(1995年1月11日~19日)
はじめに
ここに収録された御言は、1995年1月11日~19日まで、三次にわたる日本男性訪韓修練会参加者、延べ一万六千人に対して語られた真の御父母様の珠玉の御言葉であります。
この御言に一人でも多くの人々がふれることによって、神の摂理の背後を貫く、深い神の心情と事情、今後の私たちの行くべき方向について大きな示唆とビジョンが与えられるものと確信いたします。
成約時代も第四年目を迎えて、神の人類救済の摂理も全く新しい段階に入りました。神の摂理が父母権時代から王権時代に入った今日、私たちはいよいよ世界的なエバ国家、母の国として、世界に向けて一大飛躍をなしていかなければなりません。
そのために大切なことは、真のお母様の勝利圏を十六万人の女性がいかにして相続するかということと共に、そのような女性たちによって重生された子女としてのカイン・アベルの三十二万人の男性が、真のお母様の分身としての女性を支えて、本然の善なる天使長としての責任分担を全うすることであります。さらに、私たちは一六〇軒を復帰する氏族メシヤの摂理を早急に成し遂げて、一九九七年に予定されている三六〇万双国際合同祝福結婚式を勝利して、日本からアジアを越えて、世界に向けて神の祝福圏を拡大していかなければなりません。そして一日も早く、神と人類の悲願である真の愛を中心とする人類一家族の理想世界を一丸となって実現したいものであります。
この「男性訪韓修練会御言集」と、既に刊行されている女性十六万人「訪韓修練会御言集」を合わせて学ぶことによって、真の御父母様の勝利圏を正しく相続して、今年の年頭標語である「真の父母様を誇り愛そう」という天来の御言を成就することができますように、全国の皆様の更なる精誠とご活躍を念願してやみません。
一九九六年四月十八日(第三十七回「真の父母の日」を記念して)
真の自分を探しましょう!!!
1995年1月17日 韓国・水沢里中央研修院
三十二万人修練会の開始にあたって
「こんばんは!」(こんばんは!)。これで三回目ですね。この修練会は三回で終わりです。三十二万人修練会開始の三回目が終わるということです。これから日本で三十二万人の教育をするということは大変なことです。三十二万人を教育するということは、三十二万世帯に十六万を足して四十八万です。日本の統一教会は五十万以上の世帯でしょう。それで一世帯が四人とすれば、いくらですか? 四掛ける五は二十で、二〇〇万です。その二〇〇万を二〇〇〇万にするのです。二年でやるのです。問題ありません。そうなれば、日本は世界の関心の国になるでしょう。悪い意味においてではなく良い意味において、関心の的になるのです。
今の日本は、経済的な復興において世界の関心事になっているけれど、そのような経済にのみ関心を持つ日本に対して、経済動物というあだ名がついているのです。それは何の意味かというと、動物は親子関係を知らないのです。親が食べているものを引っ張り合って、子供が取って食べるというのが動物的なやり方なのです。世界は、日本をそう見ているのです。初めて会ったのにこんなことを言って、すみませんね。男たちはみんな気持ちのいい顔をしていないのですが、それは先生が気持ちが悪くなるような話をしているからですね。なぜこういう話をするかというと、これは文先生との戦争なのです。誰が勝つかということです。みんながそうなのです。
前回は、三八〇〇名の人々が集まりましたが、この中にもいろんな人がいるでしょう。自分だけが偉そうにして日本中を、いろんな問題で駆け回ってきた人もいるでしょうし、いろんな名門の家の出身もいるでしょう。それから、国家の重要な職にいて、自分なりに国家の重鎮だと思う人もいるでしょう。あるいは学者など、いろんなタイプの人々が一億二千万の日本人全体を代表して集まったのですね。
では、集まった者がみんな文先生を歓迎するのでしょうか? 歓迎するために来たのではないのですね。統一教会は良くないという噂があり、また「一九九三年の八月までには、日本列島の統一教会を撲滅する」という宣言も受けてきました。そのことは知っていますね。そのような言論界のまっただ中において、文先生はそれをきれいに収めてしまいました。
先生の奥さんを中心として、日本全国に新しい風を吹き入れたのです。それは、経済的問題でもなく、政治的問題、あるいは外交的問題でもなく、思想的問題においてです。思想でも最高の思想です。神様を中心としての思想によってです。人間を中心としての思想ではなく、神様を中心とした思想を発表することによって、全日本の若者たち、特に女性たちが興奮のあまりに、お母様をたたえて、「世界的な希望です」と、みんなが集まって歓迎したのです。
それは、日本の地において良いことでしょうか、悪いことでしょうか? どう思いますか? ある統一教会のメンバーは、「良いことです」と言いますが、また「悪いことです」と言う者もいるのです。二流があるのです。日本に二流があってはいけないのです。一流だけです。どんな団体も、二流があったら争いが絶えないのです。そういう意味で、この聴衆すべてが二流の立場に立っているのです。一流は反対する者であり、一流は歓迎する者たちです。
もともと歓迎する者も、みんな文先生に対して歓迎する者は一匹もいないのです。公的な大衆の前で、一匹という言葉を使うのは失礼であることはよく分かっていますが、そんな者はいないから、一匹もいないから怒ることもないのです。また悪い相対もいないから、何を言われても失礼ではないのです。
みんな、そういう者たちでも、先生の話を聞くことによって、だんだんだん色を染められていくのです。そして統一流の色になってしまうのです。それも日本人ばかりではなく、統一流の色は全世界、人種を超えて、一八二か国以上の人々がみんな文先生に影響されて、色を染められたのです。白というか、黒というか、赤というか。しかし反対する者は、「黒は黒で、赤は赤で、白は白でいいだろう」と言っているのです。
そういう意味において、文先生という男は世界的にも有名なのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。そんなに渋い顔をしないでください。(笑い)みんな、悪いほうにおいて有名ですか、良いほうにおいて有名ですか? (良いほうです)。いやー、そうではないのです。率直に言わないといけないのです。(笑い)率直は正義に通じるのです。
それで、世界中において、レバレンド・ムーンという名前を知らない者はいないのです。おなかの中であすの誕生を願う者までも、「いやー、外で騒がれているレバレンド・ムーンという人に、早く生まれて会いたい。その話を聞きたい」と、飛び出してくるようなことも起きるのです。まあ、そんなことはなかなかないだろうけれどもね。(笑い)分かりましたか? (はい)。
迫害されるこの道
まあ、どうであれ、嫌でも何でも、歓迎する者は今からでも、文先生のやることに対して関心を持たざるを得ないのです。反対する者もそうです。あまりにも反対してきたので、「あの人が亡くなれば無事通過できるのに、成功したら大変だ」と関心を持たざるを得ないのです。そうなっているのです。良い者も関心を持つし、悪い者も関心を持つのです。みんな、そういう現状なのです。ここに集まっている聴衆も例外ではないと思いますが、どうですか? (そうです)。
修練は厳しいほど素晴らしいのです。修練させる者が強く強固なほど結果がいいのです。それを否定する者はいないのです。ですから、この修練の中心者として立っている者は、顔がどうであれ、過去がどうであれ、先生として立った場合には、問われたら答えられなければなりません。どうですか? (はい)。気持ちが悪いでしょう? 気持ちが悪いように言っているのです。
最初から、多くの人々の前で、こんな無礼なことを言う人は世の中にいないはずなのに、なぜ、こんなことを言うのでしょうか? ここには、感化されるために来た者はいないのです。最初からそんな人はいないのです。「反対して、何とか文先生をやっつけて帰るのだ」と思って、その肚をもって来ているのです。それで、そういう決意を固めて来ているのですから、その決心が「ムー」と落ちて固まるように刺激するのが、今の先生の言葉なのです。(笑い)本当なのです。それで文先生に会って目を合わせた場合には、「ワー、ブレーン・ウォッシュされる」と思うのです。だから目を合わせないように注意しなさい。(笑い)本当です。世界でも、日本でも、そんな話をあなたたちも聞いたのでしょう? 先生が知っている以上に、日本では聞いていると思います。なぜかというと、日本の言論界がたくさん嘘を言っているので、先生の知らないことまで聞いているはずです。その中で、どちらが正しいか悪いか、それを見分ける力がなく、ただ丸のみにしているので、おなかの中で下痢しやすいのだということを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。気をつけて、洗脳されないようにお願いいたします。(笑い)
まあ、そういうことで、戦えと言ったのですから、一騎打ちの戦いをするのです。共に背後を名乗って、「自分は、何々の地に住む、何々県の何々である」と名乗ってやるべきです。それと同じように、今あなたたちに名乗っているのが文先生なのです。どうぞ、負けないようにお願いいたします。分かりましたか? (はい)。分かれば、気持ちがいいでしょう。(はい)。
あの光(注・ビデオ撮影用の照明)があるので、向こう(修練会場の前方)はいつも暗いし、後ろは明るいので、先生はこっちに来るのです。本当に、聴衆の中で一番後ろに座る者で良い人はいないのです。(笑い)本当のことです。どうもすみません。みんなは、そうでもないのですね。全体の中で自分は最高の位置にある者だと思ってプライドを持っている者にも、先生が無礼なことを言うので迫害されるのです。黙っていれば、迫害されないのです。
アメリカに行っても、「このアメリカの白人は、泥棒たちだ! レバレンド・ムーンは、そういう者を放っておかない。この者たち!」と、け飛ばすのです。アメリカ式の言葉を借りれば、「インディアンは病気で死んだ」ですって、そんな馬鹿なことがありますか! 何千、何万年の歴史を経て生き残ってきた原住民なのに、四〇〇年以内にみんな亡くなったのが病気のせいだと言うのですか! そんな馬鹿なことはありません。自分たちが殺しておいて、そういう弁解は通じません。そのようにぶっかけるのです。
そうなると、アメリカ人たちは気持ちが良いですか、悪いですか、どうですか? 「日本は侵略国家である。歴史が証明しているので間違いない」と言ったら、気持ちが良いですか、悪いですか? (悪いです)。侵略国家でなかったとしても、そんなことを言われると気持ちが悪いですね。隠しておきたいことを明らかに公開されると気持ちが悪いのです。
(先生が)そんなことを言うので騒がれるのです。分かりましたか? 騒がれる理由が分かりましたね。知られないようにすればいいのに、こんなことを言って、自分個人に何の利益になるのでしょうか? 迫害ばかりを受けて、どこに行っても「ワー、ワー」追い出されて問題になったのです。日本でも相当、文先生のことを、「ワー、ワー」言ったのでしょう。電車の広告も、「文鮮明のやつ」という言葉から始まるのです。「ワー、文鮮明みたいなやつは、やくざよりも悪い!!」と。(笑い)「極端な一匹狼が包丁で人を刺し殺すけれど、そういう者よりも悪いやつだ!」と豪語しているのです。そういう実物に、みんなは会っているのです。
日本がどんな悪いことをしたのかというと、たくさんの秘密を重ねているので、「そうではない」ということは言えないのです。本当だからです。それが少したつと「文鮮明のやつ」がなくなってしまったのです。「文鮮明は悪い!」と言う日本人が変わっていくのでしょうか、文先生が変わっていくのでしょうか? 文先生は初めから少しも、何一つ変わっていません。なぜ変わったりするのですか? それでは、どちらが悪いですか? 変わる者が悪いですか、自分で下がったり上がったりして変わる者が悪いですか? どちらが悪いですか? 聞かなくてもみんな分かることですね。日本人はみな利口者ばかりです。
それで、アメリカ人は何を言っているのかというのです。「この者め! コロンブスがアメリカを発見してから、もう五〇〇年たったと言うのですか。この者め! 原住民は人ではないと言うのですか。この者め!」。破船して生命を助けてもらった者が、救ってくれた者を迫害するなどと馬鹿なことです。気持ちの悪いことばかりをしているから腹が立つのです。分かりましたか? (はい)。日本でも、そうですよ。
統一教会の理論は完全に正しい
先生にはそういう経歴があるので、威張らないで正直に分別して、正義をわきまえて、変わるか変わらないかを、自分なりに決めなければならないのです。普通は宣伝するものです。宣伝する時、困った場合は嘘も言うのです。分かりましたか? (はい)。先生は率直です。
「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」と。そんな馬鹿なことはありません。「キリスト教を中心として、アメリカは世界指導者、第一番だ!」と。何を言っているのですか! 世界キリスト教の最高指導者のチャンピオンは文先生です。(拍手)ですから、神学者や有名な牧師は、みんな嫌がらせをするのです。みんなそうです。有名人も、先生に一回も会ってもみないで、そんなことをするのです。君たちは田舎っぽいので何にも知らないのですが、一九七九年に七十三か国の世界的大神学者を中心として、「統一教会の理論は完全に正しい!」と決定を下したのです。そんなことも知らないのですね。
先生はあまり率直なことを言うので、そのために悪く思われるのです。あなたたちもそうでしょう? みんな知っているのです。一回で、それをやめればいいのに、二回も三回も、その部落に行って、また他の部落にも行って、どこに行ってもやるので、気持ちが悪くなるのです。どんどん、どんどん、気持ちが悪くなるのです。そして国を動かして、「文鮮明を追い出せ!」「レバレンド・ムーン、ゴーホーム!」ということになるのです。それは、我々の生活途上に見られることです。黙っていれば迫害されないのです。
もし、初めて会う皆さんに対して失礼だということも分からないで語っているとすれば、それは馬鹿か阿呆です。馬鹿は何にならなければならないのですか? 日本語で何ですか? (死ななきゃ直らない!)。ああ、そうですか。そう習いましたか? ありがとうございます。(笑い)
正義を正義として認めない者は、馬鹿か不馬鹿か、無馬鹿か非馬鹿です。単語を見いだすのは大変です。今から先生の話は、「不」だったら「反」と覚えてください。無馬鹿、非馬鹿、有馬鹿です。有馬鹿はそのままで、馬鹿は死ななきゃ直らないと言うのです。そう気持ちを悪くしないでください。相撲を取って勝敗を決めてから、気持ちが悪いか、気持ちが良いかとなるのです。
それなのに、その途上で「私がチャンピオンだ! 天下の何人も私に勝つ者はいない」と、ワー、ワー騒いでいても、小さい者にやられて恥ずかしそうに壇を下りるということは、面子どころではありません。死ぬよりも辛いことなのです。それに驚かないでください。帰る日になって、気持ちを悪くして帰るか、気持ち良くなって帰るかです。帰る時に、「永遠に再び振り返って見たくもない」と思うようになるかです。振り返りつつ、「再び来たい」と思うことがなきにしもあるということになるのです。分かりましたか? (はい)。
おじいさん、そんなにみっともない顔をしないでください。年を取ったお父さん! (笑い)もう随分親しくなりましたね? (はい)。たくさんの壁がめちゃくちゃに、みんな倒れたので、「いやー、何かありそうだ。今まで悪く思っていたのだが、何かありそうだ。いやー、(先生の)言うこと聞けば、無関心では駄目だ。有関心にならなければならない」と、思いつつあるのが間違いない事実です。そうですか? (はい)。「ハイ、ノー、ハイ、ノー、ハイ?」。「ノー」と言うのは英語で何か分かりますね? 「ハイ」の反対は「ノー」です。「ハイ、ノー、ハイ?」。どちらですか? (ハイ)。ありがとうございます。
真剣でもって真剣に生きる
これで、随分と近くなりましたね。言葉というものは、有能です。泣いている者も慰めて笑わせることができるし、笑っている者も泣かせることができるし、死のうとする者も生かすことができるのです。また、生きようとする者を殺すこともできるのです。立派な内容を語れば、立派な人を生きかえらせることができるのです。何で笑うのですか? (笑い)若い者がそんなに笑っていたら、相対者がいなくなります。笑うのにも正式に、さーっと、ウィンクとともに調子を合わせて笑うのです。(笑い)運命が良いか悪いか分からなくても、もう会ったのですから、挨拶はしなくても今ここに立った人が文鮮明という男です。
ここに集まった者は、日本では有名な青年ですか、壮年ですか、老年ですか? それが分からなければ、大衆を指導するにも中心を定めて話しかけなければならないので、失礼であっても皆さんが何歳か調べてみたいのです。いいですか? (はい)。
二十五歳以下は手を挙げてください。(はい)。まあ、きっぱりしてるね。三十五歳から二十五歳まで?(はい)。うーん、統一教会は未来があるね。こんなに青年が多いからです。本当ですか? 青年はその国の未来を表徴するものです。日本は統一教会の滅亡を願っているのに、日本の中の若者たちが統一教会に集まってくるので、「日本の将来は大変です、文鮮明先生の将来は素晴らしく大変です」と言うのです。では、下ろしてください。四十五歳から三十五歳? (はい)。これは、半分もいないね。五十五歳から四十五歳? (はい)。まあ、これはさらに半分もいないね。六十五歳から五十五歳? (はい)。これは、もう姿も形も見えないね。大変なことです。もう六十五歳以上は、先生も要らなくなるのです。(笑い)七十五歳から六十五歳? (はい)。もう、何人もいないじゃないですか。(笑い)それでは七十五歳以上? (はい)。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ。(八人です)。九人(先生を加えて)です。(笑い)
これは、かわいそうじゃないですか。四〇〇〇名近い者のうちで、一番年長メンバーの八人に加えられることは寂しいことです。寂しいことを超えて失望的です。あなたたちもそうでしょう。八十歳代の男に頼るような人がいますか、いませんか? 率直に、自分の知っているとおりに答えてください。八十歳代のおじいさんに希望があり、未来があり、何か模範的なことがあると思いますか、思いませんか? はっきりと言わなければ分からないのです。「せん」か、「す」か? はっきりしてください。せん? す? (せん!)。 はい、ありがとうございます。
もう、先生は要らなくなったのだから、帰ります。(笑い)いらないと言ったでしょう。(先生は青年です)。気持ちは青年だけどね。(拍手)今まで青年になろうとして、一生懸命に運動をやってきたから、さーっとやれば、みんなこのようにくっつくのです。(先生が足を上げて額にくっつける)運動をしているので、相撲を取っても三分の二は転がしてしまうのです。(笑い)本当です。革命家は健康でなければなりません。牢屋にとじ込められても、一週間や四十日の断食をしても生き残れるような準備をしなければ、世界的革命はなせません。
先生は牢屋に引っ張りだこにされたのです。ですから、何回入獄したことになりますか? (六回です)。そのような者が世界をなぜこのように、かき回してしまったんだろうかと、世界で有名にならざるを得ないのです。悪いほうか、良いほうか分からないけれどね。しかし、先生を牢屋に入れた国も、人も、みなぺちゃんこになるのです。みんなそうです。先生を打って勝った者は見たことがありません。その証拠がたくさんあるのです。
先生の生涯の歴史を知れば大変ですが、そんなことを紹介する時間はないのです。これから膨大な内容を二日間で、十三時間か、十二時間圏内で教えなければならないのです。ですから、「真剣」という日本の素晴らしい言葉のように、真剣でもって真剣に生きることです。真剣なる将来を真剣にもらうのです。日本ではみな、真剣を喜ぶのですね。分かりましたか? (はい)。
気を引き締めて、約束してくれますか?(はい)。この二日間は、君たちの耳と目は自分たちのものではなく、文先生のものとするようにしてください。(はい)。先生に貸してください。必ず返しますから。それで、もし悪い耳であっても、悪い目であっても、返す時にはぴかぴかにしてあげます。「いやー、こんな耳、こんな目であったとは知らなかった」と、感謝するようになるかもしれないので、先生に貸してください。それを約束しますか? (はい)。では、先生は、見ていないから手を挙げてください。(はい)。下ろしてください。みんな自分で約束したのですね。先生は見なかったのですが、ちゃんと神様が知っているから、その約束を破らないようにお願いいたします。(はい)。もう気持ちよくなりましたか? (はい)。
忠臣の伝統精神とは
では今から、そろそろ本題に入りましょう。本題では難しい言葉を聞かなければならないのです。初めて聞く言葉をよく吟味しながら、自分と何のかかわりがあるかどうか、それを肯定するか、否認するかを決定するのは、皆さんなのです。自分たちでするのです。強制はしません。文先生が決めたことよりも、自分たちが決めたほうが良かったとすれば、それを自分の生命とともに誓って、生涯の梯子として渡れるようになることを先生は望むだけです。
それでは、題目を決めましょうか? (はい)。東洋で一番喧嘩の好きなのが日本人です。チャンバラをやるのは日本人でしょう? (笑い)何が悪いのですか? それは別に悪いことではありません。そうでしょう? だから、喧嘩の好きな日本人に対して、何を話したらいいかということです。(笑い)
では、題目を書きます。大きく書かないと見えないから、仕方がないのです。(先生が板書される。最後に「!」を三つ付ける)これ(!!!)は蘇生、長成、完成です。この題目は何ですか? (「真の自分を探しましょう」)。「真の目分を探しましょう」ではありませんよ。(笑い)そんなことでは駄目です。「目分」ではありません。真の何ですか? (自分を探しましょう!)。こんなことを言うので、初めから「文先生はろくな者ではない、真ではない」と公認して、駄目な者として扱ったので、ああいう表題を掲げてしまったと不満に思ってもいいのです。
この話は、真の自分をどこかで失ってしまったということです。今の自分は真ではないのです。それは、もうはっきりしているのです。それを知りたいですか、知りたくないですか? (知りたいです)。知って何をするのですか? (真の自分を探します)。世界を占領するのですか? (笑い)それは馬鹿です。そんな者がいれば、教えると大変なことになるのです。だから大変問題なのです。勝つのがいいですか、負けるのがいいですか? (勝つのがいいです)。悪い立場に立っても勝つのがいいですか? (良い立場です)。良い立場にいても、自分が良いと承認された立場に立っていることも知らないのですから問題です。真剣なことです。
向こう(前方)へ行ったり来たりするのも大変です。(笑い)七十五メートルはあるのです。何時間も行ったり来たりすることは大変です。君たちも座っていて大変だと思うのに、先生は立ったままで何の利益になるのですか。先生に授業料を出しているのですか? 献金するのは、日本救済のためです。先生は見たこともなければ、タッチすることもできないのです。なぜ献金するのかということが分かった場合には、「あー、ちょっと安くしてもらったらよかった」と、そんなことは言えません。忠臣の伝統精神は、すべてを献げて、一身を献げて残った骨も献げていくのが、本当の忠臣精神です。駆け回って、駆け回って、かき集めて献げるのが本当の忠臣です。先生はそう思います。その理論が最も高くて、最も貴いと思います。
さあ今から、あなたたちの中で立派な人になりたくない者は手を挙げてみなさい。(笑い)本当に立派な人になれる道があった場合には、死に物狂いで熱心になりますか、不熱心になりますか? (熱心になります)。みんな同じです。同じです。過去、現在、未来、人間たるものは同じ答えをするのです。だから、いい方法があった場合には、それで統一することができるのです。
それで最も、天上の神様もいいと言うものがあった場合には、地上の過去、現在、未来を超えて、最もいいということが分かった場合には、その両方の天地を代表した最もいいものを中心として、天と地を統一することができるのです。違いますか、合っていると思いますか? (合っていると思います)。合うと思いますか、合ったと思いますか? (合ったと思います)。合うと思うのは永遠につながるのであり、合ったと思うのは結末です。今、すべてを片付けてしまったことになるのです。
それで、一つになる群れを教える所が統一教会です。赤も白もです。赤にしたければ赤にするし、白にしたければ白にするのです。赤白にしたければ赤白にするのです。そんな話はないことです。赤が男で白が女だとすれば、女を赤にして男を白に変えることができれば、赤も白も一つにすることができるのです。それは悪いことですか、良いですか? (良いことです)。それは、良いことになるのです。赤でも白でも一つになれば、それは赤よりも優るし、白よりも優るからです。そうでしょう? 二つが一つになった場合には、自分の主張した以上に、白の最高も赤の最高も、それらが一つになって、もっと喜ぶのですから、すべてが昇華して統一されてしまうのです。そういう理論になるのです。
ですから統一教会には黒人も、黄色人も、白人もいるのです。みんな黒は無視するのですが、黄色人も黒人になってみなさい。白人も黒人になって統一するのです。それで、どこかで統一するのですが、一番下で統一するのがいいですか、上に登って統一するのがいいですか? (上です)。どっちが易しいですか、どっちが難しいですか? (上です)。上に上がるのは難しいのです。だから、下がるのが大切です。文先生のそういう理論の結果、下に下がって統一するのが一番いいので、黒人、黄色人、白人と言うのです。これは失礼ですか? 百礼ですか? (笑い)
では、みんな立派な人になりたいのですね? (はい)。立派な人になるには、みんなを多くに分割して、ばらばらにさせるのがいいですか、ばらばらのものを一つにさせるのがいいですか? (一つにさせるほうです)。分かっているのですね。(笑い)今晩、これをばらばらにしましょうか、このばらばらな者を嫌でも、け飛ばしてでも一つにしましょうか? (一つにするほうです)。け飛ばしてでもですか? (一つにするほうです)。け飛ばしたとしても、永遠に一つになって、死んでも離れないように一つになるとすれば、それは、け飛ばして一つにしてもいいことになるのです。け飛ばさないで、そのまま置いて一つになれば、もっといいことなのです。
さあ、「一つになりましょう」という表題に決まりました。それに反対する者は手を挙げてください、手を挙げてください? 誰もいないですね。一つになる、そういう意味において統一教会を歓迎しますか、不歓迎しますか? (歓迎します)。よく話も聞かないのにですか? (笑い)
聖子の行く道
それで、この問題に入る時「この者め! 文先生のやつは自分の息子をみんな誘って、だまして大変なことやらせて、親不孝者にさせた」「私の娘もそうだ! 娘盗みの泥棒だ。私の奥さん盗みの泥棒だ!」と、あなたたちの奥さんも統一教会に入ったので、泣きずった男もたくさん来ていると思います。殺すこともできないし、てんぷらにして食べることもできないのです。(笑い)すき焼きにして食べることもできないし、煮ても焼いても困ってしまうという話なのです。大変なことです。
昔は、絶対に旦那さんの話を聞いたのに、統一教会に入って水一杯でも飲んでしまえば、みんな聞かなくなるというのです。父母もそうです。統一教会に入ってしまうと、今までは自分の子供たちを愛していたのに、そのお父さんお母さんが変わってしまうというのです。「子供よりも国を愛するのだ!」となるのです。気違いになったとしても程度があるのです。それも、国はさておいて「国どころではなく、世界を愛するのだ! アメリカを救うのだ!」となるし、「五十年前の怨讐の日本の国を救おう」と言うのだから、反対せざるを得ないのです。そうなると、子供の主張することも悪いと言えないのです。「自分の一家のために親孝行する以上に、世界のために生きるのが忠臣の行くべき道である」というのです。
聖人の行く道は世界のためです。世界のために生き死んでいった者が聖人になるのです。天地のために、地上天国、天上天国の建設の勇士として神の命令に従って、それをなし得て成功した者を、神様の何と言うのですか? (聖子です)。聖子と言うのです。聖子、ホーリー・サンと言うのです。聖子とは、天と地と神と永遠の歴史のために生きようとする人です。そのような人が聖子の列に就くのです。
あなたたちは、自分の子供をどういう子供に育てたいですか? 親孝行者ですか、忠臣の愛国者ですか?、どっちですか? (愛国者です)。親孝行者です! 君たちは間違っています。忠臣になるとすれば、親を捨て、妻を捨て、子供を捨て、一家族を捨てるばかりではなく、滅亡させていくのです。どのようなことがあっても、その道を行った場合には、本当の忠臣になるのです。忠臣の王様になるのです。どうですか? そこの眼鏡のおじさん、本当ですか? 文先生の言うことは本当ですか? (そのとおりです)。そうですか、ありがとうございます。
それでは、忠臣を願いますか、聖人を願いますか、どうですか? (聖人です)。聖人になるには、自分の国まで犠牲にして、世界を救おうとする道を行かなければ聖人の列に同参することができないのです。文先生の話は間違っていますか、間違っていないですか? (間違っていません)。いつも間違ったことを言うといって、文先生は迫害されているのですが、この世の中は良い世の中ですか、悪い世の中ですか? (悪い世の中です)。本当ですか? そうだとすれば文先生一人が良くて、世界が悪いという結論になるので、問題になるのです。
悪なる世界は、良い者が反対の立場に立って悪なる世界を砕いて消化しようとするので、悪なる者としては真正面から反対するのです。一八〇度違うのです。ですから悪なる世界においては、聖子になると言う者の、一国を尊重する者の過去、現在、未来、永遠の世界まで救おうとして生死をかけたその心には、反対するというのです。どうですか? そうではないと言う人はいないでしょう? (はい)。
そんな者のことを馬鹿と言うのです。馬鹿は何ですか? (死ななきゃ直らない)。(笑い)もし死ななかったならば、どのようにしなければならないのですか。それは無用の者です。寄生虫です。負債して損害を天地に残す者は、どこに行っても歓迎されないのです。たとえ死んでも、歓迎する村もなければ、個人もないし、国もなければ世界もないです。無効なる者として、真ん丸になって消えていくのです。
それで、文先生が「日本列島を超えて、地上天国、天上天国をつくって神様の聖子になれ」と教えたとすれば、その者は悪い者になるのですね? (いいえ)。本当ですか? 先生は、みんな世界中が「悪い、悪い」と言うので、先生も悪い人間だと思ってきたのですが、あなたたちが「本当はそうではない」と言うので、今晩から改めて覚醒して、ありがたくあなたたちの言葉を信じて、今から堂々と逆に攻めなければならないと思いました。(拍手)
悪い世界の中の日本の国
では、皆さんの結論を聞きましょう。先生は、この世界は良い世界、善なる世界だと思っていたのですが、君たちはどういう世界だと思いますか? (悪い世界です)。反対ですね。文先生は「良い世界だ」と言うのに、あなたたちは「悪い世界だ」と言うのです。だから、文先生がナンバーワンの悪者になったというのです。そうでしょう。それは間違っていますか、そうですか? (そうです)。そうなのです。ですから、反対に立つ者は、先生を悪く思うのです。
文先生が、神様のほうの善なる代表の立場に立ったとするならば、悪の世界は全部歓迎しますか、反対しますか? (反対します)。間違いなく反対するのです。そう考えれば、問題は大変です。先生は一生涯かけて迫害を受けながらも、一回も後退するような考えを持ったことがないのです。牢屋に引っ張られていっても、そこで正義の牢屋の記録を刻み込むことを考えるのです。それは悪い男ですか、良い男ですか? (良い男です)。
先生は今晩、悪い男として結論するのです。そうすると君たちは、「そうなったら困ります」と言いますか? (はい)。おじさんたちは、「そうしたら困ります。先生、そうしないでください」。「そのままでいてください」。どちらを取りますか? すました顔をした偉そうな方たち、どうですか? (笑い)笑わないでください。同じ年代で先生の弟みたいな年齢だから、「この者」と言っても失礼ではないのですね。(笑い)男として何が失礼ですか? 風呂に入って体を触ったとしても、笑いながらそれを許すのが男同士のきまりではないでしょうか。(笑い)
面白い先生ですか? (はい)。面白いですか? (はい)。君たちが面白かったら、文先生は面黒(おもくろ)いということを考えなければならないのです。(笑い)みんな反対する者たちを面白くさせるのは大変なことです。(笑い)これまで、いかに辛いことがあっただろうかと同情してあげなければなりません。流してしまってはいけないということを忠告しておきます。心に止めておきますか、流してしまいますか? (心に止めておきます)。本当ですか? (はい)。
この世の中は誰に聞いても、「悪い世の中だ」と言うのです。先生が世界中を回ってみて、どこへ行っても、小学生に聞いても、「みんな悪い世界だ」と言うのです。老若男女を問わず、みんなが言っているのです。悪い世界なのです。その悪い世界の中にある日本の国は良い国ですか、悪い国ですか? (悪い国です)。何ですか! その目玉はなぜ下がるのですか? 純日本人であれば、「悪い」と言ったならば「ブー!」と、ぶっかけてくるのです。日本刀を引き抜いて、一騎打ちをやるような気概を持って、「そんなこと言ったら駄目ではないか!」と言っても、仕方がないのです。世界がそうなっているから、みんなもそうなっているのです。世界が悪いから、世界の中の日本の国も、「悪くない」と言ったら、それは、ぼんくらです。馬鹿です。馬鹿は死ななきゃ直らないのですね。いくら気持ち悪くても、我慢しないといけないのです。分かりましたか? (はい)。良いことがあるかもしれないので、我慢して待っていてください。(はい)。
日本が悪いとすれば、日本が悪かった場合には、日本人はどうですか? (悪いです)。悪いのです。それで、日本人が悪かったら自分はどうですか? (悪いです)。(笑い)みんなの考えは、自分をさておいて、他が悪いと言うから、駄目なのです。これが問題です。「自分は良いのに、日本が悪い、周辺が悪い、父親が悪い、兄弟が悪い、先生が悪い」と言うのですが、共に悪いことを忘れているのです。それを忘れているのです。自分と毎日関係圏でもってつながっているのに、その関係圏を無視するような立場に立っているということを自覚したことがありますか、ないですか? (ないです)。それがないので、本当の自分を失ったということになるのです。
世界は悪いけれども、自分がもっと悪いとすれば、悪い世界から同情されますか、排斥されますか? (同情されます)。はっきり答えてください! 夜だからといって、ぼやけていたら駄目です。大きな世界の全部が悪い。その中で誰よりも一番悪い王様が自分だと考えてみた場合に、周辺の悪い者が、国の悪い者が、世界の悪い者が同情するでしょうか?「この世の馬鹿」と言うべきでしょうか? (同情します)。そのように同情させるのです。いやー、えらいことが起きましたね。間違いなく、良心があった場合には同情せざるを得ないのです。
そうだとしても、それはさておいて、世界はなぜ悪いのですか? 君、答えてください。(自分です)。自分が悪いのですか? 今、自分と世界を聞いているのです。世界が悪いために、引き続いて自分も悪いようになったのだから、世界という頭から自分というしっぽが生まれてきたので、頭を解決することによってしっぽも収拾できるのです。世界がなぜ悪いのですか? はっきり言ってください? (金儲けに走っているからです)。金儲けが悪いと先生は言っていません。(笑い)神様の子供が一番困っている時に、金儲けをして助けてあげることは悪くないのです。(堕落の血統だからです)。堕落といっても、見たこともないのです。そんなことを誰に聞くのですか? それが信じられるのですか? そうはいかないのです。理論的に通じないといけないのです。なぜ悪いのですか? (……さまざまに答える)まあ、個人主義も、何々主義もいいけれど、個人主義も、全体主義もみんな争い戦うのです。
世界を見ると、世界史は戦いの歴史の記録です。そうですか、そうではないですか? (そうです)。すべての国が、韓国も日本も例外ではないのです。歴史はみんな戦いと争いの記録です。日本の新聞なんかも、大事件はみんな記載するのですが、それは、すべてがぶつかり合いの記録、戦争の記録なのです。あなたたちも毎日、それを見て驚いて、逃げたりしているのです。だから恐怖圏に包囲されているのです。これをいかに脱出するかというのです。分かりましたか? (はい)。
そうだとすれば、世界も自分もなぜ悪いのかというのです。これが問題です。あなたも禿頭になるほどたくさんの子供や妻を愛し、金を儲けることに苦労してきたのでしょう。そんなこともなければ、なぜ禿げるようになりますか? (笑い)みんな自分自身を中心として考えるようになるからです。
心身紛争する自分
さあ、世界が戦い、歴史が戦い、今も日本も戦っているのです。紛争しているのです。あなたはどうですか? あなた自身も心身紛争していることは、否認できません。これが問題です。ここに、心と体の戦わない者がいますか、いないですか? (いないです)。このような歴史的、公的、批判でもって、自分を悪い間違いの実証物として、指摘して教えてくれるのが文先生なのです。心身紛争する自分だから、悪いというのです。
心身紛争! このことが問題です。戦争歴史をたどっていけば、世界戦争から国家戦争へと流れてきたのではありません。分かりますか? 反対の方向へ、個人の戦争から家庭戦争へ、氏族戦争、民族、国家、世界、天宙の戦争へと拡大してきたということは、理論的にも否定できません。その元たるものは、一体何かというと、人間の第一先祖から戦争は始まったのです。その戦争は何千万年の人類歴史を連綿としてつないで、今の自分に定着しているのです。
今や、自分を起点として永遠の後孫にまで、この戦争をつなげざるを得ないような事実を我々は発見しなければならないのです。第一次世界大戦、第二次世界大戦においては、休戦も停戦もできたのですが、また、たくさんの戦争の歴史は、休戦や停戦をしてきたのですが、我々の心身紛争は一度も停戦をしたこともなければ、休戦をしたこともないのです。この大戦争を、一体誰が責任を持って解決できるのでしょうか? 悲劇といっても、これ以上の悲劇はないし、悲惨といっても、これ以上の悲惨なことはないのです。
我々は歴史の代表者となりたいのです。世界一の絶頂の立場に立ちたいという欲望をみんな持っているのです。しかし、その欲望を果たせないでいるのです。なぜかというと、自分が戦争しているからです。これを正した場合には、無限に良心を中心として上がる道があるというのです。今まで、そういうことを知りませんでしたね。知っていましたか、知りませんでしたか? (知りませんでした)。過去においては、思いもしなかったことですね。
そうすると世界万民、五十億の人類がみんな一つになって願うべきことは、「我々の中の心身紛争を停戦、休戦させてください」ということです。これ以上の願いはないのです。国家が統一され、世界が統一されても、根本的根源である人間の心身紛争を正さなければ、歴史的にも駄目になっていくのです。
永遠に先祖と一体になって、無限の後孫まで変わることのない戦場を抱えていながらも、その恐ろしさを知らないで生きてきたということは悲惨なものです。だから、世界も悪いし、私も悪いのですが、誰がもっと悪いかというと、戦争歴史の伝統をすべて、出発点から過程を経て、その結実体である自分の心身が何よりも恐ろしい戦場であったということを知らなかったのです。
歴史は、そのように見るべきです。神様がいたとするならば、神様もそう見ています。もし神様の反対の悪魔がいたとすれば、その悪魔もそう見ているのです。そのような心身紛争をやめない以上、世界は平和とか統一とか理想とか自由とか幸福とか言っても、みな嘘になるのです。
あなたたちが夫婦喧嘩をしたその一日は、平和な一日ですか、喜びの一日ですか、自由の一日ですか、幸福の一日ですか? (いいえ)。家庭があっても、めちゃくちゃなのです。めちゃくちゃです。それで、会社から家に帰る時には、お母さんがどう思うか妻がどう思うかと、みんな心が縮まって大変です。帰ろうかどうしようかと、酒屋で酔っぱらって、半分知らないふりをして帰ろうとしているのです。それは、かわいそうですか、不かわいそうですか? (かわいそうです)。
あなたたちの家庭で、奥さんのためにも平和でないとすると、子供のためにも平和でないとすると、親のためにも平和でないとすると、親戚のためにも平和でないとすると、会社の社長のためにも、課長のためにも、局長のためにもみんな平和でないと、その環境は地獄です。地獄なのです。「そのような環境こそが地獄だ」と感じたことがないというのは馬鹿です。こういうことを先生がはっきりと話すことによって、それがそのとおりに公認されるようになったことは、偉大な発見です。そういうことで、世界的に悪の世界と相撲を取って勝敗を決めることよりも、まず自分と戦って勝敗を決することが、世界の根本の戦いの勝敗を決めることであるという結論を下すことができるのです。分かりましたか? (はい)。
ですから、「天下一品になる前に、自分一品になれ!」と言うのです。先生の話を聞いて、そう思いますか、そう思わないですか? (思います)。思うのだったら、今から正していきたいですか、そうじゃないですか? (正していきたいです)。「いやー、聞くところによると、一番悪い文先生の話だと思っていたのに、来てしまったのだから気持ちが悪くても仕方がない」と言いながらも、従っていかないとぺちゃんこになるのです。一億がぺちゃんこ、一国がぺちゃんこになるのです。みんな相対的世界がなくなってしまうのです。
争う者の相対に立とうとする者は一人もいないのです。悪魔しかいないのです。悪魔です。善なる良心的な人は、争う境地から逃げていくのです。あなたたちもそうでしょう? (はい)。一人ひとりが戦い、自分の心身も戦う中で、それを知らなければ、「自分は良い者であり、戦う者が悪い」と言って、逃げていこうとするのですが、最も悪い者が自分だということを知らないのです。
歴史の動機と結実体である人間
歴史の動機は人間です。先祖です。君たちは先祖の結実体です。男という一個の実を植えました。それがアダムです。そして女という一個の実を植えて、こんなにたくさんの男女になりました。一つ植えた実が大きく育って、たくさんの枝と葉をつけて、そして花が咲いてたくさんの実がなったのと同じです。男の実の本来の価値と、収穫したたくさんの実の価値とはイコールなのです。
ですから、たくさんの種をまた植えても、たくさんの種が繁殖していくのです。アダム一つを植えて、二十五億のたくさんの男が生まれたように、エバを一つ植えて二十五億のたくさんの女が生まれたように、君たちから収穫した実を東西南北に何百個植えても、一つのアダムとエバと同じような傑作が世界に拡大していくのです。同じ味だし、同じ価値なのです。価値が同じなので植えれば同じ木になるし、同じ実を結ぶのです。そうですね? (はい)。
そういう意味において、同じ実だから人間は平等なのです。そして、その実には数千万年の先祖の要素が、みんなつながっているのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。それを否定する者は頭が悪いのです。それは、計算外れの者であり、無用に近い者です。ですから、そういう意味で、神様がアダムとエバをつくった時、二組ずつをつくったのですか、一組ずつをつくったのですか? (一組ずつです)。男一人、女二人でもいいのではないでしょうか? 男はみんな、そういう放蕩なことを考えてきたのでしょう。自分の奥さん以外の女とつき合ってきた者が、九九パーセントはいるのです。統一教会の祝福家庭は例外ですが、自分の奥さんをさておいて、他の女の尻をつけ回るのが男のくせではないですか? あなたもそういう傾向のある男です。(笑い)悪いことをたくさんやってきたでしょう、正直に言ってください? (笑い)恥ずかしいのですか。ちゃんと顔に書いてあるのです。嘘はつけないのです。いくら弁明しても、そうはいきません。良心が知っているのです。良心を見れば分かるのです。
文先生は、それが分かる高いアンテナを持っているので、世界的に問題を起こす男なのです。問題を起こすといっても、悪い問題ではないのです。その国が良くなるような問題を起こすのです。アメリカでもそうです。十五年前に先生がワシントン大会で宣言した時は、気違い男の言葉だと思われたことも十五年後の今になってみると、天の宣布の言葉であったことが分かるのです。福音の福音だったのです。そのような先生の言葉がたくさんあるのです。
それでは、孔子様はその戦争を止めることができたのですか、できなかったのですか? (できなかったのです)。仏教の仏様はどうですか? (できなかったのです)。マホメットは? (できなかったのです)。イエス様は? (できなかったのです)。では誰がやるのですか! (文先生です)。この者! 一番文先生の嫌っていることを言うのではありません。(笑い)
なぜ、こういうことになったのかということを知らなければなりません。何かが間違っているし、誤っているのです。このことが根本的に分からないと、その病原をはっきり知らないと、それを取り除くことはできません。その病気の原因と過程と結果をはっきりさせることによって、解決の方法も生まれてくるのです。世界では、今や理論的に可能なものは何でもつくることのできる時代になってきたのです。何のことか分かりますか?
理論的に解明できれば、何でもつくれるような時代になってきたのです。宗教も理論的にその公式内容がはっきりと明示できた場合には、何でも成就できるようになるのです。そういうことを知りたいですか、知りたくないですか? (知りたいです)。時間が遅くなっても、聞きたいですか、聞きたくないですか? (聞きたいです)。何時までですか? (何時まででもいいです)。
飛行機に乗って来る途中は何とか言ってごたごたしながらも四方八方から、日本の津々浦々からみんな集まってきたのですが、これから帰っていくようになれば、日本は大変です。大地震とか何とか、その噂を聞いていますか? それで、先生も心配しているのです。それは、日本が六〇〇〇メートルの崖の上に立っている列島だからです。みんな(地震が)縦的であればいいのですが、もし横的になれば、みんな六〇〇〇メートルの暗くて深い底に引っ込まれてしまう日本列島なのです。本当です。神様が守ってくれないと、日本人には守ることができないのです。日本の責任者も、日本の金も、日本の知識も守ることはできないのです。もし守ってくれる方があるとするならば、神様以外にはあり得ません。それを知っていますか? (はい)。
そこのおじさん、立派な顔をしているけれど、役所の長でもやっているのですか? あなたは何をしていたのですか? 会社をやっていたのですか? 今、何歳ですか? (六十九歳です)。六十九歳で、マスコミなどの批判する中で、文先生のことを相当悪く見ていたでしょう? 統一なんて当てにしたくないという肚でもって一方通行ですましていこうと思っていたのに、何かの条件に引っかかって、ここまでやって来たのですね。文先生に会って気持ち悪いですか、気持ちがいいですか? 男としては美男子のタイプですか、ぶ男のタイプですか? 率直に言って、美男子のタイプなのです。四柱推命をする人も先生の顔を見て、みんな立って敬礼するのです。そして、「天下を治めて余りあるような王様になれる相です」と言うのです。それで、先生もびっくりして「そんな嘘のようなことを言わないように」と言ったのですが、しかし今になってみると、「あの何だか泥棒みたいな詐欺師みたいな男の言ったことが、いやー、嘘のように思っていたことが本当のことでした」と、なるのです。
そうなると、王様は、先生よりも頭を低くするのです。天下に影響を及ぼす王様も、歴史の方向を転換することはできないからです。文先生はそれをなし得たのです。共産主義を滅亡させたのは誰だと思いますか? 計算的に公式的にやって倒してしまったのです。それを信じますか? 「ワシントン・タイムズ」を見たでしょう。「あれは真っ赤な嘘ですよ。嘘です。嘘です。ニクソンとか、レーガンとか、ブッシュとか有名な人々が、みんな気違いになってあんなことをしたのです」。(違います)。何が違うのですか? 何も、見たこともないじゃないですか。この者! (笑い)(先生が)嘘だと言えば、「嘘だ」と信じればいいではないですか。それが最後になって、嘘ではないかもしれないと思えば、「嘘ではない」と信じればいいのです。今は分からなくても仕方がないのです。おじさん、そうではないですか? (そうです)。
一人ひとりが一億二千万人を代表した日本人
統一教会の男は、みんないい顔しているのです。先祖がいいから、運がいいから、みんなここに入ってきているのです。運のいい者、因縁のある者は、どんなことがあっても入ってくるのです。みんな因縁があって、このように集まったのだから、それぞれに注意して終わりを飾るようにしないと、先祖に打たれるのです。自分は、独りぼっちではないのです。歴史をつないだ代表なのです。
自分一人が、ぽーんとヘリコプターから降ろされて、生まれてきたのではないのです。ずーっと数千代の血統をつないだ遺伝的観点から見た場合に、あなたたちの六十兆の細胞の中には、先祖の細胞がみんな入っているのです。それは否定できないのです。先祖が自分の中に生きているのです。私が喜び、私が幸福になり、私が天的祝福の恩恵につがれることによって、先祖たちもそれにつながれていくのです。そのように、歴史的な連体形として存続していることを忘れてはなりません。独りぼっちでは、存在圏が世界圏まで続かないのです。分かりましたか? (はい)。
家庭は、日本を代表した家庭であり、日本とつなぐ家庭なのです。日本人とつなぐ家庭になるのです。独りぼっちではないのです。そうなれば君たちもみんな、日本を代表した男になりたいのですね? (はい)。万民が共々に、みんな代表的な者になるように神様は願っているのです。分かりましたか? (はい)。みんな日本人として、一人ひとりが一億二千万人を代表した日本人になるのです。そうなれば、その国は最高の国になるのです。素晴らしいことです。
あなたたちの欲望は、ぺちゃんこになりたくないのです。みんな王様になりたいし、それから女王様を奥さんとして愛したいのです。そうではないですか? (そうです)。そうです。そして、その場所を知らなければならないのです。それが、いかに幸福なる場所かを知らないので、みんな大変なのです。もともとそういう根源を持っているし、その動機と原因につながっている自分だから、そうならざるを得ないのに、そうならなかったので、苦悶し合い、ぶつかり合い、争いの世界になってしまったのです。それを平定すれば、ずーっとそのまま自動的に帰ることができるようになるのです。
その道を、どんなに難しいことがあっても、たどって行きたいですか、無関心で放棄したいですか? (たどって行きたいです)。たどって行って、自分が探し出していくのです。そういうふうにたどって行って教える先生があった場合には、先生の後に絶対くっついて行くべきですか、行かないべきですか? (行くべきです)。文先生が、もしそうなったらどうしますか? おじさん、くっついて行きますか、行かないですか? 行かなかったら大変です。自分の子供が大変です。奥さんが大変です。先祖が大変です。後孫が大変です。日本の国が大変です。世界が大変だというのです。
あなたは初めて来たのですか? (はい)。そうらしいね。先生は心が広いタイプです。男としても、きちんとした男です。本当ですよ。中流以上の生活をする権限をもって、社会に影響を及ぼす男です。聞いてみなさい。そうか、そうじゃないか自分がよく知っているのです。
世界が悪いのは当然のことですが、世界よりも誰が悪いかというと、私がもっと悪いのです。私が先祖の原因につながれており、結果につながれていることを忘れてはなりません。この私自体を解決することが、すべての悪の世界を解決する近道であると結論づけても、無理なことではないのです。分かりましたか? (はい)。
この世の中にはたくさんの事件があります。たくさんのことがあります。日本にもたくさんの問題が山積して、富士山よりも高く、エベレスト山より高くなっているのです。そういう問題点を分析すれば大変なことですが、大変な問題も簡単な内容によって解決されるのです。それが何かというと、人間というものによってです。
すべての問題の解決は男と女
それでは、猿によって悪い動機が生じたのでしょうか、人間によって悪い動機が生じたのでしょうか? (人間です)。それは間違いありません。人間といえば、男と女がいるのです。その男と女の絡みが順調にいかずにぶつかり合った結果が、こういうような問題を引き起こしているのですから、この男と女をきれいに解決する公式を発見した場合には、天下すべての問題が解決されるのです。一〇〇パーセントでなくても、八〇パーセント以上は解決されるのです。
そうなれば平和の世界、理想の世界へ、目前からジャンピングして乗り越えることができるのです。私自身が問題なのです。私というのは、男と女です。日本にはたくさんの問題があるけれども、みんな男と女につながる問題なのです。家庭の問題も、社会の問題も、みんな動機は男と女です。それをまた分析してみれば、なぜ私の心と体が戦うのかということです。それを知りたいですか? (はい)。
これは、先生が生命をかけて発見してきたものです。あなたたちは生命をかけて、そんなことを考えたことがありますか? ないのではないですか。何もしないで、先生が苦労しているのに酒を飲んだり、踊ったり、チャンバラをしながら、好きなことをやってきた者ばかりです。公的に宗教を立てて、万民を救うために、どんなに迫害を受けても、それを超えて万民救済の道を開拓して、山を越え谷を越えて、世界を抱えて駆け回ったことはないではないですか! こんなにたくさんの者が、このように一部屋に入って、こんなに詰められて、どうにもできない辛い立場に立ったのは、生涯で初めてかもしれませんが、それは喜ばしいことなのです。
お嫁さんが旦那さんの部屋をのぞくということは、一大事件なのです。天下に思いもしなかったことが起きたのです。女が男の布団の中に入るということは、どう考えても大変な事件です。それは、そのまま通行できないことです。一身に大変な被害を被っても、犠牲にしても、その道を行かなければ大変なことになるのです。もし、その場を逃げ出したらどうしますか? 「あー!」と声を張りあげて、逃げていったら大変です。希望も何もありません。女の本来の目的がみんなぺちゃんこになってしまうのです。それと同じことです。
こんなに大変なことが、自分の生涯すべてを砕いてしまうようなことが、なきにしにもあるということが分かった場合には真剣なのです。語る者も真剣であり、聞く者も真剣です。どちらも、もっと真剣になるべきです。聞く者が語る者よりも、もっと真剣にならなければ、君たちは復活の道がないのです。理論的にもそうなのです。どうですか、真剣になりましたか? (はい)。なりつつあるのですか、なったのですか? (なりました)。なりましたか、なりつつありますか、どちらですか? (なりました)。
男だったら、「た」と決めるのです。女だったら、「つつ」かもしれません。女は、お父さんに聞いてみて、旦那さんに聞いてみて、家族に相談してみるのですが、男は相談も何もないのです。国会で法案が無事通過するのと同じように、君たちも、ぱんぱんと決めればいいのです。そういう権限もないのですか? 男のくせに何ですか。死んでしまいなさい! (笑い)家に帰っても、そんな権限が一つもなかった場合には、何の勢いもないし、面子もないし、意志も何もないのです。
さあ、そういう意味において、「決めた」と言うのです。「いい夜だった」と言うのです。分かりましたか? (はい)。しーんとしますか、ふーとしますか? 縦的にしーんとしないで、ふーとすれば倒れてしまうのです。しーんとしますか、ふーとしますか? (しーんとします)。しーんとする者は手を挙げてみなさい! 「ワー、ワー、ワー、万歳!」。先生は何と言いましたか? 先生は漫才と言いましたね。(笑い)これでは漫才をしているみたいです。君たちは万歳で、先生は漫才でも何でもいいのです。恥ずかしくても、万歳をやったに違いないのですね。そうですね? (はい)。ありがとう。
「ありがとう」と言うのは、蟻が十匹だと言うことであり、日本人に対して言う言葉なのです。日本人は「ありがとう」と毎日、何百も、何千も、何万もの蟻を持っていて「ありがとう」と言うのだから、十匹どころではありません。ありがとう。蟻の王様は、日本の男、女たちです。ですから、日本人は頭が大きくて首が細く、腰が細くて足が強いのです。働かなければ死んでしまうのです。そういうふうにして金を稼いでも、その使い方を知らない蟻みたいな日本人なのです。蟻はみんな巣の中に隠して蓄えるのです。外に出すことを知らないのです。先祖を尊敬し伝統を尊敬する民族は、そうならざるを得ないということを説明することによって、「あー、日本民族は金を使わない蟻の従兄弟みたいだ」と解釈して安心しているのです。
本当に日本人は、金の使い方が分からないのです。文先生はポケットに金が一銭もなくても、いくらでも金を使えます。(笑い)そういう公式があるから、不思議な男なのです。文先生を見た時に、いつもこういう服なのです。これは安っぽいものです。ナイロンです。しわの寄るのが大嫌いだからです。汗がついたら、さーっと洗濯するのです。このように大衆を指導するには、このやり方が一番便利だからです。ネクタイすると大変です。すましてネクタイなどをして王様みたいにしていたら、泥棒を見つけても調査できないのです。先生はそんなことはしないのです。ネクタイはしないのです。
できれば、どこに行っても、何か一つ欠けたことをするのです。市場などにも、時には裸足で行くのです。ですから、文先生だと思う人は誰もいないのです。それで、今まで統一教会の教祖の文先生を本当に見た人がいないのです。あなたたちは今、会っているのですけどね。
すべては世界のため、天宙のため、神様解放のため
先生は、二十年間船に乗りました。船頭をしました。二十年間、私の横で働きながらも、あるおじいさんは私が文先生だということを知りませんでした。なぜでしょうか? 着ているものを見ても、自分のものよりも悪いからです。働く姿を見ても、乞食みたいに働いているのです。魚を捕る時にも、一番暑い所で一生懸命に捕るのです。
ですから、「統一教会の文先生は頭がいい。ああいうような働き好きな船頭さんを立てて、青年たちを指導するんだから、いやー、実に天才的頭を持ってる」と、そういうことを言っているのです。そして、先生に対して、こう聞くのです。「レバレンド・ムーンはいつ来られますか?」と。「こんな飛行場もない所に、どうして来られますか? 飛行機に乗って往来すべきお方なのに、ここには飛行場もないではないですか。立派な飛行場で偉くなって働けば会うことができるのですが、船頭さんや船乗りなどに誰が会うというのでしょうか」と。私が文先生だとは夢にも思わないのです。そのような境遇ですから、本当に文先生だと思う人は一人もいないのです。
ヨーロッパなどに行っても同じです。先生はどこへでも行くし、国境も無事通行です。どんな工作もできるのです。日本においても、いろんなことを計画したのです。しかし何でも悪いことと分かれば、教訓にしなければいいのです。それが、統一教会の文先生でありました。神様が本当に分かったので、そんなことはやめたのですが、先生はやると思えば何でもやるのです。今でもそうです。
大学を卒業した日本の女性たちが一六〇か国に十名ずつ、一六〇〇名が行きました。歴史上に、こんなことをなし得た団体はないのです。日本の国も、それはできないのです。日本の国が外国に大使館員として出している数よりも、外国に出ている日本の統一教会員の数のほうが多いのです。ですから日本は将来、統一教会によって助けられるようになるのです。
これからの日本の国策を考えた場合には、五千万人以上が移民しないといけないのです。日本人が世界の首都に定着しても、その国に影響を及ぼすようなものは何も持っていません。分かりますか? しかし、文先生と統一教会はそうではありません。迫害されながらも、世界の首都の中心部に行って、その国の指導者層に影響を与えて、ちゃんと定着しているのです。そういう姿を見た時、日本人が集まった場合には、「日本の将来は文先生と共に歩調を合わせることにより、世界的な最高クラスの人々を指導して余りある道がある」と言うのです。
あなたたちはみんな、日本ではそれなりに相当なものだと自分のことを思ってきたのでしょう? みんなの顔を見れば、みんな素晴らしい顔立ちをしています。いい顔をしています。そういう人は、先生の話を聞いていけないなどとは思わないようになっているのですよ。
東大を卒業した人は手を挙げてください? 灯台は夜に必要なものであって、昼間は必要ないのです。(笑い)東大を卒業して、何をするのですか? 統一教会の責任者になるために東大を卒業したのですか? 東大卒の博士も、今からファンダレイジングをするのです。路傍でもやりますか? 「はい。かしこまりました」と、平気にやるのです。何のためかというと、自分の家のため、日本のためではありません。世界のため、天宙のため、神様の解放のためにやるのです。
そういう徹底した思想を神様解放までつなぐのです。分かりましたか? (はい)。それが話しだけではなく、機動して走る者に全世界が注目して「ワー、これは大変だ! (文先生が、その)国を通れば、国がみんなぺちゃんこになるし、世界に行けば、世界がぺちゃんこになってしまう」と、全世界が共同作戦を組んで「文先生打倒!」と言っているのですが、先生は打倒されましたか? (いいえ)。ですから、五十年間迫害の最中にあっても、発展して、歴史を変える成功の道を築いてきたのは、文先生以外にいないのです。
経済界のトップは、文先生が金を持っていることを知っているでしょうか? それを知らないでしょう。経済的においても、誰にも負債のある生涯を残してはならないのです。もし、そういうことがあれば、「ワー、ワー、ワー、みんなをだまして、略奪して。ワー、独裁者だ!」と言うのです。
先生は誰よりも世界に投入してきたし、誰よりも世界の先頭を切って犠牲になってきたし、その影響力も、国を超えて大陸を超えているのです。日々、今でも続けているのです。善なることにおいて苦しい道、十字架の道、迫害の道を歩み始めた以上は、方向もその道であり、終結もその道で先生は一生を終わらせていくのです。平安で安楽な場でもって病死するようなことはしません。監獄に入ってもそうです。戦いながら倒れていくことを宣言しているのです。
今や八十歳代のおじいさんですが、みんなは座っているのに堂々と立ったまま何時間も話していても倒れないし、びくともしないのです。先生は日本の帝政時代に、日本人に牢獄で責められたことがあるのです。その拷問の場において、四つのテーブルの脚がみんな折れてしまっても、「打て! 君たちが敗れるか、レバレンド・ムーンが敗れるか!」と決意して口を閉じていたのです。友達を守るために、国を守るために、そういうことをやってきた男なのです。血を吐くような立場でも、血をかき分けて「神様、安心してください。まだ生きています。私には同情しなくてもいいです。一人であっても日本に対決して、屈伏させていきます」と。それが今、そういう状態になりました。みんな、そうでしょう? (はい)。
先生に屈伏する心情なのですね。そうですか、そうではないですか? 気持ち悪くてもそうなのですね。話を聞いているうちに、その方向に回っていくのだからそうなのです。ですから気持ちが悪くても、気持ち悪くないようにしてください。分かりましたか? (はい)。
神様が宇宙の唯一の根である
最も悪い本拠地はどこですか? 文先生ではないのです。君たちです。君たち自身です。ですから、自身を確認、承認、自覚した場合には、滅亡ということがないのです。今よりは良くなるし、希望の発展圏に立つということは理論的なのです。
「こんなに悪い者を、天下は助けてくれるな! 天下は攻撃せよ!」。そう言うと、天下すべてが自分を攻撃してきても、「私を悪者と決めてくるのであれば、それもよろしゅうございます」と、そういう肚を持ってやるのです。文先生は、そこから出発しているのです。牢屋に引き込まれて、長い間牢屋の生活をしても、神様に向かって「こういう苦しみから救ってください」と一言も祈ったことはないのです。「神様、心配しないでください。私が神様について知ったすべてのことを、完全に解放してあげます」と、四十年間ぶっかけられ(注:迫害される)ても倒れなかったのです。
今からは、日本も捨てられるのです。日本は本当に、滅亡するかもしれないのです。神様において、世の中で最も憎い者は文先生ではないのです。分かりますか? 世の中で最も愛すべき男が文先生かもしれないのです。そうなった場合には、それを憎んだ者が最も悪くなるのです。最も早く滅亡するのです。そういう理論も、当然のこととして受け入れなければならないのです。人間であれば、誰でもがそう考えるのです。
先生は日本の政権を預言しました。三か月続くのも大変です。そういう日本なのです。伝統精神も滅亡です。日本は島国の王国なのです。イギリスも西洋の島国の王国です。これでは、両方とも落第です。これではサタン的なエバ国家です。女の王様の国がなくなった場合には、女を率いて王権を踏みにじってきたサタンの世界は終わるのです。それは原理を聞けば分かることです。いやー、歴史は素晴らしい、生きた歴史なのです。文先生の解説によって、今まで死んでいたような歴史も、みんな理論的になっているのです。そういうことが分かった場合には、東大も何もあったものではないのです。灯台は夜の海に必要なのです。孤独で何も光らない海に必要なのです。分かりましたか? (はい)。
一番恐ろしいものは、文先生でもなければ、日本史の中の敵討ちの怨讐の代表者でもありません。それよりも、もっと恐ろしいのが自分なのです。これをいかに倒すか、いかに生かすか? どうですか、倒したいですか、生かしたいですか? はっきりと答えてください。(生かしたいです)。生かしたいのですね。生かしたいとすれば、どういうふうにして生かしますか? それを、文先生によって教えてもらわなければならないのです。教えてもらいたいですか? (はい)。こんなに憎んできたのに、敵討ちもせずに、「今から弟子になります。お願いします」と言うのですか? それと同じです。先生の話が本当であり、天下を治めて、一族を解放する秘訣があるとすれば、そうする者は偉い男です。
最も恐ろしいものは自分なのです。その恐ろしいものを自分の意のままに、どういうことをしてきたのですか? いいことですか、悪いことですか? あなたたちは男として、美人の女をみんな誘おうと思ってきたのでしょう? あなたもそうですか、みんなそうですか? そうでない者は手を挙げてみなさい。 みんな、そんな悪いことをやってきたのです。その女性が君たちの姉さんであり、妹だということを知らなかったのです。神様を父母として、みな兄弟姉妹だと考えてみれば、自分の妹や姉さんを犯してしまったのです。でなければ、自分の叔母さんを犯してしまったのです。そのような、でたらめなことをやってきたということになるのです。分かりましたか、何の話か? (はい)。
神様が宇宙の唯一の根なのです。中心の根からどんなにたくさん生まれても、幹も一つ、枝も一つ、穂先も一つなのです。それが何千万年の歴史を経て、大きな人類という木になっているのです。それは否定できないのです。みんな兄弟姉妹です。一家族なのです。
それでは、ここで問題です。空気は、高気圧が低気圧を訪問するのですか、低気圧が高気圧を訪問するのですか? (高気圧が低気圧を訪問します)。本当ですか? それでは、水は高い所から低い所へ流れるのですか、低い所から高い所へ流れるのですか? (高い所から低い所へです)。低い所へ流れてどうするかというと、水平にするのです。水の流れは、くぼんだ所をみんな水平にしなければ通行できないのです。だから、流れて、流れて、海に入って、水平線の大洋をつくっているのです。
愛も同じ性質を持っているのです。愛というものはどういうものですか? 固定したものだと思いますか、流れるものだと思いますか? (流れるものです)。へこんだ所を高いものが埋めるようになっているので、愛を持った者は低い者に注入するのが愛の本性なのです。ですから父母は、子供のために一生を死ぬまで投入していきたいと思うのです。分かりますか? (はい)。「兄弟同士で喧嘩するように」と言う父母はいないのです。お母さん、お父さんが褒めてあげて、平等に平行になるようにコントロールしたいのが親心なのです。愛の運動も同じです。
それから、愛というものも、空気というものも、水というものも、毛細管現象なのです。毛細管は、隙があった場合には開くのです。愛も、水も、空気も、隙があった場合には流れていくのです。だから、人間の生命の要素になっているのです。この肉体はみんな呼吸するのです。水も、空気も共につながるようになっているのです。そして、へこんだ所を埋めていくのです。分かりますか? (はい)。そのような同じ運動を無限に行っているのです。
太陽の光もそうです。隙があったらどこへでも通じるのです。そういう素質を持っているので、生命体の要素になるのです。太陽がなければ大変です。水がなければ大変です。空気がなければ大変です。それから何がなければ大変ですか? 愛がなければ大変です。これ以上話した場合には、もうほかの所を回る時間がないから、これだけで話をやめておきます。
問題は何が一番いいか、何が一番悪いかということです。そういうことを考えてみた場合には、誰でもみんな一番いい者になりたいという思いを持っているのですね? (はい)。それで、一番いい者になろうとして、一番悪い者であったという自分をみんなが制圧すれば、一番いい者になるのです。そうでしょう? 自分が一番悪い者であるから制圧してもらって、「あー、よかった」となるならば、一番いい立場になったということになるのです。あなたたちは、無限大の欲望を持っているのですね? (はい)。
十二時までには、もう三十分しかありませんね。お母様と約束したのです。「十二時の十分前までには帰ります」と。もう今から帰っても約束破りです。(笑い)もう約束を破っているので、お詫びしなければならないのです。仕方がないですね。
心身紛争の出発点は何か
そうなると、なぜこういう者になったのかということです。あなたたちの生命、心身紛争の出発点はどこかというと、それはお母さん、お父さん、その先祖の先祖の先祖であり、一代目の先祖のアダムとエバまで上がるのです。それからアダムとエバをつくった神様まで上がるのですが、神様は心身紛争すると思いますか? (しません)。なぜしないのですか、なぜですか? 絶対なる神様だからですか? 絶対という概念は、二つとないということです。たった一つであり、唯一の神様なのです。絶対なるということは、完全に一つになっているということです。二つの概念はないのです。神様は心身一体になっているのです。
では、神様は何を中心として心身一体になっているのでしょうか? (愛です)。金でもなければ、知識でもなければ、権力でもないし、全能なる力でもないのです。愛を求めて、性相と形状があるのです。相対関係は愛を求めていくのです。あなたたちも知っているように、「この宇宙の構成は、力によってなっている」と学者たち、科学者たちは言っているのです。
これから、前のほうに行きます。みんなが寝ぼけないようにです。みんな寝ているのですね。(笑い)前のほうの人は、先生の顔も見えないので、むくれてしまっているのです。みんな後ろのほうで先生が話をするので、前のほうの人は「困った」と言って寝ぼけてしまうのです。寝ぼけていませんか? (はい)。そうであれば、先生よりも偉い人たちですね。平等ではなく、後ろのほうばかりで話をしているなんて、そんな失礼なことはないのです。すみませんね。「すみません」を分析すれば、住まないか、よく住むかということです。それは、よく生きるかということだから、「すみません」と言うのは、死んでしまうという話にもなるのです。いろんな新しい日本語を習っているのですね。
日本人は、一日に「すみません」を何回言いますか? 「すみません」は、死んでしまうということですから、火山が爆発しておしまいです。それで地震があるのです。ですから日本人が「すみません」と言う言葉は、「生きません」と言うことであり、「生きません」は死ぬことです。ではどうすればいいのかというと、それを変えないといけないのです。
(あなたは)寝ていなかったですか? (はい)。寝たような顔をしているのに、寝なかったのですか? 本当ですか? それは、先生よりも偉いです。いやー、傑作な男ばかりです。先生の顔を見たかったですか、見たくなかったですか? (見たかったです)。では、よく見てください。もう見ましたか? アンコールですか? ここ(壇上)に座って話せばいいのですね。(はい)。座るとおなかの力が抜けて、言葉に迫力がなくなってしまうのです。
さあ、根本に戻っていかなければいけません。君たちの出発と違って、神様は心身分割していないのです。神様の相対として、神様によってつくられた人間は、一体、神様の前にいかなる立場であるかというのです。あなたたちは結婚前に、自分の愛の相対が自分よりも優れる人を願ったのですか、劣る人を願ったのですか? (優れる人です)。十倍ですか、百倍ですか? (百倍です)。百倍ですか、千倍ですか? (千倍です)。千倍ですか、万倍ですか? (万倍です)。万倍ですか、億倍ですか? (億倍です)。億倍ですか、無限億倍ですか? (無限億倍です)。泥棒のような者たちですね。(笑い)考えてみると、みんな誰でもそういう欲望があるのです。そのような愛の相対者は、自分の奥さん以外にはいないのです。子供ではないのです。
それでは、その質問を神様にしてみた場合、「神様、あなたは人格を持った私のお父様だから、あなたの子供がこういう欲望を持っているのと同じように、神様におかれても相対になる者は、神様よりも無限億倍優れることを願いましたか?」と聞くと、笑うのです。「そんな馬鹿なことを聞くな」と。それはなぜかというと、人間と同じだというのです。ありがたいですね。いやー、それはそうならざるを得ないのです。原因があって、結果が生まれてくるのです。動機があって、そういう状況の自分が現れるようになるのであり、動機がなかった場合には、そんなことは絶対ないのです。分かりましたか? (はい)。神様がそうだから、人間もそうならざるを得ないのです。
それでは、「神様の前に相対となる者で、何億万倍価値ある者は誰か?」と聞いた場合、それは誰ですか? お猿さんですか? (人間です)。人間といっても、あなたたちみたいな人間ですか? 人間にも種類があるのです。それは、あなたみたいな人間ではなく、神様みたいな人間をいうのです。答えは神様みたいな人間です。あなたたちは今、どんな人間ですか? 悪の王者は「悪魔」と言うのです。悪魔の人間なのです。
それで、紛争というものは、二つのものが戦う以前には一つになっていたのです。何のかかわりもなかったのです。しかし、戦いを始めたその日から、上がっていくのですか、下がっていくのですか? (下がっていきます)。それで、戦いが激しく続いた場合にはだんだん下がるのだから、一番深い所に落ちる者にならざるを得ないのです。そのように落ちた所を地獄というのです。これは、理論的なのです。
愛によって所有権が決定される
平和というのは、栄えていくし、上がっていくのです。上がって、上がって、平和、平和、大きな平和になれば天国に入って、神様の上まで上がっていくことができるのです。無限に上がっていくことができるのです。そのような素性を人間は持っていなければならないのです。神様より優れる何億倍の無限大の神様みたいに、無限倍になるような本性を神様が人間に注入してやらなかったとすれば、神様は大変な神様です。人間を破壊するための神様であるという結論になるのです。
神様は、自分の何千倍も優れるようになる良心の欲望を注入してあげないといけないのです。ですから、良心の欲望は無限大なのです。もし、それがなかったとすれば、神様に向かって上がっていく梯子がなくなってしまうのです。アンテナがなくなってしまうのです。
良心の欲望は無限小ですか、無限大ですか? (無限大です)。「無無無無、限限限限、大大大大!」です。無限大でも、どんなに大きいか分かりますか? あなたたちの良心は、もし神様がおられるとしたら、神様に会ってみたいのですね。会ってみて神様が素晴らしかった場合には、会っても別れますか、奪ってしまいたいですか? (奪ってしまいたいです)。奪ってしまって食べたいですか、遊びたいですか、どういうふうにしたいですか? (笑い)一つになりたいのですね。
では、何で一つになるのかというと、愛でもってです。一つになるには、愛以外にはあり得ないのです。父子一体、それは父子関係が愛を中心としているということです。夫婦一体という言葉もあるのです。すべて、一体化なしにはあり得ないのです。愛を中心として一つになるということです。また兄弟一体というのは、(兄弟が)愛を中心として一つになることをいうのです。愛というもので一つになった場合には、そこに所有権が決定されるのです。これは天的な定義なのです。
愛の関係を結んだ場合には、何が決定されるのですか? (所有権です)。神様と共に愛した場合には、神様の愛が自分のものになるのです。分かりますか? 男と女が愛の関係を持った場合には、愛を中心として一体になるのだから、すべてが自分のものになってしまうのです。
日本に、ある貴族のひとり娘がいたとします。部落みんなの話題になって、「あの娘と結ばれる旦那さんになりたい」と思う者がたくさんいる中で、一人の腕白でいたずら好きの男がいて、それが、やくざの親分の子供であり、そのやくざの子供に引っ張られて、ひとり娘が肉体関係を持ったとすれば、やくざの親分のその子供が貴族の父母に向かって、「この娘は自分のものだ」と言った場合に、親は「そうではない」と言えますか、どうですか? 日本の習慣では、どうですか? 仕方なしに「そうですか」と言うのです。愛というものが所有権を決定するのだから、娘を渡してやらなければならないのです。
万物の霊長たる人間のために、すべての万物はアダムとエバのために生まれてきたのです。その娘のために準備した家具やすべての設置物など、どんなに貴いものであっても、娘がお嫁に行く時には持っていくのですね。そうですか、そうではないですか? (そうです)。ですから、その娘と一つになった場合には、その娘の所有権はすべて男のものになるのです。分かりますか? (はい)。「ワー!ワー! お嫁に行く時に持っていった物には、旦那さんはタッチしたら駄目です! 使ったら駄目です! 一つ一つ娘の許可をもらってからにしなさい!」と、その娘のお父さんやお母さんは言うでしょうか? そのように言ったら、駄目と言いますか? (駄目と言います)。本当ですか。いやー、先生より素晴らしいです。みな先生が言う前に、駄目と答えるからです。そういうことがあるから、希望があるのです。
座って話すのは、気持ち悪くないのですが大変です。みんな前のほうは喜んでいるのに、後ろのほうはちょっと違うのです。こういう具合に、少し立ちましょうか、座りましょうか? 座るほうがよく見えますか、立つほうがよく見えますか? 先生は立つほうがよく見えると考えますが、君たちはどうですか? (そう思います)。仕方がありません。立ってあげましょう。(拍手)
(先生がコップの水を飲まれる)おいしいですね。飲みたいですか? 飲みたい人は手を挙げてください。みんな手を挙げなければなりません。統一教会には蕩減ということがあるのです。覚えておきなさい。代表として(先生が)水をおいしく飲めば、みんなもおいしくなるのです。蕩減の水を上げますので、手を挙げてください。子供みたいにならないと、天国には入れないのです。八十歳代のおじいさんの先生が子供みたいにしているのに、君たちは先生よりもみんな年下だから子供になるのは当然のことです。「いやー、おいしいこと。あまりにもおいしくて、今晩は眠れません」。このことは、「十二時過ぎても寝かせません」という話です。(笑いと拍手)
このように座っていても、よく見えるでしょう。これでいいですか? (はい)。みんながいいと言うのに、おじいさんたちが横目で見ていたら困ります。(笑い)
神様に反発する愛の動機
自分とは、こんなにも真剣なものであるということが分かりました。そうなると、心身紛争の戦場になった自分の出発の基地を求めていかなければなりません。それは一体誰かというと、第一先祖であるアダム・エバであることは間違いありません。分かりますか? (はい)。あなたたちの子供が生まれてくる本場はどこですか? キスをする本場から生まれてくるのですか? 男、女の凹凸を交じり合わせるところから生まれてくるのですか? (凹凸を交じり合わせるところです)。凹凸を交じり合わせることを何と言うのですか? (愛すると言います)。
本当ですか? 凹凸を合わせることを愛すると言うのですか? (はい)。先生は初めて聞く話ですが、向こうの年寄りのおじいさんはどうですか? 先生も、おじいさんたちも分からないから、専門家のおじいさんがいるのです、眼鏡をかけたおじいさん、どうですか? (そのとおりです)。そのとおりですか。いやー、かしこまりました。そのとおりですよ。そうなるというと、凹凸を交じり合わせるところに戦う要素があったということは否定できないのです。
お母さんとお父さんの愛によって、血が交わるのです。激動させて、その渦巻きの真ん中に生命がつながって、血統を受け継いで生まれてくるのです。分かりますか? その動機となった父母の愛の中に争いの内容があったので、結果として生まれた自分は親の心と血統を受け継いだのだから、心身が争わざるを得ないのです。それは否定できません。分かりましたか? (はい)。
あなたたち夫婦も、結婚して愛する時に喧嘩しながら愛するのですか、喜びながら愛するのですか? (喜びながらです)。本当にそうだとしたら、抱き合う時、交じり合うように力いっぱいに抱き合うのですか? それとも、「もう近づくな、近づくな」と言って抱き合うのですか? 一つになるのです。絶対に一つになろうと思うのです。しかし、君たちがいくら絶対に一つになろうとしても、心身紛争をする夫婦の争いの場は、その愛の中で避けていくのではなく、そのまま止まっているのだから、その血統を受け継いだ者は自動的に、心身紛争の結果物として生まれざるを得ないのです。
堕落して過った、間違った心身紛争している夫婦がいくら一つになったとしても、一つになって凹凸を通して愛し合ったとしても、その子供たちは、心身紛争をする者にならざるを得ないのです。それが歴史を通して、今まで連綿として続いているのです。それを終わらせることのできる希望は、永遠にないというのです。先祖たちがそれを願わなかったのだから、自分を通して続けてきたのだから、後孫もそれにつながっていることを否定することができないのです。大変なことになりました。
では、この病原はいったいどこからきたのかというと、第一先祖の愛の方法の過ちでそうなったのです。そういうことを知って聖書を読んでみれば、「いやー、まさしくそうである」と言うのです。ですから堕落は、天使長がエバを誘引し、エバがアダムを強引に「善悪を知る木の果を取って食べよ、取って食べよ」と強制したことによるのです。そこで、堕落した後にエバは、自分が神様から離れたことを知ったのです。そして、こういう夫婦関係、男女関係は本来のアダムと行うべきことだと分かっていたのに、間違ってサタン圏に引かれていったのだから、元の所に帰ろうとして強引にアダムを誘ったのです。それで結局、アダムも拒否する立場において、嫌がる環境において、エバに強制されていったのだから、それは反発する愛の動機からであったというのです。分かりましたか? (はい)。
先生が追求する理論と、聖書に書かれた堕落の理論を考えてみれば、大元の先祖の愛は、順調なる愛ではなく、神様を中心とする永遠の愛によって一体となるというような立場からではなく、神の愛の反対の悪魔からです。ですから、神の愛の怨讐が悪魔なのです。その悪魔の強制的、反対の愛に迫られて愛し合った動機によるので、愛された者も反発せざるを得ないし、その後孫の血統をつないだ者たちも反発せざるを得ないので、心身紛争は当然なことなのです。分かりましたか? (はい)。こうなった結果は、人類先祖が悪かったからであり、神様とは関係ありません。争う所に神様はいません。
そのような結果を総括的に結論づけた場合に、偽りの泥棒のサタンによって、偽りの愛と、偽りの生命と、偽りの血統と、偽りの良心圏を相続するようになったのです。分かりましたか? (はい)。もともとは神様の実体として、神様を中心として、神様の愛を中心とした真の愛、真の血統、真の良心を受け継いで、神様と同参し、同居し、永遠に分割できないような理想的存在となるべき者が、神様との関係を切って、反対の怨讐圏のめちゃくちゃな血統を表すような後孫になってしまったのです。その結果は、当然なことで、生き延びることはできません。分かりましたか? (はい)。
そうなると、この一身を蠢動する血液というものは、悪魔の血統を相続したものであるということを知らなかったのですから、大変なことです。自分は人間だと思っていたのに、国賊どころではないのです。この宇宙を破壊した天宙賊の後孫として、親子関係でもってつながってきているのです。親子関係は切り離すことができないのです。宿命的な立場です。変えることはできません。誰も変えることができないのです。宿命は、死んでもなさなければならないのです。
親子関係とは、お父さんが負債を残したならば、その負債は子供が弁済しなければならないのです。一体だからです。また、旦那さんが死んだ場合には、奥さんがその負債を弁済するのです。一体だからです。兄弟関係も本当に一体圏に立っているとすれば、兄さんが負債した場合には、弟が弁済するのです。一体だからそうなるのです。大変なことが分かりました。
それでは、これらをいかにして、革命を起こしてでも切断してしまうかというのです。いかに分割して永遠に葬ってしまうかというのです。大変なことです。それをなすべきですか、なさないべきですか? (なすべきです)。
このような心身紛争の永続する戦場を除去するには、それを絶滅させるには、革命的な、どちらか一つを犠牲にする運動をしなければなりません。良心を犠牲にする者か、肉身を犠牲にする者か、二人のうちで勝ち残った者が神の立場に近いほうです。勝った者を残して、その反対の者は切って撲滅させてしまわなければなりません。これは絶体絶命の宿命です。それは避けることができません。
宇宙は相対理想の組み合わせから
ここで心身紛争をしていない者は手を挙げてみなさい。一人もいないということは、誰も避けることはできません。それを認めますか? (はい)。先生は方便がうまいから、何かをくっつけて語るとでも思っていたら、間違いです。自分自身で実証するのです。観念ではなく、実体で証明するのです。それは、誰も否定できません! そういう理論でもって、愛の元が、愛の根拠が、生命体が、紛争の内容を持って出発したのだから、結果はそうならざるを得ないのです。これは理論的です。
ここにおいて我々は、銘記しなければならない重大な問題があります。人間が堕落したということを決断した上で、堕落した者であるという自覚を明確にすることによって、その解決の方法をはっきり知ることです。絶対に自覚することで、それは絶対、除去することが可能なのです。中間で、どうでもいいのではありません。行ってもいいし、行かなくてもいいし、飲んでもいいし、飲まなくてもいいのではありません。飲まなければならないのです。一方向だけです。行ったり来たりはできないのです。
このように、自分は堕落の後孫であり、すべての先祖は、そのような堕落の血統を相続して犠牲的な恨みをもって地上で生きて死んでいったのです。そのような恐ろしい戦場となっていることを知らずに生きてきた自分を責めながら、これが分かった以上は自ら処罰をしないといけないのです。除去運動をして、根っこを取ってしまわなければならないのです。そうしなければ大変です。永遠の地獄に落ちていくのです。地獄とは何かというと、それは破壊物である半品を捨てる所です。完成品ではありません。
ここで君たちは、はっきりと銘記しなければなりません。堕落した人間は、先祖からの堕落の鎖の手錠を切り離すことができないのです。虜になっているのです。そのことが身にしみて、生命よりも強く感じないと争いの病原から上がっていくことはできないのです。これは重大な話です。分かりますか? (はい)。
真の神、創造主、絶対、唯一の神の絶対なる愛と一つになるべき相対たる人間が、めちゃくちゃになって、神を離れてサタンの世界に転んでしまったのです。サタンとは何かというと、神様の敵です。姦夫です。女を三つ書く「姦夫」です。姦夫を知っていますか? おじさんは姦夫を知っているのですね? 姦夫です。姦夫とは、日本の幹部ではないのです。一番悪い男なのです。明日には結婚しようとする娘を奪っていって、何千年もの間に子供を殖やしていったのです。そして、本来の約束されていた元の旦那さんを怨讐視して、子供も、女も、みんなぶっかけるようにさせたのです。これが悪魔の世界です。堕落は、自分を尊重する自覚の発見から出発するのです。
宇宙の初めの神様とは、どういう方なのでしょうか? それは誰も知らないのですね。神様がどういう方なのか知りたいでしょう? 科学者は、宇宙は力で構成されていると言うのですが、宇宙は力によって構成される前に、父母の愛が結び合っているのです。
人は、まず目が合わなければなりません。目は、ウインクなどの作用を通して合うのです。それから話が合うのです。「あの男の子の話を聞いても気持ちが悪くない。素晴らしい」となり、近寄ってみると鼻が好きになり、五感がみんな作用した後に一つになるのです。そうですか、そうではないですか? 大宇宙は力によって、いっぺんに始まったのではありません。力がある前に、作用を論じなければならないのです。
作用というものは、ひとりでに始まるものではないのです。必ず相対関係が必要なのです。宇宙は相対理想の組み合わせになっているからです。相対の組み合わせになっているのです。ペアシステムになっているのです。これはあす、詳細に話すことです。相対がいなければ、宇宙力という天運の保護を受けられないのです。分かりますか? (はい)。
いやー、不思議なことです。相対がいなければ、宇宙力が、天運が追い出してしまうのです。「病気になったら、なぜ痛いのですか」と、お医者さんに聞いてみると「病気になったから痛いのです」と言うのです。そんな答えはありません。簡単なことです。この体全部は、相対的にバランスがとれて、平均的になっているのです。つり合っているのです。
つり合っていた場合には、何も感じなくなるのです。一つになっている場合には、感じなくなるのです。そんなことはないと言っても、相対と一つになったら感じないようになっているのです。痛さも感じないし、何の不満も感じないのです。しかし、相対が崩れた場合には大変です。全体は平均がとれているので、宇宙力と相対関係によって天運が保護するのですが、一方が切れて片寄ってしまった場合には、天運が早く掃除するようになるので、その追い出す力によって痛さを感じるのです。分かりましたか? (はい)。こういうことは、誰もみんな知らない話です。
なぜ、目がみんな二つになっているのか、それが分からなかったのです。二つになりたいから、そうなったのでしょうか? 宇宙の法則に一致する共同の公式なのです。二つになったものを保護するのです。鼻も一つなのに、大きい穴が二つあるのです。どうせこの穴から入って一つになるのですから、そんなめちゃくちゃで面倒なことはする必要がないのに、なぜでしょうか? 天運に保護されるためには、公式に合わなければならないのです。耳も一つでいいのに、なぜ二つになったのでしょうか?
宇宙はみんな双々(ペア)の組み合わせです。ペアシステムになっているのです。鉱物世界も、プラス電気とマイナス電気です。分子を見れば、プラスイオンとマイナスイオンが運動するのです。そのケースから外れた場合には、除外されるのです。分かりますか? 植物世界もオシベとメシベで、動物は雄と雌なのです。では、人間は何ですか? (男と女です)。同じです。それはなぜでしょうか? 公式によって保護されるためなのです。ですから、あなたたちも共に生きてきた奥さんが死んでしまったら、もうみっともない男になるのです。強い将軍みたいだった男がみっともない顔をして、「ワー、ワー」と裸になって転び回っても、誰も叱る者はいないのです。なぜ転がるのですか、なぜ胸が裂けるほど痛いのですか? それは理想世界の主体と客体、絶対の愛の相対圏では宇宙すべてが保護していたのに、その相対が欠けたのだから、宇宙のすべてが除外して押し出すからです。その押し出す力によって、胸が裂けるほどに痛いのです。そういうことなのです。
悲しいのも、そうなのです。なぜ悲しいのかというと、心身一体になれなくて、宇宙の除外する力によって悲しいのです。心身一体は、絶対なる創造理想の要件になっているのです。それは否認できないのです。男たる者は、絶対に女が必要ですね? (はい)。絶対にです。絶対といっても、何人も何千人も必要ではないのです。たった一人です。先祖と同じようにです。
永遠に変わらない神の愛
神様は専門家だから人類の先祖に、男一人と女一人をつくったのです。それは絶対に一つになるようにです。愛は絶対に一つずつです。そのように、愛という概念が先にあるのです。愛という観念があるのです。これは、今日の哲学、思想、歴史の二大潮流として、世界の頂点における大変な問題なのです。ですから、歴史を見た場合には、事由(思惟)と実際(現実)ということが哲学的問題なのです。どっちが先かと言うのですが、どっちが先という問題ではないのです。プラス・マイナスが一つになるという観念が分からなかったのです。宇宙存在の基本的公式を知った場合には、先とか後の問題ではないのです。考え(思惟)と実際(現実)は相対的になっているというのが宇宙公式なのです。それで戦ってきたのです。
共産党は観念か実体かと言う時、「見えないものが後で、見えるものが先だ」と言うのですが、見えないものも見えるものも同じなのです。一つです。
あなたたちは愛を見たことがありますか、触ったことがありますか? 触ったこともないのですね。生命はどうですか? 生命体は見ることも触ることもできるのですが、生命自体は見ることも触ることもできないのです。では、血統はどうですか? 卵子と精子は目で見えますか? 砂みたいに、ざらざらしていますか? それは、見えないのです。凹凸を合わせて愛し合う時に、それは見ることができないのです。触ることもできないのです。触ることができれば、もうめちゃくちゃになってしまうのです。
良心も見たことはないし、触ったこともないでしょう? それに、神様も見たことはないし、触ったこともないのに、なぜ「神がいない」と言うのですか? 見たこともないし、触ったこともないのに、みんな「神様はいる」と言うのですか? 神様を見たこともないし、触ったこともないのに、「神様はいない。しかし愛はある。生命はある。血統、良心はある」と言うのですか? そんな話はありません。神様は一体どこにいるかというと、愛の根っこにいるということは間違いないのです。愛の先祖は神様なのです。分かりましたか? (はい)。
生命の先祖、根っこは神様です。血統の根っこは神様です。良心の根っこは神様です!! そうではないと言う者は手を挙げてみなさい。それは、馬鹿、野郎です。馬鹿は死ななければ直らないのです。馬鹿野郎ということは、悪いことではないのです。八番目の旦那さんのことで、統一教会では理想的な再臨主のことをいうのです。
日本はエバ国家だから、一郎、二郎、三郎、四郎、五郎と、十一郎もあるのです。百郎、千郎、万郎、億万郎もあるのです。また、女の子はみんな「子」がつくのです。日本の女は何を願うかというと、子供を産みたいのです。それで女はみんな、「何子、何子、何子」と言うのです。この前の修練会の時、手を挙げさせてみると、三分の二の人はみんな「子」がついていたのです。「子、子、子」です。子供がいても、夫がいても、女の長、「長、長」と言うのではなく、「子、子」です。これは女の本性です。言葉というものも、名前というものも、みんな表徴であり、名前も言葉もみんな心身の本源に通じるように語りたいのですから、自動的に、結果的に、重要なものを掴んで語るようになるのです。
ここには共産党にいた者もいるのですね。共産党は先生の大怨讐だったのです。彼らはよく言うのです。それで、先生がいつもぶっかけるのです。「思惟とか実在とか、観念とか実在とか、そんなことを言うものではない。そんなことはあり得ない。君たちの言うことは馬鹿な話だ」と。それで、彼らに聞くのです。「あなたたちは目玉を持っていますか、目玉はどこにあるのですか? そこにあるではないですか」と。みんなは目玉を知っていますね? (はい)。
では、歴史上において、目玉の先祖は一体、誰だったのでしょうか? それが問題です。目玉の先祖は一体、誰ですか? けだものでも何でもいいのです。このごろでは、夫婦が子供を産む時、こういうことを言っているのです。何百万もの相対が出会うことなのに、「いやー、生殖器で愛し合って子供を産む」と。
では、そこに目玉があると思いますか、ないと思いますか? 口があると思いますか? 口が合わさって、キスすると思いますか、しないと思いますか? 何が恥ずかしいのですか! 君たちは女がいたらキスしたいのでしょう? (笑い)みんな同じです。このことは、レベルが違っても、みんな同じです。だから、永遠に風化しないで存続するのです。愛があって永続するのです。愛は永遠なのです。
それでは、永遠なる愛を願いますか、永遠の反対の不永遠の愛を願いますか? (永遠の愛です)。それは、なくならないということです。なくならないものは、変わらないものであり、変わらないし、なくならないものが宝なのです。ダイヤモンドは、宝石です。宝石は、なくなっては駄目なのです。それで硬くて崩壊しないし、永続するのだから、宝になるのです。金は、場合によって型が変わります。二十四金などがそうです。しかし、色においては誰も占領することができないのです。過去、現在、未来においても変わらない本性を持っているのです。真珠にしてもそうです。日本の真珠は有名です。和合のハーモナイズです。それを見た場合には、心が柔和になるというのです。しかし、真珠自体はもろいのです。このように、変わらないものを中心として宝物になるのです。
宝物のような人間になるには、変わる者になることですか、変わらない者になることですか? おじさん? (変わらない者です)。知っているのですね。そう真剣になって、ムッとした顔をしないでください。変わらない者です。そうした場合に、目玉からずーっと見た場合、すべてが相対的になっているのです。目玉も二つになっているのです。また三層になっているのです。目玉は何を象徴するかというと、神を象徴するのです。鼻は人間のアダムとエバを象徴するように、天地をつなぐのです。上は神様を象徴するのです。天地をつなぐのです。だから、二つが一つに、夫婦が一つにならなければならないのです。
口は万物を象徴します。歯は四つの八倍で、四掛ける八イコール三十二本になっているのです。すべての万物を象徴するのです。それで、万物が横的になっているのです。分かりますか? (はい)。耳は東西南北を象徴するのです。これは情報機関です。回る時には、目玉のために全部が回るのです。神様のために天宙が回るのです。だから神様は三層で、蘇生、長成、完成の三段階になっているのです。一つ、二つ、三つ。みんな三段階になっているのです。
神様の愛と人間の愛の決着する一点
人間はすべての層を構成し、形を総合した「小宇宙」と言ってもいいのです。人間には、すべてが入っているのです。心臓には動物が入っているのです。肺には万物が入っているのです。人間の中には、すべて入っていないものがないのです。ですから、人間を中心として分解して展開したものが被造物なのです。三段階の鉱物、植物、動物です。みんな鉱物要素、元素要素、気の要素を持っているのです。また人間は愛において全世界、全被造物を代表して包容できる愛を持っているので、動物も植物もみんなその愛を求めて、高く発展していこうとするのです。
人間の体に入ることによって、愛の本家に帰ることができるのです。万物の霊長の愛の接触点、天宙を創造した神の愛の接触点にみんな帰りたいのです。愛のために生まれてきたのですから、最高を願うのです。万物は人間の愛の器官のほうに、良心は神様の愛のほうに、心身が一体になって良心の愛の起点も肉身の愛の起点も一つにならなければならないのです。神様の愛と人間の愛が一点に決着しない以上は、神の愛の理想にも人間の理想にも、統一と平和の時代は来ないのです。この一点に決着させる道をつくらなければ、神様も人間も喜ぶ道はあり得ません。
このように被造物を一つにさせる、その結論から言った場合に、アダムとエバは一体何かというと、「見える神様である」と言うのです。分かりますか? (はい)。アダムとエバは何ですか? (見える神様です)。こんなに心身紛争する悪者にならなかった場合には、アダムとエバが完成したとすれば、神様の体になるのです。そして神様はアダムとエバの心になるのです。心の根っこに入るのです。神様が入るのですから、心は知らないことがないのです。みんな分かっているのです。教わることも、聞くこともないのです。聖書にも、アダムの名づけるとおりにすべてがなったとあるのは、そのことを言っているのです。
そうなると、アダムとエバの結婚式、肉身の結婚式は良心の結婚式なのです。結婚する時には、旦那さんも奥さんも、心を尽くして愛してもらいたいと願うのです。神様の代わりに愛してもらいたいのです。良心的か不良心的かというと、神様のようにです。今までは、神様を別にしてきたのです。自分と共に神様がいるということを知らなかったのです。良心も知らないし、愛も知らなかったのですが、その根っこはみんな自分の近い所にあるのです。すべて一つになったら感じないようにです。なぜ一つになったら感じないかということが問題です。
もし、愛が三〇パーセントあることを自分が感じたとすれば、一〇〇パーセントの愛の相対が生まれた場合に、三〇パーセント差し引いた、七〇パーセントの愛の刺激だけを受けることはできないのです。神様は、そんな不理想な立場の存在はつくりません。ですから、一つになった場合には、完全に零以下の立場、自分でも夢にも感じない立場に立つことによって一〇〇の愛の相対者があった場合には、一〇〇の愛がぶつかって、「ワー!!」と爆発的な刺激がくるのです。本当に正しい話でしょうか? それが信じられないならば、手を挙げてください。
みんな手を挙げてください。右の手をずーっと左のほうにつけてください。ぎゅーっとつけてください。何を感じますか? (鼓動です)。心臓ですか、鼓動ですか? 鼓動が聞こえるのであり、心臓が聞こえるのではないのです。(笑い)大変です。そんなでたらめなことをやって、通じるのではありません。初めて鼓動の音は分かりましたが、鼓動を一日に何回聞いたことがありますか? 急いでばかりいて、一年間も知らないのですね。
鼓動を聴診器で聞いてみると大変です。爆弾の破裂するように「コン!コン!コン!」と大変です。あなたたちも、こうやった場合には(先生が胸に手を当てる)すぐに分かるのです。こうやると、すぐに分かるのに、なぜ感じないのですか? (一つになっているからです)。目をぱちぱちと、一日に何千回まばたきをしますか? 一日に一回でも数えたことがありますか? それを三時間数えたら気違いになるのです。(笑い)その回数が分かったとすれば、大変なことです。分からないから感謝なのです。分かりましたか? (はい)。一つになっているから、感じないのです。
そこで問題は、愛も生命も血統も良心も分からなくなったということです。神様も分からなくなったのです。その相対なる男の前に、女たるものはみんな出動です。「愛、生命、良心、血統、ワー!」と。そして、神様がその真ん中に入るのです。すべて宇宙構成と同じように、真ん丸になるのです。作用も同じです。宇宙構成がみんなそうなっているのです。
それで、神様はどこにいるのですか? 自分と一番深い、最も秘密のところと一つになっているから分からないのです。いないのではないのです。良心に反対する者には、みんな「この野郎!」と、神様は命令を送っているのです。自分がやるのではないのです。分かりますか? (はい)。
このように見た時、神様が遠くなったのですか、近くなったのですか? (近くなりました)。アダムの結婚式は、神様の結婚式です。父であり、親であるということは、自分と一体圏でつながっているのです。それを知らないから、でたらめにやっているのです。そういうことが分かった場合には、良心を避けていくことはできないのです。真の愛を避けていくことはできないのです。真の生命、真の血統を避けていくことはできないのです。正々堂々と天の掟に従って完璧な男、完璧なる女、完璧な理想体として、神様の前に堂々と立ち得るようにならなければなりません。
愛という概念があっても、愛を得るには凹凸が一つにならなければ、愛を占領することはできません。では、概念が始めでしょうか、実体が始めでしょうか? 概念が始めなのです。凹凸というものは実体であり、実際です。それが始めではないのです。凹凸になっているのは、愛のためです。愛の観念が一つになることによって、その愛が自分のものになるのです。分かりますか? (はい)。
愛の概念が良心の中に入って、それが男、女の凹凸の肉身になって、一つになるのです。愛の一体圏の相対になるのです。そうなることによって、神様の前に一つになって、神様の愛の肉体みたいに、神様の愛となって一つになるのです。だから、神の愛は自分の愛、自分の愛は神の愛となり、愛で一体になって、神は私のもの、私は神のものになるのです。しかし共産党は、自分のものは自分のもの、君のものも自分のものと考えるのです。
家庭は天国の基地である
ここで、問題提言です。宇宙の初めにおいて、真なるもの、貴いものは、見えるものか見えないものかというのです。愛は貴いですか、貴くないですか? (貴いです)。生命は貴いですか、貴くないですか? (貴いです)。それでは、血統とか良心は貴いですか、貴くないですか? (貴いです)。神様は尊いですか、尊くないですか? (尊いです)。これらは、みんな見えないのです。このように見た場合、神様が環境をつくられる時、太陽と水と空気をつくりました。愛というものも、空気も見えないのです。しかし、空気がなかったならば大変です。貴重なものは、目に見えないのです。分かりますか? (はい)。
もし、神様が見えるようだったならばどうしますか? アメリカの神様にまかせるのですか、日本の神様にまかせるのですか? (日本の神様です)。(笑い)そうなると、世界各国共々に、神様を中心として戦争するのですか、しないのですか? (します)。大変なことです。神様は利口な王様だから、そのようなことはしません。もし身体を解剖して、そこに神様を隠すとすれば、その足を切って持っていく者がいますか、いませんか? (います)。大変です。隠すところがないのです。
貴いものを隠すところは見えないのです。分かりますか? 今、何と言いましたか? 貴いものを隠すところは、見えるところですか、見えないところですか? (見えないところです)。尊い神様を人間として納めるべきところは一体どこですか? 見えるところですか、見えないところですか? (見えないところです)。当然、見えないところに神様はいなければならないのです。
では、貴いものは古いボロ布に包みますか、錦の布に包みますか? きれいな甲板の上に置きますか、汚い所に置きますか? 汚ければ汚いほど安全だというのです。ですから、先生もこんな着物を着ているのです。でなければ、文先生がどこに行っても、みんなが一つ所に集まって大変なことになるのです。先生の行く先々で大変です。みんながぞろぞろ、ぞろぞろとついてきて、それはもう大変なことです。だから、知られないようにボロを着て、このようにして、「ワー、ワー、ワー」と叱り飛ばすのです。
それでは、目の先祖は見えるものですか、見えないものですか? それらは、別個のものではないのです。みんな相対的になっているのです。良心は縦的で、肉身は横的につながっているのです。縦横が交差しなければ、存在物が生まれてこないのです。前後左右が立体圏になるには、上下関係が父子関係、東西関係が夫婦関係、前後関係が兄弟関係で、これらが一つになって球体を成すのです。そして球体の中心は愛なのです。親の愛、夫婦の愛、それから神様の愛、神様の子供の愛、兄弟の愛です。
それらの愛が、全部ばらばらの決着点にあったのですが本来一つであり、一つだから球体を成して、その面を足せば十二面です。それは、どこに合わせても合うのです。九十度で合うのです。ですから、そこにくっつければ、お母さんの愛、お父さんの愛、おじいさんの愛、おばあさんの愛、孫の愛、孫娘の愛、嫁さんの愛、みんなが一点にとどまるのです。ここに神様は住みたいのです。この中心を握って、神様のおられる上座に行けば、全体が引っ張られてくるのです。これが家庭というものです。家庭は宇宙の国の元です。家庭は天国の基地です。出発点です。地上天国、天上天国の出発点です。その愛の一体圏は、自由の出発点です。分かりましたか? (はい)。
自由は、どこかほかにあるのではないのです。愛なくして、自由はあり得ません。男と女が裸になったとすれば、大変なことです。あなたたちは女の前で裸になる自信がありますか? みんな、女が見ていると大変なのです。色気のある女はどうなるか知りません。先生は関係したことがないのです。皆さんはどうか知りません。
統一教会の素晴らしいところは、大学生が食口になっても、たくさんの男女が共に住んでいても、男女関係が悪いという噂のないことです。そのように書かれた新聞を見たことがありますか、ないですか? (ないです)。そうだとすれば、日本は統一教会に賞を授けるべきです。国民全体がです。今や「めちゃくちゃになって、十二歳から性教育をしなければならない。未来は性の世界が来る」と言うのですが、そんなことはありません! 文先生がいるのです。それを撲滅させる王者が文先生です。
愛の神秘境の内容をすべて知っている神様
それで、目に見えるものと見えないものが一つであるように、神様と人間は一つにならなければなりません。それは、真の愛によってです。分かりましたか? (はい)。目玉を見れば、目玉というのは物です。その目玉が生まれる時に、目玉自体は何も知らないのです。概念というものはないのです。考えがないのです。そう見た場合に、目玉が生まれる時、目玉は太陽があったことを知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか? 目玉自体は太陽があることを分かっていたのですか、分からなかったのですか? (分かっていました)。
そうだとすれば、太陽が生まれてくるのを見ていたというのですか? それが問題です。分かっていたと言う者は、馬鹿者です。物がどうして分かるというのですか、私の語るのが分かるというのですか? 分からないのです。しかし、目が生じた時、太陽が見えるようになっていたのです。分かりますか? 目玉が太陽を見たいという思いを持っていたということになるのです。目玉が生まれるに先立って、そういう思いがあったということは否認できません。それは、神でも何でもないのです。目玉が、太陽を見たいという思いを持っていたのです。太陽を見る前に思っていたというのです。そういう思いを持っていたので、そういうふうに見るようになったというのが理論的です。目玉自体は、そんな要求をすることができないのです。知らないのです。それが見えるようになっていたということは、太陽があるということを、先に知っていた者がいたということを否定できません。分かりましたか? (はい)。
それから、目玉は、空気には塵が飛び交うということを分かっていたでしょうか、分からなかったでしょうか? 空気があって、風が吹いて、ゴミがぶつかり合うということを分かっていたでしょうか、分からなかったでしょうか? (分かっていました)。
この睫は、なぜあるのでしょうか? 空気の中のゴミが飛んで、目の中に入るのが分かっていたのでしょうか、分からなかったのでしょうか? (分かっていました)。分かっていたのです。睫をここに配置したのは何をするためかというと、目を守るためです。目自体はそれを知らなかったのですが、そのようなことを知ってくっつけられたのが睫です。それは否定できません。既にそれを分かっていた者がいて、目を保護するために、そこに睫をつけたのです。これを、目玉の中につけたらどうでしょうか? (笑い)「自由にそうなったのだ。自動的にそうなったのだ」など、そんな馬鹿な理論はないのです。分かりましたか? (はい)。
誰も知らないのに、宇宙的な博学的な知識、膨大な知識を持っている者がいて、すべてが配置されているのです。世界に愛の医者が何百万人いると思いますか? どんなにたくさんいても、愛の神秘境を研究しても、また研究しているのです。すべてが物だけではないのです。分かりますか? (はい)。このように神秘境の内容を、分かっている者がいたのだから、その名前は「神様」以外にはないというのです。
そればかりではなく、また目玉自体が空気にふれた場合には、輻射熱によって水分が蒸発するようになっているのです。大変なことです。目玉に水がなかった場合には、目をぱちぱちしているうちに火がついて、大変なことになるのです。ですから涙腺という水道装置があるのです。それは、目玉が分かって付けたのでしょうか、分からないところで自動的に付いていたのでしょうか? (分からないところです)。分からないうちに、そういう装置がなされていたのです。それは、そのことを分かっていた者が、絶対に必要なことを分かっていた者が、そういう配置をしなければ目玉自体ではそんなことができないのです。このことを文先生が指摘したことによって、共産党は完全に屈伏したのです。彼らが唱えてきた「精神は物の副産物である」ということは、間違っています。訂正論理を認めざるを得ないというのです。
では、眉毛はなぜこうなったのでしょうか? こうなって、こうなっていたら(先生が両手の人差し指で時計の二時五十分の形をつくられる)もっといいのですね。(笑い)汗が目の中に入るのを防ぐために、長い睫でこうやってはじけばいいのに、大変です。この睫がパッパッと動けば、その先を通って、汗は移行して流れるようになっているのです。
眉毛は、自分で目玉を保護するためにここにくっついたのでしょうか? そんな馬鹿な理論はないのです。ここの溝(ほほと上唇の間)は誰が彫ったのですか? 汗がみんな流れて、こっち(口)に入るのを知っていたからです。みんな流れていって、こうなった場合には、(汗がほほを伝って口に流れ入るようなしぐさをされる)前もって知っているのです。そう考えると、首にしても、手にしても、みんな神秘的です。人間は、こんなにも貴い神秘中の神秘の王宮を中心として生まれたのであり、神がいないとか、自然的に生まれたとか、そんな馬鹿な論理は二十世紀以降、二十一世紀のコンピュータの時代には通じません。
そうなると、「神様はいない」と言う者が馬鹿ですか、「神様はいる」と言う者が馬鹿ですか? (いないと言う者です)。いないと言う者が馬鹿です。馬鹿は死ななきゃ直らないのですね。(笑い)利口な文先生は、共産党打倒を天宙に宣言したのです。夜も昼も、春夏秋冬を超えて、永遠を超えて宣言して共産党をやっつけてしまいました。(拍手)
民主主義の右翼と共産主義の左翼の動機を、みんなは知らないのです。それをみんなが知った場合には、安心して神に頼って、永遠の軌道に乗って、神の国を中心として、神の保護の前に立って、朝の挨拶、昼の挨拶、夜の挨拶をして、自由に世界を回ることができるのです。そういう無限解放の主体の人間になるか、無限閉鎖の無相対的な者になるか? どちらになりたいですか? 無限主体的な人間になりたくない者は手を挙げてください? 誰もいないですね。人間は尊いものです。みんな分かったようですね。分かりましたか? (はい)。大変なことが分かりましたね。
神様はいるのです。先生の話を聞いても、まだ神様はいないと言う者は手を挙げてみなさい。この野郎! 日本刀で切ってしまいます。神様にすれば、「いやー素晴らしい男だ、よくもやった」と言うのであって、悪いことをやったとは言わないのです。ですから、自信を持ってこの道をたどってきたのが文先生です。誰かに習ったものではないのです。戦って勝利した基台を紹介しているのです。勝利の実物を相続してあげるのです。教えるのではなく相続してあげるのです。一〇〇パーセント、そのようになってもらいたいから、枝を加え、実を加えるように、こぶを付けるようにして相続するのです。
相続させる先生は、自分が主管してきたものよりも、小さくなることは願わないのです。優る者であれば、間違いなく相続するのです。ここに集まった者は、優る者に違いないと思って、先生は熱心に教えてあげるのです。「ありがとう」と言わなければなりませんね。(拍手)
それでは、あす、また続きを話すことを約束して、今晩はこれでおしまいにしましょう。(拍手)ありがとう。ありがとう。(拍手)
(修練会、第二日目の朝)
1995年1月18日
人間は愛のために生まれてきた
さあ、交通整理です。寒いですか? 日本よりも、ずーっと寒いでしょう。では、きのうの続きです。きのうの最後は、何と(黒板に)書いてありましたか? (「真の自分を探しましょう!!!」です)。きのうの続きですから、ノートに書いてあるでしょう。心身紛争の根源についての話をしていたのですが、まだ終わっていないのですね。
生命の出発は、父母の愛の本場からです。ですから、私たちが心身紛争になったのは、父母の愛の紛争の内容が介在していたためであり、その結果として、そうならざるを得ないのです。そうなった場合に、自分の生涯において心が体を引っ張りだこにしますか、体が心を引っ張りだこにしますか? これが問題です。どちらが強いですか? (体です)。肉身というものが、今まで良心というものを引っ張りだこにしてきたのです。もし良心が強かったならば、神様に帰るのは問題ないのです。
良心は本然の創造の原則によって、力は作用によって、作用は相対関係によってなされるのです。それで、人間の良心というものは、昔も今も未来も変わらない方向を、善なる高い素晴らしいことを願っているのです。きょうよりはあすと、あすはもっとよくなることを願っているのです。高く高く、広く広く、というようにです。そういう良心作用があるのです。
このような良心作用があるということは、主体・客体関係の原則から見て、どこかに主体と客体がなければならないのです。良心を 司 る主体がなければならないのです。そういうような動機の作用をなし得る主体があるとするならば、それは神様でも何でもいいのです。
そのように見た時、人間の良心の主体となるものがあって、北極と南極が方向を一致させて、永遠にその方向に動くように、良心も北極と南極みたいに引き付け合う作用で、誰もが同じ作用で引き合っているということを考えてみた場合に、そのような主体となるものがなければならないというのです。
そのような意味において、主体となるものは神様でも何でもいいのであり、あることには間違いないというのです。良心作用を持たないと言うような人はいないのです。ですから、その良心作用は、きょうよりもあすは落ちていくことを絶対に願いません。きょうよりはあすというように、一つずつ高まっていくことを願っているのです。そうですか? (はい)。
日本人も、西洋人も、みんなどこに行って聞いてみても、「そうです」と言うのです。ですから、人間は根本からつながっているということを否定できません。しかし、そうなれば肉身が良心を引っ張りだこにするのです。問題はそこにあるのです。もしも肉身が弱かったとすれば、人間は修養も修練も必要がないのです。自然にその方向に向くようになっているのです。磁石のようになって、その方向に向いた場合には、引き合ってだんだん近くなって一体圏内に入った場合には、もう誰が止めても「シューッ!」となるのです。
男と女もそうです。愛というものはあるのですが、何も知らないうちは、男も女もぼやーっとしていて、「あんな女がなぜ必要なのか。あんな男がなぜ必要なのか」と言う時があるのです。何も知らないのです。それが、どんどん大きくなって相対圏に立った場合には、作用が始まるのです。外に出た場合には、その人の関心によって、目が一方向に傾いたり、心を集中して凝視するようになるのです。そういうことを見た時に、それは何のためかというと、一つになるためです。だんだん近づいていって、結局は一つになるのです。なぜ一つになるのかというと、それは悲しくなるためではなく、うれしくなるためです。
それでは、うれしくさせるものとは一体何でしょうか? 金でもなければ知識でもないし、権力でもないのです。女と男が愛する時に「知識だ」と、知識を見て愛するのではないのです。金だ、権力だと、この世で一番重要視する三大要件など、何の関係もないのです。では、何を求めて、どうして一つになろうとするのでしょうか? みんな、愛というものです。
(人間は)愛を決着させなければならないのです。人間は愛という素晴らしいもので、一つになることができるのです。その愛なるものと一体になるには、愛なるものの動機がなければ駄目なのです。愛なる動機によって、愛なる幸福によって、そのようにまとめられて一つになるのです。それも自分たち二人きりの夫婦関係ではなくて、歴史を通してそうなってきたと言えば、みんな人間として愛を求めていかざるを得ないという結論は当然のことです。愛のために、女も男も一つになるのです。ですから、何のために人間は生まれたかというと、愛のために生まれたということが結論になるのです。本当ですか? 何のために生まれてきましたか? (愛のためです)。
みんな顔もそれぞれに違っているのですが、目的はみんな愛のためです。愛は絶対的に必要だからです。分かりましたか? (はい)。絶対の反対は何ですか? 相対などと言うのですが、愛は絶対的に必要であり、男にとって絶対的に必要なものが愛だとすれば、その愛をつなぐものは愛自体ではないのです。自分にも愛はあるのです。愛はみんなが持っているのです。自分にも生命があり、その血統を持っているのです。しかし、そのように生命とか愛とか血統を持っていたとしても、それだけではつながらないのです。それを一つに結ぶには、自分一人ではできません。相対者が絶対に必要なのです。何が絶対に必要ですか? (相対者です)。
すべての存在は愛を求めて相対のために生まれてきた
それでは、男に対して、絶対希望の真理や目的は何でしょうか? それは何ですか? (女です)。女なのです。女がいなければ、愛も何もないのです。それで、女は引っ込んでいるのです。男は出っ張っているのです。引っ込んでいるものと出っ張っているものを合わせないと、何の用も足さないのです。愛も何も、相対も必要ではないのです。本当ですか? (はい)。朝から「教祖様は凹凸のことばかり真剣になって語っている。いやー、これは何やら専門的な王者である」と思ったら大間違いです。それは、なりゆきの結果そうならざるを得ないのです。それは認めますね。(はい)。
そうすると、男は何のために生まれたのかと言えば、女ではないのです。凸のものを持って凹のものに合わせるためです。そうでしょう? 愛のために生まれた男が愛を得るには、凹凸が一つにならなければならないのです。女は絶対的に凸を必要とし、男は絶対的に凹を必要とするのです。そうなっているのです。理論的にも、そうでしょう? 気持ち悪いという顔をして見つめなくてもいいのです。また、内心で喜びながらそんなこと言ったら駄目です。それで、男は何のために生まれたかということになるのです。これは、哲学の入門です。人間は何のために生まれたのか分からないのです。それが問題なのです。
それで、人間と言えば男と女です。男は女に、女は男にかけるのですが、「自分はなぜ生まれたのか」と言えば分かるようになります。自分は何のために生まれたのですか? 男は何のために生まれたのですか? 自分のために生まれたと言えますか? 「男は自分のために生まれたのではない」と、否定しなさい。そうなると、誰のために生まれたのですか? (女のためです)。
自分を存在ならしめた者は、自分という概念では絶対にないのです。宇宙すべてが、自分が存在するようになった原因は、相対のものが動機となっているということを、思ったこともないのですね。だから、馬鹿なのです。それが原則なのに、その原則も知らないで、「自分は自分のために生まれた」。それはないのです。こういう意味において、すべての存在が愛を求めている以上、それは相対のために生まれたのです。自分のためではなく、相対のために生まれたという結論を公式化させることができるのです。自分という存在は、相対のために生まれたし、生まれた目的は相対のためであるという結論を否定することはできません。それを否定できる男がいますか? みんな黙っているのだから、いないということです。いないことにしましょう、いないようになっているのです。もう、いてもいなくても、いないようになっているのです。
すべて為に生まれたのです。我々人間は誰しも五官を持っていますが、目は目のために生まれたと言う者は馬鹿です。鼻は鼻のために、鼻が鼻をかぐために生まれてきたと言うのは、おかしなことです。話にもなりません。口が口のために話している。おかしなことです。耳が耳のために聞いている。そんな馬鹿なことはないのです。手は手のために触っている。そんな馬鹿なことはありません。五官すべては自分のためには存在していないということを、はっきりと結論づけることになりました。全部がそうです。それらは、自分のために生まれなかったことが悪いのではないのです。愛のためだからです。自分を尊重するところには、愛は根を下ろしません。大変なことになりました。
若い者は、「私は美男子だから、女なんか引っ張りだこにするのだ。何人でもいいです」。そうはいきません! 何人ですか? (一人です)。なぜ一人ですか? それが問題です。なぜ一人ですか? 愛は絶対であることを願うからです。本当ですか? (はい)。絶対の反対は何ですか? 無絶対、非絶対、不絶対ですか? ですから、愛をたたえるのであれば永遠無限の愛を、絶対唯一の愛を、存在する者はみんな願わざるを得ないようになっているのです。
すずめも、春になって、相対的関係を得て巣を作り出した場合には、絶対に離れません。絶対に離れないのです。その期間は共々に保護し、共々につながって、一つになって子供のために活動するのです。それで、巣を作るのも不思議です。アメリカのすずめも韓国のすずめも、日本のすずめも巣の作り方はみんな同じです。「いやー、誰が教えてやったのですか?」。それは不思議なのです。会ったこともない、見たこともないのに、教えられたこともないのに、同じ巣を作っているのです。実に不思議なことです。自分に適用するように、自分に便利な方式で自分の住まいを作っていますが、いろいろ種類が違っているように、みんなそれぞれに自分に合うような住まいを作っているのです。
それで日本人は、日本人式の家を造るのですが、壁には竹張りをするのです。日本は竹が多いのです。日本の家は木材で造ってあるから、四階でもって揺すれば、動くのです。先生は、その形式を知っているので、風が吹いた場合にも、四階以上は気持ちがいいのです。
日本は地震王国なので、また地震かと思えば風が吹いて動くのです。今、日本は地震で大変です。ですから神様に頼る以外にはないと思います。もう、自分の父親がいくら金持ちでも、いくら権力を持って日本全国を率いていようと、命令一下、みんなどうにでもできるような力を持っていたとしても、そのような力は何の用も足せません。地震は地震なりに自信を持っています。(笑い)なぜ笑うのですか? それは間違っているのですか? 誰の関心も受けないで、もう四季を超越して、いつも気持ちがよかったら動くのです。自由な地震計です。
それはそれとして、肉身が問題になりました。存在も解決しました。女はなぜ生まれたのかというと? (男のためです)。男は? (女のためです)。男と女は何で生まれたのですか? (愛のためです)。それでは、愛をなぜ必要とするのですか? それは、愛の主体者を占領するためです。愛の主体は誰かというと、神様です。これは大変なことです。これが宇宙の根源です。存在するすべての理想的根底になっているということです。いくら考えても、さらに考えても、先生以上に考える者はいないのです。今から始めてもです。先生は頭が大きいから、脳みそもたくさん入っているのです。
半品なる者も愛によって完品になる
では、結婚は何のためにしますか? 男一人、女一人では半品なのです。気持ちが悪いのです。この美男子のおじさんも半品です。いくら威張っていても、あなたもそうなのです。「これだけよくも言うな、文先生が若かったら、自分の兄さんにすればいいや」と、関心を持っているのです。不思議なことをよく言うなと、そんな人相をしないでください。若い者は駄目です。無礼も、それが千を超えれば失礼になります。百礼の姿勢を保つ男は、どこへいっても歓迎されるのです。
男は半品ですか、完品ですか? (半品です)。男一人では、完全なる者ですか、半分の者ですか? (半分の者です)。本当ですか? それが分かりましたか? (はい)。大きいことを言ってはなりません! 原則がそうなっているのです。原則に従わない者は落第生です。落第生は永遠に葬ってしまうのです。
半品なる者が完品になるには、誰が完品にしてあげるのですか! 自分ですか? (相対者です)。相対ですよ! あなたは気持ち悪いですか、そうでもないですか? 完成させてもらうということは、自分がいくら努力してもできないことです。永遠に努力して、永遠に寝ずに休まずに働きかけても、完品には絶対なりません。完品にさせる者は、男においては女です。そこで、一体何が完品にさせるかということです。女と男が一つになって何ですか? 何の喜びもないのです。「こんなことは何だ」と言えば、みんなごたごたになってしまうのです。それは、愛によってのみ可能です。愛によって完品になるということは、理論的に否定できません。そうではないと思う者は手を挙げてください。先生が質問をします。みんな、そうですか? (はい)。
「そうです」という言葉ですが、せっかく韓国に来たのだから韓国語を一つ覚えていきなさい。「そう」といえば、「牛」ということです。(笑い)なぜ牛を紹介するかというと、牛は奉仕と犠牲を表すのです。牛には、捨てるものは一つもないのです。糞も、砂漠では薪として大変貴いものなのです。それを知っていましたか? 糞も必要とするのです。砂漠には木などないのです。それ(糞)しかないので、乾かしておけば、御飯も炊けるし、生活の方便にもなるので、それは貴いものです。
牛には、捨てるものは一つもないのです。すべてに奉仕するのです。人のために血も流すのです。また、雌牛と雄牛はちょっと違うのです。雄牛は、夏の酷暑の真っ最中でも、ずーっと堪えているのです。辛抱強いのです。瞑想しているような深い執念を持って、辛抱強いのです。だから、牛を崇拝するのです。インドなどでは、牛を崇拝する内容がいっぱいあるのです。あなたたちには、そんなことはできないでしょう? 辛抱強く、暑い所にじーっと一日中立っていることができますか、できないですか?(……)それでは、牛よりも劣る者だということです。嫌だったら、そういうことをやってみなさい。万物の霊長だから、誰よりも優らなければならないのです。そうでしょう? (はい)。
そうなった場合に、それを完成させるものが愛というものです。では、愛は自分より劣るものですか、優る者ですか? (優るものです)。そうなると、愛に従っていけばいいのですか、愛を引っ張っていけばいいのですか? これは真剣なことです。あなたたちは愛を引っ張っていくのですか、愛に引っ張られていくのですか? もし引っ張っていったら、自分勝手にするだけです。それは簡単なことでもありますが、大変なことなのです。平和の希望が、そこにつながっているからです。
絶対なる愛に引っ張られていくところに、絶対完成が可能になるのです。男もそうです。これは、理論的にも否定できないことです。半品が完品になるのは、男でもなければ女でもないし、凹凸そのものでもないのです。それを、そのようにされた主体なる愛があるのです。それは、理論的にも否定できません。
そうですか、そうではないですか? この者たち! 愛を自分のもののようにしてきた者は、悪い者ですか、良い者ですか? (悪い者です)。知っていることは知っているのですね。だから、あすからは、きのうまで知っていたすべてを転覆していくのです。愛を引っ張りだこにしようとする者は、愛の泥棒です。泥棒というのは、自分の物ではないのに、自分の物のように使おうとすることです。それを泥棒というのです。愛の泥棒になりたいですか、なりたくないですか? (なりたくないです)。
今までは、愛の泥棒をやってきたのですか、やってこなかったのですか? (やってきました)。率直は正直に通じます。許されます。裁判長の前に判決を待つ者が従順率直だった場合には、情けの具合でもって刑量を半分にも、三分の二にも、無罪にも変更できるのです。「いやー、かわいそうに思えるこの死刑囚は、駄目であっても同情すべき余地は十分にある」と思って、もし裁判官が「無罪である」と言い出したとすれば、無罪になるでしょうか、ならないでしょうか? (なります)。それと同じことで、率直は正直に通じるという話は理にかなうということです。
すべてが愛を中心とする
さて、今からは愛に絶対引かれていきたいですか、絶対思いのままに愛を引っ張っていきたいですか? そうなれば、男は女にプロポーズして、自分に惹かれさせる行動をするのがいいですか、黙っていても、向こうから惹かれてくるのがいいですか? (惹かれてくるほうです)。
君たち、電車の中はいつも朝夕は満員でしょう。先生も学生時代は大変だったから、今でも大変でしょうね。特に暑い時は、死ぬことも殺すこともできないのだから大変です。そこで女の子と男の子の尻が触れ合った場合には、女の子の尻に手を当てたいですか、当てたくないですか? (笑い)おじいさんもそうだったのですか? もし、そうでないと言う人は男ではないのですね。それは例外の者です。その時は、たった一つ条件が必要です。「すみません」という言葉です。「すみません」と言う者は、勝手にすることができないのです。それが事実です。前提条件が「すみません」です。男というものは、女の子の尻に関心を持たざるを得ないのが自然的現象です。だから「すみません」と言うのです。だからといって、悪いことをやっては駄目です。
そういうことを考えながら、自分の相対者を求めて、自分の奥さんにしましたか? 勝手に脅迫して、金の条件、知識の条件、権力の条件をもって夫婦になったのであれば問題になります。自分の良心は、自分のやってきたことを知らないはずはありません。完全に知っているのです。自分のやってきたことを知らないような良心はないのです。そうですね? 皆さん、良心をだましてきたのですか、だませなかったのですか? (だませなかったです)。そのようにして、いよいよ困難なる根底が極められていくのです。
人間はなぜ生まれてきたのか、分かりましたか? (はい)。男はなぜ生まれてきたのですか? (女のためです)。女はなぜ生まれてきたのですか? (男のためです)。それでは、男と女が生まれてきた目的は何ですか? (愛のためです)。愛をつくるにはどうすればいいかというと、決死的に生命をかけて凹凸を合わせなければならないのです。絶対的に愛にとらわれていかなければならないのです。それは罪でしょうか? 罪ではないのです。為に向かい合うのです。自分のためではないのです。相対のために向き合うことは、絶対の宇宙の保護圏、存在圏万歳ということになるのです。分かりましたか? (はい)。
それには、「男性生殖器を守れ」と言うのです。(こういう話も)男同士だからいいのです。生殖器は誰でもみんな持っているのです。隠すことはありません。話さなくても、みんな知っているのです。あなたたちも、みんなそうでしょう? 相手が女だったら喜ぶのですが、朝から晩まで男同士でデートするとすれば、気持ちが悪くなるのです。しかしデートする相手が女であれば、たとえブスさんでも気持ちが悪くないと言うのです。それが気持ち悪いとなれば、大変なことです。
自分のお母さんが全部、美人だという結論はつけられません。最も醜いブスさんだとすれば、どうなりますか? 「嫌な顔したお母さんだ」と朝から晩まで、幼児から青年までも嫌だと言うのですか? どう思いますか? 「お母さんの顔がああだから、私は嫌だ」と言うのですか? 「あんな顔を持ったお母さんのお乳は飲まない」と言うのですか? 「御飯を炊いてくれるのも嫌だ」と言うのですか? (言いません!) 顔が問題ではありません! お母さんには顔より素晴らしい愛というものがあるのです。愛によってすべてがオーケーです。万事がオーケーです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。
統一教会のメンバーは、こういう理論的な立場に立っているので堂々たるものです。恥ずかしいことはないのです。先生も神様も、その基準に立った場合には攻撃するのです。主体的な立場で、客体が主体になるようなことを堂々とやっても恥ずかしくないのです。天下無敵で、恐れるところはないのです。ですから、天下一品になるのです。
哲学入門において、人間はなぜ生まれてきたのか分からなかったのです。自分はなぜ生まれてきたのか? それが分からなかったのです。金、金、金ですか。学校、学校ですか。勉強、勉強、勉強ですか。それから何ですか? 権力ですか。出世、出世、出世ですか。それをやったとして、何をするのですか? 自分では完成されません。愛を中心として完成するのです。人間は、男女のことだけではないのです。すべて愛を中心としているのです。分かりますか? 「この者!」と言っても失礼ではないのですね。みんな先生の孫みたいな年齢だからです。分かりましたね? (はい)。
ですから男は、女を完成させてあげる必要があるのです。女は男のために生まれてきたからです。めちゃくちゃにしては駄目です。自分のために生まれてきたのだから、女が半品になっているのを完品にしてあげなければならないのです。傷ついた完品ではなく、完全なる完品にしてあげるのです。朝、夕、生涯をかけて喜ぶような、自分を「完品の完品だ」とたたえるような女につくりあげることによって、男自体も共に完品になるのです。気持ちが悪いですか、気持ちがいいですか? (気持ちがいいです)。
朝は寒くて気持ちが悪かったのですが、先生の話を聞くことによって気持ちがよくなり、蕩減復帰になりました。だから寒気が残るのではなく、うれしい気持ちが今から始まるというのです。そうですね? (はい)。では笑顔を見せてください。「キムチ、キムチ」と。笑顔で「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」と、やってみてください。「ハッ、ハッ、ハッ」と、子供みたいにです。
すずめも朝になれば、陽気になるのです。朝日が昇ってくると、どんなに夜が寒かったとしても「朝日だ! チュ、チュ、チュ、チュ。チュ、チュ、チュ」と連呼するのです。みんな若いすずめも「チュ、チュ、チュ」。老いたすずめも、「チュ、チュ、チュ」と。あすは死にそうなおじいさん、おばあさんすずめも「チュ、チュ、チュ、チュ。チュ、チュ、チュ」と、歌いながら死んでいくのです。
そのようにみるとき、きょう気持ちのいい笑顔をした者は、あすは日本で一生の道を残すのです。日本の地に行って、その生涯に悲哀がないように、喜びあふれるように生きていかなければならないことを決心したいですか、したくないですか? (したいです)。したい者は手を挙げてください。(はい!)。
ワー、ワー、気持ちが悪いや。何だ、こんなにいいことを教えてしまって、先生はみんな取られてしまって大変です。みんな教えてやって、何もなくなってしまったら、また勉強しないといけないので大変です。だから「大変だ!」と言うのです。
みんな指導者という者は、そういう面において困ることがあるのです。みんな教えてやった場合には、後はどうすればいいのか、方便では続かないのです。みんな分かるのです。「いやー、昔はこんなに立派な先生だったのに、今はもう底が見えて大変だ。自分たちの主体にはなり得ない人だ。うーん」と、嫌がるのです。だから、「大変だ!」と言うのです。
これで、完成品になる道が分かりましたね。ですから、男は女を完成させてあげなければならないのです。女は男を共に完成させるそのものが何かというと、愛という仲介物です。中心になって紹介するものです。分かりますか? (はい)。それは、自分のものではないのです。それは相対的なものであり、それは完成させるものです。理論的には分かりましたね? (はい)。後で文句を言っては駄目です。「そういったことを決意したのだけれど、知ったことは知ったのだけれど、仕方なくこうなりました」。そんなことは通じません。それは、人間ではないのです。自分自体を持つようになれば、存在を否定したのだから、宇宙圏、無力圏に追い出されるようになるのです。死亡になるから、無用になるから落ち葉にならなければならないのです。
そういうことが分かることによって、脱線がありそうですか、なさそうですか? それがはっきりと分かることによって、夫婦共に脱線がありそうですか、なさそうですか? (なさそうです)。なさそうですか、ないですか? (ないです)。そうですか? 君たちは、なさそうという道をとりますか、なったという道をとりますか? (なった道です)。いやー、美しい顔です。要は、なったという心配をすればいいですか、しなければいいですか? 入学試験には合格しそうか、そうでもないか、分からないのです。なったとすれば、心配はありません。
夫婦一体になって、理想的な愛の主体になって、永遠の理想に向かって進んでいくに違いないという自信を持った場合には、生涯に憂うことはないのです。心配になることはないのです。もう既に合格しているからです。それで、合格証明書はどこでもらうかというと、それは夫婦関係の本場で、愛の本場でもらうのです。夫婦が凹凸で一つに完全になったか、完全にならなかったかということによって、証明書をもらうか、もらわないかということです。永遠の基準においての証明書を、自分が書いて判子を押すのですか? それでは泥棒です。詐欺師です。(笑い)おー、笑わないでください! 真剣なことです。これは、笑うべきことではないのです。真剣なことです。
全体のために生きるところから天国が生まれる
いやー、よくも文先生はそこまですべてを開発して、要点をきれいに整理してくださった、誰でも否定できない一方きりの道を行かざるを得ない自信圏を授けてくださったということは、感謝ですか、不感謝ですか? (感謝です)。
自分なりに男として考えることがあるでしょうが、それでは駄目です。自分で決めても通じません。奥さんが決めてくれる以外は駄目です。分かりますか? (はい)。証明書は自分が書いて、その保証書は奥さんが書くのです。自分は見物するのです。そうか、そうではないか判決をもらうのです。それを聞いた場合に、「ワー、私は以前からそういうふうに思って、そういう道を通って合格です。もうそれ以上、先生は言わなくてもよろしゅうございます」と言えますか、言えないですか? あなたはどうですか? (言えません)。あなたはどうですか? (言えます)。「言えます」と言うのだから、分かっていないのです。はっきり聞いていてください。分かりましたね? (はい)。
自分を中心として悩む者は、馬鹿と言うのです。相対のために悩めば、それは善なることであり、いいということになるのです。どこへ行ってもです。みんな完成された者は、自分と離れていかないのです。自分が主体の立場に自然と定まれば、良いものが周辺を囲んで、垣根みたいに自分を保護してくれる環境をつくることができるのです。自分を主張した場合には、穴ばかりが深くなるのです。大部分の人が自然的に埋められてしまうのです。
このように考えれば、心配することはないのです。朝から晩まで一日中、全体のために生きた場合には、そこから天国というものが生まれます。本当ですか? 考えてみてください。そこでは奉仕して、犠牲になる者が中心者になります。これは鉄則です。
ある家族に十人の食口がいたとすれば、おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、姉さん、兄さん、お嫁さんたちが十人いて、その中で一番年の若い孫娘がいたとして、年は十六歳くらいで何も世の中の体験はないのだけれど、おじいさん、おばあさんに奉仕し、犠牲になり、お母さんや姉さんにも、そうした場合には、おじいさん、おばあさんも自分の秘密の相談相手にするのです。
「いやー、誰にも知らせていない私のものをあなたに保管してもらいたいのです」と言ってくるのです。そうでしょうか、間違いなくそうでしょうか? (はい)。違いますか、違わないですか? (違わないです)。これは大変なことです。歴史が否認しても、それを零にすることはできないのです。おじいさん、おばあさんも、その秘密を娘に、お母さん、お父さんも、その秘密を娘に保管させたいのです。兄さん、姉さんも、みんなそうなのです。悪いことばかりではなく、いいこともみんなそうなのです。隠しておきたい貴い自分の宝物があった場合には、「あなたが保管してください」と言うのです。
三年くらい保管してあげて、自分よりもっとよく保管していた場合には、「いやー、自分のもののように思ってもいいですよ」と言うのです。それで三年、四年と保管して、欲を捨ててどんなに困難な時でも、それを売って使おうなどとも思わず、大切に保管した場合には、「ワー、主人になる者は、私みたいな者ではなくて、あなたのように奉仕して犠牲になる者です」と言うのです。
そうなった場合には、良心の命令によって、「自分のものと思うな、その資格はない。幼子のような娘のものとして定めたほうが損にはならない。この世の中の貴いものは全部、何も知らない幼子のような娘にやったほうが、貴いもののために尽くした最高の基準が立つ」と、そういう理論が成立するのです。だから、自動的に奉仕して犠牲になる者が中心になるのが鉄則であるという結論が提議されても、不満者は一人もいなくなるのです。
愛国者という者は、国のために奉仕して、奉仕して、奉仕して、自分の生命までも惜しくないと、生命を捨てて、また生命を捨てて、復活しても一回だけではなく、二回、三回以上続けて、奉仕して犠牲になるという場合に、その人が愛国者の王者になるのです。
怪我も一つよりは二つ、もっとあれば、さらに愛国者になれるのです。そういう者が十人いた場合に、目玉を取られていない人の中では、一つでも目玉を取られた人のほうが一番の愛国者になるのです。目玉を二つ取られた人がいれば、その人のほうが一番です。目玉を二つ取られて、鼻が潰れた場合には鼻の潰れたほうの者が一番です。さらに口が半分なくなった人がいれば、そのほうが一番です。傷が多ければ多いほど、中心者になっていくのです。それは奉仕と犠牲を象徴するからです。
こういう理論は、歴史を中心として正統であると認めてあげなければなりません。このことは、誰でも実感的に承認できる内容の話です。そうですか? そうではないですか? (そうです)。君たちも中心者になりたいですか、なりたくないですか? (なりたいです)。犠牲と奉仕者にはなりたくないのですね?(なりたいです)。「最高の者になる前に、犠牲的奉仕者になれ」と言うのです。その環境圏に五〇〇〇名がいたら、五〇〇〇名全体の犠牲的奉仕者になれば、主体にならざるを得ないのです。中心者になるのです。間違いないですか? (はい)。
文先生は朝からよくしゃべって、そういうことを認定させられて気持ちが悪くても、仕方がないというのです。それは原理公則であり、原理原則だからです。原理原則は万年 覆 すことができないのです。それに相応しないと、相対的価値とか存在の位置を得ることはできないのです。それは絶対的に、認めなければならないのです。絶対的に認めますか? (はい)。
このごろの若い者は、「人のために尽くすなんて、そんな馬鹿なことをする道理はどこにあるのか? 人のために尽くす時間があったら、自分のために尽くせ」と言うのですが、そうやった場合には、二十人の友達がいても、一年以内には半分が去っていきます。二、三年たった後には、二十人どころではなく、みんな影も形もなく消えていきます。分かりましたか? (はい)。「ブー、ブー、ブー」と、そうなりますか、ならないですか? 間違いなくそうなるのです。
しかし、二十人の友達を中心として一つになって、最も奉仕して、自分の友達を連れてきても奉仕して、自分の子供を連れてきても奉仕するようになったら、その人を中心として高まっていきますか、固まっていきますか、散っていきますか? (固まっていきます)。その人は中心者になり、もっともっと高い中心者になるのです。これは既に証明された話です。否定することなど、永遠にできないことです。それでは、この題目を中心として、奉仕、犠牲になる者は絶対に中心者になるということを証明しますか、しませんか? (します)。では両手両足を挙げて誓いますか? (はい)。
中心者の三大要目
人間たるものは何代続いても、そのような心を持つのが自然の原則であり、自然の法則です。ですから、その自然の法則に従うような良心は、そのようになさざるを得ないというのです。悪い者は宇宙が処分してしまうのです。みんな、残りたいですか、死にたいですか? (残りたいです)。残っても、屑みたいに残りたいですか、中心者として残りたいですか? (中心者としてです)。いやー、私は君たちに勧めます。屑みたいな者として残りなさい。そうすれば滅亡するのでしょうか、復興するのでしょうか? (滅亡します)。中心者になった場合には、復興しようなどと思わなくても自動的に高まっていくのです。
さて、この現代の青年たちはどうなるのでしょうか? みんな自分のため、個人主義で自分のためにだけ働いているのですから大変なことになります。その者は、中心の主体圏を持つことができないから、どこへ行っても成功しないという、はっきりした結論になります。
それでは、二十歳以下の若者は手を挙げてください。いないのですか? 二十五歳以下は手を挙げてください? (はい)。君たちは先生の言うとおりに生きるのです。自分を中心として生きるようなことをしていては駄目です。奉仕して、犠牲になった場合には、学問がなくても、知識がなくても、金がなくても、権力がなくても、その部落の中心者の立場に立って指導することができるのです。自分が動くとおりに歩調を合わせるのです。分かりましたか? (はい)。間違いないですね? (はい)。
中心者になった場合には、三大要目がついてくるのです。それで統一教会の中心者は誰ですか? (お父様です)。文先生だとしても、文先生はあなたたちに教えるだけであって、文先生が何もしないとすれば、悪い先生ですか、良い先生ですか? (良い先生です)。率直に言ってください。悪い先生であれば、先生でも何でもないのです。それは秋になって、落ち葉となり肥料として集められて流れていくだけです。肥料になるのです。枝にはなれません。分かりましたか? 全部が枝として全存在の木に奉仕して、犠牲になって、いいものを全体に送れば、それが枝になるのです。
「為に生まれてきた」という、為の哲学が分かるようになりましたか? (はい)。それで鉱物世界から植物世界まで、花が咲く時に、その花は色とりどりになりたいという思いはなかったのです。なぜ色をつけるようになったのでしょうか? 青い葉っぱばかりではないのです。青い花を見たことがありますか? そんなことを考えて、関心をもって探したこともないのですね。青い花を見たことのある者は手を挙げてください? (はい)。何が青い花ですか? (カーネーションです)。カーネーションが青いですか? 本当の青い花を見たことはないのですね。先生はたった一度だけ見たことがあります。青い花がどこにあるのか探してみたのです。それは、本当の青ではないのです。ぼやけた青です。本当の青はないということなのです。ないのです。
自然は、みんな分かるようになっているのです。何ですか? (トラジがあります)。トラジが何で青ですか? あれは紫なのです。(笑い) だから、自然はみんな知っているのです。「いやー、青い花は必要ない」ということを公式として、みんな知っているから自分なりに変わった色の装いをして、ちゃーんと誇っているのです。「蝶よ、飛んで来い」と言わなくても、蝶は飛んで来ざるを得ないのです。そこで、為に生きていれば、蝶が愛の相対や蜜を願えば、そこにたどって来ざるを得ないのです。それが分からないといけないのです。
そのように、花も美しく、だんだらな色をしているし、その香りも豊かで、いろいろの香りを持っているのです。それで、花を見てやって来ることのできないものは、香りで探してくるのです。このようにして、すべて為に生きる内容を中心にした場合には、訪ねてくる者がたくさん増えていくようになっているのです。分かりましたか? (はい)。
全体のために、為になるような内容をたくさん持っていたとすれば、人々が寄ってくるのは当然のことです。文先生の話は、為になる内容がたくさんあるので日本人も、黄色人も、白人も、それから黒人も、みんなやってくるのです。老いも若きも、今にも死にそうな者もやってくるのです。
先生の話を聞いていて、気持ちの悪いことがありますか、ないですか? (ないです)。帰ってから不平を言う者はいませんか? (いません)。顔立ちも素晴らしい美男子のタイプをしていても、先生の口は素晴らしいほどに、悪いことばかりを言いました。凹凸のことをたくさん言いました。ですから皆さんが淫行のチャンピオンみたいに思っているとしたら大変です。男性生殖器も、男のために生まれてきたのではありません。では、誰のためですか? (女のためです)。その女のものは何と言うのですか? (笑い) あー、先生は分からないのです。その名前が何か分からないから、日本人に聞く以外にないのですが、女に聞けば逃げていくので、仕方がなく、男に聞かなければならないのです。たくさんの男たちに、信頼できる男たちに聞くのです。女のそのものは何と言うのですか? (至聖所です)。
そのものが悪いと思ったら、大変なことになります。宇宙すべてを総括しているお母様、お父様みたいなものです。それが本源なのです。大元です。アダムの本来の結婚式は誰の結婚式でしたか? (神様です)。「いやー、そんなことを言い出したのは歴史始まって以来のことであり、文先生は悪辣なる者だ」と、たたえるにふさわしい宣言です。神様が堕落したアダムと一つになって、人間のお父さんの立場に立つのです。それはめちゃくちゃな話ではないのです。きちんと理論に合っているのです。それを説明するには、時間がないのです。きょう教える教科書以外のことだからです。この時間に、その教科書の話をした場合には、本来の教科書の内容を教えることができないから、やめてしまうのが礼儀なのです。
それを知りたいですか? (はい)。では、この次にも、またこういう集会に来ますか? (はい)。来たいですか? (はい)。
神様を完成させるのは、相対の愛を持つ者である
今まで自分を主張してきたことは、失敗の生涯です。そういう結論になりました。「今からの勝利の生涯はいずこにありや」と言った場合には、自分を主張するのではなく、自分を叩いて奉仕して、犠牲にして、全体を高めたたえる生活です。それは、勝利の生活になりそうですか、なりますか? (なります)。間違いないですね? (はい)。本当ですか? (はい)。先生もあなたたちの後ろについて行きながら、バットを持って監督して、尻も叩きますよ。(はい)。そうしてもいいですか? (はい)。いやー、みんなはいいことを約束しました。分かりましたか? (はい)。
男と女が共に完璧な完成品になるには、愛がなければなりません。生理自体、構造自体を中心として、先生の論法を否定することは絶対にできますか? (できません)。おじさんもそう思いますか? (はい)。いやー、えらいことが起こりました。大変なことです。これが分かったら、一家を率いていく父親として恥ずかしくないのです。先祖に向けても、全世界に向けても、後孫に向けても、一つも恥ずかしくないのです。神様の前に堂々たる者になるのです。天国の王子様になる道に間違いないのです。間違いないのです。みんな、一つ言ってみてください。(間違いないです)。本当に間違いないですか? (間違いないです)。だから死んでも実行するのです。(はい)。
先生がそう言えと言うので言ったとしたら、それは大変なことです。為に生きる者は、先生に責任をかぶせるのではなく、自分で責任をもってやっていくところに独自の所有権が決定されるのです。先生に責任をかぶせた場合には、所有権を半分に分けて、先生にあげなければならないのです。分かりましたか? (はい)。
神様は絶対に、相対のために存在するというのです。そのような神様が主体だとすれば、あなたたちは、その主体の前に、絶対なる相対者になりたいのなら、生まれる動機からその生涯を終えて死ぬまで、永遠にその公式にも当てはめてしまうことです。そうなれば、その者は神様が収穫して、宝座の横に連れていって飾り物にすることができるというのです。大変なことが分かりました。いやー、先生はそれを教えてやったので、寂しくなってしまいました。先生が持っている内容を共に千万人が持つことを喜ぶのが神様ですから、そのようになった場合には、先生にはすべてがなくなっても神様と共に抱き合って、喜び踊るようなことになれば、それですべてが終わるのです。すべてが成るのです。すべてが完成するのです。神様が自分のものになるのです。
共産党は今まで「自分のものは自分のもの。あなたのものも自分のもの」と言ったのです。そこには相対的観念がないし、為に生きる何もないのですが、統一教会では「自分のものは家族のもの」です。これは、家族に投入するからです。「家族のものは氏族のもの」です。氏族のものは? (民族のものです)。民族のものは? (国家のものです)。国家のものは? (世界のものです)。世界のものは?(天宙のものです)。天宙のものは? (神様のものです)。そして、神様のものは、私のものになるのです。なぜかというと、 自分がそうすることによって、絶対的な神のひとり子の相対者として立つからです。神様を完成させるのは、何者でもないのです。国でもなく、宇宙でもなく、天宙でもなく、相対の愛を持った者であるというのですから、私に違いないのです。ですから、「神様のすべては私のもの」と言っても、理論に外れるようなことはないのです。理論的に合っていますか、合わないですか? (合っています)。
ですから、あなたたちは思想家になり、思想的な人間になりたいとは思いませんか? 思想といえば、個人の思想、家庭的思想があるのですが、氏族、民族、国家というようになった場合には、思想がみんなめちゃくちゃではいけないのです。方向一致をさせて、個人の思想は家族の思想として、家族の思想は国家、世界、天宙、神様に通じる思想となった場合には、生涯なし得たすべてが零になることはないのです。すべてが生きているのです。過去にやったこと、個人レベルでやったことが、世界レベルに上がったとしても、みんな世界のどこかで生きるのです。
天宙のために生きて神様と一つになった場合には、神様と共に生きるのです。ですから、神様の愛と人間の最高に願う愛が一つになった場合、全天宙が愛のために生まれているので、すべてが自分と神様と一つになった基準を中心として、回ればその方向に、触れればその方向に歩調を合わせて一つの宇宙になるという結論は、理論的に矛盾していないのです。だから、神様のものは自分のものになるので、その方向に直行して動くのです。地域的ではないのです。
統一教会はそういう思想を持っているのです。恐ろしい思想です。神様のものが自分のものになるまで働きかけるのです。奉仕して、犠牲にしていく者が、その中心者にならざるを得ないというのが理論的な結論です。方便的な結論ではありません。何の結論ですか? (理論的な結論です)。理論的に正々堂々たるものであり、万民すべてが公認し、宇宙すべてが服従しなければならないし、神様絶対圏の立場に属することができるものです。それで、あなたたちの良心も、それに向けて走っているのだけれど、どのようにすれば、そこに到着できるかということが分からなかったのです。
自分を中心として、欲張って走ればできると思ってきたのは間違いです。相対圏のために投入することによってできるのです。相対でなさないかぎり、上がることができないのです。相対理想圏で一つにならなければ、中心の穂先は大きくなることがないのです。東西南北が平均をとって、枝が平均的に大きくなるので、穂先が真っすぐになるようにです。幹のほうだけでは、これが曲がってしまうのです。
神様は人間の根っこの根っこであり、幹です。人間は穂先なのです。それで真っすぐにならなければならないのです。真っすぐになるところに、木としての存在の絶対的意義があるのであって、それが曲がりに曲がっていたら大変です。曲がりに曲がった幹は枝よりも長いので、それは駄目なのです。枝と幹は相対関係で一つにならなければならないのです。曲がりに曲がった場合には、枝より長いので主体の資格はないというのです。ですから、すべては真っすぐに存在するのです。
この前、先生はアラスカでびっくりすることがありました。アラスカの木は、斜傾に立っているのですが、九十度には間違いないのです。その半分が潮の波によって砕かれてしまっても、崖に乗っかって立っている木は枝を張るところがないので、みんな向こうに張っていって、幹は並行になっているのです。逆で、まるっきり反対です。それは誰が教えてやったのでしょうか? 生まれながらに存在し得る動機がそうなっているのです。木がそんなに真っすぐになるように、万物の霊長は、それ以上に真っすぐにならなければならないという結論になるのですが、あなたたちはそのように真っすぐになっていますか? (いません)。良心が正しいという話はよく聞くでしょう? 良心が正しいという話は、横たわって平行線になったことを言うのではないのです。真っすぐなことをいうのです。ですから、動物の世界で立って歩くのは、人間以外にいないのです。
男は胸を張って、下を向くべきですか、上を向くべきですか? (上を向くべきです)。本当ですか? 高尚なる理想を持って、高い所へ向かっていくのが男の本分です。女はどうですか? 女は胸を張って上を向くべきですか、下を向くべきですか? いやいや、やっても仕方がないのです。子供を孕んだ場合、こうならざるを得ないのです。(先生が上体をかがまれる)子供に教えてあげる時は、このように、腹の中から教えてあげるのです。万物を尊重することに謙遜で、すべてを高めていくような姿勢をとって教育しているお母さんであることを知らないのです。もしも日本の学校教育の教科書を先生が指導していたならば、日本は滅びないし、大東亜戦争でめちゃくちゃにはならなかったのです。分かりましたか? (はい)。
男は肩が広いし、女は尻が大きいのです。電車なんかで、女が三人座ったら大変です。その中に男が座れば、四角い箱みたいにぴったりしてクッションがいいのです。男は骨なのです。女は肉が多いからクッションがいいのです。ですから生まれる時、骨はお父さんから肉はお母さんから受け継ぐのです。主体・客体の観念がそうなっているのです。それは、宇宙の原則に従った存在の姿勢であり、実相なのです。それらをみんな分かることによって、正しい人間になれることは間違いないのです。
ここに来たのは、正しい人間になるために来たのですか、めちゃくちゃな人間になるために来たのですか? (正しい人間になるためです)。今は正しい人間になるような教育の時間ですか、不正な人間になる教育の時間ですか? (正しい人間になる教育の時間です)。本当ですか? それでは、感謝していますか? それでは、感謝して、「ありがとうございます」と言ってみてください。 (ありがとうございます!)。本当に言いましたね。(はい)。日本に帰って、「先生がやらせた。先生が言えと言ったので、そう言った」と言うような、そのような駄目な人間ではないのですね。分かりましたか? (はい)。これ以上、もう言わなくてもよくなりました。
結婚は共に完成するためである
結婚はなぜするかというと、男は女を完成させるためであり、女は男を完成するためです。では、何をもってするのですか? (愛をもってです)。愛をもって絶対的になすには、絶対的に凹凸を一つにさせなければならないのです。それでは、旦那さんが男として女に近寄るのは何のためですか? それは凹凸を合わせるために近寄るのではなく、完成なる愛を成立させるためだということを思って行動しないと、大変なことになってしまうのです。分かりましたか? (はい)。前後が逆さまになったら、悪い者になるのです。
手にも、表裏があるのです。神様から見た場合には、これを先に見せますか、(先生が手の甲を上にされる)こういうふうに見せますか? (手のひらを上にされる)神様に手を出す時、こう出しますか、こう出しますか? (先生が先に手の甲を上にされ、次に手のひらを上にされる)なぜかというと、神様は内のほうにいるからです。内のほうです。手を握れば内のほうです。こう考えると、子供の時は、こういうふうに握りますか、こういうふうに握りますか? (先生が両手で、まず親指を中に入れてこぶしをつくり、次に親指を外に出してこぶしをつくる)この中にお医者さんはいますか? 親指を外に出しますか、中に入れますか? お医者さん、どうですか? (中に入れます)。あなたは実験してみたのですか? (――)それでは偽のお医者さんですよ。(笑い)
万物は自分の姿が何たるものかを表示することによって、自然世界で堂々たる姿勢をとることができるのです。これは、神様の二性性相のことをいうのです。(先生が親指を立ててこぶしをつくる)統一教会は、よくもこのことを発表したものです。神様は、「ナンバーワン」と言って、こうするのです。ナンバーワンはこうやるのですか(先生が小指を立て)、ナンバーワンはこうやるのですか(親指を立てる)。これは何を表示するかというと、(親指が)神様の相対となって、(ほかの四本の指が)一つになるということです。これが二性性相です。それ(親指)を中心として三掛ける四(先生が四本の指を示される)イコール十二。十二か国で、宇宙の回転の中心として位置しているのです。こういうことを話すと限りがないのです、時間がありません。分かりましたか? (はい)。
ですから、水中時代から子供だに神様を持っているのです。そういう伝統を忘れて、神様を何ですか!「神様は死んでしまった」と。お父さんが横に座っているのを知らないで、「死んでしまった」と言う言葉以上の親不孝はないのです。神様が間違いなくいたとするならば、その方がお父さんであったとするならば、それを知らなくて、また知らないふりをして、親孝行者になれますか? (なれません)。親不孝なる者は、親の所に立ち寄ることができません。ですから反発して、遠い所の地獄に行かざるを得ないのです。理論的に、みんなそういう結論になるのです。
それでは、絶対に凹凸をぴったり一つにしたいですか? 隙間をあけて、がたがた一つになりたいですか? (ぴったりです)。ああ、笑ってはなりません。真剣なる結論として答えなければなりません。今まで、がたがたと不真剣にやってきた者は、今からは、がたがたしてはいけないのです。絶対真剣の立場で、絶対一つになるようになっているのですから、絶対男、絶対女は、絶対凹凸が一つにならざるを得ないのです。なぜかというと、絶対なる愛を占領するためには仕方がないのです。そうやって、何をするかというと、愛を共に占領するのです。それは二人の愛なのです。絶対愛なのです。
愛は誰がつくったのかというと、神様がつくった絶対なる相対圏の愛なのです。その絶対愛に一つになったのだから、絶対一体になれるのです。ですから、あなたたちの良心を愛だとすれば、夫婦が肉体となり、心身一体です。心を主体として、絶対に二人が一つになれば、夫婦一体人格です。それが完成人格なのです。
それを見た時、神様は初めて「いやー、自分を主体として、相対のモデルの凹凸が一つになったならば、一つになった人間は愛完成体になる」と。そうなった場合には、誰が必要かというと、人間が必要ではなく神様が必要なのです。愛の元が神様だからです。しかし、神様には相対圏がないのです。神様自体も為に生きるような立場なのです。いくら自分が絶対に高いとしても、どんなに人間が低いとしても、絶対なる愛の相対としては、何億万倍も無限大の相対を願うようになるのです。ですから神様自体も、絶対に為に生きる立場の愛を注入してくるのです。神様自体も相対のために愛を注入することによって、為に生きる理想の哲学の根底が、人間も完成し、神様も完成する道が、理論的に可能であって、それ以外には神様完成、人間完成の愛の理想絶対圏は生まれてきません。
結婚は共に完成するためであり、その完成は愛と一つになることです。その愛と一つになり、心身一体、夫婦一体になったとすれば、神様の元の観念の愛が夫婦共々に実るので、その実った実体を神様は相対として求めざるを得ないのです。それ以外には存在しないのです。万物の霊長たる人間以外にはないというのです。
そうなった場合には、神様がそこにプロポーズしてくるのです。誰がプロポーズしてくるのですか? (神様です)。精誠を尽くしていれば、主人は必ず立派なものとして取り入れて、自分のもとに迎えてくれるのです。だから、愛の目的は神様を完成させるとともに、神様を占領するためだという結論になりました。これは否定できません。
結婚の道は、荘厳厳粛な道です。今まで世の中は、男と女がたくさんの問題を起こしてきた過ちの本体だった者が、厳粛に為に生きる思想でもって一つになることによって、すべての問題が隠れて消化されていくようになるのです。この世の中は、自分のために生きるという観念に固着されたために、問題がたくさんに起こってきたのです。もともと為に生きるという思想、為に生きるという全体感覚、作用自体もそのように活動するということを知った場合に、その世界は、問題の世界になりますか、喜びの世界になりますか? (喜びの世界です)。「天国は、喜びの世界である」という天国概念を植え込んでも、不平を言う者はありません。そのとおりにつながるのです。地上でそのとおりにつながるのだから、「地上天国の出発だ」と言っても、それは無理な結論ではないのです。正当な結論として受け入れざるを得ません。そうですね? (はい)。
「そう」は、韓国語で何と言いましたか? (牛です)。牛は奉仕と犠牲の王様ですね。それに従っていけば天下を治める貴い者になると言うのですから、「そう」を覚えておきなさい。帰っても「そう」「そう」です。日本は一日中「そうだ」「そうだ」と言うのですが、それはパンを作るソーダではありません。韓国の犠牲的な標題なるものを簡単に言ったものが「そう」だと思って、自分を固めていけば利口な男になるに違いありません。(はい)。分かりましたか? (はい)。奉仕とは何ですか? (犠牲です)。
サタンも絶対愛の神様には絶対服従する
それでは、それをもう少し、一歩突き詰めて神様に立ち入って示した場合に、神様とは一体どういう方かというと、宇宙の出発になる動機の方です。それは否定できません。そうだとすれば、神様を中心としてみた場合に、注入する考えを持った方でしょうか、投入される方でしょうか? 投入は自分をなげうって、引き出して投入するのであり、注入は引っ張りだこにするのです。引っ張りだこにした場合には、永遠に神様は一人ぼっちになるような結論になるのです。相対も何も生まれてきません。相対であったものも、みんなぺちゃんこになります。分かりますか? (はい)。ですから、絶対なる神様がいて相対圏を願うのであれば、自分を裂いて投入する道を行かなければならないという、理論的結論になります。
宇宙の中心の創造主が神様だとすれば、投入によって始まったと思いますか、注入を考えたと思いますか? (投入です)。間違いなく投入から出発し、宇宙の創造、宇宙の発生が始まったということは理論的にも否定できません。ですから、投入をすることにおいても、自分のための投入ではないのです。これは、神様の特権の存在圏を決定するものであり、相対のために投入するのです。自分のためではないのです。
ですから、億万倍の価値を神様が願うとすれば、百倍にも相対が優ることを願うとすれば、一〇〇を投入しても、一〇〇を投入したことを記憶していたならば、さらに一〇〇〇を投入することができるでしょうか? (できません)。一〇〇を投入したので、胸から鼻まできてしまうのですが、一〇〇〇であれば半分で済んでしまう、ということになるのです。ですから、愛というものは無限に補給し、満たす力があるというのです。これは仮想的な理論のようであったものが、実際的な理論として現れたのです。分かりますか? 真に、為に投入した場合、真の愛に投入して、忘れてしまって、また投入したいという思いのするところに、無限の力、無限の補給量が現れてくるのです。
例を挙げれば、低気圧が真空圏以上低気圧になったらどうなりますか? 世界の雲が横になっていきますか? 上で固まって、穴を埋めるために垂直にざーっと降りてきますか? 結論は、垂直爆発みたいになって、穴を埋めるようになるというのです。横になったら大変です。行ったり来たりすれば、副作用が起こるのです。ですから夫婦が愛し合う時も、垂直の道が絶好だというのです。それは、台風どころではないのです。天下が引っくり返るのです。
今まで何千万年も絶対なる無限の愛を持った神様なので、創世以後、投入して、投入して、堕落した人間の歴史を正すために投入、投入、投入して、忘れて、また投入、投入、投入を今でも続けている方だから、その前は悪魔も、天下すべての者も、朝になったら「おはようございます」と言うのです。絶対服従するのです。サタンも、神様には絶対服従するのです。神様のこの原則に合わない自分を中心とした者は、堕落した形の者だからサタンも「これは私のものです」と言うのです。神も「それはそうだ」と、そのように悪の世界と善の世界を分かれていくのです。その方式を取らざるを得ないのです。神様がサタンに優るには、それしかないのです。喧嘩をするわけにはいかないのです。
サタンは投入したら、絶対忘れることができないのです。一回奪ってもさらに強要して、「また出せ」と言うのです。そうしますか、そうしませんか? (しません)。そういう公式を使っているサタンは、無限投入の神様の前には頭を上げることができないのです。しかし、「人間世界において無限に投入できない者は、神様の所には行かれない者であり、私に属しているので地獄に連れていきます」と言ってくると、神様も、「それはそうだ」と言わざるを得ないのです。その反対に、無限に投入して忘れるようなことをした場合には、全世界のサタンすべてが後退してしまうのです。そして、命令一下、天下平等になるのです。素晴らしいことが分かりました。
宇宙の始めは注入ですか、投入ですか? (投入です)。あなたたちが生涯やってきた行動は注入ですか、投入ですか? (投入です。注入です)。はっきりと言ってください。注入ですか、投入ですか? 引っ張りだこにして、自分と妻や子供のためには、国家などはどうでもいいと、国家財産の略奪というか、横領というか、そのような罪を犯してきたということは間違いないのですね。
先生は汗を流して、こんなに一生懸命に話をしても何の収穫があるでしょうか? 先生を殺そうとした日本の地には、先生を怨讐として見ている日本の地には、本当に収穫し得る者がありそうですか、なさそうですか? (あります)。本当ですか? (はい)。
神様の願いは世界万民の救済である
文先生は不思議は男です。西洋人にも「この野郎! 何を言ってるのか。こんなに悪いことをしたではないか。何だ! こんなことをしただろう」と、どんな外国人でも一発でやってしまうのです。
ですから、統一教会に入って、文先生によって結婚した家庭は立派な後孫が生まれてくるのです。四柱推命で研究してみてください。統一教会の国際結婚の子供たちで、自分の父母よりも劣る顔をした者は一人もいないのです。そうでない者があったとすれば、先生の言うとおりになっていないから、下のほうに潜って地獄に落ちていくのです。みんな立派になるようになっているのです。だから、みんな先生が責任を持ってあげるのです。
それでは、未婚者は手を挙げてみてください。未婚者です? 結婚は誰にしてもらいたいですか? (お父様です)。文先生ですか? (はい)。「文」と言えば、韓国では顔が腫れてしまったという話です。中身がないという話です。世の中では、そう見ているけれど、実際は秘密の中身をみんな掴んでいるというのです。このことを知れば、無事通行です。
日本人は、小さいのです。東洋でも小さいほうです。韓国人と比べてみても小さいのです。小さい者は、大きい西洋人の群れの中で生き残ることができないのです。最後には踏みにじられて、圧死させられてしまうのです。そういう危険性があるのです。しかし、文先生は東洋人だから、同情する一念があるのです。同情するという条件がつくと大変ですから、先々日本人を苦労させるのです。そして、何をするかというと、今世界では一年に二千万人が死んでいるのです。一日に六万人近くが死んでいるのです。それが、もしも自分の親や自分の兄弟だったらどうしますか? 泣きずりますか、黙っていますか? (泣きずります)。泣きずらなければならないのです。
神様の目から見ると、「私の子供である」と、神様は泣きずっているというのです。その子女たる者は、原理を知る者は、泣きずる神様を慰めなければならないのです。「自分が餓死するようなことがあっても、何千万人を神様の代わりに解放してあげます」と言って、一心不乱に走るところにおいてこそ、神様が後について援助するような道が生まれてくるのです。
それで先生は、救済のために船を造って一六〇か国に送ろうとしているのです。なぜかというと、世界にはたくさんの農産物がたまっているのです。アメリカでは、夜になると、こっそり麦などを太平洋に流しているのです。そういうこともみんな調査しました。船があったら、それを運ぶことができるのです。ですから船を造って、食糧、材木、農産物を積んで、世界万民解放のために役立てたとすれば、アメリカは天上でも高められるし、万民にも崇められることは間違いないのです。
それから、それをどこに置くかというと、大きい港は大きな川の縁にあるのです。それはなぜかというと、未開地には道路がないからです。アフリカの大陸を横断するにも、縦横無尽に連絡する道はないのです。たった一つ、それは川しかないのです。また川のほとりには、みんなが住んでいるのです。
それで、みんながそのように船をたくさん造って、農産物などを配るのです。先生の造った船は、立派な船です。十年間先生が乗ってみて、欠けているところをみんな補充したので釣り船としても世界一なのです。みんなに認められているのです。ワンホープです。みんなレバレンド・ムーンの船です。その船は沈まないのです。先生が考案して、世界で初めて沈まない船を造りました。
そうなるというと、悪辣な者が、「文先生は特許考案も出していないから」と言って、自分たちが造ったのだと特許申請を出して、泥棒する者も出てくるのです。それで文先生は、「やるのだったらやりなさい。たくさん造って売った場合には、動員は文先生がします。沈まない船の先祖は文先生です」と言うのです。それで、「横取って造った船は、文先生の万民救済のためのものです。その船で死にかかった人、餓死する二千万人を救うために動員していいですか、悪いですか?」と聞けば、悪いと言う者はいないのです。悪いと言うことはできないのです。それで、「思うとおりにしてください」ということになるのです。
そうなったら、その船を使って、川を通って村々をみんな回るのです。一尺、一フィートあれば、どこへでも行くようになるのです。それしか交通機関はないのです。一六〇国家も一八〇国家も摂理的には同じです。みんなの願いは一六〇の家を復帰するか、一八〇の家を復帰するかということです。蕩減原則によれば、みんな一六〇軒です。仕方ないのです。一八〇国家と一六〇軒をイコールとして、二十か国を減らして今、世界に本部をつくっているのです。それで、四そうずつとして六四〇の船が、スピードもよく、美男子みたいに、美人みたいに進んでいくのです。それは、トレーラーも運搬可能であり、大陸横断は問題ありません。大洋を船でもって運んで、どこへでも行けるのです。
そうした場合に、農産物もどんな奥地までも分配してあげて、三か月間は必ず食べられるようにしてあげるのです。そういう運動を世界的にやろうと、今、出発しているのです。話だけではないのです。いろんな面で、先生は世界的にも有名なのです。
日本と世界の行く道
ですから、いかにして餓死する人々を救済するかというのです。それができなければ真の父母の名前を持っていても、霊界に行って先祖をはじめとしてすべての霊人たちに讒訴されるのです。「地上で一体何をしていましたか!」と。だから日本を教育することが問題ではありません。彼らよりもかわいそうな者はないのです。神様の心情の中心、愛の中心の父の立場に立ったとするならば、その民族を神様は一番心配するのです。
空気でいえば、穴が開いて今にも死にそうな完全低気圧圏になったのに、高気圧圏がびくともしなければ、その自然界は腐ってしまうのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。もしも真空圏が起こった場合には、日本の空気も「よう!出発」。アメリカの空気も「よう!出発」と、特別の命令網が世界的につくられて、そのようにまとめて総動員命令をするのです。日本は、そういうことを考えたことがありますか? 低気圧のほうが、「もっと低気圧の穴を大きくさせて、取ってこい、取ってこい」と言えば、滅びる現象ですか、栄える現象ですか? (滅びる現象です)。滅びるのです。ですから、今の日本が世界的に祝福されていることを考えてみてください。
戦後、日本とドイツは焼け野原になっていました。何もなかったのです。それを文先生が、英米仏の連合国家が勝利したことによって、エバ国家とカイン・アベルの国家を立てたのです。アダムの家庭において、エバが失敗して、カイン・アベルが紛争して、エバは真の旦那さんと神様をさておいて、サタンによって地獄へ連れていかれたのです。それを蕩減復帰するのは、その反対の公式のとおりに上がってこなければなりません。落ちた反対の道を上がってくるのです。
ですから世界的に、アダム家庭で失われたエバ国と、エバの膝の上のカインの国とアベルの国を一つにして、地獄へ行った道をまるっきり反対に回り道をしてきたのです。それが新婦宗教のキリスト教です。新郎を求めて六〇〇〇年の歴史をさまよってきた中心の宗教です。そのようなキリスト教文化圏で全世界を統一したことが、歴史上において一度だけあったのです。それが、日独伊対英米仏の戦争です。そこで相対的に紛争させないと、サタンが讒訴するのです。
それで誰が先に打ったのかというと、負けたほうが先に打ってきたのです。第一次大戦も、負けたドイツが先に打ってきたのです。第二次大戦も、ドイツと日本が先に打ってきたのです。第三次大戦も、思想戦を中心として先にソビエトが自由世界アメリカを打ってきたのです。そして、打った者が負けるのです。負けるにしても、三分の二までは、いつも勝っているのです。なぜかというと蘇生、長成基準まではサタンが主管できるからです。三分の二までは勝つのですが、そこでぺちゃんこになって墜落するのです。
ソビエトも、世界を完全に丸のみにしたような立場までいったのですが、文先生によってぺちゃんこになってしまったのです。ソビエトでは有名な話です。文先生が「共産主義思想帝国滅亡」を宣言したのです。「五年以内に間違いなく滅亡する」と言った時、カプランという「冷戦二極」を唱えた世界的な政治学者がいたのです。その有名なシカゴ大学のカプラン教授も今では先生の弟子みたいなものですが、彼は、自分は天下一品の政治学の大物であり、文先生などぺちゃんこのものだと考えていたのです。しかし先生とつきあってみると、文先生がぺちゃんこでなく彼がぺちゃんこであることが分かったのです。先生がやることに対して「こんなことを世界的にやるなどと、そんなことはとてもできません。アメリカのワシントン・タイムズもできません。ワールド・アンド・アイもみんな成功しません」と言っていたのですが、みんな成功してしまったので、彼は完全に手を上げてしまったのです。それで、今や先生の話は絶対に聞くようになっているのです。それは有名な話です。
先生は、その時ちょうど、ダンベリーの獄中にいました。彼は面会に来て、「ソ連帝国滅亡という題目は、それでもいいとして、その前に英語で、かもしれないという言葉を入れてください」と言うので、「そんな馬鹿なことを言ってはいけない。五年以内にそのようになる。滅亡する。今がチャンスだから、そう言いなさい。ソビエト研究の世界学者が集まって、三分の一が怒ってもいいから、そう言いなさい」と言って、世界的な大会を行って宣言したら、そのとおりになってしまったのです。
それで今や、言論界すべてを統合した結論が何かというと、「不思議なことが世の中に起こっている」というのです。ソビエトの滅亡ということは、いかに知識を誇る日本も、アメリカも、イギリスも、ドイツも、フランスも、誰一人言い当てることができなかったのです。しかし、たった一人の宗教家であり、迫害の王者であり、人間扱いされないような文先生が、まさしくそれを的中させたのです。それは、予言ばかりではないのです。それに対処して世界的組織、国際勝共連合を中心にして世界的に教育したのです。共産主義の世界に蔓延した網をみんな解いてしまって教育したのです。それでソビエトも滅びたのです。
それで、ソビエトでの言論人大会を終えて帰ろうとした時に、文部大臣が、緊急に「先生に五分でもいいからお会いしたい」と、出発の十五分前に言ってきたのです。それで、文部大臣がやって来て、先生に挨拶して、次のようなことを言ったのです。「ソビエトでは、文先生の思想を八年前からKGB全体で研究してきました。その結果、ソビエト滅亡の後は、文先生の思想しか頼れるものがないということが上層部の考えるところになりました。ですから、今まで文先生がソビエトに対してきた帝国滅亡の悪辣な怨讐という思いはさておいて、どうかソビエトの思想空白の時において、これを埋める使命を果たせる方は、いかなる哲学界、いかなる宗教界においても、文先生以外にはいないので、お願いいたします」と言うのです。それで、最高の者たちがみんな会議で言うことは、「文先生が願うのであれば、ソビエト再建はみんな先生にお任せします」と。分かりましたか? (はい)。それで、文部大臣から「ソビエトを救済したのは文先生です」という感謝の手紙も来ているのです。こんなことは初めて聞くことですね。
日本は第二次大戦に負けたので大変な弁償をしなければならなくなった時、蒋介石総統がそれに反対したのです。蒋介石とは、理想の不変のイエス様をいうのです。「蒋」とは、高ぶるのではなく保護することです。天使長の代表国家です。日本はエバ国の島国です。堕落の時、天使長がエバを殺したのですが、今度はアジアの天使長の蒋介石が日本を保護するのです。そしてその背後には、文先生がいたのです。誰もそれを知らないのですね。しかし、歴史は明らかに記録されているのです。
日本民族は神様に向かって祈らなければならない
このように見た時に、日本は文先生に反対するのですか、絶対奉仕すべきですか? (奉仕です)。アダム国とエバ国を象徴する立場に立った文先生を、日本は拒否をしているのです。旦那さんが奥さんの部屋に入ることを禁止する家は破壊状態にあるのです。日本は、このままでは滅びるのです。日本列島がそうなのです。神様がイギリスの経過を追って針を回せば、一夜で日本列島は太平洋に潜り込んでしまうのです。今や地震の傾向がだんだんと大きくなる方向だと聞いているでしょう。このままでは、どうなるのですか?
日本民族は富士山に向かうのではなく、神様に向かって祈らなければなりません。日本列島を救済できる方は神様しかいないのです。神様の声に従うようにしなければなりません。そして、絶対なる道があった場合には、その目的のために使う道があったならば、喜んで国家を超えていくというように、問題をはっきりさせて全国民一体一心になって祈り、悔い改めをしなければならない時だと思います。
統一教会の文先生を、神様が絶対に愛するとすれば、神様が絶対に愛する文先生に反対すると、絶対に悔いることになるのです。文先生に反対するような国は、良くなりません。アメリカも、すべてがめちゃくちゃになって、仕方なく文先生に頼ってきて、先生の背後につくようになりました。
日本は今や、分からざるを得ないようにと、病人に注射をしないといけない立場です。アメリカも注射をしているのです。韓国もそうです。先生は堂々たるものです。先生の世話になっていない者はいないのです。それがばれるのを恐れて、逆に文先生を外国の政治家に反対させるような者は、根っこから抜き取られてしまうのです。
先生は戦わないのです。包囲して自然屈伏させるのです。日本も、世界も、先生に包囲されているのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。中では、がやがや言うのですが、大きな網に包まれた魚は行く所がないのです。自分たちで、ぶっかけ合いながら死んでいく道しかないのです。文先生はその反対に、怨讐を愛するという主題があるから、網の中を生きるパイプでつないでいるのです。それで、真っ暗なパイプの中を仕方なく通っていって、「ワー!」と飛び出した場合には、海に入る道があるということを分からないのです。今、統一教会は、そのことをやっているのです。
それで皆さんは日本海を越えて、韓国まで来たのです。済州島が第一修練所であり、ここは第二修練所です。済州島という名前は何かというと、言葉の響きからいえば、「再び修練する道場」という意味です。済州島の修練所で日本の五万名を修練しました。そこは二八〇〇名までで、三〇〇〇名は入らないのですが、五〇〇〇名入れなければ昨年までに終わらなかったのです。このことで先生は、何十年も前から講堂をつくりながら、この修練を考えていたのです。その計画のとおりにつくったので、何十万人が使っても崩れないのです。
そのようにつくったのです。柱が二十九本ありましたが、「それをみんな切ってしまうように」と言ったのです。切ってしまうには、クレーンを使っても大変です。機械を上げれば「ワー、ぺちゃんこになる!」と言うのです。「ぺちゃんこになるかどうかやってみなさい」。結果は誰にも分からないのです。分かる人は、先生しかいないのです。こういう考えをしてきたのです。今や時が来たのですが、造るのも大変でした。一年か二年かかるところを、三十八日で完了してしまいました。それが文先生式です。
日本でも、何もないようだけれども、「ワー、全国大会だ」となれば、五万や七万人どころではないのです。満員にするのは問題ありません。全国のいくら大きい講堂であっても満員です。韓国でもそうです。運動場をみんな借りても、先生が三日前に連絡すれば、見えない組織の力が、それぞれの根っこに隠れている力がいっぺんに働いて、何千万人を教育できます。
日本でもそうです。旦那さんがいくら反対しても、絶対に文先生の後をついて行きたいと言う女たちがたくさんいます。そういう体験をした男たちがたくさん集まっているのですね。それは、先生が命令するからではないのです。君たちの先祖が命令するからです。そういう組織体制は一つしかないのです。永遠にないのです。
文先生がここに来たのも、先生が願ったのではなく、神様から送られて、追い出されて来たのです。来なければ国が大変になり、世界の宗教がめちゃくちゃになるということを知っているから、泣きずりながらも来ざるを得ないのです。そのような路程を経て来てみれば、一番悪いと言われる教祖様に、統一教会の先生になりました。なぜ一番悪いのですか? 世界的に迫害されているからです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。
いろんな話をしましたが、次はもっと素晴らしい話をしてあげましょう。それでは、元気よく歌でも一曲歌いましょう! (みんなで「幸せって何だろう」を合唱する)
(修練会、第二日目の午後)
1995年1月18日
真の父母という名前は、神の創造理想の標準である
皆さんが午前中に参加した運動(韓日・日韓兄弟結縁式)は、歴史的にも初めてのことです。そして、その中心は霊界なのです。霊界と人間界は比較対照になりません。霊界は神様を中心として、数千億の群れが背後に連なっているのです。そのような霊界を、皆さんは知らないのです。
今からの世界は、人間同士では動きができなくなっていくのです。真の父母という方が生まれて、地上天上を合併しているからです。今までは霊界から特殊な人を中心として、地上の特殊な宗教圏の霊的に高まった者たちだけが通じるようになっていたのです。それで、横的一体ということはなかったのです。
しかし、真の父母という名前を考えてみた時、それは創造の理想以前からの標題になっているのです。真の父母という名前は、創造以前から神様が目標としておられたものです。真の父母の基準を中心として万物を創造し、それをすべての起点として、そこから地上天国、天上天国、地上の国、無限の世界の霊界の国が成立するのです。それが、創造の最高の理想の標準になっていたのです。そのことを創世以来、今日まで誰も、夢にも思わなかったのです。人間世界では、誰も思いつかないことです。それは、標準が狂ってしまったからです。大変なことです。
ですから神様の救援の目的も、その焦点の定着のためだったのです。それをなさなければ、真の愛を中心として人間世界を永遠につなぐことができないのです。それは、理論的にも否定できないことです。偽りの父母によって始まり、偽りの愛を中心としてつながった人間は、真の愛の世界に行く道がないのです。梯子がないのです。個人的梯子、家庭的梯子、氏族、民族、国家、世界へと拡大した梯子がないのです。出発点が過ったのだから、過った基準を再びもとがえしして、その門を通過しないと、元の世界に帰ることができないのです。偽りの父母によって出発した悪の世界に、真の父母が生まれて善の世界の門を開いてあげなければならないのです。そして、その門を入るために、元の姿に整えてあげなければならないのです。
それには、ただでは生まれ変わることができないのです。接ぎ木という、渋柿の根っこから生まれた渋柿をいかに甘柿にするかという、接ぎ木の作用をしなければならないのです。接ぎ木をするには、芽接ぎと枝接ぎがあるのです。これを全世界の万民からみた場合に、サタン世界からみた場合に、渋柿の芽と渋柿の枝、甘柿の芽と甘柿の枝は何も変わったところがないのです。
それで甘柿の芽一個を中心として、渋柿の芽何万人を切ってしまって取り替えようとした場合、周辺で芽だけを見た人は「馬鹿野郎! こんな馬鹿な者がどこにいるか」と、誰も聞こうとはしないのです。天から直接来た甘柿の内容を知っている者が、「生命をかけてでも、全体を何としても切らなければ元に帰る道がない」と言っても、それをみんな嫌がるのです。この統一教会もそうです。
日本は今、二七〇〇何年目ですか? 二七〇〇何年くらいになりますか? そういう歴史があるのですね。それで、大きな渋柿になっているのですが、その日本で、統一教会の内容も分からないまま反対されているのです。「これが甘柿の芽だ」と言っても、信じる者はいないのです。それで、切ろうとでもすればどうなるかというと、「この馬鹿野郎」と言って、殺そうとしてくるのです。それで死なない場合には、「この野郎!」と、拉致するのです。親が子供を拉致するということは歴史上にもなかったことです。そんなことは、どんな辞典にも本にもない話です。
神の戦略戦術とサタンの戦略戦術
共産党は、本をたくさん作っているのですが、すべてが嘘の話の本なのです。彼らは、「真理はない。どんな嘘でも百回続けて言えば真理になる」ということを言っているのです。ですから、たくさんの意地悪なことを言って相手を叩くのです。一度打たれた場合に、それを取り除くには、何十年、何十倍の力が消耗することをよく知っているのです。彼らの世界的戦略の標準がそうなっているから、めちゃくちゃに叩くのです。
それで、ソビエトはもちろん世界中で、共産党が先頭に立って統一教会を潰そうとしてきたのです。それは、あなたたちも知っていることです。日本の共産党は、右翼を使ってぶっかけてくるのです。赤旗を見てみなさい。私のことを先生と思う者は一人もいないのです。何とか世界的にも叩いてしまおうとして、一日の計画、一年の計画を立ててぶっかけてくるのです。しかし統一教会は、そんなことはしないのです。神様の戦略戦術を知っているからです。サタンの戦略戦術は何かというと、サタンは先にぶっかけてきて、先に打ってきて滅んでいくのです。しかし神の戦略戦術は、打たれて損害弁償までもらって、栄えていくのです。発展していくのです。それが神の戦略戦術です。
サタンの戦略戦術は先に打って取られてしまうものですが、神の戦略戦術は打たれて復帰していくのです。それで先生は四十年間打たれても、一回も反抗したことはないのです。誰か「文先生は恐ろしい。日本列島が打たれる」という話を聞いたことがありますか? 聞いたことはないのですね。どんなに先生を叩き潰そうとしても、びくともしないのです。統一教会は今まで目をつぶって、死んだように黙っているので、「どうだ、どうだ、どうだ」と抗議してすべてが収まると思ったのですが、そうはいきません。逆転してしまうのです。これをこういった場合には、(先生が両手を水平にして前に出す)ターミナル、終着点となった場合には、地獄に落ちると思ったのに逆に飛躍してしまうのです。これが神の戦略戦術です。
第一次世界大戦も、神のほうが先に打たれて勝利するのです。打ったほうがみんな負けるのです。罪なき者を打った者は、損害を弁償させられるばかりではなく、地上から消えていかなければならないのです。もし消えていかなければ、その事実を知った者が、歴史を通して消してしまうのです。すべてを知っている神様は、霊界を総動員して、そういう者をぺちゃんこにするのです。
神様の戦略戦術が分かりましたか? (はい)。ですから、神様のほうで受ける迫害は、悪いことではないのです。神様は喜んで笑っているのです。迫害した場合には、迫害した者の所有権を迫害された者に相続させる神の第二の戦略戦術なのです。これは恐ろしいことです。ですから今や、歴史において文先生は謎の男なのです。「四十年間、叩かれ続けてきたにもかかわらず、びくともしないで、いやー、世界が止めることのできない発展をしてきたのはなぜだろう」と言っているのです。これが神様の戦略戦術です。
ですから、先生に反対した場合、主体・客体の観念によって、神を主体として客体になった場合には、これを壊すことができないのです。そのことはあす、詳細に話しますが、相対になった者は宇宙力と天運が保護するようになっているので、「打て! この野郎」と迫害すれば、みんな飛んでしまうのです。迫害した者のすべては、善なる立場に立って迫害される者に相続してやらなければならないのです。これが、天の歴史的問題を整備する悪と善、悪魔と神様の公式の契約条件になっているのです。
こんなことは、誰も知らないことです。文先生は霊界のことをよく知っているので、詳細にサタンの臭い根底をすべて明らかにするのです。ですから文先生の前では、悪魔は大変恐ろしがるのです。君たちは恐ろしくないのですね。
それで、文先生は悪魔の戦略戦術と神の戦略戦術の専門家なのです。分かりましたか? (はい)。いやー、打たれても倒れないのです。考えてみてください。文先生の悪宣伝をした新聞の量はトラックで何百台分です。五十年間も反対したからです。日本でもそうでしょう、何百台分にもなるでしょう? アメリカもそうです。世界がみんな、四十年間反対して、共産党も金を使いながら、計画的に文先生撲滅運動をやってきたのです。
それを一人で受けて立って、堂々と戦って共産党を倒してしまったのです。もし「ワシントン・タイムズ」がなかったら大変でした。衛星国家を強化したのも「ワシントン・タイムズ」です。日夜休まずに、発行を続けて、共産圏のソビエトに逆の影響を与えたのも、「ワシントン・タイムズ」です。先生が、専門的な観点でコーチしたからです。本当でしょうか? 三十六か国の二十億以上の人民をリードする共産党を、文先生が一人で倒してしまったのです。そんな嘘みたいなことはあり得ないと思うのであれば、頭のさえた日本人として、そんなふうに考えるのであれば、一〇〇パーセント嘘だと決定するのも可能なことですが、今の先生の話を聞いて本当だと思いますか、そうではないと思いますか? (本当です)。
本当だと言われる者になるのは、大変なことです。一八〇度転換するということは、なかなかのことです。習慣性は修繕や修理ができないのです。酒に酔っぱらうことの好きな男は、酒屋の前を素通りすることができますか? できないのです。酒を飲む金がなければ、ワーと泣きずりながら帰っていくのであり、習慣というものは恐ろしいものです。日本人は日本人としての習慣性を持っているのです。たくあんと味噌汁、御飯と梅干しです。それらの習慣となったものは切り離すことができないのです。死んでも、そこをたどっていくのです。習慣を変えるということはいかに難しいことか、大変なことです。
そうなると、サタン世界の罪の習慣性をいかに転換させるかということは、何十倍も難しいのです。何千年の歴史において、肉身が良心を叩き潰してきたことをいかに転覆するかということだからです。ですから、日本人が味噌汁とか、たくあんとか、梅干しを思っただけでも気持ち悪いというふうになることは絶対にできません。それを消すには、大変なことなのです。それを簡単に思っていたら、大変なことです。習慣性と戦わなければなりません。よい習慣性をつくっていかなければならないのです。
それが分かったので、青少年に「悪いことをしてはならない。酒を飲んではならない。たばこを吸ってはならない」と言うのです。また「女の好きな男になってはならない」と。男は女が好きですか、男が好きですか? 誰も男は好きではないのです。エイズ病がずらりと並んでいるのです。そういう人は、間違いなくエイズ病の共同墓地に埋もれてしまう者です。共同墓地を知っていますか? 日本には共同墓地もないのですか、共同墓地が分かりますか? (はい)。墓場です。死んだら、みんな共に行く墓場を共同墓地と言うのです。韓国でも、共同墓地といったら大変です。山を占領して大変です。日本はそうでもないでしょう。みんな火葬して、骨壷に入れて、お寺に任せて、十万も、何百万も納めることができるのです。そういうふうに、みんな墓場に積んでしまうのです。
自分自身の決意がすべてを決める
そのように考えた時、生死の問題、死ぬとか生きるとかいう問題も、何が正しいか何が悪いかという問題も、何を中心として決めるかというと、神様でもサタンでもないのです。すべてが自分を中心として決めるのです。分かりますか? 自分なのです。地獄の基地も自分であり、天国の基地も自分なのです。神様が「悪い」と言って、「君は、地獄に行くのだ」と案内するのではないのです。自分から行くのです。呼吸が合わないのです。分かりますか? 酒飲みの人は、酒の臭いがしただけでも酒が飲みたくなることと同じです。相対的基準の合う所を訪ねていくのです。神様が審判長として「君は、悪いから地獄へ行け」と言うのではなく、自分からその場に行くようになっているのです。
気球を浮かせても、ちゃんと平均値に留まるのです。分かりますか? (はい)。同じ水素を入れてあげても、その容量の差異によってみんな違う所に留まるのです。それと、そっくりなのです。問題は、自分が決めるようになっているのです。地獄も自分によって、天国も自分によって決めるのです。ですから、結果そのものを管理する所が、天国とか地獄とか言ってもいいのです。神様が「来い、来い」と言って、引っ張りだこにしたり、悪魔が引っ張りだこにすることはできません。自分自身の決意、人間の決意いかんによって、神様のほうか、サタンのほうかになるのです。
ですから、神様よりもサタンよりも恐ろしいものが人間なのです。なぜかというと、人間は神様も滅ぼすことができるからです。神様のほうにいた者が、あすには神様に反対して悪魔のほうに行った場合に、神様に被害を被らせることができるのです。分かりましたか? (はい)。また、サタン的立場にいた者が、一夜にして神様のほうに帰ってくれば、サタン的に自分とつないでいたすべてを全面的に破壊してしまうことになるのです。すべて自分が決めるのです。誰も決められないのです。
先生の話を聞いて、決めるか決めないかは君たちの責任です。先生は強制しないのです。しかし、理論的にはっきり分かった場合には、こっちへ行っても逃げることはできないし、あっちへ行ってもそうだし、東西南北どこへ行ってもそうだし、下へ行ってもそうなるのです。そのようなことを知った以上は、正しいことは尊重するようになっているのですから、良心が引かれてその方向に向かうようになるのも、自分の行動によってなされるのです。ですから、「良い友達を持ちなさい」と言うのです。
良い友達は、「あなたは、そこに行くのではない」と言ってくれるのです。そう言われると、行かないのです。ですから、良い友達、良い先生、良い学校、良い宗教が必要なのです。それを杖として使っても、そのことで反対する者はいないのです。それは、最も高いものに低いものをつなぐのが原理原則になっているからです。分かりましたか? (はい)。
垂直のほうへ垂直のほうへと行くのが原則なのです。反対することはできないのです。それが標準になるのです。ですから、自分が標準の基台につながるような立場に立った場合には、悪魔もそれを妨害することができないのです。神様も「やれ、やれ、やれ」と刺激し激励することができないのです。神様のほうか、悪魔のほうかは自分が決めるのです。自分の行動が、天宙分け目の戦いの終戦条約をなすかなさないかを決定するのです。ですから、自分が貴重なのです。自分の決定によって神様の王子にもなるし、自分の決定によって悪魔の王子にもなるのです。宇宙が自分自身に授けている特別権限を、むやみに使っては駄目です。
先生にしてもそうなのです。きのうきょうに、文先生になったのではないのです。昔の少年時代、十六歳の時に、天来の召命をはっきりと知ったので、その一日の決定を中心として今まで継続してきた結果、きょうの先生がいるのです。分かりましたか? (はい)。今でも、嫌だと言って周りを見ていれば、ぺちゃんこになってしまうのです。文先生がなし得たとしても、それは文先生の功労ではなく、それをつくりあげて重視した者の功労になるのです。また、それ以上に積み上げる者がいて、それを継続していって、その国に利益になるようにした場合には、国も天も許してくれるのです。しかし、もし文先生が失敗したとすれば、ここまで成し遂げてくれる人がいないのです。それを知っているので、先生は歴史に損害を残し、再び歴史の担当者をつくることをしたくないのです。この道を出発して苦労であっても生涯を終えることを決意したので、この道を離れることは絶対にないのです。
今から、統一教会の文先生の後をついて来る者は、そのような苦労の道を共に行かなければならないのです。それもいいと思いますか、悪いと思いますか? (いいです)。自分とは、そんな貴いものなのです。分かりましたか? (はい)。
神様の命令に回れ右をしてサタンのほうに回っていったとしても、神様は殺してしまうことはできないのですが、その人は神様に被害を被らせる悪辣な者になるのです。反対にサタンのほうから神様のほうに帰ってきた場合には、サタンの世界に被害を被らせるので、サタン世界では殺してしまうのです。しかし神様はそんなことはしないのです。神様は何回も機会を与えるのです。サタンは機会を与えないのです。ですから、そこに引っかかった場合には、もうおしまいです。しかし神様のほうは、何回も自由を与えてくれるのです。自分が悪かったことを悟って、それを悔い改めて戻ってくれば、いつでも歓迎するのです。少年時代、青年時代、老年時代の三時代。蘇生、長成、完成の三時代までは許容して迎えてくれるのです。
ですから、悪に頼るよりは善に頼ったほうが安全なので、親は子供に「いい子になれ、いい子になれ」と言うのです。「いい子になるには喧嘩をしなさい」とは言わないのです。「みんなのために生きる者になり、奉仕しなさい」と言うのです。「みんなのためになる、保護するようなことをしなさい」と言うのです。神様がなされていることを相対的にやれば、神様のなされた後につながるようになるので、「いい者」と言うのです。だから忍耐して、この世の中でも忍んでいく者が勝利するのです。打たれても許してあげる者が勝利するのです。忍耐が必要なのです。自分が決定するようになるからです。
神様の創造理想が地上に定着する時代
地震が問題ではありません。生きている者は行動しないといけないのです。その決定は自分にあるのです。地震が来ても、その道を行くか行かないかは自分が決めるのです。死んでいない者は地震と何の関係もないのです。
そのように、悪いことが起きた場合、その環境を収拾する者が主人になるのです。環境において、中心者になるのです。自分が決定するのです。
勉強を熱心にするのも、自分が決めるのです。怠けて大変な男になるのも、自分が決定するのです。いくら親が何と言っても、自分に頼る以外にはないのです。分かりましたか? (はい)。どんなにいい話を聞いても、自分が決定しないといけないのです。しかし、それが本当の真理だったら、東西南北、上下左右、どこへ行ってもぶつかることはないので、良心でそのように判断した場合には、それをなしていけば良心が喜ぶのです。
統一教会に来ると、良心が喜ぶことを知っているのです。自分の家にいたら、何か気持ちがよくないし、重く感じるのですが、統一教会に来ていれば身体も軽くなるのです。麦御飯を食べても、パンの耳を食べても、自分の家で御飯とともに食べる牛肉よりも消化がいいし、とてもおいしいのです。自分の家では茶碗一杯も食べなかった者も、教会に来れば三杯もお代わりをするのです。
また寝るにしても、毛布一枚に三人が寝ても、身体が軽くなるのです。短い時間寝て仕事をするにしても、身体が軽くなるのです。心が喜ぶからです。それで先生も、生涯かけて辛いことを続けてやってきても、びくともしなかったのです。過去を振り返った場合、それは大変です。一歩でも回れ右をするようになった場合、目が眠気に襲われてしまうようになり、体がだらだらして重くなり、足が動かなくなってしまうのです。しかし、神様のほうに立つと、さっさっと軽々しい身ぶりになるのです。自分自体がそれを知っているので、目が「行かない。よくない」と言っても、行かざるを得ないのです。そのような習慣をつけた場合には、天国に直行するようになるのです。ですから、その習慣性をつくるために宗教が必要になったのです。こんなことを話し始めると、また時間が長くなるのです。
兄弟関係においても、自分たちでやる時代ではないのです。文先生を中心としてやるので、「真の父母と成約時代」なのです。それで、昨年の標題が「真の父母と成約時代の安着」なのです。真の父母が安着した所は、個人的安着、家庭的安着、氏族、民族、国家、世界、天宙的安着となり、神様が地上のどこへ行っても、往来できる自由圏につなぐことができるという時代なのです。分かりますか? 君たちは、そのような霊界のことは分からないのですね。しかし、霊界を知っている人はみんな、「霊界では、文先生の後に続け!」と命令をするのです。
霊界には放送局があるのです。そのアンテナを持った者には、ちゃんと与えられるのです。「ピー、ピー、ピー」という雑音ではなく、「ピー!」と周波数が合った場合には、「今晩は文先生の深刻なる演説を聞かなければならない」と言って、すぐに飛び出してくるのです。そうして話を聞いた場合には、日本の未来が、どんどん、どんどん分かるのです。ですから、そういう面でもって、先生はたくさんの日本の女性たちに言ったのです。「日本が天的召命圏を失ってしまった場合は、日本はぺちゃんこになります。見ていなさい。地震で焼かれてしまうでしょう。太平洋にのめり込んで、姿形もなくなっていくかもしれません。何回も夢を見たし、だんだんだんだん、そういう時期が迫ってくるのです」。
それで、日本の地震の放送を聞いていて、「これで止まったらいいのに。これは余震であって、本震ではない」ということを新聞で言っているのです。そうなったら、日本はどうしますか? 神様にすがる以外にないのです。いくら頑張っても、一生涯精誠を尽くして、自分なりにつくり上げた実績の家とか、功績とか、美術品なども一晩で焼けてしまうこともあるのです。そんなことはあり得ないといくら言っても、そのあり得ないことがあり得るというのです。神様がいるのだったら、サタンの知らないことでも、何でもできないことはないのです。興廃の歴史は、そのように転覆して変わっていくのです。
そういうことを先生はよく知っているので、先生がもしその方向へ行かなかったら、すぐに先生がやられるのです。それを知っているのです。先生がやられる前に、蘇生、長成と、先生の家族がやられてしまうのです。物がやられて、それから子供たちがやられていくのです。それは蕩減原則の公式になっているのです。
それで、キリスト教の歴史で見れば、旧約聖書、新約聖書、成約聖書があるのです。それは蘇生、長成、完成であり、今は成約時代です。創造理想の完成時代なので、理想的家庭から氏族、国家を平面的に調整していかなければならないのです。このように、神様の創造理想が地上に定着する時代になってくるのです。地上に定着すると、神様の創造理想が成就するので、「地上に定着して、地上に住みたい」と言うのです。なぜかというと、相対者を生み出したからです。あなたたちもお嫁さんをもらった場合には、お嫁さんの所に行って住みたいですか、自分の会社や自分の酒場に住みたいですか? どちらですか? (お嫁さんの所です)。本当ですか? 間違いなく男ですね。男であれば、そういうふうにせざるを得ないというのです。
そうした場合に、神様が自分の何千倍以上も素晴らしい相対を願うとすれば、相対者のいる所に来て住みたいと言うのです。定住、同居、同参、共に生活したいというような地上基盤が生まれるはずになっていたのです。そうなれば、地上が理想の中心国家になるのです。それを失ったので、人間は理想世界、平和世界、統一の世界を求めてきたのですが、求めるにしても、神様を抜いては不可能なのです。統一教会もそうです。先生を抜いては、統一教会のメンバーがいくら成功しても、気持ちがよくないのです。苦労しても、先生と共にすれば価値があるし、喜びも先生と共にすれば、そこに価値があるというのです。
中心者を中心として、永遠の理想のすべての中心の本体の神様と共にいたいのは、それにつながろうとする愛の相対関係を被造物が内部に持っているからです。内部の本性に自分がつながっているので、自動的に一つになって住みたいと要望するのは、間違いのない存在の意欲であるということを否定できません。自分というものは、そんなにも貴重なものなのです。
中心者の使命とは
さあ、きのうの続きを話しましょう。もう朝ですか、昼ですか? 朝でも昼でも同じことです。朝でもいいし、昼でもいいのです。十二時を過ぎて、この話を始めたのですから、朝にも通じるし、昼にも通じるのです。
さて、何を話していましたか? 注入と投入のことを話していましたね。(はい)。これは偉大なる発見です。宇宙の根底がいかなるものであったのか、誰も話したことがないのです。神様とは何なるものか? それは愛の主体であり、理想の本体であり、その内部の属性はどうなっているのか? それは誰も考えたこともないので、誰も分かりっこないのです。
総括して、宇宙の出発は何もないところからスタートしたのですから、それをなし得る存在がいたとするならば、その者は、自分への注入を考えるようでは駄目なのです。何もない所にいくら注入しても、努力しても、努力するほどに自分自体がなくなってしまうのです。そうでしょう? 運動すれば、エネルギーが消耗するのだから、だんだん小さくなってなくなってしまうのです。相対がなければ駄目です。今は、サタン的な悪い結果の相対圏があるから、そんなことも続けてやれるような基盤があるのですが、それがなかった場合には、自滅するのです。
そういう論調になるということを考えてみた場合に、神様が全能なる動機の存在としていたとするならば、その方が投入しなければ、相対圏は絶対に現れないのです。これは理論的なことです。それを否定できますか? 否定する者は、ぼんくらです。ぼんくらとは駄目な者であり、駄目な者は悪い者です。それで馬鹿は何ですか? (死ななきゃ直らない)。日本人は利口な定義をしたのです。人生の定義、宇宙的な定義の結論です。馬鹿は何ですか?(死ななきゃ直らない)。みんなは、馬鹿ではないのですね。馬鹿ではないと言う男は、女を治めることができるのです。女を包容できるのです。女の主体として、女に対して責任を持ち、女を保護し、女を発展させることができるのです。
中心者については、きのうも話しましたね。奉仕と犠牲になる者が必ず中心者になるのであり、中心者は責任を持たなければならないのです。統一教会の中心者が文先生だったら、日本滅亡の責任を日本人が持てない場合には、先生が持つのです。ですから、このような歴史にもない新しい方法で日本防備のために、中心者として責任を持つのです。保護するのです。負債で流されるような悲惨な立場の日本を、先生は保護するのです。先生との約束をなさなければ、一族が引っかかるのです。代表として立った場合には、日本の国を救うための出発基準を立てて、日本が救われるまで、それを保持していかなければならないのです。その出発点にきているのです。
ですから、あなたたちの中にも、いろんな人がたくさん来ているのです。諜報関係の者、やくざの親分、それに右翼など、いろいろな団体の長が参加しているのです。本当に危険千万なことですが、先生は防弾服も着ていないのです。それでもこのように、大衆の前に立って堂々と語っているのです。これは、大変な覚悟が必要なのです。先生はそのような覚悟のないぼんくらではありません。
先生の場合、そういう行動するには、自分の良心というものが先にぶつかるのです。それを超えて行動するのは、なかなかのことです。だから、大変な自信を持ってここに立っているのです。皆さんがたくさん集まってきたから誰が誰か分からないのですが、中心者としては、そのように責任を持って保護するために、銃弾の飛び交う先頭に立つのです。それは親の誇りでもあるのです。それから、教育するのです。先生と関係なかった以前よりも、必ず成長して帰る立場に立たせるのです。それが中心者の使命です。第一は責任を持つこと、第二は保護し、防衛すること、第三は養育することです。ですから、みんなが中心と共に連れ立っていくのです。そうでなければ、横に流れていくのです。
文先生は、そのことを日本人に教えてあげている最中なのです。ですからどんなに献金をしても、先生は一銭も手を付けないのです。全部日本のために生かすのです。誰が調べてみても、先生は言ったとおりにやっているので文句は言えないのです。それを世界的にやってきたので、もし反対すれば世界から、「日本の国は悪辣な国だ」と言われるのです。すべてが、日本のためなのです。
それが分かれば、文句は言えないのですね。日本がそのようになって、今から何年か後に「文先生はよくやった」となれば、みんな先生の前にひざまずくのです。そのことを知っているので、先生は恥じることなく堂々と、あなたたちがどんなに渋い顔をしても、いい気持ちはしなくても、未来の希望の一日を共々に喜ぶことを待ちながら耐え忍んでいるのです。そういうことが、指導者の辛いところです。だからといって、逃げては駄目です。両方共に駄目になるのです。中心者の席もなくなって、中心者の相対圏もみんな消えていった場合に、霊界で神様の前に呼ばれていった時、自分の生涯を「こういうところが失敗でありました」と、率直に報告しなければならないので、そのような辛いことがないようにと、その一日を待ちつつ、生涯をコントロールしていくのです。それは、はかりの重りをコントロールすることと同じです。
先生が霊界に行って神様の前に立って報告するとすれば、召命の使命感を抱いてからのことを、「一人ひとりにこういう影響を与えて、家庭、氏族、民族、国家、世界にも、こういう影響を与えてきました。しかし日本エバ国の先輩たちが、この基準を果たし得ないので、その者たちは中間でけ飛ばしてしまいました」と報告したいのですが、そうはいかないのです。やるべき使命を神の前に、神自体に公認されて、そうせざるを得なかったと同情されるような話を先生が報告する前に、「私はよく知っている。そのことは言わなくてもいい」と言われる、その時間を求めてこういうことをやっているのです。
その動機は、夢だに思えない遠い原因からつながっているのです。遠い原因から来ているので回る円周も大きいのです。その円周に日本はみんな包容されているのだから、原理的に自動的に、神のほうに日本の環境は消化されていくのです。いい話ですね。
宗教は民族と国家を超えていく
投入と注入が何か分かりましたね? (はい)。一生涯、君たちは何に対して投入し、注入していきますか? 親になったら子供にだけ投入しているのです。男は、旦那さんになったら奥さんだけに投入するのです。奥さんにだけ投入し、子供にだけ投入する人間が八〇パーセント、九〇パーセント以上です。ですから、そのような家庭環境だけの天国にしかならないのです。いくら拡大しようとしても、自分がなしてきた基盤の上に永遠に住まなければならないのです。それが本当だったとしたらどうしますか? 大変なことです。ですから、「国のために忠臣になれ」とか、「愛国者になれ」とか言うのです。日本人だったら、みなそう言うのですね。そうなったら、日本人の先祖と共々に、これから来る日本人と共々に、日本の国というグループの中で住むことになるのです。
日本の国というグループがあるのです。しかし膨大な天国では、日本の国なんか一粒の豆みたいなもので、問題ではないのです。そこには、無限大に近い理想の世界があるのです。分かりますか? (はい)。ですから、「宗教を信じなさい」と言うのです。宗教は国境を超えているのです。宗教は民族、国を超えているのです。そこには、世界中の人々が共に住むことができるのです。
ですから、そういうことを知っている文先生としては、どうすればいいかというと、人は個人の壁、家庭の壁と、たくさんの自分なりの天幕を張って住んでいるのですが、その周辺はどこにもつながらないのです。それで、一生涯をぐるぐる回りながら終えていくのです。無知な者は、日本の山奥で生まれて、そこでぐるぐる回りながら「日本もどうでもいい。北海道も鹿児島も関係ない」と、北海道だけで、一点のみに生きて、ぐるぐる回って死んでいくのです。それで霊界に行っても、北海道の一角で住んだ人とだけ交わっているのです。
ですから、子供を産んだとすれば、「聖人になれ。聖人を超えて神の聖子になれ」と、育てなければなりません。分かりましたか? (はい)。聖子は、「ホーリー・サン」と言うのです。そのような、神様の愛を受ける子供になった場合には、神の国の兄弟として、何一つ引っかかることはないのです。だから、そこまで行くと、天下天宙すべての天国が、その人に引っかからない解放圏となり、自由千万な世界になるのです。そういう世界を目標として、今、マラソンをしているのです。
文先生から見ると、あなたたちは、ずーっと前を高く走っているのです。君も私も同じであり、目玉もみんな同じように、男であれば、みんな裸になると同じなのに、人によってはなし得た功績によって誰も追いつけないような高い人もいるというのです。どうですか、気持ちが悪いでしょう。「そんなことを聞けば気持ちが悪い」と言う者は、嫉妬心の多い人間です。堕落の憎悪心に燃える、破壊されるような欲望の人間です。いくら嫉妬しても、それ自体ではどうすることもできないのです。霊界に行った場合、嫉妬した者は逆さになっているのです。高い基準に反対すれば、その反対で逆さになっているのです。それが地獄なのです。
では、偉大な投資の投入の王者になりたいですか、注入の王者になりたいですか? (投入です)。なぜかというと、神様の子供になりたいからです。一家の伝統は、子供が受け継ぐのです。父親のなした以上のことをなせば、その父親は喜んでその子供に相談するのです。そして、「未来を頼みます。自分のなし得なかったことを、どうか成し遂げてください」と頼むのです。そこに、希望があるのです。死ぬ前に、遺言するお父さんも、遺言を受ける子供も、あすに向かって希望の出発ができるのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。そうですよ。ですから、責任を持った相続者は、父母より以上に投入しないといけないという結論になるのです。投入すれば、その相対として、実績が父母以上に間違いなく上がるのです。このことは、理論的に合っていますか、合っていませんか? (合っています)。
注入した後はどうしますか? もし八人の兄弟に平等に分配したとすれば、「ワー、ワー、ワー! 私が父親のすべてを相続する。私の所に持って来い、持って来い」と言って、大変な紛争の場になってしまうのです。悪魔の破壊の場になるのです。だから、投入の王者になるのですか、注入の王者になるのですか? (投入の王者です)。それをお願いしますよ。宇宙の根本がそうなっているのです。その宇宙の主人が、そういう哲学、そういう哲理を中心として出発したので、それに歩調が合わないと方向もめちゃくちゃになってしまうのです。神様がそのように行くのに、人間が違った場合には、怒ってしまうのです。ですから生涯、全部を投入して、「生命までも投入して、またよみがえった場合には、生まれてなし得なかったことを再び投入して完成していけばよい」という遺言をしていった場合には、霊界に行っても発展する道が残るのです。
もし、そういうような生涯を終えても、未来までは投入したくないという場合には、霊界ではストップです。回れ右をさせられるのです。そして、そこから後退して、下のほうに下がっていくのです。こういうことを先生は知っているので、どんな難しいことがあっても、自分の将来の道は暗闇にしたくないのです。今年は今年であり、来年とは違うのです。それで来年の元旦を迎えて、跳躍が飛躍になるのです。跳躍というのは四十五度以下であり、飛躍というのは九十度に向かって飛ぶことです。ですから先生の鉄則は、「停止、ストップすることは生きた者として恐ろしいことである」と言うのです。停止したその日から、死の境地に近づいているのです。分かりましたか? (はい)。
生きた者は伸びるように、発展するようになるのです。死んだ者は後退するのです。ですから、大きな木なんかを見た場合に、穂先から死んでいくのです。そうでしょう? 停止から後退が始まるのです。生きた者は実績を残すべきであり、後退するようなことは絶対に嫌なのです。
ですから生きた者は、毎日一つずつをプラスさせるのです。きのうよりは何か一つでもプラスさせるのです。嫌でもそれをしなければならないのです。たとえ疲れて倒れてしまっても、遺言するにしても、自分に一つを加えるために、もみ合いながらでも、それにプラスさせていくことによって、自分自身が止まったとしても、家族が発展していく時、自分も発展する家族に引きずられて、その発展の基台で死んでいけるのです。「ここまで勝利できたのは、死んでいった人のためである」と言われて、自分と関係を持って共に解放圏に立つのです。これは理論的なことです。
孝子、忠臣、聖人、聖子の道
先生は、生涯辛いことをやってきました。労働でも何でもしてきました。それを拒んだことも、嫌がったこともないのです。みんなやらなければ、人間のなし得るすべてのことを体恤しないといけないのです。体験しない者は、体恤することができません。話だけではできません。
痛哭する者には、その人の親と同じように、兄弟と同じように、痛哭する心情を持たなければならないのです。痛哭する者に見物人なんかは要りません。神様が寂しかったならば、神様と共に、その心情的体恤圏に立つのです。体恤するのです。体験ではないのです。体験して同位圏に立つのです。周波数の合うような立場に立つのです。悲しい場合には悲しい周波数に、喜ばしい場合には喜ばしい周波数に合うのです。主体でなければ相対になって、相対基準をなくした場合には主体の基準において泣くのです。その人以上に痛哭しないと、慰めることはできないのです。そのような人になれば、自分の歴史を話してくるのです。「私はこういうこと、こういうことがあったけれど、それを越えていったのです。そして一年、二年とたったら、こういう結果になりました」と。そういう人を慰めることができるのです。体験した者は体験しない者を率いて、それを発展させることができるのです。自分がやってきたことを、体験したことを話してあげるのです。
停止は恐ろしいのです。ですから統一教会の文先生は、食口たちに対して絶対に負債を負いません。いつでも一つ欠けたことをするのです。アメリカでも、ハイウエイを走る車の中では横になって眠りながら行くのですが、それは夜通し話をしたからです。それで、眠りながら走るのです。もし、夜通し話をしなかった場合に、眠りながら走ったら恥ずかしいことです。リンカーンとかリムジンに乗っても、「あー、気持ちいい」とは言わないのです。「すみません。帰る道が忙しいから、仕方がないのです。勘弁してください」という思いで、挨拶をするような考えをしているのです。
食堂なんかも、ファーストフードに行って、マクドナルドを食べるのです。マクドナルドを知っていますか? 日本語の発音で「マクドナルド」と言っても、アメリカ人は十年間聞いても分からないのです。「メックナル」と発音しなければいけないのです。日本人は「マクドナルド」ですね。(笑い)英語を話せるからといって、そのように言っても何のことか分からないのです。
それで、リンカーンとかリムジンに乗ってファーストフードに行った場合に、泥棒などが逃げる時の習慣として、よくマクドナルドで食べて行くので、みんなが先生の車をチェックするのです。たくさん、そういうチェックをされました。「誰の車ですか?」、「私の車です」。「あなたは誰ですか?」と。「世界の宗教指導者で、一番名高い人は誰か知っていますか?」「レバレンド・ムーンという人がいるけれどー」。「君の横に立っている人が、その人ですよ」と言ったら、びっくりして、「あ、あ、かしこまりました!」となるのです。(笑い)
傲慢なる者が腰をかがめて頭を下げてお詫びするような姿を見ながら、ここまで来たのです。一度も誇ったことはないのです。そういうことは、神様が一番嫌がることだからです。神様は誇ることができない方です。今まで、創造主は誇ったことがないのです。男も、女も、神様には一人もいないのです。万物の創造主なのに、自分のものがないのです。神様は人間のためにつくったのです。人間は万物の霊長であり、主人なのです。
自分の子供が貴いことを知っている親は、子供の部屋を中心として、何一つ不足なものがないようにと、貴いものばかりを買って飾ってあげたのに、その子供が死んでしまったとするならば、その部屋のものを中心として、「あー、子供のものが自分のものになって気持ちがいい」と言う親がいるでしょうか? (いません)。子供たちが愛するようにと準備していたすべてのものを、子供の代わりに毎日愛して、子供の名を呼びながら涙を流すのです。それが親の心情です。そういうことを霊界に行った子供たちが知ったとすれば、大変なことです。そのようなことを知った場合には、今まで愛してこなかったすべてのものに対して、その責任を持とうとするし、親に対しても申し訳ないと思うのです。ですから、死んだ子供の部屋も、みんななくしてしまうわけにはいかないのです。
それを破壊してしまうということは、大宇宙を破壊することになるのです。大変なことです。ですから、その主人が人間だった場合には、主人の行く所に共に従っていって、永遠に任せてしまわなければならないのです。そう考えた場合に、堕落の愛の関係で一体になったとすれば、そこに所有権が決定されるのです。それで間違いなく、人間がサタンと一緒になったので、神様はすべてをなくしてしまったのです。創造主が心身を込めて精誠を尽くしてつくったすべてのものが、涙の元になっているのです。それはもう、恨み憎むべき者なのに、神様はその者を再び求めていって、愛さなければ元に帰す道がないのです。そのように、相反する心情圏の道を逆に行かなければならない神様の心情を、誰も世の中で知る者がいないのです。もし文先生がいなかったら、大変なことです。
宗教は自分たちの利益のために、みんな信じあって働きかけているのです。宗教に世界があるかというと、今は世界がないのです。国を救済するというのは方便であって、その国の大使を動かして、自分の一宗派のために、宗派の責任者や教祖のために割いて使うのです。天の基準に従って使うべきものを割いて使った場合には、その比例に対して一家族が破滅するのです。天的圧力が加わるので、滅亡の道に追い込まれる公式になっているのです。
ですから一生涯かけても、注入者では駄目なのです。愛国者は自分一身を犠牲にするとともに、自分の親を犠牲にしても、親不孝ではないのです。親たる者は自分の子供に対して、忠臣の道を教えて率先して見せるべきです。それを見せなかった親がいくら反対しても、その反対の道に行くことによって自分自身もなくなるのです。自分の親に対して思いもよらない大逆の者となったとしても、霊界に行けば親不孝とは言わないのです。
悪い親であり伝統を示さないので、子供が親不孝な立場に立ったとしても、忠臣の道を真っすぐに守って行った場合、親や自分の妻子までも犠牲にして忠誠を尽くしたとすれば、その人を中心として一家族が褒めたたえられるのです。その時には、お母さんも、奥さんも「ありがとうございます」と言うのです。分かりますか? そうなるのです。
また、国に反逆する罪人になっても、破壊する行動をしたとしても、聖人の道に従って聖人の立場を守った場合には、一族全体を犠牲にしてきたとしても、世界を救って聖人の列に参席した場合には、世界的にたたえられる基準にその家族が立つようになり、その時は国の王様も、全国の国民も「ありがとうございます」と言うのです。たとえ売国者の立場だったとしても、聖人の道に立って使命をなし得た場合には、聖人として世界の中心に立つので、反対していた人も、国も、その人に侍らなければならないのです。父母であっても、侍らなければならないのです。
それから、聖人の次に聖子になった場合には、霊界の国にも宮中があるのです。宮中が主体であり、その客体としての国民がいるのです。二つの主体・客体の調和があるのです。ですから地上にも宮中があって、国民がいるのです。地上世界においても宮中の法、国家の法を守るように、霊界でも天国の法律、天国の宮中の法律を守るのです。四大規則を守るのです。なぜかというと、神様が 司 る地上天国、天上天国、地上宮中、天上宮中だからです。それを相続するためには、四つの方面に引っかかっては駄目です。そこに引っかかった場合には、神様の偉業を相続する道がふさがってしまうのです。ですから聖子は、四大圏のすべてを成し遂げなければならないので、いかに辛いことか苦しいことかしれません。
それをでたらめに扱った場合には、神様の偉業を相続することができないのです。(聖子は)宮中に行くにも、国に行くにも、地上に行くにも、霊界に行くにも、神様の子供、宇宙中心の神様の相対の子供として立つことができるのです。
そうなれば聖人の道を行かなくても、すべてが収まるのです。聖子になった場合には、そこには親孝行者があり、そこには忠臣があり、そこには聖人があり、そこには主人が加わっているのです。多くの国の王様がやってきて、最後にはすべてを相続するようになるので、永遠につながる歴史が成り立つのです。
それでは、どういう者になりたいですか? 親孝行者ですか、聖人ですか、聖子ですか? (聖子です)。みんな欲が深いね。みんな眠っていると思っていたのですが、このことはみんな聞いていたのですね。(笑い)それが分かりましたね。ですから国家において、国賊としての行動を取った者であっても、特別に免罪をして、あることを成せば愛国者の勲章をあげるというような約束があるのです。「国を救い、世界に通じる聖人に続く者になれば、国家の国賊であってもいい」というのです。そのように、文先生は天宙のために戦ってきたのです。世界ではないのです。
歴史上には、聖人たちがたくさんいたのです。四大聖人という人々ですが、彼らも宇宙の根本がはっきりしていなかったので、出発がはっきりしないのです。神様に対しても、はっきり分からないのです。文先生は神様がどんな方か、内的に外的にすべてのことを語っているのです。
引っ張り合う良心の力と肉身の力
神様は人間の友達になりたいのです。堕落した人間なので神様を友達にしたいと思うのですが、本当の人間であれば神様のほうから友達になってくれるのです。分かりましたか? (はい)。神様は、小便することも大便することも知らなかったのだけれど、人間に習ってするようになるのです。(笑い)そのように、人間の住む家というものは素晴らしいと言うのです。投入精神は素晴らしくないのです! (素晴らしいです)。私とは関係をつなぎたくないのです! (つなぎたいです)。絶対にそうではありません! (絶対にそうです)。本当ですか? (笑い)
親が死んだら、みんな忘れてしまいます! (忘れません)。一家が滅亡すれば、みんな売り飛ばしてしまいます! (しません)。それが一国になった場合には、寝てしまいます! (笑い)もう答えは、はっきりしているのです。一国がふっ飛んでも、世界がふっ飛んでも、最後の一つだけが残っていた場合には、天下すべての勝利の頂点に立って治めることができるのです。「完成、すべて、オーケー」と言うのです。そうなれば、聖子になりたいと思わない者はいないのですね。分かりましたか? (はい)。これはもう聞く必要もないことです。既に結論が出ているのです。
さあー、生命の分割、生命の根拠が親の愛の因縁で結ばれているのだから、そうならざるを得ないということが分かりました。そうして、良心を肉身が引っ張りだこにして、生涯をめちゃくちゃに潰してきたということも分かりました。それを治すには、原因のすべてをはっきりと知らなければなりません。なぜ肉身が良心よりも強くなったのかということです。それを知りたいですか? (はい)。
それが問題です。重要な問題です。分割の根拠が何か分かりましたか? 良心が肉身より強い立場に立つ根拠は何か分かりましたか? 愛という力が宇宙を支配するからです。男と女は、それに向けて生命をかけているのです。それがめちゃくちゃになった場合には、共に生命が消えてしまったような思いのする所に連れていかれるのです。堕落世界がそうです。本当に恋煩いという病気もあるのです。それを知っていますか? 恋煩いの病気になった場合には、その薬がないのです。それは、女の子のほうが男よりも多いのです。
男は女のことを、女は男のことを考えるのです。女には、自分のものは一つもないのです。かわいそうな女です。男たち、旦那さんたち、分かりましたか? (はい)。女はかわいそうなものです。まず、いかに女がかわいそうなものか、言ってみましょうか?
女の胸と尻は誰のものですか? (男のものです)。子供も男です。今あなたたちが言う「男」とは、旦那さんを象徴して言うのですね? (はい)。女の胸と尻は子供のためのものです。そのことを、この前、日本の女たちに聞いたのです。それを知らなかったら大変です。ですから女は、自分の体についているものは男のためのものなのです。間違いないのです。
それから、顔は誰のものですか? 自分のものと言う女はいません。男のための顔なのです。それを触ってみると、柔らかいですか、ざらざらですか? それは見なくても、男にははっきり分かるのです。男が好きになるように、仕方なくそういう顔になったのです。ですから、女は男のために生まれたことに間違いないのです。
女の顔は男のためにあるのです。そして女は、自分の顔とはまるっきり反対の髭の生えた顔が好きなのです。髭はなぜ生えたのか知っていますか? 汗が流れてきた場合に、口に入る危険性があるからです。髭が生えていれば、汗はちゃんと一直線になって落ちていくのです。みんなを保護するためです。
女は、汗を流して一日中働くことはないのです。一日中家にいて、汗をかく仕事など一生涯しなくてもいいので、髭も生えなくなったのです。髭自身からなくなったのですか、神様がそういうふうにしたからなくなったのですか? (神様です)。そうです。神様は専門家です。女の顔は男のためであり、女の垂直に下がったところのものは女のものですか、男のものですか? (男のものです)。女は何も持っていないのです。かわいそうな者です。かわいそうな思いに焦がれて、同情のあまりに保護しなければならないのが女です。そういう考えを持たなければ、現状からさかのぼる正しい道がないということを戒めておきます。女をかわいそうに思わなければならないのです。女は何も持っていません。みんな盗まれてしまうのです。
それでは、男はどうですか? 男は、女の反対に尻が小さく、肩が大きいので、力を入れて働かなければならないのです。電車などに乗っても、男は逆三角形ですが、女はその反対なのです。その反対のものを合わせれば、ちゃんと四角になるのです。これを、絶対に合わせなければならないのです。神様も計画的に、よくも設計なされました。ですから女は、何も持っていません。
奉仕のために生まれたのです。では、男性の生殖器は誰のものですか? (女のものです)。それで、男が髭を生やせば刺激的であり、一日くらい剃らなかった場合、このように女に押しつけたら、「あー、痛い」と言うのです。(笑い)本当ですか? みんな本当ですか? その刺激を女は一生忘れられないのです。それらの刺激をしのびながら、キスの力が強いので忘れていくその妙味が、愛の妙味というのです。そこに、惚れてしまうし、酔ってしまうし、のびてしまうのです。本当かどうか試してみなさい。(笑い)しかし今は、日本に逃げて帰ることはできないのです。(笑い)
あすでもいいから、間違いなくそういう実験をしてみて、何かを感じた場合には、「先生の教えは面白いことに、一つでも自分たちの愛の中に残ることがある」と思えるので、こういうことを言っているのです。その時には、「文先生は駄目だ」と言いますか、「文先生ありがとう」と言いますか、どっちですか? (「ありがとう」と言います)。本当ですか? その時が来る前に、今はまだ「ありがとう」とは言いたくないのですね。どうですか? 食べてみて、おいしかった時に「ありがとう」と言うのであり、約束しただけでも「ありがとう」と言ったら、二重の「ありがとう」なのです。
皆さんは、先生の話だけ聞いても、「ありがとう」と言う自由満々な余裕のある男ですか、不余裕の男ですか? 余裕のある男になったとすれば、先生に「ありがとう」と言ってください。(ありがとうございます)。教えてあげることほど寂しいことはありません。教えて礼を言われても、何もいいことはないのです。それは仕方のないことです。それは人のためです。周辺の人々を教育するためにも、そうしなければならないという話です。ここには反対する者もいるので、「ありがとう」と言うことによって、反対する者も教育しようと、先生は面子も考えずに、そういうことを言わせたのです。悪く思わないようにしてください。(はい)。分かりましたか? (はい)。
神様の願われる宗教の使命
「投入の王者になるのですー(はい)。いやー!」、素晴らしい! そうなると、日本は韓国より偉くなります。しかし神様は、韓国とか日本とかいう名前は記憶したくないのです。神様は色を見分けられないのです。それを何と言いますか? (色盲です)。神様は色盲です。神様は黒人も、黄色人も、色の分別が分からないというのです。分かるのは愛の色だけです。神様は愛の色しか分からないのです。ですから、すべてを頼もしく、すべてを主体として思うのです。宗教の看板は覚えられなくても、宗教の目的に徹したものだけを記憶するのです。
それで、今の問題は、なぜ肉身が良心を引っ張る力のほうが強いのかということです。それは堕落する時の愛の関係によるからです。愛は強いものです。天宙を率いてまとめる力を持っているのです。真の愛の列に属しているので、愛の関係を結んだ場合、それが偽りの愛の力でも同じ作用をもたらすようになっているというのは理論的なのです。堕落した時のアダム・エバは、過ちによって呵責を受ける立場に立ったのですが、愛自体からくる心身を引きつける力は、そのままあったというのです。
ですから、それが堕落の愛であっても、堕落する時の愛の結合の力は良心の力よりも強かったというのです。それが問題です。今の堕落した人間の世界でも、恋い焦がれて結婚を決意した時に、もし両親が反対した場合には二人して鉄橋から飛び降りて死んでしまうような、死亡圏にまでも引っ張り込む力があるというのです。それを知った場合、そんな力のあることを否定することができません。
堕落する時には、父母と共に一体になる力よりも、良心基準が未熟なのです。長成期完成級の基準であり、完成に向かって発展しなければならないために、良心の力が愛の力よりも弱かったから問題なのです。もしも、その良心の力が強かったとすれば、肉身を引っ張っていって、自動的に神の方向に帰るようになっていたのです。
あなたたちの良心も、あすはもっと素晴らしいことをと願っているのですね。何か悪いことをしようとしても、夜中に誰にも知られない所で何かしようとした場合にも、良心が「この野郎、そんなことをするな!」と言うのです。しかし、「何を言っているのだ、黙れ!」と肉身が言った場合には、良心は仕方がなく泣きづりながら、引っ張られてきたということを覚えておかなければなりません。ですから、君たちの肉身が良心をずーっと泣かせてきたという事実を知ろうと考えた者は一人もいなかったのです。先生の話を聞くことによって、そのような実情をはっきりと知ることができたのです。肉身が先に強い愛の因縁を結んだので、堕落の時から弱い良心圏を引っ張りだこにしてきたということを、はっきりと分かるようになったのです。それがはっきりと分かったことによって、これからの手術も無難に堂々とやれるのです。
堕落の相反する親の愛によって、分割されたのが今の良心の基準であり、その良心ゆえに今まで永遠に歴史とともに泣きずってきたのです。愛する時の良心の基準が弱かったために、そのような運命に追われてきたということがはっきりと分かりました。
それで、いかにして良心の基準を堕落する時の愛の結束の力よりも強くさせるかというのです。それは一つの方法のみが自分を解放させ、自分を元の所に帰すことのできるのです。これが、理論的な結論です。漠然としたものではありません。良心の権限の素晴らしさと、出発から終末まで良心の権限の強さをはっきりと知れば、肉身の愛の基準は未完成の愛なので、良心完成基準の立場に立てば、その愛は良心側に立つというのです。これは理論的なことです。そういうことが、はっきりと分かりましたね。神様は、そういうことを知らないはずがないのです。
もし神様がいたとするならば、万民共々に、このような罠に引かれてみんな悲惨な地獄に行くようになっているので、それを何とか止めて天国に回そうとするのです。真の親がいたとするならば、そうせざるを得ないのです。そういう結論を出した場合に、歴史上において、神様のなされてきたすべての組織体制が、そういう基盤上になければならないという結論になりました。それが一体何かというと、それが宗教というものです。ですから、堕落しなかったならば宗教は要らないのです。
宗教は何のために生まれてきたのかというと、良心を引っ張りだこにする肉身を崩壊させ、滅亡させるために生まれてきたのです。それ以外に何の目的もありません。それをなした場合、本源の愛の世界へ自動的に帰っていくことができるのです。ですから、本源の世界が宗教によって救援されるということは、みんな嘘です! このように、宗教に反対して宗教無効を宣言するレバレンド・ムーンがいるというので、宗教界がみんな反対しているのです。
「宗教の看板をみんな下ろしてしまえ!」と言って、真の愛につないで、すべてを統合する立場に立った場合には、天国へ自動的に行くようになっているのです。肉身の力が強いので、良心圏を防備するために肉身の力を弱くしてしまえば、すべてが収まるし、すべてが天国へ行くのです。そのような目的で、神様が働きかけてきたのが宗教というものです。シャーマニズムであっても、良心に近いのが宗教なのです。それがだんだん、だんだん高等宗教を中心として、地域的にも東洋とか六大州を中心として、大衆を治めるために伝統的な内容をたどりながら、良心のほうの教育を拡大して肉身を制御しようというのが、宗教の教えであり修養の目的なのです。分かりましたか? (はい)。
ですから宗教というものは、肉身の嫌がることをさせるのです。良心の嫌がることではないのです。宗教の教えは、第一に「断食をやれ! 断食をやれ!」。肉身は「オー、絶対に嫌だ!」。「死に物狂いで、四十日やれ!」。「ウワー!」となるのです。統一教会では、六十三日間も断食した者がいます。四十日は、もう平気です。イエス様の記録を破った者もたくさんいるのです。
それで、肉身をめちゃくちゃにしているのです。死の境地をさまよっても、肉身の滅亡圏を中心として、そこに良心が乗っかって降伏させなければならない戦いをしているのです。
還故郷とお母様の勝利圏
宗教の目的と救援の目的とは何のかかわりもありません。真の愛を失ったので、偽りの愛によって偽りの生命、偽りの血統を受け継いだ本質が残っているので、いくら宗教をやっても血統転換はなされません。千年、万年、いくら誓ってやったとしても、血統が清くなって、真の血統につながる道はありません。偽りの愛によって汚されたのだから、真の愛によらなければ、これは消せません。宗教では消せないのです。
そうなると、今までの宗教はとんでもないことをやった者が教祖として、宗教指導者にもなっているのです。文先生もその一人かもしれないですね。(笑い)そうでしょうか? (違います)。今や宗教の教祖になっているし、宗教の中でも一番欲張りの宗教が統一教会なのです。すべて統一する教えをしているのです。個人統一、家族統一、民族、国家、世界、天宙、神様解放まで教えている統一教会です。それが悪いと言えば一番ですから、断食するとすれば、何万年も断食しなければならないのですね。(笑い)
神様を救済して、サタンを困らせることは断食や奉仕をすることです。サタンは傲慢という自覚をたたえて堕落しているのですから、自分を絶対に否定せず、神様の代わりに、アダム・エバの権限の愛の上に立とうというのです。そのような傲慢性を発見したのです。それがサタンの本質です。それがサタンの活動の基台であり、とどまる所の停止場です。それをいかに崩壊させるかということです。
それで、傲慢ではなく、「奉仕しなさい」と言うのです。奉仕どころではなく、「犠牲になりなさい」と言うのです。サタンに「犠牲」と言えば、逃げていかなければなりません。奉仕はできません。傲慢の親父になったのですから、まるっきり反対なのです。そればかりではないのです。最後には、「殉教しなさい、血を流しなさい」と言うのです。血を流すということは、みんな殺されてしまうことです。それを忍耐していくことによって、サタンを切ってしまうのです。血を流すことによって、血の結合による血統因縁を切り、断絶することによって、サタンは、永遠に自分の生命体に関係をもつことができなくなるのです。すべて理論的なのです。
宗教を必要としますか、必要としませんか? (必要です)。なぜですか? この肉身がでたらめにやってきたのだから、肉身を弱化させて良心圏を拡大することによって、希望の日がつながれることを神様は知っているのです。その方便の対策として、宗教を立てざるを得なかったのです。その実体として残ったものが世界的宗教なのです。宗教家自体も、それを知っていないのです。
宗教指導者が愛の涙を流しながら、「私の後に続け」と模範を示すような実体となった場合には、教祖様として最高に敬われるようになるのです。先生は、その実体を今までつくってきました。分かりましたか? (はい)。それは、宗教だけではありません。先生は科学技術でも、世界先端のものを持っているのです。だから八〇年代に、先生は世界に宣布したのです。「科学技術は万民のものであり、特殊な先進国家の管理下に置くべきではない。開放しなさい」と。それで開放しなかったら、実績をつくり、国までつくっていくのです。アメリカも、そんなことはできないのです。ヨーロッパもできないし、日本もできないのです。それができるような技術の王座を先生は占めてしまったのです。
そして、それをアジアの国々に直結しようとしたのです。韓国の政府も、今になって後悔しています。中国のように、レバレンド・ムーンを国が歓迎して、それで全国的に教育した場合には、大変です。日本もそうです。
最高の機械技術を持たなければ、科学世界の発展の母体にはなれません。それを先生はよく知っているのです。今まで迫害を受けながら、建設のために努力してきたので、世界的に文先生を知らない人はいません。文先生に任せれば、国の産業もすべて発展することができるのです。韓国は、それをめちゃくちゃにしたのです。先生が北韓から来たので、野党も与党も、「文先生に北の避難民一千万人がついた場合には、その政治的力にかなわなくなってしまう。文先生は天才的な頭をもって、理論的にも哲学、宗教を凌駕しているので、どの宗教者も、どの科学者も収拾できる力を持っている」と言うのです。
世界の学者たちが先生の後についてきているのを知っていますか? 世界の宗教家たちが集まって、宗教を一つにしようとしているのは、この先生のゆえなのです。「世界平和宗教連合」は、名ばかりではありません。今や大会などをすると、各宗派の教主たちがみんな集まってくるのですが、そこで文先生は、はじめは使いの者のようにしか思われていなかったのです。何の質問もしないし、黙っているので、私が誰か知らなかったのです。それが一年、二年とたつうちに、先生のすることが国際的であり、大会の催しの内容も世界最高の基準だし、自分たちよりも優れたことを先生が語るので、目が覚めたのです。それで、先生が隅っこにいると、若い者たちが「文先生、そんなに隅っこに行かないで、真ん中に来て中心に座ってください」と言うようになったのです。
そのようにして、九年間も続けていくことによって、五年目以降からは、その中から良心的な宗教者や最高のメンバーたちが、先生が隅っこに行っても先生の横に並ぶようになったのです。「文先生、なぜここにいますか? そんな所にいては駄目です。主人として、すべてのことをなされた、先生の成果を何年もたたずに、名もなく功労もない自分たちが受け継ぐのを恥じる良心があります」と、言ってくるのです。九年目になると、先生が中央に立たなければ、写真も撮ろうとしなくなったのです。「世界平和宗教連合」は、恐ろしい宗教紛争をして悲惨な歴史をつづってきた、その垣根をなくしてしまうのです。
投入の哲学ですべてが治まる
今や、ローマ法王庁も私たちの団体の活動を無視できないようになりました。世界各国の宗教の教主が先生に従ってくるので、プロテスタントのアメリカも、かぶとを脱いで先生に従うようになったのです。
為に生きることによって自動的に中心者になるということを、先生が奉仕して、犠牲になる者が中心になるという実験をして、成功した話をあなたたちに教えてあげているのです。このように宗教世界を治めるとすれば、一家族を治めることに問題がありますか、ありませんか? (ありません)。どんなに難しい環境であっても、このように投入の哲学一本きりですべてが治まるのです。その実績の勝利を今話してあげているのです。分かりましたか? (はい)。
そのような先生の話を聞いて、日本に帰って自分の一族を先生の言ったとおりに投入するようにした場合には、日本全体も、その相対になってしまうというのが結論です。でなければ、真理ではないのです。これは、王家を超えて世界の神様の王権までも治めるような内容だから、万宇宙も統一することができるのです。これは理論的な話です。関心がありますか、無関心ですか? (関心があります)。
そのようにして、神様のほうにプラスになるように、きょうも一日、プラスを残して成長していくのです。停止することを恐れている先生は、あなたたちのために、一つプラスしてあげたので、解放されたのです。ありがたいことです。(拍手)
そこには、面子も何もないのです。神様だに、今まで面子をなくして、子供を求めて何千万年も堕落したサタン的な人間の後をついて来たのです。そのような神様を知った場合には、何が面子ですか! 真の親が何ですか! 再臨の主が何ですか! すべてに面子がないのです。ですから、正々堂々とやらなければなりません。決意しなければなりません。
おじさん、決意できましたか? (はい)。先生の弟みたいな年齢ですから、兄さんの話をよく聞いて、先生に歩調を合わせて日本に影響を及ぼすようにお願いいたします。それで、日本語で「はい、かしこまりました。長子の命令に従います」と、それをやりますね? (はい)。投入の王者について、それから、肉身が良心を引っ張りだこにしているという話が分かりましたね? (はい)。
それを克服するには、宗教に頼らざるを得ないのです。ですから、すべてを知っている先生は仕方なしに、それを整備するために統一教会をつくらざるを得なかったのです。それで統一教会がなすことは、体の撲滅運動です。気持ちがいいですか、気持ちが悪いですか? (気持ちがいいです)。それで、宗教者は出家を命令していたのに、それがなされなかったのです。独身生活を命令していたのに、それがなされなかったのです。それがなされていた場合には、それをなして完成していた場合には、すべてが反対の方向に行かなければならないのです。それが帰還郷なのです。韓国でも、「統一教会は国に帰れ、故郷に帰れ、還故郷しなさい」と言うのです。還故郷と帰還郷は同じです。
第二次大戦の後に、英米仏連合国が先生を歓迎して、王様として侍らなければならないのが神のみ旨だったのです。もし、そのようになっていたならば、先生の能力でもって世界を統合していたことでしょう。十億のクリスチャンを前に、法律、憲法を制定した場合には、今の氏族メシヤは、一部落に何十ダースもできていたのです。何年も何か月もかからないのです。七年間で世界を統一して、先生が四十歳で万国の王としての資格を持って堂々と君臨していたならば、こんなにめちゃくちゃな、かわいそうな世界にはならなかったのです。くたびれてしまったような人々を集めて、日本のメンバーを教育しなければならない、かわいそうな姿です。
英米仏がみな神のみ旨に背いたので、サタンがみんな上を取ってしまったのです。アダム家庭どころではありません。神がなし得た世界統合の基盤をみんなキリスト教文化圏に任せてきたのですが、キリスト教が文先生に反対したのだから、サタンが乗り出してきたのです。サタン圏に追い出されて、共産党と一体になって、文先生打倒の運動をするというのですから、これはおかしな話です。無神論者と有神論のキリスト教が一つになって文先生を打倒しようとしたのです。サタンの誘いで、そうなったのです。
それで、日本でもキリスト教の立場を利用しながら、牧師が統一教会員を拉致するようになったのです。共産党の名前を持った牧師が、文先生の弟子たちを乗っ取る拉致の王者になっているのです。日本は責任を果たさなければなりません。負債が残った場合には、それを決済しないと日本全体が巻き込まれていくのです。日本の負債を解放しなければなりません。そうしなければ、世界のエバ圏がサタンの罠にはまってしまうのです。
エバ国家なのに、アダムの旦那さんを拒むなど、神様の目から見た場合に、日本はかわいがられる何ものも持っていないのです。ですから、あなたたちをこのように教育して、結束して主体を早く立てて、日本全国に影響を及ぼして、再創造するために投入できる中心性が立った場合には、日本も滅びないということが分かっているので、こういうことをやっているのです。女性十六万人、男性三十二万人、五十万人を教育して、五年以内に二千万人以上の信仰者を立てるのです。それで、日本を正しく引っ張っていってあげるのです。統一教会の人々は、一〇〇〇人を引っ張っていく力があるのです。先生の話を聞けば、恐ろしい話ですか、希望があふれる話ですか? (希望があふれる話です)。
先生は命懸けでやっているのです。この首を何回も絞首台にかけるような覚悟をしてやってきました。しかし完全に奉仕した者は神様のものだから、それを取っていくことはできないのです。その境地になった場合には、神様は何段階も飛躍させて、次元の高い立場に立たせるのです。ですから、迫害されて先生が刑務所に入っても、出てきた場合には大きく飛躍するのです。
先生は、アメリカのダンベリーの刑務所に入ってから七年目に、全世界に向けて「真の父母勝利」を宣布し、「真の父母と成約時代」を発布しました。十二の重要都市を中心として勝利したのです。どこに行っても「万歳」と、みんなが立って敬礼する立場に立ったのです。それをお母様が見て、「自分もやれるような気がします」と乗り気になったので、先生は、「お母さん、あなたもやればできます。やればやれそうです」と、十二か都市を中心として、お母様にバトンタッチしたのです。それで、お母様の基台として、先生が七十五歳まで立てた実績を一年半以内で完全に伝授してあげました。
記録をつくるメンバーは素晴らしい
それで、次は「世界平和青年連合」です。ブリッジポート大学の有名な神学者の総長が青年連合の共同会長として、お母様と共に立ったのですが、ブリッジポートの総長よりも、お母様のほうが有名なのです。なぜかというと、先生がすべて創設してきたので、お母様をたたえることは先生をたたえることだから、みんなお母様が中心の責任者だと思うのです。
今度も、韓国に帰って一か月の間に、地方の代議士や代表的議員たちを一七〇〇の面まで、日本でいう村までの組織をつくったのです。今では一〇〇〇名ずつが集まって、その下の組織をつくっているのです。これを整理して、四十一万の班にした場合には、そこに四千万人がみんな包容されるようになるのです。それができれば、いかなる政党もかなわないのです。
それで、今は大変です。女性連合のしっぽに、青年連合のしっぽに、政治家たちがくっついてきて、気違いみたいになっているのです。競争で、夜昼訪問して「助けてください」と言って来ているのです。それは、今までたくさん助けてやってあげたのに、選挙に当選すると逃げていった者たちです。今は、そんな者たちを助ける時代ではないのです。また国も、そういう反逆的なことばかりをしてきたのです。よい国家をつくるどころか、その反対の国家をつくる者たちに援助するようなことはできません。統一教会の修練を受けて、統一教会を名乗ってやれば崩壊する国家を防備する道はあるのですが、それ以外には何もないというのです。ですから、みんな統一教会の修練を受けなければなりません。
アメリカもそうです。「ワシントン・タイムズ」を中心として、大統領になろうとする者たちがみんな「ワシントン・タイムズ」を握れば間違いなく大統領になれるという、国家的な基盤をつくっているのです。ですから、「真の父母の日」を慶祝する国家的祝日もつくりました。七十四日間で完全に上院、下院満場一致で決議し、十日のうちに大統領のサインを得て、万国に発表して歴史的な記録をつくりました。
文先生は、記録を破らないと気が済まないのです。本当です。このことは記録ですか、不記録ですか? (記録です)。記録をつくるメンバーは素晴らしいですか、素晴らしくないですか? (素晴らしいです)。素晴らしい者の顔を見た場合に、眠気を持つような顔では駄目です。(笑い)絶対に死んでも、そういうことをやらないようになるのが、素晴らしい者たちの姿勢です。
先生は、明後日に韓国をたってアメリカへ行き、二十三日は四〇〇〇名の日本の最高の女性とアメリカの最高の女性たちの姉妹協定に出なければならないのです。そのような文先生だということを知っていますか? (はい)。その会場に参席するのは、アメリカの一番大きい教団である南部の聖霊教会とバプテストのリーダーです。これは南北戦争を起こした魁首です。白人絶対主義の「KKK」を組織して、それに反対する者は殺してしまうようなこともするのです。宗教家でそんなことをするので、先生とはまるっきり反対なのです。そういうリーダーなのですが、その下には十三万人もの牧師たちがいるのです。一回に五〇〇名だったら、四〇〇〇名まで、八回するのです。「八回とも責任もって激励の演説をするように」と、呼びかけたのです。分かりましたか? (はい)。それで、世界がいくら大きいといっても、先生の活動舞台内に引っかかっているということに間違いないのです。
もし素晴らしい日本の心を持った者がいたとするならば、「世界最上級の舞台で花を咲かせる道がいくらでもなきにしもあらず」という、結論を出しても恥ずかしくない男がここに立っているのです。それを信じますか、信じませんか? (信じます!)。
ゴルバチョフ元大統領も漢南洞の公館に訪ねてきて、先生と二時間四十分会談をして兄弟結縁を結びました。先生のほうが年寄りで、彼は六十三歳です。先生のほうが十三歳も年上ですから、「先生が兄さんで、あなたは弟になりますが、どんなことを言っても聞きますか?」「はい、かしこまりました」と、彼は文先生の弟になりました。
また、金日成主席は先生より七歳半年上だから、兄さんとして約束しました。彼はいつも傲慢な男で、写真を撮るにしても「私が先頭だ」と胸を張って、どんな各国の首脳であっても、手を握って撮ったものはないのです。それで先生は、金日成主席の手を握って写真を撮ったのです。先生のほうが力も強いし、背も高いのです。
日本でも、お母様が国会で講演をするなどとは、日本人の誰一人も考えたことがないのです。それで、お母様は講演をやりましたか、やりませんでしたか? (なされました)。それが事実です。事実なのですね? (はい)。
あなたたちは、「ワシントン・タイムズ」の記録映画を見ましたか? 有名な人々が、「ワシントン・タイムズ」がナンバーワンだと唱えているのです。それは、先生が金を上げて言わせたと思いますか、彼らが願って、そういうことを言ったと思いますか? どう思いますか。みんなが、文先生は金持ちだから、金をやって言わせたと言っているのですが、そうではありません。
ニカラグアなども、もし先生がいなかったなら、めちゃくちゃになっているのです。アメリカの政府は、国会でもって援助を放棄したのです。それは、共産党の宣伝工作やデモ行進によってです。ニカラグアの自由戦士を支援する力がないなど、そんな馬鹿なことはありません。アメリカは自由の世界的な先頭国家であり、その独立のための戦争において、フランスの兵隊が援助したから勝ったのではありません。自由の旗手として、神がアメリカを独立国家として立てたのに、そういう自由が制圧されて、ニカラグアが共産党にやられていくのをそのまま見ているようでは、アメリカの根幹が揺らいでしまうのです。「アメリカの国会が実施しなければ、我々がする!」と、宣言したのが、この文先生です。そして、先頭を切って、一番に援助したのです。
もしもメキシコが赤化された場合、数千マイルの砂漠の境界線を防備するためには、ベトナムと韓国の兵を撤収して、第七艦隊、太平洋艦隊を回さなければならなくなるのです。そういうことを知っているので、先生は断固としてやってきたのです。また、ニカラグアに先生の銅像を立てるという噂もありますが、そんなことを先生は願いません。先生は、そのようなことをやってきたのです。君たちが夢にも思わないことばかりです。そのような先生に対して、反対し続けてきたというのは無礼千万です。先生に反対してきた者たちに、あすは日本に帰るのだから警告しておきます。「また、帰って反対しますか、反対しないですか?」。反対する者は率直に、先生の前で手を挙げてください。それを決めて帰らないと、話にもなりません。
文先生は一人で、数千人の日本の男たちを前にして堂々と肚のあることを言って、男らしいですか、女らしいですか? (男らしいです)。男らしい気持ちを持ったその者を、自分の子供に伝統として相続してあげたいと思うならば、文先生の「そんなことはしないですか?」という質問に対して「はい」と言うべきが、男として当然です。それで「さようなら」と言って、どこへでも行っていいことになるのです。しかし「さようなら」と言っても、万歳をしていかなければならないのです。
さあ、反対する者がいますか、いないですか? (いません)。みんな反対しないのですね? (はい)。反対する者は「反対する」と言ってください。黙っていて、日本に帰って口を横にしたならば、裂いてしまってもいいですか? みんな同窓生として、そんな者がいた場合には放っておかないで、正してやるのが正義を持った男の行くべき道です。後ろのほうの人も分かりましたか? (はい)。
あなたたちは神様の実体の延長体である
さあ、いよいよ結論にしましょう。今、何時ですか? 十一時五分だから、十二時までは話を終えないといけないのです。男は、なぜ生まれたのかということが分かりましたね、神様がいるということも分かりましたね? (はい)。一つになれば分からないということを知ったことによって、神様が一番近い所にいたことを知らずにいた自分であったことが分かりましたね? (はい)。だから釈迦牟尼は、「天上天下唯我独尊」と言ったのです。自分の中にすべてがあるというのです。神様が自分の中にいるというのです。先生が「神様! 神様!」と言うと、「なぜそんなに騒ぐのか? あなた自身がよく知っているように、あなたの一番近い所に私はいるではないか」と応えられるのです。
良心を見ることはできないのです。生命も、愛も、みんな見えないので、「愛もない、生命もない、血統もない、良心もない」と言えば、みんな埃だかりになって、ぶっかけてくることでしょう。しかし見たこともないし、触ったこともないのですが、間違いなくあるということを知っているのです。神様も同じです。自分の一番近い所にいるので、近くて見えないのです。
あなたたちが子供のころ、鼻をこすって、(先生がしぐさされる)こういうふうにして舐めたことがあるでしょう。しょっぱかったですか、甘かったですか? (笑い)みんながしょっぱいと言うのですから、舐めたのですね。(笑い)しかし、なぜ汚くないかというと、一つになっているからです。自分の唾が、自分の痰が汚いですか? 唾も自分のものは飲み込むのです。もし他人に飲み込ませるとすれば、大変です。(笑い)痰なんかを飲み込ませるのは、死んでもできないことなのです。なぜ自分のものが汚くないかというと、一つになっているからです。心臓の鼓動が聞こえないのも、感じないのも一つになっているからです。
それはなぜかというと、愛を愛ならしめるため、生命を生命ならしめるため、良心を良心ならしめるため、血統を血統ならしめるためです。もしも、自分が愛を五〇パーセント持っていたとして、相対者の愛が一〇〇パーセントだとすれば、それを差し引いた五〇パーセントの愛の刺激を受けるとき、主体なる人も客体なる人も、みんなめちゃくちゃになるのです。落胆して、「何だ、愛の刺激とはこんなものか」となるからです。
ですから愛を愛たらしめるために、分からないように零以下の立場に立って、一二〇パーセント以上の愛の刺激を受けることにより細胞が爆発するようになるのです。目が動くようになり、真剣な目になるのです。そういう喜びを欲する作用を愛というのです。五感を一挙に激動させる力を持っているのです。男と女、女と男、神様の世界まで分かりましたね? (はい)。
このように見た場合に、人間の価値はみんな平等であるということが分かるのです。みんな欲望は平等なのです。もし、アダムの家庭と君たちの家庭が堕落しなかった場合には、その価値からして、同じ価値を持つべきですか、異なる価値を持つべきですか? (同じ価値です)。なぜですか?
アダムの家庭は人類の祖先として、たった一つの家庭の種なのです。その種を植えることによって、たくさんの家庭が生まれてくるのです。分かりますか? 何十年、何百年たっても、その木が生きていれば、その木によってたくさんの実が生まれてくるのです。一個から、数千万個になっていくのです。数千万個のうちの一個と元のアダム家庭の一個は、価値がイコールです。それを植えれば、間違いなく一つの芽が生えてきて、同じような木になるし、同じような実を結ぶし、同じ価値を持つのです。
そうなれば、同じ価値だから、アダム・エバが神様の実体であれば、あなたたちは神様の実体の延長体になるのです。同じ価値なのです。アダムの結婚式が神様の結婚式だとすれば、同じ価値を持ったあなたたちの結婚式も、まさしく神様の結婚式にならざるを得ないという結論になるのです。そうでしょう? 気持ちが悪いですか、気持ちがいいですか? (いいです)。悪いと言う者は、口が裂けてしまうのです。一生懸命に、未来の希望の価値観を公認して伝授してあげようというのに、気持ちが悪いと言う者は、口が裂けてしまっても可なりです。悪いこともあるかもしれないのです。いいことばかりではないのです。分かりましたか? (はい)。
文先生を夜でも、昼でも許容しますか? (はい)。四季を超えて、年を超えて、生涯を超えて許容しますか? (はい)。これが真理であれば、許容しないといけないのです。
そのように見た場合に、アダム家庭は二人きりだったのです。あなたたちも結婚式は二人きりですか、三人ですか? (二人です)。では永遠に二人きりで、その価値は異なりますか、同じですか? (同じです)。中身が腐って、その皮が崩れている場合には大変なことになります。「この野郎! この馬鹿野郎!」となるのです。価値は、永遠に同じでなければならないのです。
神様は知恵の王者です。神様は一人の男と一人の女、一夫一婦をつくったのです。ですから、もしつくられたものが、その公式から外れた場合には不合格品になるのです。間違いなく、地獄の納入品になるのです。それを弁明する道はありません。「そうではない」と言う者がいた場合には、今から正してもいいのです。分かりましたか? 何も弁護はないのです。神様を凌駕するような論法はないのです。
絶対なる知識の王様の神様は、一人の男と一人の女をつくったのであり、絶対なるその愛によって、女と男は一つになるのです。凹凸二つが別々ではなく、絶対に一つ、ぴったりと一体になることによって、ぴったりと合わさることによって、一体という感覚が生まれてくるのです。
いくら偉そうな顔していても、渋い顔していても、それには異論がないのです。「もし私が、ああいう内容を発見していたら、文先生より以上にやれるのに、文先生は韓国人として生まれたのだから、日本人として生まれた私より悪いではないか」と、同情しなくてもいいのです。日本を頼りにはしていないのです。先生は、もう引っ張りだこです。
それで仕方なしに、一人の男に絶対二人の女が必要だという結論を出すことができますか、できませんか? できないのです。なぜかというと、神様がいられるので、もしそれをやった場合には地獄のどん底に落とされてしまうのです。いくら威張っても、逆さまになってしまうのです。逆さまに植えられて、生き残る木はないのです。人間がそうなった場合には、ぺちゃんこになり、どうにも仕方のない者になって消えていってしまうのです。
あなたたちは結婚する時、六千万の一人として結婚しましたね。女も日本人の六千万分の一人として結婚したのですね。それは正しいですか、間違っていますか? (間違っています)。間違っているのです。間違っていると言っているのに、何が正しいですか? 間違っているのです。駄目ですよ。駄目です。人間の欲望は、自分が一番になりたいと言うのです。ですから、結婚するにしても二番になりたいでしょうか、一番になりたいでしょうか? (一番です)。
それから神様みたいに、一番の思いをしたいですか、ぺちゃんこの思いをしたいですか? (一番の思いです)。神様は結婚する時、最高の頂上で結ぶことを考えるのです。すべて最高なのです。富士山も問題ないし、エベレスト山も問題ないのです。いかなるものであっても最高の立場で、最高の愛を結びたいのです。そう思いますか? (はい)。しかし、それを結んだとしても、そこで住むのではなく、地上に垂直に下ろして、そこに世界を代表した、歴史を代表した中心までもがとどまって住みたいと思うのです。何の話か分かりますか? (はい)。
真の父母を迎えて血統転換がなされる
人間の欲望は、誰もがそのように願うのです。最高になりたいのです。結婚も最高に、神様みたいな立場で結婚したいのです。神様みたいに五十億の過去、現在、未来の歴史を代表した中心の家庭として出発したいのです。それをしたくないと言う者は、死んでしまわなければなりません。そのような人は、価値も何もあったものではないのです。
同じように、結婚は歴史始まって以来、万民すべてを総合した男の代表と女の代表が一つになるという式を挙げなければならないのです。価値からいって同じものであるとすれば、アダム家庭が天下最高の歴史の中心の立場で愛を結んで定着する原則になっていたならば、その子女たる者の結婚は、それ以上の立場を願う人類五十億の代表なのです。霊界と未来全体を代表した人類の祖先と、後孫すべてを合わせた最高の位置に立った男として、最高の女と結婚するという観念を持たなければならないのです。そういうことを考えたことがありますか? 考えたことのない人は、ぺちゃんこです。くだらない一人の女のために生命をかけて死ぬという、そういうようなくだらない者は駄目です。
今からどんなに遅くなっても、過去の歴史をみんな乗り越えて、本来の徹底した人格としての権威ある男と女の立場をもとがえさなければならないのです。それを失ってしまったのだから、探してこなければならないのです。それが、きょうの話の題目です。
ですから、そういう権威ある男として決めた一言は、万の金銀よりも重いのです。天下が崩れても、約束をなしていくことによって、男も女も神様の愛する子女になり得るというのです。それを認めますか、認めないですか? (認めます)。これは大変なことだから認めると言う者は、手を挙げてください。(はい)。そのごとくに、今からでも、そういうような思いを持って過去の自分の一身を分析し、批判して悔い改めなければなりません。
そのような基準に到達しない者は、半品者です。そういう半品者は日本列島を踏みにじってしまうようになるのです。どちらが讒訴するのですか、どちらが訴えるのですか? そういう思いを持つような男になったとすれば、そのような男は滅びると思いますか、神様のほうに近づいていくと思いますか? (神様のほうです)。間違いないですね。分かりましたか? (はい)。
あさっては、日本に帰るのですか? (はい)。あさってになって帰った時に、日本の男として、一家の主人として、先生の教えとその標準圏に一致するように努力しますか、しませんか? (します)。
大変な覚悟が必要です。この先生の話は本当でしょうか、でたらめでしょうか? どうですか? (本当です)。そうなれば、心の欲望も大変なことです。「自分の権限は、永遠の愛を保持する男として、堂々たる者として、堂々たる一家、一国、世界を超えて、神様の前に堂々と、神様の願ったとおりの子女の愛の相対圏に立つのであり、天宙解放圏は自分よりなされる」と言っても、恥ずかしくないようになりました。人間として、それ以上の権限を得ることができるとなった場合には、間違いなく行動も問題ありません。分かりましたか? (はい)。
宗教は何のために生まれたのかと言うとき、「神様はいない」ということは言えないのです。しかし、宗教の教えだけを信じて救援されると思ってはなりません。血統転換をして接ぎ木されないといけないのです。宗教では、それができないのです。真の父母を迎えることによって、血統転換がなされるのです。真の父母と絶対信仰、絶対心情、一体圏を結ぶのです。それは、アダム・エバが堕落で失ってしまったものです。アダムとエバは子供として、絶対父母として神様に侍らなかったから堕落したのです。真の父母の願い、神様の命令に絶対信仰、絶対心情で一体となっていけば、自動的に神の国に入るようになっていたのです。
そうなれば、血統を添えて神の家族に愛される子女として恥ずかしくないのです。堂々と神によって、天国は自分の家族の延長だから、無難に何の妨害もなく入れるようになるというのが理論的な結論です。分かりましたか? (はい)。みんなが「はい」と言う顔を見れば、かわいそうな子供みたいな思いがするのです。真の父母が絶対必要ですか? (必要です)。
それで、真の父母の前では結婚せずに、サタンの前で結婚して、神様の結婚式をみんな放棄してしまって一家族で反対に回って堕落したのですから、一家族そろって結婚式をして、新たに方向転換して、真の父母、真の縦的お父さんの所に帰る方向に、再び行動しなければ国に帰ることができません。ですから、統一教会では独身生活をしたあとで祝福を受けるというのです。宗教圏の献身した者をすべて解放してあげて、元の原型の家庭理想圏に帰るために、このような転換の作業として結婚をしなければならないという結論になりました。
重生するための産苦の基準
今までほかで結婚していた者は手を挙げてください。統一教会で祝福を受けた者は手を挙げてください。大半ですね。みんな統一教会のメンバーですね。でたらめな者はいないのですね。あなたは夫婦喧嘩をするのですか、しないのですか? 「しません」と言う者は、何にもならないのです。大変です。この原則にみんな落第して、梯子から滑り落ちるようになっているのです。大変なことです。警告します。
今までに、喧嘩をしたとしても、先生は認めません。真の父母が解放してあげますから、今後は絶対に、そんなことがないと決意して、なし得た場合には許されるのです。しかし許されたとしても、再びそういうことになった場合には、それは二倍に倍加して罪が重なり、重罪になって地獄に逆に落ちてしまうのです。恐ろしいことです。
喧嘩をしますか、しませんか? (しません)。喧嘩をすれば、神様が直ちに風呂敷につつんで離別するのです。平和の王様は神様であり、喧嘩の王様はサタンです。サタンの彷徨する門前に、神様は恥ずかしい姿を見せることはできないので、先に福を下げて後退してしまうのです。自分の一家に永住したい神様の天宙の理想の福を、すべて追い出すような馬鹿者になってはならないということを警告します。分かりましたか? (はい)。喧嘩を絶対しないと決意した者は手を挙げてください。(はい)。
いろんなことが分かりました。宗教も分かりました。ですから、救援は真の父母と一つになって、血統転換をして、絶対夫婦一体になった家族とならなければ、天国には入れません。天国は一人では入れないのです。今までの人々は、霊界でみんなばらばらに分かれてしまうのです。
霊界に行って、自分の名前のボタンを押すと、何十年、何百年前の先祖が、みんないっぺんに現れるのです。霊界は、時空を超越するので、何千年前の人でも、一つの圏内に入るのです。すべてが明らかになるのです。それは、恐ろしいことです。
そのようなコンピュータが、地上に降臨するようになったのです。相対的にコンピュータとして現れるのです。分かりますか? (はい)。スペースシャトルの時代になっていくのです。人工衛星で宇宙旅行をするようになったのは、生きた体で死んだ世界を操作する時代になったということです。分かりますか? (はい)。霊界すべてが分かるようになるのです。そういう時代が相対的に現れなければ、神様の理想世界を相対の人間世界に生みつけることができないから、一方は滅ぶのです。
世俗の世界はフリーセックスで、みんな神様の理想とはめちゃくちゃに反対なのです。それが、男同士で結婚するホモセクシアルであり、女同士のレスビアンです。それに麻薬や酒です。酒を飲みますか? 酒の好きな男は手を挙げてみなさい。手を挙げたくても、文先生が恐ろしいので挙げられないのでしょうから、それは勘弁してあげます。酒を好きでない者として認めてあげるのです。しかし、そのように認められた者がまた酒を飲んだら、それは嘘つきだから、倍の罪悪が加わるのです。神様の計算は間違いがないのです。人間の計算には間違いもあるのですが、神様の計算はコンピュータつきなので間違いがないのです。一点一画、容赦がないということです。
それで、みんな中心性がないのです。この世的に、個人の中心性は何かと言った時、全部が真の自分を失っているからめちゃくちゃです。どこに行くのか分からないのです。家族も分からないし、妻も分からないし、子供も分からないのです。親族も分からないし、日本の国も分からないし、世界も分からないし、天宙自体も分からないのです。神様だけが分かっているのです。神様と文先生しか分からないのです。
ですから文先生を中心として見た時に、個人の中心性がはっきりしてくるのです。神様を知った基準に相対的な立場だから、家族はこうなるべきだと、はっきりしているのです。氏族はこうならなければならないし、自分のものは家族のものであり、家族のものは氏族のもの、氏族のものは民族のもの、民族のものは国家のもの、国家のものは世界のもの、世界のものは天宙のもの、天宙のものは神様のもの、神様のものは私のものとなるのです。
しかし共産党のやり方は、「私のものは私のもの。君のものも私のもの」。それでおしまいです。離別以外に何もないのです。これらをみんな包容包括して、一つの理想圏につないで、出発点と終わりを縄で結びつけるチェーンになるのです。神様は、真の父母と一体となった者が、たとえいかなることになったとしても、真の愛で一つになった以上は切ることができません。
そうなれば、自分に貴重なものが何か、みんな分かりましたね。失ったすべてが分かったのです。では、個人の中心は何によってなされるかというと、家庭の中心は何によってなされるのかというと、国家、世界の中心は何によってなされるかというと、真の父母の真の愛によって、絶対なる神の真の愛、絶対権限の愛と一つになった真の父の愛を中心として心身統一、夫婦統一、子女統一でなされるのです。そういう家族でもって新しく転換していった場合に、その数が増えれば、氏族動員、氏族復帰は当然であり、民族数を増やせば、民族復帰はすぐになります。国家復帰の数を増やして、世界復帰の数を増やせば、天宙になるのです。この数を神様が願っていたのですから、神様に帰るのです。
神様は愛の根っこなので、愛の穂先と一つになれば、天宙のすべてがその圏内に包容されて、神の所有圏に立つようになるのです。それは神様のものだから愛によって一つになれば、愛の環境の理想郷になるのです。
そのように展開して、霊界に行けば愛の呼吸をしなければならないのです。霊界は、愛の呼吸で生命を維持する所です。お母さんの胎中にいた時には、水の中なので、口とか、鼻とか、五官は一つも使えないのです。それらは、胎中では必要ないのです。胎中で水が鼻に入った場合には、「うーん」となって、死んでしまうのです。目玉も必要ないし、耳も必要ないし、口も必要ないし、手も必要ないし、五官のすべてが停止して、胎中で呼吸して生きているのです。そのような水の中で必要のないものも、すべて準備されているのですが、それは、第二の世界に対する準備であるということを誰も知らなかったのです。
それらは、水の中で使うものではないのです。第二世界として生まれた地上において使うものなのです。お母さんの胎中のパイプを切ってしまって、子供が泣き始める時から、転換するのです。ですから、お母さんの産苦は大変なものです。産苦というのは、産まれる時の痛みです。参考書の参考ではないのです。お母さんの産苦は大変なのです。分かりますか? (はい)。
お母さんの産苦も大変だけれども、その骨盤を開く力はいかに大変なことでしょうか? ですから、真ん丸な頭が夏のかぼちゃみたいに長くなって出てくるのです。それは大変です、もう圧縮されて、骨の根っこまでもが縮まるようにならないと産まれてこれないのです。
産苦のお母さんも大変だけれど、お母さんの産苦よりも子供が何倍もの苦しみを経ながら生まれてくるということを考えていた女性は一人もいないのです。もしも、それを知っていたとすれば、お母さんの愛情でもって子供を心配する思いで、自分の痛さも忘れて子供を産むような道もなきにしもあるという結論になるのです。それを自分の奥さんに教えてあげなさい。「文先生がこういうことをおっしゃいました」と。みんな、圧縮、圧縮です。縮小、縮小です。最高に縮小して、地上に産まれてくるのです。それ以上に縮小できないほどの極限で産まれてくるのです。理解できますか?
それで産まれた場合には、今まで圧縮されていたので、「ああ!」と空気を呼吸することによって、新しい世の中が始まるのです。苦痛の絶頂を越えることで解放の生命圏に入るのです。堕落して再び生まれる重生のことを言っているのです。再び生まれるのには、逆のほうに入って生まれなければならないのです。新しい生命をつなぐには、お母さんの産苦を通過する子供より以上に忍んでいかなければならないという基準が分かるようになりました。
以前の世界では目も鼻も、空気も吸わないで待っていた子供が、目も開くし、鼻も開くし、手が動くようになって、新しい世界の新しい人間として、神様の相対物として生まれてくるのです。しかし、見えない神様の相対には絶対になれないので、どんなことをしても神様の国に帰っていかなければならないのです。神様から出発したのだから、元の種の根源に帰っていかなければならない道が、死して帰る道なのです。それを韓国語では、「帰る」という言葉で語っているのです。お父さんが亡くなったということを、「帰っていきました」と言うのです。
動物、植物、すべてを見ても、実のないものはないのです。昆虫も飛ばないものはいないのです。三段階生活の幼虫時代、さなぎ時代、成虫時代があるのです。人間も万物の霊長として、三段階の生涯を終えるのですが、それは動物も昆虫もやっていることです。万物の霊長の人間が、三段階理想の生活圏を持てないということは理論的にも通じません。ですから、後世があると言うのです。見えない貴い世界を見える世界につながなければならないということです。
ですから、霊界に行くということは、霊界は愛の呼吸の世界なので、胎中で地上の空気を吸う準備をするのと同じように、この世界にいても、愛の空気を吸うにふさわしい器官を霊人体において備えなければならないのです。そうするには、天地創造のお父様と同じように投入しては忘れ、投入しては忘れることによって、愛の細胞として愛の世界に同化し、神様の相対物としての細胞に変わっていくようになるのです。
そのように、愛の要素を重ねて、第二世界の準備をしなければなりません。霊人体の五感を愛の世界にふさわしく、呼吸して活動できるような準備を、この期間に、水中時代に地上生活の準備をしたことと同じように、この地上で天上生活の準備を、自分の内的な完全完成をなして準備しておかなければ、次の世界においては駄目になってしまうのです。目玉が怪我したり、塞がったりして大変です。窒息して大変なことになるのです。
そのことをよく知っている神様は、そのように環境をもとがえしてあげるために、宗教を通してメシヤを送られるのです。メシヤの最高の理想は、真の父と母を中心として、人類を再び生み直して、本然の世界の霊的基準まで完成させてあげ、絶対解放の王子、王女として、神様と共に生きるようにしたいということです。これが神様の願いなのです。その過程で、その処置の方法として、蕩減の法則という苦しい道をたどってきたのですが、皮を脱がなければ蛇も大きくなれないのと同様に、人類の罪の皮を脱いできたのが宗教の道だったのです。
蕩減復帰の峠を越えましょう!!!
1995年1月19日 韓国・水沢里中央研修院
神の摂理歴史における蕩減復帰
これは(先生が板書される)何と読みますか? (蕩減復帰の峠を越えましょう!)。蕩減という言葉は知っていますね。何かのことで失敗して、たくさんの負債をした者が同情されるような人である時、周辺からの「何とかして弁済できるようにしてあげればいいな」ということが噂になって、債権者もそのように同情して借りたお金のうち、いくらかを返してもらったことを条件として、全部を返済したということになるのです。それを蕩減条件金というのです。分かりましたか? (はい)。
それで、なぜ神の摂理歴史に蕩減という話が入ったかということが問題です。人間の先祖のアダムから今日まで、ずーっと続いた先祖たちの中で罪をつくらない者はいないのです。あなたたちも、罪をつくってはいませんか? このような問題を聞かれた場合に、罪をつくらなかった人はいないのです。あなたたちにつながる先祖たちの罪は、みんななくなりません。ですから、歴史は死んでいないのです。生きているのです。多くの先祖伝来の罪が重なるし、それは消えていかないのです。
そのような血統を連ねて、原罪が伝授されてきたのですから、あなたたち一人ひとりを平面的に見た場合に、縦的に先祖からつながった罪によって、各自がみんな違うのです。ある者は小さい山になっていたり、大きい山になっていたり、富士山よりもっと高い山であったり、その次の山であったり、そういうふうになっているのです。それをどのようにして清算するか、神様は問題視せざるを得ないのです。それは蕩減の条件金と同じように、蕩減の量を決めて、それを払った場合にのみ、許してあげるように考えざるを得ないのです。
サタンも、そういう立場では、人間救済をする神様の道を塞ぐことはできないのです。それは、もともと神様が主人だからです。過った内容を除いてしまえば主人のほうに戻るようになっているのが原則なので、サタンも原則は無視することができないのです。そういう条件で、人間を中心として罪の量をいかに減らすかということです。神様が停止した場合には、サタンはそれに応じて、そういうふうにやらざるを得ないという契約になっているのです。
これを蕩減して罪を許すには、金とか、知識とか、権力などではできません。人間が罪をつくったのですから、人間を中心として悪なる者を蕩減するには、善なる者が犠牲になるのです。代表的立場で犠牲になって、サタン全体から反対されるのです。神様が一〇〇の罪の量を蕩減するための中心的人物として立てたとするならば、サタンはそれに相応して、周辺から反対し攻撃するのです。その攻撃の量が蕩減の量を超えた場合には、サタンがそれを弁済しないといけないのです。それに及ばない場合にも、神のほうは攻撃することができないので待つというのです。
ですから、そのように神様のほうから送った人たちが誰かというと、良心的人とか、宗教的責任者とか、そういう名前の人々なのです。宗教はサタン的舞台を壊滅させる方便の地上の基台ですから、全体をまとめる中心の人物として、宗教者とか、良心的人とか、そのような特別の名前を持つ人を中心人物として立たせるのです。だから、すべて問題は中心者と一つになることです。その人の教えとか、その人の業績を共にすることによって蕩減されるのです。
それで、蕩減の分量を超えた場合には、サタンの手を離れて、神様が次元の高い手でもって一段階、二段階と高めていくのです。そのように歴史を通して、個人蕩減、家庭蕩減、氏族、民族、国家、世界、天宙蕩減、神様解放まで行くには、真の父母と共に、その蕩減の道を行かなければならないのです。
ですから、歴史路程には義人や聖人が生まれてきたのです。そういう人たちは蕩減の中心的、天的派遣者として、地上で悪魔の攻撃を受けて、幸福な運命を万民につなぐために自らは不幸な立場に立って迫害を受けていくのです。ですから、宗教の歴史は、神様のほうは善なる良い人たちばかりですが、迫害を受けて悲惨な運命の道を行くのです。そして、その人に同情する部落や町や国が一つになることによって、次元の高い蕩減圏を越えていくのです。
それで最後に、人間であれば皆、八段階の道があるのです。僕の僕から僕、それから養子、庶子、実子、お母さん、お父さん、神様までです。そういうふうにして、縦的な蕩減の道を越えていくのです。
本来は、その八段階を親の立場に立つ神様がなすべきなのに、神様の代わりに宗教がその相対として地上で打たれて、相対圏の全体を蕩減して共に連れて上がってきたのです。ですから多くの宗教が生まれたのです。シャーマニズムから始まって、歴史の背後にはたくさんの宗教が生まれたのです。山頂を中心とすれば、その周辺に三六〇方向があるようにです。
そのような宗教をまとめていくには、個人的に見た場合に良心と肉身とが争っているので、良心が一つの蕩減条件を立てて犠牲になるのです。良心が肉身に打たれた場合には、大変なことになるのです。ですから神様が先に打たれた場合には、打つ者の所有権を打たれた者に伝授するという公式によって、蕩減の道を開発してきたのです。そうして低級な宗教は、どんどん、どんどんと高級な宗教に吸収されていくことによって、蕩減の次元が高まってきたのです。
今、世界には四大宗教がありますが、その四大宗教の上に立って最後の蕩減をするためには、全体の価値の中心が定められて、その中心が攻撃されることによって全世界が蕩減の量を超えた場合に、サタンはそれ以上に攻撃することができなくなるのです。もし、それを超えて攻撃した場合には、いっぺんにけられてしまうのです。歴史は、こういう蕩減の路程を積んで発展してきたということを、一般の人々は知らないのです。先生に話をさせれば、そうならざるを得ないのです。神様がいて、サタンと紛争するのですから、そういう解釈でもってまとめていくのが当然だと思います。
それで歴史路程において、蕩減復帰という言葉が介入してきたのです。そして最後には何を蕩減するのか、サタンも知っているのです。最後には、最高のもので蕩減するのです。最高のものとは、最高の神様の子供なのです。子供の中でも独り子です。ですからイエス様も神様に向かって、「私は神様のひとり子だ」と言ったのです。これは、宇宙的な宣言なのです。
神様の復帰の目的は国ではありません。家庭なのです。アダム家庭で個人を失い、家庭を失ったのです。個人紛争、夫婦紛争、子女紛争、これが歴史の堕落の根底なのです。そのような家庭を中心として、サタンの国、サタンの世界が構成されてきたのです。ですから、復帰の目的も全世界を投入して、最後には家庭を中心として左に行ったものを、全世界を代表して右のほうに転換させていくのです。そのように、家庭につなぐことによって、氏族、民族、国家、世界すべてを復帰していくのです。
世界の救済を中心とする神のみ旨
それで、第二次大戦はどうなったかというと、歴史を通して蕩減してきた個人、家庭、氏族、民族、国家的紛争圏が、英米仏と日独伊の戦いなのです。これはカイン的・アベル的、サタン的・神的な戦いなのです。すべてが相対的なのです。アダム・エバが堕落して失った家庭を、神様は求めてきたのです。サタンが家庭を確立してつくった世界的国家基準を正して清算しなければならない歴史路程に、神様と共にサタンも歩調を合わせなければならないのです。
それで英米仏対、日独伊の戦いとなったのです。それらは、相対的に心身紛争から始まったのです。英米仏は神様のほうで、唯一神を迎える国です。反対に日独伊は三六〇度異なる雑教神を迎える国です。ですから、サタン的なのです。これが、カイン・アベルの心身紛争による歴史的な終着の紛争です。ここにおいて、日独伊は全体主義を中心として、絶対なる唯一神を攻撃したのです。
神様のほうの良心は唯一存在であり、世界のすべてを代表する伝統的背後の内容を持っているのですが、サタンはその反対です。めちゃくちゃに、平面的に崩壊しようとするのです。それで、日独伊は雑教国として、ユダヤ教とキリスト教を破壊しようとしたのです。このように神の歴史から見た場合、どの宗教が主流の宗教かというと、全世界が一つになっていこうという宗教が主流の立場にならざるを得ないというのです。人類歴史は、そのような摂理の背後を組んできたのです。蕩減の歴史の概観は、そういう結論になるのです。
ですから第二次大戦では、英米仏がアベル的神の国家群であり、日独伊はサタン的カインの国家群なのです。それを個人に例えた場合には、心身紛争した者が世界的になったのであり、良心のほうが英米仏であり神様の側です。肉体のほうが、サタン的に破壊しようとする日独伊です。それで、日独伊は何をしたかというと、唯一神の世界を攻撃しました。それで、ユダヤ人の虐殺やキリスト教徒の虐殺を行ったのです。日本人も韓国において、韓国のキリスト教徒をたくさん殺しました。
もし戦争が続いていた場合、一九四五年の八月十七日には、二十万人のキリスト教徒を虐殺するという計画もあったのです。しかし、神様はそれを許さなかったのです。それで長崎や広島に原爆が投下されて、日本は降伏宣言をしなければならなくなったのです。そういう意味においても、神様は韓国人二十万人の虐殺を防いだのです。日本は悪いことをたくさんしたのです。
また、先生も十六歳以後は、どこでも行く先々では尾行されて、「どこで何をするのか?」と、いつも要注意人物として扱われてきたのです。それは先生のおじいさんが、一九一九年三月一日の独立運動の時、大解放運動の北のほうの代表だったからです。当時は、独立団という団体の人々がたくさん先生の家を往来しながら、国家独立を唱えてきたのです。それで先生のおじいさんも、二年八か月の刑務所生活をした愛国者なのです。先生も、その伝統を受け継いでいかなければならないのです。しかし先生は十六歳以後、だんだん深く神様の摂理の内容を知ることによって、一番かわいそうな者はサタンのほうに立たされて悪いことをする国であるということが分かって、日本を助けなければならないと思ったのです。
それで、統一教会の創設とともに、宣教師を日本に送ったのです。それは一九五八年のことです。当時は日韓の外交関係が断絶した後なので、法的には難しい立場だったのです。しかし日本がなくなってしまえば、アジアの将来もないのです。アジアの発展の基台がなくなった場合には大変なことです。ですから、日本を正してアジアの方向に向けることが、神様の摂理なのです。先生は、そういうことが分かっていたのです。しかし、日独伊の日本は何といってもサタン的であり、カイン的な国なのです。サタン的が悪いのではないのです。カイン的なのです。
日本の国は女神の国であり、サタン的な女を代表した、お母さんの国です。ドイツは男の国です。これは虐殺の悪のアベルです。代表的な悪の子供です。歴史始まって以来、それ以上に悪いことをした男はいないのです。サタン的な代表的な男の国なのです。それからイタリアは行ったり来たりする者であり、天使長です。それは性格からしても本当にそっくり一致するのです。
英米仏もそうです。イギリスの国は海賊の基地です。イギリスは北のノルウェーから流れてきた海洋先祖です。ノルウェーなどの国々は北極に近いので、狩猟して生きることしかできないし食べ物もないので、海賊などをして国を乗っ取っていくことをしてきたのです。それで、どんどん南に下がってきて、イングランド島を中心として、海賊基地になったのです。しかし神様を信じるようになり、世界的な大英帝国になって、五大洋六大州に陽の沈むことのないという世界一の国になったのです。それは、神様の助けがあったからです。
そういう伝統を、日本はそのままそっくり習っていこうとしたのです。それで、明治維新を通して一二〇年間やってきたのです。一二〇年間は、ちょうど明治、大正、昭和の三代です。しかし今は、日本のすべてが地に落ちてしまったのです。島国の東洋は男が問題であり、西洋は女が問題です。どちらもぺちゃんこになってしまったのです。神様のみ旨は、女を中心として母の王国を探し建設することによって、エバが王国を喪失したことを蕩減復帰して、女王国家の地上顕現時代になるので、エバ国家の島国の男も女もめちゃくちゃになるのです。
それで、世界を結束するために「世界平和女性連合」ができたのです。お母様を中心として、世界の四十か国の国会を中心として活動することによって、女王権、女性時代の旗揚げをして、王宮から全体に結束していく運動をするのです。女王国家の因習を正さなければならないのです。
そのようにして、女王と王様が一つになり、再臨の父母を中心として王権復帰をしなければならないのです。そういう還境から見た時、韓国は横的に立っているので、父母の前にカイン・アベルになるのです。また平面的に見た場合には、堕落した者を復帰するのだから、英米仏のキリスト教の文化圏はエバ文化圏であり、新婦文化圏なのです。それで、新郎を失ってしまったことを世界一周しながら確認して、エバが世界を統一するようになるのです。エバによって世界を喪失したので、エバを中心として世界を復帰する代表的な文化基盤が、キリスト教新婦文化圏なのです。
新婦文化の新婦は、カイン・アベルを包容しているのです。それがアメリカと自由世界なのです。アメリカは代表国家だからアベルであり、お母さんの懐に包容されるアダム家庭の二番目の子供と同じです。それをキリスト教から見た場合には、アングロサクソンを中心としたプロテスタントです。旧教から分離された者たちです。旧教をカインとすればアベルなのです。これらが横的に、宗教対立になっているので、それを包容して一つにしなければならないのです。そこで横的にアメリカを中心として、自由世界をまとめるための神の摂理がUN(国連)なのです。
一九六〇年代を中心とする摂理
それで、一九六〇年を中心として歴史上に不思議なことが起こりました。戦勝国家が後進国家を独立させて、平等の立場に立たせたのです。そのような、歴史上になかった突飛なことがなされてきました。そのような歴史は、今まで誰にも解明できないのです。それはなぜかというと、真の父母が来られる前に兄弟圏に立たなければならないので、平等世界が出てくるのです。世界のUN(国連)軍を中心として兄弟圏を確立して、親を迎えるためなのです。
アダム家庭で兄弟が紛争して、世界を破滅させサタン圏に回したことを、兄弟が一つになることによって、真の父母を中心として神様のほうに回していくのです。歴史をこのように説明することによって、すべて理論的に合わないところがなく、始めから終わりまで全部がぴったりと合ってくるのです。
そうなれば、エバ国家統一文化圏を中心として勝利の英米仏連合国家が先生を歓迎した場合には、七年もかからなかったのです。一九四五年から一九五二年までには、世界平和はもちろん、世界統一圏が成されたのです。
そこで問題は、キリスト教文化圏の統一圏において、母の胎中で絡み合っているカイン・アベルのように、旧教と新教が戦わざるを得ないのです。そのようにならなければ、母の完成する道がないのです。ですから、日本がエバ国家になるには、戦後五十年間、日本の胎中にある異質の国の者同士が戦わなければならないのです。そして戦った者を一つにして生み出さなければ、家庭を中心として失ったカイン・アベルの統一圏が、親と一体になって帰っていく道がないのです。だから、エバ国家の認定を受けた日本は、胎中で朝総連と民団の異質な者同士が戦っているのです。それらは日本を母として、怨讐同士なのです。
みんな怨讐なのです。兄弟も怨讐です。お父さんお母さんも怨讐です。父母と子供たち全部の怨讐圏を解決するにはどうするかというと、エバがそういう者を孕んで生んだのだから、再びエバの胎中に入って、転換して生まれてこなければならないのです。ですから、民団から見た場合には、朝総連が兄さんで、先に政権を立てたのです。北は兄さんであり、カインと同じです。南の国がアベルです。今まで民団と朝総連は五十年間絡み合い、紛争していたのですが、だんだんと先生の影響圏内に固まっていく傾向になっているのです。日本がエバ国家の使命を完成するには、この教育が問題です。胎中に孕んでいる民団と朝総連を愛でもって一つにする母の使命を果たさなければ、日本はエバの完成基準に立てないのです。
今からは、そのようなおとぎ話みたいな話が事実として解かれていくのです。エバを中心として、絡み合いの紛争する胎中の兄弟を一つにするのです。六十万を一つにすることによって、日本の民族がカインとなって一つになるのです。それを誰が一つにするかというと、女性たちです。これが母の使命です。胎中のカインとアベルをエバの国が一つにさせることによって、アダムの国の相対になるのです。それで南北統一は、東京からするのです。だから東京を東のソウルとも言うのです。それは韓国を中心としてです。これも不思議な話です。
それで、昨年先生は、「日本人を伝道するよりも、まず民団を一つにするように」と言ったのです。南北を分割させたのは日本です。それからアメリカなのです。アメリカは、エバ国家の統一文化圏で神様と共に、来られる再臨の主を迎えるべき立場にあったのです。エデンの園で追い出した本然の旦那さんを迎える立場にあったのです。そして一つになった場合には、その中で子供のカイン・アベルが一つになるのです。そのような基盤が立ったならば、世界は七年以内に統一されたのです。今、先生が教えている氏族メシヤの使命は、その時に成就できる天的な最後の戦略だったのです。
キリスト教も、世界的な頂上で旧教と新教を一つにするには、統一原理しかないのです。そのように、歴史においてこれまで不可解だった聖書の内容を明らかに解明しているので、誰でも方向をまとめて、その道をたどっていかざるを得ないのです。統一せざるを得ないのです。
ですから、統一教会の持っている真理は、恐ろしい武器になるというのです。それは、キリスト教ばかりではないのです。一般の人々も、みんな待っている内容なのです。それに反対し、弁明できるような真理はないのです。一番の根源なのです。何かを解明するにしても、何かをやるにしても、その根源以上の論理はないのです。
原理は、恐ろしい力を持っているのです。その原理が、「キリスト教の文先生は再臨の主だ。再臨の主として雲に乗って来られる」と言ったのです。雲に乗って来ると言うのですから大変なことです。完成は地上でなされるということが分からない人間なのです。空中で何が完成されるのですか? 空中には何もないのです。旧約時代の失敗を蕩減復帰しなければならないので、聖書の中にイエス様の来られる時のことを、そのように話しておかなければならないのです。
「洗礼ヨハネがエリヤとして再臨する」ということを旧約聖書で預言してあるにもかかわらず、まだエリヤが来ていないのに、イエス様が「自分はメシヤだ」と言ったのです。だからユダヤ人たちが、みんなイエス様に聞いたことは、「エリヤが来てメシヤの道を直くするという内容の預言が成就するには、エリヤが火の車に乗って昇天したのだから、再び火の車で降臨すべきなのに、火の車で降臨したエリヤに会った人もいなければ、見た人もない」ということです。エリヤは火の車で降臨しないし、永遠にそれは見られないのだからユダヤの国で、そのように信じてきた者は、みんな滅亡していったのです。そうして一世は国を失って、全世界に散らばって、みんな血を流していったのです。恐ろしいことです。
歴史上に残された教訓
そういう失敗をしてきたのですから、再臨の時代にメシヤが再び来られる時には、その失敗のとおりに蕩減復帰するのです。イエス様は未完成のまま霊界に行ったのですから、再び完成のために地上に来られるのです。その時は、失われたアダムを復帰した立場なのです。アダムの立場は、サタン的に汚れているものを、渋柿ではなくて、甘柿の根っこに接ぎ木しないと主体になることができないのです。しかし、蕩減して復帰された天使長の立場でもあり、その血統の根源はアダムにつながっており、神様の子供につながっているので、二重になっているのです。
ですから洗礼ヨハネの使命は、イエス様の完成した甘柿の根っこに対して接ぎ木をさせる立場なのです。それで民族を統一して、ユダヤ教を中心にカイン・アベルを一つにして、本当の甘柿に接ぎ木するのです。二流系になった者が一流系になるには、接ぎ木される以外にはないのです。神様の創造の目的は一つの流れにつなぐことであり、二つの流れで戦うようにはなっていないのです。
それで一つになるためには、弟を中心として、兄さんが弟のようになり、弟が兄さんのようになることによって、本源の道をたどって、一筋の神様の統治する民族の世界になることを願わざるを得ないのです。それで、エバ国家の日本を見た場合に、その中に異質の民団と朝総連がいるのです。
この話は、先生が創作したことではないのです。歴史の成り行きを主流から見て解決し、再び整備する過程を通過しないといけないのです。大変なことです。
先生は真剣なことを話しているのです。こういうことは大学でも教えないし、世界中の図書館にもない話です。文先生によって、初めて世界的な主流の話として現れたものであり、悪魔のつくった本とか、その姿とか足跡は見たくないのです。神様の心情を持った戦いにおいて、火でもって裁かれる一日が来るのです。その時、世界を火でもって焼いてしまうのです。しかし、そういうことをしなくてもいいように、先生が聖婚式を通して聖塩をつくりました。聖塩をつくらなかった場合には、今まで結婚によってなしてきたサタン的な部屋も家も国の建物も、みんなサタンが残してきた足跡は見たくないというのです。
ローマは、誰が火をつけて眺めて喜んだのですか? (ネロです)。それと同様に、神様もそういう裁きをしなければならないのです。もし、そんなことになれば大変です。火でもってみんな焼いてしまって、新しく調整されたものを神様の一族が使うようにしたいのが、神様の思いなのです。あなたたちもそうですね。怨讐の後につながった所には住みたい人がいないのと同じです。そういうものです。今まで世界のすべての国々で宝だと思っていたものを、みんな焼いてしまわなければならないのです。
それで、そういうことをするのは大変だから、聖塩でもって聖別することによって焼いてしまったという条件になるのです。それが蕩減条件です。条件というものは大変なことです。それで、条件を立てて聖別した後に、統一教会では食べるように、住むようになっているのです。分かりましたか? (はい)。神様は、もともと嫌いなサタンの生きた跡など見たくもないという心情を、「蕩減条件を立てますから」ということで許可したのだから、聖塩でもって聖別すれば、サタンはその中に絡むことができないのです。ですから聖塩と原理は、恐ろしいものです。
そうなると、文先生はみんな神様に命令して世界を焼いてしまわなければならないのです。日本で崇拝するサタン的な象徴のタワーとか、建物などは神様が一番嫌がるものです。雑教神に侍ることがいつまでもいいと思っていたら大間違いです。すべて唯一神に帰っていかなければならないのです。雑教神は堕落した悪魔の後孫たちが、悪魔世界を拡張支配するために霊的協助をしながら、その背後を組んでできているのです。巫女さんたちがそういうことをやってきたのです。巫女はみんな女です。女は悪い淫行の子供をみんなつないでいるのです。巫女は一人の男だけではなく、たくさんの男を連れ込んで悪いことを繁殖して、サタンの平面的堕落の基盤を拡張してきたのです。そういうことをみんな知ると、よく歴史が分かるので、いかに処理すべきかということもみんな分かるのです。
「真の父母と成約時代」の宣布と安着
蕩減ということが分かりましたね? (はい)。エバ国家になるには、蕩減復帰の原則によって、その胎中にカイン・アベルがなければならないのです。胎中で戦って、長子が生まれ次子が生まれるのですが、胎中から次子が長子を屈伏させて生まれてくるのです。ですから民団を中心として、朝総連を教育していくのです。「世界平和青年連合」をつくっていくのです。それで、卒業生はサタン側に近いからカインであり、大学生がアベルです。
このようにして、個人的レベルから家庭、氏族へと、これらはみんな家族なのです。個人的家庭、家庭的家庭、氏族的家庭、民族的家庭へと、みんな家庭を中心としてつなぐのです。全世界は偽りの母によって生まれてきたのですから、再び真の母の胎中に帰って、生まれ直したという条件を中心として、カイン・アベルの紛争のない統一圏をつくらなければならないのです。大学では学生と青年が一つになり、横的に家庭を中心としては、母を中心に中高生がアベルであり、社会の中間にいる大学生はカインとして一つにならなければならないのです。
母の使命を果たせないから、母が悪いから、こういう悪い世界になっているのです。フリーセックスも母が悪いからです。そういうふうに女が身を売りながらやってきたことの拡大が、フリーセックス圏につながっているのです。ですから、女性の絶対責任追及をしなければならないので、「世界平和女性連合」ができました。蕩減復帰のためにです。
それで横的にカイン・アベルが一つになった場合に、それを大きいアベルとして、青年たちを一つに包むことによって家庭的統一をなし、母たちが八段階の国家的家庭の青年たちを一つにするのです。男たちは天使長ですから、切ってしまわなければならないのです。天使長ではなく、再臨の主が真の旦那さんとして立つのですから、それと一つになった場合には、それが救援摂理の完成です。復帰摂理完成は、天使長、サタン的な立場を切ってしまわなければならないのです。そういう問題をどう解決するかというのです。この大変な世界的問題を理論的に整理して、きれいに整えておかなければならないのです。
エデンの園で、サタンが家庭理想圏に侵入しなかったと同じように、サタンを全滅させて、その姿も消し去るように切り替えていかなければならないのです。世界的国家群が、エバの国として、アベルの国として、カインの国として、相対的に戦った日独伊なのですが、今や統一圏によって、それらがみんな平面的に真の父母を中心として家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで一つになったので、神様と共に天宙的勝利圏をなして、神様を真のお父さんとしてお連れして、世界的エバ国家と世界的カイン・アベルが一つになって、平面的に戻っていくのです。家庭基盤が大切なのです。
定着は、国家基盤ではないのです。エデンの園は家庭から出発したのだから、家庭基盤に帰っていって、そこで定着するのです。そのように、家庭から定着することによって、家庭から堕落をなくして、完成した家庭、完成した氏族、民族、国家、世界、天宙、神様を中心として、世界を一つとして帰っていくのです。上から来た場合には、下から帰っていくのです。下から来た場合には、上からです。左から来た場合には、右から帰っていくのです。
それは、出発当時に反対する者がいなかったように準備していくのです。そして最高基準から、再臨の主が来られて変えていくことによって、家庭定着をするのです。元のエデンの園の基盤で出発することによって、神様が完全に蕩減復帰したことになるのです。
そして、平面的に個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家完成をなせば、神様が行ったり来たりしても逆らう者がいないのです。真の父母もそうだし、真の父母の子女もそうです。真の家庭を中心として一つになったので、父母と子供が一つになった場合には、それを連れて個人から世界を往来しても、サタンが讒訴条件をつけられないような立場に立つことによって、地上天国が成立するのです。
ですから今日の「真の父母と成約時代」の宣布と、「真の父母と成約時代の安着」という内容は恐ろしいことなのです。個人から天宙へ、また霊界へ行った個人、家庭圏から、氏族、民族が地上に下りてきて、一つになっていくのです。
今まで、悪の心が急速に反対のほうに傾いたのは、先祖が働いたからです。霊界は天使長と同じです。天使長はアダム家庭完成のために養育を担当する使命があったので、先祖たちは天使長の代わりに、後孫のアダム・エバを頼って協助するのです。天使長はカインとして先につくられたのです。アダムは後につくられたのです。カインはアダムを保護して、祝福の場まで養育して神様につなぐ使命があったのですが、その途中で失敗したので、その蕩減復帰として、アダム世界の後孫たちを、先祖たちが天使長のようになって完全に保護し養育すれば、堕落のようなことはあり得ないとみんな知っているのです。そのために、いかに犠牲を払ってきたかということを知っているので、先祖たちは君たちの家庭を守っていくのです。
それで、今まで悪辣なものだった心が、いっぺんに神様のほうに帰ってくるのです。サタンを除外したので、良心のほうは神様と相対的になるのです。磁石でいえば、プラス・マイナスが引き合って一つになるように、地上の者がマイナスの立場に立って、プラスの霊界の先祖の援助によって、今までの方向から一八〇度転換することも易しくなっていくのです。それで今は、四十年前とは天地の差があるのです。昔はみんなが反発したのに、今は自動的に吸収されていくのです。そのようになっていくのです。
世界国家群時代の到来
このように、歴史を明らかに知ることによって、天上も地上も、自由闊歩して、どこへでも行けるようになるのです。その基準によって自由が生まれ、そしてその相対の個人、家庭から幸福が始まり、その幸福が世界に連結されるのです。幸福、希望、平和、統一が家庭を中心としてなされていくので、それを知っているサタンが全世界の家庭を全滅崩壊させようとするのです。家庭を崩壊させるとともに、神様がつくった連合国家群をみんなめちゃくちゃに崩壊してしまったのです。それを、文先生が再び統一するのです。
一九四〇年圏を探して、英米仏を失ったのではなく、英米仏のキリスト教文化圏の代わりに、統一文化圏の統一教会を中心とした基台をつくってきたのです。ですから統一教会のとどまる新しい国の基台を、きょう決めるという通達を世界的にある国と約束しているのです。先生は、サタン的な国の基盤を背負った所にはいたくないのです。新しい国、世界を代表したUN(国連)を引き連れていく国を創造しなければならないのです。そういう計画をしているのです。
そのような国ができた場合には、一番困っている国を先進国家群と共に入れてあげるのです。先生は、科学技術の平準化をなして、国家建設ができる以上の力を持っているのです。
経済貿易は、「各国の頂上会議を通して、助け合うように」と、先生はそういうことをしているのです。それで、アジアの国も一つになっていくのです。それは南米でもアフリカでもいいのです。十五年間そういうことをしてきたのです。そこでは、三パーセント以上儲けることはできません。生活ができればいいのです。十五年たってみた時に、そこに工場を造ったりして、平等にプラス・マイナスにしてあげるのです。経済を中心として、統一の世界国家群が生まれてくるのです。それを先生の数十年の経済界の理論としてたたえて、多くの人たちが評価しているのです。
そうなると、先進国家群は大変なのです。企業でもって金を儲けた場合には、そのまま自分の国に持って帰れば税金で八十五パーセントから一〇〇パーセントが取られるので、みんな中間国家にそれを死に金としてストップしているのです。これが数千億ドル、数兆億ドルもあるのです。企業は、金を第三国に貯金しているので使えないのです。国にも入ってこないのです。それで、これを撤廃するのです。
今からはドルが問題です。金の代わりにドルを世界の金融表示としているのですが、これがめちゃくちゃになるのです。それで不当不渡りになれば大変なことです。世界が元に戻るには、十年の月日がかかるというのです。そうなった場合に、この世界は経済的暗黒時代が到来するのです。それをいかに処置するかということで、先生は数十年間準備をしてきたのです。
こういうことをして、経済問題、政治問題を早く解決するのです。今から二〇〇年間このままでいったら、人類全滅になるのです。まず公害問題で鳥類が死んでいくのです。次に昆虫はもちろん、人間も死んでいくのです。あなたたちもそうです。公害は大変な問題です。今回、旧ソビエトが日本海に核エネルギー廃棄物を投げたとして、韓国では大変だったのです。「魚は食べるな」と言って大変でした。しかし、日本は十倍以上の廃棄物を日本海に捨てているのです。大変なことです。一国のみの利益をむさぼるサタン的なことは、地上から除去してしまわなければならない緊急時に入りました。
今や戦後五十年の間に、公害病などで大変なことになりました。このまま一国の自由勝手に放りっぱなしにした場合には、二〇〇年もしないうちに人類は滅亡です。生物は滅亡です。空気が濁るし、水も濁るのです。これをどうしますか? 煤煙によって空気が汚れているのです。オゾン層がどんどん、どんどん破壊されているのです。大変な危機一髪のところに立っている人類は、今こそ覚醒しなければなりません。いやでも何でも世界統合でもって、政権者が法的処置でもって制限しなければならない緊急時に入ったのです。では、それを誰を中心にしてやりますか?
民族第一主義の観念を持った場合に、日本は日本民族を主体としてやろうとするので、それに反発する群れが出てくるのです。ですから、一国を越えて世界のために働いてきた、自分を犠牲にしながら世界のためにやってきた伝統的な内容を持つ群れが、その代表にならざるを得ないのです。そういう構想を持ちながら、統一教会は世界的奉仕、世界的犠牲をなしてきたので、世界的にまとめることのできる世界的中心の立場に今近づいてきているのです。ですから文先生に任せればいいのです。
ソビエトのすべての軍事化学の七十五パーセントをウクライナが持っているのですが、ウクライナの国は「文先生にすべてをまかせますから、世界平和のために使ってください」と言うのです。共産主義の後の思想的空間をどういうふうに埋めるかということは、どんな専門家でも、いかなる国でもできないのです。できればドイツがするといいのです。ドイツはソビエトを侵略しようとした国だからです。日本でもいいのです。アメリカでもいいのです。みんな怨讐として戦った国だからです。そのような怨讐圏がウクライナを救ってあげるのです。そういうことを、みんな知っているのです。
先生が「ワシントン・タイムズ」をつくった時は、裁判中の法廷のテーブルの上でした。そこで、先生を殺そうとする怨讐国家のアメリカを救うために、「ワシントン・タイムズ」創設の第一回目の支払いにサインしたのです。それは、アメリカでも有名な話になっているのです。そういうことを、みんな知っているのです。世界で「二十世紀の末期に世界平和のために戦った人はただ一人、文先生しかいない」ということは公表されているのです。あなたたちも、そういうことを知っているのでしょう? (はい)。何も知らない者が、「悪い文先生は殺してしまえ」と言っているのです。
そのような日本は、大変なのです。それで、西洋の予言者のノストラダムスとかいう者が「一九九八年には日本が滅亡する」と、予言しているのです。それが目前に、四年後に近づいているのです。日本はどうしますか? いかにして生き残るか大変です。しかし、問題は簡単なのです。文先生の後に付けば問題ありません。本当でしょうか? 日本人を前にして、こういうことを公言する男は、歴史上にいなかったのです。先生を批判してもいいのですが、神様が設定した場合には、神様が設定したその者が本物になってしまうのです。
神様の権威と面子
イエス様のことを考えた場合、イエス様はローマの植民地国家のユダヤの国に生まれて、メシヤとか何とかいう噂に追いに追われて、とうとう死んでしまったのです。十字架上で、何の実績もない立場で死んでしまいました。イエス様の残した実績は、文先生の千分の一にもなりません。書物として残っている教えは、聖書で十ページにもならないものです。それだけの内容でもって、ローマの反逆者として、宗教の反逆者として、十字架上で客死したのです。名もなく、姿も消えて、それっきりで終わると思っていたのに、死んだキリストを中心として、逆にローマを占領して、逆に東洋、西洋を占領して、世界統一文化圏をつくって、世界を一つにしたのは歴史的な事実です。
では、なぜ死んだイエス様が、そういうことをやれたのでしょうか? それはイエス様がやったのではないのです。イエス様をメシヤとして決めた神様の権威と面子があったのです。どんなに反対されても、その目的をなさなければならない神様ですから、神様の願いどおりにならざるを得ないのです。そのような内容において、キリスト教文化圏を中心として、世界を統一せざるを得ないのです。どんなに四〇〇年間のローマ帝国によるキリスト教の迫害があったとしてもです。
ローマには、カタコンベという地下墓地の悲惨な洞窟があるのです。その地下の洞窟でもって、先祖の墓の棚から流れる腐った水を避けながら、その中で四〇〇年間も戦って、ローマを転覆させたキリスト教の力は偉大なものです。
ですから統一教会も、もし文先生を真の父母として、再臨主として神様が決めたとすれば、誰がいくら反対したとしても、そのペースに従っていくしかないのです。今や世界の指導者たちが、文先生の提言を聞こうとして耳を傾けているのです。「一番の世界的な貴賓として歓迎しますので、一言私の国でお話ししてください」と言うのです。それで、巡回する順位もたくさんで決まっています。
もう蕩減の内容は分かりましたね。(はい)。このような原則を中心として、世界のすべてを整備しなければならないのです。これから、耳をすましてよく聞いてください。大変なことです。歴史を摂理歴史として、蕩減復帰歴史として現代歴史と一致させて、きれいに整理しているのです。今まで、そういうことは歴史上にないのです。文先生が歴史を通して説教してきた内容を、世界の学者はみんな求めているのです。そして、いろんな所で預言したことが、みんな当たっているのです。
先生の顔だけ見ると、嘘つきのようにも見えるのです。こんな深い内容を持って語っている中心者とは思えないのです。ですから、もし先生が嘘を言っているとしたら、みんながそれを信じているので大変なことになるのです。先生は、天宙を崩壊させる恐ろしい詐欺師の立場になるのです。もし、先生が唱えてきた真理がすべて嘘だったとすれば、世界はめちゃくちゃになるのです。そういう宣言を、世界は首を長くして待っているのです。そうなったとすれば大変なことです。
もしも、文先生の教えは嘘であり偽りであったと宣言した場合、世の中がめちゃくちゃになっても、先生の一族は生き残るのです。君たちの直系の子供たちは守ってあげるのです。日本が反対した場合も、個人的な考えからすれば、みんな三六〇度切ってしまいたいのですが、神様の考えはそうではないというのです。神様はアベルを犠牲にして、カインを救ってきた歴史があるので、日本を捨てることができないのです。こんな話をすれば時間もなくなるのですが、今話しておかないと駄目になるかもしれないから話してあげるのです。知っておかなければならない歴史の秘密なのです。
神様は今から四〇〇〇年前に、なぜ救援摂理を着手されたのでしょうか? 人類の歴史は六〇〇〇年ではないのです。何百万年でもないのです。何千万年です。そのように拡大していったのです。創世以来救援の心を持たれた愛なる神様が、なぜ今から四〇〇〇年前に着手されるようになったのでしょうか? その内的な因縁、動機は何でしょうか? 大変なことです。それは、心情問題なのです。
人間は神様の子供として、真の愛によって神様の血統を相続した直系の子供として、神様と同居しながら、直接永遠の理想を教えられながら、愛を共にして天国に入るようになっているのです。それが原則です。そういう神様の後孫として、神様の愛と一体になって、生涯をそのように生きて、移行していく所が天国なのです。そこには、家族的に入るのです。まず家族が入って、背後から氏族が入るのです。民族はその氏族の背後から入るのです。さらに民族の背後に、世界が入るようになっているのです。それが、天国に入る原則的基準です。その基準に合わないと、天国には入れません。神様は創造原則の基準を変えることはできないのです。いかに難しいことがあっても、その基準に合うような相対関係を求めなければならないし、それを復帰して再創造しなければならないということになるのです。
このサタン世界の人間は、みんな神様の姦夫です。女という字を三つ書いたら何ですか? 「姦夫」です。姦夫を知っていますか? 日本の幹部ではないのです。姦夫です。それは愛の怨讐です。あすには結婚式を挙げようとしていた人を、夕べのうちに奪い去って、子供を生ませてしまったのです。それで神様は相対者がいなくなって、今まで男やもめとしてやってきたのです。ですから神様の前には、いかなる被造世界に存在するものも関係がないのです。
神様は、万物の霊長たる人間をつくり、相対として立てて、自分よりも何千倍、何万倍の価値ある者となることを願ったのですが、今は神様が創造された宇宙のすべてのものも自分のものではないというのです。神様は、みんな被造世界を相対的につくっておいたのです。そして、それが完成することによって、神様は自分が投入したすべてを再び愛することができるようになっていたのです。投入した場合には、投入された者が注入するのです。注入して相対的愛の心を返してくるので、刺激を受けて喜ぶようになるのです。
幼い子供の時に約婚して、十歳から二十歳へと成長していった場合には、出会うたびに大きくなる互いの姿に希望が高まるように相対的に刺激されて、神様も投入されたことが愛とともに返ってくるのです。そして、もっともっと刺激されて永遠に投入し得るというのです。そのように、相対を通して愛し愛される基盤によって横的な家庭を編成して、神様は見えない永遠の世界の王様だから、実体で永遠の霊人体の王権に向かって家族と共に神様の元に帰る人が、天国に入る資格者なのです。
人間は、そのような基準を持つべきなのに、今は姦夫の子供になっているのです。それを知った時に、目からは火が飛ぶし、目玉が引っ繰り返って大変なのです。そういう憤慨の場は、愛の世界とは永遠に関係ないのです。あなたたちも、そういう者がいた場合には、歓迎する心の余裕を持てますか? それが持てるとしたら大変です。原則から脱線するような恐ろしいことになっていくのです。
神様もそういう立場ですから、そのようなサタンの子供を自分の子供より以上に愛する心を満たさないというと、元の位置に帰る道は永遠にないのです。同じくらいに愛したとしても、そういう思いが素通りしてしまったとすれば、完全に嫌になってしまうのです。ですから、自分の直系の子供より以上に愛する基準を満たさないというと、その人を越えるような愛の基準に立てないのです。ですから神様は、逆説論法の道を経てきたのです。自分の直系の子供を犠牲にして、サタン的なカインの子供を救ってあげようというのです。
アベルの伝統は愛の救済運動
それで神様は歴史上において、たくさんのアベルを死なせてきました。蕩減復帰は、カインを救うために自分の子供を死なせたのです。その痛みの傷がたくさん詰まっているのです。それで、本心の心情を思い出すたびに、先にアベルを死なせた悲しみの思い出が浮かんでくるというのです。分かりますか? そのようにたくさんのアベルを犠牲にしてきたということを考えれば、自分の直系の子供を愛することも忘れてしまうのです。アベルを死なせながら、反対される立場でも愛することによって、「私もアベルの後を継いで愛します」という、心情転覆運動を先生の一代でなしてきたのです。理解できますか?
犠牲の多い過去を考える度に、それを見て死んでいったアベルの伝統を前面に立たせて、愛の救済運動をするようになったのです。そういう思いに三六〇度が包容されて、一方通行の救援の道をつくるようになったのですから、地上ではもう、サタンも反対することができないのです。その基盤が立ったので、サタンは自動的に逃げていくようになるのです。サタンもどうにもならないのです。
それで地上に救援摂理を着手したのが、四〇〇〇年前だったのです。それ以前は、上がったり下がったりしていたのです。しかし、それを決めた以上は、堕落したという思いが入った場合には、みんな消されてしまうのです。そういうふうにして、何千万年も転覆させてきたのですから、神様の辛さ、神様の悲惨さが人類の根っこになっているのです。それを本当に体恤すれば、痛哭せざるを得ないのです。それで、涙なしに太陽を見るとすれば、太陽に恥ずかしいのです。水も飲むことができないし、空気を吸うこともできないのです。地上を踏むこともできないのです。万物を見るのも恥ずかしいというのです。そういう心情の根底を持って正しい復帰の道を行こうと思う者たちには、自分の姿勢、生活、体質をどのように処していかなければならないかということは、真剣なことです。そんなにもありがたい神様なのです。
なぜ四〇〇〇年前に、神様は摂理を着手されたのでしょうか? 愛なる神様は、それ以前にはなぜできなかったのでしょうか? 心情基準、平和の基盤を立たせるためには、何千回も繰り返しが必要だったからです。あなたたちもそうです。永遠に忘れない心情を前面に立てて、無事通行できるように、神様はたくさんのアベルを殺されながら、アベルを失いながら、カインを救うために今まで働きかけてきたのです。ですから、休んでいないで、神様を押してやらなければならないのです。そのような事情を受け持ってきたのが、復帰の道であり、摂理の道であり、救援の道であったというのです。
大変な負債をしているのです。先生から見ると、日本は立つことができないのです。そういう立場に、自動的に追い込まれていくのです。こんなことは誰も知らないことです。歴史家も知らなかったのですが、文先生によって初めて明らかにされたのです。そういう先生を迎えて直接に教わるという、その栄光は天下一品ですか、どうですか? (天下一品です)。これは、真剣なことです。
それで文先生は、こういう心情を持って神様解放をしてきたのです。個人から世界まで勝利して、神様をお迎えして家庭まで連れてきたのです。ですから神様の喜びはいかばかりでしょうか。今では、もうアベルの血を見なくてもよくなったという、その喜びはいかばかりか考えてみてください。そういう者に反対する世の中はみんな滅亡です。民主主義世界のキリスト教国家も、四十年であのようにめちゃくちゃになりました。四〇〇〇年の戦いの真っただ中で勝利の王者となった者の前に、四十年でぺちゃんこになったのです。それは、文先生に反対したからです。それを理解できますか? (はい)。本当に先生がそういう内容と資格を持っているか、いないか、自分自身にも信じられないくらいに不思議な話です。不可解な話です。
こういう蕩減復帰の宗教圏の背後の秘密を、天の秘密を知った場合には、それに責任を持たなければならないのです。天国の命令は生命をかけてでも成さなければならないのです。先生は、その総司令官のようなものです。ですから日本も反対せざるを得ないのです。サタンの世界だからです。それが、だんだんと文先生に引き寄せられて、半分以上は越えられるようになったのです。そういう内容を先生は持っていますか? (はい)。本当ですか? (はい)。先生が「そうではない」と言ってもですか? (はい)。そうなると、先生のような相対がどこにでもいるということですから、先生は死んだとしても嬉しいことです。希望を持っていいですね? (はい)。では、その希望は、神様の希望ですか、文先生の希望ですか? それは万民の愛の主人になる者の希望なのです。間違いありませんね? (はい)。
(修練会、第三日目の夜)
1995年1月19日
救援摂理は復帰摂理であり、元に帰る神の経綸
(先生が、「一、救援摂理」と板書される)この歴史は、蕩減復帰の摂理歴史なのです。ただの歴史ではないのです。摂理の観点から見れば、第一番目は救援摂理なのです。救援摂理とは、人が病気になって入院して生死の境をさまよった後に、元に帰った場合に「救援された」と言うことなのです。そうでしょう? 「救われました」と言うことは、それで元に帰ったことになるのです。今までの宗教は、救援摂理が何か知らないのです。呆然としていて、救援摂理が何かを知らなかったのです。救援摂理は復帰摂理であり、元に帰る神様の経綸なのです。
(先生が「一、復帰摂理」と板書される)では復帰するのに、でたらめに復帰するのかというと、たった一つの道しかないのです。宗教によって救援摂理、復帰摂理をするのですが、復帰摂理は元どおりに、落ちてきた道を反対に復帰するのです。落ちてきた道を反対に世界から国家、国家から民族、民族から氏族、氏族から家庭、家庭から個人というように復帰するのです。すべては家庭を失ったので、家庭でもって勝敗を決めて、世界解放までなすのです。国家基準や世界基準においては、解放とか平和とか、統一はなされないのです。最後には心身紛争する家庭基盤に戻って、それを整備しないというと失われた元の種の価値を得る道はないのです。国には、その種がないのです。
アダム家庭で元の種を失ったのだから、元の種をアダム家庭に設置することによって、それと一つにつながった一本の木の実として、たくさんなった場合にはすべて神様の倉庫に入って、同じ価値を持つ家庭になるのです。そのような家庭になれば、国家構成、民族構成に同参するのは当然なのです。ですから家庭を中心として復帰しなければならないのです。それを知っているサタンは、全世界の家庭をめちゃくちゃにしてしまいました。めちゃくちゃにしてしまったのですから、今から神様が手を下して、サタンが崩壊させたものを再創造しなければならないのです。神様が手を下して収拾する時代に移行していくのです。
万民が苦悶の声を上げて忍んでいる最中に、神様の救援摂理のすべての内容を備えた一つの宗派が生まれて、すべてを収拾していくのです。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界を率いて神の国へいくのです。その基準は、堕落した先祖のアダムの基準ではなく、堕落しなかった元の家庭の基準なのです。元の家庭として出発できるアダム・エバの基準なのです。その基準とは、心身一体になる神の愛によって、絶対に血統的に一つになるものであり、そういう心身一体となった男性と女性が、夫婦一体となっていくのです。永遠の愛に従って絶対一体になった夫婦は、和合一方きりの血統につながるので、そこに生まれた子供には兄弟紛争という概念がないのです。紛争ではなく、一つになるような後孫を持つことによって、神の血統を中心として、神の愛を中心として、三代共々が一つになるようになった基準が、天国の出発の起点だったのです。
それで、きのうも話したように、愛の根底として完成した男女の生殖器こそが、愛の本郷、生命の本郷なのです。そういう話は聞きましたね? (はい)。自分自身を中心としてはそうだけれど、それを世界的に拡大した場合には、その基準、その本場が地上天国の出発点なのです。地上天国は、そこからつながるのであり、ほかのところからつながるのではないのです。そこが地上天国、天上天国の出発点なのです。
それを犯してしまったのですから、恐ろしいことです。地上天国、天上天国は崩壊したのです。愛の宮殿すべてが崩壊されたために、みんな貴いものを失ってしまったのです。ですから、人間には悩み以外には何もないようになったのです。そのような苦悶の世界が、堕落したこの世界なのです。それらをみんな除去して、元の構想の神の国に帰らなければならないのです。
それで、神様が準備した宗教圏を中心として、肉身全滅の基台の上に心身一体の良心絶対主義を唱えるようにして、三大主体思想を中心として、「良心は両親に優る」という提言をしたのです。これは偉大な提言です。良心を引っ張りだこにしていたものが、今から終わりになるのです。愛を求めて、愛と良心に帰依した人間として、自分の良心の愛の価値を天とつなぐ道を発見したのですから、両親に優るその道をたどっていかなければならないのです。
次に「良心は先生に優る」と言うのですが、文先生は必要ですか? (必要です)。良心が先生に優ると言った場合には、良心が本来の真の愛と一体になった者には先生が要らないということです。神様の主管圏に入らなくても、自動的に神様の願う道を行けるようになっているのです。ですから、文先生も要らないというのです。君たち自体が真の父母になるのです。しかし、その切り替えの接ぎ木がなされて要ないから、蕩減復帰完成の解放圏になっていないから、先生の指導方針が必要なのですが、それ以降は必要でなくなるのです。先生に優る哲理を自分のものとして直行していけば、一人になっても先生以上の立場で行けるのです。
よく考えてみてください。何十年間も海洋を横断する輸送船も、その船が航海中に誤って暗礁にぶつかって破船するようなことになる場合、そのことを船長も知らないし、乗組員も知らないし、誰も知らない時であっても、その船に住む鼠はそのことを既に知って、陸地に逃げていくという話を聞いたことがありますか? (はい)。それが歴史の事実なのです。何の目標もないような鼠たちであっても、自分の生命を保持する力を持っているのに、万物の霊長たる人間はどうでしょうか? これで、何が万物の霊長ですか! 何が人間ですか! 自分の生命の行く末も何も知らないのです。
本当は、自動的に分かるようになっているのです。自分は将来に何をやるべきか、これからぶつかるすべての問題は、正面の焦点の三角に向かい、その三点が中間の一点に寄って、その事態が見える場合には、すべてが完全にできるのです。それを絶対に信じてどんなことでも冒険してやれば、すべてがそのようになるのです。
日本の女性たちの十六万人の教育であっても、歓迎した者は誰もいなかったのです。みんなできると信じていましたか? (はい)。大きなことを言ってはなりません。信じた者はいないのです。先生は独りぽっちで寂しいことをなしつつ、蕩減を越えてきたのです。それも完全に終わったので、今からは三十二万人の解放です。あなたたちも、自分を中心として二十人くらいは関係を持っているのです。多い人は一二〇名、二〇〇名、数百名と関係を持っているのですね。
本当にこの道が正しく、この道が永遠の生命、永生の道につながることが分かり、また今生きているのは死亡と地獄につながる道だということが本当に分かった場合には、もう眠れないのです。もし周辺で誰かが死んだとすれば、それはもう三日間、葬儀が終わるまで眠ることができないのです。「いやー、罪を犯している」と。もし霊界に行った場合に、「君は、文先生のことを何十年も前から啓示で伝えてきたのに、なぜ口をつぐんで語らなかったのか? この者!」と、サタンと同じように讒訴してきたら、どうしますか? 「生きて天国に入る梯子になるべきなのに、何だ、この者!」と言われたら、どうしますか?
万民共に兄弟愛で抱擁していくのが先生の教えであり、神様の教えです。一日中み言を聞いてみて、その内容、骨子を否定できない以上は、これからどうしますか? 周囲の村の人々も大変だし、自分の親とか兄弟が「この野郎!」と言って反対するからといって、周辺を恐れて正しいことに口をつぐんだら、先祖たちが「この野郎!」と、大変です。
一族を解放すれば、地上が解放されるので霊界も解放されるのです。霊界は何千万年も苦しい中で待っているのです。自分の後孫が何とか統一教会につながって、発電所の送電線のようになって、電灯を灯せばみんなが明るくなるのに、「統一教会の発電所に、私たちになぜつなげなかったのか」と、先祖たちが大変です。霊界に行ってみなさい。そうか、そうではないか? 先生はそれを知っているのです。
宗教を統一して、万民共々に未熟な宗教圏を解放すべき全体的な神の召命を否認して倒れた場合には、全宇宙、全歴史のすべての讒訴圏を逃れることができないのです。そして、最後には神様からも追放されるのです。どうしますか、自信がありますか?
ですから、迫害の時に、いっぺんに消化してしまうことです。堂々と打ち勝っていくのです。文先生には、反対を受けるような悪いことは何もないのです。人々は知らないから反対するのです。ですから、熱心に反対する者以上に熱心に方向を切り替えした場合には、文先生より以上のものを世の中に残すことができるのです。君たちは反対する者に対して、肚をもって宣言すべきですか、躊躇して後退すべきですか? (肚をもって宣言すべきです)。
救援摂理には再創造摂理の公式が必要
復帰摂理は、ただではできないのです。(先生が「一、再創造摂理」と板書される)工場で生産したものが故障した場合には、再びブループリントを通して、元のコースを通過しないと完成品は永遠に満たされません。これは理論に合った話です。
救援摂理は再創造摂理です。再創造は、誰にでもめちゃくちゃにできるものではありません。ブループリントのとおりにたどっていかなければならないのです。これをいかに圧縮して、簡単明瞭に、誰にでも分かるような公式として満たすかというのです。それが必要なのです。蕩減公式、救援公式、復帰公式、創造公式です。その公式は、どこにでも通じるものであり、そのような公式が必要なのです。
旧約時代は、誰もそれが復帰摂理だと思った人はいないのです。分かりますか? その元をはっきり知らないと復帰摂理はできないのですから、再創造のブループリントを経て、そのとおりにいかなければならないのです。これは、理論的です。それに反対する者がいますか? (いません)。
そのような公式を引き出すのは、大変なことです。現代の文明も公式の上に成り立っているのです。公式は単位を組み合わせることによって編成されるのです。規定がそうなっているのです。現代文明の発展は、公式のつながりによる発展なのです。公式を抜いて現代文明は成り立ちません。
それでは、これを圧縮してみた場合に、どうなるでしょうか? 神様は創造するために何をやったのかというと、まずもって環境をつくりました。環境には何がありますか? 太陽があるのです。生物が存続するためには、なくてはならない絶対要素の太陽があります。それから空気があります。水もあります。それから土もあります。生物が絶対に生息するためには、これらが一つ欠けてもみんなめちゃくちゃになるのです。太陽がなくてはめちゃくちゃです。空気がなくてはめちゃくちゃです。水がなくてはめちゃくちゃです。土がなくてはめちゃくちゃです。神様は、まずこういう環境をつくりました。
皆さんは、その環境を金を払って使っていますか、金を払わずに使っていますか? もし太陽の光を買うとすれば、どのくらい金を払ったらいいでしょうか? 大変なことです。もし空気がなかったら大変なことです。二分、三分でも大変なのに、七分も空気がなくなったら、みんななくなってしまうのです。
また空気がデモをするとすれば、世界で一番恐ろしいことです。神様は空気もまとめる力があるのです。現代の地震でも二十秒以内に、あのような十兆円もの損害を出したのです。それで被害を被った人々は四万人にもなっているというのです。死んだ者は今や四〇〇〇人近くになると発表されているのです。大変なことです。「日本の建築は地震に関係ない」と威張っていたけれど、建物も高速道路もぺちゃんこになってしまったのです。人間は自然の威力には勝てないのですから、大きなことを言ってはなりません。真剣なことです。ですから、環境のすべてを保護しながら、それを絶対に愛さなければならないというのです。そのようにしてきましたか? きれいな水はきれいなままに守ってあげられる主人にならなければならないのです。
日本にも海水浴場がありますね。そこには何十万人も集まるのですが、そこに集まった女も男も、小便はどこでするのですか? 水の中でそのままするのですか? (笑い)ちゃんと便所に行って、みんな済ませて水に入るのですか? あなたたちはどうやってきたのですか? 聞かれても恥じることではありません。率直に言ったほうが信頼される基台になるのです。どうですか? 水の中でしましたか、便所でしましたか? (笑い)
もし世界的な海水浴場の中心の砂場に何十万人も集まった時に、そこの海水を汲んできて、「この中に小便が何パーセント入っています」と発表したらどうなりますか? いっぺんに打たれるのです。そうなれば、先生も世界的に有名な言論を通して打ち返さなければならないので大変です。みんな海辺で悪いことばっかりしているのです。男も女も、そうでしょう? あなたたちも海水浴に行って、その道にならって何でもやるのですね。
そういう者たちを崩壊させるために、先生は「ワシントン・タイムズ」で、世界の転覆運動をしなければならないのです。そうして「文先生は、またやったか!」と、海水浴場の怨讐退治作戦をするのです。先生は、そういうことが大好きです。それをしなければ眠れないのです。そういうことが、みんなの目の前に見えるので大変です。
指導者になるための三大要件
「文先生は六回も入獄した」と、聞こえてくる話は悪いのですが、みんな無罪釈放なのです。ただアメリカにいただけで引っかかってしまったのです。それは悪いことではないのです。牧師さんたちは未来の教会をつくるために、自分の名前で献金を貯金するようになっているのです。銀行に一般の教会の牧師が献金を貯金した数は全国で何十万になるにもかかわらず、文先生の名前で献金を貯金したのは罪だというのです。それは献金ではなく、自分の金として利子を使ってしまったのだから脱税だと言ってきたのです。そんな馬鹿な話はありません。
しかし、今では弁護士界は先生の友達になっているし、政府の官僚で正義を唱える者は先生の弟子になっているのです。「過去に反対していた共産党の首を切れ、教会撲滅運動をやった者や学校で反対した群れを掃除せよ」という「ワシントン・タイムズ」の主張に、下院議長も上院議長も、国会議員全体がサインしなければならないようになっているのです。「父母の日」を決定した時と同じようにです。
それで代表が旗揚げをして、共産圏の中でもって宗教を無視してきた人本主義を打倒するのです。人本主義は触覚を刺激する快楽主義です。フリーセックスなどでサタンの傷の残った者を崩壊させて、正しく指導するのが「ワシントン・タイムズ」です。その「ワシントン・タイムズ」のセンターが文先生です。
先生は大変です。縦横無尽にたくさんの方向を防備して、世界の安着点を正していくことをやっているのです。ですから、あなたたちが日本に帰っても、一かけらでも先生に思い煩わせるようなことがないようにしますか、しませんか? 先生が頼まなくてもー? (します)。ありがたいことです。日本人は頭が良いですね。外交官のような良い観をしているし、本当に素晴らしいセンスをしています。
文先生に反対して残るものは何ですか? いくら反対しても、文先生はだんだん大きくなっていくのです。ここまで来て、途中で後退する文先生だと思いますか? (いいえ)。とてつもない人であり、黙っていても、すべてを鎮めてしまう力を持っているのです。サタン世界のことをよく知っているのです。サタンは、力の平均が上になった場合には必ず攻撃してくるのです。それをいつも念頭に入れて、防備策を準備しているのです。先生は、そう簡単にはいきません。
これからは、先生みたいに教育する指導者になりなさい。日本に帰って、五〇〇〇名を五万名にするのです。日本を復帰するために何千万人も教育できる建物を、東京に一つだけではなくて、十ぐらい借りなければならないのです。それで協力してもらえるように説得するのです。指導者は経済自立能力、外交能力、説得能力がなければなりません。この三大要件を満たさない者は指導者になれません。先生はどんなに反対される最中においても、経済の確立をなして自給自足の基盤をつくってきました。
「文先生は金持ちだ」という噂を聞いたことのない人は手を挙げてください? (…)一人もいないですね。それから、「文先生は説得能力があるので、耳を貸したら大変なことになる。洗脳される。ブレーンウォッシュされる。どうか、そういうことをしないようにお願いいたします」と、大変なのです。文先生は説得能力があるので、五〇〇〇名も一度に説得できるのです。もう説得されましたか? (はい)。気持ちが悪いですか、気持ちがいいですか? (気持ちがいいです)。
説得能力の次は、外交能力です。日本は緊急な時代ですから、裸一貫になって日本の中心を説得すれば、日本の国は行ったり来たり、上がったり? (下がったり)、死んだり?(生きたり)。それで、「全国民は、一つになって、統一教会の祝福を何月何日に受けるようにしましょう!」と言えば、どうしますか? 共産党は反対するのですが、反対してなくなるのです。文先生は、直ちに一億二千万人を祝福することができます。国がいっぺんに復帰されるのです。個人復帰の時代ではないのです。韓国も今や「個人を伝道するよりも国家を動かし、各部署の長官、大臣を自分の弟子にしなさい」というようなことをやっているのです。
先生はアメリカで大統領を相手に戦いました。ニクソン救済問題、それからカーター大統領です。
日本においても、統一教会に反対した者のメモはみんな先生の手に入っているのです。CIAやFBIが裁判で使った資料も、全部先生の倉庫に入っているのです。そのメモを公開すれば、みんな大変です。そのために、「ワシントン・タイムズ」という巨大な宣伝媒体を持っているのですが、先生はそれは使いません。常に正々堂々と一人でやってきたのです。
また、韓国の秘密もみんな分かっているのです。アメリカの人脈でみんな調査したのです。何回目には誰が総理になり、誰が局長になり、誰が次官になり、何々の大臣になるに違いないという人脈調査も入っているのです。日本のことも入っています。まず知らなければならないのです。敵を知らなければ勝利できないのです。もし敵をはっきり知らないで処理を誤った場合には、歴史的犯罪の汚点を残して恐ろしいことになるのです。はっきりと分析し検討した上で、堂々と処理していかなければならないのです。そう思えば、先生は恐ろしい男です。本当に恐ろしい男です。先生には、何でもやってやれないことはないのです。それで恐れられているのです。
エバ国家の摂理の勝利の旗を掲げよう
十六万の組織力については、「そんなことは簡単にはできない」と天使長も笑っているということも知っています。しかし、そうはいきません。では、三十二万の男をどうしますか? 一人の女が二人の男と関係したのですから、エバを中心として天使長がアダムを横に流して死亡圏に没落させたので、それを救済するには、十六万の女はどんなことがあっても男性二人を連れて来なければならないのです。これは先生の話ではないのです。エバ国家が決定すべきことです。いかに完成基準に方向を転回して正していくかという摂理的召命運命観でもって、そういうことを決めたのです。
男たちは、どうすればいいですか? 三十二万の峠を越えるべきですか、どうでもいいのですか? (越えるべきです)。本当ですか? 君たちが四〇〇〇人だとすれば、何倍になりますか? (八十倍です)。それは十六万人の何倍ですか? (二倍です)。二倍なのです。それは、みんな女性たちが聞いて知っているのです。女性を無視しないでください。
日本に帰ったら、女を全面解放しなさい。統一教会の女性は、ほかの男と三角関係などは絶対になりません。分かりましたか? (はい)。そういう心配がなくなった場合には、昼夜その町をかけ回ったとしても、その町は悪くなりません。日本列島を生かすことを批判し、判断をするような滅亡の道とはつながりません。それは、間違いなく保証します。
今や、大学の共産党運動圏の代表たちが先生を中心に、北京でもって北韓の学生一二〇名、韓国の二〇〇名、世界各国から七〇〇名が集まって「世界平和青年連合」を宣言する時代です。一六〇国家の共産圏と民主主義圏はカイン・アベルです。怨讐たちが抱き合って、真の父母を中心として一つになる世界的な青年となった場合には、世界は新しい方向に向かっていくのです。
韓半島の南北の政治的解決は、頂上会見ではできません。高等学校と大学を卒業した青年たちが一つになることによって、完全に国家を超えた新しい世界につなぐ道ができるということが、この世の政治家や経済家には分からないのです。このような原理的な道は、そのとおりになる道です。
あなたたちの奥さん、日本の十六万人の女たちはみんな、そのことを教育されて帰ったのですから、何もしないで休んでいる状況ではないのです。日本の国内で、このような修練会を三回開いた場合には、日本は変わります。それで今、韓国の指導者が行っているのです。エバ国家の方向をまとめなければなりません。いかに天使長が反対しても、民団の代表を立てて、そのことをなさなければならないのです。民団とつながなければ、生き残る道はないのです。
イスラエル民族はエジプトにおいて、四三〇年の苦労の後に、六十万のユダヤの民とエジプトを一つにして、天国をつくる主体国になるべきでした。エジプトの地の財産とともに、いろんな罪を犯した蕩減の値を知って、自分たちがイスラエルの国家建設を成すという考えを持ったならば、エジプトが世界の中心国家になったのです。それと同じように、日本はエジプトの国なのです。
韓国から見た場合に、民団などは徴兵でもって、二百万人以上連れていかれた人々なのです。それで、大東亜戦争で日本の若者たちがみんな死んでしまって、寡婦ばかりになった中で、みんな養子となって、日本の名前に変えて日本の言葉を使って、日本の肩書きを持つようになったのです。ですから、民団が一度傾いた場合には、その者たちがみんな統一教会の文先生の後につくようになるのです。そこで、「一つになりなさい」と言えば、日本は大変です。悪辣な侵略国家として烙印を押された歴史は、世界的に否定できないのです。いくら日本が宣伝してもできません。
先生は、一晩にテレビでもって世界を変えていく基盤もつくりました。言論界から打たれた文先生は、言論界を正面から正義でもって屈伏させなければ天下を治められないのです。これは、アメリカの先進国家のことです。蕩減原則のとおりに行かなければならないということを知っているので、言論界にテレビ会社もつくったのです。それは、二千万人の聴衆を持っている会社です。十三年前から準備してきたのです。それは、一つだけではありません。
ワシントンなどに行った場合に、四大テレビの会社など、プロデュース、制作専門の会社を幾つも持っているのです。それも、みんなワシントンの重要部にあるのです。プレスセンターを知っていますか? 新聞記者センターです。そのセンターの放送局は、文先生の放送をしています。プレスセンターに大きな七メートル以上のアンテナを二つ付けて、人工衛星で世界各国に放送している会社です。それを信じられますか、初めて聞く話でしょう? (はい)。
共産圏の人々は、民主世界のことをみんな消してしまおうとするのです。みんなめちゃくちゃにするので、その放送権を手に入れるには大変なことでした。先生が大会を開いて三万人が集まったのに、零を一つ消して三〇〇〇人が集まったと放送するのです。言葉にしても、いいことをしたのに、「悪いことをやった」と言葉をすり替えてしまうのです。それで、抗議しても「ああ、それは編集のほうで間違って、そう言ったのだから自分たちには責任がない」と、そういうことを何回もやってきたのです。ですから仕方なく、どんな難しい中でもそれを手に入れて、正義の基準において判断させなければならないのです。そういう戦いをしてきました。
それが、文先生の手に入ったので、ワシントンはもう大混乱です。それはもう、日本など問題ではありません。「言論界を占領するレバレンド・ムーンだ! 悪辣な独裁者の手に入った場合には、世界の言論界、アメリカ世界はすべてめちゃくちゃになる」と言うのですが、そうはいきません。今になっては、誰もが「賛成、賛成。文先生の手に入って良かった」と言っています。分かりますか? (はい)。
そういうテレビ番組をプロデュースする会社を幾つも持っているのです。その一つはアトランタに本部があり、二十四時間放送できる会社です。嘘みたいな話ですが、初めて聞くのですね。ワシントン、ニューヨークを中心として、一日も休まずに、いつも世界的に宣伝できる会社を持っているのです。
そういうことを今でもやっているのです。北韓に行けるのは、文先生の許可を得た者だけです。日本でもそうです。先生一人で、国家のできないこともやってきました。ですから寝る暇もないし、遊ぶ暇もないのです。こういう忙しい先生なのに、日本のために二年間も飛ばしました。これは、統一教会自体の大変な損害です。本当は何をやるべきかというと、ジャンボ機を借りて、世界の最高クラスの人々を三八〇人ずつ動員して、文化世界をつくるのです。それを十数回やれば、一年以内にできるのです。このような計画も日本のために延長しているのです。先生はただ素通りすることができない立場であることを知ってほしいのです。
ですから、今までの歴史上にない、東洋世界に例のない宗教指導者として、十六万人の理論的な世界的女性連合ができたのです。それで日本の女性は、母の心情でもって、世界の国々に行って乳を飲ませるのです。大使館を天使長に立てていくのです。大使館は自国の利益のためにだけあるのではないのです。母親の立場で、大使館を天使長として立てて、その国の利益となる乳を飲ませて伝統を立てるのです。
そのために女性が、一六〇か国に代表として行っているのです。それで、みんなが毎日報告してくるのですが、すべてを世界的につなぐために先生はやっているのに、それを切ろうとしているのです。君たちはどうしますか? 男として、堕落した天使長のほうに歩調を合わせますか、アベルの立場を天地に確立して、カイン的な天使長を消化しますか? もう暇がないのです。短期間のうちにつくり上げなければならないのです。それが先生の日本救済です。
エバ国家の救済のために、男を二人ずつ伝道して三十二万にした場合には、統一教会のメンバーを中心として五十万世帯ができるのです。一世帯を四人とすれば、二百万が復帰されるのです。それを三年以内に二千万、十倍以上にするのです。その時は、「なぜ文先生を入れないのか」と叱るのです。そうなったら、もう大変です。おしまいです。ですから恐ろしいのです。指導者は慎重に決断しなければならないのです。分かりましたか? (はい)歴史が引っかかっているのです。それで慎重なのです。こういう話を聞いて日本に帰ったならば、一人が十人を目標に、一族、友達、親戚の従兄弟など復帰すれば、何十人も何百人もつながってくる基盤になるのです。
そのような価値を知って、日本救済、エバ国家摂理の勝利の旗を掲げる神様の相対として、世界を風靡させるような天運を持つ日本人の男として、堕落した天使長の後継者になるか、それとも完成したアダムの理想国家の後継者になるのかというのです。どうしますか? 反対する日本に歩調を合わせて堕落天使長の立場に立ちますか、アダムの方向に歩調を合わせる天使長になりますか? どっちですか? (アダムのほうです)。真剣なことです。日本人に正面きってこう言うのは、日本自体が反対していることを知っているからです。はっきり言っておきます。これは、文先生の宇宙的宣言です。
アベルを犠牲にしてもカインを救う神の摂理
きょうは何日ですか? 一九九五年の一月十八日ですか? (十九日です)。
先生はあすアメリカに行きます。二十三日には、日本の上層クラスの女性たち四〇〇〇名がアメリカに来るのです。外交舞台がだんだん、だんだん危なくなってきているのです。日本の外交は、アメリカを消化できる何も持っていません。歴史的戦後五十年の怨讐圏の恨みが正面的にぶつかって、「力で押していけ」と、今や訴えているのです。ですから、今年は戦後五十年目の記念として、何を表題として日米関係を結ぼうかと大変なのです。それは、日本にもなければアメリカにもないのです。そのような中で、「文先生が乗り出して、また天才的な文先生が世界を狙って動きだした。女性連合の旗揚げをして、全世界の優秀な女性を集めようとしている。恐ろしい!」と唱えているのです。大変です。
その戦いの真っただ中に立って、この前、韓国と日本が姉妹関係を結んだのです。これからアメリカと日本、天使長の国とエバの国が姉妹結縁を結ぶのです。日本の周辺には、天使長が三人いるのです。中共はアジアの天使長であり、ソビエトはサタン的な悪魔の天使長です。そしてアメリカは、神側の天使長なのです。エバが堕落したため相対圏がないままに繁殖したのですから、日本の女性がその基盤をつくらなければ、エバ国にはなれません。このことは、理論的にも詳細に説明すれば、みんな一〇〇パーセント分かるようになっているのです。こういう飛躍的な結論だけを聞いても分からなければ、今からでも、もっと文先生に対して研究しなければなりません。
神様はローマ法王を中心として、キリスト教によって世界統一を計画されたのです。世界的なローマを中心として、世界を統一する基盤をつくりました。しかし、それが失敗したのはなぜかというと、「キリスト教の勝利的世界基盤は、ローマのためにできたものである」と、ローマが思ったことです。ローマは、世界よりもローマのことを考えたのです。しかし、神様の願いはそうではないのです。カイン・アベルの伝統的精神から見て、アベル的な者を犠牲にしてもカイン的な者を救済するという公式ができているのです。ローマ自体を犠牲にしても世界を救おうとされる神の摂理の方向を知らなかったからです。
そこで問題は、人間の考えと神の摂理の意向が違った場合には、落とされていくということです。そのため、ローマの半島文明から、島嶼文明のイギリスに落ちていったのです。分かりますか? 大陸へつながった半島圏のローマから、海のほうに落ちていったのです。それが、イギリスの出発なのです。イギリスは十六世紀に海洋政策をもって、エリザベス女王を中心として先頭を切ったのです。海賊ではなくキリスト教精神で五大洋を占領して、救援しようという思いをもって世界に出発したので、神様が世界制覇を成すようにと祝福されたのです。あのように小さな島国が世界を抱えたということは、島国イギリスのアングロサクソン民族が偉いからではないのです。背後に神様がいてなされた結果、そうなったというのです。先生は、はっきりと知っています。
そのイギリスも陽の没することのないという、五大洋、六大州につくった大英帝国の基盤を、イギリス自体の基盤だと思ったのです。それが、神様による世界救済の基盤であり、イギリスを犠牲にしたとしても世界救済をすべきだという、神の摂理の意向があることをイギリスは知らなかったのです。
世界を救済する頂点に立った国であっても、その使命を果たせなければ、再び分かれて移行していくのです。それが旧教と新教の戦いなのです。神はキリスト教を分割して、アベルとしてアメリカに移行して、一二〇人を立てて、さらに一二〇名から四十一名を選び新しい国の出発をなす人々として、今のアメリカの国を出発させたのです。これは夢みたいな話です。
この四十一名の決意した少数の者を中心として、世界の指導的主体国家として第二次大戦の栄光を一身に抱えるようにしたのは、アメリカ民族が偉いからではないのです。アメリカ民族は旧教と戦うために、旧教圏のプロテスタントの国々で反対される新教の代表を、全部アメリカに総合して国をつくったのです。そこでは、国教を重視するのです。そして人種総合の合衆国なのです。多数の民族が宗教や文化を超えて、また人種を超えてすべてを総合して、神の理想国家の地上天国模型国家をつくったのです。
そのアメリカ自体も、そのような栄光の立場に立って再臨主を迎えなければならないということが分からなかったのです。反対して、文先生を荒野に追い出してしまったのです。しかし、その文先生を中心として、世界は平和な統一世界になるようになっているのです。
日本の立場と神のみ旨
そこで、日本の立場はどうなっていたかというと、日本は敗戦国として、四大国家に弁償しなければならなかったのです。それで、みんなが分かれていくようになっていたのです。そして女たちはみんな召し使いや奴隷になって、日本の地を思いながら、月を見てたくさんの涙を流したというのです。今日、日本民族が偉いから、こうなったと思ったら大間違いです。世界の先頭に立っていたアメリカが間違ったからです。アメリカは二〇〇〇年、四〇〇〇年の歴史を経て、サタンと戦って、正気溌剌と勝利の旗を掲げて、世界をまとめる基準に立つべきだったのです。キリスト教から見ても、殉教の血を流して四〇〇年でローマ帝国を屈伏させた、神の保護を受けた伝統に立つアメリカだったのです。最上の王者の立場に立ち、栄光を一身に受けて、世界が尊重する立場に立って、世界を指揮すべき主体なるアメリカが、なぜ四十年でみんな希望なき地獄の地と化してしまったかというと、それは文先生に反対したからです。
もし、今から五十年前に、このような内容をアメリカの人々に解説していた場合は、一晩で回ったのです。旧約聖書、新約聖書の分かる人は、未知の世界がみんな公式的につながるので否定できないのです。それで、一九七九年に世界的神学者、七十三か国の最高の神学者たちを集めて、統一教会についての討論でもって、完全に屈伏させているのです。「自分たちが唱えてきたものは今や何ものでもない。これはもう嘘の嘘である」、「統一教会が、こんなにも素晴らしいとは知らなかった。今からは統一教会の後に、全世界のキリスト教はついて行かなければならないということがはっきり分かりました」と宣言しているのです。
ですから、もしアメリカが先生を迎えた場合は、旧教も新教も、すべてが一つになったのです。それを知らない者が、過ちを犯して国を滅ぼしてしまうのです。そのアメリカが、文先生に反対したために、めちゃくちゃになってしまいました。フリーセックス、ホモセクシアル、レスビアン、麻薬などの国になっているのです。中国の青年をアヘンでもって、みんな滅亡させる種をまいたので、蕩減原則によって、アングロサクソン民族は蕩減復帰しなければならないのです。そのように、歴史は絶対に見逃さないで蕩減させていくのです。
日本民族は、敵討ちにおいての世界的チャンピオンです。これは、先生とまるっきり反対です。先生は怨讐を愛せと言うのです。そのようなチャンピオンの日本民族が先生と一つになったら、どうなると思いますか? 敵同士が、僕になってもいいという感謝の世界が生まれてくるのです。それを、みんな理論的に収拾しないといけないのです。呆然としていては、完成圏には到達できません。はっきりと公式化された定義の上に立って、ジャンピングすることによって、間違いなく向こうの足場に飛べるのです。もしも飛ぶ時に足場が崩れたらどうしますか? そういうことも考えて海を渡っていかなければならないのです。堕落の運命を背負っている人間は嫌でも何でも、生死をかけてその海を越えていかなければならないのです。
先生を英米仏が追い出したので、サタンが上のほうを取ったので、神様はサタンの使い残しを取らざるを得ないのです。日本自体も、戦後はみんな焼け野原になってしまったし、ドイツも焼け野原になっていたのです。そこになぜアメリカを加えたのかというと、アメリカは先生の怨讐であり、神様の怨讐だからです。文先生を追い出したチャンピオンなのです。
神様がいったん決めて失敗した者は、永遠に再び取り出して使うことができないのです。しかし、復帰は子供からするのです。神様は一代目で、先生はその二世です。分かりますか? それで、私は「平面的なアメリカを救済して、旧約時代、新約時代、創造以来神様が苦労されてきたすべてを子供として責任を取ります。復帰してあげます。任せてください」と祈ったのです。
また、韓国人と日本人は怨讐です。日本人とアメリカ人も怨讐です。アメリカ人とドイツ人、イタリア人も、みんな怨讐なのです。怨讐の者たちがアメリカを救うために乗り出したのです。そしてアメリカの国民が愛する以上に、怨讐の国の者たちがアメリカ人に愛国心を教育して、方向を転換させることにより、サタンの地獄から天国のほうへ回る道を復帰してあげたのです。
これはアメリカの歴史上にない、サタンの国にもない歴史をつくったのです。怨讐たちが神の愛でもって、怨讐圏を自然屈伏させて、方向を転換して歴史的な基準を立たせたので、キリスト教もアメリカも、文先生を非常に尊ぶようになったのです。それでFBIなどが文先生のセキュリティとして、先生の一身を守るために警察官を投入してきました。「とても貴重な方だから、守っていきます」と。過去の誤りを悔い改めれば、それ以上に保護するのです。先生は宗教指導者ですから、そんなことは願わないのでボイコットしました。
日本はどうでしょうか? この前、一週間の入国の許可を得た時、鞄の中からみんな調査されました。その辛さは忘れられないものです。しかし、神様が四〇〇〇年前から着手されたので、先生は神様を愛して、それを忍んでいかなければならないのです。そのような伝統を知っているから、こういうことをやっているのです。真剣なのです。分かりましたか? (はい)。
日本全国で、三十二万人を動員しなければなりません。このような骨肉にしみるような教育を受けたのに、それをなし得なかった場合には、先生には責任がありません。もし、日本が失敗すれば、神様は代わりをちゃんと準備しているのです。フィリピンはアメリカのエバ国家です。台湾は中国のエバ国家です。カナダはアメリカのエバ国家であり、イギリスと通じるのです。イギリスの妹です。もし姉さんが失敗した場合は妹が立つようになっているのです。国会でお母様を大歓迎したのも、イギリスとカナダです。国会全体で、お母様を歓迎したのです。それから、フィリピンと台湾です。国会議長や大統領が、お母様を招聘したのです。日本とはまるっきり反対です。
それで先生は平等になるように、日本の国会でも演説するように演出しなければならなかったのです。韓国においてもそうです。悲しみの嘆きの果てない立場で、涙ぐむようなことをしながら、忍びつつ助けている先生を忘れてはなりません。真剣なことです。分かりましたか? (はい)。これは偶然に通り過ぎ去るような話ではないのです。理論に基づいた話なのです。
こんなにはっきりと伝達したのは、これが三回目の終わりだからです。三十二万人を動員できなかった場合には、先生は回れ右をします。日本の代わりに台湾です。台湾は全国的に歓迎しているのです。この前フィリピンからは、中学生メンバーが先生を訪問してきました。しかし先生は会わなかったのです。それは、日本がまだ三十二万の動員を始めていないからです。それをなし得てください。それができない場合には、仕方なしに回るのです。ですから五年前にも、もし日本が失敗した場合にはカナダを中心とすると言ったのです。カナダはイギリスの妹です。そのカナダを中心として、先生がエバ国家の失敗を二番目で復帰するのです。先生が自由自在に二番目のエバを相対に立てても、そのために日本を切っても、原理原則には外れません。
しかし、先生は神様の前に祈って、「日本の国をエバ国にしますから」と申し入れた責任があるので、死力を尽くして教えているのです。もしできなかった場合にも、そのことでもって神の摂理を滅ぼすことはできません。責任者として、涙しながらも回れ右をしなければならないのです。今は、そういう絶頂点に立っているのです。先生が回れ右をした場合には、どういうことになるか分からないのです。神様を恐れなければなりません。イスラエル民族は国家のメシヤを追い出した時、第一世は世界の果てに行って涙を流し、その死体は鷹の餌や狐の餌になって流れていきました。それは、歴史的な事実です。恐喝ではないのです。キリスト教も二〇〇〇年間さまよったのですが、今こそ神様を信じる心情をもって、昔の選民国家の教訓に従って、再臨の時代になったのだから帰還しなければならないのです。
お母様の立てられた勝利圏
完成のアダムが来られた時、イスラエル民族は一九四八年に独立したのです。韓国も一九四八年に北韓の後について独立したのですが、悲哀の南北韓半島の分割に遭ったのです。そのために、偽りのお父さんの金日成主席が五十年余りを王者として神様に反対し、文先生の首を取ろうとしてきたのです。ゴルバチョフ大統領と共に一九八七年二月に暗殺を計画して日本赤軍を二十五名派遣してきましたが、今は逮捕されて裁判にかけられているのです。その真っ最中に、先生はモスクワを訪問してゴルバチョフ大統領に会い、さらに金日成主席にも会ったのです。責任を持つ者として、一人で死の境地に立って説得したのです。「もはや共産主義ではなく、神主義によらなければなりません。世界的な文先生の勝利圏を信頼して、弟(文先生)の言うとおりにしなければなりません」と言ったのです。
そのようにして、四十年の蕩減を超えて帰ってくることになったのです。一九四九年に帰ってきた文先生の立場は、南北統一国家建設の誓いをもとがえしていくのです。いくら反対してもどうにもなりません。そこで先生が真の父母として二世を治めていけば、南北の国が成立する時代圏に再び帰っていくのです。
韓国の大学街においては、運動圏の者たちに、原研はみんなゲバ棒でもって何年間も追い出されていたのです。それでお母様が、アメリカの国会と民主世界を代表したUN(国連)に登場したのです。アメリカの国はアベル国家であり、自由世界がカイン国家です。それはUNの議会と同じなのです。それを一つにしたのです。エバ文化圏のキリスト教がカイン・アベルを一つにして、父母の懐に抱かなければならなかったのですが、それを失ってしまったので、先生がお母様の権限の勝利圏、女性解放の基盤をつくって、アメリカのエバ文化圏を、女性解放で再び接ぎ木しなければならないのです。ですからお母様は、先生の後について勝利するまで、世界の頂上に立つまでは何の価値もなく、陰の立場でついて来なければならなかったのです。その間は、絶対に命令に服従しなければならなかったのです。
それで、世界の四十年頂上圏に近づく三年前から、先生が準備してきたことは、お母様の世界登場です。お母様をいかなる女王にも優る立場に立たせなければならないので、世界各国の首相の案内でもって四十か国と、韓国の四十か都市を講演して回ったのです。そして韓国のカイン・アベルの青年層をまとめることで、韓国の二世が父母の懐に抱かれたことになったのです。相対的に世界四十か国が抱かれた場合には、天的運勢が世界的に回るので、先生を中心として、韓半島の運勢も自動的に引っ張られていくのです。
そのようなことをみんな蕩減して、その勝利圏でもって、イギリスを中心として、カイン・アベル国家を一つにして、お母さんお父さんが失ったものをもとがえししてきたのです。そして、平面的に天使長がエバを堕落させたのだから、今度はエバが天使長圏を屈伏させていくのです。ですから、平面的にカイン・アベル国家が、お母さんお父さんと一体となったのです。
しかし、東洋に帰るには、日本の国にまだお母さんの基台が立っていないのです。それで三年前から準備して、東京ドームを中心としてお母様が日本全国二十七か都市に基礎をつくってきたのです。ですから、どんなに反対している最中でも、お母様が壇上に立つと会場全体が静まってしまうのです。それはなぜかというと、世界的影響を持っているお母様を歓迎すべきだということが、全世界の大使館を通して報告として入っているからです。ですから、もし反対した場合には、世界の野蛮国家、悪辣な国家であると烙印を押されることを知っているので、どうしても歓迎の歩調に合わせなければならないのです。
東京から日本全国へと、女性の結集をなし得た勝利のエバ国家の基準が条件的に立ったので、その上にお母様と一緒になった先生が立ったのです。条件的ながらも、お母様との一体化がなったのです。それで十六数です。四数は東西南北の一体数だから、十六数がいつも問題なのです。だから、韓国動乱におけるUN(国連)軍の導入も十六か国なのです。
韓国のオリンピック大会は、一九八八年です。そのソウル・オリンピック大会は、世界的に再出発しなければならないので、オリンピックの歴史上最大の国家数を集めて行われたのです。民主主義世界と共産主義世界の冷戦は、韓国動乱によって始まったのですから、冷戦の終結も韓国が平和のオリンピック大会をすることによってなさなければならないのです。
その時に全世界の若者たち、二世が集まってきたのです。分かりますか? 二世は先生の側なのです。エジプトにおいて、一世はみんな死んでしまったのだけれど、神が二世を生かしておいたのは、神が将来二世を中心として復帰を進めるためです。二世を中心とするので、二世はみんな先生に近いのです。二世はみんな先生の側です。四十代以下の人は先生の側に付くので、統一教会に反対する日本の若者たちを見た場合に、日本は将来がないということが分かるのです。
それで、このように日本を復帰する愛の教育の大会を水沢里でやっているのです。真の愛を中心とした大会ですから、大会を通じて全国に伝えなければならないのです。ブロックではないのです。
あすは帰るのですが、「三十二万人の男性動員の旗揚げをする責任を持つ日本人はいずこにありや!」と天は叫んでいるのです。文先生は叫んでいるのです。聞こえますか? (はい)。聞いただけで素通りさせてしまいますか、真剣に盾となって、それを防備するようにしますか? 分かりましたか? (はい)。
この四〇〇〇人が、何名を動員するのですか? ここで教育を受けた者を中心として、各地区に分割して、十六か所で十六数です。一万六千です。原理的な公式に合わせた単位の数を中心として、統一教会の女性たちを動員して、全国的に三十二万を緊急に突破するのです。それで先生は今、万全の処置をして準備しているのです。日本へ帰ったら女性たちを援助しますか? (はい)。何名ですか? 何名ずつ連れてくるのですか? エバは二名です。そこに天使長五十億が連結されてくるのです。それが、公式的な条件になる数です。
自分のお母さんや親戚を中心として二人以上、二十名でも二〇〇名でもいいのです。女性は自分の旦那さんとお父さんを動員すればいいのです。簡単です。そういう福音の道は難しくないのです。それができなければ、日本は滅びなければなりません。そういう日本であれば、先生は放棄しなければならないのです。そういう結論になるのです。それは、理論的です。ですから、先生は心身を投入して、一体化して、生死をかけて、エバ国家にしようとしているのです。分かりましたか? (はい)。
そのような先生の相対にならなければ、生命を生み出し復活する母の立場は永遠に成り立ちません。かわいそうな文先生です。韓国人ではなく、日本人にしか訴えられないのです。かわいそうな神様です。
神様の創造の公式と再創造の公式
もう十二時になったのですか? まだ、十分は残っていますね。序論も語っていないのに、いつの間にかそんな時間になりました。では、公式だけを語ってあげましょう。
神様は環境をつくられたのですが、その環境の公式がどんなになっているかというと、必ず主体と客体になっているのです。(先生が板書される。図―1を参照)これが公式です。万物はこういう公式でつながっているのです。この公式を個人から

天宙復帰まで適用していくのです。そして、この公式の定着点は家庭なのです。アダム家庭が地獄に行ったのだから、その反対に神様の愛と一体になった血統的につながれた後孫でなければ、天国に入れないようになっているのです。真の父母を中心として、血統的に渋柿を甘柿に接ぎ木する道以外にはないのです。そのようにして三代を通過していくのです。植えた実が甘柿になるには、三代を通過しなければならないのです。
アダム時代、イエス時代、再臨時代と、三代を経てきたのですから、あなたたちも三代を通過していくのです。甘柿に接ぎ木された者が、その実を植えて、同じ甘柿として収穫されることによって天国に入るようになるのです。アダムとエバの堕落が、エバの一日の過ちが、このような人々をつくることになったのだから、大変なことです。
この公式が、絶対に必要なのです。再創造においても、その環境は太陽と空気と水と土です。これらにつながるすべてのものは、みんな相対的になっているのです。そしてその中を見れば、三段階になっているのです。鉱物、植物、動物です。鉱物を見ても、どれも主体・客体になっているのです。プラスイオンとマイナスイオンです。分子を見てもプラスとマイナスです。そして一つになるのですが、その中心は何かというと、それなりの立場で愛の道をたどっていくのです。愛を中心としているのです。分かりますか? (はい)。ですから、絶対に離れないのです。磁石が永遠の始めからプラス・マイナスになっていたとしても、一度も会ったことがなくても、永遠の末端においてプラス・マイナスが共に近寄っていけば、「ワー!」と、一つになるでしょうか、一つにならないでしょうか? (なります)。どんなに絶縁物があったとしても、それを貫いていって一つになるのです。男と女も、人間の心身もそうなるべきだったのに、血統的に過ってしまったので、問題なのです。
アダムは、神様から見た場合に相対的存在なので、良心は神に属しているのですが、その相対的基地に(サタンが)偽りの愛の種を下ろしたのです。ですから良心が本来はプラスなのに、肉身が逆に愛のプラスになったので永遠に反発するのです。これを砕いて、絶対マイナスにすることによって、肉身は自動的に良心のプラスと一つになるのです。これが理論的な公式です。分かりましたか? (はい)。悪魔の血が付いているのです。それを清算して完全にマイナスにしないと、神の国に帰る道がありません。
それを完全にマイナスにするには、自分の力ではできません。真の愛の理論と愛の包容圏で統一した生活をすることによって、それが解かれていくのです。真のお父さんを迎えた場合には、完成されたアダム圏に帰ったのと同じです。その環境圏に帰ったのと同じです。アダムとエバは、神様の戒めを絶対に信じていましたか? 絶対に信じていなかったので堕落したのです。ですから蕩減は絶対信仰、絶対父子心情一体が必要なのです。

神様の長男がアダムなのです。ですから絶対に親と子供の一体、心情一体が必要です。それが、真の父母と真の神様を迎えた生活の鉄則です。それだけがなされれば、間違いなく天国に入れるのです。後ろのほうは見えますか? 高く座って顔を上げれば見えるのですね。(はい)。
これもプラス・マイナスです。(図―2を参照)間違いないですね? 雌同士がプラス・マイナスではなく、雄と雌がプラス・マイナスなのです。人間だったら、男と女がプラス・マイナスになっているのです。この公式に合った場合には、天運が保護するのです。天運と宇宙力が保護するようになるのです。病気になったらなぜ痛いのか、この前話しましたね? (はい)。

再創造はいかなる道を通るかというと、環境と公式のプラス・マイナスです。環境の中には必ず主体・客体があるのです。こういうふうに、プラス・マイナスの原則が一つになった場合には、これが一つになって、(図―3を参照)大きいプラスでもいいし、大きいマイナスでもいいのです。ここがプラスだったら、こっちがマイナスです。ここがプラスだったら、こちらがマイナスです。プラスを決めても、マイナスを決めてもいいのです。こういうふうに一つになれば、もっと大きなプラスに向けて一つになることを願っているのです。そのように一つになった場合、これが大きいプラスです。そのようにして一つになったものを、対応的相対関係というのです。
これは進化論にも通じるのです。進化論では、いかにして大きくなるかというと、第三の力を加えることによってアメーバが大きくなると言うのです。それで、進化論の誤りは何かというと、進化は骨肉が合っているという論法なのですが、種別の厳格さは、それを交えることができないのです。ですからアメーバは、絶対にアメーバ圏のみであり、アメーバが猿になろうとすれば大変です。猿になるには、何千回もの種別の段階を越えていかなければならないのです。そのような愛の関門を通過していかなければならないという論理に引っかかるのです。
これは、ただで越えていけるものではありません。その種別の生命圏を左右するには、雄・雌、プラス・マイナスが一つになる愛の公式の中心点を通過しなければ、再び生まれる新しいものを見ることができないのです。アメーバがどうして何千回もの種別の違うものが愛し合う生殖器を通過して、発展の道をつなぐことができるでしょうか? それは、永遠に可能性があるのでしょうか、永遠に可能性がないのでしょうか? 可能性はないのです。
なぜアメーバから猿になったのですか、なぜ猿になるのですか? 人間と猿は四十七か所も違うのです。四十七か所も違うということは、日本民族一億が何千年を生きたとしても、日本の男と女が結婚して子供を生んで、何千年たったとしても、人類が何千年間祈祷したとしても、猿が生まれてくるでしょうか? 生まれてくると思いますか? 「その時に、一人だけが人間になる」などと、そんな馬鹿なことはないのです。
種別の厳格さは変わらないのです。雀は永遠に雀なのです。それが分化になっているのです。分かりますか? 似たものとは、そういうことです。変わったことは絶対に許されません。それがいかにして、新しい種族に展開するというのでしょうか? 新しい種族はみんな愛の種としてつながっているのです。それをそのまま、たどっていってアメーバが猿になるのですか、人間になるのですか? 話にもならないことを言っているのです。この前も目の話をしましたが、目の先祖は、空気があったことを知っていたか、太陽があったことを知っていたかという話は聞いたでしょう? (はい)。共産党は、それを理論的に解明できないのです。これが何かというと、対応的相対関係なのです。
ですから、神と心身一体になったことを君たちに適用すれば、心身が一つになれば、対応的な大きいものにくっつきたいので、男完成、女完成した者が、共に代表的な大きいものと一つになっていくのです。二つが一つになるのです。
そのように二つが一つになってプラスになった場合、また対応的な子供を生んで一つになって大きくなっていくのです。そのようにして大きな家族になった場合には、氏族の中心体になるのです。それで自分の家が部落の中心になればいいと考えるのです。そのように、部落を中心としてプラスとマイナスが一つになった場合には、その部落とか、氏族を十二合わせると民族になるのです。民族を十二合わせると国家になるのです。そのように発展していくのです。なぜかというと、一年は十二か月、四季は四季節、一季節が三か月というように、十二数を中心として発展していくようになっているからです。

あなたたちも世界的に最高の者になりたいのでしょうが、ただ一方的に男だけでは行かれないのです。この女と一つになって、こういうふうに上がっていくのです。(図―4を参照)第三の相対として、大きくなって、プラス・マイナスとなり、さらに一つになって発展していくのです。ですから結局は、みんな神様の根の出発の起点に帰ってこなければならないのです。
この一点を中心として、(先生が八重の円を書かれる。図―5を参照)家庭、氏族と、みんな神様を中

心として発展していくのです。これが八段階になるのです。一、二、三、四、五、六、七、八です。ですから、これも九十度、これも九十度、これも九十度、みんな九十度になるのです。分かりましたか? (はい)。これも九十度です。これも九十度です。こういうふうに、みんな核は同じなのです。ここもみんな同じです。家庭を中心としてつながっているのです。この家庭、この家庭、この家庭、この家庭、この家庭と、完成すれば、ここにつながるのです。これを中心としてみんな九十度です。ですから、家庭がプラスになっているのです。これが公式です。
神の愛の理想の完成点を求めて

それで人間の顔を見た場合に、なぜ目玉が二つあるかというと、この公式に一致させるためです。横的なものも縦的なものもプラス・マイナスであり、前後関係もプラス・マイナスを備えなければならないのです。一つの家族を見た場合、(先生が図―6を板書される)父子関係が縦的であり、(図―6の(A)の線)夫婦関係が東西です。(同、6の(B)の線)兄弟関係が前後です。(同、6の(C)の線)これを丸めたものが球体になるのです。(同、6の(D)の円)それで、一、二、三、四、五、六、七。七点は完成点です。分かりましたか? (はい)。完成圏に立てば、この愛、この愛、(同、6の1~6)みんな同じです。その角度は十二です。十二のケースが一八〇度になるのです。それぞれの右弦と左弦のどこを合わせてもぴったり合うのです。右弦は左弦と合わせ、上弦と下弦、前弦と後弦と合わせても、ぴったり合うのです。理想的な基準が、この点なのです。(同、6の中央の7)神様は、この愛の定着基準を中心としたのです。これが家庭です。

これをこういうふうに押した場合には、(先生が黒板に図―7の円と(A)(B)の線を板書される)こうなるのです。(図―7の八重の円を書かれる)分かりますか? これが上から見た場合で、これが横から見た場合です。これが(図―6の(D)の円を参照)八という表面です。八数の表面は丸いものであり、転がしても安定するし、ぶつかったとしても、正面的に九十度に合わないとピッと回るのです。けがれのない理想を求めているのです。ですから八数で、神様が創造したものが再び出発し運動を始めるのです。それが家庭構想です。それを統一教会では、四大心情と言うのです。
では、神の子女として生まれた愛の理想完成点はどこかというのです。子供として違ったら大変です。神の家庭の兄弟愛の完成理想点が違ったら大変です。神の家庭の夫婦愛の完成点はどこでしょうか? 父母理想の完成点はどこでしょうか? それが四つまちまちになったら、家族の統一はなりません。子供を生んだ者たちは、このような目的に沿って、立派なお母さんお父さんとして、神様と一体となった夫婦の伝統を相続してあげたいのです。
兄弟の願いもこれ(図―6の中央の7を参照)であり、夫婦の願いもこれ(同、6の7)であり、父母の出発点も(同、6の7)これです。それを四大心情と言うのです。その中心として、公式的、核心的立場にあるのが神様です。そうなると、これは骨と肉と同じです。
そのように構成されているのです。神様は骨の立場であり、アダムとエバは肉の立場です。一つの理想的な家庭構成として、天宙の中心として確立されているのです。お父さんは四大心情圏の中心です。三大王権の過去、現在、未来。未来は、みんな王子、王女になっているのです。君たちの願いである家族を中心とした、そういう理想圏の下に授けるべきものを失ってしまったのだから、自分のおじいさんも、自分のお父さんも、自分も王様になるのです。それが本来の人間の欲望の起点なのです。真の愛につながった場合は、自動的にそうなるべきだったのですが、真の愛が分割されて、めちゃくちゃになったのです。それで、絶対に元に帰っていかなければなりません。
もし霊界に行けば、先生の言ったとおりの世界が展開します。その時はどうしますか? 大変です。そのように間違いのない、前後の内容と左右の内容を正しく教えられて、神様の前にサタンの妨げなしに立てるような者になって、神様自らが、その宝座から降りてきて、自分の子供として抱擁しキスして、「勝利して帰ってきてくれてありがとう」と言われなければ、神様と共に勝利の子供として永遠に同居することはできません。それが人間の最高の勝利の一日なのです。
そこに向かって、その一日を嘆きの一瞬として迎えるか、喜びの一瞬として迎えるかです。神様と共に抱き合って慰め合うことのできる子供となって、涙を流しながら「すみません」と、歴史上の先祖の過ったすべてを、数千年間の心情圏の恨みにくにゃくにゃになったものを平らにして、解放してあげられる瞬間に立った時、実子権を相続し、宣布することによって霊界の統一圏が始まるのです。地上はもちろん、霊肉統一の起源となるのです。それは、理論的にも否定できないのです。茫然とした理論ではないのです。膨大な内容の理論につながっているのです。

これを(先生が図―8を板書される)神様だとすれば、神様、アダム、エバ、カイン、アベルとなるのです。こちらも、サタンとアダムとエバとカインとアベルです。こうなった場合、これが(神側の矢印を上から下へ順に書かれる)が一致すればいいのです。これは、こういうふうにして反対し、(サ)側の矢印と×印を上から順に書かれる)これは、こういうふうにして反対し、これは、こういうふうにして反対し、これは、こういうふうに反対して、みんな反対になっているのです。堕落したために、みんなアダム、エバ、カイン、アベルが、ここに移行してきたのです。(神側からサタン側へ(ア)→(ア)、(エ)→(エ)、(カ)→(カ)、(ア)→(ア)の横矢印を書かれる)そうでしょう? (はい)。ですから、神様は何もなくなってしまいました。大変なことです。宇宙すべてが、サタンのものになったのです。これは仮説ではないのです。実説です。
アダムとエバが堕落したことによって、大変なことになったのです。そうなると、サタンに全部取られた神様は、こっちから来て(神側の列とサタン側の列を交差させる)復帰できるようなものではないのです。サタンは国を持っているのです。サタンは既に長成期完成級の国家基準なのです。ですからサタンは、たくさんの国をつくっているのです。今や、一八二か国もつくりました。
それらを統一するには、日数がかかるのです。その期間に、ちょっとでも間違った場合にはめちゃくちゃになり、サタンが何千万年も引き延ばすことができるのです。悪辣なサタンは、そういうことをやっているのです。皇族の娘を拉致して、愛の関係を結んで絶対に元に帰さないのです。自分と血統的に子女関係を持っているので、神の願う反対の地獄に連れていくのです。
恐ろしい復帰の蕩減公式
ですから、このような公式から見た場合には、神様とアベルが一つになった場合には、これがプラスです。何の問題もないのです。(先生が図―8の(神)と(ア)を丸で囲む)ですから、一人でもデモをすれば大変です。それで、あなたたちも奥さんがデモしないようにするのですね。「デモをするよりも、私と共に行こう」と言うのです。そのようにすれば安全です。
目玉も、そういう原則に合わせるために、みんな相対的になっているのです。存在するものすべてがそうです。また、心身一体も相対的にこのような公式に適応するためです。
復帰の蕩減公式ということが分かれば、恐ろしいのです。サタンの世界では恐ろしいことなのです。「文先生が結婚させてしまったので、これではどうにもならない」と言うのです。それが分かった以上は、主人として侍らなければならないからです。サタンも奉仕しなければならない時代が来たのです。もし、そうなった場合には、(同、8の(ア)と(エ)を丸で囲む)アダムとエバが一つになった場合には、神様は関与しなくてもいいということです。公式がそうなっているからです。それで次に、エバとカインが一つになった場合には、(同、8の(エ)と(カ)を丸で囲む)マイナスになるのでアダムと神様に聞かなくても完成点なのです。
これが兄弟になった場合には、(同、8の(カ)と(ア)を丸で囲む)お母さんとアダムと神様に聞かなくても、そのまま存在圏に立つので、宇宙力と天運が保護するのです。どのように保護するかというと、神様の創造目的は愛だから、愛の中心点として真ん中で二つをかかえるのです。分かりますか? このように、はっきりしているのです。二つになった場合には愛を中心としているので、天運が軸となっているので宇宙がつながるのです。これが公式的になっているのです。大変なことです。
このようになった場合には、(再び、先生が図―8の(カ)と(ア)を丸で囲む)もうお母さんも要らないのです。アダムも要らないのです。神様も要らないのです。お母さんを中心として、お父さんも中心として、神様も中心として、縦的に上がったり下がったり、木の栄養分が東西南北を通して往来するような公式が適用されるのです。このように、みんな公式的になっているのです。
それで、神様はどうするかというと、サタンの国家基準からは何もできないのです。堕落は個人から家庭へと広がって、本来の相対基準を国家基準までなくしたのだから、どうしても、個人から家庭へと探し求めなければならないのです。ですから、仕方なしに一番下にあるサタン圏のアベルを相対とせざるを得ないのです。これは大変なことです。悲しいことです。

神様は全体の中心なので、これは原理的にプラス・マイナスです。(先生が図―9のサタン側の(カ)(ア)を示す)そうしなければ復帰できないのです。神様はアベルをプラスにして、(同、9の(サ)側の(ア)にプラスを書く)これをマイナスにして、(同、9の(カ)にマイナスを書く)それらを一つにすることによって、元の位置に帰るのです。兄さんは弟の位置に行き、(同、9の(カ)から(ア)へ矢印を書く)弟は兄さんの位置に行くので、(ア)から(カ)へ矢印を書く)ここに交差点が生じます。ですから、完全否定でなければ通過できない道なのです。このことのために、蕩減の摂理の歴史が残っているのです。
それで、反対の道を行くのです。正反対の方向に行くのですから、世界を拒否し否定しなければならないのです。個人否定、家庭否定、氏族、民族、国家、世界否定、サタン否定です。そして個人公認、神様を中心として家庭公認、氏族、民族、世界に公認されるのです。神様の愛を中心として、間違いのない愛を中心としてです。堕落した家庭なので、真の愛を中心に家庭を復帰することによって氏族圏が正式に、民族が正式に、国家が正式に、天宙が正式に、神様が一方きりに統治する愛の主管権限世界になっていくのです。
もしも死んでしまって、でたらめに霊界に行った場合には、「文先生の話を聞いたことありますか?」と聞かれるのです。「はい、聞きました」。「どういうことですか?」「復帰蕩減原則は聞いたことありますか?」と、すぐに聞かれるのです。ですから、心身が平均になった場合には何も感じないので、もし相対圏が崩れていったら大変です。相対圏に立っていない面は、宇宙が存在を許さないのです。公式的に天運と宇宙力が「この者!」と、追い出してしまうのです。それを追い出さなければ、平均のすべてが崩れていくのです。比例的に破壊された相対圏を追い出す力によって痛みがくるのです。第三の力が加入するから痛みがくるのです。
病気になった場合、病気自体が痛みを起こさせるのです。破壊されたそのものを除外する宇宙力と天運が押し出すので、痛みを感じるのです。心身一体、夫婦一体が公式なのに、もし相対者が死んでしまったとすれば、不具者になってしまうので、保護する価値がなくなるのです。天運と宇宙力が半品を追い出してしまうので、中心から離れていくのです。追い出す時にも、強く追い出すので心が裂けるほどに痛みを感じるのです。
ですから堕落世界で、いかに辛いことがあったとしても、神の国に帰るためには感謝でもって消化しなければなりません。どんなに悲しい所に行っても、サタン的になって涙を流したら、神様の一族の面子に引っかかるのです。威信が砕かれていくのです。
全世界の女性はお母様の分身体
先生は興進様が大変だった時に、涙を一滴も流さなかったのです。先生は、みんなを霊界の勝利者として送った後に涙を流してもいいのです。神様の前に無事に孝行息子になるようにと祈りながら、その後の世界を埋めてあげなければならないのです。涙の世界を埋めるには、涙でもって埋めてあげなければならないのです。ですから、愛でもって死亡圏を破壊して、勝利した愛勝日の基台の上で昇華式をしたのです。勝利の賛美を歌でもって、天に帰してあげなければならないのです。分かりましたね?(はい)。
こういうふうにして、(図―9の神側の(カ)と(ア)を丸で囲む)こうなった場合には、これがマイナスになって、大きいエバを中心として、お母さんがこうなっているのです。(図―9の側の横にプラスを書く)それで、これを一つにしなければならないのです。(同、9の側のと側のを線で囲む)主体、客体が一つになった場合には、ここに返るのです。(同、9の側のから側のに矢印を書く)そうなると、これは(先生が図―9の(サ)側(エ)(カ)(ア)のを消してしまう)みんななくなってしまうのです。(神側の)エバの所に来たからです。こういう道をたどっていかなければなりません。分かりましたか?(はい)。ですから完全否定をしなければならないのです。
このようにして元に帰っていくのです。そうなれば、これをマイナスにして、(先生が図―10のを丸で囲む)それでアダムをプラスにして一つになるのです。次に、これを大きいマイナスとして、(同、10の(エ)(カ)(ア)を丸で囲む)大きい神様をプラスにして全体が一つになれば、これで蕩減復帰は完成するのです。ここのサタンとアダムというものは要りません。堕落した天使長の男は要りません。神様は世界を三人と見るのです。完成されたアダム、復帰されたエバ、堕落させた天使長です。
天使長には、所有権と相対圏を神様は許してはいないのです。そういう末世期になったので、男が女を嫌い、女が男を嫌って相対関係をみんな切ってしまうのです。そのように切ってしまって、本然の相対関係である再臨の主につながるようにするのが神様の作戦なのです。

全世界の女性はお母様の分身体です。全世界の女性は完成した旦那さんを持たなければならないのです。歴史始まって以来、天使長という詐欺師に引っかかって、毎晩、女を連れて酒を飲んでは堕落行為を重ねているのです。そういう世の中で女性は、いつどこで真の旦那さんを求めて、幸福な家庭を持って、幸福な理想的夫婦となるかという歴史的死の峠を、一人で涙を流しながら越えてきたというのです。女性は責任分担、主管権限を果たし得ないでアダムを堕落させたのだから、完成されたアダムをエバは主管権でもって保護する立場に立たなければならないのです。それでお母様の分身体として、再臨のお父様の相対の位置に立たせたのです。
旦那さんは一人なのに、二重に生きる女があったとすればどうしますか? 大変です。原理原則では、先生に二人の女性は要らないのです。お母様だけでいいのです。どうしますか? そうなると、お母様は正妻の立場に立ち、他の女性は妾の立場でもって先生を慕うような立場になるのです。あなたたちの奥さんは、あなたたちよりも先生を慕っているのです。本当ですか? それで、みんなが今まで反対してきたのは、天使長の立場の男たちです。女たちではありません。男たちが反対すれば、その反面に、全国的に女たちは文先生を歓迎するようになるのです。それで、十六万人の女は皆、文先生を慕って死を決意して帰りました。
男は、反対してはいけないのです。堕落した天使長から復帰された天使長として、妻を神様のお姫様のように、また子供たちを神様の子供のように思って、天使長が侍れなかったことを蕩減復帰するために、三年半、七年間、侍るのです。辛い道を通過して、堕落する前の天使長の基準を神様のほうに収拾していくのが男たちの使命です。妻と子供たちを天に献げなければならないのです。このような問題で、先生は迫害されてきたのです。みんなが「文先生は女泥棒だ。文先生は子供泥棒だ」と。日本でも今、そうやっているのでしょう? みんな自分の気ままに何の根も葉もないあだ名をたくさんつけているのですが、それは文先生とは関係ないことです。関係あることは原理の道だけです。
それで、女性はみんな先生の所に来たいと言うのですが、そうはいきません。先生の所に帰ってくる時には、堕落した後孫まで一族を全部収拾してこなければならないのです。それが氏族メシヤのお母さんの使命です。一六〇か国を再び生み返さなければならないのです。それをなさなければ、国ができても入籍する本場の基台が立たないのです。
男は堕落した天使長です。復帰した完成者、再臨の主は、完成したアダムです。完成したアダムになるべき者が過って世界を汚してしまったのだから、あなたがたが先生の所に来るには、当然それを否定しなければならないのです。子供はお父さんの血統をつないでいるのですから、個人を否定して、お父さんを否定して、国家、世界をみんな否認しなければならないのです。それをしないと、エバの所には帰れません。はっきりしているのです。先生が付け加えた話は一つもないのです。原理的です。反対の方向を取らないと、天に帰れないのです。それは理論的にも正しい話です。みんな公式にのっとってやっているのです。分かりましたか? (はい)。
真の父母様の勝利圏の相続
このようなカイン・アベルの問題が、歴史の解決の鍵です。逆に、カイン・アベルをお母さんと一つにして、お父さんと一つにして、神様と共に一体になる世界の国家群をつくっていくのです。アダム家庭で、家族的に植えたことを世界的、国家的に収穫するのです。同じ公式で蕩減していくのです。
この公式を適用したのが歴史的なカイン・アベルの戦いなのです。アダム家庭において、カイン・アベルに分割されたものを統一しなければならなかったのです。それを、お母さんが統一できなかったので、イエス様を中心として聖霊が働くのです。旦那さんが昇天したので、お母さんの霊が来るのです。お母さんの霊が来て、再びカイン・アベルを包容するのです。
キリスト教文化圏を中心として、聖霊の母を中心としてアメリカとフランスです。イギリスは母になるのです。これが公式的です。分かりますか? その基盤を失って、再臨の主は追い出されて完全に独りぼっちになったのです。その時に、もし歓迎していた場合には、聖進様のお母さんと先生は離婚していません。子供と共に、一族と共に、一国と共に、世界統一権限で勝利の基盤をなすべきだったのに、キリスト教が反対したためにすべてのエバ基盤がなくなったのです。家族も何もなくなったのです。それで、辛い涙の反対の道をたどって、第二のお母様を求めるのは大変なことでした。そして四十年の峠を越えて、三年前に安楽地になったので、解放して、お母様の権限を平等に先生の横に立てて、悪の世界から回れ右をして神様のほうに向かうのです。
世界を収拾して、初めて神様をお迎えして、神様に侍って、天宙から世界へ、世界から国家、国家から民族、氏族、家庭、個人までつなげなければ、真の愛の完成にならないのです。歴史の出発が、個人と家庭基準に悪の根を植えたことによるので、その根っこを取り除かなければならないのです。
ですから今日、家庭から世界のどこへでも自由自在に往来できるようになったので、「真の父母と成約時代」という、創造理想完成が定着したのです。世界的なアダム家庭が社会国家理想基準の上に定着したので、アダム完成の中に、イエス様完成もみんな入っているのです。平面的に、個人から家庭の全部が、その祝福圏に立つようになるのです。

アダムは神様の第一の息子、長男です。イエス様は次男です。再臨主は三男です。それで、六〇〇〇年歴史を分割して蕩減してきたのです。縦的な蕩減を横的に蕩減復帰しなければならないのです。横的な世界の中に多くの子女たちがいるのです。アダムの完成基準を中心としては、アダム後孫の完成圏なのです。
イエス様は国家を代表して、宗教圏の完成統一圏なのです。それに先生を中心とした非宗教と宗教の圏は、カイン・アベルの統一圏です。それらをみんな成し得た時に、堕落以前の先祖アダムの後孫の解放圏になるのです。イエス様の国家失敗圏も、完成圏で解放圏になるのです。アダム完成です。再臨の主の第三のアダムの勝利圏、失敗しないで成功した完成圏に立つのです。みんな、そうなっているのです。そして、それらがみんな平面に立つのです。ですから、第三のアダムの勝利の中には、旧約時代、新約時代、成約時代が入っているのです。
ここにイエス様が来られて、(先生が図―11を板書される)イエス様の権限でもって、家庭的完成とともに国家的完成を成せばよかったのです。それを失敗したのだから、再臨の主が家庭的に完成して、これをつなぐのです。(同、11の再臨主とイエスを点線でつなぐ)国家的完成も、世界的完成も成したので、この完成したアダムの中には、第二のアダムの完成実体も入っているし、第一アダムの家庭的完成実体も入っているというのです。
生きている者をすべて、このとおりに拡張して延長するのです。これがイエス様だから、これを(同、11の①の矢印を入れる)引き出すことができるのです。これをここに引き出しても(同、11の②の矢印を入れる)、反対も何もないのです。分かりますか? これが、こっちに来ても、こっちに来ても、(同、11の③④点線を入れる)第三の完成したアダムの権限でもって、サタンも、神様も反対できないのです。みんなに分けてあげれるのです。みんなアダムと一体になっているので、同じ立場に立っても、何も不平を言うことができないのです。イエス様の価値が分かりましたか? (はい)。こうなって(同、11の成約の列のアダムとイエスの円の周りを点線で囲む)全部がチェンジです。霊界も全部が引っかかるのです。このように見た場合に、全部が完成解放圏になっているのです。

ここに、(図―12のアダムとイエスを丸で囲む)数千代の先祖がつながったとしても完成圏に立つのです。こっちから数千代がつながったとしても、(同、11のイエスから再臨主を丸で囲む)これも完成体に立つのです。ですから、蘇生、長成の環境をどんなに往来しても、サタンは反対することができなくなりました。その基盤で霊界と地上界が一つになって、真の定着となるのです。中心家庭に五十二億を、四大心情圏と三大王権、皇族圏につなげば、それでみんな相対的になって完成した、第一、第二、第三アダムの相対家庭として天国に入ることができるのです。そして、地上天国に住むことによって、自動的に霊界天国に入るようになるのです。大変な時代です。
今年(一九九五年)の標語は何かというと、「真の父母様の勝利圏を相続しよう」です。ですから、全世界の家庭に父母がなし得た勝利圏を伝授しても、サタンは神様に反対することができなくなりました。完成したアダムが第二アダム、第一アダムを祝福しても、反対することができなくなりました。真の父母の家庭が、個人的勝利圏から家庭的勝利圏、氏族的勝利圏、民族的勝利圏、国家的勝利圏、世界的勝利圏、天宙的勝利圏、神勝利圏を成したのです。今までは、それが八段階に分かれていたのです。そこに置かれていた人間は地獄でした。しかし、これが神様とぴったり一つになることによって、地獄がなくなるのです。サタンがなくなるのです。
そのような勝利圏を全世界の家庭に相続してあげるのです。それは大変なことです。相続してあげれば、先生はそれで使命完了ですが、あなたたちの使命が残っているのです。あなたたちは、先生の家庭のカインとして、一族を中心として出発するのです。一族と氏族をつないで、国家基準までつないで、氏族メシヤとしてイエス様の代わりに立って、イエス様が失敗したことをなし得た場合には、自動的に相続されるのです。相続路程は、氏族メシヤを通して家族メシヤです。氏族メシヤは家族メシヤを生むのです。家庭で失敗したので、家庭に帰ってきて定着することです。それで解放圏になるのです。すべて理論的になっているのです。
これも一つ、プラス・マイナスです。(図―12を参照。それぞれに、三組のプラスとマイナスを入れる)これがこうなって、マイナス・プラスになって一つになるのだから、この全体が同位価値に立つことができるのです。その中心は神様であり、愛のお方です。これが摂理的な総決算の内容になっているのです。大変なことです。みんな、今まで聞いたことを総整備するのです。
今まで話した内容によって、これまでの歴史的なカイン・アベル問題が整備されたのですから、これからの世界の問題も、このカイン・アベルで解決するのです。その次は、お母さんを中心として家庭の問題です。お母さんを中心として、長女と次女のカイン・アベル問題です。これが女性の使命です。個人的女性の問題は、カイン・アベルとお母様の家庭とお母様になるのです。エデンの園で、お母さんと家庭と子供をなくしたのだから、全歴史を総合して、子供をまとめるのです。それがカイン・アベルです。分かりましたか? (はい)。
個人的、家庭的、氏族、民族、国家、全世界的なアベル・カイン圏が勝利することによって、その中にいるお母様が勝利されるのです。これが家庭を中心としたお母様の使命です。個人としてはエバの使命です。これが分かれば、歴史全体がきれいに摂理公式で解決できるのです。家庭を中心としてのエバの使命が分かりましたか? (はい)。次に、家庭で兄弟が争うのです。それをいかに統一するかというのです。
そして、最後は、堕落したエバ個人の問題なのです。個人の問題から家庭を中心とした母親の問題です。世界を中心としてすべての問題は、みんなアダム家庭で失ったカイン・アベルを復帰して、お母様を復帰して、再臨の主の相対に立つことによって、天の完成家庭が始まるのです。すべてが公式的になっているのです。その次には、お母さんたちを中心として、家庭を中心としての紛争を統一するのです。女性を中心として統一すればすべてが収まるのです。分かりましたか? (はい)。
再創造摂理は公式的に復帰する

これがハナニム、神様です。(先生が図―13を板書される)人類始祖の堕落のために、蕩減復帰が救援摂理になり、救援摂理が復帰摂理に、復帰摂理が再創造の摂理になりました。再創造の摂理は、それらを公式的に復帰していくのです。
アダムの一家庭の失敗が、失敗に失敗を繰り返して、世界的失敗圏にまで延長するようになりました。ですから、家庭では収拾できないのです。世界土壌において収拾しなければならないのです。また、復帰は反対のほうからするので、今までの歴史は何かというと、母を中心として、失ったカイン・アベルを復帰する歴史なのです。
まずアベルを中心としてカインを復帰し、そして母を復帰して、父と神様を復帰していくのです。兄弟のカイン・アベルを復帰するので、これを長子権復帰と言うのです。そして、二番目は父母権復帰、三番目が王権復帰です。これは、きのうも話したように、反対にプラスにして復帰していくのです。弟を中心として長子権を復帰する歴史です。それで、カインとアベルの出発の時に、カインによってアベルが殺されたため、神様の子供の基台がなくなったことを蕩減する歴史として、個人、家庭、氏族、民族と、公式的に連結してきたのです。
イエス様の時代には、国を中心としてのカイン・アベルです。再び繰り返して蕩減復帰しなければならないのです。それで、イスラエル民族にとっては、国がカインであり、教会がアベルです。そこでユダヤ教とイスラエル民族が一つになれば、神様を中心として、原理原則にかなうのです。
そして次に、カイン・アベルは母を迎えないといけないのです。カイン・アベルを新しいプラスとして、対応的相対関係のお母さんと一つになっていくのです。お母さんと一つになって全体がプラスになったとすれば、大きい再臨のメシヤと一つになれるのです。さらにメシヤと母と子供を一つのマイナスとすれば、そこに大きな神様をプラスとして、一つになって公式的、対応的な相対関係で発展していくのです。
そのように見た時、結局は世界的にカイン・アベルの戦いにおいて、アベルが勝利しなければならないのです。それで右翼と左翼という民主主義と共産主義が世界的な紛争圏をつくって、アベル的宗教圏の民主世界が、無神論の共産主義を一つにするのです。それをキリスト教から見た場合には、聖霊が来て、一つにしたという立場に立つのです。母を中心として、霊的に子女が一つになったのです。次に霊肉共の一体圏を成すために、第二次大戦を中心として役事してきたのです。そこで英米仏はアベルの立場であり、カインの立場が日独伊です。
日独伊は、アベルのほうをみんな殺してしまおうとするのです。それで世界的に一番悪辣なことをしたのがドイツです。ユダヤの六百万人以上の人々を殺したのです。全滅を企画していたのです。日本も韓国のキリスト教徒をたくさん殺してきました。
このように、神を完全に否定して、神側の人々を切ってしまおうと、サタンはやってきたのです。そして、三分の二の七十パーセントの蘇生、長成までは勝利したのですが、完成圏は神様のほうに属するので、それは超えることができないのです。ですから第一次大戦も、七十パーセント以上サタンが勝ったし、第二次大戦も七十パーセント以上サタンが勝ったのです。さらに第三次大戦も、思想戦を中心としての右翼と左翼の戦いとなり、七十パーセントはサタンが勝ったような立場に立ったのですが、そこで急に滅びていくのです。サタンは完成圏を侵略することができないからです。このように、公式的な戦いをしてきたのです。ですから先生の言うように、第一、第二、第三次世界大戦は先に打って攻撃してきたサタンのほうが、みんな負けたのです。
それで神様の戦法を見た場合に、神様は先に打たれて復帰してくるのです。復帰する時には、損害賠償を加えてくるのです。それは蕩減の人物を中心として、もし一〇〇の価値でもって蕩減すべきものを、悪のほうが一〇〇を打ってきたとすれば、天のほうに九〇〇以上のものを損害賠償しなければならないのです。このようにして復帰するのが、蕩減復帰です。蕩減条件を逆のほうに適用することができるのです。それで、いくら長い歴史であっても、アダム一家庭において犯した罪を蕩減復帰する道を、世界的に拡大した歴史なのです。
ですから、今までの復帰はカイン・アベルを中心として、逆に上がるのです。それで全世界から見た場合は、アベル圏を中心としての共産主義なのです。アベル圏は民主主義で、共産圏はサタン側です。そこで戦って、アベルが勝つのです。それで右翼と左翼という名前もイエス様の時に生まれたのです。イエス様が真理の本体なのです。真理の本体として植えたとおりに、歴史過程において結実するのです。十字架で死んだイエス様の代わりに再臨主が来られる時には、右の強盗が右翼となり、左の強盗が左翼となるのです。
イエス様が国家的父母になって統一すべきなのに、その父母が亡くなって堕落したアダム家庭と同じような立場に立ったため、サタン圏が残って戦いを延長してきたのです。その延長の終末戦において右の強盗の代わりが右翼であり、左の強盗の代わりが左翼なのです。イエス様が亡くなったことによって、父母がいなくなって右翼と左翼が現れて戦うようになったので、再臨の主は右翼と左翼の戦いを平和的にまとめなければならないのです。そのことをするのが先生であり、共産主義を正して、右翼を収拾して、神様のほうにまとめていくようにしなければならないのです。イエス様の時に右側の強盗と左側の強盗に分かれたので、イエス様が生きて帰ってきたならば、それを統一しなければならないのです。
それを統一することによって、アベル圏を中心としてカインを屈伏するのです。それはアダム家庭において、カインがアベルを殺してしまったからです。それでイエス様を父母とすれば、左翼と右翼は子供なのです。子供を統一する使命を持ってメシヤは来られたのであり、イスラエル民族がユダヤ教と一つになって、母としてイエス様を迎えるようになった場合には、イエス様は死なないし、右側の強盗と左側の強盗が戦うようなことはなくなるのです。
それで、イエス様の体の代わりに生き残ったのがバラバなのです。バラバ圏は、イエス様の体の実体を引き継いで復活した立場なのです。そのバラバ圏がイスラム教なのです。それでイスラム教は、イスラエル民族が十二派に分割された中近東全体を、エジプトから帰ったイスラエルが神様から祝福された土地を、イエス様の国になるべき基台の体を引き継いだのです。ですから中近東のアラブ圏の回教は、イエス様と反対なのです。サタン的な霊的宗教みたいに左右の手にコーランと刀を持って、脅迫の宗教として世界的に発展していくのです。分かりましたか? (はい)。サタン的立場の回教とサタン的実体としての共産党が一緒になったのです。そしてキリスト教と民主主義に反対して、ぶつかってくるのです。しかし、結局は負けたのです。
氏族メシヤの使命と神の国への入籍
歴史の清算の方法は、蕩減条件を立てることです。神様は蕩減条件を立てるにあたって、もしサタンが先に打った場合には、弁償金として大きな条件を払っていかなければならないのです。ですから、神様は先に打たれて復帰してこられたのです。復帰するのに、その蕩減の量以上にサタンが打ってきた場合には、サタンは打って滅びるし、神様は打たれて栄えていくのです。
ですから、日本でも統一教会が打たれてきたのです。何の罪もないのに打たれてきたのです。それで日本自体が引っかかっているのです。世界も四十年、五十年歴史を通じて打ってきたことを、すべて神側のほうに損害賠償を加えて復帰してくるので、サタンのほうはだんだん砕かれていくし、神のほうはだんだん中心を中心として大きくなっていくのです。そして今がちょうど、地上でも切り替えの時なのです。
それで、サタン世界には中心も何もなく、めちゃくちゃなのです。神様の愛の理想を中心として、完全崩壊するのです。家庭的にも完全崩壊するのです。エデンにおいて、家庭を中心として、サタンのほうに行って堕落したので、国と世界が一つになって家庭とともに回るのです。ですから統一教会では、氏族メシヤを中心として家庭メシヤを復帰するのです。そして一六〇軒は、先生がサタン的一六〇国家を勝利したことを受け継ぐのです。その国家の中心は、真の父母になるのです。
真の父母を中心として横的に見れば、蘇生、長成、完成であり、蘇生はアダム家庭、長成はイエス家庭、完成は再臨主の家庭です。歴史の縦的過ちを横的に一代で蕩減しなければならないのです。一代は兄弟圏です。兄弟は一代圏にまとまるのです。
蕩減復帰の縦的歴史は、六〇〇〇年を通して長男の失敗を次男に、次男の失敗を三男に延長してきたのです。ですから三男の時代に、横的に完成することによって、アダム失敗完成、イエス様失敗完成を、再臨して横的にすべて完遂したのだから、先祖たちが堕落しなかった立場に立つのです。アダムの後孫が何千代続いても、すべて堕落しなかった立場に立つのです。
イエス様の時代から今日まで、何千年、何千代続いても、その先祖は堕落しなかった立場に立つのです。その後孫も、みんな平面的に堕落しないで完成した立場に立つのです。
それで、アダムとイエス様と再臨主を見れば、人類先祖代表がみんな堕落しなかった立場に立つので、その後孫も堕落しなかった立場に立つというのです。先祖が勝利したとすれば、その後孫は自動的に祝福されて、先祖の所有権を相続されるようになるのです。先祖が勝利した基準を、その後孫につなげていけば当然、解放圏に立つのです。ですから、横的に先祖の勝利の基台の上で一代、二代、三代を祝福しても、同じ価値圏に立たせることができるのです。
そうなった場合に、四五四五名は、四五、四五となっているのです。この四十五、四十五という数字になっている者たちがいっぺんに、縦的に同じ祝福を受けたとすれば、縦的数千代の先祖が一度に横に並ぶのです。それで、横的な勝利した子女たちを入籍しなければならないのですが、いまだ国がないので、入籍ができないのです。神の国ができれば、当然籍を入れなければならないのですが、籍を入れる時には条件があるのです。それは、イエス様の氏族の一二〇家庭を復帰して、氏族メシヤの使命を果たすことです。
国ができた場合に、イエス様の一二〇国家を、先生が四〇〇〇年の歴史を四〇年で蕩減したのと同じように、イエス様の一二〇か国の代表が勝利した基盤を一二〇家族を中心として完成したとして、一二〇家庭が入籍したとすれば、イエス様の一二〇家庭とお父様の勝利圏を相続することができるのです。イエス様の一二〇軒の家庭に一六〇国家をつなぐので、家庭が回るとおりに一二〇国家が回るのです。

それと同様に、再臨の時代は一八〇国家なのです。(先生が図―14を板書される)これは六数の三倍です。六はサタン数で、蘇生、長成、完成の十八数になるのです。また四数はサタンの立体数だから、十六なのです。それら(十八と十六)は、同じ価値なのです。ですから、統一教会は一八〇〇双を中心として世界的な家庭を組んできたのです。そこに六〇〇〇双を加えるのです。六〇〇〇もサタン数だから同じなのです。みんな、これ(十八)よりも少ない蕩減を願うので十六数なのです。それで同じと見るのです。
このような意味で、一八〇国家を代表する数を先生は一六〇国家で勝利して、これを一つにしているのです。それを相続するには、皆さんが一六〇家庭を中心として、先生の勝利した親の立場をすべて相続する家庭にならなければならないのです。
そのような家庭は、先生が四〇〇〇年の基盤を四〇年で蕩減したように、また一六〇国家を蕩減したように氏族メシヤを中心として一六〇軒を救わなければならないのです。そうなれば一六〇軒が回ることによって、一六〇か国家が回るのです。氏族メシヤの出発基準はアダムの立場ですから、氏族メシヤで救われた一六〇の家庭はアダムの家庭の立場に立ち、氏族メシヤはイエス様の家庭基準であり、国家基準は再臨の主です。それで蕩減復帰は、サタンが持っていた国を吸収しなければならないのです。
ですから氏族メシヤは、失敗したイエス様復帰です。イエス様を送って、家族メシヤをなすのです。神様が縦的に送ったのと同じように、神様の代わりに先生が地上に立って、イエス様を送るのです。イエス様は家庭を持てなかったのですから、祝福を受けて家庭を持てばサタンも侵入できないのです。家庭を持つようになれば、堕落しなかった勝利圏の父母権を持つことができるのです。
そこで、南北統一という問題になってくるのです。南北統一を成せば直ちに世界統一につながっていくのです。そして神の国に入籍するには、必ず一六〇軒の家庭的メシヤをしなければなりません。アダムは家庭を失ったので、一六〇軒は世界的な蘇生、長成段階の蕩減条件になるのです。それを条件として、先生の勝利した世界的な一六〇か国を相続するのです。そうなることによって、堕落しない立場で神の国に入籍が可能になるのです。ですから必ず一六〇軒の氏族を祝福させて、復帰した立場に立たなければ入籍はできません。
それで平面的には、何千代の先祖も一緒に結婚することもできるのですが、それらを再び縦的に先祖のレベルで組まなければならないのです。入籍して、第一代、第二代と組んでいかなければならないのです。第一代を先生として、再び歴史以来の先祖を合わせなければならないのです。
そうなると、同じ祝福を受けて横的な立場に立った者たちの入籍の方法によって、何千代が同じ環境になるので、一時間圏内で差がついてくるのです。そうして四五四五につなぐのです。入籍の順番によって、何千代の差が生じてくるのです。そうなれば霊界の先祖たちも、地上のすべての者も、入籍の時の差しだいで、それに相応した立場に立つのです。ですから、氏族メシヤの使命がいかに恐ろしいかというのです。これが蕩減復帰なのです。
創世以来の戦いの歴史は長子権復帰である
アダム家庭で失った歴史を展開させたのがカイン・アベルです。それはイエス様の時の右側の強盗と左側の強盗であり、再臨の時には右翼と左翼です。一方は良心を立てて神側に立ち、一方はサタンの側に立つのです。この兄弟を一つにさせる道が、創世以来今日まで続いてきたのです。人類歴史は第二次世界大戦を経て、右翼と左翼の民主世界と共産世界まで、兄弟を復帰する期間だったのです。
それを完成するために、再臨の主が来なければならないのです。再臨の主が来るためには、まず聖霊が来て、肉的聖霊エバと一つとなって、さらに霊的イエス様が実体的お父様と一つになって、イエス様の再臨の理想である国家的失敗を世界的に霊肉に分割して完成させなければならないのです。ですから、統一教会はすべてを切り替えていくのです。宗教ばかりではないのです。霊肉共に一体になっているので、いろんな事業関係も、政治関係も、この世との関係を切ってしまうことはできないのです。それで先生は、渉外などによって、すべてのことを成してきたのです。
それで、普通の宗教とは違うのです。普通の宗教は精神と物を分別していないのです。精神と物が戦うのだから、それを分割しなければならないからです。霊的なる神様を信奉するには、物的条件を拒否しなければならないのです。それで、宗教は肉身撲滅運動をするのですが、完成期の統一教会はその反対に、霊肉共に一つにして神様のほうに帰っていくのです。出家ではなく故郷に帰るのですから、帰郷という問題になるのです。
宗教によっては独身生活を強調したりするのですが、統一教会は三十六万双を祝福するのです。これは大変幸福なことです。イエス様が亡くなって二〇〇〇年間の戦いに勝利した結果、それ以上の立場に立ったのです。イエス様は結婚できずに、相対を持てないで再臨の時まで延長してきているのです。
統一教会で祝福された者は、イエス様より以上の立場で再臨の理想を勝利する家庭を持つことができるのです。ですから、世界的に家庭を中心として国に帰ることができるのです。独身生活をしていてはいけないのです。蕩減復帰で分割されたものを統一して、元の基準を完全に復帰したのだから、そこから新しい理想世界の出発が可能になるのです。
今までの歴史は何を探すための歴史だったのかというと、長子権です。弟を中心として長子権を復帰するのです。その次に、母を中心として父母を復帰して、父母と長子を中心として王権を復帰するのです。その理想が世界を超えて国を一つにして、アダム家庭タイプを世界に展開して、全体的に蕩減して勝利圏に帰るのです。神様のほうに帰るのです。このような内容を知らないと、歴史は解けません。
ですから創世以来の数千万の戦いの歴史は、長子権復帰のためだったのです。その間に、たくさんの家庭とたくさんの国家が転覆しながら、滅びたり栄えたりしてきました。ある時には神様に逆らい、また神様の保護を受けながら、いろんな曲折の歴史を通して、最後に兄弟復帰世界タイプの基準を求めてきたのです。
それらが一つになった場合には、保護を受ける中心が生まれてくるのです。地上にそのような基盤がつくられたのですから、地の代表者はお母様なのです。そのお母様を中心として、女性は地を表徴するのです。天はお父様を表徴し、地はお母様を表徴するのです。それは正しい教えであり、間違いない真理の道であり、天へ帰る道なのです。父母様によって天に帰る道を教えるのです。
環境はプラス・マイナスという、主体・客体が絶対的公式になっているので、神様に帰るには、これが一つにならなければなりません。一つにならなければ、天宙的に天運が保護しません。一つになることによって、雑教圏に父母が生まれてくるのです。雑教圏は、天使長圏の宗教として立っているのです。その雑教圏のプラス・マイナスをすべて収拾しなければならないのです。そうすることによって、親の懐に日本が救われるということになるのです。
今までの歴史は、兄弟を収拾して長子権を復帰する道でした。神側が弟になったことを、初めて世界的に、終末的に結末をつけたのです。お父さんとお母さんが生まれたので、兄弟同士は戦うことはできません。父母によって一つになった以上、兄弟は再び別れることもできなければ、喧嘩することもできないのです。ですから、平和統一ということになるのです。真の父母によって、別れた兄弟を統一することができるのです。これが平和統一です。
それで、「世界平和統一家庭連合」が生まれてきたのです。人類は家庭を失ったのだから、真の家庭を通して神のほうに帰らなければならないのです。ですから日本も、家庭を中心として全部が回れ右をすることによって、回れ右をしたその家庭が氏族編成をして、信仰の子供たち三代につなぐのです。カインの血統も重要だから、天的な信仰の子供と父母とが合体して、氏族復帰をしなければならないのです。
それで、復帰された信仰の子供はアベルであり、不信仰の相対はカインです。それを家庭的につなげていくのです。父母と子女が一つになることで父母圏、子女圏が一体になったその環境には、サタンの讒訴圏がなくなるのです。そのように家庭的に完全復帰することによって、天的な基台ができるのです。ですから、氏族メシヤの思想は大変なのです。
今までは長子権復帰です。母を中心として子女が一つになれば、それが全体の中心になるのです。プラス・マイナスが神様を中心として立つので、それを王権と言うのです。家庭的プラス・マイナスの王権です。家庭も神様を中心として、氏族も神様を中心として、民族も神様を中心とするのです。それが王権なのです。そして、縦的に個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、神様を中心とするのです。すべての中心が王様の権限なのです。そのように父母を中心として子女、三段階すべてを復帰するのです。それで、四位基台圏が完了するのです。
歴史は、このように見るのです。ですから、今までは長子権をなしてきたのですが、これから父母権をなすにあたって、その問題は何かというと、再臨の主は蕩減条件に干渉しなくてもいいということです。子供たちがみんな先生を中心として蕩減復帰の道をなしてきたので、サタンは先生を殺すことができないのです。先生は蘇生、長成、完成基準を超えているので、サタンの権限圏を超えているので、先生の命を取ることはできないのです。どんなに迫害してきても、結果主管圏にサタンは入れないのです。家庭的に超えるまではサタンの迫害があるのですが、それ以上は汚すことができないのです。それで、それらをみんな公式的に整理しているのです。
そうなると、母が問題です。母は天から降りてくるのです。再臨の主も天からです。アダムは神様が直接つくったのです。エバはアダムをかたどってつくったものです。肋骨を取ってつくったというのではなく、かたどってつくったのです。ですから、本なんかを読んでみても、その骨子を抜けと言うのです。分かりますか? それは、標準の基準を探せということなのです。肋骨は、人間の骨の中でも一番重要なのです。なぜ重要かというと、みんな内臓の重要器官を守っているのです。これがなかった場合には大変です。肋骨は貴重な骨を象徴しているのです。そのようにアダムをかたどってエバをつくったのです。
家庭における女性の使命
今からは家庭においての女たちが問題です。サタンを中心として、天使長を中心として、アベルの女とカインの女が戦うのです。そこで、アベルは姉さんではないのです。妹なのです。しかしサタン圏で生まれた順番からして、姉さんは絶対的に妹を主管することができるので、これが問題です。原理原則によって主管されるような立場に立った妹が、自動的に姉さんを屈伏させて、姉さんの立場を復帰しなければならないのです。女もカイン・アベルと同じような立場で、復帰していかなければならないのです。
そのような異なった姉妹関係の基台が家庭なのです。ですから家庭において、正妻とか妾がいた場合には、喧嘩して大変な問題になるのです。男性がもし妾をつくった場合には、本妻は黙っているでしょうか? 「殺してしまえ」とか、「死ぬんだ」とか言って、家中が大変なことになってしまうのです。ですから復帰路程は、正妻一人ではできないのです。妾と一つにならなければ帰る道がないのです。なぜかというと、堕落したために、神様の前に二流の子女が生まれてきたからです。
カイン側のお母さんと子供と、それらを復帰していくアベル側のお母さんと子供という、二流の子女が立つようになったのです。もし堕落しなかったならば、一流だけなのです。堕落の結果、二流になってしまったのです。ですから神様は、これを収拾しなければならないのです。そこで、いかに二流を一流にするかというと、サタン的な長子を中心として一流にすれば、サタン的なものになってしまうのです。これを蕩減復帰していかなければならないのです。神側の妹がアベルです。その妹を中心に立てて、姉が一つになることによって、神様が本来創造した絶対主体の立場の氏族圏が生まれるのであり、サタン側の長女のほうを立てた場合には大変です。
女性も、カイン・アベルの長子権復帰と同じように、姉と妹が家庭内において一人の旦那さんとの関係で喧嘩するようになったのだから、それを一つにしなければならないのです。その重要な女の家庭的使命をなして、外的カイン・アベル復帰とともに内的問題の復帰をしていくのです。最後は姉妹関係を超えて、エバ個人の問題まで解決しなければならないのが、家庭における女たちの使命なのです。
この個人的エバの問題を解決することによって、すべての蕩減の峠を越えることができるのです。そのことが、歴史上に今まで展開してきたのです。そして、外的なものがカイン・アベルの長子権復帰なのです。弟が兄さんになり、兄さんが弟になるのです。そのように、二流を一流にするのです。女性も、妹が姉さんになり、姉さんが妹になって、一流になって帰ってくるのです。そのように家庭的問題を解決した場合に、次に個人的エバ自体の問題が引っかかってくるのです。
長子権復帰はカイン・アベルの問題です。家庭的問題として、こういう絡み合いの兄弟圏の紛争が神の前に残っているのです。堕落した正妻圏の親子と、妾のほうの立場に立つ親子がいるのです。(図ー13、二九一ページを参照)そこで復帰の道は、妾を通して、第二番目を通してやらなければならないのです。ですから末の世になると、こういう問題が交差するので、神様は離婚を許さざるを得ないのです。離婚を許すことによって、少ない被害で神様に帰る道がたやすくなるというのです。そのような公式によって、神様は離婚を許さざるを得ないのです。
それで、姉さんと妹を見た場合に、妾は男の世界と関係しやすいので、正妻を中心として回っていくのです。末の時代になると、男はみんな一人以上の女を持って大変な問題を起こすのです。一人の人が何百人とも関係するようになるのです。ですから、正妻も嫌がって「あなたがそんなことをするなら私もー」と、いうことになるのです。それで、金持ちの正妻なんかに燕の群れという言葉が生まれたのです。若い男を中心とした売春行為です。そのように、公娼街の男に金を渡して、「あなたがそうするのだから、私も男遊びをします」と、本当にそのようなことをするのです。そのことは、精誠を尽くしていけば、かえって神様のほうに必ず帰っていく開拓の道の方便であるともいえるのです。ですから、「罪多きところには恵みが多い」という聖書の言葉があるのです。
末の時期は、悪いことばかりではないというのです。悪い者も末の時期には同じく救われる道もあるのです。妾が正妻を救うことができるというのです。ですから妾は、男を相手にしやすい環境になっているのです。それで正妻が神様に帰るには、妾を通して自分の主体者を紹介してもらうようになれば、完全に長子権、長女権を復帰することができるのです。だから家庭的にも男女関係が乱れていくようになるのです。切り替えする時には仕方がないのです。それで、その切り替えの時に、悪なる女も天のほうに帰れば、天の祝福を受けられるのです。反対に天のほうにいても信仰生活が悪かった場合にはサタンのほうに連れていかれて、悪なる女の立場に立つのです。ですから、「謙遜で素直な人になりなさい」と言うのです。

このように家庭を中心として、歴史創世以来、子供をまとめてきたのです。それで家庭の外的な世界をまとめた後は、今から家庭的に内的なお母さんたちの収拾をしなければならないのです。お母さんが二人いては駄目です。一つになって、堕落した女の蕩減を逆に引っ繰り返さなければならないのです。そのことをみんなが分かることによって、完全に世界から家庭、個人まで超えていくのです。女によって堕落したのですから、女が重要な責任を持たなければならない時代になりました。
それで末の世には、女性全盛時代が来るのです。女たちが男の妾をいくらでも持っていいという時代になったのです。堕落した時のことを考えれば、エバが二人の男を迎えたのですから、末の時期にも一人の男だけでは足りないのです。日本もそうです。女はいろんなことをやっているのです。ホテルなどを使って売春をする女もたくさんいるのです。この乱れた女たちをいかに収拾するかというと、この原理原則を知って、二流を一流にまとめて天の理想に帰る道を教えるのです。それは、全体から見ても否定できないものであり、自分たちが間違っていたことを知った場合には、それを正して回れ右をして帰るのです。
これが蕩減路程なのです。世界的蕩減路程、家庭的に女が過ったことの蕩減路程、個人的女の蕩減路程なのです。男として、これを勝利的に超えていかなければ、本来の第二のアダムの立場に立つことはできないのです。夫婦になることができないのです。
ヤコブ家庭を中心とする摂理
これ(先生が図―15を板書される)は個人個人の家庭を持つための世界全体の争いだったのです。今や、女たちの姉妹関係の戦いをいかに収拾するかということです。一人の男を中心として、神様一人を中心として、これを収拾しなければなりません。
これを蕩減するために、神様が初めて四〇〇〇年目に着手する時、ヤコブを中心として蕩減復帰しなければならなかったのです。そして争ってはいけないのです。(先生が図ー15の①の中央に「×」印を入れる)争うようになっていないのです。それでヤコブは七年の契約をして、(図ー15の②を参照)ラケルをめとるようになったのです。いよいよ結婚の日を迎えて、ヤコブは男として有頂天の喜びと興奮の真っ最中に、結婚の初夜のいよいよ出発の時に、思いもよらないことが起きたのです。
ユダヤの結婚式は、韓国の結婚式のようなのです。結婚の初夜には二本のろうそくをつけて、奥さんになる人が真っ白に化粧して、ほほに赤い丸を付けて部屋に入っていくのです。それでもし美人ではなく、気持ち悪いブスさんであったら、男は逃げていくのです。(笑い)
ヤコブは、一夜明けて見た時に自分の妻がラケルではなく、姉さんのレアだったのです。あなたたちも、それを考えてみてください。これ以上の大変なことはないのです。「ワー、七年間の苦労はどこへ行ったのか」と、死んでしまいたいほど、気絶しそうになったのです。
ここで問題は、なぜ神様が四〇〇〇年目に摂理を着手される時に、レアを加えることを許したのかということです。神様はすべてが分かっていたのに、なぜラバンのすることをそのまま放っておいたかということも問題なのです。しかし、それは仕方がないことなのです。神様が復帰を着手するに当たっては、堕落したエバを完全に復帰して、神様のすべてを相続して、奉仕する立場のエバが立たなければならないのです。そのような堕落した立場のエバがいなければ、妹のラケルもいないのです。
堕落したエバの立場で、姉さんとして妹に侍るような女がいなければ、ラケル自体が神様に帰っても、母親として子供を持つことができないのです。原理的堕落論の観点から、二流系を現場で一流系にまとめていかなければならないのです。二流の女を持った神様の立場を蕩減しなければならないのです。それを蕩減しなければ、堕落の実際の現場を知っているので、神様は「そんなことはできない」と言われるのです。それで、仕方なしにそうせざるを得なかったのです。
それで、どうなったかというと、姉のレアはまるっきりサタンの女として、男と女をすべて自分のほうにまとめてしまうのです。自分の身近な僕の女の二人と組んで、三人で十人の子供を生んだのです。一方ラケルは、一人で二人の子供を生んだのです。これらがみんな怨讐になっているのです。怨讐になって、そのまま永遠に残っていくのです。これを、いつかは解決しなければならないのです。このような内的な女の世界の絡み合いがあったということを、今まで人類は誰も知りませんでした。先生によって解決されたので、これらが一つになることができるのです。一つになった場合には、問題はないのです。
このようにして、こっち(妾)が姉の立場で、こっち(正妻)が妹の立場で、絶対的に命令に服従していった場合には、(図―15の②を参照)二流が一流になって、これが長子権、これが正妻圏になって、これ(レア)が逆に妾の立場に立って慕っていけば、天に帰ることができるのです。天に帰って共に住むとき、妾は要らないかというと、そうではないのです。簡単に妾と言っても妹の立場であり、それが完全に一流の相対圏に立てば、堕落しなかった正式の女として、神様に向かうことができるのです。
こういう絡み合いが、あなたたちの家庭にもあるのです。ですから家庭において、女がサタンによって堕落したのですから妾の立場が問題なのです。正妻と妾の立場です。みんなの家庭もそうでしょう。お父さんは天使長ですから、たくさんの女と関係するのです。そうすることによって、神様の愛の基台を破壊し、家庭をめちゃくちゃにするのです。家庭を守るのではなく、家庭をめちゃくちゃにするのです。嘘をついて、家庭を崩してしまうのです。それは、まるっきりサタンなのです。自分のお父さんであっても、そのような悪いことをするのはサタンの実体です。そうなると、子供も親を嫌って、絶対に親の後について行かないのです。そして、お母さんは毎日泣きずるのです。日本にも、そういう家庭がたくさんあるでしょう。
天に背いて理想家庭を破壊する者は、滅亡の地獄に落ちていくのです。間違いないことです。ですからサタンを淫行の神と言うのです。それで、巫女たちはみんな品行がよくなく、男女関係が乱れていたのです。サタン的な女とサタン的な男は、男女関係が乱れていたのです。天的理想の家族愛の基盤を完全に崩壊しようとしているので、それにつながる者はすべてサタンと共に地獄に行くのです。これを解放しなければならないのです。神様の道は二流系をまとめて一流系にしていくのですから、逆説的論理を使わざるを得ないのです。妹を中心として姉さんを屈伏させて、妹が姉さんになって、姉さんが妹になるのですから、天地開闢時代が来るのです。
すべてが反対になるのです。お父さんが子供になり、子供がお父さんになるのです。孫がおじいさんになり、おじいさんが孫になるのです。回れ右をするので、そうなるのです。先祖が孫の王様のための使用人になるのです。天地開闢という話があるように、理解できない時代がやってくるのです。お父さんが自分の子供に、おじいさんが自分の孫に毎朝、最敬礼をしなければならないのです。それをしないと、神の国へ入れないのです。回れ右をしないと、神の国へ入ることができないのです。おじいさんは孫の立場に、お母さんお父さんは、子供の立場に立つのです。白髪のおじいさんたちは、自分の孫に誰よりも奉仕しなければならないのです。そういう時代が来るのです。
蕩減復帰のイスラエル歴史
神様は既成の家庭を祝福するよりも、汚れのない純潔な男と女を祝福したいのです。そのような、純潔な家庭は完成のほうです。男女関係をして結婚したのは中間のほうです。既成家庭の場合は堕落のほうです。それで、人間の三層を見ることができるのです。堕落した家庭と、イエス様との約束に従って新婦として新郎を待つような男女と、それから純潔な男女です。統一教会では、その三段階の先祖をまとめたのです。アダム家庭は自分なりに結婚した家庭です。
ノア家庭は二番目です。イエス様の家庭を縦的にみた場合、横的なノア家庭は世界的に二番目であり、相対的に対比的に立つのです。ノア家庭は約束を守って地の条件は立たせたのですが、天の目的を果たすことができず、結婚理想世界はなせなかったのです。それで初めて着手したのが、ヤコブ家庭なのです。ヤコブ家庭から正式に蕩減復帰の歴史がつながったのです。
こういう過ったことを正してきたのが、イスラエルの歴史です。十支派の北朝と二支派の南朝です。これがイスラエルの国とユダヤの国です。ユダヤとイスラエルの二つの国に分かれて争ってきたのです。旧約聖書の預言書を中心として、対峙国としてカイン・アベルのように戦っているのです。それを一つにしなければならないのです。
ヤコブの血統を引き継いだ後孫が、なぜ兄弟で分裂したかというと、それは、お母さんたちのゆえです。
お母さんたちが一つにならなかったのですから、子供たちが一つになれないのです。両親が一つにならなかったのですから、我々も心身紛争しているのです。それと同じことです。これを、どんなことがあっても正さなければならないのが、人間の最高の使命なのです。絶対になさなければならないのです。
人生を遊び暮らして霊界に行けば、大変なことになるのです。霊界には、蕩減復帰という言葉がないのです。一方きりで終わるのです。家庭によって蕩減復帰は終着するのです。
ですから、蕩減復帰時代に生きることのできる人生路程が、いかに貴重であることかしれません。どんなに苦労しても、七十年精誠しても、一生です。失敗すれば永遠無限につながるのです。遊び半分ではないのです。先生は遊び半分の男ではないのです。真剣な戦いをやってきたのです。あなたたちも真剣になっていますか? (はい)。
真剣になっていなければ、このような蕩減の道を越えることは絶対にできません。生命をかけないといけません。ですから、死なんとする者は生きるし、サタンの圏内でそのまま生きたいという者は死ぬのです。地獄に行って永遠の生命の価値がなくなり、死亡圏に陥るのです。生きんとする者は死ぬし、死なんとする者は生きるのです。聖書は、こういう逆説的な論法を結論として教えているのです。ですから末の時期には、自分の最も愛する家族が怨讐になるのです。それを包容した場合には、この堕落圏内を逃れる道がないのです。それをけ飛ばして、それを押し込んで、堕落圏を抜け出る決死的な戦いをすることによってのみ救済されるのです。
ですから、あなたたちの最も愛する者が、あなたの生命を永遠に引き取ってしまうのです。「学校に行って勉強をする」と言っても、勉強も何もないのです。金を愛する者は、金が自分の首を引っ張るのです。勉強して知識を愛する者は、知識が自分の首を取るようになるのです。権力をむさぼり、それを願う者は、それが自分の首を取るのです。女性に引かれていく者は、女性にやられるのです。分かりましたか? (はい)。それで、すべてを切ってしまうのです。だから「独身生活をしなさい。出家をしなさい」と、神様は教えてくれているのです。
それで統一教会は、全部が統一できる基準をなし得たので「故郷に帰りなさい」と言うのです。これは、何千万年も人間が願ってきた希望の宣言なのです。福音の宣言なのです。それで故郷に帰るには、結婚して帰りなさいと言うのです。子供と共に帰りなさいと言うのです。統一教会の祝福家庭は、子供を抱えて帰るのです。「ワー、金がないから困ります」と言って、金のために回れ右をした場合には、全部サタンの側にやられてしまうのです。どんな難しいことがあっても、昆虫も生きているし、魚も生きているのですから、万物の霊長たる人間は、自分で開拓して堂々と生きていけるような権威を持たなければ、神様の創造に対しての反目になるのです。
小さな昆虫も雄雌が共に生きているのに、魚も子供を連れても雄雌共に生きているのに、万物の霊長たる人間が、何ですか! 山に行けば食べ物もたくさんあるし、海に行けば食べ物がたくさんあるのです。けだものもたくさんいるし、昆虫もたくさんいるし、鳥もたくさんいるし、魚もたくさんいるのに、なぜ人間が生きられないのですか! ですから先生は、みんなに魚釣りを教えてきたのです。
釣り針を作ることなど問題ありません。田舎に行けば、女たちはみんな縫い針を持っているのです。おばあさんが縫い針の使いものにならないものを持っていた場合には、「おばあさん一つ下さい」と言えば、みんなくれるのです。それで糸がなければ、ナイロンの足袋を解けば立派な糸になるのです。それで、いくら魚を釣っても切れないのです。ナイロンの糸は二倍以上の魚を引っかけても、一日中でも釣れるのです。ですから糸も針も問題ないのです。使いものにならない針があった場合は、ローソクを借りて、ローソクを灯して針が赤くなったところを、ペンチなんかで曲げれば、針も作れるのです。
それで糸を結ぶ所をつくるには、中間にローソクの火を当てて、赤くなったそこをペンチでもってたたくと、これが広くなるのです。そこでその下に糸を巻けば抜けないのです。また餌は、どこにでもみみずがいるし、肉であれば何でも餌になります。そうして、釣り竿は要りません。この手一本で大丈夫です。このようにして、一日に十人、二十人でも食べさせることができるのです。魚を取って補給することができるのです。
アフリカの低開発国家で、お母さんが五人の子供を連れて餓死していく姿を見た場合、なぜ死ななければならないのでしょうか? もし、お母さんが釣りの方法を知っていれば、五人の子供を食べさせることなど問題ないのです。川には魚が無尽蔵です。今回ブラジル行った時、いやー、魚の多いこと多いこと、先生は目が回ってしまったほどです。それは話にもなりません。いろいろな魚がいて、投げ網をした時には、網を引き上げることができないほどでした。それをみんなアフリカへ回したとすれば、村中の百軒の子供を皆、食べさせても余りあるのです。それなのに、なぜ餓死するのでしょうか? それは、部落の先祖たちが、先輩たちが教えてあげなかったからです。ですから、統一教会のメンバーは釣りとハンティングを覚えておきなさい。(はい)。
今や、鉄砲はどこでも買えます。それを持って、鹿なんかを追っていくのです。鹿は山奥の低地の静まった所で水を飲むのです。どんなに遠くに住んでいても、いくつもの峠を越えて水を飲みに来るのです。ぞろぞろと朝の挨拶に来るのです。それで鹿を一頭取れば、一か月は食べて生きられるのです。
先生は、こういうことをみんなに教えてあげるのです。アフリカの部落に行っても女たちを集めて、釣り針の作り方、釣りの方法を教えてあげるのです。「そんなことは知らないし、できません」と言っていても、魚を捕って子供たちに食べさせるので、みんな有名になります。「あー、統一教会は素晴らしい。西洋の宣教師は、自分たちの家にあったものをみんな取っていったけれど、統一教会の人々は餓死しようとしている者を生かしてくれる」と。それで、「救世主が来られた。メシヤだー」と証しできるのです。
メシヤは、日本では食堂の親父ですね。(笑い)なぜ笑うのですか、そうでしょう? 肉体を救済する食堂の親父なのです。霊肉共の食堂の親父が必要なのです。先生はそういうことやっているのです。霊的な親です。何か食べさせて、弱った者を元気づけるのです。そうすると、日本を越えて勝利を誓うようになるのです。霊的な食べ物を食べて元気づけられると、そうならざるを得ないということは当然のことです。ですから、霊肉共の食堂の親父なのです。そうすることで、実感的になるのです。大変なことになりました。
北朝と南朝を一つにするエリヤの使命
そのようにして、北朝十支派はレアの派閥の系列になるのです。ユダの二支派の国家が、それと戦ったのです。家庭の統一ができないので、国家的紛争圏に拡大したのです。国家を治めるのは父母なのです。国家的な父母が来られて、これらを一つにさせなければならないのです。神様はそれを知っていて、エリヤという預言者を立てて警告してきたのです。「北朝と南朝は兄弟であり、同じ親の子供である。互いに血を見て争うような歴史的な紛争の元になる不安をつくってはならない。共に相談して、一つになることを誓いましょう、やりましょう」と言うと、みんな「それはそうだ」と喜んで答えたのです。
そのように決めて、「我々はほかの神を信じることはない。真の神を信じる先祖を持っていたのだから、真の神が我々の先祖を助け、我々に先祖をつないでくれたのだから、その神につながらなければならない。異邦人の神と関係を持っては駄目だ」と言ったのですが、北朝イスラエルはバアル神とアシュラの偶像を崇拝する邪教国家になってしまったのです。それで、いつも争ったのです。
それで、「試しに、神様に祈ってみましょう。あなたたちの侍っているバアルの神、アシュラという偶像崇拝の神が本当の神かどうか、今から祭壇をつくって祭物に水をかけましょう。その祭壇に天から火を降ろして祭物を焼いてしまう力を持っているほうが、本当の神です」と言うと、北朝も南朝も「それに従いましょう。そうしましょう」となったのです。
そこで、北のほうにはたくさんの人々がいて、偶像崇拝の祭司たちと共に八五〇人集まって、エリヤ一人に対決したのです。それで当然、八五〇人が祈れば、自分の信奉する神のほうが奇跡を起こして、祭壇全体を燃やしてしまうに違いないと思ったのですが、いくら祈ってもそんな現象は何一つ起こりません。そこで、「あなたの神はそれができないのだから、私が一人で祈る番です」と、八五〇人対一人で、神様に祈ると天から火が降りてきて、八五〇人の祭司と共に祭壇の祭物をみんな焼いてしまったのです。
そこで北朝も南朝も共々に、万歳をすれば本当の神様になるべきなのに、「今まで習慣的に侍って、生命をかけて信奉してきた祭司たちを殺した。ワー、この野郎!」と。長老をはじめとして、全部が競ってエリヤを捕まえて殺そうとしたのです。それでエリヤは山に逃げていったのです。神様の命令どおりにやったので一つになると思ったのに、一つになれないで、こういう死の境地に追われて、自分の生命を神に献げなければならないという非常な立場で、「神様、こういう結果になったのですから、私の生命を取ってください」と祈ったのです。
そこで、神様の意志は何かというと、「いまだに七〇〇〇名のバアルとかアシュラの偶像の神に服さない者が残っている。どんなことがあっても、再びこれを一つにしなければならない」というのです。蕩減復帰はプラス・マイナスの兄弟圏をなさなければ、神の立つ中心がないから、絶対的要求として命令したのです。エリヤはそんな公式も何も知らないので、ただ祈ったのですが、君たちは公式を知っているのですね。分かりましたか? (はい)。これは先生の作り話だと思いますか? もともと原則としてあったことだと思いますか? (原則としてあったことです)。
それで、これらを一つにすることができれば、イエス様が来られる時が近いというのです。このカイン・アベルを一つにしなければ、再び国家的メシヤとして来られるお父様を殺してしまうことになるのです。大変なことです。エバが堕落してアダムを殺したことを、再び神のほうにもとがえしてあげ、その権限を神共に一体とするためにアダムとして来られた方を殺してしまったらどうなりますか! 神様が直接働いて再創造する道を、平面的に復帰していかなければならないと大変なことになるのです。
それで神様は、「メシヤが来られる前に、再びエリヤを送る」と言ったのです。このような内容をイスラエル民族は知らないのです。先生によって、みんな知ることができれば神様がエリヤを送るのも当然であり、イエス様の前に、イスラエル民族がユダヤ教を信じて一体になるのも当然だと思うのですが、当時はエリヤ自体も分からないことだったのです。堕落して何も分からなくなった先祖から生まれた後孫だから、根本と結末がはっきりしないのです。あなたたちも同じです。
先生は、完成した真の父の立場です。堕落圏のアダムの先祖とは違うのだから神様と相談して、「すべては愛の関係を結ぶことである」ということを明白に分かるようにしたのです。それで、出発がはっきりしているし、過程がはっきりしているし、結果もはっきりしているので、終末にはどのようにして神様に帰ることができるかということを教えることができるのです。ですから、そういうことを教えることのできる人こそ、真の親でなければならないということはもっともな話であるというのです。偽りと無知によって堕落したので、これを文明のルーツの立場から復帰するということは、もっともな話なのです。ですから、真の父母はどのくらい必要ですか? (絶対に必要です)。
あなたたちは、「良心は神に優る」と言うのですが、そのようになったら、真の父母は要りますか、要りませんか? 神様の相対圏に入ったならば、必要ないのです。君たちが真の父母になるのです。真の父母が必要なのは、自分も真の父母を相続して、二代目の真の父母となり、三代目の真の父母になるためです。そうなれば、サタンと真の父母は永遠に関係がないので、あなたたちも完全勝利なのです。完全に神様と地上で永生が伴うので、希望の世界は言うに及ばないのです。分かりますか? (はい)。これは重要な話なのです。
「真の父母と成約時代」の宣布
イエス様が来られた時にユダヤ教徒とイスラエル民族は、なぜイエス様を殺すようになったのかというと、それはエリヤが来なかったからです。メシヤが来られる前にエリヤが来て、メシヤの行く道を正すというマラキの預言があったからです。それでイエス様より先に、エリヤを探し出さなければならなかったのです。なぜそういうような内容を神様は預言させたのかというと、人間が神様をだましたからです。ですから蕩減復帰によって、神様は人間をだまさなければならなかったのです。
悪いことをした者は、ただでは祝福されないのです。相続されないのです。試験にパスすることによってのみ相続することができるのです。ただでは相続できないのです。悪いことをした以上の内容の試験にパスした場合に、相続し得る道が開けるのです。無知によって堕落した者は無知の条件でもって蕩減復帰しなければならないのです。こういうことを知らなければ、いくら聖書を読んでも神様を知ることができないので、聖書を信じるとともに否定しなければならない立場に立つのです。肯定圏をいかに探し出すかというと、人間が神様を否定したので蕩減復帰の原則によって、人間は神様に否定されるような立場に立たされることによって、その穴が埋められていくのです。それが蕩減復帰なのです。
先生も、これまで神様にたくさんの試験を受けてきました。啓示では、「ワー、君、文鮮明はこのようになる。大変なことになる。必ず高い所に上げる」と約束されたのに、必ず牢屋に入れられたのです。しかし、それは間違いではないのです。先生は牢屋に入って、それで死んでしまうのではなく、必ず跳躍、飛躍していくので、統一教会も必ず発展するのです。先生はダンベリーから出て七年目に、「真の父母と成約時代」を超国家的にアメリカ国会で宣言したのです。これ以上の勝利はないのです。(拍手)ですから、迫害は悪いことではないのです。迫害の後には、必ず祝福されるのです。
若い時にむさぼり食って遊んだ者は、老人になって乞食の従兄弟のようになるのです。若い時に苦労する者は、老年になって楽するようになるのです。登り坂があった場合には、必ず下り坂があるのです。世の中は、そうなっているのです。平地があまり続く所では病気になるのです。住む所がないからです。山には、休む所があるのです。岩によりかかって寝ることもできるし、洞穴があれば、そこで寝ることもできるのです。平地に行ったら蛇ばかりです。みんな恐ろしいものが、その穴の中に入っているのです。ですから蕩減が必要なのです。蕩減を通過した場合には、峠の上の高原地が現れるのです。永遠の高原地は、理想郷になるかも知れないのです。
ですから、自分が必ず偉くなろうとすれば、それに相応して、偉い人にならないようにと引っかける者を乗り越えることによって、その引っかけた者の世界を指導することができるようになるのです。全世界が文先生に反対しても、それを乗り越えているので、文先生はその世界を神様の立場で指導する道が開かれていくのです。文先生がここまでやって来れたのは、自分一人の力ではないのです。神様と共にやってきたからです。今でもまだ行かなければならない道があるのです。
きょう、そのような先生に対して、自ら模範的な社会、国家をつくりますという計画を持ったアベルの国が、「文先生以外に頼れる方はいません。国を挙げて歓迎いたします」という答えをしてきました。皆さんは、それをやりましょうか、やらないでいましょうか? (やります)。日本人に血と汗と死ぬような苦労をさせても、世界が望むような国をつくりましょうか、日本人は見物人として後ろのほうにおいて、何もさせないようにして、それを黒人にだけさせましょうか? (日本人がやります)。黒人にさせた場合に、その黒人が神様の王子になるのです。王様になるのです。
それで、先生はきょう、会議で「私は韓国人ではない。天国の王子である。全体を平安にするため最も素晴らしい国をつくるのである。私を頼ってはならない」と言ってきました。先生は、これから南アメリカに行って、ブルドーザーの運転手になるのです。開発の先頭をきって、朝の五時から十二時まで働き続けて、若い者がみんな逃げるような仕事もしなければならないのです。大変なことです。八十歳に近いおじいさんが、そんな死ぬような恐ろしいことを平気で言うのは、大変なことです。
そんなことを先生がやれると思いますか? どうですか? 先生が老人みたいに見えますか、青年みたいですか? (青年みたいです)。目と言葉はそうですが、髪や顔はみんな老人に間違いないのです。気を失って倒れても、一人では起きられないことがいくらでもあるのです。しかし、先生が現場で倒れることによって、統一の勇士たちは先生の後について全世界で奮起して、先生が生きてやるより以上のことのなされる道がなきにしもあると思うのです。死ぬ時は、きっぱりとしなければなりません。
それで平和という問題は、どこでも大問題なのです。両方の目が戦いますか? もし戦ったら大変です。口も三ミリ片寄った場合には話しにくいのです。振動数が違えば、大変なのです。相対関係が合うことによって、相応の平和の境が合うことによって、正式な振動によって自由に言葉が語れるのです。耳もそうです。左右が違った場合には、苦しみが生じるのです。宇宙がそうなっているので否定できないのです。
神様の心中の悩みは人間の救援である
メシヤが来られる前にいかに北朝と南朝を一つにするかという、神様の心中の悩みを知る者は世の中に一人もいませんでした。エリヤ自体も、そのことを知らなかったのです。ただ神様は命令する方であると思っていたのです。もし、文先生みたいに明白な解説ができたとすれば、イスラエル民族が一つになれるように教育するのは当然なのです。知らなかったのです。それは堕落の後孫として生まれてきたからです。その元を探って乗り越える者が一人もいないので、歴史は回り回って連綿として今までつながってきたのです。自分を中心として解決できるかというと、それもできない後孫の道が続いてきたのです。ですから、それを知った場合には、もう休めないし、疲れないのです。
さて、金を持って何をするというのですか? 人間を救うのが神様の目的なのです。神様には、金なんか要りません。救援の目的を最も大切にするのです。そうですか、そうではないですか? 知識を持って何をするというのですか? 知識は要らないのです。子供を生んで罪のないいい親になれば、それでいいのです。習う必要はないのです。先生は習って、こういうことが分かったのではないのです。神様と一つになることによって、すべてが分かったのです。祈ると、すべて前後がはっきりとするのです。それを判定して、判決を下すという問題ではないのです。
あなたたちの家では、お父さんを中心として、お母さんが喧嘩をしますか、しませんか? 喧嘩をしない父母を持った人は手を挙げてみなさい。口喧嘩はしたでしょう? 布団の中でも喧嘩するのです。子供には恥ずかしいから、口にも出さないで、顔にも表さないで、喧嘩もしない夫婦がいるでしょうか、いないでしょうか? それはいないのです。
それで問題は、みんな旦那さんと奥さんの愛の問題なのです。親と子の関係も愛の問題です。兄弟関係も、「お母さん、私を愛してください。姉さんだけを愛して、私のことは何でも無視して困ります」と言うのです。困る(小丸)と言うのだから、半分は堕落圏です。百丸になったらいいのです。今から、統一教会は困るという言葉を使ってはなりません。百丸です。(笑い)困るを使うと、日本人は半分にしかならないのです。ですから、エバ国家です。困るというのは、男女の愛の動機によってそうなったのです。それは否定できません。男と女を中心とした愛の問題を完璧に解決していけば、紛争も差別もないのです。ぶつぶつ不平を言うこともないのです。本当か嘘か、やってみなさい。文先生の話を信じることができるかできないか、やってみなさい。
それで平和の境に立つか、統一の一体圏の家族になるか、それを試してみれば文先生はそれほど悪くないというのです。「絶対に信じたい。追っかけて行こう。つかんで行こう」とするその時に、もし先生が霊界に行っていたとしたらどうしますか? 地上には、長くはいられないのです。今、先生は準備をしているのです。いつまで生きられるか予想して生きているのです。日本人は、「早く文先生が亡くなればいいな」と思うのでしょう、そうでしょう? (いいえ)。「先生が亡くなればいいな」と思っていた者が、この場に来て、二日間先生の話を聞いてみて、今でも亡くなればいいと思いますか、亡くなったら困ると思いますか、どっちですか? (困ります)。それは、小丸か百丸か、大変な革命が起こりました。
こういう素晴らしい内容を人類五十億の前に、先生が四十日間ラジオとテレビで放送した場合には、世界の三分の二以上の人々が回るのは間違いないことです。そう思いますか? (はい)。大変なことです。それを四十年間も邪魔してきたのです! 四十代に天下の王者として立つべき者が、それに向けて八十代で準備をしなければならない悲惨な立場に立っているのです。そのようになってしまった相対のエバとは一体何かというと、世界と国を売った者たちです。
韓国をはじめとして、世界中のすべての国々も反対してきましたが、反対した者はみんな統一教会によって、サタン以外は統一されるのです。不思議なことです。統一教会を撲滅させるために戦った者たち、右翼・左翼が一つになって、「ワー、統一教会除去運動」と、やっているのです。よくもサタンはすべてを知っているのです。アメリカと日本とフランスとドイツで共に、文先生打倒運動をしているのです。それで、どうなるかというと、負けそうな現状が目前になってくるとイギリスなどは利口なもので、十三年間の法廷闘争をみんな下ろして、統一教会に裁判費用の弁償をして後退していったのです。
日本はどうですか? 利口ではないですね。霊界では教えているのに、日本語の基準が低いので、天宙的な高い理想郷のことを分からないのです。
先生の大叔父さんは、愛国者として死んだのですが、どこで死んだのか誰も知らなかったのです。しかし、夢で孫に現れて「私はこういう住所の地に埋められている」と、その住所を霊界から教えてくれたのです。それで、その言葉を記録して手紙を出したところ、返事もきたのです。それで、そこに行って、おじいさんのお骨を取り出して、今はソウルの北のほうに埋められているのです。
地上において功労のある者は、地上に関係を持って、横的に自分の後孫につなぐ道があるのです。しかし、それをなすのは愛なのです。国を愛する愛の因縁で、自分の血を流し、生命を献げるような極致において感謝された者は、地上でも解かれる道ができるのです。地上で完成したアダム家庭は、いつでも地上に降りてきて後孫を指導することができるという話です。
そのような愛国者の後孫が文先生なのです。これは、世界が反対するとしても変わりません。四年前に国家から愛国者の家族の勲章をもらったのです。それで先生の家の教えは、「万民に御飯を食べさせてあげなさい」ということです。「通りすがりの乞食とか、貧しい人々が、自分の家の門前で一泊の宿を願ったり、食べ物を願ったならば、絶対にそのまま帰してはいけない。食べさせて、泊めてあげなさい」というのです。ですから、先生の家には別棟があって、そこにはいつも十人、二十人のお客さんが泊まっていたのです。
そういうことを教えられて育った先生ですから、今では世界の人々を食べさせているのです。そして、その人々が帰る時には、「この一家が栄えますように」と、みんな涙して帰るのです。あまりにも自分の生涯で忘れられない待遇をされたので、自分の住所をちゃんと記入して、「私は今、乞食のような生活をしているが、いつか時が来た場合には、あなたに驚くほどの幸運を与えることでしょう」という手紙を残していった人もいるのです。
残された天使長の立場の使命
奉仕して犠牲になれば先祖の中心に立つという鉄則は、一家の教訓のとおり、一族においても変わらないのです。先生は学生時代から今までそうやってきたのです。「統一教会は、みんな幼虫がさなぎになって、それでおしまいだ。蝶になれない失敗の男だ」と言われてきたのですが、そのような人の言うことを聞いて、人の後をついて行くような先生ではありません。「私の手で天下を統一する。神様を解放する。南北統一は私の手によって、世界統一は私の話によって成す」と言った時、そのことを誰が信じましたか?
今から五十年前は牢屋に追い込まれて、今にも死にそうな姿で出てきたのに、その後も堂々と語り続けている先生なのです。それで、「いつまでも気違いが直っていない。万年気違いだ。希望なき者だ」と思われてきたのですが、今では統一教会の教祖として、日本の素晴らしい人たちを前にして堂々と語り続けていく人になろうとは、誰も夢にも思わないことです。
君たちは先生の弟子ですか? (はい)。本当ですか? (はい)。これが二日前だったら大変です。気持ち悪くて、憎悪一発で切り込んでくるような立場だったのですが、今は、そういう憎しみが一身にあふれてこないことを感じた場合には、既に変わった皆さんを発見せざるを得ません。そうですか? そうだと言う者は手を挙げてください。(はい!)。ありがとう。
その手をみんな記念として、残しておきたいものです。こんなことは日本の歴史にないことです。二日間で顔も知らない者たちが、反発心、憎悪を超えて、みんな一つになって、統一と平和のために手を広げて「万歳、統一」と。一つになったその手は素晴らしいのです。その手を博物館に永遠の記念に残しておいても恥ずかしくないというのです。そのために喜んで血を流して死んでいった場合には、それを見て、「そんな人間がいたのか」と、大変革の大革命を来たらすこともできるのです。今は普通の人間が必要なのですか、特別な人間が必要なのですか? (特別な人間です)。
かつてエリヤは、メシヤの来られる前に統一の道を約束して火の車に乗って昇天したので、再び火の車に乗って降臨してくるものと思ってイスラエル民族のユダヤ教徒は待っていたのですが、いまだに現れません。永遠に現れません。彼らは、完成は地上でなされることを知らなかったのです。
文先生は、それを知ったのです。旧約時代に失敗したことを蕩減するのがイエス様と洗礼ヨハネだったのです。天使長が堕落したために、復帰された天使長がアダムの前に立つのです。イエス様はアダムであり、復帰された天使長の立場が洗礼ヨハネなのです。洗礼ヨハネは罪を隠すような悪魔の天使長ではなく、罪の背後をすべて明らかにして、それを国家と国民に教えてあげて、アダム圏のイエス様につなぐようにする天使長の使命を持って現れるべきなのです。天使が堕落したために蕩減復帰の立場で、そういう条件を立てざるを得ないのです。
ですから、イエス様は完成していないのです。堕落したアダムと同じなのです。国家的基準の勝利基台は持っているのですが、世界基準になっていないのです。それは、ちょうど完成した真の父母の前における未完成なる天使長の立場です。これは、旧約時代にエリヤとイエス様が失敗したことを蕩減復帰するために、洗礼ヨハネの代わりにイエス様が再臨の主の来られる前に、天使長として雲に乗って来るという話です。
ですから、イエス様は雲に乗って絶対に来ますか、来ませんか? (来ません)。クリスチャンは、絶対に来ると言うのです。ここに集まった者たちはどうですか? (絶対に来ません)。先生が「絶対に来る」と言ったら、どうしますか? (絶対に来ません)。何億万年たっても来ないのです。先生が利口ですか、 クリスチャンのほうが利口ですか? (先生です)。不利口な者はサタンに属し、利口な者は神様に属するのです。なぜかというと、全知全能で何一つ知らないことのないのが神様ですから、はっきりと知っているに違いない神様は滅びることはないという結論になります。ぼやけていたら駄目です。十二時近くなるので眠っているのではないのですか? (目を開けています)。
おじいさんたちは目の前を迷いの夢が行ったり来たりしているのです。おじいさんたちは先生を芳しく思わないのだけど、若い青年として先生をはっきり歓迎し、喜ぶという話です。そうですか? (はい)。「そう」は何ですか? (牛です)。牛ですね。正義に正しく奉仕して、犠牲になることです。ですから牛を尊奉しなければならないということは、正しいことです。牛より以上に犠牲になりますか、牛より以下の犠牲になりますか? どうですか? (牛より以上です)。牛に優るのです。それには奉仕し、犠牲になることで、牛の王様になるのです。祭物の王様になるのです。そのように、神様を直接に迎え入れる祭壇にならなければならないという話です。分かりましたか? (はい)。
ヨセフとマリヤの心境
家庭の不和を、誰が責任をもって統一させるのでしょうか? 歴史は、このことを願っているのです。歴史は生きているのです。死んではいないのです。分かりますか? (はい)。いつかは、それをある家庭が収拾しないと、何万年も繰り返しながら、だんだんだんだん小さくなって、影も形もなくなって、方向転換も分からないような者になって消えていくのです。歴史上で、そういうことを知りたくて、たくさんの先祖たちがもみ合ってきたのですが、みんな失敗者として流れていったのです。
あなたたちも同じような公式を行くべきなのです。文先生の教えによって、その公式の綱を持つようになったのに、それを離すのですか、離さないのですか? その縄を離すのですか、離さないのですか? (離しません)。では、手が折れた場合はどうしますか、両手がみんな折れた場合はどうしますか? 足では握ることができないのです。(笑い)首が抜けたらどうしますか? そうなると、胴体に巻いてでも頑張りますか? 胴体です。胴体に巻いてでも頑張るのです。それがみんな切れてしまったらどうしますか? 切れたら、おしまいだと思うのですね。しかし、その後ろに神様がちゃんと持っているのです。心配することはありません。そういうことがいくらでもあるのです。
先生の歴史は奇跡の連続です。その話をすれば、みんな逃げていくような内容をたくさん持っているのですが、先生は、そんなことは言わないのです。分かりましたか? (はい)。
それを理論的に正してあげて、万民に消化させなければなりません。奇跡は一瞬になすことであって、永遠には通じません。しかし真理は永遠に通じながら、いくらでも奇跡を起こすことができるのです。奇跡を行うといって、威張ってはなりません。真理を持った場合には連綿として、万年を通じていくらでも奇跡を起こすことができるのです。ですから真理を求めなければならないのです。
霊的現象は幻になって消えていくのです。そのような幻みたいな世界のことを、みんなに分かるように、理論的に体系をまとめたということは大変なことなのです。
それで、この原理の本を見て日本のある人が、今から三十年も前のことですが、「二億五千万ドルを上げますから、この本を売ってください」と言ってきたのです。それで、「何をするのですか」と聞くと、「この本の内容は、天下を治めても余りあるからー」と言うのです。あなたたちも、二億五千万ドル出しますか? それ以上でも出す肚がありますか、ないですか? (あります)。あるのですか、ないのですか? その十分の一でも出してみなさいと言えば、みんな逃げていくのでしょうか。一万ドルすらできないと言って、後ろにさがって横に流れてしまうような顔をした者がたくさんいます。ですから日本がぺちゃんこになるのです。先生が何回も言っているように、大変です。文先生の警告は決して生易しいものではありません。
先生の言ったとおりになっていくのだから、恐ろしいのです。先生が手を着けた場合には、歴史上に大変なことが起こるのですから、それもできないのです。分かりましたか? (はい)。めちゃくちゃに取り扱うことができないのです。おじさんも分かりましたか? (はい、分かりました)。あなたも声を出して、「はい」と聞こえるようにしないといけません。半分寝ている人もです。(分かりました)。(笑い)こういう話もしないと、先生も眠くなるのです。
このような家庭の紛争をいかに正すか? 歴史的神の恨みを誰が解いてくれるかということを、歴史を通して整備しなければならない運命が残っているのです。ですから、それを正すために、歴史上にイエス様の家庭が現れるのです。イエス様のお父さんは誰ですか? (ザカリヤです)。誰から聞いたのですか? そんなことを言えば、みんな殺されるのです。もし五十年前に、そんなことを言った場合には殺されるのです。聖霊によって身ごもったとあるのですから、お父さんがいるはずはないので「何という馬鹿なことを言うのか、歴史的事実を破壊する悪辣な悪魔の異端者だ!」と言われるのです。これは大変なことです。「本当に、イエス様のお父さんはザカリヤですか?」と聞いてみなさい。祈祷して聞いてみたくないですか? (聞いてみたいです)。
もし四十年間祈祷しても、それを教えてもらえなかったらどうしますか? 始めたことが大変なことになるのです。その時は、文先生に言われたから一〇〇パーセント信じたけれど、四十年間祈祷しても答えが得られなかったら、死ぬこともできないし、帰っていくのも大変です。そういうふうになるのです。ですから祈祷しなくてもいいです。文先生以上に真剣になって、この問題を解決した人はいないのです。イエス様に会って、また多くの問題のきっかけをつくった人たちにみんな会って、そこで談判をして決めなければ、このような結論は出すことができないのです。

これがザカリヤです(先生が図―16を板書される)。家庭的地上定着で紛争をしたのですから、国家的定着の家庭において、これを解決しなければならないというのは、もっともな話です。それで、同じように正妻の立場に立ったのがエリサベツであり、妾の立場に立ったのがマリヤです。そして、エリサベツの子供が洗礼ヨハネです。こっちがイエス様です。(図―16の洗礼ヨハネとイエスを参照)エリサベツとマリヤは、お母さんたちを中心として従姉妹関係です。ですからマリヤは、エリサベツの家に三か月も行って住んだというのです。聖書にも、行ったり来たりしていたという内容が記載してあるのです。
そういう因縁の家庭的背後を見てみるとき、姉妹でもって紛争すべきでしょうか? エリサベツは、妹のマリヤを旦那さんに抱擁してやるように案内してあげたのです。こんなことはあり得ないのです。なぜ、こんな非法的なことをやらざるを得ないかというと、元に帰っていくには、非法的な堕落の血統的愛の基盤の上にあるので、正法の伝統的な道では戻っていくことができないのです。非法的でなければ戻っていく道がないのです。
そもそも、非法の出発をしたのですから、その非法の起点に行って、そこから正法の道に戻っていかなければならないので、非法の要素を見せざるを得ないというのです。ですから、「罪多きところでは恵みも多い」という聖書の言葉も逆でありながら真なのです。
こういうふうになって、(図―16のエリサベツとマリヤを参照)ここは反対しましたか、歓迎しましたか? (反対しました)。これを一つにするのです。それでイエス様に反発するのです。その当時、娘が男女関係で子供を孕んだ場合には、石打ちの刑にされるのです。分かりますか? (はい)。もしマリヤが、姉さんの旦那さんを乗っ取ってそうなった場合には、直ちに殺されるのです。イエス様も殺されるのです。
それで、何回も自分の生命を救ってくれた旦那さんのヨセフを、マリヤが信じられないとしても不思議ではなかったのです。もし、その内容を家族に明らかにした場合には、石打ちにされて生命がなくなるのです。「生命を守ってあげた恩人の旦那さんに対して隠しごとは必要ない」と言っても、それだけは言うことができないのです。夫婦喧嘩はナイフで水を切ったのと同じようなもので、喧嘩しても後に残らないようになるのだから、いつその秘密を言ってしまうかも知れないのです。それが分かった場合には、一族が大変なのです。ザカリヤも法律を犯した場合には、大変なことになってしまうのです。ですから、それを防備するために、生命をかけてマリヤは「聖霊によって身ごもった」と言う以外にはなかったのです。
それで、イエス様のためにマリヤとヨセフはいつも争ったのです。聖書を見れば、十二歳の時イエス様は父母と共にエルサレムの記念祭に行ったとあります。そこでお母さんは、イエス様が信仰的な面でもって祭司長と語り合う光景を見て、「あなたは偉いと思うだろうが、私はそうは思わない」と言って、喧嘩して帰ってしまいました。イエス様をそのままにして帰っていったのです。
子供を聖殿に残して帰ってきたので、三日後に、部落の人に「子供を連れて行ったのに、どうしましたか?」と聞かれたのです。それでイエス様のことが噂になって、私生児であるということで、部落中でみんながあざ笑ったのです。そして夫婦喧嘩する時には、いつもイエス様のそういう噂をされたのです。
ですから、そのような環境に押し込められたマリヤの心境は、どんなに辛かったことでしょうか。大変なことです。ヨセフに、「父親は誰なのか?」と聞かれるたびに、それを教えることはできないのです。分かりますか? それを話した場合には一族がめちゃくちゃになるので、口を開くことができないのです。
イエス様が聖殿で祭司長たちと語っているところを見て、「なぜ、今までここに座っていたのか? なぜこんなに長く、ここにいたのか?」と父母が言った時、イエス様が言うには、「私が父の御殿にいることを知らなかったのか?」と。それは、反発の言葉なのです。
イエス様の結婚問題
それから、またイエス様がカナの遠縁の親戚の結婚式に行った時、その日イエス様は何も食べていなかったので、イエス様が昼食を食べようとすると、そこにいたお母さんが、酒がみんな切れてしまったという話を聞いて、イエス様が死者を生かしてあげたり、何でもできることを知っていたので、「貧しい親戚の家で葡萄酒がなくなったので、あなたは何でもできるのだから何とか解決できないか」と言ったのです。そこで、イエス様は水を汲んでくるように言って、葡萄酒を作ったのですが、その時イエス様は、「女よ。あなたと私とは何のかかわりがあるか」と言ったのです。
このことを、聖書は「イエス様は、この世的な愛情ではなくて、天的な心情で言った言葉である」というのですが、馬鹿なことを言ってはなりません! 三十三歳にもなって、結婚もさせてもらえずに出家したイエス様なのです。それはマリヤも知っているのです。分かりますか? カナの結婚式は、親戚の貧しい二十代の青年の結婚式なのです。そのような結婚の祝いの場で、親戚の者を重要視して自分の子供をでたらめに扱ったお母さんなのですから、イエス様が「何のかかわりがあって、こんなことを言うのか」と言ったのは、反発の言葉なのです。そういう内容を、聖書ではまるっきり反対に解釈しているのです。理解できますか? イエス様は三回も結婚させてくれるようにと言ったのです。
これは、聖書で最も大事なことです。イエス様はなぜ三十三歳になっても結婚できなかったのでしょうか? 結婚すればよかったのに、結婚すれば家庭ができて、イエス様の子供が残ったはずなのです。王家が残れば、ローマの宮廷も、ローマの法王もいらないのです。イエス様が結婚して子供を残した場合には、イエス様の直系ができるのです。イエス様は万能の王なので、ローマ法王なんか要りません。イエス様の後継がローマ法王庁を維持して、イエス様の血統を直系関係でもって横的に展開して、王族圏の一族として世界をみんな治めるべきだったのです。それを知らないイエス様ではなかったのです。
なぜイエス様が結婚できなかったかというと、結婚するには、蕩減原則に合う道を立てないといけないのです。先生もそうです。お母様が美人だからといっても、それだけでは駄目なのです。蕩減原則に合ったので、結婚できたのです。それをなし得なかった場合には、結婚できないのです。そうでしょう。天下をなだめる平安の父、定着の母になるのです。宇宙の母は、でたらめな女ではできないのです。恋愛で出会うような者ではいけないのです。
なぜ、イエス様は結婚できなかったのでしょうか? これは大変なことです。今日、こういう関係を見た場合に、(図ー16のエリサベツと洗礼ヨハネ、マリヤとイエスを参照、三三三ページ)親と子はプラス・マイナスとして一つになったのだけれど、マリヤとエリサベツがプラス・マイナスとして一つになっていないのです。これが一つになっていないので問題になったのです。これをいかにして一つにするかというのです。イエス様が結婚することを洗礼ヨハネとエリサベツが歓迎した場合には、家庭的に二代の親子関係の問題が解決するのです。この問題を解決して二流を一流にさせていく道を、国家的定着圏の王権で成立させなければならないのです。
なぜ、それが一つになれなかったかというと、問題はイエス様の結婚問題になるのです。イエス様も三十代で、洗礼ヨハネも三十代なのです。洗礼ヨハネはイエス様が結婚した後に結婚しないと、神様が許さないのです。イエス様が摂理的長男で、洗礼ヨハネは弟になるのです。分かりましたか? (はい)。逆行することはできないのです。兄さんをさておいて、弟が先に結婚することはできないのです。しかし、洗礼ヨハネは結婚を待ってあげられなかったので、ヘロデヤの誘いにのって首で蕩減されて死んでいったのです。
なぜ、そのような悲惨なる立場になったかというと、蕩減復帰においてなすべき使命に一致しなかったからです。洗礼ヨハネが死んでしまったために、相対関係としてプラス・マイナスが立たないから当然、イエス様も宇宙力から追い出されることになって十字架という運命の道を、理論的結論として迎えなければならない立場になったのです。これが、公式からみた判断です。
それで、もしイエス様が結婚したとすれば、天国を中心として、天と地、プラスとマイナスが一つになるのです。そうなると、宇宙力と天運が保護するようになるのです。みんな、こういう公式になっているのです。
しかし、イエス様が妻を得るには、そのための原理原則が必要なのです。それで、イエス様はアベルの立場です。(図―16を参照、三三三ページ)分かりますか? 洗礼ヨハネはカインの立場であり、天使長のカインの立場です。天使長はアダムの何を取っていったかというと、妹を取っていきました。エバはアダムの妹です。それを天使長が取っていったのだから、同じように蕩減復帰は、洗礼ヨハネの妹をイエス様が復帰してこなければならないのです。
それがなされないと、イエス様は結婚できないのです。イエス様はかわいそうです。悲惨な立場です。女性がたくさんいても、一人の女性も迎えることができずに、国家を超えて世界を代表したお父様となるべき方が十字架に付けられていったのです。
こういったことは、誰も知らないことです。これは、蕩減復帰だけにしか残されていない公式です。分かりますか? (はい)。マリヤが反対するのですから、イエス様は一つになれないのです。みんなが反対するのです。どこでも反対されるのです。エリサベツとマリヤが一つになって生命をかけた場合には、ザカリヤも、エリサベツも、ヨハネも、この結婚を許すことができるのです。なぜかというと、洗礼ヨハネの妹はイエス様の何ですか? 何の兄弟かというと、異母兄弟なのです。ですから、その時代のイスラエルの法律では許されないことです。
もしそうなった場合には、ヤコブ家庭すべてが治まって、(図―16を参照、三三三ページ)こちら(マリヤとイエス)が正統の子孫として歴史を相続するようになるのです。そうして、これ(洗礼ヨハネ)は弟という立場に立って兄さんに従っていけば、家庭紛争から世界的に発展したすべての女の世界の絡み合いが、国家的基準のザカリヤ家庭の完成によって無事通行できるのです。
再臨主の家庭圏と日本の選択
それから再臨時代の先生も、第二次大戦後にキリスト教が歓迎した場合には、聖進様のお母さんとは離婚しないのです。英米仏の不信のために、連合国家が先生を追い出したために、先生は独りぼっちになったのです。エバとカイン・アベルをみんなサタンが取っていってしまったのだから、妻もなければ子供もいないのです。一族もいないので仕方なく独りぼっちになりました。一族はみんな怨讐の共産主義者に連れていかれて、迫害を受けて消えていった者がたくさんいるのです。その共産主義者を愛さなければならないのが、神様と先生の心情です。これは、誰も知らないことです。自分を殺そうとしてきた怨讐を、本当に愛したので問題が引っ繰り返ったのです。
先生の家庭には、このような話が残っています。聖進様のお母さんと今のお母さんは、互いに見たこともなければ会ったこともないのです。何十年も前に先生を脅迫して離婚していったので、何の関係もないのです。しかし、今は関係がないからといっても、すべて関係がないと言うことはできないのです。聖進様は先生の子供なのです。天倫の関係からして、子供がお父さんを訪ねてきた場合に、追い返すことはできないのです。聖進様は、いつでも先生の所に来ることができるのです。
そうなると、お母さんと子供は共に住むことができるのですから、聖進様と共に先生の所に来れば、追い返すことはできないのです。そうすると、今のお母様の子供と絡み合いになるのです。分かりますか? 今のお母様の偉いところは、そのようなことのないようにと、いろいろな背後を整理してきていることです。
ですから、いくら悪心の女であっても、今のお母様に対して「あの女は滅亡しなければならない」と、本心で言うことはできないのです。自動的に霊界に行くとしても、自動的に屈伏して祝福されれば、「何十倍もの恵沢が二番目のお母さんにもありますように」と祈ってあげることによって、一流の世界的家庭圏がとどまっていくのです。
それで、サタンはいつも長男を中心として、長女を中心として、母子を中心として、いつもぶっかけ合うのです。そういう関係ですから、いつも先生の直系の長男と長女が引っかかりやすい危ない場に立つのです。大変なことです。これらを、お母さんが一つにしないといけないのです。
先生が南北統一をした場合には、英米仏の連合国家勝利圏が天下を統一するのです。エバ国家の新婦理想国家はキリスト教文化圏です。ですから新婦として先生を迎えた場合には、一族一家が国と共に南北統一を指導できるようになるのです。それで、その国家を中心として各国が相対的な立場でもって、神様の願われる平面的な勝利の平和統一の世界に向かうようになっていたのです。
そこで四十年間、焼け野原となっていた日本とドイツ、それにアメリカを加えて、英米仏の代わりに日独伊の怨讐圏を抱えて、英米仏が勝利した以上の忠誠を尽くす国をつくらなければ、神の皇族圏を相続する国に帰ることができないのです。それで、日本をエバ国家に選択せざるを得なかったのです。それに、ドイツとアメリカが世界三大国家として、世界的な経済圏を動かすようになったのはなぜかというと、エバ国家とカイン・アベル国家が復帰されたならば、連合国家が失った勝利圏をここに再び祝福されたという基準になるのです。そして、その祝福経済圏は日本とか、ドイツとか、アメリカのためではないのです。それは神様と全世界のためです。
それで、日本は天的な立場で蕩減復帰しながら、イギリスの代わりをしてきたのです。イギリスを自動的に姉妹として引っ張っていくだけの文化的背景は日本にはないのです。キリスト教文化圏には負けるのです。しかし、日本が真の父母の思想に立つことによって、イギリス文化圏に優る立場に立てるのです。
それで、十六万人と三十二万人を総動員して、二千万人を超えれば、蘇生、長成です。それが三千万人に向かう時には、先生の言うとおりに準備できるような世界になるのです。
歴史上のカイン・アベルの問題は、先生によって収拾されたのです。お母さんたちの間違いを、先生の家庭によって、正妻と妾を迎えた家庭で整理して、世界的峠を越えるようになりました。そして兄弟の絡み合いを和合して、一つの方向にまとめるようになったのです。ですから、真の父母と成約時代の安着ということは、恐ろしい話です。それが安着したので、次に真の父母の勝利圏を相続してあげるのです。それは、世界的個人圏、世界的家庭圏、世界的氏族、世界的民族、国家、世界、宇宙的天国圏、宇宙的神様の勝利圏なのです。
今まで神様は、真の神になったことがないのです。いつも堕落の境界を往来して涙で生きてきた神様なのです。かわいそうな神様です。時には耐えることのできないような神様だったのです。真の神様にはなっていないのです。子供を持っていないので、親にもなれず、さまようその心は誰も知らなかったのです。
しかし、先生を迎えることによって、真の父母としての先生夫婦を迎えることによって、真の神様の立場に立ち返ったのです。真の父母を迎えたので、真の神様になったのです。息子は父母の神様なのです。それは理論的です。失敗の神を勝利の真の神につくりあげたのは、神自体ではないのです。それは、文先生以外にいないということです。
ですから、霊界で祈祷すれば、「文先生は神様に優るようなことをなし得た人である」と教えてくれるのです。それで祈祷すれば、痛哭して腸が切れるような祈祷を一週間も続けるのです。あなたたちは何も知らないのです。耳がぺちゃんこで、目もみんな見えなくなっているのです。それで、聞こえるように、見えるようにして、先生の話のように絶対心情一体の父子関係をなせば、先生と同じ共鳴圏に立って、解放的自分と解放的な宇宙を迎えることができるのです。分かりますか? それを願いますか? (はい)。
最後にエバの蕩減すべきこと
歴史上で誰も聞いたことのなかった大変な話を皆さんは聞いているのです。それで家庭を収拾するには、このことを学んで、男なりに女なりに、子供なりに行くべき道を知ることです。ですから、家庭を勝利した立場に、再び引き上げるのです。今は最後に残ったエバ一個人の犯した内容を、すべて蕩減しなければならないし、正していかなければならないのです。それは大変なことです。思えば悲しくなることです。誰も知らない世界を、一体誰が収拾するのですか? もし先生がいなかったら大変です。
エバは「平和」と言うのです。エバは何をするかというと、エバは女という一個人に帰って、蕩減復帰をするのです。女が子供の蕩減、家庭の蕩減をしなければならないのです。聖霊を中心として、お母さんを中心としてするのです。それでアメリカの国会はアベルになって、UN(国連)は民主世界の国会なのです。このカイン・アベルを平面的に治めていかなければならなかったのですが、日本の国にはお母様の基盤がなかったのです。それで昨年(一九九四年)お母様の日本の国会講演で日本列島とつないだのです。それによって、第二次大戦後に新婦文化圏の実体のお母様と実体の再臨の主は会ったことがないし、いまだ一つになっていなかったのですが、今や、それが横的に完全に一つになったのです。お母様を中心としてカイン・アベルが一つになったので、その上に再臨の主が立つのです。
第二次大戦後に新婦文化圏がカイン・アベルを包容できなかったことを、四十年間の蕩減を勝利することによって再び勝利圏をなし得たのです。そして、実体のお父様がお母様を中心として一つになったのですから、当然、南北統一の国に帰らなければならないのです。
そのような時代になったのですから、これまでは金日成主席がサタン的再臨の王、赤の王として、五十年間世界を悪辣に指導してきたのですが、先生が失ったものをすべてもとがえして勝利的立場から四十年を終えた時から、ちょうど七十日目に、霊界に呼ばれて行ったのです。また、先生が父母主義を唱えた七十日目を中心として、ゴルバチョフ元大統領を通して共産主義も滅びていくのです。不思議にも神様の経綸は数理的になっているのです。
二世は先生のほうにつくようになったので、今や北韓は誰よりも先生を頼りとしているのです。本当かどうか調べてみてください。朝総連も文先生を尊敬するようになりました。それらは、みんな先生を殺そうとしていたのです。このように、カイン・アベルが一つになっているのです。
それで日本の母を中心として、再びこれらを生んでいくのです。そして先生が日本と一つになった場合には、日本の国を中心として天使長を復帰することができるのです。
それで、エバは何をしたかというと、一番目に神様の長男のアダムをだましたのです。二番目に、神様であるお父さんをだましました。堕落させて、愛の非公式な道に引きずっていって、約婚者の立場にあったアダムを否定してしまったのです。だましてしまったのです。貞操を奪ってしまいました。それから、神様の願われた戒めをみんな破ってしまいました。「取って食べれば絶対に死ぬ」という戒めを破ってしまったのです。ですから個人的にもエバが行ったことを蕩減復帰しなければ、神の下に帰ることはできないのです。過ちを犯した基準を蕩減復帰するには、もし三角形の穴が開いた場合には、その反対の側から三角の穴をくっつけなければ、元の穴が開かなかった姿に帰ることはできないのです。
ですから、旧約聖書の中の蕩減原則は、目には目を、歯には歯を、となるのです。目を汚された者は、汚した者の目を汚すことによって蕩減復帰するのです。歯を折られた者は、逆に相手の歯を折ってしまうことによって蕩減復帰するのです。分かりますか? (はい)。もし手を切られたとすれば、相手の手を切ることによって蕩減復帰するのです。相手が行った反対の立場を取らなければ、蕩減復帰はできないのです。
このような原則があるので、堕落したそのとおりに、逆のほうを傷つけるのです。堕落によって傷つけられたので、逆に相手を傷つけることによって蕩減復帰がなされるのです。分かりましたか? (はい)。
このように、だまされてアダムの顔と神様の顔を傷つけられたのですから、サタンの顔を傷つけることによって、蕩減復帰をするのです。逆のほうを通って蕩減していくのです。こういう内容があるので、歴史を通して神のほうの摂理圏内に、このような現象を再びもとがえしていかないと、神様の摂理の復帰の門を開くことができないのです。
イサク家庭のリベカの立場
それで、神様はヤコブの家庭を中心として着手してきました。ヤコブの家庭を中心として、アブラハム、イサク、ヤコブを、三代で一人と見るのです。最後には三番目を中心として、アダム、イエス様、再臨の主の完成と同じように、アブラハム、イサク、ヤコブなのです。アブラハムは、祭物失敗のために四〇〇年間後孫が異国の地で奴隷になるという預言を受けたのですが、実体祭物として、イサクを殺して祭物にする場でサタンを分別して、その代わりに雄羊を祭物として生き残ったのです。
次に、イサクの家庭を中心とした問題になるのです。そこでは、分割運動をしなければなりません。それをするのがイサクの奥さん、リベカという女です。分かりますか? (はい)。生死を判決する中心の家庭は、二番目のイサク家庭です。それは、ノアに当たるし、イエス様に当たるのです。二番目はいつも中心点であり、神とサタンが争奪戦をしているのです。それで、いつでも二番目が問題なのです。
それで、イサクの家庭のリベカがエバの立場に選ばれたのです。エバは何をしたのかというと、結果として、サタンのほうが長子権を持つようになったのです。ですから、その反対のことをしないといけないのです。エバが長男をだまし、神様をだまして長子権を奪ったのですから、弟を通して長子権を取り戻さないといけないのです。長子権を奪われたのですから、エバは弟が長男になるように反対のことをしないといけないのです。
そういう観点を知って、イサクの家庭のリベカとそっくり一致しない場合には、蕩減復帰はできません。蕩減復帰の着手は、イサク家庭のリベカを中心として始まったのです。リベカを中心として、長男のエサウをだますのです。お父さんのイサクをだますのです。それから、長男エサウの祝福を次男が奪ってしまうのです。そんなことをしたのです。
お母さんは、長男をだまし夫をだますのです。しかし、もしそのことが分かれば一家から追い出されるのであり、とどまる所がなくなるのです。父子が一体になれば、ぺちゃんこになるのです。それで何をしたのかというと、兄さんをだまし夫をだまして、弟のために祝福を奪ってしまったのです。そういう悪辣な者はいないのです。リベカとヤコブ以上に悪い者はいないというのですが、なぜそれが正義になったのかというと、蕩減復帰の内容をなすという観点から見た時に、そうしなければ神様の立つ場がなくなるからです。神様の蕩減復帰の条件として、そのようにせざるを得なかったということは、正当な立場として受け入れなければならないのです。そうしなければ、長子の蕩減復帰がなせないのです。神様に帰る道がないのです。
そのようにして、ヤコブは故郷から逃げ出していって二十一年間も、レアとラケルの間でそういう問題を解決しなければならない運命になっているのです。そうしなければ大元で、この問題に引っかかるのです。これが失敗したので、ヤコブ家庭で、レア・ラケルの問題となり、その失敗が世界のカイン・アベルの問題につながるのです。
それで、一番の起点である中心を担うお母さんの問題、エバの問題を解決しなければなりません。その解決の方策として、リベカは蕩減の方法として、ヤコブを中心として一家が反対する中で、長子権を復帰するようなことをしたのです。そしてヤコブはハランから故郷に帰る途中のヤボク川の側で、天使に会って相撲を取り、ここで天使長にアダムが負けたことを転覆して勝利しなければならないのです。ヤコブが霊的な天使を屈伏させないと、天使長の体の長男エサウを屈伏することができないのです。
天使に負けて長子権を取られてしまったのですから、天使に勝利しないと、いったん長男に譲った長子権を次男のヤコブは持つことができないのです。それで公式のとおりに、ヤコブは天使と夜通し相撲を取ったのです。それで朝になると、天使は帰らないといけないので「離してくれ」と言っても、「そんなことはできない」と、ヤコブは離してあげないのです。腰の骨を折られても、かたわにされても離さないのです。死んでも離さないのです。それを見た天使が「どうすれば離してくれるか」と言った時、「祝福してくれなければならない」とヤコブが言うのです。それで天使が「君は私に勝った。イスラエルは勝利した」と言って、ヤコブを祝福したのです。聖書には「神と戦って勝った」とあるのですが、それも一理あることなのです。
このように、天使長に負けたアダムの勝利圏を蕩減復帰しなければならないので、天使との戦いに勝利して祝福されることによって、エサウの祝福が転覆されてもヤコブは殺されないのです。皆さんも、そういう勝利の旗を持って帰るのです。分かりましたか? (はい)。
そういう勝利の基盤の上で、ヤコブをエサウは歓迎するのです。もしも勝利できなかったらば、霊界が援助しないので大変なことになるのです。それで、霊肉で天使長の実体なる兄のエサウを屈伏して、弟が長子の権限を持って兄さんの立場に立ったことになるので、神様の血統が初めて地上に着陸することになり、血統を正した家庭がつながるのです。
ユダの家のタマルの立場
しかし、このような勝利をしたとしても、天使を屈伏したとしても、根本的にはまだつながらないのです。ヤコブは四十代において家族と霊界、肉界と外的な勝利をしたのですが、お母さんの腹の中で、生まれる前の長子と次子を転覆しなければならないのです。それで、ヤコブの孫のユダの嫁に、タマルという女がいたのです。この女は、神様の祝福がいかに貴いかを知っていたので、生命をかけた戦いをしたのです。分かりますか? (はい)。生命をかけた英雄的な覚悟でもって、革命的なことをしたのです。タマルはエバの立場であり、本源のエバの立場に立つには、自分の旦那さんとお父さんをだまさなければならないのです。
それでタマルという女は、長男の嫁として来たのですが、その長男が亡くなったのです。ユダヤの法としては、長男がなくなった場合には、その血統をつなぐために次男が兄さんの嫁をめとって、子供を生ませるようになっているのです。しかし次男は、タマルと夫婦関係を持たずに外に射精したために、神様の法に違反した者として霊界に連れていかれたのです。
そうなると、タマルは大変です。旦那さんがいなくなり後孫を残せなければ、祝福の血統を受け継ぐことができないのです。しかし三番目の弟は旦那さんにするにはあまりにも幼いのです。それに女としても産期があるので、いつまでも子供を生めるわけではないのです。そのように考えてみた時、イスラエルの血統圏にヨセフを殺そうとした十人の兄弟がいたということを知って、タマルは三番目の夫を拒否して、舅をだまして関係を持つことにしたのです。
それで、タマルは公娼街の女として、遊女の身なりをして、舅が働きにいく途中の道に待っていて、関係を持って子供を孕むのです。あなたたちの奥さんの中で、そのようなことのできる勇気のある女がいるでしょうか? タマルは神様の祝福を相続するという英雄的な行動をしたのです。
祝福家庭の女性は、それ以上の貴いものの相続を得るようになっていることを考えてみた場合に、そのような勇気を持った女性にならなければならないことは言うに及びません。あなたたちの奥さんは、そういう女性になっていますか、いないですか? 周りに聞くことではありません。小さい目をもっと小さくつぶって、見えないようにして隠れてしまう人、どうですか? 子供ばかりを守って、み旨も何もやらないで妻にやらせる悪辣な者たちが、ここにはたくさん集まっているのです。恥ずかしいことです。
祝福家庭は手を挙げてください。みんなそうですね。恐ろしいことです。イエス様みたいになって、こういう遠因的な女性を妻に持ったとすれば、その一家は氏族メシヤとして、一六〇軒も一瞬で復帰するような素晴らしい尊敬される家庭となり、イエス様以上の誇りある堂々たる家庭となるべきなのに、何ですか君たちは! 恥ずかしいことです。分かりましたか? (はい)。タマルのような英雄的な女性として、妻を育てていけるような男が必要だということです。この場を中心として、覚えておかなければなりません。
それで、リベカがエサウとヤコブを孕んだ時、腹の中でふたごが戦ったのです。何回も戦うので、リベカは神の前に祈って「なぜ腹の中でふたごが、このように戦うのですか? これは何の意味ですか」と聞いたのです。神様は、はっきり教えているのです。「あなたの腹の中には二つの国がある。大きい国の者が小さい国の者に侍らなければならない」と。神様は長子権復帰をしなければならないと、啓示で答えているのです。
そういう神様の答えから見るというと、先生の解説の内容は正しい結論なのです。それで、日本の中には、ふたごが戦っているのです。朝総連と民団です。それを一つにしなければ、世界的なエバの立場に立つことができません。不思議なことですが、エバとして選択されたならば、そうならざるを得ないのです。そのような公式的な運命を通過せざるを得ないのです。蕩減の条件に引っかかっているので、死んでもなしていかなければならない蕩減の道なのです。
それでタマルの腹の中でも、エサウとヤコブがリベカの腹の中で戦ったのとそっくり同じように、ふたごが戦っているのです。そこで、タマルが神様に祈った時、神様はリベカに答えたと同じように「お前の腹の中には二つの国がある。大きい国の者が小さい者に侍らなければならない」と答えたのです。蕩減復帰は、長子権問題において弟が兄さんにならなければならないということなのです。
それでタマルの腹の中から、ゼラが長男として生まれようとして先に手を出しました。そこで助産婦が、その手に赤い紐で印をつけたのです。そのまま出てくると思ったのに、長男は引っ込んでしまって、弟のペレツが兄さんを横に押し退けて生まれてきたのです。それでペレツという名前になったのです。人類歴史の出発は、胎中で過った長子権によって始まったので、歴史の怨讐が生まれたのです。ですから、これを蕩減復帰するために、兄さんが弟として、弟が兄さんとして生まれてくることによって、血統的には争わなくても、長子権がそのまま兄弟圏の権限で治まる正統な選民国家血統圏が整理されるのです。神様の正統なる血統圏が生まれてくるのです。
それが選民として選ばれたイスラエルの民族なのです。選民国家なのです。選民国家とは、サタン世界に勝って選抜された国という意味です。そのように聖別された血統圏を正して、そこに着地して、氏族、民族、国家をつくって、二〇〇〇年まで待つのです。もし家庭が決まったならば、直ぐにでもメシヤを送ればいいのですが、メシヤは来ることができないのです。それは、サタン側が国を持っているからです。ですから国と同じような立場に立って、これを国家的兄弟圏で蕩減しなければ、サタンの国をなくすことができないのです。それで神様を中心とした選民の血統を中心として、国家的基準まで上がって、さらに兄弟圏の基準まで上がっていかなければならないのです。
そういう立場で、二〇〇〇年後にイエス様が生まれるようになったのです。それは大変なことですが、国家的に家庭的メシヤ圏として、家庭的お母さんの勝利圏をなし得たからなのです。
国家的勝利圏をなすには、二〇〇〇年間も聖別された選民圏の血統圏がいろいろと悪いことをしたために、外国の捕虜になったりして、行ったり来たりしたので、みんな清い血統ではなくなって、汚れているというのです。それを、国家的中心のエバが清めなければならないのです。そういう使命を持った者がマリヤなのです。
マリヤは国家的エバの使命を持った立場に立っているので、エバがなし得なかった同じ蕩減条件を再びなさなければならないのです。エバが婚約したアダムをだましたことを蕩減復帰するために、マリヤは約婚していたヨセフをだますような立場に立つのです。そっくり同じなのです。ですからヨセフのお父さんは、長男のヨセフが嫁を迎えて、あすには新しい家庭を出発するというので幸福をむさぼっている最中に、その嫁の候補者が結婚式もしないうちに子供を孕んだというニュースを聞いた時、どうだったでしょうか? それは、びっくりするどころではありません。卒倒するような環境に追い込まれたのです。「こんなことはありえない」と、急いでヨセフの所に駆けていって、聞いてみたのです。「何だ! 人の噂のように嫁が子供を孕んだというのは、どういうことか?」と。それで「お母さん、お父さん、そんなに心配しなくてもいいです。みんな私がしっかりしないから、こんなことになったのであり、私がしっかりしますので心配ありません」と、お父さんに言うのです。
アダムは、エバにだまされて死んでいったので、アダムであるヨセフが、死ぬべき女と子供を生かしてあげたのです。死の環境から復活したエバの立場でマリヤは完全に蕩減復帰基準をなし得たのです。ですから、その腹の中に孕んだイエス様はサタンの血統とは全く無関係であり、神様のみの氏族血統として、民族、国家基準まで上がってきたのですから、国を代表した王様にならざるを得ないのです。万国を治めて王の王になるべき中心者としてイエス様が生まれてくるのです。
このような公式により、マリヤもエバとそっくり同じようにして、夫をだます立場に立つのです。そうすることによって、マリヤとイエス様は長子権を復帰するのです。蕩減がこんなに複雑でありながらも、この公式でもって摂理が解かれてきたということが初めて分かりました。これを否定できますか? (できません)。ですから、歴史は死んでいないのです。歴史を解決しなければ行く道がないのです。
エバ国家のなすべき使命
今までは家庭的、国家的エバを成してきたのですが、これからは世界的なエバ国家が必要になってきました。それでイギリスを見ても、その腹の中には旧教のアイルランドとスコットランドが紛争しているのですが、それを消化していません。それと同じように、日本はエバ国家として選抜されているので、相反する朝総連と民団がいるのです。それを生み直さなければならないのです。サタンの子供を孕んだのですから、サタンの二代目の子供を生んで愛して統一させなければ、エバ国家の道はありません。日本がエバ国家になるために、民団と朝総連、南と北が別れているのです。
そして、旦那さんを迎えなければなりません。エバが旦那さんを迎えることができなかったならば、二人の子供は腹の中において死ぬのです。北と南の父と腹の中の子供を統一しないといけないのです。イギリスもそっくり同じです。スコットランドとアイルランド、旧教と新教を統一しなければならないのに、その使命を果たせなかったのです。不思議な話です。そうなっているのです。日本は、「大嫌いな韓国人だ、朝総連だ」と、二世を認めないようにして、自然になくなるような処置をしてきました。それは許されません。日本は吹っ飛んでしまいます。恐ろしいことです。これは、先生の言葉ではないのです。気をつけなければなりません。(はい)。
ですから、全面的に朝総連と民団を伝道することです。イスラエル民族がエジプトからカナンの地に帰ったのと同じように、日本列島から日本海を越えて、六十万人が韓国に帰らなければならないのです。その時には、民団だけを帰しては駄目です。日本と韓国の祝福家庭が共に一つになることによって、二つの国が一つになるのです。それで、先生は今から、大阪以南は韓国で教育しようと思っているのです。東京に行くよりも旅費も安いし、費用も三分の一に減るのです。また日本の地で教育するよりも、韓国の地では徹底して教育できるのです。そのことは、日本で教育すれば国家的汚点が残りやすいという話です。
そのようにして何をするかというと、蕩減復帰をするのです。蕩減滅亡ではなく、神様の国にするのです。サタンのほうから、一挙に神様の子供になるのです。それを歓迎しますか? (はい)。
皆さんは、本当に純粋な日本人でしょうか? あなたどうですか? それを願うのですか、願わないのですか? (願います)。本当ですか? 本心ではないかもしれないが、仕方なしにでも、嫌なこともしなければならない道なのです。おじさんも分かりましたか? (だんだんと分かってくる気がします)。だんだん分かる気になりましたか? それが分からなければ大変です。たとえ眼鏡を外してしまって目が見えなくても、決意を固めて、分かって帰らなければ大変です。先祖たちが首を何千万倍にも伸ばして待っているのです。日本と韓国の霊界は反発しているのですから、それを和合させるために姉妹関係、兄弟関係を地上で結んであげるのです。地上のことばかりではないのです。韓国の先祖と日本の先祖は、永遠に会うことができないのです。
韓国は、外国から九三二回も侵略されているのです。そのうちの九十一パーセント以上が日本にやられているのです。韓国人たちは、歯をすすり、音を出さなくても許せない日本人なのですが、文先生の真の親の愛を分かることによって、兄弟になるのです。真の父母を中心として、知ってみれば兄弟だったのです。一つの根っこであり、分けることのできない兄弟だったのです。何千年も別れていた兄弟が今やっと一つになることによって、天下に新しい芽を植えて、それを理想的な家庭の花として咲かせたいのが神様のご理想なのです。
それを歓迎しない場合は滅亡するのです。これは、脅迫でも何でもないのです。真理の宣言の声は辛く、耳に逆らうものであり、味が苦いのです。しかし甘味が出る喜びが潜んでいるのです。
国家的なエバとしてマリヤがなし得た冒険を考えてみた場合には、死を覚悟してこそなし得るということです。当時は、もし乙女が子供を孕んだ場合には石打ちの刑なのです。そういう悪辣な環境の中にあって、ひやひやした親子の関係を抱えたマリヤの辛さを誰が知ることができるでしょうか。
今や世界的な復帰路程において、国家的代表のエバではなく、個人的エバではなく、世界的なエバ圏が必要になってきました。それは理論的にも間違いのないことです。そこで日本がエバ国家になるには、同じように世界を代表して、マリヤのようにならなければならないのです。その公式に国が引っかかっているのです。こんなことになろうとは夢にも思わなかったことです。今まで喜んでいたのに、あすは帰るというのに、大変なことです。自分の首をかけて死刑場に行くか、復活するかという境地で決定していかなければならない深刻な話です。
先生は歴史的な事実を教えてあげているのです。ありがたいことです。それで日本はどうなるかというと、日本の国家は滅びるでしょうか? 復活して栄えるのでしょうか? (栄えます)。栄えるのです。サタンの世界から国家全体が永遠に決別して、神の懐の真の世界に抱擁されるようになるのです。これ以上の福音はないのです。そう思いますか? (はい)。その味は苦い味ですか、甘い味ですか? (甘い味です)。本当のこと言って、「苦い味だ」と言っても、苦いか甘いかも分からないのです。めちゃくちゃな味なのです。そのような心境を先生も知りつつ、こういうことをはっきり教えているのです。そうしないと、「アダムの代表の男が国家的に教えるべきことなのに、なぜ教えなかったのか!」と、日本の国家から霊界に行って讒訴されるのです。
先生は、はっきりと嫌でもどうでも、日本全体がどんなに反対しても、先生は、それを通告宣布せざるを得ないのです。皆さんは、そのような堂々たるアダムの代表的な存在を迎えたことを心強く思って、希望の基として受け入れていかなければならないのです。そういうことができますか、できないですか? (できます)。できると思う者は、足と両手を挙げて誓いましょう。誓いましょう! (はい)。誓いますか、誓わないですか? (誓います)。誓うのであれば、両手、両足を挙げて誓いましょう! (はい)。倒れるまで、そうしているのです。
それは、永遠に忘れないようにです。では、下ろしてください。再び否定して第二の堕落圏を残す悲惨なことのないように、こういうことをやらざるを得なかった先生の心中をよく知ってください。(はい)。
まだ、たくさん話したいことがあるのですが、これ以上続けた場合には、もう喉が詰まって、腸までみんな駄目になってしまうし、伸びてしまう恐れがあるので、それはもう歓迎どころではなく、皆さんが唾を吐いて逃げてしまう恐れもあるので、これ以上は語れないのです。分かりましたか? (はい)。
これでもう十分ですね。歴史がはっきり分かったし、自分の家庭はどうあるべきか、正妻と妾の紛争について、父親はどういう父親であるべきか、兄さんはどういう兄さんであるべきか、分かりましたね。(はい)。フリーセックスをする者たちは征伐するのです。どう思いますか? 今まででたらめに生きてきましたが、今からは、でたらめに生きては駄目です。でたらめの反対です。みんな喜んで、そういう方向に行くという顔をしているので、先生もホッと安心するようになりました。分かりましたね? (はい)。ありがとう。(拍手)
2004.5.22 了