる神様だに、絶対なる愛には絶対服従するというのです。そうでなければ、神様は愛の相対をつくる必要はありません。刺激を受ける実体をつくった以上は、神様自体内で刺激を受けない愛よりも悪い結果になるのです。そうなったら、そんな創造などしなくてもよかったという結論になるのですから、自分がなしたことを後悔するということは、神様は絶対的な立場に立ち続けることはできないという結論になるのです。分かりましたか? (はい)。

 神様だに、愛の前には? (絶対服従です)。なぜかというと、愛というものは相対から来るものだからです。神様がいくら主体だといっても、相対がなければ、自分一人では愛を得ることできません。愛は相対から来るものだからです。その愛をもらうには、愛は流れるものだから、もらう所に下がらなければならないのです。分かりますか? 侍らなければならないのです。だから神様だに、絶対なる愛の前にはどうするかというと、愛は相対を通して、刺激として流れるものだから、それをもらうには、その下のほうに立つことによって、愛を受けられるのです。みんなもそうでしょう? 男もみんな、女に対して好きだった場合には絶対に服従します。(笑い)

 「何を言ってもやります」と言って、もう最敬礼でも、何でもするし、礼拝でもするというのです。それはなぜかというと、高い愛は相対からも来るのだから、それを願うのだったら、低いほどよいのです。だから愛の関係を持つ時は、共に敬礼して、敬った立場で愛さなければならないのです。どうですか、皆さん。

 それは敬礼をしなくても、心の中でちゃんと有り難く思いながら、「あなたがいなかったら自分はどうなるのだろう」といつも感謝しながら、つきあわないといけないのです。それを遊び半分にしたり、方便として関係するのではありません。自分の発展のためにするのです。分かりましたか? (はい)。愛の道を高次元に高めるために、そういう関係をするのです。だから関係する時には、日本のために愛するとか、世界のために愛するとかすれば、本当に、その中から日本が生まれてくるのです。世界も、その中から生まれてくるのです。神様の子供も、その中から生まれてくるのです。そうですね? (はい)。

 これは大変なことです。そんなに貴重なものを持ったとは思わなかったですね。(笑い)本当です。それで、いつでも座る時には、みんな聖別して座らなければならないのです。王宮、三大王宮の本郷地なのです。それで、みんな座る時には、聖別してちゃんと座るのです。勝手に座ってはいけないというのです。そんなにして生きてきましたか? かわいそうに、手荒に扱ったり、無価値のものとして扱ったので、泣いたでしょうね。それが泣くのだから、心身共に泣くのです。あの部署が喜べば心身共に喜びます。そうですか? 先生の話が合っていますか、どうですか? 合っていますか? 夫婦生活もうまくいかなかった場合には一週間もひびくのです。

 そんなに見ないでください。これは元の世界の教育です。堕落した世界ではないのです。この真の夫婦というのは、堕落以前の世界の神様の直轄圏でもって、サタンのいない所でいう話です。夫婦関係というものは偉大なものです。偉大なものです。偉大なものです。それはなぜかというと、それが一つになるというと、宇宙が震動するのです。神様がそれを愛するからです。そんなに価値のある人間であるということを考えてみなさい。そういうような思いを持って生きる人になったら、自動的に周囲から尊敬されるのです。このように、人間の価値が乱れるようなことはないのです。そのような尊いものもみんな失ってしまったのだから、動物扱いをするのです。だから、失ったすべてのものを再び挽回することによって、その尊い価値の生活がもとがえされるのです。分かりましたか? (はい)。

絶対信仰を持つこと

 それを蕩減復帰というのです。復帰しなければならないのです。その世界に再び帰るには、蕩減しなければならないのです。蕩減は反対です。悪魔が上で押しつけるのだから、反対にこれをずーっと抜き出さなければならないのです。それでサタンはすべてを持っているのです。家庭から氏族、民族、国家の巣を持っているのに、神様は何も持っていないのです。サタンの主管する国家基準を超えないというと、サタンはいつでも殺すことができるのです。

 そう見た場合に、神様がこのサタン圏内に入って、働きかけることは難しいのです。だから信仰、絶対的信仰が必要なのです。もしアダムとエバが絶対的信仰を持っていたならば、堕落しなかったのです。この地上において、サタン圏においては、絶対的信仰を持つことによって、アダム・エバを神様が自由に訪問して関係を持つと同じようになったのですが、絶対の信仰を持たなかったために、堕落圏が生まれてきました。分かりますか? だから絶対的信仰を持たないというと、堕落圏内にあるので、神様はその人に対して干渉することができません。もし、それができるとするならば、堕落する前にちゃーんと干渉して、堕落させなかったのです。そういう原則を中心として、サタンと神様が働きかけるのです。それは一般の人は分からないのです。そういうことが分かりますか? (…)

 絶対的信仰が必要です。神様を絶対信じる信仰を持った場合には、自分の生命がふっ飛ぶようなことがあっても、生命がふっ飛ぶというのは、サタン圏の生命のことです。サタンから継続された生命です。それを否認する以上の信仰を持った場合には、堕落しなかったアダムとエバを神様が自由自在に干渉して引っ張ってあげたと同じように、悪魔の堕落した世界圏内でも神様が干渉して働きかけることができます。分かりますか? 信仰基準がなかった場合には、それはできません。完全にサタン圏内だから、サタンがどうしようとも、干渉することができないのです。もし、干渉するとするならば、堕落の時に比べられて、長成(期)完成(級)基準では神様も干渉することができないようになっているので、すぐに讒訴されるのです。その圏内ではいくら殺してもいいし、神様も干渉できないのです。

 堕落とは、アダム・エバが死ぬ瞬間なのです。その死ぬ瞬間にありながらも、それを堕落しないように、それを守れなかった神様は、サタンがいくら殺したとしても干渉することはできません。たった一つ干渉できるのが絶対なる信仰なのです。分かりますか? 絶対信仰です。それは、みんな原則的に悪魔サタンと条約を結んだと同じようなことで、この条約に違反した場合にはサタンのものになるし、条約に合った場合には神様のものになるのです。だから祭物をさせて、条件の分け合いをするのです。

 真心をもって祭物を捧げて、神様がそれを受け取った場合には、サタンはそこからずーっと離れるのであり、真心を尽くさないで、神様がそれを受け取らなかった場合には、それをサタンが受け取るのです。はっきりしているのです。だから、絶対なる信仰が必要なのです。神様と共に生きることです。分かりましたか? (はい)。

 男女の愛がいかに偉大なものかというと、今までは、これはもう一番悪いことのように思って、三宮を破壊してきました。神様の愛の基地、神様の生命の基地、神様の血統の基地をみんな破壊してしまったのです。そのようなサタン世界の愛の関係というものは、悪魔の愛の関係であり、それで悪いことになっているのです。夫婦関係自体、結婚すべて、神様は喜ばないのです。独身生活をすればいいのです。独身生活をして、子供をたくさん増やしてはならないのです。堕落したアダムとエバが独身生活をして子供を増やさなかったらば、こんなに長い何千万年もの歴史はいりません。すぐに復帰できます。

 ですから真の父母が、神様の創造理想、四大心情圏を完成するために愛の相対圏をつくろうとして創造されたそのすべてを、神様を中心として成し遂げたのです。神様の目的の完成のためです。人間の目的ではないのです。分かりますか?(はい)。

相対は主体を喜ばせること

 神様が愛というものを中心としてつくったので、愛の相対は自分より高くなることを願うのです。そういう基準において、人間の価値も、元々は神様の愛の目的のためにつくられているのです。第一原因は神様なのです。分かりますか? 神様を喜ばせないといけないのです。相対は主体を喜ばせなければならないのです。なぜかというと、神様は何もない相対を自分の基準以上に上げようとして、どんどんどんどん投入したのだから、投入したものを返さないといけないのです。そういう面で、客体は主体のためにすべてを尽くさなければならないのです。同じく投入しなければならないのです。だから最初に投入したのが神様であり、すべての主体ですから、その主体が最初に喜びを得ないといけないのです。分かりましたか? (はい)。

 だから愛の問題も、生命の問題も、血統の問題も、神様を中心に第一主義として尊重するようになるのだから、愛の関係を持った場合には、その生命も神様につなぐし、愛も神様につなぐし、血統も神様につなぐ時、その相対が自動的に自分につながるのです。分かりますか? (はい)。

 あなたたちは兄弟として、父母の子供として、女として、生まれて育って、それでお嫁に行った場合には、自分の縁をみんな切っていくのです。父母の子女として生まれて、家庭内で兄弟としてずっと大きくなっても、女は別れていくのです。お嫁に行って、旦那さんの家系に入って考える時には、自分の兄さん、自分の本家には兄さんがいるのですが、それを忘れないといけないのです。絶対に自分の旦那さんを中心として、兄さんより以上に愛さないといけないのです。自分の故郷を振り返って、兄さんたちへの思いを持ってはいけないのです。一切を忘れて、忘れて、そこで生まれたことも、みんな自分の本家で忘れたと思うように考えないといけないのです。だから自分一人で勝手に、自分の本家や親族を、旦那さんとか家の人に相談せずに助けることはできません。

 女は男の相対としてつくったのです。そのような相対をつくった主体圏には神様もいるのです。大元がそこにいるのです。だからお嫁に行った場合には、神様と旦那さんが、大元が、長男と父が一つになって、自分を愛するのです。アダムは横的であり、お父さんは縦的関係です。だから舅をめちゃくちゃにすることはできません。神様の代わりなのです。自分のお父さんもそうです。神様の代わりです。そこに差異を持ったら駄目です。アダムの家庭のアダム・エバは差異を持つようになっていないのです。たった一つの家庭だからです。エバは家庭が二つになっても、差異を持つようになってはいけないのです。お嫁に行った場合には、それは向こうの人であり、向こうに接ぎ木された者は、行ったり来たりすることはできません。分かりましたか? (はい)。

 お嫁に行った女たちは、別個の生活をして、自分の本家を助けようとして、袋を隠し持つようなことがあったら大変です。本当です。自分の旦那さんや舅さんと相談してやればいいのです。それは、自分の相対の家庭です。旦那さんの家庭は主体、自分の家庭は相対の関係として扱ったらいいのです。全体でやるのです。自分一人でやったら、法的に引っ掛かるのです。それが分かった場合には、舅も旦那さんもみな、一家が喜ばないので問題になるのです。そういう原則がはっきりしないので、めちゃくちゃになっているから、それはもう大変です。どこのどんな土地がいいか、どんな土地が悪いか分からないのです。こういう原則のテキスト・ブックです。原則を分かるように、ちゃーんとしているのです。だから将来は裁判長も必要ないのです。家庭問題は、この原則によってすべて収拾可能です。

 国家もそうです。国家も、王様を中心として、閣僚たちもみな同じです。この原則で、国家も一つの最高の家族と思うのです。王様と女王様を中心として、それは家族と同じです。この原則によって合わなかった者は、すべて処理することができるのです。分かりましたか? (はい)。分かりましたか? (はい!)。

 自分のいかに尊いものが取り戻されていたかということを発見しましたか? 宇宙の、見える世界と見えない世界が、そこにおいて占領されていくのです。見える世界は旦那さん、見えない世界は神様です。そうでしょう、分かりますか? 女のそのものは、旦那さんのものであり、神様のものです。男もそうです。男のそのものは女のものであり、神様のものなのです。そんなことを考えたことはないでしょう? 地上天国、天上天国はそこから始まるのです。君たちの子供もそうです。同じことです。子供を生んだ場合には、地上天国の子供、天上天国の子供、アダム・エバの子供、何ら変わりはありません。同じ価値の子供を生まなければならないのです。分かりましたか? (はい)。男も女も、そこに侍りながら生活しなければなりません。

 しかし堕落した結果、すべてがめちゃくちゃになっているから、いくら男女関係が千年万年続いても、堕落血統内でやっているので神様とは関係ありません。神様も永遠に処罰する行動なのです。だからサタンは、すべて男女関係でもって崩壊し、めちゃくちゃにするのです。地獄です。地獄に落ちてめちゃくちゃになるのです。そして天国から永遠に離れてしまうのです。神様が復帰しようにも、探しても分からないように、何もできないようにしてしまうのです。分かりましたか? (はい)。

 だから方向転換をするのです。こう行った者が一八〇度転回しても別に変わりません。行動は同じ行動であっても、立場が違うし、方向が違うのです。それは南北の韓国を例に挙げれば、境界線を中心として、線を引かれていても、それは見えない線なのです。細い線の中間がまだあるのです。だから、別に変わらないのです。二つに割ったような立場であり、割ったものは、こっちのものも変わらないのです。

四大心情圏は愛のテキストブック

 だから愛といっても、天国の愛が別に変わるのではないのです。サタン世界の愛の行動と同じでも、感じるその深さが違うのです。アダムは、蘇生、長成であり。神様は蘇生、長成、完成です。長さが違うのであって、行動は同じです。だから、今までの男女関係はみんな悪いというのは、神様が関係することができないからです。分かりましたか? (はい)。

 原理の観点から見たら、真の父母を中心とした、こういう原理の内容をテキスト・ブックとした一体圏の愛というものは、サタン世界にはなかったのです。全体を代表した立場で愛しているのです。一族全部が、少年から、青年から、壮年を中心として老年に向かっていくその過程において、みんな愛の関係でつながっているのです。それは方向が違うだけであって、姿は同じです。だから、いかに方向転換をするかということです。分かりましたか? (はい)。

 ですから血統が違ってきたのだから、血統を転換した場合には、別の世界になるのです。血統が違うというと、それは東洋人は東洋人の血統があり、西洋人は西洋人の血統があるように、それが違っていくのです。サタンの血統と神様の血統として、違っていくのです。

 そう考えれば、女というものは尊いものですか、でたらめなものですか? 何があるから尊いのですか? 女としてのそれがあるからです。そこは、男の代表と神様が共に訪問するようになっているのです。それは本当ですか? 原理から見ても、それはもう避けることができないのです。だからエバは、それで長男と神様をだましているのです。そうなっているのです。エバのそれを失うということは、長男を痛めることであり、お父さんを痛めることです。アダム破壊、神様破壊です。不信感があるからです。父子をだましたからです。そうでしょう。長男とお父さんをだましたので、それを破壊しているのです。

 それが何かというと、内的なお父さんと外的な長男です。それが女を中心として、一つになるというのです。だから女の愛には、人間の愛と神様の愛が訪ねてくるというのです。男に対してもそうです。それは神様の二性性相の性相です。形状は女の姿です。神様の無形の形状です。実体のエバの形状は、旦那さん(の性相)と同じです。相対なる女王様が、長女が訪問するのです。だから結婚は男占領とともに、神様占領なのです。男占領のために自分が完成されるし、神様占領のために人間もそれ以上望めない。絶対の希望なのです。男女完成とともに立体的な完成を願うので、立体的な完成までも成されるというのです。だから、結婚は神様と宇宙を占領するためであるというのです。皆さん、そう思いますか? そんなこと知りませんでしたね。(笑い)落第品です。(笑い)

 これは重大な問題です。四大心情圏で、四大心情の花が咲くというのです。だからそこには、子女が植えられ、兄弟が植えられ、それから旦那さん、夫婦が植えられ、父母が植えられるのです。そういうふうにして、二世はそのとおりに大きくなって、同じように何代も繰り返すのです。公式的に、みんな神様の型と同じようになるのだから、みんな神様の子女として、神様の家族になるのです。真剣な話です。若い女の子たちはこういう話を聞けば、幸福です。そのように生きたとしたら、大変なことです。

 こういう観点から世の中を見た場合に、サタンも話にならないのです。サタン以上です。そういう者に、自分の一身を裸にして任せるということは――。何の話か分かりますか? 何の話か分かりますか? 重大な話です。君たちには想像もつかないような話です。歴史以来初めて教える内容です。

 だから、四大心情圏を完成することによって、自分も子女を愛することができます。子女を教育することができるのです。それは兄弟を教えることを主体として、夫婦は、子供を結婚させてやることによって、訓示することができます。自分がまた父母になってみて、自分の孫を教育することができます。それは、別個に別れてはいません。全部が一遍に決意すれば、それはすべてが種からずーっと芽が出て、そして、大きくなって一生涯のすべてが縮小して入っていくと同じように、愛という圏内には、子女、兄弟、父母のすべてがつながっているのです。ですから、四大心情を体恤しないというと、人間として、男、女として、完成した人間にはなりません。分かりましたか? (はい)。

 それがくっつくことによって、神様の友達になり、神様と一体になるのです。四大心情圏が何か分かりましたか? (はい)。愛のテキストブックです。祝福家庭は、愛を毎日、毎日、吟味しながら、その境地に向けて修養し、自分の欠けた所をみんな調整しながら、あれの一体圏になって、あの門を通過しなければ、神様の前に出ることはできないということです。

 そういうふうに考えれば、自分たちの夫婦生活はどうですか? それは、話にならないね。この基準で考えた場合に、自分たちの夫婦生活というものは何の価値もないのであり、神様から見た場合には、砕いてしまいたいような、悪いことをやってきたということです。それが分かりますか、分かりますか? (はい!)。分かったと言う女の子たちは手を挙げてみなさい。(はい!)。後ろのほうはどうですか? (笑い)

 それで、みんなその基準に一致するように努力しないといけないのです。真剣なことです。「いやあ! 男はそんな立場か? 女はそんな立場か? 神様も完成し、人類も完成する!」。そうでしょう? それが本当だったら、大変なことです。神様であるからあんなことを考えるのであり、平等な神様だからあんなことを考えるのです。あなたたちは先生の話を何でもないように聞いているのだけど、その内面を打ち明けた場合には、大変なことがたくさんあるのです。さあ、これは難しいことだけど、努力してあの基準に到達するように努力いたしましょう!(はーい)。はーい。ありがとう。(笑い)

 まあ、先生一人によって、こういうことが発表されることによって、全世界が影響されることを考えてみなさい。家庭内に影響されて、大変な革命が起きてきます。先生だに、この問題を中心として通過しなければならないのです。だから文先生、真の父母はいったい何かというと、神様の子女として、心情的に完成したものでなければならないというのです。そういう面で、お母さんに聞くのです。「あなたは大丈夫ですか?」と。(笑い)お母さんはお父さんに「大丈夫ですか?」と。それに及ばなかった場合には、「共にあすに向かって発展しましょう!」と。そういう励ましをして、その家庭で、どんなに難しくても、あの踏み台を踏み越えなければならないのです。

 だから真の父母になるには、神様の子女としての子女圏の完成体に、家庭内の兄弟としての兄弟圏の心情完成体に、夫婦においての心情完成体に、父母においての心情完成体にならないというと、真の父母になることはできません。分かりましたか? (はい)。

 ですから一心不乱に、共に協力して、その目標に向かって突進しない以上は、いい加減にはなされません。精誠を尽くすことによって可能になる道です。分かりますか? (はい)。だから旦那さんというのは、この現代世界の愛の王様です。そんなことを考えたことがありますか? 真剣なものです。みんなそういうような立派な旦那さんを願いませんか? (願います)。みんな、そうなっているのです。願う必要はないのです。そうならなければなりません。みんな、そうなっているはずです。真の愛に関係して、神様の血統を受け継いだとするならば、そういうようなことは教えなくてもなるようになっているのです。堕落したから、こういう教えを強調して、それに向けるように鞭打ちながら、追っていかないといけないのです。それは悲劇です。それは喜劇でなくて悲劇です。分かりますか? (はい)。では、奥さんは旦那さんの何ですか? 愛の女王様です。みんな、そう願うのです。みんな、「あなたの希望は何か?」と言うと「女王様になりたい」と。女王様になって何を言うか! 国ではないのです。ナンバー・ワンは愛です。全部、そういう欲望以上の基準に立つことができるようになっているのです。分かりましたか? (はい)。

 人間の欲望、欲心は、もう絶対に夫婦完成をしないと完了できないというのです。もう既に完了された立場に立っているのです。先生が、こういうことを知ってがっかりしました。数十年の努力したことが、水泡になってしまったのです。みんな持っているものも外国を回って、宇宙を回って、天宙を回って、苦労したことがしゃくにさわってくるのです。もう、がっかりしたのです。堕落はこんなに恐ろしいものとは分からなかったというのです。全部、神様は授けています。そうでしょう。第一創造主が、人間を第二創造主として、子供を生ませることを通して、第一の創造主と同じような価値圏に置いたことは有り難いことです。

 さあ、四大心情圏が何か分かりましたか? (はい)。もう、それ以上は言わなくてもいいでしょう。(はい)。言いたいことは、たくさんあるのですが時間もないのです。

氏族復帰の命題

 人間の欲望すべてが、その基台、その基準において完成されるということです。それ以上の野望、希望はないのです。そうなれば、それは幸福ですね。それ以上の幸福はないのです。愛の王様と愛の女王様になるのです。自分の旦那さんは愛の王様であり、自分は愛の女王様です。それ以上は何もないのです。だから人間の欲望は即、自分に結ばれるようになったのです。それが分からなかったのですが、今はもう分かりましたね? (はい)。誰によってですか? (真の父母によってです)。真の父母ですから、真の愛の伝統を教えてあげなければならないのです。これを汚さないように、あなたたちに伝授してあげるのです。千年万年、後孫が幸福になるようにして、愛の王家の華々しい家系を残していくのです。そういうふうにしたくないですか? (したいです)。

 愛の女王様にみんななるのですね? (はい)。神様もそれを願うのです。あなたたちの後孫がどんなに幸福か考えてみなさい。「神様より以上、自分の父母のほうを愛します」。それでいいのです。神様より以上崇拝すると言っても、神様はそれを感謝します。自分のつくった手本がこんなにも歴史を超越して、実感として効果を成していくとはね。だから、そういう立場には信仰もいりません。分かれば宗教もいりません。たった二人で何万点です。ですから、完成期を中心としてつくったアダムとエバには、宗教も何もありません。学校も何もありません。自動的に習わなくても分かるようになるのです。こういう文明圏が、アダム・エバのその境地に到達するようになっているのです。真の愛は知らないことがないのです。真の愛は関係しないところがないのです。分かりましたか? 真の愛の元を適用すれば、すべてが解決していくのです。その愛の体験を忘れないようにしてください。分かりましたか? (はい)。

 あなたたちは夢でも、忘れない夢があるのです。それは自分の生涯に絶対必要な夢です。忘れる夢があるし、忘れない夢があるのです。それをずーっと活用して、自分の生涯にいかに適用されるか研究して統計を取りながら、自分の将来を正していかなければなりません。神様は必ず教えてくれます。統一教会の先生、父母は必ず教えてくれます。それはいろんな幻の中とか、夢の中とかに必ず現れて、その場合には自分のためであるということを思うのです。初めは話をしないのです。後ろ姿が見えるのです。それは信仰が遠いという話です。それで、笑いながら話しかけるような境地まで発展していかなければなりません。そうでない場合には、遠い立場にあることを示すのです。そういうことを体験を通して、はっきり分からなければならないのです。だから父母様に会ったりした場合には、それは良いことか悪いことか、表情で見分けなければならないのです。必ず教えてくれるようになっているのです。だから、成約時代は侍ることによって救われるのです。

 これが分かった場合には、先生はいりません。共にそういう夫婦になったとするならば先生はいりません。そういう自分の生きる環境をつくって、そこに住めば、地上天国、天上天国が自動的につながるのです。それでいいものを持った場合、神様に何の功なしにもらったのだから、自分たちも功なしに授けてやるのです。それは自分の親近の人からです。先生はこういう立派なものを持ちながら、自分の親近の者に対して、伝道することができませんでした。君たちは先生に対して氏族復帰という命題を持って立っています。先生はカイン・アベルを愛してから、全世界を超えて勝利圏を得ないというと、自分の一族を率いることができません。それは聖書の本然の教えです。カインが服従しないと、アベルは殺されるのです。いつも不安です。だから自分の一族が問題ではないのです。世界が問題なのです。

 先生のお母さんと先生の兄さんは立派な信仰者でした。啓示を受けて、弟がいかに有名になるか、それだけを信じていたのです。たくさんの兄たちや弟たちがいても、世界中で自分の弟が一番であるという、それだけしか知らないのです。それが啓示されて、それ以上は教えてもらえないのです。自分の弟が何者か分からないのです。先生はそれを成して教えているのです。分かりますか? 聞いて教えるのではなく、成して、完成させて、教えてあげなければならないのです。

 アダム完成は、神様の子供と共に完成した上でもってです。そこで、すべてアダムという価値が決定します。それと同じように、完成圏に立つアダムとして、地上のサタン世界にそれを正すには、自分が成し得ないでは、サタンは屈伏しません。分かりますか? それは、でたらめなものではありません。だから先生の話を聞くと、心から忘れることはできないのです。いつも心を占領しています。それは大変です。統一教会に入って、原理の話を聞いて興奮して体恤したその思いは絶対なくなりません。外に出ていっても、それは生きているのです。それが生きているから、先生が現れて、いつも関係を持つようにコントロールするのです。だから大変です。

 そうかといって、自分の一身体面上、反対した者は、ただ来るということはできません。口を開いて反対した場合には、それを取り消さないというと、良心は許しません。「この野郎! 何だ!」と。だから歴史上で、たくさん統一教会に入って、出て消えていった者たちは、先生を見るとみんな隠れてしまいます。何でそんな隠れることをしたのですか? また反対する者たちも、先生が前に来た場合にはみんな逃げていくのです。だから、悪辣なサタンもそうです。反対しながら逃げていくのです。正面から会って、自分で言うことはできないのです。

 こういう話をするのは、きょうで、もうこれが最後だからです。きょうで、五万一千八百名が完了するのだから、これで終わりです。あすになったら、君たちは、もう修練会はないのです。あすになったら、二千名の済州島の人々が集まるようになっているのです。

 今度、帰ったら何をしますか? 今、先生が話したことです。君たちは幸福だというのです。自分の親、自分の兄弟と抱き合って、痛哭しながら、この道を行かなければならないのです。それを語るのです。先生はこの道を探すために、痛哭した道がいくらでもあったのです。韓国では、冬になれば服の真ん中に綿を入れるのです。北韓なんか寒いから、そういう着物を着るのです。それが涙で濡れたのです。それを絞ると、水が落ちるようだったのです。そういう道を通過しないと、真理を探し出すことはできません。

 また、長い時には十七時間も祈ったのです。十二時間は普通だったのです。今はもう、祈祷する必要はありません。みんな分かってしまったから、成すことが忙しいのです。世界に相対圏をつくるので大変です。それで相対圏をつくって、先生の生涯の内で悪魔が数千年間、神様に背を向けて三宮を迫害してきたそのすべてをストップさせたということは、それは話にもならない奇跡なのです。分かりますか? それで先生に対して、すべての霊界がみな地上に向けて敬拝するのです。イエス様とか、孔子とか釈迦牟尼とかがです。この真の父母は一人しかいないのです。永遠に、過去にもいなければ、それはたった一人しかいないのです。分かりましたか? (はい)。

 そういう意味で、君たちが統一教会に入って、ふらふらしながら反対して、ほうぼうを回りながら、口々にいろいろと悪宣伝する者はどうなるか考えてみなさい。その先祖がみんなやられるのです。霊界では、後孫が反対することによって、先祖がみんなやられるのです。それで霊界に行ったら、どうしますか? 先祖が悪魔扱いをします。「この野郎! 先祖の功労によって統一教会に入ったのに、迫害して何だ!」と。総理大臣も、それは国家から預けられた祝福だけど、もし過った場合には牢屋に入るのです。即時にです。それと同じことです。総理大臣だからそうではないということはないのです。分かりましたか? (はい)。

 帰ったならば、自分の一家を早く収拾しなさい。先生はご父母様の墓の前に立って、「故郷に住んでいる北韓の二千万人を救って再び参拝するその時までは、まだ時が違います」と言ったのです。それを必ずやるというのです。先生には先生なりに、行くべき道があるのです。皆さんは帰ったならば、自分の親族圏を早く収拾していくのです。先生一人がそんなことはできないのです。しかし、君たちが父母、親族を解放することによって過去のつらさを、天はそれによって慰めるというのです。それが天の心です。自分の一代ではなく、全体が救われるという思いは、時を超えても同じです。分かりましたか? (はい)。

 だから長子権復帰を今、分かって、氏族復帰時代が来たのだから、真の父母の絶対権限を中心として、一直線に切ってしまうのです。親族解放を早くする方法は、いくらでもできます。自分が立って話をするのです。「こういうような道を、こういう内容の道を我々は辿ってきたのです」と。分かりましたか? (はい)。

 本当に、兄弟のために痛哭する時代になりました。真の父母のために、世の中のサタン圏内で一生の間にいかに傷つけられても、生涯を行っているということは大変なことです。こういう心情が分かった場合には、それが解放圏になるのです。いくら厳しくても、落第するようなことはありません。先生の生涯がそうです。個人的に見れば悲惨な生涯です。しかし、行くべき道は一つしかないことを知っているから、他のことは考えられません。

 そういうふうにして、ここまで上がってきました。日本も今、大変でしょう。五万人も済州島で教育したということで、みんな変わっていってしまったね。来た時の女と、帰る時の女とは違っていますか、同じものですか? (違いました)。本当に違ったのですね? (笑い)

 これで完全に頭が占領されたのですね。(笑い)それは、占領されていいのです。それ以上のことはないのです。向こうの悪魔が占領したのを神様が再び占領するのだから、元に返ることになるのです。元に返るのです。理想の国、理想の世界です。そこで理想の王様に侍りながら、万年、万々歳を叫ぶようなことになるのです。それは不幸ではありません。分かりましたか? (はい)。

   

 先生の生涯は、そのような苦労の道を克服してきました。悲惨な道をね。それは、先生よりもっと悲惨な神様を知っているからです。神様を知ったのだから、そういうふうにして行きましょう。そういうようにしたいという者は手を挙げてみなさい。(はい!)。ありがとう。

三大王権から縦的天国と横的天国が生まれる

 四大心情圏は、もう分かりましたね。次に、三大王権です。これは簡単なものです。これが、(先生が黒板の図―2の周りを何度も円で囲まれる)こうなれば球体になるのです。これが楕円形になったのだから、球体です。こう見た場合には、(先生が黒板に図―4を書かれながら説明される)神様、アダム・エバは、過去の創造主、現在の創造主、未来の創造主と、こうなるべきです。この縦的な結合を平面的に回すというと、(二五二ページの図―5を参照)こちらが神様の立場で、こちらが現在、こちらが未来です。なぜこうなるかというと、平面的に過去、現在、未来がやって来るからです。そう見た場合には、ここが神様の立場、これはアダムの立場、これは子女の立場です。分かりますか? これは縦的な立場で、これはアダム・エバを中心とした横的立場です。

 こう見た場合に、これが一つの家族に、おじいさんがいるし、これは父母です。アダム・エバには(真の)子供はいなかったのです。分かりますか? アダム・エバの子供はいなかったのです。だからアダム・エバは、創造主の体恤した喜びを相続できませんでした。子供がいなければ大変です。それでアダム・エバが子供を持ったような立場で話をするのだけど、本当は子供がいないのです。そうなるというと、これは神様です。現在、未来になるのですが、未来がなかったのです。分かりますか? 神様は、おじいさんを象徴します。一番年寄りのおじいさんは誰ですか? (神様です)。

 だからおじいさんの根っこというか、穂先というか、それがつながっているのです。自分の家庭に、天国の代表、神様の代わりとして送られてきたのが、おじいさんです。これが堕落しなかったとするならば、アダム家庭が王様になったとするならば、おじいさんは王様です。そうでしょう? アダムは現代の王様、子女は未来の王様です。そういうふうになるのです。

 だから王権を中心として見れば、過去の王権は神様なのです。アダムが現代の王権を中心として、これが一つになって、そこから移動していくのです。神様につくられたのですが、天国に子供として生めるのは二番目なのです。そうなって結局、王子たちを連れて天国に入るのです。実体世界で子供を生んで、永遠なる不滅の理想世界に移動していこうというのです。その神様の本然の世界がいかに素晴らしいか考えてみてください。全知全能の神様として、そこにすべてを備えているのです。

 霊界に行けば、そこは時空を超越しているのです。時間と空間を超越しているから、何千年の前の歴史が今なのです。何の話か分かりますか? 時間を超越しているから、何千年の歴史も今なのです。だから空間の無限の星の世界もみんな現在なのです。遠くないのです。分かりますか? 自分の感覚圏内にすべてが収まるのです。

 だから愛を中心として成そうとすれば、それは無限の世界を凌駕するのです。目の前で見るような思いで命令すれば、どこでも可能なのです。自分の家が、済州島にあったのだけどこっちに来て住んでいるとしても、何千万マイル離れたアメリカであっても、家を持ちたいとなれば、済州島の家がすぐそこにあるのです。分かりますか? 遠い所でもすぐそこにあるのです。そういうような便利な所であり、距離の感覚がないのです。空間の感覚もないのです。だから膨大なあの星雲世界、あの銀河世界も自分の一日の生活の庭園と同じなのです。

 それを考えてみなさい。だから果たせないことがないのです。そこには、車が必要ですか? 考えてみなさい。考えるよりも愛がもっと速いのです。そういう便利な世界です。そういう世界が分かった場合には、この地上には未練がないのです。制限や限界内で生きた者が、限界を超えて無限界の活動舞台に拡大するということを考えてみれば、それ以上素晴らしい、それ以上の出世はないのです。ですから、死ぬということは悲しいことではありません。分かりますか?

 そういう所へ行ってみたいですか、みたくないですか? (みたいです)。行ってみたければ、今晩でも死んでみなさい。(笑い)本当です。すぐに分かるのです。先生の言ったことを実感するような世界が生まれてきます。だから、よく準備して、完成して、あの世界に入らないと大変です。それで、美人たちが困るのです。自分の顔が天国より美しいと思うからです。自分が博士号をもらったことが天下最高、国よりも尊いと思うのだから、話にもならないのです。だから世の中では、末の時代には自分が最も愛する、最も貴重に思うものが、自分の行くべき道を妨げる第一の条件になります。

 これからは、世界が回れ右をします。一般の人々は回れ右の仕方を知らないのです。回れ右した場合には、自分がどういうような列に立つかということを知らないのです。それを知らないといけないのです。だから、地上における生涯は、あまりにも短いのです。先生からすれば、短いのです。先生が今、二十代だったら、今からの世界はいかばかり変化していくことでしょうか? ここまで来る年齢を費やしたとするならばね。世界が反対したのだからこうなっているのです。もし反対しなかったならば、天下は変わってしまっているのです。地上天国はできてしまっているのです。今教えているすべてのものは、もうみんな準備されているのです。今の氏族メシヤも、あの当時の全キリスト教界の信者が一つになって、全教会のクリスチャン十億以上の人々が氏族メシヤとして派遣されたと考えてみなさい。すぐ天国になるのです。分かりましたか?

 おじいさんは神様です。だから神様を象徴します。そしてアダム・エバは現代です。これをずーっと直系につなぐのです。これは縦的直系と横的直系としてつなぐのです。ここから縦的天国、横的天国が生まれてきます。分かりましたか? (はい)。横的にしたのは(先生が図―4の中央の横の線を示されながら)地上天国になり、これは(先生が図―4の中央の縦の線を示しながら)天上天国になるという意味です。横的に回してやれば、神様がこうなって、こうなるのだから、(先生が図―4の中央で十字を示される)これは永遠に続くのです。そうして、三代が一つのカテゴリーです。これは切り離すことができません。分かりましたか? (はい)。

 おばあさんたちも、三人が一つにならなければならないのです。おばあさんのおばあさん、そのおばあさんです。それから娘とか、嫁とか、三代が一つです。(先生が図―5を示されながら)切ることはできません。これは、直線を引くというと、一つ、二つではないのです。必ず水平線になるのです。垂直には水平線があるから三点です。一点、二点、三点。水平に引いても、一点、二点、三点です。それを切ったら、みんなめちゃくちゃになってしまうのです。分かりましたか? (はい)。

天国に通じる道

 三代を中心としてなぜ組むのかという問題になった場合には、これ一つでも切ってしまったら成立しません。だからこれを切って合わせることによって、それは構成されて完全なものになるのです。ですから、こう見た場合に、一、二、三(横的に)。一、二、三(縦的に)です。兄弟を中心に一、二、三とみんな三点でつなぐのです。蘇生、長成、完成と同じです。ですから一族において重要なのは、おばあさん、お母さん、奥さんです。この三代です。三代の子供が未来の奥さんになるのです。この三代が一つにならなければなりません。そこで一番重要なのが、おばあさんではなく、お母さんなのです。だから、その家ではお母さんを中心としながら、(自分の)奥さんが一つになっておじいさんを神様のように侍る伝統を立てなければならないのです。だからおじいさんの命令には絶対に服従しなければなりません。なぜかというと神様の代わりだからです。

 それを木に例えれば、年寄りが一番大きな木です。次がお母さん、自分の奥さんは三番目です。木は年がたてば、年輪が多くなるのです。太くなるのです。だから山では太く大きい木が主人です。分かりますか? これは、三つを切ることができないのです。三代が一つの家庭に住まなければならないという原則になるのです。東洋の家族はそういうような形式になっているのだけれど、西洋の家庭は縦がないのです。西洋文明というものは縦がないのです。これは外的、物質文明です。心的文明、精神的文明ではなくて体的です。横的は体を象徴します。

 こう見た場合に、統一教会では、おじいさんを神様のように侍った場合には、そのまま天国に通じます。そういうふうに侍って生涯を過ごした者は、霊界のどこに行っても邪魔なしに入れるのです。分かりますか? この基準が三代王権になっているから、王様みたいに侍れば、無事通過です。それから、自分のお父さんお母さんは、過去の王様を代表としているのです。アダム・エバは、現代の五十二億すべての家庭を代表した家庭です。だから現代のすべての家庭の中の王様、女王様が自分の両親です。代表しているという場合には、それは全体の中心になるのです。誰でも全体の中心、全体の最高の者になりたいと思うのです。ただし、それは代表した立場をいうので、代表するには全体においてあがめられ、尊敬されるような立場に立たないというと、全体を代表することはできません。

 オリンピックのチャンピオンなんかもそうです。マラソンで日本と韓国の選手が競争して、日本は負けましたが、それは国全体を代表していたのです。全体が一つです。そういう関係を持った者が代表です。それを、普通の人は、自分がそういうことをしないで、ただ代表を願うのですが、そうはいきません。そういうふうに、投入して投入して、頂上の山を自分がつくらなければいけないのです。その頂上に自分が立った場合には大変なことです。そのような基台をつくらなければならないのです。基台をつくらないでただ代表を願うのは泥棒です。分かりましたか? (はい)。だから、自分の家庭のお父さんお母さんは何かというと、王様と女王様です。全世界を代表した家庭の王様と女王様です。

 では、お父さんお母さんにどういうふうに侍るのかというと、全世界の家庭を代表した王様、女王様のようにです。それは本当です。地上天国の王様なのです。そうでしょう? 地上天国の中心の家庭だから、王様の家庭なのです。分かりますか? (はい)。おじいさんは天国の王様、それから自分の父母は地上天国の王様です。それは、みんな君たちもそういうようになりたいと、良心が願うのです。そのような代表的な立場であることを忘れたら駄目です。そういうふうに、地上に住んだ場合には霊界に行っても、その基準は平面的に同じ価値基準にみんなが、なるのです。同じ天国です。分かりましたか?

 これは地上天国、これは天上天国です(先生が図―4を示し説明される)。これは未来の天国です。未来は、天上天国と地上天国が合わさって、希望を持つのです。合わさった二つの国を相続して、未来の立場に立つというようになっているのです。だから神様にも自分の現実の父母のように侍らなければならないのです。神様は、永遠の国の王様の立場に立っているから、もっと尊重しながら侍らなければならないのです。そして、自分の親も神様と平等な立場で侍らなければならないのです。分かりますか? そういうように侍らなかった場合には、地上、天上両天国を相続することはできません。

 これは、アダムです。アダムは(真の)子供がいなかったのです。アダム・エバに子供があった場合は、こういうふうに天上天国と地上天国の二つの天国を相続するのです。そうでしょう? だから子供が一人であっても、その子供はお母さんの愛の結実体でもあり、お父さんの愛の結実体でもあり、二人の愛の結実体です。それと同じです。おじいさんと子供がそういう相対関係になった場合には、そういう二つの天国のすべてを相続して生まれた子供と同じだから、二重の価値を抱えているのです。分かりましたか?(はい)。

 だから、王権の生活をして、三大王権の心情を相続しなければならないのですから、必ず神様を霊的代表として、おじいさんを天の王様みたいに、自分の親は地上の王様みたいに侍ることによって、一体になっていけば、その王族は自動的に子孫に伝来していくのです。これが伝来すれば、それが循環運動でもって、こういう線が円形になって大きくなっていくのです。分かりますか? 点は同じです。一家庭から氏族、民族、国家に拡大していくのです。循環運動をするのです。こういうふうにして、王権が世界に拡張することによって統一の世界が成されるのです。それは、この三大王権の伝統的家庭の標本を拡大したものであって、標本の元というものは、本然の中心家庭であったというのです。これは拡張した内容です。

 だから、こうすることによって三大王権ができるのです。三大王権は、決して四大心情圏を除いてはできません。分かりましたか? (はい)。夫婦生活も同じです。おじいさんも夫婦生活、お父さんも夫婦生活、自分も夫婦生活、未来の後孫も夫婦生活、四大心情圏の上にこのような連体関係をもってなすのです。今まで夫婦生活は連体関係を持っていません。関係を持ったとしても、中心とか、上とか、下の関係を持っているだけです。一組の夫婦でよかったのですが、これから関係を組んで完成することによって、天上、地上、いずこにおいても自由の王権の権限をもって、生きることができるのです。分かりましたか? (はい)。将来は王権になるのです。民主主義は兄弟時代だから、ぶっかけ合うのです。

 さあ、これで四大心情と三大王権を終わりました。だから、夫婦生活は夫婦二人ではないのですね。分かりましたか? (はい)。それは、王権を相続する基盤なのです。それを果たせなかったら、王権も何もないのです。天国へ入るには、王権を相続して入るのです。

(全員起立。お父様に敬礼します)。(ありがとうございました)。(拍手)

現地の整備(続編)

 1993年12月21日 韓国・済州研修院


絶対信念、絶対信仰に立つ

 きょうで最後ですから、こういうような仕上げをしておかないと霊界も整頓されないのです。地上の事情を整理しなければならないのです。

 結論として先生が一言残したいことは、精誠を尽くして、真なるものを植えた場合には、その結果がどうなるかというと、それは間違いなく世界中のどこででも、その収穫が得られるのです。君たちは日本国内で精誠を尽くしてきたのですが、周辺では誰も知らないし、日本の国も知らないし、誰も分かってくれなくても、真なるものを植えた場合には、世界のどこででも収穫されるのです。分かりますか? (はい)。ですから、心配する必要がないというのです。

 先生が修練会において、そのような一念で精誠を尽くし、真を尽くした場合には、その収穫は日本の国を越えて収穫されるのです。先生のアメリカでの三十四年間の活動も、すべての精誠を尽くして、真なる実を植えたので、アメリカが歓迎しなかった場合は、必ず他の国々で収穫できるのです。それは南米とか、ソ連とかです。ですから天に向けた自分の忠誠心は、永遠に実るものであるという信念を持たなければなりません。分かりましたか?(はい)。

 あすは、ここに二〇〇〇人の済州島の人々が集まるのです。それからあさっては、お母様がこちらに帰ってきます。それで一九九四年の一月一日には、お母様の世界的な講演の成功を祝う祝賀会とともに、五万人修練会成功の大歓迎会を準備しているのです。ですから君たちは、今から何をしましょうか? 一時四十分まで(時間が)あります。

 (先生が黒板に題目を書かれる)これは何ですか? (現地の整備)。現地の整備です。今、日本に帰れば、すぐにも問題になることがいろいろあるのですね。それは、旦那さんの問題とか、姑さんの問題とかです。真剣な目で(皆さんの)周辺では、「ああ、あの奥さんは頭がおかしくなってしまった」とか、行く先々でいろいろな噂をされているのです。町ならば町なりに、部落ならば部落なりに、いろいろな噂をされているのです。五万人が済州島に行って、そこでレバレンド・ムーンに教育されたということが、全国的に知れわたっているのです。政府のほうでも、「みんな修練に行って感化された者たちが、日本の地に帰ってきて、自分の親近の者に涙を流しながら済州島の修練会に参加させる競争をするので、韓国の政府に働きかけて、何とかそれを防ぐ方法として文先生に働きかけて、制御することができないでしょうか?」と言うのです。しかし、政治と宗教は分離しているのです。

 ですから、みんなが知っているように、政治の力が宗教に加わったら大変なことになるのです。そういうことはできないことです。そういう検討をして方針を出したので、日本全体が問題になっているのです。分かりましたか? (はい)。このような噂には、絶対に流されてはいけないのです。それは宗教を知らない者たちの考えです。

 君たちも体験して知っているように、宗教というものは、一般の団体の結合体とは違うのです。お金を中心として結合した組織とは違うのです。統一教会は、霊的現象を中心としてつながっているのです。人間の力以上の縦的な力でつながっているのですから、人間がいくら切っても切っても、流れる水道の水と同じなのです。パイプを切ってしまったからといって、それで止まるものではないのです。水が下に流れるのと同じように、霊界が強く干渉するのです。それ以上の力でもって援助するのです。ですから、宗教は迫害の時に発展するようになっているのです。それは歴史的なことなのです。宗教は迫害があればあるほど発展するのです。

 そのように見た場合、日本の全国的な反対は悪いことではないというのです。本当に信じる者は、本当にかたくななのです。深い根を下ろすためには、いいチャンスなのです。深い根を下ろして、周辺の反対圏をずーっと押しのけて膨張拡大していった場合には、すべてを乗り越える力が、そこから生まれてくるのです。

 ですから、宗教の分からない人は、迫害すればそれで終わると思うのですが、そうはいきません。宗教は迫害されることによって、逆に発展していくのです。なぜかというと、サタンが攻撃する以上に霊界が援助するからです。信者たちの信仰が固くなるし、強くなるのです。今まで以上の絶対信念に立つというと、神様が力を尽くして環境を押し出すのです。絶対信仰という、いくら反対されても問題にしないところには、神様が本当に背後から援助して、勝利の道を行くように押し出すのです。そういう信念を持って、今の日本の現状、噂の(悪い)台風が吹き寄せるようなことを、もっと(逆の)台風になるように、全国的にいかに転換するかということです。それは口で言うとともに、文章でもって連結させなければなりません。

全国的な御言のブームを起こす

 ですから、お母様の演説文を各家庭ごとに分配するのです。また原理(講論)の本を三十冊以上、毎日一冊ずつ貸し出すのです。それに、ビデオテープとか、いろいろなカセットテープなど、材料はいくらでもあるのです。それらを活用して、各自が周辺に配るのです。

 五万人がそういう材料を持って十人ずつ伝道すれば、一日に五十万人になるのです。一日に五十万人だったら、五十万人の百倍は何人ですか? 十倍で五百万人、百倍で五千万人です。それが、三年たてば、一億人を超えるのです。そう考えると、簡単なことです。

 それで、一人がビデオテープを持って周辺の村々を十軒ずつ巡回しながら、見せていけば感動するのです。ソ連の学生の運動や合同結婚式の映画などを見せた場合には大変です。そういうものを親近関係にずーっと回して、一人が毎日十人ずつ伝道して見せてあげるというと、一年以内に、日本一億二千万人は復帰され、一年三六〇日がたったら、大変なものです。八か月で、みんな終わってしまうのです。ですから、五万人が結束するということは大変なことです。

 それで一年間、そういう決心をすれば、できないことは何もないのです。十人ずつ、そうすれば、ある所には何百人、ある所には何千人も集まるのです。ですから、そういう数字を中心として、みんなが感動するような結果をつくっていくということを考えれば、それは問題ないことです。それから、君たちが原理の内容を語る力を持った時には、恐ろしいことです。このような者たちが動き出した場合には、いっぺんで日本は落ち着くのです。分かりましたか?(はい)。

 それを、今から男たちまでもがやったと考えてみてください。夫と共にそうやった場合には、自分の親近の家族の中には、父母がいるし、兄弟がいるので、その三人を復帰したと考えてみてください。三人を復帰した場合には、問題は何もありません。三人から援助してもらうとすれば、一〇〇日間に日本全国民はみな、私たちの本や講義など、いろいろなものを見ることができるのです。そうなれば「反対せよ」と言っても反対できないのです。

 反対するのは分からないからです。ですから、五万人が結束して、全国的なブームを起こして、北海道から鹿児島まで往来して、上がったり下がったりした場合には、日本はみんなきれいになってしまうというのです。それは難しいことではありません。一人一人が全体を考えれば大変だけれど、分配すれば大変なことではないのです。分かりましたか?(はい)。

 何人を感化させることができるか、自分みたいな人を使った場合、もし一〇〇人の友達があるとするならば、一日でいいのです。夫婦共々に決意した場合には、一〇〇人が問題ではないのです。

 これを原理から見た場合に、今は長子権が復帰されているのですから、成約時代は絶対的な可能圏の始まりなのです。それで、自分よりも年下の弟や妹を引っ張りだこにして、「何が悪いのか! 聞かないで、この者! 聞くだけでも聞いて、調べもしないで反対するとは動物よりも悪い!」と言うのです。万物の霊長として、人間として、自分の兄さんや姉さんのやっていることを聞いてみないで、調べもしないで反対するとは、そんな常識外れのことはないのです。そんな態度は、この世界では通じません。自分の兄さんや姉さんに対して、誤解してきたことを悔い改めさせなければなりません。「あなたよりも、社会的にも豊かな経験でもって、この道を求めて献身してきたのに、何も知らないで、座っていて何だ!」と、談判するのです。分かりましたか? (はい)。

 お母さんやお父さんにも談判するのです。旦那さんにも談判するのです。(正しいことを)証明しなければなりません。「誰から聞いたのか?」と、言った者を連れてくるのです。第一人者、第二人者、第三人者まで、どんどんどんどん連れてくるのです。そうなった場合には、二人、三人と詰めていかないうちに「自分が悪い」と言い出すのです。それは、間違いないことです。

 これまではずーっと黙っていたのですが、黙っているのは愛でも何でもないのです。自分の威信、兄としての威信を固めて、周辺の妹や弟を愛する時にこそ、その愛が成立するのです。何の威信も権威もないところで、いくらやってもそれは実りません。

 サタンもそうです。悪魔というものは力があればいつも攻めてくるのです。それを知った以上、力がついた場合には、もっと攻撃してくるのです。そうすれば、完全にこれはもう弱くなってしまうのです。分かりますか? 戦略を組むのです。五万人の一人一人が、そういう決意をするのです。自分一人で難しい場合には、二人でやるのです。二人でやった場合には、それは二分の一です。四人でやったら四分の一で、十人でやった場合には、それはどんどんどんどん減っていくのです。

 これまで語ったように、一人が一〇〇人を集めて、友達や親近者の組織体系をつくって、いろいろな催しをするのです。そのようにして一〇〇人のグループを組んだとすれば、一年で復帰できるのです。そのように分化して、細分化して、責任分担を分けてやれば、全国はそう難しいことではないのです。分かりましたか?(はい)。

 成約(時代)の三年以内に、完全に都市のすべての家庭を訪問するのです。全家庭を訪ねると、その中で歓迎するのが何パーセントかすぐに分かるのです。第一回、第二回と、半年ごとに回った場合には、統一教会に対するパーセントもはっきり分析することができるのです。そういう現状と環境を、はっきりと知らなければなりません。

 今からは、そういうふうにして、あなたたちの基盤をつくれば何でもできるのです。この済州島もそうなっているのです。県には県の議会があるのです。それは、国会と同じなのです。中央政府の直轄下にあるとしても、県は県なりにすべてを計画してやっていくようになっているのです。ですから、その県の議会に入るのです。「自分はこういうような素晴らしい統一教会である」と言ってです。

 統一教会は、素晴らしい武器を持っているのです。原理以上の武器はありません。それで打てば、打たれない者はいないという、強大な力を持っているのです。考えてみなさい。共産党は、共産主義理論を中心として、一九七三年には世界を風靡して、自分の執権下に世界をまとめてきたのですが、そのソビエトも四泊五日の修練会で、共産主義を捨てて神様を信じるようになったのです。(原理は)そういう恐ろしい力を持っているのです。

原理の本をマスターする

 君たちは原理の価値を知らないのです。今でも、そのことを先生は言い続けているのです。壇上で原理の内容を講義することを誇ってはなりません。読んであげるのです。それが立派な講義なのです。何の話か分かりますか?(はい)。十人でも五十人でもいいから、部落全体の人々を集めて、堕落論だったら堕落論をずーっと読んであげるのです。

 自分が講義できないということを嘆く必要は全くありません。本を読んであげるのです。本を一〇〇〇人に貸し出したとするならば、その一〇〇〇人を集めれば、何でも本でもって教育できるのです。それから、先生の説教集もあるのです。日本も翻訳をしていますか?(はい)。その題目を中心として、「自分は、御言のどこまで読みました」と言うようにするのです。また、そのような題目だけをまとめた本(文鮮明先生御言選集総目録Ⅰ~Ⅲ)もあるのです。その本を見て、適当な題目を選んで読んであげればいいのです。それで全体を解説していくのです。そういうようにして、本でもって教育していくのです。

 小学校にも中学校にも教科書があるように、教科書を中心として、それに関係のある参考書を用いてやった場合には、一人でも勉強することができるのです。みんな人でもって教育して、全世界の要員をつくることはできません。共産党は本でもって世界を七十年間もリードしてきたのです。私たちもそれを考えなければなりません。

 ですから、高等学校以上を卒業した者は、みな問題ありません。本を読みながら、質問に応じて内容を解説してあげれば、それが立派な講義になるのです。そうなれば、五万人がみな講師なのです。この前、先生がチェックしたところ、日本で二十一修の講義に責任を持てる者は何人かというと、四十七人でした。それは、罪悪です。罪です。そんなことでもって、日本が発展すると思うのですか! 原理の本を棚に置いて、ちりに染まるようにしておいて、二十一修の修練を終えたからといっても統一教会の正式の信者ではありません。四十修が終わればおしまいなどと、そんな馬鹿なことはないのです。それは、原理の本を解読し初歩の知識を紹介することなのです。問題は原理の本をマスターしないといけないのです。ですから、みんなが講師にならなければなりません。五万人がそういうようにやらないといけないのです。分かりましたか?(はい)。

 最初は読んであげればいいのです。十回、二十回、三十回と読んであげれば、立派な講師になります。そういうふうにして、模範講義をするのです。二十一修の講義も、そのような、原理の本を読んだ実力の上でやった場合には、一、二回でもって、すぐにその内容をキャッチして、堂々と壇上で講義するのも問題ありません。分かりましたか?(はい)。

 これから、あなたたちが集まって大衆を指導するようになると、噂になります。「いやー、この本がそんな内容とは知らなかった!」と。それを聞いた者がみな感動するようになっているのです。(この)世界にはない言葉なのです。すべてが、神学界にあった内容ではありません。全部が新しいものなのです。図書館にもない内容なのです。分かりましたか?(はい)。

 ですから、今からは本を中心としてやらなければなりません。みんな三十冊を持つようになったのですから、三十冊を貸し出した者に、みんな電話して来るようにするのです。三分の一が来たとしても、十二人が集まるのです。そのようにして、一か月間貸し出しても読まない者は、本を回収していくのです。一日に一冊ずつやれば、三十日間で三十冊できるのです。周辺からずーっとやるのです。電話して、その内容や感想を聞きながら、難しいところはさらに読んであげて指導していけば、自動的にだんだんだんだん増えていくのです。分かりましたか?(はい)。

 そういうふうにすれば、立って講義するよりも座って読んであげるのがもっと効果的です。共に読みながら勉強するのです。そのようにして、十人、二十人とやった場合には、その中に優秀な大学を卒業した人、あるいは有名な博士がいた場合、すぐに理解する範囲が大きくなるのです。そうなれば、その人を中心として、その人が責任を持つように、解説をするように指名するのです。どこどこを読んで、その内容を話すようにするのです。そのようにすれば、日曜日の礼拝の代わりに、それが説教になるのです。

 そのような形式をとって教会体制を早く、全国に二万か所以上準備しなければならないのです。それが先生の計画です。だから、短大以上の卒業者を緊急に、再び八日から教育するようになっているのです。その人を、二万か所の教会の責任者として立てて、先生のいうとおりに講義できる力があった場合には、本を読んであげながら指導するので、各自が本を三十冊買うようになっていくのです。そして、貸した本をみんなが持って集まるようにして、そこで読んであげるのです。そのように読んでもらうことによって、関心を持つようになるのです。そのような人は、絶対に落ちません。

 本でもって理解した人は、一人になっても絶対に落ちません。いくら原理を聞いても、本を読まない者はみな忘れてしまうのです。自分が、だんだんだんだん世俗化された環境に入った場合には、昔と同じになってしまうのです。環境を主管して引っ張っていく中心性を持たないので、自動的に周辺に吸い込まれてしまうのです。分かりますか?(はい)。

女性時代の到来

 五万人がみ言を中心として、ぶっかけ合う(討議し合う)運動をしないといけません。それとともに、本でもって拡大しなければなりません。話をするだけでは、その人を絶対に信じることができないのです。本でもって統一教会の本質的内容を伝達することによって、その内容に(その人の話が)もっとも近い場合には、「いやー、あの人は正直な人だ。正しい人だ」と、信頼度が深まってくるのです。それがなかったならば信頼されません。分かりましたか?(はい)。

 話をするとともに、それを文章でもって勉強させるのです。それは先生や、お母様の演説文などによってです。そこには旧約、新約の聖書がみんな入っているのです。すべての歴史観が入っているのです。今まで誰も知らなかった内容の新しい世界観が入っているのです。そのことは、ちょっと世界を考える者にはすぐに気づくのです。今からは、世界を感じるような観を持たない人は、いくら日本の統一教会に入ったとしても、必要ないのです。我々が必要なのは、世界を指導するようになれる人です。分かりましたか?(はい)。

 今からは、みんな四〇〇〇人以上のメンバーが同時に出発するとしても、同じレベルの者が、この内容をいかに活用して、いかに早く周辺に拡大するかということが、社会的にも出世し、成功する基盤になります。現実問題に直結するようになっているのです。このような内容をすべて準備して、周辺を教育した場合には、その村や町を全部カバーするような時が来るのです。それで、今からは女性時代が来るのです。先生がそう考えるから、そうなるのです。そういう戦略を組んでいかなければなりません。分かりましたか?(はい)。

 そのように、組織体制をつくっていくのです。ですから、たくさんの催しをしなさい。たくさんの組織体制をつくるのです。世界文学書を読む運動などをしながら、その中で原理を読むのです。それをやらないから伝道ができないのです。いろいろ何でもやってみて、その内容を中心として原理のほうにつなげるのです。何も、問題ありません。分かりましたか?(はい)。

 いろいろ自分の特技や技術があったとすれば、それを中心として、いろいろなクラブをつくって、組織化するのです。文学の好きな人々を集めて、文学雑誌を読むクラブもつくるのです。韓国には「契」というものがあるのです。お金を出し合うのです。十人から二十人くらいで、何百万円、何千万円と決めて毎月、払い込みながら、それをいっぺんに一人が持つようにするのです。それから、その次の者が持つようにして、十人から二十人が順番でもって分け合うようにするのです。毎月払った者がそうするのです。みんなが配当を受けるのです。日本でもやっていますか? こちらでは大変です。たくさんのグループがあるのです。

 ですから、それを、女たちが中心としてやるのです。アメリカ行きの旅費が必要になるので、二十人、三十人、五十人と募集して集めるのです。そのようにして集めておいた場合には、いっぺんでアメリカにも行けるのです。そういうグループがあった場合には、それを五十人ずつで分けるのです。こういう運動を展開して、旅行に行くにしても一人で行くのではなく、団体で募金をしながら準備していくのです。大変なことです。それを部落全体、町全体に適用させるのです。

 私たちには「世界平和女性連合」の組織があるので、これからは引っ張りだこです。各自がみんな世界平和女性連合の会員になるのです。分かりましたか?(はい)。今から強調しなければならないことは、世界平和女性連合です。日本ばかりでなく、この組織は世界に通じるのです。そして大移動するのです。もし、イギリスの世界平和女性連合と日本の世界平和女性連合で、同じクラス、同じレベルの係長だったら係長と、文化部の担当者であれば文化部の担当者と、宣伝部の担当者はやはり宣伝部の担当者と交代することもできます。そういう世界的交流が可能になるのです。なぜかというと、思想的な基調が同じ食口のようになれば可能なのです。

 そうすると、「誰々の奥さんはイギリスに何か月行って住んでいた。それからアメリカに行った。ドイツに行った。フランスに行った。四か国を回ってきた」と、有名になるのです。有名人になると、友達を連れてきて、みんなを集めて紹介するのです。「この人は、こういうことをやってきました」と。そして、大会をたくさんやっていくのです。そういうふうにして環境を動かすのです。そういう催しをいかに拡大するかということと、反対する環境をいかにまとめるかということが絶対に必要です。

 共産党はデモを行って、自分たちの発展の基盤をつくってきたのですが、統一教会は大会を行うのです。小さなグループの集会をたくさんやるのです。一つの町でも十人ぐらいまとまれば、一〇〇人を集めるのは問題ありません。そして、有名人を呼んできて話をさせるのです。その中に三人くらいメンバーを入れるのです。その話の内容を聞けば、いくら有名人でもメンバーの話の内容に負けるのです。

 そういう環境をつくって、宗教界、政治界をまとめるのです。そうすれば国会議員なんかは命を懸けてでもついて来るのです。それを教育してあげながら、自分の基台のほうに発展させるのです。彼らは教育しても、人脈を結ぶことはできないのですが、私たちは素晴らしい教育の思想と内容を持っているので、人脈をつなげていけるのです。ですから国会議員の組織を、私たちのほうに向けさせることは問題ありません。既成基盤をいかに自分の活動基台につなぐことができるか、それを考えなければ世界を救済することはできません。

 ですから外交的能力が必要なのです。また、いくら外交的能力があったとしても、説得能力がなければなりません。統一教会の指導者になるには、第一は説得能力です。実力がなければならないということです。それから経済自立能力です。責任者はいつも世話になっていてはだめです。その団体で使うお金の三分の一は、いつでも責任を持つような信念を持たないと、みんなを引っ張っていけないのです。そうすれば、集まった者が十分の一を出す時、三分の一を出す者が経済的な指導者になるのです。

 経済的自立能力があり、外交能力があり、説得力があった場合には、その団体は、自分に消化されるなといっても消化されていきます。みんな偉くなりたい、みんな成功したいと思うのだったら、今はそういう徹底した内容を持っているし、その武器を持っているのです。先生が一人で、これだけの世界的な基盤をつくった要因は何かというと、こぶしの力ではないのです。原理の力です。分かりましたか?(はい)。

 ですから、まず本を読むのです。何回もすらすらと読めるようになるまで読むのです。それを十回やり、一〇〇回ぐらいやれば、みんな覚えるのです。分かりますか?(はい)。四〇〇〇人以上の者がみんな原理の本でもって伝道するブームを起こすのです。原理の本を中心として全国に連結させれば、ブーム台風になるのです。言葉で起こした台風は消えていくのですが、原理の本で起こした台風は絶対に消えないのです。だんだんだんだんと大きくなるのです。分かりましたか?(はい)。

先生の精神を相続して全体を救済する

 それで今からは、『原理講論』は講師だけが講義するのではないのです。講義を撤廃させるのです。全世界は本を見て教育し、講義をするのです。そういう命令を出しているのです。ですから、全世界の統一教会のメンバーは、三十冊の原理を、訪問して、毎日一冊ずつ貸し出しするようになっているのです。そうすれば、一年に何冊かというと、三六〇軒で三六〇人が読むようになるのです。その十分の一でも三十六人です。読んで感動した者には、訪問して質問しながら説明してあげるのです。「感動されたところはどこですか?」と聞いて、そこを再び読んであげながら、その内容を説明するのです。

 こういうように原理の本を中心として伝道された者は、噂によって決して消えてはいきません。もし、父親が読まなかったならば子供が読みます。自分が読めなかった場合には、親戚の者に「この内容はちょっと何ですか?」と、読んでもらうのです。また旦那さんでも読む時間がないとするならば、自分の弟とか、妹とか親戚の者に読んでもらうのです。そして良かったという場合には、自分が読むようになるのです。決着していく道は素晴らしいのです。分かりましたか?(はい)。

 このように見た場合、一人が十人ずつやった場合には、今までの六〇〇〇人の女たちが、みんなやるとすれば六千万人は問題ないのです。一人が十二人ですから、一二〇〇人は、一人十二人ずつで一〇〇回です。本を三冊ずつ持ってやった場合には、一〇〇回ですから三十回です。それは大したことではないのですが、一生懸命にやれば感動するのです。読んで感動した者に、「どこに感動したのですか?」とチェックして、多くの人々を連れてくるようにして、もう一回、集会をしながら、自分が直接関係持って読んでやった場合には、すぐに高まるのです。そういうような関係でもってやれば、一二〇〇人を超えるのは問題ありません。分かりましたか? (はい)。

 ですから、遠い所でやる必要はないのです。今から先生の言うことは、教育することにおいても、本部はなく、地方から東京へ何千人を連れてきても、一つの郡からは一人か二人しか来れないのです。郡を中心としてやれば、一〇〇人を集めるのは問題ではありません。地方から移動して本部まで来るのは大変なことです。経費の問題なども大変です。みんなが異郷の地に行くのですから大変です。周辺だったら何でもないことです。部落だったら、町だったら、「どこどこに集まれ」と言えば、食堂であれば、すぐに一〇〇人、二〇〇人は問題ないことです。昼食代も助かるしね。(笑い)。そのようにするのです。話をしたり、証をしたりして、原理の内容を伝え合うのです。

 それで、お金が必要になったらファンダレイジングをしなさい。いろいろな方法を研究するのです。当然、人間として経済問題を逃れることはできないのですから、自立体制をつくらないというと、いつどうなるか分からないのです。この複雑な世の中では、自動車事故もたくさんあるのです。だから、女は女なりに十人の子供がいた場合には、十人を(育てる)訓練が必要です。ですからファンダレイジングをするのです。今、アメリカに行っている宣教師もそうです。自給自足なのです。

 ですから、ここに来た者たちは、奥さんから子供たちまでみんなファンダレイジングをしなさい。一週間に二回やりなさい。女は、自分の旦那さんが会社に出勤しないと生活できないようではいけません。そういう方策を変えたのが先生です。一週間に二日やれば、もう問題はありません。一週間の他の日々は、公的な伝道活動ができるのです。週に二回やれば、十か月で八十日です。そういう訓練をしないといけないのです。そのように、週に二回、八十日間、公的な時間を天に捧げるのです。

 今、韓国の神学生も、学費は自分でつくるのです。夏休みはみんな勤めるのです。働いて自分の学費をつくるのです。ブリッジポート大学も、統一教会のメンバーは自分で学費はつくるようにするのです。国家的なチームをつくって、先生は訓練しようと思っているのです。経済問題を解決し得ないで卒業しても、社会的な寄生虫になるのみです。分かりましたか?(はい)。

 これから君たちが日本に帰った時も、先生はそのまま放ってはおきません。このように訓練された者がみんな全国に散らばって、そのようにやるのです。分かりましたね。(はい)。それは、統一教会の特別なやり方です。国を超えて、そういうことを考えています。それでドイツの半分をフランスに、フランスの半分をイタリアに分けて、他の国に本部をつくってやるのです。そうすると両方の言葉を勉強できるのです。活動も同じくするのです。日本と韓国もビザの問題が解決すれば、問題はありません。その時は、韓日交差結婚した者がみんな責任者になるのです。韓国の責任者になるし、日本の責任者になるのです。その準備をするのです。分かりましたか?(はい)。

 これからは、十八歳、二十歳以上の者はみんな交差結婚をして、日韓・韓日は一つになって、アダムとエバの一つになって、一つの家庭に住むようにしないといけないのです。そういうふうにすることで、世界が一つになるのです。先生以外に、そういうことをやれる人はいないのです。先生以外に、交差結婚とか、国際結婚を三十六万双もやれる人はいないのです。今や白系ロシアの国が、先生の結婚式に対して相当の関心を持っているのです。この前、大統領が参席して、「自分の国でやるのでしたら、三十六万双は自分の国の青年たちを出します」と言うのです。そうなれば、その国がアダム・エバを超えた価値の国になってしまうのです。そういう時代になりました。

 アメリカも、今やそのように動くようになっているのです。先生は来年の正月にある大物に会うようになっているのです。それで世界はびっくりすることでしょう。いつ、どういうことが起こるか分からないのです。アメリカ人も太平洋を越えて、五万人ぐらい移動して教育するとしたらどうですか? それは、問題ありません。韓国はその台風に吹かれてみんな飛んでいってしまうのです。日本もそうです。「あんなことのやれる男は、歴史上に文先生以外にいない」ということは、みんなもう既に分かっているのです。レバレンド・ムーンとミセス・ムーンを知らない者はいないのです。家庭を中心として、いかに周辺を自分のほうに引きつけるかということです。分かりましたか?(はい)。

 ですから、自分の家は小さい部屋でもいいのです。そこに人が来た場合、狭い所に缶詰みたいに詰め込んで座って話し合うのがいいのです。鳥の雛もそういう巣の中で育って、だんだん大きくなってきた場合に、巣の中にはとどまらなくなるのです。みんな大きくなって出ていくのです。そういうふうにして発展していくのです。大きな所から小さくなるのではなく、小さな所から大きくなっていくのです。分かりましたか?(はい)。

 そういうふうにして、自分なりの決意をして、先生が一人で世界に向かって発展してきたと同じように、皆さんが先生の精神を相続して、自分自身を中心としていかに大きい波動をつくるかということの競争です。自分一人のための真理ではないのです。全体を救済するためのみ言だから、全体に分けてやるのです。分かりましたか?(はい)。

長子権の顕現

 ところで、旦那さんの問題のある人は手を挙げてみてください。ちょっとでも(問題のある人は)手を挙げてみてください。霊界が援助するかもしれないのです。ああ、騒がないで、旦那さんの問題のある者は手を挙げてみなさい。相当いますね。かわいそうだね。帰るのが心配だね。心配無用ですか?(はい)。今度帰れば引っ張りだこにされるような態度をとってはなりません。堂々と一対一で弁明しなさい。「聞いてください! そんな話が本当だと思いますか、誰がそんな失礼なことを言ったのですか、その友達はどこにいるのですか?」と、三人ぐらい旦那さんの所に連れていって、「何だ! 奥さんを人間扱いしてないじゃないか! 豚みたいに動物扱いをして何だ! 引っ張りだこにして何だ!」と。アメリカでは、すぐに告訴されるのです。分かりましたか?(はい)。

 そのままであった場合には、先生が放っておきません。今までは、時がそうではなかったのですが、いよいよ長子権復帰です。今までは、ずーっと神様がやられてきたけれど、今からは、そうはいきません。主人として堂々たる権限を持つのです。そういう時代になりました。僕にやられるようなことは、神様は大嫌いです! 分かりますか?(はい)。

 ですから長子権を中心として、数千万年の歴史を通して、人類創世以来今まで戦ってきたのです。長子権を復帰して勝利した者が、天使長より以上の能力を持たなければならないのです。堕落したアダムではなく、完成したアダムは天使長に命令をするようになっているのです。今までは、それを果たせるような男がいなかったのです。神様の秘密とサタンの秘密を凌駕するような者が生まれなかったのですから、長子権が復帰されなかったのです。いつもやられてきたのですが、今からそうではありません。

 先生は一人でもって、全世界の反対の境地を凌駕しているのです。日本もいくら反対してもだめです。このごろでは、もう静まってきているのでしょう。いかなる者を出してきたとしても、みんな過去の新聞に出た者たちであり、みんな分かっているのです。文先生はびくともしません。それは今に始まったことではないのです。みんな新聞に出た輩が集まって、それでもって金でも儲けようという態度でやっているのです。日本の言論界を利用して、金を儲けようと考えているのです。彼らが分からないのではないのです。ちゃーんと韓国の新聞に掲載されているのです。彼らが先生の前に来たら屈伏させてしまうのです。

 しかし、先生の名前で神様の前に誓ったことがあるので、彼らを全部救ってやるために黙っているのです。本当は堂々と訪問して処分してしまいたいのです。先生の性格からして、放ってはおかないのです。神様の心情が分かるから、こういうような先生の性格であっても忍耐するのです。み旨を成し遂げるまで忍んでいるのです。先生は何の過ちもない立場ですから、一発でも打たれたら、もう眠れないのです。それは、幼い時から有名なことです。流されていくような男ではありません。徹底してやるのです。「イエス」か「ノー」か、はっきりしているのです。女たちもそのように、ただ殴られて悲惨な影の女になることを願いません。分かりましたか?(はい)。

 先生は、無力な男ではありません。今までは放っておいたのですが、今からそうはいきません。日本もそういうことをした場合は、大使館を攻撃するのです。先生には、百数十か国がついているのです。大使も困るようになる力を持っているのです。公言しなさい。分かりましたか?(はい)。宣布しなさい。「何が悪いのですか! 何か悪いことしているのを見たことがあるのですか! 君たちは何か悪いことをしましたか!」と。 男女関係は徹底しているのです。それは世界中が知っていることです。いろんな宗教団体が、悪いことをみんな統一教会にかぶせてやっているだけなのです。

血統転換

 血統転換とは、サタンと神様の前で決闘することであり、殺し合いなのです。血統転換は、決闘して探してきたものです。分かりますか? 一九四五年から六〇年までの十四年間、先生は一人でした。一人でいたので、たくさんの女たちがやってきたのです。みんなお母様の候補者としてです。大統領選挙と同じように、みんな候補者なのです。三代が一つになって、おばあさんから孫娘までの三代が一つになって、みんな先生を婿にしようとして秘密に準備するのです。それは霊界が教えてくれるからです。

 先生の着物の寸法がいくらいくらだと、みんな霊界が教えてくれるのです。それで準備するのです。国家的最高の準備をするのです。それが一軒だけではないのです。数十軒もあるので、みんな大変です。宇宙のお母様、真の母を自分の家から出そうとするのです。霊界では、全先祖が動員して、みんな教えてくれるのです。大変です。それが十二歳から八十代のおばあさんまでです。八十代のおばあさんが二十代の先生を呼んできて、「自分は十人の子供を生むように万全の準備をしているから、いつでもおいでください」と言うのです。それを考えてみてください。それでも、仕方がないのです。

 そうでもしないと、世界中を代表したお母様になれないのです。そのようなおばあさんたちですから大変です。みんな伝道されて集まった者たちではないのです。啓示によってみんな集まってきているのですから、説明の必要がありません。先生の使命が何か教えなくても、ちゃーんと知っているのです。先生がどこかの地方巡回に行くと、ちゃーんと前夜、既に夜通しでそこに行って待っているのです。

 そして、「私は、ここに来ました」と。「この者、何で顔を出すのか!」と叱り飛ばしても仕方がないのです。「ここに来ざるを得なかったのです。霊界が勧めるのだから仕方がないのです」と言うのです。いやー、大変です。ですから部屋には、鍵を二つかけて寝るのです。本当です。そういうことは誰も知らないのです。それで聖別生活をするのです。お母様を選定していないので、絶対祝福されることはないのですから、みんなが聖別生活です。夫婦関係は絶対に禁止するのです。先生が教えなくても、霊界が教えてくれるのです。「聖別生活をしなさい」と。

 それから、旦那さんが二つ頭の蛇に見えるのです。頭が二つ、尾が二つです。旦那さんが会社に行く時、門を開ける前は自分の旦那さんなのですが、門の外に出た場合には二つ頭の蛇が現れるのです。また帰ってきた時も、門の前に蛇が現れるのです。そして門の内に入ると旦那さんになるのですが、寝る時はちゃーんと蛇の格好をしているのです。ですから夫婦関係した場合、間違いなく出血するのです。

 そういうことを誰に話せますか? 自分の旦那さんも分からないことなのです。旦那さんが蛇になるのですから、どうしますか? 分かるのは先生しかいないのです。自分の父母も知らないし、自分の旦那さんも知らないのです。だから聖別するなと言われなくても、聖別せざるを得ないのです。なぜかというと、お母様を選抜中なので、夫婦関係すると、そのレースから外れるのです。

真のお母様の選定

 そこで、みんなが先生を婿として引き込もうとするのです。先生は、そんな話は聞かないのです。エバがアダムを選択するということになるからです。みんな原理の反対になるので、それを収拾しないといけないのです。先生が、主管性転倒したことをみんな正してやらないといけないのです。だから、そういうことが八十代から七十代に移行するのです。神様の蒔いた恩恵なのです。全世界に、みんなが新婦の結実体になることを願って蒔いたのだから、収穫の時代の主人の立場の人が現れたので、主人の前にそういう態度を取らざるを得ないのです。

 それらをみんな収穫する責任を先生が持って、まとめないといけないのです。ティーンエイジャーの十代から三十代へと発展してきたのだから、それを逆に収拾しないといけないのです。八十代のおばあさんを中心としてです。このことは、原理として知っているのですが、決定は先生がすることです。

 それで、「こうこう、こういうことだから」と先生に言われて、「分かりました」と手を挙げて誓った後であっても、その次の日には、「先生、そういうふうに決めても、自分にはどうにもなりません」と言ってきて、また元に返ってしまうのです。それを何回も繰り返すのです。何回もなだめて帰すのです。それを追い出してしまったら大変なことになるのです。死んでしまうのです。

 「私は、統一教会の文先生のために死んだ」と、噂されると大変なことになるのです。誰にも言うことはできないのです。こんな話のできる者は誰もいないのです。先生以外にはいないのです。だから、それをなだめながら自分の姉さんみたいに、自分のお母さんみたいに慰めながら、なだめていくのです。そういうふうにして、八十代から七十代、七十代から六十代、五十代、四十代と大変です。三十代、四十代の女は、みんなあの当時の印象があるので大変です。

 本当に気持ちがよくないのです。女は嫉妬するのです。「女がいい」と言う男は、ちょっと変わっているのです。本当です。みんな命を懸けて、先生を飲み込もうとするのです。それをずーっと四十代、三十代、二十代まで来るのです。ティーンエイジャー前後まで縮小して、まとめないといけないのです。

 そういうふうにして、お母様を選抜して、お母様に伝授してあげないといけないのです。しかし、肉的に霊的に伝授された内容は伝わっても実体としては、その女性のために、おばあさんとお母さんと孫娘三代が、みんな乗っ取られてしまったと思うのです。それをなだめるために、三年半はお母様を迎えて一緒に暮らすことをしなかったのです。三年半は、お母様を他の所に置いて、電話で連絡しながらやってきたのです。

 ですから、お母様のお母さん(洪順愛大母様)が霊界から詳細に教えられて、先生が何をするかという一日のプログラムを、霊界で見せられるのです。それをお母様に報告するのです。お母さんが教えることは間違いないのです。そういうふうにして、お母様のお母さんが正門で自分の娘に文を手渡したら、みんなおばあさんたちがにらみつけるのです。「うー、悪いおばあさんだ! あの女が先生を誘惑して、自分の娘を奥さんにしてしまった」と思うのです。間違いなく、そう信じているのです。そういう環境を三年半通過しながら、それでどういうことが起きるかというと、青少年たちが、中高等学生たちが、そのことが分かると反対するようになるのです。

 それは、娘や孫娘のような者たちなのです。周辺の若者たちが、若い女の子たちがみんな励まして、逆のほうに影響を及ぼすのです。「何だ! 若いお母様をお迎えしたのに、共にいられないようにしたのは、あなたたちが悪いからだ」と。そういう噂をされて、それをずーっと、孫娘を通じてなだめさせることに三年半かかりました。もし、そういう環境を無視して一緒に暮らしたとすれば、薬を飲ませて殺されてしまうのです。それは気違いみたいなものです。だから女は恐ろしいのです。自分の知らない霊的現象で、先祖がそうするのです。「薬を入れよ」と言えば、薬を入れるのです。それはどれぐらい真剣になるかというと、目玉が一方向しか見えないのです。

 それで、いつも先生がどこに行っているかと目を見開いて見ているのです。距離が問題ではないのです。先生が何をしているか、ちゃーんと知っているのです。みんながそうです。だから市内に出かけた場合には、「先生が出かけられた。早く行け!」と、みんながいっぺんに、二、三人が集まってくるのです。まるで嘘みたいな話です。聖書でもいろいろ啓示なんか書いてあるけれど、それは何でもないことです。いろいろな奇跡があるのですが、そういうことは、先生は言わないのです。言ったって誰も信じる者はいないのです。これはもう嘘みたいな話なのです。そういうふうにして、もう大変です。

 そういう人々の中で、今も一人で結婚しないでいる女性もいるのです。「祝福を受けるように」と言っても、祝福を受けないのです。「自分は先生を慕った者です。誰と結婚するのですか」と言って、大変なことです。もし、先生がキスでも握手でもやってあげたら大変なことです。これはもう間違いなく「関係した」と言う人が出てくるのです。そういう女の乱れ切った環境を泳いで、よくも女に引っかからないでここまで来たものです。

 それで、女はどれぐらい真剣になるかというと、食べることも寝ることも忘れるのです。だから他の女とつき合ったとなると大変です。すぐに分かるのです。聖別生活を二十年続けて、祝福されないで亡くなった食口もいるのです。君たちは、このごろでは一週間だけ講義を聞いて、祝福を受けられる恵沢時代が来たのですが、みんな先輩が蕩減し犠牲になった基台の上にあるのです。簡単に、そういうふうになったのではありません。分かりましたか? (はい)。

 それで女たちがどうなるかというと、先生を慕う時には、何も考えないのです。何も考えないのです。今から十年前までは、お母様の部屋に来て「この部屋は自分がいるべきであって、あなたがいるべきではない。部屋を出なさい!」と、喧嘩みたいに騒ぐ女もいたのです。間違いなく啓示を受けたのに、そうならなかったのだから、考えても考えても不思議なのです。それで、みんな乗っ取ろうとするのです。だから、もし先生がキスでもしてやったら大変です。手で握手でもしてやったら、それを条件としてどんなことでも引っかけてくるのです。

 ですからお母さんは、お母様がお母様として立つまでには、相当の心的な苦労があったということを知らなければなりません。みんなそういう女ですから、お母様が死ぬように内緒で考えているのです。それで、「死んだら自分の娘が入る」と言うのです。いろいろと噂をするのです。「先生は結婚を間違った」とか、「今のお母様はお母様ではない」とか、「蘇生、長成、完成で、三人いる」とか、いろいろ噂するその中で、先生を巻き込んでしまおうとするのです。ですから、原理を知らなければ大変なことになるのです。

 統一教会という存在もなくなってしまうのです。正しく原理を知っているから、そういうことをコントロールしてきたのであって、たくさんの霊的な競争を通過して勝利基盤に立って、こういう無理のない立場で無事に通行できる基盤をつくったということを、君たちは知らないのです。でなければ、こういう集会などできないのです。そういう女自体が反対するのです。

四大心情圏の蕩減復帰

 女は自分が悪くても、「先生が悪い」と言うのです。「いやー、先生が悪い。先生のせいだ」と言うのだから、みんな先生が悪いように思うのです。何か関係があるように言うのです。それを、いちいち弁解する必要はないのです。それで、いろいろな絡み合いの噂が流れて、それに巻き込まれていろいろなことが起こるようになったのです。そういうふうにして、一般の女たちも、先生を慕って教会に行かざるを得なくなったのです。

 市場に行こうとして買い物籠を持って出た者が、自分でも知らないうちに教会へ向かって歩いているのです。だから、自分の精神ではないのです。そうなると、先生を見ないと一日中が大変なのです。一日に一回は必ず教会に来て先生に挨拶しないと、御飯も食べられないし、自分が霊的に責められるのです。しかし自分の環境の中で、旦那さんとか子供たちは、それが理解できないのです。

 「統一教会に行くな」と言っても行くのだから、いろいろなことが起こるのです。女の髪を刈ってしまって、パンツだけをはかせて柱にロープで縛っておいても、霊界が「こうやれ、こうやれ」と言って、ロープを解いて出てくるのですが、パンツしかはいていないのです。誰かに見つかると大変です。もう「捕まる」と言って、町を走ってくるのです。それは夜だから、(当時の韓国は夜間外出禁止で交通止め)四時ごろの冬の夜の真っ暗い中を一人で走ってくるのです。

 そのようにして、先生の所にみんなやって来るのだから問題になるのです。垣根をよじ登って越えてくるのですが、女は尻が重いので、手がすべって落ちた場合には、周りの犬が、「ワン、ワン、ワン」と吠えるのです。それで表に出てみると、裸の女が転がっているのです。それを考えてみなさい。そういう噂が一人だけではないのです。ですから、周辺では「あの文先生によって、みんなが気違いになった」と言って、いろいろな噂がたったのです。

 ですから、みんな「文先生が悪い」と言うのです。そういうふうにして、女たちによってたくさん被害を被ったのが、ここに立っている文先生なのです。「この女たち!」。アメリカでも女を見たら、そういうふうにするのです。

 なぜ、そういうふうになるかというと、それは仕方がないのです。蕩減復帰をしなければならないからです。蕩減復帰です。堕落した時に、エバが四大心情圏を一人の男のために、みんな破ってしまったのです。それを復帰するには、この世の中で、そういう心情圏をいっぺんで体恤できるような男を迎えないと、越える道がないのです。父母として、お母様の立つ道が生まれてきません。ですから、そういう四大心情圏をいっぺんに体恤させるためなのです。分かりますか? (はい)。

 ですから、先生を見た場合には、息子の王様であり、それから兄さんの王様、旦那さんの王様なのです。そして、お父さんの王様です。四大心情圏は、子女と兄弟と夫婦と父母です。(先生は)四大心情圏を勝利した結実体の中心なのです。だから女としては、先生が自分の旦那さんそっくりなのです。

 自分の心では思わないのですが、抱擁してあげるのです。そういう心情を、子供の心情から、兄弟の心情から、父母の心情から、お母さんの心情を通過した条件を立てさせないと、それが収まらないのです。蕩減復帰ですから仕方がないのです。蕩減復帰というのは、そういう同じ状況をもって、サタンのほうへ越えて地獄へ行ったのだから、同じ立場を越えて転覆するのです。一八〇度違うのです。だから、そういう心情圏に立った女が、それを反対の方向に行くのは大変なことです。それで、たくさんの霊的な女たちが落ちていったのです。「自分は、こういうふうに霊界と直接関係をもって、先生を見つけてきたのに、先生は無慈悲であった」と言ってです。

 ある程度までは、霊的にみんなコントロールされていくのです。こういうふうに妹として、それから姉として、相対関係でもって、約婚段階で堕落したのだから、そこまでずーっと霊的に教えてくれるのです。

 それで、いろんな所を歩きながら、花の首飾りをかけてやったり、結婚式の準備まで、みんな霊的にコントロールされるのです。だから一〇〇パーセント自分の旦那さんだと思うのです。みんなが、そうなのです。ですから、今までの自分の旦那さんや父母は見たくもなくなるのです。統一教会の原理は、否定することができないのです。堕落したということは、否定することができないのです。

 四大心情圏の体恤を通過して反対の方向に行かないと、天国に入る道がありません。そういう原則があるから、君たちも女として、先生に会った場合には、先生が嫌ではないのです。みんな先生と双子の兄さんみたいになっているのです。それから自分の旦那さんみたいなのです。だから、お母様は姉さんであり、君たちは妹なのです。お母様の分身にならなければなりません。お母様が、そういう四大心情圏を体恤し勝利した代表として立っているのだから、そのお母様の分身にならなければ復帰ができません。

 それで「一体になりなさい」と言うのです。そういう内容が背後で絡んでいるということは話さなくても、そういう意味において一つになるのです。だから先生を、そっくりそのように思うのです。女たちは自分の相対として、先生のような男を夫にできればいいと思うのです。だから女たる者は、先生に惹かれない者がいないというのです。本当ですか? 先生が殴っても皆さんは痛くないのですか? これは、牧師が一般の教会でやったら大変です。いくらそうやっても、心の柵に先生がいじめたという思いが残らないように、水が流れていくように流れていくのです。流れても大きくなっていくのだから大変です。日本全国に台風が吹くのです。春の台風を先生が起こすのです。春風を起こしているのです。そうなると、一度でも先生に会うと、先生のことを忘れられなくなるのです。

 春風が吹くのです。「ずーっと先生の所にいたい」と。本当は、先生の所に来て話を聞くよりも、子供のように先生と遊ぶことのほうが印象に残るというのです。そういうような原理原則を中心とした蕩減の道があるから、そういうふうにならざるを得ないのです。だから、たくさんの女たちが先生のために涙を流してきました。あなたたちは、そういう時代に先生に会っていないから幸福なのです。

 みんな初めて会ったのですね? 半分以上が初めて二日ばかり前に会ったのですね? だから、それは一般には分からないのです。霊的に、みんな先生が教えるようになっているのです。一〇〇パーセント教えるようになっているのです。だから、このような組織や団体は世の中にはないというのです。とても一般の人々には理解できません。統一教会は、いくら研究しても分からないのです。

お母様の基盤をつくるための苦労

 四大心情圏の内容が分かりましたか? (はい)。こういう現象の根本的転換をなさないと、韓国に帰れないのです。そういう深い内容を一般の人は知らないのです。先生が誰かというと、皆さんが神様の娘だったら先生は神様の息子です。双子の息子であり、兄さんなのです。旦那さんの中の旦那さんです。もっと高い次元において、自分の心霊的な相対関係であり、話より事実が先に立つのだから、先生について来ざるを得ないのです。おばさん、分かりますか? (はい)。こういうことは初めて聞く話ですね。

 ですから、復帰の道がいかに難しいか、先生はよく知っているのです。普通の人では行けないのです。四十年以上の信仰歴がないと行けないのです。そのような一家に、そういう現象が起きてくるのです。神様は公平です。先生はそれを無視することができないのです。

 先生は、若い時には美男子でした。本当にみんなが、「美男子だ」と言ったのです。先生は、そうは思わないのですが二十代、二十五、六歳はもう、若い先生に対して八十代のおばあさんが、行く先々で足を抱えて離さないのです。まるで子供みたいにです。先生は女のために十字架にかかったのです。一生涯、女のために先生は苦労したのです。今はお母様がいるので、誰もそういう心配はないのです。それで統一教会は、男女問題が徹底していることで世界中に知られているのです。アメリカに行っても、「統一教会は、模範的に男女関係が徹底している」と噂になっているのです。

 お母様の基盤をつくるために、女の世界の悪辣なすべての過程を通過したのです。蕩減として仕方がないことです。反対現象として、逆にいくのだから、お母様を殺したかった女がたくさんいたのです。だから先生は謎の男なのです。

 アメリカへ行ってもそうです。アメリカの女たちも先生を慕ってくるのです。アメリカの女は露骨です。好きになったら「アイ・ラヴ・ユー」と、走ってくるのです。だから、一メートル以内に入らないように命令しているのです。それは、蕩減の原則で仕方がないのです。そういうことは、誰も知らないのです。

 そういうふうにして、お母様は女世界の過程を通過しながら訓練されてきたのです。だから先生は一〇〇パーセント信じています。共にプログラムを越えてきたのです。それがいかに難しい路程であったかしれません。だから君たちを妹みたいに思い、立派な奥さんに育て、立派な旦那さんと組んであげようという思いがあるのです。分かりましたか? (はい)。

 ですから、女たちは先生に感謝する者がたくさんいるのです。先生はそんなに近い男なのです。兄さんであり、旦那さんよりももっと近い、お母さんよりももっと近いのです。そうでなければ嘘です。サタンの血統を受け継いだその基準から抜け出すには、先生に帰る心情がなくては抜け出すことができません。父母が反対し、旦那さんが反対し、三代が反対するのですが、何の未練もないことです。それが、皆さんたちの救われる最も近道なのです。それを乗り越える力をどこかで得なければなりません。分かりましたか? (はい)。

 そこから違った国、違った世界に分かれていくのです。だから、全世界の男たちは、みんな先生を怨讐だと思うのです。「自分の娘を乗っ取っていった、自分の奥さんを乗っ取っていった、自分のお母さんを全部悪くしてしまった」と思うのです。夜考えても、昼考えても、「自分の娘と、自分の奥さんと、自分のお母さんと、三代をめちゃくちゃにした」と思うのです。三代の女が引っかかるのです。

 第一代のアダムを殺したのはエバです。第二代のイエス様を殺したのもエバです。第三代の再臨主まで、四十年間苦労させたのもエバです。そのように三代の男を殺したのです。そういう女を、愛でもって本妻として迎えなければならないのが再臨の主なのです。だから蘇生、長成、完成の三代を通過してきたのです。それで、みんなが先生を利用しようとするのです。みんなが何とか先生を幽閉してもいいから、自分の孫娘と一緒にしようと大変です。しかし、そのような戦略に先生は巻き込まれないのです。それは原理を知っているからです。そういう困難な戦場を通過して、原理の内容を勝利した先生なのです。ですから先生をつかんで、先生の指導どおりに生きれば間違いなく、目的地に到達することができるのです。

 あなたたちも、先生をそういうふうに思いながら、真剣に先生の代わりを果たしたならば、霊界が同じように活動してくれます。だから、それが恐ろしいのです。「お父様の言うことは間違いない」と信じてやった場合には、何でもできます。病気した者をかわいそうだと思って、涙ながらに祈祷した場合には、すぐに治ります。そのように先生が祈祷して治した場合には、イエス様の奇跡のようなことはたくさん起きるのですが、そういうことをするのは良くないのです。蕩減条件に引っかかるのです。

 病気になったことは、先祖の悪い条件に引っかかっているのです。それをみんな治してやった場合には、治してやった誰かが、その何十分の一でも蕩減をしないといけないのです。それをしないので、イエス様も殺されたのです。奇跡を起こさなかったならば、十字架はなかったのです。病気をしても、自分が責任を持つことによって、すぐに病気も引っ越していくのです。先祖の病気は、蕩減しなければならないことです。

 ですから教会内で病気をした場合には、誰かが教会内で犠牲になって、病気が治るのです。分かりますか? (はい)。十人ぐらいの人々の病気を治した場合には、十人以上の善なる人が犠牲になるのです。それで、統一教会のハイクラスのメンバーたちが、そういう条件でたくさん霊界に行ったのです。だから先生は、病人に対して祈祷などしないように言っているのです。

 このようにして、先生が涙を流して痛哭しながら、激烈な話をした場合には、病気がたくさん治るのですが、今はそんなことをしたくないのです。今は涙で感動する時代は過ぎ去りました。真理でもってやるのです。先生と君たちとの因縁が、そんなにも近いということが分かりましたか? (はい)。あなたたちの心も、そう近く感じますか? (はい)。本当ですか? (はい)。霊界の心情圏がそうなのです。みんな神様を中心としていく所に、心情がみんなつながるようになっているのです。接ぎ木は、一人では大変です。そのような真剣な顔で見なくてもいいのです。「現地の整備」が何か分かりましたか? (はい)。戦略戦術を組みなさい。男の性格をよく知ることです。分かりましたか? (はい)。

繁栄と天国に通じる道

 先生は結婚生活の美術化、芸術化のことを言っているのです。「芸術的な結婚生活、美術的な結婚生活をしなさい」と言うのです。女が結婚するのは、愛を受けるためだというのですが、そうではありません。女は、家庭においては、愛の女王様です。この前は、女は空き箱だと言ったね。女は何も持っていないと聞いたでしょう? しかし、この正面のものは誰のものですか? その話もしたでしょう? 顔と、それから女のそのものは誰のものですか? 忘れたのですか?

 真剣な話です。これは旦那さんのもの、これは子供のものです。旦那さんと子供のためのものです。自分のためのものは一つもないのです。だから愛の相対者は、自分よりも立派な人を願うのです。それは、神様から来たものです。神様がそうだったのです。自分よりも立派な者になるように、一〇〇パーセントの神様が一〇〇パーセント投入しても、同じものしか生まれてきませんが、何億以上も立派なものを願うのだったら、何億回も忘れて投入しないと、そういう相対は生まれてきません。だから真の愛の道は、投入して忘れるような立場をとらないというと、そういう真の愛は生まれてきません。自分の生命を投入して忘れるところから、真の愛が出発するのです。分かりましたか? (はい)。

 真の旦那さんとは、奥さんのために命を捧げて、再び生まれ変わっても奥さんのために生きるという男でなければ、真の男ではありません。真の旦那さんではありません。女も同じことです。父母も、子供に対して自分の命を犠牲にしても、再び 蘇 っても、また子供を愛したいと思うところに、真の愛が出発するのです。これをはっきりとしないといけないのです。分かりましたか? (はい)。

 真の愛とは、平常ではないのです。自分の地上の父母より以上でなければなりません。父母として命を犠牲にし、蘇った場合にも、再び命を投入し得るような立場にならないと、真の父母として神様に似た父母の後につくことはできません。分かりますか? (はい)。真の愛という出発点は、そこです。だから聖書は、はっきりと教えているのです。「死なんとする者は生きるのです」。死の峠を越えることによって、真の愛を迎えることができるので生きるというのです。分かりましたか? (はい)。

 「死なんとする者は生きる」。生きるということは、真の愛によって生きるようになっているのだから、死を越えないというと真の愛は迎えられないのです。こういうことを原則的に、理論的に、整理しておかなければならないのです。だから末の時代には、後の者が先になり、先の者が後になるのです。それは何かというと、統一教会に、初期に入った者と今入った者とは、心霊基準が違っているということです。

 あなたたちも考えてみてください。最初に統一教会に入る時、原理を聞いて「いやー、これだったら自分も天下を統一できる」という自信を持つのです。それがだんだんだんだん消えていって、小さくなってしまうというと、出発より悪くなってしまうのです。いくら感動的な話を聞いても、感動しなくなるのです。いくら自分の昔の基準に帰ろうとしても帰れないのです。それは病人になったのと同じことです。それは死亡と地獄に通じます。しかしそれに比べて後から来た者は、よく興奮するのです。興奮する者は、時が違っているのです。

 昔は迫害が多かったのだけれど、今は迫害がないので、後の者が先になりやすい時代になりました。古くなった統一教会のメンバーは覚醒しなければなりません。だから先生がいつも考えることは、きのうよりもきょうと、一歩でも新しいことをプラスさせる発想です。それは成長することです。分かりましたか? (はい)。

 きのうやったことよりも、きょうは一つでもいいからプラスさせるのです。そうすれば、少しでも成長したことになるので、繁栄と天国に通じるのです。一歩落ちた場合には、後退と地獄に通じるのです。神様はいつも新しいものを願います。古いものが三日たまった場合には、神様は要らないのです。分かりましたか? (はい)。だから何かしないといけないのです。何か新しいものを開拓していくのです。先生もそういうふうにして、世界的な基盤をつくりました。秘訣はそこにあるのです。

 きのうよりもきょう、新しいものに向かって前進するのです。辛く難しいことでも、死亡圏に結ぶことはできないのです。命懸けです。真剣です。未来のために準備するのが、一番の後退しない秘訣です。分かりましたか? (はい)。未来のために準備することです。こういう修練会も、五年前はみんな気違いのように思ったかもしれないのです。しかし、きょう院長さんが言ったように、未来のために準備していたのでできたのです。だから参加した者は、五年、十年先に、自分が発展する条件になるのです。分かりましたか? (はい)。それが生き残る秘訣なのです。

 それでアメリカにおいて、先生は十年以上、二十年以上先のことを、みんな準備しているのです。だからお母様は、今まで国を動かしてきた全国家的最高の者たちの歓迎する中で、講演ができたのです。国を超えた全世界の人々のために、四十年前から準備してきたからです。

 そのように、一日の中で発展させたプラスの状況を残すことです。そうすることによって、繁栄の基盤をどこまでも残したことになるので、神様も関心を持たざるを得ないのです。理論的なことです。

 それで先生は、山に登っても必ず、「一、二、三」以上の数を足踏みしてから座るのです。そういう精神で、新しくプラスさせるのです。寝ることにしてもそうです。勉強をするにしても必ずそうするのです。何事においてもそういう伝統、そういう精神を生涯続けることによって、大きな実績が、普通の人にはできない実績が残るのです。ですから休む暇がないというのです。

 この周辺に神様が憂うる人がいた場合には、「誰か教えてください」と祈ると、さーっと教えてくださるのです。そうなれば「伝道するな」と言われても、伝道せざるを得ないのです。ただ生きていて、人生がそれでおしまいではないのです。生まれた価値以上の基準に立てるかどうか、それが自分の生涯を懸けた価値になるのです。その価値が、永遠の神の国を相続する基準になるのです。

 ですから、未来に向かってたくさんのことを準備した場合には、神様の思いが何十年も長く続くのです。そのために、自分が保護されるのです。未来を考えず準備しない者は、個人も国も滅んでいきます。流れていきます。先生は、この歴史とともに流れていく現状を考えて、世界を止めて引っ張り出そうとするのです。それは、未来の基準を持っているからです。アメリカもそうです。先生がアメリカの大統領まで指導するようになったので、問題なのです。一人で世界を指導し、国の運命を左右する見本をつくるのは簡単なことではないのです。四十年以上の歴史が必要だったのです。そこには、悲惨なことがたくさんあったのです。そういうことも過ぎ去った場合には、歴史になるのです。分かりますか? (はい)。真剣なのです。

 女さんたちも旦那さんを迎えて、十年、二十年が過ぎた場合には、旦那さんに対して二十年間プラスさせながらやってきた自分があるかというのです。もし、なかった場合には、この公式において落第です。どう思いますか?

真の父母と完全に一つとなって良心の本然の基準を回復する

 もう帰る時間の十二時が一時になりました。現地の整備の話として、旦那さんをどういうふうに処理するのですか? ただ座っていて殴られたり、叱りとばされたりするようになってはなりません。先生は大嫌いです。主張すれば必ず勝つようになるのです。「先生の言うとおりにやれば、大変です。今は週刊誌でやられます。周辺が大変です」と。周辺には何もありません。分からないことを吹っかけてくるのです。証言しなさい。証を立てなさい。裁判所でも、証言がなかった場合には判決が出ないのです。

 「君は、何でそんなことをやるのか! 一方的に悪いと誰が決めたのか。裁判所でもない」。裁判所には検事がいて、弁護士がいて、互いに弁論し合って、そこで証人と証拠物を比べて判断するのです。新聞の噂は、人間がいくらでもつくることができるのです。野党は与党をいくらでも攻撃することができるのです。サタンは神様のほうをいくらでも犠牲にさせることができるのです。何を言っているのですか! 証を立てなさい。分かりましたか? (はい)。それに、今は時が違うのです。向こうは天使長であり、こちらはエバの立場です。今から引っ張り合いになった場合には、価値が逆転するのです。

 この前も話したように、神様を信じる女たちを助けるために結婚を自由化したのです。この話は、もう聞いたでしょう。真剣に考えないといけません。それが神様の法則なのです。結婚していても、そんな男は相手にしなくていいのです。先生がもっと立派な旦那さんを紹介してあげます。本当です。霊界には、たくさんの旦那さんが待っています。

 それはそうとして、男は天使長です。間違いないのです。だから男たちが今まで世界を支配してきたのです。天使長が支配しているのです。それは失敗者であり、失敗せざるを得ないのです。天使長は、神様の前に復帰されていく世界をめちゃくちゃにしてしまったのです。しかし神様は、めちゃくちゃにされても、その破壊されたものを再建設します。先生がきれいに建設していきます。

 君たちも、過去にやってきたことが、サタン世界のことであるとはっきり分かった場合には、先生の話を聞かざるを得ません。高次元な人間の価値が明らかに分かるようになるのですから、これを聞かなければなりません。「良心は両親に優る、良心は先生に優る、良心は神様に優る」と訴えたでしょう。それが大切なのです。それを体恤して一つにならないというと、四大心情圏につなぐ道がありません。心身を一体にさせなければ、四大心情圏に通じる道がありません。分かりましたか? (はい)。

 四大心情圏を知らないと、堕落したということが分からないのです。堕落したことによって、良心を失ってしまったし、良心が無力になってしまったのです。それで再臨主が、長成期完成級基準まで下がってきて、現状まで解決して梯子をつくったのです。ですから真の父母と絶対に一つになった場合には、真の父母の代わりに、どこにでも上がったり下がったりできるというのです。アダムは、分からなくて堕落したのですが、先生は分かっているのです。分かっているのだから「君、何だ、これは!」と、堕落した基準に下がって讒訴することができるのです。

 ですから、真の父母と完全に一つになると、良心はもっと神様と一体となるような道が近寄ってくるので、だんだんと力が強くなって、肉身の主管は問題ないのです。そうして、肉身と一つになることによって四大心情圏の因縁を結び始めるのです。四大心情圏は、良心の本然の基準を回復しないとできないのです。分かりましたか? (はい)。

 旦那さんを、そういうふうに正していきなさい。一方的に反対する父母がいた場合には、談判しなさい。「お父さんお母さん、なぜ統一教会に反対しますか! 自分の娘が、自分の息子夫婦が信仰するのに、新聞社の新聞紙より娘をなぜ信じないのですか?」と。「いっぺんも調べないで、こんなむちゃな暴力的なことがありますか? それがお父さんの使命ですか! そんなことはできません。さあ、お父さんお母さん行きましょう。その噂が本当だとすれば証明してください。でなければ娘の話を聞いて、修練所で統一教会の原理を聞いてみてください」と。

 (両親は)娘の話を聞くべきですか、新聞社の話を聞くべきですか? 新聞社が今やっているように、野党は与党をいくらでも攻撃することができます。事件はいくらでもつくることができます。今や、みんな何十回、何百回とお金をやって噂を流して、それで三人以上が証言をすれば、裁判所で勝つというような世界になっているのです。文先生は黙っているのですが、悪い人ではないのです。偉大だからです。偉大だから、黙っているのです。分かりましたか? (はい)。

 そういうふうに正していきなさい。「お母様とか、統一教会の話を聞いてみなさい。それも聞かないで何ですか!」と。弁護士の話は裁判所でも聞くのです。「娘が弁護士みたいになっているのに、なぜ話を聞かないのですか? 文先生は悪くないと言っていることを聞いてみてください!」と、談判するのです。

 先生は十二歳の時に、おじいさんから父母まで、みんな教育してきたのです。朝も挨拶に行くのです。ちょっと遅くなったら、「なぜ遅くなったのですか?」「ちょっと用がありました」。「おじいさんは早く来るのがいいですか?」「はい」。そう言って、入っていくのです。

 それで、夜十二時過ぎに門を叩いて、「ああ、おじいさん」「何だ?」。「私です」「なぜ来た?」。「入ります」と、門ごしに入るのです。たいがい田舎は門を閉めないのです。入ると、もうびっくりして起きるのです。そこで、先生が「おじいさんとおばあさんは、寝たまま挨拶するのですか?」と言うので、びっくりするのです。そうして「上がりなさい」と言うのです。「何時に来たらいいですか?」「昼の十二時過ぎに来なさい」ということで、とうとう、おじいさんも、先生を迎えるようになりました。

 それからお母さんも、みんな十二歳で集めてしまったのです。そういう作戦をしなさい。先生も子供の時に、そういう作戦をしたのです。そのようなたくさんのことがあるのです。先生には謎が多いのです。十五、六歳の時は、みんな家まで引っ越しさせたのです。先生が裁判所へ行きながら、みんな取っていったのです。悪い者は放ってはおかないのです。分かりましたか? (はい)。

 今からは、自分が一家を治める整理をしないといけないのです。今からは国を整理しないといけないのです。そういうためにも、こういう運動が必要なのです。誰もできないことを、どんどんやるのです。先生が何回もやってみて言うのだから、信じてやりなさい。分かりましたか? (はい)。

 ちゃーんと周辺をまとめて、堂々たる生活をする奥さんになりなさいというのです。そのようになりたいですか? (はい)。なりたいのですか、なりたくないのですか? (なります)。やりなさい。(やります)。はい、ありがとう。(拍手)

立派な旦那さんをつくる道

 そうなったら、旦那さんが問題ですね。旦那さんは、簡単です。今まであなたたちは、旦那さんを知らなかったのです。男を知らなかったのです。男を知らないからそうなるのです。女と男は違うのです。まるで正反対なのです。女の 懐 に男を巻き込んでいくようなことを考えてはいけません。男の懐に女がジャンピングして飛び込まないといけないのです。方向が間違ったからそうなるのです。分かりましたか? (はい)。

 女は自分の旦那さんを、立派な旦那さんにしなければなりません。立派なお母さんは何も持っていませんが、愛の心でもって立派な子供を養育することができるのです。分かりますか?(はい)。それ以上は必要ありません。愛の心でもって子供を養育していくのです。子供は一〇〇パーセントお母さんを真似るのです。それで夫婦生活も、自分の兄弟と同じにするのです。夫婦生活をする時に、兄弟の中に自分たち夫婦と同じような者がいたら、みんな比べ合うのです。

 お母さんは、娘の旦那さんとお父さんと比べてみるのです。娘は自分の旦那さんを兄さんと比べてみるのです。それでお母さんが毎日、何かと言いつけた場合には、娘が自分の兄さんに何かと言いつけるのです。本当です。子供は親を真似るのです。子供は真似して習うのです。誰も横で教育する者がいないのです。お母さんを八〇パーセント習うのです。これは大変なことです。ですから親不孝なお母さんは、不孝者をつくるというのです。

 それで、自分の旦那さんに対して、相対的な立場に立ってはだめです。天は高いし、地は低いのです。愛を絞り出すようにしなければなりません。女が高い所に立てば、愛は下に流れるものであって、上に上がるものではありません。女が垂直に立てば、完全に愛のパッケージがそのままになるのです。角度があればあるほど、流れが多くなるのです。だから女は、男のために完全に奉仕しなさいと言うのです。

 お母さんが本当に、自分の子供を養育する秘訣は、子供に奉仕することです。そのことによって立派な子供に成長していくのです。奉仕しなければ、めちゃくちゃになるのです。奉仕しかないのです。旦那さんもそうです。

 結婚生活は、すべてが初めてです。自分の主張を奥さんと共に分けあったり、自分の主張を譲るような立場になってはいけません。ぶつかる立場なのですから、自分も共に高くなると思うとだめです。誰かが低くならなければなりません。そうなった場合には、殴ろうとしても、低いから殴るのが大変です。殴る時には、こういうふうに殴りたいのです。高いから殴られるのです。下を向いている女を殴る者はいないのです。

 君たちはたくさん殴られたでしょう? 殴るのは口数が多いからです。口のためにそうなったのです。だから、口を閉めよと言うのです。だから堕落した女たちは口を恥ずかしがるのです。堕落は口からきたのです。口を慎めと言うのです。それを「ちょっこく」というのです。(直告=事実をありのままに告げるという意味)良心が「ちょっこく」しないというと、寿命を延長させられないのです。一瞬でも延長してもらうことによって、復帰の時間を得ることができるのです。

 ですから良心は、自分の知らないうちに悪いことをした場合には、夢の中でも発表します。それを「ちょっこく」というのです。そのように発表するようになっているのです。女は口に注意しなければなりません。聖人とは、口と耳の王様です。人間は口と耳を守れば聖人に近くなるのです。「成長して、正常になるには、口と耳を守れ」と言うのです。王様は、なかなか発表しない人です。みんな聞いて発表した場合には、それが法律の代わりになるからです。一言で、国が行ったり来たりするのです。だから、慎重になるのです。

 旦那さんは天です。愛する時には旦那さんが上にいくのですか、女が上にいくのですか? 男でしょう。愛という尊いものを中心として関係する時には、男は上、女は下です。だから愛を中心としてみれば、夫婦生活は、女が下になったほうが安全なのです。上になると転覆するのです。基本的に、男から愛を貰おうとする時、愛は一番下へ流れていくのです。空気と同じです。だから旦那さんも、愛を貰うには奥さんに頭を下げないといけないのです。その愛がぐにゃぐにゃ曲がれば、死んでも大変です。死んでも求めなければならないのが愛です。死んででも愛を曲げてはだめです。愛を失うようにしては駄目です。夫婦がぶつかって、「あなたみたいな男は駄目だ」とか、「結婚すべきじゃなかった」とか、「運が悪い」などと言うのは、めちゃくちゃにならざるを得ないのです。そういう天下はないのです。分かりましたか? (はい)。

旦那さんは男の子が大きくなったものである

 女は愛の空箱だから、いくら愛を貰っても足りないのです。女を満足させる宝物はないのです。それ知っていますか? 小さな一カラットのダイヤモンドを貰った場合には三カラットが欲しくなり、三カラットを貰った場合には五カラットが欲しくなります。限界がないのです。分かりましたか? (はい)。だから、エデンの園で堕落が始まったのです。基準を越えていく行動を取ったので脱線したのです。

 女を満足させる宝物はないということが分かりましたか? (はい)。そういうことを考えて行動しないといけないのです。いくらよい物をやっても、さらによい物を持ちたがるのです。いくら愛しても、もっと愛されたいのだから限りがないのです。だから、それをコントロールするには、いつも旦那さんの下にいることを考えれば、それで治まるのです。簡単なことです。

 ですから愛する時も、上に上がらないで下に降りるのです。それが原則です。水は凹んだ所で貰うのと同じです。水がいっぱいになったら、コップを越えてしまうのです。それは、天下に合わない行動です。分かりましたか? (はい)。女さんたち、分かりましたか? (はい)。女はコップみたいです。水がいっぱい入ったのに、まだ貰いたいと思うので、最後にはコップが割れてしまうのです。コップを投げ出して割れてしまうのです。本当です。女は器になっているから、貰う立場なのです。ですから、下にいる場合が安全です。これで、離婚したいという女たちも、半分ぐらいは収まるでしょう。(笑い)

 それから旦那さんを育てて、立派な旦那さんをつくるのは簡単です。あなたたちも男の子を生んで育てていることでしょうが、男の子は腕白ですね。でたらめで、朝きれいな着物を着せたのに、一時間もたたないうちに泥水ですべっているのです。そんなにしていても、「お母さん!」と言って走ってきたらどうしますか? け飛ばすのですか。

 それを、「この子は大変だったね」と、独り言をいいながら抱擁してやるのです。何も恥ずかしがらずに、お母さんを信頼して、そのように飛び込んで抱かれる姿にみんな感動するのです。そいうふうにして、旦那さんもいろいろと教育していくのです。強制では効かないのです。優しい姿勢でもって、甘い愛の言葉をかけて、子供をなだめることと同じようにするのです。男というのは、別の生き物ではないのです。子供がちょっと大きくなったものです。

 そのような男の世界を、君たちは知らないのです。先生が今でも忘れることができないのは、お母さんのことです。幼い時、乳を飲んで、お母さんの胸に抱擁されて愛されたことは、一生涯忘れられないのです。男はそういうような気持ちだから、奥さんに対して、お母さんの代わりになってくれればいいと思っているのです。ですから皆さんが、お母さんの代わりになって、よい奥さんになれるようだったら、それ以上効果的なことはないのです。分かりましたか? (はい)。

 酒を飲んできたからといって、「もう酔っぱらってきた! この野郎! いつからこんなになったのか!」と言うのではなく、めちゃくちゃになって帰ってきた場合にも、自分の旦那さんだと思う心ではなく、お母さんの心で、自分の子供が一家を支えるために悩みながら、いろいろの複雑な外交の舞台において、酒も飲まざるを得ないような思いであることを知って、帰ってきた子供を抱くようにして、ずーっと寝かしてキスをしてあげるのです。お母さんはそうするのです。そっくり、そのようにやりなさいというのです。

 そういうことを二回、三回とやってあげると、旦那さんはみんな分かるのです。寝たふりをしながら、「いやー、ありがたい奥さんだ。昔のお母さんよりもいいな」と思うようになれば、もう永遠に別れることができないのです。それが男性の弱点なのです。先生は男性のことをよく知っているのです。旦那さんに妻として対すれば、喧嘩ばかりするのです。旦那さんに対しては、親の心でもって、お母さんの代わりに対した場合には満点なのです。

 しかし、お母さんの 懐 はよいのですが、お母さんとは愛の関係ができません。ですから、お母さんみたいな妻と夫婦生活をする以上のものはないのです。男として、それ以上に望むことはないのです。先生もそうです。ずーっと学校に行っていて、帰ってきたのは二十代も過ぎていたのです。それでも、必ずお母さんの横に寝るのです。寝ながら、昔みたいにお母さんの乳房に触るのです。その思い出が非常に幸福なのです。その感動は一生涯、忘れられないのです。

 それから、いろいろ自分のために犠牲になったことがたくさんあるのです。そのお母さんに、こんなにも親不孝して、悪い立場に立たせるとは夢にも思いませんでした。分かりますか? それと同じです。お母さんみたいに、立派な母の心情で抱擁してあげて、その基台の上で、奥さんとして夫婦生活をすれば、それ以上の幸福はないのです。だから、夫も子供を持ったお母さんに対して「お母さん」と言うのです。自分が昔呼んだお母さんのことを連想したいのだから、自分でも知らずに「お母さん」と言うのです。分かりましたか? (はい)。

 でたらめな男の子を、立派な愛でもって育てるように、お母さんの代わりになって旦那さんを抱擁しつつ、父母の心情で看病しながら大きな子供みたいに、大きな子供の兄さんみたいに、大きな子供の王様みたいに扱いなさい。そうすれば、女として一〇〇点満点以上になります。これを今から実践するのです。練習ではなく実践するのです。

 そして旦那さんが帰ってきた場合には、会社から帰ってきた場合には、奥の間にいないで、玄関の近くにいて「あなたさま!」と、言ってみなさい。そういう言葉を誰でも三回は聞いてみたいのです。

 旦那さんが疲れ切って、しおれきった格好でもって、子供と奥さんに会って何とか慰めてほしいという思いで帰ってきたのに、奥さんが奥の間から「誰ですか!」と、旦那さんが苦しいのも知らないで、三回言ってみなさい。今までの感情がみんななくなってしまうのです。だから、そういうことをよく考えて、ちゃーんと時間になった場合には、旦那さんを待ちながら、「あなたさまー!」と言った場合には、もうそれ以上にうれしいことはないのです。元気が出るのです。そして、「やっぱり、家は天国の続きだ!」と思うのです。

お母さんと妻を合わせたような奥さんになる

 日本の女は、きれいに掃除することにおいてチャンピオンです。日本の女は、旦那さんが帰ってきた場合、すぐに「あなた、風呂に入りなさい」と、それは大変です。(笑い)女は一日中、昼寝をしていて、旦那さんが帰ってくると、御飯もつくらないで、「お風呂に入りなさい」と言うのです。

 旦那さんがストレスいっぱいで、倒れるような心情も知らないで、そう言うのです。「風呂に入りなさい」と。それは、先生も嫌がることです。ですから、「ああ、風呂は後でもいいです」と言って、疲れている場合には食事のおぜんを準備して「食べてください」、「休んでください」と、自分の膝の上に子供のように寝かせてあげるのです。寝かせてあげて、耳のアカを取ってあげるのです。(笑い)

 先生の言うとおりにするのです。その時間が、五時前だったら、夏ならまだ明るいので爪を見て、伸びていたら、きれいに摘んであげるのです。それだけの奉仕をしないと、男から愛を受ける資格がないのです。分かりましたか? (はい)。それを一か月に二回ぐらい必ずやってあげるのです。先生の言うとおりにやりなさい。それから靴下を脱がせてあげるのです。汚い汗のにおいがするからといって、それを投げ捨てるのではなく、ちゃーんと丁寧に横に置いて汗もみんなきれいに拭いてあげるのです。そういうふうにした場合には、旦那さんが「風呂に入ってもいいよ」と言うのです。その順序が逆さまになったら、転覆して駄目になるのです。分かりましたか? (はい)。

 お母様は、先生の髪もみんな切ってくれるのです。先生のお母様は、利口な奥さんです。(拍手)なぜかというと、先生は普通の人間ではないのです。先生を狙っている者がたくさんいるのです。だから床屋ほど危ない所はないのです。それで「私がやってあげます」と言って、お母様が先生の髪を切ってくれるのです。そうすると、どういうことが起こるかというと、子供たちが「お母様は、お父様ばっかり髪を切ってあげて」と言って泣くのです。それで、お父様の次に、ちゃーんと待っているのです。待っているのですから、切ってあげざるを得ないのです。それでみんな髪が長くなってくると、「お母様が髪を切ってくれる日は何日か?」と言って、待っているのです。それは、非常に平和な郷です。お母様を中心として、みんな周りの男たちがそうなった場合には、美しい環境です。分かりましたか? (はい)。

 そういうような雰囲気を女がつくるのです。男にはそういう暇がないのです。一日中大変です。社会に出れば、上から、下から、横から、みんなが狙っているのです。自分の足元を掘り下げてしまうような、たくさんの謀略を重ねる世界なのです。それは、女の世界では分からないことです。女は、旦那さんだけを収めれば、万事無事通過なのです。男はそうはいきません。会社全体を収めないというと、自分の立つ所がないのです。そのように神経を使っている、旦那さんはかわいそうです。だから、お母さんみたいに、子供を養育するように面倒見てあげるのです。そうすれば、立派な旦那さんになることは間違いありません。分かりましたか? (はい)。

 そういうふうにやったにもかかわらず悪くする人には、相手が離婚してくれと言えば、すぐにハンコを押してやるのです。そんな男はいらないのです。

 お母さんと妻とを併せたような奥さんになることです。それが理想の旦那さんの願うところです。それが秘密です。それで旦那さんの問題は解決するのです。

 それから愛の生活においての芸術化というのは、みんな日記に書いておくのです。「何年何月にはどういうことがあって……」と。みんな昔の思い出を大切にするのです。ですから、できるならば、昔の思い出のコースを繰り返して、印象を回復してやるのです。そういう生活をするのです。それで信頼の度が高まるのです。だから、故郷というものは大切です。故郷の月夜を旦那さんと共に散歩するのです。そして、どこかに座って、二人が会った昔を思い出しながら語り合うのです。そういうようにしながら、奥さんとしては、いかに旦那さんによく見られるか、いかにして尊ばれるようになるかを注意深く考えていくのです。その姿勢を忘れないようにするのです。二人が会った三か月間の生活を基準として、三年間生活すれば問題はないのです。

 三年間が問題です。子供を一人、二人と生めば、ちゃーんと定着していくのです。だから、いつも結婚初夜の思い出を旦那さんは思うのです。変わっていくか、もっと高まっていくか、深くなっていくか、年を取れば取るほど、自分を中心としてもっと考えようか、旦那さんを中心としてもっと考えようか、子供を中心としてもっと考えようか、というようになるのです。

 そういうことを予備知識として、あらかじめ準備しないといけないのです。だから家に帰るにしても、万年同じ着物ではいけません。女として考えてみなさい。女の持っている財産は、目と鼻と口しかないのです。その顔を一生涯見て、かわいがってくれればいいと思うのですが、君たちは自分の顔を見て、自分の目と鼻と口を見て喜ぶような男がいったい何人ぐらいいると考えますか?

 すぐに、飽きるのです。本当です。だから顔のスタイルも大切なのです。「今月の私のスタイルは、春のタイプだ」と、いろいろのスタイルが必要です。冬の気持ちの時に、朝、旦那さんが出かけた場合には、春の陽気の色とりどりの香りの花が咲くような姿で部屋を明るくして待つのです。

夫婦生活の芸術化、美術化

 また、白いテーブルを黄色にすることもできるのです。いくらでも変えるのです。昼食を一食、二食食べなくても、それは変えることができるのです。それができないという人は、女としての資格がありません。妻になる資格がありません。ですから環境を変えていくことです。万年タンスを死ぬまで置いておくのではなく、一年くらいで色とりどりのタンスに変えて芸術化するのです。また、旦那さんが好きな写真はどういうものか、一緒に店に連れていくのです。壺を売る商店などで、「あなたはどれが好きですか?」と聞けば、すぐに好みが分かるのです。それを買ってきて飾っておくのです。それで、自分の好きなものも買ってきて飾っておいた場合「あー、そうか」と、旦那さんはそれを見て、自分の奥さんの好みを知るのです。

 そういうふうに美術化させていくのです。その中で、夫婦が主体となって周囲をハーモナイズさせていく関係をつくっていくのです。ですから、女が色盲だったら大変です。(笑い)。本当です。それで、奥さんは着物なんかを買ってもらうのに、春夏秋冬の四回だけ連れていってもらえば、その時に買ってもらえなくても旦那さんの好みのカラーが分かるのです。「あー、彼は、春はあんなカラー、夏はあんなカラー、秋はあんなカラー、冬はあんなカラーが好きなんだ」と。そうしたら、そのカラーの高くない着物を自分で選んで買って、それを着て現れるのです。そうすると旦那さんが喜ぶのです。

 そのように、みんな周辺の芸術品を美術化して、旦那さんの喜びの心情をいかに引き出すかということです。そうなると話も、話題が笑いとなって、旦那さんも喜ぶのです。そして一回、二回とキスし合って、二人の芸術的キスになるのです。それが必要です。万年同じように、木でもって作ったような木石みたいな女では駄目です。だから下着なんかもいつも研究するのです。万年同じ下着には、しらみがついているかもしれないのです。(笑い)本当です。

 そういうふうにして、芸術的な環境にするのです、花も色とりどりの花を飾って、旦那さんが好きだったら、その花を八〇パーセント、自分の好きな花を二〇パーセントにすれば、「いやー、こんなにたくさんの花を!」と。それで、「奥さんは家庭の女王様だ」と尊敬するようになるのです。夫婦生活の芸術化が何か分かりましたか?(はい)。

 そして、内的な夫婦関係の生活においては、女と男は時間が違うのです。男より女が五倍も遅いのです。遅い人は二倍から五倍以上にもなるのです。だから、夫婦関係においても、夫婦関係の味を知らないで一生涯を終えて死んでいく女がいるのです。それは男の罪です。夫婦関係が満足しなかった場合には、一日中、一か月、その余波が続くのです。絶対に女の健康のため、生理的にも絶対に必要なことです。分かりましたか、奥さんたち? (はい)。

 それをみんな教育をしないといけないのです。お父さんは自分の息子に、お母さんは自分の娘に教育しないといけないのです。みんな知らないで嫁に行くのだから大変です。分かりますか? それで、みんなを立派に教育するのです。「あなたは、それをどういうふうにするの?」と相談するのです。自分はそういう感じがまだだから、旦那さんに時間を延長してもらいたいとすれば予備運動をたくさんするのです。

 この話は堕落以降の環境ではなく、堕落前の世界でのことをいっているのです。分かりましたか? 重大な話です。

フィーリングが最も重要である

 きのうも話したことですが、稲妻と共に雷が鳴るのは、自然のキスと結婚式だというのです。それと同じことです。そういうふうに一つになる夫婦関係の愛の美しさは、一身の細胞がすべて目覚めて拍子を合わせていくようなものです。みんな、そういうふうになっているのです。五感が一つになるのです。それは尊いものです。もし、それが合わなかった場合には離婚問題とか、一生不満が残るのです。それがぴったり合うようになれば、奥さんと離れることはできません。顔がきれいということは後の問題です。

 フィーリングがいいということは、良心を見ることができないように愛も見ることができないのですが、すべてがフィーリングで分かるのです。フィーリングが最も重要です。一〇〇パーセントのフィーリングが爆発して一〇〇〇パーセントになった場合には、女として生まれたことの栄光と価値を抱くようになります。だから、そういうことを体験することによって、男の尊さが分かるのです。反対に、男がそれを体験すると女の尊さが分かるのです。分かりましたか? (はい)。立派な旦那さんをつくり、立派な夫婦になる方法が分かりましたね? 生活を美術化するのです。

 旦那さんの靴も、万年一足きりではだめです。芸術化させるということは、白い靴を買ってあげたり、黄色い靴を買ってあげたり、赤い靴を買ってあげたりするのです。それは、いくらもしないことです。君たちは、結婚生活が長くなるほど旦那さんのお小遣いをだんだん減らしていくのですか、増やしていくのですか? (増やしていきます)。本当ですか? 初めて聞く話です。今回のグループはどうにかなっているんじゃないですか? 今までは、みんな「減らしていく」と言うのが続いたのに、「増やしていく」と言うのですか? (笑い)。

 それは、減らすようになるのです。子供も大きくなると学費などが嵩んでくるのです。また女というものは、時々映画を見たり、中国料理店などに行ったり、何かを買ってきたりして、旦那さんや子供よりも、自分の小遣いをつくるのです。大半の女がそうです。そうですか、そうではないですか? それはいい女ですか、悪い女ですか? (悪い女です)。

 もし係長から部長になった場合には、多くのお金が入るのです。しかし、外交をしないと出世できません。上司や部下を顧みないと出世しないのです。それをしないで、ただ仕事だけをしていたのでは万年係長です。「金を稼ぐように」と、いくらラッパを吹いて太鼓を叩いても、それは通じません。女は、家庭生活がそう豊かでなくても、旦那さんが外交できるような資金を補給してやらなければなりません。分かりましたか? (はい)。そうすると、旦那さんが「いやー、済州島には二人で行け、その時はいくらでも出していいよ」と言うのです。立派な旦那さんをつくることは、もう問題ありませんね。殴られるようなことは絶対ありませんね。こういうことをやって、殴られた場合には、もうその家にいる必要はありません。風呂敷を包んで先生の所へ来なさい。もっといい旦那さんを紹介してあげます。これで、旦那さんはもう勝利できますね? (はい)。

家庭の伝統を立てる

 それから、次は子供です。子供を立派に教育することです。それは、八〇パーセントが母親によるのです。分かりますか? だから、お母さんが外へ行って帰ってくると、子供たちがみんな「お母さん!」と言って、走って迎えに出るのです。そうした場合、男の子が右、女の子が左で、礼の仕方を教えるのです。「お父さんに礼をしなさい。共にしましょう」と、教えてあげるのです。

 「お父様に挨拶しましたか」と言って、もししていなかったならば、共に旦那さんの前に行って、服装を正して、丁寧に教えてあげるのです。そんなことをしたことのある女は手を挙げてみなさい? (「おはようございます」と言います)。「おはよう」と言うのは、隣の組の人に言うことです。「おはようございます」ではないのです。それは、家庭の伝統を正すために、仕方がないことです。家には中心が必要なのです。

 もし、山に虎がいなかったら大変です。虎の食事の時間は、一時から三時、真っ暗な夜中です。朝なんかに食べ物を取って食べていた場合には、小さい動物がみんなぺちゃんこになるのです。神様はそのように、系列をちゃーんと安全地帯につくっているのです。だから、虎なんかは一晩中獲物を求めて四十里も走り回らなければならないのです。四十里は大変です。そういう活動をするのだから、昼間は寝るのです。寝るにしても山の高い所に寝るのだから、小さい獣たちは乱暴できません。勝手なことをすることはできないのです。だから注意しながら、静かにしてやっているのです。それと同じように、家庭には虎みたいな男が必要なのです。奥さんが虎みたいに構えて、ポーズをとっても似合わないのです。それは男以外にはないのです。分かりましたか? (はい)。

 家庭の伝統をつくるには、祖先伝来の伝統を中心として、「あなたのお父さんも偉いのだけれど、おじいさんはもっと偉いのです。そのまたおじいさんは、もっともっと偉いのですよ」と教育しながら、新しく家系をつくっていくための伝統的な内容をお母さんがつくってやらなければ、将来、子供の立つ所がないのです。分かりましたか? (はい)。

 もし旦那さんが、学力や出身からして、自分より下であっても、家というものは、家系というものは、個人よりも尊いものだから、一家を正していくには、そのようにちゃーんと敬礼をして、旦那さんを中心に虎みたいな主体をつくっておかなければなりません。そんなことを考えたことがありますか? 「あの男は死ねばいい」と思ういろんな女がいるのです。今の世界はそうです。旦那さんが死んでも、「かえって便利だ。お金儲けもしないで、女に頼って」と、めちゃくちゃにあつかう女がたくさんいるのです。そういうことをしては駄目です。(男は)女の主体なのです。分かりましたか? (はい)。

 なぜ、男が主体ですか? 女が主体ではないのです。女は空箱です。男は子供の種を持っているのです。その種を空箱に移して育てるのです。だから、男を無視する女は、将来がだんだん狭くなっていくのです。通りすぎる気違いの男に対しても悪いことは言えないのです。尊敬語を使わなくてはいけないのです。その人が将来、どのような後孫を残すか分からないからです。先生も乞食みたいな生活をたくさんしてきた男です。だから、出家した坊さんたちは六か月、乞食の生活をするようになっているのです。

 女にとっては、子供の種は天宙よりも尊い神様の代わりなのです。それを無視するという女は、後孫が縮まっていくのです。分かりますか? (はい)。だから、男に対して尊敬する姿勢は、自分が祝福されることです。その籠の中に、いっぱい尊い物を入れるのが女の本性なのだから、そういう女は天運が保護するのです。籠いっぱいに立派な旦那さんを迎えるようにしなければなりません。立派な旦那さんになれば、立派な子供を中心として、その一家を褒めて余るような関係であることが判明するのです。女はそういうような重大な立場に立っているのです。分かりましたか? (はい)。

 子供たちには、父母として一生涯、喧嘩する姿を見せてはなりません。子供はそれを見習うからです。何の罪もない愛すべき子供たちなのです。夫婦が喧嘩して、子供たちが横に立って「お母さん、お父さん、やめなさい!」「エーン、エーン」。そういう家庭がたくさんあります。それは普通ではありません。破壊的な父母です。そうなった場合には、その子供たちが、それを見習うのです。絶対にそういうことを見せてはなりません。一生涯見せてはいけないのです。子供は父母を慕い、父母のやることを全部相続するのです。分かりましたか? (はい)。

 それから、男と女を見れば、涙もろいのは女です。夫婦共々に口喧嘩をすることは、なきにしもあらずですが、もし、そうなっても子供の前では絶対に涙を流したら駄目です。分かりましたか? (はい)。

 いつも朝になると子供が挨拶しようとして、走ってきます。トントントンと走って来て「お母さん!」と、もう抱かれたくて飛んでくるのです。そこでキスするのです。ですから夫婦喧嘩をした場合、すぐにフィーリングで分かるのです。フィーリングで分からないように、その訓練をしないといけないのです。

 夫婦共に約束して、絶対に涙を見せることのないように、常にゼロに帰る訓練をしないといけないのです。涙を流しても、即時に笑えるように、急激な変化に合わせられるような準備をしないといけないのです。子供たちは天才的な分析力を持っているので、すぐに分かるのです。それを分からせないような母の態度が重要です。

 それで、ちゃーんとキスをして、旦那さんが横に座っていても、今まで口喧嘩していても気持ちが悪いと思ってはだめです。お母さんとお父さんが笑いながら、キスをするようなポーズを取らないといけません。そして、子供が無事通過していった場合に、もう二人は喧嘩しようとしてもできないのです。それで笑いながら、「やー、立派な子供たちが、先生になりました」と言うのです。そういうことがいくらでもあるというのです。分かりましたか? 涙を見せないように注意しなければなりません。

 そうなると、子供たちはどうなるかというと、お母さんとお父さんが一緒にいなければ全部、家庭の雰囲気が合わないと思うのです。二人が共にいる姿を見習うのです。それで、学校から帰ってきて、家にお母さんしかいないと、すぐに「お父さんはどこへ行ったの?」「外で何か仕事しています」と言うと、その子供たちが、「お母さんが一人でいます。お父さん!」と呼びに来るのです。そのことは、ありがたいことです。未来の一家は繁栄のうちにあるというのです。夫婦共々に二人でいるのを喜ぶ子供たち、それを正義として考える子供たちは、自分たちも結婚してそういうような夫婦になるのです。分かりましたか? (はい)。

 先生の子供たちは、父母に対して十以上のことを考えているのです。お母さんお父さんのキスも、先を競って「自分がやる。自分がやる」と言うのです。そのような姿を見れば、そういう家は素晴らしいのです。今回ニューヨークに行った時、先生とお母様が講演するのがいかに難しいことかを体験するために、子供たちが四十か所くらいみんなで分けてやったのです。きのうでみんな終わりましたが、もう大変な噂です。

 アメリカの家庭には、そういう子女はいないのです。一人、二人がやっても、全部が反対するのです。しかし先生の家庭は、すべての子供が、十四歳の子供までもが、一〇〇〇名以上の大衆の前で、先生とお母様の講演をそのまま真似て行うのです。ですから感動するのです。また父母に反対する地では、痛哭しながら訴えるのです。「私の父母は悪い人ではない!」と。それで聴衆はみんな感動するのです。そういうような立派な子供たちです。だから、お母様と共に六人の立派な美男子の子供たちがずらりと並んだ場合、いやー、それはもう大変です。お母様もそれを見た場合、「自分が生んだ子供たちとは思えない」と言うほどです。立派で、それ以上の宝はないのです。ですから、女は空箱ではないのです。

 それで、女は優秀なのです。みんな優秀なのです。天才的な頭なのです。そのように、お母さんの籠いっぱいに詰めるのです。お母さんの体の九九パーセント以上は、お父さんから分かれてきたのです。それは、第二の尊い存在です。お母さん一人とお父さん一人を代えることはできないのです。それを持ったお母さんは金持ちです。宝物です。籠だけ残してもらっても不幸ではありません。最後の仕上げをよくやって、そこに天下一品の尊いものを入れることによって平等な価値を持つのです。神様に感謝しなければなりません。分かりましたか? (はい)。

 それを成せば、立派な父母になります。ここで、どうこう言う必要はありません。先生も、子供には申し訳ないと思うのです。いつも公的な活動をしているので、見守ってあげられない父母なのです。しかし、父母と共に築いてきた心情が子供たちの安息の基台になっているので、父母を愛さざるを得ないのです。たくさんの言葉よりも、心情の基本的な態度が最も貴重だということを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。

 これから帰った場合には、「喧嘩をよくしたお母さんが、済州島で修練を受けて、喧嘩の好きなお母さんではなく、喧嘩の嫌いなお母さんになりました」と言って、旗を揚げて万歳する証の聞けるようなお母さんになってもらいたいのです。約束しますか? (はい!)。

実の親子以上に近くなれる姑との関係

 それから、問題は姑さんです。旦那さんの問題、子供の問題は解決したので、後は姑さんの問題です。お嫁に行った場合は、自分の実家のお母さんと同じような考えを持つことです。だから、何か難しいことがあった場合には、直ちに相談することです。

 結婚してお嫁に行った場合、若い嫁さんを迎える姑さんは、自分のお母さんと同じです。旦那さんが出かけた後は、お嫁さんは誰にも相談できる人がいないのです。それで何でも聞くのです。姑さんに会って「お母さん」「何ですか?」。最初は、みんな関心もって立派なお嫁さんになるように、姑さんは心から歓迎するのです。ですから優しく言い出した場合は、喜んで「何ですか?」と答えます。そこで、率直に言うのです。「私は結婚して、初めて男性を迎えました。夫婦関係はどういうふうにやればいいのでしょうか? ただ一方的に、やっていいのでしょうか?」と言うと、姑さんは笑うのです。(笑い)

 「キスもこんなにやったらいいのでしょうか?」と、みんな率直に言うのです。姑さんは笑いながらも、「そうか、こんなにやってみなさい」と言ったら、すぐに、三日以内に実験して必ず報告するのです。「お母さん、ありがとうございます。昨晩、その実験しまして、女としてこれ以上の幸福感を感じたことはありません」。そう言うのです。そうすると、姑さんは何でも教えてくれるのです。自分の知っていることをみんな教えてくれるのです。

 そういうようにして、自分の夫婦関係の内容を語り合うのです。それで、みんな学校を出ているので、雑誌なんかをたくさん読んだ場合には、「お母さん、こんなことも、こんなこともあるのですね。お母さんは知っていましたか? こういうことも書いてありましたよ」と、説明してあげるのです。「こうやったら、もう傑作だというようなことが書いてありましたけど、お母さんは、どう思いますか?」。「あー、そうか」と言って、姑さんは、二、三日たった後、自分たちで試してみて、「あなたはいいことを教えてくれたね」と、自分たちの夫婦関係まで話すようになったら、完全に姑問題は万事「オーケー」です。分かりましたか? (はい)。

 そういうふうに語り合い、教育し合い、指導し合うようになった場合には、実の親子以上に近い関係になります。分かりましたか? だから、今から帰った場合には、年を取った女は、そんなことを姑さんに言えなかったのでしょうが、率直に言うのです。「今まで、こうこうやってきたのですが、どうでしょうか?」と、姑さんに言うのです。そのように夫婦生活を共に相談し合えるような関係になれば、立派です。

 若い嫁が帰っていった場合には、そういうことで励まし合い、教えてもらえるように、悩みを相談し合った場合には、それ以上の近道はありません。それは友達同士でも話さないことなのです。今まで、自分の夫のことで、子供を奪われた狐みたいに思ったこともあったでしょうが、「そんなことはありません。何でも不便なことがあればいくらでも言ってください。夫と相談してお母さんの満足するように何でもしてあげます」と、一か月に一回ぐらいは食堂に連れて行って中国料理をごちそうしたり、一年に二度くらい着物を買ってあげれば、それですべてが「オーケー!」です。

 そのようになった場合には、その姑さんは部落中を回って、「いやー、うちの嫁さんは変わりました!」と、みんな口づてに宣伝するのです。そうなれば、それを聞いたおばあさんたちを連れてきた時、立派に昼食を作ってごちそうするのです。すると、その人たちが、また部落中を回って、宣伝して歩くのです。それがまた話題となって、どんどんどんどん広がって、町中で有名になるのです。そういうふうになったならば、「あの嫁さんの話を聞きたい」ということになり、そこで済州島の修練で習ったことを先生の話としてではなく、自分が生活した内容として紹介するのです。すると、みんなが感動します。

 それで、どんどんどんどん日本中、津々浦々、山を越えて、谷を越えて、川を越えて、北海道から鹿児島まで、鹿児島から北海道まで行ったり来たりすれば、みんなが関心を持つのです。そして、そのとおりやってみて、効果が良かったならば、一生涯死ぬまでやってもいいのです。こういうような現地の整備を完成して、統一教会の偉大さを部落ごとに、町ごとに、国中を風靡させるように努力するのが修練を終えて帰った者の任務であり、使命であると思いますが、どうですか? (はい、そうです)。

 そのように思う者は手を挙げてください。それを成すと決意しましょう! 両手を挙げて立ってください。記念として、忘れないようにみんな先生のするとおりにしてください。(拍手)回って、回って、回って、三回回って、一、二、三、四、五、六、七、八。反対に回って。(拍手)次は、横の人の手を取ってください。

 それから、横の人と手を組んでください。手を合わせて、手を挙げて、前の人の肩に手を乗せて、こういうふうに握って、それを離さないで、こういうふうに曲げてください。反対に曲げてください。では「万歳! 万歳! 万歳!」。

 きょうの話を忘れないようにしてください。これで、みんなお別れいたしましょう、さようなら。「左様なら」は、左の人のように並んで行きなさいということが「左様なら」です。そういうふうにきれいに並んで日本に帰るのです。涙を流さないで、さようならです。分かりましたか? (はい)。


(第二十五回の修練会を終えて、代表者による感謝の祈祷)

 愛するお父様。きょうは、一九九三年十二月二十二日です。八月よりアラスカのコディアックにおいて始まり、さらに十月六日から済州島において始まりましたこの修練会によって、五万一千八百名の姉妹たちが重生、復活し、真の父母様の限りない愛によって無事に終えることができましたことを感謝申し上げます。

 歴史上にかつてなく、また今後もないような、たった一回きりの、たった一人しか宇宙におられない真の父母様を通して得られたこの内容こそ、我々の生涯にとって忘れないばかりか、我が民族にとっても、この人類の歴史上においても、このような修練を受けた例がないことを知るものでございます。

 お父様。このようにして、真のお父様と結んだ因縁、双子の子女としての因縁、真の兄と妹としての因縁、真の夫と妻としての因縁、真の父と母としての因縁という、神様が人間を創造するその最初の出発から考えておられた四大心情圏を、このようにして時間を惜しみ、昼夜を分かたず与えてくださったということを我々は生涯忘れないばかりか、子々孫々に至るまで永久にこれを伝えていきたいと思う次第でございます。

 二十五回、五万一千八百名にわたる姉妹たちが、このようにして愛を受けまして、きょうは特別に、その最終日に特別の愛と恵みを受けた、この瞬間を心から感謝申し上げます。

 そして霊界が真の父母様を通して、このように日本の六千万の女性を代表し、二十五億の女性を代表して、受けた恩であることを知るものでございます。

 ですから、これを我々一人にとどめてはならないし、必ず日本の地から世界の果てまで、お母様の分身となっていくことを誓い、真のお父様が神と人類のために流してきた血と汗と涙を、我々はこのような喜びの収穫をもって、あなたの前に栄光として返していきたいと思う次第でございます。

 きょう、このように別れて、我々は日本の地に帰っても、世界の果てにまで行くために再び、この地にやってまいりますから、どうぞその間、ご父様のご苦労、そしてお母様のご苦労、子女様たちのご苦労に報いることができるような我々になっていきたいと思いますので、どうぞ我々の今後の行く道を守り導きください。

 そして、ご父母様の健康と永遠なる恩恵の上に、あなたの恵みがあらんことを切に切に乞い願いつつ、今までの五万一千八百名の姉妹たちの祈りとともに、感謝とともに、尊き真の父母様の御名によって、御前にお祈り捧げ申し上げます。アーメン。(アーメン)。

「希望の峠を越えましょう」の発刊にあたって


 今回、「希望の峠を越えましょう」というタイトルで一九七五年十二月三十一日に語られた説教(文鮮明先生御言選集第八十二巻)に対して、真の父母様より「日本語に翻訳して、十六万人の女性たち、また三十二万人の男性たちが必ず学習するように」という、み言がありました。

 これは、真の父母であられる文鮮明先生ご夫妻がアメリカを救うために、心血を注いでマジソン大会やヤンキー大会およびワシントン大会を通して、「神の宣言」として語られてきたものであります。もしアメリカが、この真の父母様の永遠の真理のみ言を受け入れていたとするならば、今日に見られるような政治的、経済的混乱はいうに及ばず、家庭的崩壊、性的退廃、麻薬問題、未婚の母や私生児の問題など、さまざまな問題に悩まされるようなことはなかったことでしょう。

 「真理は栄光を帰させる」とあるごとく、このみ言を受け入れれば天国をつくれるし、もし受け入れなければ地獄とならざるを得ないというのが、宇宙の法則であります。

 「歴史は生きている」というのが、真の父母様の口ぐせであります。己をむなしくして、責任と犠牲の道を行く者は中心者となるでしょうし、また、み旨を中心として共に一体となって行く者は、天運と宇宙力の加護を受けるようになっていくものであります。思えば、エデンの園における人類始祖のエバのほんのささいな愛の過ちが、これほど複雑極まりなき歴史の罪悪を招来せしめたということを考える時、私たちは自らの一挙手一投足に対して、慎重にならざるを得ないとともに、これまでの一切の歩みを深く悔い改めていかざるを得ません。

 今こそ世界的なエバ国家として、その蕩減を何としてでも果たしていかなければならないことを痛感する次第であります。神様は、エデンの園におけるエバの堕落によって、エバと息子であるアダムを失い、そればかりか二人の息子のカインとアベルまでも失ってしまいました。さらに、神が本来の人類に与えようとした宇宙の所有権、相続権、主管権までサタンに奪い取られてしまったのです。

 神様は悠久なる救援摂理を通して、蕩減復帰の道を越えてこられましたが、その背後にはどれほどご苦労の道があったことでしょうか? その道は、革命的、英雄的女性であるリベカ、タマル、そしてマリヤへと、善なる人々をサタンの犠牲にしながら、最終的には真の母に引き継がれてきているのです。

 今や、この日本は、真の母の心情と伝統を相続して、世界を生かすために、神と真の父母の願いに相対し得る絶対的信仰と絶対的心情の一体圏を成して、真の父母様の勝利を相続する者となっていかなければなりません。私たちはエバ国家として神のみ旨を果たすために、このみ言を徹底的に体恤していかなければなりません。そのために日本の全食口が、この小冊子を熟読し含味して、徹頭徹尾自らの責任を果たし、神と真の父母様に栄光をお返しすべく前進してまいりましょう。

 一九九五年二月五日


希望の峠を越えましょう(別冊)

(文鮮明先生御言葉選集82巻)

 1975年12月31日 ベルベディア修練所


 二十五日に出発して、遠い距離を経て、きょう(アメリカへ)着きました。今回、このように巡回しながら新たに感じたことは何かというと、もちろん私も、もう少しこのような日々を続けなければなりませんが、私たち統一教会の会員も、このような生活を続けるならば、相当に発展するだろうということを考えてみました。また、時間が足りなくて感じる切迫した心情というものは、復帰摂理を果たさなければならない私たちにとって最も尊いものであるということも考えてみました。

 さて、巡回で感じた内容は、きょう話すことではないので、これから違う話をしたいと思います。

神と人類の愛を受ける人をつくるのが統一教会の目的である

 皆さんもご存じのように、きょうは一九七五年の最後の日です。このような集まりは、今年は最後になるのではないかと思います。一九七五年を振り返ってみると、この年に私たち統一教会では実に多くのことをなしてきました。特に、アジアを代表して、日本と韓国に国家的次元の基盤を完全に強化させる重要な年でありました。それを、今からは西欧文明圏の結実であるアメリカに移して、私たちのすべての基盤を強固にしていかなければならないという切迫した使命を、私たちは目前にしているのです。

 神様のみ旨を見た時、そこには東洋とか西洋という観念がありません。神様を中心として見ると、すべてが一人の子女なのです。今日、西洋と東洋が戦っているという事実、また分裂し、あるいはさまざまな不条理のゆえに妨げられて、その間隔が広がっているという事実などは、本来神様の構想の中にはなかったものなのです。

 では、なぜこのようになったのでしょうか? それは堕落のゆえなのです。ですから、このような実情を見つめる神様は、ますます悲しみを深くされるしかないという事情を、私たちは感じざるを得ないのです。

 それでは、この世界と人類をどのようにして一つにすることができるのでしょうか? 誰が一つにするのでしょうか? これは、地上で神様ご自身がなさるのではなく、ある一人の人を立ててなされるのですが、その一つにする仕事をしようとしたのが、今までの宗教だったのです。しかし、宗教はいまだにその使命を果たせずにいるのです。

 皆さんがよく知っているヨハネによる福音書三章十六節を見た時、「神は、そのひとり子を賜ったほどにこの世を愛して下さった」とあります。この世をこれほど愛されたとあるのであって、アメリカをこれほどに愛したとか、キリスト教をこれほどに愛したとか、ユダヤ教をこれほどに愛したとか言ったのではありません。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」と言われたのです。愛したのはキリスト教でもなく、ユダヤ教でもないというのです。それでは、統一教会はどうでしょうか? この統一教会も違うというのです。ですから、神様の愛を受けるためには、人類を愛される神様の代わりになって人類を愛することができなければなりません。そのような宗教であってこそ、はじめて神様が愛することができるのであり、それができなければ、その宗教は必要ないというのです。

 人類は、神様の人類に対する観というものがどうなっているかということを知りませんでした。神様と同じ観を持っていないというのです。人類は今までそれを知らなかったというのです。そのような観点から、今日の統一教会は宗教を超えて、宗教を基盤としながら、いかなる宗教よりももっと世界を愛し、人類を愛するために努力しているのです。ですから、統一教会は歴史上において、この時代に多大なる貢献をしていると考えざるを得ません。

 皆さんがいかに先生を愛しているかということを、私はよく知っています。そして、私も皆さんを愛しています。ところで、私は皆さんを愛していますが、それは神様を中心として、神様の愛を通して愛しているのです。その神様の愛というのは、世界人類の中にとどまる愛であって、統一教会の中にとどまる愛ではないのです。そのような愛を世界に残してあげるために、その愛を世界に植えてあげるために、皆さんを前面に立てていかなければならないというのです。

 皆さんを犠牲にし、皆さんを苦労させても、このような愛に貢献できる人をつくることは、世界を代表した愛の結実をもたらすことに貢献することによって神様の愛を受けることができるし、人類の愛を受けることができる統一教会人をつくるためなのです。今そのような運動をしているということをよく知らなければなりません。神様の愛を受けることのできる人をつくり、人類の愛を受けることのできる人をつくるのが、統一教会の目的なのです。

 ですから、皆さんは統一教会の中でのみ愛を受ける人ではないのです。統一教会の中でのみ愛を受ける人ではなく、神様の愛と人類の愛を受ける人にならなければなりません。それゆえ私は、皆さんをただ統一教会の中でのみ愛するのではなく、人類と神様の愛の中で愛そうと思うのです。そのような先生になろうと思うのです。これが、私たちの行く道なのです。今からは、私たちの行くべき道の観をはっきりと知らなければなりません。今までの宗教は、このような観を提示できなかったのです。

意見も目的も、神様と同じでなければならない

 このような志を立てて、そのように指導しようという私自身、レバレンド・ムーン自らが、まず模範にならなければならないというのが私の人生の哲学であり、生活の哲学になっているのです。統一教会の教えを信じる皆さんは、そのことはよく知っていることと思います。ですから、私は生きて負債を負う人間ではありません。生きている間に負債をなくさなければならないというのです。私が皆さんに負債を負えば、私は搾取者になるのです。それでは、神様の前に公儀の法度を立てて、指導する責任者になることができないのです。

 統一教会において、もし苦労したというならば、誰よりも私が一番たくさん苦労したし、世界的な迫害においても、誰よりも私が多く受けたし、心の苦労をしても誰よりも私が多く苦労したのです。それも短期間ではなく、一年、二年、三年、十年、二十年。年月がたてばたつほどに、私がこのようなことをすることによって、統一教会に入ってきた皆さんも心の奥底に、このような目標を持ち、そのような信念を持った人格者になれると思うのです。ですから迫害がいかに加重してきたとしても、反駁せず、黙って耐えていくことを、皆さんは知らなければなりません。

 皆さんと私が、迫害の環境の中に包囲されるようになる時こそ、私たちは内的にも団結して、神様の心情と一つになることができなければなりません。もし、この三者が一つになる基盤が得られるならば、その迫害も価値があるものだと考えられるのです。このように、神様と私と皆さん、三者の考えがいつも同じでなければならないと思うのです。

 神様が迫害する人々を見て、「この者たち! なぜ妨害するのか」と言って、百発百中すべてに復讐すれば、この世界は再び滅んでしまうというのです。そのような立場の神様であることを私は知っているので、私も神様と意見が同じでなければなりませんし、行動も目的も同じでなければならないというのです。ですから、ここ(統一教会)を打つ人は必ず交代するようになるのです。必ず神様が除去するからです。

 いつの時代も神様のみ旨に対して、指導する人間と、それに従う人間と、神様の三者が一つになるということは実に難しいことなのです。もしその三者が一つになって、神様が「攻撃せよ」と言った時に、攻撃することができれば百発百中です。

 皆さん、イエス様当時を見ても、神様のみ旨を中心としてイエス様と神様の意見は同じでしたが、弟子たちの意見は違っていたのです。ここに問題があったのです。もし、その時に十二弟子や七十門徒がイエス様と一つになっていたならば、国家がどんなに反対しても、環境がどんなに反対しても、それをすべて消化してしまうことができたのです。弟子たちを打つことはイエス様を打つことであり、神様を打つことになるからです。

 今、アメリカではテッド・パトリックとか、デプログラミング(逆洗脳)とかいうグループが大騒ぎしていますが、先生は、皆さんがどうなっているかということを重視しているのです。そうして彼らに、強力にあくどい仕業で、「もっと打ってみろ」と言っているのです。それがいくら強くても変わらずにいる時、一〇〇回も打たれても、必ず戻ってくることができるのです。

反対する人のできないことをやりなさい

 神様もそうです。「君たち、このようにやりなさい」と教えてあげて、もしやらない時に罰を与えるのであって、何も教えてあげずに、罰だけを与えるでしょうか? 皆さんの両親がなぜ反対するかというと、分からなくてそうするのであり、皆さんが今まで、親に対して神様のみ旨が何かということをはっきり教えてあげなかったからなのです。もし教えてあげたにもかかわらず、それでも反対するような親は滅んでいくのです。そのような人は親ではありません。そのような意味から、私は責任を感じるのです。私がアメリカ国民に対して、皆さんの両親に対して、神のみ旨が何かということを教えてあげられなかったということに対して責任を感じるのです。

 親であれば自分の子供が良くなり、良い所にいるということに反対する者がどこにいるでしょうか? いないというのです。しかし、現実は、「自分の子供が悪くなる」と言って、「悪い所に行った」と言って大騒ぎしているのですが、皆さん自身には悪いことが一つもないというのです。自分で見ても悪いところが一つもないということは、皆さん自身がよく知っているのです。それは先生も同じです。一生の間、多くの迫害を受けてきたのです。レバレンド・ムーンの思想が分かるようになれば、誰も反対する人はいなくなるのです。思想が分からないから反対するのです。

 皆さんも反対されれば悔しいでしょう? 先生も同じです。しかし、見る観点が違うのです。ですから、反対されればされるほど、私たちは早く全国的に教えてあげる責任があるのです。そのように教えてあげたにもかかわらず反対する時には、私たちには責任がないのです。レバレンド・ムーンにも責任がないのです。もし、教えてあげたにもかかわらず、それでもレバレンド・ムーンを打ってきた場合には、それを聞いた人たちがみんな、そのままにしておかないのです。そのようなことが起こるのです。そのような原則的な道を信仰者は知っているので、そういう原則的な道を見つめつつ進んでいくのです。

 ですから反対する人々にも、涙を流しながら一回、二回、三回までは教えてあげるのです。それを公開的にしたものが、マディソン・スクェア・ガーデン大会であり、ヤンキー・スタジアム大会であり、ワシントン・モニュメント大会なのです。三回は教えてあげなければなりません。今はもう、アメリカの国中で、レバレンド・ムーンを知らない人はいないのです。そうなったのです。すべて分かったというのです。ところが、悪い人であると理解したのです。レバレンド・ムーンはマフィアよりももっと恐ろしい人だと思っているのです。

 ですから、みんな大騒ぎなのです。それがいつまで続くかと、皆さんは笑っていることでしょう。それでこそ、皆さんはさらに強くなるのです。誰かが反対すれば、「弁明するな」と言っても、命をかけて弁明するからです。そのようにしながら、今、このアメリカの人々や、反対する人々のできない大きなことをやってしまうのです。例えば、律法学者のデービスが私たち統一教会に反対していますが、そのラビ・デービスの何十倍ものいいことをやってしまうのです。そうすれば、問題が全部解決するのです。今までは前面で反対していたけれども、統一教会がだんだん大きくなるので、その後ろについて来ながら、「ああー」と言いながら反対するのみです。

 見てみなさい。三十年前の韓国では、国家を動員し、既成教会を動員し、すべてが私に反対してきましたが、今や、すべてが歓迎するようになったのです。日本もそうです。それと同じことがアメリカでも今から始まります。今はレバレンド・ムーンが打たれていますが、それも長く続くことはなく、すべてが歓迎するようになるのです。

 今日、統一教会の教会員の中で、私に対してたくさんの罪を犯してきた人がいると思います。世の中の人々の話と同じく、「実際の文鮮明先生は、そうじゃないか?」と言われれば、「知らない」と言ってきたというのです。事実ですか、違いますか? (違います)。(笑い) みんなそう考えていても、言葉だけは「ノー」と言うのです。そう考えているのです。

 先生は良心的に、神様の前や人間の前に少しも呵責がないのです。私は正義には素直な人です。正しい人なのです。その代わり、悪に対する場合には、この上なく強くなるのです。どんな人よりも強くなるのです。私は自分のことをよく知っています。誰よりも私は自分のことをよく知っているのです。皆さんも自身のことは、自分自身が誰よりもよく知っているようにです。

 見てみなさい。西洋の人々はみんな、東洋人である先生に対して大騒ぎしているのです。ですから、それが問題になって、「あのレバレンド・ムーンよりもっと素晴らしい宗教指導者、ビリー・グラハムのような人もいるのだから、そっちに行ったほうがどんなにいいか」と言って、両親はみんな反対しますが、そうしますか? (行きません)。そのような何かが(文先生には)あるのですね。(笑い)もし、ビリー・グラハムの所に行って、皆さんが二十四時間仕事をするようになれば、「ああ! うちの娘はよくやっている」と言って自慢しようとして大騒ぎになるでしょう。(笑い)両親は、ビリー・グラハムを先生よりも立派だと思っていますが、皆さんはビリー・グラハムよりも先生がもっと高いと見ているのですね。観点が違うのですね。(笑いと拍手)考えが違っているのです。ですから、これがすべて過ぎ去って、再び元に戻って会うのです。

 では問題はどこにあるのでしょうか? この統一教会の若者たちがどれほどの短期間に、ビリー・グラハムの持っている人格以上の素晴らしい人になるかということなのです。そうなれば、すべてのことが解決します。そういう人になれますか? (はい)。もし、そうなれれば、アメリカも変えられるのです、全世界を前に、霊界が全部回るというのです。問題は実力と実績です。これが、すべてを清算するのです。皆さん自身が、そのような立場に立ってすべてのことを行うのです。皆さんは私よりも英語がうまいでしょう?

 そのような意味から、皆さんが私のようになり、独身の男性、女性となればどうでしょうか? 私は三年間に、全アメリカを「ワアー、ワアー、ワアー、ワアー」と、町中を大騒ぎにしましたが、皆さんは言葉もうまいし、みんな生活に慣れていますから、そういう人々が、各州に入っていって良い問題を巻き起こせば、アメリカがどうなるか考えてみなさい。悪くなりますか、良くなりますか? (拍手)

 そのような意味で、皆さんがレバレンド・ムーンのように、神様を中心として善なる事件を起こす勇者たちになった時には、このアメリカは滅びません。民主世界を代表したアメリカが滅びなければ世界は滅びないし、あの共産圏も問題にならない世界になっていくのです。私たちが集まって何か悪いことをしましたか? (いいえ)。

 皆さんがファンダレイジングをするのは、金をもうけるためでしょうか? そうではなくアメリカを生かし、世界を生かすためにするのですね。全く違うのです。このようなことは、歴史が見ているし、全人類が見ているのです。私たちがみんな死んでいなくなったとしても、この思想だけは残って世界を一つにするというのです。

礎石をどのように置くかによって、歴史と宇宙の勝利が左右される

 それゆえ、今の世界に影響を及ぼせないからといって心配することはありません。これからの三十世紀において、あるいはいかなる歴史時代においても、この主義とこの思想でなければ駄目だということになれば、どんなに小さくてもこの統一教会の思想は、世界を一つにすることでしょう。今は国もなく、何もなくても、必ずここから国が出てくるし、理想世界も出てくるのです。そう思いますか? (はい)。

 このような主義と思想を持った国家がなければならないし、宗教がなければならないのに、今の世界にはないというのです。ところが唯一、この統一教会だけがそうだというのです。この世界を見た時、ここに希望があり、神様の摂理から見た時、ここだけしか信じられるところがないという結論が出るのです。皆さんもそう思いますか? (はい)。

 私たちはこのような立場で、礎石を正しく置かなければなりません。標準点をよく定めなければなりません。礎石を正してこそ、全体が正されるのです。このコーナーストーン(礎石)をいかに置くかによって、宇宙の歴史的な勝利が左右されるということを考えた時、今日、何でもないような私たちですが、このコーナーストーンを置くことにおいて主役になっているという事実は、実に恐ろしいことなのです。

 ですから、精誠を尽くして、また精誠を尽くしてあげなければならないのです。私たちが未熟なので、何百倍、何千倍も精誠を尽くして、これを繰り返していって、初めて完全な理想の結果をもたらすことができるのです。

 一〇〇年後、三〇〇年後、一〇〇〇年後を見た時に、このコーナーストーンが間違って置かれたとなれば、大変なことになるのです。これが正しければ、ほかの礎となる石がずれていても、この礎石を中心として、いくらでも収拾していけるのです。先生はいつもそれを考えています。個人として、家庭として、氏族として、民族として、国家としてのコーナーストーンをどう置くかということが問題なのです。お金が問題ではありません。お金のこと、権力のこと、自分の名誉のことを考えるのではありません。いかなる権力も問題ではありません。問題はこの礎石をどう置くかということです。このような観点から「自分を犠牲にしても、もっと大きなもののために生きよう」という、伝統的な思想を残しておかなくては、新しい世界が出てこないのです。それを残すことができなければ、すべてが終わりなのです。

 アメリカという国と、アメリカ人の皆さんが、韓国人の私の世話にならなかったでしょうか? 今も世話になっているというのです。お金も、私はアメリカのお金を使わずに、全部私のお金を持ってきて使ったのです。私が一九七二年に初めてアメリカに来た時、ここに残っている人々はみんな、先生がアメリカに来て仕事をすることを好まなかったのです。皆さんの思考方式と先生の思考方式が違っていたのです。三年ほど過ぎてみると、先生のすることが素晴らしいことだと分かるようになったので、今は何も言わなくてもいいようになりました。

神様の協助で、反対され迫害されながらも発展する統一教会である

 私たちのように小さい団体が、国家的だけではなく、世界的次元で影響を及ぼすことができるということを、彼らは知っています。私たち統一教会の少数の群れが世界的に活動しているのを見て、歴史的に研究すべき団体であるとみんなが見ているのです。世界の三分の一を占領した共産党が目を見はって「ああ! あれを全部なくしてしまわなければならない」と言っているのです。アメリカを踏みつける前に、レバレンド・ムーンを先に踏みつけなければならないというのです。それはなぜでしょうか? 私はいてもいなくてもいい人だからでしょうか? (いいえ)。

 神様の目から見れば、神様は共産党を良く思うでしょうか、悪く思うでしょうか? (悪く思います)。それでは、共産党が一番嫌うレバレンド・ムーンを、神様はどう思うでしょうか? (良く思います)。これは、理論的にもそうなのです。それゆえ、神様は「おい、レバレンド・ムーン! 頑張れ! 頑張れ!」と言いながら、どんなことをしてでも為に生きようとするのです。私が神様を嫌だと言っても、神様が私を訪ねてきて、援助してくれるのです。(拍手)

 神様は、世界がすべてなくなるとしても、共産党がなくなっても、この団体を残したいと思い、民主世界がなくなるとしても、この団体だけは残そうと思っているのです。

 これが事実ならば、もし既成教会がレバレンド・ムーンに反対するようになれば、神様が喜ぶでしょうか? (いいえ)。では、私たちは既成教会に反対しますか? 私たちは一度も反対したことがありません。「さあ、さあ、一つになろう」と言っているのです。今まで、その役事をしてきたのです。彼ら(既成教会)は、ただ反対しようと大騒ぎです。私たちが人蔘茶を紹介するのを見て、デモをして大騒ぎなのです。くだらないことです。これは相手にもならないほどに次元が低いのです。それは、こっけいなことです。あわれな人々です。皆さんは反対するにしても、そのようなくだらない反対はしないようにしなさい。理論的に「統一教会の教理が悪くて」と、教理的に反対しなければならないのです。

 私は、既成教会のすべての神学を知っている人です。そして、統一教会の神学を創設した人なのです。私が敵を知っているのに、敵は私を知らないのです。ですから、彼らはもはや負けるようになっているのです。皆さんの話を聞いてみると、既成教会の言うことはこっけいです。幼稚きわまりないというのです。

 それゆえ結論づければ、私たちの賢くて若い青年たちはみな、以前はイエス様を信じて、既成教会に通っていた人たちなのです。そのような人たちを私が伝道してきたので、彼らはそれをねたみ嫌って反対するのです。しかし、アメリカの若者たちがこのように変わったので、アメリカは動くことでしょうし、世界の若者たちがこのように変わったので、世界が統一教会の文先生に従っていくということは自動的な結論なのです。既成教会を見れば、全部が老人たちなので、養老院のようです。それは長続きせずに、みな門を閉めなければならないということなのです。養老院のようになれば、みな死んでしまっておしまいなのです。ですから、大変なことになったというのです。かわいそうです。それから、共産党がなぜ反対するかというと、私たちが怖くて反対するのです。

 そのような反対者を支持する人々は、歴史が過ぎれば過ぎるほどに、だんだん少なくなり、反対される私たちは、歴史が過ぎれば過ぎるほどに支持する人々がだんだん多くなります。神様が生きておられるならば、そのように怖がる彼らと、いつも堂々としている私たち統一教会のうち、どちらを援助したいでしょうか? 神様は私たちを援助するので、統一教会は反対され迫害されながらも、発展するという結論を下すことができるのです。

 これが、神様が見た正しい観点であり、皆さんが見た正しい観点なのです。三者がみな、正しい観点をもって進む時には、誰も傷つけられないという話です。それゆえ、どんなに迫害を受けても、神様の協助のもとで発展せざるを得ないという結論が出てくるのです。私は多くの迫害を受けてきましたが、統一教会の教会員は離れましたか、もっと多く増えましたか? (増えました)。一番最初に、私がアメリカに来た時は、この部屋が大きく見えたのに、今では狭くなったのです。どれほど教会員が多くなったことでしょうか? 来年になれば、少なくみても十倍は増えることでしょう。(拍手)

 私たちに誇りがあるとすれば、それは迫害されながら発展し、世の中の人々が嫌だと言っても、神様がいいと思い、すべての歴史的な霊人たちが協助し、今後は良心的な真なる人士が私たちを支持し、後世の人々が私たちを歓迎するだろうということです。数字的にも、私たちはさらに大きな圏を持つことになるので、私たちは永遠に勝利するだろうという結論を下せるのです。(拍手)

 いくら誰が反対しても駄目です。反対してどうなりますか? 反対でも何でもしてみなさい。もはや、讒訴できないようになっているのです。それゆえ、彼らと一緒になって争っては駄目です。彼らよりも大きく、彼らよりも立派になれば、彼らは自然に復帰されるのです。早くそのようになればいいでしょうか、じっと待っていればいいのでしょうか? (早くです)。アメリカの人々は、「(アメリカは)八時間労働なので、八時間だけ働けばいいだろう」と言うのですが、私は二十四時間働いても足りません。神様のために、人類のために働くことにおいて、神様に昼があるでしょうか、夜があるでしょうか? 神様は「夜になったので寝ないといけない」と言って寝るのでしょうか? (笑い)

 ですから神様の息子は、「神様のようになろう」と言わなければならないのです。日が沈むようになれば、「ああ、日が沈むのではなく、朝に向かって日が昇っていく」と、そのように考えることができなければならないのです。皆さん、そのように考えられますか、そのように考えてみましたか?

 神様のために生き、人類のために生き、自分のために、そのように生きるということの何が悪いのですか? どこが悪いのですか? それを批判し、それを嫌だと言う人は、それを正しく知らなければならないのです。ここにいる先生は、皆さんがやるファンダレイジングにおいても、何においても、やらなかったものがないのです。みんなやってきたのです。私がみんなやってきたので、皆さんにも、そのように命じることができるのです。人々がたくさん集まった所に行けば、その人々をどのようにして、一時に集中させて動かすかということまで全部研究して、そのようなことをたくさんやってきたのです。

問題は自らの中にある

 さて、そのように思った時、皆さんは統一教会によく入ってきましたか、うっかり入ってきましたか?(よく入ってきました)。皆さんの父母は何と言っていますか? 「よく入った」と言いますか、「間違って入った」と言いますか? (「よく入った」と言います)。(笑い)父母が反対している人は一度手を挙げてみなさい。皆さん、昔のヒッピーよりもいいですか? (笑い)私たちの主張は、神様の前や、人類の前や、歴史の前や、どのような立場でも間違いのない主張なのです。

 先生は三十年の間、迫害を受けながらも世界的な基盤を築いてきたのです。悪いと言われていても発展してきたのです。もし、その段階を越えて、よいと言われる日にはどうなるでしょうか? 世界中がどうなるか考えてみなさい。そのような時が来ればいいでしょうか、来なければいいでしょうか? (来ればいいです)。では、そのような時が自然に来ればいいでしょうか、自分たちがつくればいいでしょうか? (つくればいいです)。誰がつくりますか? 私がつくりますか、皆さんがつくりますか? (私たちです)。それでは、私はあすにでも韓国へ出発しましょう。(駄目です)。そうじゃないですか? 皆さんがつくるのならば、この私は必要ないのです。必要ないから、ここにはいないようにしようという話なのです。皆さんがみんなやることができるからです。

 この国よりも、もっと私を必要とする国があるとするならば、私はそこに行かなければならないでしょう。いずれにしても、先生がほかの国に行って早くこのようなことをすればするほどいいのです。アメリカの国務省も私を追い出そうとしていますが、その必要はないというのです。そうでなくても、私は出て行くのです。皆さんを見たくないからです。(笑いと拍手)私はこのアメリカに、お金を願って来たのでもなく、よい車、よい家を求めて、アメリカ文化を享受するために来たのではないというのです。アメリカの裕福な人以上に、私はお金を持っている人です。私はそのような能力もみな持っている人なのです。

 さっきも話したように、反対されるにもかかわらず、このように発展したので、支持できるようにしたいですか? (はい)。そうなれば、神様はどうなるのでしょうか? 神様も「ああ、レバレンド・ムーンがあのように苦労したので、一度に私が救援をしてやりたい」と思うでしょうか、思わないでしょうか? (思います)。それならば、可能だというのですが、先生はどうでしょうか? 先生はそれを願うでしょうか、願わないでしょうか? 願うのですね? (はい)。

 全く同じように苦労しながら、皆さんがただ拉致されていって、「デプログラミング(逆洗脳)だ、何だ」と言う時、先生は気持ちがいいでしょうか? そのようなことは、私の願いではありません。では、問題はどこにあるのでしょうか? 神様が問題ではなく、先生が問題ではないのです。問題は皆さんにあるのです。皆さんが、神様の願う以上に、先生の願う以上にするならば、一気にできるのです。もし先生よりも、神様よりも、皆さんが切に願うならば、話は違ってくるのです。

 なぜかというと、お母さんとお父さんが(み旨の道に)「行かない」と言っても、愛する息子が「お母さん、行きます」と言えば、引っ張られていくのです。仕方なく、そうなるのです。ところが、願わなくてもそうなのに、もし願うならばそうせずにいられるだろうかというのです。問題はどこにあるのでしょうか? (私たちです)。皆さんにですか? (はい)。そうです。皆さんが、神様よりもっと一生懸命やり、先生よりもっと一生懸命やることです。一度そのようにやってみましょう。(はい)。

 ですから私たちが主張することは今までの世界にない、神様だけでなく人類全体が支持することのできる堂々たる主張だと結論づけることができるのです。私たちが生命を投げ出して主張すれば主張するほど、何千万倍の価値となって返ってくるのです。

 人として生まれたからには、生涯に一度願ったこのような仕事に加担することは栄えあることなのです。皆さん、そうですか? (はい)。「私はそうだ」と言う人は手を挙げてみなさい。下ろしなさい。今、一幕が終わったのです。(拍手)

 一時間たちましたか? 一時間十分たちましたね。このくらいにしましょうか、もっと話しますか? (はい)。今まで六日間、ひたすら話し続けてきたので、のども痛くなりました。それでも、同情してくれませんか? 話を続けるのは無理です。きのう着ていた洋服のまま来ました。着替える間もありませんでした。そんなに忙しいのですから、このくらい話してあげればいいのであって、もっと話せと言うのですか? 皆さんがもっと話すようにと言うのは、礼儀正しいことでしょうか、礼を失していることでしょうか? 考えてみてください。(失していません)。(笑い)民主主義的にやったので、私はすっかり引っかかりましたね。(歓声と拍手)

神の国をつくるために、六〇〇〇年間ご苦労された神様

 では、一幕を終えたので、二幕目に移りましょう。「希望の峠を越えましょう」というタイトルに入ります。

 私たちが三十年の間迫害を受けてきたすべてを、一度引っ繰り返して、神様と先生と皆さんが得意になる中で、大衆が全部擁護する中で、統一教会の教えをテレビやラジオを通して、一時に世界中に伝えることができるとすれば、どれほど素晴らしいことでしょうか? 本当に素晴らしいですね。皆さんはどうですか? 居眠りするなと言っても、もっと居眠りするでしょうか、目を覚ますでしょうか? (目を覚まします)。それはどれほど素晴らしいことか、形容できません。そうですか? (はい)。

 皆さんもそうですから、神様もそうでしょうか? (はい)。神様も「おい、あれを見なさい」と言いながら、「いやあ!」と初めて声を張り上げて喜ぶならば、このくらい口を開いて、目をつぶり、よだれを垂らして、そのように溶けることでしょう。違いますか? そうなれば、天上から地上に走り下りてくるでしょうか、下りてこないでしょうか? そして、皆さんを片手でつかんで、そのまま放さないで天上に上がりたいことでしょう。(笑いと拍手)そうなる時が来るでしょうか? (はい)。そうなるというのですが、その時がいつかということを、皆さんは知らなければなりません。

 人類の文化史は六〇〇〇年の歴史を経てきましたが、今まで神様がなされてきたことは何かというと、アダム一人をつくることです。完成したアダムを立てようとしてきたのです。アダムを立てた後に、そのアダムを通して初めてエバをつくろうとしたのです。ですから、イエス様を新郎とする、新郎新婦という言葉がここから出てくるのです。アダムによってつくられたものがアダムによって失ってしまったので、再びアダムによって探し出し、再創造しなければならないという結論が出てくるのです。そして、エバを探さなければなりません。それから、父母が現れるのです。そのようにして真の父母が現れるというのです。

 堕落した私たち人類は、偽りの父母によって生まれました。ですから、病気になったと同じです。故障したというのです。ですから、これを治してあげなければなりません。悔い改めて、再び息子としてつくり直すのです。宗教がそれをするのです。

 では、メシヤが来てなすべきことは何でしょうか? それは、世界をすべて救うことです。そのためには、善なる父母の子供に、善なる氏族に、善なる国に、善なる世界に全部接ぎ木する役事をしなければならないのです。全部洗って新しくつくらなければならないのです。それで、今まで神様と人類と宗教が総力をあげて何をしてきたかといえば、そのメシヤ一人を立てる仕事をしてきたのです。メシヤとは、神様の偉業を受け継ぐ完成したアダムなのです。

 では、そのメシヤの願いは何でしょうか? それは、世界を救うことですが、世界を救うためには個人から救わなければなりません。イエス様が男性を代表したのであれば、男性として女性を救わなければならないのです。ここで、この二人が一つになっていくのです。二人がエデンの園で堕落したので、それを蕩減復帰して二人が一つになってこそ、人類を救うことができるのです。

 そうして、その次には、何を探し出さなければならないかというと、家庭を探し出さなければなりません。息子娘がいなければならないのです。皆さん、イエス様がお父さんになって、その子供が「お父さん!」と言うのを見た時、気持ちがいいでしょうか、悪いでしょうか? (いいです)。では、イエス様は結婚しなければならないでしょうか、してはならないでしょうか? (しなければなりません)。そうです。そうなれば、イエス様の孫がイエス様に対して「おじいさん!」と言うのを見た時、神様は気持ちが悪いでしょうか? (いいえ)。イエス様も気持ちが悪いでしょうか? (いいえ)。

 この世の中でもそうなのです。自分の息子娘が年を取ったのに、結婚させてあげられなかったならば、お母さんもお父さんも眠ることができないというのです。神様は息子をこの地にメシヤとして送ったのに、三十三歳になっても結婚できず、息子娘も持てずに、一度も愛というものを体験できずに死んでしまったイエス様の姿を見た時、神様が喜ぶだろうかということです。神様はイエス様が独身であることを喜びますか? もし、そうだとするならば、原理とは異なるのです。

 神様は父母なので、イエス様が願う以上に、イエス様の相対を願い、息子娘を願い、その次には、その息子娘を中心として一族をなすことを願い、その一族を通して国家をつくってみたく、国家をつくったあとには世界をつくってみたいと思わないはずはないのです。神様がそうであれば、イエス様も同じなのです。今日の人類も全部、神様の願いに帰って、その思想を持って、神様の息子娘になることであるというのです。

 ところで、この世は神様の世界になっていますか? (いいえ)。どこかに神の国がありますか? (ありません)。このアメリカは神様の国でしょうか? (いいえ)。では、神様の会社や団体がありますか? (ありません)。今日の既成教会は、神様の理想とする教会でしょうか? (いいえ)。では、神様の家庭がありますか? (ありません)。神の人を尋ねてみても、本当の神の人はどんな人なのかも知らないのです。本当に神様の願う家庭が何なのか、本当に神様の願う氏族、本当に神様の願う民族、本当に神様の願う国が何なのかを知らずにいるのです。

 ですから神様は、そのような人を見たいでしょうか? (はい)。神様を中心として、見たい個人と家庭を代表し、氏族を代表し、国家を代表し、世界を代表した集合体として来られるお方がメシヤだということを知らなければなりません。イエス様の思いどおりにできる人さえいれば、その人を中心として家庭をつくり、社会をつくり、国をつくり、世界をつくることができるのです。七年間でつくることができるのです。七日間でつくろうとしたことを蕩減するには、七年間がかかるのです。七年間で、みなやってしまうのです。

世界を救うために、一〇〇パーセント動員できる宗教が真なる宗教である

 それで、終わりの日には、七年大患難という七数が残るのです。そのような意味があるのです。このようなことを、イエス様の思いどおりに一度に整理して、編成する準備をしなければなりません。そのように準備したのが、イスラエル民族だったのです。これは間違いない話ですか、そうですね? (はい)。ですから、イエス様の思いどおりにできるユダヤ教、イスラエル民族のようにならなければならないということが結論なのです。

 「世界に責任を持って、私たちは貧しくても、この世界を助けよう」と言ったら、どうしますか? そういう時はどうしますか? 「ああ! メシヤよりも、私の夫のほうがいい」と言えば、どうでしょうか? 「ああ! 私たち夫婦だけがいい。ああ! 二人だけで行かせてください」と言うのですか? そうなれば、どうなるでしょうか? そうしますか? (いいえ)。女性たちが僕になり、男性たちも僕になったので、全部接ぎ木しなければならないのですが、それは一度にできないのです。別々に接ぎ木しなければならないのです。接ぎ木して再び再生するという、そのような過程を経ざるを得ないのです。

 イエス様が世界を救おうとされているのに、皆さんが「世界を救う仕事など私は嫌です」と言っては駄目です。さあ、皆さんは「世界を救おう」と言うのですか、「自分の立場を固守しよう」と言うのですか? (世界を救うことです)。「終わりの日には、あなたの家の家族が怨讐になる」という言葉は、このような意味が含まれているのです。また「乳飲み子を持つ女は、不幸である」という言葉があります。それは何かというと、イスラエルの国のためのメシヤではなく、世界のためのメシヤなので、乳飲み子を持つ女も、イスラエルの国のために生きる時は、そこで乳を飲ませることができますが、世界のための道にいで立つ時には、赤ん坊を連れていけないという話です。ですから、問題だというのです。

 もし「男性だけが働き、女性は協助しなくてもいい」と言えば、世界を救うのにどれほどの時間がかかることでしょうか? それゆえ、「男性も女性も共に働こう」という結論が出てくるのです。イエス様が世界を救おうとすれば、そのように考えるでしょうか、考えないでしょうか? それゆえ、「あなたの家族を捨て、夫を捨て、赤ん坊を捨てて、世界のためにいで立て」ということは、悪い命令でしょうか、良い命令でしょうか? (良い命令です)。そのようにしてでも、世界をすべて救ったならば、世界の人々が皆さんの息子娘に対して、栄光の立場で仕えることでしょう。

 それゆえ、国のために忠誠を尽くした人は、神様のための忠臣になるというのです。なぜかというと、自分の家を捨て、自分の妻を捨て、自分の子供を捨て、すべてのものを捨て、そこに全力を投入したという事実は、その世界において伝統を立てる重要な資料になるからです。そのようにしてでも、神様とイエス様は、この世界を早く救いたいでしょうか、救いたくないでしょうか? (救いたいです)。

 今の世界を見て、なぜそうしなければならないかということを私たちは考えてみましょう。人間は、一〇〇年前後で死ぬのです。一〇〇人のうち一年に一人ずつ死んでいくとすれば、一〇〇分の一が死んでいくという話です。それでは、アメリカの人口が二億二千万人とすれば一年にどれほどの人が死んでいくことになりますか? (二百二十万人です)。そうなれば、一年の間に死んでいく二百二十万人という人々は地獄に行くというのです。では、一年に四十億の人類はどれほど死んでいくことになりますか? (四千万人です)。四千万人が死んでいくのです。一年で韓国の人口に当たる人々が地獄に行くというのです。

 それを見た時に、神様はどのような犠牲を支払ってでも、それを早く防ぎたいでしょうか、防ぎたくないでしょうか? (防ぎたいです)。自分の妻一人のために、自分の息子娘のために、このような問題をないがしろにしてはなりません。全体を早く救わなければならないのです。息子娘が何ですか! 神様は女性たちを動員し、おばあさんたちをすべて動員してでも、一人でも早く救ってあげたいでしょうか、救ってあげたくないでしょうか? 神様はすべて総動員してでも、早く救ってあげたいのです。

 それゆえ、宗教の中でも一〇〇パーセント動員できる宗教が、真なる宗教であるという結論が出てくるのです。家もすべて捨てて、全部清算して、一〇〇パーセント動員できなければならないというのです。このように神様の摂理のみ旨が非常事態におかれているということを、私たちは考えなければなりません。

 ですから、神様を信じ、神様を愛する者が、「私は知らない」と言えるでしょうか? 神様がそのような考えを持っておられるのに、この世の宗教指導者たちが「そのようなことは全部やめて、適当にやればいい」と言うとすれば、これは怨讐だというのです。「この者たち!」。もし非常時になって、統一教会に「全体動員せよ」と命令すれば、一〇〇パーセント動員できるかという話です。皆さん、動員できますか? (はい)。

 それで、今までこのような訓練をしてきたのです。韓国の祝福家庭は、一九七〇年度から三年間、子供や夫や妻を問わず、全部捨ててみ旨のために出ていかなければなりませんでした。総動員したのです。その時、この世の人々は「レバレンド・ムーンは家庭を破綻させる」と言って大騒ぎしました。しかし、神様がそれを見た時、「やあ! レバレンド・ムーン、お前は呵責を覚えるであろう」と言うでしょうか、「やあ! レバレンド・ムーン、よくやった」と言うでしょうか? どちらですか? 答えてください。(「よくやった」と言われます)。大変なことですが、理解できるでしょうか? 理解はできますね? (はい)。

神様のために犠牲になった者は、必ず素晴らしい報いを得る

 皆さん、「死なんとするものは生き、生きんとするものは死ぬ」という言葉を知っているでしょう? イエス様がそう言われました。それは個人にも適用されるし、家庭にも適用されるのです。家庭を犠牲にしようとすれば家庭が蘇生し、家庭を生かそうとすれば家庭が死ぬということなのです。ユダヤの人々がなぜ滅びたのかというと、このような法度に従って、イエス様のために死のうとすれば生きることができたはずなのに、生きようという立場で働いたので死んでしまったのです。それが歴史的事実なのです。そのことが理解できますか? (はい)。

 統一教会は、神様の非常事態の時に死のうという者をつくるのでしょうか、生きようとする者をつくるのでしょうか? (死のうという者です)。死のうとすれば生きるのであり、生きようとすれば滅びます。それと同じことなのです。皆さん、死ぬ時は一緒に死にますか? (はい)。神様が必要とするならば、理由なくすべてのものを捧げることのできる、一つしかない尊い生命までも、絶対的に神様のために捧げることのできる思想がなければならないのです。先生はそのように生きてきたのです。これがレバレンド・ムーンの思想です。父母も捨てたし、兄弟も捨てたし、妻子もすべて捨ててきたのです。むしろ、お母さんやお父さん、親族をさらに苦労させ、犠牲の場に追いやったのです。それが嫌だと言ったならば、世界は今どうなっていたことでしょうか? 非常事態の時には、私たちはそれを捨てても行かなければならないでしょうか、それをつかんで行けないようにしなければならないでしょうか? どうしなければなりませんか? (行かなければなりません)。関係を断つことに努力しましたか? (はい)。先生は、そのように実践してきたのです。

 聖進(様)のお母さんが反対して、そうなったのです。途中で離婚するということが生じたのです。ついて来ないので仕方がないのです。世界を捨てるか、妻を捨てるかといえば、世界のために妻を捨てるというのです。私は、そのように実践した人なのです。そうかといって、夢にも離婚ということは思いもしなかったのです。お母さんやお父さんを含めて一族が全部既成教会の信徒でした。彼らがそうしたのです。既成教会がすべて自ら請うて、私たちの家庭を破綻させたのです。

 それでも、夫としての責任をすべて果たしたので、私は良心的に呵責を覚えることは一つもないのです。「お前は妻を捨てても世界を救わなければならない」という天法によって、神様の命令によってそうしたのです。神様がそのような方法でなされるのだということを、私はよく知っているのです。そうではないですか? 神様のみ旨のためには、アブラハムはイサクを殺して祭物として捧げなければならなかったのです。み旨のためには妻でも祭物として殺そうとする時、そこに順応して「殺してください」と言うべきなのが妻なのです。そのようなことが、原理を通して語られているのです。

 先生は、み旨のためには父母も家庭も国も全部捨てる覚悟をした人です。自分の妻を愛し、自分の子供を愛することよりも、統一教会の教会員たちをより愛し、国をより愛さなければならないのです。これが神様の行く道なのです。そのように、統一教会の教会員たちを自分の父母よりも自分の妻子よりももっと愛したというのです。それはなぜかというと、神様が自分の息子娘を犠牲にしながらも、このサタン世界の人々を救おうとしてこられた歴史的な事実を知っているからです。私がそのみ旨を知り、そのお父様の息子になったので、その伝統の思想に従わなければならず、引き継がなければならないのです。

 そのようにして行動した時に、その何倍ものよいものをもって神様が訪ねてくださることを、私は知っているのです。本当に、不思議なことをたくさん感じます。私の愛する友達がいれば、必ず霊界へ連れていかれるのです。昔、私の知っていた友達の中でも、親しい人は全部霊界へ連れていかれました。全部、道を断ってしまわれるのです。そのように、情緒的なものをみな断ってしまわれるのです。たくさんの友達、たくさんの人々が、私ゆえに、先に(霊界へ)逝ってしまったのです。そして、兄弟たちのうちでも、私を一番愛し、私に一番尽くそうとしてくれた兄も連れていかれました。それは、なぜでしょうか? それは後で分かったことですが、私が情緒的に引っ張られそうなので、神様がそのようにされたのです。

 それで孤独な私というものを感じて、孤独な立場で神様を訪ねながら歩むうちに、このみ旨がだんだん成されていくのを見た時、本当に不思議だと思ったのです。どこに行っても、そのような人々が伝道されているのです。本当に、「あの人が、そうではないか?」と思うくらいに、似ているタイプの人々なのです。言葉もぴったり同じであり、表情も同じような人々が、驚くほどに伝道されてきているのです。時がたってみれば、すべてを奪っていくのではなく、もっといいものをもって神様が報いてくださることを、いくらでも感じることができるのです。

 自分の家庭を神様のために犠牲にすれば、その家庭以上のものを(神様が)与えてくださるでしょうし、自分の国も、自分のすべてのものも犠牲にすれば、それ以上のものを神様は与えてくださることでしょう。今日の世界の若い青年男女たちが、「レバレンド・ムーン! レバレンド・ムーン!」と言って、死をも覚悟して行こうと誓う運動がなぜ起こるのかというと、私が捨てたすべてのものを、何千万倍にして、神様が世界的に報いてくださるためであると考えられるのです。これは私がつくった話ではありません。すべて神様がなされることなのです。

神様が私たちを協助するその理由

 韓国のはるか山合いに住んで、何も持たなかったレバレンド・ムーンがこのアメリカ大陸に来て、世界の中心であるアメリカ大陸に来て、希望的な課題を提示していることは、レバレンド・ムーンの力でやれることではないのです。ある時、私が車に乗ろうとすると、黒人や白人が全部ついて来るのです。まるで一大事が起こったみたいなのです。自分でも知らずに走ってくるのです。私が走ると、自分も知らずに走ってくるのです。

 人間としてできることは、アメリカ大統領にもできるし、アメリカの教会の牧師にもみなできます。ただ一つできないことは、彼らは神様の非常事態において、神様の願う道を行けませんが、私は神様の非常事態にそれを満たしてあげるために、すべての犠牲を覚悟して行こうとするのです。これが違うのです。神様の非常事態に、アメリカの大統領やアメリカの有名な牧師、あるいは教皇は安らかな立場にいるかもしれませんが、レバレンド・ムーンは人知れず涙を流し、人の知らない中で、心情深く一人で見もだえしながら、「これは私でなければ、ほかに責任を負う者がいない」と言いつつ、見もだえした歴史があるので、そうするしかないのです。もし、アメリカの立派な指導者たち、あるいは宗教指導者たちが先生と同じ心をもったならば、このアメリカは、このようにはならなかったことでしょう。そうなっていたならば、子供たちが父母の前に親不孝することはなく、個人がその団体の責任者の前に反抗することはなく、国民は国の大統領の前に順応せざるを得ないというのです。

 それゆえ、統一教会が異なるところは、このような思想のもとで、このような流れのもとで生きていくということです。統一教会は、こうした環境で、神様の非常事態には一〇〇パーセント、全体の前に犠牲を覚悟して乗り出すことのできる宗教にしなければならないというのが、先生の一片丹心です。皆さん、統一教会に一〇〇パーセント動員できますか? (はい)。皆さん自身でそのように考えますか? (はい)。このレバレンド・ムーンには夜がないのです。神様が命令されるならば、夜が問題ではありません。睡眠が問題ではありません。休むのが問題ではありません。死ぬこと生きることが問題ではありません。もし、私が疲れている時間があれば、「この時間に神様の命令があるとすれば、私の運命は決定される」と、いつも考えるのです。ですから、私は神様の天命を、御飯を食べることよりも、遊ぶことよりも、いろんなこの世の欲望を持つことよりも待っているのです。いつも、このような思いなのです。誰が反対しても私は行くのです。だから、私が神様が命令したことを成しておいて、その後で仇を討つのであり、その前には怨讐と争う時間がないのです。このように考えるのです。何の話か分かりますか? (はい)。

 そのような心情の姿勢を持って生きてきたので、神様も私に協助してくださるし、私の行く道に協助してくださるのです。そのような協助がなければ、神様のみ旨を成せないのです。皆さんもそのようにするならば、問題はないはずです。アメリカや世界を救うことは問題ないと見るのです。ですから安らかに眠むるならば、良心の呵責を受けるのです、安らかに眠むった後には、また、よく食べた後には、良心の呵責を受けるのです。

神様の非常事態に責任を負って世界を一つにしよう

 皆さん、どうですか? 神様の非常事態に動員命令が下れば、どんな時でも動員できますか? (はい)。アメリカが第二次世界大戦の時に、国家の非常事態において軍人を選抜する時、「私には妻がいて、父母がいるので行けない」と言ったならば、今日、どうなっていたことでしょうか? そのような国は滅びるのです。そのような家は滅びるのです。ですから、妻がいても、病気の父母がいても、捨てて行かなければならないでしょうか、捨てて行かないようにしなければならないでしょうか? (捨てて行かなければなりません)。それと、同じことなのです。天地が行き交う危急な非常事態を迎えて、神様の命令がある時は、直行しなければなりません。私たちが先に直行しなければなりません。お母さんとお父さんが「行くな」と言う、その言葉を聞かなければなりませんか? (いいえ)。先生の妹はとても先生を愛していたので、先生の若かった時に、「お兄さん、どうかそうしないで、私たちの家で一緒に暮らしましょう」と、どれほど言ったことでしょうか?

 もし、そうしていたならば、今日の統一教会が現れたでしょうか? (いいえ)。先生の妻も「どうか私たちと楽しく暮らしてください」と言いました。聖進(様)のお母さんは、「この世の中で男性は、あなたしかいません」と言いました。「この世の中で、聖進のお父さんが一番いい」と考えていました、いまだに「聖進のお父さんは、間違いない人だ」と考えているのです。しかし、「私たちとつつがなく暮らしましょう」と言った、その言葉を先生が聞いていたならば、どうなっていたことでしょうか? この統一教会は残っていたでしょうか?

 そのような困難なことをたくさん体験したので、それを断つことがどれほど難しいか私はよく知っているのです。私のお母さんが私をそのように愛し、私の兄妹が私をそのように思い、聖進(様)のお母さんが私をそのように愛しましたが、今まで、私は彼らのために生きることよりも、国と世界のために生きてきたのです。そのように生きてみると、さまざまなことが起こりましたが私は滅びなかったのです。私に反対した人は良くなかったのですが、私は発展してきたのです。神様が保護するので、そうならざるを得ないのです。

 では、今日、レバレンド・ムーンは成功した人でしょうか、失敗した人でしょうか? (成功した人です)。一代で成功した人です。イエス様を見ても、当時一二〇の国家の版図を持つことができたでしょうか? いかなる宗教指導者が、生前にそのようなことを一代で成し得るだろうかというのです。誰もできなかったのです。神のみ旨を中心として、歴史上の非常事態がいつかということを考えた時、正に今がその非常事態なのです。

 皆さんが知っているように、民主世界は没落するのです。キリスト教も完全に没落してしまうのです。それから、共産主義の脅威が襲ってくるのです。そこで神様は、民主世界を防御して、キリスト教を防御して、共産主義に備えることのできる道がないかと、その道を模索し、再びそれを回復し、神様のみ旨の世界へ導きたいというのです。

 このような環境を経ながら、先生は国家が反対し、すべてが反対する時も、神様のみ旨を中心として、神様の個人に対する希望を成就させるために、非常事態に責任を持って解決しなければならないと考えた人なのです。個人的勝利の土台の上で、家庭的にこの世界を代表して、すべての怨讐たちが讒訴する中で、これらを勝利的に残さなければならないと考えたのです。

 その次に、氏族的に出ていくのです。それは勝利した家庭の土台の上でなさなければならないのです。そのためには、先生自身が家庭を持っているならば、その家庭も当然犠牲にしなければならないのです。家庭のすべてを犠牲にしなければならないのです。そうして、氏族を解放しなければならないのです。そのようにして、統一教会の皆さんは世界的な氏族になったのです。そして、これらが一つの国家の土台にならなければなりません。これらを犠牲にして、国をつくろうというのです。

 そのようにして一つの標準をつくり、万民の前に、「このような国であってこそ、幸福に生きることができる」ということを見せてあげ、万国がそう成り得るようにして、世界を一つにしようというのです。そうして、世界がそのような国になった時、これが地上天国となるのです。

 先生一代で、個人を中心として戦う場合は、全世界のサタンと全個人がみな攻撃してくるのです。そこで戦って勝利していくのです。その次に、家庭がまたそうなるのです。私たち統一教会の人々は氏族圏ですが、そのためには氏族が全部反対するのです。そのような中で戦って、国を超えて世界に連結しなければならないのです。

一九七六年はキリスト教歴史を、霊肉を中心とした次元で超えていく時である

 一九七五年、今年の六月七日に汝矣島広場で「救国世界大会」を開きましたが、この時は、大韓民国が霊的肉的な峠を越える時でした。皆さんは、ここから蕩減復帰を学ばなければなりません。イエス様がイスラエルの国で霊肉を中心とした戦いに失敗して失ってしまったものを、神様のみ旨を成し得る一国を中心として探し出さなければならないのです。そうして、霊肉を中心として国家から追われたものを探し出して、初めてイエス様を解怨し、滅亡していたイスラエルの国を再び探し出して、神様のみ旨に立てなければならないのです。それを成し得る時が、今年の六月七日だったのです。

 そして私は、このアメリカに渡ってきたのですが、今からは何をしなければならないかというと、アメリカはキリスト教を中心とした霊的世界の中心国家であり、肉的国家基盤を築かなければ霊的世界基準に行くことができないので、ここに橋を架けて、霊的キリスト教世界に肉的国家基準を連結させて、世界的版図に霊肉共に影響を及ぼすことのでき得る雰囲気をつくらなければなりません。そうして、アメリカと自由世界の峠を越えなければならないのです。それをなさなければ、霊肉を中心とした世界的版図が形成されないのです。

 当時イエス様が、三年間に、霊肉を中心として国を動かそうとして失敗したことを、この時代において、キリスト教国家の第一イスラエルのような霊的国家のアメリカを中心として、三年間で霊肉を中心とした一つの世界的版図を造成しようというのです。それが一九七五年、七六年、七七年の三年期間だというのです。ですから、来年で建国二〇〇年目を迎えるアメリカの歴史は、キリスト教二〇〇〇年の歴史を蕩減する最後の期間だと見るのです。

 この二〇〇年期間は、歴史時代において過ったすべてのことを全部蕩減して、来られる主を迎えるための準備の歴史として築かれてきたものです。また、そのような国家としてアメリカをつくっておいたのです。この三年期間の二番目の年が来年なのです。何の話か分かりますか? マディソン・スクェア・ガーデン大会の勝利によって、霊肉を中心とした勝利的な国家基準を韓国に連結させる版図が成されたのと同様に、今やヤンキー・スタジアム大会を勝利で終える日には、それをアメリカ自体に連結させ得る基盤が決定されるというのです。分かりますか? (はい)。

 キリスト教は何かというと、イエス様を中心とした宗教です。アダムを第一アダムとすれば、イエス様は第二アダムであり二番目です。二番目を中心としてすべてのものの生死を決定するのと同様に、このキリスト教文明圏であるアメリカを中心として…。私たちの三次七年路程は国家を超えた世界的路程なので、二番目の年である一九七六年と一致するのです。

 それゆえ、来年の一九七六年は、アメリカ歴史の建国二〇〇年目に当たる年であると同時に、今日までの二〇〇〇年のキリスト教歴史が霊肉共に移行していく時なのです。霊的なキリスト教世界が、今や霊肉を中心とした新しい次元の世界に移行していく時だというのです。それも、世界を代表して移行していく時が来たのです。何の話か分かりますか? (はい)。

 ヤンキー・スタジアム大会を中心として勝利した日には、今までアメリカで騒がれてきたすべてのことが完全に除去され、反対していた人々も完全に除去されるのです。今まで、「レバレンド・ムーンは悪い」と言ってきたことは、イエス様を殺そうとしたことと同じです。ですから、レバレンド・ムーンを殺す工作をしながら、大騒ぎしてきたのです。しかし、レバレンド・ムーンは、イエス様のように、ユダヤ教とイスラエル民族に追われて死ぬ立場に行く男ではありません。アメリカの全土で反対され、追われて死ぬような環境に追い立てられても、死ぬことはありません。ヤンキー・スタジアム大会さえ勝利する日には、完全に勝利の勝ちどきを上げて超えていけるからです。

 キリスト教は、霊肉を中心として勝利した基盤において、イエス様が死なずして出発すべきであったのに、イエス様が死んだことによって、霊的にだけ出発したのです。ですから、二〇〇〇年のキリスト教文明を通して形成された二〇〇年の歴史を持ったアメリカが、その二〇〇〇年を蕩減して、肉的イエス・キリストの目的と連結させて、新しい世界に移行していく歴史的時期が来年なのです。この歴史的な使命を果たせるか否かという、この戦いに責任を持つ私たちの目標が、ヤンキー・スタジアム大会であるということをはっきりと知らなければなりません。

 イエス様時代のローマと同じ場所はどこでしょうか? 今日、韓国で生まれたレバレンド・ムーンによる新しい宗教である統一教会を中心として見た時、正にアメリカがローマと全く同じ立場なのです。イスラエルの国で生まれたイエス様がローマ帝国に入って、そのローマを制圧して勝利の勝ちどきを上げなければならなかったのに、それができずして四〇〇年の間、迫害を受け、受難の道を経てきたキリスト教の悲惨な歴史を私たちは知っています。それと同様に、今日、統一教会の私たちが、ローマと同じこのアメリカに来て、勝利の勝ちどきを上げ、ローマ帝国と同じアメリカを動かし、方向を定めて世界に出ていく決定を下すのが、ヤンキー・スタジアム大会なのです。(歓声と拍手)

 このような観点から見た時、これは、神様の六〇〇〇年の摂理を中心とした最後の戦争なのです。そして、ユダヤ教とイスラエルの国とイエス様が一つになれなかったことを、私たちはここで統一教会とアメリカとキリスト教が一つになるかどうかという問題を決定づける、その関門を開くことができるのです。もし、そこで勝利する日には、イエス様が死なずしてローマに入城し、世界圏を宣布する新しい歴史的起源を成し得たのと同様の、新しい歴史的起源が設定されるのです。(拍手)

ヤンキー・スタジアム大会の歴史的な意義

 皆さん、来年のアメリカの大統領は、四十代目の大統領です。この四十代を中心として成すことができなければ、さらに三代が延長されるのです。それゆえ、四十代に二〇〇年が合わさるので、内外共に統一教会が働いて、ヤンキー・スタジアム大会で「ゴッド・ブレス・アメリカフェスティバル」というタイトルで愛国運動を提示するということは、アメリカの歴史における生死の問題を決定づけ得る起源になるということを知らなければなりません。(拍手)

 神様が、人間の先祖アダムとエバが堕落することによって六〇〇〇年、数十万年という歴史的期間を通して受難の道を歩んでこられる中で受けた悲しかった数々の心情の解怨を、どこで解放すべきかという問題を考えて見た時、アメリカの地でこのような日を迎えたということは、歴史的事件であるということを知らなければなりません。イエス様が神様の息子としての責任を持って、世界万民救援の目的を達成できずに、悲しい心を抱いて十字架にかかり、血を流して死んでいったその日から、この勝利のひと時が来るのを願って、このような国を形成し、神様の願いを成して、神様を解放し得る日を願ったその時が、正にヤンキー・スタジアム大会に連結されているということを知らなければなりません。(拍手)

 そればかりではなく、今まで二〇〇〇年の間、追われに追われてきたキリスト教の運命の道に従って、血を流しながら倒れ、殉教の道の祭壇を通して、今まで世界的舞台に発展させてきた先知先烈たちの願った今日の神様の解怨、イエス様の解怨、私たちの解怨を完結づけて、万民の救援と万民の解放を迎えるその時その日が、正にヤンキー・スタジアム大会の日だということを、皆さんは知らなければなりません。(拍手)

 キリスト教を中心としたイエス様と神様はもちろん、統一教会を中心とした神様と先生と統一教会の教会員の所願成就を決定づけるひと日が、正にヤンキー・スタジアム大会の日だということを、私たちは知らなければなりません。そればかりではなく、今日、二つの世界に分かれて混乱のうちに、どこに行くべきかも分からない、この世界のかわいそうな万民が、神様を求めて一つの新しい方向を見いだし、天国の民になる、その門を開く日が正にヤンキー・スタジアム大会の日だということを知らなければなりません。(拍手)

 さあ、ヤンキー・スタジアム大会で、このレバレンド・ムーンが失敗するか成功するかという問題は、宇宙史的な意義があるのです。それゆえ、これは神様とイエス・キリストとキリスト教はもちろん、全世界の人類と統一教会と統一教会の文先生が命を懸けた戦いなのです。命を懸けた戦いだというのです。このようなことをサタンはよく知っているので、アメリカの言論機関を通して、アメリカで私たちに反対する人々を立てて、私たちに攻撃してくるのです。先生が若き時から願い、待ち焦がれていたその日が、ほかでもなく、正に来年の六月に来るということを彼らはよく知っているのです。

 そのような日の来ることは、この上なくうれしいことですが、もし勝利できない日にはこの上なく悲惨なのです。それゆえ、その日はうれしい日であると同時に、恐ろしい日だというのです。ですから、私が壇上に立って勝利の勝ちどきを上げるのか、敗者の声を上げるのかということが問題なのです。もし、敗者の声を上げる日には、統一教会の行く道と人類の未来は悲惨な姿が生まれることでしょう。そうなれば、神様の前に私は顔を上げられないことでしょうし、また、皆さんはもちろん、神様と霊界のすべての霊人たちと全世界の宗教が共産世界の侵略の風に追われて、この世界は荒れ地になり、今までの宗教も全部消え去ることでしょう。共産党に全部が蹂躙されるという話です。

 そうなれば、一九八〇年度になる前に、アメリカも全部引っ繰り返ることでしょう。そのようなことを知っているので、私たちはヤンキー・スタジアム大会を中心として、歴史的な責任を負い、その前線に立っているのです。このヤンキー・スタジアム大会を成功裡に終える日には、来年秋のワシントン大会はさらに成功裡に終わることができるというのです。もし私たちがワシントン大会を、五十万人以上を集めた集会として成功裡に終えた日には、アメリカ歴史上にない大きな問題となることでしょう。(拍手)

ヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会が終われば世界が私たちの前に現れる

 見ていなさい。そうなれば、アメリカの知恵のある人々は、すべてレバレンド・ムーンを研究せざるを得ないというのです。研究せずにいられますか? 考えてみてください。「あの人は外国人なので、英語もできずに通訳をおきながらも、数年のうちに世界の中心国家であるニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデンから、ヤンキー・スタジアム、ワシントンを一瞬の間にさらってしまった。何の力でもってやったのか?」と言うのです。そればかりではなく、「このようなことのできるお金はどこから出てきたのか?」と言うのです。経済的な面において新しい方向がここにあるということを考えた時、お金を得たい人は私を研究せざるを得ないのです。また、政治をする人の中で「おお、このような団体を私が動かすことができれば、アメリカの大統領にもなれるだろうに、レバレンド・ムーンのような力があったらいい」と思う人は、私を研究せざるを得ないというのです。

 その次に、アメリカにいる数多くの宗教指導者たちはみな、完全に惨敗を喫してしまった後で、結局レバレンド・ムーンが信じる神様と自分たちが信じる神様が異なることを知るようになるのです。「神様が共にあるので、あのようなことができるのであって、サタンが共にあるなら、あのようなことはできない。私たちが信じる神様は今まであのようなことができなかったのに、レバレンド・ムーンを中心とした神様は特別なので、ここに新しい神様の役事がある」ということを、認定すまいとしても認定せざるを得ないというのです。そうなれば、反対していた人々も、みな入ってきてしまいます。ですから、前面では攻撃しても、後ろでは、口では反対しながらも、心ではいいと思っているのです。

 皆さんはアメリカをよく知っていますが、私は、「このアメリカは主人のいない国だ」と見ているのです。「民主主義なので、アメリカの国民が主人だ」と言うのでしょう? しかし、皆さんは主人の資格を持っていますか? 全部が主人になっていないのです。主人がいないのです。自分が自分自身の主人にもなっていないのです。なっていますか? この姿は、ただ風が吹くままに引っ張られていっているだけです。「共産主義がいい」と言えばそこに行き、「ヒッピーがいい」と言えばそこに行っているのです。何か言えば、全部が一度に行ったり来たりする者になっているというのです。

 そのような、主人にもなれずにいる皆さんが集まって、「この国の主人だ」と言うのですか? そのようなアメリカの人々が、この国を収拾して、永遠な理想世界をつくることのできる主人になれると思いますか? ですから、「主人はいない」と言うのです。アメリカは主人のいない国なのです。主人になろうとすれば、まず個人の主人から、家庭の主人、民族の主人、国家の主人にならなければなりません。また、世界を指導できる理念を持たなければなりません。そのような人が現れれば、その人が主人になるのであって、ほかの人は主人にはなれないと私は見るのです。そのようには思いませんか? (思います)。

 見てみなさい。このアメリカの青年たちはやりたいことはみなやってみました。ヒッピーにもなってみたし、フリーセックス、ありとあらゆることをみなやってみましたが、満足できず、全部が壁にぶつかって麻痺状態なのです。目だけが生きているのです、目だけが生きています。生きた死体なのです、生きた死体です。それでは家庭が破綻して、青年たちは全部麻薬中毒者になるでしょう。教会という教会はみな壊れてしまうでしょう、共産主義の脅威があるので、そうなるのです、どうしますか? これを、満身創痍になったというのです。

 見てみなさい。アメリカの中心都市であるニューヨークが破綻前夜にあるのはなぜでしょうか? あの人々は、なぜ責任を持てずにああなったのでしょうか? すべて考えるべき問題ばかりです。ニューヨークが倒れる日には、アメリカ自体に希望がないという話です。もし、ニューヨーク市民が、私の話さえ聞くことができるならば、私は三年以内に、全部を回復させることができるのです。(拍手)

 このような実情を見た時、「今から、新しいことが何かないか、行くべき道が何かないか」と思いながら、大学の教授も、宗教者も、既成教会も、ビリー・グラハムもみな求めているのです。しかし、何もないというのです。そのような中で、このレバレンド・ムーンがあまりにも有名になり、問題になるので、東洋から来たレバレンド・ムーンとはいったいどんな人なのかと気がかりなのです。もしも「レバレント・ムーンがいい」という日には、一度にどっと集まってくるのです。ほかに行く所もないので、こっちに来るのです。(拍手)

 皆さんも、反対していたにもかかわらず、ここに来たのですね。もし、ヤンキー・スタジアム大会やワシントン大会で「いい」となった日には、このように世界的風が吹く時は、どっと集まってくるでしょうか、集まってこないでしょうか? 若い人々はみんなどこに行くでしょうか? 皆さん、考えてみてください。神様を中心として、このアメリカの国民が統一教会の思想で武装して感化されたならば、世界は一瞬の間に、三年以内に完全に統一して余りあるというのです。そうなれば、私たち統一教会は世界の人々を養っても余りある役事をいくらでもすることができるのです。

 一つ例を挙げてみましょう。私が、もし各国に十億ドルほど寄付すると考えてみてください。各国の外務省の大臣たちが、私たちのイーストガーデンに来て、並んで「統一教会の思想がいいので、どうかレバレンド・ムーンが来て、私たちの国でもそのような国民をつくってください」と言うことでしょう。そうなれば簡単なのです。その国の閣僚たちを中心として、そこで修練会を開けば、その国は一瞬の間に全部復帰されるのです。(拍手)そのようにして一週間くらい教育を受けた日には、考えが変わらないだろうかと思うのです。何の話か分かりますか? (はい)。強制しなくても、自主的に変わるのです。

 このことを考えた時、ヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会さえ勝利する日には、世界が私たちの前にやって来るのです。そのようになれば、私がここから上院議員に、電話を一本して「ニューヨークのイーストガーデンに来なさい。一度会いましょう」と言えば、来るでしょうか、来ないでしょうか? 考えてみてください。(来ます)。私たちは、お金も持っているし、若い人たちの力も持っているし、国家や世界を一度に動かす基盤もあるのです。それが、必要なのです。このようなことを見た時、皆さんはこの世の中に生まれて、レバレンド・ムーンのような人によく出会いましたか、よく出会いませんでしたか? (よく出会いました)。よく出会わなかったのでしょう? (いいえ)。言葉ではそうでも、心はそうではないでしょう?(いいえ)。(笑い)

新しい決意で一九七六年を迎えよう

 神様と人類が解放されれば、その後は死んでも大丈夫です。それが先生の生涯の目的であり、天命を受けた使命なので、その使命をすべて果たした後には、この地上でもっと生きたいという考えはありません。今も先生は命を懸けているのです。

 この前、私は何人かの人を調査しました。ニューヨークの暗黒街で調査してみたところ、一七〇ドルさえあげれば、「いつでも人を殺す」と言うのです。また、麻薬を飲んで精神病者になる青年たちが多いのです。そのような所に若者たちを連れていって物議を醸しながら活動することは、どれほど危険千万か考えてみてください。

 今や統一教会をなくそうと、共産主義者たちはさまざまに捏造することでしょうし、共産主義の専門家たちを投入することでしょう。反対派たちは、ありとあらゆる凶悪な輩を送って、内部分裂を工作しようとするのです。そのような人たちがたくさん入ってくることを私は予想しています。この前も、『デーリー・ニュース』の記者がここに来て、三日間スパイ活動をしたのです。それと同じように、いくらでもできることです。ここには制裁がありません、すべて公開しているからです。

 ですから、どんなに危険千万なことでしょうか? 私の一生において、アメリカに来て、このように生命の危険を感じながら、命を懸けて戦うことは生涯において初めであると同時に終わりになることでしょう。なぜそうまでしなければならないかというと、このアメリカの地においてこのように戦うことが、ヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会の戦いが、神様の願いであり、イエス様の願いであり、人類の願いであり、また過去に地上に来ては死んでいった先祖たちと、現世界と未来の後孫たちの願いだからです。すべての願いの峠がここにあるので、ここで判決を下さなければならないため、私もここに来て、このようなことをなさざるを得ないというのです。

 皆さん、きょうの題目と同じ「希望の峠を越えよう、望みの峠を越えよう」という峠が、正にヤンキー・スタジアム大会なのです。原理の教える内容と同様に、マディソン・スクェア・ガーデン大会は蘇生であり、ヤンキー・スタジアム大会が長成の二回目なので、この峠が最も難しいのです。三回目は問題なく越えていけるのです。

 イエス様が追われて、十字架で亡くなられるようになったのも二年目です。この二つ目の年をイエス様が越えていたならば、十字架上では死ななかったことでしょう。統一教会も同じです。ヤンキー・スタジアム大会が二回目の峠なので、これを越える日には、すべての峠を越えていけるというのです。それによって、新しい世界に越えていけるのです。このように深刻な歴史的最後の関門を見つめる私たちは、今や強く雄々しくなければなりません。強く雄々しくなければならないというのです。

 ですから、じっと座っているのではなく、前進しなければなりません。この瞬間が神様の非常事態であり、イエス・キリストの非常事態であり、長い歴史時代に殉教した先烈たちの非常事態であり、人類歴史の世界的情勢から見ても非常事態なのです。すべてのことが、この非常事態にかかっていることが分かったのですから、男として生まれ、女として生まれた私たちは、過去の人類の先祖たちを代身し、現在の人類を代身し、未来の後孫を代身して、勝利を標榜して立ち上がった天の勇士であることを知らなければなりません。

 きょうは、一九七五年の最後の日です。今からの勝利を決心するこの瞬間に、決意を誓ってください。新しい一九七六年になって決心するのではなく、今年のうちに決心して、これから訪れる一九七六年を迎えなければなりません。そうしなければ三年が連結しないのです。ですから、きょうが蘇生、長成、完成の三年を連結することのできる最後の日なのです。

 一九七六年に、アメリカの歴史的な運命を決定しなければなりません。このアメリカは世界の運命を代表し、今日の統一教会はこのアメリカの運命を代表して立ったので、一九七六年を勝利の年として飾ることを誓わなければなりません。理由を問わず、異議なく総動員しなければなりません。一〇〇パーセント総動員して、この非常事態を一時に、各自が肉弾となって、「勝利の勝ちどきを上げてみせる」と誓う私たちにならなければならないのです。正にその誓いを、正にその決意を、私たちは神様と全宇宙の前に宣言しなければなりません。私たちによって、すべてのものが勝利をたたえる結果をもたらすことを誓わなければなりません。

 困難であればあるほど、峠を越えて頂上に立った時に、より一層の大きな喜びを感じることができるのです。ですから、困難を撃破して勝利しなければなりません。皆さん、そうできるという人は手を挙げて誓いましょう!

 そのように、希望の峠を堂々と越えて、神様の懐に抱かれ、永遠に勝利をたたえることのできる勝利者になることを願いながら、先生のお話を終わりにしたいと思います。(拍手)


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