父の祈り 1 希望編
1-1 お父様の本然の美を表せるようにしてください
創造主なるお父様!
あなたの美しさが
すべての万物万象に現れ、
あなたのみ手が仲べられた形状の上には、
玄妙なる顕現の美が
満ち満ちています。
人間に対する創造目的である美を、
きょうも休まず探し求められる
お父様の切ない心を、
私たちが体と心で体得でき、
あなたの愛のみ前に
美しさをもって対することができますよう
お許しください。
私たちの心が、お父様がお造りになった時の
本然の心でもって現れるよう許してくださり、
私たちの体が罪に染まらない
創造直後の体として、
その美を表せるようお許しください。
私たちの心と体が
神様の愛と心情に代わり、
神様が動ずれば私たちも動じ、
神様が静ずれば私たちも静ずることのできる、
完全無欠な本然の姿として立つことができますよう
お許しください。
これが、お父様が
今まで復帰摂理歴史を経ながらご苦労された、
一つの目標であったことを知るものでございます。
今、私たちが探すべきものは自らの心であり、
成すべきものは体でありますので、
それを探し立てることができるようにしてください。
そうして、お父様の本性の美を代表し、
敬拝を捧げることのできる一個体として
立ててください。
お父様のみ前に感謝と栄光の歌を捧げることができますよう
許してくださり、
これがご苦労されるお父様の目的であったことを、
私たちが骨身にしみて感じることができるよう
許してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
私たちは堕落の血統を受け継いだがゆえに、
自分でも分からない間に
天を離れ、自分を重視する
生活をするようになり、
天倫を離れ、自分を中心として
動く者となりましたので、
これを回復して天倫に対することのできる
本然の心の叫びに導かれるよう
許してくださり、
本心の動きが私の体を刺激し、
天が取ることのできる本熱の自我を探し出せるよう
お許しください。
そうして、
億兆蒼生(=数多き未完成の霊人たち)に対する嘆息を私たちが解怨し、
天地のすべての嘆息を解怨して、
お父様のみ前に謙遜にひれ伏して敬拝を捧げることができ、
お父様の愛を受けることのできる子女として
立ててくださいますことを
心からお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・六・一〇)
1-2 お父様に栄光を帰すことができるようにしてください
愛するお父様!
私たちに残された運命の道が、
幾重にも重なった険しい道であることを知りますとき、
今日私たちが信じている範囲は
あまりにも狭いのです。
あまりにも狭く、あまりにも消極的に、
あまりにも不備のままに
み旨の道をついてきた私たちであったことを、
お父様のみ前にありのままに告げざるを得ません。
お父様!
天資の摂理の全体を導いていかれるお父様のみ前に、
主管を受けることができますよう許してください。
お父様の形状を望むことができるように、
お父様、
哀れみを許してくださり、
助けてくださり、
立ててください。
地の上にある万物を代表するにおいて
不足のない姿として、
自然に善悪を分別することのできる
本然の実体として整えてくださいますことを、
わがお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
今、「自分」という観念を
忘れることができるようにしてくださり、
私たちの体から
サタンの所有権を取り除いてください。
私たちの心が
神様だけを所有することができ、
神様だけを呼び求めることができ、
神様だけを誇ることのできる、
万物に対する不変の個性体として
復帰されるようにしてください。
そうして、私たちが
お父様に栄光を帰し奉るようになるとき、
万物も和勤し、
天にいる数千万の聖徒も和動して、
一つの叫びが、
感謝、感謝、ハレルヤが天地の上に
一律に起こるようになるとき、
サタンが自然屈服するということを知っていますので、
そうできますよう、お父様が導いてください。
お父様のすべての主管性を、
私たちの体で終結できるよう許してくださり、
勝利のホザナと凱歌を、
お父様のみ前に歌ってさしあげられるようお許しください。
万物万象が和動する中で
天を代表した勝利の子女、
証の主人公たちとなれるよう許してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・六・二七)
1-3 お父様に敬拝をお捧げいたします
お許しくださったこの日、
お父様のみ前に敬拝を捧げるためにひれ伏しましたので、
私たちの心霊を洞察してくださり、
非のない心を奮い起こしてください。
この時間に捧げる敬拝が、
お父様の切ない心情を
慰労してさしあげ得る敬拝となることができますよう
許してくださり、
あなたが経綸なさるみ旨を
私たちに命じ、任せることのできる時間となるよう
許してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちを呼び集めてくださったのもあなたでしたし、
私たちに勧告し、
生命圏の中で動くようになさったのも
あなたのみ業であることを知っていますので、
あなたが約束なさった聖霊の炎を許してくださって、
各自の体と心が和動し、
全体の喜びとして現れるのに
不足のないよう助けてくださり、
お父様が要求なさった神性の全体が、
この時間に現れることができるよう許してくださいますことを、
愛するお父様、切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちに哀れみの愛を注いでくださり、
天の栄光に向かって
全体の心が傾き得るよう、
聖霊の働きによって導いてください。
そうして、私たちすべてが
民族を代表し、人類を代表し、
天上天下の全被造万物を代表して
至聖所の門を開き、
お父様のみ前近くに行き、
勝利の生きた祭物を捧げることのできる
敬拝の時間としてお受けくださいますことを
切にお願い申し上げます。
私たちの敬拝によって、
この民族がお父様のみ前近くに立てられるよう
許諾してくださり、
ひいては全人類が罪悪圏から逃れ、
お父様が主管なさる、善主権の世界に
越えていける機会をもてるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
今この時間、
すべての体と心が、
お父様に向かって敬拝し得る心と、
伏して従う心を、
お父様のみ前に表しましたので、
約束なさった成すべきすべてのみ旨を、
余すところなく命じてくださいますよう
心からお願い申し上げます。
聖なる三位神の働きが
すべての人の上に満ちるように
してくださいますように願いながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・七・一)
1-4 お父様に栄光を捧げ得る子女とならせてください
愛するお父様!
涙と涙が交流するそのひとところに、
切っても切れない天倫の情理が
通ずるようにしてください。
天倫の情が通ずるところには、
生命の因縁が連結され、
天上に秘められていた愛の因縁が
現れるようになることを知っていますし、
また、それが地を通じてつながらなければならないのが
天倫の法度であることも知っています。
お父様!
天が願われる復帰された園は、
全体が愛の園であり、
勝利の園であり、
栄光の園であることも知っていますし、
そのような園を築くために、
今日、私たちが一身で奉仕する生活を通じて、
神が喜ぶことのできる
生命と愛と栄光を再び探し出すと同時に、
自分自身を整えなければならないということも知っています。
ですのでお父様、
創造以来抱いてこられた理想の基準を、
私たちを通じて立ててください。
そうして、その基準を土台として
千年王国を建設し、
お父様の理想圏まで進むことによって、
億兆万年、永遠無窮に与えてくださる
お父様の内的心情を、
この地上にいる人間たちが
完全に受け継ぐことができますよう許諾してください。
私たちが天と地を代表した存在として、
サタンの前に讒訴され得る
一つの条件も残さず、
完全復帰をなして完結してさしあげられるように
導いてください。
お父様の全体価値に対する栄光を
すべて探してお捧げできる子女たちとなるよう
お許しください。
愛するお父様、
心からお願い申し上げます。
人間が知らない生活において、
心において、
生命力において、
愛の路程において勝利の主人公になることができなければ、
そのようなことが完結されないということが
分かるようにしてくださり、
サタンとの闘いにおいて最後まで勝利しない限り、
そのことが完結されないということが分かるようにしてください。
今、私たちが
最初から最後まで、すべての闘いの過程を経て、
お父様のみ前に立って
お父様の心を私たちの心として受け継ぐために、
祝福のみ言を奏上することができるように導いてくださり、
勝利の因縁を造成して
お父様のみ旨を代わって担えるよう
許諾してください。
私たちのすべてのものを
お父様のものとして帰し奉り、
サタンに対して闘い勝利することによって
お父様の栄光の遺業を継承できる者、
万物を完全に復帰して
勝利的な主人公の資格を備えた者となる時まで、
お父様、
保護してくださり、
聖なる三位神が助けてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・七・三)
1-5 ホザナの栄光を帰し奉ることができるようにしてください
お父様!
きょうここに集まったあなたの息子・娘たちすべてを
主管してください。
私たちの心と体に、
お父様の喜びのみ旨が現れるよう
お許しください。
お父様の顕現と
お父様の働きによって、
私たちの誤った考えと
誤った主義と
誤った観念を除いてください。
そうして、私たちによって、
天性にしみた恨みが
この時間にすべて清算され得る感動の働きが、
全体の上に起こるよう、
お父様、
お許しください。
悔い改めの働きが
私たちの心に起こるようお許しください。
能力のみ業でもって私たちの体を打ってくださり、
悪の要素が除かれ、
善の要素だけが、
永遠に実存なさるお父様のみ前に
堂々と現れるよう許諾してください。
そうして、私たちが本質、本性によって、
お父様の善に応答でき、
お父様の愛のみ前に和動できるようになることによって、
このような美自体をご覧になり、
お父様が楽しまれると同時に、
天上にいる聖徒たちまで、
この時間、私たちによって和動し、
栄光の歌をお父様のみ前に帰し奉れるよう
祝福してください。
お父様、
心からお願い申し上げます。
お父様!
きょうこの時間、
私たちに任せてくださった使命が、
私たち自体の救援と、
私たち自体の解放のために任せてくださったのではないことを、
銘記するようお許しください。
今日の私たちに、
この民族の運命がかかっていることが分かるようにしてください。
今日の私たちによって、
全世界人類が
天と地に哀訴の条件を立てられるよう
お許しください。
お父様!
荘厳で深刻な生死の道に立っている私たちが、
右手では天をつかみ、
左手ではサタンを打って勝利を収め、
両手を挙げてホザナの栄光を
お父様のみ前に帰することができる時まで、
お父様、
捕まえていてください。
時でない時に、時のみ旨に対する
あなたの孤独な息子・娘たちが、
サタンとの闘いで疲れないよう
許諾してください。
今まで保護してくださったお父様、
この時間以後にも
保護してくださる恩賜を、子女たちがお願いすると思いますので、
どこにいても
あなたのみ旨を代わって担い、
あなたの深い恨みを晴らしても余りあるよう
許諾してください。
私たちすべてが、
私たちの生命を祭物としてお捧げしたとしても、
お父様の恨みの心情を晴らし、
天のみ前に感謝の敬拝を捧げることができるよう
許諾してくださり、
私たちを、
お父様がお喜びになり得る、
ホザナの栄光を帰し奉る美自体としてお立てになり、
早く早く、
天のみ旨を余すところなく
成してさしあげることのできる姿となるよう
お許しくださいますことを、
愛のお父様、
心からお願い申し上げます。
この時間、
喜びのみ旨だけが働いてくださることを
心からお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・一二・二)
1-6 本然の園の上に本然の姿として立ててください
愛のお父様!
私たちの心の園の上に
あなたの幸福が植えられるよう許諾してください!
あなたの生命が植えられるよう許諾してくださり、
あなたの愛が植えられるよう許諾してくださり、
あなたの栄光が植えられるよう許諾してください!
お父様の幸福と生命と愛と栄光が、
私たちの永遠の心の基礎となり、
地の上の不幸なすべてのことを
踏み越えることができるよう許諾してくださり、
暗闇の世を踏み越えることができるよう許諾してくださり、
分裂と闘争がはなはだしいこの世を
踏み越えることができるよう許諾してください。
嘆息とそしりと涙を
踏み越えることのできる息子・娘となり、
幸福を多くの人々に分け与えてあげられる
人にならなければならないので、
不足な私たちを導いてください。
お父様!
きょう私たち自身が、
お父様のみ前に真の子女として立たなければならず、
悪の立場で幸福を享受したり
自分を中心として幸福を享受してはならないことを
知っています。
また、キリストがこの地に来られて生活されたのも、
自分を中心とした生活ではなかったことを知っています。
そうですから、お父様!
自分が幸福である前に
兄弟たちが幸福であるようにしてくださり、
自分か楽しい前に
兄弟たちが先に楽しむことができるようにしてください。
自分を越えて
天宙的な生涯路程を歩むことのできる
心をもたせてくださり、
キリストの生涯路程を模範とし、
真の兄弟同士善でのみ対し、
互いに愛し合うことができるよう許諾してくださり、
神様の幸福と生命と愛と栄光を占有することができるよう
許諾してくださり、
真の兄弟たちの因縁を中心として
切っても切れない
一つの中心として立ててくださいますことを、
愛するお父様、
心からお願い申し上げます。
真実に他人を愛する人がいるならば、
本然の園はその人を通じて
永遠の価値を表すことを知っていますので、
どうぞ、どうぞ、お父様の愛の圏内で、
お父様の願われた天の息子・娘となって、
恥じらいなく
お父様の栄光を歌うことができるように
導いてください。
お父様のみ前に美の対象として
個体的な価値を表し、
お父様に感謝と栄光をもって敬拝できるよう
許諾してくださり、
どうか永遠の勝利の子女たちとなるよう
お許しくださいますことを心からお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げます。アーメン。
(一九五七・六・九)
1-7 お父様と完全に一つになる喜びの日を臨ませてください
愛のお父様!
私たちは今まで
前だけあると思っていましたが、後ろがあり、
きょうだけだと思っていましたら、あしたもあり、
上だけあると思っていましたが、下もあるということを、
この時間、知るようになりました。
また、それが
永遠のみ旨を中心として関係を結んだならば、
右側が左側になり、
左側が右側になる、
すなわち前後左右がそれぞれその位置を変えても、
お父様のみ前に立つことができることを知るようになりました。
ところが、いまだに
人間自体にある根本罪悪の根を
抜き取ることができずにいるので、
今日この時代は
前後、左右、上下がそれぞれ混沌となり、
正しく授け受けできないでいることを、
また感じるようになりました。
愛のお父様!
今こそお父様の永遠の理念を中心として
前後、左右、上下が完全に一つになる喜びのひと日が、
早く早く臨むよう許諾してください。
今、私たちが、
今まで自分を捨てようという心がなく、
自分を立てようという心だけがあった私たち自身であるならば、
あるひと日には、
お父様の審判を逃れられないことを
悟るようお許しくださいますことを
切にお願い申し上げます。
そうして私たちが、
上が下の身代わりとなり、
下が上の、右が左の、左が右の身代わりとなる、
このような一体不可分の関係を築き、
お父様のみ前に誇ることのできる者として、
お父様の栄光を歌うことのできる
真なるお父様の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
今日、この時代は、
見えない脇道が
私たちの前に横たわっていることを知っていますので、
今、私たちが、その道を分別し、
天に向かって黙々と前進しながら、
勝利的なひと日のみ旨を成し、
お父様を慰労することのできる
お父様の息子・娘となれるよう許諾してください。
今まで一つの目標として願ってきたすべてのことが成され、
一つの目標が成され、
一つの目標で実が結ばれる
そのひと日のお父様の喜びが
早く早くこの地上に現れるようお許しくださり、
お父様が喜ぶその心に動じ、
私たちも喜ぶことができるよう許諾してくださいますことを
心からお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・一一・一)
1-8 四方性を備えた愛の存在とならせてください
お父様!
真を求めさまよっている人類の前に、
私一個体は神様の代表であり、
夫婦の代表であり、
父母の代表であり、
子女の代表であり、
兄弟の代表であることを知っています。
また、このような偉大な根本的な存在の位置を
決定できる心の安息所を、
私の一個体を通じて、
宇宙に成しておかなければならない
必然的な歴史路程があるということを、私たちは知っています。
今、私たち一個体において、
男性は真の姉を、真の妹を求めており、
真の母を求めており、
真の相対を求めており、
また、女性も真の相対を求めているということを
知っています。
このように同じ理念を求めさまよっている人類であり、
同じ立場に置かれている人類であり、
怨讐にしようとしても怨讐にできない人類であり、
創造理念によって結ばれるべき人類であることを知っています。
ところが、人類の堕落によって父母の愛が壊れ、
夫婦の愛が壊れ、
兄弟の愛が壊れました。
したがって、今日私たちがこれを探していくためには、
先に兄弟と兄弟同士が、
愛の感情を感じなければなりません。
ひいては神様の六千年の悲しみを代わりに担って
愛することのできる相対を探し出してこそ、
天と地を代表できる
原則的な基準が復帰されるという事実を
今、知りました。
今日、私たち一人の姿は単純な存在ではなく、
四方性を備えた、
どの一面も欠乏してはならない存在であるがゆえに、
私たちに兄弟がなければ悲しいものであり、
友達がなければ悲しいものであり、
父母がなければ悲しいものであり、
子女がなければ悲しいものであることを知るものでございます。
それは人間が四方性を備えて、
互いに愛し合うのが天理原則であり、
それが永遠の本心として
神様が許諾してくださった生の第一基準になるので、
現生活で
そのような原則を忘れてしまえば悲しむようになるということを、
ここに集まったあなたの息子・娘たちが分かるよう
許諾してくださいますことを
心からお願い申し上げます。
今、人類を
神様の身代わりに抱くことのできる心、
御子の身代わりに抱くことのできる心、
聖霊の身代わりに抱くことのできる心情を
備えるようにしてくださり、
私たちが天の子女として、人類を抱けるよう許諾してくださり、
そのような心を備え、
天を思い地を思うことのできる私たちとなるよう
許諾してください。
悲しみ、苦痛に当面しながらも、
喜ぶことのできるひと日を迎え、
永遠の万物世界の前に
一つの中心として復帰され得る喜びの日が、
早く臨むよう許諾してくださいますことを
心からお願い申し上げます。
このような絶対的な鉄則によって、
私たちの体から肉の父母、肉の兄弟、肉の夫婦、
私たちの心から心の父母、心の兄弟、心の夫婦、
永遠の理念世界から霊を中心として、
霊の父母、霊の兄弟、霊の夫婦として備えられた、
すなわち三大父母、三大兄弟、三大夫婦の三位型を
平面的な私たちの個体で
築くことができるよう許諾してください。
このような実体的な結実体として証となり、
神様の認定を受け祝福を受けることのできるひと日を
迎えなければなりません。
今、私たちの肉身の真の父母を、
心の真の父母を、
霊の真の父母を探し求めてさまよわなければなりませんが、
霊の父母はお父様であり、
心の父母は再び来られる主であり、
肉の父母は私たちを産んだ父母ですので、
これに相対となる私たちの子女、兄弟、相対を探し出せるよう
許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げます。アーメン。
(一九五八・一二・二一)
1-9 本然の形状に似て喜びとなるようにしてください
お父様!
地上に生きている万民を哀れにお思いください。
み旨を完結すべき日が近づいてきているということを、
私たちは知っています。
その日はお父様の解怨の日であり、
イエス・キリストの願いの日であり、
人類が懇切に待ち焦がれた日であることを、
私たちは知っています。
その栄光の日を迎えて、私たちが
お父様に心から侍らなければならない時になったのであり、
その恐ろしい審判の日を迎える前に
私たちが罪悪歴史を逃れなければならない時が来たということを
知っていますので、
今、お父様、
私たちの心を再びお造りになって、
あなたがお喜びになることのできる心性を
備えられるようにしてください。
私たちの体を再びお造りになって、
あなたがお働きになり得る
形状体となるようにしてくださいますことを
心からお願い申し上げます。
そうして、
お父様がお造りになった心で、体で、
本然の願いを歌うことのできる、
あなたのものとして所有され得る真の息子・娘となるよう
お許しください。
そうして、
その栄光の中で一つになり、
お父様の楽しみが私たちの楽しみであり、
私たちの楽しみがお父様の楽しみであると同時に、
天上にいる数千万の聖徒たちの楽しみであり、
被造万象の楽しみとして現れることのできる日が、
お父様の願いの日と、お父様の栄光の日と、お父様の喜びの日が、
早く早くこの地上に現れることを
私たちは切に願っています。
今、心が未熟な者がいるならば、
お父様の本然の心に従って
走ることができるよう許諾してくださり、
お父様の性相を代表してお造りになった
人間本然の形状をもつことのできない者がいるならば、
体を屈服させ、
すべての悪の要素を除去することができるようお許しください。
お父様が動ずるときに、
心で、体でお父様の心情に和して動ずることのできる
天の息子・娘たちがとても慕わしいので、
お父様、
私たちの心が
あなたの本然の心に動ずることができないとするならば、
その心を除去させてくださり、
本然の形状に似ることができず
お父様の心情に動ずることのできる
形状体となることのできない体があるならば、
その体を屈服させてくださり、
本然の形状を備えることのできる
一つの美自体として現れるのに不足のない
体となれるよう許諾してくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
今、私たちの体と心をすべてお捧げしますので、
お父様、受け止めて主管してくださり、
サタンが付け込むことのできる一切の要素を除去させてください。
お父様が親しく命令なさり、
和することができ、
善の栄光を表すことができるよう許諾してください。
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一・一一)
1-10 悲しみの歴史を清算する本然の姿とならせてください
お父様!
暗闇の権勢と闇と深い眠りから目覚めるべき人類ですが、
目覚めようとしないでいます。
どのような障壁が私たちの前途に立ちはだかるとしても、
新しい光明の旗に向かって走ることができるように、
お父様の哀れみのみ手を私たちに表してください。
お父様!
幼い私たちのためにご苦労された、お父様の歴史的な苦労を
私たちは知っていますし、
闇の根性が潜在している自分たちを見るとき、
悲しまなければならない私たちであるということも
知っています。
お父様が地を眺めて悲しまれたように、
きょう私たちも
自分を眺めて悲しまなければならないのでございます。
ひいては
私たち自身を越えて、
悲しんでいる万物に対する負債を清算し、
悲しまれるお父様の心を慰労してさしあげるべき責任が、
私たちに残されているということを心では知っていますが、
この責任を成し遂げられないまま、
きょうこの場まで出てきたことを受け入れてください。
お父様は喜びの歴史と喜びの実体を立てようとなさいましたが、
悲しみの歴史を悲しみでもって継承し、
悲しみの実体をつくってしまいました。
恨みと嘆息の結実体となったので、
これがどうしてお父様の悲しみにならず、
これがどうしてお父様の心情の曲析にならないでしょうか。
きょう、このような悲惨な姿、
再分析され再創造のみ業でもって再び造られることを
願わなければならないかわいそうな立場にいる私たちを、
お父様、一層哀れにお思いになり、
お父様のものとしてお取りくださり、
お父様の理念でもって
再び造られ得る実体としてお取りください。
願われるみ意のままに
私たちが天の本性の美を備えることができるように、
本然の創造の法度によって
私たちの心と体を再びお造りください。
わがお父様、切にお願い申し上げます。
悲しみの障壁を切り開いて
新しい朝の光明を望み、
ハレルヤの凱歌を歌い、
万宇宙の主人を探し出した喜びを歌うことができ、
万宇宙を創造されたお父様に侍ったことを
喜ぶことができるようお許しください。
そうして、
お造りになった万象に対して本然の慕わしさを感じることができ、
本然の誇りをもつことができるようお許しくださいますことを
切にお願い申し上げます。
人間の堕落以後、
万物まで悲しみ嘆息してきたということを知っていますし、
真の息子・娘の手によって
本然の被造物の立場に近づくことを願っているということを、
私たちは知っています。
お父様を慰労してさしあげ、
万物を本然の立場に復帰させてあげるべき使命が
私たちにあることを考えるとき、
きょう不足な私たちであることをお父様のみ前に申し上げ、
再び
お父様の苦労を待ち焦がれなければならない
事情に置かれていることを
受け入れてください。
このようにしてでも、お父様の願いと
お造りになった万物の願いを成就して、
誤った六千年の嘆息を終結し、
恨みを晴らさなければならない責任が
私たち各自にあるということを知っていますので、
哀れみ深いお父様、愛のお父様、
私たちの心がお父様と遠い距離で動かないよう
お許しください。
お父様の性相、形状と遠い距離で動く
私たちとならないよう
お許しください。
お父様がお遣りになったがゆえに
お父様と心も通じ、
体も通ずることのできる創造の因縁があることを
知っていますので、
ちりにも劣り微物にも劣る私たちを
お父様、
本然の能力の権限圏内に導いてくださり、
本性の姿として再び立ててくださいますことを
切にお願い申し上げます。
そうして、お父様のみ前に誇ることができ、
天的な威信を立てられる一人の息子として、一人の娘として、
暗い世の中に光明の光となるようお許しください。
また、暗いこの地の上に
新しい天の喜びを伝えることのできる、
東方の光の身代わりとして現れることのできる
小羊の群れとなるよう
お許しください。
このすべての使命と責任を私たちが引き受けられるよう、
力を許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・二・一五)
1-11 お父様に無限に賛美を捧げる存在とならせてください
私たちの生死を主管されるお父様のみ前に、
不肖な者たちが訪ねてきましたので、
お父様、受け入れてください。
あなたのみ意のままに取ってください。
生命圏に属し、
お父様のみ前に賛美をお捧げすることを願っておりますが、
死亡圏に属した罪悪の根性が、
今日まで私たちをとりこにしていますので、
新しい圏内にお導きになるために
救援摂理をしてこられたお父様が、
顕現して死亡の権限を除去させてくださり、
生命と復活の恩賜を許諾してください。
永遠であられるお父様!
創造の価値を備えた一つの生命体として
動ずることができるようお許しくださり、
ひれ伏した者たちが、
お父様の至極善であられることを歌うことができ、
至極美しいことを称賛することのできる賛美の姿となるよう
お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。
人間始祖の堕落により、
天と地の生命の因縁が断ち切れるようになり、
天使世界を代表して頌栄を捧げなければならなかった天使長が、
天を裏切ることによって、
頌栄の責任を果たせなくなった事実を知っています。
きょう私たちをお呼びになりましたので、
頌栄をお受けになれないことによって積もったお父様の恨みを、
私たちを通してお晴らしください。
話し合うことのできなかった内的事情を
私たちと話し合ってくださり、
万民と天を連結させることのできる因縁の存在として、
私たちを立ててください。
お父様、
切にお願い申し上げます。
創造の楽しみを
私たちと共に分かち合おうと
侍ち焦がれてこられたお父様のみ前に、
すべての忠節を捧げ、
お父様を助ける生命の実体として、
お父様と因縁を結べる私たちとなるよう導いてくださいますことを、
わがお父様、切にお願い申し上げます。
天は、この上ない心で賛美を捧げようとする者を
求めておられるという事実、
きょう私たちがこの上ない手助けの対象として
お父様のみ前に立つことを待ち焦がれておられるという事実を、
私たちが悟るようにしてください。
私たちをして、すべてのものを主管させるために
創造理念を立てられ、
今までご苦労されたお父様の心情をたどってみて、
お父様のみ前に無限なる手助けの存在として、
無限なる賛美の存在として、
無限なる恩恵の存在として立つことのできる私たちとなるよう
許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・三・八)
1-12 お父様に向かう望みの心情をもたせてください
お父様!
イエス様がこの地に来られて、
真理をお知りになったその日からもたれた彼の願いは、
日がたてばたつほど、
家庭を越え、民族を越え、国家を越え、世界を越え、
無限なる霊界まで越えて
お父様とー体とならなければならないということであり、
またすべての初めも終わりも、
お父様と共に動じなければならないということをお知りになり、
難しい道、悲しい道、
十字架の道を意に介さず行かれたということを
私たちはよく知っています。
お父様!
私たちの目の前に見えるすべてのものは美しいようですが
それらはただ単に
私たちと共に過ぎていく現象にすぎないということを、
私たちが悟るようお許しください。
私たちがよいと思い、私たちが信じ、
私たちがよりどころにした世の中の一切は、
私たちの心の世界と永遠の望みの世界には
助けにならないということを知っていますので、
お父様、
このすべてのものを捨て、
ただお父様を中心とした望みが
私たちの生命全体となるよう許諾してくださり、
生涯のすべてとなるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様のために生き、お父様に向かう望みが、
私たちのどのようなものよりも一層貴重であり、
私たちの生命よりも一層貴重でありますので、
それを捕まえ、闘っていく者にならなければ
お父様の息子・娘になれないという事実を
私たちは知っています。
死の峠までもあざ笑い、越えて立つことのできる強い望みを
私たちに許諾してください。
それが望みとしてだけ終わるのではなく、
この望みに燃える衝撃の心が一層強くなるよう
許諾してください。
そうして、その心と体が
この道に向かって走り得る息子・娘となるよう
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。
お父様のために生きようとする望みの一念が強い者でなくては、
死の道まで越えることのできる望みをもった者でなくては、
あなたが信じることができないという事実を、
私たちが悟るようにしてください。
今日私たちの望みは、
数年間もっていて途中でやめる望みではなく、
永遠に捕まえていくべき望みであることを知り、
ひいては
その望みがなければ生きがいがないということを悟る
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちがお父様を思えば思うほど、
お父様が慕わしくなる望みの心情、
お父様の生命を慕う望みの心情、
お父様の愛を慕う望みの心情をもつよう
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。
そうして、
お父様の約束とともに
祝福を受けることのできる息子・娘として立てられる時まで、
切実なる望みの心を私たちの生涯路程から、
生活から奪われないようお許しください。
数多くのサタンたちがこれを奪うために、
私たちを侵犯していることを知っていますので、
あなたが許諾なさった望みの心を終わりまで捕まえ闘って、
お父様のみ前に栄光を帰し奉ることのできる息子・娘となるよう
お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。
最後に残された戦場で
お父様の望みを捕まえ、サタンと闘って勝利し、
お父様のみ前に栄光を帰し奉ることのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
心からお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・三・二二)
1-13 歓喜のひと日を成す喜びの実とならせてください
私たちの心と体が
お父様の肢体として認定され得る立場まで、
私たちを導いてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
多くの人々が天性に向かって出発をしておりますが
お父様の心中を望んで行く真の息子・娘たちが
どれほどいるかを考えるとき、
案じる心をもって
お父様のみ前に立たざるを得ません。
お父様が私たちをお呼びになりお捜しになられてから六千年になりました。
万物の主人として、親しく私たちをお呼びになり
お捜しになられましたが、
私たちがしかるべき喜びの実として
お父様のみ前に出てきているのかを自ら考えるときに、
私たち自身が生きてきた過去のすべてのことを、
お父様のみ前に再び悔いなければなりません。
平素に私たちが行動することのすべても反省しなければなりませんし、
きょうを契機として
あすまた行動するすべての姿を、物悲しく眺めながら
悔いなければならない立場に立っていることを受け入れてください。
天が待ち焦がれられる本来の姿は栄光の姿であり、
捜し立てようとされる姿は誇らしい姿でありましたが、
今日、私たちはそのような姿となることができず、
お呼びになる真なる本然の姿を備えることができませんでした。
このように自嘆するしかない自我を発見するとき、
お父様のみ前に面目のない自分を悔いる
切実なる心なりとももつことができるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
今、私たちは、
お父様が共に手を捕まえ、
地を望み、涙することのできる
真の息子を恋しがられることを知っていますし、
娘を恋しがられることを知っています。
多くの人々が
お父様の手をつかんでから
背く立場に立つことによって、
お父様から忘れられるようになったことを知っています。
しかし、今日私たちは、
天に向かう一片丹心でもって
私たちの体を従わせ、私たちの生命を捧げて
お父様の手を捕まえ、事情を申し述べることができ、
残され得る息子・娘となることができるように
してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
多くの人が天を恨み、天を排斥し、
天に背反する立場に立つとしても、
私たちだけは不変の心情を抱き、
お父様がお喜びになることのできる歓喜のひと日を探していく
息子・娘たちとなるようお許しくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
心でだけ動ずる私たちとならないよう許諾してください。
私たちの体を、
聖なる生きた祭物としてお父様のみ前に捧げ奉ることによって、
お父様の栄光を表せる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
残された本郷が
理想としてだけ残っていることを知った私たちが、
今お父様の心情を一身に備え、
その理想を地上に実際に果たすべき責任と使命も
残っているということを悟るようお許しくださいますことを、
お父様、切にお願い申し上げます。
お父様は
不足な私たち人間を救うために摂理してこられました。
今、最後の勝利のひと日に向かっていく私たち、
祈祷する心が変わらないよう許諾してくださり、
親不孝な立場に立たないよう許諾してくださいますことを
心からお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・三・二九)
1-14 お父様の心情世界に尋ね入らせてください
私たちをお捨てにならず、
新しい愛でもって
お導きになることを休まれないお父様!
私たちの姿がみ旨の前にふさわしくなく、
お父様の心にかなわないとしても、
哀れみの心をもって対してください。
それでも険悪な世の中を逃れ、
お父様の心情の世界に尋ね入ろうという
切実な心がありますので、
この心をご覧になり、
お父様の哀れみの愛をお加えになって
受け入れてくださり、尋ねてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
切実な心情でお父様を捜し出し、
お父様の事情を心配しながら現れた者は、
お父様がお捨てにならないということを知っていますので、
私たちの心が
お父様の心に向かって走るよう許諾してくださり、
私たちの体が
お父様の懐に抱かれるために走るよう許諾してください。
悔しく悲しく無念なる罪悪史を退け立つことのできる動きが、
私たちの体と心に満ち満ちるようにしてくださり、
私たちの体と心に衝動を与えてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
今、私たちの心は
お父様の性相が慕わしく、
私たちの体は
お父様の形状を見つめたく、
私たちの手は
お父様の手をつかみたく、
お父様の体を捕まえたいのです。
そのような真の息子・娘、
あなたの愛を歌うことのできる息子たちを迎えようとなさることは、
人間に対するお父様の中心的な願いであることを
知っていますので、
私たちの心だけでも
そのような心情に徹することのできる
この時間となるようにしてください。
お父様、
切にお願い申し上げます。
過去の誤った自分を譴責し、
今日の不備な自分を恨む物悲しい心情が
私たちの心中から爆発し、
お父様を呼ぶことができてこそ、
お父様が私たちを捕まえるのであり、
お父様が私たちを見つめるのであり、
お父様が私たちを抱いてくださるのを知っていますので、
お父様、
そのような心情を備えるよう許諾してください。
そのような心情に徹し、
不足な自我を認識して、
お父様のみ前に一切を捧げることのできる切実な心が、
私たちに現れるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
天に向かうべき心が混乱の中で彷徨して、
体がとどまる場所を見いだせない環境に置かれているとしても、
お父様は私たちをお捨てにならず、
恩賜の手でお父様の懐にお導きになることを知っていますので、
私たちを哀れにお思いになり、
お父様のみ前にひれ伏し訴えることのできる心を
生じさせてくださいますことを
心からお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・四・一二)
1-15 お父様の栄光の時代を開いてさしあげられる
子女とならせてください
天の栄光をお探しになるために、
長い歴史過程を耐えて闘ってこられたお父様!
その摂理の栄光をお父様お一人で享受することのできる日が、
早く早くこの天地間に現れるようお許しください。
お父様が立てられた本然のみ旨は、
人間が失敗したその日から無数のサタンたちの前に
すっかり蹂躙されてきたという事実を、
私たちはよく知っています。
この地上の人間を中心として成すべきみ旨が
蹂躙されることによって、
そのみ旨に対し得る人を
見いださなければならない立場に置かれた、
天の事情を私たちは知りませんでした。
み旨に対し得る人がいないので、
お父様お一人で数多いご苦労の路程を経てこられながら、
心を砕かれ、
お父様の心中にしみわたったみ旨を
人間の前に伝えてくださるために無数にご苦労された歴史が
今日までの救援摂理歴史であることを
私たちは知っています。
お父様!
今私たちが、現れた救援摂理のみ旨を通じ、
歴史路程を通じて、
お父様がお喜びになることのできるそのみ旨を心に所有し、
お父様の栄光の道を尋ねていくために、
すべての精誠を棒げることのできる天の息子・娘となるよう
お許しください。
お父様のみ旨は
真の息子・娘を捜すことであるのを知っていますので、
今私たちが、
お父様のお喜びになる真の息子・娘として、
お父様に侍り得る
その国、その世界、その天地を成せるよう共にいてくださり、
またこれがお父様の願いの国であり、
願いのみ旨であることを悟るようにしてください。
真の息子・娘たちが
万物全体を和動させ、賛美を捧げることが、
六千年を闘ってこられたお父様の
最大の喜びであり、願いであることを私たちが知り、
その国を建設するために
すべてのものを捧げて立つことのできる天の息子・娘たちと
ならなければなりません。
お父様!
きょう私たちがお父様のみ旨を知り、
お父様のみ旨の中で選び立てられた息子・娘であることを知り、
今、お父様の栄光のひと日のために、
きょうも、あしたも
闘いの道、重苦しい道、死の道を物ともせず、
生命を捧げ立つことのできる天の息子・娘たちとなるよう
許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
真のみ旨を抱いた真の息子の姿として
お父様に侍り、
お父様に敬拝を捧げることのできる
この時間となるようお許しください。
このみ旨を成就するために集まる所々ごとに、
無数のサタンの勢力が侵犯しているということを知っていますので、
私たち各自の心と体に侵犯してくる闇の勢力を
除去してくださり、
私たちをお父様の寛大な懐にお抱きになって、
生きた姿でもってお父様の栄光の時代を
築いてくださいますことを心からお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七六・四・二六)
1-16 本郷を建設する真の子女とならせてください
本然の園を造っておき、
本然の真の子供たちを抱き、
本然の心情を通して楽しむべきお父様の理念が、
まだこの地の上に現れていないという事実を
私たちは知っています。
私たち人間が、
死亡に捕らわれたその日から今日まで、
本然の心情で天を歌う時がなかったことを
受け入れてください。
本然の一個体として、
お父様を呼ぶことのできる栄光の位置に立てなかった哀れな私たちを
受け入れてくださり、
本然の心情を備えて、
切実な心情を込めて「わがお父様」と呼ぶことができなかったことを、
お父様、
哀れに思ってくださいますよう切にお願い申し上げます。
本然の園を失ってしまった人類は、
死亡の世界に落ちて暗闇と闘い、
怨讐たちの掌中に捕らえられ
嘆息と絶望の中におりましたが、
本然の心の痕跡が残っている良心を通しては、
本然の故郷を懐かしがっています。
歴史的な闘いを経てきながらも、
時間ごとに感じられる天の感触を通して、
天の生命の一つの流れを探してきた私たちを
助けてくださったお父様に、
感謝いたします。
この上なく幼く不足な私たちが、
この一路程に悩まされ疲れていることをお父様がご存じなので、
再び哀れみの手を広げてください。
再創造の能力を許諾なさり、
本然の心情を回復させてください。
本然の姿として
お父様に近づくことができるよう捕まえてくださいますことを、
わがお父様、
切にお願い申し上げます。
私たちはこの地上のすべてのものを切ったとしても、
天が願われる
本然の世界に向かっていかなければなりませんので、
今私たちが、
本郷を慕う切実な心に徹するよう
許諾してくださり、
私たちの体が、私たちの足が疲れるとしても
本郷に向かって走ることのできる立場に、
お父様、
押し出してくださいますことを切にお願い申し上げます。
私たちの体と心が一つになって
天の心情を思慕するよう許諾してくださり、
お父様が最後に
私たち人類と共に楽しむことのできる幸福の園を
私たちをして建設させてください。
この時代の億千万人が妨げることがあるとしても、
愛の心をもって
それを信じていくことのできる
私たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
堕落した群れたちですので、
どうせ復帰路程を経て
本然の自分を見いださなければならないのであり、
本然の故郷を求め、
本然のお父様に侍り、
本然の世界を建設しなければならないことを知っています。
今日、堕落した私たちは、
お父様の愛の心情を知らず、
本然の故郷を知らず、
本然の人格と本然の姿を知りませんでしたので、
お父様、
再びみ言を通し、人格を通し、愛の心情を通して
本然のその姿となることのできる全体要素を具備して、
お父様に侍り、生きるにおいて不足のないよう、
私たち自身を栄光の姿として立ててくださいますことを
切にお願い申し上げます。
このようなことを阻むため、
数多くの怨讐サタンたちは、歴史的な路程で
先祖から今日の私たち自体に至るまで、
時と時期にかかわらず
侵犯してきたということを知っています。
今、これを拒否しこれを制裁すべき責任が
私たちにあるということを知って立った私たちが、
お父様の心情で武装し、お父様のみ言で武装して、
怨讐たちの前に堂々と立つことのできる
天の真の息子・娘となれるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
今、私たち自身が、
本郷を探していかなければなりません。
私たちの家庭と私たちの社会と
この領土の上に生きている三千万民衆、
地球上に散らばっている数多くの人類、
霊界に行っている数多くの霊人たちまで、
失ってしまった本郷を探して
さまよっていることを知っていますので、
お父様、
私たちを
お父様の心情と通ずる本郷を建設することのできる
責任者たちとなるようにしてください。
私たちが怨讐の世界で真の息子・娘たちを探し、
彼らを糾合させ、
本然の園を建設することのできる天の働き手、
天の精兵たちとなるようにしてください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・六・一四)
1-17 本然の世界を慕うようにしてください
お父様!
真の心をもった人がいるなら、
本然のその世界が慕わしくない人はおらず、
真の体をもって生きる人がいるなら、
本然のその世界の生活を慕わない人がいないことを
私たちは知っています
堕落前、お父様に直接対することのできた本然のアダムとエバの姿、
天が生じ、
地が生じ、
万物が生じたのち、初めて
人間として造られたアダムとエバの姿、
その姿はどれほどお父様がお喜びになる姿であったでしょうか。
お父様に対することのできる
栄光の立場に置かれていた私たちの先祖のその姿は
どれほど貴い姿であったでしょうか。
今、私たちが心で本然の世界を欽慕することのできる
このひと時となるようお許しください。
お父様の心情を直接反応させることのできる善の心情が
とても慕わしくなり、
お父様の手を捕まえることのできる本郷の善の姿が
とても慕わしくなりますので、
本然のその先祖を慕うことのできる私たちとなるよう
お許しくださいますことを
切にお願い申し上げます。
心情の世界は、歴史的な距誰もなく、
時間と空間の限界もないということを、
私たちが地上に暮らしながら知っていますから、
無限の愛の心情によって生まれた本然の先祖のその姿、
本然の「私」の姿を、
今、死亡圏内で眠り
方向を失いあえぐ私たちでありますが、
慕うことができるようお許しください。
そのような「私」の姿が慕わしく、とめどなく涙し、
そのような「私」をお造りになったお父様を探すため
あえぐ姿となるよう許諾してくださり、
みすぼらしい姿になるとしても、
その世界の雰囲気、その世界の環境、その世界の万物、
その世界の万象と和動できる美自体が、
この時間私たちの体と心に体得されるよう
許諾してくださいますことを、
わがお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちはお父様を呼びますが、
堕落の歴史路程で苦労された
お父様を呼ぶことには慣れ親しみましたが、
堕落の悲しみなく善の園で楽しむことのできる、
本然のお父様を描いてみることはできず、
そのお父様を捜しさまよった時もありませんでした。
真の救い主を信ずるにおいても、
私たち人間は、十字架におかかりになったイエス様だけを知っており、
十字架の苦難に当面せず、
苦痛と迫害を受けず
栄光の主として顕現できるイエス様としては、
信じることができなかったことを受け入れてください。
お父様!
きょう私たちに本然のそれ自体と共に、
本然のその理念と
本然のその善を中心として生きることのできる和動の世界を
慕う心があふれ流れるよう
お許しください。
本然の心情でお父様を呼ぶことのできる喜びの立場を
お許しくださいますことを、
わがお父様、
切にお願い申し上げます。
エジプトでさまよっていた六十万イスラエル大衆を
導きたかったモーセの心中を
私たちが悟るようにしてくださり、
モーセが悲痛なる心情で民族に対したという事実を
私たちが悟るよう許諾してください。
今日、世界に散らばっている第二イスラエルの祝福を引き継ぐべき、
世界のキリスト教徒たちが望んでいるカナン福地が
残っていることを知らせるべき責任が
私たちにあり、
この使命を成就すべき責任が
今日、私たちにあるということを知っていますので、
お父様、
残された恨み、残された悔しさ、残された痛憤が
私たち一身の骨肉に染み通るよう許諾してください。
この体と心が百回死んで倒れることがあるとしても、
お父様のあだを必ず討つという天の節義と気概を備えた
あなたの息子・娘たちとなるようお許しくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お召しになる命令を奉じてきてみると、
十字架の路程が残っていることを知りました。
困難な道を
自ら進みいで立っている孤独なあなたの息子・娘たちですので、
彼らの心の友となってください。
お父様が永遠に永遠に私たちの中心となるとき、
私たちの体と心もお父様を模範として、
不変の中心存在として
お父様の身代わりとなれるという事実を知っていますので、
今、私たちの体と心を、
親しくお父様のものとして再びお取りください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・六・二八)
1-18 心情を通して天を知るようにしてください
私たちがみ言を受け
天を知る者たちとなるのでなく、
心情を通して
天を知る者たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
み言によって救いを受けようとする私たちではなく、
心情を通してお父様のみ前に救いを受け、
生命の歌を歌うことのできる私たちとなるように
お導きください。
そうして、
まずお父様が
どれほどご苦労され、苦痛に遭われたかを
お父様の姿を眺めながら知る私たちとなって、
頭を下げ、
お父様を慰労してさしあげられるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
生涯の目標があるとするなら、
心情で生涯の目標を追求するようにしてくださり、
生活の内容を備えなければならないとするなら、
神様の心情だけが
私たちの生活の内容となるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
多くの人々がお父様のみ前に出てきましたので、
この者たちが誰のためにとどまり、
何のために動いて、
どこに向かって進んでいるかを、
自ら探し出すようにしてください。
あなたから
「お前は永遠に私の心情と共にある者だ」と
認められる者がいるとするなら、
それ以上幸福な人はいないということを知っています。
お父様!
永遠の生命と
永遠の理念と
永遠の愛の心情をもって尋ねてくださるお父様は、
私たちの心の中に共におられ、
お父様のものは私のものであり、
私のものはお父様のものとして、
二つではなく一つの理念を中心として、
歌い喜ぶことのできる息子・娘の姿を
慕われることを知りました。
私たちも、お父様に侍り、
お父様のみ前に
すべての栄光の要素を探してさしあげたのち、
歓喜しながら全天下に誇ることのできる時が到来するのを
待ち焦がれております。
お父様はこのようなすべてのことをご存じですので、
心と心を連結させて、
過去の天上のすべてのものと
地上のすべてのものを動かし、
心情世界ですべてが和するようにしてください。
そうして
栄光の刺激を起こすことのできる衝撃と喜びの境地で、
私たちが覚悟し決心できるようにしてくださいますことを
心からお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・七・二六)
1-18 心情を通して天を知るようにしてください
私たちがみ言を受け
天を知る者たちとなるのでなく、
心情を通して
天を知る者たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
み言によって救いを受けようとする私たちではなく、
心情を通してお父様のみ前に救いを受け、
生命の歌を歌うことのできる私たちとなるように
お導きください。
そうして、
まずお父様が
どれほどご苦労され、苦痛に遭われたかを
お父様の姿を眺めながら知る私たちとなって、
頭を下げ、
お父様を慰労してさしあげられるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
生涯の目標があるとするなら、
心情で生涯の目標を追求するようにしてくださり、
生活の内容を備えなければならないとするなら、
神様の心情だけが
私たちの生活の内容となるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
多くの人々がお父様のみ前に出てきましたので、
この者たちが誰のためにとどまり、
何のために動いて、
どこに向かって進んでいるかを、
自ら探し出すようにしてください。
あなたから
「お前は永遠に私の心情と共にある者だ」と
認められる者がいるとするなら、
それ以上幸福な人はいないということを知っています。
お父様!
永遠の生命と
永遠の理念と
永遠の愛の心情をもって尋ねてくださるお父様は、
私たちの心の中に共におられ、
お父様のものは私のものであり、
私のものはお父様のものとして、
二つではなく一つの理念を中心として、
歌い喜ぶことのできる息子・娘の姿を
慕われることを知りました。
私たちも、お父様に侍り、
お父様のみ前に
すべての栄光の要素を探してさしあげたのち、
歓喜しながら全天下に誇ることのできる時が到来するのを
待ち焦がれております。
お父様はこのようなすべてのことをご存じですので、
心と心を連結させて、
過去の天上のすべてのものと
地上のすべてのものを動かし、
心情世界ですべてが和するようにしてください。
そうして
栄光の刺激を起こすことのできる衝撃と喜びの境地で、
私たちが覚悟し決心できるようにしてくださいますことを
心からお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・七・二六)
1-19 心情を通した父子の因縁を許諾してください
お父様!
私たちに、「私」を中心としたある主義主張や
自分が感じている意識的な観念があるとするなら、
このすべてを除去させてください。
再び創造されなければならない運命に置かれている私たちであり、
復帰の恨みを晴らすことができない私たちでありますので、
堂々と天のみ前に
主張できる何かをもったと言おうとも、
それがお父様のみ前には
何の条件にも対象にもならないということを知りました。
私たちがいくら天のみ前に自分を弁明し、
自分の困難を申し立てるとしても、
お父様の無限のご苦労の前には
比較できない、物悲しく哀れな私たちの姿であることを
知っています。
今、「私」は自ら「私」になったのではなく、
「私」が「私」でないことを知ったとするなら、
「私」が「私」となれるようにした本然のそれ自体を慕いながら、
本然の心の中に「私」が染み込み、
本然の主人公のみ前に頭を下げることができるよう
お許しください。
万宇宙の絶対的な主人公がいるということを
心は知っています。
またそれが
私たちの行動一切を制御していることを知るとき、
これは無目的的な因縁の中でそうなっているのではなく、
絶対的な目的によって
制限された環境の路程を
経ていくべき運命に置かれた自分たちであることを、
心で感じることのできる息子・娘になるようお許しください。
今、お父様の栄光の宝座を心で慕いながら、
お父様のみ前に集まりましたが、
この者たちの心がどこに流れていき、
この者たちの心がどこに向かって動いているのか
分からずにいますので、
お父様、
願わくは、本然の私たち自身が
天と共に喜ぶことのできる方向に
導いてください。
私たちの面目ない顔と面目ない視線であるとしても、
お父様の心情が慕わしくて
お父様を見つめることができ、
お父様のみ前に頭を下げることのできる
この時間となるよう許諾してくださいまして、
不足なる手であっても差し出すならば、
その手をお父様がつかんでくださるという、
約束のこのひと時になりますよう
切にお願い申し上げます。
ひとえにお父様の心情をつかみ、
お父様と同居することのできるその一つの約束、
その一つの生活的な事実だけを願うものです。
そのようなことが、
永遠に永遠に誇ることのできる
栄光の標的になることを願いながら、
私たちがお父様のみ前にひれ伏しましたので、
この日私たちに足らない何かがあるとしても、
お父様、
受け入れてください。
立てようとなさる心情をお立てになり、
お父様と私たちに
切ることのできない父子の因縁を結んでくださいますことを
心からお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・八・九)
1-20 天国家庭を慕う私たちとならせてください
お父様!
捜し出したかった息子・娘たちを
この地上に見いだせなかったお父様の悲しみを悟り、
泣くことのできる私たちとならなければなりませんのに、
自分の満足を求めてさまよう
哀れな立場に処していた私たちを
受け入れてください。
イエス様も
このような境地にいる自分の母親と弟妹を見つめ
「天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、
わたしの兄弟、また姉妹、
また母なのである*」とおっしゃいました。( *マタイ一二・五〇)
本然の父母をもてなかった私たち、
本然の兄弟をもてなかった私たち、
本然の子女をもてなかった私たち、
本然の夫婦になれなかった私たちです。
今、望み侍ち焦がれるべきものは、
本然の父母、本然の兄弟、本然の子女、
本然の夫婦ですので、
本然の父母が慕わしく、
本然の兄弟が慕わしく、
本然の子女が慕わしく、
本然の夫婦が慕わしく、自分の威信を忘れて
それらを求めさまよう息子・娘となるよう
許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様に侍って、
親しく天国家庭の生活を楽しむことのできる動きが、
天地に起こるようにしてください。
その理念に和して楽しみながら、
行くまいとしても行かざるを得ず、
応じまいとしても応じざるを得ない心的な革命、
情的な革命が、天地の間に起こるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
それらを生の指針として、
一生の転換点となるよう許諾してくださいますことを
心からお願いしながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・九・二七)
1-21 心と体でお父様と和することができるようにしてください
私たちの人となりが、
果たしてお父様のみ前に捧げられるようなものであるかを
案じざるを得ませんし、
許諾してくださったお父様の恩賜を
受け取ることのできる心と体になっているか、
私たち自らを反省してみるとき、
申し訳ない気持ちで頭を下げずにはおられませんので、
哀れにお思いください。
お父様のみ前におそれ多くも誰が立つことができ、
お父様のみ前に誰が
自信満々に立てると言うことができるでしょうか。
行けば行くほど、
知れば知るほど肉をえぐるような天の悲しみを
感じない者はいないことを知っています。
おそれ多くて顔を上げられず、
おそれ多くて身の置き所を知らなくさせる
おそれ多いお父様の性相があり、
お父様の心情があり、
お父様のご苦労の痕跡があるということを
知る者がおりませんでしたが、
そのような事実を知ることができるように
私たちを育ててくださいましたことに感謝申し上げます。
これは誰のためにそうなったのでしょうか。
私たちが優れていてそうなったのではなく、
私たちが備えるものを備えてそうなったのでもありませんでした。
歴史的に善を欽慕してきた数多くの先祖たちの
天と結んだ因縁が、
私たちの知らない間に私たちに及んで
そうなったということが分かるようお許しください。
今日の私たちは
今日の私たちだけではないことを知るよう許してくださいまして、
その因縁を尊重することができ、
その因縁とともに喜ぶことのできる人となり、
その因縁を裏切る者とならないように
主管してください。
お父様!
私たちの心はどのような位置にあるでしょうか。
私たちの体は何を待っており、
何によって動いており、
どこに置かれることを望んでいるのかを
自ら考えるようにしてください。
静寂の中からお父様は、この時間にも
生命の価値を感じるようにせき立てていらっしゃるということを、
私たちが心で感じるようにしてくださり、
人類が
自分の生命だけにつかまり、あえいでいる悲惨な事情のゆえに、
それを眺めながら悲しまれるしかないお父様であられることが
分かるようにしてください。
私たちの心情や
心の世界を支配されるお父様、
親しく臨まれ、
この時間、私たち全体を本性的に支配してくださり
本質的に主管してください。
本性の人、本質の人、
善に対して楽しみながら
善のみ言に和する人となり、
心と体で
お父様と和することのできる立場に立つようにしてくださり、
私たちに新しいみ言を許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
優れた人がどこにおり、
劣った人がどこにいるでしょうか。
心情を通しては一つであることを知っていますので、
天の心情に動じ静ずることができ、
和し応ずることができるようにしてください。
そうして、
お父様の栄光だけが
私たち全体の生命の前に現れまして、
お父様の生命の恩賜が
私たちの心中奥深くに染み入るよう導いてください。
私たちの心と心情を動かしてくださり、
永遠なる生涯路程を開拓し、
復帰の恨みを晴らそうという新しい覚悟と決心が、
私たちの心中から爆発するこの時間となるよう
お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。
この時間、頭を下げた億兆蒼生(=数多き民)の上にも
生命の権限を許諾してくださり、
天上にいる数多くのご自身の息子・娘たちにも、私たちと和合し、
勝利的な栄光の一土台を建てるために
助けるようにさせてくださいますことを、心からお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一〇・二五)
1-22 心情で和し、一つとならせてください
お父様!
お父様を欽慕する私たちが
お父様にお会いして、
お父様に侍り、
お父様と共に議論できることを待ち焦がれ、
足らないのを押し切って集まりましたので、
捨てておかないでください。
お父様!
私たちの心と共に和してくださり、
私たちの体と共に因縁を結んでください。
お父様の切実な心情の流れが、
お父様のものとしてのみとどまらないようにしてくださり、
実存なさるそれ自体の生命の流れが
私たちの心中深くに染み入ることができる
この時間となるようにしてください。
幾千万の聖徒を指揮なさるお父様の性相を見つめながら、
無限なるお父様の愛の懐に抱かれることができ、
慕わしさに浸ることのできる私たちとなるよう
許諾してください。
自然のふくよかな住まいにいることに対し、
天のみ前に感謝を捧げることができ、
自ら頭を下げるその心と体で
お父様を呼ぶことのできる
このひと時となるようにしてください。
お父様!
私たちは、闘いの路程で
私たちを呼んでくださり、
案じ、尋ねてくださるお父様であられる前に、
静けさの中、心中の深いところから、
感じまいとしても感じざるを得ない、
考えまいとしても考えざるを得ないお父様であられることを
知っていますし、
お父様が私たちを
息子と呼ぶことができ、
私たちもまた、お父様を
私のお父様と呼ぶことのできる因縁が、
私たちの生涯において必ず結ばれなければならないことを
知っています。
私たちがいつ内密に
お父様と議論をしてみたことがあったでしょうか。
いつ
お父様のそこはかとなく聞こえる声とお父様の栄光に酔い、
私たち自身が体の内にいるのか体の外にいるのか分からず
頭を下げ、お父様のみ前に敬拝を捧げた時があったでしょうか。
信仰路程にはこのような時間が
必ず必要であることを、私たちは知りました。
またそのような時間を私たちに与えるために
お父様が今日までご苦労されたことも知りましたので、
今この体と心が
本然のお父様に親しみ侍ることができ、
本性のお父様に親しみ侍ることができ、
本質のお父様に親しみ侍ることのできるこの時間となるよう
お許しください。
ある条件をかけておいて対されるお父様ではなく、
心の流れに従って共に流れ、
心の動きに従って共に動くお父様であられるので、
本然の思い、本然の感情に和し、動ずることだけが、
私たちが生命をもってこの地で生きる間
もつべき望みであり、理念であるということを知っています。
見えないところで
すべてのことを営まれ、
実績を表されるためにご心労されるお父様であられ、
いないようでも実在されるお父様であられ、
私たちと関係がないようでも
心を主管しておられるお父様であられ、
無限の世界を管轄しておられるお父様であられることを
私たちは知りました。
その管轄圏内、その主管圏内の動きに
和し、静じ、動ずることのできる
本然の姿を慕っていますので、
お父様、
私たちを捨てておかないでください。
心の門が閉じた者がいますならば
その門を開いてくださり、
死の陰に捕らわれて
心的に、肉身的に苦痛を受けている人がいますならば
彼らをもまた哀れにお思いください。
お父様、
捨てておかず、
実存されるお父様を慕う真なる心がないとするならば、
天上のお父様であられ、
実存のお父様であられるあなたのみ前に
恥ずかしい者となることを自ら悟るようにしてください。
今日、私たちの心がそれぞれ違うとしても、
事情事情がそれぞれ違うとしても、
置かれている環境と内的な慣習、
心中にもっている主観と主義、観念がそれぞれ違うとしても、
本然の心情世界に和そうとする心だけは同じであり、
悪なる人でも善なる人でも
そこに和することができるということを知っていますので、
この時間そうできるように私たちをお導きくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
すべてのものをお父様のみ前に打ち明け、
無我の心情で本然の心情を尋ねて、
お父様に侍ることができ、
み言を通して自分を再び新しく造ることのできる
恩賜の時間となりますことを心からお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一一・一)
1-23 私たちの願いをあなたの願いと一致させてください
お父様!
この心が自分のとどまることのできる位置を
失ってしまったことが嘆かわしく、
自分の価値を全世界と全天宙とともに
論議することのできる資格を喪失したことが嘆息であることを
知っています。
本来の人間は、自分の行く方向を整え、
天上の大主宰であられるお父様と
関係を結んだ自由の環境で、
お父様の価値と、高く善なることを歌わなければならず、
お父様の心情を通してお父様と共に和し、
楽しまなければならないことを、
私たちは知っています。
失ってしまった本然の位置を
再び探し出すためにさまよう人類、
失ってしまった本然の価値を
再び探し出すために、今日も苦しんでいる人類です。
心情を中心として、
心と体が和し喜ぶことのできる目的の園で、
主人と共に永遠に歌うことが
私たちの望みです。
その園に向かって歩みを変えるその日から、
どのような困難と悲しみが迫るとしても、
そのすべてのものを獲得するその日まで、
躊躇することを知らないあなたの息子・娘となるよう
許してくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
それと同時に
お父様に対する一片丹心の心情だけは、
松と竹のようにいつも変わりなくわき立ち、
天上、あるいは地上の全存在世界を
変えてしまっても余りある、不変の価値で
装わせてくださいますことを
心からお願い申し上げます。
創造主がいるとするなら、
そのような姿をお慕いになるであろうことを
私たちの推測ででも知ることができますし、
あなたもやはり
それが望みであられることを知っています。
そのような基準からお父様と因縁を結び、
堕落した世の中、
凶悪な罪悪の世に勝ち抜くに不足のない
あなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
心からお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六〇・四・一〇)
1-24 創造理想世界が早く早く臨むようにしてください
お父様が願いに願われた
望みのひと時が近いことを
私たちは知っています。
お父様!
ここに集まったあなたの息子・娘たちが、
幼子の心情に帰るようにしてください。
人間がその何を知っているとしても、
それが天上のものとは
比較にならないということを知りました。
あなたの懐に抱かれるその瞬間の満足があってこそ、
時間の観念を超越して永遠に喜ぶことができ、
時間の観念を超越して永遠に感謝することができ、
永遠に幸福を歌うことができるということを知っています。
そのような世界、
お父様の願われた創造理想世界が
この地の上に立てられなければならないことも
また知っています。
今日、
私たちは社会でつくられる曲折によって
傷つけられていますが、
これをふさぎ、時間を超越できる
永遠の自由と幸福と平和の世界を待ち望んでいますので、
そのような世界と因縁づけられるようにしてください。
そのような世界に導いてくださる
お父様であられることを知っていますし、
そのような世界を造るために
すべての犠牲を覚悟して行くべき
私たちであることを知っています。
ですから、
このために行く歩みとなるようにしてください。
お父様の祝福を受けるに
不足のないよう導いてくださり、
お父様の子女たる名分を立てるに
不足のない姿となるようお許しください。
お父様、
心からお願い申し上げます。
今、私たちには
死が波打つ環境を
かき分けていくことのできる生命の船が必要です。
その生命の船に乗り、
救いを受ける恩賜を歌うことができるようにしてくださり、
勝利の凱歌がこの天地に響きわたり得る日が
早く早く臨むようにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六〇・六・一九)
1-25 新しい覚悟をお父様の栄光の基盤としてください
死亡の痕跡を逃れられない罪悪の後孫であるために、
これほどまでも多くの曲折を
天に残すようになったことを考えるとき、
今また新年を迎え、
お父様に壮語し建議と誓いをする資格もありません。
しかし誓って行き、
また誓って行くべき
復帰の恨みの山々が残っているために、
この日再び、新しい光明の朝日を見る前に、
明け方から、私たちは
新しい誓いをしなければならないことを感じるものです。
新しい年に新しい心、新しい心情で
この民族と人類に代わる
先鋒者の責任と先覚者の責任と
開拓者の使命を果たすという誓いを捧げますので、
私たちがしたこの誓いが
天を動かすようにしてください。
私たちが暗闇の勢力に対する時ごとに、
天の権威をもち、愛の権限をもつことのできる
新しい自我となるようにしてくださり、
きょう誓いの一つの光を立ててくださって、
一年三百六十五日のすべてが
このような日になるようにしてください。
この一年の新しい決心と新しい覚悟が
お父様の栄光の基盤となるようにしてくださり、

私たちをして
死亡の世界から苦難の川を渡る
帆船のかじとなるようにしてください。
そうして、
お父様が望まれる
願いの園、その福地まで到達するにおいて
障害を感じず、被害を被らないよう
切にお願い申し上げます。
この明け方にも
ここに向かい、み旨を抱き、
お父様のみ名を呼ぶ兄弟姉妹たちがいますので
抱いてください。
涙ぐむような心情で新年を迎える彼らに、
新しい光明の光が宿るようにしてくださり、
お父様の栄光の基盤を高め、輝かすことのできる
お父様の日を許諾してくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
統一の群れをして
この民族の過去の罪を受け入れてくださり、
この民族をして
世界人類の罪をお許しくださり、
世界人類をして
天上天下のすべての哀魂たちの罪を受け入れてくださり、
過去から現在まで行き来した先祖たちの罪をお許しください。
お父様の喜びのひと日を、
私たちとこの民族が
世界万邦に生命の光として表す時まで、
守り保護してください。
残された勝利の日々が
早く早く私たちに訪れ、
残った戦場の凶悪な条件が、
生命の光と共に消えるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様の栄光が全天宙にみなぎり、
祝福された家庭と共に
この民族と数多くの人類の上に共にあることを願いながら、
聖なる真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げます。アーメン。
(一九六四・一・一)
1-26 喜びを得ようとして創造なさった
被造物であることを悟らせてください
あなたの栄光のために
天地万物を造られたお父様!
あなたの望みと喜びと愛の心が、
全被造万物の中にこもっていることを、
私たちがもう一度感じるよう許諾してください。
高く貴いその望みのために、
どの一存在でも
お父様のみ手を経ない存在はないということを
悟ることのできる息子・娘となるようにしてください。
あなたの永遠なる貴さと栄光のために、
全被造万物をお造りになり、
被造万物は恩賜の懐に抱かれるために現れたということを、
そのような喜びのひと日があったことを、
私たちが忘れないようにしてください。
無限なる生命の源泉と
永遠なる生命の権限を立てられ、
あなたと造られたすべての被造物が離れようとしても離れられず、
一つに集い生きることのできる永遠なる幸福の土台、
無限なる愛の土台があったことを
忘れないようにしてください。
あなたが願われたその望み、
あなたが望まれたその栄光、
あなたが切に待ち望まれたその愛が、
万物の中にこもることが
あなたの望みであり、創造の目的でありましたが、
その望みが悲しみと落胆で結ばれるようになると、
誰が考えてもみたでしょうか。
栄光をお受けになるべきあなたが、
怨讐たちの前で嘲弄され憤懣やるかたない身の上になると、
誰が思っていたでしょうか。
あなたの無限なる愛の前に、
天の栄光をほめたたえ、地の栄光をほめたたえて
勝利の栄光を表さなければならないにもかかわらず、
悲しみの涙とともに
恨みの復帰歴史路程の上に、血と肉を注ぐようになると、
誰が思っていたでしょうか。
このように、望みの世界は今日
この地上に行くところがなくなり、
この天地にこのような土台は余すところなく消え去り、
悲しみで満ちるようになったということを私たちが知るとき、
今日あなたの心を慕い、
あなたの心情を手探りする私たちは、
過ぎし日の過去を恨まざるを得ず、
人類の悲惨なる歴史を嘲笑せざるを得ません。
このような立場に立ったこと自体が、
どれほど無念なる事実であるかということを
私たちが悟るようにしてください。
あなたが抱きたかった万宇宙であり、
あなたが愛したかった子女であったにもかかわらず、
今日この地上に散らばっている被造万物は
悲しみの象徴体となり、
万民はお父様の愛に背いた後孫であり、
お父様の心情の土台を蹂躙した後孫となりました。
このような事実を知るとき、
お父様の悲しみを慰労してさしあげるべき各自の責任が
どれほど貴重であるかということを、
この時間ここに集った幼い者たちが心の中で感じて
ひざまずき、過去のすべての罪悪を悔い改め、
お父様の悲しみを慰労してさしあげることのできる
自分たちになろうと、
誓うことができるようにしてください。
本然のお父様に侍り生きることのできる幸福なこの天地となるよう
許してくださいますことを心からお願い申し上げ、
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六四・三・一五)
1-27 勝利的主管者の使命を果たさせてください
お父様!
長い歴史路程を経てくるときに、
偽りの真理の路程に逆らいくるために、
今までお父様とわが先祖たちが
苦労してきたことを知っています。
偽りの人格基準を取り壊し、
真の人格基準を立てるためのわが先祖たちの苦労が、
長い歴史に宿っていることを知るものです。
そうしながら、真の真理へと、
真の人格へと、
真の心情の世界へと、
お父様が今まで
数多くのわが先祖たちを指導してくださったことに
感謝を捧げないわけにはいきません。
お父様!
私たちは真理が枯渇しているこの地上に
天の真理のみ言を広めなければならず、
天の真なる子女たちを
この地上でたくさん因縁づけなければなりません。
あなたの愛を受ける子女たちをして、新しい家庭を成し、
新しい氏族と
新しい民族と
新しい国家を編成する過程にありますので、
お父様、
あなたの心情を通して因縁づけられる真なる血族を中心として、
新しい世界史的な民族的出発、あるいは民族的大移動が
起こらなければならないことを知っていますので、
共にいてください。
今、この終わりの日にあって、
私たちが
真の真理のみ言と真の人格と真の心情を通して、
歴史的な怨讐サタンをこの地球上で屈服させ、
この基準を通して
社会悪を浄化させることができるようにしてくださり、
天の全体的な権限を代わって担うことのできる恩賜を
許諾してくださいまして、
勝利的な主管者の権限を立てることができるように、
力と能力を加えてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様が必ず
万宇宙全体を、愛する子女たちの前に
譲り渡し相続させてくださることを
私たちははっきり知っていますので、
その過程で疲れきることなく、
お父様の栄光の前に勝利の凱歌を歌い奉る時まで、
耐えて残る者たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
今からこの一年を私たちが出発しますので、
福を祈ってください。
悲しいことも多いのを知っていますし、
孤独な立場、あるいは困難にぶつかることも
あると思っております。
この一年にあなたが勝利の栄光で
私たちを抱いてくださり、
あなたの願うその園に
私たちを導いてくださいますことを、切にお願い申し上げます。
万々代に栄光が共にあり、
あなたの願われる勝利の歓喜が
共にあるようにしてくださいますことをお願い申し上げながら、
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六六・一・一)
1-28 本郷の地を探していく子女とならせてください
お父様が願われる勝利、
お父様が願われる喜びをお探しするために
私たちが存在するということを新しく認識し、
自らを尊重しなければなりません。
また、すべての存在の様相を通して、
お父様を称賛することのできる環境を
築かなければなりません。
そのためには、
私たちが主体的なその何かをもたなければなりませんので、
お父様、
お父様の愛を感じる心を
保護してください。
残された復帰の路程を見つめるときに、
この路程に誰が責任をもつのかと、
お父様はこの時間も気が気でなく訴えておられるということを
私たちが感じるようにしてください。
そうして戦場で、どのような犠牲が伴おうとも、
この責任だけは最後まで負い、
お父様のみ前に勝利の凱歌を歌い奉ることのできる
あなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
私たちが復帰の戦場で
勝利の栄光を備えて、
お父様が万有の前に、万民の前に立てて誇ることができ、
お父様から称賛を受けることのできる
あなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
そのためには、私たちが
このように座ってだけいてはなりませんので、
天を動員させ、
地を動員させることのできる悲壮なる覚悟と決意のもとで、
闘いの行路に向けて前進しなければならないということを
私たち各自が感じるよう許諾してくださいますことを、
お父様、心からお願い申し上げます。
本郷の地を探していくことができるようにしてくださり、
本然の兄弟を捜すことができるようにしてください。
そして本然の父母と本然の子女たちをもつことのできる
あなたの息子・娘となるようにしてくださり、
お父様が愛で経綸なさろうとされた喜びの目的を
成してさしあげられる
あなたの息子・娘となるようにしてください。
このすべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六七・五・二八)
1-29 天の愛が芽生える家庭の貴い価値を悟らせてください
お父様!
私たちは空手で出発しましたが、
今は何もうらやましいもののない立場に立っています。
私たちはお金が必要なのでもなく、
権力が必要なのでもなく、
世の中のある文化が必要なのでもありません。
それよりももっと必要とし、渇望しているものは
神様の愛であり、
父母の愛であり、
夫婦の愛であり、
子女の愛であります。
慕わしい天と地が喜ぶことのできる本郷の地で、
天のお父様を中心とした家庭を
私たちは追求しています。
お父様、
そのような家庭以上に価値あるものが
この世にまたとあるでしょうか。
金銀宝物が泰山のように多いとしても、
父母の愛を中心としたその家庭の因縁、
父母を中心とした兄弟の因縁、
それ以上価値のあるものがどこにあるでしょうか。
これをお父様が探してこられたことを知りましたので、
私たちがここで無限の価値を残すために、
ここで楽しみ、ここで誓い、
歴史を創建することのできる動機を連結させる
一つの張本人となるために、
統一の働き手となったことが
はっきり分かるようにしてくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
お父様!
長い歴史過程において悲しみの涙を流してまいりました。
男女が出会う環境ごとに
悲しい事情が触れ合い、
歴史の峠道では
天の嘆息を呼び起こしたことを知っていますので、
今日私たちは
男女が真の夫婦となり、家庭を成して
お父様の恨みを解き、怨讐を防衛することのできる
鉄石のように固い橋頭堡となるようにしてくださいますことを
心からお願い申し上げます。
そのような立場で私たち自身を尋ね、
家庭を尋ね、氏族を尋ね、民族を尋ね、国家を尋ねて、
新しく自覚された世界に私たちは駆けていかなければなりませんので、
不足することがないようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・一二・八)
天の愛が芽生える家庭の貴い価値を悟らせてください
お父様!
私たちは空手で出発しましたが、
今は何もうらやましいもののない立場に立っています。
私たちはお金が必要なのでもなく、
権力が必要なのでもなく、
世の中のある文化が必要なのでもありません。
それよりももっと必要とし、渇望しているものは
神様の愛であり、
父母の愛であり、
夫婦の愛であり、
子女の愛であります。
慕わしい天と地が喜ぶことのできる本郷の地で、
天のお父様を中心とした家庭を
私たちは追求しています。
お父様、
そのような家庭以上に価値あるものが
この世にまたとあるでしょうか。
金銀宝物が泰山のように多いとしても、
父母の愛を中心としたその家庭の因縁、
父母を中心とした兄弟の因縁、
それ以上価値のあるものがどこにあるでしょうか。
これをお父様が探してこられたことを知りましたので、
私たちがここで無限の価値を残すために、
ここで楽しみ、ここで誓い、
歴史を創建することのできる動機を連結させる
一つの張本人となるために、
統一の働き手となったことが
はっきり分かるようにしてくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
お父様!
長い歴史過程において悲しみの涙を流してまいりました。
男女が出会う環境ごとに
悲しい事情が触れ合い、
歴史の峠道では
天の嘆息を呼び起こしたことを知っていますので、
今日私たちは
男女が真の夫婦となり、家庭を成して
お父様の恨みを解き、怨讐を防衛することのできる
鉄石のように固い橋頭堡となるようにしてくださいますことを
心からお願い申し上げます。
そのような立場で私たち自身を尋ね、
家庭を尋ね、氏族を尋ね、民族を尋ね、国家を尋ねて、
新しく自覚された世界に私たちは駆けていかなければなりませんので、
不足することがないようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・一二・八)
1-30 お父様! あなたはどこにご臨在なさいますか
お父様!
きょうこの時間、あなたは
どこに臨在なさいますか。
あの高い空間にある、ある王座でもなく、
ある燦爛たる文化の歴史をもった
伝統の座でもないということを知りました。
創造の当時にあなたが願われたのは、
真に神様を愛し神様を思慕する
一人の男性の心に臨在されることでしたし、
そのような一人の女性の心に臨在なさりたかった
お父様であったことを知りました。
そのような男性と女性の心に臨在なさり
「あなたはわたしのすべてだ!」と
おっしゃりたかったお父様であられ、
新しい因縁で出会いたかったお父様であったことを
知るものです。
その男性と女性が真の父母の因縁を中心として、
歴史的な先祖の心情的な土台を備えた立場に立つようになれば、
その上に直接臨在なさりたかった
お父様であることを知りました。
そうして、その家庭の中心に
あなたが臨在しようとなさったことを知りました。
そのような父母の血統的因縁を経た子供を
愛したかったお父様であられ、
広く高く深い愛のみ手で
その息子・娘を抱きたかったお父様であられ、
涙のにじんだ愛と、涙のにじんだ心情で愛することのできる立場を
備えようとされたお父様であったということを知りました。
そのような平和の家庭の上に、その子女たちの上に、
愛を根深く植えて、
その家庭を中心として四位基台を築き、
福地の土台をこの地の上に築こうとされたことが、
千代万代の恨みとして残されているということを、
統一信徒たちはよく知るものです。
このような福地の土台を築くことのできるひと日を迎えるために、
六千年の間、つらい死の道が
続いてきたという事実を知りました。
数多くの人々が、
嘆きとやるかたない悔しさと悲惨なる立場で
犠牲となったことを知っています。
「私」自体を呼んで
このすべての代価を支払うようにするのは、
模範的な一人の男性と一人の女性と
一つの家庭を成させるためのお父様の愛であることを
知るものです。
そして、お父様が
その家庭の上に主体的な中心として臨在なさり、
万代万民の家庭の上に宿ろうとなさったのが、
あなたの願いであることをはっきりと知りました。
ですから、私たちは一万回死の道を行こうとも、
お父様の慈悲を慕い、
お父様の同情のみ手を渇望することのできる姿とならなければならず、
天に向かって手を伸ばし、
のどが張り裂けるほど、
細胞が麻痺するほどに狂ったように
「お父様」と叫ぶことのできる子女とならなければなりません。
あなたが願われた愛を、
自ら備えた男性と女性になることができない
堕落の血族であることを嘆きながら、
来られるメシヤを愛し、
そのメシヤを迎えるために準備することのできる
あなたの子女たちとなるよう許諾してくださいますことを
心からお願い申し上げます。
このすべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六九・一・二六)
1-31 お父様のみ前に歓喜の光となりたいです
お父様!
あなたは聖なるお方です。
かわいそうであってはならないお方です。
あなたは創造主として、
権威と永遠なる栄光の象徴であられるのに、
どうしてこのようにかわいそうなお方となられたのでしょうか。
あなたにどうして
敗者の苦い杯を一人飲むべき、
悔しい事情が残されたのでしょうか。
人類始祖の軽挙妄動な行動が、
このように億千万代の歴史を誤らせ、
恨みの根源をつくったという事実を
私たちは知るものです。
これは、ただアダムとエバにだけ限られたことではなく、
彼らの後孫である私たちも
代々、先祖の血を受け継いできた堕落の後裔として、
同じ堕落した後継者の体をもっておりますので、
それを思うとき、歯がみするほどの憤りを感じられない者は、
天に帰ることができないという事実を分かるようにしてください。
朝の日の光、
その燦爛たる光明の光を眺めるときには、
お父様のみ前に
歓喜の光となり得る
あなたの息子・娘となりたく思います。
お許しください。
お父様の愛の世界には、
強い心情なしには入ることができないということを悟り、
親不孝極まりなかった先祖たちが誤ったすべての罪を
ぬぐうことができるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
この地上に人類がどんなに多いといっても、
お父様の傷ついた胸を抱き締めて
慰労してさしあげることのできる一人の息子がどこにい
一人の娘がどこにいるでしょうか。
あなたに侍り、
千年史の解怨成就のために
精誠を尽くす人がいませんでした。
「数千万代の後孫が偉くなれ」という遺言をした人はいても、
天のみ旨がこうであるから、
このように生きなければならないと勧告した人は
一人もいませんでした。
数多くの先祖たちが、死の道で
その民族を祝福する遺言をたくさん残しましたが、
そのすべてが消えていくしかない遺言であったことを
私たちは知っています。
今日、統一の群れは、
そのような群れになってはなりません。
人類が消えていっても、
その遺言だけは残されてこそ、
威信が立てられることを知っています。
このような道が、人類が経るべき道でありますので、
今まで私たちに
そのような道を行くべき心を
植えてくださったことを知っています。
私たちは、お父様のみ旨の前において
祭物となります。
目的に向かうお父様の事情の前に、
最後の勝利を覚悟し、
その誰よりも肯定的に
その道を通過することのできる群れとならなければなりません。
そうして、
天の光明たる太陽の光に代わることのできる基盤となり、
千年史の恨みを抱き、その光を探し求めるにおいて
一つの橋を架ける礎石になるとしても、
それを幸福として受け止めていく
統一の群れとなさしめてくださいますことを、
心からお願い申し上げます。
このすべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六九・一〇・一二)
1-32 あなたとの父子の因縁を慕うようにしてください
私たちが父母を見るとき、
父母は全体の願いであり、
慕わしさの表象であり、
幸福の起源でありました。
動機にもなり、
過程にもなり、
結果にもなるのが父母でありました。
父母と子供の因縁を考えてみるとき
動機もお父様であり、
過程もお父様であり、
結果もお父様であります。
お父様に会いたく思い、
お父様を求め、
お父様のみ旨を慕い、
お父様を愛の起源とし、
お父様と共に和動の因縁を結ぶ、その聖なる座に
私たちを抱くことのできるお父様の心情があるということを、
私たちは知らなければなりません。
そうして、
お父様に対して言うに言えないほど喜ぶその姿、
お父様の懐が恋しくて
お父様の心情に深く入っていく息子・娘を、
どれほど願われたかを
私たちは知らなければなりません。
父の懐に抱かれ、
母の懐に抱かれ、
父と母の生命の糧を子供が余すところなく受け、
その父と母の心の座と望みの座を相続し、
子供を通して未来を望むことのできる位置が、
お父様が探して来られた
父子の因縁が結ばれる位置だということを
知らなければなりませんし、
その聖なる位置を私たちは
追求しなければなりません。
私たちは心からお父様を呼びながら、
慕わしいお父様を放さず、
お父様のほおに私のほおをつけ、
お父様の涙と息子の涙が一つになる中で悔い改め
一つの世界を探し求めるために
訴えながら行く犠牲の歩みを
その誰が阻むことができましょうか。
サタンもここには屈服せざるを得ず、
サタンもこの場に参加しなければならないのが、
本来の創造の原則であることを知っていますので、
そのような息子とそのような娘になるよう
許諾してください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六九・一一・二三)
1-33 お父様の表象として現れ得るようにしてください
お父様!
あなたの聖なる生命力が
私たち自体に連結されるようにしてくださり、
あなたの権威ある姿が
私たち自身と一体になるようにしてくださり、
怨讐に対し耐えてこられたお父様の悔しい心を
私たちの心に受け継がせてください。
堕落の因縁によって
失った子女を捜してこられながら、
最後の勝利を望み、あえぎこられた
お父様の歩みとその心情が
私たちの心に体得されるよう許諾してください。
お父様が私たちを
息子であり娘であると呼ぶことのできる
親と子としての因縁を越えて、
本当にお父様とーつとなり、
私たちがお父様の表象として現れることのできる、その位置を
慕うようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
父と子は一体であると言われ、
あなたは心であるがゆえに私たちは体となって、
私たちの行いが
あなたの喜びに連結されるべきことを知っていますので、
この位置がそのようにできる位置となるよう
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。
暗黒のようなこの地でありますけれど、
私たちがあなたに向かって
「お父様」と呼ぶことのできる新しい姿となるとき、
初めてこの地がお父様の望まれた願いの地であり、
願いの園となるのではないでしょうか。
そのような息子・娘の姿を見ることが
お父様の願いではないでしょうか。
そのような願いの地で、全身全霊を込めて
息子・娘を抱き、愛し、
また、世界をそのように愛したかったのではないでしょうか。
そのようなお父様の愛の心が、
私たちの願いの園に込められていることを知るものです。
その中であなたに敬拝を捧げ、
あなたの恩恵を叫び、
あなたの勝利を欽慕できる姿が現れることを
どれほどに待ちわびてこられたでしょうか。
また、あなたか無限に無限にほめたたえたく、
無限に無限に称賛したく、
全世界のすべてを
相続させてあげたい愛の息子・娘が現れることを
どれほど待ちわびてこられたでしょうか。
そのような姿となるには、あまりにも不足であるということを、
この時に感じるものです。
ですからお父様、
あなたの広いご心情と哀れみの慈悲のみ手で
私たちを抱いてくださり、
あなたの高く深いその玄妙な道理を
感じさせてください。
また、その何をもっても屈服させることのできない強い力によって、
私たちを縛ってください。
切にお願い申し上げます。
お父様!
この時間、私たち一人ひとりを抱いてください。
困難の中に身を置くとき、
あなたの能力で私たちを自覚させてください。
そうして、明日の希望の世界の前に
恥ずかしくない息子・娘となるようにしてください。
怨讐の前に強く雄々しい勇者の姿を備えるために、
この地上に天国の理念を立てるために
この道を踏み出した私たちと、
お父様、共にいてください。
開拓者としての使命と
お父様の息子・娘としての使命を果たすために、
備えるべきすべてのものを
私たちが備えることができるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
このすべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六九・一二・七)
1-34 歴史的新時代に生まれたことに感謝申し上げます
お父様!
私たちをお父様の絶対的な内容を分け与えることのできる
一つの対象となるようにしてください。
そのような人になろうと身もだえする
あなたの息子たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
明日の希望の世界が、
私たちの前に近づいています。
明日のこの国は、
どのような先進国家もできないことをする国であり、
歴史を通じて誇ることのできる国として
私たちの前に訪れることを知らなければなりません。
また、この国の国民は、
世界的な解放の旗じるしを揚げ、
万国、万民の前に勝利を誓う国民になるという事実を
知らなければなりません。
解放のその日を欽慕しつつ、
その日を追求し提示しようとする群れが
まさに統一教会員であることを悟るよう許諾してください。
私たちはその中でも
責任者であることを感じますときに、
全人類歴史に
一度しかないそのような責任をもって生まれたことを
万宇宙の前に感謝しなければなりません。
また、父母の因縁をもったことを
感謝しなければなりません。
私たちは、行くべき道を知らない群れでしたが、
新しい価値の基準を残すことのできる時代に生まれたことを
感謝しなければなりません。
お父様の人格体となり、
和動の中心体となるべき、このとてつもない使命を
私たちは知らなければなりません。
そうすることができる人格者となり、
そうすることができる愛の実体となる立場に立つようになれば、
お父様のみ旨が「私」のみ旨であり、
「私」のみ旨がお父様のみ旨になるという事実を
知らなければなりません。
このようにお父様と私たちが一致し、
内外に因縁を備える日には、
全宇宙を解放することのできる権限が
成り立つという、このとてつもない事実を
知らなければなりません。
そうして、
歴史的であり、宇宙史的な使命が
私たちの肩に負わされているということを知り、
力強く行軍することのできる自らの姿を備えるよう
許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
この道を行くにおいて、
私たちが和動の中心体となり、
あなたのみ前に孝の道理を尽くし、
忠の道理を尽くすことができるよう許諾してくださいますことを
心からお願い申し上げながら、
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・二・二六)
1-35 希望の国を築くことができるようにしてください
愛するお父様!
あなたがとどまることのできる国が
この地のどこにあり、
あなたが率いることのできる民族が
この人類の中でどこにいるかと尋ねるとき、
あなたがいまだにそのような国と、そのような民族に
出会うことができないでいることを
私たちは知るものです。
国がある前にまず民族がなければならず、
民族がある前に氏族がなければならないということを、
氏族を編成するためには家庭が、
家庭があるためには「私」個人が
完成基準に達していなければならないということを
原理を通して知っています。
国のないあなたの子女たちが
この地上にどれだけいるかを考えますとき、
お父様に対して
「お父様」と呼んでいる人は地上に多くとも、
あなたが慕い願われるその国と民を探し求めるために
自覚し、心を砕く人は
多くないことを知っています。
この地上に
お父様の国がなく、民族がなく、氏族がなく、
家庭がないとしましても、
その国を代表し、
民族を代表し、
氏族を代表し、家庭を代表することができ、
あなたの心の中にあるすべてのものを
代表して受け継ぐことができる
愛する息子・娘がいると言うときには、
そのような息子・娘によって、
そのような個人が連結されることをもって、
あなたの心の前には希望の国が始まり、
希望の民族と希望の生活的な土台が
展開されるということを知っています。
そのような栄光の立場に立つことができる
息子となり娘になろうと、
この時間もう一度誓うことができますよう
許諾してください。
お父様は
数千年の歴史過程を経てこられながら、
ただの一日も愛する子女を
慕わない日はなかったということを私たちが知り、
その子女たちを永遠無窮に
あなたの栄光の国の民として存続させたい心が、
愛したい心と共にあったということを
私たちが知りますとき、
今日、何の値打ちもない私たち自身に対する
お父様の愛の心が
限りないということを感じるようになりました。
そのようなことを感じれば感じるほど、
お父様は体と心を通して、
その国とその民を探しておられるということを
知らなければなりません。
お父様のみ前に生命を捧げるのは、
その国に対する忠臣の道理を果たすためであり、
望みの民を編成し
怨讐に籠絡される悲しみの環境を清算してしまい、
あなたが栄光の父として
この地に顕現なさることのできる
その日のために探し求めてこられたのですから、
今これを実際として感じることのできる
あなたの息子・娘とならなければなりません。
そうですから、
お父様、
あなたの子女たちを心にかけてください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・三・二一)
1-36 私たちの一切の感情が本然のものを慕うようにしてください
私たちの目が、
お父様を
見ることのできなかったことが口惜しい事実であり、
私たちの耳が、
お父様の聖なる愛の声を
聞くことのできなかったことが口惜しい事実であり、
私たちの鼻が、
罪のないエデンでのお父様の愛の香りと
花の園に漂うすべての香りを
かぐことのできなかったことが恨みであります。
罪悪圏内にある万物ではなく、
善であり聖なるあなたの解放の園にある万物を
食べることのできなかったこの口が恨みを抱いています。
この感情として感じた一切、
この触感に感じられた一切が、
あなたと反対の立場で
感じ接触したという事実を思いますとき、
私たちは
汚れ汚れた堕落人間の後孫であることを自覚し、

聖なる解放された善の姿を
切に仰ぐ心でそこに到達し、
そこに立って天を仰ぎ見てほめたたえ、
あなたの勧告を聞き、
あなたの命令を受けることのできる日を
慕わなければなりません。
自然を、
あなたが許諾なさった香気がかおる祝福の園で眺めながら、
自らが感じる一切の感情が
あなたのみ前に帰化することのできる立場に立てなかったことを
自嘆しなければなりません。
今まで愛好した退廃的なものを捨て、
自ら天が守護したかった本然の自分を慕いつつ
行くことができなければなりません。
私たちの一切の感情が汚れていることを知っていますので、
今、私たちの心と感情全体が
お父様を動機とし、
お父様と因縁を結び、
お父様による結果を結ぶことができるようにしてください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・一〇・三)1-36 天国の起源となり得る家庭を築かせてください
お父様!
この世でも自分を中心として愛そうとすれば、
孤独な身として残されてしまうことを、
私たちの日常生活の環境を通して感じ、知っています。
しかし、
人のために無限に世界的な価値の内容を提示し、
人を愛そうとする人は、
一人寂しい立場に立とうとしても、
環境がその人を寂しい立場に立つことができないようにすることを
私たちは知っています。
お父様!
私たちはあなたが探してこられた
真の男性とならなければならず、
真の女性とならなければならないということを知りました。
また、そのような男性と女性が一体化することのできる、
愛の起源を成立させることのできる所が
家庭であるという事実も知りました。
その家庭において上は父母に侍り、
下には子女を率いる
本来の四位基台圈を追求することが、
原理が尋ねていく道であるということを思いますときに、
この時間私たちが
その立場とどれほど遠い立場にいるかを知って、
自らを批判しなければなりません。
神様と共に一体化できる相対的な絶対圏、
その立場を通して
世界的な横的国家観と世界観が形成されるということを、
すなわち、天国は
男性と女性が天を中心として一つとなる家庭から
始められるということを知りました。
人格の価値も
その立場で決定されるということを思いますときに、
私たちは
その立場を中心として考えなければなりません。
そのような立場にいるようになるときは、
「私」自体の心の中に天国があるようになるということを、
「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ*」と( *ルカ一七・二一)
言われたイエス様のみ言が
証しているということを知りました。
きょうこの場に来た子女たちが、
子女の名前を備え、天を父と呼び、
地を貴い母として仕える心をもちましたなら、
お父様、
これからはこれらの者たちが子女として行くべき道理を
はっきりと悟るようにしてください。
天の父母を慕い、
天の夫婦と天の子女の価値を慕わなければならないということを
悟るようにしてくださり、
今日、堕落した人間の後孫たちに
そのような価値ある立場を
受け継ぐことができるようにしてくださいました恩賜は、
その何をもっても返すことのできない
感謝の因縁であるということを、
私たちが切々と感じなければなりません。
お父様!
今後の動き一切をあなたのみ前にお任せいたします。
きょうこの時間、
天国の起源と私たちの価値基準が
一致すべきだということを改めて感じるものです。
今から家庭を中心として
新しい三大愛の因縁を立てなければならず、
それを全体の生活的動機として活用できる立場で、
一つの世界を追求していく群れになるべきことを
この者たちが既に悟ったということを知っていますので、
そのような決意の上に
あなたの無限なる愛と恩賜でもって
共にいてくださいますことを再三お願い申し上げながら、
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・一一・二一)
1-37 天国の起源となり得る家庭を築かせてください
お父様!
この世でも自分を中心として愛そうとすれば、
孤独な身として残されてしまうことを、
私たちの日常生活の環境を通して感じ、知っています。
しかし、
人のために無限に世界的な価値の内容を提示し、
人を愛そうとする人は、
一人寂しい立場に立とうとしても、
環境がその人を寂しい立場に立つことができないようにすることを
私たちは知っています。
お父様!
私たちはあなたが探してこられた
真の男性とならなければならず、
真の女性とならなければならないということを知りました。
また、そのような男性と女性が一体化することのできる、
愛の起源を成立させることのできる所が
家庭であるという事実も知りました。
その家庭において上は父母に侍り、
下には子女を率いる
本来の四位基台圈を追求することが、
原理が尋ねていく道であるということを思いますときに、
この時間私たちが
その立場とどれほど遠い立場にいるかを知って、
自らを批判しなければなりません。
神様と共に一体化できる相対的な絶対圏、
その立場を通して
世界的な横的国家観と世界観が形成されるということを、
すなわち、天国は
男性と女性が天を中心として一つとなる家庭から
始められるということを知りました。
人格の価値も
その立場で決定されるということを思いますときに、
私たちは
その立場を中心として考えなければなりません。
そのような立場にいるようになるときは、
「私」自体の心の中に天国があるようになるということを、
「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ*」と( *ルカ一七・二一)
言われたイエス様のみ言が
証しているということを知りました。
きょうこの場に来た子女たちが、
子女の名前を備え、天を父と呼び、
地を貴い母として仕える心をもちましたなら、
お父様、
これからはこれらの者たちが子女として行くべき道理を
はっきりと悟るようにしてください。
天の父母を慕い、
天の夫婦と天の子女の価値を慕わなければならないということを
悟るようにしてくださり、
今日、堕落した人間の後孫たちに
そのような価値ある立場を
受け継ぐことができるようにしてくださいました恩賜は、
その何をもっても返すことのできない
感謝の因縁であるということを、
私たちが切々と感じなければなりません。
お父様!
今後の動き一切をあなたのみ前にお任せいたします。
きょうこの時間、
天国の起源と私たちの価値基準が
一致すべきだということを改めて感じるものです。
今から家庭を中心として
新しい三大愛の因縁を立てなければならず、
それを全体の生活的動機として活用できる立場で、
一つの世界を追求していく群れになるべきことを
この者たちが既に悟ったということを知っていますので、
そのような決意の上に
あなたの無限なる愛と恩賜でもって
共にいてくださいますことを再三お願い申し上げながら、
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・一一・二一)
1-38 あなたの永遠なる対象の実体として立ててください
お父様!
主人のいないこの天地で、
お父様が主人にならなければなりません。
今後行くべきこの国の運命に
責任をもち、指導することのできる中心にも
あなたがなられなければなりません。
私たちの家庭や個々人が望む願いの中心にも
お父様がなられなければなりません。
世界でも必要とし、
国でも必要とし、
家庭でも必要とし、
個人も必要とするのが、
全天地をお造りになった主人であられるあなたであり、
お父様であられることを
私たちははっきりと知らなければなりません。
あなたは無限なる能力をもたれたお方であり、
時間と空間世界のどのような制裁もお受けにならない
全能なるお方であることを私たちは知っています。
あなたによって造られなかったものはなく、
あなたがすべてのものの原因となる内容をお備えになった
主体であられることを知っています。
存在するものすべてが
あなたとの因縁によって存在するということを
私たちは知り、
存在するものは、
主体であられるあなたのみ前に
相対的目的をもっていないものがないということを
知っています。
そのような立場に立った個人であり、家庭であり、国家であり、
世界とならなければならないことも知っています。
日の光が差せば、
すべての存在がその日の光を通じて生命を開かせ、
それと一致しようとするのを見ますときに、
微物も一つの中心に向かって
そのように動くその現象を見るとき、
私たちもそのような立場で、
あなたを私たちの生命の主体として、
私たちの行く道と方向を照らしてくださるお父様として侍り、
あなたと一体となり、
あなたとーつとならなければなりません。
まず、あなたを主体とし、
私たち自身を永遠なる対象の実体として立て、
主体と対象が
分立できない一つの統一された姿を備えなければならないのが、
私たち個人の人生の願いであり、
行くべき道の終着点であることを知っています。
そのような日を模索するために
歴史が動員されてきたのであり、
そのような自らを形成するために
個々人の生活と生涯路程が設定されていることを
私たちは知っています。
お父様!
私たち少数の群れがあなたのみ前に出てきました。
あなたが主体であられますので、
私たちは対象とならなければなりません。
あなたが主人であられますので、
私たちは主人の指示を受ける追従者とならなければなりません。
あなたが父母であられますので、
私たちは子女とならなければなりません。
あなたが主導的な能力とすべての生命の源泉であられるので、
あなたを通す道だけが、
私たちにおいてはかいある生涯の行路であることを知り、
そのように行くことができますよう許諾してください。
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七二・七・九)
1-39 愛の理想世界を成す統一の群れとならせてください
愛するお父様!
恨みの多いあなたの心情に分け入ってみるとき、
その心には
誰も知ることのできない
隠れた理想的愛がわき立っていることを、
私たちは知らなければなりません。
人をどうしてお造りになったのかと尋ねてみるとき、
神様が愛したくて造られたということを、
今まで考えることができませんでした。
今日まで、人間存在の本然の価値を知りませんでした。
男性として生まれたなら、
真の対象である女性を永遠の女性として愛すべきであり、
家庭を立てたなら、
家庭を永遠なる家庭として、
神様の代わりに愛すべきなのです。
愛するその基準は、氏族と民族の土台となり、
その民族の土台は、
自然に国家の土台となるのであり、
国家の土台は、
自然に世界の土台になるだけでなく、
天宙的土台になり得るのです。
そのような一つの方向に一致した不変の世界があってこそ、
ひとえにお父様の本然の愛を中心とした新世界が
成されるはずですので、
今日、堕落によって痛手を受け、
堕落によって恨みの圏内であえいでいる全人類を、
お父様、
哀れにお思いください。
時代時代の個人を調停し、
家庭を調停し、民族を調停し、国家を調停して
東西四方、この世界という舞台を中心として、
背景の異なる各文化圏を収拾し、
統一的な一つの宗教形態を、
統一的な一つの新しい愛の体系を、
お父様の愛を中心として成就させようとする
お父様のみ旨があるがゆえに、
それに従い、それを望んでいくのが
宗教の目的であることを、今私たちは知りました。
お父様!
このような観点において、新しい時代の宗教、
お父様の愛の深い骨髄を切り開き、
万民の心情心情、事情事情に、あるいは希望の中に
移してあげることのできる、その道を立てるために現れたのが
統一教会であることを知っています。
ここに立っている子供が、
どのように迫害が加重されるとしても、
その迫害を乗り越えることができるのは、
深いあなたの愛を知ったからであり、
今日、疲れもせず中断しないまま、
明日の希望に満ちた歩みをしているのも、
あなたの新しい愛を知ったからです。
死の道を逃避せず、
それを直視しながら、直行することのできるこのような権威と、
そのような自らの自信を備えたのも、
あなたの愛の驚きを知ったからであることを、
悟るようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
統一教会を信じて、
過去の自分と違うことを
発見できないというのは間違いです。
そうでない統一教会員は、
この統一という名詞に対して罪を犯しているという事実を、
私たちが悟らなければなりません。
統一の信者というのであれば、
どんな所にとどまっても、その環境において
愛の主体性をもって現れなければなりません。
文なにがしが本物か偽物かということを
どこで見いだせるかといえば、
その結果を見て分かるといいましたので、
統一教会員たちが
天の真の新しいまた一つの愛の主体として、
とどまる環境環境を輝かすことができるようにしてくださり、
われ知らずほのかに、
標準的な対象として、あるいは主体として現れることができる
価値的な内容をもってこそ、
統一教会の信者らしい権威を備えた自らであることを
悟るようにしてください。
天が今までこの教会を立てて働かれたのは、
このような基盤を横的に世界化するためだということを
私たちは知っています。
民族を超越し、国家と国境を超越して、
一つの心情圏を成し、
一つの新しい血族と新しい文化世界の創造を目指して
前進する隊列に立ったことを私たちは知っていますので、
どうぞ西欧に散らばっているすべての統一教会の群れ、
アジアあるいは五大州に散らばっているすべての群れが、
あなたの心情に従い、
このようなろうそくの光にならなければならないのと同時に、
大海に対しては灯台の使命を果たすべきなのです。
そのような使命がこの者たちの上に負わされていることを知り、
きょう、明日、未来に向かって進む愛の化身として、
あなたの深い心情を証すことのできる
証し人となるようにしてくださいますことを
心からお願い申し上げながら、
すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七六・三・七)
父の祈り 2 熱望編
2-1 お父様! 不足なる私たちを受け入れてください
お父様!
多くの群れが生命を渇望してこの聖壇の前に集まりましたので、
集まったこの群れがお父様の栄光を代表できるよう
許諾してくださり、
喜びの祭壇を代表して、
お父様の心配と苦衷が分かるようにしてくださり、
お父様のご心情を体得できるよう
許諾してください。
お父様が
取るに足らない者たちを相手にして
信じなければならない立場におられるということを
知っていますし、
取るに足らない者たちを頼って
役事を起こさなければならない立場に立っておられるということを
知っています。
今日まで、天が私たちを信じるべき、
信じてお立てになるべき立場におられるということを知っていながら、
お父様に、私たちを信じていただくことができるように
してさしあげられなかった過去の過ちを
受け入れてください。
頼りになってさしあげるべき責任をも
全うできなかった私たち人間でございましたので、
お父様、
この時間に受け入れてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様を信じ、お父様を頼りとし、
私たちの生命までも捨てることができ、
私たちの生涯までもお父様に
率直に差し出すことのできる姿とならしめてくださり、
お父様が取るにふさわしい祭物としてお受けくださいますことを、
愛する我がお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
多くの人々の中で
取るに足らない私たちを呼んでくださいましたので、
お引き受けくださり、
お父様の哀れみの愛で包んでください。
お父様に体と心のすべてをお捧げし、
お父様の心配なさる心を
体得できるよう許諾してくださり、
お父様が私たちに要求なさる
その一つの願いを受け、全うすることのできる子女たちとなるよう
許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
六千年間積もってきた切ないあなたのご事情が
今日まで続いていて、
あなたの嘆息が
今日まで続いている歴史を見てみるとき、
今日もなお私たち自身が
お父様の嘆息の根源となっていることを
受け入れてください。
お父様の生命と、願われる理念の実体としてくださり、
お父様がお喜びになることのできる生命の根としてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・五・二三)
2-2 善だけを備えた生きた祭物とならせてください
愛のお父様!
哀れみのお父様!
私たちだけでは、
私たちの力だけをもっては、
とても善と悪を分別して
善に善を加えることができませんが、
天に秘めておかれた善の能力と
天に隠しておかれた愛の能力を表して、
復活の能力によって役事してくださり、
不足なる立場から
善となることのできる能力を表すことができるよう
許諾してくださり、
復活の栄光を備えて
お父様に心と体を尽くして敬拝を捧げることができ、
心と体を尽くして栄光を表すことができるよう
許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちの心を聖別してください。
各自の心霊心霊ごとに
聖別のみ手によって役事してくださり、
個人個人の心と体を、
お父様、表示してくださり、一つ一つ聖別してくださって、
正しくないすべての要素を
除いて捨てなければなりませんので、
お父様、
親しく分別の主人公となってくださり、
心情の主人公となってください。
善悪を分別して悪は処置し、
善だけを備えた生きた祭物として、
一つの中心を通して
お父様のみ前にお捧げすることができるよう許してくださいますことを、
我がお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
顕現なさるお父様の形状の前に、
不足なる自我を認識できるよう許諾してください。
過去の罪悪の力を受け、死亡圏に入っている自我を発見して、
お父様のみ前に、
善の栄光の祭壇のみ前に
自分を表すことができるようにしてくださり、
過去の正しくない習性、
お父様を信じられない観念を除いてください。
新しい善の刺激を受けて
お父様の性相の新しい価値を感じ、
心と体で衝撃を感じることができるようにしてくださり、
悔い改めと感動の役事を広げてくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちを引き受けて主管してください。
私たちの中にー人だに
サタンの主管を受ける子女がいないよう許諾してくださり、
お父様の再創造の苦労の歴史と
全能の歴史を経たのちに、
今日の惰性を捨てることができるように許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
適切でなく正しくないすべての罪悪の要素を、
この時間に、お父様が、取り除いてください。
親しく干渉され
主管できる栄光の要素だけが私たち全体の上に
充満するように役事してくださり、
充満するように主管してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・七・一一)
2-3 すべてを謙遜にお任せしますので役事してください
お父様!
すべてのことを
お父様だけがお守りくださり、
お父様だけが引き受けて主管してください。
私たちの生命も私たちのものではなく、
私たちの知識も私たちのものではなく、
私たちのすべての観念も私たちのものではないことを知る、
この時間となるよう許諾してください。
ただあなたのみ前に任された者として、
天が動ずれば私たちも動じ、
天が静ずれば私たちも静ずるよう
お許しください。
世の中のある観念が偉大だといっても、
天倫に比べることができないことが分かるようお許しくださり、
この世の無知が
この地上に染みわたっていることが分かるようにしてくださり、
その罪悪の陰が
全世界と関係を結んでいることが
分かるようお許しください。
そうして自体の不足なることを悟り、
天倫の動きに感動を受けて、
すべてに対しておそれ多い心を感じることができるよう
許諾してください。
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
命令してください。
勧告してくださり、願われるところのみ言を
下してください。
復活の権能を表してくださり、
ふさがれた闇の塀を
押し通すことのできる力が爆発するよう
許諾してください。
切にお願い申し上げます。
心は願えど肉身が弱いので、
この弱い肉身を克服することのできる力を示してくださり、
権能のみ手で運行してくださって、
再創造の恩賜をお下しになるお父様のみ手の前に、
真実に造られ得る土となることができますよう
お許しください。
栄光の形状として造られ得る
温柔謙遜なる者たちとなるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
きょう取るに足らない私たちを
お父様が呼んでくださいましたので、
あなたの願いを成してさしあげられるよう
お許しください。
死にゆくこの民族、
塗炭の苦しみの中にいるこの民族、
かわいそうなこの民族の生きる道を見いだすために、
生きた祭壇を表すことができるようお許しください。
きょう私たちの一個体をお父様のみ前に立て、
一問一答できる立場に立つことができるよう許諾してくださり、
私たち自体が
天倫の要求する使命を受け、成し遂げることができるよう
許諾してください。
すべての悪と闘い、
分別することができるよう許諾してくださり、
善悪を分別して
善の立場に立つことができるようお許しください。
善なるものは残され、
サタンの悪は清算されることを信じ、
正しい道に入って
あなたの栄光の中に生きる者たちとなるよう
お許しください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・七・一九)
2-4 私たちを引き受け主管してください
お父様の前に切にお祈り申し上げます。
第一には、私たちの体と心が、
東方の三博士が(イエス様に)捧げた黄金と乳香と没薬のような
祭物とならなければならないことを知っています。
まずは私たちの心と体を捧げることができるよう許諾してください。
聖壇の前に
憎むべき姿とならないよう許してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
お選びになった善意の目的がどのようなものかを知れば知るほど、
不足なる者たちを再びお尋ねになったことを考えれば考えるほど、
私たちの至らなさを
お父様のみ前に痛悔せざるを得ません。
私たちのすべての意識や観念や主義主張を除いて
お父様のみ前にひれ伏しましたので、
お父様、
捕まえてください。
お父様!
全体をお引き受けください。
心と体を完全に引き受け主管してくださり、
六千年の歴史をかき抱いて、
お父様の悲しいご心情を慰労できる者たちとなるよう
許してくださり、
私たちがーつとなって、一つの祭物として、
多くの聖徒たちと共に喜びで敬拝を捧げることができるよう、
三位神が
私たちの体と心のすべてを主管してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
この民族をかわいそうに思ってください。
この民族を愛するために、
長い歴史過程を通してご苦労されたことを知っています。
み旨を表すために、私たちを選ばれるときには、
人知れぬご苦労があったことを知っています。
民族の恨みが
天に染み通っていることを知っていますし、
地上の人類の恨みも
天に染み通っていることを知っています。
この天上の悲しみを身代わりして祭物となる者がいないことを、
また天が嘆息しておられることを知っていますので、
今日この全天宙間に染み通った恨みを、
身代わりして晴らしてさしあげるように、
お父様のみ前に切に求める
息子・娘となるようお許しください。
サタンの前にお父様の代身として立ち、闘うことのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
心と体が動じ和合することによって、
一つのみ旨を置いて和動し、
お父様の恩賜を歌うことができるよう許諾してくださり、
解放の恩賜に感謝して敬拝することができるよう
許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・一二・一六)
2-5 私たちの不足を悔悟しますのですべて主管してください
愛するお父様!
行くまいとしても行かざるを得ない孤独な復帰路程において、
堕落による運命の重荷を引き受け、
背負っていく者は果たして誰でしょうか?
かつて、人間始祖の堕落によって
お父様が恨みを抱くようになられ、
人間の心、心にも恨みが残るようになり、
ユダヤ民族の不信の罪悪史によって、
この恨みは
世界にまで及ぶようになったことを知るものでございます。
このように恨みの叫びが天と地に達しているこのときに、
私たちが進む道を
お父様が開いてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様が導いてくださる道を行くためには、
まず私たちの生命が安息することのできる所を
探さなければならず、
その次には
私たちの体と心があなたの安息所にならなければなりませんし、
そうして
私たちが願うお父様の愛が
私たちの体と心に宿らなければならないことを知っています。
哀れみのお父様、
愛のお父様、
恵み深いお父様、
私たちの内に臨在なさり、
あなたのみ旨を表すためにご苦労される私のお父様!
私たちは、汚れて傷になった体と心を
そのままもち、
面目なくお父様のひざの前に出てまいりましたので、
受け入れてください。
お父様が
私たちを受け入れてくださらず、
私たちが進む基準となってくださらないとするならば、
私たちほどかわいそうな者はいません。
お父様!
私たちにとりましては、永遠の理想もお父様でしたし、
永遠の望みもお父様でしたし、
永遠の生命もお父様でしたので、
今日の私たちが置かれた事情を知り、
私たちが願うすべての意図をご存じのお父様、
親しく私たちに現れて、
主管してくださらなければなりません。
まず、
お父様の主管を受けられる
本性的で本質的な要素を備えた私たちとなって、
語られるみ言と役事されることの中に
体と心が捕らえられるよう許諾してください。
そうして、
あなたの栄光のみ前に
屈伏すまいとしても屈伏せざるを得ない、
お父様の直接的な能力の役事が
現れることができるようにしてください。
また全体の体と心を主管なさり、
あなたが受け入れることのできない罪悪の根を、
私たちから除去してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
死亡の波が私たちを襲おうとしますので、
このすべてを阻止してください。
また私たちに染みわたっている私的な恨みがあるとするならば、
除去してください。
自分を中心として
どのような心と意図と観念と
主義主張が残っていますでしょうか?
お父様、
能力の実体として表れ、
ただお父様だけが主管してくださり、
全体の心をもう一度つくり、
お父様の形状に似た私たちとなることができるよう
お許しくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・三・三)
2-6 この時間に、悟りを与えてください
お父様!
今この時は、
私たちの体と心が
完全にお父様に似なければならない時だということを知っていますので、
私たちが永遠なるお父様の懐に抱かれ、
お父様がみ旨を成すために億千万人類を
愛されたそのご心情を相続できるようにしてくださり、
また私たちがそのようなお父様のご心情をもって、
現れなければならない時だということを
悟るよう許諾してください。
この地は
お父様がご苦労され血を流された地であり、
また人間が困難な十字架の道、
世界的なゴルゴタの路程を行った地であることを知っていますので、
お父様、
今日私たちがどのような立場に置かれているかを
自ら悟るようお導きください。
イエス様が
三十歳余りの生涯においてご苦労された、その足跡に
私たちが従っているということを認定するならば、
私たちが生きている環境がどのような環境であり、
私たちが何を請い願わなければならないかということを
はっきりと悟るよう導いてください。
今、残った十字架の闘いが
私たちの目前に達しているこの時、
私たち個人として、
このすべての苦痛と恨みを押し出すことのできる、
自ら自覚した心情をもたなければならないことを知っていますので、
天よ、
この時間に私たちを哀れにお思いください。
自分の不足さを感じるようお導きくださり、
自ら及ばなさを感じるようお導きくださり、
自らの不完全さを嘆息し、
お父様のみ前で悲しみの涙を流すことのできるこの時間となるよう
お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。
すべてのことを主管してくださいますことをお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・三・一〇)
2-7 お父様! 哀れみの恩賜と愛を施してください
哀れみのお父様!
切ない心情をもっておられる
あなたのご事情と体面と威信を考えることができず、
むしろ
お父様の哀れみを負って生きている私たちの事情を
受け入れてくださいますことを、切にお願い申し上げます。
暗い死亡の地の上にとどまっている私たちは、
生霊の力と恩恵でなければとても
勝利の栄光を
お父様に帰し奉ることができないということを知っていますので、
お父様、
約束なさった恩賜を許諾してくださり、
摂理なさる全体のみ旨を表してくださって、
私たちに見せてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
足らない私たち、
どうしてお父様のみ前に出ることのできる姿だと言えるでしょうか?
どうして天に対して顔を上げることができるでしょうか?
私たち自身は、
千万回死んでも当然な存在であり、
罪悪の刑具に捕らわれ、
審判の苦難を受けて当然な人間たちでございます。
それゆえに私たちは、
お父様の慈悲深いみ愛を願い、
お父様の恩賜を願い、
自らをありのままに告げる心でひれ伏しましたので、
私たちがもっているすべてのものをお父様の前に差し出し、
正しくないことがあるならば、すべて清算できるようお許しくださり、
許してくださったとおり、与えてくださったところの心性を守り
天に向かって
大きな恩賜を訴えることのできる私たちとしてお導きくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちを哀れにお思いください。
人が否定するこの道を探し出すために、
心に染み通る悲しみに浸った記憶ももっていますし、
気掛かりと憂いに沈んだ時もあると思いますので、
お父様、
人が否定するような立場であっても、
あなただけが認定できる恩賜が下るよう
許諾してください。
あなただけが捕まえてくださり、
あなただけが慰労してくださり、
あなただけが勧告してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
無知蒙昧な人間たちの中で
天の悲しみに通ずる者がいるとするならば、
お父様、
彼がたとえ千万回悲しみの困窮を受けるとしても、
彼は必ず勝利するようになることを知るものでございます。
あなたの息子・娘たちが、
心と体で
お父様の悲しみを体得するようにしてくださり、
地に対して心配される
お父様のご心情を体得するようにしてくださって、
子女の道理を果たすことのできる息子・娘として
立ててくださいますことを切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちが愚かにも
破綻するような位置にとどまらないようにしてくださり、
自らを爆発させて
悪の根拠地を除去し、
お父様の哀れみとみ愛だけを待ち焦がれることのできる
恩賜を表してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
私たちの体と心が
あなたが語られるみ旨と
愛の恩賜にとらえられるよう
お許しくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・四・一四)
2-8 宇宙的な理念と真理をもたせてください
お父様!
私たちを私たちだけでほうっておかないでください。
この世界は、
人類が歴史的な路程を歩みつつ
失敗した環境であることを知っています。
信仰だけでも駄目であり、
私たち自身だけでも駄目であることを知っています。
私たち自身を超越することができ、
私たちの生命の起源を探すことのできる、
宇宙的な理念と真理をもつことができるようにしてくださいますことを
お願い申し上げます。
私たちはまた真理をもつと同時に、
天が私たちに臨むことのできる基準を
立てなければならないということを知っていますので、
絶対的な信仰路程を通じ、
完全に分かる立場でお父様を「お父様」と呼ぶことのできる立場にまで
出ることができるようにお導きください。
イエス様は私たちに、
新郎と新婦の関係で主を求めなさいと語られました。
内的な面で事情に通じることができるのが心情であり、
内的な面で事情に通じることができるようにしてくれるのがみ言であるならば、
み言に通じることができるようにしてくださり、
そのみ言を通して真理と心情が分かるようにしてくださり、
心情的な理念を通して
神様のご心情を知ることができる立場にまで、
お父様、
私たちに因縁を結んでくださるようお許しください。
切にお願い申し上げます。
お父様!
今日私たちがこの上なく狭い環境に
とどまっていないよう許諾してくださり、
小さなことに偏ることによって、
自分の全体的な価値を失ってしまう
愚かな姿とならないよう許諾してください。
より大きなお父様の恩賜を欽慕しながら、
より大きなお父様の天的な人格を
仰ぎ見ることができるよう許諾してくださり、
その人格がまだこの地に、
ある姿として現れておらず、
また天が私たちを通して
そのような人格の表されることを願っておられるとするならば、
もう少し大きな信仰の基準をもち、
しかるべき真心と忠情をもって、
お父様のみ前に動じていくことができるよう許諾してくださり、
その責任を完遂できるようお導きくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
この時に、許諾なさろうとする最後の恩賜を下してくださり、
栄光のお父様の息子・娘として、
祭物的な生活を通して
永遠なるお父様の全体の信仰理念を、
今日の生活の理念として取り入れ
実践していくことによって、
全万民に対して誇ることのできる勝利の姿となることができるよう
お導きくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・九・八)
2-9 お父様! 私たちの中心となってください
お父様の深い愛の性相が、
私たちの心と体の上に臨まれるようにしてください。
お父様の懐に抱かれましたので、
愛なるお父様、
充満したあなたの生命に埋もれる愛の喜びを
この息子・娘にお下しください。
お父様のご心情を、
お父様の貴重さを体得できないとするならば、
私たちの正しくないすべての罪悪の因縁を
消すことができないということを知っていますので、
哀れみのお父様、
今このひととき、ただ
お父様のみ愛の中に浸れるよう許諾してくださり、
お父様の摂理のみ前に
精誠を尽くすことができるよう許諾してください。
お父様の主管なさることに私たちが順応して、
その本然のみ旨を「私」の心が体得することができ、
本然の心情を「私」の心に感じることができ、
地上に立てられた私たちの全体的な責任を
全うし残ることのできる愛する息子・娘となるよう
許諾してくださいますことを、
我がお父様、
切にお願い申し上げます。
今日まで険しい道を歩んできたときに、
悲しい事情があるときには
私たちより先に悲しまれたお父様であられ、
私たちが失望圏内で自ら嘆息するときにも
私たちのすべての罪を身代わりして反省され、
サタンが讒訴する場面で
身代わりして闘ってくださったお父様であられることを知っています。
このひととき、この体と心をすべて捧げ、
祭物としてお父様に供えたとしても、
今までご苦労されたお父様の恩賜の前に
報いる道がないということを、
心と体で感じるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
多くの人々の中で取るに足らない者たちを呼び立てられ、
数多い民族の中でこの民族を呼び立てられたお父様のみ前に、
おそれ多くも自分を立てて
誇る何ものももってはいません。
今、私たちの願うことは、
お父様が悲しまれるとき
共に悲しむことのできる私たちとなることであり、
お父様が喜ばれるときにも共に喜ぶことができ、
お父様が願われるとき、私たちの体と心が
み旨のために爆発することです。
お父様、お守りください。
お父様だけが中心となってくださり、
お父様だけが私たちの主人となってくださって、
私たちが地上で誇るものが何もなくても、
私たちの立っている立場が寂しい立場であり、
私たちの行く歩みが険しい道であることを知っていますので、
お父様、
引き受けて主管してください。
終わりの日の闘いで倒れたとしても、
「お父様」と呼ぶその一言の音声を通して
慰労をお受けください。
私たちはお父様の愛の勧告を受けて、
また闘いに出るべき、
誓い覚悟したあなたの息子・娘ですので、
お父様、
どうか私たちの体と心を
サタンに渡さないでください。
どうかお父様のみ愛の圏内に抱いてくださり、
願われる園を成して、万民が喜ぶことのできるそのひと日を
私たちを通して表すことができるよう、
お父様、
最後まで捕まえてお導きくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
今、私たちのすべてのものを差し出すとき、
お父様のみ旨の前に光となることができ、
お父様のみ旨の前に誇ることのできる中心として残されるよう
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・九・二二)
2-10 聖別の役事を許諾してください
お父様でなければ
私たちを慰労してくださることができず、
あなたの栄光を
私たちに許諾してくださることもできないということを知っている私たちが、
もしかすると、心に罪悪が染みわたり、
自分を主張することはないでしょうか?
自分を中心として動いたことが、
天倫を裏切る行動となった歴史的な事実を
私たちは知っていますので、
すべてのものをお父様のみ前に差し出し、
聖別の恩賜を受けることができるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
そうして、まず
私たちの心がお父様のお心に、
私たちの体がお父様のお体に発現するよう許諾してください。
お父様の動くご心情が
私たちの心情を身代わりし、
お父様が要求する欲望が
私たちの欲望を身代わりし、
願われるみ旨のために闘われるそのお心の中にも、
今日私たちの闘いの心が
共にあるよう許諾してくださって、
百戦不屈の精神で
ただお父様のみ旨一つだけを敬い仕えることができるよう
祝福してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
今まで生きてきた私たちの生は、世俗的なものでしたし、
間違った罪悪の中から抜け出すことができなかったことを知りましたので、
これからは私たちに、
時間と空間を超越した絶対的な価値を
求めるよう許諾してくださり、
一つの中心を通して
その価値を表そうとされるそのみ旨の前に、
自分のすべてのものを捧げることができるよう許諾してください。
また、そのみ旨の前に
私たちの心が和動することのできる相対基準を成して、
天の栄光をそれ自体で歌うことのできる楽しみをもつことができるよう
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・一〇・二〇)
2-11 サタンと闘い勝利する子女たちとなるようお導きください
罪悪に埋もれて生きている人間であるがゆえに、
すべてのものを自分を中心として推し量りやすく、
み旨ではないみ旨を立てて、
それがみ旨であるかのように動きやすい私たちであることを知っていますので、
お父様、
そのような私たちを完全に悟らせてください。
そうして、完全なる自分の中心を立てて、
お父様の永遠なる生命の道に
進んでいくことができるよう許諾してくださり、
ただお父様の願われるみ旨だけのために、
すべてのものを払いのけ、
サタンと闘っていくことのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
私たちは、まだ
無知な人間たちを導くことのできる生命の基準が
どこにあるのかが分からずにいますし、
ただ自分だけのために
心配し祈祷した時が多いことを知っていますので、
お父様、
このように不足なる私たちを悟らせてください。
私たちの正しい体と心が
原理法度に従って
最後の勝利の位置まで進んでいくことができるように
お導きくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
この時間も、サタンは
お父様が私たちに与えようとされる恩賜を遮るために、
あらゆる謀略と中傷で
渾沌とさせていることを知っていますので、
お父様、
そのようなすべてのものをかき分け、
サタンと闘っていくことのできる私たちとなることができるよう
お導きください。
ひいては勝利の垣根の圏内で
お父様と緊密な因縁を結んでいくことのできる
お父様の息子・娘となれるように許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
また、今日終わりの日を迎えるべき私たちに、
すべてのものを分別することのできる
新しい眼識をもつよう許諾してくださり、
私たち一個体を中心とする周囲のすべての環境が、
まさに自分の試験の対象であることが分かるよう許諾してください。
また、それらがサタン的な要素とならないよう許諾してください。
私たち一個体がそれらを踏んで立ち、
お父様の栄光を表すに不足のないよう、
お父様、
私たちをお導きくださり、保護してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様の栄光を表すことのできる
勝利のひと日を探し立てるために、
新しい覚悟と決心をもち、
サタンに対して闘うことのできる力と能力を
心と体にもつことができるよう
この時間に許諾してくださり、
お父様の無限なる愛のみ手が
この地の万民の上に、
この国、この民族の上に現れますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・一一・一)
2-12 お父様の心と体と一つにならせてください
お父様の心とアダムの心がーつとなり、
お父様のみ旨とアダムのみ旨が一つとなっていたならば、
今日二つの世界が互いに争う悲しい歴史は
なかったことを知っています。
今日、私たちの心には
お父様の悲痛なる心ともの悲しい心がございます。
本心はこれを認めていますが、
自分を中心とする堕落性だけは
これを違うと否定しています。
いつもこのような本心と邪心の闘いに置かれている
私たちであることを知っていますので、
今日私たちが自ら自身の心を収拾して
お父様のお心と一つになるよう
許諾してください。
私たち自身の志を収拾して、
お父様のみ旨と一つになるようにすべき
闘いの時機が近づいていますので、
お父様、
お父様と一つになれない心があるとするならば、
受け入れてください。
自分のすべてを忘れ、
ただお父様のお心とお父様のみ旨と一つになるために
努力する私たちとなるよう許諾してください。
お父様のお心と一つになったその心は、
億千万金を与えても替えられない心であることを知っていますので、
すべてのものを犠牲にしても
その一つを探すために
闘いゆくことができ、
守りゆくことができる私たちとなるようお導きくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
今の時はこの上なく困難な時で、
またサタンが
私たちの一つになろうとする心を遮っていますので、
お父様のみ旨を成すために、
他のために自分を犠牲にする新しい条件を
立てられるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様のみ旨を見つめながら闘うことができ、
お父様のみ旨の栄光を広めることができる摂理歴史を
全うするよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
私たちの心と志が
お父様の祭壇の前に一つになった姿として願うのも、
同じお父様の因縁の条件物としてお立てくださり、
サタンを屈伏させる条件となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・一一・一〇)
2-13 混乱の中でも真の道を探し出すようにしてください
今この時は、
二千年前イスラエル民族が混乱していたその時と同じ時であり、
メシヤが来られなければならない時でございます。
このような時に私たちが置かれていて、
本物がどれか
偽物がどれかを分別することが難しい時に
私たちが置かれていることを知るものでございます。
今までは
過去の歴史過程で苦労した多くの師がいて、
また多くの指導者たちに侍っていましたが、
今日、私たちは
頼るべき心の中心を失ってしまっています。
今日の人間たちが混乱した生活環境に置かれていることを、
お父様はご存じであられると思いますので、
お父様!
私たちの生活を収拾し、
私たちの心を収拾し、
私たちの理念を収拾して、
天性の前に頼って生きることのできる幸福な時間をもつよう
お許しください。
今日、
このように混乱した世の中に住んでいる私たち、
私たちの心と体が広めていくべき理念を、
私たちの生活で体でもって証すことができ、
私たちの心で感謝することができるようにしてください。
そうして、
お父様の願われる息子・娘だとほめたたえられ、
復帰の使命を完遂した息子・娘だという祝福を
受けることができるようお許しくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様!
お父様が私たちの心を監察してください。
私たちの心は、どこの誰よりも
私たちの行く道をよりよく知っています。
私たちの心は
本然の真なる道を行くことを願っていますので、
お父様、
私たちの心の願いを成してくれ得る
真理と宗教を許諾してくださって、
救援摂理のみ旨を成すことができるよう
お導きください。
数多くの教派に分かれて
全宗教界が混乱していますので、
お父様、
哀れにお思いください。
ここではどのような教団も、どのような集団も、どのような教派も
問題ではないことを知っていますので、
お父様が認めることのできる(私たちの)内的な心情、
お父様のお心を体得することのできる
切実な心情をもっていくことが真理の要点であり、
真理のすべてであるということを
私たちが分かるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
今、逆境にぶつかったとしても、
お父様のみ旨を成すべき時が私たちの前に近づきました。
そうですので、その逆境を越えて
お父様の栄光を仰ぎ見る自分の心と体を
備えることができるよう許諾してください。
そうして、
一人ででも逆境を勝ち抜いて
お父様のご心情を心配しながら、人知れぬ隠れた祭壇を積み重ね、
お父様のお心に似るために、
お父様のご心情を体得するために、
すべてのものを捧げることのできる、
あなたの息子・娘となるようお導きくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・五・一八)
2-14 心の扉を開いてお父様の実存を感じるようにしてください
お父様!
多くの人々が
行くべき方向を知らないながらも、
あなたを探すために、
この上なくもの悲しい歴史路程をあえぎながら歩んできたことを
私たちはよく知っています。
おられるようでありながら、
おられないようなお父様の実存、
歴史と共に生きておられるようでありながら、
はっきり存在されるという認識をもつことができないお父様
私たちの心と共に一緒におられるようでありながら、
実体的な存在として規定することのできないお父様を、
私たちはとても悲しい心で見つめています。
善の理念で万宇宙を造られ、
人間に真の良心を下さり、
知・情・意の感情を通して、
その善の理念を体得することのできる驚くべき祝福を与えてくださったことを
私たちはよく知っています。
そうですが、
お父様の実在性は、
あるひとときの時間的な限界内でのみ感じられるという事実を、
否定することができないことも
私たちはよく知っています。
私たちの心に尋ねきてくださるお父様の性相が恋しくなるたびに、
私たちは自分も知らないもの悲しさに
とらわれざるを得ません。
悲惨な自我の姿を置き、嘆息せざるを得ません。
このような境地に導いてくださるお父様、
それは私たちの生命を、永遠なる生命に導いてくださるための
お父様の歴史的な心的な作用であることを知っています。
歴史の背後で、
歴史を一つの実体的な理念として構成するために、
そのご心情とお心を通して尋ねてくださった
お父様を知ることを願い、
お父様のお心を、
私たちの生活の理念と生の理念として立てることを
切に待ち焦がれています。
しかし、
お父様の実存の価値をはっきりと知らないことによって、
私たちの生活の価値も分からず、
私たちの生の価値も分からないまま、
きょうもあすもあえぐべき悲惨な立場に置かれていますので、
死亡線上で彷徨している今日の私たちの個人個人を
哀れにお思いください。
今、お父様!
愛のみ手を
広げてくださらなければならない時になったと思うものでございます。
そのみ愛の波が、
私たちの周囲環境と
私たちの心情の世界にまで至らなければなりませんし、
ひとり主導的な権限をもっておられる
そのお父様のご心情の権限を、
私たちが回復すべき時であると思うものでございます。
心を中心として闘うべき時機が
来たと思いますので、
今、閉ざされた心の扉を開けることのできる雅量をもった者たちとなるよう
許諾してください。
今、体をかがめてお父様のみ前に
敬拝を捧げることのできる準備を備えた息子・娘と
ならなければならない時となりましたので、
私たちの心の扉をたたくお父様のみ声を
聞くことができるよう許諾してくださり、
私たちの前に顕現されるお父様のみ手を
望むことのできる私たちとなるよう、許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一・一八)
2-15 お父様! 私たちを哀れにお思いください
お父様!
私たちを哀れにお思いください。
お父様の恩賜がなければ
死ぬしかない哀れな私たちでございます。
お父様、
私たちを捨てておかないで、
あなたの大きなみ愛の懐に抱いてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
今まで
苦労の道も、
難しいと思わずについてきたあなたの息子・娘たち、
あなたの愛がなければ彷徨するしかありませんので、
哀れにお思いくださり、
あなたの大きな愛で抱いてくださって、
あなたの許諾なさる栄光の恩賜を
体得できるようにしてください。
人間を中心としたすべてのものには終わりがありますが、
お父様を中心として動くすべてのものは
永遠に継続することを知っていますので、
人間を中心としたすべてのものを除去してくださり、
ただあなたを中心としたものだけが
私たちの心の園から現れるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様を尋ねさまよう切なる心があればあるほど、
あなたの性相を慕えば慕うほど、
あなたの心のみ前に近づくことを願えば願うほど、
お父様の大きなみ愛は、
私たちが知ることのできない間に共におられるという事実を、
私たちは忘れてしまう時が多くございます。
お父様は私たちが忙しい時や急ぐ時を問わず、
いつも私たちと共におられるという事実を
忘れないよう許諾してくださり、
いつも私たちと共に同居されているという事実を
忘れないよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちを哀れにお思いください。
私たちの生命に責任をもってくださり、
望みに責任をもってください。
あなたの望みを私たちに許諾してくださったとするならば、
その望みの園を占有する時まで、
お父様と共に闘いゆくことのできる力を
私たちに許諾してくださり、
怨讐との闘いで
疲れないよう保護してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
死亡の世界をかき分けてくる間に、
私たちの手足は傷を負いましたので、
お父様、
この時間に抱いてくださって、私たちの手をつかんでくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様が私たちを知らないと言われるならば、
私たちほどかわいそうな者はいないと思いますので、
お父様、
私たちを捕まえて、慰労してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様の命令がなくては、
生命さえも放棄することのできない私たち、
真の道だと言われるがゆえに、
お言い付けになる命令をお受けしてきましたので、
お父様、
お捨てにならず、この時間に抱いてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちを哀れにお思いください。
すべてのことがお父様でなければならず、
お父様のみ旨でなければならず、
お父様の役事でなければならないということを、
私たちが骨身に染みて感じるようにしてください。
お残しになったその事業、
お残しになったそのみ旨、
お残しになったその願いを一身に携え、
最後まで闘って
お父様の息子・娘のりりしい姿を
表せるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・三・二二)
2-16 愛のみ手で私たちを尋ねてください
聖なる日を迎えて、
お父様のみ前に出て頭を下げましたので、
愛なるお父様、
哀れみのお父様、
寛容のお父様、
私たちを受け入れてください。
私たちの心は
お父様のお心に似たいし、
私たちの体は
お父様の形状に似たいのでございます。
分からなくてそのことを成せなかった私たちでございますので、
心で分からせてくださり、
体で体得させてくださって、
あなたの性相を模範とした姿で、
お父様のみ前にひれ伏すことができることを切にお願い申し上げます。
お父様のみ旨の前に
適切でない息子・娘がいるならば、
親しく尋ねてくださって訓戒してください。
耳が遠く、目が弱くて
あなたのみ言を聞くことができず、
あなたのお姿を眺めることのできない私たちを、
再び聞こえるようにすべき、
再び見えるようにすべきあなたが、
私たち以上に悲しいし、
私たち以上に切ないし、
私たち以上にもどかしいということを、
心と体で体得するようにしてください。
お父様は私たちに対して
数千万遍手振りをなさいましたが、
そこに反応できなかった私たちであり、
数万遍お呼びになりましたが、
聞けなかった私たちですので、
どうしてお父様のみ前に立つ面目があるでしょうか?
それでも「来い」と言われるあなたのみ声を聞き、
それでもみ手を振ってお呼びになるあなたがおられることを知り、
ひれ伏した者でございます。
哀れな者の中でも哀れな者であり、
頼る所のない者の中でも頼る所のない者たちであることを、
お父様がご存じであられると信じますので、
醜い者たちでございますが、私たちを尋ねてくださいまして、
愛のみ手で捕らえてくださらなければなりません。
私たちの目が弱く、私たちの体が傷を負って、
生命の本体を知ることのできない立場にいるとしても、
お父様、
愛で親しく抱いてください。
疲れたみ足をお止めになり、
傷ついたお心を喜びの心に入れ替えられ、
私たちを慰労してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
悲しみを残していながらも、
お父様に再び悲しみを感じさせるのは、
堕落した世の中であるからだということを知っています。
サタンが私たちの行く道を遮っていて、
死亡の権勢をもって
世の中を襲っているということをご存じであられるがゆえに、
私たちに責任をお任せにならず、
一人で責任を負って怨讐に対して闘ってこられたお父様、
そうなさったお父様を敬う心が大きければ大きいほど、
私たちの罪と私たちの過ちを
許したいお心が大きくなられることを知っていますので、
そのご心情を通して
もう一度私たちを尋ねてください。
お父様、
切にお願い申し上げます。
罪人となったことを悔いて涙し、
悔しい心情で涙を流し、
切なる心情で悔い改める心をもつようになるとき、
お父様は六千年間受け入れてくださり、
きょうこの時間も
哀れみのご心情で対そうとなさるということを知っていますので、
泣いている私たちの心の扉をたたいてください。
罪悪に徹した今までのすべての主義主張と観念を
除去してくださいまして、
私たちの心と体で
お父様の生命を感じるようにしてください。
今まで感じることのできなかった天の愛の恩賜、
天の愛のご心情、
天の切なる曲折のご心情を体得し、
私たちがお父様を「お父様」と呼ぶことができ、
お父様が私たちを
「息子・娘」と呼ぶことのできる因縁が結ばれる
この時間となるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました,アーメン。
(一九五九・四・一九)
2-17 新しい衝撃の中で新しい出発をさせてください
お父様!
私たちが新しいことを考えようとするとき、
今までの動きが継続する立場では
考えることさえできないということを知りましたし、
歴史の流れを停止させておき、
自分を考えることのできる瞬間をもつ前には、
目覚めようとしても目覚めることができないことを知りました。
眠っているこの一つの姿は、
新しい衝撃を受けなくては
目覚められないということを知っていますので、
お父様、
私たちに歴史的な因縁を脱することのできる新しい衝撃を
連続的に加えてください。
刺激的な心がないとするなら、
目覚めることができないということを知りましたので、
そのような心を求めて
欽慕することのできる存在とならなければなりません。
お父様は時代時代ごとに、
目覚めさせてあげ得る責任者たちを送ってくださいました。
お父様が堕落した人間を眺め、悲しまれる
あなたのご心情をつかんで生きて死ぬようにされたので、
ノアがそのように生きて死に、
モーセも、
イエス様もそうしたのでございます。
お父様!
私たちの心の本質に
新しい感覚を与える衝撃を加えてくださり
私たちの一身を越えて
お父様の悲しみを体得し、
死亡世界に巻き込まれ入っていく民族を
心配できる心をお与えください。
このような心をもった者がいるとするならば、
彼は民族的な解放を受けられる者であり、
さらに、
世界をつかんで心配する心をもつ者がいるとするならば、
彼は世界的な解放の恩賜を受ける者であり、
さらに、
天宙的な解放を心配して泣くことができる者がいるとするならば、
彼は歴史と共に滅びず
新しい歴史世界に残される人物であることを知りましたので、
きょう自分の感情をさらけ出して
自分を捕まえ、泣く者とならないようにしてください。
全体が願う善を行い、
私たちを眺められるお父様の切なるご心情を
身代わりすることのできる私たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
私たちがついてこないのではないかと気をもまれたそのお心、
人間が堕落するのではないかと気をもまれたお父様のお心を
身代わりすることができるようにしてくださり、
ついてくる者が落ちはしないかと心配され、
また落ちた者たちが倒れて死にはしないかと心配された
お父様のお心を模範として、
民族を眺めることができ、
世界を眺めることができるようにしてください。
お父様を見つめながら
「お父様! 私がいますので、
お父様のご心情を私が引き受けましたので、
ご安心ください」と言うことのできる息子・娘がいるとするならば、
このような姿を通して
歴史は新しい方向に流れるということを知っています。
そのような方向に出発すべき私たち、
眠りから覚めるべき私たち、
歴史的な悲運の叫び声が上がるに従って、
心深く新しい決心と覚悟と誓いをし、
新しい方向に向かって出発できる万般の準備を整え、
いで立つことのできる者たちに皆がなるようにしてください。
天が目を覚ましておられるのと同じように目を覚ましていて、
天倫と共に、
歴史と共に
悲しみ、喜ぶことのできる私たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・四・一九)
2-18 お父様! 哀れにお思いください
哀れみのお父様!
愛なるお父様!
哀れな者たちをそのままほうっておけば、
死亡の陰のもとから
永遠に抜け出すことのできない者たちとなります。
このような立場にある私たちが、優れたものの何があって
お父様のみ前に「よし」と言っていで立つことができ、
私たちの持ったものに何があって
お父様のみ前に私自身を弁明できるでしょうか?
何もございません。
あると言えるものは不足なものばかりであり、
感じるのはおそれ多い心だけでございますので、
お父様の慈しみ深さと慈悲深さと
哀れみ深さを願う死亡の群れを、
お父様、
哀れにお思いください。
私たちすべてが、天に向かって
お父様のみ手が現れることを待ち焦がれていますので、
哀れにお思いくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
摂理の時は終わりの日をせき立てて、
死亡の波は私たちの周囲を襲い、
私たちの個体をすっかりのみ込もうとしています。
私たちが混乱した環境に置かれていることをご存じのお父様が、
私たちのために心配なさるご心情がこの地上に残り、
ご苦労された跡が残っていることを知るものでございます。
このようなことをご覧になるお父様のお心が、
言うに言えないほど焦っていらっしゃるということが分かりますが
お父様、
この時間この者たちを哀れにお思いになり、お導きくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
寂しい心情をもっているならこの時間に打ち明け、
お父様のご心情に替えてもたなければなりませんし、
悲しく言うに言えないほど歯がゆい心情をもっているならば、
お父様の喜びと生命の心情に替えてもつべき
哀れな立場に置かれている私たちでございます。
これをご存じのお父様、
お父様の困難な立場を
身代わりして担当し、和らげてさしあげるべき私たちであるにもかかわらず、
むしろ私たちの困難な事情をお任せし、
お父様に再び力を求めなければならない
堕落圏内にいることを受け入れてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちの心情と心情が通じることのできるよう許諾してくださり、
死亡圏内であえいでいた私たちが、
互いに何の関係もなく因縁もなかった私たちが、
一家族という名目をもって集まり、
お父様の天的な摂理の理念を欽慕して集まりましたので、
お父様、
哀れにお思いになり、尋ねてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
その誰がお父様のみ前に自信をもつことができるでしょうか?
お父様が自信があると言われるので、
私たちも自信をもつことを願いましたし、
お父様が「こうだ」と言われるので、
そのように感じるよう願いましたので、
ここに間違ったことがあるならば、
お父様、
受け入れてくださり、
親しく主管してくださいますことを切にお願い申し上げます。
悲しい事情に置かれていても、
人間に対して
その事情を吐露できる環境をもつことができず、
寂しい立場に置かれても、
その心情を打ち明けられる家族たちをもつことができなかった
あなたの息子・娘たちを、哀れにお思いくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様のご心情に連なる世界では、
時間と空間の距離を超越して動ずることを知っていますので、
この時間も同じ心情に連なって、
天のお心が動ずれば
私たちの心も動ずるようにしてください。
一律的な恩賜のみ手によって感激させてくださり、
お父様のご心情に再び縛りつけてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・六・七)
2-19 温柔謙遜なる心をもたせてください
お父様は、
私たちが申し上げる前に、私たちの心情をご存じでございます。
天が
私たちのすべてを注目しておられる時間であることを、
私たちが感じるよう許諾してください。
苦労なる歴史過程を経られたお父様!
きょう私たちの目前に現れてくださって、
新しいみ言で装わせてください。
新しいご心情で私たちに対してください。
忠実でないすべてのものを一掃してしまい、
幼子のような心で
私たちのすべてをお父様のみ前に捧げようと思うものでございます。
この世に染まった一切の意識や主義や観念を
お父様のみ前に差し出し、
幼子のような心、
温柔で謙遜なる心をもつようにしてください。
お父様がお造りになったとおりに、
再び造られ得る謙遜なる心を備え、
お父様のみ前に捧げようと思いますので、お受け取りください。
三位神が運行してください。
天軍、天使が擁護する中に
歓喜の心情で敬拝を捧げるこの場が、
全体の生命を勝利に導くことのできる、
一つの福の機関的な祭壇になるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
すべてのことをお任せ申し上げました。
私たちのもったすべての主義と心情を、
お父様のみ前に打ち明けさせてください。
そうして、私たちのすべてが
お父様のものとして替えられるようにしてくださいますことを願いながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・七・五)
2-20 悲惨な立場に置かれている自分であることを悟らせてください
お父様!
この地上に住んでいる数多くの人々は、
死亡の位置にいながらも、自分自体を主張して
宇宙の前に誇るために忙しくしている実情を、
私たちは見ています。
このような世の中で、果たして
自分を誇ることができるでしょうか?
自分の価値を高く評価できるでしょうか?
心情をたどって黙々と推し量ってみるとき、
偽りの立場に置かれている自分たちであることを
否認することができなくなります。
お父様!
きょう私たちの心が
何を慕っていて、
何に向かって高まろうとしているのでございましょうか?
今、私たちの心が私たちのものになることができず、
私たちの体が私たちのものになることができずにいるということを
知るべき時であり、
自己自体を立てて
誇ることのできない悲惨なる立場に置かれていることを
認識すべき時となりました。
私たちの心と体の価値に対する最後の決定は、
私たちがすることができず、
現れた現象の過程を経て、目的地まで
私たち自身を導いていくことのできない悲惨な自我であることを
感じられるようにしてください。
私たちに生命があるとするならば、
それは私たちによるものではなく、
ある理念があって私たちの心を
善の方向に導いてくれるとするならば、
それもやはり私たちのものではない、その何かに
由来しているという事実を感じるようにしてください。
お父様!
きょうは、自分たちを立てて弁明することにきゅうきゅうとした姿と、
自分自体を目立たせ高めようとした自慢する心を捨て、
自我を征服できる
一人の勝利者を求めているという事実を、
私たちが分かるようにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・七・一九)
2-21 実証的な感じをもてるようにしてください
私たちは
み言のお父様を信じたいのではなく、
歴史的な因縁を結んでこられたお父様を信じたいのです。
今日の私たちと直接的な関係、
直接的な因縁を結ぶことのできるお父様、
直接的にみ言を下さることのできるお父様を要求しているものです。
今日、人類は
神様を対象的な存在として信じていますが、
きょう私たちは、
そのような信仰の対象として追求する神様であることを
要求してはいません。
生活的で実証的な主体としておられる、その神様を
願っていますし、
私たちの事情と生活のすべての事実と通ずることができ、
分かれようとしても分かれることができず、
時間時間を共にすることのできるお父様を待ち焦がれています。
このような因縁が地上に成されるひとときは、
人類が願う時間であると同時に
神様が願われる時間です。
今日、私たちは
お父様が願われる願いの園が、
観念的に、ある理想の園だろうと思っていましたが、
実情はそうではありませんでした。
私たちの心から染み込んできて、
実践を通して感じられ、
現実の自分自体を通して感じることができ、
私たちの感情を通して歌うことのできる、
そのような天国観念をもたなければならない時になったという事実を
知っています。
そのような関係とそのような因縁を結ぶためにあるのが
救援摂理の目的であり、
復帰歴史の目的であり、
十字架の救いの目的であったということを、
私たちは知っています。
そうですので、
きょう私たちが本当のお父様だと言うことができ、
本当の息子・娘だと自ら認定し、自ら決定しても
恥ずかしさを感じない位置で歌うことができ、
楽しむことができ、
み言を聞くことができるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・八・三〇)
2-22 保護のみ手と慰安の土台を許諾してください
お父様!
この時間をあなたが格別に記憶してください。
数多くの人間たちに祝福をしてくださり、
その中でもあなたのみ名を呼ぶ数多くの教団の上に
祝福をしてください。
その上に、あなたのご心情をつかみ、追われている者たちを
祝福してくださり、
血と汗と涙を意に介さず、
天の生きた祭物として捧げられるために、
すべてのものを捨てて立った者たちの上に
祝福をしてください。
あなたが彼らと共にいてくださることを信じ、
彼らと共に闘ってくださることを信じるものです。
お父様!
私たちの心はどこの誰よりも、
どの民族よりも、
どのような信者よりももっとあなたのために生きたいし、
侍りたいし、
あなたのひざ元で
あなたと共にすべての闘いをやり遂げたいのです。
数多くの民族の中から呼んでくださったこの民族でしたし、
数多くの信徒の中から呼んでくださった息子・娘ですので、
この者たちの心を頼もしくご覧になり、
尋ねてくださいますことをあえてお願い申し上げます。
「来い」とおっしゃるあなたの命令を私たちが知りましたし、
「この道を開拓しなさい」と
何度も私たちを追い立てられるみ意も知りました。
失望したとき勧告してくださり、
悲しい立場にいるとき「私がここにいる」とおっしゃって
慰労してくださったあなたであったことを知りました。
過去もそうであり、
この時間もそうであり、
あすもそうだということを知っています。
楽な立場ではあなたと因縁を結ぶことができず、
平坦な道ではあなたに出会うことができないことを知りました。
これはいまだにあなたが
楽な立場におられないからであり、
平坦な道を行くことができないからであることを知るものです。
お父様の悲しみを自分の悲しみとして事に当たろうとし、
お父様の苦痛の道を身代わりして歩もうとする者にこそ、
あなたが親しく対することができ、
自然な心情の足場で、
あなたのご事情を解放し吐露することができるということを
私たちは学び、悟り、体験しました。
また、これが一番貴いということを知りました。
寂しい道を行かれるあなたの歩みに従う者たちも、
寂しい者たちです。
あなたがそうなさるゆえ、
そのような立場にいる者たちを世話するために
昼夜を意に介されないということを知っていますので、
この時間も同じ事情と同じ心情と同じ望みをもち、
一つのみ旨のために団結しているあなたの息子・娘の上に
親しく保護のみ手を広げてくださり、
同じ恩賜をもって
慰安の土台に移してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六〇・一一・六)
2-23 過ぎし日の過誤を受け入れてください
お父様!
あなたが堕落した人間をお捨てにならず、
再び捜し立てるために、六千年の間ご苦労された実績と
哀れみのご心情があったことを知っていますので、
私たちは
あなたのみ前にひれ伏す心をもってまいりました。
お父様が私たちをお捨てになることのできないお心
私たちを捜し歩かなければならない
切なるご心情をもっておられることを知り、
このように私たちは、きょうあなたのみ前に出て
あなたを「お父様」と呼んでいます。
受け入れてください。
私たちは、
心情が通じることのできる永遠なる息子・娘を願われた、
お父様のそのご心情の前に不足ではありますが、
心だけはお父様を慕っているということを
記憶してください。
あなたの性相に対したい、切なる本然の心情が
私たちの心にあることをご覧になって、
哀れにお思いくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
あなたの聖なる創造本然の世界を慕うべきこの位置が
悲しい位置となり、
また、あなたのみ前に面目を表すことのできない不足な自我であることを、
ありのままに告げざるを得ない位置になりましたことを、
この上なく嘆かわしく思わざるを得ません。
今、歴史の背後にあるすべての痕跡を推し量ってみるときに、
私たちは悲しみの実体であり、お父様のみ前に
勝手に行動した哀れな存在であったことを知りました。
あるひととき、あなたのご心情の前に栄光の対象体として現れ、
万宇宙を身代わりして
お父様の栄光をほめたたえることのできる先祖の後孫となれなかったことを、
私たちは心痛く思わざるを得ません。
先祖たちの罪を受け入れてくださり、
現在の人類の不祥事を受け入れてくださり、
後孫たちの前に永遠なる福地の基盤を立ててあげるべき使命が
分からないことを、受け入れてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様は今まで苦労してこられました。
今、私たちは原理を通して
私たちのお父様は悲しいお父様であり、
私たちのみ旨は悲しいみ旨であり、
私たちの歴史は悔しい歴史であり、
私たちの生活はサタンの侵犯を受ける生活であることを知りました。
このようにいまだに
恨み多い生活環境の中で
身もだえする私たちであることを思うとき、
お父様のみ前に立つ面目がありません。
サタンの権限がこの地に残っていて、
不義の環境がこの地に残っていて、
悪の主権が全天宙を主管して
天の悲しみをせき立てている現実を眺めているこのときに、
天を尋ねていく私たち、
お父様の願いをほめたたえて
お父様のみ名を呼んでいる私たち、
当分の足らなさを感じて
あなたのみ前に哀訴しなければならない立場にいる私たちを、
より一層哀れにお思いください。
お父様のお力がなく、お父様のご保護がなければ、
今日この悪なる地上に自分の実体を残すことができず、
摂理のみ旨の前に
何も残すことのできない不足なる自分たちです。
このような自分たちであることを、
現れた事実で推し量ってみて、私たち自身も如実に知っていますので、
もう一度哀れみのお心を加えて
記憶してください。
私たちの不信を責めてくださり
忠孝の道に対し得るよう勧告してくださり、
私たちの不完全さを補ってくださって
完全に近づいていくことのできる力を加えてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六三・五・二二)
2-24 お父様のみ前に不憫な私たちであることを感じさせてください
慈悲深いお父様!
あなたの望みと志されることを、
天と地の上に成せてください。
数多くの人間たちが、お父様の懐を離れて
今まで不孝を続けていますし、
きょうもその環境から脱することができないまま、
死亡の谷間で呻吟しているのを毎日のように見て、
悲しみを感じる環境に私たちが置かれていることを思うとき、
お父様のみ前に不憫であり、何とも言うことのできない自分であることを
自覚させてください。
お父様!
あなたは数多くの人類を抱かれて、
あなたの子女だと命名することのできる喜びのひと日を目標として
今まで摂理してこられましたが、
今日この地上には、
あなたのみ愛に対し得る子女たちがこの上なく少なく、
あなたのみ前に忠誠を尽くして
あなたの復帰摂理全体を相続できる者がいません。
このようなことを考えるとき、
きょうもお父様の悲しい路程が
私たちの前に残っているということを悟るものです。
そうですのでこの時間、
私たちが再び自責して出なければならない自分たちであることを
発見するようにしてください。
悪なる悲惨な世の中、
荒廃したこの地上で、
お父様の摂理のみ旨を、新しい方向を経由して、
お父様が意図されるその世界に必ず導き出すことが、
お父様の望みであると同時に、
地上に住んでいる全人類の望みであることを知っています。
お父様とこの地上の全人類が
一つとなることのできる基準を模索せずには、
この全体のみ旨と使命を
完結することができないということも知っています。
お父様が今日私たちを立てて、
この民族の前に新しい宗教の道を開拓させ、
世界路程の前に新しい歴史的な面を提示して、
人生の過去と現在と未来を連結させるために、
平面図上の世界的なすべての蕩減条件を
立てようとなさるあなたのお骨折りとご苦労の前に、
体をかがめて心苦しさを感じることのできる
私たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六五・一〇・一七)
2-25 過ぎし日の過ちを悟らせてください
万宇宙を造られたお父様!
あなたの栄光をすべての万物と分かち合うことのできるそのひと日を、
あなたはどれほど切に願われたかを、
この時間に私たちが心深く悟るようにしてください。
アダムとエバを創造され、彼らをお父様の懐で育て、
永遠なる愛の生活をさせることによって
人類の福地を建設しようとされ、
育っていくアダムとエバを通して
喜びを享受しようとなさったお父様であることを、
再び悟るものです。
そのような切なる願いをもたれたお父様が、
アダムとエバを失ってしまわれ、
悲しみのひと日を迎えるようになったという事実を、
私たちがこの時間に、もう一度悟らなければなりません。
お父様!
この地には国々も多く、民族もたくさんあります。
それらは過ぎし日、それぞれ歴史を異にし、
現実の生活環境を異にし、望みも異にしています。
これは本来、お父様が経綸なさったみ旨と相反したものであることを
再び考えてみるときに、
歴史の違うことがお父様の恨みであり、
環境の違うことがお父様の恨みであり、
望みの違うことがお父様の恨みであることが分かるものです。
このようなことを考えるときに、
お父様、
これが堕落の報いであることを知っています。
過去がお父様によらなければならず、
現在がお父様によらなければならず、
未来がお父様の理念と因縁を結ばなければならないのに、
今日人類は一つの因縁をもつことができず、
一つの生活的環境と一つの理念的な土台をもつことができず、
悲惨な現実に置かれています。
このような混乱した立場で、
方向が逆になった立場で、
自己の位置が互いに相反するそのような立場で生きている
全人類の呻吟の声とすさまじい泣き叫びを、
私たちがもう一度心で聞くことができるようにしてくださり、
お父様のご心情と共に考えることができ、
お父様のご心情を感じて
過ぎし日の過ちを悟ることができるようにしてください。
お父様!
真に悔い改めの涙を流し、
この人類が幸福なる望みをもつことができるようにしてくださいと
哀願するあなたの息子・娘がいなければなりません。
しかし、そうできなかったことを感じれば感じるほど、
お父様のみ前に頭を上げることができません。
今日、数多くの宗教と数多くの教団が
一つの目的に向かっていっていますが、
あなたがお行きになるべきその悲しい道を置いて、
人類が受けるべき悲惨な審判の悲しみを置いて、
お父様のみ前に謙遜にひれ伏して
涙する群れが多くないことを知るものです。
きょうここに集ったこのかわいそうな群れは、
悲しみの道を連ねてきました。
あなたがお命じになった命令を抱き、この日まで闘ってきて、
疲れた歩みを引きずり、
きょうこの場に残ったあなたの息子・娘ですので
記憶してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六六・一・二)
2-26 心が宿る本然の立場を慕うようにしてください
あの遠くに歴史的な終末が
私たちを呼んでいることを私たちは知らずにいましたし、
お父様が私たちを高らかにお立てになり、
私たちの行くべき道をせき立てておられるということも知らずにいました。
お父様!
このように無知な私たちがわき道に行くたびに、
前に導いてくださって、
歴史の終末期である今日まで導いてこられるために、
どれほど多くのご苦労をなさったかを
再び感じるものです。
お父様!
私たちの心はどこに宿ろうとするでしょうか?
また私たちの体はどこにとどまろうとするでしょうか?
私たちの心と体が宿るべきところは、
本然の深いお父様の愛の中心だということを知りましたので、
その位置まで行くことのできない多くの子女たちを、
お父様、
激励してください。
お父様の愛がないならば、
私たちは安息することができず、
お父様の愛がないならば、
私たちはお父様のご心情を感じることができませんので、
欠乏した私たちの心に
お父様の愛の波を注いでくださり、
再生の恩賜を呼び起こしてください。
私たちがその立場を慕うときには、
目が冷たく感じるまで慕わなければならず、
その立場を思慕するときには、
心が痛くなるまで思慕しなければなりません。
またその立場を探し出すためには
苛酷な闘争をしなければならず、
千遍万遍滅び倒れて敗者の悲しみに当面したとしても、
また再起して
闘いゆかなければならないのが、私たちの義務であることを知っていますので、
お父様、
私たちの心と体を親しく指揮してくださって、
この闘いから敗北者とならないようにしてください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六七・五・二八)
2-27 私たちはお父様が慕わしいのです
あなたが行けと言われる道が
いくら険しいとしても、
私たちは
ついてきた歩みを見失わないことをお誓い申し上げます。
この道で当面する迫害が
いくら死の行き交うものだとしても、
私たちは
既に生きた祭物になろうと捧げた者たちですので、
安らかに祭物として消えるようお許しください。
あなたがこの死亡世界の中で、
あなたの懐に因縁づけることのできる生命の土台が立てられることを
願われるということを(私たちは)知りました。
私たちが必ず
その生命の土台を立てます。
お父様!
私たちはお父様をお慕い申し上げます。
無尽蔵にお慕い申し上げます。
お父様と共にとこしえに暮らしたいし、
お父様と共に議論し、
お父様の命ずるみ言に侍りながら暮らしたいのです。
これが私たちの願いです。
人類が堕落したその日から、私たちの存在は
どの一日も、お父様の愛の懐に
抱かれてみることなく生きてきました。
人類が今日まで恨みの峠、峠で、
一日一日悲惨な涙の歴史をつづってきたことを
私たちは知っていますので、
このような歴史を再び捜し、
望みの基準を復帰なさろうというご心情を携え
私たちを尋ねてこられるお父様を、捕まえ、
苦楽を共にすることのできる真の息子・娘となるようにしてください。
切にお願い申し上げます。
お父様!
この場を炎のような目でご覧になって、
死亡と罪悪の苦い根が
私たちの心深くに残ることがないようにしてください。
炎のような目でご覧になって、
私たちがきょうこの時間、すべての罪悪の根を引き抜き
お父様のみ前に帰一するようにしてくださり、
謙遜にひれ伏しましたので運行なさってください。
切にお願い申し上げます。
数多くの民族を身代わりして
この民族が愛を受けなければなりませんし、
数多くの氏族のために
お父様が下さった使命を私たちが果たさなければなりません。
任せてくださった責任を果たす中で、
最後の闘いに残る勇士となって、
勝利の凱歌をお父様のみ前に帰し奉り、
最後の栄光の場に
入ることのできる群れとならなければならないので、
お父様が直接同行し
主管してくださり、命じてくださり、統率してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・三・三一)
2-28 お父様を慕う心をもたせてください
お父様!
私たちは幼子にならなければなりません。
おなかがすけば、「おなかがすいた」と
お父様のみ前にねだる幼子にならなければなりません。
幼子にはお母さんを欽慕する
性急さがあります。
その幼子は天真爛漫です。
育てれば育てるほど、
大切に抱き、培えば培うほど、
父母の基準に従って育ちます。
お父様!
ここに集まったあなたの子女たちを
重ねて記憶してください。
千態万象の事情を抱いてきたこの者たちが、
その事情を全部打ち明ければ、
お父様が動じずにいられないことを知っていますので、
すべてを打ち明け、
飢えた幼子がお母さんの乳を欽慕するように、恋しがるように、
お父様を慕う心をもつようにしてください。
ここで誰が師となれるでしょうか?
この者たちは人間の言葉を願っていません。
今まで多くの言葉を聞いてみましたし、
多くの教会に通ってみましたし、
多くの人に会ってみました。
しかし、その中に生命の蜜がなく、
生命の乳がなかったので、
この者たちの心は枯渇していました。
疲弊した状態で頼るところもなく、荒野のような悲惨な立場にいますので、
お父様、
この者たちを集めてください。
自分たちの事情をみんな差し置いて、
お父様の事情を中心とする生命のみ言と
生命の因縁を中心として絡み合う、
生命のうごめく再創造の歴史が
起こらなければなりません。
「私」をお父様のみ前に立てることのできる準備を
することができませんでした。
しかし私のすべてをお父様のみ前に捧げ、
お父様から始まる「私」を探さなければなりません。
お父様から始めようとする心の姿勢をもたなければなりません。
お父様から始まる真の姿を備えなければなりませんので、
親しく共にいてくださいますことを切にお願い申し上げます。
一週間の間に傷ついた心をもってここに出てきましたので、
お父様、
慰労してくださり、
傷に薬を塗ってくださり、
油を塗ってくださって、
愛で抱いてくださいますことを切にお願い申し上げます。
そうして
寂しく悲惨でみすぼらしいこの者たちに、
お父様の家で
服を着替えて安息することのできる場をお許しください。
あふれる愛の糧を備え、
自らお父様を尋ねていく姿を、
お父様はどれほど待たれるでしょうか?
この者たちもそのような立場を待ち焦がれていますので、
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・三・三一)
2-29 真にお父様を慕う子女とならせてください
この時間、取るに足らない少数の群れが、
お父様のみ前に集まりました。
私たちの体と心は
世の中と和するに易しい条件をもち、
お父様とは遠い距離に立つしかない
因縁を抱いたままでひれ伏しましたので、
お父様、
分離させてください。
傷がひどければ、
その傷にあなたの哀れみが及ぶようにしてくださり、
あなたのみ前に備えるべき形を備えることができないその姿をご覧になり、
私たちを慰労してくださることを
切にお願い申し上げます。
たった一つもお父様のみ前に差し出すことのできない、
不備で面目のない自分たちであることに、
悲しみ嘆息し得る心をもつようにしてください。
深い心性にあなたを欽慕する心が芽生えるよう
お許しくださり、
本然のエデンの園でお呼びになったお父様のみ声を聞き、
私たちの先祖たちが感じられなかったお父様の神々しさを
感じることができるようにしてください。
お父様のお心の中にある、
私たちを抱きたいみ愛と恋しいご心情を私たちがかき分け、
そこに抱かれ得る天真で純真なあなたの息子・娘となるよう
お許しください。
あなたのお心の中で、
私たちがあなたと切ることのできない血族であることをお感じになって、
会いたい心を抑えられなくて
私たちを抱かずにはおられず、
尋ねずにはいられないようになられることを
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちはお父様と呼ぶときに、
骨と肉に染み通る、
真正な心からわき出る声で
呼ぶことができず、
そのような感情と一致した立場で
お父様を捕まえようと、飛びかかることのできるひとときを
もつことができませんでした。
このようにお父様がはっきりと分からなかったので、
お父様をはっきりと認識できるようにしてくださり、
お父様のみ手とみ裾をつかんで
永遠に逃がさないと、懇切に徹する心で
身もだえする私たちの姿となるようにしてください。
そのような立場で「お父様」と呼び、
そのような立場でお父様を捕まえ、事情を訴えることのできる
私たちとなるようにしてくださることを切にお願い申し上げ、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・六・九)
2-30 幼子のような心で進ませてください
慈悲なるお父様!
この場が
お父様のお心と一つになる
至聖所となるようにしてください。
お父様のご心情に接し、
お父様のご事情に涙ぐみ、
お父様の願いと和して、
あなただけが主管なさることのできる
聖なる場となるようにしてください。
人間的な私事を除去してください。
堕落の後孫として生まれ、
自分なりの仮面をかぶり、
自分なりの主義主張をもって
お父様のみ前に現れ得るすべての与件を
除去してください。
幼子のような謙遜な心、
飢えた赤ん坊がお母さんの乳を思慕するように、
私たちの心に
終わりのない思慕する心情、
限りない欽慕の心情が完全にそれ自体として和して、
お父様のお心の中深く
吸収され入っていくことができるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
私たちが置かれている姿は、
父母を失った幼子のように
悲惨で哀れだということをはっきりと知り、
お母さん、お父さんに向かって泣き叫ぶ哀切なる絶叫が、
私たちの心の中から爆発するようにしてください。
この環境を退けるために
体に傷を負ったことも忘れてしまい、
もがきながら父母を慕う哀切なその事情に
徹することのできる心をもって、
お父様の息子・娘であることを
自ら証すことのできる姿となるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様がこのような姿をご覧になって、走ってきて抱きながら
「私の息子、私の娘」と言って、
頬に頬をすり合わせて涙を流し、抱き締めてくださり得る、
そのような因縁を慕わしく思う
あなたの子女たちとなることができるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
私たちがこの場に出てきたのは、
世の中のある物を求めるためではなく、
高く尊いあなたと共に
永遠に残ることのできる天の定めた因縁が慕わしくて出てきたのです。
私たちはここに、ある事情の根を打ち込み、
残っているために出てきたのではなく、
天の定めた因縁と事情を中心として
引き抜こうとしても引き抜くことができず、
お父様と離そうとしても離すことのできない永遠の根の因縁を
追求するために出てきたのです。
あなたが動ずるときに動じ、
静ずるときに静ずる自分自身となるために出てきたので、
どうかあなたは根となられ、
私たちは幹と枝と葉となるようにしてくださって、
万国を蘇生させることのできる
お父様のお力と動力と脈拍を身代わりする
子女たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
その誰が何と言おうと、
お父さんとお母さんの懐に抱かれた子供たちは
幸福な者であることを知っています。
いかに周囲の環境が殺伐とし、
いかに死の峻嶺で一日一日生活するとしても、
父母の懐に抱かれて眠る幼子は、
平和の心情を感じるということを知りました。
悪なる世、
混乱した世、
死亡の波が波立つ世の中に住む私たちは、
お父様のみ前に行こうとしても行くことのできない者たちでしたが、
お父様の懐に抱かれ得るそのひとときだけでも
憧憬し、欽慕し、思慕して、
熱意でお父様のみ前に出てきましたので、
お命じくださいますことを切にお願い申し上げます。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・一一・一七)
2-31 善と共に永遠であり得る私たちとならせてください
お父様!
私たちの心と体には、
私たち自身の力ではどうすることもできない
罪悪の根が残っていることを、
はっきりと分かるようにしてください。
このような自分たちでしたし、
過去から今まで
どのような事柄を経てきた自分たちであるかということを悟り
今日の「私」をもう一度革命することのできる
刺激的な原動力が必要だということを
切に感じることができますようお許しください。
きょうの「私」を除去し、
あすの新しい「私」をつくることのできる自分を
再び立てない限り、
自分は善なるみ旨と善なる歴史路程に残る
何らの存在にもなれないということが
はっきりと分かるようにしてくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
流れていく波と共に、
自分たちの一生も流れさせてしまう
かわいそうな人々とならないようお許しくださり、
その波を逆上らなければならない善の目的が
私たちに残っていることを、
私たちがはっきりと分かるよう許諾してください。
歴史過程を通して見るとき、
天のみ旨は
歴史と共に除去されていくものではなく、
歴史を収拾し、歴史を貫いてきたことを
よく知っていますし、
そのような行路でだけ、
お父様が私たちと同役同事されたという事実を
私たちはよく知っています。
きょうこの時間、
私たち自身がどのような立場にいるかをもう一度考え、
お父様の通告を受けることのできる立場に
立たせてくださいますことを切にお願い申し上げます。
お父様はいつも善なる者と永遠に共におられ、
絶対に悪を参加させないということを
私たちが完全に分かるようにしてください。
善と共に対となられ、
善と共に動じられながら、
善と共に成就することのできる
一つのみ旨を望みながら来られたあなたであられるので、
たとえ私の体は除去されても、
心だけは善と共に
永遠にある自分たちとならなければならないということを、
この時間にお父様のみ前で再び感じることができるよう
お許しください。
そうして
心が志向し命令するとおり、
体を屈伏し治めて、
永遠なるお父様のみ旨の前に
一致できる自我の心となり、
その心を通すことのできる体となることができるよう、
お許しくださいますことを
切にお願い申し上げます。
そうすることのできる私自身をもう一度念願し、
そうすることのできる私自身をもう一度収拾し、
そうすることのできる私自身の決意を
もう一度固く誓うために参席する、この時間となるよう
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六九・六・二二)
2-32 私たち自身が置かれた立場を自ら見極めさせてください
お父様!
きょうこの朝、
孤独な群れがあなたのみ前に集まりました。
私たち自身がどのような立場にいるのかを
自ら見極めなければなりません。
「私」はこの時間に誰のゆえにここに来、
どのような因縁を結ぶためにこの場に来ているのかを
はっきりと悟らなければなりません。
世の中がいくら悪く、
世の中がいくら醜くても、
自分自ら置かれている立場を完全に究明し、
お父様との関係を完全に決定づけ、
生涯の路程で忘れられない因縁を結ばなければなりません。
もしそのような人がいるとするならば、
その人が結んだ因縁は世の中の何ものよりも大きなものであり、
何ものよりも貴いものであることを
私たちが知らなければなりません。
心からほとばしるお父様に向かう恋しさ、
自ら天を慕う欽慕の心情、
これが歴史の流れをさかのぼることのできる原動力であり、
死亡の波を踏んで立ち上がることのできる勝利の盾であることが
分かるようにしてください。
心で、体で称賛し、
証的な実体として生きることのできる、そのような人間が
どれほど貴いかを
感じることのできる、真の愛の姿とならなければなりません。
今、私たち自身を一つ一つ分折するにおいて
「私」の顔は誰のために備えられているのかを
考えなければなりません。
「私」の目は何を見ていて、
「私」の耳は何に向かって傾けられていて、
「私」の口と「私」の鼻は何を味わい、何のにおいをかぐためにあり、
また「私」の手足はどこの誰に何を奉仕するためにあるのかを
考えなければなりません。
真に天と一致することのできる「私」全体の姿を備えて、
お父様を慕い、
お父様に侍って忠誠を尽くす自分とならなければならなかったにもかかわらず、
悲しみの立場で
お父様と事情を通じる心をもったひとときが
私たちになかったことを、嘆息すべき自分であることを、
深く深く悟るようお許しください。
私たちは、この地の上に生きたとしても
七、八十年または百年以内の限られた生活圏内で生き、
土に埋められる者たちです。
地上での姿がいくら良く見えたとしましても、
自分自ら、
ある結果をつくることができないということを知らなければなりませんし、
この地で実績だけをもって
生活的な環境を築いていくことが、
どれほど無意味であるかを知らなければなりません。
「私」が生まれ暮らしながら、
「私」の四肢五体が
お父様によるものであることをはっきりと知り、
天のみに頼っていく姿、
困難なことがあっても自ら責任を負い、
決死的な姿勢で
千態万象の困難をかき分けて、お父様のみ旨に従い、
お父様の恨みを解くために行く姿が、
どれほど価値あることかを私たちは知らなければなりません。
そうすることのできる立場で、
悲しいとき、お父様との因縁を考えることのできる
私たち自身となり、
うれしいときお父様に感謝することのできる
自分たちの姿を備えなければなりません。
そうして、
追われ追われたこの歴史を身代わりして
すべての困難を踏んでこられた、生きておられるお父様がおられると、
今この時間も休まずに
私たちを救うために
善の基準を探しておられるお父様がおられると、
全天地が感動できるように
泣き叫び訴える真の人間とならなければなりません。
しかし、その誰も、
そのような立場を体得できないことを感じますたびに、
お父様の恩寵を受けることを願い、
お父様の中で恩賜の生を生きることができ、信頼されることを
私たちは侍ち焦がれています。
お父様、
このような私たちは
あなたの因縁を必要とし、
あなたの経綸を必要としますので、
どうかあなたの生命の栄光だけが、
私たちの心の中の深いところでほとばしるよう許諾してください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六九・一一・二)
2-33 常に私たちの横におられるお父様の実存を体得させてください
私たちはお父様を
観念的に考えてはなりません。
私たちがお父様を実体の存在として、
生活するすべての面で絶対的な主体として侍らなければならないということを
はっきりと分かるようにしてください。
お父様は
遠い相対の世界におられたのではありませんでした。
私たちの心の中におられ、
私たちの体を取り囲んでおられました。
私たちの周囲に空気がありますが、あるのかないのか分からないように、
お父様が私たちの生涯全体を覆っておられるのに
分からなかったということを、
私たちが悟らなければなりません。
私たちを取り囲んでいるその力を受けるときには、
無限なる力がそこに動じるのであり、
その力を吸収するときには、
永遠なる力でもって
私たちに新しい衝撃と新しい刺激を与えてくださることを知っています。
このようにいつも近くにおられて
生命を勢いづけてくださり、
私たちを満たしてくださるお父様の実存を
体得できる息子・娘とならなければなりません。
そのような立場でお父様の子女として成長し、
そのような立場でお父様と共に
生涯路程を議論できる人がどれほど貴い人であるかを、
私たちが悟らなければなりません。
この地上で数多くの人々が
天運を願い、また一身の黎明を願っていますが、
彼らは相対的なある距離を置いて願っているということを
私たちは知っています。
しかし、私たちは彼らとは違い、
最も近い立場で、
生涯のすべての権限も
生命の中心であられるお父様から始まるということを、
はっきりと分かるよう許諾してください。
そうするためには、お父様が
私たちの心深くに共におられ、近くにおられて、
私たちのすべてを主管なさることによって
私たちの生命の原動力となられ、
すべての感情の起源となられなければならないという事実を、
私たちが悟らなければなりません。
そのような立場で、
広く深く高く尊く無限なる価値の主体であられるお父様に
侍ることのできる子女がどれほど貴く、
その価値がどれほど大きいものであるかを
私たちが分かるよう許諾してくださり、
その基準を千万遍あるいは億万遍証明していくとき、
天宙を主管することができ、
天のすべての内容を
吸収できる自体的な権限が成立するという事実を、
私たちが分かるよう許諾してください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六九・一一・二三)
2-34 お父様と共に生きる生涯路程を歩ませてください
お父様!
天国は永遠なところですが、
その天国に入ることができるかどうかということは、
地上の人間自らが努力し行ったこと、
またその心情が問題だという事実を、
私たちは歴史過程を見て、
信仰生活を通してはっきりと知っています。
み旨を知った者として、
み旨に向かって行くべき歩みとならないのではないかと、
自ら心配しながら、
一日一日を天と共に生きざるを得ず、
地と共に生きざるを得ない私たちです。
しかし、お父様は
このような私たちの心を通して、
生活の中に現れようとなさるということを、
私たちはよく知っています。
それゆえに、善と悪が私たち自身の中で
判決されるという事実を知らなければなりません。
このようにもの悲しい人生の行路に従って、
その何かを望み見て越えていっている私たちにおきまして、
お父様を抜いては望みをもつことのできない堕落の後孫であることを
自認せざるを得ません。
そのような私たちにおきまして、
天だけが善であり、
天だけが全体とならざるを得ないという事実を知り、
天と共に生き、
天と共に死ぬことのできる、そのような勇気をもつということが
どれほど甲斐のあることであり、
どれほど人間らしい姿であるかを
評価してみて、反省してみる、この時間となるようにしてください。
歴史過程で
善なる人として
偉人という名を残し、
聖賢という名を残した人々は、
人の世で一個人としての生活目標が、
ただ人類と共に生きることであり、
お父様と共に生きることであったので、
彼らの名が神々しく残されたことを知っています。
被らは
すべての世界人と共に、
神様と共に生きるための生涯路程で疲れることなく、
始まりと共に終わりを結ぶために、
無限なる闘争の路程を歩んでいったということを
私たちは知っています。
歴史路程で行き来した数多くの人々もそうしたので、
今日歴史の総決算をすべき
復帰摂理の責任を担った
天の息子・娘という名をもった私たちが、
どのように行かなければならないかということは、
既に決定された事実であることを分かるようにしてください。
お父様がこのように私たちをお呼びになったのは、
私たち自身が適切なのでお呼びになったのではなく、
背後で歴史の始まる以前から
お父様が願っておられた創造理念を立てるために、
堕落以後恨み多い六千年の開拓の路程を通して、
願いの実体としてお呼びになったことを知っています。
このような私たちであることを思うとき、
恨みがましい復帰のご心情をもたれたお父様の寂しさと悲惨さを
今ひとたび感じざるを得ません。
襟を正し、あなたを「お父様」とお呼びすることのできる
真なる自分となれないことに対し、むちを加えてくださり、
天の父母に侍ることのできる
聖なる精誠の土台を備えられないことを
おとがめください。
世の中のどのような贈り物よりも、
私たち自体があなたの願われる祭物として捧げられ得る、
完全な贈り物とならなければならないにもかかわらず、
これを忘却するときがどれほど多いか、言葉で言い尽くすことができません。
お父様!
この世的なある与件や
外見のような外的な条件が問題ではありませんので、
胸の中からわき出て天のために生きたく、
天のために証しようとし、
天のために身もだえしようとする、そのような切実なる心で
全生涯路程を歩んでいくことができるようにしてください。
お父様!
たとえお父様のために生きる姿が、
時には、もの悲しく孤独で寂しく
寂寞たる立場に置かれているようでも、
お父様のみ前に評価を受けたときには、
お父様の所有として決定されるという事実を
私たちが知らなければなりません。
これが私たちが行くべき本然の道であり、
人間が追求すべき本来の欲望であることを知って、
私たち自らそのような立場に立つことを、
再び誓うよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・二・八)
2-35 感謝の生活をする私たちとならせてください
お父様!
私たちがお父様の精誠を知る息子なら、
眠りから覚めても
罪人の恥ずかしい姿を隠すことのできない心苦しい気持ちで、
ひれ伏すまいとしてもひれ伏さざるを得ないことでしょう。
朝の食膳に向かう場で、
「私」がこのご飯を食べて何をするのかを、
自ら尋ねる自分となるようにしてくださり、
昼の食膳に向かうときには、
今まで「私」が何を残したかという問いに、
恥ずかしい姿で自責する自分となるようにしてくださり、
夕べの食膳に向かうときには、
一日を清算するに不足のない一日を送ったかを、
自問することのできる自分となるようにしてください。
お父様のものとして一日を始め、
お父様のものとしてこの時間まで来たのか、
またお父様は「私」に
どれほど関心をもっておられるのかを考えるときに、
価値あるように過ごすべき一日を、
何も残せず空の体をもって
この世の心で過ごした一日ではなかったかを考えて、
惜しむ心でお父様のみ前に涙をもって謝罪し、
床に就くことのできる子女たちとなるようお許しください。
私たちは
感謝する生活をしなければなりません。
むち打たれるような場でも、
血を吐くような場でも
感謝の生活をしなければなりません。
数多くの先祖たちが
そのような場でお父様を裏切ったので、
そのような歴史的な悲しい恨みのご心情を抱いてこられたお父様に、
孝の中の孝の道理と、忠の中の忠の道理を
全うすべき私たちであることを知るものです。
ここで私たちが
恨みと不平をもっては、
その立場に立つことができないということが分かるようにしてくださり、
そのような自分を発見することを
恐れる姿となるようにしてください。
この世では哀れで弱い人であっても、
このような人以上に恐ろしい人はないということが
分かるようにしてください。
私たちの体が疲れて、
持ちこたえることができないほどの立場にいるとしても、
お父様は
これよりもっとひどい受難の道を克服してこられつつ、
私たちを恋しがられたという事実を思いながら、
私たちがこの受難を越えてくることができてこそ、
お父様の悲しい過去を
慰労してさしあげることのできる息子となるという事実を発見し、
行くべき自分として聖別して、
お父様のみ前に
祭物として完全に捧げられる息子とならなければなりません。
私たちは感謝して生活することしかありません。
一人の男性の前に結ばれた妻が不足だとしても、
生涯を通して奉仕できるその何かがあるので、
その妻を下さったことに感謝しなければならず、
あるいは子供が「私」に十字架の一生をくれても、
そうすることのできる立場を準備してくださったことに感謝しなければならず、
環境が「私」に
生涯を支えることのできない絶望のどん底に追い込んだとしても、
それをどのような条件を立ててでも
感謝の因縁として残して倒れようと言うことのできる息子となり、
お父様の人となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げ、
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・三・一四)
2-36 お父様の生命の脈拍を大切に保つ子女とならせてください
人間は
お父様の愛のために生まれた存在ですので、
愛を離れては生きることができません。
愛のために生まれ、
愛でお父様に侍り奉らなければならず、
主体であられるお父様のみ前に
相対として互いに愛し、
愛されなければならないという事実を考えるとき、
その無限なる価値ゆえに
ここに現れたあなたの息子・娘であることが分かるようにしてくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
お父様と関係のない出会いは
無用のものです。
毎日習慣のように出席することは、
お父様のみ前にはプラスにならないということが
分かるようお許しください。
尊いあなたのみ前に、
無限であられる愛の主体のみ前に、
無限な生命の源泉であられるあなたのみ前にひれ伏した者たちの中に、
軟弱な者がいるでしょうか?
もしいるならば、その自分の存在の価値を忘れるほど、
全体の前にお父様の認識を表面化させる立場で、
倒れながら
お父様を待ち焦がれる心をもった者となるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様の裾をつかんで、
お父様の首を抱き、
切なる心でむせび泣きながら、
「お父様の懐に抱かれるひとときを迎えるようにしてください」と絶叫し、
心の中に染み込んでくる、お父様の生命の脈拍を
大切に保つことのできる子女となるために、尋ねてきた群れだということが
分かるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
あなたの愛が
私たちの深い心の中からほのかに流れ出て、
心情と心情を結ぶことができ、
あなたのお心の根本に流れる、その血の脈拍が
私たちの心を奮い起こすようにしてください。
本質的な愛の脈拍に
私たちのすべての血が染み通るようにしてください。
そうして、
あなたの勇気と共に
憤怒の心をもって闘わせてくださり、
お父様の怨恨の脈拍が私たちに伝わってきて、
生涯の瞬間瞬間を越えていける力の源泉となることができるよう、
お父様、
ほのかな中に自身を省みるようにしてくださり、
因縁を結んでください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・六・七)
3-37 お父様に向かう欽慕の心情に燃えさせてください
お父様! あなたが神聖だと認定なさることができ、
あなたがためらわずに尋ねてこられ得る
この場とならなければなりません。
お父様の息子がいて、娘がいる場、
お父様が必ず自由にお尋ねになることのできるこの場となるよう、
お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。
虚空を眺めながら、
答えのない泣き叫びの声を張り上げ、
疲れる人々となってはなりません。
罪悪の境界線を踏んで越えていかなければなりません。
このような私たちを、
切ないみ手でつかまれるお父様の感触を感じながら、
「お父様」と叫ぶことのできる喜びのひと日を
迎えるようにしてください。
お父様のご心情をもって、
全天下をすべて抱き寄せ愛しながら、
自ら酔うことのできる境地を
私たちに許諾してくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
お父様!
欽慕の心情に燃え上がる切実なる心と共に、
私たちが自分の意志のまま
「お父様」と呼ぶことのできる自由な環境を
許諾してください。
「すべての万象と共に
私たちの高貴さを称賛してください」と、権威をもって
お父様のみ前に誇りたいのです。
すべてのものを私たちのためにお造りになったことを知るものです。
高貴な姿をもって、
隠然たる中にお父様を呼ぶことのできる立場に、
あなたの息子・娘たちを連結するようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様のために泣き叫んできた過去のことを、
今日私たちが
はるかに眺めるだけではいけません。
過去のすべての内容が、
現実の材料として登場するようにしてください。
そうして、
今日のすべての事由が
現実と未来を連結させ、
過去それ自体が
今日を証すことができるようにしてください。
そうして、
お父様に侍ることのできる息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
全体を受け
神聖に保護してくださいますことを切にお願いし、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・八・九)
2-38 新しい芽とならせてください
お父様!
私たちはお父様の真の種となり、
真の木として成長して
花を咲かせ実を結び、
再びあなたの懐に抱かれることのできる
数百個の結実として現れなければなりません
そうですので、
春の日を迎えて
私たちを真の種としてお蒔きになり、
自由天地で
真の木として成長するようにしてくださって、
あなたの慰めとなることができるようにしてください。
また、そこから漂う花の香りの中に
実を結んで、万国に満たし、
終わりの日の喜びの宴をなそうとされるあなたの願いを
成就してください。
お父様!
私たちがお父様を
本当に愛するようにしてください。
私たちがお父様に今まで親不孝したのは、
悪なる環境で育ったからであることをよく知っています。
お父様!
私たちが望みがいっぱいの環境の中で、
公的なお父様の愛を中心として
一つの種として真の沃土に根を打ち込み、
根を中心として芽が伸びていき
一つの木が育つ法則と同じように、
私たちも新しい芽を必要とするこの環境を
重要視しなければなりません。
お父様!
青年時代を美しく装わせてください。
そうして、
あなたに因縁づけられたこの者たちの行路をお守りくださり、
その環境の土台を中心として
育つことができるようにしてください。
この者たちを真の芽となるようにしてくださって、
この民族とこの国とこの世界の前において
すべての人類が望み見ることができ、
すべての人類を抱き得る新しい生命の木となるようにしてくださり、
新しい花を咲かせて実を結び、
万国に蒔かれて残ることのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
そうしようとするならば、
私たちは強くなければなりません。
お父様、
この国が
公的な神様のみ愛を中心として
永遠に結束することができ、
どのような力でも引き離すことができず、
どのような逆境でも変えさせることができないという
信念に燃えるよう許諾してください。
このような試練に耐えるためには、
十分な栄養素を補充しなければなりません。
この民族に残っているすべての悪の要件を除去できる
生命力をもった息子・娘となるよう
お導きください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・八・二三)
2-39 温柔謙遜な姿勢で真の生活を追求させてください
世の中のためになり、
世の中で尊称を受けられる人は、
自分が偉いと主張する、そのような人ではありません。
自分の姿も表さず、
孤独な立場で苦労の道を編んでこられるお父様が
尊称を受けなければならない方であられることを、
本当に私たちは知らなければなりません。
ある喜びがあれば、
それをこの民族の誇りとするために
努力する人よりも、
その喜びをお父様のものとして帰し奉るために、
あなたを思い、黙々と苦労する息子と娘が
必要だということを悟るようにしてください。
ご苦労なさるお父様!
孤独なお父様!
目をつぶり、
唇をかみ、
舌をかみながら耐えてこられたお父様の悲しみの極限のご事情が
本当に分かる息子・娘であるとするならば、
千年の恨みを抱かれたお父様が、
一日の生活の中で満足を求める人間を通してでは
慰労をお受けになることができないということを、
切実に感じなければなりません。
そのようなお父様のみ前に
温柔謙遜な姿勢を備えて、
真なる生活はもちろん、
生涯を捧げてでも
涙を禁じ得ない感激の生活、
おそれかしこまる生活、
改心の生活をすべき
歴史時代を経ていく人類の姿であるにもかかわらず、
かえってお父様にご苦労をかけ、
お父様にもっと重い十字架の荷を抱かせ、
お父様を孤独な道に追い込んだ私たちであったことを
悟らなければなりません。
それだけでなく、
悪なる血統を受け継いだ後孫として、
天の側に立つ人を討つ先鋒の位置に立っていた
私たちの立場であったという事実を知って、
全天地間のその何ものによっても、
あなたのみ前に許しを求めることのできない自分であることを
発見しなければなりません。
そうして
嘆息と悲しみの中で、
お父様のみ旨の前に恨みを結ぶようにした自分の生命を、
お父様のみ前に捧げようとする心をもってこそ、
真にお父様を尋ねることができ、
お父様に対し得る私たち自身となることを
悟らせてくださり、
これが私たちの生涯において
何よりも重大事であることを
感じるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・九・二七)
2-40 無限に与えても恥じらい得る姿とならせてください
お父様は今まで
支配を受けずにこられたお方でしたが、
お父様のお心は
与えながらも恥じらいになられるということを、
私たちは知らなければなりません。
本然の純粋な愛をもって、
すべての愛を与えたかったのがお父様のお心でした。
しかし人間の堕落によって、
段階的に摂理してこられるお父様のお心には、
数千年間の切なさがこもっているという事実を、
私たちは考えなければなりません。
お父様!
復帰歴史過程で
蘇生時代、長成時代、完成時代という険しい峠道を
段階的に経なければならないお父様のお立場を、
私たちは知らなければなりません。
人間たちは
お父様のみ愛を受けつつも、
今日まであなたに感謝することを知らず、
恩を返すことも知りませんでした。
このような現実でも、
そうであるほど、いつかはみな与えようという決意をもたれ、
強く大胆に悲しい歴史を引っ張ってこられた、お父様の内心を
私たちは察する者です。
きょう、お父様の悲しかったお心を打ち明け、
世界を代表して、歴史を代表して、天宙を代表して
与えたかったご心情を吐露するこの時間、
あなたのみ前に全体を受けて
全体を与えることのできる息子・娘たちとなれないのではないかと、
恐れを感じるあなたの息子・娘たちが
この場に集まりました。
お父様、
万物を与えたい心に徹した人が、
それを受けることを切に願う人に出会うとき、
与えながらも頭を下げて恥ずかしさを感じる人であるならば、
この人はお父様の人であることが分かるのです。
すべて与えても、もっと与えられないことを恨みつつ、
もっと与えたくて
体と心を捧げ、燃えてなくなるようなことがあっても、
そのなくなること自体まで
否定する心をもつ人がいるなら、
その人は神様が所有なさるでしょうし、
天全体が彼に連結されるということを思うとき、
避けようとしても避けられない中心の位置で
お父様と連結できる息子・娘が、
この時間に現れるようにしてくださることを切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・一〇・二五)
2-41 天を中心とする私たちの出会いとならせてください
愛するお父様!
過ぎ去った歴史の流れは
時には悲しく、時にはうれしいものでした。
人が知らない心の中に
天の悲しみが宿っていることを思うときごとに、
お父様に対して私たちは、
いつも不足であることを悟るようになるものです。
お父様!
私たちと出会うようになったこの因縁は、
私たちの能力で出会ったのではなく、
お父様を中心として
数千万代の先祖が橋を架け、
その土台を広げに広げた功績によるものです。
きょうこのように
出会うことのできるひと日をもつことができるようにしてくださった
すべての恩賜を、
私たちが有り難く感じることができるようお許しください。
人間同士出会って別れる場では
批判が加えられるものであり、
分裂を見るけれども、
天を中心として出会うところには、
おそれ多さと感謝と涙だけが残るということを
私たちは知らなければなりません。
ここに集まったあなたの子女たちが、
深い心の中で神様にもっともっと同情し、
私たちのお父様であられる神様を
愛さなければならないということを
はっきりと悟るようにしてください。
狂ったようにあなたを愛するために、
自分の体と心をすべて捧げ、
すべてのものを犠牲にしたとしても感謝することのできる、
神様が見て喜ぶことのできる
息子となり娘となるようお許しください。
一つしかない
あなたのその愛をすっかり譲ってくださりながら、
万民の前に誇りたい息子を
どれほど慕いつつお探しになられたことでしょうか?
またそのような娘をあなたはどれほど慕われたことでしょうか?
今、私たちのいらだった姿が、
あなたの性相に向かって一歩一歩前進していますので、
あなたが「早く来なさい」と呼ばれる時を待つ、
そのような姿の私たちとならなくてはならないのです。
苦難が来ることを避け、
またそのような苦難が来るかと心配する、
そのような息子・娘たちに絶対にならないようにしてください。
受難の歴史があるならば、そこには
人間同士の過ちがあったことは間違いないということを、
私たちはよく知っています。
お父様は背後で導いてくださったけれども人間が誤るとき、
天はいつも嘆かれ、
いつも切なく思われ、悲しまざるを得ない立場に立たれるということを、
私たちははっきりと悟らなければなりません。
人間が共々に協助し、共々に誓って
誤ることによって、
天が探してくださろうとする全体の福をひっくり返すことを、
絶対にしてはなりません。
このような事実を知って
自ら誓うことのできる
息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・一・九)
2-42 人のための道を行かせてください
「私」のためのものは
復帰摂理路程においていつも怨讐であり、
人のためのものは
いつも私の行く道の前にある
すべての困難と受難の道を
平坦にする路程であることを私たちが知りましたので、
私たちが人のための道を行くようにしてください。
私たちの心霊が枯渇すれば、
それを私たち自ら解決するのではなく、
かえって人のためにもっと犠牲になるか、
人のためにもっと苦痛を受ける立場に立つことによって、
反作用的な行路を開拓することのできる道もあるということを
分かるようにしてください。
また、あなたのために精誠を捧げ、
より価値的な忠誠の度数を加えることによって、
あなたのみ前に接近する道もあるということを
分かるようにしてください。
問題は他人にあるのではなく、私にあるということを
分かるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
いくら冷たい風が吹いてきても、
「私」自体が服をよく備えて着るときには、
その冷たい風も関係なく過ぎゆきますが、
「私」自体がそこに対備することのできる能力がないときには、
それによって病気になり、
それによってずれるのが
現象世界でなされる原理であることを、
私たちは知っています。
したがって、今日の私たちの生活も
このような原則を基準として生活を改善し、
自分の生涯の路程に輝き得る、
天が願う価値を
誓うことができなければなりません。
そうしてこそ、お父様がお喜びになることのできる
息子・娘となれるということを
私たちが分かるようにしてください。
昔喜んだ
刺激的な息子・娘の立場では、
きょう喜ぶことのできる息子・娘とはなれないという事実を
知らなければなりません。
もっと喜ぶことができ、
価値的な刺激を感じることのできる息子・娘となるためには、
より一層困難で、
より一層高く、
より一層価値があり、
より一層責任をもつことのできる立場で
天が信じることができ、
天が願うことができ、
天が直接に相談することができる立場に立たなければならないことを知り、
より重要な責任をもつことが栄光であり、
人よりもっと困難な十字架の道を行くことが誇りであり、
人よりも奉仕的な生活をすることが
価値ある生活だということを知る、あなたの息子・娘たちと
なるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・一・二四)
2-43 一生の季節を知るようにしてください
今まで統一教会員として、
時は近づいたけれども、時に対して分かる人がどれほどになるのか、
ひどく心配になり、
疑わざるを得ません。
時は時なりに過ぎていきますが、
今日、人は人なりに、
昔のその姿のままでいては、
何にもならないということを私たちは知っています。
春になれば
種を蒔く時として、種を蒔けば芽が出るでしょうし、
夏になればその芽が育つでしょうし、
秋になれば実を結んで、
冬になる直前には
取り入れる収穫期があることを知るものです。
このような自然現象の法則によって、
一つの生存体が
全生涯の過程を通して経ていかなければならないことを見るときに、
今日、
自分自体の一生の信仰生活において
春の季節を迎えた者がいるなら、
夏の季節を迎えるようにしてください。
夏の季節には
ぼうぼうと育つ葉が良いのではなく、
その葉を開かせる一つの茎が
どれほど貴いものであるかを分かるようにしてください。
その茎は「私」だけがもつことのできる茎として
花が咲き、実を結んで、
その実が
一年なら一年全体の価値を総合することのできる結実を
もってくることができるという事実を私たちが知り、
信仰生活も
そのような時があることを知らなければなりません。
私たちの一生を通して、
み旨を知った過程において、
どの時期が春の季節であり、
どの時期が夏の季節であり、
どの時期が秋の季節であり、
どの時期が収穫期であるかを分かるようにしてください。
収穫期を迎えるときには、
み旨を中心として全体を捧げ、精誠を尽くして
収穫しなければなりません。
そして、収穫したものを私たちのものとするのではなく、
お父様のものとして収穫してから、私たちのものとして受けるようになるならば
お父様と因縁を結んで、すべてのものを所有でき、
関係を結び得る価値があることを知りましたので、
復帰の路程を行く私たちにあっては、
すべてのものをまず私たちのものとするのではなく、
まずお父様のものとしなければなりません。
まず私たちの人格と私たちの生活を立てるのではなく、
お父様の人格とお父様の生活をまず立ててさしあげるべきなのが、
今日、召命を受けて従っていく私たちの立場であることを、
私たちがはっきりと知らなければなりません。
何よりも
一日の生活を通じた闘いで負けないようにしてくださり、
一ヵ月の生活を通じた闘いにおいても負けないように、
お父様、
祝福してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
万事があなたの勝利の基準と共にあり、
私たちの心がいつも
それに向かって勇ましく大胆に駆けつけ、
最後の勝利の場に参席できる息子・娘となるよう、
お導きくださいますことを切にお願い申し上げながら、
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・一・二四)
2-44 お父様の誇らしい子女の姿として立ててください
お父様!
広く高いあなたの性相の前に、
至極小さく卑しい自分の姿を表し、
あなたの哀れみと慈悲のみ手を
切に願う子女たちとなるようにしてくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
能力の主体であられるお父様、
生命の原動力であられるお父様、
愛と心情の根本であられるお父様!
私たちはあなたのみ前に一つの実体として、
一つの枝と葉のような立場で
一切をあなたに任せ、
あなたが悲しまれれば私たちも悲しまなければなりませんし、
あなたが喜ばれれば私たちも喜ばなければなりませんし、
あなたが忙しく働かれれば私たちも忙しく働かなければなりません。
このような面で、
あなたと共にすべての生活環境に接していく
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様の性相の前に
私たちの姿を表したとき、
果たして私たちは
お父様が願われた姿として、
お父様が喜ばれ、対することができ、
お父様が親しく尋ねてこられて、
ささやき声で行く道を命じてくださることのできる
息子・娘となっているかを考えるものです。
私たちがそのような息子・娘となるためには、
お父様のみ前に、
誰よりももっと親孝行の道理と忠誠の道理を尽くさなければならず、
生命までもお父様のみ前に捧げることができなければなりません。
私たちが
お父様の息子としての因縁をもてないときには、
生活舞台でみ旨の前に残ることができないということを考えますので、
木石のような私たちの心を溶かして、
あなたのお心に似るようにしてください。
お父様のご事情と私たちの事情が出会い、
私たちがお父様に吸収され得る因縁が
成されるようにしてくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
流れていく歳月と共に、
はかない自分の生涯を、
嘆息するしかないものとして残してはなりませんし、
願いと共に
力強いあすを誓うお父様の息子としての権威をもって
喜びのひと日、
楽しみのひと日、
誇らしいひと日を迎えなければなりません。
み旨を知った私たちは、
お父様のたけておられることを知り、素晴らしさを体得しながら
あすの勝利者として、
きょうの建設者として、
歴史の勝利者として
堂々と権威のある立場に
立たなければならないということを知っています。
それゆえ、いつも
自らを置いて嘆息する、
自分を立てることのできないかわいそうな人となってはならないと、
自ら誓うことのできるあなたの息子・娘となるようにしてください。
今、私たちの心が、
あなたのお喜びになることのできる姿を備えるようにしてくださり、
私たちの体が、
あなたの願われる姿を備えるようにしてください。
私たちの体は勝利の生きた祭壇となり、
私たちの心は生きた祭物となって、
あなたのみ前に
永遠に捧げられ得るようにしてください。
そうして、
あなたがお探しになりたかった祭物がこれであり、
出会いたかった願いの実体がこれであると、
宇宙万象の前に私たちを立たせて誇るに
恥ずかしくない息子・娘の姿となるようにしてください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・二・二一)
2-45 お父様! 私たちは全く知りませんでした
お父様!
私たちが信じる方はあなたしかなく、
頼る方もあなたしかありません。
事由を打ち明け、因縁を結ぶ方も
あなたしかないことを知りました。
人間と因縁を結んでみると、
それは絶望の対象となるだけであり、
信仰者としての路程を歩いてきてみると、
心に矢を突き刺してしまうのが
人間の頻繁な歴史的事実であることを
たくさん見、たくさんぶつかり、たくさん感じました。
おなかがすくことが悲しみではなく、
環境に追われ憤懣やるかたない立場に立ったことが
悲しみではありませんでした。
愛するお父様を失ってしまうこと、
それ以上の悲しみはないことを、
私たちは全く知りませんでした。
お父様がおられる位置は、
どんなに何もない位置であっても無限に存在する位置であり、
お父様がおられる位置は、
地獄の中心であっても天国と化すことのできる位置です。
私たちが死んでも生きても、いるべき所は
お父様がおられる所しかないことを知るものです。
お父様のもとで私たちの幸福があるのであり、
お父様のもとで私たちの望みがあるのであり、
お父様のもとで私たちの存在価値があることを思うときに、
このように私たちのすべての勝利の要因となり、
幸福の要因となり、
決定的な価値の基準となり得る方が
私たちのお父様だという事実を
全く、全く、全く知りませんでした。
高い価値を追求するにおいて、
外的な何かを追求する前に、
「私」の心中深くに、
既に価値ある内容を決定することのできる基準があることを
全く知りませんでした。
幸福の起源が、
ある彼岸の対象的な世界にあると思っていましたが、
私たちの心の中深いところに既にその根が連結されていることを
全く知りませんでした。
今、お父様が、
統一教団を通して
新しく復活した生命の寵児として、
お父様の懐に抱かれ得る息子・娘の姿を待ち焦がれるとするならば、
私たち自身はそのような立場に立つために
努力しなければならないことを知りました。
そうですので、
謙遜にみ旨に対し、温柔の化身となり、
あなたの同情を買うことのできる
愛らしい息子となり、娘となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
このすべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(一九七一・四・二五)
2-46 真の若者とならせてください
愛するお父様!
幼い少年少女たちがこの場に集まりました。
この者たちがこの場を慕ってきたのは、
きょうこれ自体でとどまるためではなく、
あすの真の姿をもつためです。
真の青年時代、
真の壮年時代、
真の老年時代のこの三時代を備えて、
お父様のみ前に忠孝の道理を尽くすことができる、
聖なる道を行くために出てきたのです。
私たち一人を復帰するために
六千年という長い長い歳月の間、
涙を流された天の悲しみがあるという事実を知り、
私たちの一生をお父様のみ前に謹んで捧げ、
最高の善の勝利の起点を受け継ぐために、
きょうも闘い、あすも闘い、
犠牲となることができなければなりません。
このような道に自ら進んでいくことのできる群れとなるために、
ここに集まった青少年たちとならせてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
世の中では旧時代と新時代を論じていますが、
その新時代の中には
真の若者世代と
偽りの若者世代があるということを知りました。
今日偽りの若者世代は
最も貴いものをむやみに蹂躙しますが、
真の若者世代は
世の中において最も清いものを
この上なく大事にし、この上なく保護するということを知りました。
これが従順を中心とする節義と気概だということを
今、悟るようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
若い心に燃え上がる心情で、
お父様と共に覆し、
勝利の因縁を占有することのできるその立場まで
闘って残される群れとなろうと、
各自の心深く決意することができなければなりませんので、
そのような決意をさせてくださいますことを切にお願い申し上げます。
邪悪なこの世の上に描かれるすべてのものが、
私たちを幸福の門に導くのではなく、
死亡のわなと死亡の落とし穴に
追い込むということを思うとき、
この場に集まった個人たちは、
変わらない真の個人の姿となることを決意し、
社会のどのような所に出ていったとしても染まらず、
影響を受けない真の若者とならなければなりません。
真の若者とならなければ、
真の青年と真の壮年になれないということを考えるとき、
福々しいこの時代と季節の恩賜を有り難く受け、
お父様のみ前に謹んで捧げ、
帰し奉るのに不足がないようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・八・一九)
2-47 信仰の道において自分自身が怨讐であることを悟らせてください
お父様が私たち一個人を捜し出すために
どれほど歴史過程を犠牲にしてこられ、
歴史時代に
どれほどご苦労してこられたかを思うときに、
今日私たちが
その恩徳に報いることのできる
何ものももてない未熟な者たちであり、
不忠、不孝な私たち自身であることを
ありのままに告げざるを得ません。
悪の根源が
ほかのものでなく私たち自体だという事実、
私たち自体を根拠としてこの世的な活動をしているという事実、
それが私たちの心、
私たちの体から現れているという事実を、
私たちははっきりと悟らなければなりません。
それゆえに、
信仰の道において
世界に勝つことが問題ではなく、
「自分自身に勝つことが問題だ」と、
お父様は言われました。
怨讐がほかの所にいるのではなく、
まさに自分の家の家族が怨讐だと言われ、
その家族だけでなく、もう一歩進んで、
自分の体が怨讐だと言わざるを得ないということを知りました。
体だけではなく、心一切が
お父様のみ前に怨讐の立場に立っているという事実を、
私たちはこの時間もう一度悟らなければなりません。
しかし
この不足な者たちのために
あなたがご苦労された功によって、
それだけでなく
数多くの僕たちと数多くのあなたの後裔たちをお立てになり、
犠牲にされた恩徳によって、
私たちはこの場にひれ伏しましたので、
あなたの恩恵があふれる前に、
歴史過程で数多くの先祖たちが血を流した功績が
私たちにとどまるよう許諾してくださり、
善なる実績の土台が私たちにとどまるようにしてくださって、
それに橋を架けて
あなたが訪ねてこられ得るこの時間となるようにしてくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
私たちが欽慕の心情と思慕の心情をもち、
お父様だけを待ち焦がれる心をもって
ひれ伏すことができるようにしてください。
土くれにも劣る私たちが、
あなたのみ前に抱かれることのできる息子・娘の姿として、
再び造られることを願う心をもって出てきましたので、
一切自分の姿を表す私たちとなってはなりません。
お父様のみ前に完全に吸収されることができ、
完全につぶれて
あなたが新しく造ることのできる一つの麹となるよう
お許しくださいますことを切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・一〇・一七)
2-48 お父様の望みの実体とならせてください
お父様!
イエス・キリストがこの地に来られて、
血を流して十字架の道理をお立てになったその時から今まで、
二千年が近づくこの歴史期間に、
数多くの血の代価を払って
歴史的な蕩減の道を逆上ってきたということを、
私たちはよく知っています。
彼らを捨てることのできないあなたのご心情が、
どれほど、どれほど痛々しいかということを知っている私たちは、
お父様、
今から
彼らを抱いて天に帰ることのできる、
民族を中心として、
世界を中心として
カイン・アベルの恨みを解いて越えていくことのできる新しい春の日が、
統一の群れたちの行く道の前に尋ねくることを直視しながら、
この上なく謙遜でなければならないということを
自ら悟らなければなりません。
私たちの姿勢がどうであるかを、
内的に外的に自ら反省しなければなりません。
あすの望みの中で輝き、
あなたのお心に
望みの刺激を加えてさしあげる真の子女の姿を備え、
りりしく大胆で、
あなたのみ国に建国の勇士として非のない、
あなたのみ前に祝福を受けると同時に、
愛を受けると同時に、
万民の前に立たせて誇るに不足のない群れとなることができるよう、
祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちのすべての生涯を
お父様がお守りくださることを切にお願い申し上げます。
いつもあなたの慈悲とみ愛が
私たちの胸深く染み込むことを切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によって祝願申し上げました。アーメン。
(一九七五・一・一九)
2-49 ただお父様のご心情をもって堕落圏を克服させてください
愛するお父様!
あなたが万宇宙を造り、命じられたそのみ旨が成される日を
私たちはもう一度慕うものです。
高く尊いあなたがおられることを思うときに、
世俗的で不足な人間像を知っている私たちは、
気高いそのみ旨の前に一致することのできる内容と
すべての価値を追求せざるを得ません。
また、堕落したこの地上にいる人間たちが、
神様の理想の世界から脱落した者たちであることを考えるとき、
自らをつかんで善の世界に引っ張っていくべき責任が、
天にあるのではなく、
人間自身にあることを私たちは考えるものです。
お父様!
私たちが置かれている立場は、
宇宙の中心におられ高く自存される立場で、
愛を中心とする理想の主であられるお父様とは、
あまりにも懸け離れていることを自ら悟っていますので、
この遠い距離を埋めるためには
順理的路程の恨めしい復帰の道が
横たわっていることを知っています。
この道を前進していくには、
父母の協助もあり得ず、
その誰の協助もあり得ないことを知るものです。
神様だけを中心とする切なる心情と、
生死を意に介さず努力する本性の心情のみによって、
ここに到達することができるという事実を考えた
きょうこの統一教会の群れたちは、
そのような目的を自分自体から
家庭と氏族と民族と国家と世界に拡大させるための、
とてつもない使命を感じています。
自ら置かれた不完全な立場で、
家庭の完全さを追求することができず、
家庭の不完全な立場で、
国家や世界の完全さを追求することができないということを考えるときに、
今日、人間としてとどまっているこの立場がかわいそうな立場であることを、
私たちはよく知っています。
堕落圏がこのように全体を包括し、
すべての生命圏を制圧しているという事実を知り、
これを克服して越えていくことのできる自分自身の発見と
自分自身の能力が必要だということを知っています。
それを発見することのできる新しい真理が私たちに必要であり、
これを克服することのできる力が必要ですが、
その力はただ自己のための愛ではなく、
神様のための愛からだけ出てき得るということを
私たちは知っています。
お父様!
この場で
自ら強く大胆な生命力と
愛の心を備え、
お父様に向かって突進することのできる、子女たちの姿を備えるよう
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。
万々代の恩賜とみ愛とをもってとこしえに共にいてください。
真のご父母様のみ名によって祝願申し上げました。アーメン。
(一九八〇・一一・九)
2-50 世界復帰のために心労する子女たちを記憶してください
あなたの慈悲とみ愛と恩恵と権能が、
全被造世界に充満するようにしてください。
明日の望みを果たしてくださるためのあなたのご苦労の歴史を、
私たちは再び身をかがめてよく見ながら、
過ぎし日の足らなさをもう一度悔い、
私たちに任せられた重大なる使命を前において、
もう一度決意すべきこの時を迎えましたので、
お父様、
私たちに刺激を下さり、
能力を加えて、
あなたのお喜びになられるみ旨を奉じ侍ることのできる、
真の子女の姿を備えるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様
全世界に散らばっている統一の群れたちを
祝福してください。
この韓国の地に向かって、
信仰の祖国として欽慕しながら、
この朝にもお父様のみ前に精誠を尽くし、
師のいる所に向かって
平身低頭し精誠を尽くしているその場の上に、
ひざをついてあなたのみ前にひれ伏したその場の上に、
満ち満ちた生命の因縁と恩賜が共にあるようにしてください。
あすの同志として、
あすの兄弟として、
あすの統一の家族として不足のない
統一の役軍となるようにしてください。
全世界百二十七カ国に散らばっているあなたの子女たちを
祝福してくださり、
そこから涙してあなたのみ前に訴えたすべての祈祷と、
あなたの子女たちが命を懸けて
その国を踏んで動かした、そのすべての土台が
無駄でないことを知っていますので、
霊界にいるすべての先祖たちと
地上にいる後孫たちを一致させて、
あなたが志された一つの国と一つの世界を成すことができるよう、
四方から一つの国の中心に追いやってくださいますことを
切にお願い申し上げます。
この時間、あなたのみ名をもって集う場所ごとに、
満ち満ちた恩賜をもって共にいてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によって祝願申し上げました。アーメン。
(一九八一・四・二六)
父の祈り 3 復活編
3-1 あなたの形状に似せてください
愛なるお父様!
愛のみ手を広げて、
不足なる私たちの手を取って、お導きください。
私たちが体と心を合わせてひれ伏しましたので、
お父様、
捕まえてお導きくださり、起こしてくださって、
私たちの心を天の心に変えてくださるよう
許諾してくださいますことを、切にお願いいたします。
今日、私たちがもっている
すべての現世の観念を、
お父様のみ前にすべて差し出し、
温柔謙遜な幼子の心情をもち、
お父様のみ前に出てきましたので、
お父様、
恩恵のみ手で
再創造の役事を巻き起こしてください。
聖霊の炎を表してください。
秘めていた愛を表して、
この者たちをして終わりの日に、
ふさがっていた死亡圈の門を開き、
お父様の勝利の栄光を表すことができるよう
許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願いいたします。
空の器があるならば
満たしてください。
お父様の十分なる恩賜に酔って感謝を捧げられ
お父様に栄光を帰すことのできる
生きた子女たちとして立ててくださり、
お父様が愛することのできる子女たちとして、
尋ねていただく恩賜を許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
天の動きに私たちの心が動じ、
天の動きに私たちの体も動いて、
お父様の形状(お姿のよう)に
心で、体で倣い、似ていくことができるよう
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・七・一)
3-2 私たちを再創造してください
生命の復活を約束されたお父様!
私たちの中に、
お造りになった本来の形状を再び探し出してください。
そして、その美をご覧になって、
お父様が楽しむことができ、
天上天下のすべての被造物の前に
堂々と立つことができ、
誇ることができる息子・娘として立ててくださいますことを
愛するお父様、
切にお願いいたします。
お父様!
永遠の昔から約束された祝福のみ旨を、
私たちの心に納めることができますよう
お許しくださり、
私たちを天倫の前に立ててください。
悲しみを刺激させる
哀れな息子・娘とならないよう
お許しください。
お父様のお心に涙ぐみ、
お父様の稟性に涙ぐんで、
お父様が立てられた全体のみ旨を、
心と体を通して、
あなたが語られる前に成すことができ、
あなたが願われる前に行動することができ、
あなたが願われる前に実践することのできる
あなたの息子・娘たちとなるよう
お許しください。
万民にお父様のみ旨を教え悟らせてくださり、
万民の生命の土台を高くしてくださって、
その上に平和を表すことができるよう
お許しくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
今、ひれ伏した息子・娘たちが、
新しい気持ちでお父様のみ愛と祝福を受けることのできる
子女たちとなるよう許諾してくださり、
私たちの体が
お父様の祝福なさった栄光の美を備え、
その愛と美を備えることができますよう
お許しください。
お父様のみ前にそぐわず、
悲しみを生じ得る罪悪の苦い根を
抱いている息子・娘たちではないでしょうか。
お父様、
この時間に運行され現れてください。
そうして、直接的なみ手をもって
再創造の役事を巻き起こしてください。
すべてを、愛する主のみ名によって
心からお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・二・二五)
3-3 み言をもって善の実体を成す者とならせてください
お父様がエデンの園で
「良し、良し」と言われた
善のみ言の実体が、
地上にないことを嘆息しておられることを知るものです。
失われた善のみ言を
再び探し出すべき条件が残っている以上、
善の実体を探し出すことができないことを
私たちは知っています。
お父様!
善のみ言を表してください。
探し出された善のみ言をもって再命令してくださって、
善の実体を立てることのできる
お父様の特別な再創造の役事が、
私たちの体と心を通して起こるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
お父様!
私たちを尋ねてくださって、
み言の中心をお立てになり、
条件の役事を巻き起こしてくださって、
サタンの権限に勝つことができるよう
お許しくださり、
私たちの体と心が
サタン圏内に捕らわれているならば、
み言を通して分別して、
お父様の聖別の印を受けることができるよう
お許しくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
お父様!
私たちの心を新生させることのできる力が
必要なことを知っていますので、
力で役事してくださり、
能力で役事してください。
悪の全観念を除去し、
復活し得る生命のみ言を表して、
再創造の復活の役事を巻き起こしてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・一二・二)
3-4 お父様の善の実存体として復活させてください
我がお父様!
太初にお父様は善のみ旨を置かれ、
被造万物を造られ、
本質本性の基準として
不変の姿でおられましたが、
人間たちがそのようなお父様の
善の相対となってさしあげることができなかったがゆえに、
お父様の理想を
成してさしあげることができず、
善の良心の基準から
遠い距離に処するようになったということを
知っていますし、
またそのことが
天と被造万物の嘆息であったということも
知っています。
お父様!
私たちには
永遠の生命を捧げても、
探し出さなければならない摂理的な運命の道が
残っていて、
この道を最後まで行くべき使命が
残っていますので、
多くの努力をもってこの道を行くことができるよう
せき立ててください。
体を通して侵犯してくる悪の要素が、
善を指向する心の道をふさいでいますので、
お父様、
この闘いで
善を指向する私たちの心が、体の制裁を受けて
敗北する者たちとならないように
お導きください。
(私たちが)ひたすら心を導く善の力と
愛の力に導かれ、
お父様を尋ねて
不変の姿で和動することができ、
分離できない永遠の実存体として、
お父様の形状に似て、
永遠にお父様に侍り生きることができるよう、
(私たちを)つかんでくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
長い歴史過程を経て罪悪と闘ってきながら、
私たちは傷だらけとなり、
罪悪の根が
私たちの骨肉に打ち込まれています。
これを除去すべき責任が
私たちにありますが、
私たちはあまりにも不足ですので、
生命の権限をおもちになったお父様、
能力の権限をおもちになったお父様、
創造の権限をおもちになったお父様、
取るに足らない私たちの心と体に、
もう一度能力のみ手を差し伸べてくださって、
死亡の陰に捕らわれている
すべての悪の要素を除去してくださり、
その最も中心の刺激を受け、
勝利の心を生じさせることのできる
天の直接的な生命の役事を表してくださいますことを
切にお願いいたします。
そうして、
私たち自体から復活の権能を生じさせてくださり、
私たちが置かれた環境で
その最も中心を身代わりして、
復活の役事を巻き起こすことができる、
あなたの息子・娘となるようお許しくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
「不完全な立場にいる」と言って、
嘆息する私たちとならないよう導いてくださり、
完全な立場に向かって
走っていく路程において、
この道をふさいでいる
怨讐サタンとの闘いで勝利することをもって、
お父様の真の子女の資格を備えることができるよう
お許しくださり、
億万のサタンたちの前に誇ることのできる
息子・娘たちとなるよう導いてください。
そうして、
天の天軍天使がもっていた武器を
私たちが身代わりしてもち、
億万のサタンと闘い勝利できるよう
お許しください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・三・六)
3-5 真理・生命・愛の真の子女とならせてください
お父様!
恨み多い六千年のすべての内容と
お父様の内的なご事情を悟ることができるよう
許諾してください!
そして、心に悟るところがあるならば、
これに最後まで責任を負えるよう
許諾してくださいますことをお願いいたします。
お父様のみ言を与える者の責任が
貴重であることを感じると同時に、
受ける者の責任も、それに劣らず
貴重であることを悟るようになり、
むしろ与える者よりも
受ける者の責任が、もっと重いことを知るようになりました。
与える時はひと時ですが、
受ける時は永遠を置いて
受けなければならないことを知っていますので、
天からひと時受けたその真理を、
永遠に保存することのできる私たちとなるよう
許諾してくださり、
ひと時受けた生命を、永遠に保存することができるよう
許諾してくださって、
ひと時受けた愛を、
永遠に保存することができる私たちとなるよう
許諾してください。
そのような私たちとなってこそ、
神様の真の子女たちとなれるということが
分かるよう許諾してくださいますことを、また
切にお願いいたします。
この時間、私たちの心が空っぽですので、
空虚な私たちの心を満たしてくださり、
今まで何十回も天に背反したことを、
この時間に悔い改めますので、
受け入れてくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
そして、真理の鍵を探し出し、
生命と愛の鍵を探し出して、
残っている宇宙的な真理と生命と愛の門を開き、
天宙の中心としておられる神様の内的ご事情を
解いてさしあげることのできる子女となるようにしてくださり、
あなたが信じることのできる真の子女の座まで
進むことができるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
残されたすべてのものを分別してくださり、
不完全なすべてのものを満たしてくださり、
永遠なる天国が完全に築かれる日まで、
私たちをお導きくださいますことを切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・三・一七)
3-6 永遠なる真の父母の真の息子・娘とならせてください
愛するお父様!
私たちの前に残っているのは、
ただ天倫のみ旨だけだということを
私たちは知るものです。
そしてそのみ旨の中心が
お父様と真の父母であるということを知っていますし、
また地上に生きている人間たちは
真の父母の真の息子・娘となるべきだということも
私たちは知りました。
それだけではなく、
お父様が私たちに願われることは、
万民が一つの兄弟となることであり、
万民がお父様の真の息子・娘となることだということを
私たちは知っています。
お父様!
私たちは、またあなたが願われる
息子・娘の立場に立とうとする人々を遮り、
被らを蹂躙する罪が
この地上のいかなる罪よりも大きいということを
知っています。
人間の真の誠実さを蹂躙することも、
受け入れられない罪ですが、
真の兄弟愛を失わせることが
天倫の前にもっと大きな罪となるということを知っていますので、
これを忘却しない私たちとなるよう、
導いてくださいますことを
切にお願いいたします。
お父様!
深い眠りの中から起こしてくださろうとする天倫の前に、
ある兄弟ゆえに起き上がれないと言うならば、
どうして牧者の引導を受けて動じる
自分だと言うことができるでしょうか。
私たちがそのような立場に立たないようにしてください。
その兄弟の分までも、自分が責任を負い、
天倫を身代わりして
隠れた祭壇を築き得る息子・娘となるよう
お許しください。
そして、あなたが願われる永遠なる息子の理想を
立てるようにしてくださり、
いつも見つめておられる
お父様の視線があることが分かるようにしてください。
お父様の愛のみ手を感じるよう許諾してくださり、
お父様が呼びかけられるみ声を聞くことができるように許諾してくださって、
戒めのみ言を語られ、
切ないお父様のご心情を体得し、
お父様のご心情に似て、
お父様の性相に倣って、
そのみ旨の前に千万遍死んでも
敬礼を捧げ、感謝することのできる
イエス・キリストの一番弟子となるよう
お許しくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
お父様!
この道を遮っている
数多くの怨讐たちに対して、
天倫を身代わりする公義の心情と
公憤の心情をもって闘うことができるようにしてくださり、
お父様のみ前に勝利のひと日を帰し奉るために、
耐えに耐えて前進させてくださって、
勝利のその日を迎え、
その間耐えてきた私たちの恨みを
お父様に申し上げることができるようにしてくださり、
お父様の貴いみ手をつかんで、
慰労を受けることのできる立場まで行くことができますよう
お導きください。
眠っているこの地上のすべての人類を
目覚めさせるようお許しくださり、
創造されたすべての世界が嘆息圏内にいますので、
私たちを動員してこれを回復するようにしてくださって、
人類に対して各自が責任を完遂して、
すべての者が天国人となることができますよう、
天の知恵をお与えください。
どのような闘いの路程であっても、
意に介さず、立つことのできる息子・娘となるようにしてくださり、
自分のすべてのものを放棄したとしても、
み旨のためのみに立つことのできる
天の精兵となるようお許しくださいますことを
切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・五・一九)
3-7 再創造のみ手で私たちを守ってください
私たちは
お父様にお捧げする何ものも
もっていません。
お父様のご心配の対象として現れましたので、
哀れみのお父様、
能力のお父様、
愛のお父様、
私たちを現在の私たちとして、
残しておかないでください。
私たちを引き受けてくださらなければなりません。
億万のサタンたちが私たちを包囲し、
私たちの生命をねらっていますので、
お父様、
私たちをお守りください。
今日、私たちの個体が
お父様の深いみ愛の中に浸り、
お父様の栄光を心から謳うことができるよう
お許しくださり、
ここにひれ伏し、敬拝することのできる
このひと時となるよう許してくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
私たちの生活の中に、
(お父様が)許諾なさらない行動が残っていますし、
お父様のみ旨の前に示し得ない要素が
多くあることを知っていますので、
哀れみのお父様、
能力のお父様、
勝利の権限をもって現れてくださり、
再創造のみ手を施してくださいますことを
切にお願いいたします。
お父様のみ前にすべてを依託しますので、
生きた祭物としてお取りくださり、
一つの生命だに
お父様のみ旨を外れることのないよう
お導きください。
サタンの攻撃を受けたとしても、屈せず
お父様を「私の父」と呼ぶことのできる
真の息子・娘となるよう許してくださいますことを
切にお願いいたします。
きょうも困難な闘いを闘っている
孤独な息子・娘たちがいますので、
お父様の再創造の権能を現してくださり、
お父様の息子・娘であることを証すよう
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・九・一五)
3-8 天の生命を備えさせてください
お父様のみ前に出てきたとき、
愛を感じられなかったことを
受け入れてくださり、
世のために苦労できなかったことを
受け入れてください。
お父様のご苦労と
お父様の悲しみと
お父様の困苦の路程を推し量るとき、
私たちの心が悲しみを感じられるよう
許諾してくださり、
私たちの心が困苦を感じられるよう
許諾してくださって、
痛みを感じることのできる
息子・娘となるようにしてください。
このような息子・娘とならなければならないことを知っていますので、
愛のお父様、
神様の生命を備えることができるよう
許諾してくださり、
生きて天を尋ねるために集まった息子・娘ですので、
自分たちのすべての罪悪相をもって
お父様のみ前に立つことができないとしても、
お父様が六千年間闘われながら
血の祭壇を積んでこられた
復帰の恩賜を見つめ、ひれ伏した者たちですので、
受け入れてください。
そうして、
私たちの心がお父様を喜ばせてさしあげられるよう
許諾してくださり、
私たちの体がお父様を喜ばせてさしあげられるよう
許諾してくださって、
お父様のものとしてすべてを捧げることができるよう
お許しくださいますことを、
愛する我がお父様、
切にお願いいたします。
今、個々人の心中をお父様が洞察してくださり、
自分の心の中心に染み通っている
要求の目標と望みの中心が何かということを
たどり探ることができるよう許諾してください。
自己を中心とする、その何かがあるとするならば、
摂理のみ旨の前に、
天の中心を探し立てることができない自らであることを
悟るよう許諾してくださり、
自分自ら察して、
天のみ旨に逆らうことがないように導いてください。
ただ罪人であることを自認しながら、
自らお父様のみ前にひれ伏して、
すべてのことをありのままに報告し、
お父様のみ前に涙の悔い改めをすることのできる
切実なる欽慕の心情だけが、
あなたの息子・娘の心と体にあふれ流れるよう
許諾してください。
そうして、
その心を中心として
復活のみ業を巻き起こしてくださいますことを、
我がお父様、
切にお願いいたします。
私たちはお父様のおひざの前にひれ伏しましたので、
お父様、
あらゆる心の門を開き、
天のみ旨に浸ることができるよう許諾してくださり、
お父様のみ愛の懐に浸れるよう
許諾してください。
そうして、
お父様のご心情を
体得するよう許諾してくださり、
お父様が願われる
栄光の姿で現れるよう
許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・一・一九)
3-9 罪悪の根を清算し、新しい道に行かせてください
お父様!
私たちの心を探るよう許諾してくださり、
私たちの体を推し量るよう許諾してくださって、
心と体がお父様のご心情に合致することのできる
息子・娘となるように導いてください。
天上のすべての聖徒たちは、
摂理のみ旨を奉じてきながら、
堕落の子孫となりましたゆえ、
お父様のみ前に頭を上げることができず、
心苦しいということを私たちは知っています。
地上の私たちは、
お父様のみ前に頭を下げて、
お父様のみ意に備えるために
努力すべき者たちですので、
私たちの心の中に
高慢さがないよう許してくださり、
私たちの態度が、
お父様のみ前に不忠実とならないようお許しくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願いいたします。
お父様のみ前に近づいていけばいくほど、
頭を下げざるを得ませんし、
自分の罪を、自らありのままに報告せざるを得ないことを
感じるものです。
自ら罪人であることを認め、
お父様の哀れみと愛のみ手を待ちながら、
頭を下げ、
お父様のご心情をお慕いすることのできる
切実な心をもつようお許しくださり、
私たちにもし暗い罪悪の根が残っているならば、
お父様、
それを除去してくださいますことを
切にお願いいたします。
そして、
私たちが、この時間
お父様の命令によって、
新しい道を開拓していくことができるよう
役事してください。
新しい権能を受けて、
新しい行動を起こすことのできる、
天の源泉的な力を備えるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願いいたします。
私たちがもっている
ある理論や、
私が知っている
ある知識・主義・主張・観念があるなら、
お父様、
それをすべて忘れ去り、
ただお父様をお慕いすることのできる、
心を同じくする者となるよう許諾してくださり
私たちの体と心に備わっているすべてのものを
祭壇の前に、黙々と捧げることができるよう
お許しください。
そうして、
私たちを
新しいみ言で、再び造ってくださいますことを
切にお願い申し上げ、
お父様の愛の懐に抱かれる
直接的な再創造の役事が
ここに現れるようにしてくださいますことを、
切にお願いいたします。
そして、
お父様の悲しみを解いてさしあげ、
お父様に喜びと栄光をお返しすることのできる、
真実の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・三・二)
3-10 本然の人間に回復するようにしてください
お父様!
お父様に向かって、
私たちの心情が無限にわき上がるよう許諾してください。
そのような心情の中で、
お父様が万物を創造された
その創造理念を伝えてくださって、
お父様が動ずれば私たちの心が動じ、
お父様が静ずれば私たちの心情が静ずることのできる
ものたちとなるようお許しください。
今、私たちの心と私たちの心情が、
お父様によって動じ、
お父様のものとしてのみ用いられるようにしてください。
そうして、
お父様のもののみをもって和することができ、
お父様のもののみをもって本質世界に染まることのできる、
私たちの体と心となるよう許諾してくださいますことを
切にお願いいたします。
きょう私たちの心は、
本然の心情がとても慕わしく、
(私たちの心は)創造本然の本性となることを求めます。
そのためには、
お父様の新しいみ言が必要であることを
知っています。
お父様がお喜びになるために造られた人間が、
たとえ堕落して邪悪な世の中に生きているとしても、
本性は本然の世界に向かって動いています。
本性を呼び起こすための
本然の再創造のみ言を待ち焦がれること六千年、
そのようなみ言を思慕し尋ねること六千年……。
今や、死亡の都が
審判のひと日を目前にしています。
お父様、
このような時に際して
恐怖の世界であえいでいるこの人類、
行くべき道を知らずに彷徨しているこの人類、
中心を失ってしまい、
処すべき立場を知らず、
とどまる所を探し出すことができないでいる人類を哀れにお思いくださって、
あなたの懐に帰ることができるよう
お導きください。
ここに集まった子女たちは、
お父様がお尋ねになることのできる聖殿であり、
本質的な土台であることを知っています。
お父様が運行なさらなければ、
この地上のすべての被造万象は、
審判のひと日を迎えて
限りない苦痛を味わいますので、
お父様、
再創造のみ手を差し伸べてください。
愛するためにアダムとエバを造られた、
本来の創造原則があるではありませんか。
その原則に頼って、この人類を
お父様のみ前に再び探し立てるために、
疲れも意に介されず、
憤懣も悲しみも意に介されず、
悔しさと涙の道も意に介されず、
血の祭壇も意に介されず
「私」を捕まえてくださっている、お父様のご心情を
知ることができるよう許諾してください。
そうなさるしかないお父様の歴史的なご事情が
分かるようお導きください。
お父様の焦るご心情を(私たちが)察して、
この時間謹んで、
お父様のものとしてのみ和するようにしてくださり、
お父様のもののほかは一切除去させてください。
お父様が楽しまれるならば、
私たちも楽しむことができ、
お父様が動じられれば、
私たちも動じることができるよう許諾してください。
そうして、
万象の前に、一つの美の栄光を備えた
本然の姿として現れ、
新しい声をもって伝播することのできる者たちとして
回復してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願いいたします。
今、「私」の心が「私」の心でないことを知り、
「私」の体が「私」の体でないことを知り、
「私」が暮らしているこの地が
「私」のものでないことを知りました。
この宇宙が「私」のものではなく、
お造りになったすべてのものが
「私」のものではないという事実を知りました。
このすべてのものは、
お父様から由来し、
お父様のみ旨と連結されたものとして、
お父様のために造られたことを知っています。
このように造られた一つの中心に対して、
万民が喜びの栄光を探し出さなければならないのが、
創造の本性であることを知っています。
お立てになった中心の栄光に和して、心が動じ、
全宇宙が動じることのできる、そのような和動の実体、
本然の実体として回復してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・一二・二一)
3-11 本然の価値を悟らせてくださることに感謝いたします
み旨の前にお立てになって
子女の名分を教えてくださり、
私たちの本然の価値を教えてくださったお父様のみ前に、
この時間、感謝申し上げざるを得ないものです。
今、私たちの心を
お父様のお心と連結させ、
お父様のお心を身代わりすることのできる
心となるようにしてください。
私たちが心で感じるすべてのことが、
お父様を身代わりした感覚となるようにしてくださり、
私たちが体得するすべてのことが、
人性を越え、天性を身代わりして
体得することのできる
このひと時となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願いいたします。
お父様!
お父様と離別した私たちは、
再びお父様と出会わなければなりませんので、
私たちの歩みが、
お父様を探すためにあえぐ、
切実なる歩みとなるようにしてください。
切実なる心情と
切実なる忠節と、
そこからわき出る品行を
備えなければならないということを知っていますので、
お父様、
私たちが新しい覚悟をもち、
出発するようにしてください。
このひと日、
私たちの心中が、
お父様のみ前に
一つとならなければならないということを知りました。
私たちは、
お父様のみ手に捕まらなければなりませんので、
お父様、
親しく尋ねてくださって、
私たちの心をなだめてくださり、
私たちの体を抱いてください。
お父様、
切にお願いいたします。
今、私たちが
お父様のみ前に、
一つの生きた祭物とならなければ
ならない
ということを知っていますので、
このひと時から、
お父様のみ前に生きた祭物として捧げられる
私たちとなるようお許しください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一・一一)
3-12 本然の姿を忘却した無知の眠りから目覚めさせてください
目を上げて、
天を見つめなければなりません。
私たちの目は悪くなるだけ、悪くなってしまいましたが、
昼でも夜でも、休まず、
何が現れるかを
見つめなければなりません。
アダム以後の歴史において、
散り散りに残されてきたすべてのものを見つめなければなりません。
このようなことが、私たちをして
生命の中心と理念の基準を探し出すことができないようにしましたので、
これを克服し、天を再び見つめることのできる心、
人情を超越して
天情に徹することのできる
心をもつようにしてください。
私たちは、失われた本然の園、
失われたお父様の理念を探し出して、
万物を主管し、守るべき者であり、
万物と共に愛の因縁を結び、
それを束ねてお父様のみ前に帰し奉るべき者であり、
お父様が天地を創造されたご心情を通して、
お父様の愛の花を咲かせ、
結んでさしあげるべき全体的な責任を負っているということを
知っています。
そうですので、一歩も踏み出すことができないまま、
深い眠りの中に入っている
すべての世界人類を目覚めさせてくださって、
新しい光明の朝を迎え、天を見つめ、
再び目覚めることのできる群れとなるよう
許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願いいたします。
新たに目覚め、天を見つめ、
世界歴史の前に新しい意志を示すことのできる、
第二の群れとなるよう許諾してくださり、
新しい理念と新しい心情でもって結び合う、
新たな氏族を動かす
私たちとなるようお許しくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
天に向かって、
再び目覚めるようにしてください。
人類が望むことのできない新しい所を、
探して立つことのできる群れとなるようにするため、
この民族の行くべき道がまず遮られたということを
知っていますので、
失望することなく、疲れも忘れ、
きょうもあすも、たゆまず進むよう
導いてください。
再び目覚め、
天を見つめられる群れが現れてこそ、
この地がよみがえるのであり、
その動きによって
世界がよみがえることを知っていますので、
これに責任を負う群れとなるよう
お許しください。
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・二・一五)
3-13 私たちの心と体を主管してください
お父様!
私たちの心と体を主管してください。
私たちには心がありますが、
私たちのものではないことを知りましたし、
体がありますが、
私たちのものではないことを知りました。
心は善なる方向を指向しますが、
体は悪なる方向に進もうとしますので、
その間であえいでいる自らであり、
天の嘆息圏を
脱することができずにいる私たちであることを、
お父様もご存じで
私たちに対してくださっているということを知っています。
お父様、
このような私たちを哀れにお思いになって、
私たちに天の生命の恩賜を加えてくださり、
私たちの心中に、強力な復活の力を
加えてくださらなければなりません。
体は心を屈服させようとしますが、
天のみこころは
心が体を打って、
心の前に体を永遠に屈服させることのできる、
勝利の一基準を探し出すことです。
このような基準を今日、
私たち自身を通して成就しなければならない
必然的な闘いが残っていることを、
私たちは知っています。
このようなわけで、
私たちの前に相次いで現れる闘いは、
私たちが恐れる闘いではなく、
このような闘いの環境でぶつかってくる
あらゆる悲しみが大きな悲しみではなく、
心と体の闘いにおいて、
心が体の主管を受けているという事実が、
もっと大きな悲しみだということを、
きょう私たちが
感じるよう許諾してください。
お父様!
強い心を生じさせてくださり、
強い恩賜を加えてください。
私たちの心が、
体を屈服させることのできる能力を
所有できるよう助けてくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
このことが
私たちから成就されなければ、
全体の生命の復活を成すことができないということを、
私たちは心を中心とした生活を通して
知っていますので、
お父様、
私たちの心がわき上がらなければ
なりません。
生命に対する心、
恩賜に対する心、
復活の役事に和することのできる心、
その心に受けた衝撃と感激が、
私たちの体を包み、
私たちの環境を包むことができるよう
許諾してください。
そのような天的な再創造の役事が、
私たちの体の中に
現れるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
私たちの心は、
お父様の栄光に向かって
無限に燃え上がっていますが、
お父様に向かう私たちの体は、
無限に疲れ、あえいでいる立場にいますので、
お父様、
このような環境を調節して、
心が願うとおりに体を動かすことのできる
喜びの園が、
この地の万民の前に
早く早く現れるよう許諾してください。
そのような息子・娘たちがいるなら、
歴史に永遠に残してくださいまして、
彼らをしてこの地を主管し、
天を動かすことができるよう祝福してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・四・二六)
3-14 私たちを哀れに思い、再創造の役事を起こしてください
お父様!
悲しみに疲れ果て、困難に疲れ果て、
行くべき方向すら分からずあえいでいる私たちを、
哀れにお思いください。
すがるところを知らず、彷徨する私たちを
捕まえてください。
あなたが私たちに許諾された恩賜が、
素晴らしく、大きいことを
感じる私たちでしたが、
その恩賜を受けても、
お父様のみ前に
栄光を帰し奉ることができない、不忠なる私たちを、
お父様、
受け入れてください。
お父様は
悲しい世の中から、その悲しみを避けていくことのできる道を、
私たちに前もって提示してくださいましたが、
その予告されたみ旨を奉じるのに
十分でない私たちであったことを
受け入れてください。
苦しい行路を行くべき私たちでしたが、
これを避けることのできる一つの道を、
私たちに立ててくださったということを知りながらも、
お父様のみ前に感謝して、その道を行くことができなかったことを
受け入れてください。
今、残された生涯を
お父様の喜びとお父様の栄光のために、
お父様の意中に任せて生きることを
望んでいますが、
地上には死亡の権限と
罪悪の権勢が、あまりにも強く
私たちの周囲を取り囲んでいます。
これを脱することが困難なことを、
お父様もご存じですので、
哀れみのお父様、
この時間、顕現してください。
いまだに
解放された立場でお父様の栄光をほめたたえ、
お父様のみ前に
喜びを帰し奉る私たちとなっていないことを、
お父様、
受け入れてくださり、
新しい能力のみ手を差し伸べてくださって、
暗やみの権限を制圧してください。
私たちが勝利の姿をもって
復活の栄光を謳うことができるよう、
再創造の役事を巻き起こしてくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
死亡の権勢が
私たちを襲っていますので、
生命の感触と生死の判別を経て、
これを蹴落としていくことのできる
自動的な力と
自発的な能力が必要ですので、
お父様、
それを念願するあなたの息子・娘たちがいるならば、
彼らに親しく能力を加えてくださり、
復活の権限を許諾してくださって、
あすの望みを抱き、
一日一日の生活を開拓していく
天の精兵となるようにしてくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願いいたします。
今まで、歩んできた生活のすべてが足りなかったとしても、
お父様、
受け入れてください。
あすの新たな約束に対して予告し、
私たちに衝撃を与えようとするお父様のみ意があるとするならば、
そのみ意とその理念とその望みを見つめながら、
きょうもあすも
開拓者の責任を果たすことができるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願いいたします。
お父様!
お父様のために生きたく、
お父様に従っていきたく、
お父様のご心情に倣いたい心ですので、
これを基盤としてお父様が役事してください。
お父様が動じてくださって、
私たちに復活の栄光を示してください。
そうして、解放の恩賜圏内に
私たちを移してくださいますことを
切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・六・七)
3-15 新しい心情をもってお父様と関係を結ばせてください
数多くの人々が
心で慕い憧憬するものは、
望みの園、
理念の園でしたが、
お父様を抱きしめ、
この園が望みのすべてだと
賛美する人はいませんでした。
お父様、
きょうここに集まったあなたの息子・娘たちに、
今何か感じることがあるとするならば、
お父様に対する感情を
感じるよう許諾してください。
お父様が理念のすべてであり、
お父様が生命のすべてであり、
お父様が愛のすべてであることを
分かるようにしてくださり、
お父様のすべてのみ意を
身代わりすることのできない私たちでありますがゆえに、
きょうお父様が
その威信を立てられる環境で、
私たちに対することのできないことが悲しみであることを、
分かるようにしてください。
今、お父様の威信を立ててさしあげられる
私たちとなるようお許しくださり、
イエス様の威信を立ててさしあげられる
私たちとなるようお許しくださいましたので、
地上に悲しみがあるならば、
それを「私」のものとして引き受けられる
者とならなければなりません。
地上に苦痛があるなら、
これは「私」が引き受けるべきものであることが
分かるよう許諾してください。
地上にいる私たちは、本当に
お父様のお心に通じなければならず、
イエス様のお心に通じなければなりません。
「お父様の悲しみと困難は、
私が引き受けよう」という覚悟をさせてくださり、
すべてのものを蹴落とし、
お父様の生命の恩賜を
感じなければならない、
歴史的な転換期に置かれているということを知っていますので、
今、私たちが
新しい心の本質をもつよう許諾してください。
今、私たちが
新しい理念と新しい心情を備え、
お父様と関係を結ぶことのできる
一つの基準をもつことができなかったとするならば、
歴史の審判とともに
清算される運命を免れないということを、
この時間悟るようにしてくださいますことを
切にお願いいたします。
イエス様も
このことのために生きられたということを(私たちは)知っていますし、
三十年余りの生涯を
自分のために生きられず、
民族と堕落した人間たちのために生きられたということを
知っています。
今、イエス様ご自身のために生きることのできる
天国の時代が来たということを知っていますし、
その国の民として、
その時代の選んだ者として立つためには、
地上でイエス様が経験された
十字架の山また山の道をすべて越え、
勝利した実体の姿として、
復活の栄光を許諾していただかなければならない
最後の課業が、私たちに残されているということを
知っています。
このような内容を知ったからには、
その実体とそのみ旨に自分を符合させ、
そのみ旨の目的を成就させるための
一つの実体的な祭物を準備しなければならないことを知っていますので、
お父様、
共にいてください。
お父様が認定できる
勝利の祭壇を造成し、
本然の聖殿を備えられる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・六・七)
3-16 人類の真の先祖となるよう導いてください
行けども行けども終わりなき復帰の路程であり、
恨みが残されたまま、
回りに回らなければならない私たち人間であることを
知っています。
しかし、
ご苦労されたお父様の心情世界に通じるようになるとき、
回っていた悲しみの歴史が、
今日、私たちと関係を結ぶようになり、
今日の闘いの関係は、
未来の因縁を造成し得る土台となることができ、
無限なる望み、
無限なる幸福、
無限なる慕情の園を
建設してみせるという、この心情の因縁を
私たちが知らなければなりません。
お父様がアダムを引き連れ、
あちらこちらと回られながら、誇ることのできる
その山川がどこにあるでしょうか。
アダムと共に誇りたかった、
咲きゆく花がどこにあり、
育ちゆく樹木がどこにあり、
青々とした草原がどこにあり、
流れゆく小川がいったいどこにあるでしょうか。
そのようなご心情に通ずる境地で、
お父様に伴った立場に立つことができたはずのアダムは、
堕落して、お父様のそばから離れましたが、
今、私たち自身は
お慕わしいお父様の横に侍り、
万象と共に、
万民と共に、
全天宙と共に楽しむことのできる
喜びの姿となるようにしてくださいますことを、
我がお父様、
切にお願いいたします。
お残しになった十字架の怨恨も、
慕わしさをもって行かなければ
因縁を結ぶことができず、
お残しになった栄光の座も、
慕わしさに徹して
理念の園を欽慕する心がなければ、
因縁を結ぶことができないことを
私たちは知ったので、
慕わしい心情をもち、
本然の人間として、
本然の園で万物に対することのできる息子・娘、
堕落の因縁を結んでいない、
お父様の祝福を受ける勝利の息子・娘たちとなるよう
許諾してくださって、
人類の真の先祖たちとなるよう
導いてくださいますことを切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・六・二八)
3-17 お父様の生命のご心情を接ぎ木してください
あちらこちらと歩き回り、
生命の道を求めて
お父様のみ前にひれ伏した私たちであることを
悟らざるを得ません。
きょう、お父様を
「アバ、父よ」と呼ぶことのできる立場に
立ててくださった恩賜と、
私たちが知らない間に
無限の苦労を意に介さず、
私たちを保護し、分別してくださって、
この立場まで導いてくださった恩賜の前に
何をもって報いましょうか。
報いる何ものも
備えられませんでした。
体を捧げてもその恩賜に報いることができず、
心すべてを捧げても、
お父様のご苦労の功績の前に、
頭を上げることのできない不足なる者たちであることを、
この時間に感じざるを得ません。
ここまで導いてくださったお父様に、
私たちを生かすべき責任もございますが、
私たちを通して栄光のひと日をご覧になるべき
お父様のご事情があり、
願いがおありだということを
知るものです。
また、このような私たちをご覧になり、
慰安を受けようとなさるお父様であられることを思うとき、
足らない私たちに望みをもたれ、
歴史路程の山また山を
耐えてこられたお父様のみ前に、
面目がないことを感じざるを得ません。
私たちの血肉が
お父様のご心情を思いやることを知り、
私たちの骨が
一つの人格を構成することのできる
形態を備えたとするならば、
それ自体が
お父様の不変の姿を証すことのできる、
一つの構成体となるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
細胞の一つ一つまでも
お父様に属し、栄光を帰することのできる、
神聖で、栄光なる実体を
どれほど待ち焦がれられたことでしょうか。
歴史路程において、
私たちの先祖たちは、そのような姿をもって
お父様に侍ることができませんでした。
天に従いながらも、
時には恨みもし、
時には背きもし、
選民権を誇りつつも、
それを放棄してしまうこともあった
歴史的な事実を知っています。
お父様!
このような恨み多い血統を受けた私たちであるがゆえに、
きょうは神様を自信をもって信じると言っても、
あすには天に背き得る、
悪なる世界に近い立場にある者たちです。
このような私たちを、
お父様、
哀れにお思いください。
お父様、
捕まえてください。
私たちの渇いた心に、
お父様の生命のご心情を接ぎ木してくださり、
新しい生命に躍動する
復活の役事を巻き起こしてくださいますことを、
切にお願いいたします。
今日まで、
地上に生まれ逝った人も多く、
今も生まれ逝く人がたくさんいますが、
お父様のご事情をつかみ、
痛哭する人がいませんので、
今日私たちが、
お父様のご事情と
お父様のご心情をつかみ、
痛哭することのできる者たちとなるようにしてください。
天と地を恨み、
歴史を恨み、
堕落した先祖を恨むことができ、
お父様に「私」が侍ろうという、
お父様のために生きようという気持ちに徹した
息子・娘たちが、地上に多くなるようにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・九・六)
3-18 上下・前後・左右に結ばれた存在であることを分からせてください
お父様は
あるうわべの形態を要求なさるのではなく、
心中深く染み入っている本然の自分自身を覚醒させ、
お父様を欽慕する心を尋ね、
お慕いになるということを悟るようにしてください。
歴史路程と、
時代的に複雑な闘いの路程を経てこられながら、
願われる望みの姿を探し出そうと、ご苦労なさったお父様のことを
今日の「私」が、「私」一人きりではなかったということを、
感じざるを得ません。
私たちがこの地上に生まれたときには、
上下・前後・左右の因縁を中心として生まれました。
この因縁が何となく、
完全無欠な一つの目的の価値、
あるいは全体的な対象の価値を追求するよう、
私たちをせき立てているということが分かるようにしてください。
このような自我の姿を中心として、
上には天があり、
下には善の歴史が
天倫と共に動いていることを分かるようにしてくださり、
前には望みの世界と
左右には私たちの同志と民族と同胞がいることを感じ、
本然の心情をつかみ、
このすべてのものを観察することのできる、
上下・前後・左右と因縁を結ぼうとする
息子・娘たちとなるよう許諾してください。
自らのすべてのものを忘れてしまい、
これが慕わしくてたまらない人がいるとするならば、
彼らが時代的に受け入れられず、
生活的に反対を受ける路程を歩んだとしても、
終わりの日には必ずや
天性の前に立てられることを知っています。
お父様、
今、お命じください。
お話しください。
私たちが心で
お父様のご心情を待ち焦がれ欽慕しますので、
お父様、
悩み苦しまれることがありますなら、
私たちに体得させてくださり、
悲惨で切ないことがあるなら、
私たちの体を通して実証させてください。
私たちの体をもって実証する場で、
お父様の実存を感じ、
お父様のみ前に頭を下げ感謝を捧げることのできる、
望みの息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・九・二七)
3-19 子女の栄光と子女の名分をもつよう許諾してください
きょう、取るに足らない私たちが、
驚くべきお父様のみ旨の前に現れるようになるとき、
まず私たち自身が
足らないということをはっきりと悟り、
天のみ前におそれ多くも立つことのできない堕落した後孫であることを、
骨肉に染みて感じなければなりません。
どう見ても、
天のみ前に立てて誇るべき
何ものももつことのできなかった私たちであることを知りました。
先祖から伝わってきた血統も、
あなたに背反した血統であり、
先祖の血と骨と肉を受け継いだすべての先知者たちも、
あなたが喜んで、
永遠なる愛のご心情をもって、
広いそのみ愛の懐に抱くことのできない
罪悪の苦い根をもっていたために、
今日の私たちも
天のみ前に受け入れられるにふさわしくない者たちであることを、
あまりによく知っています。
あなたがこの上なく善に造られた者たちが、
あなたが嫌いになるしかない
部分と要素をもち、この地上で生きるという
この悔しい事実を知るとき、
私たちは痛嘆せざるを得ません。
今、私たちの血と肉と細胞の一つ一つに、
悪の根性と悪の要素が潜在しているという、
このぞっとするような事実を
かき分け、
踏みつけ、
無慈悲に切ってしまうべきことを知りました。
お父様の聖なる本性と因縁をもつことができず、
本性の心情と
本性の血統と
本性の骨肉を受け継ぐことのできなかった
恨み多い後孫であることを、
私たちは告白せざるを得ません。
このような私たちの中で、
あなたが永遠無窮に遺業として残すべきエデンの園に立てて、
祝福することのできる息子・娘がどこにいますでしょうか。
しかし、この不足な者たちに
赦罪の条件、
受け入れの条件を立ててくださり、
あちこちご覧になって、
「罪がない」と言うことのできる立場に立ててくださろうとする
あなたの大きな恩賜の前に、
身をかがめ、頭を下げ、涙することのできる
息子・娘たちとなるようお許しください。
天を知れば知るほど、
お父様のみ前に心苦しい自らであることを
悟らざるを得ず、
行けば行くほど、
頭を下げてお父様のみ前に
自らの姿をさらけ出すのに
恐ろしさを感じざるを得ませんが、
これが天に従っていく道であることを知るものです。
きょうここに集まったあなたの息子・娘たちが、
息子・娘と呼ぶにはふさわしくないことを知っていますが
それでも
この者たちをお捨てにならない
あなたのみ意があることを知っていますので、
思いやってください。
険しい立場で
傷を負いながら生きてきた、この者たちのすべての傷を、
お父様が覆ってください。
いくら血と肉の因縁が切れた子供でも、
本然の心情を通しては、
「知らない」と言うことのできない立場にあるがゆえに、
あなたはこの者たちを
真の子供として記憶しようとされるということを知るものです。
お父様、
この日を祝福してくださり、
記憶してくださいますことを
切にお願いいたします。
きょうこの日を、
私たちが新しい歴史的な一日として立て、
体と心と心情のすべてを
お父様のみ前に捧げて、
子女の栄光と子女の名分に接することができるよう
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六〇・一一・二七)
3-20 お父様の心情基準と一致した立場に立たせてください
お父様!
今日は、
イスラエル民族が、
荒野で行くべき道を見いだせず、彷徨した
四十年期間と時を同じくし、
彼らの不信により、
イスラエル民族史が天のむちを受けて終わったのと、
時が同じであることを知るものです。
いかなる面から見ても、
今がそのような時であることを知るものです。
このような時を、収拾することのできる役事が起こることを、
私たちも望んでいますが、
私たち自ら
心を収拾し、方向を定めて、
ある道を行かなければならないと決心できなければ、
(お父様が)行くべき方向を教えてくださり、
そこに行けと言われても、
(私たちは)行くことができないことを知っています。
問題は、
この地のすべてがばらばらになっていることではなく、
「私」の心の中心がばらばらになったことであり、
処すべき位置と
進むべき方向を失ったことにあるということを知るものです。
このように自分が処すべき位置を知らず、
進むべき方向を知らないまま、
終末の現象を見つめる私たちは、
今お父様が中心であることを知ったからには、
お父様が願われる位置と基準に合わせるために、
自らひざをつき頭を下げて
精誠を尽くさなければなりません。
終わりの日には、頭に油を塗り、
密室にこもって祈祷しなければならないことを知っていますので、
お父様の心情基準と
私たちの心情基準が一致する立場に自分を立て、
生活において勝利の条件を見いだして、
その価値を論ずる私たちとなるようにしてくださり、
そうできないとするなら、
お父様のみ前に立つことができないということを、
私たちが分かるようにしてください。
このような立場に置かれている私たちであり、
このような社会と
このような世界の現象を眺めている私たちであり、
このような環境の中で、
体と心が苦痛を受けている私たちですので、
このような私たちを再びお造りになって、
心情の基準を立ててくださり、
お父様の中心的な役事を提示してくださり、
私たちの心の中心を聖別してください。
私たちの体と環境を聖別して、
あなたと出会うことができるようにしてください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六〇・一二・一一)
3-21 選び、縁を結んでくださったことに感謝をいたします
万世の栄光を賛揚すべき数多くの存在が、
お父様の懐に抱かれ、
お父様の栄光と共に、
お父様と共に生きなければなりませんでしたが、
人間の先祖のひと日の失敗が、
このように悲しみの歴史を編み、
凄涼とした峠道を越え、
涙と血と汗をにじませるようにしたことを思うとき、
お父様の恨み多い悲しみを慰労してさしあげる
何ものももっていないことを、受け入れてくださいますことを
切にお願いいたします。
堕落の後裔として生まれたことを
悲しまざるを得ない自分たちを、
哀れにお思いください。
しかし、捨てることのできない因縁をもって
尋ねてこられたお父様のご心情の前に、
感謝を捧げられる子女となるよう許諾してください。
数多くの民族の中で、
韓民族を尋ねてこられたことに感謝をお捧げし、
数多くの民の中で、
取るに足らない私たちを先に呼んでくださったことに
感謝をお捧げいたします。
このような福は「私」ゆえのものでないことを知り、
多くの民と多くの人類の前に、
その福を分けてあげる
福の機関の使命を果たす立場、
そのような天的な因縁を感じることのできる立場に立てられましたことを、
心から有り難く思うものです。
私たちが知らない間に、
お父様が因縁を結んでくださった因縁の実として、
この立場に召命を受けた自分たちであることに感謝し、
私たちが担った責任が
私たちの一個体にとどまっているという事実を
分かるよう許諾してください。
民族を越え、
人類と世界の前に影響を及ぼすべき使命が、
私たち個人個人の双肩にかかっているという事実を自ら肝に銘じ、
お父様のみ前に一歩を踏み出して、
責任を果たすことを誓うことのできる、
愛を受ける息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈りいたします。アーメン。
(一九六五・一二・二六)
3-22 お父様の子女という貴い価値を悟らせてください
一つの生命がこの地に生まれ、
間違いなく逝かなければならないのが、
人間共通の路程であることを知っています。
人として生まれ、
神様を探し求めていくとき、
自ら悟っていくことのできる善を備えることができない、
哀れな人々とならないよう
お許しくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
私たちが、
他人が手にすることのできない宝物を手に入れるためには、
他人が経ることのない
試練の過程を経なければならないことを知るものです。
涙と苦衷を経ずには、
自らの基準を高められないことが、
社会生活や被造世界の因縁を通し、
事実であるということを私たちは公認しています。
私たちが
神様のご心情を中心として
歴史全体を代表し、
天宙的な価値を代表して残され得る
宝物のような位置を占め、
お父様のみ前に孝行の道理をすべて果たすことをもって、
歴史に輝き得る
聖なる孝子の名前を有するようにしてください。
私たちの胸の中には、
木も草もありません。
空虚な中でも特に空虚であり、
空っぽの中でも特に空っぽであり、
乾いている中でも特に乾いたものです。
しかし、一つだけもっているものがあります。
それは「アボジ」と呼びたい心、
アボジに会いたい心、
アボジに侍りたい心です。
その心だけは、
天と地を与えても、取り換えられない
貴いものだということを知っています。
私たちが最後まで、
そのすべての価値ある者になろうという心をもつよう、
許諾してくださいますことを
切にお願いいたします。
私たちは、
それが至極貴く
価値あることであるということを知っていますので、
そのためには、
悲壮な心と血のにじむ闘争と
血のにじむ努力を傾けなければならないという事実をも忘れないよう許諾してください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六六・一二・一一)
3-23 私たちを選んでくださったことに感謝と賛美をお捧げします
お父様!
尊厳であられるお父様のみ前に、ひれ伏し祈祷するごとに、
喜んでおられるお父様のお姿でないことを
思えば思うほど、
心苦しく申し訳なさを禁じ得ません。
お父様、
あまりに広いこの天地の中で、
私たち韓国の民より劣った民族はありませんが、
お父様はこの民族をお選びになり、
数多くの人類の中で
お父様は私たちを尋ねてこられました。
頑是なく振る舞っている私たちを、
百遍、千遍保護されながら、大事にしてくださったことを思ってみるときに、
お父様はこの民族を愛してくださっているということを、
私たちを無条件に愛してくださっているということを、
再び感じるのです。
無知で世間知らずの者たちを尋ねてくださって、
成し難い
天地の福の理念を私たちに賦与してくださり、
人々が、夢にも思えない
聖なる恩賜の土台の上に、
無限にほとばしる心情をもって「お父様」と呼び得る
ひと日を迎えるようにしてくださったことに感謝申し上げ、
このすべてがお父様の愛のみ手であることを感じるものです。
お父様が今まで私たちをどのように育て、
お父様の命令を奉ずる
旗手となるようになさったかを考えるとき、
また、冷たい霜が吹き寄せるその悲しく過ぎ去った日にも耐えられながら、
復帰の道を立てるために行かれたあなたの道が、
どのようなものであったのかを考えるときに、
千万遍不肖をなした過去を、
もう一度、悔やまざるを得ません。
今日まで、あなたが越えてこられた
最後の勝利の基準まで、
追われながらも進むことのできるこの群れを、
この国、この民族の前に立ててください。
自分の体をかがめ、自ら恥ずかしさを感じながら、
むち打つことのできるこの者たちとなるようにしてください。
あなたがとても大きなみ旨に徹してこられたという事実を、
こと新しく悟るときに、
私たちは千万遍お父様のみ前に、
感謝に感謝を、
賛美に賛美を、
栄光なるお父様のみ前に帰す道しかないということを、
自ら感じるよう許諾してくださることを
切にお願いいたします。
お父様!
私たちは国のない民でした。
国を失った亡命者でした。
失った国を探し求めるための
飢えた乞食でした。
お父様のみ旨が、
新しい故郷、
本郷の地を探し立てる、真なるものであることを知ったので、
私たちは失った本然の家庭と本郷の地を探し、
サタンにあだを討たなければなりません。
それだけでとどまるのではなく、
サタンが付け込まない天的な福の機関である
私たちのすべての相続権を加え、
歴史的な怨讐であり、
時代的な怨讐であり、
未来的な怨讐であるサタンに対して、
どのような困難とどのような苦痛があったとしても、
私たちはあだを討ち、蕩減しなければならないことを知っていますので、
お父様、
私たちに力を与えてください。
あなたのために
忠孝を尽くすことのできる能力を与えてくださいますことを、
切にお願い申し上げながら、
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六六・一二・一八)
3-24 サタン圏を逃れさせ、お父様と一体とならせてください
お父様!
お父様がお慕いになった本然の創造理想世界は、
お父様のみ愛を中心として、
真なる子女と真なる家庭が楽しむことができ、
すべての万物が和動することができ、
幸福がにじみ出るところであることを知っています。
しかし、堕落によって
本然の世界、
本郷の地が私たち人類の前に
望みとして残るようになったことを思うとき、
これがどうして痛嘆せずにおられるでしょうか。
堕落によってお父様を失い、
本郷の地を失い、
本然の真の父母を失い、
本然の真なる理想的な家庭、
理想的な氏族、
理想的な国家、
理想的な世界、
理想的な天宙を、すべて失ってしまいました。
お父様を中心とした権威の世界が、
自由な環境で成されなければなりませんでしたが、
堕落という悲しい運命にぶつかることによって、
人類はお父様と何の関係もなくなってしまい、
理想とされたお父様の世界とは
関係のない世界となってしまいました。
私たちの主人であられるお父様は、
主人となることができず、
あなたの怨讐であるサタンの血統を受け継ぎ
サタンが主管する暗黒圏内に
私たちが引きずられ下りてきたという事実を思うとき、
これがどれほど口惜しく、悔しい事実であるかを
もう一度私たちは回顧しながら、
この地球上から
数多くの霊人たちがとどまっている霊界に至るまで、
億千万代にわたり怨讐となったサタンを追放することが、
お父様の願いであり、真なる人類の願いであったことを、
この時間、私たちは肝に銘じなければなりません。
お父様!
サタンの権威と権勢の土台が
どれほど残っているかを、
生活の中で感じることのできない私たちです。
時間、時間を送りながらも、
一日一日を過ごしながらも、
サタンの権勢と権限が
私たちの生活圏内にどれほど浸透していて、
私たちの生活舞台にどれほど浸透しているかを、
今まで感じることのできなかった私たちの信仰生活であったことを、
お父様、
思うものです。
汚されたものを清算せずには、
お父様のみ前に到底出ていくことができないのが、
天理原則であることを考えれば考えるほど、
私たちは涙の道の中に立って、
お父様のみ前に泣き叫びながら、
あなたの救いのみ手を願わなければならない、
物悲しく哀れな立場にいるということを、
再び思うものです。
このような立場にある私たちであることを
よく知っておられるお父様!
哀れみの心を広げてくださって、
私たちの行くべき道をもう一度守ってくださり、
私たちの周囲を清くしてくださって、
サタン圏内から私たちを分別してくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
お父様!
私たちの体と心は
神様と直接関係を結ぶことができません。
サタンが支配することのできる罪悪の根が、
いまだに残っていることを知っています。
心で願う善を行うことができませんし、
願わない悪の行為を楽しむ私たち自身と、
そのような生活圏内を逃れることのできない私たち自身を
受け入れてくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
お父様!
私たちは生涯路程において、
サタンと隔離されなければなりませんし、
また復活路程においても、
サタンと隔離されなければなりません。
お父様と一体となって、
お父様が願われる生活と生涯を送らなければ、
天の民となることができないという事実を、
私たちははっきりと知ったので、
ここに集まったあなたの息子・娘たちが、
体と心のすべてを捧げ、
新たな生活と新たな生涯を目指して
走ることができるようお許しください。
この時間、もう一度
お父様のみ前に決意することのできる群れとなるよう
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
すべてを
真の父母のみ名によって
切にお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・一・七)
3-25 本然の愛をもって因縁を結んでください
お父様!
あなたのみ愛が
各自の心に宿るようにしてくださり、
愛をもって永遠なる真の人間の姿が
天地間に現れるようにしてください。
すべての万象がそのような存在を中心として
動じることを待ち焦がれているという事実を、
私たちは知るものです。
また、お父様が
その真なる人間と一つとなって、
きらびやかな文化の世界、
栄光の世界を創建なさることを知るものです。
しかし、
お父様のみ愛が宿ることができなくなったことが恨みであり、
そのみ愛を私たちが探せども、探せども、出合うことができないことが
また恨みであることを知りました。
堕落の後裔として生まれたために、
お父様との真なる愛の因縁を
探そうとしても探すことのできない悲しみを抱き、
歴史路程を歩んできた私たちですので、
哀れみのお父様、
本然の愛の心をもち、
私たちを尋ねてくださり、
あなたのそのご心情の前にひれ伏すことのできる
子女となるようにしてくださいますことを、
切にお願いいたします。
人類が数千年の間、
お父様に対する反逆者の後孫として生まれ、
またお父様のご心情に反逆する群れとして生きてきたことを
受け入れてください。
そのような実体の姿をもって
お父様のみ前にひれ伏しましたので、
哀れみと愛をもって私たちを捕まえてくださり、
慈悲のみ手をもっていたわってください。
過ぎし日の不足なることと、
過ぎし日の不忠なることと、
過ぎし日の不孝なることを、
一つ一つお父様のみ前に告げ、悔い改める
この時間となるようにしてくださいますことを
切にお願いいたします。
あなたは、
私たちが永遠に侍るべきお父様です。
お父様と私たちは、
その因縁を永遠に切ることのできない本然の関係にあることを、
私たちがはっきりと知るようにしてください。
ところが堕落して、お父様を失い、
お父様との永遠なる因縁が切れてしまいましたので、
それが私たちの悲しみです。
きょうこの場に、私たちがひれ伏しましたのは、
失ったお父様を再び捜し出し、
切れたお父様との因縁を
再び結ぶためです。
しかし、これは
お父様の愛でもってなされなければならないことを
知っていますので、お父様の愛による復活の恩賜を
私たちに許諾してください。
直接的な愛の因縁をもって私たちを束ねてくださって、
一つの統一された祭壇として、
お父様のみ前に捧げることができるようにしてください。
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・三・三一)
3-26 本性の力で罪悪の根を断ち切らせてください
お父様!
物静かな中であなたのご心情をくみ取り、
私たち自身を発見できるよう
許諾してください。
私たちは、考えれば考えるほど、
お父様のみ旨の前から懸け離れている自分自身を
発見せざるを得ません。
人間始祖がお父様に背き、
敗亡した堕落の道を行くことにより、
永遠に滅びてしまうべき後孫として生まれた
自らであることに嘆息しながら、
お父様を探し求めていくのに、
縮めるのがとても難しい一つの間隔が
残っているという事実を悟るとき、
私たちとしては、到底どうすることもできないということを、
再び発見するのです。
このように
死亡の根から繁殖して生まれた自らを、
過去においてもそうであり、
現在においても死亡の世界にもつれて、
押し流されていく自らを考えてみますとき、
お父様に属するには、
あまりにも懸け離れている自らを発見せざるを得ません。
それゆえ、お父様の愛のみ手が必要であり、
お父様の能力のみ手が必要であることを
私たちは知っています。
お父様!
私たちは心の奥深くに
本性の因縁をもっています。
これだけはあなたから受け継いだものであり、
これによって
お父様に通じなければならない因縁が、
私たちには残っていることを知っています。
この因縁を立てるために、
お父様は歴史過程を通して、
私たちを覚醒させてくださり、
きょうこの時間も、
そのためのお父様の役事が継続していますので、
その事実を私たちが忘却しないよう
お許しください。
私たちの本性が切実に泣き叫ぶ願いを、
私たちが分かるようお許しくださり、
本性が実際に、
お父様と共に関係を結ぼうとすることが
分かるよう許諾してください。
また本性に対立する怨讐の苦々しい罪悪の根が
私たちを取り囲んでいるという事実を
知るようお許しください。
本性は
神様の力を身代わりして
私たちに現れなければならないということを
知るようにしてくださり、
私たちが
神様の能力のみ手によって、
もつれたすべての死亡の因縁を踏んで立つことのできる
生命の出発をなさしめてくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
お父様!
私たち各自を通して、
すべての罪悪の要素を除去させることのできる、
新しい役事を巻き起こしてください。
そうして私たちは、
お父様のご心情に一致し、
生活の中で事情が一致し、
願いをもった立場で
永遠なる未来と一致することのできるそのような場で、
お父様が探し出されたかった
真なる息子・娘の姿として、
お父様にお捧げできるようお許しください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・七・七)
3-27 堕落による罪悪の痕跡を捨てさせてください
お父様!
万有の主人であられるあなたのみ前に、
全天地万物は永遠無窮に
賛美を帰し奉ることを願うのです。
あなたの因縁と無関係に造られた存在は一つとしてありませんので、
お父様によって、
お父様のご心情を通して造られた全天地万物は、
お父様の栄光を高め、
お父様の神聖さと深奥さを表し、
お父様の無限なる価値を示しているという事実を
私たちは知っています。
その中でも、
すべての万物の中心として人間をお造りになるときは、
お父様の内性的なすべてと
外形的なすべてを兼ねて、
万物を代表することのできる
息子の形状、
娘の形状としてお造りになったことを
私たちは知っています。
人間は本来、
お父様のお心の中に
永遠に残る存在であり、
お父様との因縁から
離れることのできない存在でした。
万物もそのような因縁の中で、
人間とは相対的な関係をもち、
共に神様を中心として、
永遠に自由と平和と幸福が宿ることのできる天国で存在しながら、
お父様に侍り、
永遠なる勝利の座で喜ばなければなりませんでしたが、
人類の始祖が堕落することによって、
このように悲惨な
歴史の起源となったという事実を知っています。
その結果として、
人間だけが悲惨になったのではなく、
創造主であられる神様も
悲惨な立場に立たれるしかなかったという、
このとてつもない事実を私たちは知りました。
お父様!
このように悲しみの歴史を出発するようになったすべての要件を、
完全に除去しなければならないことが、
人間が完遂しなければならない責任分担として、
残っているということを私たちは知りました。
この責任分担過程を経ていくために、
天上世界にいる数多くの善なる霊人たちが、
アダムとエバの創造当時に協助した善なる天使世界のように、
第二の土台を願いながら、
望みの心を合わせ持ち、
この地を身代わりして闘ってきているということも
知っています。
お父様もやはり
今まで、悲しみの歴史をさかのぼってきておられますが、
このようにご苦労されるようになった原因は、
私たちの先祖が過ったせいでした。
しかし、過ったことだけで終わるのではなく、
これを復帰して、解放をご覧になるためにご苦労なさるので、
これがお父様の労苦の歴史であることを
私たちは知っています。
このように
悲しみの歴史を残した先祖から受け継いだ、
悲しみの痕跡をもった私たちが、
きょうお父様のみ前に再び集まりました。
しかし、私たちは
お父様を「お父様」と呼ぶことのできない不足な者たちです。
このように不肖な罪人の後孫だということを、
私たちはよく知っています。
天の生命の因縁を結ぶことができず、
復活の恩賜を受けることのできない、
悪逆無道で非常識で、
あなたのみ旨の前に到底立つことのできない私たちです。
しかし、あなたは哀れみ深く、
慈悲なる愛の本体であられるがゆえに、
このような私たちを、今も召さなければならない
立場におられるということを知りました。
私たちはそれを知ったので、
不足なる体と心を取り直せないまま、
恥ずかしい姿勢で、
お父様のみ前にひれ伏しました。
お父様のみ前に、
私たちは悔い改めの涙と共に
心の奥深くお父様のご心情に通じて、
「お父様」とお呼びしたい心情をもって出てきましたので、
お父様、
尋ねてきてくださって、
哀れみのご心情で私たちを立ててくださり、
お父様の生命の因縁を通して
「お父様」と呼ぶことのできる特別なる恩賜を許諾してくださいますことを
切にお願いいたします。
私たちが生活していく歴史の一部分において、
いかなる環境においても、私たちの個体の解寃成事をして、
勝利の土台を準備しなければ、
お父様のご苦労の前に、自らの面目を立てることのできない
不肖なる姿になるという事実を悟ることのできる、
あなたの息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
切にお願いいたします。
お父様!
私たちは何ももっていません。
また、もつことを望みません。
私たちは、今までサタンの血統を引いてきた痕跡によって、
汚れた血と肉をもっているだけであり、
私たちに属しているすべては怨讐のものとして、
あなたの嘆息圏内にあるため、
あなたのみ前に祭物として立つことのできない者たちです。
そうですので、
私たちがこのすべてを忘れ、
裸の体と幼子のような心をもち、
お父様に抱かれることのできるあなたの息子・娘たちとなるよう
お許しくださいますことを切にお願いいたします。
今まで私たちがもった観念と、
私たちが知るすべてのものを
一切除いてください。
私たちの知識が、
目的が、
生活が完全に
あなたのためのものとなり得るようにしてください。
そうして、
そのような立場で
お父様に仕え奉り、敬拝を捧げることのできるこの時間、
この場となるよう許諾してください。
お父様が親しくお命じになるとき、
私たちのすべてを
切り捨てることのできる心をもち、
ひれ伏すこの時間となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・七・七)
3-28 歴史に輝き得る「私」の姿を備えさせてください
お父様!
私たちが行く道は、
誰かのために行く道ではありません。
それは私たち自身のための道であると同時に、
世界、国家のための道であることを知るようにしてくださり、
ある個人のために生きるのではなく、
世界のために生きていくのであることを知るようにしてください。
「私」が生まれたとき、
「私」という存在が、
金なにがしなら金なにがしだけのために
生まれたのではないことを知るようにしてください。
「私」なにがしは、
この道を行くために生まれようとしたと、
自ら誇り、
それが「私」の生活の道理であることを
証していくことのできる者となり、
その価値を知るようにしてください。
この問題を明示し、解決して、
その価値をより価値化させられる
一つの核心的な実体を探し出すことが、
統一教会の教会員となった目的であることを
知るようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願いいたします。
お父様!
この世の何ものよりも、
この道を行くことが
切実でなければならないことを知りました。
私たちが誰のために集まったのかというとき
統一教会の先生のために集まったのでもなく、
統一教会の何かのために集まったのでもありません。
国のために行こうとするので、
統一教会が必要なのであり、
また統一教会が願う国と世界があるがゆえに、
信じ従っているのであり、
またそこに近い道がこの道であるがゆえに、
この道に従ってきたのです。
そうですのでお父様、
統一教会を通して国に、
統一教会を通して世界に、
統一教会を通して天宙に前進しようという
不変の心情が
傷つかないようにしてくださり、
その心情が
大切に大切に伸びていくようにしてください。
心臓から流れ出る動脈の鼓動の音と、
天情の心臓を通して響いてくる動脈の鼓動の音が、
私たちの体と一致して、
私たち自身が生活感情を動かし帰る、静脈の役割を
果たすことができるようにしてください。
そうして、
その静脈の脈拍が、
歴史と共に青史にとこしえに輝くことができ、
生活において
万民の同志となることができるようお許しください。
これが私たちの願いではないかと、
お父様が今、この時間においても尋ねておられるということを、
私たちが分かるようにしてください。
今、私たちの心は、どこに流れていっているでしょうか。
私たちの体はどのあたりにとどまっているでしょうか。
過去のよこしまな心の位置に
とどまらないようにしてくださり、
過去に滅びるしかないものに体を隠し、
罰を受け得る位置にとどまる
自らとならないようにしてください。
お父様のお心を担い、
地上の人類の心を芽生えるようにすることのできる位置に、
体と心を備えられるようにしてくださり、
お父様のみ前にひざまずいて忠誠を誓い、
歴史上に光となり得る「私」を慕いながら、
お父様の王子と王女の姿を
備えることができるようにしてください。
お父様を慕う
欽慕の情熱が芽生え得るその「私」の立場、
あるいは思慕の情熱に輝き得るその「私」の立場が、
大切に大切に立てられ、
大切に大切に育つことのできる
私たち自身となるようにしてください。
私たちは輝くあすを望みとし、
決起しなければなりません。
輝くあすの「私」を望みとし、
決起しなければなりません。
輝く新しい天国のために、
決起しなければなりません。
そうするために、私たちは
そこに合う器とならなければなりません。
輝き得る私たちの姿を
内外共に備えなければなりません。
また、天情の因縁の前に謹んで頭を下げ、
お父様の息子・娘とならなければならず、
心から「お父様」と呼ぶことのできる
真の子女とならなければなりません。
そうですので、
その愛の中で
一日の生活を謳い
その事由の中で
一日の仕事を神聖に賛美することのできる
あなたの息子・娘に、みながなれるようにしてくださいますことを、
愛のお父様、
切にお願いいたします。
残された時間が栄光となるようにしてくださり、
この場が「私」を賛美するにおいて、
真実の場となるようにしてください。
すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六九・八・三一)
3-29 サタン圈の因縁を切り、本然の父母を探させてください
お父様!
私たちは悪から生まれた体であるため、
善として再び生まれなければなりません。
二度生まれるべき運命、
これは悲惨なことです。
この世でも、継子として生活することは、
この上なく悔しいことではないでしょうか。
私たちは養子の程度ではなく、
怨讐の子として生まれたがゆえに、
本然の父母を探し出さなければなりませんが、
その道は決して平坦ではありません。
それゆえ私たちは、
サタンの矢とサタンの槍と剣の攻撃を
無数に受けています。
しかし私たちは、
このように体を縛りつけている
ひもを切って行かなければなりません。
□で切るとしても、
力で切るとしても、
縛りつけている者たちとぶつからなければなりません。
そのためには
血を流さざるを得ない、悲惨な歴史過程を
越えなければならないことを知るものです。
これを眺められながらも、
勧告することもできないお父様、
私たちのような息子・娘をもたれた恨みが
どれほど大きいことでしょうか。
お父様のそのようなご心情を
私たちは知らなければなりません。
罪を犯した息子が裁判官に引っ張られ、
絞首台に立つとき、
言うに言えない立場で、
哀切な心情をもって息子の死を見つめ、
悲痛に心を焦がさなければならない父母の心情、
お父様のご事情を
体得することのできる息子・娘とならなければなりません。
栄光の息子・娘として生まれた万有の中心価値として、
その何ものをもっても身代わりすることのできないその者が
怨讐の手に引っ張られ、
露のように消えていくのを見つめられ、
黙々と望みのひと時を待ち焦がれてこられた
お父様のその悲惨なご心情を、
私たちは感じることができなければなりません。
そのように望みの息子を願われるご心情の前に、
焦燥したお父様のご心情の前にひれ伏し、
数千年、数億万年を経たとしても、
失った息子・娘を捜すため、身もだえされる
お父様の悲惨なお姿を思うものです。
その悲惨さが歴史路程に事実として展開するときにも、
その場においてすら
同情をお受けになれなかったお父様であられることを考えるならば、
私たちは永遠に
呪われるべき立場にいます。
しかし、お父様が私たちを呪われれば、
お父様が子を呪う立場に立たれるようになるため、
そのすべてを耐えて許してこられたことを知るのです。
そうですので、私たちは
そのようなお父様の許しと
忍耐を見倣わなければなりません。
地上にいる誰よりも
かわいそうな境地において、天を探し行く人が
歴史の中に残されたことを知るものです。
この道を知り、
この道を行く人々は、やはりかわいそうな人です。
この世の寂しい孤児たちです。
誰にも訴えることのできない事由を抱いた者たちです。
国があっても、その国を信じることができす、
世界があっても、その世界に望みをもつことができません。
そうして、
行く場所ごとに
怨讐の槍と矢を受ける立場に立ってこそ、
お父様を探し出すことができました。
これほどにお父様と
心情的因縁を深く結ぶことができるのは、
私たちだけがもつことのできる
悲惨な内容であることを知っています。
そのような立場から、
お父様の無念なるご心情を相続した息子・娘として、
お父様のみ前に、心から
「お父様」と呼ぶことができなければなりません。
そうですので、血を流さなくては、
お父様の道を行くことができないということを
私たちは知っています。
それゆえ、
アベルが流した血の歴史を私たちは考えながら、
お父様のために血の塀を築いて
一つのとりでとなり、
お父様の同情を受けることのできる一つの都、
永遠なる安息の土台を準備しなければなりません。
そうして、
お父様の悲惨さを慰労し、
永遠にお父様を防衛してさしあげることのできる
天の真なる子女たちとなるよう許諾してください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六九・一二・七)
3-30 祝福の恩賜で新しい愛の秩序を立てさせてください
お父様!
今まで歴史過程では、
お父様を中心として、
一人の男性と一人の女性が結合することはありませんでした。
今までなかったこのようなことが、
この統一教会で成されるようになったのは、
すべてお父様のご苦労の功労と恩徳に
よるものであることを
私たちは知っています。
今までの歴史過程が、
一人の男性を探し求めるためのものであったことを
思うとき、
統一理念を中心とした家庭をもって
初めて、新しい宗教の土台を備え、
新しい世界に行くことができる道を立て、
新しい歴史の門を開くことができるようになったことが、
天の祝福であることを知るようになりました。
お父様のご苦労によって、
私たちに
このとてつもない祝福を受けられるようにしてくださった恩賜に、
心から感謝をお捧げいたします。
今、この者たちが、自らのすべてを
お父様のみ前にお任せするようお許しください。
結婚ということを考えるときに、
私たちはアダムとエバの堕落と直結した問題を
連想せざるを得ません。
堕落した父母の血統を受けて生まれた
私たちにおいて、
「お父様を中心とした祝福」ということが、
どれほどすばらしいことであるかということを考えるときに、
私たちは心から、あなたの恩賜の前に感謝をお捧げ申し上げるものです。
このような私たち、
真なる善を中心とした祭物の
実体として、お父様のみ前にまず捧げられる
男性と女性にならなければならないという事実を
知らなければなりません。
しかし、個人的には
そのような位置に行くことのできない立場にある、
私たち自身だということを考えるのです。
このような位置は、堕落した後孫の立場では
到底立つことのできない位置であるということを知っています。
しかし、今この者たちは、
真の父母の因縁を通すことのできる
子女の名分を備えましたので、
そこにお父様が、主導者となってください。
真の父母の因縁を通じてみ業が始まるこの位置においては、
そのような恩賜の土台が築かれざるを得ないという事実を、
はっきりと悟る私たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願いいたします。
今、一人の男性なら男性、
女性なら女性が、自らのすべてを
お父様のみ前にお捧げしましたので、
お父様のものとして永遠に所有してください。
この者たちをして、権威を備えるようにしてくださって、
サタン世界にあなたの愛の秩序を立てるにおいて、
標本となることをもって
善なる先祖となるようにしてください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・三・二三)
3-31 お父様の懐に抱かれる息子・娘となるよう祝福してください
お父様!
私たちはお父様のみ前に裸になった幼子と同じですので、
あなたが着せてくださらなければならず、
あなたが食べさせてくださらなければならず、
あなたの懐に抱いて育ててくださらなければなりません。
しかし、私たちは
今までそのような息子・娘の姿として、
お父様に対することのできるひと時をもつことができませんでした。
このような私たちの心と体が、
そのような立場に立つようにしてくださり、
私たちがお父様の息子となり、娘となることができるよう
祝福してください。
私たちはこの世でもっているものがなく、
何一つ備えたものがない者であり、
その何を取っても誇るべきものがない者たちですが、
あなたの懐に抱かれ育つことのできる
息子・娘の因縁をもっていることを感謝いたします。
このような因縁は、
勝利の権限を身代わりすることのできる特権であることを知り、
ここにおいて感謝できる
私たち自身とならなければなりません。
私たちは、
見た目には何でもない者たちですが、
お父様が誇らしく思うことができ、
貴く感じることのできる息子・娘となるよう
許諾してください。
私たちが困難な道を行くとしても、
お父様と共に行き、
悲しいことにぶつかったとしても、
お父様と共にぶつかりつつ、
困難な立場に立ったとしても、
お父様を慰労してさしあげることができるよう、
お父様、
お導きください。
希望と望みのひと日を、
より一層私たちの胸深くに抱き、
あすに向かって前進に前進を重ねることのできる
お父様の真なる息子たちとなり、
娘たちとなるよう許諾してください。
私たちの行く道がいくら険しいとしても、
あなたが行くべき道の前に、
絶対に荷物となってはならないという、
新たな決意をもつようにしてください。
私たちはお父様を知り、
お父様の行かれる方向を知りました。
ゆえに、傷を負い、
加重された十字架の道を行くとしても、
あなたを慰労してさしあげられる時間は
ほんのひと時しかないということを知り、
精誠の限りを尽くして行く、
あなたの子女たちとなるよう許諾してください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・四・一九)
3-32 お望みになった真の子女の姿とならせてください
高く貴いあなたの性相を欽慕し、
お慕いする心情を、
あなたのみ前にすべて束ねてお捧げしながら、
過去を反省し、
現在を批判し、
あすの真なる姿を慕い求めますので、
あなたの息子となり、娘となる証を
お父様が賦与してください。
お父様が探してこられた息子の姿、
お父様が願われ、望んでこられた息子の姿と
なるようにしてください。
私たちが宇宙全体の価値を身代わりし、
中心の価値を身代わりする存在となることにより、
あなたがお慕いになることができ、
あなたのすべての感情と感覚、
あなたの□を通して、
私たちを「息子」と言い、「娘」とおっしゃることのできる、
真なる子女の姿となるようにしてください。
取るに足らない私たちを通して、
あなたがそのような息子・娘たちの姿を感じることができますよう、
私たちは願っています。
そこはかとなく私たちを愛されるお父様、
私たちの生命の土台を開拓するために
ご苦労されるお父様、
真なる息子・娘に出会うためのひと日の願いをもって、
長々とした歳月を耐えてこられたそのお姿の前に、
私たちは感謝をお捧げいたします。
私たちの心は、ただ
あなたを根源としていますので、
あなたの心が行かれるところに従って、
あなたが望まれる世界において、
一つの価値を備えることのできる
真なる息子の姿、
娘の姿を、この時間においても慕うのです。
私たちは、
神聖で慈悲深く尊厳であられるお父様の前に、
呼ばわれる息子・娘となることを願いながら
ここに出てきました。
お父様のほのかな依頼のみ言と勧告のみ前に、
あすの望みとあすの使命を誓う決意に満ちた
あなたの息子となり、娘となるようにしてください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・一二・一三)
3-33 み旨と一致する生活に生まれ変わらせてください
お父様!
私たちは置かれている位置を確定づけ、
あなたの指定される目的地に向かって直行することのできる、
み旨と共に一致することができ、
あなたの心と共に一致して
あなたが願われる真なる息子・娘の姿を、
成さなければなりませんので、
そのことを願いながらこの場に出てきました。
この場は
人間だけではなく、天がこの上もなく大切な使命を任せていて、
歴史的な新しい起源を誓うことを願っている
場であることを思うとき、
この場は天が注視する場であり、
人間たちが注視する場であり、
天の側と人間の側の中央で、
天に侍り、人間らしい道を行くことによって、
偏らず
あなたのみ旨に向かって、直行していくべき責任を
背負った場であることを知るのです。
そのためお父様、
私たちははっきりとした目的観をもたなければなりません。
その目的に対して、
一日一日の生活において
間違いのない方向性を選んでいかなくては、
真なる人生の航路を行き切ることができないという、
この厳然たる事実を
はっきりと知る私たちとならなければなりません。
数多くの日々を過ごす中において、
ただその姿のままで過ごしてはなりません。
何かが変化して、
あなたの心性に
帰一し得る姿をお慕いすることのできる、
またその場に立つことのできる、
あなたの創造理想の
一つの実体の姿を代表することのできる、
神聖なる群れとならなければなりません。
このような群れに、
お父様があなたのみ旨を通して出会い、
探そうとなさるということを、
私たちは既に知っていました。
私たちが「お父様」とお呼びするとき、
そのお父様が
漠然としたお父様となってはなりません。
お父様を直視して、
お父様が行かれる方向に
私たちが従わなければなりません。
この道が平坦な道だといって喜ぶのではなく、
受難に次ぐ受難の道だといっても、
必ずや天が行かれた、
父母の道であったので、
その道に従うことが子女の義務だということを感じることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七二・一〇・八)
3-34 再創造のみ手で主管してください
愛するお父様!
天と地の大主宰であられる
お父様の栄光と尊敬と賛美が、
お造りになった全万物と共に、
あなたのみ前に捧げられることを願うものです。
お父様!
あなたが多くの歴史過程を通過されながら、
私たち人間始祖が過ったことを復帰なさるために、
どれほど、どれほど受難の再創造歴史を経てこられたかということを、
私たちはよく知っています。
私たち個人個人において、
僕の僕の道を越え、
僕の道を越え、
養子の道を越え、
子女の道を越え、
真の父母の因縁を越えて、
本然のあなたの位置まで帰っていくために、
どれほど悲惨で受難に満ちた
歴史的蕩減を払ってきたかということを考えるとき、
罪を犯したので、当然罰を受けるべき人間として、
恨み深い受難の悲惨な路程を歩んできましたが、
あなたはそれと関係のないお方として、
全体に責任を負われ、
先頭に立って、ありとあらゆる困難を克服する立場で
再創造の偉業を加重してこられたそのご苦労の前に、
私たちは心から感謝をお捧げいたします。
お父様!
私たちそれぞれに、
あなたのみ手を経なかった者の
いないことを(私たちは)知りましたし、
いかなる国であっても、
あなたの願いの中で、
今まで導きを受けなかった国の
ないことを知るようになりました。
さらには、
万民をあなたが理想とされた本然の世界に導くために、
国境を越えに越えながら、現時点まで
お父様がご指導してきてくださったことを、
私たちはよく知っています。
最後に残されるべき世界には、
あなたと愛する息子・娘、
そして天使天軍しかいないということを考えるとき、
この地上には、サタンの権限とサタンの群れが
あまりにも多いことを目にするのです。
このことまで、私たちが
お父様のみ前に、
清算していただくことを願うことのできない立場であることを、
統一の群れは知っています。
真の父母の名と真の子女の名を備え、
その家庭を賛美し、
その家庭に侍ることのできる天使世界の本然の姿を、
地上と霊界に完成させなければならない、重大な責任が
統一教会の群れにあるという事実を考えるとき、
私たちは
息子・娘の偉業を相続すると同時に、
父母としての立場の偉業を相続すべき立場にあり、
天の本然の創造理想を
相続すべき立場にあることを考えるものです。
お父様!
幼い子女たち、
あなたのみ前に再創造の材料となって、
あなたのみ手を経なければなりません。
あなたのみ意のまま造ることができ、
またそこに順応する
粘土のような存在にならなければならないということを、
私たちは既に知りました。
絶対的な信仰、絶対的なあなたの愛を欽慕する心と、
全体的なあなたのみ旨の前に忠僕となろうという心しか、
私たちにあり得ないということを知ったので、
お父様、
引き受けて主管し、
あなたが願う器としてお造りください。
すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七五・二・一)
3-35 息子の権限を許諾してください
愛するお父様!
あなたが願われる世界が
どのようなものであるかを知りました。
あなたを慈しむ愛が
どのように行くべきかを知りました。
私たちが置かれている現象世界が
どのようなものであるかを知り、
自分が自分のために生きることのできない人間であることを知り、
自分の家庭が自分の家庭だけのために生きることのできないことを知りました。
今日、統一教会が、統一教会自体のために生きることのできない
統一教会であることを知りましたし、
世界の統一教会の群れは、
世界各国の統一教会だけのために
生きることができないことも知りました。
ただ、一つの世界、
ただ、一つの天国のために生きなければならないという、
とてつもなく、また驚くべき事実を知ったので、
今、私たちの意識構造においては、
民族を超越し、
国家を超越し、
世界を超越して、
神様の意識が自らの意識として
変えられていかなければなりません。
そうなることのできる「私」自身を発見したことが
偉大な発見であると同時に、
偉大な息子の資格を賦与され得る、
一つの基礎となることを知りました。
全天宙の大主宰であられる神様が、
まさに私たちの家庭においてのお父様であり、
国家においてのお父様であり、
世界においてのお父様であり、
天の国においてのお父様であることを知りました。
そのお父様の位置を身代わりして
歴史時代を経てきながら、
家庭の父母が必要であり、
国の国王が必要であり、
世界の聖人が必要であったことを知りました。
それゆえ、
数多くの悟りの道を経てきたことを知っています。
私たちは、心から知ったので、
今、一つの公式的基準のように、
父子の因縁を結び、
私たちの家庭において、お父様と私たちが
実際に生活しなければなりません。
国を中心として実際に生活しなければなりません。
世界を中心として実際に生活しなければなりません。
全霊界を合わせて、実際に生活する喜びを探し求めてこそ、
お父様と息子の権限をもつことができ、
お父様と息子の権限をもてなければ、
堕落圏を解消させることができないという事実を知りました。
それゆえ、
お父様と息子の権限を、
個人から、家庭、民族、国家、世界のあらゆるところに
拡大させることのできる勝利圏が
絶対必要だということを知ったので、
お父様、
祝福してください。
神様をお父様としてもつ以上に
貴いことはないということを、私たちは今知ったので、
お父様との因縁を永遠にもつことができ、
お父様と永遠に暮らすことができるようにするために、
私たち自らが、きょうこの時間、
もう一度徹頭徹尾、お父様の息子・娘になろうと、
お父様のみ前にお誓いいたしますので、
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
すべてを
真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。アーメン。
(一九七八・一〇・二八)
父の祈り 4 心情編
4-1 お父様のご心情に目覚めさせてください
お父様!
私たちは、人類を創造された
お父様の本然のご心情を知ることができないでいて、
私たちの悲しみを追い払うことのできる
お父様の愛を感じることができないでいるということを
知っています。
今、私たちのすべてを犠牲にしても、
お父様の愛を探し出さなければならず、
お父様と私たちとの本然の因縁を
回復しなければなりません。
お父様!
私たちが今、心の門を開きに開いて、
あなたのご心情が何であり、
あなたの愛が何であるかを、
自ら探し出すことができるよう許諾してくださり、
また耳を開いて、
お父様の声を聞くことができるようにしてくださり、
天が許諾される恩賜を受けることのできる
息子・娘を探しておられる、お父様の姿を
望むことのできる目を開くようお許しください。
そうして、
見ることができ、
聞くことができ、
私たちのためにご苦労されたお父様のみ手が
分かるよう許諾してくださり、
忍耐のご心情を
体得することができるようお許しください。
苦労され、耐えてこられたお父様のご心情を、
私たちも少しは知っていますので、
私たちの心と体を完全に
お父様のものとして主管してください。
何も分からず死亡圏内に囚われている
息子・娘たちがいるなら、
お父様、
親しく恩恵のみ手をもう一度伸ばして、
全体の創造のみ業を呼び起こしてくださり、
本然の訴えの心情に対することができ、
お父様のお心の前に、
和動することのできるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
心を尽くして摂理なさった、
お父様のみ旨があることを知り、
天の定めた路程をたどってこられた、
歴史路程があることを知りました。
これはただ天と通じることができ、
天に対することができる
価値観を探してきた人々を通じて
成されたということを知っています。
歴史的なすべての罪悪と、
時代的なすべての罪悪と、
未来的なすべての罪悪の源を、
根絶させるべき使命が
私たちにあるとするなら、
罪悪に引かれて呵責を受けないで、
お父様のみ愛の中で感謝を捧げたい
心の衝動が起こり得る、
お父様の直接的な愛のみ業が
現れるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
天倫の真理に通じなければならない時となり、
天倫の人格に通じなければならない時となり、
お父様の愛に通じなければならない時と
なったということを知りました。
お父様!
すべての人類に、
お父様の愛を紹介することのできるみ言が
現れるよう許諾してくださり、
お父様の愛を証すことのできる人格者が、
今日この終わりの日の、
多くの民の前に現れるよう許諾してくださることを
切にお願い申し上げます。
その真理に従うことのできる、
私たちの心の準備と
基盤を整えるよう許諾してくださり、
お父様のみ旨の前で、
すべてのことがあからさまにされ得るその日が、
歴史の前に早く早く現れるよう
働いてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・二・一六)
4-2 お父様のご心情を体得させてください
創造の理念は、
特定な個人だけを探し出すことではなく、
すべての人類を探し出すことだという事実を知るものです。
この地上の人類を探しこられるのに、
ご苦労されたお父様!
万宇宙を善の理念の中で探し立てるべき、
摂理的なみ旨が残っていることを考えるとき、
私たち、千万遍死んだとしても、
そのみ旨を成す肥やしとなって、
少しでもお父様をお助けできるよう、
許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様の悲しみは、
この地上にお造りになった万物のゆえに生じたのではなく、
お父様の創造理念を身代わりして、成すことのできる
人間自体がいないがゆえに生じたという事実を、
私たちが分かるようお許しください。
今、私たちにある心、
ある精誠をすべて傾け、
み旨のために闘うことができるよう許諾してくださり、
この被造万物をお造りになった創造主が、
まさしくあなたであられ、
私たちのために限りなくご苦労された方も、
あなたであることが分かるよう許諾してください。
お父様のご心情が分からない者は、
お父様の生命が分からない者であり、
お父様のご心情を体得できない者は、
お父様のご事情が分からない者であることを、
分かるよう許諾してくださり、
この時間にもお父様は、
お父様のお心と共にあることのできない私たちをご覧になり、
悲しんでおられるということを悟るよう、
許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
そうして、
私たちの心が
完全にお父様のみ旨と一つになるよう許諾してくださって、
お父様の親しい友のように生きるよう導いてくださり、
お父様が運行なさり得る私たちとなり、
生活することができるようお導きください。
イエス様は、まさしく
そのような神様のみ旨を抱き、
ユダヤの民のために現れた方であられたことを、
私たちは知るようになりました。
お造りなった人間もそのまま残っていて、
お造りなった万物もそのまま残っているのに、
お父様が臨在なさることのできる実体の人間たちが
見いだされずにいることが、
お父様のもどかしさであることを、
私たちが悟るようにしてください。
愛するお父様!
今、私たちに臨在なさって、
そのような私たちとなれるよう、
私たちの心と体を聖別してください。
そうして、
父と共に楽しむことができ、
お父様と共に創造の理念を成していく、
新時代の先駆者となるよう、導いてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・三・一六)
4-3 お父様の悲しみの路程の前にこうべを垂れさせてください
お父様!
お父様に侍り、
謙遜に敬拝を捧げたい心がない者は、
永遠なるあの世において、
お父様と因縁を結ぶことができないということを知るものです。
今私たちが、
心の門を開き、お父様を探し求めるようになるとき、
その心の中心にお父様のご心情を感じて、
「私」の心の主体的な命令に
「私」の体が従うことのできる、
慕わしいその日を探していますので、
きょう私たちの心からわき上がる
あなたのみ声を聞き、
失ってしまった自分の体を見いだすことができ、
お父様が私たち一人を探し出すために、
私たちの背後で
艱難と苦労の歴史過程を経てこられたことを感じ、
自らこうべを垂れることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
また、お父様に対するおそれ多い心を、
自ら心と体で感じることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
私たちをお尋ねになるお父様は、
いつも栄光のお父様としてだけ
お尋ねになると思っていましたが、
お父様は悲しみの主人公として、
そして苦痛の主人公として尋ねられ、
悲運の表情で尋ねてこられました。
このようなお父様であられることを知らなかったがゆえに、
私たちの悲しみをお父様にゆだねることを願い、
私たちの困難をお父様にゆだねることを願い、
私たちの悲運をお父様に押しつけることを願ったことを
受け入れてください。
このような歴史路程を歩みつつ、
悲しみを抑え、嘆息し、尋ねてくださったお父様を
「お父様」と呼ぶことのできない
堕落の氏族であることを私たちが悟り、
千万年のお父様のご苦労を和らげようとするからには、
お父様の悲しみの路程を知らない
息子・娘がいないよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・九・一四)
4-4 天の悲しみと苦痛を相続する主人公とならせてください
お父様!
恨めしい歴史が今日、
私たち自体を取り巻いて動いています。
この恨めしい生活環境に置かれている私たちに、
恨めしい歴史を収拾し、
恨みの積もった天のご心情を解いてさしあげるべき
とてつもない使命があるということを知っています。
このような使命を背負った私たちは、
天と地の心情を抱き
悲しみを体得し、苦痛を感じて
千万回死ぬとしても、
お父様を慰めてさしあげられる立場で
死のうとする息子・娘とならなければなりません。
イエス様がこの地上に来られた当時、
多くの教団と信者たちは
メシヤを待ち焦がれていましたが、
彼らはメシヤが
自分たちの望む以上の姿で
来られると思っていました。
ところが、来られたメシヤは
喜びのメシヤではなく、
人類の悲しみを総合した悲しみのメシヤであられ、
人類歴史の苦痛を合わせた
苦痛のメシヤであられました。
その当時には
全国の代表者として来られるメシヤが
そのようなお姿で現れるだろうと思った人は、
一人もいなかったということを私たちは知っています。
歴史は
見せられたとおりに成されるということを知っています。
歴史に現れた事実を、終わりの日にそのまま再現させて
蕩減復帰するという原則を学んでいますし、
エデンの園で悲しんだ感情、
歴史路程で悲しんだ感情、
縦的に流れてきた歴史の悲しい感情を
私たち自体を中心として
横的に展開させ、横的に収拾させて
横的な真の喜びを
お父様のみ前に帰し奉るべき責任が
終わりの日の聖徒たちにあるということを
私たちは知っています。
お父様!
今、私たちが
世界のために忠誠を尽くすようお願い申し上げます。
全人類のために
天の福地を建設するようお願い申し上げます。
そうしようとするなら、
天に染み通った悲しみと苦痛を相続する
主人公とならなければならないということが分かるようにしてください。
苦痛と悲しみをすべて消化する立場に立ってこそ、
天的な喜びの相続者として登場できるということを知り、
悲しみがあっても苦痛があっても耐えて
「全体の生命のために私が死にます」と言って立つ、
歴史的な祭物となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・五・二四)
4-5 お父様のご心情を慰める真の息子・娘となることを願います
失われた真の子女を捜すため、
復帰の物悲しい路程を踏み分けてこられる
お父様のご心情と、
お父様のご事情と、
お父様の形状を、
心と体でたどり、体得することのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してください。
ご心情に染みわたった愛の心をもって、
アダムとエバを愛することができず、
六千年の長い長い歳月を
愛に飢えてこられた、お父様のご心情を
体得することのできるお父様の息子・娘となるようにしてくださり、
物悲しいお父様のご心情を抱きしめ、
慰労してさしあげることのできる、懇切なる子女たちとなるよう
許諾してください。
今、この心と体を
お父様のものとしてお捧げすることができるよう
許諾してください。
私たちの心と体を
私たちのものと考えず、
永遠であられるお父様のものとして誇ることのできる、
勝利の祭物となるよう導いてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
そうして、
六千年間、
真の愛の心情で
抱き締め愛することのできなかったご心情を、
解怨してさしあげられる
あなたの血族たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
地上に数多くの人が生きていますが、
お父様が「私の息子・娘だ」と言って愛し、
サタンの前に「私の息子・娘だ」と弁明し、
抱き締めて愛し得る
息子・娘がいないことを知っています。
二千年前、イエス様が
この地の万民を救うため、闘いの路程を歩まれた時にも、
お父様が親しく抱きしめ、愛することがおできにならなかったということを、
私たちは知っています。
父が愛する子女は、
誰であっても
奪っていくことができないという事実を知っています。
お父様のご心情に徹したイエス様でございましたが、
あなたのみ愛を受けることができなかったということを
私たちは知っています。
愛することができなかったお父様のご事情も、
私たちは知っていますので、
栄光のひと日をお立てになり、
天の息子・娘をお立てになって、
染みわたった心情を解かれ、
抱き締め、愛し、
すべてのご心情を吐露してください。
そのような天の息子・娘がこの地に現れることが
お父様の願いであることを、
私たちが分かるよう許諾してください。
きょう私たちは、持つものもなく、
すべてのものを失ってしまったとしても、
お父様の愛の懐に抱かれ、
永遠なる愛を受けることのできる
息子・娘となることを願うものです。
愛するお父様!
私たちを祝福してください。
権能のみ手を広げてくださって、
私たちを聖別してください。
悪の要素を除いて、
完全にお父様のものとなることのできる
私たちの心と体となるよう、
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・一二・一四)
4-6 イエス様を通してお父様のご心情を悟らせてください
お父様!
誰も知ることができなかった摂理のみ旨だということを、
私たちがもう一度心の奥深く回想してみるとき、
私たちの先祖が堕落したのち、
六千年という長い歴史を経てきましたが、
人類が
お父様のその心中に通じることができなかった事実を、
私たちはあまりにもよく知っています。
またお父様のご事情が困難で、
痛々しいということも知りましたし、
お父様の願いが
今日、地と全人類と天の前にとどまっているということも、
私たちは知りました。
今日、私たちが
お父様の所望圏内に立って、
お父様のご心情の園に立って、
「お父様! 私がいますので慰労をお受けください」と
言うことのできる、
尊厳なるお父様のみ前に、称賛を受けることのできる
息子・娘の節義と気概をもったのかを考えてみるとき、
私たちはあまりにも遠い距離に置かれていることを
自認せざるを得ません。
お父様のそのご心情を身代わりすることのできる、
願いの実体として来られたイエス・キリストが
地上にまた現れるときに、
天倫の心情を探してさまよう者は、
そのイエス様の心情に通じなければならないでしょう。
そして、天倫の事情に通じてさまよう、
選ばれたイスラエルにおいては、
彼らの事情がイエス様の事情と一つになるべきことも、
私たちは知っています。
イエス様を送られたお父様の願いが、
万民のためであったということを、
イスラエル民族は知らなければなりませんでしたが、
願いの実体であるイエス様を見間違えることによって、
この悲しみが
今日、私たちにまで延長されてくるようになった、
この歴史的な悲しみを、また感じるものです。
四千年間、探してお立てになったユダヤ教団はどこに行き、
イスラエル民族はどこに行ったでしょうか?
お建てになったエルサレム聖殿も、
イエス様のために準備されたものでしたが、
イエス様とは関係を結ぶことができず、
準備したユダヤ教団も
イエス様と関係を結ぶことができませんでした。
準備された民族も
イエス様と何ら関係のない立場で、
かえってイエス様を責め立てる立場に立ちました。
しかし、そのような
寂しい立場に一人立ち、
責め立てるその人々のために
祈祷しなければならなかった、イエス様の事情を
知る者となるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
今、お父様に対して
叫びたいことが何であり、
お父様に向かって
見いだしたいものが何であり、
求めたいものが何でしょうか?
今日、私たちの先祖たちがもつことのできなかった
お父様のご心情を、イエス様が身代わりしたように、
私たちにもそのご心情を所有させてください。
イエス様の事情と願いを所有して、
終わりの日にお父様のご心情と同じ心情をもった存在と
ならなければならないということと、
今までのあなたに対する歴史的なすべての負債を、
蕩減すべき責任があることを、
私たちは知っています。
今、私たちの行く歩みに
十字架の道が残されていることを知っていますし、
涙ににじんだ視線をもち、
罪悪の世の中と闘わなければならない時が来ましたし、
お父様のご心情に通じるべき時が来たために、
私たちをお呼びになられたことを知るものです。
それゆえ、
お父様のお心を私たちの心として、
お父様のご事情を私たちの事情として、
お父様の願いを私たちの願いとして、
お父様の怨讐を私たちの怨讐として、
お父様の闘いを私たちの闘いとして、
お父様の願いを成就してさしあげられる、
勝利の祭物として捧げられ得る
息子・娘たちとなるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・二・一)
4-7 悲しいご心情のお父様を証すことができるようにしてください
お父様!
お父様が本然の園を失って
悲しまれたそのご心情を、
この時間に私たちが悟るよう許諾してください。
お父様は
私たちが知ることのできない中で涙を流され、
限りない悲しみと、限りない苦痛の中におられたということを、
私たちが心と体に感じるよう許諾してくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
アダムとエバの堕落による
お父様の悲しみも大きいのですが、
復帰摂理のみ旨に責任を負い、地上に来られたイエス・キリストが
ご自身のすべての使命を完遂することができず、
十字架で亡くなられたことも、
お父様の到底言うに言えない大きな悲しみであり、
寂しさであり、
苦痛であったことを、この時間、私たちが悟って、
そのすべてのもの悲しいご心情を
心と体で体得するよう許諾してください。
私たちの先祖が
お父様を裏切ったために、
恨み悔しがるしかない、
悲しい歴史路程を経てきたことを考えながら、
今日の私たち自身が、
お父様のみ前に悲しみをさらに加える、
哀れな立場に立つことのないよう許諾してください。
アダムとエバの悲しみに対することのできる、
イエス・キリストの悲しみに対することのできる
者たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
今、私たちの心と体が、
単純な私たちの心と体としてのみ
とどまらないようにしてくださり、
私たちの心が
お父様の心を身代わりし、
私たちの体が
お父様の形状を身代わりすることができるよう
許諾してください。
私たちが悲しいご心情をもっておられるお父様を
証すことができるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・二・八)
4-8 お父様の悲しみを代身させてください
お父様!
この地上に悲しいことが起こるたびに、
天も悲しまれ、
私たちの先祖も悲しみ、
万物も悲しみ、
今日、私たちも悲しいのです。
この悲しみが除去される解放のひと日を願いながらも、
行く道が分からず、
その何かを探しながらも
悟れないまま、彷徨し、あえぎつつ、
六千年という
長い長い歳月を経てきたという事実を知るようになった私たちは、
今、お父様がお見えになったなら、
捕まえて大声を張り上げ、果てしなく泣きたい心情です。
今、このすべてのことを知り、
本然のご父母様を探し出した私たちが、
悲しい涙に代わってうれしい涙を流し、
悲しみを除去し、喜びだけが残り得るひと日が
早く早く来ることを、
心と体で願っています。
今、私たちは
行く所がどこであるかを知り、
私たちがどこに所属しているかも知り、
本然の子女の価値も知りました。
お父様!
今、復帰の稜線に向かって走っている私たちが、
傷ついた足を引きずって、
アダムとエバが望んだ
その頂上に向かっています。
私たちが今、最後の力を加えて
この線を越えることができるよう、お父様の衝撃を
私たちの心と体に表してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様がお話しされたいことがあるとするなら、
それは、お父様がうれしいことではなく、限りなく悲しかったという事実、
お父様が限りなく困難であったという事実、
お父様が限りなく苦しかったという事実であることを知るものです。
これを私たちが心で悟り、体得して、
お父様の本然のご心情を身代わりするようにしてください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・二・一五)
4-9 お父様のご事情とご心情を私たちのものとさせてください
お父様!
私たちは孤児のようにうろうろ、
目的も方向も知らず、
どのような環境に置かれているのかさえも分からないまま、
歴史の流れに従い倒れながら、
生命の中心をつかむことができないまま、押されに押されながら、
きょうまで来た哀れな者たちであることを知っています。
反面、このような私たちをおつかまえになり、
私たちが悲しむ時、
共に悲しまれたお父様がおられるという事実も知りませんでしたし、
死亡圏内に囚われて呻吟する
私たちを探し出すため、
昼夜を忘れてご苦労してこられた
主人公がおられるという事実も知りませんでした。
このような事実を知ることができ、
感じることのできる喜びの心情が、
天と地に通じることよりも貴いということを、
私たちが分かるよう許諾してください。
天は、
私たちがまどろんでいる時間にもまどろまれず、
眠っている時間にもお眠りにならず、
この一つの群れを悟らせ、
この一個体一個体を導かれながら苦労されたお父様のみ前に、
不肖なる私たちが再び出てまいりましたので、
受け入れてください。
私たちの事情を知られるお父様であられ、
その事情の主人公であられ、
受け入れ得ないすべての困難な事情までも、
受け入れてくださるお父様であられたことを、
私たちは知ることができませんでした。
今、心中に染みわたったすべての苦難と悲しみと心配を、
お父様のみ前にすべて取り出し、
お父様のものとして、取り換えてもつことのできる
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
私たちのために心を砕かれた天のお父様がおられ、
私たちの生涯を心配なさる、
より大きな天がおられるという事実を私たちが知り、
心と体でお父様に対し、
おそれ多く考えることができるよう許諾してください。
私たちが傷つく前に、
お父様が先に傷つく立場に立たれたという事実、
私たちの体が疲れて倒れるときに、
私たちをつかみ抱いてくださり、慰めてくださって、
行く道を再び勧告してくださったお父様のご心情を、
私たちが分かるよう許諾してください。
今日まで生きてきたとは名ばかりの自分たちを、
自覚させてください。
今からお父様を知り、
お父様のご事情を知ることのできる息子・娘として、
お父様と心情一体となることができるよう
許諾してくださり、
離れようとしても離れることができない、
別れようとしても別れることができない、
お父様と私たちを引き離す
どのような存在もない確固たる位置で、
天の悲しみを私たちの悲しみとして、
天の喜びを私たちの喜びとして、
天の仕事を私たちの仕事として、
天の責任を私たちの責任として
感じるようにしてください。
今日、私たちが
永遠に変わることのない位置に立って、
億万のサタンと闘わなければならない
責任者の立場に立ったことを知り、
全体を生かすためには
祭物の立場に立たなければならないという、
この峻厳な事実を体得することのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちの心から
正しくない一切の要素を除去してくださり、
お父様の心性に、
お父様の性相に和して
お父様と一体となり得る、
確固たる覚悟と決心をすることができるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
自我の観念で
お父様の性稟を推し量ろうとする
息子・娘がいないようにしてくださり、
完全に順応し和合して
お父様の願われるみ意のまま、
お造りになるひな型どおり造られ、現れることのできる
お父様の息子・娘たちとなるよう
許諾してください。
お父様が受け入れることのできない要素があるとするなら、
一切を除去してくださり、
親しくお座りになって命令してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・三・八)
4-10 天の誠に向かう道ならば涙の道でも従います
人類に対してこられたイエス様と神様には、
悲しみが晴れる間がなかったということを知っています。
二千年前のイエス様を回顧してみるとき、
彼は人知れない涙も流され、
人知れない飢えの生活もなさり、
人知れない迫害の路程で
悲しくお泣きになったことも知っています。
イエス様がこのような路程を歩まれ、
そのあとに従った数多くの聖徒たちも、
血の道を意に介さず歩み、
死の道も意に介さず闘っていったという事実を、
私たちは知っています。
天の城に行く道は十字架の道です。
それゆえ、自分の十字架を背負い、
ゴルゴタの山頂まで行かなければならず、
十字架の血を流した立場まで進み、
迫害を受けなければならないということが分かるようにしてください。
自分自身を忘れてしまい、
自分の悲しみを忘れてしまい、
自分の苦痛を忘れてしまい、
きょうもあすも、このゴルゴタの道を行くのに
全力を尽くす群れを、
天が探しておられるということが分かるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
今日この時代に悲しい心情を吐露なさった
イエス様の悲しみが分かるよう許諾してください。
イエス様を
歴史的なイエス様としてだけ知ることは必要ではなく、
私たちの環境の中で
現在的なイエス様を知らなければならない時となりましたので、
その高く尊厳なるご心情の前に、
その愛のみ前に、
私たちの心と体を
祭物として捧げようという、ただその一つの心情に徹して、
死んでも生きても
天のみに向かって泣き叫ぶ群れとなるようにしてください。
ここに集まったあなたの息子・娘たちが、
そのような立場を死守することのできる群れとなるよう、
許諾してくださいますことをお願い申し上げます。
天の心は、一人の方の心として現れ、
四千年の歴史を統合するための心情の基準を立てましたが、
人間たちがそれを蹂躙し、背反することによって、
今日、人類は凄惨なる状態に置かれています。
彼らの悲しみがお父様の悲しみであることが分からない、
この地上の数多くの人類を、
お父様、
顧みてください。
彼らのために涙を流し、
祭壇を築くことのできる
寂しい群れとなるよう許諾してください。
ヤコブも荒野路程で悲しみの祭壇を築き、
モーセもそのようにし、
エリヤもそのようにしたことを知っています。
天のみ旨に責任をもった私たちの先祖が、
誰一人として
そのような路程を
歩まなかった者がいなかった事実を知っています。
彼らの伝統を受け継ぐ私たちとなろうとしますので、
残された祭壇を積み、崩れた城を再び築き、
お父様の至聖所を整えて
お父様に侍り得る
息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・三・一五)
4-11 天のご苦労の歴史路程を慰労させてください
お父様!
私たちは悲しみと嘆息の死亡圏内に押し流され、
天と因縁を結ぶことのできない不孝の子供たちでしたので、
お下しになられた恩賜の前に、おそれ多い心をもち、
自分の本性を収拾することのできる
一つの姿となるよう許諾してくださって、
お父様に侍ることができますことを
切にお願い申し上げます。
お父様が来いとおっしゃる、
その道があることを知ったその時から、
涙の道にも
お父様が共におられることを知りましたし、
十字架の道、
苦難の道、
悲しみの道、
鎖につながれるその道までも、
共におられることを知りました。
そして、愛する息子・娘の背後で
ご苦労なさり、歴史路程を踏んでこられる
お父様のそのいばらの道をも知っています。
私たちのために、
私たちが知ることのできない
ご苦労の歴史を重ねたことを知って、
このようにご苦労されたお父様のお姿を心で慕い、
敬拝を捧げる私たちですが、
身の置き所を知らないものです。
お父様の悲痛なるご心情で、
私たち自体を捕らえてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
天のみ旨があり、
天の望みがあることによって
召命を受けた私たちでしたので、
今日私たちに追ってくる十字架の道も、
私たちによるものではないことが
分かるよう許諾してください。
千秋万代の後孫までも、
先祖たちが苦労した歴史的なその因縁の道が
分かるよう許諾してください。
この時間、私たちが
無限の喜びと
無限の幸福と
無限の望みを抱くことのできる
心をもったとするなら、
それは
私たち自身によって始まったものでもなく、
ある人間によるものでもなく、
すべてのものが天から始まり、
天から動じたという事実を
私たちの心と体に深く納め、
天が動じたその土台を慕い、
これをつかみ涙ぐむことのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちが行くべき方向をあなたは知っておられ、
私たちが取って進むべき道も
あなたは知っておられます。
私たちの心の始まりも
自分から始まったのではなく、
私たちが勧告の立場に立つことも
自分のためではなく、
人のためであり、お父様のためですので、
最後まで
その心情が変わらないよう主管してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
残された苦難のこの一期間を通して、
お父様に不孝をして
離れる者たちとならないよう許諾してくださり、
摂理してこられたお父様の悲しみを感じても、
この難しい時期を乗り越えることのできないような
息子・娘たちとならないよう許諾してください。
最後までお父様のご心情をもつため、
自己を捨て、
お父様を心配し、
お父様のご心情を慰労することのできる、
お父様のご事情を理解することのできる
息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
この時間、
私たちの心に、
お父様のもの以外に
要求するものは一切ございません。
今私たちは、
きょうの苦難を踏み越えて、
約束の園を望まなければなりませんし、
永遠なる祝福の天の国を
慕わなければなりません。
現れるべき神様の祝福は、
言葉で表すことができないほど大きな栄光の立場だということを
私たちは知っていますので、
きょうの私たちが、
お父様に対する心情を変えず、
最後まで耐えて残される群れとなるよう
許諾してください。
最後まで闘い、お父様のみ前に立つことのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・三・二九)
4-12 お父様の悲しみを悟った謙遜な姿となることを願います
お父様!
人間たちをご覧になり、
人間たちを探し出すために傷心される
お父様を見つめる息子・娘がいるなら、
お父様のみ前に自分の福を祈ることはできず、
自分の主張を広げることができないことを知る者でございます。
このような歴史的な悲しみが残っていることを
千遍万遍忘却した、この不忠不孝な子供たちを
受け入れてください。
今、心情からわき出てお父様を呼ぶことのできる、
天と地が喜ぶことのできる、
お父様と私たちが一つになる、その一瞬間に
新しい歴史が始まり、
望みが成就することを知っていますが、
きょう私たちの心の基が、
そのような心情に
徹することのできる立場に立つことができなかったことを見て、
落胆せざるを得ず、嘆息せざるを得ません。
地上に悲しみがあるとするなら、
悲しい者を慰労なさるお父様の悲しみ以上の悲しみがどこにあり
苦痛があるとするなら、
お父様に背反する人を捕まえ、
慰労なさるお父様の苦痛以上の苦痛が
どこにあるでしょうか。
お父様は
ご自身の威信と体面と権限を立てられず、
望みを残したまま歴史路程を経てくる間、
数多くの善なる先祖たちを捕まえ、
「私の心情を分かってくれ」と、
「私の事情を分かってくれ」と
泣き叫び、切に訴えられたという、歴史的なみ言を
私たちは聞いた者です。
しかし、
今日の私たちは歴史を代弁することができず、
歴史的な実体を証して
善なる自らであると誇り得る、
その何ものをももてなかった者たちとして、
お父様のみ前にひざまずきひれ伏しましたので、
面目ない自らであることを
この時間暴露し、ありのまま報告させてくださり、
サタンに蹂躙された自分たちであることを
悟り得るこの時間となりますことを
切にお願い申し上げます。
残された摂理のみ旨の前に、
不忠な者は多いけれども、忠誠を尽くす者がおらず、
きょうも心配なさり、あすも心配なさり、
摂理のみ旨と心情を打ち明け、
勧告なさることのできないお父様のご事情を、
この時間に私たちが見抜くことができるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・四・一二)
4-13 悲しみのお父様を慰労させてください
お父様に侍るべき本然のアダムとエバが
堕落することにより、
今までの歴史が
悲しみの路程となったという事実を、
私たちは知っています。
罪を犯したアダムとエバの後孫である人間たちが残した
罪のふろしきを背負ったまま、
追われ追い回され、試練を受けながら、
今日まで来たこの人類歴史を前にして、
私たちが悔しく思うことができるようにしてください。
このような立場に落ちた人間たちを、
天は忘れようとしても忘れることのできない、
創造主としての責任があるがゆえに、
どの時代、
いつを問わず、
この人間たちを再び探し出すために、
苦労の歴史路程を経てこられたということを、
私たちは知っています。
きょうこのような立場に置かれている私たちが、
自分たちを置いて嘆息すると同時に、
お父様が無限のご苦労と苦痛の道を歩まれたことを、
心痛く思うことのできる
姿となるようにしてください。
お父様に対しては、
面目のない自分たちであることを感じ、
歴史的な罪の血統を受け継いだ人間に対しては、
悔しく思うことのできる心をもつようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
私たちの心にはいまだ
罪悪の根性が残っていて、
私たちの体はいまだ
罪悪の鎖につながれているということを
感じています。
哀れみのお父様が、
力と能力をもって現れてくださることを
私たちは待ち焦がれていますし、
真の息子・娘となれることを
待ち焦がれています。
罪悪の金網を切って、
染み込んでくる罪悪の因縁を切って
闘う姿となることができないまま、
失敗している息子・娘をご覧になる時、
お父様が一層悲しまれることを知っています。
今、心の門を開き、
体の拘束から逃れて、
新しい心、
新しい体を整えて
本然のお父様を「私のお父様」と呼ぶことのできる、
一つの姿が現れることを待ち焦がれるお父様のみ前に、
「お父様! あなたのみ旨を身代わりした自らでございますので、お受けください」
と言うことのできる息子・娘となるようにしてください。
そのような歴史的な勝利者、
怨讐たちと闘って勝利し、
お父様の悲しい心を
慰労してさしあげることのできる息子・娘が現れることが、
お父様の願いであることを
私たちは知っています。
今、私たち自身がそのような立場で
お父様を「私のお父様」と呼ぶことができ、
お父様を慰労してさしあげることのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
これが私たちの願いであり、
お父様の願いであることを知っていますので、
私たちを激励してくださって、
その立場まで導いてください。
導いてくださるお父様のみ手をつかみ、
いかなる逆境の道をも行くことを願う、
切実なる心をもった息子・娘たちとなるようにして
くださいますことを、
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・四・一九)
4-14 お父様のご心情の源泉に接するようにしてください
お父様と共に生きることのできる、
そのひと日が慕わしいのでございます。
お父様を慕い、
お父様に向かって走る私たち、
お父様と共に生きることのできる
栄光のそのひと日を迎え、
お父様のみ前に感謝と喜びの賛美を返すことをもって、
お造りなった万物を和動させることのできる
息子・娘たちとなるようにしてください。
私たちの心と体は、
お父様の形状(み姿)に似せて造られたものですので、
完全にお父様に似た
息子・娘となるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
あなたの悲しいお心が
地上に立ちこめていることを、
人間たちは知らないでいますし、
天の物悲しい涙の跡が
人類歴史の足跡ににじんでいるということを
知らずにいます。
限りない天の嘆息が、
私たちの心と体に漂っているということを知らずには、
天のみ前に面目を立てることもできず、
天の信任を受けることもできない、
悖逆(信任にもとる)な人間の後孫であることを
自認せざるを得ません。
お父様!
地上には
あなたの涙を収めてさしあげる者がいませんし、
あなたの悲しみをつかみ、慰労してさしあげる者がいませんし、
あなたが行かれるその道を守る者がいません。
そうですので、
この地に恨みがあるとするなら、
それは天の恨みが染みわたった地だということであり、
悲しみがあるとするなら、
天の悲しみが染みわたった地だということであり、
怨恨があるとするなら、
天の怨恨が染みわたった地だということです。
それゆえ、
この地に生きている人間たちは、
悲しみの祭物になるまいとしてもならざるを得ない
運命に置かれていて、
恨むべき自分を越えまいとしても越えざるを得ない
運命に置かれています。
落胆する中で、最後の声でもって天に向かい、
「お父様! 私たちを助けてください」と
泣き叫ぶべき時となり、
「お父様! 愛のご心情をもって、人類を尋ねてください」と
泣き叫ぶべき終わりの日が到来しているのに、
このような時に誰がお父様のご心情をつかんで悲しみ、
誰が
お父様のお心をつかんで
痛哭するでしょうか?
そのような者がいるとするなら、
彼はお父様の真なる息子・娘だということができ、
またお父様の実体的な対象だということができるでしょう。
私たちの心に力を生じさせてくださったお父様!
哀切で、恨めしく、悔しいお父様のご心情を感じることのできる
心の動機が慕わしいし、
ご心情の源泉に接したいので、
接することのできる恩賜を加えてください。
そうして、
そのご心情に和するとするなら、
その立場では自分の不足なことを
暴露すまいとしても、暴露せざるを得ず、
人間の罪状を身代わりして
悔い改めまいとしても悔い改めざるを得ないということを
知っています。
お父様!
不肖で不足な私たち、
磐石となれない私たちをお立てになり、
心配なさるお父様のみ前に、
心苦しい心をもち、
お父様の恨みのご心情と悲しいご心情を
慰労してさしあげることによって、
栄光の中に顕現なさることのできる土台を整える
聖徒たちとならなければならないので、
お父様の力と能力をもって
不足な私たちを主管してください。
絡み混ざった罪悪の形状をもっている者がいるとするなら、
愛のみ手を伸ばしてくださって、再び主管してくださり、
異なった姿にお造りください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・五・二四)
4-15 お父様の物悲しいご心情に通じさせてください
お父様!
人間たちがお父様を探すために
歴史路程であえいだとしても、
今までお父様に侍って生きた者たちが
地上にいませんでした。
この地のどこの一角がお父様のものであり、
どの一家族がお父様のものであり、
どの一民族、
どの一国家がお父様のものでしょうか?
お父様のものとして、どれ一つ
この地上に探し立てることができなかったお父様のその悲しいご心情を
おそれ多くも察することができるものです。
あなたに悲しみがあるとするなら、
この地の主人であるあなたが、
主人の立場に立つことができず、
この地に責任をもつべきであられるあなたが、
責任をもつことができない立場におられたことを
知っています。
地上の人間たちに責任をもつべき立場におられますが、
責任をもてない摂理を導いてこられたお父様、
私たちの心情を通して直接主管なさり、
直接命令なさるべき立場であられるにもかかわらず、
そのような立場に立つことのできなかったお父様、
私たちの生活を通し、
私たちの全部を主管なさるべき
お父様であられるにもかかわらず、
私たちの内的な生活と事情を
主管なさることのできないお父様、
私たちを置き、
善の結実だと賛揚すべき
お父様であられるにもかかわらず、
そのようなひと日、
ひと時、
一人をお探しになれなかったお父様、
このような物悲しい立場におられたお父様であることを
私たちは知りませんでした。
今、私たちが
この地上のすべてのものを
失うとしても、
お父様の物悲しいご心情に通じることのできる
息子・娘となるよう許諾してくださり、
お父様のご事情と曲折を
実の子女の立場で感じることができ、
お父様が涙を流されるとき、共に涙を流し、
困難にぶつかるとき、共に困難にぶつかることのできる
あなたの息子・娘たちとなるよう、許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちの心が足らないことを知り、
私たちの体が世俗的であることを知り、
私たちの欲望がサタンと共に動いて
いることを知りました。
このような内的な要素をもった私たち、
天を身代わりして許諾なさったひと時、
一時代、
一時期に来られる一人の主人公を
待つことのできない悲惨な者たちですので、
哀れな自分を置いて
嘆息し得るようにしてくださり、
哀れな家庭と
哀れな社会と
哀れな人類と
哀れな天と地を置いて
嘆息し得るようにしてください。
悲しい心情をもって、
天と地の前に贖罪すべき時が来ましたので、
お父様!
私たちの心の門を開いてください。
私たちの心情は、
お父様、
あなたのご心情に対することを知らない、
対し得ない立場ですので、
このような私たちの心と体を、
お父様のご心情とお父様の形状に
和することのできる実体として、再び造ってくださいますことを
切にお願い申し上げます。
天が受け入れることのできない、
今までもってきた一切のこの世的な観念や
主義主張を除去させてくださり、
そのすべてのものが
お父様のもののみとして和することができるよう、
本質的な感性の基準を高めてくださり、
良心的な基準を高めてください。
私たちの心情を連結させて、
お父様のご心情と通じることができるようにしてくださり、
天的なご事情と通じることができるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
天にいる数多くの聖徒たちをお送りになって、
私たちの周囲を聖別させてくださり、
私たちの心情を覚醒させてくださり、
お父様の能力のみ手で再び造ってください。
そうして、
私たちが再創造のみ言と共に
再創造の性稟を受け、
死亡の実体である私たちが
生命の実体と化し、
栄光と歓喜と喜びの中で、
お父様をお招きする喜びの時間を
迎えることができるようにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・六・一四)
4-16 お父様のご心情と通じさせてください
人類において一番大きな悲しみは、
お父様の愛と縁を結ぶことができなかったことであり、
お父様のご心情に通じることができる
本然の良心を失ってしまったことであり、
そのご心情と良心が和することのできる、
心と体が和合することのできる立場に立てなかったことであることを
よく知っています。
堕落したがゆえに、
お父様のご心情に通じることのできる感覚が、
私たちから去り、
お父様のご心情を体得し
万象を愛することのできる心が、
私たちからなくなってしまいましたので、
お父様、
その心情を回復することができるよう導いてください。
私たちの心と体が一つになり、
私たちのものがお父様のものとなるようにしてください。
私たちのものをすべてお父様のみ前に備え、
誇らしい姿として、愛の羽を広げて
万物を抱くことのできる
広い雅量の心情をもつことができるよう、
お父様が、
導いてくださいますことを切にお願い申し上げます。
私のお父様!
このような心情に通じさせることのできるみ言が
切実に必要なことを知っています。
私たちが失ってしまったものは、み言であり、
その次は実体であり、
その次は心情であることを知っていますので、
お父様、
み言を通して
失った私たちの本然の心情を呼び起こしてください。
本然のみ言にこうべを垂れることのできる心を備え、
本然のみ言に耳を傾けることのできる体を備えて、
お父様の栄光の懐に抱かれる恩賜を
許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。
み業を始められた方があなたであられたので、
これを成就なさる方もあなたであることを知っていますし、
善で始められたので
善で締めくくるべきことをも知っています。
お父様は「アルパであり、オメガである」と言われ、
「最初の者であり、最後の者である」と言われ、
「初めであり、終わりである」と言われましたが、
初めに本然の心情を失った人間ですから、
終わりに来ても天的な心情に通じません。
今、終わりの日には
本然の心情をつかみ、
心情を連結しなければならないのに、
堕落の怨恨のどん底であえいでいる私たちを、
受け入れてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
私たちの心は私たちのものではなく、
あなたのものであることが分かるようにしてくださり、
私たちの体は私たちのものではなく、
あなたのものであることが分かるようにしてくださって、
私たちの心情、感性、
このすべてのものが私たちに属さず、
お父様に属し動くという事実を、
実体的に、実証的に
体得できるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・六・一四)
4-17 お父様と心情の因縁を結ぶことができるようにしてください
お父様!
心情を通して
天を体験するよう許諾してくださり、
感じまいとしても感じざるを得ない
お父様のご事情を
体得できるよう許諾してください。
お父様のみ前に
悔い改めまいとしても悔い改めざるを得ない
心情をもつことができるよう、お父様が導いてください。
人と人同士集まる所は、
解こうとしても、かえってもつれることが起こりますが
天を中心として集まる所では、
心にしこりになったことが
解けるという事実を知っています。
今、
罪悪の氏族によってもつれてしまったすべてのものが
根本的に解かれ得る、蕩減のみ業、
悔い改めのみ業、
感動のみ業によって、
私たち自身を反省し、過去を悔いて
新しい日を憧憬することのできる、
徹した心を呼び起こしてください。
そうして、
その心を抱き、
自我をもう一度悔い改めることのできる
再創造のみ業が起こるよう、
お父様が、
許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。
今日、私たちは
体だけの幸福を待ち焦がれてはいませんし、
心にだけ酔って生きることも願ってはおらず、
ただ心情を置き、
永遠に生きることのできる園を願うものです。
生活の中でも
心情的な因縁の一条件が、
各自の心中から暴発して、
心情深く内在することのできる
因縁が結ばれるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
この聖なる日、
万民の上に祝福の恩賜を与えてください。
み旨を身代わりして心情を抱き、
天のみ前に訴えて、
隠れた祭壇を築き
祈祷する息子・娘たちが多いことを知っていますので、
彼らにも祝福を与えてください。
天上の寂しい心情を抱き、あえいでいる群れ、
蕩減的な解怨のひと日を願っている
霊界の数多くの霊人たちまでも、
私たちと関連があるので、
お父様、
彼らの業も、私たちによって
良い結果として現れるよう許諾してください。
三位神が
私たちを取り囲み、見つめて、待ち焦がれるその心情の基準に
私たちが足らないで、
その量を満たせないまま
お父様を呼ぶことのないよう導いてください。
自分が充足した立場で
「お父様」と呼ぶことのできる、
喜びの姿としてお立てください。
そのような恩賜をもつことができなかったとするなら、
幼子のように温柔謙遜に
お父様の哀れみと慈悲のご心情を引き寄せる
息子・娘となることができますよう、
このひと時、導いてくださいますことを切にお願い申し上げ、
すべてを主の名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・七・五)
4-18 お父様を抱いて泣くことのできる真の子女とならせてください
お父様!
来いとおっしゃった道が、困難ではないと思って立ちましたが、
困難であるということを知り、
喜びの道であると思いましたが、
行ってみると涙の山また山であることを知りました。
お父様!
私たちに悲しみがあるとするなら、
お父様をつかんで悲しみたいのです。
人間をつかんで悲しんでは、
落胆しやすい事実を知り、
人を信じていっては、
傷つくことを知りました。
変わることのない方はお父様でした。
お父様をつかんで泣いた時間が
あまりに幸福な時でしたので、
イエス様もお父様をつかんでお泣きになるために
山道を尋ねたのでしょう?
お父様をつかんで泣き得る人々、
人生行路が物悲しく寂しいので、
人類の前にイエス様を立て、
先にこの道を開拓するようになさったお父様のご心情を知り、
お父様のために泣いてさしあげることのできる
真の息子となることを、
娘となることを願っています。
私たちが悲しいという前に、
先にむごいむちを受け、
むごい迫害を受け、
すべての重圧をお受けになる天がおられたことを知ったなら、
どうして天のみ前に自己を弁明することができるでしょうか。
天のみ前には、自己を中心として
悲しむべき条件がないということを知ったので、
ここに置かれたあなたの息子・娘たちを
哀れに思ってください。
お父様!
私たちは、私たちが泣く前に
お父様が先に泣かれ、
私たちが打たれる前に
お父様が先に打たれたことを知り、
私たちがぶつかる前に
お父様がぶつかられたことを知り、
私たちが痛みを感じる前に
お父様が先に痛かったことを知り、
私たちが倒れる前に
お父様が先に倒れられたということを知りました。
これを知り、
天に向かって黙々と行き、また行っても、
足らない自分であることを発見しながら、
天のみ前に頭を下げ
「お父様」と呼ぶことのできる息子・娘たちを、
あなたはどれほど待ち焦がれられたでしょうか?
私たちの心情に、
そのような感情が動くよう許諾してくださり、
この国に対するとき、
世界に対するとき、
天に対するとき、
そのような感情が動くようにしてください。
そのような感情が動いてこそ、
「個人から全体の世界的な理念圏まで
自信ある信仰をもった」と言うことができ、
自分の理念を立てるための、
最高の心情をもった
天の立場となることを知っていますので、
このような環境の道を開拓していくことができるよう、
私たちの心を呼び起こしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
行くべき人生行路において、
物悲しかった自分を批判し、
幸福に酔って暮らすことができ、
また私の一身を天と因縁づけることを高く評価しながら、
頭を下げてお父様の栄光を高らかにし得る
子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・七・五)
4-19 お父様のご心情の同伴者とならせてください
お父様!
きょう、お父様のご心情の園で
私たちの体が動じ、
心が動じ、
すべての考えが動じるよう許諾してください。
お父様のご心情は、
無限なる愛のご心情であることを
私たちは知りました。
お父様のご心情は、
限りなく悲しいご心情であり、
限りなく傷を負っているご心情だということも
私たちは知りました。
限りなく悲しまれたお父様、
限りなく苦労されたお父様、
今も限りなく気遣われるお父様!
そのお父様が創造主であられ、
そのお父様が
全万象の主人公であられるということを分かるようにしてくださり、
お父様がお受けになる限りない悲しみが、
私たちの胸に染み通るようにしてくださり、
限りない悔しさと無念さが
私たちの心中に流れ込むようにしてください。
これを体得した者を、身の置き所を知らないため、
自分の身を支えることのできない
悲しみに浸るようにしてくださり、
その心を収拾することができず、
天地の区別もつかないまま
痛哭する息子・娘たちとなるようにしてください。
六千年も悲しみの祭壇が続いたのは、
先祖たちの過ちのゆえであることを知るものですが、
今日、私たちがまたも責任を果たせず、
悲しみを後代に残すのではないかと心配です。
今日私たちは、
私たち一代で
悲運の歴史をふさぎ、
天のご心情をここから収拾して、
新しい喜びのご心情に変えるべき責任が
あるということを知りましたので、
この時間に頭を下げた私たちが、
お父様のご心情の同伴者となるよう
許諾してください。
人の姿をした人間はたくさんいます。
ところが、地上に
何がなくて天が悲しまれるのかと言えば、
あなたと心情が通ずることができ、
あなたの愛を慕うことのできる
息子・娘がいないためであることを知っています。
天はそのような息子・娘たちを探しておられるということを
私たちは知りましたので、
今、精誠を尽くし、
この心と体をすべて捧げ、
そのご心情の前に不足がないということのできる、
認定を受ける息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
私たちは、
天がどのような物質を下さることも願っていませんし、
事情を知ってくださることも願っていませんし、
恩恵を下さることも願っていません。
それよりは、
恩恵を下さったのちに悦楽しようとなさる
お父様のその内情を
私たちが知るよう許諾してください。
そうして、
悲しまれたお父様を「お父様」と呼ぶことができ、
苦痛のお父様を慰労してさしあげることのできる
息子となり、娘となることを願うものです。
これを目標として、
私たちは険しい道も意に介さず、
追われる道も意に介さず、
迫害と嘲弄の矢が
この一身に襲ってくるとしましても、
お父様に向かう一片丹心の心情だけを
もたなければなりませんし、
このすべてのものを忘れてしまい、
天に向かってより近づいていくことができ、
それを内的な忠告をもって消化することのできる
息子・娘たちとなるよう、許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六〇・二・七)
4-20 天情に徹して涙を流させてください
今まで私たちは、お父様を
栄光の中で喜びをもっておられる方として
認識していました。
すべての福と富貴栄華を
自由自在に私たちに与えることができ、
私たちに解放の喜びと目的を
達成させてくださる方であると思っていました。
しかし、
天の背後の事情を知ってみますと、
福を与えたくても、福を与えることのできない
内的な曲折があるということを知りましたし、
恨むべき六千年の悲しみの歴史を
蕩減復帰しなければならないという、とてつもない事実を
私たちは知りました。
今、そのような事情を知りましたので、
行うことのできなかった人間の愚かさを、
嘆息する者となるようにしてください。
お父様はこの民族を探してこられたお父様であり、
世界人類を探してこられたお父様であることを
分かるようにしてください。
この歩みには、
今までの悲しみの涙が染み付いていますし、
今までの苦痛の障壁が残っているということを
知りました。
きょう私たちは、
そのようなお父様の苦痛の城壁となり、
悲しみの都城(=中心地)となって、
お父様の憤りと恨みを抱き、
その責任と使命を果たすため、
怨讐との決戦途上において、
血と涙を注ぎ、闘うことのできる
私たちとならなければなりません。
お父様!
私たちが天情に徹して
人類愛の心情を抱き、
あえぐことのできる者たちとなるようにしてください。
山河を眺めるときにも、
お父様のご心情を抱き、涙で見つめることができ、
民族を見つめるときにも、やはりそのようにし、
人類を見つめるときにも、やはりそのようにできる
私たちとならなければなりません。
私たちはお父様が願われる個体となり、
お父様が願われる家庭を築き、
その家庭を中心として、
お父様が願われる理念的な世界を
建設しなければなりません。
建設すべき範囲が大きければ大きいほど、
より多くの血涙を流さなければならないということを
知りました。
個人を探すためにも、
家庭を探すためにも、
民族を探すためにも
涙を流さなければならないということを
知りました。
この道は、人間的に見るときには、
悔しい道であり、
憤懣やるかたない道であり、
苦しい道ですが、
あなたが歩んでこられた道ですので、
これを喜びの道、
感謝の道、
栄光の道に変えて行くべき
曲折の路程であることを知りました。
生命が尽きる時まで、お父様に侍ることにおいて、
すべてのものを消耗させることを
誇りとするようにしてください。
あなたと共に、最後までこの道を駆けていくことのできる
私たちとなるようにしてくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
そのような立場で、
涙でもってお父様の栄光を謳うことのできる
私たちとなることを、
もう一度決心させてくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六一・二・一二)
4-21 嘆息の歴史路程を歩んでこられたお父様!
この上なく善であられ愛に満ちたもうお父様!
この上なく栄光にあふれるべき私たちのお父様が、
悲しいこの地に対してこられるために、
お心とご心情にどれほど大きな傷を受けられたのか、
どれほど憤り、
どれほど悲惨な立場に立たれるようになったのかを、
私たちはおそれ多くも考えることができません。
善の子女をお立てになり、
善の天国、
善の理想世界を心の中に描き、
望みのひと日を慕われたお父様!
人間の先祖アダムとエバを通じて
望みのひと日が成されることを願う心が、
切実であれば切実であるほど、
アダムとエバを愛したいお心が
どれほど大きく、
その目的に対する責任を感じれば感じるほど、
アダムとエバを保護したいお心が、
どれほど大きかったことでしょうか。
そのようなお父様の保護と、お父様の愛の懐を、
人間の先祖が裏切り、背を向けた
恨み多い歴史を振り返って考えるとき、
私たちが
堕落した先祖の後孫として生まれたことが
とても憤懣やるかたなく、
とても悔しく、
とても恨めしいのです。
私たちの心と体は
罪悪のきずなから抜け出すことができず、
死亡の波に押し流され、
すっかり死亡のどん底で
破壊されるべきものとなりました。
しかし、お父様は数多くの歴史路程において
一日のように思い、そのような私たちを心配なさるのに
数多くの苦痛を受けてこられました。
お父様は人類の歴史的未来を
心配なさる心が大きかったので、
悲しい心をもたれ、
私たち不足なる人類の足跡をついてこられましたが、
一日として、
どこの誰にも、あなたのご心情を哀訴できなかった
お父様であられることを知りましたし、
一日として
あなたのご心情を慰労してさしあげられる子供を
もつことのできなかったお父様であられることを知りました。
このように困難な復帰路程を経てくるのに六千年!
今、この終わりの日を迎え、
三千里半島(=韓国)の上に、
この民族を代表して、
哀れで取るに足らない私たちを
お父様が集めてくださったので、
この因縁が決して偶然なものではないことを
私たちは知るものです。
私たちはみ言を通して学びましたし、
事実を通して証を受けましたが、
そのみ言と証を私たちのものとして消化できなければ、
そのみ言と証が私たちを審判するようになるという恐ろしい事実を、
私たちが分かるようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
この統一の群れを集めてくださったお父様!
歴史の途上でご苦労されたお父様の悲惨なお姿は、
言うに言えないものであることを知るものです。
取るに足らない弱々しい群れを集められ、
ひと日の勝利を約束なさり、
苦難の道に私たちを追い出される
お父様の切実なるご心情とご事情を、
私たちが夢にも忘れることがないようにしてください。
困難な立場でも、
それを心の深くに銘記させてくださり、
悲しい立場で悲しみの涙を流されるお父様を、
先に考えることのできる息子・娘となるようにしてください。
また、
この者たちが凄涼(=すさまじい)で悲惨なる立場に落ちたとしても、
十字架路程を越えられるお父様の悲惨なるご心情を
忘却する息子・娘とならないようにしてくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
二千年前、
お父様がこの地上に送られた
天の皇太子、
万民の救世主、
メシヤが、
悲しい生活をして逝かれたことを私たちは知っています。
その方は、生まれるときもお父様のご心配の中でお生まれになり、
成長するときもお父様のご心配の中で成長されました。
また、
責任を担った公生涯路程で、
お父様を身代わりして
迫害の途上において怨讐たちと対決し、
苦難の路程を責任を負っていかれたことを
私たちは知っています。
このようになったすべては、
私たちの先祖たちが
責任を果たすことができなかったゆえであることを知り、
歴史的なすべての罪状を探知して分かりましたので、
今日この地上に実体を立て、
歴史の恨みを解いてさしあげるべき全体的な責任が、
私たちにあるということを
忘れないようにしてください。
過ぎし日の嘆息の歴史が、
私たちをせき立てているということを
忘れないようにしてくださり、
時代的な使命を知らせるために、
先にお立てになった私たちを通じ、
与えようとなさるお父様のお心が存在するということを、
忘れないようにしてくださいますことを切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六四・五・三)
4-22 悲しい歴史の曲折を痛感させてください
恨み多い長い長い歴史をたどってこられながら、
悲しみの日々を抱き、踏んでこなければならなかった
あなたのそのご心情を誰が知り、
あなたのそのご事情を誰が知り、
あなたのその望みを誰が知っているでしょうか?
お一人知っておられるそのお心、
お一人おもちになったそのご事情、
お一人抱かれたそのご心情とそのみ旨を
知ることのできない人間たちに対して、
その望みと事情と心情を教えてあげることのできる
一人の子女を探してこられるため、
苦労されたお父様がどれほどかわいそうな方であるかを、
私たちがこの時間に
もう一度感じることができるよう許諾してください。
その方は他人ではなく、
私たちと永遠に共に暮らすべきお父様であられ、
その方はご苦労なさるべき方ではなく、
宇宙を創造された主人であられることを、
私たちが知るようにしてください。
私たちのお父様であられ、
私たちの真の主人として
宇宙全体を抱かれ、愛されるべきその方が、
そのような歴史的な曲折を残されたという事実を、
悔しく思うことのできる子女たちとならなければなりません。
私たちの先祖の一度の過ちが、
このように億千万代をおいても受け入れられない
罪となったという事実を考えるとき、
涙と血と汗を流し尽くしても、償う道理がなく、
生命を千万遍犠牲にするとしても、償う道理がないことを、
この者たちが悟るようにしてください。
お父様!
どこにあなたが分かるという者がいて、
どこにあなたのみ旨を立てようという者がいて、
どこにあなたのために死を覚悟していく者がいるでしょうか?
誰もいないということを知るとき、
ここに集まった私たち、
たとえ哀れで、取るに足らない群れであっても、
あなたのために
忠誠を誓い、
あなたのために
生命を捧げようと誓った群れですので、
疲れた者たちがいるなら、力を加えてくださり、
失望した者たちがいるなら、抱いてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
私たちは
怨讐たちの籠絡に何度も踏み付けられ、
悲しい過去の歴史に、言うに言えない
切ない事情をもっています。
そのすべての恨み多い心情を
失ってしまう私たちとならないようにしてください。
お父様の悲しみと、お父様の恨みを
失ってしまう者たちとならないよう許諾してください。
この罪悪の世を審判なさる時、
間違いなくお父様のみ前に、
栄光を帰し奉る勝利者の姿として
現れることのできる、
あなたの子女たちとなるようにしてくださることを
切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六五・一二・二六)
4-23 子を追い立てるお父様の苦しいご心情を察することができるようにしてください
堕落したこの世の父母たちの心情であっても、
子をむち打ったあとは、
むち打つ前に愛した以上の心を抱き、
彼のためにしてやりたいものであるのに、
まして復帰の路程において
私たちに責任を負えと命令なさったその立場において、
私たちが打たれ追われる時、
慰めたいお父様のご心情が
どれほど大きいかということを、
私たちが分かるようにしてください。
そうして、その立場で
お父様を「お父様」と呼び、
お父様を慰労してさしあげることのできる孝子として立て、
私たちに心情世界で永遠に
お父様を賛美させたいのがお父様のお心であられますことを、
私たちが忘却しないようにしてください。
今まで、統一教会の路程は、
悲しい路程でした。
人々が理解し難い中におきまして、
お父様のご命令どおり従ってくる歩みが、
どれほど凄惨であったかということを、
私はよく知っています。
今日、統一の群れを集めて
このような祭壇を動かす時まで、
お父様はどれほど多くのご苦労をなさいましたでしょうか?
遊ぶ者はむち打って勧告なさり、
居眠りする者は起こしてくださって、
行けと命令なさったことを知るのです。
今もそのような逆境の中で
私たちに誓わせ、
私たちを追い立てるべきお父様のご事情が
残っていることを知るのです。
このような悲しみが、
宇宙史的な蕩減の路程として
残っていることを知っていますし、
個人を収拾しまとめては家庭を、
家庭を収拾しまとめては氏族を、
氏族を収拾しまとめては民族を、
民族を収拾しまとめては国家を、
国家を収拾しまとめては世界を身代わりし、行けと
命令なさるべきお父様であることを分からせてください。
そうして、
その道において、
つらい蕩減の路程を経ていかなければならない
復帰の路程が残っていることを
見つめられる、お父様のお立場がどれほど苦しいかということを
私たちが分かるようにしてください。
お父様のその立場を知っている
孝子がいないため、
命令しようとしても命令することのできない、
お父様の切ないお心を私たちは知るのです。
今私たちが、命令なさるその目的に向かって、
命令を受ける前に自ら準備し、
お父様を「お父様」と呼ぶことのできる
あなたの真の子女となるようにしてください。
すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六六・七・三)
4-24 悲しいお父様を慰労してさしあげることのできる統一信徒とならせてください
我がお父様!
私がお呼びするお父様は、
あまりにもかわいそうであったことを
知るものです。
お父様!
大多数の人間は、
お父様が栄光の服を着て万世を統治し、
全栄光に心を奪われ、
「万民を愛する」と宣布なさるのだと思い、
そのようなお父様の懐に抱かれたいと思い、
そのようなお父様を抱きたいと思っています。
それが今まで、人間たちの欲望でした。
しかし、
統一教会の教会員が抱いているお父様は、
死の立場において、
昼夜、
望みの未来を見つめ、
歯を食いしばりながら耐えていかれるお父様でした。
お父様のそのような憤懣やるかたない心と、数多い苦難の道で、
あるいはいばらの道で
傷を受けられたそのみ手を抱き、
胸痛い涙を流したいと思うのが、
統一の信徒たちの望む願いです。
この世の誰が何と言おうと、
自己の体面と威信が問題ではありません。
お父様のご家庭の法度がしわくちゃになり、
お父様のみ旨の前に、
このすべてが雲に覆われるようになるときには、
私の体が引き裂かれ、私の体面が踏みつけられる恨みがあるとしても、
感謝しながらそこへ必ず行くことのできる
群れとならなければなりません。
このような群れを、
お父様は
統一の群れの中に探し立てようと、
どれほど手探りしてこられたかを、
忘却する群れとならないようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げ、
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六六・一一・六)
4-25 心情の因縁を探して復帰の完結を成させてください
私たちは
み旨を成すためにご苦労されたお父様のみ前に
面目ないことを
この時間もう一度申し上げないわけにはいきません。
お父様が営まれる摂理は
栄光の摂理となり、
善の園で楽しむ息子・娘を眺め、
歓喜しながら楽しむ生活をなさるべきでしたのに、
考えもしなかった堕落によって
お父様の摂理は
喜びの摂理となることができず、
悲しみと苦痛と嘆息の摂理となりました。
このような摂理を編んでこなければならなかったお父様!
そのような摂理の動機となり、
原因となった私たち、足りない者たちは
この時間、お父様のみ前に
歴史的な罪状を悔い改めないわけにはいかず、
時代的な罪状を
悔い改めないわけにはいきません。
また、永遠なる平和の世界を慕いながら摂理されるお父様が
それほどに願われる未来のその世界のために、
私たちがこうべを垂れて悔い改めた基準の上に、
福を請わなければならない摂理のみ旨が
残っていることを私たちは知っています。
お父様と私たち、
私たちと万物、
お父様と万物との関係から見るとき
どれ一つ
お父様の愛の心情から抜け出て
造られたものがないということを
私たちは知っています。
お父様と永遠なる父子の因縁をもって心情が通じ得るその関係が、
堕落したその日から壊れてしまい
天は天なりに、
人間は人間なりに、
万物は万物なりに行くべき目的地を失ってしまったまま
今まで嘆息圏内にとどまっているということも
私たちは知っています。
愛のお父様!
あなたは
堕落の恨みと堕落の仮面を脱ぐことができずに
かわいそうな運命の道であえぐ私たちの事情をよくご存じで
きょうの福を許諾なさるために
数千年の歴史を準備してこられました。
しかし、私たちの姿を振り返ってみるとき
あなたのみ前で許諾を受けるべきことができると同時に
祝福の基準を立てるべき責任が
大きいことを知っています。
今、天と人間の間で分けられていた
すべての心情的な因縁を
再び探し出すべき時が来て、
人間同士で結ばれて、
天を歌うことのできる心情の因縁が壊れたものを
再び結ばなければならない時が来たということを知っています。
それのみならず、
永遠なる因縁圏内で
和動の条件物であり
勝利の条件物として、
理念的な生活の材料として、万物を取って
和動の万象を成さなければならなかったのに、
その万物を失ってしまったことを
嘆息しないわけにはいきません。
哀れみのお父様!
心情の因縁を探し求めてさまよう群れは多いのですが、
お父様のご心情も
そうだということを知る群れは少ないのです。
お父様のご心情を知ることができず、
暗黒世界であえぎながら
復帰の道を行っているこの人類を
再び抱いてくださることを切にお願い申し上げます。
お父様!
きょうは聖なる日です。
恨めしい運命の道を避けず
お父様が残された足跡に従って進もうとする
覚悟と決心をもって
この場に集ったあなたの息子・娘を
この時間に祝福してください。
勝利のひと時を約束なさった
お父様のみ旨を見つめ、
私たちがもったすべてのものを、
お父様のみ前に祭物として捧げることを誓う者たちですので、
そのみ旨の目標に向かって
前進の一歩を踏み出して勝利の凱歌を歌い、お父様の栄光を高める時まで
屈することを知らず、敗北することを知らない
息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを、
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。
この聖なる日、
万民の上に祝福をしてくださり、
天が探してこられたその因縁を
きょう数多くの地の数多くの群衆、
数多くの民族、
数多くの群れに連結させてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
切られた因縁を再びつなぐため
復帰の恨みをお解きになりたいのが
三位神のご心情であることを知っていますので、
そのご心情の土台の上に復帰を完結させてください。
そうして
私たちの一身から
私たちの家族、
民族、
国家、世界、
天地の万象にまで
心情的な因縁が結ばれることを私たちは待ち焦がれつつ、
不忠、不足なる姿を意に介さず
お父様のみ前にこうべを垂れたのです。
それゆえ、
お父様のみ前に
涙の祈祷を捧げなくてはいられない私たちですので、
受け入れてください。
お父様、すべてを勝利の基準で契ってくださいますことを
切にお願いしながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六〇・四・一〇)
4-26 私よりもっと苦痛なるお立場で摂理してこられたお父様!
お父様が
怨讐の世界に対されたご心情を感じながら、
私は悲しみの立場を体験してきました。
日の当たる所で生きてこられなかったお父様の悲しみを、
日の当たらない所で働かれたお父様のご事情を、
私は知りました。
今日まで、そのような生活の中で、
ある時はお父様に反論し、
お父様を恨む息子になりはしないかと
焦燥しながらきました。
また、
あなたも焦燥なさるお立場で、
そのような私を探してこられたことを知っています。
お父様は、
私が悲しい以上にもっと悲しく、
私がつらい以上にもっとつらいお立場で、
ご自身の責任を感じながら、
行くべき道を準備しておられるということを知りました。
それゆえ、私は追われ、追い回される立場、
手錠に両手を締められる牢屋暮らし、
奴隷の身の上、僕の身の上を経たとしても、絶望したり
お父様に落胆させないと決意いたしました。
そのように決意したその時から今日まで、死なずに
お父様のみ前に残るようにしてくださった恩賜に感謝をお捧げいたします。
このような姿を立てられるために、
お父様は、
どれほどご苦労されたでしょうか?
私が行くべき道のために、
私が行くべき家庭のために、
どれほど犠牲になられたでしょうか?
私が率いるべき氏族のために、
どれほどご苦労され、
私が率い指導すべき民族と国のために、
どれほどご苦労されたでしょうか?
この国、この民族が指導すべき世界のために、
またどれほどご苦労しておられるでしょうか?
私たちの動・静脈が
二十四時間絶え間なく動いているのと同様に、
お父様はそれ以上のことをしておられるという事実を
知ったのちには、
寝ていても目覚めても、罪人のように「許してください」と
お父様に請わずにはいられませんでした。
ご飯を食べていても、さじをとめ、
涙でお父様に過去の過ちに対して
許しを求めずにおられませんでしたし、
疲れた体を支えることができず、床に横になる時ごとに、
あなたを心配する心をもつことのできなかった自らを
しからずにはいられませんでした。
そのような過去の生活を哀れにお思いください。
今までの数多い怨讐たちを除去させるために、
お父様はどれほど多くのさげすみを受けられたでしょうか?
どれほど多くの憤懣やるかたないことにぶつかられたでしょうか?
追い回され、追い込まれた悲惨な群れ、
死の道で嘆息と絶叫の中で
身もだえした群れたちを、このように培ってくださるために、
どれほどご苦労されたでしょうか?
民族に対して、国家に対して、世界に対して、
こうべを上げて眺めることのできる
時間圏内に私たちを導かれるために、
どれほどご苦労されたでしょうか?
このような私たちの姿となるまで、
あなたの内的悲しみが大きかったという事実を、
千遍万遍死んだとしても、
忘れてしまう私たちとなってはなりません。
天の側の内的悲しみを中心として見るとき、
かわいそうな方はお父様です。
いくら統一教会の文なにがしがかわいそうだといっても、
それは何でもありません。
あなたがどんなにおかわいそうかということを、私は知りました。
今日、統一教会に従っている子女たちが
いくらかわいそうだといっても、
お父様の悲しみとは比べられないということを知っています。
このようなことを考えるとき、
お父様の加重された恩賜を受けることは到底できないので、
千遍万遍襟を正し、千遍万遍敬拝を捧げながら、
哀れみを請う心でもって謝罪を求めるべき
自分であることを知るのです。
このような姿となるときに、
私たちは滅びないということを知りました。
自分を中心として行く道は滅びる道であり、
世界と国のために、
自分の氏族と自由世界の万民のために、
自分自身を犠牲にする道は、
復活する道だということが分かるようにしてください。
自分が犠牲になった以上の復活圏を
準備しておられるお父様であられることを知り、
強く大胆な心をもち、
怨讐に向かって直行することのできる、
あなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・三・二九)
4-27 背反し背信した哀れな群れをお許しください
お父様!
今まで私たちに飛んできた
すべての悪の矢をへし折ってください。
私たちは彼らを怨讐とは思いませんので、
彼らを許してくださいますことを切にお願い申し上げます。
お父様の行路は善であられますので、
善の結果が現れなければならないことを思うとき、
そのためには
許しと寛容が本質的に現れなければならないということを
私たちは知っています。
あなたは善の本体であられるので、
無限なる愛と寛容で
この国の数多くの宗教者たちが
統一の子女たちを迫害した過去のことを
お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。
その間、統一の門をたたきましたが、
迫害の道、
涙の苦難の道を開拓する途上で、
慰労を受けることのできる一人を迎えることができなかったがゆえに、
孤独に苛まれて落ちていった者もいます。
また、
この道を行っている多くの人々が
疲れていることも知っています。
このように離れていき、疲れているのは、
私たちの過ちよりも
備えることのできない環境によって
そのような立場に立つようになったということを知っています。
そうして、
きょうも道々で、
あるいは置かれている場で
あなたに向かってこうべを垂れ、
許しを祈っているであろう彼らの姿を思いますとき、
恨みの積もったお父様のご心情を解いてさしあげたい
耐え難い悔しい心情もございますが、
怨讐の子供を訪ねてこられた
お父様の哀れな復帰の道を思うならば
涙をのんでこの者たちを再び
祝福するしかないということを知っていますので、
この者たちを許してくださいますことを切にお願いします。
善であった本然の子供として
美しい本性、
お父様の驚くべき本性の栄光を慕う私たちの心に、
ただ善だけが反映され、
善自体でもって和合することのできる真実なる姿が
私たちの心と体に現れるよう許諾してください。
そのような心情で真なる姿勢を備え、
すべてのものを信じ
善だけを追求する完全なる実体となって、
お父様と呼ぶことのできる息子となることを恋い焦がれる
この時間となることができるよう、
許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六九・一二・二八)
4-28 お父様の愛のご心情を体得する子女とならせてください
お父様!
あなたが行かれるその道は、
私たちが想像することのできない苦難の道であり、
辱めを受ける道であり、
恨み多い復帰の道であることを知るものです。
私たちが
自分自身を中心とした考えは多くもちながらも、
お父様を中心として考えることを
躊躇した事実を発見する時ごとに、
今私たちは個人だけではなく、
個人が集まった家庭と社会と国家と世界を
救うべきお父様の凄惨なご事情を、
同情してさしあげなければならないと誓うものです。
この世界を置いてあなたがお慕いになるものは、
あなたが願われる国であり、
あなたが願われる民族であり、
あなたが願われる家庭であり、
あなたが願われる数多くの人類であるということを考えるときに、
その人類をすっかり抱き、一国の民のように愛したい
あなたのお心があることを感じるものです。
私たちは個人として存在していますが、
個人を越えて
お父様が探そうとされる
家庭を慕わなければなりませんし、
家庭を越えて氏族、
氏族を越えて民族、
民族を越えて国家、
国家を越えて世界まで慕わなければなりません。
いつも慕わしさの基準を見つめ、
その個人からその国まで追求なさる
あなたの聖なるお姿とそのお心を、
まねることのできる自分たちとなることを
もう一度誓わなければなりません。
生命のない木石のようになって、
そのような自分たちの哀れさを
嘆くことのできない人々となってはなりません。
私たちの心に感情があり、感覚があるなら、
お父様がこのように
驚くべき内容をもって探してこられたことを直視し、
体得することのできる息子・娘とならなければなりません。
困難にぶつかるときも、その中で「私」だけが一人いるのではなく、
お父様が共に寂しがっておられることを悟り、
悲しみにぶつかるときも、
「私」一人だけ悲しむのでなく、
お父様が共に悲しんでおられることを感じ、
憤懣やるかたなく悔しい立場に一人落ちたとしましても、
「私」だけがそのような立場に落ちたのではなく、
お父様も
そのような立場におられるということを感じなければなりません。
これが孝の道を行く者たちが感じる心であり、
孝子の位置を探しゆく息子がもつ心であることを、
私たちが知らなければなりません。
ゆえに、体得信仰を強調いたしました。
お父様が生きておられるということを、毎日毎日感情的な過程を通して
体得する生活が必要だということを、
私たちがこの時間もう一度
体得するよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、
すべてを
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・一一・五)
4-29 すべてのことがあなたの愛ゆえでした
愛するお父様!
統一教会がこの場まで残されたのは、
あなたの愛があるゆえであることを知っています。
その愛の原則を
どのように私たちが生活環境に適用し、
蕩減路程に適用するかという問題を中心としてもとがえし、
そこに悲しみもあり、
苦痛もあり、
悔しさもあり、
悲惨さもありましたが、
愛が現れ愛が成されるようになるときは
そのようなことが賛美となり、
刺激的な追憶の対象になったがゆえに、
それをむしろ感謝することのできる内容で
消化させることのできる歴史を過ごしてきたがゆえに、
今まで統一教会が残されたことを知っています。
ここに立っているこの息子も、
誰も分からない、
歴史的な内なる事情を知ったその日から
この道を信じ、
この道を歩んでくるとき、
実践するにおいて
すべてのものを捧げて闘ってきたのは
あなたの愛ゆえに、
あなたの愛のためでした。
また、
今日のこのような実質的な基盤を備え、
敗者の悲しい立場に立って、
この世と天地に対して
失望し、嘆くのではなく、
むしろその反対に世界と全天宙に対して
希望の対象として、より愛したい気持ちをもち
今日立つことができた事実も
すべてあなたの愛であることを感じるものです。
すべてのものが存在するのは
愛の目的ゆえであり、
移動するのは、
愛ゆえであるということを知るものです。
そうですので、
愛をプラスさせるために
行って、見て、感じて自ら動くという
本性的姿勢を整えようとする
私たち自身とならなければなりません。
私たちによって始められ、
私たちによって結果が出されるものは、
国や私たちのための天国にはなるかもしれませんが、
神様と人類のための天国には
なり得ないということを思うとき
そのような立場は天国と分立されている、
地獄に近い場となるしかないということを
私たちが分かるよう許諾してください。
それゆえに
信仰の世界では傲慢を怨讐視しました。
固執を怨讐視しました。
自主的な立場を主張することを怨讐視しました。
神様は愛であり、
神様の息子・娘たちも愛だと教えた目的は
ただここにあったということをはっきりと知り、
生活の中でこのすべての心情的原理のみ業を、
伝統を活用しようとする
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七三・六・一)
4-30 過ぎてみるとすべてのものが愛でした
恨み多い歴史時代に
神様がどのような方であるかを知らない中で
この不肖なる息子があなたを発見し、
あなたを知ったその日からは
私の目から
涙が止まることのない日々が続きました。
そうなったことに感謝しながら走ってきてみますと
七十歳近い老身の時代が
私の目前に近づきました。
そのように血気旺盛な青春の時節に、
すべての情熱を燃やし尽くし
天に侍り、
天のみ前に栄光を帰すべきその時をすべて忘れ、
民族の背信者として、人類の反逆者として
追われてきたその日から、
統一教会が
言葉なく打たれて奪ってくる戦法を通して
今まで耐えてくるようにしてくださったことに感謝を申し上げます。
これを知らなかった私も
誰にも負けない性格をもった男性として
それを振り回し、処断してしまうこともできた
歴史時代を再び回想しながら
悔しさと無念なるご事情の中で、耐えてこられた
広く大きなあなたを知りました。
そのようなあなたの姿とその因縁に従ってきてみると、
きょうこの場まで来るようになりました。
しかし、かわいそうな天を思うたびに
胸が詰まり、気のふさがるご事情が
どれほど多いかを知ったがゆえに、
今日難しい峠、峠の道を
越えるようになったことに感謝を申し上げます。
お父様!
あなたは愛であられました。
あなたが鉄の窓に追い出すのは、
私のために歓喜に満ちた環境の水準を準備し、
福を与えるための
相続的な場を下さるためであることを思うとき
過ぎてみればすべてのものが愛であり、
あなたの広い厚徳のみ手でありました。
それを思うとき、感謝申し上げます。
すべてを
真のご父母様のみ名によって祝願申し上げました。アーメン。
(一九八七・四・一七)
4-31 恨みで綴られた六千年の歴史を解怨させてください
お父様!
歴史的な罪を犯し、
それほどまでもあなたの胸にくぎを打ち、
あなたの人格とあなたの体面に
それほどまでも許すことのできない傷を負わせた
人類であるにもかかわらず、
あなたは、その誰にもご事情を吐露することのできない
寂しいご心情を一人抱いてこられ、
天と地を
あなたの喜びの土台をもって踏むべきであるにもかかわらず
連続的な日々を
恨みと悲しみの土台をもって踏んでこられたあなたのご事情を
今、
この地上に取るに足りない少数の群れたちですが
分かるようになりました。
過った歴史を正すため
イスラエル民族を探し求め、
ノアを経てヤコブに至る二千年期間の間、
天が抱いてこられた悲しい恨みを誰も知りませんでした。
エサウとヤコブを中心として繰り広げてきた
闘いの逆境の中で
隠れた摂理の一点を眺められながら
肉を裂くような痛みの心情を抑えて
二十余年生涯をたどってこられなければならなかった
お父様のご心情を誰も知りませんでした。
ヤコブが毅然とあなたの心情に従い、
その心をあなたのみ前に捧げ、
千辛万苦、二十一年ぶりに故郷を訪ねていく路程におきまして、
一つの勝利の痕跡を残したことが
歴史に復帰の運を運んでくることのできる
一つの土台となり、
その中で
イスラエル一民族を探し求められたお父様は
希望のひと日を
占有することができたということを思うのです。
そうして
イスラエル十二支派を中心として
二千年の歴史を過ごしてこられながら
再び、血のこもった代価をもって、
サタン世界にいる人類を救うために
イスラエル選民を犠牲の立場に立てながら
育ててこられたということを知っています。
しかし、このイスラエル民族を大切に育て、
あなたのみ前に奉献すべきユダヤ教の使命が
歴史時代においてどれほど大きな使命であるか、
彼らは分からなかったにもかかわらず
彼らを眺め、
メシヤを送って
復帰のひと時を期待されたお父様のお心を思ってみるとき、
四千年の歴史がどれほど恨めしい歴史であったかを
誰も知りませんでした。
お父様!
人間の事情が通じない環境に
生まれるしかなかったイエス様・・・。
父親が誰なのかも分からない立場で、
誰にも表現することのできない立場で、
悲惨なる環境の中で
身を保たなければならなかったイエス様の生涯が
あなただけが知る寂しい立場であり、
寂しい道だったということを、今知りました。
イエス様の誕生を
民族と共に栄光をもって迎えなければならず、
彼の一生があなたの栄光を身代わりし、
全歴史の中で
悪なる世界のどのような王者ももてなかった
栄光の日々でなければならないにもかかわらず、
その栄光の願いを嘆息と絶望に変えさせた
許されざるイスラエルの妄動に対して
お父様は痛む心に耐えられるために
どれほど骨を折られたかということを
私たちは全く知りませんでした。
ゴルゴタの山頂に向かって
十字架を負っていく路程において
倒れるのが悲しいのではなく、
あなたのみ旨に傷を負わせ、
お父様の胸にくぎを打たなければならない、
子女の道理を果たすことができずに逝く
イエス様の荷が一層大きかったということを誰も知りませんでした。
このような歴史的な使命を残して逝った
イエス様の恨むべき行路は、
血と共に
この地の人類の足に踏まれる歩みとなり、
歴史時代におきまして四百年間迫害の中で
凄涼に血を流す代価を支払った
キリスト教の歴史となったことを思うときに、
メシヤを迎えられなかった民族のひと日の失敗が
この世界にこのように残され、
蕩減しなければならないという事実を知るのでございます。
イスラエル民族は
イエス様と共に
この地上で肥料とならなければならず、
数多くの人々の嘲弄と非難を
受けなければならず、
あるいは人の知らない中で一人死んでいく人と
ならなければならなかったという事実を
私たちは知っています。
二千年の歴史を経ながら、
あなたの願いのひと日、
「再び来てあげよう」という約束の日を探してこられた
お父様のそのご心情を誰も知りませんでした。
世界に散らばっている数多くのキリスト教国家を中心として
成すべきあなたのひと日を選ぼうとされたあなたのご心情を、
誰も知らなかったのです。
そのようなあなたが
かわいそうな韓国、
韓半島を訪ねてこられたことを思うとき、
あなたはこの韓国を育てるために多くの苦労をなさり、
韓民族はかわいそうな民族として
歴史にない凄涼な歴史過程を経てくる中、
あなたのご心情の因縁を残してきたという事実を
誰も知りませんでした。
キリスト教の文化を受け入れた短い歴史過程におきまして、
アジアで世界的な使命を果たすべきこの韓民族が
悲しい道を歩み来て、
近世に入っては
重なる試練の路程におきまして、
歴史時代の縦的なすべてのものを
横的に蕩減すべきあなたの内なる事情を背負わされましたがゆえに、
その内なる事情を知らない韓民族は
かわいそうな歴史の運命を背負って
死の道を、
受難の道をあえぎながらたどってきたことを
私たちは知っています。
人の知らない中で
あなたは一筋の生命の因縁をたどり、
今日この統一の因縁を立てるために
あまりにご苦労されたことを
その因縁をあなたがあまりに待ち焦がれ、
探してこられたということを思うものです。
お父様、
私たちは今、襟を正し、
あなたのみ旨のために
千万年願われたみ旨の前におきまして
忠僕になろうと決意し、
誓わなければならない気持ちを
再び取り戻すようにしてくださいますことを切にお願いしながら、
すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七三・七・一)
4-32 歴史的総解怨のひと日として祝福してください
愛するお父様!
あなたが創造の偉業を
この地上で成就できなかったという悔しい事実を、
私たちは知っています。
アダムとエバの失敗が
そのようにあなたに悲しみと悔しい恨みを
もたらしたことを知っています。
その悔しい恨みを解くことのできるひと日を迎えるために、
あなたが前に立って苦労され、
数多くの私たちの善なる先祖たちを導きながら、
犠牲になってこられたということをもう一度考えるとき、
今、真の父母の因縁を立てようとするそのみ旨を、
この地上で長い歴史を経て、
この韓国の地に
この統一教会を中心として
立ててくださった恩賜の前に感謝を申し上げます。
ここにいる息子・娘、
この二つの体がお父様のみ前に召されて、
責任を果たし、この場に立ちました。
恨み多い復帰路程で、
どれほど苦痛に遭われたかというお父様のご心情をたどってみるとき、
人類の祖先となるアダムとエバが失敗したときの
お父様のその悲痛なる事実をよく知り、
その心情を受け継ぎ、
天を裏切った道を振り返って、
お父様のために
忠誠を誓い得るその日を誓いました時から、
天のみ旨に従ってきましたその時から
三十年の歳月が過ぎました。
その間、誰にも表すことができず、
誰にも望むことのできない内情的な心情の苦衷が、
あなたのお心から、
きょうこの息子の心にまであったことを、
あなただけが知っておられます。
どのようにしても民族の限界を越えて
あなたの恨みを解いてさしあげ、
イエス様がこの地に来て
十字架で亡くなられた非運のひと日を
解怨する希望の日が、まさしく一九七五年五月一日、
この日だというこの驚くべき事実を思うとき、
感謝を申し上げます。
協会を創立してから二十一年になる、
また世界的なキリスト教に対する蕩減路程においての
第二次七年路程も締め切られる
このような時期を迎えました。
この息子を中心として見るときには、
三十年歴史を終えるこのような期間となるのです。
このすべてがお父様の勝利的な復帰の路程を
備えてきたという事実を思うとき、
おそれ多いのです。
お父様!
堕落した人類の祖先を迎えたその日の悲しみと、
イエス様を送ってあなたの願いを成就しようとしたのに
その息子に従っている
数多くのキリスト教信徒たちが虐殺されたその悲しみ、
そのほかに傍系的な宗教が犠牲の道をたどって、
確実ではありませんが、天を仰ぎながらきたその過程で
犠牲になったすべての者たちを眺める
お父様の悲しみが大きかったということを知りました。
この宗教の背後においてのあなたのみ名と
あなたの義を身代わりする中間位置に立ち、
アダムとエバの完成の基準を協助しなければならないのに、
そうできずにかわいそうな立場にいた
天使世界のすべての群れたちも、
あなたの心と共に、
あなたのみ旨と共に同調してきたことを知っています。
今、お父様!
あなたが取り戻そうとされた真の父母の家庭であり、
真の父母の体であることを自ら知るときに、
この日をお父様のみ前に
この一息子とこの一娘が奉献いたしますので、
またこの息子・娘を中心とした子女たちが
この場とイーストガーデンにいますので、
お父様、
お受け入れください。
家庭を中心として、失ってしまった恨みの土台を解怨し、
家庭を中心として
あなたのみ前にこの時間、
この国家、民族を基盤として、
お父様のみ前に奉献することのできる
ひと日をもたせてくださったことに感謝を申し上げます。
家庭の堕落によって
天使世界の曲折が大きくなったというこの事実を、
お父様、
あなたもご存じですので、
あなたのお心が
解怨されることによって
真の父母の心が解怨され、
天使たちも解怨されることのできる
この日となるよう許諾してください。
神様と真の父母と天使世界が解怨されることにより、
真の父母の背後に連結されている
イエス様を中心としたキリスト教と、
儒教と孔子、
そして仏教徒たちと釈迦、
イスラム教徒たちとマホメット、
その他全世界に散らばっている
民族と民族の背後を中心として
内的に収拾してきた宗教と宗教を連結させてくださって、
この式がお父様の解怨となり、
真の父母の解怨となり、
天使世界の解怨となり、
地上にいるすべての宗教者たちが
解怨されるこのような一つの因縁を
許諾する式となり、
この日となったことに感謝を申し上げます。
宗教の解怨の権を占有することによって、
今、お父様の国の主権的権限を立てて、
お父様を賛美することのできる群れが生まれました。
その他の良心的な人士と哲人、
そして各国の善君と文官と武官、
その国が
善なる天の国に向かって前進する過程で、
立場と環境は違いましたが、
その民族と国々の前に忠臣となり、善君となり、
あるいは民族を中心として
聖賢・賢哲たちとなり、良心的な人士たちとなって、
善なる所に行くために助けとなった数多くの霊たちを
この喜びの日に、
お父様が、
連結させてください。
今まで彼らが行くべき所が分からずに、
切なく解怨のひと日を待ち焦がれた日が、
まさにこの日となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
天が探そうとなさる父母を探し出し、
天使世界の解放をもたらし、
宗教世界の解放をもたらし、
良心世界の善君、善王、忠臣たちの解放をもたらしましたが、
それ以外に今まで天に反対しようとし、
宗教に反対し、
良心に反対したかわいそうなカイン世界が
残っていることを知っています。
歴史をたどってみますと、
メシヤを中心として
イスカリオテのユダとネロ皇帝をはじめとして
共産主義が、今、天に反して進んでいます。
きょうこの時間、
天宙で勝利した一つの因縁を備えて
総解怨するこの時間、
この者たちを天の審判台で
整理してしまうことができないという事実を知りますときに、
この者たちに真の父母の名をもって、
あなたがお立てになった尊厳なる宇宙の勝利的権限をもって、
この者たちまでもあなたのみ名でもって因縁を結ばせてください。
また、
真の父母の前に寄与し、
数多くの宗教と
数多くの良心的人士の前に寄与することのできる一つの道を
模索してあげなければならないことを知りますので、
お父様、
永遠に許諾してください。
今まで、あなたのご心情の前にくぎを打って
あなたの息子イエスを殺した、
数多くのあなたの愛する人々を殺した
その恨みの怨讐でしたが、
怨讐を愛する立場となるよう許諾してください。
天地の門をお開けになって、
あなたの厚徳なる愛のお心をお開きください。
この者たちを解放することによって
地獄の門が開かれるのであり、
地獄撤廃の道が徐々に築かれることを知っています。
このような恵沢圏内に立っている
カイン圏内の人間たちが、
善なる霊たちが、
あるいは神様の息子・娘が、忠誠を誓いつつ、
血を流しながら死の道に従ってきたのと同じように、
立ち返って悪なる世界に対して反旗を掲げ、
天のみ前に忠誠を誓い、
悪なる世界のすべての霊たちを収拾し、
悪なる人間たちを収拾して、
あなたが願うその世界に、
神様の願う世界に行くことを
誓うこの時間となるよう許諾してください。
これによって
お父様の特権的恵沢を賦与しようとなさいますので、
喜びの心をもち、
全世界に散らばっている
悪霊たちの統率下にいる悪の主権全体が、
この時間、神様の主管圏の前に、
真なる真の父母の前に、
善なる天使世界の前に、
善なる宗教者たちの前に、
善なる善君と良心的人士たちの前にこうべを垂れ、
この者たちがすべき仕事を代身して決意し、
天の善なる版図を開拓することにおきまして、
お父様のみ前に、あるいは天のみ前に責任を果たそうと
誓うこの時間となるようお願い申し上げます。
愛のお父様!
イエス様が十字架の途上でも
自分の生命を捧げていきながら祈られたその祈祷を、
きょうこの時間に成就させてくださいますことを切にお願い申し上げます。
ここに立っている真の父母にもやはり
三十余年間、この民族と世界のキリスト教と
数多くのサタン世界の群れたちの前で、
挙国的に反対されたこのような歴史が残っています。
そうですが、
私が彼らを怨讐とみなすのではありません。
あなたの天倫の道理を完全に開くための陰であっても、
その陰は実体を離れては
あり得ないという事実を思うときに、
実体について回る陰となり得るこのような立場で、
厚徳なる愛をもって、
真の父母として今まで闘ってまいりましたので、
今までの悔しさをすべてお解きください。
お父様、
この時間に成して、
あなたのお心に積もったものを
解いてくださいますことを切にお願い申し上げます。
イエス様も死の道に消えていきながら、
内的に自分だけが知った
恨みの心を抱いたことを知っています。
どうぞ、その心もすべて解き、
怨讐のために祈祷したそのことが、
この地上に成されなくては
あなたも解放され得ないということを知っていますので、
イエス様の解放がこの時間に起こり、
キリスト教の解放がこの時間に起こるようにしてください。
お父様を中心として存在するすべての存在にも
解放が起こるようにしてください。
万物はもちろん、人間、
天使世界、
サタン世界のルーシェル以下の数多くの悪霊たちまでも
お父様のものとして、
この時間に真の父母の名をもって奉献いたしますので、
お受けくださいますことを切にお願い申し上げます。
あの霊界でお父様に侍っている数千万聖徒、
二十四長老を中心としてお父様の宝座に属している
数多くのすべての宗教者たち、
この時間、ここで真の父母の訴えに順応して、
みないっしょにお父様のみ前に切に訴えますので、
今まで悲しかった事実をすべてお受けくださいますことを
切にお願い申し上げます。
このことが起こることによりまして、
混乱の渦中のこの世界に新しい転換点を備え、
天の勝利の旗じるしを高めることができるということを
私たちは知っています。
お父様も知っておられます。
一九七五年五月一日八時五十分、
この時間を期してお父様のご命令で
全天宙世界に発表してください。
宣布してください。
「神様のみ名をもって
天使世界の解怨を喜べり。
真の父母の解怨を喜べり。
真の父母を中心として今まで犠牲になってきた
宗教を解怨することを喜べり。
それのみならず、
地上の善君・善王、
良心的人士、
哲人たちのすべての所願成就をしてくださったことを喜べり。
サタン世界の哀れな恨みまでも忘れてしまい、
この者たちを解放することを喜べり」という宣布を、
お父様のみ名をもってしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
今、この子女、
この息子と娘はお父様の宣布を受け、
この実体世界に神様のみ名と共に、
ご父母様の名と共に
このような総解怨の日をお父様のみ名によって宣布いたしますので、
万有の存在はこの宣布の言葉と共に
天の法度に順応することができ、
天の起源の前に順応すべきなのでございます。
すべての国がそうであり、
すべての民がそうでございますので、
すべての霊界がそうであり、
善の霊もそうであり、
善の民もそうであり、
悪だった民もそうであり得る恵沢圏内に、
自分の基準による一つの功績に順応し、
その実績を通して
お父様の懐に帰ることのできる道を、
この時間、開こうと思いますので、
もろてを挙げて許諾してください。
それによりまして、
今からそのような条件を成就させる式典をもちますので、
お父様、
喜びのお心をもたれ、愛をもってお恵みくださり、
今あなたの権能をお広げになって、
善を掲げて悪を押さえ、
その悪も善の前に屈服することによって、
本然のエデンにおきましての
カイン・アベルを中心として蕩減復帰したものを、
今、この民族あるいは世界をかけて
成就するよう許諾してください。
それによりまして、
今、天が行くその行路の前に
共産世界がこうべを垂れ、
勝利の価値の前に順応することのできる
ひと日をもたれることを切にお願い申し上げます。
今、神様のみ名と、
天使世界と
真の父母の名と、
善なるすべての霊人たちを動員して、
このことを宣布いたしますので、
これを神様を中心として擁護し立てるのに、
数多くの霊界が動員され、良心的な人々が総動員されるべし!
きょうこの時間を全霊界が注視し、
全天使世界が注視し、
神様が注視し、
真の父母が注視し、
地上にいる数多くのキリスト教と
その他のすべての宗教が注視し、
数多くの善なる国と善なる忠臣たちが注視し、
数多くの息子たちが注視し、
共産世界まで注視するこの場におきまして、
お父様の懐に残らず抱かれ得るこの日として
奉献されることを願いますので、お受けください。
順次的な式典を、
あなたの霊魂とあなたの勝利の基盤として
お受け入れくださいますことを
切に切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によって
お捧げし、宣布申し上げます。アーメン。
(一九七五・五・一)
父の祈り 5 信仰編
5-1 イエス・キリストの切ない心情を体恤させてください
お父様!
愛する弟子たちを残しておき、
十字架の峠を越えて
永遠なる世界へ行かなければならない
イエス様の心情を分からせてくださり、
三年間、喜怒哀楽を共にしながらついてきた
愛する弟子たちを、あなたのひざの前に集めておき、
案じられ、懇切に請われた
イエス・キリストの心情を体恤することができるよう
許諾してください。
心で酌み取り、
体で体恤し、
それに応えることのできる心が
天に染みわたり、
地上の人間を動かし、
その心が動けば共に動き、
一つのみ旨に対して
謙遜なる祭物として捧げられる
愛する子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
苦海のような環境で
従ってきた数多くの群れはみな離れ、十二使徒だけ残りましたが、
その中にも間もなく
自分合裏切るユダがいるということを感じていた
イエス・キリストの心情を、
私たちが体恤できるよう許諾してください。
人を信じて役事した三年公生涯の路程が、
このように寂しい環境で残るようになった時の
イエス・キリストの心情を、
今日、私たちが体と心で体恤できるよう
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様!
十字架の死の道を前にして、
天と一問一答された
イエス・キリストの切ない心情を、
今日、私たちが体恤するようにしてくださいまして、
お父様の前にひれ伏した生きた祭物として、
その心に慰めの対象になり得る
子女たちとして立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・五・ニ三)
5-2 イエス様の身代わりとならせてください
愛するお父様!
イエス様は
ご自分を信じてくれないイスラエル民族に対し、
パリサイ人とユダヤ人たちに対し、
悔い改めることを何度願われたでしょうか?
追われ追い回され、
安らかに眠ることができなかったイエス様の路程が
私たちの心と体に染み通り、
イエス様の心情を
感じまいとしても感じずにはおれず、
その心情に
似まいとしても似ずにはおれない
私たちとなるよう許諾してください。
また、そのような心が
私たちの中に現れなければならないのが、
お父様の願われるみ旨であり、
また私たちが望む願いではないでしょうか?
今、イエス・キリストが歩んだその路程を、
イエス・キリストが残して逝かれたその福音のみ言を
身代わりして背負い、
億千万のサタンと闘って、
勝利の栄光をお父様の前に帰し奉るべき責任が
私たちにあるということを、
感じるよう許諾してください。
天を信じ集まった全体の群れに対し、
堂々と立たれたイエス様の凛々しい態度のように、
私たちもお父様の生命のみ言、
真理のみ言を信じ、
堂々と立つことのできる態度を備えた
子女たちとなるよう許諾してください。
今日の私たち自身を、
イエス様の前に誇ったり、
今日の私たちの事情を
お父様の前にさらけ出したりしないようにしてください。
イエス様と同じ立場を取ることができ、
お父様の心を身代わりすることができるよう
お導きください。
イエス・キリストのみ旨を身代わりし、
万民の前に、いつどの時間にも
ためらわず現れるのを願うことが
お父様の望みであられるなら、
お父様、
一つ一つ尋ねてくださり、
一つ一つ命令してください。
お父様のみ旨を成すために、
イエス・キリストを身代わりして闘い行くことができ、
お父様のみ旨の前に動じ静ずる
聖徒たちとなるよう導いてくださいますことを、
わがお父様、
懇切にお願い申し上げます。
今、私たち、
お父様のみ旨を万民の前に堂々と叫びますので、
お父様、
天の勇士として立ててくださり、
お父様の子女として立ててください。
命令してくださり、
勧告してくださり、
尋ねてくださり、
誇ることのできる立場に立ててください。
愛してくださり、
導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・五・二七)
5-3 キリストの人格に似るようにさせてください
復帰の生命を天宙的に因縁づけるため、
天倫の法度を立てられ
摂理してこられたお父様の苦労の歴史を、
私たちは心で感じるものです。
お父様、
あなたが「生」の価値を立てるため、
六千年間苦労してこられたことを
切実に悟る私たちとなるよう
導いてください。
個体から全体に至るまで、
関係を結ばない宗教は、
神様が干渉できないというのが
天法であることを知ったので、
今、私たちが
イエス・キリストの望む人生を
生きるよう許諾してくださり、
イエス・キリストの愛の価値が
分かるよう許諾してくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
イエス・キリストがお持ちになった覚悟を、
私たちも持たなければならないということを知ったので、
私たちの個体の人生の価値を探すことのできる戦場で、
サタンの侵犯を退け、勝利できるよう
共にいてください。
イエス・キリストが残された
「生」の価値の復帰路程を、
私たちが身代わりしていくにおいて、
サタンの讒訴があるということを知ったので、
私たち個人の生涯から世界、
宇宙の「生」にまで、伸びていく路程において、
サタンの讒訴を受ける私たちとならないよう
導いてください。
堂々とサタンの讒訴を
一日の生活で防ぎ止め、
歴史的な面で防ぎ止めようという覚悟を持ち、
その責任を完遂できるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
今、私たちが
永遠なる生命の価値を持った世界的な「生」を成すためには、
地上で万物を主管された
イエス様の完全なる人格に似なければならないことを知っていますので、
愛するお父様、
キリストの人格に似ることができるよう
導いてください。
また、私たちは誰に限らず、
実際に闘いの路程を歩むべき
立場に置かれているので、
お父様、
社会生活や人格的な面で、
あるいは愛の面において、サタンの讒訴を受けないよう
導いてください。
永遠なるお父様の愛が成されることを
懇切に望んでいた、キリストの愛を
実現させることができるよう、共にいてください。
キリストが立てられた
生命的な価値を私たちが備え、
その価値をこの地で実現させられるよう
主管してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・一・六)
5-4 イエス様の心情を体恤し、ゴルゴタの道を行きます
お父様!
私たちは、現在の自分の足らなさを案じて、
泣くことのできる者にももちろんならなければなりませんが、
まずイエス様が志される結実を案じて
泣くことのできる息子・娘となるよう、導いてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
私たち自体の不完全さを案じて
泣く者とならなければならないと同時に、
神様のみ旨が成されず、悪なる世の中となって
イエス様に対してわめきたて非難する
サタンの籠絡を見て、涙することができ、
懺悔することができる私たちとなるよう
許諾してください。
イエス様が、彼の生涯路程で
いつも神様が眺められる視線を感じながら、
蕩減復帰の路程を完結するため、
亡くなられる瞬間まで
復帰の祭物として自らをお捧げになったように、
私たちも、いつ
イエス様が私たちを尋ねてこられるとしても、
私たちを眺められる視線と
尋ねてこられたその歩みを
忘れないよう許諾してください。
今まで私たちが、
イエス様の視線と
歩みを排斥した時が、
到底口では言い切れないほど多かったことを悟らせてください。
お父様!
私たちが一度ならず
二度、三度裏切るとしても、
変わりなく私たち人間たちを尋ねてこられたイエス様の心情を、
どれほど慰めてさしあげ、
どれほど天の前に涙を流したかということを、
悔い改める私たちとなるよう許諾してください。
お父様!
寂しいあなたの息子・娘たち、
世界的な審判の時が遠くなく、
宇宙的なゴルゴタの園が
私たちの目前に近づいているということを知っていますので、
私たちが自分を中心とした信仰路程を
歩まないよう導いてください。
私たちの生命は私たちのものではなく、
私たちの生活する生涯も私たちのものではなく、
私たちの望む願いも私たちのものではありませんので、
私たちのために生きる生涯とならないように
導いてくださり、
私たちの能力と私たちの要求と私たちの欲望、
このすべてのものを自分のために持たないよう
許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
私たちがイエス様を身代わりして
十字架の死の道に行くとしても、
結局イエス様の変わりなき信仰を、(私たちが)知り
ペテロが心で嘆息し、
神様を信奉する同志として、
イエス様が十字架を背負って行かれるのを見て
涙したように、
ゴルゴタの審判の日が来る前に
私たちがイエス様の前に悔い改めの涙を流すことができ、
宇宙的な悔い改めを引き継ぎ、
お父様の前に泣くことができ、
自分の過ちを吐露することのできる
息子・娘たちとなるよう導いてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちがイエス様の歩みを身代わりして歩みますので、
お父様が私たちに
この地の哀れな人たちを
救うことのできる使命をお任せくださり、
残されたゴルゴタの道を
私たちが歩むよう許諾してください。
そうして、
私たちが世界至る所のサタンを打ち破って
勝利の栄光の土台を築き、
私たちが死ぬまでに、
復活されたイエス様に侍ることができるよう
導いてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・二・一〇)
5-5 善なる牧者の声を聞かせてください
お父様!
人間の先祖の堕落によって
遠くなったあなたとの距離を縮めるために、
永遠なる善の主管者として、
また永遠なる理想の主管者として
イエス・キリストをこの地に送られましたが、
お父様を身代わりして実体で来られた
イエス様を主として侍ることができなかった人間たちを
受け入れてください。
イエス様を悲しませてしまったことは、
先祖たちの足らなさによって
なされたことであるのを知っていますし、
今日私たちが足らず、
いまだにイエス様の悲しみが残っているということを
知るものです。
ですので、
善なる牧者の偉業を相続し、
万物万象の前に堂々と立つことを願う、
お父様の望みを果たしてさしあげられる
私たちとなるよう許諾してくださり、
イエス様の望みを果たしてさしあげられるよう
許諾してくださり、
お父様の生命とお父様の愛と
イエス様の生命とイエス様の愛を持って
現れることのできる私たちとなるよう許諾してください。
そのような私たちになれないとするなら、
善なる牧者として来られた
イエス・キリストの悲しい事情を
今後、人間世界で
永遠に解いてさしあげられないということを悟るようになりましたので、
私たちの心の門を開いてくださり、
私たちに向かって叫んでいる
善なる牧者の声を聞くことができるよう
導いてください。
悲しいお父様の事情を知り、
寂しい事情を知り、
ご苦労されるお父様の事情を知りましたので、
身の置き所がありません。
お父様、
どうか私たちの悲しみと寂しさを、苦労と苦痛を、
イエス様に押しつけるために
伏して哀願する、悲惨な者たちとならないように
導いてください。
私たちは今、
サタンのすべての秘密と
お父様の内的事情と
イエス様の内的心情まで知って、
お父様のその事情を受け取り、
イエス様の悲しみと寂しさと苦痛と不自由さを受け取って、
億万サタンと闘うことができるよう力を下さいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちの事情を案じられ、
物思いに沈み働かれるイエス様の姿を、
私たちが眺められるようにしてくださり、
イエス様は今日も
私たちの哀切なる事情によって、
十字架に掛かる苦痛を感じておられる主であるということを、
私たちが悟るよう許諾してください。
私たちが天に対して悲しみ
天に対して嘆き、
天に対して寂しい立場となるとき、
これを慰めるために、イエス様は
より大きな寂しさと
より大きな悲しみと
より大きな苦痛を感じられるということを、
知らずにいた私たちです。
今、イエス様の苦痛よりも「私」の苦痛が大きく、
イエス様の悲しみよりも「私」の悲しみが大きく、
イエス様の困難よりも「私」の困難が大きくとも、
むしろイエス様の悲しみを除去してさしあげるために
哀願し、案ずることのできる
真の息子・娘の姿となり得るよう
お助けください。
そうして、
善なる牧者の後に従い、
善なる牧者の身に染み渡った心情を慰めることのできる
私たちの姿となるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
見えないサタンが
私たちの生活の中に直接的に侵犯し、
患難と恐怖を呼び起こすとしても、
これに敵して、黙々と闘い勝利することのできる
イエス様の代身使命者たちとなるようにしてくださり、
イエス様の使命を身代わりして続いて行くことのできる息子・娘として、
私たちを新しく立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・三・三一)
5-6 キリストの心情を体恤させてください
アダム以降、四千年間
苦労してこられたお父様が送られた
イエス・キリストは、
涙と汗と血の結実として、
お父様の実体として、
お父様の涙を身代わりし、
汗を身代わりし、
血を身代わりすべき使命と、
お父様の恨みを解いてさしあげるべき
使命を帯びてこられたことを私たちは知るものです。
そのようなキリストが
天を身代わりして涙の道を歩み、
万民を身代わりして休む間もない
苦労の道を歩み、
汗を流す公生涯路程を歩んだことを考えるときに、
お父様、
私たちがそのようなキリストに対することができる
姿となっているかを、心から反省する
この時間となるよう許諾してください。
そして、四千年間苦労してこられた
数多くの先知先烈たちの血の祭壇を連ねて、
その実体で尋ねてこられて、血を流しながら行かれた
その姿をたどり見ることができる
私たちとなれるようお導きください。
イエス様が十字架を背負い、
ゴルゴタの山頂に向かって登っていかれるとき、
遠くで
彼を眺めながら哀悼する弱い女性たちを見て、
「エルサレムの娘たちよ、
わたしのために泣くな。
むしろ、あなたがた自身のため、
また自分の子供たちのために泣くがよい*」と語られた(*ルカ二三・二八)
懇切なるキリストの心情を、今日この時間、
私たちが体恤できるよう許諾してください。
十字架の正しい意味を知ることができない者は、
十字架の救いを受けることができず、
十字架に向かうときの
イエス様の心情を体恤できない者は、
真理の場に立つことができないということを知っていますので、
お父様、
この時間集まった息子・娘たちを哀れにお思いください。
私たちが、
お父様に捧げる物がないとしても、
ゲッセマネの園の寂しいキリストの姿を
心の中に刻みつけ、
侵犯してくる怨讐たちを迎えて闘う、
善の警備軍となれるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
イエス様がゲッセマネの園で叫んだ
その最後の訴えを、
私たちが今日、
荒れ地のようなこの世に向かって叫びながら、
世界的なゴルゴタ山頂を
越えるべき時が来たことを知っていますので、
キリストを遠ざけ
自分のために生きる息子・娘とならないよう
導いてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
イエス・キリストの心情を身代わりして、
困難がある時に
自分がまずその困難に責任を持ち、
悲しいことがある時にも
自分がまずその悲しみに責任を持ち、
自分が苦痛にぶつかり倒れようとも、
天が願われるみ旨なら、
これを喜んで甘受しながら
闘い行くことのできる者たちとなるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・六・三〇)
5-7 天の切ない心情を体恤させてください
愛するお父様!
お父様が静ずれば私たちも静じ、
お父様が動ずれば私たちも動じ、
ただ一つの心、一つの志となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
イエス様が当時、
不信の地に対して案じられながら、
神様の切ない心情を慰労されながら、やるせなかった
その心情を感じるよう許諾してください。
そうして、
私たちの心が
ただこの時間にとどまらす、
お父様の心情と
歴史的なイエス様の心情と連なり、
動ずることができるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
やるせないお父様の心情を、
私たちの心に感じるよう許諾してくださり、
人類をお救いになるため、
切なかったイエス・キリストの心情を、
私たちが体恤するよう許諾してくださり、
心の中に残っている闇のすべての罪悪を
清算するよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
いつも私たちの前には、
お父様の恩賜を遮ろうとする
サタンの役事があることを知っていますので、
いつどのような立場で
お父様の恩賜が臨むようになるのかを悟ることによって、
サタンの侵犯を逃れ、
お父様の永遠なる愛の懐に抱かれ得る
私たちとなることができますよう、
お父様、
許諾してください。
六千年間摂理してこられながら、
愚かで足らない私たちをお捨てにならず、
尋ねてくださった哀れみのみ手を
感じられるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・一・一二)
5-8 イエス様の悲しみを解怨するひと日とならせてください
愛するお父様!
私たちは、
到底言い表すことができない悲劇を、悲しみを残した
歴史の事実を知っていますし、
エデンの園を眺めながら
喜ばれたお父様の心情が、
アダムとエバの堕落によって
悲しみの心情と化し、
それが六千年という長い長い歳月を通じ、
歴史的な悲しみとなったということを
私たちは知っています。
また、
私たちが心と体を尽くし、
お父様の案じられる心情をつかみ、
失われたエデンの園を回復してさしあげるべき
歴史的な責任を背負っていることも
知っています。
お父様!
失われたアダムとエバを再び捜し出すために、
お父様が四千年間苦労した果てに、
アダムの形状を備えてこの地に送られた方が
イエス様であったということを私たちは知っています。
イエス様が誕生する時までの
お父様の苦労が大きければ大きいほど、
その苦労によって誕生されたイエス様の姿は、
天の自慢の種にならなければならす、
被造万物と人間の誇りとならなければ
ならない姿でした。
そのような事実を天は知っていましたが、
地は無知で知らず、
天はこれを歓迎しましたが、
地は知らずに歓迎できなかったことを、
今日、私たちが
恥すかしく思わないわけにはいきません。
苦労されたお父様の望みの視線が、
飼い葉桶に横たわった
イエス様の哀れな姿にとどまらなければならなかった
この物悲しい事実を、私たちが回想しながら、
先祖たちが不信し、先祖たちが不忠であったことを
痛切に感じるものです。
アダムとエバの堕落の過ちを、
人類たちが再びその場で表したという
このような事実を知っていますので、
今日私たちは
歴史的な物悲しい事実を心で感じ、
ひどく悲しむしかないものです。
昔、お父様を慰労してさしあげられなかった
そのイスラエル民族、
選ばれた選民を身代わりして、
私たちがお父様の悲しみを慰労してさしあげられるよう、
許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
イエス様が来られ逝かれてから、
いつの間にか二千年が経過しましたが、
心情の世界は時間を超越することを知るものです。
歴史を超越しておられるお父様、
悲しい心情を抱かれ、天の城に行かれた
イエス・キリストの心情を抱き、
この時間慰労してさしあげられる
私たちとなるよう許諾してください。
イエス様が来られ逝かれた以後の二千年の悲しみを、
きょうこの時まで天と地に残された
染み渡った恨みを私たちが知り、
イエス様が誕生されたその当時の姿を、
私たちが心で仰ぐことのできる
このひと時となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
きょうその日を記念するこのひと時を、
お父様、
祝福してくださり、
イエス様が願われた
その喜びの栄光を表してくださり、
二千年前に来て逝かれたイエス様の悲しまれたことが、
このひと日によって
解怨されるよう許諾してください。
すべての内的心情を知っている私たちが、
この日を記念しようと思いますので、
人間たちが知ることができずに残されたすべての過去の悲しみが、
このひと時によって
蕩減を受けられるよう許諾してくださり、
私たちがお父様の前に立つことができるよう許諾してくださり、
イエス様が喜ばれ、
お父様の慰めを受けられますことを
懇切にお願い申し上げます。
私たちが心を束ね、
お父様にお捧げすることが
歴史的な解怨の祭物となるよう許諾してくださり、
残された天宙の恨みを
私たちによって解怨することをもって、
幸福の起源を尋ねることができる聖なる時間となるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一・三)
5-9 この日、イエス様の心情を酌み取らせてください
お父様!
地上のすべての人々は
この日を知ることができず、
胸にこびりついた天の悲しみを悟ることができず、
限りなく悲しいあなたの心情は
もっともっと分からないのです。
その日の嘆かわしい事実を知らない私たちに、
お父様、
この日を許諾してくださり、
万民が理解できないこのひと日を、
キリストの誕生日として祝うことのできる
栄光の恩賜を許諾してくださったことを
感謝せざるを得ないものです。
今、この日を祝うことが、
二千年間悲しまれたイエス様の心情を
慰労することのできる契機となるよう許諾してください。
悲しい立場で誕生し、
三十余年の生涯を捧げ、
ゴルゴタの道を意に介されず行かれた
キリストを回想しながら、
彼の戦跡を遺業として受けることのできる
この時間となるよう許諾してください。
その方が生前お残しになった遺業を、
私たちの使命として引き継ぐことのできる
この時間とならなければならないということを
私たちが知っています。
お父様!
イエス様が残された恨みが
地上にまだ残っているということを、
この地上にいる人間たちが知らずにいます。
今、ここに集まったあなたの息子・娘たち、
その体と心が
あなたの心情に捕らわれるよう許諾してくださり、
こもったイエス様の心情を知り、
死の境地に陥ったイエス様の心情を悟り、
慰労してさしあげるよう許諾してください。
貴重なこの日、
私たちが新しいみ旨をあがめるとしても、
一つの条件を立て、
お父様の前に勝利の標的を残さなければならない
重要な日ですので、この日を記憶してください。
喜びをもって顕現なさることを懇切にお願いし、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一・三)
5-10 排斥されたイエス様の悲しい事情を洞察させてください
お父様!
愛する弟子たちを前に置いて、
遠からず地上での生涯を終結し、
お父様の国へ行くことを語らなければならなかった、
イエス様の物悲しい心を
洞察することのできる私たちとなるよう許諾してください。
時間的に見るなら、
イエス様と私たちの間には
二千年という間隔がありますが、
心情の世界では
時間を超越することができることを知っていますので、
きょうもイエス様の悄然とした姿と
物悲しい心情に涙ぐみ、
一言一言懇々と戒められた
聖なる姿を眺めることのできる、
直接的な体恤の役事を呼び起こしてください。
このような場面は、人間たる私たちとして
慕わざるを得ない場面です。
この地上の誰が
イエス様の心を知ったでしょうか?
物思いに沈んだその姿を見て、
心深く染み渡ってくる天の悲しみを
体恤した人がー人もいませんでしたので、
天はこのような人間たちを置いて
嘆息するしかなかったことを知るものです。
天の心情を知って
「主よ!」と呼ぶ
弟子の一人も持てなかったイエス様が、
疑心で点綴(一つひとつをつづり合わせる意)された
生涯路程を行かなければならず、
また疑われ、
その物悲しい生涯の終末を迎えなければならなかった悲しみを、
この時間私たちが
心で同情できるようにしてください。
イエス様が懇切なる天の心情を抱き、
天のすべての遺業を抱き、
人間を尋ねてこられましたが、
人間たちはそのようなイエス様に
自分勝手に対応し、
排斥し放題に排斥したものです。
寂しい立場に追い込み放題に追い込んだものです。
しかし、悲しみに沈み嘆息の立場を
余すところなく経てこられながらも、
イエス様はそのような人間たちをお捨てになることができず、
生命の圏に向かう一つの道を開拓なさるために、
彼らを引っ張り
ゲッセマネの園に向かわなければならないということと、
ゴルゴタの十字架の道を行かなければならないということを思われる
イエス様の悲惨なる心の前に、
頼もしい弟子一人いなかったやるせない心情を、
私たちが分かるようにしてください。
きょう私たちが
このような事実を考えながら、天上に対することができ、
孤児のような立場であったイエス様の心情を持って
「お父様!」と訴えることができ、
その時に心情と通じることができるようにしてください。
この者たちをして、心を開き、
信じることのできる弟子たちとなるようにしてくださり、
イエス様を証すことのできる
存在となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
イエス様の悲しみが
どれほど大きかったかということを知ることのできなかった弟子たち、
このような弟子たちを残しておいて
一生涯を終結すべき立場にあったイエス様の心情、
生涯のすべてを人間のために生きたにもかかわらず、
その生涯の結実をみることができず、
懇切な心情に沈んで
天を案じられたイエス様の心に、
私たちが同情できるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一・一一)
5-11 十字架を越えて復活の栄光を歌わせてください
お父様!
時が近づけば近づくほど、
復活の主に出会うのを
ためらう心がわき出てきます。
時が近づけば近づくほど、
死の悲しい因縁を抱かれたイエス・キリストの姿が
連想されるようにしてください。
刑具に掛けられ亡くなられた彼は、
恨みを抱いて逝かれた方であったことを知りました。
彼が徘徊されたゴルゴタの山頂は、
因縁の涙の峠であることを知りました。
彼が流された血と汗は、
今日まで因縁の歴史に生き残り、
人類の一人ひとりの心中に
復活し、入っていくことを知りました。
このすべてのものが、
因縁の歴史的な摂理のみ旨の中で
流された血と汗があったがゆえに、
その因縁が存在する間、
その血と汗によってすべてのものが動いていくことを知っています。
今日、そのような心情に徹する私たち、
そのような境地にいる私たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
このように行かれた主、
新郎であられる主は、因縁の歴史を経て
再び訪ねてあげようとおっしゃいました。
主が自分の心、体を傾け、
私たちを訪ね立てようとする心情が懇切であられることを知っていますので、
私たち自身を備え、
万民の前に装った姿を誇りたい心が
懇切でありますよう許諾してください。
その道を行こうとしても、悪なる世の中であり、
主が行かれたその道が残っているので、
耐えに耐え、また耐えて、
民族の残った峠を歩まなければならず、
世界の残った峠を歩まなければなりません。
今、地に残された十字架の峠を越えることのできる
殉教の歴史を耐えることによって、
持ちこたえなければならないことを
私たちは初めて知りました。
今、新しい心で因縁を感じ、
新しい心で待ち望み、
新しい心で耐えながら、
お父様につかまり痛哭することのできる
その日まで進むことのできる
私たちとなるようにしてくださり、
積もった悲しみの因縁を越えることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
喜びの因縁を誇ることのできるその時間まで、
耐えて残され、死亡の権限を押さえ、
復活の栄光を歌うことのできる
息子・娘たちとならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・三・二九)
5-12 メシヤを迎えられる姿とならせてください
お父様!
三十余年間、荒野でいなごとはちみつを食べて修道した、
洗礼ヨハネが抱いた願いは何であったでしょうか?
彼の願いのすべては、
来られるメシヤを迎えることであったことを知っています。
メシヤを証した彼は、
メシヤと一つにならなければならない
天倫の因縁でございましたが、
彼が私の心にあり、
私が彼の中にあって、
彼のものは私のものであり、
彼の心情が私の心情であり、
彼の生涯が私の生涯だという、
すなわちイエス様のすべてのものが
洗礼ヨハネの心中に反映され、
一体をなさなければならなかったのですが、
彼はそのようにはできませんでした。
ヨルダン川の多くの群れの前で
手を挙げ、天の息子だと
証した記憶を持っていた洗礼ヨハネは、
悲しく寂しい姿で獄に閉じ込められ、
自分の物悲しい身の上を
嘆息せずにはおれない立場で、
自分が証したメシヤ、
天が証し立ててくださったメシヤに
弟子たちを送り、
「『きたるべきかた』はあなたなのですか。
それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか*」と(*マタイ一一・三)
聞き返した場面は、歴史的な悲しい場面であり、
天が越え難い悲しい場面であったことを
私たちは知りました。
歴史の流れの中に、洗礼ヨハネの路程は
そのまま残っています。
新しい理念を見つけるためにあえいでいる私たち、
新しい歴史を待ち望みながら準備するという私たちが、
今、洗礼ヨハネを自分と交換して
考えることのできる者たちとなるよう
許諾してください。
天の民が天のみ旨を排斥した事実を、
歴史を通して知りましたので、
今日私たちが
そのような歴史的な二の舞いを
再び踏む私たちとならないよう主管してくださり、
荒野で装わせ準備をさせられた、そのみ旨を
失う者たちとならないようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
きょう私たちの体と心が、
お父様の前に面目ないことを
悟るよう許諾してください。
お父様の勧告なさるみ言を聞くことができ、
イエス・キリストの悲しい心情を
引き継ぐことができるようにしてくださり、
天的な悲しい心情を抱き、
人間たちが知ることのできない
新しい理念の主人公を迎えることのできる
心と体となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
この時代を守りいく主人公は誰であり、
この時代に残ることのできる民族は
どのような民族であるかを案じ、
そのような姿を慕いながら
悲しい心情に徹することのできる
このひと時となるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
聞こえてくるみ言と聞こえてくる声に耳を傾け、
そこに同調し反応する生活をする私たち、
今、私たちが歩んできた道を振り返り、
新しく目覚めるべき時が来ました。
混乱と混沌の中に置かれ、
生死を決めるべき立場にある
自分自身を案じる立場から、
私たちが抜けられるようにしてください。
信じることのできない社会であり、
信じることのできない世界であることを知り、
信じることのできる理念の世界に浸り、
その理念の世界と因縁を結ぶことができるよう
自ら目覚め、
自我を認識し
天をつかむべき時となり、
心の変革を起こさなければならない時に
なったということを知っています。
このような環境に置かれている自分であることを肝に銘じ、
新しい「私」を追求することができるよう導いてください。
恨みの染み渡った悲しみの峠を越えに越えて、
歓喜の姿を迎えることのできる
私たちとならせてくださり、
その姿を慕い、
その世界に引かれ、
その世界と和することができるようにしてください。
今日この社会環境が自由であり得ず、
悲しみが染み渡っていることを悲痛に感じて、
これを遮って闘うことのできる
力を、勇猛さをお与えください。
永遠であられ絶対的なる天がおられるなら、
罪悪の一切を押し出すことのできる能力を
加えてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・四・一二)
5-13 イエス様の悲しい心情を感じさせてください
お父様!
二千年前のイエス様の聖なる姿が慕われます。
み言をお伝えになったイエス様の前には、
索漠たる世の中が置かれていて、
自分を主とし、自分を高くしようとする
群れがいましたが、
そのような群れを眺められたイエス様の視線に、
限りなく悲しい心情が流れていたことを
知るものです。
ユダヤ教団は教派同士で闘い、
信徒たちは信徒たち同士で争う実情を
眺めておられたイエス様!
自分の粗は隠し、
人の粗を探して、自分を主張するためにあえいでいた
その時の時代相を私たちが回顧するとき、
やはり世の中と時代に責任を持って来られた
イエス様の心が、無限に悲しかったことを知るものです。
それでも、
「求めよ、そうすれば、与えられるだろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、
そうすれば、あけてもらえるであろう*」と叫ばれた(*マタイ七・七)
イエス様の心情が推し量られます。
求め、捜し、たたくべき者たちは
民族であり、教団であり、個人でしたが、
求めるべき者たちが求めようとせず、
捜すべき者たちが捜そうとせず、
たたくべき者たちがたたこうとしないのを
眺められるイエス様は、
人間を身代わりして求めなければならない立場におられ、
人間を身代わりして捜さなければならない立場におられ、
人間を身代わりしてたたかなければならない立場におられたので、
お父様、
悲しいのはこのことでした。
人間が訪ねてくれるのを待ち望んで送ったメシヤが、
むしろ訪ねるべき立場におられ、
人間たちが侍ってくれるのを望みながら、
天は長い歴史路程を準備したのに、
人間たちから侍られない立場におられた
イエス様の物悲しい心情を、
私たちがこの時間感じるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
イエス様は地の人間に対するとき、
涙して嘆くしかない事情でしたが、
むしろお父様が
祝福してくださることのできる地となることを待ち望まれました。
イエス様のその聖なる姿が、
きょう私たちの目前に顕現するよう役事してくださり、
私たちが彼の命じられる声を聞き、
黙々とその内心に流れる天的な心情を思慕し、体恤して、
涙しながら敬拝を捧げることのできる
群れとならせてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
今、私たちは
お父様に向かって手を挙げ
裸同然の姿で現れましたので、
哀れにお思いください。
私たちの心には、
お父様しかいないよう許諾してくださり、
私たちの望みと私たちの欲望と
私たちの一切の要求条件は、
お父様のこと以外にはないよう許諾してください。
無限なるお父様の心情に染み渡った
その心をつかんで生き、
その心を体恤しながら生き、
その心と共に闘いながら生きることのできる
息子・娘とならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・四・二六)
5-14 イエス様を通じた歴史的痛恨の心情を感じさせてください
侍ちに待った望みのひと日を迎えるために摂理してこられたお父様、
不信した人間たちをお捨てになることができず、
数多くの寂しい群れを抱かれるために、
イスラエル選民を祝福しておき、
歴史を導いてきて、
約束していた一存在を送られたその日は、
お父様の栄光が天に染み渡らなければならず、
万民の歓喜の心情をもって
天上にも地上にも喜びが充満しなければならなかったのに、
四千年の悲しみが
イエス様お一人に対して加えられたという
歴史的な恨めしく悔しい事実を、
お父様、
私たちは知っています。
馬屋で誕生して生きられた三十余年の生涯は、
それほどまでに悲惨であり、
それほどまでに寂しく、
それほどまでに頼る所もありませんでした。
地上にそれほどまでに信じる者がいなかったイエス様、
地上で自分の胸襟を開いて、
その懇切なる心情を伝えることができないまま、
恨みの主人公として逝かれたイエス様であったということを、
今日私たちは知っています。
勧告すべき天的なみ言が残っていましたが、
受けるべき人間が信じることができないことにより、
そのみ言をすべて語れず、抱き逝かれた悲しみ、
二千年前のイエス様の悲しみを
知らずにいる万民をお許しください。
それでも、天に従った弟子たちを集めて
勧告なさり、期待されたみ言と祈祷を
私たちは聞きました。
あなたの因縁と天の因縁が相合うその瞬間、
天の喜びが現れなければならず、
ひいては地上に
新しい国が建設されなければならなかったのに、
その瞬間喜びは消え去り、
嘆息と悲しみが始まり、
恨みの十字架の道が生じた
歴史的な恨めしく悔しい事実を知っています。
私たちの先祖たちは天の前に負債を負い、
私たちも天の前に
宇宙的な負債を負っているのに、
それを蕩減しようとせず、
自分の安逸のために
あえぐ群れとなったことを受け入れてくださいますよう、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
悲惨なる心情を体恤し、
地を案じ、
天を案ずる心を持った息子・娘たちが、
この地上にどれほどいますでしょうか?
お父様、
とても珍しく貴重であるということを知っています。
哀れな万民を救われるため、
数多くの苦労も意に介することなく、
寂しい私たちに勧告なさるために
月日を経てこられたお父様、
私たちの前に新しい約束をお立てください。
この者たちに
新しい約束と、新しい時代の使命を任せようとなさる
天的なみ旨があるとするなら、
お父様、
役事してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・五・一七)
5-14 イエス様を通じた歴史的痛恨の心情を感じさせてください
侍ちに待った望みのひと日を迎えるために摂理してこられたお父様、
不信した人間たちをお捨てになることができず、
数多くの寂しい群れを抱かれるために、
イスラエル選民を祝福しておき、
歴史を導いてきて、
約束していた一存在を送られたその日は、
お父様の栄光が天に染み渡らなければならず、
万民の歓喜の心情をもって
天上にも地上にも喜びが充満しなければならなかったのに、
四千年の悲しみが
イエス様お一人に対して加えられたという
歴史的な恨めしく悔しい事実を、
お父様、
私たちは知っています。
馬屋で誕生して生きられた三十余年の生涯は、
それほどまでに悲惨であり、
それほどまでに寂しく、
それほどまでに頼る所もありませんでした。
地上にそれほどまでに信じる者がいなかったイエス様、
地上で自分の胸襟を開いて、
その懇切なる心情を伝えることができないまま、
恨みの主人公として逝かれたイエス様であったということを、
今日私たちは知っています。
勧告すべき天的なみ言が残っていましたが、
受けるべき人間が信じることができないことにより、
そのみ言をすべて語れず、抱き逝かれた悲しみ、
二千年前のイエス様の悲しみを
知らずにいる万民をお許しください。
それでも、天に従った弟子たちを集めて
勧告なさり、期待されたみ言と祈祷を
私たちは聞きました。
あなたの因縁と天の因縁が相合うその瞬間、
天の喜びが現れなければならず、
ひいては地上に
新しい国が建設されなければならなかったのに、
その瞬間喜びは消え去り、
嘆息と悲しみが始まり、
恨みの十字架の道が生じた
歴史的な恨めしく悔しい事実を知っています。
私たちの先祖たちは天の前に負債を負い、
私たちも天の前に
宇宙的な負債を負っているのに、
それを蕩減しようとせず、
自分の安逸のために
あえぐ群れとなったことを受け入れてくださいますよう、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
悲惨なる心情を体恤し、
地を案じ、
天を案ずる心を持った息子・娘たちが、
この地上にどれほどいますでしょうか?
お父様、
とても珍しく貴重であるということを知っています。
哀れな万民を救われるため、
数多くの苦労も意に介することなく、
寂しい私たちに勧告なさるために
月日を経てこられたお父様、
私たちの前に新しい約束をお立てください。
この者たちに
新しい約束と、新しい時代の使命を任せようとなさる
天的なみ旨があるとするなら、
お父様、
役事してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・五・一七)
5-15 イエス様の悲しい心情をつかみ立つ子女とならせてください
今日私たちは、
歴史上に来て逝かれた
イエス様を知り、信じていますが、
その当時イスラエル民族に
追い回された悲惨なるイエス様、
この村で追われればあの村へ、
この都で追われればあの都へと彷徨した
イエス様の心情を知って、信じる者はいませんでした。
天の心情を身代わりして現れた
イエス様の姿を知る者は、
歴史上で見いだすことができませんでした。
メシヤを待ち望んだイスラエル民族が、
メシヤを迎える望みを抱き、
数千年間耐えながら闘ってきて、
メシヤはいつこられるのかと言いながら待ち望んできましたが、
いざその望みの的が現れた時には、
自分たちの事情と
自分たちの置かれた環境に偏ったあまり、
天の心情を知らないまま
深い眠りに陥っていたことを、
私たちは思い起こさずにはおれません。
このように嘆かわしい歴史があったことを思い起こし、
きょう私たちに、
お父様の心の中に染み渡っている恨みを
解いてさしあげるべき責任があるとするなら、
来られたイエス様を見間違えたイスラエルの罪状を、
私たちが身代わりして担当し、
解いてさしあげられるようにしてください。
イエスを悲しませた
イスラエルの失敗に責任を持ち、
身代わりして悔い改めることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
イエス様は悲しい三十余年の生涯をお送りになられました。
その上に
自分のすべてのものを捧げた三年公生涯がありましたが、
誰が彼の心情を知り、
誰が彼の事情を知っていたでしょうか?
一人もいませんでした。
甚だしくは、喜怒哀楽を共にし、
悲しい時、共に悲しみ、
寂しい時、共に寂しがり、
師と侍っていた弟子たちも知りませんでした。
師が死の道を行くことを案じ、
懇切なる心情で天をつかみ
訴えるべき弟子たちが、
かえってイエス様が誰であるかと言って
問い返す立場にあったので、
三年の公事が無駄であったことを感じられたイエス様の心情、
悲しみがあるとするなら
これ以上の悲しみがどこにあり、
悔しいことがあるとするなら
これ以上悔しいことがどこにあるでしょうか?
権能をお使いになったイエス様を
あがめ侍ることのできるクリスチャンはいますが、
踏まれ押しつけられたイエス様のその足跡を
つかんで生きようとするクリスチャンはいません。
お父様、
かわいそうなイエス様の心情を
つかんで立ち上がることができる息子・娘たちが、
この万民の中にたくさん現れることを
私たちは
血涙で訴えないわけにはいきません。
生きておられ、
歴史の背後を操られるお父様!
私たちに、ほのかに行く所を教えてくださることを知るものです。
お父様、
過去のイエス様を慕う
私たちとならないようにしてくださり、
時代的なイエス様を証すためにあえぐことのできる
私たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
今、私たち、
お父様の前に行かなければならなかった
イエス様の心情に同情し、
その心情の前に頭を下げられるようにしてくださり、
イエス様が喜ばれ、願われた何かがあるとするなら、
それを成し遂げてさしあげることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
二千年前、人類の生命問題を解決しなければならなかった
イエス様の心情に徹することができ、
彼の心情と関係を結べる
息子・娘となるよう、お導きくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・七・一九)
5-16 み意に背いたイスラエルを教訓とさせてください
選民の権限を誇り、
選ばれた民であることを誇りながら、
祝福圏内に生きた
イスラエルはどこに行ったのかと嘆息なさる
お父様の悲しい涙が、この地に残っているということを
私たちは知っています。
お父様が四千年の間、
歴史的な悲しさに耐えながら、
選んだイスラエル民族をつかんでこられたのは、
メシヤお一人をお送りになるためであったにもかかわらず、
彼らはメシヤをほうっておき、サタンの懐に抱かれたがゆえに、
それを見つめておられたお父様の悲しさは、
その時だけの悲しさではなく、
億千万年歴史の悲しさとして
残されたという事実を知るものです。
当時、選ばれたイスラエル民族は
このような事実を知ることができなかったということを
私たちが回想するとき、
きょう体をかがめ、心を整理して
歴史的な犯罪性を暴露し、
その歴史的な罪悪を
身代わりして悔い改めるべき責任が私たちにあることを、
私たちは悲しく思わないわけにはいきません。
イエス様は天の物悲しい心情を抱き、
倒れていく民族を訪ねてくださり、
彼らをかわいそうに思い、
自らの生命をも惜しまず、彼らを訪ねてくださいましたが、
選ばれた民族であると自称していたイスラエル民族は、
天がお送りになったメシヤと準備された洗礼ヨハネを、
自分たちの勝手に扱い、
歴史的な悲しみの陰に隠してしまったという事実を、
今日、私たちは知っています。
きょう、ここに集ったあなたの息子・娘たちをして、
その時のイスラエルの人々が
私たちよりも劣っていて天に背反したのでなく、
天のために生きる心情が
私たちよりも劣っていて天を忘れてしまったのではなかったことを
知るよう許諾してください。
新しい時代に対する希望が足らず、
新しいメシヤの理念を持ってこられる主の姿が
大きいだろうと思っていたのに、
いざ現れたメシヤが、
あまりにも悄然としてかわいそうで、小さな姿であったがゆえに、
彼らが排斥したのだという事実が
分かるよう許諾してください。
今、私たち自体が
どのような立場に置かれているかを
察するよう許諾してくださり、
今日、私たちはよく
歴史的なイスラエル民族を誹謗し、
当時の事情を批判することがありますが、
その時の事情や今日の事情に
差がないことを知るようにしてください。
私たちがその時にいたなら、
彼らと同じ群れであったことでしょうし、
私たちがその時代にいたなら、
彼らと同じ立場にいたであろうことを
自認する心を持つようにしてくださり、
そのような歴史的な罪の痕跡をもっている
自らだということと、
サタンの魔の手が私たちの体をにらんでいるということを
知るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・二・二二)
5-17 メシヤを迎えるにふさわしい姿とならせてください
今日、私たちの生涯路程は悲惨なる路程であり、
生活環境は複雑で、
私たちは
善と悪を分別できない
混沌状態で生きています。
このような地に
一つの生命の道を開拓してくださるために、
天は骨折られ、
人類の前に
一つの真なる人の姿と、
真なる理念と
天宙の真の姿を紹介するために、
数多くの先知者たちがこの地上に来ては逝ったのを
知っています。
その中でも万民のメシヤとしてこの地上に現れ、
十字架上でわらくずのように消えながらも、
万民のために福を祈ることのできた
イエス・キリストの尊厳なる人格と
彼から流れ出たその心情、
染み通った彼の理念を
慕うべき時が来ました。
自分を軽視すべきこの時であるにもかかわらず、
自分を高くし、
万物万象を蔑視し、
天を蔑視した罪深き自分であったことを
受け入れてくださいますよう、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
私たちが真なる心、
真なる善に向かい動こうとするなら、
天地の前に負債を負った者であり、
人類歴史路程で、
言うに言えない険悪なる痛手を負った
罪悪の氏族であることを悟らせてください。
今、私たちには
お父様を尋ね、捜し歩くことのできる心、
本然の自我を尋ね、捜し歩くことのできる忠節、
それだけが必要ですので、
お父様、
それを備えるよう許諾してください。
イエス様が生きてきた生涯路程が
悲惨なる涙の道であったことを、
私たちは否認することができませんし、
経てきた歴史のひとこまひとこまも、
血のにじんだ血みどろの闘いで綴られたことを、
私たちは知っております。
そうして
私たちは、
歴史的な何かを解明することができず、
時代的に誇るべき何ものをも持てなかった
宇宙史的な落伍者の立場であることを
分からせてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
それゆえに真なる指導者、
真なる生命と真なる心情を持った指導者が必要であり、
天が人間の前に送られた方が救い主であり、
メシヤであると私たちは信じています。
しかし、私たちが
メシヤたるその方の前に出るために、
彼にふさわしい志操と忠節と心情を備えたかを、
自らたどって調べるようにしてください。
天はメシヤを迎えるにおいて、
人間が
最高の情熱と
最高の忠誠と
最高の真心を、すべて傾けるのを
待ち望まれることを知っていますし、
サタンを相手にしない最高の至誠と
燃える心情を要求されることを知っています。
今、私たちが
そのような立場に達することができなくとも
その立場を慕う心だけでも持って
ひざまずき、贖罪の恩賜を願うことのできる
謙遜な幼い息子・娘たちとなるよう導いてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・七・一九)
5-18 イエス様の慰労者となり慰安者とならせてください
お父様!
きょうこの時間は、
イエス様と歴史的な距離のある時間です。
歴史には距離がありますが、
心情の世界には距離がないということを
知っています。
歴史的なイエス様を信じる私たちとならず、
心情を通して直接的にイエス様を知り、信じることのできる
私たちとならせてください。
み言を語られたイエス様の悄然とした聖なる姿を慕いながら、
心で悲しみ、
その前に頭を下げることができ、
訴えたその時の声を聞くことのできる
徹した心、
懇切なる心、
恐れかしこまる心が、私たちの体と心にこもるよう
許諾してください。
自分でも知らずに「お父様」と呼ぶことができ、
知らない間に
主の恍惚たる恩賜を感じて感謝を申し上げます。
送られたメシヤの聖なる姿は
天上が擁護し、敬うべき存在でしたが、
地上に現れ、
悲惨なる道を行かれたことを悲しみ、
彼の苦労を案じ、
彼の悔しさを悔しく思う
私たちとなるようにしてください。
その時の先知たちが行えなかったすべてのことを、
きょう私たちが心情的に引き継いで、
彼らを身代わりしてイエス様の慰労者となり、
慰安者となるようにしてくださいまして、
その方の前に望みの相対となるようにしてください。
イエス様はどれほどかわいそうな方でしょうか?
民族を眺める彼の心は
嘆息せずにはおれず、
教団を眺める彼の心情は
痛哭しか残っていませんでした。
天倫の摂理に責任を持たなければならなかった彼の事情を、
人間は知りませんでした。
事情に通じるべき人間たち、
心情を分かつべき教団、
共に生きるべき民族を後に置き、
独り夜中に山中をさまよわれた彼の心情を
知る者がいませんでした。
きょう私たちは、イエス様を知らずに従い、
イエス様を知らずに信じる者たちと同じにならないよう
許諾してください。
かわいそうな彼の心情をつかみ、
限りなく泣いてあげることができ、
限りなく心配してあげることができ、
彼のために死の立場も意に介さない
私たちとなるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一〇・一八)
5-19 イエス様とともに天的な責任を果たさせてください
お父様!
二千年前に寂しく来て逝かれた
イエス様の事情がどうであったかを、
私たちが察するようにしてください。
彼はこの地上に人間たちを救うため、
自分のすべてを祭物として捧げて
倒れようとも、
案ずる心をお持ちになって、
その厳しい困難も甘受され、
寂しい立場も喜んで行かれました。
そのようなイエス様の寂しい姿を、
私たちが同情するようにしてください。
イエス様は
個人の目的を成し遂げるために闘われたのではなく、
罪人である多くの衆生を救うと同時に、
死亡圏内にあるこの世界を天の世界、
すなわち光明の世界へと導こうという、
天的な使命を背負って闘われたことを
私たちは知りました。
その当時、イエス様のすべての生活環境は、
どれ一つとして喜ばしいものがありませんでした。
行く先々でも迫害があり、
行く先々で憤懣やるかたないことが、前に横たわっていましたが、
彼は嘆息しませんでした。
落胆する立場に置かれても、
決して落胆しませんでした。
望みの世界のために
未来の天国のために、
お父様の経綸を眺めながら、耐えてこられた
そのみ旨を私たちは知るものです。
ここに集まった息子・娘たち、
たとえ二千年という歴史的な距離はあったとしても、
心情的には
二千年前のイエス様の心情と通じることができ、
天的な責任を背負った立場で、
お父様に対することのできる
息子・娘とならければなりません。
そうして、
お父様の寂しい心情を抱きしめ、
この地上の人類を身代わりして
お父様を慰労してさしあげ、
この民族と世界人類の前に訴え、
彼らをお父様と因縁づけてあげられる
息子・娘とならせてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六〇・六・一二)
5-20 イエス様の歴史的な悲しみのひと日を回想させてください
お父様!
天を抱き
地に対する救援摂理のみ旨を抱き、
三十余年の生涯を生きられたイエス様が、
自分を救い主として対してくれる人、一人を見いだせず、
救い主として侍ってくれる一家族を見いだせず、
救い主として従う一民族を率いることができないまま、
恨めしい運命の日を迎えなければならなかった
歴史的な悲しみの日が思い返されるものです。
願わない時に
十字架の道を行かなければならず、
時ならぬ時に
使命を終結しなければならなかったイエス様でしたので、
語るべきこともすべて語れず、
立てた悲壮なる覚悟と
決心の行使もできないままに
恨みを残し、
また抱いて逝かれましたが、
その心情を知る者がどこにいるでしょうか?
お父様!
天を仰ぎ見るイエス様の目には、
万民に対する切ない涙がたまり、
死を前にした彼の悄然たるお姿は、
人類を身代わりした姿であったことを、
今日、私たちも
骨身に染みて分かることはできませんが、
当時の人々の中でも、
それほど凄絶なる困難にぶつかる人が、
神様の息子であることを知っていた人はいませんでした。
イエス様を知って侍るべき民族が、
むしろ彼に反対して
死の道に追い立てるために跳梁したので、
み旨を抱いてきたイエス様は、
どれほどかわいそうだったでしょうか?
天の心情に通じ、
イエス様の心情に通じるべき民族であるにもかかわらず、
むしろイエス様が民族を案じなければならず、
怨讐に引かれていくイエス様の悲しみも知らず、
怨讐の手のひらの中で戯れている、
死亡圏にいる民族を眺め、
「アバ、父よ、彼らの罪をお許しください」
と言って、祈らなければならなかったイエス様の心情を、
私たちがたどって感じられるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
十字架と言えば、
私たちは名前だけで知っていました。
イエス様が行ったゴルゴタ山頂が、
イエス様にとっては地獄であり、
死の刑場であったことが
私たちには分かりませんでした。
ですので、
今から私たちが十字架を考えるときには、
イエス様の体が裂かれる痛みより、
四千年間積もってきた神様の恨みの心情が
裂かれる悲しみが、どれほど大きかったかを知るようにしてください。
イエス様が十字架上で
肉を裂かれ血を流したことが悲しいのではなく、
心情を絞り出さなければならなかったことが
もっと悲しかったことを、知り得る
私たちとなるようにしてください。
きょうここに集まった群れの中に、
真なるあなたの息子・娘がいるでしょうか?
イエス様の流した血を無視し、
天の福を受けることを願うものがいるでしょうか?
イエス様の心情に倣って、
天のみ旨に対そうとする者がいるでしょうか?
泣いて、泣いて、また泣いても
恨みの解けない悲しみのひと日を憶え、
イエス様の死に対して、果てしもなく痛哭することのできる
群れとならせてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・六・二一)
5-21イエス様のような心情でお父様の前に立たせてください
お父様!
四千年間苦労して導いてこられた
イスラエルの終末を眺めながら、
その民族に対して祝いの言葉を語れず、
かえって嘆息の言葉を語らなければならなかった
イエス・キリストの心情が、
どれほどもどかしく、恨めしく、悲しく、
どれほど苦しかったでしょうか?
お父様!
死亡線上で身もだえしている
数多くの民を眺めるイエス様の心中には、
勧告しても聞かず、
諭してあげても悟ろうとしない
無知な群れに対して、
天のもどかしさが
その一身に染み渡ったということを知っています。
そのもどかしさが染み渡れば染み渡るほど、
地に対し、恨みたい心も
共に高まっていったことを私たちは知っています。
しかし、
これを抑えて耐えられたキリストの心情を
知る人は、地上に誰もいませんでした。
寂しい路程を開拓するため、
苦労されたキリストの聖なる姿を、
兄のように、
父のように侍りながら、
彼と一つの心になり、
彼が涙する立場にいるなら、共に涙し
飢える立場にいるなら、共に飢え、
ぼろをまとう立場にいるなら、共にぼろをまとい、
むち打たれる立場にいるなら、共にむち打たれ、
追われる立場にいるなら、共に追われる立場に立つべきでしたが、
そうできなかったのが歴史的な恨みであったことを
私たちは知りました。
心情の世界は、
歴史的な距離を超越するという事実を
私たちは知りました。
それゆえ私たちは今、
心情の根本を尋ね入り、
キリストの聖なる姿を抱き締め、
彼の事情に通じることのできる心情の友となって、
イエス様を身代わりしてゲッセマネの園で祈ることができ、
イエス様を身代わりしてカルバリ山頂に向かって走っていくことのできる、
あなたの息子・娘たちとなるようにしてください。
そのような息子・娘であるとするなら、
彼はキリストの友であり、
歴史を超えて天の息子に侍った者であるということを、
私たちが体恤するようにしてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
イエス様はこの地上に来て、
数限りなく涙を流されましたが、
誰もそれを知らず、
血涙の出る哀痛の心情を持って
天に対して訴えましたが、
それを知る者もいませんでした。
お父様、
今日統一の信徒たちを
かわいそうな立場に追いやり、鍛えてくださったことに
感謝を申し上げます。
飢えの中で団結させてくださったことに
感謝を申し上げます。
お父様、
ぼろをまといながらもみ旨を案じ、
むち打たれながらもあなたを案ずる
息子・娘となるようにしてください。
これがお父様の願いであり、
このような姿を立てて
この民族の前に誇ろうとなさるのが、
お父様のみ旨であることを知るものでございます。
今、そのような姿を
捜し立てる使命を果たす時が来ましたので、
この使命の前に
私たちが卑屈にならないようにしてくださり、
この使命の前に
ためらわないようにしてください。
私たちにあるすべての情熱と誠心を尽くして、
あなたの前に実績を残し、
あなたの心情に記憶され得る
息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六〇・七・一七)
5-22 恨みを残し逝かれたイエス様の心情を慰労させてください
けさは、
一九六五年の新年に入って
初めて迎える安息日であると同時に、
主の降臨、一九六五年目を迎える日です。
数多くの人々は、
メシヤの誕生日を
自分たちの思いどおりに決めて祝い、
メシヤがこの地に来て
人類と共に、
世界と共に、
宇宙と共に、
どのような因縁と価値を決定したのかも分からず、
その方の名声だけを記憶して、
メシヤの誕生日を祝いました。
しかし、
きょうこのように集まった少数の群れたちは、
今から二千年前に
あなたの広く高いみ旨と
尊厳なる経綸によって
送られたイエス様でありながら、
かわいそうな立場に置かれていた
彼の事情に、心で同情しながら、
その時にイスラエル民族が使命を果たせなかったことを、
骨身に染みて考えないわけにはいきません。
この地上に
あなたの貴い息子として生まれたその方は、
天地創造の理念に背いた
アダムを失ってしまった悲しみを解怨するため、
送られた方であったことを知るものです。
彼を通してみ旨を成し遂げられ、
彼を通して栄光をお受けになり、
彼を通して幸福の世界を
築こうとなさった望みを成就させるため、
あなたがお送りになったメシヤであるイエス様は
生まれるその日から
悄然たる姿でお生まれになりました。
数多くの人々がメシヤを待ち望みましたが、
実際にメシヤとして来られたその方が分かりませんでした。
そのメシヤは独りで神様の心情を抱き、
神様の望みを持って生きるべき
生活的な事情を持たれ、
人知れず、
みすぼらしい姿で現れ、
哀れな身の上で十字架に掛かり、
涙と血を流して逝かれたということを考えるとき、
私たちの先祖たちが足らなかったことを、
私たちがこの時間に謝罪しないわけにはいきませんし、
責任を負ったユダヤ教が使命を果たせず、
神様に背いた罪悪を、
私たちが謝罪しないわけにはいきません。
数多くの歴代の私たちの先祖たちに血を流させた罪の歴史を、
神様に背いてきた数多くの人類の罪悪を、
私たちがもう一度、心深くたどって考え、
悔い改める時間となるようにしてください。
お父様!
あなたの悲しみを私たちが察しなければならず、
イエス様の憤懣やるかたない事情に
私たちが同情しなければならず、
今まで血の路程を歩んできた彼の弟子たちの
凄涼で、悲惨な事情を悟ることのできる
私たちとならなければなりません。
歴史的な恨みを抱き逝かれたイエス様を、
個人的に慰労し、
家庭的に慰労し、
民族的に、
国家的に、
ひいては世界的に慰労してさしあげることが、
きょうメシヤの誕生日を記念する全体的な目的であることを、
私たちが忘却しないようにしてください。
二千年の歴史は過ぎていきました。
その間、悲しい事情がどれほど多かったでしょうか?
お父様も悲しく、
イエス様も悲しく、
聖霊も悲しく、
キリスト教徒たちも悲しかったことを知るものです。
また、このように悲しかった恨みを解くための
最後の終わりのひと日、
すなわち皆が待ち望む審判のその日が、
近づいてきているということを知っています。
積もりに積もったお父様の恨みを解くために
来られるメシヤを、
再び迎えるべき立場にある
この終わりの日の聖徒たちは、
メシヤを待ち望んだイスラエル民族のように、
来られるメシヤに追われて仕える
心と準備を備えられずに
メシヤを待ち望むだけではいけませんので、
私たち各自がこのようなことを
自覚するようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六五・一・三)
5-23 イスラエルが果たせなかった使命を私たちが成してさしあげられますように
お父様!
二千年前にイスラエル民族をお選びになり、
彼らをして
心で体でお父様の心情を
体恤させようとしましたが、
そのみ旨はまだ成されていないということを
私たちはよく知っています。
不信する人はたくさんいましたが、
摂理のみ旨に対する天の生命を抱いている人は
いなかったことを私たちは知るものです。
イエス様はこの地に来られて、
天の生命を表そうとされたのに、
彼に従う人がなく独り行かれましたが、
きょう私たちが全人類のともしびとなって、
イエス様の使命を引き継ぐことができ、
イエス様のみ旨を引き継ぐことのできる
群れとなるよう導いてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
今まで堕落した不信の社会環境と
その実情を眺められながら耐えてこられ、
今、この世の中を心配されて私たちを選び、
世の中が悪くなれば悪くなるほど、いつも天の前に立てるよう
許諾してくださった恩賜に感謝を申し上げます。
イスラエルの不信によって
悲しみを被るしかなかった
イエス・キリストの立場を思わないわけにはいきません。
彼は天の悲しみを身代わりして語られ、
彼の行動は信仰によるものであり、
お父様を中心としたものであったことを私たちは知るものです。
今、終わりの日において、
私たちが人類の罪を蕩減復帰し、
お父様の心情と連結され、
私たちの体と心で
お父様に侍るよう導いてください。
この地上には数多くの信じる人々がいますが、
イスラエル民族の中で
お父様に心から従った人がいなかったのと同様に、
きょう新たなイスラエルを身代わりすべきキリスト教が、
お父様のみ旨を知ることができず、
摂理の全体のみ旨を担うことができなくなってしまいました。
お父様、
そのみ旨を私たちが成すようにしてくださり、
私たちを導いてくださって、
お父様の召命を受けて
永遠に残され得るよう許諾してください。
お父様が私たちを選ぶときには、
私たちだけのために選んだのではなく、
民族のために、世界のために選んだということを
私たちが知っていますので、
お父様、み意のままに導いてください。
袋だたきにされ、引き裂かれ、迫害を受けるとしても、
お父様が期待される
一つの生命を持つことができるとするなら、
いつまでも耐えていき、
お父様に勝利を抱かせてさしあげ得る
私たちとなるよう導いてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様! 今、私たちの心情を
天の心情に連結して、
お父様のみ旨を成してさしあげようと誓う
貴い時間となるようにしてくださり、
摂理のみ旨を許諾し、
愛をもって
お父様のみ旨に責任を負っていけるよう許諾してくださり、
天の心情を体恤して、
ただみ旨の道だけを行くことができるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様のみ旨ならば
死のうが生きようがお父様をつかみ、
私たちの心はあなたの生命を求め、
私たちの体はあなたの生命の道を求め、
ただお父様のみ旨を中心として生きていくことができるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・四・六)
5-24 イエス様が成せなかったみ旨を成就させてください
お父様!
統一教団が今まで歩んできた道を
思い返してみるときに、
その教団は、
その誰もが愛してくれなかった教団でした。
国が反対し、
既成教会が反対し、
父母が反対し、
個々人が反対したその立場は、
ちょうどイエス様が
十字架の道まで追われたのと同じ立場でした。
イエス様は、追われて十字架で亡くなられた後、
二千年の路程において、
個人を捜し、
家庭を捜し、
氏族を捜し、
民族を捜し、
国家を捜し、
世界を捜しましたが、
霊的基準においてのみ捜してこられました。
この霊的基準を受け継ぎ、
実体基準にまで連結させるのが、
あなたの望まれた願いの一念であり、
あなたが六千年間苦労された
その苦労の結果となることを考えるものです。
今日、統一教会が歩んできたのは、
イエス様の恨めしい内情の因縁を相続して、
実体的に
この民族の前で追われながらも、死なずに、
個人と家庭と氏族と教会を
もう一度捜すためでした。
こう考えるときに、
この国、この民族におきまして、
教団同士、互いに同じ基準をつくり、
かえってユダヤ教よりも優位に立つことのできる
時代圏を迎えたということを知るものです。
イエス様を反対したユダヤ教の群れより、
イエス様の福音を通して一つとなった群れが
より強い立場に立ったのと同じく、
現在私たちを
そのような立場に立ててくださったことを考えるときに、
心から感謝を申し上げます。
教会を超えて
民族基準まで上がらなければならない終生の使命が、
私たちに残っていることを知り、
どのような困難にぶつかり、
どのような犠牲を支払うとしても、
この道を越えてこそ、
初めて私たちの生きる道があり、
定着することができるということを、はっきり知らなければなりません。
寝ても覚めてもこのためにだけ、
私たちがあらゆる精誠を投入しようと、
もう一度決意できるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
今、私たちの遠くない将来に、
必勝のひと日が訪ねてくることを考えるときに、
私たちは
イエス様が与えられなかった愛を与えなければならず、
イエス様が受けられなかった愛を受けなければなりません。
このようなことが統一教団で起こることによって、
私たちを通して
お父様の恨みとイエス様の恨みが解怨されるという、
このとてつもない歴史的事実を有り難く思い、
一生に一度しかないこの貴い機会を
失ってしまわないよう許諾してください。
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・一二・二五)
5-25 イエス様の恨みを解怨する統一教団とならせてください
お父様!
ユダヤ教団と数多くの祭司長たちは、
自ら天をあがめ、
天の内情的因縁を生活に表し、
天の規範を立てると言いながら出ていった群れでした。
しかし、
生命の中心であり、
生命の結晶体であり、
愛の中心であり、
愛の結晶体として現れたイエス・キリストに対しては、
冷淡に知らないふりをしました。
イスラエルの国の
精神的な責任を負ったユダヤ教団の中で、
イエス様の側に立った者が
たったの一人もいなかったという事実を知っています。
それが無念なるお父様の
四千年の受難の結果であったということを思うとき、
私たちは涙でもって
お父様に対さないわけにはいきません。
お父様!
最後の道に向かう
恨み多いイエス・キリストの側に立って、
生命を懸け、泣き叫びつつ、
悲しみと恨みの歴史に
立ちはだかった兄弟が一人もいませんでした。
母さえもイエス様の死の道を
「私が身代わりして行こう」と言えなかったという事実を見るとき、
本当にかわいそうなイエス様でした。
イエス様の最期が、
こうも憤懣やるかたなく悲惨だった
事実を思い返すとき、
私たちは恨みに達した心で
過去のイスラエルの国とユダヤ教を
呪いたい気持ちです。
しかし、
イエス様は彼らを呪われず、
むしろ
神様が四千年間苦労し、積み上げておかれた
イスラエル圏が崩れそうだといって、
死の道を行きながらも、
彼らの福を祈ってあげなければならなかったので、
そのようなイエス様の無念なる心情を、
私たちは間違いなく知らなければなりません。
死の道でも、同情を受けられなかったイエス様は
孤独な孤児の身の上だったということを、
私たちが切々と感じなければなりません。
このような、イエス様の友とならなければならず、
このような、イエス様の親戚とならなければならず、
このような、イエス様の教団とならなければならず、
ひいては、このようなイエス様の姉、
または弟妹になるべき立場に立った群れが、
まさにこの歴史時代にぽつんと残された統一教団であり、
私たちだということを、
はっきり悟るよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
今日数多くの人々は、
クリスマスになれば
イエス様が万民を救わなければならない
メシヤの使命を持って誕生された方だと
口から口ヘと伝えながら、賛揚しています。
しかし、
実相を知ってみると、
このようにイエス様が歴史的悲しみの中で
孤独にお生まれになった方だということを考えるとき、
私たちは痛哭し、
そのようなイエス様の悲しかった内心の情景を、痛哭しながら
慰労することのできる者たちとならなければなりません。
お父様!
私たちはみ旨を知ったその日から、
イエス様の悲しい恨みを解いてさしあげるべき
責任があるということを知り、
お父様の悲しい恨みを解いてさしあげなければならないことを知ったので、
この日まで闘いきて、
今日この統一教団を形成したものです。
このように悲しかったお父様の事由をあらわにして、
教えてあげることができ、
聞くことのできる因縁と土台が、
この地球星に歴史始まって以来初めて現れたという事実を考えるとき、
ここは、それこそ
お父様の望みに対することのできる所だということを、
私たちが忘れてはならないので、
お父様の心情が、
ここで再び結びつけられるのを願っているということを、
私たちが忘れないよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・一・三)
5-26 最後の開拓者の使命を果たさせてください
愛のお父様!
お訪ねくださって感謝です。
きょう喜びでもって訪ねてこられましたが、
あす発たれるお父様の姿が、
歓喜の頌詠(ほめたたえる意)の日を約束して発つことのできる
お父様の姿となれないのではないかと気がかりです。
会うには喜びでもって会いましたが、
別れる日には悲しみでもって別れるのが、
人間に対してこられた
お父様の曲折の路程であったことを知りました。
きょうよりもあすが
お父様の前に慕わしくなるよう許諾してくださり、
青春期よりも老年期に入るほど、
よりお父様を慕わしく思えるよう許諾してください。
そうして、
心の深く高い世界に
一歩一歩進んでいこうとする
息子・娘となるよう許諾してください。
さらに
お父様の恨みの心情を慰労し、
イエス様の恨みを解怨し、
歴史上の先祖たちの恨みを解怨するよう許諾してくださり、
今日、終末的な使命、
天的な解怨を
私たちによって成し、お受けくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
きょう私たちは、
開拓者の心情で来られた
イエス様であることを知りました。
栄光の位置に立つべき者が変わって開拓者とは何たることでしょうか?
洗礼ヨハネが背反したがゆえであり、
教団が背反したがゆえであり、
民族が背反したがゆえであり、
世界のすべての人々が背反したがゆえでした。
これが今日キリスト教史に残された
史実であることを知るならば、
イエス様が準備期間から実践時間を通して
完成基準に向かって越えていったその内的決意の心情が、
私たちの心の土台の上に
わき上がるよう許諾してください。
イエス様は民族的な怨讐、
国家的な怨讐に対しましたが、
今日私たちには
民族を越え、世界的な怨讐、
宇宙的な怨讐に対すべき責任、
すなわち最後の開拓者の使命を
果たさなければならない責任がありますので、
お父様、
私たちに能力をお与えください。
この責任を一人負い、
世界的なゴルゴタの道を最後まで凛々しく歩いていき、
勝利する栄光の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・二・一)
5-27 恨み多い復帰の道に責任を負わせてください
天を見つめながら、
万物を見つめながら
お父様が願われる望みを成してさしあげるため、
そのお呼びになる声に従って戦場に走っていこうとする、
お父様が喜ぶことのできる
子女たちとなるよう、許諾してくださいますことをお願い申し上げます。
お父様の物悲しい歴史的な恨みを
私たちが知らなければなりませんし、
この世界を訪ねてこられた歩みが
どれほどもどかしく、悲痛かという事実を
私たちが知らなければなりません。
私たちの体がお父様の行かれる踏み台となり、
平坦な道を築くにおいて
材料となるということを思うとき、
いばらの道だといって
ひっくり返り、身もだえし、血を注ぐようになるとしても、
この道を開拓すべき使命が、
私たちのなさなければならない真正なる使命であり、
責任であることを知るものです。
私たちの心と体を捧げて
この民族の行く道を築くよう許諾してくださり、
この民族をお立てになって、
万民がお父様に向かって進むことのできる
直行行路を立てられるようにしてください。
このような愛の恩賜を受けられる
わが民族となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちは人知れず、
人の歓迎しない道を歩いてきました。
悲しい時も多くありましたし、
寂しい時も多くありました。
そうではありますが、
お父様が行かれた道であるがゆえに、
感謝の心で涙をもって歓迎し、
心情のこもった声で
お父様を呼ぶことが千万回あったことを知っています。
お父様を呼んだ私たちの声と共に、
私たちの涙と共に
お父様も涙ぐんだというその事実がどれほど貴いかということも
私たちは知っています。
このような道であることを知ったがゆえに、
その道を行くために生きる
統一の役軍たちは苦労の道も意に介さず、
苦行の道をたどりながら
お父様を呼ぶことのできる喜びのひと日を迎えるため、
世界的なゴルゴタ路程を基準として訪ねてきた、
懇切で、けなげなその者たちを記憶してください。
きょうお父様のみ旨のために
忠誠を尽くすのに疲れた者がいるでしょうか?
再び哀れみの心をお広げになって、
愛してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
今、残った恨み多い復帰の道をまた行かなければなりませんので、
その歩みを貴く思ってくださり、
その姿をお父様が記憶してください。
お父様の保護と権威が共にあり、
どこに行っても百戦百勝の勝利を収めて
お父様の前に栄光の基盤を築いてさしあげることによって、
お父様が親しく多くの民の前にお立てになって、
これは私の息子であり、
娘だと称賛することのできる
息子・娘となれるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
残された復帰の道の上に、
お父様が計画されるみ旨の前に、
勝利の栄光だけが残されることを懇切に願いながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六五・一二・二六)
5-28 復帰の路程で勝利させてください
お父様!
きょうここに集まったあなたの子女たちを
哀れにお思いください。
この子女たちはみな、
本郷の国を訪ねていかなければなりません。
本郷の国を訪ねていくこの道が、
このように険しい道であると誰が知り得たでしょうか?
お父様! 恨み多い嘆息の世界の上で
この怨恨の土台を踏みつけ、
これを退け
新しい境地に向かって
誘導弾のように飛んでいくことのできる新しい心の爆弾を
備えるよう許諾してください。
心情の爆発力と推進力を持つよう許諾してください。
そのためには、
お父様の愛を持たなければならないことを知っていますので、
このような人々となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
誰がこの道をふさぎ、反対するとしましても、
それが問題ではないことを知っています。
行くべき足どりがあまりにも忙しいがゆえに、
休もうとしても休むことができず、
自分をむち打ちながら行くべき運命に置かれている
統一の子女たちであることを知っていますので、
どうかこの者たちの前途を平坦にしてくださり、
行く道の前に
一つひとつの峠において闘いを誓わせてください。
上がっていって、
どうか落ちることのない者たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
数多くの歴史路程で
悲しい胸を押さえながら、
耐えてきたこの者たちを記憶してくださり、
この者たちが顔に憂いと失望と敗者の色が
こもらないよう許諾してください。
お父様、
そのような過去を持ちましたが、
希望にあふれ、喜びにあふれ、
あすの希望の中に
あふれんばかりの心を抱き、進んでいくことができますよう許諾してください。
お父様!
理想世界から脱線しない立場で
報告することのできる心情を持ち、
一日の生活におきまして勝利者となるよう許諾してください。
一年の生活の勝利者となるよう許諾してください。
私たち、
生涯路程の勝利者となるようにしてくださいまして、
お父様が私たちに許諾されようとする
幸福の土台である本郷の国を創建することができる、
建国の勇士たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
その平和の王国を創建して、
お父様に侍って千年万年生きたいと言うことのできる
あなたの息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
残されたその日の上に
平和があるよう許諾してくださり、
子女たちの幸福の路程の上に
お父様の加護があるよう許諾してください。
ありとあらゆる忠誠と犠牲を覚悟して進むにおきまして、
お父様の同情が
いつもこの者たちの生活の中にあふれるよう
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・三・一〇)
5-29 復帰摂理の責任を果たす子女とならせてください
お父様!
私たちはお父様の息子ならば良いとだけ考えて、
それに該当するだけの十字架を負わなければならないという事実は
忘れて生きてきました。
お父様!
けれども、
今、私たちがこの世の人々とは、
これだから違うのであり、
お父様の愛を受けることができるのも
このような内容があるがゆえであり、
歴史を背負うことができるのも
このためだという事実を知りました。
今日、サタン世界を眺めますとき、
第二の出発を模索するためのお父様の愛が
歴史路程と共に今、この時に
深く同伴しているという事実を知るのでございます。
これを感謝しようとする
あなたの息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
今、私たちが行くべき
必然的な路程を前にして、
個人的なアベルの道を行かなければならず、
家庭、氏族、民族、国家、世界的な
アベルの路程を行かなければなりません。
私たちがこの道を行き終わるまでは、
とても忙しいということが分かるようにしてください。
食べようとしても食べる時間がなく、
眠ろうとしても眠る時間がないくらい忙しい
私たちの行路に、共にあってください。
私たちだけでなくカイン世界まで救い、
お父様の前に帰るようになりますとき、
お父様は初めて私たちを見て、
安息することができるという事実を知っています。
このような責任を果たす私たちとなり、
お父様の悔しさを蕩減するのに
不足のないよう努力し、精誠を尽くし切る
私たちとなるよう許諾してください。
私たちのすべてのことに
あなたが親しく共にあってくださいますことをお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・四・五)
5-30 原理と一致する堅固な基盤を立てさせてください
お父様!
数千年の間キリスト教歴史を編んでこられたお父様は、
内心の変わりない強固なる基盤でもって
歴史に対してこられました。
その過程で罪悪なる要素の複雑な段階は
蕩減の代価を支払いながら縮小させてこられたのが、
お父様が今まで摂理してこられた
歴史的な事情であるのを
私たちはよく知っています。
歴史を縮小させた一つの起点で
「これだ」と言い得る起源を備えるために、
数千年の間、善なる人々を犠牲にさせてきたのが、
お父様のみ旨の道であるのを察します。
その道で数多くの人々が血を流しましたが、
心からお父様が願われる立場に立って
血を流した人はいないということを、私たちは知るものです。
それがお父様の恨みでありましたので、
お父様は
その決定的な起点を解決するために
イエス様を送られましたが、
イエス様さえも地と霊界を中心として
その起点を見いだせない悲しみを抱き、死んでいったということを
私たちは知っています。
そうして、
歴史を延長させていきつつ摂理なさった
お父様の苦労の歴史は、
加重された十字架の悲惨なる道に落ちていきました。
ですので、お父様はもう一度
歴史的な終わりの日にこれを解決するために
統一家を立てられ、
このような、とてつもない一つの起点をお備えになることを知るものです。
ところが、その起点は
無謀なる立場では絶対成されないということを、
私たちははっきり知らなければなりません。
強固なるある原則に従い、
変わりない内容を備えて初めて、
成されるということを知らなければなりません。
この時点で
お父様が私たちに
何を要求なさるかを思うとき、
それは外的な勢力基盤を広げることではなく、
強固な基盤の上で原理化された一つの個人と
一つの家庭と
一つの氏族を形成することだということを
思うのです。
その運動が何よりも貴いという事実を
私たちは知らなければなりません。
このようなことを思うときに、
今まで私たちが
原理と一致する生活観を
どれほど重要視したかということを
もう一度反省してみると、
お父様の前に不忠なる自らであることを悟らないわけにはいきません。
原理は原理のまま捨て置いて、
生活は生活のままにし、
自分は自分のままで行くという立場で
今まで歩んできたことを思うとき、
私自身のために苦労されたお父様の前に
不忠であり、不孝であったことを、
私たち各自がもう一度自認するようにしてください。
原理と自らの生活が一体化した立場で、
お父様と一体となり得る主権を持てなかった
過去の悲しみを受け入れてください。
また、
このような現在に置かれている私たち自身を
爆破させてください。
そうして、
お父様が一つの起点上にとどまることができると同時に、
私たちが永遠にお父様を身代わりすることに対して、
自信をもつ原理的な内容を備えた人と
ならなければならないことを、
もう一度悟るようにしてくださいますことを懇切にお願いしながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・四・二六)
5-31 未来の希望の世界を相続する者とならせてください
愛するお父様!
永遠なる主体であられるお父様の前に、
春夏秋冬の因縁を経ることのできる実体を備え、
春の節気の文化世界をその胸で十分に追求しながら、
あすの勝利の栄光を賛美する勝利の王子王女を
お父様が捜しておられるということを知りました。
この聖なる宿命の前に召された
自分自身の姿が、どれほど偉大かを
自覚しようとするあなたの子女たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
人は一度、来ては死んでいくものです。
この生がいくら貴いと言っても、
青春の時期に比べることができないことを知っています。
お父様、
私たちが壮年になれば荷を背負わされるようになり、
壮年の時期に闘ってもちこたえられなくなるときには、
その結実された後孫が
悲惨になることを知っています。
それゆえ、
壮年の時代を力強く過ごし、
老年の時代を経て
新しい春を迎え、
新しい夏の節気を見ることのできる後孫を、
自分の懐の中にもった家庭であってこそ、
その後にやって来る秋の節気を
無難に克服できるということを知るものです。
これが人生というものであり、
世界の歴史時代においても、
象徴的な現象であることを眺めるようになるときに、
お父様のみ旨も
やはり同じであるのを知るものです。
堕落による絶望のどん底の前で、
三十億人類が
今、最後の運命を計る線上に立っていることを知れば知るほど、
ここにはあすの春を身代わりし、
あすの夏を身代わりすることのできる
天の王子王女がいてこそ、
この人間の世の中で
冬の節気を克服することができるということを知るものです。
この事実を推し量ってみるときに、
神様の摂理は
ここから因縁に因縁を連結させて、
死亡圏から勝利することのできる
決定的起源を成すという事実を
私たちは知るものです。
お父様!
私たち自体が
長い歴史路程に
悲しみを残していった先祖たちの恨みを退け、
堕落による運命の中で呻吟する
人類の恨みの積もったこの怨讐の根拠地を退け、
あすの希望を抱くことのできる
姿となるようにしてください。
私たちは
春の節気と夏の節気を経て、
秋の節気の結実的な実体ですので、
未来の希望世界を相続するのに不足のない
者とならなければなりません。
そうして、
近づく冬の節気を恐れず、
お父様の勝利の座標として残され得る、
天の王子王女の姿を備えた
息子・娘とならなければなりません。
ここに集った取るに足らない群れが
そのような息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願いしながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・五・三)
5-32 心情を体恤させてください
お父様!
お命じになったあなたの声がお慕わしいです。
最高の善に向かって行けとおっしゃった
悲壮なその声が、
この時間私たちの心を
再び動かすようにしてください。
主がお残しになった迫害の道、
苦痛の道、
患難の道、
ゴルゴタの山頂を越え、
歴史的な悲運の道を行けと勧告なさった
切ないあなた様の事情が慕わしいです。
お父様!
自分勝手に育ち、
自分勝手に生き、
わがままになっている私たちをお集めになって、
この上なく高い主の性相に似ろと言われる、
おそれ多い恩賜に頭を下げますので、
哀れにお思いください。
本質や性稟をすべて分折してみても、
あなたの前に示す
何ものもない、
罪悪に満ちた私たちを呼び集め、
限りない祝福の恩賜を施してくださったあなたに
感謝をお捧げ申し上げます。
ただ、
懇切に信仰と心情だけを要求される
お父様の切ないその事情と心情を、
私たちが体恤し、実証するようにしてください。
お父様!
私たちは、
どのような人の言葉も聞くことを
望んではおりません。
既に多くの言葉を聞き、
多くの人に出会いました。
多くの人を見、
恵み多いという場を訪ねてみましたが、
私たち自身と関係を結ぶこともできないまま、
すべて通り過ぎてしまいました。
恩恵は恩恵として過ぎ去り、
人は人として過ぎ去って、
残ったのは一人しかいない、
歴史的な孤児のような私たちです。
ゆえに、私たちは
新しい春の風が吹いてくることを願っています。
お父様も、
そのような恩賜を許諾し得ることを、
どれほど待ち望んでおられるでしょうか?
私たち、
渇き焦る心と、
ありのままに報告したい心情をもち、
お父様の性相の前に集まる
群れとなるようにしてください。
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
私たちが何を語りましょうか?
語る前に、
心の中に自分も分からない徹した感激を
体恤するようにしてくださり、
自分でも知らずに胸が詰まって、
涙を流しながら痛哭することができるようにしてください。
天が動いてくださらなければ、
そのような心は起こらないということを
知っていますし、
千万の言葉よりも
一度の体験がより貴いことを知っています。
今、不足な者たちがお父様の前に出てきましたので、
幼子の心に帰るようにしてください。
人間が学んで知っているといっても、
どれほど知り、
誇るべき何かを自ら備えたといっても、
天上に掲げるものがどれほどあるでしょうか?
何もないことを知っています。
弁明よりは事実
事実よりは心情の体恤が、
私たちの死んだ後に刈り取られるものであり、
残されるものであることを知っていますので、
歴史的な主人公となるべき私たちの上に
自ら顕現してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六〇・六・五)
5-33 天の事情と心情に因縁が結ばれるようにしてください
お父様!
心と心に橋をお架けになり、
心情と心情を連結させて、
お父様の事情を通過することができ、
お父様の心情を体恤することができる
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
歴史路程において、
数多くの先知先烈たちが生まれては逝きましたが、
天の事情がどうだということを知らず、
天の心情がどうだということを知らずに逝きました。
終わりの日が近づけば近づくほど、
議論し、解決すべき問題は天の事情であり、
天の心情であることを、
私たちが分かるよう許諾してください。
この問題を解決するためには、
すべてのものを犠牲にしても
喜びの心で出発しようと、
私たち自身が覚悟し、
祭物とならなければならないことを、
もう一度悟り、
天の前にひれ伏す時間となるよう
許諾してくださり、
お父様の能力を望む時間となるよう
許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
天がすべての準備を整えておられるとしても、
私たち自身はその準備に対応して、
心と体に
準備の土台を整えなければならないことを
知っています。
私たちの心の中に、
今までのその何ものをも残すことがないよう
許諾してくださり、
幼子の心情に帰り、
お父様の、ほのかな
心情の感触を通して、
もう一度、天と因縁を結ぶことができるよう
許諾してください。
私たちが、
お父様の命令なさる恩賜に浸って、
天と共に和することができ、
お父様が自ら
私たちと共に議論し、
私たちと共に新しい約束を立てることのできる
この時間となるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
新しい約束のみ言を通して、
お父様の前に
もう一度覚悟と誓いをすることのできる
この時間となるよう許諾してくださり、
過去のすべてのことを悔いて、
お父様の前に聖別された一つの基準を立てることのできる
この時間となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一〇・一一)
5-34 み旨を中心とした一つの心と体をもたせてください
愛するお父様!
私たちの心は千態万象ですが、
私たちの生活の中に
お父様の性稟が現れるようにしてくださり、
お父様が動じれば私たちも動じることができ、
お父様が静ずれば
私たちも静ずることができる、
義の実体となるよう許諾してください。
軟弱な私たちが
お父様の前にひざまずき、
天性に向かっていることをお父様がご存じであられるので、
たとえ私たちの体が俗なるところに捕らわれ、
永遠であられるお父様の恩賜を遮っているとしても、
私たちの体が、世俗的なすべてのものを屈伏させ、
あなたの形状を
私たちの心と体を通して表すよう許諾してくださり、
またそのような摂理のみ旨と、
摂理の恩賜と
摂理の愛が、私たちに連なっていることを
心で感じ体で感知することができますよう、
お父様、
役事してください。
私たちの心は、
きょうも絶対的な善に向かって走っていますが、
体は世俗的なものを得ようと、
心に対し絶え間なく
反撃を加えているということを感じるものです。
そうですので、
お父様、
私たちの心と体が、お父様のみ旨を中心として
一つとなるよう許諾してください。
そうして、
お父様と私たちとの心情のすき間を打開してくださって、
サタンが運行することのできる足場を、
私たちの心と体から完全に除いてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
天は今日まで、
私たちの心を中心とした体を抱き締め、
愛そうとされましたが、
私たちは今まで心情がこもったお父様の性相と形状の前に、
完全な美の対象体として
現れることができずにいます。
お父様の前にひざまずくしかない私たちの心と体であり、
罪悪に染まった心と体であり、
お父様の満ち満ちた恩賜を望む、不足な立場の心と体ですので、
今、心と体全体を
お父様が捕まえてください。
そうして、
お父様の性相の前に喜びを帰し奉り、
お父様の心に呼応する一つの姿として
現れることができるようにしてください。
今、私たちは、
お父様が六千年の間願われた
その望みの基準を備え、
お父様のみ前にひざまずき、
お父様に栄光を帰し奉れるよう許諾してくださり、
お父様が安息できるよう、
あなたの性相を表してさしあげる
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
人間がもっているすべての主義主張と、
人間がもっている権利、
このすべてのものが失われてしまうという事実を知るものです。
ですので、
私たちの心と体が、
永遠に存在することのできる根本の立場に入り、
新たに爆発する力と復活の目を
私たちの心に備えることができるようにしてくださり、
自分自身を中心とした生活を捨て、
天宙を中心とした生活として取り戻してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様の心を私たちの心として、
お父様の心情を私たちの心情として体恤できる
私たちとなるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
すべてのことをお任せしましたので、み意のままにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・三・九)
父の祈り 6 孝心編
6-1 お父様を慰労する孝子とならせてください
今日、私たちは
悪なるものを見ても感覚がなく、
不義で未熟であり、
天倫のみ旨に対する苦痛に満ちた心情を抱いて
責任を感じることができないでおります。
怨讐を殲滅しようとする心と、
恨みに徹する哀切さがなかった私たち、
また闘いの実績を持てなかった私たち、
全能の神様を信じることができなかった私たちでした。
天に対するイエス・キリストの忠誠を
知りませんでした。
イエス・キリストを立てて誇ろうとなさったあなたのみ旨が
使徒たちを通して、
歴史を経て、今日の私たちに連結され、
そのみ旨が私たちで結実されることを望んでいるということを
知らせてくださり、
生命をもらったという歓喜に加えて、
数千万の聖徒たちが歓迎することのできる中心的な責任が、
今日、私たちに任されているということを、
知るよう許諾してください。
今、私たちが
天と地と万物、
そしてイエス・キリストの恨みを解くための
祭物となるよう許諾してくださり、
誠心誠意を込める、
孝心ある子女たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
きょう私たちの一個体と、私たちに
天の解怨のための責任が任されており、
天の恨みを解いてさしあげるための闘いが、
私たちによって
終結されるべき事情があるということを
分かるよう許諾してください。
このようなことを知りましたので、
だれよりも実践しようという心、
お父様に感謝することのできる心だけ持つよう
許諾してください。
十字架を担っても感謝であり、
億千万のサタンたちと闘うとしても、
お父様の前に卑屈な者たちとならないよう
許諾してください。
十字架を負い、困難な立場に立つとしても、
「お父様! 私がおりますので心配しないでください」と言える
子女たちとなるようお導きください。
困難な立場に置かれている子女たちを見て
悲しまれるお父様を、慰労してさしあげられる
子女たちとなれるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・五・一六)
6-2 責任を果たす子女とならせてください
お父様!
私たちの前にはいまだに険峻な道が残っていますので、
お父様が自ら捕まえてくださって、
あらゆる死の道を歩んでも残ることができる力を得ることができるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
今、眺めているだけの
愚かな子女たちを抱いてくださって、
ただ天のみ旨を成すために
一路邁進することのできる勇猛さを許諾してくださり、
召された天の子女として、
天の勇士として進むことができるよう、お助けくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
眠っているすべての子女たちを起こして、
お父様の前に導くべき責任を負った聖徒として、
担った使命を果たすために
不足がないようお助けくださり、
過去のどのような聖徒たちよりも、なお一層卓越することのできる
子女たちとなるようお助けくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
お父様の召しに応じて、ふさわしい歩みをする
子女たちとなるようお助けくださり、
サタンの嘲弄の種になる
子女たちとならないよう、お助けくださいますことを
お願い申し上げます。
自分を中心として天倫を酌み取るような
愚かな者たちとならないようお助けくださり、
ただお父様の栄光だけを表して、
この地上にお父様の恩賜を高めることのできる
子女たちとなるよう、お助けくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
今もお父様を呼び、
隠れた祭壇を積みながら、
み旨の道を尋ねて渇望する子女たちが
どれほどいるでしょうか?
彼らを捜すべき使命も
私たちが担っておりますので、
お父様、
そのような使命を果たすために
不足のないようにしてくださり、
すべての子女たちを
お父様が呼び集めてくださり、
私たちがお父様の大きな栄光のみ旨を
高めてさしあげることのできる日が、
早く早く来るようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
眠っている四十億人類を、
お父様の前に探し立てるべき使命が
私たちにありますので、
お父様、
私たちに下さったみ言をもち、
自信を持って進むときに、
場所ごとに生命の炎を呼び起こしてくださり、
復活の役事を呼び起こしてくださって、
お父様の喜びと栄光を
この地上に高めることのできる
子女たちとなるようお助けくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
今日まで数千年の間、
この地の人類のために苦労してこられた
キリストの懇切なる心情と、
私たちのためにお父様の前に訴えられるキリストの嘆息を、
解怨すべき責任が
私たちにあることを、
はっきり信じるようにしてください。
人間がなすべき責任を果たす前に、
天の基準を捨てることのないようにしてくださり、
ただ天だけが対してくださり得る
子女たちとなるよう許諾してください。
既に負わされた使命を、再び地に捨てる
子女たちとならないようお助けくださり、
お父様の栄光を最後まで表すことのできる
お父様の愛する子女、能力のある子女として立ててくださって、
遺恨のないようお助けくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
困難な環境の中で寂しい祭壇を積み、
お父様の前に叫びながら訴える子女たちを、
お父様、
自ら抱いてくださり、役事してください。
そうして、立派にみ旨を奉じていくことのできる
天の子女たちとなるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・五・二三)
6-3 お父様の恨みの心情を解怨する子女とならせてください
愛のお父様!
天上の恨みとして残されている闘いの歴史を、
終結させる人のいないことが、
あなたの嘆息であることを知りました。
人間たちによって植えられた堕落の根本の根を、
人間たちが引き抜いてしまうべきでございましたが、
長い歴史が経過したにもかかわらず、
いまだに人間たちは
その罪の根本の根を引き抜けずにおりますので、
お父様、
それを引き抜くことができるよう許諾してください。
私たちすべてが、
お父様の心情に徹して
一体となるよう許諾してくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
お父様の切ない心に
似るよう許諾してくださり、
お父様が望まれるその望みを、
私たちが新しくもつよう許諾してください。
残された恨みの歴史に責任を負い、
億万の怨讐サタンと闘うことができ、
天を代表して現れる
勇者たちとなるよう許諾してくださり、
地を代表して立つことのできる
勇者たちとなるよう許諾してください。
残された戦場で、
永遠なるお父様の愛の心情を互いに施し合うことのできる
喜びの園が築かれるときまで、
各自お父様のみ旨に
責任を負い、立つことができるよう許諾してください。
各自がお父様の全体的なみ旨を身代わりして、
サタンと闘うことのできる
お父様の勇猛なる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様の喜びの恩寵を、
私たちの体と心が
体恤するよう許諾してくださり、
私たちを中心として
再創造の役事を巻き起こしてください。
そうして、
罪悪の根を抱き、
闘って勝つことによって、
お父様の愛を体恤し、
お父様の前に栄光を帰し奉り得る
子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
今、聖霊の炎を、水を注ぐように注いでくださり、
あなたが選んだ子女たちが一つに団結し、
この暗い世の中と対決して
闘うことができるよう役事してくださり、
六千年の恨みの心情を身代わりして、
すべての悪を殲滅して立つ
あなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
今、残された戦場で、
お父様に負債を負う者たちとならないよう許諾してくださり、
永遠なる勝利の恩賜を
消化できるよう許諾してください。
お父様の祝福のその心情を
地上に表すことのできる、理想の園を建設する時まで、
百折不撓の勇士の心情をもち、
お父様のみ旨を立てていくことができるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・一〇・七)
6-4 強く雄々しい、心情的な息子・娘とならせてください
愛のお父様!
この者たちが、
アベルが叫んだ
哀願の訴えを聞くことのできる、
心情的な息子・娘となるよう許諾してください。
また、
アベルの血を身代わりして、
キリストがゴルゴタ山上で
血の祭物として捧げられるとき、
万民に語りたいみ言を語り尽くせず
恨みに徹したその心情を、
私たちの血を通して、
私たちの心を通して、
私たちの知覚を通して解くよう許諾してください。
歴史過程に来ては逝った
数多くの先知先烈たちの歩みが、
彼らだけの歩みであると思っておりましたのに、
今になってその歩みは、今日
私たちも歩むべき歩みであることを悟りました。
地上には多くの人がおりますのに、
取るに足らない私たちをお訪ねになり、
六千年の恨みを解いてくれることを望まれる、
あなたの事情を知る息子・娘となるよう
お導きください。
この地上には優れた人も多く、
立派な人も多く、
能力のある人も多くおりますのに、
足らない私たちをお訪ねになり、
「天の事情を知ってくれ」と語られる、
お父様の物悲しい事情を体恤することのできる
息子・娘となるようお導きくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
今日私たちは、
昔ヨシュアが強く雄々しかったのと同様に、
民族を身代わりして強く雄々しくなければならず、
世界を身代わりして強く雄々しくなければならず、
地を身代わりして強く雄々しくなければなりませんので、
お父様、
足らない私たちと共にいてください。
歴史的なすべての苦難を、
私たちの一身で
蕩減し、越えていくことができるよう
導いてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
死んでまた死んだとしても、
カナン福地を捜して入ってみせると言った、
ヨシュアとカレブのような
強く雄々しい群れが、世界のキリスト教徒の中から
早く早くたくさん現れるよう許諾してくださり、
天倫に基づく心情をもって
復活の生命の躍動感、
神様の生命の躍動感を感じ、
お父様と共に和動することのできる栄光のひと日を、
早く早く迎えられるよう
導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・六・二三)
6-5 新婦のような立場で責任を果たさせてください
お父様!
寂しい者たちをご案じになられる
お父様の心情が分からず、
かえって今まで、私たちのもどかしさを
お父様の前に解いてくれと訴える、
不忠不孝な立場にあった私たちを
受け入れてください。
天の心情がこのように悲痛であり、
このようにもどかしいということを悟り、
おそれ多くも、お父様に
私たちの事情を申し上げることができないということを、
分かるようにしてください。
お父様!
それだけでも足りませんので、
お父様の心配、
お父様の気掛かりを、
今日の私たちの一身を通して
解いてさしあげられるよう許諾してくださり、
お父様の前に、
私たちのすべてのものを捧げられる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
今日私たちが、
天に対する価値的な条件を、
私たちの実際の生活圏内で
立てるために努力しておりますので、
お父様、
共にいてください。
私たちは
天の全体的な価値の条件を立てるにおいて、
私たちの犠牲を
喜ぶことのできない足らない者たちでございましたが、
これからはお父様の前に
無限に利用されながらも、
楽しむことのできる心を持った息子・娘となりますので、
お父様、
許諾してください。
そのような私たちの歩みを、
サタンも遮ることができないということを知っておりますので、
きょうもあすも、
私たちの心が変わらないようお助けくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちが
新郎であられるイエス様の新婦になろうとするからには、
新郎が心配すれば私たちも心配し、
新郎が闘えば私たちも共に闘い、
死のうと生きようと、新郎と共に動じるべき
立場に処している私たちであることが
分かるよう許諾してくださり、
闘いの過程を経て、
解放の恩賜の中で
お父様の栄光を歌う、新郎の楽しみを
体恤する新婦の立場に立ててください。
そうして、
失ったすべてのものを捜し、
お父様の栄光を
喜びをもって誦詠してさしあげられるひと日が、
早く早く私たちの生涯路程に、
私たちの生活に、
私たちの心の上に現れるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五七・一〇・四)
6-6 天宙を代表する真の子女とならせてください
愛のお父様!
イエス様が地上に来られたのは
「私」一人を捜すために来られたのだと思いましたが、
それがすべてではなく、
「私」の家庭のために来られたのだと思いましたが、
それがすべてではなく、
選民イスラエルだけのために来られたのだと思いましたが、
そうではありませんでした。
ある教派のために来られた方でもございませんでした。
イエス様は全被造世界の望みであったと同時に、
そのすべての価値を身代わりして来られたということを
私たちが知りましたので、
お父様、
そのように
全体を復帰すべき使命を持ったイエス様の前に、
今日私たちは
どのような心を持っているでしょうか?
「私」の家庭をつかんで死のうという人々とならないよう
許諾してください。
「私」の民族、
「私」の国、
「私」の世界をつかんで死のうという人とならないよう
許諾してください。
「私」が生きても天地を代表し、
「私」が死んでも天地を代表して死ぬ、
すなわち天宙の生死の問題をかけて、生きることのできる人と
なるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
今日この被造万物の中に、
イエス様が復帰すべきみ旨が成されず、
嘆息のわめき声が残っているとするなら、
私たちによってそれを除去させてくださり、
イエス様とお父様まで安心させてさしあげ、
その心情まで通過して、
お父様と永遠なる因縁を結ぶことのできる
真の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
そうして
歴史的なすべての恨みを解怨し、
解怨の慰労を受けることができるよう、
お父様、
許諾してくださり、
共に進むことができるよう許諾してください。
私たちが万事を忘れ、
天を賛美してさしあげられる
真の孝子孝女たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・三・二三)
6-7 お父様を慰労してさしあげられる子女とならせてください
お父様!
私たちが生命を持ったとするなら、
その生命の原動力が
「私」一人で制限されないよう許諾してくださり、
み言の能力を持ったとするなら、
そのみ言が私たち一個人に
とどまらないよう許諾してください。
ひいては、そのみ言と生命の力が
民族を越え、世界を巻き込んで、
天と地を動かす力となることのできる
私たちとなるよう許諾してくださることを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
今、お父様を捜して立った私たち、
お父様はただ私たちが考えるように
栄光のお父様としてだけおられるのではなく、
十字架の峠をも越えておられるお父様であることを、
私たちは知りませんでした。
今日、
栄光の主を待ち望む人はたくさんいますが、
苦難の主に従っていこうという、
真の志を持った人がいませんので、
お父様、
かわいそうな人間たちを受け入れてください。
お父様!
今、祭物の峠を越えるべき私たちでございますが、
お父様が私たちを取り戻すために、
到底口では語ることのできない
苦労をしてこられたことを知るときに、
私たちはこの道を
行くまいとしても行かざるを得ないことを感じるものでございます。
残された歴史的なすべての負債を
蕩減すべき、全体的な使命が、
今日、私たちにあることを知っていますので、
私たちに足りなさがあるとするなら、
それを除去し、
負わされた使命を成就できるよう
許諾してください。
この民族のために、
あるいは世界のために、
あるいは天と地のために、先にこの民族を
お父様の前に立てることができるよう許諾してくださり、
また、そのようにしても残り得る
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
六千年の歴史過程で残された、
罪悪のわめき声を聞いている私たち、
これからはアダムとエバの立場を経て、
新しい善の先祖たちとして越えていくべき
立場に立っているということを知っていますので、
現実のすべてのものを踏み越えて、
新しい世界を創建する
天の役軍として立ててくださいますことを、
愛のお父様、
懇切にお願い申し上げます。
今まで私たちを慰労なさったお父様を捜しました。
慰労を受けるために捜しましたが、
今からは慰労してくださるそのお父様の身代わりとして、
主にかえって侍ることのできる
私たちとなるよう許諾してください。
また、
この使命を成就するために心を砕いた
私たちのすべての能力が、
私たちの心にその望みが果たされるときまで、
残っていることができるよう、
お導きくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
愛する主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・五・四)
6-8 お父様の愛による安息を捜させてください
お父様!
歴史の流れを多くの人間たちは知りませんが、
お父様が自ら摂理のみ旨を
営んでこられたことを
私たちは知っております。
きょうこの場のあなたの息子・娘たち、
今自分がどのような環境に処しているかを、
自ら批判するよう許諾してください。
体を捜すために、
体の安息を捜すために
生きている者がいるでしょうか?
心の安息だけのために
生きている者がいるでしょうか?
今から、お父様の愛によって
安息を捜すことのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
これが、人間が行くべき
必然的な復帰の路程であることを知りました。
堕落によってこれを失ってしまったがゆえに、
信仰と実体とみ言と
愛を捜してさまよってきた人類歴史の前に、
凛々しく立ち上がることができるよう許諾してくださり、
天的な心情と
天的な愛と
天的な願いを持ち、
この地のすべての万物の前に
堂々と立つことのできる息子・娘となるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
永遠なる生命をもって、
私たちの体と心を永遠に抱いてくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五八・一二・一四)
6-9 お父様の勧告を貴ぶ子女とならせてください
選んだ群れを祝福なさった方もあなたでしたから、
これを成就させる方もあなたであることを知っています。
私たちの心の根本は善であり、
また善を通して動じることを知っていますし、
善の目的も、
歴史的な目的も、
摂理的な目的も、
お父様を中心として
一つになるものであることを知っています。
それゆえ、善の心霊を通して、欽慕する
理念的な頂点が結実されるよう
許諾してくださり、
その理念どおりになるために、
うまずたゆまず進むことのできる自分を立てる
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
今、私たちの心がどの方向を向いており、
私たちの体がどこに向いて動いているのかを
察するよう許諾してください。
今、私たちの心が、
お父様を慕い、善を欽慕することに、
すべての精力を傾けられるよう許諾してくださり、
私たちの体が
善をつかむためにあえぎ、
焦るみ手を感じ、
お父様を呼ぶことができるよう許諾してください。
お父様をつかんで切に求めてきたのが、
六千年の歴史だということを知っていますので、
お父様の前に率直な自らを立てて敬拝し、
自分のすべての事情をありのままに告げ、
命じられる勧告を受けることのできる
この時間となるよう、許諾してくださることを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
人が「違う」と言う道に追い出される方も
お父様でしたし、
行くことの困難な道にお導きになられる方も
お父様でしたので、
お父様がこの道に責任を負ってください。
私たちは、ある人間の心によって
動いたのでもありませんし、
ある人間の事情に
引っ張られてきたのでもありません。
行くまいとしても行かざるを得ない
心の力に引かれて、この場まで来ましたので、
怠けないようにお導きください。
あなたがせき立てられる
勧告のみ言に気づかない私たちですので、
み言を悟って、
そのみ言の方向に向かって進むよう、
時間ごとに力の衝撃を加えてください。
そうして、
あなたに向かって進む過程で、
落後する人がないようにしてくださることを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
今、自分のすべてのものを
お父様の前に差し出せるように許諾してくださり、
私たちによってお父様の祭壇を
汚すことがないよう許諾してくださり、
誠心を尽くして
お父様の前に祭物をお捧げしようと、ひれ伏す
この時間となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一・一八)
6-10 お父様のものとしてだけ動じ得るようにしてください
私たち自身を、
自分のものだと考える者と
ならないようにしてください。
私たちの心は私たちのものではなく、
動いている私たちの生命も私たちのものではなく、
望んでいる欲望も私たちのものではありませんので、
私たち自身を中心として推し量る心を持って、
天に対さないよう許諾してください。
お父様のものとして始まった私たちですので、
お父様のものとしてだけ動くことのできる
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
私たちの心が
お父様のものとならなければならず、
私たちの体も
お父様のものとならなければならず、
私たちの主義主張も
お父様のものとなるべきことを知っておりますので、
お父様のものでないすべてのものは、
受け入れないでください。
私たちの心と体に、
お父様が願わない
悪の要素があるならば、除去してくださり、
お父様のものではない
すべての主義主張を除去してくださって、
ただお父様のものとしてだけ動じることのできる
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
無数なるサタンが、
私たちの心と体を狙っていることを
知っております。
お父様が受け入れることのできない
罪の苦い根が残っているなら、
お父様!
顕現なさり、能力の権限をもって
再創造の役事を巻き起こしてくださり、
私たちの心がお父様の前に屈伏できるよう
天の役事を巻き起こしてくださることを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
天が動かれるとき
地が動かざるを得ず、
地が天に対して要求するとき
天が成してあげざるを得ないという事実を
知っております。
今日、真情なる心を持ち、真の心情で
天を自分のものとしてつかむために闘う、
天の息子・娘がいるでしょうか?
天のすべての事情を自分の事情として知り、
天の事柄を自分の事柄として知り、
天の理念を自分の理念として知り、
これをつかむために闘い、
これをつかむために辱められ、
これをつかむために追われながら、
一生涯を生きた者がいるでしょうか?
私たちがそのような立場にいないとするなら、
私たちは天の前に受け入れられない
犯罪者であることを、あからさまに告げることができますよう
許諾してください。
今、天がおられることを知り、
天のお父様がどなたであられるかを知りました。
お父様と私たちは
ある因縁を結ぶべき必然的な条件が
残っているということを知っていますので、
お父様、
きょうこのような心情を通して
天のお父様と因縁を結び、
お父様の悲しみを「私」の悲しみとして、
お父様の痛嘆と悲嘆を「私」の痛嘆と悲嘆として
感じられるよう許諾してください。
サタンと激戦を交えるために立った天的な行軍が、
この民族の前に現れるよう許諾してくださり、
この地上に現れるよう許諾してください。
六千年間天に対して讒訴した怨讐サタンたちを、
この地球上から追い出し、
お父様の恨みを解いてさしあげ、
お探しになった理想の園を早く早く建設できるよう、
許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・三・一五)
6-11 歴史的解怨のために先駆けさせてください
お父様は万軍のお父様であられ、
万宇宙の主人であられ、
全天下の権限を持たれた主人公であられましたが、
息子・娘たちが誤ったことによって、
このようにかわいそうな事情に処しておられますので、
そのお父様の心情を、
この時間私たちが分かるよう許諾してください。
私たちをして、
残された摂理の恨みの峠を眺め、
敗者のように
弱い者たちとならないようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
哀れみのお父様!
愛のお父様!
きょう私たちの心情に、
お父様の約束のみ旨が生きているなら
保護してください。
お父様の前にひざまずき、大声で泣きながら
心情の祭壇を積む、
愛する息子・娘たちとなるよう
許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
私たちがお父様の前に現れるとき、
すべての困難を意に介さずに行くことを覚悟なさった、
イエス様のその寂しい心情を体恤することができました。
今、覚悟して立った私たちが抱いている
望みを、誇るべき時が来ましたので、
天の側に立って先駆けていくようにしてくださり、
天が残したかったものを
残せるようにしてください。
今、心情に心情を加えて、
お父様を慰労し、お父様のために闘うことのできる
真の群れをつかんでくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
歴史的な転換の気運が、
今日私たちに現れていますので、
私たちをして、
歴史的な解怨をする群れとならせてください。
お父様の立てたみ旨の前において、
自分が足りなさを感じなければならず、
逆境の中でもお父様を信じて
お父様の祭壇を建設しようとした、
モーセの心情を身代わりできる
息子・娘となるよう許諾してくださることを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様の心配と
お父様の苦痛と
お父様の苦労は、
今日私たちがぶつかるものとは比較になりません。
無限の苦労の路程を歩みゆき歩みこられた
お父様の、その実情を
知ろうとする者たちとなるよう許諾してくださり、
無限の苦痛の道を歩まれる
お父様の性相を
知ろうとする者たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
今日私たちがぶつかっている憤懣やるかたなさ、
私たちが受けている非難、
私たちが受けている迫害、
このすべてのものを越えて立つことができるようにしてくださり、
私たちがどのような立場にあるとしても躊躇せず、
お父様のために進むことができるよう
お導きください。
このすべての事実を、私たちに
深く分かるよう諭してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
最後の勝利の土台の上に立つ時まで、
お父様が
案じる心情をもって勧告してくださり、
そのすべてのものを意に介さない
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお捧げ申し上げました。アーメン。
(一九五九・三・二九)
6-12 本然の心情を通して命令してください
お父様!
お父様の心情に徹する
私たちの心と体となるよう許諾してください。
本然のその心に徹する、
お父様の心情に引かれていくのを
感じることのできる私たちとなるようにしてください。
お父様の喜ばれる姿に対して、
お父様のもとに走っていき、
お父様の首を抱くことのできる徹した心情が、
私たちの体と心に芽生えるよう許諾してください。
隠々たる中、そこはかとなく顕現なさり、
私たちの心を打ち明ける前には、
動かれないお父様であられることを知りました。
今、私たちの心が汚されたとはいえ、
お父様に向かう忠心だけは持っておりますので、
お父様、
この心情を通して私たちを尋ねてくださり、
この心情を通して命令してください。
体の足りなさを悔い、
過去の生活が不忠であったことを悟り、
自分も知らない間に涙を流しながら、
お父様を「わがお父様」と呼ぶことのできる
懇切な心情がにじみ出るよう許諾してください。
天は誰を保護することをも躊躇なさらないことを知りました。
天を求めてくる者の友となることを
躊躇しないということも知りました。
天は
天に向かって泣き叫び、涙を注ぐ者たちの友であり、
永遠に共に生きる父として現れることを
好まれるということを知りました。
お父様! 隠々たる中で勧告なさった
お父様の声が慕わしく、
隠々たる中で抱いてくださった、
その驚くべき愛の感触が慕わしく思われます。
そのような私たちの心を通して
「お父様」と呼ぶことのできる一瞬が慕わしく、
手を挙げて
「わがお父様」と誇りたいし、叫びたいのでございます。
はるか遠くにおられるお父様であると思いましたが、
私たちの心の中におられる
お父様に出会ったその瞬間がうれしかったのでございます。
遠いというとき近い心中におられ、
心中におられると安心しているとき、
遠くで叫ばれていたお父様であられましたが、
今日人間たちは、
ここに拍子を合わせようとせずにいるものでございます。
私たちをお捨てになったと思ったその場が、
お父様と近い場であり、
私たちと共におられないと思ったその場が、
お父様が私たちと共におられた場だということが
分からなかった過去の私たち自身を、
この時間悔いるようにしてください。
「愛する息子」と命名なさり、
「愛する娘」と命名なさるからには、
その息子・娘たちを苦労の立場に置きたくない、
お父様の心を知りませんでした。
お父様の曲折の心情を知らない私たちは、
苦労の道にほうり出したお父様を
薄情で無情なお父様であると思い、
その間お父様に対して自嘆したときも多くあり、
恨むときも多くありました。
お父様と私たちの間に立ちはだかった
曲折の壁を知らずに
恨みもし、
排斥もし、
無情な態度で対し、
不信する立場に立つこともあったことを、
お父様、
お許しください。
これは、私たちの先祖が堕落することによって、
台なしにした罪状ゆえであり、
人類歴史上に恨みの血痕を残し、
先知先烈たちが死んだがゆえであることを知りました。
きょう、私たちの心の基準は高い位置にあるでしょうか?
その心を燃やして取り除いてください。
「私」の体と「私」の威信を掲げて、
神様を身代わりして
現れることを待ち望んでいるでしょうか?
お父様の性相の前に
面目のないこの体を打ち、
悲惨な立場におられたお父様であることを悟り、
お父様を呼ばうとする息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
今残った道にも、数限りなく続く
苦難の歴史が残っていることを知りますときに、
今日の不忠を、お父様の前に
頭を下げて申し上げざるを得ないものでございます。
願わくは、歴史の悲しみを
この一つの体に備えるよう許諾してくださり、
残された苦難のすべても、
この一つの体を祭物として
踏み越えるよう許諾してください。
お父様が安息することができ、
すべての嘆息を忘れて
喜びの一瞬を迎え、互いに抱き合い、
「わがお父様、わが息子」と呼ぶことのできる
その瞬間が慕わしいものでございます。
私たちがどのような犠牲と
どのような覚悟と
どのような悲惨な姿をもって
地上で生きるとしましても、
その忠節の一片丹心は
この地上に立てて消えることのできる
息子・娘となるよう許諾してください。
そのような道を行くことを覚悟している私たちですので、
お父様、
意に介さないよう追いやってくださり、
導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
新しい心と体をもって覚悟し
誓うことのできるこの時間となりますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・三・二九)
6-13 悲しいお父様に侍りゆく信仰の道とならせてください
お父様は
静かな中で
顕現なさることを好まれ、
困難な中に
現れることを意に介されませんでした。
戦場でも自ら
私たちと共に闘ってくださり、
落胆の場でも
私たちと共にいてくださった、歴史性を帯びたお父様であられたことを、
私たちが再び悟りますときに、
いつも私たちと共におられ、
いつも私たちと共に闘ってくださり、
いつも私たちと共に生きることを
待ち望まれたお父様であられることを考えますときに、
地で生きながらも地を排斥し、
拒否することを好んだ、過ぎし日の信仰路程を
悔いるようにしてください。
超然とした立場で好んで侍ったお父様は、
栄光のお父様でございましたが、
地上に顕現なさったお父様は
かわいそうであり、
やつれ、
物悲しいお父様であられたことを知りました。
また、そのような姿で私たちに対してこられたことを、
歴史過程を通して学び知りました。
今私たち、
栄光の中で顕現なさったお父様に侍り
楽しむのではなく、
地上で痛手を負い、困難に悩まされながら
真の息子を捜すために苦労された、
そのお父様に侍ることのできる、
栄光の立場に立つようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
そのような立場でお父様に侍ろうとするからには、
まず涙の道を行くべきであり、
いばらの道を行くべきであり、
十字架の苦難の道を越えなければならないということを知るものでございます。
そうしてこそ、お父様がおられるという事実が
分かることを知るものでございます。
私たちに
このような物悲しい信仰路程が残っていることを、
考えないわけには参りません。
天が、
今は眠りから目覚める時だと予告なさいました。
暗い夜に
光明なる明かりをともすべき時であると予告なさいましたのに、
私たちの心がやみに閉ざされているのではないでしょうか?
私たちの体が死亡の絶望に縛られているのではないでしょうか?
これを切り開いて、
天に向かって走ることができ、
天を身代わりして闘うことができ、
天を身代わりして責任を負うことができるよう
お導きください。
そうして、「お父様」と呼ぶことができ、
お父様が来られるのを待ち望む
息子・娘とならなければならないことを知っておりますので、
お父様、
み旨の前に立つに不足なる者がおりますなら、
この時間激励してください。
時と時機が切迫したことを分からせてくださり、
死の陰に巻き込まれて
審判される者とならず、
生命の召しに引かれてお父様の懐を求め、
その体が裂かれて死ぬとしても、
自由の園に向かって
走って行くことのできる
息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・四・一九)
6-14 お父様の苦労の路程を尋ねさせてください
お父様がおられる所は無限なる忍耐の世界であり、
無限に苦労する場だということを、
私たちは知っております。
先祖以来
今まで、台なしにされたすべての罪状に対される
お父様の心情とみ旨を知る私たちは、
創造本然の存在を捜すために、
この上ない苦労の道と
忍耐の道を歩んでこられたお父様の前に、
心苦しい心情をもって
頭を下げざるを得ません。
長い長い歳月を、一日のように
私たちの先祖と共に忍耐され、
先祖と共に闘ってこられながら、
人間たちをつかむためにあえいでこられたお父様を、
私たちがこの時間心を広げ、
体を低くして心の中に侍り奉り、
体でつかむことができるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
地上に生きている数多くの人々の中で、
苦労の道を避けていく人はたくさんおりますが、
あなたの事情を知り、
あなたの心情を心と体に備えるために、
苦労の道を求めていく人は、
とても少ないということを知るものでございます。
お父様のために忠誠を尽くし、
お父様のために祭物となって
お父様の祭壇をつくり、
お父様の忍耐なさる心情を
地上に表す人間たちが
とても少ないということを知りますときに、
お父様は
この上なくかわいそうな方であられることを知るものでございます。
人間を愛しながらも
嘆息なさるお父様であられ、
人間に対して
ご案じになり、苦労なさるお父様であられることを、
私たちは感じないわけには参りません。
わがお父様!
今、そのようなお父様の事情が、
地上に生きている人類の前に移される日が、
早く早く臨むようにしてください。
全人類の心ごとに、
そのようなお父様の事情が染み渡るようになることを、
懇切に待ち望んでおります。
お父様!
このひと日、
この聖なる日に、
あなたに向かってひざまずき、頭を下げて
福を受けることを待ち望む群れがたくさんおりますが、
福は天のものであり、
苦労と苦難と忍耐の路程は、
人間が担当すべきものであることを
知る群れとなるようにしてください。
私たちに喜びがあるとするなら、
それをお父様のものとして帰し、
幸福と感謝する心情があるとするなら、
それもお父様のものとして帰すよう許諾してくださり、
悲嘆と恨みに徹したお父様の悲しみの路程を、
私たちのものとして引き受ける、お父様の息子・娘たちとなるよう
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・五・二四)
6-15 お父様の解放を歌えるようにしてください
お父様!
私たちは
お父様の悲しい歴史路程を回想するなら、
おそれ入る心を禁ずることができず、
苦労なさるお父様の性相に対する時ごとに、
おそれ多い心を禁ずることができません。
今、この者たちが自分の体と心を祭物として捧げ
お父様の苦労を減らしてさしあげられ、
止めてさしあげられる
息子・娘たちとなるようお立てください。
あなたは楽しむことができ、
喜びの場で解放を歌うことのできる
勝利のひと日が早く来ることを待ち望まれましたが、
その解放のみ旨を成すのはあなたではなく、
死亡圏であえぐ
不肖なる私たち人間でなければならないという事実を、
私たちは知っております。
このように重要な立場に処している
人間自身の価値を知らないまま、
死亡の路程であえいでいる
人類を受け入れてくださり、
今私たちに、
本然の心情を回復するための新しい価値を掲げ
お父様の栄光の心情を歌うことのできる
懇切な心を呼び起こしてください。
本然の性相と本然の形状を備え、
真なる息子・娘の姿を備えて、
お父様の解放を
歌うことができるようにしてください。
これが私たちの千秋の願いであるのを、
お父様がご存じであることを知っております。
お父様、
勝利のひと日が来ることを知る私たち、
勝利の一基準の立場に
私たちを導いてくださり、
任せようとなさる大きなみ旨の前に、
祭物となることのできる私たちとなるよう、導いてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちが足らない精誠を束ね、
生きた祭壇を備えるよう許諾してください。
私たちの一人ひとりが
勝利の祭物とならなければならないことを
予告しているという事実を知っておりますので、
お父様の前に正しくないもの一切を
除去させてくださり、
お父様、
権能のみ手を広げ、
新しい再創造の権限を呼び起こしてください。
お父様のもの以外の一切を除去させることのできる、
本然の再創造の性相を備えさせてくださり、
形状を備えさせてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
今、お父様!
眠っているこの民族を覚ましてくださり、
塗炭の苦しみの中でさまよっている人類を、
お父様の掌中に置いてくださり、
この者たちをひと所に集め、
お父様の本郷の園、
お父様が理想となさる善の園に
導いてください。
どのような迫害とどのような患難を経たとしても、
この人類を早くお父様の願われる
園の中に導いてくださることを、
懇切にお願い申し上げます。
そのためにはお父様!
人間が実践しなければならない
責任があるということを知っておりますので、
お父様、
愛する息子・娘たちに命令してください。
残された罪悪の地と
残された民を捜すべき責任があるとするなら、
この者たちを起こして命令してくださり、
勝利の園を建設することのできる
天の精兵として、
役軍として、
お父様が願われる所に
命令して送ることができるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・六・二八)
6-16 お父様! おそれ多く恵み深こうございます!
お父様!
おそれ多く恵み深こうございます!
知ってみると、この道は
歩むにはとてつもない道であり、
思えば思うほど、
胸をかきむしってもやめることのできない
悲しい道であることを知りました。
一日でもなく
何年でもない、
六千年という長い長い歳月、
私たちを捜してこられたお父様!
私たちはお父様を
どれほど狂うような立場に置いておき、
お父様をどれほど悔しい立場にとどめさせ、
また私たちが
どれほど不孝の立場にとどまっていたかを
悟るこの時間となるよう許諾してください。
この因縁を結ぶ前には、
この世のものを持って泣きわめいた私たち、
罪人中の罪人であることを悟らせてください。
ここに訪ねてきた私たちの望みは何でございましょうか?
きれいな服を着た者を訪ねてきたのでもなく、
権勢のある者を訪ねてきたのでもなく、
欲望のために来たのでもありません。
ただお父様の愛が慕わしく、
お父様の情が慕わしく、
お父様の因縁が慕わしくて参りましたので、
お父様、
お父様の涙があるとするなら、
私たちもその涙を持つよう許諾してくださり、
お父様の苦痛があるとするなら、
私たちもその苦痛を持つよう許諾してください。
喜ばしい歴史を尋ねてさまよう王子とならず、
悲しみと苦痛の歴史に身代わりして責任を負い、
蕩減する王子とならなければならないことを、
私たちが分かるようにしてください。
このような立場で勝利した息子・娘、
天と地の前に誇ることのできる息子・娘を
待ち望んでいるということを、私たちは知りました。
また、神様が六千年の間苦労されたのは、
愛する息子・娘たちを立てるためであったことを知りました。
今日、私たちの前に任せられた責任を果たし、
任せられた義務を果たす私たちとなるようにしてくださることを、
懇切にお願い申し上げます。
孝子の中の孝子、
孝女の中の孝女、
忠臣の中の忠臣となることのできる
息子・娘たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
そうして、
歴史的なお父様が「私」のお父様となり、
時代的なお父様が「私」のお父様となり、
未来的なお父様が「私」のお父様となられ、
宇宙全体を動員して楽しみの歌を歌う
喜びのひと日が来る時まで、
お父様、
この者たちを抱いてくださり、保護してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・一〇・一一)
6-17 恨みを残さない子女とならせてください
お父様!
私たちは行きます。
私たちは誇ります。
私たちは越えます。
私たちはこのみ旨を抱いて倒れます。
反対者がいくら多くとも、
「私たちはお父様の息子・娘であり、
お父様は私たちの父であることを、
心情的に結束した私たちとお父様の関係を、
どこの誰が蹂躙できるでしょうか?
この節義と気概だけを自負したいです。
この節義と気概だけを千秋に残したいです」と
言い得る息子・娘たちとなるよう許諾してください。
お父様!
知らせてくださった恩賜、おそれ多く思います。
無知でしたが従順であった先祖たちの前に面目がなく、
殉教者たちの前におそれ多く思います。
また、お亡くなりになったひとり子イエスの前におそれ多く思います。
取るに足らず資格のない私たちに、
消化することの難しい恩賜をお与えくださいましたのに、
感謝の涙を流せなかったことを
受け入れてください。
生きてお父様の息子となるべきことを知り、
死ぬ前にお父様の愛を
高く賛揚すべきことを知りました。
ですので、
恨みを残さず、
一度でもそのような息子・娘となって、
お父様に侍って死ぬことのできる
私たちとなるよう許諾してください。
これが私たちの願いであり、
お父様の願いであることが分かるようにしてくださり、
(これが)お父様のあだを討つことであり、
サタンを撲滅することだということが分かるようにしてくださることを、
懇切にお願い申し上げます。
天の主権を立てる時まで、
耐え、犠牲になり、譲歩し、倒れながらも
このみ旨が成就されるひと日のために、
息が詰まったとしましても、
祈祷しながら闘っていく息子・娘たちとなるように
してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。
世界の前に任せられた責任を、
私たちが団結して成就しても余りあるよう、
自ら共にいてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六〇・一・一七)
6-18 お父様に侍り奉る忠孝の道を歩ませてください
お父様!
私たちの困難ゆえに、
無限に涙を流したことを受け入れてください。
私たちが困難なときは、
歯がみをし、胸をかきむしったりしました。
これがお父様の前にどれほど受け入れ難い
姿であったかを分かるようにしてください。
お父様、
このようなことは、天の悲しみを忘れた
背反者にありそうなこととして、
天の悲しみを知る群れには
夢にも、もってのほかであることを分かるようにしてください。
悲しくても喜び、
困難でも喜び、
死んでも感謝することだけが、
お父様の前に
少しでも自分の責任を果たすことであり、
お尋ねになるお父様の形状の前に
恥ずかしさを避け得ることであるのを知りました。
今、私たちが
どのような立場にいるかということが問題でございます。
私たちは、いつ、尋ねてこられたお父様を迎え、
飢えたお父様に召し上がってもらうようにし、
のどが渇いたお父様に飲ませ、
ぼろをまとったお父様に着せ、
貧しいお父様を尋ね、
病にかかったお父様を訪問したでしょうか?
そのような場が、いつも
お父様に侍ることのできる場だとおっしゃいました。
私たちは
全体の祭物にならなければならないということを知りましたし、
大のために小を犠牲にすることが、
歴史的な鉄則であることを知りました。
その上に天的な摂理のみ旨を立てるためには、
大きな犠牲を払わなければならないことを知りましたので、
自分の悲しみを押さえ、
お父様の悲しみをより心配し、
自分の気掛かりを押さえ、
お父様の気掛かりをより心配し、
自分の憤懣やるかたなさを押さえ、
お父様の憤懣やるかたなさをより心配するようにしてください。
そのような息子・娘となるとするなら、
天の心情が共にあるということを分かるようにしてください。
自分の苦痛があるときあなたを見捨てた私たちであり、
自分の悲しみがあるときあなたの前に(それを)申し上げた私たちであり、
自分の憤懣があるときこの憤懣を引き受けてくれと、
あなたの前に訴えた私たちでございました。
これは孝子の道理ではなく、
忠臣、烈女の道理でないことを知りました。
私たちが
悲しい場、死の場に置かれることがあったとしても、
あなたが憤懣やるかたないことにぶつかっておられるなら、
その憤懣を背負おうとする者となるべき
私たちであることを知りましたし、
私たちが地上で
立つのに骨の折れる困難な場に立っているとしても、
あなたがそのような場におられるなら、
その場から出してさしあげるべき
私たちであることを知りました。
お父様!
私たちの心の門を開いてくださって、
あなたが臨んでくださり、
復帰路程で積もったあなたの恨みをお解きになり、
私たちが心でお父様に侍る喜びと栄光が、
この世界全天地の万物にまで
及び得るようにしてください。
その日をお父様が
無限に待ち望んでおられるということを知ったので、
私たちもその日のために闘いに闘い、
泣きに泣きながら進む私たちとなるようにしてください。
お父様に侍る栄光の祭壇まで
「私はこのようにお父様の前に忠誠を尽くします」という
心の基準を立て、
飛び出そうとする
私たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六〇・五・二二)
6-19 お父様を思慕する真の息子・娘とならせてください
お父様!
私たちは心からあなたの望みを、
あなたの事情を、
あなたの心情を知りたく思うものでございます。
そのような立場で、
あなたを「わがお父様」と呼ぶことのでき、
「永遠に侍ることのできる
国を捜し立てる」と誓う息子・娘を、
お父様はどれほど慕い、捜してこられたか、
私たちはよく知っております。
そのような希望の場でお父様を呼んでさしあげた方は、
この地上に来ては逝ったイエス・キリストしかいなかったということを、
また知っております。
彼はあなたの望みを知りましたし、
あなたの事情を知りましたし、
あなたの心情を知りました。
あなたの望みは、歴史路程で蹂躙され、
時代的環境から排斥されましたし、
未来の環境を開拓するにおいて、
困難な望みとして
残されているということを知りました。
あなたのその事情は哀切な涙の事情であり、
どこの誰も
同情しようとしても同情できない環境に置かれた事情であり、
人類と共に死の道を行きながら
身もだえすべき事情だということを、
またあなたの心情、
すなわちアダムを失うときの無念で悔しい心情と、
メシヤをお送りになり、もどかしがられる心情を、
彼はお父様の立場で感じたのでございます。
そして、あなたの望みと
あなたの事情とあなたの心情を失わず、
あなたの極めて大きいみ旨と理念を望みながら、
黙々と準備期間を経つつ、
死ぬことを覚悟し、お父様の前に誓いをし、
開拓の道に立ったことを知るものでございます。
十字架を前に置き、
成されずに残された望みを心に抱いたまま、
お父様の前に立ち返らなければならない
自分の事情を物悲しく感じながらも、
不孝という名詞を除去するために、
忠誠の道理を立てて
父母に仕える誠心の道理を尽くそうとした、
イエス様の心情を私たちは知りました。
そのような立場でお父様を呼ぶことのできる
真の息子と真の娘を、
あなたはどれほどお慕いになられたでしょうか?
その息子の手で怨讐を屈伏させ、
その娘の手で怨讐を滅亡させ、
子女が一つになって
「恨み多いこの地に対するあなたの願いと
あなたの解怨を成してください!
そして、栄光をお受けください!」と言って、
勝利の凱歌を歌い、あなたを思慕する
真の息子・娘をどれほど待ち望まれたでしょうか?
あなたは、そのような息子・娘たちが、
そのような立場であなたの名前をもって呼んでくれることを
侍ち望まれるということを知るものでございます。
私たちすべては、お父様だけをつかみ、
お父様の前に父母への誠心を尽くし、忠誠を尽くし、
お父様の威信を立ててさしあげる
忠臣、烈女たちとなることを望んでおります。
そのような立場で「わがお父様」と呼ぶことができ、
また「わがお父様」として侍ることができますことを、
懇切に望んでおります。
私たちは
真情でお父様を呼ぶことのできる
真の息子・娘、
お父様を心から愛することのできる
真の忠臣、烈女となることを願うだけでございます。
これだけが私たちの財産であり、
これだけが私たちの生涯の目的でございます。
今までこの道のために、
ありとあらゆる試練を消化しながら生きてきて、
きょうもこの道を歩んでおります。
これから、また行かなければならないので、
死が立ちはだかろうとも、
お父様に悲しみを帰すことのない
私たちとなるようにしてください。
私たちが悲しい立場にあるとき、
それをお父様の悲しみとして考えながら、
互いに抱き合い、慰労することができなければならず、
そのお父様とその息子を慕い、尋ねようとする
私たちとならなければなりません。
そのような者は、ぼろをまとおうとも
あなたの息子とならざるを得ず、
排斥される立場で
最後の運命を迎えて消えたとしても、
あなたの息子とならざるを得ず、
その息子とその息子が呼ぶお父様が、
この天地間に現れるのが堕落歴史の終末であり、
復帰路程の願いであることを、私たちは知っております。
世界的な息子として立てることができ、
天と地の全体を、彼の前に遺業として任せることのできる
一人息子がこの地に来るのが、
再臨理想であることを私たちは知りました。
ですので、私たちがそのような立場で
お父様の内情的な心情を相続し、
お父様の外的なすべての事情を相続し、
お父様の全体的な遺業を相続することのできる
真の息子・娘として、
この地上の世界を支配し、
残された群れを統率して、
お父様の前に導いていくことができるよう許諾してくださり、
残された怨讐を掃討して
再審判できるようにしてください。
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六五・一・三)
6-20 すべての精誠を捧げ、侍り奉る真の孝子とならせてください
お父様!
私たちは
ついて行く群れとなってはなりません。
お父様の前に、
民族の前に、
人類の前に、
先発隊として現れ得る者となるように
してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。
お父様!
あなたは、多くの日々を
悲しみの中で心を砕かれたことが恨みであり、
多くの人々が天に背反した
逆賊の群れとなったことが恨みでありましたので、
この恨み多い日と恨み多い事由を背負うべき
私たちであることをよく知っております。
今、私たちがその荷に責任を負い、引き受けて、
全宇宙万物のために、
天の祭物として捧げられることをうれしく思う、
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
今、この時間、私たちは
過ぎし日のすべてのことをあからさまに告げてしまい、
純粋できれいな心に
お父様を慕う心と欽慕の情だけが、
私たちの心に満たされるよう望んでおります。
そうして、
あなたがどのような事情を持っておられようと、
あなたがどのような姿をしておられようと、
それを意に介さず、
あなたに精誠を尽くし、侍り奉ることのできる
真の孝子孝女の姿を備えることができるよう
許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
今私たちは、
お父様の前にありとあらゆる精誠を束ねて捧げ、
謙遜にひれ伏してお父様を呼ぶことができ、
お父様の懐に抱かれ、限りなくむせび泣くことのできる
懇切なる心を、この時間各自が持つようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
今まで尋ねこられたお父様は、
ほかの人のお父様ではありませんでした。
「私」のお父様であり、
私たちのお父様であることを知りましたので、
そのお父様と因縁を結ぶべき
復帰の運命の途上に立っているこの悲しい子供たちを、
再びあなたの懐に抱いてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六六・一・二)
6-21 真の孝子となり、責任を完遂させてください
お父様!
あなたが、永遠に離れようとしても離れることのできない
私たちのお父様であることを知りませんでした。
あなたの悲しみは何でしょうか?
子供を失い、歴史を失ったことが
あなたの悲しみであったことを、私たちは知りませんでした。
しかし、
今あなたの哀切に命じられる理念に従い、
この場にひれ伏しましたので、
心から感謝をお捧げ申し上げます。
歴史的な恨みが残っている限り、
あなたの恨みも残っており、
歴史的な悲しみが残っている限り、
あなたの悲しみが残っているということを知る、
真の孝子孝女たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
このような歴史の流れを遮り、
あなたの前に祭壇を積むことを、
民族と世界に連結しなければならない、
世界的なゴルゴタの道が
残っているということを痛感する、
あなたの子女たちが現れるべき時が参りました。
ここに集まったあなたの子女たちは、
きょうまで誰のために生きてきたでしょうか?
また、何を眺めて進んでいるでしょうか?
天がお残しになった歴史の全体的な運命に、
責任を負うべき使命が私たちにあり、
その使命を果たそうと、覚悟し誓い立った
私たちの歩みですので、
躊躇したり、途中で放棄しないようにしてください。
怨讐である悪と対決して、決して敗れて
ひざまずく群れとならないようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
きょうも数多くの民族を代表して、
お父様の祭壇にひれ伏した寂しい群れを
覚えてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。
その上、三千里(=韓国)津々浦々の寂しい追われた道でも、
かえって天と人類を案じ、
民族の嘆息を身代わりしようと
身もだえするあなたの子女たちが、
きょうもここを仰ぎながら涙ぐんでおりますので、
彼らを覚えてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
このすべてのものが、
お父様の悲しい歴史の因縁であったことを知りました。
私たちの前に残された
悲しい因縁と悲しい歴史が清算されない限り、
この道から逃避したり、この道を避けていく
恩知らずな子女たちとならないようにしてください。
孝子の道理を学び、
忠臣の節義と気概を学ぼうとする
真のあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六六・三・一三)
6-22 真の息子・娘の資格を持たせてください
お父様の前に父母への誠心を誓うことができ、
あなたの心の中にとどまることのできる
息子・娘の姿となるようにしてください。
お父様!
お父様を愛さずにはいられない
恋しい心と欽慕の心がつのり、
自分の意識を失い、倒れて
死んでいくとしても、
お父様を慕う
息子・娘となるよう許諾してください。
お父様のみ旨を成就すべき目的を持ち、
ありとあらゆる忠誠と犠牲を捧げても足らない自らであることを、
恥じようとする多くの子女たちとなるよう、
お父様が待ち望んでおられるということを、
私たちは知りませんでした。
統一の子女たちが、
自分自らの喜びをお父様の前に見せそうなので、
その顔を覆い、自分の喜びを押さえつけながら、
天のお父様の喜ばしい姿を見るために努力しようとする、
あなたの子女たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
み旨の前に立った先鋒の勇士として、
現実的関係で引っかかる内容が
何もないようにしてください。
完全なお父様の愛を中心としては、
個体も一つの血統を受けた
貴い兄弟であることをよく知っておりますので、
お父様の悲しみに共に動じ静じようとする
子女たちとなるようにしてください。
お父様のくびきを身代わりして背負い、
そのくびきを解いてさしあげることのできる
真の孝子孝女たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
ここに集まったあなたの子女たちは、
既にお父様の前に誓った子女たちでございます。
その体と心をあなたの前に捧げると
千万遍誓いましたので、
その体をお父様の前に
きれいに捧げるよう許諾してください。
体を聖別して、お父様の前に永遠に捧げ奉り、
お父様の愛を身代わりして表す
息子・娘になろうと努力する、
あなたの子女たちとなるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げながら、
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六七・五・一四)
6-23 お父様と共に本然の春を迎えさせてください
お父様!
春はやはり解放を象徴するがゆえに、
私たちがお父様の愛の懐に抱かれる喜びを
もう一度慕わなければなりません。
春は出発を約束しておりますがゆえに、
私たちはお父様の愛の懐に抱かれ、
新しい出発をしなければなりません。
春には森羅万象が和動するように、
私たちがお父様の愛の懐に抱かれて、
万宇宙と和動することのできる主体性を
復帰できるよう許諾してください。
春は歌と踊りの因縁を醸し出すように、
私たちもお父様の愛の懐中で、
お父様の愛を中心として
そうできる時を慕わなければなりません。
お父様のみ旨を中心として、
この春は一つの安息の土台となるように、
私たちもお父様の愛の懐に抱かれて
安息する者となることを、慕うことができるよう
許諾してください。
お父様!
そうして、
お父様の内的な事由をすべて相続することによって、
エデンの園において望みの中に
新しい出発をすることができ、
望みの中でお父様の愛に浸ることができた、
その本然の人間を、もう一度
内的に慕うようにしてください。
この春を迎え、そのような因縁を感じ、
お父様の前に無限に感謝を捧げることができるようにしてくださり、
そのような心の園となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
春が持っているすべての要件を、
各自の心の園にもう一度再現させてくださり、
お父様が自らそこにとどまられるよう許諾してください。
人間だけの解放ではなく、
人間だけの出発ではなく、
人間だけの和動ではなく、
お父様が解放されなければならず、
お父様が出発なさらなければならず、
お父様が和動の中心体とならなければなりません。
それこそ、お父様が腕を広げて
踊りを踊られ、歌をお歌いになることのできるお父様として、
私たちが敬ってさしあげなければなりません。
お父様が安息なさる
永遠の土台を築いてさしあげることのできる
私たちとならなければなりませんので、
この春を通して、そのような知恵を学ぶことのできる
この時間となるよう許諾してください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・四・二一)
6-24 心情で体得する子女とならせてください
お父様が天地創造の理想を中心として、
果たそうとなさった願いのひと時が、
いまだにこの地上に現れ得ないことを
知っております。
万物をお造りになり、人間をお造りになるときの
お父様の喜びは大きいものでございましたが、
人間を中心として
永遠の生命と永遠の愛をもって築かれた、
善の家庭を慕われるお父様のその心情を、
いまだに酌み取った者もなく、
体恤した者もこの地上にはいないということを、
私たちは知るものでございます。
人間の始祖がお父様に仕えることができず、
お父様のみ意の中で抱かれ得ないことが
恨めしく、悔しく無念なことであることを、
私たちが心から悟らなければなりません。
お父様が私たちと出会って
事由を分かちたい所は、
私たちが今まで生きてきた現実の環境ではなく、
次元が高いお父様の心情の世界だということを、
私たちは悟らなければなりません。
その世界は、
堕落によってからみ合った事由を中心として
なるものではなく、
すべての事由を越えに越えて、
真情なる本然の因縁を中心として
感じ、挙動することのできる
そのひと時をお慕いになっておられる、
お父様の心情を中心としてなされることを、
私たちが心から理解できるよう
許諾してください。
私たちが言葉でだけ感じるというのでなく、
心情をもって体得できる場に立てるよう、
許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
私たちの動脈に血が流れることをもって、
お父様が生きておられることを感じようとし、
呼吸の音からも
お父様の息遣いを感じようとし、
皮膚の感触からも
無限なるお父様の慈悲のみ手を感じようとする、
あなたの子女たちとなりますよう
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
深く気高いお父様の
慈悲深い心情の中にたっぷり浸り、
あなたの慰労を受けることができ、
天真な幼子のような心情を備えることのできる
ひと時を持てなかった私たちが、
どれほど悲しい者たちであるかということを分かるようにしてください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・一一・一七)
6-25 お父様の心情の懐に抱かれ得る子女とならせてください
お父様!
この世界には数多くの集まりがありますが、
その中で取るに足らない環境の中にある
不足なる子女たちが集いました。
私たちはお父様が求められる基準を備えたものでもなく、
お父様を所有するために集ったのでもございません。
足らない自分を抱き締め、
真に深い心の流れを通して、
お父様の前に悔い改めようとしますので、
私たちの心を動かし、
お父様の事情の因縁を渇望することのできる
この時間となるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
お父様は無限なる権威と能力をもって、
この地と数多くの人々を支配してこられましたが、
私たちはお父様の能力よりも、
お父様の慈悲の恩賜を待ち望んでおりますので、
お父様のみ言を回顧しながら「お父様」と呼びますとき、
お父様の心情の懐に抱かれたい
懇切な心が爆発し得るよう、
私たちの心に革命を呼び起こしてくださり、
心情の変化を呼び起こしてくださいまして、
私たちが神様のものとして
取られ得るようにしてください。
その姿を心から願っておりますので、
お父様、
ここに訪ねてきてください。
あなたの事情が私たちの事情となり、
あなたの願いが私たちの願いとなって、
あなたの心情と私たちの心情が
一致しなければなりません。
そうして、
お父様が悲しみに処されれば
私たちも悲しみ、
お父様が喜ばれれば
私たちも喜ばなければなりません。
私たちはあなたを主として、
あなたの相対たる実体として、
あなたと共に一致化できる姿を渇望しながら
この場に集いましたので、
そこに該当しない
一切のものを除去させてくださり、
そこに完全に符合することができ、
吸収され得る本性の心を呼び起こしてくださいまして、
お父様の息子たる自覚と娘たる自覚を持つことができるよう、
この時間役事してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
そうして、
お父様のみ旨の前に立てられたあなたの子女たちとして
恥ずかしくない、天の権威を持って
現れることができるよう
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・一一・一七)
6-26 お父様の犠牲の道を相続させてください
お父様!
きょうは安息日でございます。
子女たちと共に
お父様の栄光に接することができるようにしてくださり、
高く貴いあなたの人格に接することができるようにしてくださり、
あなたの所願成就の勝利的一念を、
私たちが体恤できる
今朝となるよう許諾してください。
お父様!
この全宇宙を創造なさったあなたの聖業が、
私たち人類の始祖によって、
このように蹂躙されたという事実を考えますときに
悲しいことが重なれば重なるほど私たちは
あなたの前に面目ない者たちとなるということを、
はっきり感じなければなりません。
私たちの責任をお父様が独りで負い、
歴史路程をこの上なく悲惨に、
この上なく凄涼に、
この上なく寂しく歩んでこられたということを、
私たちは知るようになりました。
今、これを知った私たちは、力を尽くして
お父様のみ名を
高く賛揚しなければならず、
精誠を尽くしてお父様の貴い心情に倣い、
私たちのすべてのものを犠牲にしなければならず、
あなたが今まで開拓してこられた
開拓者の犠牲の道を、私たちが余すところなく
相続しなければなりません。
お父様!
ここに集ったあなたの子女たちをご照覧ください。
私たちは幼い者たちでございます。
私たちは足らない者たちでございます。
私たちはこの地上に
何の望みもなく生きた群れでございました。
それにもかかわらず、お父様の名を呼ぶことのできる
聖なる場に同席させてくださったお父様の前に、
本当に感謝をお捧げ申し上げます。
私たちが襟を正し、
お父様の名を呼ぶごとに、
あなたのすべての苦労を相続することができ、
深い心情の流れを通して
お父様を呼ぶことのできる真の孝子孝女となるよう
許諾してください。
数千万代悲しかった
お父様の恨みの積もった心を押し開き、
私たちがすべての事由を打ち明け、
お父様の悲しかった恨みを相続し、
数千万代もつれていた
怨讐に対するすべての恨みを、
完全に解怨成就してさしあげる、
あなたの子女たちとなるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によって懇切にお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六八・一二・八)
6-27 お父様だけのために行くと言える子女とならせてください
残された復帰の道の前に、
私たちは忠誠を尽くすことを誓いました。
その誰も知らない
善の結果を捜してこられたお父様の行路が、
それほどまでに悲惨であり悲しかったという事実を、
私たちは知りました。
私たちがお父様に対するとき、
「お父様」と呼ぶことができ、
堂々と息子の姿を備え、
娘の姿を備えたと、
自信を持って言うことのできる息子となり娘となって、
お父様の名を呼ぶことのできる
子女たちとなるよう許諾してください。
今まで、歴史過程におきまして、
数多くの人々が
お父様の名を呼びました。
けれども、継子にさえなれない立場で
お父様を呼んだ人が多いのでございます。
私たちだけは、
骨髄に通じる心情の因縁を持って、
お父様を呼ぶことができるようにしてください。
お父様が私たちに対して
「うん、わが息子よ、娘よ」と言われながら、
直接応対することのできる立場に、
私たちが立つようにしてください。
今、父母の因縁と子女の因縁を持ち、
一つの家庭を中心とした中で、
お父様を思慕できる
聖なる統一教会の食口となったことを、
はっきり分かるよう許諾してください。
その誰も知らない心情を
深く掘り下げて入り、
お父様のために存在しており、
お父様のために生まれた体であるので、
お父様の目的のために
消え去るべき自分であることを自認しながら、
お父様だけのために行くといって、努力しようとする
あなたの子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
統一の子女たちがこの場に集っておりますが
絶対に私たち自身を誇るために
集った場ではありません。
自分の何かを誇るために
集った者たちでは決してありません。
裸の体であっても、
いくらむさくるしく、みすぼらしい服を着たとしましても、
お父様をより高く愛し、
お父様が求める民族と国と世界と
一つになろうという心で、
その誰よりも先に
決意できるようにしてください。
そのような心を持ち、
お父様の前にひれ伏す息子・娘になったとするなら、
この中にお父様の心情が連結され、
この中にお父様の愛が芽生えることを、
私たちがはっきり分かるよう、許諾してくださることを
懇切にお願い申し上げます。
そうできる場、
その誰も知らない場で
「お父様、私は行きます。
私は行かなければなりません。
私はお父様のために闘います」と
決意できる
あなたの息子・娘とならなければなりません。
そうしなければ
怨讐の障壁を突破していくことができないということを、
自認できるよう許諾してください。
ひいては私たちが怨讐の障壁を突破して、
勝利の旗を
お父様の名とともに間違いなく立てるという、
天の勇士たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
私たちは誰のために生まれたのでもありません。
ただあなたのために生まれ、
あなたのために生まれたがゆえに、
あなたのために生きるのであり、
あなたのために生きるがゆえに、
あなたのために死ぬことができるので、
世界的な勝利を成すと、
はっきりした信念を持った
あなたの息子・娘となるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六九・六・二九)
6-28 父子の因縁を忘却しない子女とならせてください
お父様!
流れ行く歴史とともに
あなたが残された必勝の使命をやり遂げなければならないのが、
この地上に生きている
本然の人間たちの生活であり、
生涯でありますのに、
天の前に残すことのできる実績を持てず、
歴史的な恨みを残したということを知るものでございます。
今日、この時代に生きている私たち自身も、
恨みになり得る立場にありますがゆえに、
お父様が案じているということを、
私たちがもう一度悟るようにしてください。
お父様!
ここに集ったあなたの子女たちを
記憶してください。
お父様だけに頼り、
お父様が残された使命を果たしていくべき、
重大なる使命を背負った群れでございます。
取るに足らない姿であり、
自分自身を批判し分析してみますとき、
お父様に何かを帰し奉り得る存在と
なれなかったことを、
私たちはよく知っております。
しかし、お父様とはもう離れようとしても離れることのできない
子女の因縁を結んでいることにより、
お父様は私たち自体をご覧になり、
悲しみと喜びの分岐点で
私たちに対しておられるという事実を忘れてはなりません。
父母が子供を愛するように、
子供が父母を愛さなければならないのが天倫の道理であり、
すべての人類の原則でございました。
そのような愛を授け受けできる一つの起点を、
生涯を通して残していくべき人間でしたが、
人間自身がそうすることのできる
生活の土台を備えることができず、
そうすることのできる環境を備えることができなかったがゆえに、
そのような伝統を立てられなかったという事実を、
私たちはよく知っております。
このように流れいく
悲しみの歴史路程を私たちが反省し、
きょう私たちに
残された使命を果たすことを追求する、
この時間とこの場となるようにしてください。
自分自身を聖なるお父様のみ前に出して、
新しい使命を命じられ、
新しい命令を受けることのできる
この時間となるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
私たちは裸同然の姿でございます。
いつでもサタンの侵犯を受け得る
限界圏内に置かれているという事実を、
はっきり悟らせてください。
今、私たちが
お父様を知り、死ななければなりません。
また、お父様を知った後には、
お父様に侍り、生きて、逝かなければならない
この天的な使命が、私たちに残っているという事実を
感じなければなりません。
私たち自体を備えて
お父様の厳粛なるみ前に立つとき、
私たちが果たして
お父様を正しく見ることのできる目を備え、
お父様に対することのできる
恥ずかしくない顔を備え、
またお父様の前で行動するに
恥ずかしくない自らを備えたでしょうか?
このようなことを考えますとき、
お父様の前に恥ずかしくて、面目のないことを
感じるものでございます。
こう感じれば感じるほど、
このように哀れで、ろくに立つことのできない
足らない者たちに対されるお父様の立場が、
悲しみを避けることのできない立場であることを、
私たちは本当に知るものでございます。
本当に私たちの心の中から
お父様を呼びたい気持ちがほとばしり、
時を越え歳月を越えて、
お父様の前に駆けつけようという気持ちが
懇切でなければなりません。
そのようなものがなくては、
お父様と息子・娘の因縁を維持し得ないという事実を、
悟らせてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九六九・八・二四)
6-29 お父様に代わることのできる子女の姿を備えさせてください
お父様!
あなたは今まで動いてきました。
地も今まで動いてきました。
しかし、あなたの動く方向と
地の動く方向が、
互いに一致できなかったことが悲しみとなりましたがゆえに、
これを一致させなければなりません。
これを一致させるべき存在は、
天でもなく地でもない、
この中間にある人間であることを知っております。
人々が自分を中心として神様に背反し、
歴史的な進路の土台を越えられないことによって、
この悲惨な闘いが今日、
自分自身を中心として連結されているという事実を、
私たちははっきり知らなければなりません。
ここから私たちは、
天の怨讐よりも
地の怨讐よりも、一層恐ろしい怨讐が
人であることを知らなければなりません。
人によって
お父様は悲しみと恨みを積んでこられ、
人によってこの地には今まで
悲惨な血の歴史が編まれて参りました。
このすべてが、真なる一人の人を
立てられなかったがゆえであることを知りますとき、
私たちは真の基準を立て、
真の人を探さなければなりません。
探して、彼と完全に一体とならなければなりません。
そのためには、
私たちがお父様の前に絶対従順をもって行かなければならないのが、
復帰の路程であることを知りました。
体と心をすべて捧げ、
あらゆる精誠を尽くすことによって、
天がここに頭を下げることができ、
地がここに頭を下げることができなければなりません。
お父様と一体となり、
お父様に侍ることができ、
お父様を身代わりできる
息子と娘の姿を備えて、
怨讐であるサタンに嘲弄されない
姿とならなければなりません。
そのような姿を
お父様がどれほどお慕いになったかという事実を、
私たちが忘れないようにしてください。
私たちの心の中に血わく情熱があるとするなら、
この情熱がある個人のための情熱として
終わらないようにしてくださり、
この情熱があなたの情熱として
連結されなければならないことを、
私たちが分かるようにしてください。
青年たちにもそのようなものがありますなら、
彼もまた同様であり、
壮年、老年にもその情熱の心情がありますなら、
それがあなたと共に
一体化できるようにしてください。
尋ねるべきその場を、
きょうもあすも慕いながら行かなければならない、
運命の道に処しているのが堕落人間の後孫であることを、
私たちがはっきり知らなければなりません。
お父様!
今、私たちが心の門をすっかり開き、
お父様に謹んで侍り奉らなければなりません。
お父様のみ前に体を低くして、
過去の歴史的な罪を悔い改めなければならず、
許しを切に求めなければなりません。
お父様、
お訪ねください。
私たちに哀れみの心をお広げになって、
私たちを忘れないでください。
私たちはあなたの願いと一致し得る、
真の対象とならなければなりません。
そうして、
あなたを欽慕の対象とし、
あなたを慕う私たちとならなければなりません。
お父様!
天が認定することのできる情熱の心と、
地が認定することのできる情熱の心を合わせ、
あなたを「お父様」と呼ぶことのできる
一つの完全なる基準を、
私たちが立てなければならないことを知っております。
ですので、
私たちがそうすることのできる自らとして、
お父様の前に謙遜な群れとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りし、お捧げ申し上げました。アーメン。
(一九六九・八・三一)
6-30 お父様の偉業を継承できる子女とならせてください
お父様!
私たちが対象を狂ったように愛しても
また愛したい気持ちに
何度でも狂うことのできる愛の動機を持てなかったがゆえに、
決定的な愛の権限を持つことのできない
自らだということを、自嘆するようにしてください。
夜を明かし日を続けながら、
天を欽慕したひと日を持つことができなかった自らを慨嘆し
そのような動機を持つことができるよう、
「私」をつかんでくれと訴えながら駆けつける
息子となり、
娘となり、
家庭となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
私たちが
この世の家庭と
この世の国と
この世にいる人々の前で、
その理想の価値を持ち、
彼らを喜びで祝福してあげる
子女たちとならなければなりません。
そうして、
より高いものを新しく創造する子女たちとなるとき、
万事が意のままになるという事実を
分かるよう許諾してください。
神様を身代わりした
父母の立場で現れる場には、
霊界が動員されるということを
はっきり分かるよう許諾してください。
また、私たちが世界の中心となって、
主体的権限を持ち、相対的な環境を動かし尽くす
使命を果たすよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
「お父様」と呼ぶときも、
今日この世の人々が懇切な心で
「お父様」と呼ぶのよりも、
何十倍ももっと懇切な心で、
千万遍でもお父様を呼びたい思いですので、
前よりも今が一層懇切で、
今よりも以後が一層懇切であるようにしてくださり、
お父様の内情を体恤できるよう許諾してください。
あなたの息子であるという立場に
立つことができるようにしてください。
放蕩息子も息子であり、忠臣も息子でございますが
私たちは
お父様の偉業を継承することのできる
息子となるよう許諾してください。
あなたからすべての偉業を
余すところなく相続できる孝行な子だと、
皆が公認する息子となるため、
身もだえする姿となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
そうして、
あなたから「お前が私の愛する息子だ」という
認定を受けることができるよう許諾してください。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・二・二六)
6-31 お父様の前にふさわしい子女の姿で立たせてください
お父様!
私たちがいくらお父様を呼ぶとしても、
お父様が私たちをお呼びにならなければ、
私たちはお父様と因縁を結べないという
事実を知っております。
長い長い歴史過程を通して
懇切な心を持ち、
凄惨な場で、
あるいは苦労の場で、
私たちを何遍も何遍もお呼びになったお父様であることを、
私たちはもう一度心中から
感じなければなりません。
そのお父様の前に
ふさわしい息子の姿勢を備えなくては、
「お父様」と呼ぶことができないということを考えますとき、
そのような息子の姿を、
あなたはどれほど慕われたでしょうか?
慕わしさに徹した息子に出会い、
あなたの路程の中にあった
事由を分かち合う場を、
あなたはどれほど待ち望まれたでしょうか?
あなたのすべての使命を命じることのできる、
最後通牒を下し得る場を、
あなたはどれほど望んでこられたでしょうか?
私たちがそうすることのできる一つの場を
準備しなければなりません。
そうして、
あなたのそのすべての命令すべてに
順応することのできる自らとなって、
「お父様! み意のままにしてください」と言うことのできる
息子・娘となり、
歴史時代において蕩減の使命を背負った
先祖たちの気迫を相続するに不足のない
息子・娘とならなければなりません。
この時代にあなたは称賛し誇ることのできる
息子の姿、
娘の姿を
どれほどお慕いになられたでしょうか?
お父様、
あなたは内的に約束なさり、祝福して命令なさいましたが、
歴史過程に来ては逝った私たちの先祖たちは、
いつもあなたの心にくぎを打ち、
お父様を孤独の場に追放したのが
一度二度ではないことを、私たちは知りますときに、
私たちが
お父様の息子となることのできる因縁は喜ばしいことですが
使命的な面においては、
悲しい内容が宿っているということを、
私たちは、先祖たちが歩んだ復帰の恨み多い道を
たどってみる時ごとに、
考えないわけには参りません。
私たちは内的には「お父様」と呼ぶことができますが、
同時に、外的にはお父様から責任を
命じられなければならないということを知っております。
そして、あなたは喜ばしい場で、
私たちにその責任と使命を
命令されお達しになるのではなく、
悲しく寂しい死の交差路で
命令なさりお達しにならなければならない
悲惨な立場におられるということを、
私たちは考えるものでございます。
そのお父様と出会うためには、
そのお父様のその悲惨さを
治癒してさしあげなくては出会えないのであり、
お父様と相対するためには、
この世のすべての因縁を越えて立たなくては、
相対することができないことを分かるようにしてください。
このような因縁が
誰によってなされたのかを考えますとき、
お父様によってなされたのではなく、
私たち人類の先祖、
人間によってなされたという事実を悟りますとき、
恥ずかしさを感じることのできる
あなたの息子・娘とならなければなりません。
そうして、
千遍万遍死んで当然の私たち自身を、
お父様の前に通告しますとき、
今までかわいそうであったお父様の事情と通ずることができ、
その事情が同じであり得る立場に立つか、
それよりも一層悲惨な立場に立つとき、
悲しかったお父様が、
私たちを慰労してくださり得るのであり、
そのようなひと時がありますなら、
ここからお父様と
因縁が結ばれ得ることを知るものでございます。
私たちがお父様を呼び、
お父様に要求する立場で
因縁が結ばれるのではなく、
あなたが私たちをつかみ、
事由を分かつことのできる立場で
因縁が結ばれるということが分かるようにしてください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・三・一五)
6-32 お父様の子女たることを証せる私たちとならせてください
愛するお父様!
私たちが尋ね、上りに上り、
また上るとき、その帰着点はただお父様と私たちが
対面する場となることを知るものです。
お父様が語ることのでき、
私たちが語ることのできる
最後の決定的な言葉が何かと言うとき、
それは「お前は私の息子だ」
「私はあなたの息子です」という言葉でございましょう。
それだけが、人類が望み願う言葉であり、
あなたが捜しこられた人類に出会うための
決定的な言葉であることを知っております。
息子と娘として互いに会うだけで終わるのではなく、
その息子と娘はあなたの骨の中の骨であり、
肉の中の肉として入れ替えることができ、
その内縁的な願いが私たちに現れ、
私たちに現れた一個人の欲求が一家庭に現れ、
家庭の欲求が
社会と国家を越え世界万民を越えて、
それがお父様の
本当の内情的な体恤の感情となって、
普遍妥当な世界的基準まで、
みなぎり流れることができなければなりません。
その世界があなたの探しこられる望みの世界であり、
人間たちが探し行く
たった一つの世界であることを知っております。
このような立場から見ますとき、
今日この歴史時代におきまして、
果たしてこのような道を探す群れがいるのか、
私たちは探してみなければなりません。
調べてみなければなりません。
イエス様とすべての聖人たちがお教えになった
その道理の起源を暴き、
私たち自体においては
どのくらいの価値をもって天の価値を探さなければならず、
天と私たちが
どのような対等な位置に立たなければならないのかということを、
分析し批判してみなければなりません。
そうして、これでなければならないという
決定的な立場に立ち、
万民と全世界と新しい思潮の前に現れて、
これらを収拾できる一つの真の基準を
立てなければならないことを、
この時間私たちは知らなければなりません。
お父様は私たち自身を立証することができ、
私たち自身は、お父様の息子であり、
娘であるということを、
如実に証すことのできる信念を持たなければなりません。
信念だけでなく、体恤的な立場で
お父様と「私」は
前後関係、
左右関係にあることを立証し、
そのような立場で永遠に共にあり、
永遠に共に生きており、
永遠に共に生きるだろうという、
変わりなくそうだと言うことのできる
論証の起源を、自ら立て得る
自分を発見できるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・二・一一)
6-33 真の父母の貴い価値を悟って侍る私たちとならせてください
真の父母という名が、
どれほど貴いものであるかを知らなければなりません。
お父様の恨みを解くことのできる母体であり、
人類において所願成就の中心であり、
理想世界の出現の起源となるこの真の父母こそ、
歴史を与えても取り換えられないものであり、
時代を与えても取り換えられないものであり、
私たちが家庭を与えても取り換えられないものであり、
私たちが子供を与えても取り換えられないものであるということを、
私たちはいつも肝に銘じなければなりません。
その真の父母の思想を身につけなければなりません。
真の父母のみ旨は、世界を救うことでございます。
真の父母の思想は、未来の創建と
歴史的伝統を残すための思想であるのを
知るものでございます。
私たちは過去の結実を結ぶために
現在にいるのであり、
現在の目的の中心となるために
現在にいるのであり、
未来の目的の中心となるために
現在にいるのでございます。
このように三時代の決定的な運命を左右し得る
聖なる立場に立ったことを考えますとき、
そのような人間であることを、私たちは全く知りませんでした。
ですがお父様、
もう分かりました。
今、私たちは精誠を尽くし、
千秋万代に善なる先祖としての名分を立て、
とこしえに尊称されるに不足のない
伝統を立てなければなりません。
私たちがいつご父母様の前に孝行し、
いつ花咲く春にお父様に侍り、
あるいは夏、秋、冬に、いつ共に闘い、
いつ共に死ぬことを覚悟したでしょうか?
三年間ご父母様に侍らなければならないにもかかわらず、
侍ることのできない私たちに、
ご父母様と三年間運命を
共にすることのできるこの期間を付与してくださいましたことに、
本当に感謝を捧げなければなりません。
昼にもお父様であり、
夜にもお父様であり、
寂しくてもお父様であり、
うれしくてもお父様であり、
天と地を眺める時も父母様であり、
「私たちはご父母様に侍り、千年万年生きよう」という
懇切な涙がにじみ得る生活路程が
生活環境にこもるときには、
数多くの民族がここに感動を受けることができ、
数多くの民族だけではなく、
数多くの世界人類が感動を受けるという、
神聖でとてつもない事由がここに宿っているという事実を
はっきり悟り、力強く力強く、もっと力強く前進する
あなたの娘たちとなるようにしてくださることを、
懇切にお願い申し上げながら、
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・四・二九)
6-34 憤懣やるかたない天の事情を慰労させてください
哀れみ多いお父様!
慈悲と同情の因縁を持ち、
今まで損害を受けてこられた天よ、
足らない私たちをご照覧ください。
お父様の本然の権威とその位置をみますとき、
あなたは、堕落した人間としてはおそれ多く、対することのできない
聖なる方であることを思うものです。
そのようなお父様が、受難の道において
独り責任を持ってこられた憤懣やるかたない事実を、
私たちは非常に悲しく思わなければなりません。
ですので、
私たちが天と地の前に通告できる機会があるなら、
かわいそうな人間を通告する前に、
かわいそうな天の父母を通告しなければならない私たちであることを、
知らなければなりません。
たとえ天国に到達できる場に臨んだとしても、
私たちは天の権威を望むことよりは、
天を慰労し、耐えて越えていかなければならず、
そのような行路が私たちの人生路程に
さらに残っているということを、痛感しなければなりません。
その闘いの行路を自ら守りながら、
あすの開拓者として
勝利の姿を慕い、
克服することを誓う、
悪条件の生活環境でも疲れることを知らない、
お父様が誇ることのできる凛々しい
息子・娘とならなければならないということを、
もう一度自覚するようにしてください。
お父様の内縁に従って動き、
お父様の事情に連結された実体となり、
善の結実体として
この地上の足場とならなくては、
お父様が歩行できないという事実を
私たちは感じますので、
私たちをして一日でも早く、
寂しい道を行かれるお父様を
慰労し侍って生きる
息子・娘となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・八・二九)
6-35 まず父母の心を案じる子女とならせてください
いつも、取るに足らないか弱いこの群れと共に
苦労なさるお父様、
寂しい立場でもいつも耐えられながら、
私たちを勧告なさるお父様、
悲しみの環境に独り責任を負われ、
私たちの慰安のひと日を開拓するために
先頭に立ってこられたお父様、
そのようなお父様であられることを思いますとき、
お父様を心情の主人として侍ることのできない、
不孝極まりない私たちを受け入れてください。
無限に無限に永遠なる生命をもって、
私たち自体を復活させ、
きょうも創造歴史を継続なさるお父様であられることを、
全く知らなかった足らない私たちを、
お父様、
受け入れてください。
今、襟を正し、
あなたの聖なる性相を見つめながら、欽慕と思慕の心情に徹することのできる
ひと時を待ち望んでおりますので、
お命じになりたいことがあるなら、お尋ねになって、
私たちの体と心に染み渡るようお命じくださり、
新しい命令の因縁を通じて、
あなたが願われる所に向かって行くことができなければ、そこに向かって、
お父様、
むちを取り上げ打ったとしましても、
その場に行けるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
お父様の前に祭物として捧げられるべき
私たち自身であるにもかかわらず、そうできませんので、
お父様が追いやってでも、
引っ張ってでも、
あなたの祭壇まで私たちを導いてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
分別のつかないイサクを連れ、
モリヤ山に向かっていくアブラハムに、
その子供のイサクが、
祭物として使う羊はどこにありますかと聞いたときに、
「それはお前が心配することではない」と言った
アブラハムの心を察する時ごとに、
その父母の心を察する時ごとに、
私たちを導いてくださるお父様の心に、
そのどれほど悲しみが前に立っているかを感じるものでございます。
私たちはお父様の心を案じる前に、
自分自身と自分の周辺の事実を
案じる時が多かったということを考えますとき、
今、私たちは自分を越えて、
まずお父様の心を案じ、
お父様の主流を守ることができる、
真情なる孝の中の孝を尽くし、
忠に忠を尽くす、
お父様の前になくてはならない息子・娘となり、
その国の民とならなければならないということを自覚する、
この時間とならなければなりません。
自覚だけではなく、
信念とともに誓う
この時間となるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・九・五)
父の祈り 7 忠孝編
7-1 天の希望・信仰・愛の継承者とならせてください
神様の永遠なる希望が残っている限り、
今日、私たちにも
永遠なる希望が残っていますし、
神様の永遠なる信仰のみ旨が残っている限り、
私たちにも
永遠なる信仰のみ旨が残っていますし、
神様の永遠なる愛の実践が成されない限り、
今日、私たちにも
永遠なる愛の実体を成すべき責任が
残されるということを知りました。
このひと日に蕩減的な歴史を継承するために、
私たちは四千年の希望を継承し六千年の希望として、
四千年の信仰を継承し六千年の信仰として、
四千年の愛を継承し六千年の愛として
表さなければなりません。
神様の前に立ち、
六千年の希望を永遠なる希望として、
六千年の信仰を永遠の信仰として、
六千年の愛を永遠なる愛として立てるべき貴任が
私たちに残っていますので、
きょうの私たちの未熟さと足らなさを
受け入れてください。
きょうの私たちの不忠と不孝を
受け入れてください。
私たち自体を高く立てたことを
受け人れてください。
今、万民の希望を結実させるべき時となり、
万民の信仰を結実させるべき時となり、
万民の愛を一つの実体として表すべき時となったのに、
その一つの実体が
どこに結実しているでしょうか。
取るに足らない私たちですが、
新しく新婦として装うべき私たち自身であることが
分かるようお諭しください。
今日、
天と地の中心的な役割を
担当すべき人が誰かと言えば、
終わりの日の再臨役事を目前にしている
聖徒たちであることを知っています。
お父様はそのような人々に
永遠なるお父様の希望を任せようとされますが、
彼らがその希望を任せることのできる者となったのか、
永遠なるお父様の信仰を任せようとされますが、
その信仰を任せることのできる者となったのか、
永遠なる神様の愛を任せようとされますが、
その愛を任せることのできる者となったのかが案じられます。
そのすべてものを担い、
お父様の前に永遠に変わらない姿で、
お父様の愛に属する人となることによって、
今や永遠なる希望の氏族となった者として立たなければなりません。
永遠なる信仰の氏族となった者として立たなければならず、
永遠なる愛の氏族になった者として立たなければなりません。
このような責任が
私たちに分け与えられているということが
分かるよう許諾してください。
選ばれたイスラエルの
一つの勝利的な中心実体であられる
イエス・キリストの目的を、
今日、私たち個々人から成さなければなりません。
すなわち、全体を身代わりした希望の実体を備え、
信仰の実体を備え、
愛の実体を備えなければなりません。
今、再臨の役事以後には、キリストがこの地上に来られて行動した
そのすべてのものを身代わりする、
すなわちイエス・キリストの希望の実体として
立たなければならす、
信仰の後継者とならなければならず、
愛の後継者たちとならなければならないので、
これがはっきり分かるよう許諾してください。
今、堕落の峠を越えるべき
復帰過程に処している私たちが、
「お父様の希望を担います。
お父様の信仰を担います。
お父様の愛を担います」と
言えなければならず、
その希望、信仰、愛をお父様の前に帰し奉ることができなければならず、
ひいては万民の前に
不変の愛の中心として立たなければなりません。
そうして、
お父様の前に愛を受けることのできる
勝利的な存在となって初めて、
終わりの日の最後の栄光を身代わりできる
資格者となることを知っていますので、
どうぞお父様が
「お前は私の希望の存在であり、
私が信じることのできる者であり、
私が愛することのできる者」と言える
者たちとなるよう許諾してください。
ひいては、天上天下、全万物の前に宣布して
判定の恩賜を受け、
和動の一つの条件を立てることのできる
勝利の子女たちとなるようお導びきくださいますことを懇切にお願い中し上げ
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。
(一九五六・六・六)
7-2 本然の園を復帰する忠節の子女とならせてください
愛するお父様!
お父様が生命の園を眺めることが
創造の目的であり、
お父様の栄光を歌う真理の園が
理想的な園でありました。
永遠不変の愛を中心として、
あなたの性相の前に全体が和動して
お父様の内的性相や外的形状を表しながら、
それに酔って生きなければならない所が
本然の園であったことを知るものです。
愛するお父様!
今日、私たちが願う希望の園を
感じることができるよう許諾してください。
本然の園を体恤して
心で欽慕すると同時に、
体を動かして敬拝することができるよう許諾してくださり、
心でお父様のみ旨を高めると同時に、
また体が祭物として捧げられるよう許諾してください。
お父様が私たちを捜し出すために
苦労なさったそのすべての苦労を、
今からは私たちに任せてくださり、
お父様は栄光だけを受けられますよう
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちの一生命もお捨てにならず、
まずこの者たちの心がお父様の永遠なる生命に
連結されて火がつくよう許諾してください。
そうして、
お父様の愛の心と
一つになるよう許諾してください。
お父様の生命に私たちの体と心が一つとなり、
全体が一つとなって祭物として捧げられる
この時間となるよう許諾してください。
そうして、
お父様が喜んで受けることのできる、
不足のない祭物となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちをお守りください。
分別の役事において責任を持ってください。
サタンが侵犯する私たちとならないよう許諾してください。
ただ、お父様のみ旨のとりことなって、
お命じになるみ旨を中心として応じることができるよう許諾してくださり、
ここに心と体で順服することができるよう許諾してください。
そうして、
自らのすべての足らなさと正しくないすべての要素を
お父様の前にさらけ出し、
正直に告白し悔い改めることができると同時に、
お父様の愛を受けることができるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
この民族が暗闇の中に捕らわれていますので、
これを悟らせても余りある
お父様の直接的な役事を表してください。
お父様が働かれる各教会を通して、
あなたの息子・娘たちを通して役事を表してくださることを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
約束された終わりの日が近くなり、
許諾なさるべき恩賜の時期が来ましたが、
私たちはまだ不完全で未熟で足りませんので、
私たちをお導きください。
奉じてさしあげるべきお父様のみ旨を、
奉じることのできない私たちとならないよう許諾してください。
不備なる私たち自身を嘆息し、
お父様の前にひれ伏そうとする私たちとなるようにしてください。
そうして、
真なるお父様のみ旨を奉じる忠節の子女たちが
この民族を身代わりした教団の中に
多くなるよう許諾してください。
そうして、
散り散りばらばらになった教団を
一つに結ぶことができるよう許諾してくださり、
お父様の全体的な恩賜を
身代わりすることができるよう導いてください。
この民族に天の秘められたみ旨を表してくださり、
人類の前に、お父様がお楽しみになることができ、
そのみ旨を誇ることのできる祝福の日が
早く早く臨むよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。
今、心と体に、
お父様が願われるみ意以外のものが
ないよう許諾してくださり、
サタンの痕跡がないよう許諾してくださり、
罪悪の細い根が残っていないようにしてください。
聖別に聖別を重ねて
完全無欠な善を中心として、
その心と体が
お父様の本性の前に
自慢することのない謙遜な群れとして、
温柔なる姿でひれ伏すことができるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
お父様!
この民族のために私たちをお立てになり、
勧告なさり、
私たちと共にお父様がおられるとするなら、
私たちをして
生きておられるお父様の息子・娘であることを
誇ることができるよう許諾してくださり、
生命の中心に立っている息子・娘たちであることを
証できるよう許諾してください。
お父様!
あなたのみ手に捕らわれた事実を証し、
この民族を覚醒させて、
サタンの魔の手から
この民族を救うことができるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
そうして、
民族的な恩賜を許諾なさろうとする
お父様の全体のみ旨の前に
この民族が恥ずかしくないよう、私たちを立ててくださって、
お父様の前に
導いていくよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。
(一九五六・一一・一一)
7-3 私の運命を自覚し、摂理の使命を完遂させてください
お父様!
お命じになったみ言によって
万民の前に越えるべき峠が
残されていることを知るようになりました。
今日、私たちは
お父様の完全性の前に、
私たちの不完全性を除くための闘いを
すべき立場に立っていますし、
不変の真理の原則基準を
越えるべき運命が残っているのです。
今や万宇宙の前に、
私たち自身を現すべき時がやって来ました。
完全であられるお父様の性相に似て、
被造万物を主管しなければならない
歴史的運命が残されていることを思うとき、
きょうの私は
永遠であられるお父様の嘆息を身代わりすべき私であり、
きょうの私は
永遠であられるお父様の愛を証すべき私であり、
きょうの私は
お父様のみ言を暗い世の中に伝播して
復帰の使命を成し遂げなければならない私であることを知るものです。
ところが、きょうまで信じてきた私たちの信仰生活は、
お父様の前に掲げることのできない生活でしたので、
この時間、自ら悔いると同時に
悔い改めることができ、
自ら覚醒することができるよう許諾してください。
今、私たちが持っているすべての観念と主張、主義を、
尊厳であられるお父様のみ旨の前に投げ出し、
「私」という実存を完全になくして、
永遠なる実存体である本性の私を回復し、
完全であられるお父様の性稟に似て、
お父様の栄光に浸ることのできる
私を復帰すべき闘いの路程が残っていますので、
きょうこの闘いの路程から
後戻りする者たちとならないよう許諾してください。
一日一日の生活を通して
そして生涯を通して、
お父様の楽しみと栄光となることができ、
お父様がお取りになるにおいてふさわしい、
美しい息子・娘たちとなるよう許諾してください。
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
今は復帰の時期を反映させる時であり、
昔のイエス様当時と同じく
歴史的な審判の基準を越えるべき時期です。
ユダヤ教の前に新しいみ意を提示し、
ヨルダン川の川辺での証の役事、
洗礼を与えた洗礼ヨハネの役事が
世界的に起こっている時期であることを思うとき、
洗礼ヨハネの使命が
後代の私たちの使命として残されたことを知るものです。
今、天倫の安息の基盤を私たち各自が備え、
洗礼ヨハネが証する中、
イエス・キリストが
罪とサタンの侵犯のない中で
お父様の前に栄光を帰すことができなければならなかった
一つの善の園、
私たちが手に手を取って、心に心を合わせて
歌を歌うことのできる一つの安息の園を
建設しなければなりません。
このような責任のために、きょう私たちをお召しになり、
このようなみ旨のために、きょう私たちを選んでくださいましたので、
選んでくださったみ意の前に、寂しさと悲しみを残す
息子・娘たちとならないよう許諾してください。
洗礼ヨハネの失敗によって、
千秋の恨みが歴史に深く刻まれたことを知っている私たちは、
今、天の召しを受け、
天の選びを受けたので、
きょう私たちがお父様の玉座の前にいで立ち、
万宇宙の全体的な摂理のみ旨を完結すべき
摂理の足場を造成することができるよう許諾してください。
そうして、
完全な土台の上で
残された使命を完遂できるよう許諾してください。
そうして、
喜びの園で
悦楽の栄光を歌うことができ、
万宇宙に対して
ホザナの勝利の栄光を歌うことができ、
来られる主の前に
栄光を帰すことのできる息子・娘となるよう許諾してください。
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。
(一九五六・一一・二五)
7-4 天の勇士とならせてください
時代を越え、世紀を経て、終末のときまで
苦労し摂理してこられたお父様、
お父様の摂理のみ旨が
この地上に早く成されることを望む私たちが、
お父様のそのご苦労に、
地上で責任を持っていで立つことができるよう許諾してください。
お父様の聖壇を中心として天的な使命を引き継ぎ、
地上でイエス様を身代わりしてサタンと闘うことのできる、
凛々しい息子・娘となるよう許諾してくださるよう、
お父様、懇切にお願い申し上げます。
自分一個体を
お父様の前にあからさまにできるよう許諾してください。
自分一個体を衆生の前に掲げて、
世紀末的な神様の使命を身代わりして
苦労する者たちとなるよう許諾してくださり、
この時代に天が要求なさる
天的な使命と召しのみ言に従順に従う
忠僕たちとなるよう許諾してください。
今、私たちが心の門を開いて
天の内的な祭壇を築くよう許諾してくださり、
私たちの体をサタンに対する勝利的な祭物として、
お父様の前に自信を捨って差し出すことのできる
息子・娘として立ててください。
天は、自信をもった勇猛な勇士をお探しになります。
卑屈で卑劣で怨讐たちの前にひざますく者たちを
願ってはおられないことを知っていますので、
ここに集ったあなたの息子・娘たち、
み旨のためならば生命をも投げ捨てることのできる
勇士となることができるよう許諾してください。
今、そのような勇士たちが
必要な時が来たことを知るものです。
天倫のみ旨に向かい合っていた洗礼ヨハネと彼に従った群れが、
天の内的心情に燃え上がり、
腐敗したユダヤ教全体と対立して
新しい事実を展開させたように、
今日私たちを通して
この民族の前に哀れみの愛の光を現してください。
どうか、お父様の摂理のみ手を引っ込めないでください。
多くの人々の中から呼んでくださったお父様!
行くまいとしても行かずにはおれずに従ってきてみると、
難しい道であることを自覚するようになりました。
開拓者の闘志で闘いの一路を開拓し、
天の闘士として進まなければならないことを知っていますので、
お父様、
私たちの行く道がお父様のみ旨の道であるならば、
いばらの道も意に介さず、険しい山々をも意に介さずに、
体が引き裂かれ傷つくとしても、
み旨一つだけを中心として
すべてのことを開拓するようにしてください。
ただ、お父様の勧告の恩賜だけを表してください。
お父様!
み旨のために生命を投げ出し、闘いに闘って
勝利のひと日を勝ち取るときまで、
変わらない信仰をお与えください。
変わることのない一つの中心を備えて、
敵地に投げられた爆弾のように、
環境を意に介さずに進み、
お父様のみ旨の勝利のために爆発することのできる
お父様の息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五六・一二・一六)