父の祈り 7~12

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父の祈り 7 忠孝編

7-1 天の希望・信仰・愛の継承者とならせてください


神様の永遠なる希望が残っている限り、
今日、私たちにも
永遠なる希望が残っていますし、
神様の永遠なる信仰のみ旨が残っている限り、
私たちにも
永遠なる信仰のみ旨が残っていますし、
神様の永遠なる愛の実践が成されない限り、
今日、私たちにも
永遠なる愛の実体を成すべき責任が
残されるということを知りました。

このひと日に蕩減的な歴史を継承するために、
私たちは四千年の希望を継承し六千年の希望として、
四千年の信仰を継承し六千年の信仰として、
四千年の愛を継承し六千年の愛として
表さなければなりません。

神様の前に立ち、
六千年の希望を永遠なる希望として、
六千年の信仰を永遠の信仰として、
六千年の愛を永遠なる愛として立てるべき貴任が
私たちに残っていますので、
きょうの私たちの未熟さと足らなさを
受け入れてください。
きょうの私たちの不忠と不孝を
受け入れてください。
私たち自体を高く立てたことを
受け人れてください。

今、万民の希望を結実させるべき時となり、
万民の信仰を結実させるべき時となり、
万民の愛を一つの実体として表すべき時となったのに、
その一つの実体が
どこに結実しているでしょうか。
取るに足らない私たちですが、
新しく新婦として装うべき私たち自身であることが
分かるようお諭しください。

今日、
天と地の中心的な役割を
担当すべき人が誰かと言えば、
終わりの日の再臨役事を目前にしている
聖徒たちであることを知っています。
お父様はそのような人々に
永遠なるお父様の希望を任せようとされますが、
彼らがその希望を任せることのできる者となったのか、
永遠なるお父様の信仰を任せようとされますが、
その信仰を任せることのできる者となったのか、
永遠なる神様の愛を任せようとされますが、
その愛を任せることのできる者となったのかが案じられます。

そのすべてものを担い、
お父様の前に永遠に変わらない姿で、
お父様の愛に属する人となることによって、
今や永遠なる希望の氏族となった者として立たなければなりません。
永遠なる信仰の氏族となった者として立たなければならず、
永遠なる愛の氏族になった者として立たなければなりません。
このような責任が
私たちに分け与えられているということが
分かるよう許諾してください。
選ばれたイスラエルの
一つの勝利的な中心実体であられる
イエス・キリストの目的を、
今日、私たち個々人から成さなければなりません。
すなわち、全体を身代わりした希望の実体を備え、
信仰の実体を備え、
愛の実体を備えなければなりません。

今、再臨の役事以後には、キリストがこの地上に来られて行動した
そのすべてのものを身代わりする、
すなわちイエス・キリストの希望の実体として
立たなければならす、
信仰の後継者とならなければならず、
愛の後継者たちとならなければならないので、
これがはっきり分かるよう許諾してください。

今、堕落の峠を越えるべき
復帰過程に処している私たちが、
「お父様の希望を担います。
お父様の信仰を担います。
お父様の愛を担います」と
言えなければならず、
その希望、信仰、愛をお父様の前に帰し奉ることができなければならず、
ひいては万民の前に
不変の愛の中心として立たなければなりません。
そうして、
お父様の前に愛を受けることのできる
勝利的な存在となって初めて、
終わりの日の最後の栄光を身代わりできる
資格者となることを知っていますので、
どうぞお父様が
「お前は私の希望の存在であり、
私が信じることのできる者であり、
私が愛することのできる者」と言える
者たちとなるよう許諾してください。

ひいては、天上天下、全万物の前に宣布して
判定の恩賜を受け、
和動の一つの条件を立てることのできる
勝利の子女たちとなるようお導びきくださいますことを懇切にお願い中し上げ
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・六・六)

7-2 本然の園を復帰する忠節の子女とならせてください



愛するお父様!
お父様が生命の園を眺めることが
創造の目的であり、
お父様の栄光を歌う真理の園が
理想的な園でありました。
永遠不変の愛を中心として、
あなたの性相の前に全体が和動して
お父様の内的性相や外的形状を表しながら、
それに酔って生きなければならない所が
本然の園であったことを知るものです。

愛するお父様!
今日、私たちが願う希望の園を
感じることができるよう許諾してください。
本然の園を体恤して
心で欽慕すると同時に、
体を動かして敬拝することができるよう許諾してくださり、
心でお父様のみ旨を高めると同時に、
また体が祭物として捧げられるよう許諾してください。

お父様が私たちを捜し出すために
苦労なさったそのすべての苦労を、
今からは私たちに任せてくださり、
お父様は栄光だけを受けられますよう
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちの一生命もお捨てにならず、
まずこの者たちの心がお父様の永遠なる生命に
連結されて火がつくよう許諾してください。
そうして、
お父様の愛の心と
一つになるよう許諾してください。

お父様の生命に私たちの体と心が一つとなり、
全体が一つとなって祭物として捧げられる
この時間となるよう許諾してください。
そうして、
お父様が喜んで受けることのできる、
不足のない祭物となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちをお守りください。
分別の役事において責任を持ってください。
サタンが侵犯する私たちとならないよう許諾してください。
ただ、お父様のみ旨のとりことなって、
お命じになるみ旨を中心として応じることができるよう許諾してくださり、
ここに心と体で順服することができるよう許諾してください。

そうして、
自らのすべての足らなさと正しくないすべての要素を
お父様の前にさらけ出し、
正直に告白し悔い改めることができると同時に、
お父様の愛を受けることができるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

この民族が暗闇の中に捕らわれていますので、
これを悟らせても余りある
お父様の直接的な役事を表してください。
お父様が働かれる各教会を通して、
あなたの息子・娘たちを通して役事を表してくださることを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

約束された終わりの日が近くなり、
許諾なさるべき恩賜の時期が来ましたが、
私たちはまだ不完全で未熟で足りませんので、
私たちをお導きください。
奉じてさしあげるべきお父様のみ旨を、
奉じることのできない私たちとならないよう許諾してください。

不備なる私たち自身を嘆息し、
お父様の前にひれ伏そうとする私たちとなるようにしてください。
そうして、
真なるお父様のみ旨を奉じる忠節の子女たちが
この民族を身代わりした教団の中に
多くなるよう許諾してください。

そうして、
散り散りばらばらになった教団を
一つに結ぶことができるよう許諾してくださり、
お父様の全体的な恩賜を
身代わりすることができるよう導いてください。

この民族に天の秘められたみ旨を表してくださり、
人類の前に、お父様がお楽しみになることができ、
そのみ旨を誇ることのできる祝福の日が
早く早く臨むよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、心と体に、
お父様が願われるみ意以外のものが
ないよう許諾してくださり、
サタンの痕跡がないよう許諾してくださり、
罪悪の細い根が残っていないようにしてください。

聖別に聖別を重ねて
完全無欠な善を中心として、
その心と体が
お父様の本性の前に
自慢することのない謙遜な群れとして、
温柔なる姿でひれ伏すことができるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
この民族のために私たちをお立てになり、
勧告なさり、
私たちと共にお父様がおられるとするなら、
私たちをして
生きておられるお父様の息子・娘であることを
誇ることができるよう許諾してくださり、
生命の中心に立っている息子・娘たちであることを
証できるよう許諾してください。

お父様!
あなたのみ手に捕らわれた事実を証し、
この民族を覚醒させて、
サタンの魔の手から
この民族を救うことができるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

そうして、
民族的な恩賜を許諾なさろうとする
お父様の全体のみ旨の前に
この民族が恥ずかしくないよう、私たちを立ててくださって、
お父様の前に
導いていくよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・一一・一一)

7-3 私の運命を自覚し、摂理の使命を完遂させてください



お父様!
お命じになったみ言によって
万民の前に越えるべき峠が
残されていることを知るようになりました。

今日、私たちは
お父様の完全性の前に、
私たちの不完全性を除くための闘いを
すべき立場に立っていますし、
不変の真理の原則基準を
越えるべき運命が残っているのです。

今や万宇宙の前に、
私たち自身を現すべき時がやって来ました。
完全であられるお父様の性相に似て、
被造万物を主管しなければならない
歴史的運命が残されていることを思うとき、
きょうの私は
永遠であられるお父様の嘆息を身代わりすべき私であり、
きょうの私は
永遠であられるお父様の愛を証すべき私であり、
きょうの私は
お父様のみ言を暗い世の中に伝播して
復帰の使命を成し遂げなければならない私であることを知るものです。

ところが、きょうまで信じてきた私たちの信仰生活は、
お父様の前に掲げることのできない生活でしたので、
この時間、自ら悔いると同時に
悔い改めることができ、
自ら覚醒することができるよう許諾してください。

今、私たちが持っているすべての観念と主張、主義を、
尊厳であられるお父様のみ旨の前に投げ出し、
「私」という実存を完全になくして、
永遠なる実存体である本性の私を回復し、
完全であられるお父様の性稟に似て、
お父様の栄光に浸ることのできる
私を復帰すべき闘いの路程が残っていますので、
きょうこの闘いの路程から
後戻りする者たちとならないよう許諾してください。

一日一日の生活を通して
そして生涯を通して、
お父様の楽しみと栄光となることができ、
お父様がお取りになるにおいてふさわしい、
美しい息子・娘たちとなるよう許諾してください。
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今は復帰の時期を反映させる時であり、
昔のイエス様当時と同じく
歴史的な審判の基準を越えるべき時期です。

ユダヤ教の前に新しいみ意を提示し、
ヨルダン川の川辺での証の役事、
洗礼を与えた洗礼ヨハネの役事が
世界的に起こっている時期であることを思うとき、
洗礼ヨハネの使命が
後代の私たちの使命として残されたことを知るものです。

今、天倫の安息の基盤を私たち各自が備え、
洗礼ヨハネが証する中、
イエス・キリストが
罪とサタンの侵犯のない中で
お父様の前に栄光を帰すことができなければならなかった
一つの善の園、
私たちが手に手を取って、心に心を合わせて
歌を歌うことのできる一つの安息の園を
建設しなければなりません。

このような責任のために、きょう私たちをお召しになり、
このようなみ旨のために、きょう私たちを選んでくださいましたので、
選んでくださったみ意の前に、寂しさと悲しみを残す
息子・娘たちとならないよう許諾してください。
洗礼ヨハネの失敗によって、
千秋の恨みが歴史に深く刻まれたことを知っている私たちは、
今、天の召しを受け、
天の選びを受けたので、
きょう私たちがお父様の玉座の前にいで立ち、
万宇宙の全体的な摂理のみ旨を完結すべき
摂理の足場を造成することができるよう許諾してください。
そうして、
完全な土台の上で
残された使命を完遂できるよう許諾してください。

そうして、
喜びの園で
悦楽の栄光を歌うことができ、
万宇宙に対して
ホザナの勝利の栄光を歌うことができ、
来られる主の前に
栄光を帰すことのできる息子・娘となるよう許諾してください。
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・一一・二五)

7-4 天の勇士とならせてください



時代を越え、世紀を経て、終末のときまで
苦労し摂理してこられたお父様、
お父様の摂理のみ旨が
この地上に早く成されることを望む私たちが、
お父様のそのご苦労に、
地上で責任を持っていで立つことができるよう許諾してください。

お父様の聖壇を中心として天的な使命を引き継ぎ、
地上でイエス様を身代わりしてサタンと闘うことのできる、
凛々しい息子・娘となるよう許諾してくださるよう、
お父様、懇切にお願い申し上げます。

自分一個体を
お父様の前にあからさまにできるよう許諾してください。
自分一個体を衆生の前に掲げて、
世紀末的な神様の使命を身代わりして
苦労する者たちとなるよう許諾してくださり、
この時代に天が要求なさる
天的な使命と召しのみ言に従順に従う
忠僕たちとなるよう許諾してください。

今、私たちが心の門を開いて
天の内的な祭壇を築くよう許諾してくださり、
私たちの体をサタンに対する勝利的な祭物として、
お父様の前に自信を捨って差し出すことのできる
息子・娘として立ててください。

天は、自信をもった勇猛な勇士をお探しになります。
卑屈で卑劣で怨讐たちの前にひざますく者たちを
願ってはおられないことを知っていますので、
ここに集ったあなたの息子・娘たち、
み旨のためならば生命をも投げ捨てることのできる
勇士となることができるよう許諾してください。

今、そのような勇士たちが
必要な時が来たことを知るものです。
天倫のみ旨に向かい合っていた洗礼ヨハネと彼に従った群れが、
天の内的心情に燃え上がり、
腐敗したユダヤ教全体と対立して
新しい事実を展開させたように、
今日私たちを通して
この民族の前に哀れみの愛の光を現してください。
どうか、お父様の摂理のみ手を引っ込めないでください。

多くの人々の中から呼んでくださったお父様!
行くまいとしても行かずにはおれずに従ってきてみると、
難しい道であることを自覚するようになりました。
開拓者の闘志で闘いの一路を開拓し、
天の闘士として進まなければならないことを知っていますので、
お父様、
私たちの行く道がお父様のみ旨の道であるならば、
いばらの道も意に介さず、険しい山々をも意に介さずに、
体が引き裂かれ傷つくとしても、
み旨一つだけを中心として
すべてのことを開拓するようにしてください。
ただ、お父様の勧告の恩賜だけを表してください。

お父様!
み旨のために生命を投げ出し、闘いに闘って
勝利のひと日を勝ち取るときまで、
変わらない信仰をお与えください。
変わることのない一つの中心を備えて、
敵地に投げられた爆弾のように、
環境を意に介さずに進み、
お父様のみ旨の勝利のために爆発することのできる
お父様の息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九五六・一二・一六)

7-5 天的な使命を果たす勇士とならせてください

お父様!
この地球上に住んでいる四十億人類が、
いつあなたの懐に抱かれ得るでしょうか。

私たちの先祖のひと日の過ちが、
このようにとてつもない歴史的曲折をつづってきたということを思うとき
あなたの心情には
悲しい涙と悔しい事実しか
積まれていないことを悟るものでございます。

「私」という一生命を救うために
六千年という長い歳月を一日のように、
失った子供を捜そうとされる心情を持って
歴史路程を経てこられたお父様、
きょう私たちを呼ばれる、あなたの心情をつかみ、
痛哭する心情でもって、あなたのみ前に立っている
私たちのかわいそうで寂しい姿を
哀れにお思いください。

私たちは何一つお父様の前に表すべきものを持っていません。
ただあなたを慕わしく思い、
どのような困難があったとしても、
あなたのおられる所に行こうという一念で
この場に出てきました。
あなたの口惜しい歴史的な事情を学んだため、
そのような事情の土台の上で倒れることなく、
あなたを裏切ることのない真なる姿を慕わしく思いながら、
この場に出てきてあなたの前にひれ伏しましたので、
哀れみのお父様、
私たちを愛してくださり、
私たちの心を慰労してください。

弱々しい私たちに勧告してくださり、
落胆の境地であなたを恨んでいた自分たちを発見し、
涙でなければ
悲しみのお父様を知ることができず、
あなたに対することのできない足らない自分たちであることを
発見することができる時間となるようにしてください。

また、この民族の凄惨な姿を身代わりして
祭物にならなければならない私たちであるということを
発見するようにしてください。

万民を身代わりして、
お父様の訪ねてこられるその道の先鋒に立って、
怨讐サタンと対決する
天の勇士とならなければならないことを、
悟るようにしてくださいますよう懇切にお願い申し上げます。

この時間、
各自の体を自分たちの体として考えないようにしてくださり、
自分を中心として考えないようにしてくださって、
ただ天と地を思い、
残された復帰のみ旨に責任を負うべき私たちであることを
発見できるようにしてくださいますよう、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

自分自身の目的を追求する立場に立たず、
公的な目的を追求して
あなたのみ旨を身代わりし、
あなたの全体的な使命を果たし抜けるようにしてくださり、
お父様の聖なるみ前に
贖罪の焚香を捧げる祭司長を身代わりする
聖なる者たちとなるようにしてくださいますよう懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六五・一〇・一七)

7-6 曲折の多いお父様の道、今、私たちがまいります

復帰の路程の上に
どれほど多くの曲折があったかを
思えば思うほど、
私たちが行くべき心情の峠が残っているということを
思わないわけにはいきません。

お父様の路程にこのように曲折が多かったことと、
お父様の事情がこのように悲惨だったのは、
私たちの先祖の罪によるものだったことを知っています。
アダムとエバの過ちによるこのすべてのゴルゴタの恨みを
私たちも踏み越えていかなければならない時が来ました。

あなたが歩んでこられた道に従ってきてみると、
十字架の道でした。
しかし、人知れないその道を
開拓者の心情で身もだえしながら従ってきてみると、
その道が滅びの道ではないことを知りました。

人間たちは嘲弄しましたが、
あなたは激励なさいました。
数多くの人間たちは反対しましたが、
あなたが慰労してくださいました。
「私がいて、
霊界にいる千々万聖徒たちが
お前の行く道を擁護する」とおっしゃり、
何度も勧告されたことを私たちは知っています。

私たちはあすの黎明を迎えるために、
この渦中にも
暗闇の道を手探りして行かなければなりません。
この暗闇の道を経ていってこそ、
新しい黎明を迎えることができるということを知っているために、
統一の役軍たちは、
人々が嫌だという明け方の道をたどりながら、
今まで闘ってきました。

この路程で私たちが涙を流すとき、
涙を流されるあなたと共にあることを願い、
汗を流し飢えるときにも、
あなたの苦労の路程を慰労することのできる
ひと日を立てるために身もだえしたことを
あなたは知っていらっしゃいます。

恨み多かった過去を思い出として残し、
涙とともに神様を案じる者たちとなるようにしてください。
恨み多い思い出と、
涙でもって歩まれた恨み多い過去を清算してください。
あすの善を探して
お笑いになる希望のお父様の姿が慕わしいのです。
きょうの自分のみすぼらしく、かわいそうな姿を忘れたまま、
孝子の道理を果たそうと身もだえしようとする、
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六五・一二・二六)

7-7 み旨の前に恥ずかしくない忠孝の子女とならせてください

長い歴史を経ながら苦労してこられたお父様に、
私たちが侍ることができるよう許してくださり、
長い歳月私たちを心配され、
サタンに対して闘ってこられたお父様の事情が
分かるよう許諾してください。

未来の希望を置いて選んだ息子・娘たちを抱いて
栄光の座にお導きになるために
心配しておられるお父様の心情を知る
私たちとなるよう許諾してください。

きょうの私たちが存在するようになったのは、
私たち自体の意志ではなく、
私たちが享受している生の栄光も、
私たちをして持つようになったものではありません。
きょう私たちがお父様の前で喜ぶことができるのも、
私たちの苦労によるものではなく、
すべてが数千年の歴史を経て、苦労してこられたお父様が
哀れみを施してくださる恩賜によるものであることを、
私たちが分かるよう許諾してください。

私たちが
お父様の恩賜の能力を身代わりすると同時に、
世界の人類を身代わりして
天倫の全体的なみ旨を示すことのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

人間を立てて
栄光を受けることを望まれるお父様であられることを知り、
そのみ旨を成してさしあげようとする群れがこの地にいるでしょうか。

そのような群れは、
あなたが万民を祝福することのできる足場となり、
全宇宙を祝福なさることのできる栄光の土台となるということを、
私たちがすべて悟るよう導いてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

きょうの「私」を
私たち一個体の中で探ることがないよう許諾してくださり、
歴史を身代わりし、
全体宇宙を身代わりし、
未来の世界を身代わりして、
天倫のみ旨の前に恥ずかしくない
お父様の息子・娘となるよう許諾してください。
そのような息子・娘となったことを誇ることのできる、喜びの栄光を
私たちに許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
きょうここに集ったあなたの息子・娘たち、
自らをお父様の前に率直にさらけ出したでしょうか。
自らお父様の許諾された祭壇の前にひれ伏したでしょうか。

また、自分たちを犠牲にして
歴史的な罪悪を蕩減できる
生きた祭物となっているでしょうか。

現実の罪悪に責任を持った新しい祭物となって
十字架を負い、ゴルゴタを越えていかれた
キリストの人格に倣う私たちとなっているでしょうか。

未来の栄光のために
お父様を身代わりしてサタンと闘い勝利した栄光の実績を、
私たちは持っているでしょうか。

お父様、
このような息子・娘たちとなって、
あなたの栄光を歌うことができるよう許諾してくださり、
この一つのみ旨のために
お父様に従い得る忠実な子女たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五七・六・二三)

7-8 民族と人類を身代わりする姿として導いてください

お父様! 私たちが困苦な立場に置かれているとしても、
眠っているこの民族を身代わりして立ったからには、
それが
お父様の楽しみと
栄光になるべきものであることを知っていますし、
私たちの悲しみと私たちの失望と私たちの嘆息が、
私を中心とするのでなく
万物と天宙のためのものであるならば、
それ以上栄光にあふれたことはないということを知っています。

天のために心配することができ、
地のために心配することのできる心だけが
私たちに充満するよう役事してくださり、
自分自ら、天から任せられた使命を
感じまいとしても感じざるを得ないようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今、私たち自体が
天上のみ旨に向かい合って立っているということを、
はっきり悟るよう許諾してくださり、
私たちが動ずるのも
天を身代わりして動ずるという
自覚的な心情を持つようにしてくださり、
民族を身代わりしてサタンと対抗して闘い、
あなたの任せられた責任を
完遂するよう許諾してください。
あなたが許諾された祝福を
民族を身代わりして受け、消化することのできる
息子・娘となるよう導いてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

そうして、
眠っているこの民族を
悟らせるよう許諾してくださり、
暗闇にのみ込まれていく全世界人類を救うために、
お父様の前に訴えることのできる
息子・娘となるようお導きください。

私たちが責任を負うといって、
私たち一個体の生命だけに責任を負う立場に
立たないようお助けください。
私たちの生命をお父様の前に差し出し、
民族を身代わりし
人類を身代わりした責任者として立ち得る、
神様が望まれる私たちとなれるよう
お導きくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五七・八・四)

7-9 理想天国に向かう十字架の峠を越えさせてください

本然の真の人を失ってしまったお父様が、
長い長い歳月を通して復帰摂理をなさるために、
どれほどご苦労なさったかということを知っています。

その本然のアダムとエバをお慕いになりながら、
歴史路程の血のにじむ数々の峠を越えてこられたということを、
私たちが心で、体で
体恤するよう許諾してください。

このことを継承して
摂理のみ旨を奉じてきた私たちの先祖たちも、
行く所々ごとに十字架の物悲しい路程を
歩んできたということを知っています。

今、行こうとして残されているこの十字架の道を、
今日終わりの日に処している私たちが、
残らず行かなければならない歴史的な責任と
摂理的な責任が残っているということを知っていますので、
あなたの力とあなたの勧告をもって
私たちに再び衝動をお与えください。

そうして、
残されたこの十字架の峠をすべて越え、
願われた本然の園の中で
お父様の栄光を歌うことのできる
喜びの姿となるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

このことを成就するために
私たちが悲壮な覚悟をし、
銃剣を取って戦場に出ていくごとくに、
出発しなければならない時がやって来ましたので、
お父様、
摂理歴史の前にふさがっている十字架の数々の峠を
蹴散らし、いで立つことのできる
天的な覚悟をする私たちとなるようにしてくださり、
その進みゆく道をふさいでいる数多くのサタンに対して、
闘っていくことのできる力を私たちに許諾してください。
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

その戦場で勝利した姿として現れ、
お父様の栄光の園で
お父様に親しく侍って生きることができるよう許諾してくださり、
お父様が願われた全体のみ旨を成し、
お父様の愛を歌うことのできる
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださり、
サタン世界と全万物万象の前に立てて誇ることのできる、
お父様が探し求められた
息子・娘となるよう許諾してください。

そうして、
お父様の前に捜し出された息子・娘として
お父様と永遠に同居することができ、
お父様のみ旨とお父様の思想と
お父様の願いを成し遂げた者として、
喜びと栄光の歌をもってお父様を慰労してさしあげることのできる、
真の子供となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五九・二・二二)

7-10 世界的悲しみの障壁を越えて立つ子女とならせてください

お父様!
カインとアベルの闘いが始まったその日から、
死亡の土台が居座ったその時から今日まで、
その死亡の世界は
消えずにあります。

そして、人間たちが
このような環境の束縛を抜け出せない中で、
お父様の闘争の歴史が、編まれてきたということを、
現在、私たちは感じているのです。

今、嘆息の条件が残っているとするなら、
その条件を解かなければならず、
私たちのすべき苦労が残っているなら、
それは誤ったこの土台を整備し清算すべき苦労であることを
もう一度感じなければなりません。

悲しみの歴史は
善を基本として
峠を越えながら、今まで
起きてはまた悲しみにぶつかって倒れ、
倒れてはまた起き、またぶつかる、そのような歴史として連なってきました。
この悲しみの障壁が現世の目前に現れ、
世界的な障壁として残っているということを思うのです。

お父様!
この障壁を退けるためには、
個人だけでは駄目なのです。
志のある数名の同士だけでは駄目なのです。

そうするために、お父様は
個人を呼び集めて家庭を築かせ、
家庭を呼び集めて氏族を築かせ、
氏族を呼び集めて民族を編成させ、
民族を呼び集めて国家を編成させられたのです。

国家を成しても、
さらに一つに統一された世界に向かって
行軍していくことを望むのが、
お父様の願いでした。

ゆえに、
お父様の志された目的どおりに
罪悪を清算し、あなたのことに責任を負うことのできる
個人と家庭と氏族と民族がなくてはならないということを
私たちは考えなければなりません。

人によって
外的な悲しみの歴史となったにもかかわらず、
この地上に
そのすべてのことに責任を持ち、
世界のために身もだえする
お父様の息子・娘がどれほどいるでしょうか。

各自の心情を通してもう一度問い返し、
お父様の前にいま一度新しい姿勢を備える
この時間となるようにしてください。
「哀れみの条件と哀れみの態度を持った」と
お父様が記憶することのできる自分となったかを、
もう一度悟ろうとする
この時間となるようにしてください。

お父様!
あなたは苦しくても
私たちの要求にお答えになって、
あるひとときに福を与えることのできる時を
持っておられるお父様であることを、
私たちは知らなければなりません。

このような日々を連結されて、
六千年の間悲しい歴史に対されるお父様の心の
傷がどれほどひどく、
お父様のそのご心情は
どれほどの苦痛であったかと思うものです。

このようにゆがんで積もっている心情的な恨みを
解いてあげる者が、どこにいるでしょうか。
真なる孝子でなければならないのであり、
真なる孝女でなければならないのです。
しかし、
家庭を中心とした孝子をもってしても駄目であり、
氏族を中心とした孝子をもってしても駄目であり、
民族を身代わりした孝子をもってしても
駄目であるということを知っています。

世界を身代わりし、天と地を身代わりして
サタンの前に表し、誇ることのできる
真なる孝子とならなくては、
お父様の心の中に深く刻まれている
隠されたその心情を現すことができないという事実を、
私たちが分かるよう役事してください。

このようにとてつもない内的な苦衷を
背負った立場におられるお父様を
思うことができなかった、過去のことを受け入れてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によって懇切にお祈りいたしました。アーメン。

(一九六七・六・八)

7-11 世界を超えて飛翔する息子・娘として責任を果たさせてください

ここに集まったあなたの子女たちを
哀れにお思いください。
「私たちの責任」というものが、
とてつもない歴史とともに相続されたという事実を
私たちはみ言を通して知りました。

そこには、まだ
個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の蕩減路程が
残っているということも知りました。

しかし、
私たち一個体の余生でもって
この道を行くにはあまりに足らないことを感じながら、
青春の時代にその責任を果たせなかったことに対し、
自ら反省し、自らを責めることのできる
あなたの息子・娘とならなければなりません。

私たちに負わされた十字架を
避けていくのではなく、
残されている十字架まで負っていこう、
負っていって死んだとしても、「すべてを行って
死ぬ」と言うことのできる立場で倒れるようになるならば、
その一人によって
あなたは三人を刈り入れるという天理の原則に従い、
善なる世界の版図を広めてきたという事実を
私たちは知りました。

あなたはこのように、先に打たれて奪ってくる作戦をし、
死んで繁殖させてくる作戦をし、
自ら失って
全体を取り戻してくる作戦をしてこられたということを知りました。

今日、わが統一教会は、
統一教会自体のための統一教会となってはなりません。
国を生かすための統一教会とならなければならず、
大韓民国は大韓民国のための国となるのではなく、
世界を生かすための大韓民国とならなければならず、
世界は世界のための世界ではなく、
高貴なる生命の起源であられる
神様の愛に接する世界とならなければなりません。
民主主義の生命の道がそこに結びつけられるときに、
人間が喜びを迎えることができるというとてつもない事実を、
私たちは悟らなければなりません。

私たちはたとえ低く卑しい身であったとしても、
高く貴い、心が指向するその背後には、
とてつもない歴史的な因縁が
横たわっているという事実を知りました。

このようなことを思うときに、
心の孤独さと私たちが一つの友となり、
心が指向するものに
歩みを合わせて進んでいかなければなりません。
外的なすべての因縁を切ってしまうとしても、
そこに仲間になって行くことが、
私たちの行くべき道であることを知りました。

今日、悟りの道を行くためには、
心の主体と対象の因縁を尋ねていかなければならないことを、
私たちは知りました。
ここに集まったあなたの子女たちを記憶してくださり、
お父様の愛を中心として、
対象の位置に立つよう許諾してください。

夜を明かしながら、
お父様に向かって大声で泣いて訴えることのできる
娘の姿、
息子の姿となるようにしてください。

お父様が慕わしくて
涙を流しに流す息子・娘がいますなら、
その息子・娘の涙は無駄なものではないという事実を、
私たちが悟るよう許諾してください。

私たちが今立つべき位置は、
神様の息子・娘の位置であることを知っています。
その位置で
私たちの個体だけでなく、世界を懐に抱き、
世界を生かして死のうという心でもって
息子の責任を果たし、
娘の責任を果たすよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

あなたの望まれることは世界的であるために、
この世界を超えて飛翔するのが
息子・娘の責任であるということが分かるよう許諾してください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七一・二・一四)

7-12 天のための闘いに責任を持った息子・娘とならせてください

お父様が生命の道を開拓してこられた路程は
この上なく厳粛な路程であり、
この上なく聖別された路程であったことを私たちは知っています。

残された摂理の路程が悲しみの路程であるならば、
この悲しみをふさぐべき責任が
私たちにあることを知っていますし、
天の無限なる悲しみを感じることのできない者は、
その悲しみに責任を負うことができないであろうということも
知っています。

残された天の悲しい心情と残された天の闘いに
責任を負わなければならないことを知っていますので、
残された天の悲しい心情と闘いに、
責任を負おうとする者たちとなるよう許諾してください。

このみ旨を成就するためには、誰よりも
大きな悲しみを体恤しなければならないことを知っていますし、
誰よりも悔しい立場の戦場でも
落後者となってはならないことを知っています。

お父様!
イエス様が来て逝かれてから
二千年の歴史が経過しましたが、
イエス様がカルバリ山上で積まれ、
天が共に泣かれた真の勝利の祭壇は
この地上に現れていません。

天が動かずにはいられず、
地上の人間たちが動かずにはいられない、
天と地が接する世界的なゴルゴタ山頂が
現れるべき時となり、
ゲッセマネ山頂が現れるべき時となったことを知っています。
このような責任を消化する
数多くの聖徒たちがいなければなりません。

しかし、天が訪ねてきて
喜ぶことのできる群れがいないのを知れば知るほど、
お父様の心情を心配する息子・娘たちは、
この地を眺めて痛哭せざるを得ない現実であるということを、
私たちは知っています。

きょう私たちが心と体をすべて捧げて、
お父様のみ手に捕らわれることができ、
お父様の心中に立てられ得る息子・娘となって、
歴史的なすべての悲しみを
担うことのできる姿となるよう許諾してください。

お父様が親しく役事されるその役事を通して、
私たちの心と体が新しく復活する
この時間とならなければならないことを知っています。

私たちに任せられたところの責任をすべて果たすことができなかったことを
お許しくださり、
お父様の前に忠誠を尽くせなかったことを
お許しくださり、
お父様の心情をつかんで、涙ににじんだ生活ができなかったことを
お許しくださり、
私たち一個体一個体を訪ねるために、あなたが
苦労の歩みを意に介されなかった事実を忘却してしまったことを
お許しください。

新たな覚悟と新たな決意をし、
各自が過去のすべての足らなかったことを悟り、
お父様の心情を中心として、
自らの心をつかんでいで立つことのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

この民族の前に許諾なさった祝福を、
この時間を通してお下しくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
勝利のひと日に責任を負ったあなたの息子・娘たち、
その使命と責任を果たすことができるよう許諾してください。

このみ旨をなし、お父様の栄光を表すべき責任が、
この民族にあることを知るものです。
その責任を完遂していく過程には、
無限の試練があることを知っていますので、
その試練の路程においても責任を果たして、
お父様を身代わりして出発することのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

このみ旨を知ることのできない数多くの人類にも
祝福をお与えください。
生命と死亡の波が一度にさらっていくこの時に、
お父様をつかんであなたの息子・娘となることのできる群れが、
この人類の中に多く現れるよう許諾してください。

人類を審判のむちから逃れるようにしてあげる
全体の責任を果たし、
お父様の前にいで立つことのできる息子・娘が
この地の人類の中に多く現れるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

このような使命とこのような時と
このような責任を知ることのできない者たちがいるとするなら、
私たちを通して警告させてくださり、
彼らをして終わりの日の責任と使命を消化させることのできる
息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五九・三・一五)

7-13 お父様に仕え奉る平和の天国を早く成させてください

お父様!
あなたの懇切な事情と悲しい心情をかき抱き、
「自らが責任を負います」と言う娘たちがいるでしょうか。
彼女たちを激励してください。
そのような息子たちがいるでしょうか。
彼らをつかんでください。

あなたがお残しになった最後の戦場で
勝利の栄光を勝ち取り、
お父様の前に凱旋歌を高らかに響かせ、
お父様の栄光を賛揚する
誇らしい姿をお見せすることのできる
真なる息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
あなたが喜ぶことのできる
家族と兄弟たちが現れることを、どれほどお望みになられ、
その氏族とその民族とその国家を
どれほどお望みになられたでしょうか。

そのようになるとするなら、
このすべてのゴルゴタの山頂は
平地とならざるを得す、
サタン勢力は倒れてしまわざるを得ず、
天はみ旨のむちを取って
打たざるを得ないという事実を私たちが知って、
残された路程を従順に行くことのできる
あなたの子女たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

私たちには
お父様を愛することのできない恨みが残っていますので、
その恨みを解かなければならず、
お父様の前に
孝行の道理を果たせなかった恨みが残っていますので、
その恨みを解かなければならず、
お父様の前に
忠臣の道理を果たせなかった恨みが残っていますので、
その恨みを解かなければなりません。

そのためには
闘いの路程で
孝行の道理を果たさなければならず、
忠臣の道理を果たさなければなりません。
お父様に侍り、
親孝行を尽くし、忠臣の道理を果たしながら、
お父様に仕え奉ることのできる平和の天国が
早く早く成されなければなりません。

その日のために、私たちは
きょうを誇り、
あすを準備しなければならず、
喜びの中に行く道において
疲れてしまわないようにしてくださり、
また天に背反する者とならないようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

天が呪う立場に
立たないようにしてください。
私たちが流す涙は万民の生命の源泉となり、
多くの生命がその涙の道を行かざるを得ない
生命の動機となるようにしてください。

多くの民が神様の前にひれ伏して
忠臣の道理を果たし、感謝することのできる因縁を残す
私たちの行路となるようにしてください。

私たちの逆境の道がそのような道となるようにしてくださり、
私たちの悲しい生活がそのような生活となるようにしてくださることを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
この民族の前に福を施してくださり、
世界万民に福を施してください。

天上で再臨のひと日を待ち焦がれている
数多くの霊人たちの恨みを解怨してくださり、
お父様とイエス様の恨みが解怨され、
この地に平和の王国が建設されて、
お父様が統治することのできるその世界が
早く早く成されるようにしてください。
懇切にお願い申し上げます。

万々世の栄光と勝利がこの地上に充満して、
お父様と共に喜び、
お父様に栄光を帰し奉り得るそのひと日が
早く早く来ることを懇切に懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六五・一二・二六)

7-14 お父様の安息の基盤のために忠孝の道を行かせてください

お父様!
お父様は私たちが、真なる孝子孝女となることを
望んでおられることを知っています。

今、真なる家庭、
真なる氏族、
真なる民族、
真なる国家、
真なる世界を成すべき私たちであることが
分かるよう許諾してください。

お父様!
今日まで、あなたが足場とすることのできる地が
この天地のどこにあったでしょうか。
そのような氏族があり、
そのような国があり、
そのような世界があったでしょうか。

お父様はいつも異邦人であられました。
東風が吹いてくれば西の方に追われなければならず、
北風が吹いてくれば南の方に追われる、
このような流浪の生活を
六千年も続けてこられたということを知っています。
私たち人類始祖が、ひと日の失敗によって
お父様に曲折の歴史を経るようにしたことを
私たちは知っています。

お父様!
堕落した歴史を再創造、再編成すべき
真なる理念を望む統一教会がありますので記憶してください。

歴史的な先狙たちのそのすべての失敗が、
歴史の路程の上に
どのような結果をもたらしたのかということをよく知っていますし、
悲しく恨み多い歴史が
継続してきたということもよく知っています。

お父様、
二度とそのような歴史が繰り返されてはならないということを、
骨髄に染み込むまで体験しました。
神様のために生きることのできる忠誠と孝行の道だけが、
私たちの生涯の最上の目的となるようにしてください。
お父様の前で、忠孝を誓う
このような立場を有り難く考えることのできる
お父様の役軍たちとなるようにしてください。

そうして、
ついて来たサタンもこれ以上ついて来ることができず、
別れを告げるようにしてください。
これから私たちが越えるべき険しい山々を
喜びをもって越えていくことのできる、
お父様の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
聖なるひと日がこの国、
この地上に立てられたことを感謝申し上げます。
このひと日が現れるまで、
お父様がどれほどご苦労なさり、
また嘆息していた万物がどれほど待ち焦がれていたかを知っていますので、
このすべてのものを喜んでお受けください。

そうして、
この地球上で世界的な勝利を果たし得るその日を
早く成すことができるよう
役事してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六六・六・一九)

7-15 蕩減復帰路程の中で忠孝を尽くす子女とならせてください

お父様!
どんなに東奔西走するとしても、
私たちの行くべき道は既に決定されています。
そこに向かってきょうも行かなければならず、
あすも行かなければなりません。

蕩減復帰路程を行きつつ、
私たちは落胆するときが多くありましたが、
落胆せずに耐えるようにしてくださった
お父様の恩賜を有り難く思います。

六千余年、長い長い歳月を過ごしてきながら、
私たちの先祖たちがお父様の前にどれほど懇求し、
また私たちも自ら進んで
お父様の前に集ったときがどれほどあったでしょうか。

しかし、お父様は
いくら困難であっても、背を向けることができないために
耐えに耐えて、
信じてきた息子たちが侮辱を浴びせる場でも、
歯を食いしばり、思いを抑え、耐えなければならなかった
お父様の事情に接するものです。

そうですので、私たちは
お父様のために身もだえする子女とならなければなりません。
そのようになるとき、お父様が
私たちを「愛する息子だ」と言われるでしょうし、
「愛する娘だ」と言われるはずだと思うのです。

そのような群れが一つとなって一氏族を成すようになれば、
お父様が愛さざるを得ない氏族であり、
そのような氏族が一つとなって一民族を成すようになれば、
お父様が愛さざるを得ない民族であり、
そのような民族が国家形態を備えて
世界の舞台に立つようになるとき、
お父様はその国家を祝福せざるを得ないということを、
私たちが分かるよう許諾してください。

人の知らない蕩減復帰の路程を歩いている私たちが、
昔はお父様の前に忠誠を尽くすことを願いましたが、
どのように忠誠を尽くさなければならないかを知らず、
ある日お父様に対し得る位置に立たなければなりませんでしたが、
その位置を捜し出せませんでした。

しかし、今の私たちは
お父様を呼ぶことのできる位置を捜し出し、
お父様のために忠誠を尽くし得る
環境の基盤の上に立っています。
お父様のために働くことができるということを
栄光に感じ、有り難く思い、進むことのできる
天の勇士の姿を備えた
あなたの子女たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちは、漠然と信仰生活をするのではなく、
お父様のみ旨の前に定められた行路をたどって、
一歩一歩進まなければなりません。
これが復帰路程を行く
私たち子女の行くべき道であることを知ったものです。

み旨が成されるその日までは、
私たちが平坦な道を行ってはならないということを知ったので、
感謝する心で各自任せられた責任を果たし、
お父様の前に忠誠を尽くし、
足らない自らを責めながら進むことのできる、
あなたの息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様と私たちが望む理念の世界が
早く早く全天地間に成されることを
懇切にお願い申し上げます。
そのためには、私たち各自が
蕩減的な祭物過程を経なければなりません。

今の力では足らないとしても、
忠誠を尽くして
いつかはお父様のみ旨を成してさしあげる、
あなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六七・六・八)

7-16 神様の国を建てる聖なる婦女子たちとならせてください

お父様!
あす、あさってになれば新しく月初めを迎え、
あなたの愛する娘たちが
み旨のために南韓の各地に出ていきます。
この者たちの行く道を、
お父様、
お守りください。

この者たちのためにあなたが前もって準備なさり、お命じになった
決定的な日が近づいていますので、
この者たちの行く道をあなたが担ってくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

この日を中心として、
新しい天の運勢が
この国に訪ねてくるよう許諾してくださり、
寂しい統一の群れが訪ねていくことのできる
一つの契機が備えられるようにしてください。

この者たちが活動をして、
追われ、追い回され、一人残るようになっても、
お父様の前に心からの
感謝と栄光と賛揚を帰し奉ることができるようにしてくださり、
その期間が聖なる期間となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
人々が眠るときに、
家庭を飛び越えて敵軍に向かって立つその歩みを、
お父様、
お守りください。

この者たちが寂しい立場に処すのは、
あなたの寂しさを身代わりするためであり、
この者たちが凄涼なる立場で闘うのは、
あなたの戦場を相続して、
あなたに近づくことのできる
安息の場を見いだそうとするためですので、
この者たちが寂しいときには友となってくださり、
この者たちが悲しいときには同行してください。

そうして、
この者たちがお父様のみ旨を成就することができるよう、
毎日、内外においてお守りくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

この者たちは平和の国を相続しようという女性たちとして、
新しい旗を高く掲げ、
天の国の光復のために血涙を流しながらも、
お父様に感謝することのできる
あなたの愛らしい娘たちですので、
あなたがつかみ、役事してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

この者たちが通っていく所ごとに、
この者たちが流す血と汗と涙の跡の残される所ごとに、
生命が復活することのできる
源泉となるよう許諾してください。

そうして、
あなたの恩徳によって勝利の土台を獲得し、
奪われた群れをして
このように愛され得るひと日があるということを
万天下に誇ることのできる期間となるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちはかわいそうと言えばかわいそうな立場に立ちました。
国を持てなかったかわいそうな私たちであり、
民族を持てなかったかわいそうな私たちです。

今まで数多くの宗教者たちが
民族を分けてくるために行った
凄惨な最後の障壁に決着をつけ、
この地上に天国を創建すべき厳粛な使命を
背負っているということを知っています。

地上のもののためにも生命を捧げる、
この地の実相を目撃し得るこの時ですので
生命を捧げ、自分の家族を祭物として捧げるとしましても
天の国を建てるために身もだえすることのできる
聖なる婦女子たちとなるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

この者たちが全国を縫っていく一歩一歩に、
あなたの悲しみを根絶やしにするための心が
滲み出るよう許諾してください。

また、この者たちが望む基準は、
勝利の旗を掲げ、
天に向かって勝利の凱歌を歌うことですので、
お父様のみ名とともに
それに徹した心を持ち、
そのような心に埋もれ得る生活となり、
そうすることを信条とするよう許諾してくださいますことを、
わがお父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、お父様を思慕した足取りが、
お父様の国のために
限りなく泣くことのできる足取りとならなければなりません。
お父様のひざと裾をつかみ、
生涯をかけて進んでいかなければなりません。

そうして、
過ぎし日に編んできた誤った歴史を、
お父様を身代わりして
一刀のもとに切って、復帰してさしあげられる
勝利の日を待つよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

この国に対するお父様の願いが成される日が、
私たちの前に近づいてくるのが分かりますので、
白い衣を着てひざまずき、
世界をお父様の前に導くために誠心誠意を尽くす
統一の役軍たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・一一・二九)

7-17 天国建設のために死んでいった先烈たちと似させてください

お父様!
昔から数多くの聖人・賢哲たちが天国を語るとき、
怨讐と闘う激しい場で、
自分の憤怒と自分のすべての血気をあらわにして
怨讐と争う場で語ったのではなく、
怨讐の刀の前でも自分自身を忘れ、
静かに天を慕い参拝する場、
安らかに天の懐に抱かれる場、
怨讐の環境を超越する場で語ったということを
知るものです。

今日、罪悪が入り乱れて、
サタンの群れが周囲を包囲しているこの現実において
歴史的な怨讐が私たちを狙うこの場において
怨讐を物ともせず、
あなたの聖さを賛揚し、
あなたの気高い貴さに酔って
千年万年生きたいと思いながら
心の喜び、
体の喜びを持って進む者がどこにいるでしょうか。

私が持った選民の権限を
奪う者がどこにいるかと言いながら、
堂々と立つことのできる群れだけが天国の一員であることを、
私たちは知らなければなりません。

十字架の患難の道において、
孤独単身で寂しく涙された
物悲しいイエス様のみ意に従うために、
先烈たちは飢饉と飢えが連続する生活の中でも、
自分一身が悲惨な淵に追われる立場でも、
天地の苦難にもへし折られなかった歴史的な事実を
私たちは知らなければなりません。

イエス様は天国を建設されるためにすべてのことに耐え、
むちを受け殺される場でも、
その決意がへし折られなかったという事実を知るものです。

そのような場で耐えて残され、
勝利の盾を取っていで立つ者だけが、
天国と因縁を結ぶことができ、
天国を所有することができるという事実を、
私たちは本当に学ばなければなりません。

どんなにいら立たしく、
どんなに物悲しく、
どんなにかわいそうな立場に置かれている私たちだとしても、
私たちよりもっとかわいそうな
お父様がおられることを思うとき、
その前に私たちが祭物となり、
私たちよりもっとかわいそうなお父様を
慰労してさしあげるべきであることを知りました。

そのお父様に侍り、
孝の道理を追求するにおいて、
お父様の威信と
お父様の立場と
お父様の事情を私たちを通して通告することのできる……。
父母の心情を備えた一人のお方が私たちに対して
孝子になれと言うのは、
死の道を行けということであり、
忠臣になってくれと言うのは、
裂かれに裂かれるいばらの道を行けということであると思うとき、
父母の立場におられるお父様が地を訪ねきた歩みが、
どれほど物悲しい姿であったかを
私たちは感じなければなりません。

そのようなみ旨を抱いてこられながらも、
そのみ旨を成してくれと言うことのできないお父様であられることを知り、
私たちの心情の奥深くに
甚だしい痛みを感じなければなりません。

その内情の一片を引き継ぎ、
お父様を慰労することのできる姿となり、
三百六十度、どの方向においても
真なる一人の姿を備えて、
お父様だけが必要とすることのできる子女となろうと、
身もだえする私たちとなるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九六九・九・二八)

7-18 私たちを通してお父様のみ旨を成してください

お父様!
私たちをこの場に立てて、
私たちを通して解怨成就なさろうとする
お父様の聖なるみ旨があることを知るものです。

あなたが解怨成就なさろうとするそのみ旨の前に忠誠を尽くして、
なくてはならない子女たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

きょう私たちが存在するようになったのは、
私たち自身によるものではないことを知っています。
始まりもあなたであり、
終わりもあなたであることを知って、
あなたの前に全体をお任せいたしましたので
主管してください。

私たちによって勝利の個人と、
勝利の家庭と、
勝利の国と、
勝利の世界を復帰なさり、
さらには勝利の天国を成してくださって、
お父様お一人が栄光をお受けになられますことを
懇切にお願い申し上げます。

犠牲になり、祭物となられたあなたのすべての悔しい事情を、
私たちが身代わりに担い、
必すあなたの恨みを解いてさしあげ、
喜びと栄光を帰し奉り得る
子女たちとなることをお誓い申し上げます。

お父様!
私たちを中心として、
三時代の因縁が結ばれていることを知っています。
過去に来ては逝った数多くの先祖たちが、
私たちによって
解怨成就され得ることを懇切に望み、
世界中に散らばっている人類が解放のひと日を待ち焦がれ、
未来の後孫たちが解放のひと日を待ち焦がれていますので、
彼らを解放してあげることのできる
私たちとなるようにしてください。

そうして、
天のみ旨を奉じ、地のみ旨を奉じて
人類の道理を探し立てることのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してください。
懇切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によって祝願いたしました。アーメン。

(一九六九・一〇・一九)

7-19 お父様が行かれる道に同参することを願います

お父様!
お父様の道は、個人と家庭、
民族と国家、
そして世界を通して行かなければならない旅人の道です。

お父様のその道を守ることができ、
その道を歩まれるお父様の前に、
孝子孝女となり得る真なる子供が
ここにいなければならないため、
お父様、
ご照覧くださいますことを懇切にお願い申し上げます。

お父様が行かれる家庭の十字架の道を、
私たちがついて行かなければならず、
氏族の十字架の道を私たちがついて行かなければならず、
民族の十字架の道を私たちがついて行かなければなりません。
国家を経て世界、
ひいては天宙復帰のとてつもない課題を背負った
その十字架の路程を私たちがついて行かなければなりません。

その道を行くにおきまして、
お父様を先頭に立てて行ってはなりません。
お父様の前に立って、
お父様の前に置かれた十字架を、
私が身代わりして背負っていこうと言える
天の孝子と忠臣の姿になるよう許諾してください。

そのような姿とならなければならないことを
私たちは知っています。
そうならなければならないことを私たちが学びましたので、
私たちをして、
そうすることのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちにとって最も貴いことは、
お父様が行かれる道を
お父様と共に行くことであり、
お父様が生活される生活の舞台で生きることであり、
お父様が行かれるその道で死ぬことです。

これが私たちの一生の目的であり、
人間としての最大の幸福であるということがはっきり分かる
あなたの子女たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちの心は
完全に空とならなければなりません。
空となって、お父様の前に完全にお捧げしなければなりません。
私たち自体の主観、
私たち自体の一念全体を一掃してしまい、
お父様の観念と思想だけが
私たちの心の中に注入されるようにしてください。

そうして、
お父様によってつくられた心となって、
その心が体を主管し得る新しい姿として、
お父様のみ前からもう一度
出発できるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六九・一二・一四)

7-20 お父様に代わって十字架を負う孝子とならせてください

お父様!
私たちがお父様の息子となるために、
お父様の前に不孝の因縁を残さないようにするには、
不幸であったあなたより
一層不幸な道を尋ねていかなければなりません。

そうして、
お父様の立場に代わって立ち、
お父様を身代わりして実を結び得る子女となって、
お父様と共に残り得る追憶を持つようになるとき、
それが孝の中の孝であり、
忠の中の忠ではないでしょうか。
そのような道に向かって私たちは直行しなければなりません。

あなたが十字架を負えば、
その十字架を身代わりして負おうと身もだえすることのできる
孝の姿と忠の姿を備えるようにしてくださり、
自らの生命を失っても
感謝することのできる立場に連結されるようにしてください。

私たちは
生命を捧げて
お父様の前に孝行をしようという立場にいたのであり、
お父様はそのような孝行息子・娘を捜し出そうと
今まで身もだえしてこられました。

私たちがお父様に対して
忠の道理を果たそうと生命を捧げることを願えば、
お父様が
その道を開拓してくださるということが
分かるようにしてください。

妻がこの道を遮るなら
妻を捨ててもでも行かなければならないのであり、
子供がこの道を遮るなら
子供を捨ててでも行かなければなりません。
また、
親戚、氏族、民族、国家がこの道に反対したとしても、
それらを捨てて行く私たちとならなければなりません。
お父様が
死の峠から私たちを導いてくださるので、
私たちも
死を覚悟しなければならないということを知らなければなりません。

お父様は、
私たちが自ら祭物となる場に
出ることを願われるのです。
私たちはその場が
父子の関係において、
愛をつかんでくる場だということを
知らなければなりません。
子供が死の場にいれば、
父親が先に死のうとするのが
愛の道理であることを知っています。
そのような場に残されるようになるとき、
お父様はそのような追憶の日を
永遠に記憶なさることでしょう。

そうなり得るひと日が
統一教会の群れを中心として成されますので、
残されたその日を、
お父様、
お忘れにならないでください。

追憶の日として残すために闘うこの者たちは、
その日が長く長く残されることを望んでいます。
その息子が進む道を伝統として
相続しようとする
あなたの子女たちもいます。
その場の因縁を相続することのできる
息子・娘になるようにしてください。

復帰路程において永遠に
お父様と共にあり得る追憶の日を
お父様の前にお捧げすることなくしては、
忠臣の因縁をもってお父様の国に行くことができず、
お父様の息子・娘として決定され得ないということを
私たちは知っています。
ですので、
孝の道理を立て、
お父様の前に追憶のひと日を残すことのできる
お父様の息子となり、娘となるようにしてください。

そのような場において
私たちが追憶の因縁を残すことができるなら、
死の場に置かれるとしても
その場は喜びの場であり、
お父様の前にプラスとなり得る場であることが
分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・二・一五)

7-21 密使としての使命を果たさせてください

大韓民国で統一祭壇が進んでいく道の前におきまして、
今まで密使の進路を開拓してきた
愛する息子の事情を知っておられるお父様、
あなたが今までどれほど
もどかしく気をもんでこられたかということを
私たちは知っています。

お父様!
私たちは生命を懸けて
考えざるを得ないときが多くありました。
自然の微妙さを見つめながら、
お前(=自然)が私の言葉を聞かないかもしれないという
そのような心で蕩減の道を経てきました。

このようなことを考えるとき、
私よりも歴史時代にお父様が威信を立てることができず、
そのような場において
どれほどご苦労なさったかを知るものです。
百年にも満たないこの生涯は、
歴史時代を経てきたお父様の犠牲と
比較することができないということを知るものです。

私たちの日常生活全体が
密使の使命で始まり、
絶対的に自らの犠牲で終わるとしても、
当然そうであるべき自分であることを知り、
お父様の前により一層忠孝の道理を果たそうと、
身もだえし、気遣うことのできる
あなたの息子とならなければなりません。

食べるのも、これが最後になるかもしれないと考えつつ、
天の前に怨讐の条件を残すのではないかと心配しながら食べ、
いい服を着、いい物を食べることができなくても、
お父様のみ旨を思い
「心配しないで」と祈る姿があるなら、
お父様がご覧になるのに
どれほど愛らしいことでしょうか。

けれども、
密使の行路圏内にいる息子であるために、
その愛を天上世界では気高く表しても、
人間の世の中では
隠すしかないということを知らなければなりません。
今まで統一教会が歩んできた道は、そのような道でした。

お父様、
あなたがご苦労された功績によって
大韓民国に愛する息子を立てたい時が来るならば、
過去に責任を果たせなかったことによって
悲しまれたお父様の心を深く胸に刻み、
心自体で恨みとなり得る要件を完全に取ってしまい、
お父様に侍ることを願っています。

お父様!
日陰で生きてきた男の姿も凄涼でしたが、
お父様がそれほどまでにご苦労なさっているとき、
お父様のために忠孝の責任を果たせなかったことを
もう一度、呵責を感じることのできる時間とならなければなりません。

歴史的なこの時間が存在するまで、
お父様が開拓してこられたことを考えてみるとき、
きょう私たちが立っているこの場は、
誰も持つことのできなかった
福なる恩賜の土台であることを知るものです。

お父様!
密使の使命と責任を引き継ぎ、
国家と世界に向かって
その責任を果たすことのできる息子になろうと、
お父様の前にもう一度
深く約束するようにしてください。

このたびの機会を通して
各自の胸に
新しい決意をして帰ることができるようにしてくださり、
お父様の認定を受ける
息子たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・二・一六)

7-22 お父様の忠孝の子女たちを祝福してください

お父様!
この場に集ったあなたの子女たちの心の中に訪ねてきてください。

私たち、
お父様を欽慕することのできる
懇切な心の土台を備えてはいないでしょうか。
今、私たちは
心でお父様に侍っても、
背を向ける悲しい姿勢を持つようになるのではないかと、
恐れなければなりません。

本当の意味で
お父様に侍り、
ありとあらゆる忠誠を尽くすあなたの息子・娘たちがいますでしょうか。
無限なる愛と慈悲と哀れみと許しをもって
彼らを祝福の恩賜圏内に抱いてください。

あなたの高く貴い愛の心を
無限に感じることができるよう祝福してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

この時間、
お父様のみ旨を心配しながら、
残されたそのみ旨のために戦場に向かって駆けつける勇士、
自分のすべてを無限に投入して、
闘いに必要な装備を備えるために努力する
あなたの勇士がいるでしょうか。

お父様、
彼らをお守りくださって、
その国と世界を守り得る
一人の代表者として祝福してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

あなたの聖なる祭壇で、
多くの生命のために
犠牲の祭物を捧げる祭司長の職責を負った
あなたの息子・娘たちがいるでしょうか。

また、人が寝る時間に精誠を尽くし、
人々が楽しむときに苦難の路程を行き、
受難の道を歩みながらも、
その道が自ら行くべき道であると知り、
民族と人類の背後で
祭壇の基台を広げていくために、
人の知らない中で
数多くの受難とぶつかってきたあなたの息子・娘たちがいるでしょうか。
お父様、
彼らを祝福してください。

彼らが世の中の根であり、
その根の影響を受けて
世界は生きているということを、
彼ら自らが分かるようにしてください。

人が認めてくれないとしても、
お父様に感謝できる心、
むしろ誰かが認めてくれることを
心苦しく思う心を彼らにお与えください。
あなたと一致し得るその場は、
このような因縁を経なくてはならないということを知り、
人の知らない中で感謝する心を持って
お父様に侍ることのできる
息子たちとなり、娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・三・八)

7-23 不孝の歴史を終結させる子女とならせてください

お父様!
今までのすべての日々は、
悲しみを抱いてみな流れていきました。
それゆえ、私たちは
今後来る日々を
悲しみを抱いて流れていくようにしてはならない
責任を負ったのです。

私たちはこの国に悲運が宿るこのときに、
その悲運を取り除いてしまい、
望みと希望を植えてあげるべき使命を持った
統一教会の群れです。

絶望と落胆と悲哀と嘆息が漂う
現歴史の思潮におきまして、
これを克服することができ、
新しい望みと希望を残すことのできる
統一の主流とならなければならないという事実を知りました。
その道を行くためには、
より公的な価値を探し求めて生活しなければならないということが分かる、
あなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
今まで統一教会が
あなたの経綸のみ旨に従ってくる過程には、
悲しい事情もたくさんありました。

その誰にも話せない痛々しい事情に追われ、
足をばたつかせながら、
「お父様はいない」と呪いたいときが
一度や二度ではありませんでした。

このような過ぎ去った日々を考える度ごとに、
言うに言えずにもどかしく、慌ただしく
時間、時間を経てこられたお父様が、
どれほどかわいそうなお方であられたかを
私たちはもう一度感じるものです。

私たちのために顔を傷つけ、
私たちのために手足を傷つけたあなたであられました。
それだけでなく、
千万回苦労の公的な因縁を備えられ、
私たちのために涙と血と汗を流された
お父様であることを知っています。

このようにお父様が
私たちの生活圏内で
私たちと共に生きておられるという事実を思うとき、
お父様の手をつかみ、
永遠に放したくない懇切さが
私たちの心から込み上げてこなければなりません。
お父様の首をつかみ、山道であっても、どのような道であっても
従っていきたい心が込み上げてこなければなりません。

そのような因縁を備えて、力が足らないとしても、
お父様をおぶっていく生活をしなければならないという心が
私を支配し、生涯にみなぎるようになるとき、
初めて孝と忠の道理を果たした立場に立つということを知る
私たちとなるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・六・四)

7-24 お父様の恩徳に対して忠孝を帰し奉る子女とならせてください

父母の恩徳を受けた子供ならば
その恩徳に報いるのが道理であり、
国の恩徳を受けた者ならば
君王のために忠孝を尽くすのが
臣下としての道理であるということを、
私たちは知らなければなりません。

あなたが私たちの生命全体を
この地上に残してくださったことを思いますとき、
この受けた恩賜に私たちが報いるためには、
孝の道理、忠の道理を果たし、
統一された心情を備えて
あなたが願われる世界を身代わりすることのできる
祭司長とならなければなりません。
これが統一教会の群れが行くべき道であるのを
知らなければなりません。

責任を負った者たちの生活は、人が寝ているときに寝ることができず、
人が遊ぶときにも遊ぶことのできない生活だということを
私たちは知っています。

今日、統一教会は自分自体の責任だけでなく、
歴史的な責任を負っています。
私たちが忙しい歩みを促し、
み旨のために駆けつけるその途上におきまして、
早く行くことのできない自らの歩みを、
恨めしく思う心を抱いて行くべきなのが
統一の群れの行く道であることを知りました。

お父様がそうであられたために、
お父様のみ旨を奉じる息子・娘たる私たちも
そうでなければなりません。
私たちがこれを残そうとするなら、
自らが祭物とならなければならないということを知りました。

それゆえ、私たちは出ていっても、
そこで悲しみを感じて
再び私たちのみ旨に向かって
歩みを促さなければならないことを感じるものです。

個人を捜し出したときの喜びよりも
家庭を捜し出したときの喜びが大きいことを知ったなら、
あなたも個人を捜し出されたときよりも
家庭を捜し出されたときの喜びがもっと大きいことを知るものです。

また、家庭を捜し出されたときの喜びよりも
氏族を捜し出されたときの喜びが、
氏族よりも民族、
民族よりも国家、
国家よりも世界を捜し出されたときのその喜びが
もっと大きいことを知るものです。

このようなことを考えるとき、
そのような世界を捜し出されたときの喜びを
天宙万象の前に表す標示として、
歌と踊りで万宇宙を抱いて
祝福することのできるその日を迎えることが、
あなたの内心でどれほど焦がれた願いであったかを
私たちは知らなければなりません。

この地上に生きている数多くの群れは、
誰も恋い焦がれることができず、
想像することもできませんでしたが、
これを心だけでなく
実際の生活過程に進軍する統一の教団を通して、
私たちに体恤できる現在の立場を
備えさせてくださいました。

このすべてはあなたの愛であり、
あなたの哀れみであり、
あなたの慈悲であり、
あなたのあふれる恩徳であることを知り、
もう一度感謝申し上げなければなりません。

このように世界的な峠を越え
祝福を持ってきてくださったことを考えるとき、
自分の処した立場を誤って知り、そのまま通過しようとする
かわいそうでみすぼらしい敗者の悲しみを相続するに
似つかわしい姿となってはなりません。

お父様が下さるあまりにも大きな恩徳を、千年万年、
自らの後孫万代を通して
美しく輝かせ相続させてあげるためには、
精誠を尽くし忠誠を尽くして
誇らしく伝えようと
身もだえすることができなければなりません。
そうでなくては、
自分自らお父様の前に
威信すらも立てることができないということを知らなければなりません。

自らの過去をもう一度回想し、
現在をもう一度批判しながら
お父様の恩賜と厚徳の前に涙を流し、
お父様の高く尊いことを賛揚することのできる
息子たちとなり、娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・一〇・一一)

7-25 新しい歴史を創造していく統一の群れとならせてください

お父様!
今、誰よりも尊いあなたに、
私たちは心の中において侍らなければなりません。

その誰もが侵犯できない心の座におきまして、
絶対者であられるお父様に侍って、
お父様と共に相談し、
お父様と共に相応的な立場で、
主体的なお父様と共に
相対的な私自体の無限なる価値の立体性を
発見し生きていける人生があるとするなら、
世の中がいくら悪いとしても、
その悪なる圏内で無限なる価値を倍加させることのできる
歴史創造の新しい土台をつくっていく
異なった何かを発見できることでしょう。

そのようなことを考えるとき、
その人が受ける苦痛は
苦痛でなく、幸福として消化させ得るものであり、
彼は死亡の波が充満したこの地上において
不幸な人ではなく、幸福に生きる人であり、
幸福のために生きる人であると、私たちは知るものです。

統一教会の群れたちは
このような道を行くべきことを知ったために、
今まで歩んできた道は受難の道であり、
迫害の道であり、
寂しい道でありました。しかし、
その迫害と寂しさが行き交う交差路に立つそのときごとに、
私たちが行くべき道は明白でした。

人間が持つべき価値の因縁を植えるために、
自らの行路だけでなく
四方に伸びて交差するその道まで
流れて越えていける善の因縁を残したいと、
四方に身もだえしてきました。
そのような統一教会の歴史的な事実を考えますとき、
悲惨ではありましたが、その中で
人の知らない感謝の心情を持つことのできる
立場に立ててくださったことに感謝を申し上げます。

そのような場で根を打ち込み練磨して、
世界的な足場を築き、
あふれんばかりの希望とともに
アジアを眺め、世界を行き来する
新しい一つの世界を夢見ることのできる
愛国者の心情を持つだけでなく、
世界人類の中で誰も持つことのできなかった
あなたの愛を中心とした、お父様の家庭と
お父様の国に対する愛国心を持って生きようとするのです。
天情に従って、忠臣の道理を学ぼうとし、
天情に従って孝行の道理を学ぼうとする、
より高い次元の価値を探し求めていく
この者たちの行く道の前に、
祝福のみ手が永遠に共にあるようにしてください。

その生活において加重された価値は、
今日、平面的な世界を中心として生きる人の
どのような価値とも比較できない
高次的な内容であることを知って進むこの者たちの上に、
あなたの哀れみと愛がより一層共にあってください。

世の中がいかに悪いとしても、
この悪なる世の中を導いていくべき主体的な力は
より強くなければならず、
弱くては駄目であるということを、
私たちは誰よりもよく知っています。

寂しいときもお父様の能力を身代わりして、
私たちは寂しがってはならないことを知っていますので、
私たちがこの世の中の前に
影響を及ぼす群れとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

その誰も分立させることのできない
世界を中心として絡み合い得る家庭となり、
民族となり、
国家となり、
世界人類とならなければならないということを、
誰よりも強く感じた群れが
きょうこの時代の統一の群れです。

過去に怨讐であった日本人たちも、
食口(=家族)の名前を持つときには兄弟となるのであり、
色の違う数多くの人種たちも
食□という名前を中心として、
どの民族の中でも見いだせず、見いだすこともできない
兄弟の友愛を持って生きる動きが広がっています。

そのような動きが
きょうこの地上において基盤をつかみ、
実践的段階に向かって突進していますので、
お父様が哀れにお思いになって
ここに無限の能力を加重してくださり、
私たちのみ旨の勝利の局面に向かって前進するにおきまして、
気の小さい者となるのではなく、勝利者の姿を備えて
強く雄々しく直行し、前進する
天の勇士たちとなるように許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・二・一一)

7-26 摂理史的な環境圏で勝利させてください

お父様!
駆けていっているこの世界の流れを
誰も停止させられないのを、
私たちは知っています。

今、世界の終末が
私たちの前に近づいてきていることを知るものです。
共産世界も既に終末を告げ、
民主世界も既に終末を告げました。

この終末の中に
お父様がお座りになり得る、
直接的でありながらも新しい動きが
この天地の間に現れなければなりません。

そうでなければ、
全天地は暗澹たる暗黒世界から
永遠に解放され得ず、
呻吟と病苦と災いの中に包まれるしかないということを
私たちは思うものです。

今、私たちが
失ってしまったお父様を再び捜し出さなければなりません。
私たちは歩んだ足取りを振り返り、
人本主義や物質主義などすべての思想の体制と、
現実的なすべての与件を引っ張って、
お父様の前に帰らなければなりません。

そのためには、
強力な力の主体であられるお父様を知らなければなりません。
無限なる価値の中心であられるお父様を
はっきり知らなければなりません。

あなたとあなたの子女たちが
一つの内容を中心として、時間、時間の生活圏内で
どれほど密接な関係を結んで生きるかが問題であるのを
知っています。

第二解放、第三解放を必要とする
この歴史的な環境圏の中で、
これを克服に克服を重ねることのできる力と価値を
自ら備えていくことができるよう許諾してください。

お父様!
統一教会員たちは、今、あなたがおられるということを
はっきり知らなければなりません。
生活感情を通して知らなければならず、
各自、体の細胞の作用を通して感知しなければなりません。

そうして、
私たち皆が高貴なるお父様の名を呼び、
お父様に侍り、お父様のために血の汗を流すことのできる
聖なる息子・娘とならなければならないので、
お父様、
許諾してください。

あなたが動けば私たちも動かなければならず、
あなたが静ずれば私たちも静じなければなりません。
あなたが喜ばれれば私たちも喜ばなければならず、
あなたが悲しまれれば私たちも悲しむ
息子・娘とならなければなりません。

平和の国に向かって、
平和の天国に向かっていくべき希望の息子・娘が
凛々しく活気に満ちた姿勢を備えて
進むようにしてくださり、
天の勇士たちとなり、
天の精兵たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・八・一六)

7-27 勝利の一路を開拓させてください

お父様!
この地上を訪ねてくるために、どれほどご苦労されたでしょうか。

誰も分からないこの
復帰という悲しい路程を経てくるために、
どれほどご苦労されたかを、
私たちが原理を通して学びましたので、
それを忘れないよう許諾してください。

あなたが自ら行われた、その足跡に従いながら、
あなたの胸の中に積まれた恨みの土台を
私たちが闘って克服し、
勝利の一路を開拓すべき使命が残っているということが
はっきり分かるよう許諾してください。

あなたのために足らない私たちが
仕え奉り、忠孝の道理を果たすとしても、
限られた体であるために、
限界線を越えられずにいることを知っています。

しかし、お父様は
いつも私たちを訪ねてこられ、つかんでくださり、
私たちに行くべき目的を達成させるために激励なさいました。

しかし、私たちが倒れ、
お父様の前にご心配をかけたときがどれほど多かったか、
言葉ですべてを表現することができません。
そのような度ごとにお父様を悲しませ、
お父様の背に苦痛を負わせた事実を、
お受け入れくださいますよう懇切にお願い申し上げます。

きょうもあなたのみ旨のために身もだえしながら、
ひと日の勝利のために
精誠を尽くした家庭があるとするなら、
その家庭に千倍万倍、福を施してくださいますよう
懇切にお願い申し上げます。
地上で精誠を尽くす群れが
天上世界の群れと一致して、
天と地が授け受けることのできる
勝利の土台を備えられるようにしてください。

そうすることによって
お父様の顕現と、お父様の行使なさることが、
実体としてすべての横的世界に起こることを知っていますので、
そうすることのできる統一の運勢が
この地上に現れるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

(一九六九・六・二九)

7-28 お父様を愛し奉り、み旨の道をまいります

お父様!
きょうこの場にいる私たち、
果たしてお父様が慕わしくて
涙が先立ち得る個々人となり、
統一家の繁栄のために
自分の一身を自ら祭物にしようと、
あえぐ生活をしている
群れとなったかということを
反省しなければなりません。

来ては逝く人生の行路におきまして、
食べて寝るという日常の生活環境におきまして、
善い悪いという感情生活におきまして、
善いことはお父様によって善く、
悪いこともお父様によって悪く、
来ては逝くのも食べて生きるのも、
人生の生活一切がお父様によってなされなければなりません。

お父様を抜きにしては、
私たち自体が存在することができないという立場で生きるべきなのが
私たちの人生であるということを思うとき、
私たちはあまりにも
私を中心とした所有圏が大きかったことを知るものです。
自ら恥ずかしさを感じ、
いつもお父様のむちを受けるべき
子供であると感じ、
あなたの同情だけでも受けることのできる
心の姿勢を備えなければならないということを悟るよう、
今、お父様が直接現れてください。

イエス様が愛する弟子たちを集めて、
彼らを代表し得るペテロに
「ヨハネの子シモンよ、
あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」という質問を、
二度、三度繰り返されたとき、
ペテロが「わたしがあなたを愛することは、
あなたがご存じです」と言ったその場面は、
イエス様が尋ねる回数を加えるに従って、
ペテロをして強い立場に立たせるのではなく、
自分の足らなさに自責の念を感じさせ、
新しい決心を誓わせようという
教え諭しの場であったということを知るものです。

今、私たち自身にお父様がそのように聞かれたときに、
「私がお父様を愛し、
み旨を愛することは、
あなたがご存じです」と答えられなければなりません。

お父様がそれを問われ、問われ、また問われるときに、自信を持って
「はい、あなたを愛しています」と答え、
その質問の前に涙を流しながら、
過去に足らなかった私自身を考え、
なぜそのように問われるのかということを
感じることのできる立場に立ったなら、
「この姿をもって
息子の道理を果たす人となります」と言えなければならないのです。

お父様が私たちをお呼びになって
「お前は天の息子として
世界を代表して責任を果たしてくれ」と願われるとき、
「お父様を愛し、
お父様の命令を望む息子の立場で
その日が来るのを望んでいますが、
あなたが願われることを今やっと成就するようになりました」と言いながら、
千万回死が行き交ったとしても、
祭物として犠牲になる行脚の路程が連結されているとしても、
行くべき必然的な運命の道であることを知って行かなければなりません。

倒れてしまう場におきましても、
お父様の同情のみ手を望むのでなく、
自らサタンの嘲弄を受けないために、
お父様の前に忠孝の道理を果たそうと誓い、
「お父様、
心配しないでください。
お父様が協助してくださらなくても、
私の個体はサタンの因縁を越え得る自信があります。
いかなる受難があるとしても、あなたの協助を必要とせず、
その場を私自らの責任圏と知って
死守いたします」と決意しなければなりません。

同情を望むのではなく、むしろ
天を慰労することのできる息子になろうと身もだえするなら、
血を吐き倒れる運命に至ったとしても、
その人は滅びないということを
私たちははっきり知るものです。

そのような息子がいるなら、
彼が倒れた場が怨讐の陣営だとしても、
お父様がためらうことなく駆けてきて慰労なさるとき、
サタンが讒訴することのできない勝利の圈として残されるということを
私たちがはっきり分かるようにしてください。
真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・一〇・九)

7-29 新しい時代の旗手の使命を果たさせてください

お父様!
今から統一教会の教会員たちは行くべき
とてつもない新しい時代の騎手の使命を
前においています。

すべてがあなたの願うみ旨の前に一致し得る
精誠のこもった態度と、
すべてのものをあなたの前に捧げ得る
犠牲精神だけが、この使命を支えられることを知っています。

ですので、
くれぐれもそうすることのできる素心を抱き、
あなたが導くその道に従って行き、
厳粛にあなたが地上で成就なさろうとするみ旨を引き継ぎ、
実践公約をするよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
今、私たちの姿勢がいかに大切かということが
分かるよう許諾してください。
民族の前にあらわになればなるほど、
主体的責任を果たさなければ
ならないということを知っています。

そのようなことを考えるとき、
一切の行動を注意し、
統一教会の歴史を通して立てられた人格的な基準を
万民の前に見せてあげ、
彼らが行くべき方向と座標を
はっきり提示して余りある、
あなたが立てて誇り、あなたがいつも称賛することのできる、
不足のない子女たちにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
今、全世界に新しい運勢の旗を高く揚げ、
天国に向かって直行する時がやって来ました。
私たちが「天国実現」というとてつもない目標を立てました。
この国この民族は、名実共に
私たちが行く方向の前に
いつも心をもって従ってくることのできる立場に立ちました。

今から、私たちは一致団結して
この運勢とこのブームを殺すことなく、一つの懐に抱いて
勝利の祭壇を
お父様の前に民族と共に結んで捧げるべき
重大な責任があるということを
忘却してはなりません。

過ぎ去ったすべての歳月を、
天のお父様の名前とともに
洗い流すようにしてくださり、
今まで韓民族が責任を果たせなかったことをお許しくださり、
再びこの民族を愛してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

かわいそうな既成教会を抱いてください。
彼らを捨ててはならないということをよく知っています。
二千年の間、お父様が苦労され、
キリスト教徒たちが血を流して立てたそのキリスト教です。
今、私たちと共に舞台裏で手を取り合い、
一つの網を張って
全世界人類をお父様の懐に抱かせるにおいて、
なくてはならない存在であることを知っています。

ですので、
主体と対象の基準を備え、
お父様の国を建国するのに必要な
群れとしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
彼らの将来のすべてを
指導してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

万々事の恩賜と愛が、
あなたのみ名とともに
とこしえに共にあってくださいますことをお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七五・六・八)

7-30 人類を私の体と同じように愛させてください

愛するお父様!
流れていく歴史の中のすべての出来事で、
あなたの摂理と関係なく起こるものはありません。

悲しい歴史、
サタンを中心としたものを克服するための過程において、
個人の壁を壊し、
家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の壁を壊すべき
復帰の運命の道があったということを知りませんでした。

この壁を壊すためには、
堕落した愛の種が蒔かれて根が打ち込まれたこの世の中で、
理想的愛の起源を通ることのできる
心情圏を尋ねていかなければならないということを、
そうでなくては復帰することができないということを
私たち統一教会員は知りました。

イエス様もこのような心情を中心として教えるのに、
誰でも私をより愛さなくては
私の弟子になれないだけでなく、
自分に勝って自分の十字架を負ってついてこないものは
私にふさわしくないと通告したみ言は、
歴史的な宣言でした。
隣り人を愛するのに、自分の体のように愛さなくては
救われないと言われました。

真の父母と真の天に侍る位置にいるならば、
世界が隣り人ですので、
世界をご父母様以上に愛することを望むのが
神様の願いであり、
ご父母様の願いであるのを知るものです。

父母に侍る孝子の立場で、
父母に孝行する以上の心をもって
全体の兄弟たちを愛するその子供を
天が愛され、
すべての相続者の代表として立てようとなさることを知ったので、
今ここにいる統一教会のすべての子女たちは、
父母を愛する以上に人類を愛する
孝子・孝女の立場を身代わりしなければなりません。

そうすることによって、
天上世界であれ地上世界であれ、
サタンの心情圏によって因縁づけられたすべての塀と壁を一時に壊し、
勝利の覇権を持って
天の国を相続するにおいて恥ずかしくない
息子・娘となることをこの時間宣言しましたので、
この者たちがそのような立場で
お父様の祝福を受けるに不足のないよう、
自らを磨くことにおろそかにならないよう
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

ご父母様と世界を愛することのできない者は、
天国に入れないということをはっきり知りましたので、
このことを中心として
ここに反対するサタン世界があるとしても、
それを愛し
消化し得る立場に立たなければなりません。

そうならなければならないことを知ったので、
私がそのような者となるか、ならないかを
実験、実践するにおきまして、
一片丹心、忠孝の心情の道理を
備えるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

そのようにする者だけが最後の勝利者であり、
最後の栄光に同参できる者であり、
すべての愛を中心とした相続権を持つ者であり、
祝福を受けることのできる立場に立った者であるということをはっきり知り、
その道を行くためにすべてのものを犠牲にし、
猛進することができるよう祝福してください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九八六・二・一)

父の祈り 8 決断編

8-1 天だけを中心としてみ旨を成させてください

私たちをつかまえてお集めになるためにご苦労された
お父様!
ひれ伏した私たちの心と体が一つになり、
お父様の命令を身代わりすることができるよう許諾してください。
ひれ伏した私たちの体が
聖なる聖殿とならなければなりません。

長い期間嘆息しながら捜しきた
希望の者たちが私たちであることを悟るとき、
お父様は本当に
かわいそうな立場に処しておられることを知るものです。
今まで摂理歴史を導いてこられつつ、

さまざまな蔑みを受けられたお父様の事情も知るものです。
さまざまな蔑みを受けられたお父様、
さまざまな苦難を経験されながらも
希望の息子・娘を望み、
耐えてこられたお父様であられることを思うとき、
私たちはこの上なく取るに足らない者たちであることを知るものです。

ですが、
そのみ旨の前におそれ多い心を持ってきましたし、
お父様の恨みを解いてさしあげるために
忠義ある志操を持ってきました。

それゆえに、きのうもきょうもあすも
闘いの路程を経ていくべき立場に置かれている私たちであり、
私たちが行こうとする路程が
ただお父様の栄光だけのための路程であることを、
お父様がご存じであられると信じていますので、
この時間お訪ねください。
天だけを中心として動くようお導きください。

信じることのできないこの地上でお父様だけを信じ、
頼る所のないこの地上で
お父様の命令に頼ってこの場までまいりました。

お父様、
きょうの摂理を心配せずにはおられず、
あすの摂理を心配せずにはおられないので、
きょうの感謝が永遠なる感謝となり、
きょうお父様を呼ぶ声が
永遠にお父様を呼ぶ声となるようにしてください。
万物と共に栄光の歌を歌えるときまで、
親しく保護してくださり、お守りくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
心配な気持ちをお解きください。
天の気掛かりがこの上なく大きいということを知って、
今その気掛かりを私たちが身代わりして抱き締め、
残された復帰のみ旨のために、
あらゆる力を尽くして闘うことを願っていますので、
お父様、
私たちをご覧になり、慰めをお受けください。
民族の悲しみと教団の悲しみが
私たちによって慰労されますように。

お父様!
喜び得る一条の生命の光に向かっていくことができるよう、
あちこちに散らばっているあなたの息子・娘たちを
早く早くひと所にお集めになり、
勝利の祭壇と栄光の祭壇を、
そして義の祭壇を築くよう許諾してください。

民族を通して、
この世の中の人類を通して
お父様のその一つのみ旨を成すよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。
(一九五六・一一・二五)

8-2 神様のみ旨のために走っていきます

愛するお父様!
今日、私たちは走っていかなければなりません。
力が足りませんが、
一度に数十段階を飛び越えなければならない、
このようなとてつもない歴史的終局を目前にしています。

審判の過程を越えるべき立場に立っているにもかかわらず、
今日私たちは深い眠りに落ちています。
お父様!
私たちは世俗に酔っています。
罪悪と共にあります。

このような私たち、すべての悪の要素を全部清算したのちに、
天宙の中心であられるお父様の前に
勝利の栄光を帰すことのできる
一つの勝利者として立ててくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

歴史的なすべての事情が
今日私たちの一身に絡みついていますので、
それを切って解放の中心を備えて
イエス・キリストの友の立場に立ち、
お父様の前に敬拝することのできる
喜びの一個体として立ててくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

天国復帰のために選ばれた私たちが、
私たちの一個体を中心として天国理念を足げにして生きる者たちと
ならないよう許諾してください。
天国理念に導かれてその理念を成就するときまで
進みに進み、犠牲に犠牲を重ね、
闘いに闘っていくことができるよう許諾してくださり、
あなたに宇宙的なお父様として侍るときまで耐え、
闘って勝つことができるよう許諾してくださいますことを
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちの心を永遠に主管してください。
今、新しい宇宙的な生活基準を通じて、
全体の中心であられるお父様の前に感謝の敬拝をすることができ、
お父様の愛に浸ることのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・一二・三〇)

8-3 感謝してみ旨の道をまいります

先に召された私たち、
一つの形状をつくるための結晶体のような要素として、
宇宙的な全体の摂理のみ旨の前に立てられたとするなら、
全体の目的を成すために生きなければならないということを
忘却しないよう許諾してください。

今日、公的な摂理の道に立ち入った私たちが
祭物の峠を越えることができず、
あなたが私たちの周囲にあるものをお切りになったのに、
私たちは自ら落胆し、自ら嘆息し、
恨みました。

愛するお父様!
私たちが物質的な峠と
人倫的な峠を越えていくとき、
あなたがこれを打つとしても
私たちがこれを甘受することができるよう許諾してください。

私たちが持っているすべてのものを取り去られるとしても、
私たちの生命が残っている限り
それに感謝を捧げなければならず、
私たちの体を打たれるとしても、
生命が残っている限り
感謝することができなければなりません。
このような私たちになれるようお導きください。

昔の預言者たちと、
歴代の先祖たちが歩んでいったその歩みに、
私たちも倣って行くことができるようになることを願いますので、
導いてください。

アブラハムもそうでしたし、ヨブもそうでしたし、
イエス様も
そのような道を行かれたことを知るものです。
今日私たちも
そのような道を経るべきことを知っていますので、
お父様、
長い時間がかからないよう導いてください。

必然的に近づいてくる恨みの峠を
越えるための準備を整えられるようにしてくださり、
あなたが叱りお打ちになるとしましても、
一人感謝しつつ越え立つことができる善の祭壇を積んで、
栄光の主を賛揚する
天の忠僕たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

怨讐たちが遮る祭物の峠まで越えに越え、
家庭を導き家庭の峠を越え、
民族を導き民族の峠を越え、
ひいては世界を導き世界の峠を越え、
天まで導き越えていき、
永遠にお父様に
真なる生命と
真なる平和と
真なる喜びと
真なる栄光を許諾してくださいと
自信を持って訴えることのできる
息子・娘となるようお導きくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五七・三・一〇)

8-4 あなたのみ旨を担い得る子女とならせてください

愛するお父様!
エデンの園を失ってしまったアダムの悲しみが
私たちの悲しみであり、
天の恨みであることを知っています。

また、エデンの園の理想を楽しむべき人間の先祖が
その理想を楽しめなかったことが
天の恨みだということも知っています。

お父様!
堕落の逆境を踏んでいる私たちの責任が重いので、
私たちをもう一度分別された立場に立てて
再創造のみ手を広げてくださらなければ、
私たちほどかわいそうな者たちはいないと思いますので、
愛のお父様!
哀れみのみ手を伸ばしてください!

私たちの心と体をこの時間お父様に捧げようと思いますので、
お受けくださり、
お父様の性相のままにつくってくださって、
あなたのみ旨を担い得る
私たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
寂しい息子・娘たちが
あちこちでこうべを垂れながらあなたのみ名を呼んでいますので、
彼らと共にいてください。
人間の力だけでは何も成すことができないということを
私たちが知っていますので、
お父様、
私たちの心と体を主管してください。

この者たちをして、
突っ走りながら前進しなければならない路程において
落後者とならないよう許諾してくださり、
闘いの路程において敗北する者たちとならないよう許諾してくださり、
あなたの栄光を永遠に歌い、
あなたの愛を誇ることのできる息子・娘たちとなるよう許諾してください。

環境が困難であるとしても、
その環境を克服するよう許諾してくださり、
闘いの路程において倒れるとしても、
私たちを呼ばれるお父様の声を聞いて立ち上がることのできる
息子・娘となるよう許諾してくださることを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五七・六・九)

8-5 み旨を成す実体的な姿とならせてください

愛するお父様!
あなたは義の先知先烈たちをお送りになって
私たちを訪ねてくださり、
イエスをお送りになって
私たちの心の基を培ってこられました。

今からは、私たちの体をもって
お父様のみ意を実体的に成すべきみ旨が
残っていることを知るものです。
私たち一個体は
家庭を通してお父様のみ旨を成し、
また万物までもお父様の前に立ててさしあげなければなりませんので、
お父様、共にいてください。

私たちにとどまる天国だけを建設することが
お父様のみ旨ではなく、
万物圏内にまでもお父様が臨在し得る
実体的な天国を建設すべき責任が
私たちに残っていることを知るものです。

このような天宙的な責任を消化すべき私たちが
堕落世界に残っていることを
お父様がご覧になるとき、私たちの行路が案じられ、
もどかしくお思いになられることを知っていますので、
足らなく弱き私たちを
お父様が再びつかんでくださって、
永遠の生命を持つことができるよう導いてください。

お父様が導いてくださるなら
私たちは落胆しないし、躊躇しないことでしょう。
ですので、お父様の生命と栄光を所有するために
怨讐サタンを退けて、
お父様が運行なさることのできる個体となり、
お父様が運行なさることのできる教会と国、
世界と天国を建設することのできる
天の勇将たちとなるよう導いてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちの心ではお父様の心情を、
私たちの体ではお父様の生命を感じて、
万物圏までお父様の前に立てることのできる
息子・娘となるよう、導いてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今日の数多くの人類にも
あなたの喜びの知らせを
聞かせるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・三・九)

8-6 み旨成就の歴史的運命を悟らせてください

お父様!
天のみ旨を必ず成就させるべき
歴史的な運命の路程が
私たちの前に横たわっていることを知りましたので、
私たちに能力のみ手を伸ばしてください。

私たちの体と心に
ただお父様のみ旨だけがみなぎるよう許諾してくださり、
この地上に
天のある責任を担っている人がいるとするなら、
その天のみ旨を
人間的な考えだけで推し量らないよう許諾してください。
心の動きに従って行動する
息子・娘となるよう許諾してくださり、
体が先に動く
息子・娘とならないよう許諾してください。

そうして、
心と体を通して
お父様の栄光の心情を感じることができるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様が定められた天理法度と復活の理念が
私たちと関係を結ぶようになるときには、
歴史過程を通して摂理してこられた
お父様の心情を体恤できるということを知りましたので、
そのお父様の心情に通じることのできる
愛の心を備えるよう許諾してくださり、
お父様の復帰の心情が
分かるよう許諾してください。

そうして、この地に対して心配なさるお父様の心情が
分かるよう許諾してください。
私たちは足らない者たちですので、
お父様がつかみ悟らせてくださり、
お父様の民として立ててくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

そうして、
私たちの心に
お父様の心情だけが染みわたるよう許諾してくださり、
私たちの体が
お父様の歴史的なすべての心情を体恤して、
お父様の前で
嘆息の涙を流すことができるよう許諾してくださって、
お父様に心から仕える
私たちとなるよう導いてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・三・二三)

8-7 どのような苦痛にも打ち勝たせてください

お父様!
行きまた行く道が険しいと言えるでしょうか。
私たちの心はお父様のその心情の切なさと比べることができませんし、
私たちの悔しさは
幾重にも横たわったサタン圈を歩まれたお父様のその足跡と
比べられないことが分かるよう許諾してください。

険しい道を行きながらも
天のみ旨に責任を持つための使命感が
私たちの心にわき上がるよう許諾してくださり、
悲しみながらもお父様の悲しい歴史の友となって、
あなたの路程に同伴することのできる
息子・娘となるよう許諾してください。
歴史的な苦痛を共に感じて
苦痛を受ける心情の友となるよう許諾してくださり、
悔しい心情に同伴して友となることができ、
お父様の内的悲しみの友となると同時に、
外的悲しみの友となって
永遠なるお父様の
喜びの対象となることができるよう許諾してください。

今日すべてのものが問題となる前に、
福を受けるためにさまよう
私たち自身が問題だということを知りました。

しかし、私たちの心の中にある悲しみを
悟れない人間だとするなら、
幸福の道を捜し出す道理がないということも知り、
苦痛の道を歩まなければならない人間が
その苦痛の道を避けようとしても、
彼らは決して
苦痛の道を避けられないということも知りました。

悔しさと無念さに打ち勝つ忍耐を失ってしまった数多くの人々、
その忍耐がなくては
どのような苦痛も避けることができないということを
悟らせることができるよう役事してください。

悲しみの峠を越えてこそ、
苦痛の峠を越えてこそ、
悔しい心情の峠を越えてこそ、
その日の福が決定される天倫の原則を
私たちは知りました。

今、お父様の心情をつかみ、
地をつかみ、
万物をつかんで涙を流し、
「お父様の悲しみが私の悲しみであり、
お父様の苦痛が私の苦痛であり、
お父様の苦難が私の苦難ですので、
そのすべての苦痛を私に任せてくださり、
お父様は幸福な場に立ってください」と言うことのできる
私たちとなるよう許諾してください。

離そうとしても離すことのできない情と、ほかのすべてのものが動じ得る
父子関係の因縁があることを知っていますので、
お父様の認定を受けることのできる
私たちとして導いてください。

千差万別の愛の中で勝利した息子たちを立てて、
万宇宙を復帰したいと思っておられる
お父様の心情を知りましたので、
その心情を私たちの一身に備えて
現すことができるよう導いてくださり、
祭物としてどのような犠牲になるとしても、
またどのような死の道をも、感謝しながら
お父様の道を守っていくことのできる
息子・娘となるよう許諾してください。
お父様との因縁を切って裏切る者たちとなることなく、
間違いなくお父様のみ旨を成してさしあげる
私たちとなるよう導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・九・一四)

8-8 お父様のみ旨を知りましたので、行わせてください

お父様!
私たちの歩みが
天に向かってもとがえっていくべき時が
近づいてきています。

お父様の苦労が大きかったことを私たちは知り、
お父様が定めたみ旨が何かということも知りました。
またお父様が私たちに行うことをお望みになる
子女の責任が
どれほど難しいものであるかということも知りました。

お父様のみ旨を知る人、
お父様が許諾した園に住むべき人、
その一人はお父様に向かって
無限に涙しなければならないことも知りました。

その一人がお父様に向かって進んでいくようになるときに、
傷を受けなければならないということも知り、
その一人はお父様と共に同行しなければ
ならないということも知りました。

またその一人は
体にもそのような痕跡を残さなければならないということを知ると同時に、
心にも悲痛な心情を持ち、限りなく痛嘆し、
お父様の審判のひと日に対備して
訴えなければならないということを知りました。

また私たち、
そのような息子・娘を捜し出そうとなさるお父様と、
永遠に因縁を結ばなければならないということを知りました。

今、心を開いて
天上の心配を知り、
お父様の心情を体恤する人がいるとするなら、
その人はお父様とこの民族の悲しみを身代わりして
痛哭せずにはいられず、
人類の悲しみを身代わりして
痛哭せざるを得ないことでしょう。
その人はすべての人間たちと共に、
天と地に染みわたっている悲しみを共に分かち合うことのできる
友になるであろうということを、私たちが知っています。

私たち自体がそのような立場に立ったかと考えてみるとき、
お父様、
ご苦労されたお父様の前に、
ご心配されたお父様の前に、
苦難の道を歩みこられたお父様の前に
体面を立てることができないとするなら、
おそれ多いという心だけでも持つことのできる
者たちとなるようにしてください。
わがお父様、
懇切にお願い申し上げます。

万民はこの道を行くことを嫌がっています。
きょうもあすも多くの人々は
この道を心では願っていますが、
行動に連結できないまま
とどまっていることを知っています。

これを解決すべき責任が
お父様にだけあるのではなく、
ある指導者にだけあるのでもなく、
私たちにもあるという事実を悟るよう許諾してください。

しかし、この厳然とした事実に責任を持とうとする人々が
あまりにも少ないということを私たちが知りましたので、
安逸な私たちの心に
お父様の懇切なる心があふれ流れるようにしてくださり、
お父様の物悲しい心情があふれ流れるようにしてくださり、
天の勧告の道を探していくことのできる
群れとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

天の福を願う人はたくさんいますし、
お父様の子女になるために
精誠を尽くす人はたくさんいますが、
六千年歴史が経過した今日は、
お父様の真なる息子・娘、
お父様の前に祭物になろうという
忠実な人を捜し出すことが難しいときであると思います。

私たちがひょっとしたらお父様の摂理路程を混乱させる
哀れな群れになるのではないかととても心配していますので、
私たち自身を案じる者たちとなるよう許諾してください。

きょう闘っている私たちの足跡とそのとどまっている位置が、
本然の理想の園とどれほどの距離をおいているかを
自ら分折するよう許諾してくださり、
その心配の基準を突破するための闘いにおいて、
勝利することができるように導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・一一・九)

8-9 きょうも変わることなくみ旨に向かって走らせてください

今日、世界に散らばっているキリスト教徒たちは、
心で天国を待ち望み慕っていますが、
天国を捜し出すにおいて
闘いの行路が残っているということを忘却しています。

その上、終わりの日である今日においては、
歴史も変わっており、
信仰も変わっており、
人の心も変わっており、
伝統も変わっており、
周囲も変わっており、
これでなければ死ぬといった愛の心情も変わっているこのとき、
変わらない理念、
変わらない姿、
変わろうとしても変わることのできないそれ自体、
その園、
その世界、
その主権、
その指導者、
その声、
その生活、
その環境が慕わしいのでございます。

お父様!
積もり積もった心を開いてください。
統一の信徒たちの歩みに迫害があるとしても、
その迫害を、私たちが行く道を遮る
悪の要素として受け入れるのではなく、
私たちを天の心情に一層近く追い込んでくれる
刺激的な作用として利用することのできる
信徒たちとなるよう許諾してください。

その迫害は迫害ではなく、
心情を連結させるための
お父様の役事であることが分かるようにしてください。
お父様の恩賜の前に道を遮る自らであったことを
嘆息する心がわき出るようにしてください。

今、心情の刺激を受けて使命感に燃え、
来いとおっしゃるときに喜んで来て、
行けとおっしゃるときに喜んで行くことのできる
者たちとなるよう許諾してください。

お呼びになった声に感謝をしたとするなら、
命令なさる声をも有り難く思いつつ、
怨讐たちの陣営に向かって突進することのできる
天の勇者たちとなり、
天の世界の主人となるよう許諾してください。

ここには
矢を受けて倒れる者もいることを知っていますので、
このような場面でも敗北し後退する者たちとならないよう
導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

幸福に浸りお父様と話し合う瞬間がある反面、
戦場で血涙を注いで
天の恨みを訴えつつ倒れる瞬間が
この息子・娘にあるということを知るようにしてください。

喜びにも責任を持ち、
悲しみにも責任を持ち、
闘いにも責任を持ち、
無念さにも責任を持ち、
終わりの日の審判台の前で歴史的なものを拒否して
「お父様、
み手を挙げて私たちを祝福してください。
お父様、
私を見て悔しさに耐えてください。
お父様、私を見て苦痛と無念さに耐えてください。
お父様、
私を見て苦労を終わりにしてください」と
言うことができるようにしてください。

このような息子・娘が現れることを望むこと六千年、
注意深く捜してこられること六千年でしたので、
お父様、
恐懼この上ありません。

捜しこられるその視線、
捜しこられるその姿、
注意深いその足跡を私たちが忘却したのです。

今、私たちがお父様の前に立ち、
お父様と因縁づけられた生活をし、
お父様を身代わりして
注意深く探していくべき道を行くようにしてください。

この道をすべて行ったのちに、
この道を知らない他の人々に
注意深く探していくことのできる
方向を教えてあげるべき私たちです。
そのような天的な命令を受けた私たちですから、
ここで悲しい涙を流して
後退する者たちとならないよう許諾してください。

今日この時は、多くの群れが必要でないことを知っています。
今この時は越え行くべきときであり、
今この時は清算して行くべきときであり、
今この時はすべてのものを結び越えて行くべきときであり、
今この時はありのまま現れるべきときです。

この道は不平を言う者は行けない道であり、
自ら弁明する者は行けない道であり、
自らを立てる者は後退する道であることを知りました。

この道はイエス様が血を流して行かれた十字架の道、
延長されたゴルゴタの道であることを知りましたので、
弁明すべき立場でも弁明しようとせず、
自分自身を立てて誇りたくても誇ろうとせず、
悔しさを知りながらも踏まれ行くべき道であることを知りました。
六千年摂理路程でこのような道を歩んだ
天の聖徒たちを考えるとき、口惜しいのです。

しかし、
彼らよりは
お父様の心情がもっと口惜しいということを知るとき、
悔い改めるべき私たちです。
悲しみの中の悲しみであり、
無言で悔いるべき事情であると思うのです。

私たちの一切の願いがお父様のものであり、
私たちの一切がお父様の所有であり、
私たちの心情と愛の中心にお父様がおられるのに、
こういうことを感じられない者がいるとするなら、
その者は哀れな者であることを知るものです。

イエス様も十字架で血を流しながらも、
そのようなお父様を知り、捕まえたので、
死も恐ろしくないと言われました。
かえって怨讐に対して福を祈られた
その凛々しい余裕ある人格が慕わしいのです。
その歩みが慕わしいのです。
きょうもあすも
歴史の変化、生活の変化と
自分一身の変化をあざ笑うことのできる
勝利の王者はどこにいるでしょうか。
お父様、とても慕わしいです。

歴史的な主人公、
時代的な主人公、
未来的な主人公が分かれるのではなく、
一つの実体として現れ、
あなたの心情を人間たちに伝えてあげることのできるそのとき、
その世界、
その園が慕わしいのです。

お父様をお父様と呼ぶことのできる
群れが現れなければならず、
教団が現れなければなりません。
すべてのものを忘れ、
それを捜し出すために準備し、
真心を傾けて責任を果たすことができるよう許諾してくださり、
すべてのものを蕩減し、お父様の前に立つために
どのような犠牲も意に介さず走ることのできる
息子・娘となるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五九・四・一二)

8-10 一片丹心にお父様のみ旨の道を行かせてください

取るに足らない私たちが、
追われ追い回された群れとしてここにひれ伏しました。

人が知ることのできない
一つの目的地に向かって出ていく道には、
とげの刺激が残り、傷が存在するようになることを知るものでございます。

しかし、これを意に介さず
越えていくべき私たちであることをご存じであられるお父様、
私たちがこの道を行くためには、
徹頭徹尾の覚悟と誓いと決心を
しなければならないということを知るようにしてください。

天との真なる心情的な関係が
この場で結ばれなければならないことを知っていますので、
お父様、
あなたのみ手で親しく私たちを捕まえてくださり、
お父様の両腕で
私たちをあなたの愛の懐に抱いてください。

どれほど待ち焦がれ願われたことでしょうか。
今、その心情をまさにくみ取ることができ、
その切なさをまさにくみ取ることができるのです。

お父様と呼ぶことのできない不肖なこの者たち、
数多くの預言者たちが積んできた血の祭壇によって、
贖罪を受けられるようになった驚くべき恩賜を受けても
感謝しようとしなかった過去の生活をもう一度悔いながら、
実績を持ってお父様の前に捧げることができなければならないのに、
手ぶらで出てきたことを受け入れてください。
この世のその何かを要求するお父様ではあられないので、
懇切なる心、懇切なる心情だけをお父様の前にお捧げします。

お父様のお顔が慕わしく、会いたくて涙するその姿を
お父様にお捧げしたくて出てきましたし、
傷ついたお父様のみ手をつかんで
涙を注ぎたく、またそのみ手が慕わしくて出てきました。

その心と体の傷がひどいのも意に介されず、
失った子女を捜し出すために彷徨なさる
お父様の物思いに沈んだ姿、
やつれたその姿をつかむために私たちは出てきました。

このような心にあふれてお父様と呼ぶ
あなたの息子・娘たちがここに集まったとするなら、
お父様がそのようなとき私を呼んでくださり、
私を捜してくださったように、
この者たちもそのような立場に処するようになるとき、
お捨てにならないということを知るものです。

お父様!
行けと言われる道が物悲しい道ではなく、
行ってみればおそれ多い恩賜の道でした。
死ねと言われ、追い立てられた道も
殺すために準備された道ではなかったことを知りました。

その内面の曲折を知るとき、
私たちがこの上に何を願うでしょうか。
これがすべて私たちのために
先にご苦労なさった、お父様の苦労の証を
見せてくださるための役事であることを知ったものです。
私たちがそのような感覚を体恤して
感激の涙を流せるよう
許諾してくださったことだけでも感謝です。

今、この者たちは何を探すために
ここに来たのでしょうか。
何を見るためにここに来て、
どのような因縁を結ぶためにここに来たのでしょうか。
見せてあげるべきものは涙と切ない事情しかなく、
因縁を結ぶべきものは
ふびんなものしかないことを知っています。
それでもこの因縁でなければ、
この事情でなければ、私たちが行くべき道が分からずに
サタンの祭物として消え去り、嘆息するようになるのではないかと
心配してきた群れですので、
この時間捕まえてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

あなたが捕まえて涙することのできる子女がいて、
「誰それよ」と名前を呼ぶことのできる息子・娘がいるとするなら、
ここから天の役事はこの民族を導くでしょうし、
眠っている世界人類の心情を動かして
天の前に向かわせる
起源となることを知っています。
ここに若者の一人ひとりの胸が燃え上がって、
互いに手に手を取り合って
「誰それよ、み旨のために行こう」と
叫ぶ動きがあるとするなら、
この民族には生きる道が開けるでしょうし、
死亡の園に生命の軍隊が来て共に闘ってくれることでしょう。

私たちはそのような群れが慕わしくて集まり、
そのような道を行くために闘い、
そのような立場で勝利の祭壇を立てて、
お父様と共に
万宇宙の前に見せるために出てきましたので、
最初に覚悟したこの心が変わらないようにしてくださり、
決心して捧げようとするこの一片丹心、
この志操を曲げることのない
息子・娘となるようにしてください。

覚悟したこの忠節を、
天倫が変わらない限り変わらずに守る
あなたの息子・娘となるようにしてください。
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六〇・五・八)

8-11 各地でみ旨のために闘う子女たちをお守りください

天がお任せになった偉業を果たせず、
疲れて落ちていく者たちとならないようにしてください。
倒れ、また倒れたとしても、
血を吐いて死ぬとしても、
この使命を果たしたのちに倒れ得る
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

このことのために
寂しく険しい場で
涙を流しつつ、祈祷し闘うあなたの息子・娘たちが
四方八方に散らばっていることを知るものです。
お父様、
その場にも共にいてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

あなたは無関心ではあられないことを知るものです。
寂しいときに捕まえてくださり、
み旨を抱いて物悲しい場で訴える者たちを
強くしてくださり、
彼らの心情を慰労してくださったことを知っています。

お父様、
この時間も同じ心情で
同じ役事で
同じ能力で働いてください。
残された最後の障壁を占領するときまで、終わりまで耐え、
終わりまで闘い、
終わりまでこの人類のために責任を負っていくことのできる
息子・娘となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

この三千里江山(=韓国全土)だけではなく、
遠き海外でも数多くのあなたの息子・娘たちが
ここに向かって涙を流しつつ訴えています。
彼らはたとえ皮膚の色が違い生活環境が違ったとしましても、
み旨に対しては一つの血筋で因縁づけられた兄弟ですので、
彼らが集まる所ごとにあなたが共にいてくださり、
恩賜の炎で抱いてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

距離は離れているとしても、
心情の世界においてはお父様を中心として
永遠なる因縁を歌うことができ、
生命的な動きが現れるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六〇・九・二五)

8-12 行くべき道を終わりまで行かせてください

お父様!
すべての罪悪を清算すべき最後のときですので、
今日私たちの心は
ひどく焦燥感を感じています。

この地には苦痛の呻吟がいっぱい満ちています。
ここに天の貴重な息子が誕生するようになさり、
歴史的な苦痛と罪状を清算できるようにすることによって、
創造当時のお父様の心情を
新しく花咲かせることのできるひと日が来るよう許諾してくださり、
勝利的な新しい園が
彼によって出発するよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
そのような世の中にならなければならないことを
私たちは知っていますので、
現実的な苦痛に耐えることができるようにしてください。

行くべき道には
いまだに血のいくつもの峠が残っており、
遠くつらい険山峻嶺が
横たわっていることを知っています。
しかし、この道は私たちだけが行く道ではありません。
お父様が私たちよりも先に
数十回、数千回、数万回往来された道です。

今、この難しい道をお父様が整えるのではなく、
人間たちが整えていかなければならないという事実も知りました。
険しい道を来られ、ご苦労なさったお父様のために、
私たちが最後の一歩を
踏み出すことができるようにしてください。

行くべき道が残っていますので、
行って倒れるとしても、
お父様が歩んでいかれたその足跡を踏み、
お父様が残された血の跡に倣いながら
行くことができるようにしてください。

引き裂かれ傷を負ったこの体を、
お父様の前に生きた祭物として捧げるようになるとき、
お父様が満天下に子女の名分を立ててくださり、
祝福してくださるということを知りました。
そのような場まで行かなければならないということを知りましたので、
そこに行くときまで、疲れないようにしてください。

疲れる度ごとにお父様が私たちのそばで助けてくださり、
落胆して寂しく思う度ごとに
天が私たちをせきたててくださり、
私たちが苦労する前にすでにお父様が
数百回、数千回私たちのためにご苦労なさった事実を
忘れないようにしてください。

この道を休む間もなく開拓してこられたお父様であられました。
休みなく反対してくるサタンがいますがゆえに、
この道を開拓するために
休む間もなく苦労の役事をしてこられ、
私たちの一個体の生命のために
疲れも知らず闘いこられたお父様であることを知り、
おそれ多い心でお父様をつかみたい心に
徹するようにしてください。
切ない心に徹して
狂ったようにお父様を呼ぶもどかしい心情が、
私たち各自の心に爆発するようにしてください。

そのような者をお父様が慰労してくださり、
そのような者を収拾してくださって、
新しい約束の世界、
天的な偉業を約束してくださることを知っていますので、
その場を確定するときまで、最後まで耐えて
勝利の栄光と勝利の凱歌を
全宇宙の前に高く上げることのできる
息子・娘となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六〇・一〇・二)

8-13 耐えに耐えて残される群れとならせてください

お父様が
悲しい心を抱いて行かなければならないとは、
無念で非常に悲しいことです。

お父様はかわいそうな方であられます。
お父様は悔しい方であられます。
人間たちには裏切り背を向ける道もありますが、
お父様には裏切るべき道も
背を向ける道もありませんので、
行きに行かなければならないことを私たちは知っています。
後退という名詞を要しない
お父様の道であることをおそれ多くも知ったものです。

お父様の心がどれほどいらだち、
どれほど深刻で、
どれほどお急ぎでしょうか。
真正なる孝子・孝女となり、忠臣烈女になろうと
お父様の前にひざまずき、こうべを垂れました。
十字架の道を行くことのできる一つの岩となり、
一つの衣の裾とならせてくださいと訴えることのできなかった私たち、
過去を悔い改めることのできる息子・娘となるよう許諾してください。

各地にいる寂しい統一の群れが、
お父様の前に訴えています。
お父様の命令を知っています。
この群れは行くべき行路を知っていますが、
この者たちの歩みを
再び促し、むち打たなければならない苦しい事情が
お父様にあることを知っています。

ここで耐えて残される者は
お父様の福を受けるでしょうが、
落後する者は
後代に讒訴を受けるでしょうし、
嘆息するようになるだろうということを知っています。
お父様、
どうぞ強く雄々しい心を持つようにしてくださり、
最後まで耐えて
残される群れとなるよう許諾してください。

お父様のその歩みは
私たちには見当がつかないほど速いということも知るのです。
千のことをしたなら
万のことをしなさいと命令なさりたいのが
お父様の気持ちであり、
助けとなり得る立場に立った息子・娘を探すのが、
お父様の心であることを知りました。

今日、私たちにお命じになるすべてのみ言を
心から受け入れることができ、
み旨の前に真正なる息子・娘となり得る
私たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様を捜し出すために
私たちは孝子孝女とならなければならず、
その国を捜し出すために
忠臣烈女とならなければなりません。

その理念は神聖ですが、行く道は悲惨です。
その内容は美しいのですが、
現れた現象は死の道でした。
死の道を行きながらも、
心のうちでは望みを持つべき道でございました。
お父様がそうであられるので
息子・娘たる私たちもそのようにし、
お父様がそのような道を行かれるので
私たちもそのような運命の道を行かなければなりません。

ですので私たち、
この途上で疲れずに
百折不撓の心情を持ち、
最後の勝利者として定められるようにしてください。

今からは、勝利したと言うことのできる安息のひと日、
お前たちは私のものであり、
この天下は私の息子・娘であるお前たちのものだという
祝福を受け得るそのひと日まで、耐え忍び
残される群れとなるようにしてください。

その日を迎えるまで
苦難に同参する群れとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六四・三・二二)

8-14 お父様のみ旨の道に同参するようになったことに感謝を申し上げます。

私たちは今までこの民族を身代わりして、
この三千里半島を身代わりして
涙し、寂しい道を耐えてきました。
そのような物悲しい道で
多くの迫害とあざけりを受ける場で、
私たちは何百万回、何千万回、お父様を呼んだことでしょうか。
私たちが徹した心情でお父様を呼ぶたびに、
お父様も涙なさったということを知っています。

きょうお父様が涙される場に同参したこの息子・娘たちを、
後代に喜ぶことのできる
世界的な勝利の場にまで同参させてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

この道を行くこの者たちの前途には
数多くの怨讐たちがいます。
霊的な怨讐たちも数限りなくいます。
しかし、お父様のみ旨に対して行くこの道に、
霊肉をもって怨讐たちが反対の条件を提示するとしても、
ご苦労なさるお父様の心情に倣って行こうという
信念と決意だけがあるならば、
このすべてのものは取り除かれることを知っています。

今日まで私たちを立てて導かれるときの原則が
そうであったということを
私たちはよく知っています。
神様が先に悲しみを越えてから、
その悲しみを私たちに下さったことを知り、
神様が先に苦痛の場を越えてから、私たちに
苦痛を受けなさいとおっしゃったことを知りました。

お父様!
今日韓民族を中心とした統一の祭壇が
この民族の前に現れました。
きょうこのような環境を備えて
私たちのすべての理念を堂々と叫ぶことができるのは、
偶然になったことではありません。

そのような道理のまま、きょう自由に胸を張り、
顔を上げて数多くの人々を眺めながら
自由な環境で語ることのできる
私たち自身となるまでには、
神様の六千年の苦労があったということを
忘れないようにしてください。

このように歴史的な神聖なる城跡の上で、
神様と歩みを共にすることができるということは
どれほど栄光なることであり、
どれほど感謝なことでしょうか。
ですので、お父様の前に心から感謝しながら
動ずるよう許諾してください。

私たちが叫ぶこの声が、
昔イスラエル民族が
荒野で叫んだその声を身代わりするのだと考えつつ、
天を背負い、
歴史を背負い、
望みの天国を背負い、
真の世界を胸に抱き、
矢と迫害と爆弾が落ちる所に突進する
天の勇士となって、
愛しながら行くことができるよう祝福してください。
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを愛する主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六四・四・一二)

8-15 苦痛のいばらの道でもみ旨のためにまいります

天を仰ぐ人は多いのですが、
天のために責任を負おうという人は多くはありません。
天の道がよいということは知っていますが、
その道に横たわっているいばらの道を
避けようとする人々が多いということを知るものです。

お父様!
あなたは私たちのために億千万代ご苦労なさいました。
ところが、今日人間たちは天の道、
真なる道を行くために越えていくべき
苦労の道を避けていこうとし、
人間の悲しみと苦痛も
お父様の前に任せようとしていますので、
受け入れてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

きょう統一の群れがお父様の前に集まりました。
私たちは他の人とは違い、お父様の心情を知りましたが、
お父様の事情とは別に、
お父様が残された希望の道を私たちの思いどおりにし、
生命の一切を捧げることを拒否した私たち自身を、
今このひととき
お父様の前に率直にさらけ出すようにしてください。

どうせ行くべき人生の行路ですので、
お父様のみ意のままに行くことを祈っています。
死の道もお父様と共に、
いばらの道もお父様と共に、
捨てられる道もお父様と共に行かなければなりません。
お父様と共に生きたい気持ちを持っていますので、
お父様、
哀れにお思いくださり、抱いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

誰が何と言おうと私はあなたの息子であり、
娘だという事実を否定することができないと、
身もだえしようとする子女の姿として立ててくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
お父様と愛の因縁が結ばれていて、
お父様と離れようとしても離れることのできない
血肉の関係が結ばれている子女の名分を
私たちが持っているとするなら、
その何ものもあなたとの関係を
否定することができないということを知っています。

お父様の真正なる息子になることができず、
娘になることができなかった過去を自ら悔い改め、
謙遜にお父様の前に出ていき
許しを請う者たちとなるようにしてください。

お父様がいくら醜く哀れに見えるとしても
私たちのお父様であることには違いなく、
お父様がいくら悲しい心を抱き
憂いを抱いておられても
私たちのお父様であることには違いないと言いながら、
そのお父様をつかんで慰労することができ、
お父様のために孝行を尽くせなかったことを嘆くことのできる
あなたの幼い子女たちとなるようにしてくださいますことを
懇切に願いながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六五・一二・二六)

8-16 お父様のみ旨を成す統一教会員とならせてください

お父様!
この地は中心のない歴史過程を経てきたことを
私たちは知っています。
全世界にはキリスト教徒たちがたくさんいますが、
果たしてどのような教派を中心として、
どのような氏族を中心として、
どのような家庭を中心として、
どのような個人を中心として、
天の錨を下ろされるでしょうか。
そうすることのできる基台がないことを私たちは知ったものです。

今日統一教団がこの地上に現れたのは、
このような基台を立てて
新時代の世界的な使命を果たすためであると
私たちは確信しています。
それゆえ、
現在、未来の歴史過程において、
私たちは
押し出されていく人となってはなりません。

ですので、
この地上で天を代表し、
悪の世界を踏みつけ
悪の世界をのみ込むことのできる権限を持つためには、
天の勇者の姿を備えなければならないということが、
はっきり分かるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

私たちは復帰の過程が
どれほど悲しい路程であるかを知るものです。
ですので、
きょう私たちは
エデンの園においてのアダムとエバを身代わりした自らとして、
今まで六千年間
死なずに生き残った
実体であることが分かるようにしてください。

アダムとエバの家庭で起こった事実が、
私たちの家庭、私たち自身に起こった事実であり、
カインとアベルの間に起こった惨状が、
私たち自体を中心とした惨状であり、
ノアの家庭も私たち自身を身代わりしたものであり、
アブラハム、モーセ、イエス様以後
今までの六千年の歴史過程のすべての事実は、
私たち自身がぶつからなければならなかった
悲惨な出来事だったことが分かるようにしてください。

そうして
その悲惨な出来事の中で殺されるとしても、
復活の実権を備えて
復活の実体として残されるべき自分たちだと
自認しなければならないということが、
この時間はっきり分かるようにしてくださることを
懇切にお願い申し上げます。

イエス様がそのような歴史的な運命を経て
この地上に来られたことを知っていますので、
その後継者となり
その因縁を相続するためには、
そうすることのできる勝利の覇権を持たなければならないということを
確信させてください。
そうして、
そのような勝利の場を決定づけて出ていくことのできる
あなたの息子・娘となるようにしてくださることを
懇切にお願い申し上げます。

私たちはさまざまな風霜と、
さまざまな試練と、
さまざまな患難と、
さまざまな迫害の中でも滅びませんでした。
そのような中でも私たちは
一片丹心にお父様のみ旨を中心として進んできました。

この復帰の過程を基準として進んできましたので、
今私たち個人もこの過程を通過しなければならず、
地上のすべての家庭もこの過程を通過しなければならず、
氏族、民族、国家もこのような家庭的な因縁を通して
お父様が願われる望みの国に
入らなければならないということを
はっきり分かるようにしてください。

そうして、
お父様のみ意のままに平和の世界を創建してさしあげ、
喜びの天国を成すことのできる
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願いし、
ひいては全人類があなたの民となり、
全世界があなたの世界となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六八・九・一)

8-17 み旨だけに向かって直行することのできる子女とならせてください

お父様!
お父様が子女に対する父母の心情で
私たちに対されるように、
私たちもお父様に対して
父母を思慕する心情が満ちるよう許諾してください。

そうして、
お父様の心と私たちの心が一つとなったその場で、
今まで恨み多かったお父様の事情を
共に分かつことができるようにしてください。

私たちがお父様をつかみ、
慰労してさしあげ得る
そのひと日が早く来なければなりません。
そのような中で
お父様の高く尊いことを自ら悟りながら
感謝申し上げ得る私たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
どうせ世界に向かって出ていくべき私たちですので、
早く世界各国に出ていくために、
必要な準備をすべて整えるよう許諾してくださり、
行くべき道が忙しいその目的地に向かって直行することのできる
知恵深い子女たちとなるよう許諾してください。

数多くの人々は休んでいくとしましても、
統一の群れたる私たちは休むことなく
行くべき所に直行することができるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今行くべきそこには、
試練と苦痛と苦労の道が横たわっているという事実を
私たちは知らなければなりません。
また、
怨讐の銃剣が私たちの前に立ちはだかっているという事実も
知らなければなりません。

それゆえ、
そこに直行しようとするその心が懇切であれば懇切であるほど、
そこに現れるすべての外的な環境を
たやすく乗り越えるためには、
お父様を愛する心、
お父様のために動こうとする心意気が
なければならないということを知っています。
そのような心を持たずには
この道を直行することができないということを私たちは知っています。

お父様が
長い長い六千年の歳月の間摂理してこられたのも、
この道を直行することのできる
一人に出会うことができなかったためであり、
蕩減すべき条件を越えることができなかったためであるという事実も
私たちは知っています。
その一人と蕩減の条件が私たちの前途に横たわっているということが
はっきり分かるようにしてください。

お父様がこの道を探してこられるにおいて、
真の人格と真の蕩減の条件が必要であったように、
お父様を捜していく私たちも
真の人格を備え、
真の蕩減の条件を立てなければなりません。

私たち自身がサタンの前に解放され得る自ら、
すなわちサタンを屈服させ得る自らとなると同時に、
万民を導いて
祭物をお父様の前に捧げておき、
サタンから侵害されない立場に立たなくては、
お父様の前に行こうとしても行くことのできない、
関係のない身になるということを知っています。

私たちの行くべき道が遠く忙しいということを知るとき、
遠く忙しいこの道を遠回りしてはならず、
直行しなければなりません。
この遠い道を私たちが突破するためには、
時間があまりにも切迫しているということを知っています。

お父様!
そのような場で
み旨のために完全でなければならないという、
このような刺激的な心情を感じるようになるときに、
お父様と呼ぶことができ、
懇切な心情がほとばしるようになることを知っています。
その場ではいつでも
お父様が役事してくださることを知っています。

そうですので、
お父様の前に懇切なる心情で
解怨の目的地に向かって走っていこうと身もだえする
あなたの子女たちとなるよう許諾してくださることを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六八・一一・二四)

8-18 世界を救うことのできる者とならせてください

六千年の間、お父様が
アダムとエバという一個体を捜してこられたのは、
それによって世界を復帰せんがためではなかったでしょうか。
天上に行っている数多くの霊人たちの哀魂をご覧になる
お父様の痛みが、どれほど大きいものであるかを
私たちが知らなければなりません。

その群れを解放させることが
あなたの聖なる使命であり希望であったということを、
私たちが分かるよう許諾してください。

世界を越え立つ勝利の一つの基盤を、
世界圏内のすべての人が
共に持つことのできる日が来てこそ、
天上世界の復帰と地上世界の復帰はもちろん、
怨讐を屈服させることができるということが
分かるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

徹頭徹尾世界を愛することができ、
世界のどこにでも行くことのできる
息子・娘とならなければなりません。
今までは
韓国をつかんで闘ってきた統一教会の群れでしたが、
十分に世界をつかみ
世界のために闘う群れとならなければなりません。

ですので、
私たちが涙を流しても
世界人類のために流すよう許諾してくださり、
私たちが大韓民国の一息子として生まれたとしても、
大韓民国の人々だけでなく
世界人類を愛することのできる心情を
持つようにしてください。

そのような心情を持って立つことのできる
私の個体となり、そのような後孫も持たなければなりません。
私たちはお父様に侍り、
二つの世界を抱いて
理念的統一世界を捜し出す努力を
し尽くさなければなりません。

飢えた者には当然食べさせなければならず、
ぼろをまとった者には当然着せなければならず、
軒先で寝ている者には
当然安らかに寝る所を準備してあげなければならないことでしょう。
恨み深い事情にも
当然ぶつからなければならないことでしょう。

このように失われた世界と、
失われた国家と、
失われた家庭と、
失われた個人を捜し出さなければならない運命が
私たちにあるという、このとてつもない事実を考えるときに、
私たち一人では持ちこたえられないということを知りました。

今、私たちは
心だけは生き残ることのできる因縁をつかみ、
死を覚悟して行かなければなりません。
私が倒れるとしても
世界は倒れてはならないのであり、
私が滅びるとしても
世界は滅びてはならないという統一史観を持つことのできる
あなたの息子・娘となるよう許諾してくださり、
これが統一思想だということが分かるようにしてください。

国を滅ぼしても個人を生かそうというのは
お父様の思想ではないことを、
この者たちが分かるよう許諾してください。

この国まで売るとしても、
世界を捜し立てようと言いながら、いで立つことのできる群れとならなくては、
世界に向かい合えないということが分かるよう許諾してくださり、
そうすることのできるひと日を
この者たちが迎えられるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・三・一一)

8-19 理想世界実現のための家庭圏を成させてください

理想世界というものは
抽象的な観念圏内で成されるものではなく、
刺激的で実証的な現実で成されるものです。
これが人間の最後の要求ですが、
それが自分の家庭を中心として成されるということを、
私たちは本当に知りませんでした。

今日統一家が背負っていくべき使命は、
家庭を主とした世界です。
その家庭は世界のためにあるのであり、
国のためにあるのであり、
民族のためにあるのであり、
氏族のためにあるのだという信念に燃え、
その家族全体が
その目的を遂行するために
生きていくことのできる群れとならなければなりません。

私たちがこのように動くようになるとき、
全世界は近い将来に
あなたが愛することができ得る主管圏内に
完全に抱かれるという事実を、
私たちは確信しなければなりません。

祝福というこの聖なる名詞の前で、
私たちは恥ずかしい自らを発見しなければなりません。
私たちの過去の生活は個人的な生活でした。
天宙史的な人格を中心とした生活ではなく、
没落してしまった個人的な生活でした。

このような自らを打破してしまうことのできる
各自とならなければなりませんので、
お父様、
祝福してください。

今、私たちは一個人のために行くのではなく、
家庭の幸福の土台を開拓し、
これを動機として
民族の前に示しておくことのできる家庭と
そのような愛の圏を成すために行かなければなりません。
そのような責任者たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
そして、統一氏族を捜し出し、
民族を代表した家庭を成すのが
万世のみ旨であることを知るものです。
今、私たちは襟を正し、姿勢を整えて
お父様の前に出ていかなければなりません。

そのためには、
男性と女性が一つとなり、
父母に侍り子女を抱いた
四位基台を成さなければならないということを知るものです。
これが創造理想の実現であることを知るものです。

四位基台完成という言葉は千回万回聞きましたが、
実際にその決定的な内容を
愛することができない自分たちであったことを嘆息するものです。
お受け入れください。
そうすることのできる愛の刺激を
感じるよう許諾してください。

そのような使命を完結させて
民族と世界を導いていき、
お父様と連結させなければなりません。

絶対的な主体と絶対的な対象が一つとなる
その力の要件を受け継ぎ、
これを愛の主管圏として
世界の前で行使するのに不足がないようにしてくださり、
美しく円満な自らとして
堂々と出ていくことのできる、一つの家庭圏が
成され得るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・三・一七)

8-20 み旨のための家庭的責任路程をすべて歩ませてください

お父様!
今、私たちの前には
個人を動かしていくべき責任路程よりも
家庭を動かしていくべき責任路程が
残っていることを知るものです。

統一教会が願うみ旨は
個人だけを救うためのものではなく、
家庭を救うためのものであることを知っています。

それゆえ、
お父様の聖なる祝福のみ手と
お父様を永遠に賛揚することのできる家庭を慕い、
お父様の懐に抱かれたい懇切な心で
この道を歩んでまいりました。

今までここに歩みを共にすることができず
み旨の前に過ちを残した人々も、
理想の価値を持っていで立つことのできる
天の息子・娘たちとならなければなりません。

私たちは「私は誰々だ」と自らを主張する立場に立つことよりも
天の事情をつかみ、
お父様のみ旨の前に
熱意を傾けることのできる真実な心を持ち、
民族の一つの基となり世界建設の基準となって、
全体的な起点を準備することのできる
内外両面の責任者とならなければなりません。

個人においては
個人の立場で家庭を身代わりし、
あるいは団体においては
その団体の家庭を代表し、
国なら国の家庭を代表し、
世界の摂理を代表することのできる家庭とならなければなりません。

そうして、
お父様が頼ることのできる
一つの平和の家庭を模索しながら、
世界を抱き天と地を抱いていく
私たちの家庭となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

その場に行けなかったことを考えれば考えるほど、
今、開拓者の家庭として行くべき路程が
残っているということを知るものです。

今、神様が個人であるノアに
百二十年の間箱舟をつくれと言った時は過ぎました。
アベルを通して
祭物を捧げることを侍ち望んだ時は過ぎました。
アブラハムをカルデヤのウルから呼び出したような、
個人を通した時代は過ぎました。
モーセを個人的に呼び出した時は過ぎました。
イエス様を個人的に送り、
公的な路程を立てた時は過ぎました。

今、個人ではなく、
新しい統一家の家庭をお呼びになりましたので、
家庭としていで立つことのできる時が来たことを知るものです。
必ず夫婦がお父様に対して孝の道理、
忠の道理を尽くすことだけが
家庭の果たすべき究極的な責任であることが
分かるようにしてください。

自分の生活に絶対的な起源を残すことができ、
永遠な一つの歴史性を天的に備えられる
思想的な基を立てることのできる道は、
家庭が孝行する道であり、
忠誠を尽くす道にあるということが分かるようにしてください。
また、これが国家を身代わりし
世界を身代わりすべき家庭的な願いであることが
分かるよう許諾してください。

家庭が行くにおいて、
世界の舞台を克服しようと身もだえしながら、
夫婦が手に手を取ってみ旨を思い、
日に日に天の愛を賛揚すると同時に、
祝福を受けた家庭として
お父様の前に根こそぎ祭物として差し上げることができるよう
懇切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・三・一七)

8-21 み旨の道を行く者としての使命を果たさせてください

お父様!
きょうもあなたの摂理のみ旨は進行しています。
あなたのみ旨を細胞に感じ、
誰が何と言ってもあなたが願われる頂上に向かって
真実に一歩一歩歩んでいくべき責任を負った
自分自身とならなければなりません。

このような自分だということを忘却するときが多いことを、
私たちは知るものです。
必ず人間が行くべき開拓の路程を経なくては
行くことができない復帰の道があるということを
私たちは知るものです。

今、残された個人の峠、
家庭の峠、
氏族の峠、
民族の峠、
国家の峠まで、ありとあらゆる力をもって越えていくべき
統一教会の食口として、
その使命を果たすにおいて、
この者たちが荷物になることなく、
プラスになり得る立場に立つようにしてください。

教会が「行こう」と言う前に先に立って出ていかなければならないのが
正常な行路の足取りであることを知り、
み旨の前に順応する子女たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今まで耐えて残されたあなたの子女たちを記憶してくださり、
その心の中で
あすの希望のために再び誓うことができるようにしてくださり、
人生行路において将来近づいてくる峠々を
み旨とともに力強く越えることのできる
お父様の息子・娘たちとなるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

そうして、
最後の勝利の場でもう一度互いにまみえ、
お父様の喜びとなり、
お父様が立てて誇ることのできる息子・娘となるよう
福を降らせてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

きょうのすべてのことを、あなたがお引き受けくださり、
今後のすべての生涯もまた、あなたがお引き受けくださって、
あなたが主導なさる歴史的なその峠を
越えていける子女とならせてくださいますことをお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・四・八)

8-22 み旨の道を行くのに一瞬たりとも疎かにさせないでください

お父様!
きょうこの時間私たちは
新しい覚醒をしなければなりません。
天宙的なひとときが
私たちに向かって近づいていることを知らなければならず、
み旨が私たちにひとときを望んでいるということを
知らなければなりません。

み旨の望むことが私たちの一瞬間と連結され、
大きく遠い歴史時代が
教会と因縁づけられるようにしてください。
そのために私たち各自が瞬間を中心として、
自らを生活圏内で天の側に立たせ得る
主体的な立場に立たなければならないということを、
もう一度はっきり悟らせてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

世界に散らばっている統一教会員たちが
受難の道を行っているのは、
決して滅びるためではなく、
新しい寵児として
あなたの息子・娘となるためであることを知るものです。

罪を脱いで新しく誕生するために、
この道はなくてはならない
必然的な運命の道であることを知っていますので、
感謝の心で消化させて越えていくようにしてください。

そうして、歴史をつかんであすの希望を成すために
責任を負って立つ
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

生活全体を天化する運動におきまして、
この時間以後にも
瞬間瞬間が天に侍ることによって
喜ぶ圏内で生活するようにしてください。

そのような生活圏内の一瞬間を中心として、
無限に精誠を尽くすあなたの息子・娘となるとき、
天国はその生活圏内で
自動的に定着するようになるということを知っています。

私たちが十くらいの受難の道を
瞬間瞬間勝利の基準をもって築いていくときには、
九くらいの天地の内容が
宿らなければならないということを知って、
私たちすべてが生活の勝利圏を備えて、
善なる結実体として
お父様に全部を捧げなければなりません。

私たちの生涯がお父様の誇りとなって、
お父様が忘れることのできない息子・娘となるときには、
天上世界の王子王女となる
特権を受けることができるということを確信させてくださり、
各自の生涯路程を疎かに考える
愚かな息子・娘とならないようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

あすのために、
きょうの一瞬間にすべての精力を傾けて、
あすを占領できる核をつくるために
無限に努力することのできる
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・五・三一)

8-23 あなたの前に自らこうべを垂れて謙虚な心を持たせてください

お父様!
私たちは、
あなたの歴史的な宿怨を
解怨成就してさしあげられる孝子孝女たちが、
この地に生きている息子・娘の中に
現れなければならないということを知っています。

お父様!
あなたが長い歴史過程の間、
それほどまでに数多くの峠道を耐えて来ることがおできになったのは、
会いたい息子と互いに会おうという
内情的な力があったからだということを知るものです。

そのようなことを知るとき、
果たして私たちがそのようなお父様をお迎えすることができ、
また歴史過程においてのすべての困難を忘れさせてさしあげられる、
お父様が会いたいと思う息子・娘になったのかを考えてみるとき、
あなたの前に済まなさと恥ずかしさを禁じる道がありません。

そのような私たちは、体と心のすべてを捧げて
あなたのみ旨に生きた祭物になるとしても、
そのように長々しくも悲しい逆境を克服してこられた
あなたの事情を慰労してさしあげ、
あなたに報いてさしあげられる
何の条件も備えることができない私たちです。
このような私たちの姿を考える度ごとに、
かわいそうなお父様であられることをまた感じるものです。

このような息子・娘を、サタンの前に
私の愛する息子・娘だと誇らなければならない
お父様の立場が、どれほど寂しく悲惨であるかを
もう一度考えるものです。

ですので、この地上には必ずや
お父様が心を許すことのできる
息子・娘がいなければなりません。

お父様!
私たちはお父様の体面と威信と事情を
案じることができなければなりません。
私たちがどんなに内外にその何かを備えたとしても、
あなたのみ旨の前に現れるにはあまりにも足らず
恥ずかしい姿であることをよく知っていますので、
お父様が探してくださった恩賜の前におそれ多い心、
感謝する心を持たなければなりません。

そのような心が私たちの生活の中に、
あるいは生涯路程の中にこもり、
自らこうべを垂れ、
僕のような立場で生活しなければならないということを悟ることのできる、
あなたの息子・娘となるようにしてください。

このような立場に立ってこそ
お父様の慰労の対象となることができ、
お父様が私たちの謙遜さを称賛なさることができ、
私たちがお父様のみ旨の前において
順応するその姿を見て誇ることができる
条件になることを知っていますので、
お父様、
そのような立場に至ることのできない私たちを
もう一度哀れにお思いください。

終わりの日に残されるようになる最後の十字架を背負い、
生命をすべて捧げてでも、
その使命を果たすにおいて不足のないよういで立つ
息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・七・一二)

8-24 み旨の前に直行できる勝利の息子・娘とならせてください

お父様!
今日、私たちは
あなたと因縁づけられたその場を再び持ち得ない
堕落の後孫であることを感じる度ごとに、
涙なくしてはあなたと向かい合えず、
あなたの悲しい事情を知らずには
あなたに侍ろうとしても侍べることができない
自分たちであることを見いだすのです。

これを考えるとき、千万回死んでも当然な私たちであり、
一人寂しく死んでいくとしても
恨むことのできない私たち自身です。
これを悟る度ごとに、
高く尊いあなたの恩賜のみ手が
いつも私たちと共にあることをはっきりと知るものです。

孤独な道を行く人がかわいそうな者の事情をよく知っているのは、
そのような場で生活をしながら感じてみたからです。
民族の悲しみをふさぐために身もだえし、
人類の悲しみをふさぐために身もだえする
開拓者の道を行く人々は、
かわいそうな人ではないということを
私たちは知らなければなりません。

私たちのお父様がそのような道を行かれたので、
私たちがお父様の息子となり、
お父様の後嗣となるためには、
そのような道を行かずにはいられないという事実を
知らなければなりません。

お父様!
この時間私たちがここにきましたのは、
自分の生命を救うためでしょうか。
行くべき運命の道を開拓するためでしょうか。

でなければ自分の家庭のために、
自分の氏族のために、
自分の民族のために、
自分の国のために、
この世界のために来たのでしょうか。
どのような使命を持って、
どのような目標に向かってこの場に来た自らであるかを
もう一度見つめなければなりません。

そのためには、自分の散漫だった姿と、
虚偽と卑劣さで飾られた自らを
自嘆しようとしなかった過去をもう一度批判し、
過去における自分の正体を
赤裸々にお父様の前に現して、
お父様から批判と判定を受けなければなりません。
自らがそのようなかわいそうな立場に処しているということを
悟ることのできるあなたの息子・娘とならなければなりません。

お父様!
この時間訪ねこられて私たちに勧告なさりたい事情があるとするなら、
そのすべてのものを勧告してください。

私たちの心に描かれ、
心に感じられるすべてのものを
あなたの心情と一致するようにしてください。

そうして、
あなたが望まれるみ旨の前に不足がない姿を備えて、
み旨の前に直行することのできる息子・娘とならなければなりませんし、
あなたが信任なさることのできる息子・娘とならなければなりません。
お父様はそのような息子・娘となってくれることを、
どれほど待ち望んでおられるかという事実を
私たちは知らなければなりません。

それだけではなく、
捜し出された私たちでなくては行くことのできない
復帰の行路と復帰の路程におきまして、
責任を背負って歩んでくれることを侍ち望まれる
かわいそうなお父様であることを知らなければなりません。
全知全能であられる創造主たるお父様が
そのような悲惨な立場に立っておられることを考えるとき、
これは誰も想像できない
悔しく恨めしい事実であることを私たちは知っています。

お父様!
私たちは襟を正し、
「ご苦労なさるお父様」と呼んでみようとしなければなりません。
無限なる世界の価値の本体であられるお父様だということを、
私たちは心に描いてみなければなりません。
あなたの無限なる愛の内容は、
生命を抱いても余りある永遠なものであることを、
私たちは知らなければなりません。

私たちの行く道が難しい道であるとしても、
お父様の前に結実すべき勝利だけを見つめながら
この道に従っていかなければなりません。

お父様!
今、私たちの心身に、
静かにお父様のどこからともない命令の声が
聞こえるようにしてくださり、
復活の新しい生命の脈拍が
私たちの心の中でわき立つようにしてください。

新しい因縁を自ら体恤することのできる
勝利の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・一二・六)

8-25 み旨とともに生きさせてください

愛するお父様!
恨み多い復帰路程において
前を遮る事件がどれほど多かったかを
私たちは知っています。

お父様はこのような場面に対されるときごとに、
どれほど寂しく、
私たちがこの峠を越えてくれることを
どれほど懇切に願われたでしょうか。

あなたのみ旨に従ってきた数多くの人間たちが、
数多くの峠の道において、
それを越えることを願われるあなたの渇望にもかかわらず、
越えることができずに自ら流れていってしまったことを
私たちは知っています。

人々がいくらすべてのものを要求するとしても、
それが人間の欲望を中心としたものだとするなら、
あなたのみ旨が成されないということを
私たちはよく知らなければなりません。

いつも謙遜な心を持ち、
自分自らをお父様の前に捧げに捧げながら、
あすの願いの前に
祭物の場を引っ張っていかなければなりません。

そうして、
正義の場で祭物となることを願う生活を
自らわきまえるために、
お父様の知恵と聡明さに倣えるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

寝て朝起きれば、
すでにきのうの継続ではないことを知らなければなりません。
一日を送るとしても、
習慣的な一日ではないことを悟らなければなりません。

きのうよりもきょうがあなたの前により近く親しさを
感じるようにしてくださり、
善と悪を判断することのできる基準が
高く鋭くなるよう許諾してください。

すべてのことを処理するにおいて、
み旨とともに考え、
み旨とともに行うようにしてください。
そうして、
私が生きる生涯の路程が、み旨とともに生きたという基準を
いつも備えなければならないことを分かるようにしてください。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・一・二四)

8-26 自らお父様のみ旨の道を果たさせてください

お父様!
私たちが新しいひと日を迎える度ごとに、
朝の太陽の光が新しく私たちを照らしてくれる度ごとに、
み旨を中心として
新しい日となることを願わなければならず、
光明な太陽の光のようなあなたの望まれるみ旨を
思慕し得る私たち自身とならなければなりません。

毎日の生活においても、
あなたと私たちの間に隔たりがあってはならないことを
私たちは知っています。

あなたが行く道は私たちも行くべき道であり、
あなたがとどまる所は私たちもとどまるべき所であり、
あなたが闘う場もまた
私たちが闘わなければならない場であり、
あなたが怨讐と対決している場もやはり
私たちが怨讐と対決しなければならない場であることを、
私たちは体恤しながら行かなければなりません。

あなたが要求なさる場は
あなたが私たちと接しようとなさる懇切な場であり、
歴史的な使命を追求する場であるにもかかわらず、
私たちは個人的な願いを中心として
カイン的な生活をしながら、
お父様と話し合うことを望む
愚かな人間であることをよく知っています。

お父様!
ここにひれ伏した子女たち、
この者たちの行く道がどこであり、
この者たちがとどまっている場がどこであるかを
知らなければなりません。

あすに向かって進んでいく姿勢が、
正しい姿勢となっているでしょうか。
お父様が東方に向かっているならば、
私自身も東方に向かって
責任を負うことのできる立場に立っているでしょうか。
お父様が経ていかれる環境がどこに行くのかを知り、
その環境に同参する立場に立ったのかを知らなければならず、
もしその立場に立っていなかったとしたなら、
性急な心を持って
また従っていかなければならない立場であることを、
自ら悟るべきだということが
はっきり分かるようにしてくださいますよう懇切にお願い申し上げます。

生命の道は誰かが勧告して行く道ではなく、
誰かが導いてくれて行く道でもありません。
自分自らこれを消化しなくては行くことができないという事実を、
私たちはことさら分からなければなりません。

受動的な立場に立ってはならないということをはっきり知り、
自分自ら誓いながら生命の力を加えていくことのできる、
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

この時間私たちが
お父様の前に率直にひれ伏しましたので、
あなたが私たち自身を眺めるときに、
悪なる立場にいるならむち打ってくださり、
善なる立場にいるなら私たちの手をつかんでくださって、
あすの希望のみ旨の前に
活気を帯びた息子・娘として現れるようにしてください。

そうして、
あなたの戦場を引き継いで、
あなたのみ旨の前に妨害となるすべての与件に
自ら責任を負って立ち、
あなたが信じることのできる
忠孝の場を開拓することのできる
息子・娘となるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・二・二八)

8-27 み旨と一致する生涯路程を歩ませてください

人にはいつも変化が必要であり、
自覚が必要であることを知っています。
そのような刺激を受けることのできる自らとなるためには、
思慕の心情と欽慕の心情と
懇切なる心がなくてはならないことを知っていますので、
自ら懇切なる心を持って、
お父様のみ旨の前に、
あすの希望を
きょうの生活圏内に実現するよう導いてください。

あすに輝くことのできる実績を
きょうこの瞬間圏内においてもたらさなければ、
お父様にも自分自体にも刺激となることができず、
喜びとなれないということをよく知っていますので、
ここにひれ伏したあなたの子女たちを見て、お導きください。

人間たちは歳月を流れるままに送っています。
一年が過ぎればまた一年が来るとだけわきまえていますが、
そのような中で十年がたち二十年がたち、
半生あるいは全生涯を流れるままに送り得るということを
私たちは知らなければなりません。
このような短い人生行路におきまして、
私たちは絶対に
あなたのみ旨に逆らう立場に立ってはなりません。

きょう一日が
喜びで消化されるのは感謝なことですが、
この喜びがあすの喜びと連結されないなら、
きょうの喜びは
私に悪い要素となることを知らなければなりませんし、
悲しみと困難と嘆息の条件にしかなり得ないということが
分からなければなりません。

喜びがいいとは限らず、
悲しみが悪いとは限らないことを知るものです。
問題は喜びと悲しみを連結するにおいて、
自分の目的成就のために
内的闘争が
その環境にどれほど連結されているかということが
重要であると知るものです。

このようなことを知るときに、
私たちがみ旨とともに生涯路程を行くにおいて、
み旨とどれほど一致したか、
み旨の価値に私たちの喜びと悲しみが
どのように連結されていくかということを
考えるようになるのです。

み旨は私たちの一生を支配し、
永遠の生命と因縁を支配しているということを考えるときに、
み旨はきょうだけでなく永遠なる歴史的時代を
主管しているという事実を知るものです。

お父様が直接実体となられて、
歴史的な中心として
この時代を観察し洞察しておられるという事実を考えるとき、
その中心であるお父様と一致することは喜びであり、
一致できずに遠のくことは
悲しみとなるという事実を知りました。

お父様!
あなたの悲しみを私たちは知らなければなりません。
あなたがどのような立場で私たちを呼んでおられ、
どのような内容を持って私たちを訪ねてこられるのかを
はっきり知らなければなりません。

行き来するすべてのことが
役に立たないものとして計画されてはならないので、
死のうと生きようとあなたの権威に食い違わず
始まるとともに、過程を経て、
結果まで行くべき姿となるようにしてください。

このような現在の環境において
最後にはお父様の前に行かなければならない私たちの人生ですので、
私たちの全体をお父様と共に話し合い、
お父様から忠告を受け、
お父様の最後の勝利と歩調を合わせ得る姿を
自ら備えることを栄光として分かるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・四・一八)

8-28 お父様に倣って受難のみ旨の道も克服させてください

お父様!
今、私たちは
この死亡圏の世界を超越しなければなりません。
これを突破していかなければなりません。

あなたはこの時代的環境で生きるべき人を探すのではなく、
この時代的環境を克服して残ることができ、
未来の伝統を
現実の基盤の上に堅固に立てることのできる人を
探しておられるということを考えてみるとき、
死亡圏を克服して
さらに勝利の圏を永遠に備えることのできる人と
ならなくてはなりません。

お父様がそのような立場に立った息子・娘たちを探すため、
死亡圏でどれほど
身もだえしてこられたかを考えるとき、
「お父様の前に召され得る
息子の中の息子となり、娘の中の娘になろう」、
「あなたの栄光の国で
あなたが喜んで立てることのできる
息子となり娘になろう」と、
誓うことができなければなりません。

それだけでなく、
あなたが全被造世界を相続させて、
お前のために私がいて、
お前のために私が喜びを享受することができるとおっしゃることのできる、
あなたの愛をすべて相続して喜ぶことのできる
私たち自身とならなければなりません。

そのような子女たちが現れるときまで
耐えてこられるあなたのご苦労が、
今日まで私たちの背後に絡み合ってきたという事実を
私たちは全く知りませんでした。

あなたがそのような受難の代価を支払って捜しこられたのに、
捜し出された私たちがこのように無価値な姿で
現れたということを考えるとき、
自分の姿をこの天地の間に表すことができず、
目を上げて山を見ることもできず、
湖を見ることもできず、
地を見ることもできない
恥ずかしさを感じるひとときがなければなりません。
自分の手を伸ばして
一株の草にも
一握りの土にも触ることのできない恥ずかしい自らであるのを
発見することのできる場がなければなりません。

千代万代恨みを抱いてきたお父様の前に、
その恨みを解くことのできる道は何でしょうか。
このように足らない私たちを肥やしとして、
その恨みを埋めることのできる道があるならば、
その道が死の道であっても訪ねていかなければなりません。
その道が信仰の道を行く人々の伝統的な道であることを、
私たちは全く知りませんでした。

聖なる性相(=神様)がお命じになる路程を
襟を正し声がかれるまで痛哭して
従っていかなければならないにもかかわらず、
あなたより先に涙を納め、
あなたよりも先に安楽な場に立ったという事実を考えるとき、
これ以上軽挙妄動することがないようにと、
自ら感じることのできる
私たちとならなければなりません。

耐え忍び克服しなさいという言葉を聞きました。
「私」を克服しなければなりません。
「私」が耐えなければならず、
「私」を克服しなければなりません。
さらには家庭を克服し
環境を克服する主体とならなくては、
あなたの前に立つことができないということを考えるとき、
ひざまずいて夜通し
お父様の前に
「私は滅びるとしても
民族が願うひとときを持てるように許諾してください」、
「個々人を身代わりすることのできるあなたの息子が
現れるようにしてください」と哀訴することのできる
私たちとならなければならないということを、
もう一度悟らなければなりません。

また、そうすることのできる家庭が現れなければならないといって、
涙を流して
あなたの前に精誠を尽くす群れとなるべきなのが、
ここに集った統一の群れであることを知らなければなりません。

そうして、
誰よりも受難の道を走っていって、
誰よりも最後の勝利を決定する
英雄となるよう許諾してください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・五・二三)

8-29 人類のための公義の道を歩ませてください

お父様!
私たちの心の主人であり、
私たちの体の主人はあなたでなければなりません。
この教会の全体の中心があなたでなければなりません。
その誰も中心となることができないということを知っていますので、
お父様が親しく主人となってください。

あすの行くべき方向の旗手にあなたがなられて、
この者たちが行く道においていつでも標的となり、
いつも中心となって行くとしても
疲れないように激励してくださり、
訓示し、導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちはその誰かの命令を受けて
忙しい道を行こうとするのでなく、
人類がかわいそうなことを知り、
あなたが人類を取り戻すために
どのような受難の道を歩んでこられたかということを知っていますので、
行くまいとしても行かずにはおられない道に、
宿命的な路程として行くことを決心しています。

行く道に、いくら熾烈な闘いがあり、
怨讐の矢が飛んでくるとしても、
今まで守ってくださったお父様をよく知り、
今まで激励してくださったあなたをあまりにも知っていますので、
倒れる場におきましてもあなたの名とともに、
嘆息する場におきましてもあなたの名とともに、
あなたと共にあることを考えながら、
きょうまで勝利の道を歩むようにしてくださったことに感謝を申し上げます。

今までの勝利の道も感謝しますが、
今、今後行くべき運命的な路程を
あなたと共に話し合いながら、
これを統一教会の輝く勝利の未来の道に
残していかなければならない生涯の運命が
待っていることを知っています。

人がこの地上に生まれるときには必ず
使命を背負って生まれるのです。
その使命は
自分個人の幸福を追求する使命でなく、
歴史的な公的な使命に責任を負うという事実が、
どれほどかいのある私の生涯となるかを知り、
私が行く道端におきましては
個人のために弁護し得る□を持たないようにし、
個人を守るために見る目を持たないようにし、
個人のための耳を持たないようにしてください。
公義の法度と公義のみ旨を
保護し弁明するために
私自身の体を持ち、前進するその道において、
天の同情と人類の同情が
染みわたり得る歩みをするよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

行き来する歳月に向かって、信じられない
人生の道であることを知り、
きょう生きている世の中において
混乱した環境を自ら収拾できない、
このようなかわいそうな環境にあることを知りました。ですから、
あなただけが私たちの中心であり、
あなただけが私たちの標的であり、
あなたの保護だけが私たちの過程的行路であることをよく知る
統一教会の群れを守ってくださり、
保護なさって、的中すべき目的に向かって直行する
銃弾のように走っていくことができるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

標的とともに撃破して
自らすべての勝利の歓声を残すことのできる
一つの砲弾となり、
散り散りばらばらになるとしても、
勝利を民族と世界の前に持ってきて余りある、
あなたの幼い子女たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

万々事の恩賜と愛がとこしえに共にあってください。
あすの祝福を期待するのに
恥ずかしくない子女たちとなるよう、
お父様、
追い立ててくださいますことを懇切にお願いしながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七八・一〇・四)

8-30 み旨の道に向かって総進軍できる群れとならせてください

愛するお父様!
切迫した最後の歴史的な決定の運命が
私たち自身の運命とともにぶつかり合おうとするこの瞬間、
あの霊界とこの肉界におきまして、
数多くの宗教圏内におきまして
行くべきところが分からず渦中で呻吟する
人類の情状を眺められるお父様、
ここを救おうとなさる忙しいお父様の心の前に、
統一の群れが
一つの望みの焦点になったという事実を
考えるものです。

お父様!
死んでいく者を救おうとするなら、
死んでいく場に入っていかなければならないのであり、
受難の道にいる人を救ってあげようとするなら、
受難の過程を経なければならないということを知りました。

統一の群れが
世界史的な責任を背負うにおいて、
安逸な自己自体の巣をつくり、
自分自らの基盤を楽しむ
愚かな者になってはなりません。

国家が復帰されない限り
行くべき道が忙しいのであり、
世界が復帰されない限り
行くべき道が忙しいということを知りました。
今まで天が先立って開拓の道を歩み、
この息子もこの道に従ってくるために
あたふたと一生の歳月をすべて経てきました。

今、六十に近いこの年齢の時代において、
ひとときを見つめ、
最後の息詰まる、総整備すべき責任を前にして
行くべき道が残っていますので、
お父様、
行く道をお父様が引き受けてください。

あなたが行き、
あなたが歩み、
あなたが残すことのできる道となり、
そうしてあなたの輝く誇りとなり、
あなたの輝く栄光の条件となり得るよう、
お父様、
統一教会を追い立ててくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今、行くべき道の前にも
試練の道が多いことを知っています。
北アメリカ大陸だけではなく、
南アメリカ大陸が残っており、
アフリカ大陸が残っており、
民主世界だけではなく
共産圏が残っていることを考えるとき、
また人類が行くべき歩みをせきたてつつ、
自ら体と心を引き締め、
その道に向かって全体が力を尽くして
総進軍することのできる群れがいないことを考えるとき、
天の行くべき道が暗澹としていることを感じるものです。

お父様、
今、この若者たちは
あなたのみ旨がどのようなものであるかということを知りました。
私たちが行くべき道と、
すべきことが何であるかをはっきり知りました。

家庭を中心としますが、
その家庭は民族、国家を代表した家庭となり、
国家を代表するだけでなく
世界と天宙を代表した家庭となって、
家庭の愛があふれて
国家を越え、
アジアを越え、
世界を越えて
天宙のすべてのもの、
霊界にいる霊人たちまで
解怨成就できるようになることによって、
彼らすべてがその恵沢を受けようと、
その家庭を欽慕することができる、
そのような基準を持たなければならないということを知りましたので、
お父様、
祝福してください。

あなたの行く道にこの者たちが同行し、
喜びの一勝利圈を成して、
万代にあなたの息子・娘となったことに対し称賛を受けることができ、
あなたの探してこられた理想的家庭を立てて
歴史を編んできたことを詠ずるようになるとき、
万民が痛哭し
霊界のすべての霊人だけでなく神様まで
痛哭の涙とともにそれを聞くことのできる、
そのような家庭とならなければならないということを知っています。

苦難の道で耐え、
ぶつかる場で耐え、
倒れる場で耐えて克服し再起しながら、
日々、あなたの前に公的な道を残すために
すべての精誠を傾けて忠誠を尽くすことのできる、
一片丹心の心情を加えることのできる
群れとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

残されたその日と残されたこの時と
この世界の人類の前に、あるいは神様の前に、
霊界の霊人たちの前に恥ずかしくない息子・娘の姿、
恥すかしくない夫婦の姿、
恥ずかしくない家庭の姿、
恥ずかしくない氏族、民族、国家の姿を備えて、
天の前にすべて捧げても余りある
統一の祭壇となるようにしてくださり、
万国の解放とともに教会という名詞を取り消し、
神様の愛の天国だと賛揚することのできる
栄光の時が早く早く来るよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

万々世の恩賜と愛がとこしえに共にあってください!
すべてを真のご父母様のみ名によって祝願申し上げました。アーメン。

(一九七八・一〇・二二)

8-31 この身をすべて捧げて天道を正して行かせてください

愛するお父様!
流れていく歳月の中で、
あなたが経綸なさるすべての時代的使命を、誰も知りませんでした。
あなただけが一人知って、時を待ってきたうんざりするような復帰の歴史、
誰も慰労することのできなかった歴史時代を
もう一度回想しながら、
この息子は、お父様の前に涙でもって
生命を奉献する道しかないということをよく知っています。

あなたの悔しさとあなたの無念さと
あなたの悲惨さを解怨してさしあげ、
この体をすべて捧げて侍り奉り、あなたの公義の道理を
天道として正すことのできる、その日に向かって
直行する路程を守ってくださいますことに感謝を申し上げます。

押し流されるしかなく、
後退するしかなかった歴史的時代を
今日まで継承して、
今、世界の頂上の位置に立って世界を論じ、
世界の運命を判断することのできる
直接的時代まで到達するようにしてくださったことに感謝を申し上げます。

今、一つの峠を越えて行くべきその道を見守ってくださる
お父様の前に恥ずかしさを感じず
雄々しく豪胆な男として行きますので、
お父様、
その道を見守ってくださり
誇り高く考えてくださいますことをお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九八五・二・二五)

父の祈り 9 献身編

9-1 アベル的な祭壇の前に祭物とならせてください

この時間、
お父様の前に敬拝を捧げることが、
アベルが血の叫びをしたごとくに、
懇切に祭物を捧げる時間となるよう許諾してください。

朽ちていく体を中心として集まった者たちとならないよう
お導きくださり、
聖別の祭壇となって
アベルがお父様と全体の万物の前に
香ばしい祭物となったのと同様に、この民族を身代わりして
アベル的な祭壇を築くよう許諾してください。

温柔謙遜にひれ伏す一つの祭物として、
捧げられる一つの祭物として、
供えられる一つの喜びの祭物として
お父様に敬拝を捧げることのできる子女たちとして立ててくださいますことを
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
眠っているこの国を目覚めさせてください。
闇の中で方向が分からずにさまよっている
この民族を哀れにお思いください。

そのために
お立てになるべき子女を早く早くお立てくださいまして、
お召しになる子女を早く早くお召しください。
天に向かった中心を立てて、
全体を身代わりすることのできる愛する祭壇として、
早く早く成すよう許諾してください。

お父様!
自分のすべての観念や主義主張を率直に表し、
父母の心情の前に
温情謙遜な祭物となることができるよう許諾してください。

尊厳であられるお父様の前に
自らの足らなさを痛感し、
自らのすべてのものをお父様に
根本的に出してさしあげられるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

観念的な信仰姿勢で
福を受けようという者たちとならないよう許諾してくださり、
恩恵を受けようという心だけを持った者たちと
ならないよう許諾してください。

「助けてください」と叫ぶような歴史が
六千年を経過しましたので、
「私を祭物としてお受け取りください」と言うことのできる祈りの泣き声が
地から聞こえ、
「天に伝わる時となりましたので、
お父様、
私をお受け取りください。
私の全部を捧げますのでお受けください」と
祈ることのできるこの時間となるよう許諾してください。

私たち自体がお父様にふさわしい献げ物となったかを、
自ら問うことができるようにしてくださり、
顕現されたお父様の聖体の前に立つ度ごとに
自らの足らなさを切実に感じ、
自ら罪人だということを感じて、
お父様にこうべを垂れて敬拝を捧げることができるよう
お導きください。

私たちを目覚めさせて、
悔い改めの心が起こるようにしてくださり、
善の本性を感じ、善の実体を感じて、
お父様の栄光を身代わりして
敬拝することのできる時間となるよう許諾してください。

このことは天の願うことであり、
この一つのみ旨のために
天が動員されているということを知っていますので、
三位神が働いてくださり、
聖霊の役事を現して、
全体をみ手のもとにおいてくださり、
全行事を担ってください。

お父様のみ旨を離れた観念や認識を持たないで、
ただ全体をお父様に捧げ奉る
聖徒の祭壇を築くことができるよう
お導きくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・五・一六)

9-2 伝統的アベルの道を歩ませてください

伝統的アベルの道を
私たちが引き継ぐためには、
祭物の過程を通して
勝利を決定しなければなりません。

本来、人間は
神様の変わらない愛の場で、
神様の愛を中心として一人の息子となって、
一つに統一された基準を備えなければなりませんでした。

しかし、堕落によって
その基準を備えられず、
二つの愛の結実を持ってきましたがゆえに、
あなたはそれを
本然のその一つの基準に結束させるための
歴史的な闘争路程で、
今まで血を流してこられたことを
私たちは既に知っています。

アベルが行くべき道は、カインを取り戻すことです。
そうして、
カインと一つとなって捧げられるその場所には、
父母が顕現することができるのであり、
世界を代表して
父母を中心として四位基台を形成するようになるとき、
神様が顕現するという
この原則的原理の前に一致することのできる
各自の生涯と、各家庭の生涯と、
氏族、民族の生涯路程が展開されるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

この道のため数十年間闘ってきた
統一教会の運命は悲惨でしたが、
今、漆黒のような暗い夜が過ぎ去り、
光明なる新しい日の光を受けることのできる
朝がやって来るこのときにおきまして、
新しい服に着替え、
新しい使命を背負って
新しい希望を持たなければならず、
その平面的な希望よりは立体的な希望を持ち、
総進軍しなければなりません。

そのような隊列が
今、世界から連結されて入ってくるのを知るとき、
今、この道の前に同参することのできる栄光を、この民族の前に、
統一教会の群れの前に許諾されたことを
心から感謝いたします。
そのような群れが多くなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

夜も昼も意に介さず、
私たちは行くべきアベルの道を立てていかなければなりません。
ですので、私たちは
この道で滅びてはならず、
この峠を越えるにおいて
敗者の悲しい苦い杯を飲む群れと
なってはなりません。

この峠を越えに越えて、
最後の勝利の月桂冠を
神様からもらうのではなく、
私たちが神様の前に
提示してさしあげることができなければなりません。
個人はもちろんのこと、
家庭、氏族、民族、国家、世界全体が
お父様の前にそうでなければならないということを、
終生の使命と知って行かなければなりません。

このような群れが
統一思想を中心として立っている
統一の勇士たちであることを知っていますので、
その思想に処して終わりまで有終の美を飾り、
お父様の前に称賛され誉れを受ける
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

この日、万国に散らばっている
数多くの統一の群れを記憶してくださり、
あちこちで神様の名を賛揚する
数多くの宗教者たちの前に祝福してくださり、
塗炭の苦しみの中で暮らしている人類を
お父様が記憶してください。

私たちには
天上世界にいるすべての哀魂たちを
蕩減復帰すべき使命があることを思うとき、
立体的に加重された責任が、
今日、私たちの一身に連結されているという事実、
とてつもない歴史的な焦点に立っていることを自覚し、
きょうの行脚の路程において、
堂々たる姿を備え、
あす勝利を賛揚しようとする群れとして、
最後まで行くよう許諾してくださいますことを
再三お願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七二・五・一四)

9-3 天が喜び得る祭壇の祭物とならせてください

お父様!
お父様の懐の中で生きなさいと
許諾なさったみ意に向かい合っていましたが、
心で、体で、み意とは違った中にいるときが
多いことを知っています。

足らなくて、天と地の前に、
あるいはサタンの前に讒訴されるべき条件があるとするなら、
今、再びお父様の愛の力で
その条件を遮ってくださり、
能力のみ手でこれを補ってくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

性急な心と体となるようにしてくださり、
天上に閉ざされていた
愛を欽慕することができるよう許諾してくださり、
天が喜び得る一つの祭物として
捧げられ得るよう導いてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちの心と体が
お父様の喜び得る
祭壇の祭物となるよう主管してくださいまして、
お父様が親しくお取りになるに
ふさわしい子女となれるようお導きください。
そうして、
お父様のすべての忠告のみ言と命令のみ言を
残すところなく受けることができるよう許諾してください。

お父様の勧告と愛の恩賜を
嫌々受ける者たちがないよう主管してくださいまして、
全体が一つの心と一つの喜びをもって、
お父様の心を身代わりして
一つとなることのできる貴い時間として導いてくださいますことを、
お父様、
また懇切にお願い申し上げます。

お父様!
自分を中心としたある事情があるとするなら、
お父様が火花のような目で洞察して、
これに勝つようにしてくださり、
この者たちが平和と感謝の心を呼び起こして、
お父様の実存なさることを悟るようお導きください。
そうして、自らの足らなさを
事実のままあからさまにし、
悔い改めることのできる感動の役事が
現れるよう許諾してください。

お父様!
その感動で私たちの心と体が動ずるようにしてくださり、
全体が動ずるようにしてくださいまして、
私たち自体がお父様に感謝の祭物、
栄光の祭物として捧げられ得る
この時間となるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
救いの能力をこの民族の上に加えてくださり、
民族を代表したアベルの祭壇が
勝利の条件を備えて
全体を復帰することのできる勝利のアベルの祭壇として
捧げ奉ることができるよう許諾してくださいまして、
天が要求される祭壇を
積むことができるようお導きくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

天に向かった切ない心情を持ち、
隠れた祭壇で万民を身代わりして
人知れず贖罪の祭壇を積む子女たちが
たくさんいることを知っています。

また洞窟、あるいは山や荒野で
お父様の心情を身代わりして叫ぶ切ない子女たちが
たくさんいることを知っていますので、
お父様、
彼らの前にも
終わりの日に約束されたみ旨を現してください。

許諾なさった恩賜を降らせてくださって、
早く早くこの民族が天の前にひざを連ねて
栄光の祭壇を積むよう許諾してください。
この民族が喜びと勝利を歌うことができるよう、
この民族の祭壇全体を身代わりした一つの祭壇を造成し、
天上天下に栄光なる真理ののろしを揚げて
いで立つことができるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・七・三)

9-4 天の恨みの塀を壊す祭物とならせてください

天上に染みわたった恨みの塀を
壊してさしあげるべき使命を背負った全人類のために、
この日まで苦労の役事を展開してこられたお父様!
今、私たちが心で天の染みわたった恨みの塀を
壊してさしあげなければならないことを知り、
その恨みを地上で解いてさしあげることによって、
天上と因縁が結ばれるということを
私たちは知りました。

天はこの時間も私たちを忘れてはいらっしゃいません。
私たちを呼んで、
私たちに対して望まれ、願われるみ旨を命令していらっしゃいますが、
今日私たちは
その呼びかけにこたえることのできる自らとなり、
お父様の前に
和動の祭物となり得る
自らとなっているでしょうか。そのことを考えてみるとき、
そのような自らになるにはいまだ及ばず、
不完全で足らない立場にいることを
お受け入れください。

今、私たちが心の門を開いて再び悔い改め、
聖別された祭物となることによって、
天上に染みわたった恨みが
私たちをして
解怨され得るよう許諾してください。
またそのような喜びのひと日を迎えることのできる
あなたの息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

終わりの日の最後の困難な障壁が
私たちの前に横たわり、
生死を懸けて闘うべき路程が
横たわっているのに、
この闘いの路程で天の恨みを抱いて倒れる、
物の分からない卑屈な者たちとならないよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

この体と心、既に覚悟したことがあり、
祭物として捧げようと思いますので、
足らないとお思いにならずお受けくださり、
捧げられた祭物としてすべてのものをお父様に任せ、
お父様の命令を望むことのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
恨みの塀を壊すことのできる息子・娘が
多くなるよう許諾してください。
そうして、集まる所ごとに隠れた祭壇となると同時に、
現れる祭壇となって、
宇宙的な闘いで勝利することができるよう、
お父様、
許諾してくださり、
天の直接的な命令にこたえて
宇宙的な闘いで勝利し、
勝利ののろしをお父様の前にまで揚げることのできる
私たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・一二・二)

9-5 天の恩賜に報いる祭物とならせてください

取るに足らない私たちが
聖なるお父様の前に出て、
「お父様!」と呼ぶことのできる恩賜を
許諾してくださったことを考えるとき、
お父様、
心から感謝を申し上げます。

死亡の呻吟の声がやむ日のない
恨みに徹して生きるべき私たちに、
救いの恩賜を伸ばしてくださったことに
感謝をお捧げせずにはいられません。

このことのために数千年の歴史を経過しながら、
変わることなく苦労をしてこられた聖なる三位神の恩賜の前に、
闇のこの地に
光明の光を照らしてくださったお父様の苦労の前に、
まず体と心を捧げて
その恩賜に報いることのできる
子女たちとなるよう許諾してください。

お父様の驚くべき恩賜を心で体恤しながら、
闇に浸っていた私たちの体が
天に秘していた生命の流れに浸り、
死亡に浸っていたこの一つの体が、
宇宙的なお父様の愛の動脈に
連結され得る恩賜を
許諾してくださいますことに感謝をお捧げ申し上げます。

お父様!
体と心をすべて捧げても
お父様の恩賜に報いる道のないことを、
この時間体恤するようにしてください。
体と心をすべて捧げても、
自らおそれ多さを感じる者たちとなるよう許諾してくださり、
自ら足らなさを感じる者たちとなるよう許諾してください。

お父様!
持てる力と持てる精誠と持てる体と心を尽くして
お父様の前に出てまいりましたので、
哀れにお思いください。

お父様の前に一つの生きた祭物として
捧げられるべき私たちであるにもかかわらず、
この日、この時間までそのようにできなかったことを
お許しくださいまして、
お父様が喜んで受け入れることのできる、
永遠に誇ることのできる一つの祭物の姿を
早く早く備えることができるようお導きください。

お父様!
お父様がこの民族に対して
勝利の祭物となるよう要求しておられるということを、
私たちが分かるよう許諾してくださいまして、
この民族が死亡の波に押し流されるのを食い止めようとしますなら、
多くの祭物が要求されるということが
分かるよう許諾してください。

お父様が案じられるすべての分野に責任を持つことのできる祭物、
お父様の気がかりのもとを解怨してさしあげることのできる祭物、
善悪の戦場を清算して
天の前に勝利の栄光を帰し奉り得る祭物として、
取るに足らない私たちをお立てになって
導いてくださる恩賜の前に、
感謝する心を持ってひれ伏したのでございます。

お父様!
生きた祭物として喜んで受け入れてください。
その次に、
お父様が捜し出そうとされる一つの勝利の祭壇を
積むことができるようお導きくださり、
さらにお父様の哀れみのみ意を
この民族と全人類の前に現してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
時と時期を知ることのできない
あなたのかわいそうな息子・娘の上にも、
哀れみと愛ののろしを現してくださり、
哀れみのみ言ののろしを現してください。

抱こうとされるお父様の愛の懐に早く早く抱かれて、
全体が一つの姿として
喜びと栄光を帰し奉り、
勝利の祭壇を備えて
サタンを屈服させることのできる栄光の祭壇を
早く早く築いてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・一二・二三)

9-6 すべてのものを純粋なまま捧げる真なる新婦とならせてください

お父様! 私たちが、私たちの心と志と力を
お父様に純粋なまま捧げたときがいつございましたでしょうか。
人類と民族と国家と世界と天宙を代表して
そのような時がなかったとしますなら、
自らこれを悔い改めて、
お父様の前に自分自身の足らなさを痛感する
息子・娘たちとなるよう許諾してください。

今、私たちは、私たちのすべての生活を
純粋なまま捧げなければなりませんし、
私たちにあるすべての力を純粋なまま捧げなければならず、
私たちの体と心を純粋なまま捧げなければならず、
私たちの性稟を純粋なまま捧げなければなりません。

純粋でなければ取ることのできないお父様の事情を知りながらも、
私たちは使って残ったものを天の前に捧げ、
生活をいいかげんにしてきましたので、
足らない私たちをお許しください。

今、私たちは天のみ旨を成すためにご苦労なさったイエス様に倣い、
心情的な面で
すべてのものを純粋なままお父様の前に捧げますので、
祝福してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
イエス様の心に倣って
生死を意に介さず、天を思慕なさった
イエス様の心情を体恤するよう許諾してください。
新しい愛を中心とした天の性稟と
み旨に倣う私たちとなって、
愛を中心としたイスラエルとならせてくださり、
愛を中心として天の生活を営み、
天に侍ることができるようにしてください。

天が喜び得ると同時に
イエスと聖霊が喜ぶことができ、
千々万聖徒たちが喜び、
全地上の被造万物まで永遠に喜び得る
理想世界を建設すべき聖徒、
またサタンを屈服させてお父様の前に誇らしく立つことのできる、
真なる勝利の新婦とならなければならないということが分からない
私たちとはならないよう、目覚めさせてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今私たち、
悔い改めて涙を流すとしても、世界的に流すようにしてくださり、
心を尽くすとしても宇宙的に、
志を尽くすとしても宇宙的に、
性稟を尽くすとしても天宙的に尽くして余りあるよう
導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

また私たち、
純粋なまま捧げる生活をし、
個人のものを集めて全体のものとして、
氏族と民族と国家、
人類を身代わりして捧げることのできる栄光を
得るよう許諾してくださり、
新しい心と体を装って
お父様の前に出ていけるようお導きくださいますことを懇切に願いながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたします。アーメン。

(一九五七・二・二四)

9-7 勝利の道の上に祭物として捧げられるようにしてください

お父様!
私たちは今、
神様のための勝利者となる道を
行かなければならないということを知ったのです。

この道は涙の道であり、
血と汗の道であり、
またこの道は自らの血と肉をすべての元素に分立して、
万民の前に分け与える
祭物の道であると知りました。

この道を外れるとき、私たちは
お父様の望まれる宇宙的な勝利の園で
生きることができないということも知りました。

お父様!
私たちの生命は私たちのものではなく、
私たちの愛は私たちのものではなく、
私たちの子女も私たちのものではなく、
私たちのすべての物質も私たちのものでないことを知るのです。

私たちが、私たちの欲望によって
自分のためにすべてのものを所有しようとするなら、
私たちに所有されるものは
何もないということを知っていますので、
私たちのすべてのものをお父様に捧げることのできる
祭物たる立場に立つよう許諾してください。

人間であるなら誰でも
六千年の恨みを蕩減し、
勝利者とならなければならないということを知りましたので、
お父様、
きょうここに集った息子・娘たち、
この道を行くために、涙の道も、
汗を流す道も、
死の道をも意に介さず、ただ
お父様を身代わりして
世界的で天宙的な使命を果たし、
復帰された立場で
お父様の栄光を歌うことができるよう許諾してください。

そうして、
怨讐サタンを主管し、喜びの涙でもって
お父様の前に万物万象を帰し奉り得る
子女たちの姿として立ててくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

このすべてのものをお父様にお任せしましたので、
私たちをして勝利のための涙の道、
汗の道、
血の道を行かせてください。

この勝利の道を開拓すべき使命が
きょう私たちに賦与されましたので、
私たちがこの歴史的な勝利の使命を果たし、
十字架の祭物として捧げられるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五七・六・三〇)

9-8 み旨のための祭物としてお使いください

お父様の望まれる勝利のひと日が
いまだに現れていないことを私たちは知っています。
最後の勝利のために、今日まで
お父様が
血のにじむ闘いの路程を歩んでこられたことを考えるときに、
私たちは身の置きどころを知らないものです。

私たちは真理で武装して
お父様のみ旨を守らなければならないということを知っていますし、
お父様が願われる善のみ旨を広げるためには
私たちのすべてのものを捧げて
闘っていかなければならないことを知っていますので、
私たちの心と体が動員されるよう許諾してください。
そうして
お父様に栄光を帰し奉り得る日が
早く早く臨むよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

このひと日を捜し出すために、
私たちの先祖たちが歴史路程を経てきながら
疲れもし、苦しみにもぶつかりながら、
骨髄に染みわたるように主の時を待ってきましたが、
私たち人間によって
今まで成されなかった悲しみが、
地と天に染みわたっているということを知っています。

足らない私たち、
取るに足らない私たち、
無能力な私たちをお父様がお呼びになって、
お望みになったその栄光の日を取り戻すための
血のにじむ曲折があったということを私たちに分かるようにしてくださり、
み旨のために心と体をすべて捧げて闘い得る、
覚悟と決心を持つようにしてくださったお父様の恩賜の前に
感謝をお捧げいたします。

お父様、
私たちの心を再び聖別し、
私たちを祭物として受け入れてくださいまして、
サタンの讒訴条件を完全に分立し、
お父様だけがお取りになり、
お父様だけが誇り得る
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今、願うみ旨に対して、私たちが
心と体で忠誠を尽くし、
私たちの心で
新しい恩賜を感じるよう許諾してください。
体と心にあふれ流れる
お父様の栄光の恩賜を体恤するよう、
お父様、
役事してください。

今まで私たちが生活した内容と
責任を果たせなかったことを、お父様の前に表し、
ひれ伏すよう許諾してください。
矛盾した人間の矛盾した子供が
お父様の真理を身代わりできないことを
自認するとするなら、
自らのすべてのものをお父様の前に表し、
自らお父様の恩賜に徹するよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・二・二三)

9-9 天がお命じになった使命を抱いて走らせてください

私たちは一からすべてのことに至るまで、
お父様に要求しなければならない
足らない立場に立っていますので、
お父様、
哀れみの手でお導きください。

また、
先祖たちから受け継いだ罪悪の力と性稟が、
私たちの心の門を閉じていますので、
能力の恩賜を現して
暗い心の門を開いてくださり、
善に向かって走ることができるよう導いてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

天が私たちに任せた使命は、
私たち一個体だけのための使命でなく、
民族と人類のためになり、
千々万聖徒たちの恨みまで解いてさしあげなければならない使命であることを
私たちは知ったものです。

取るに足らない私たちですが、
そのような天倫のみ旨を
成就してさしあげなければならない使命がありますので、
この場にひれ伏した
あなたの息子・娘たちの体と心を祭物になさって、
願われる宇宙的なその一つのみ旨を成してくださり、
そのみ旨を成すに少しも不足のない
私たち自体として立ててくださいますことを、
愛のお父様、
懇切にお願い申し上げます。

天のみ旨に向かって
進むことを願うあなたの息子・娘の前に、
さまざまな困難が立ちはだかっていますので、
お父様、
力を許諾してくださり、
能力のみ手をもって私たちをつかんでください。
この者たちに、あなたが闘われた全体の闘いをお任せになり、
勝つよう許諾してください。

そうして、
億万のサタンの前に、神様のみ旨を高く賛揚することのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

取るに足らない私たちに、
この民族を身代わりして闘うことのできる
天の使命を任せてくださったことに対して、感謝をお捧げいたします。

私たちには
闘いの旗印を掲げて
天に向かっていかなければならない
宇宙的な責任がありますので、
お父様、
あなたの能力をお与えください。

お父様のみ旨に向かって、
行くまいとしても行かざるを得ないように、
あなたの感動の役事とあなたの直接的な動きを
私たちの生涯を通して現し、
永遠不変の路程に向かって走ることができるよう
お導きください。

そうして、
億万のサタンと闘って勝ち、
すべての群れの前にお父様が共にある息子・娘であることを
証しても余りあるようお導きくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
このすべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五七・二・一七)

9-10 足らない心と体ですが完全にあなたに捧げます

お父様!
この場にひれ伏したあなたの息子・娘たちをお捨てにならず、
体と心全体をお父様に捧げるにおいて、ためらわない
息子・娘となるよう許諾してください。

ご覧になるのに、不足で不忠な点、
ふさわしくない点がたくさんございますが、
お父様が私たちを捜し出すために苦労してこられた
歴史的な心情にすがって
私たちの体と心をすべて捧げますので、
親しく主管してください。

足らない部分を
お父様、
聖霊の炎で燃やして聖別させてくださり、
お父様がお取りになるにふさわしい私たちとなって、
体と心全体を一つに束ねて
捧げ奉ることができるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
あなたの息子・娘たちが
この場まで従ってきた険しい足跡は、
お父様の涙の跡を身代わりした足取りでしたし、
物悲しさがにじんだ、
血と肉を引き裂くような
お父様の路程を身代わりした歩みでした。

お父様、
私たちが心で覚悟したことと、
体を動かし行動することをお知りになって、
この時間私たちを
あなたの深い愛の心情で親しく抱いてくださいまして、
サタンの讒訴条件に引っかかる生命が
一つもないよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様、
私たちを立ててこの民族の前に、
新しいみ言を伝えようとなさるみ旨を私たちは知っていますが、
私たちの不忠と足らなさによって、
お父様の願われる使命と責任を果たすことができずに
お父様を悲しませることがないであろうかと
焦る気持ちを持っています。
お父様のみ旨に対してきた
今までの足らない事実をお察しくださいまして、
それを補うことのできる
お父様の生命の力と愛の力を加えてください。
どのような使命と責任であっても果たし抜くことのできる
直接的な恩賜を私たちに下してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちが行く路程には、
その道を遮るために億万のサタンたちがうごめいていますので、
これに備えた私たちの体と心の決心が完全となり、
私たちがお父様の前に生命の祭物となり、
最後まで耐え忍んで
サタンとの闘いに失敗しないよう、
お父様、
お導きください。

最初に持っていた覚悟と決心をもって前進し、
ただお父様の栄光を表すために努力し闘っていくことのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・一〇・一二)

9-11 お父様のための祭物になりたいです

お父様!
私たちの心をお父様がご存じであり、
私たちの体をお父様がご存じですので、
この時間、お父様のみ前にひれ伏した
私たちのこの一つの体と心に足らないものがあるとするなら、
お父様、
能力を現してくださり、
能力のみ手、
再創造の役事を起こしてくださって、
聖別された姿となるよう許諾してください。

お父様だけが運行することができ、
お父様だけが主管することができ、
お父様だけが勧告できるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

多くの人がこの地上で生きていますが、
その中で取るに足らない私たちをお選びになり、
何もない私たちを呼んでくださったお父様の前に、
責任と使命を果たせないのではと
恐れる気持ちを持っていますので、
お父様!
この時間私たちを勧告してください。

モーセが杖で紅海を打ったとき、
紅海が分かれたのを知っています。
お父様が私たちの杖となってくださり、
私たちがお父様のみ手が動ずるままに動ずることのできる
天の棒となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

既に、闘いの場に向かって
行軍しなければならない
最後の時となりましたので、
今、自分を見つめ、自分がどこに処しているのかを
見分けるよう許諾してください。

お父様のものとして捧げられる
私たちとなるよう導いてください。
各自の立場で、
処した所々でお父様の前に祭物として捧げられる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちが新しい生命の爆弾となって投げられることにより、
死んでいた生命が生き返り、
お父様の安息の基を
取り戻してさしあげることのできる喜びの日が、
早く早く地球村の中に現れるよう許諾してくださり、
この民族の中に現れるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちの不忠な体と心を一つに束ねて、
お父様の前に捧げることを願いますので、
自ら罪のすべての要素を捨て、
純潔な体と心として、
お父様だけのものとして捧げられ得るよう
祝福してくださいまして、
サタンの侵犯がないよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・一二・一四)

9-12 私のすべてのものをお父様に捧げます

愛のお父様!
愛の理想の園を眺めながら
お父様の愛を欽慕すべき人間たちが、
愛の理想の園を建設なさろうとされる
お父様の心情を排斥したのち、
物悲しい血涙の足跡を残しつつ、
数千年の歴史路程を経てきたのでございます。
このような私たち人間を受け入れてください。

失ってしまったお父様の愛を
慕わなければならない時が来ましたし、
お父様の心情をたどって
お父様の側に立たなければならない
復帰の終わりの日が近づいているのを
私たちは知っています。

愛のお父様、
きょう私たちをお立てになって新しく勧告してください。
私たちをお呼びになられましたので、新しく戒めてください。
復帰の悲しみを取り除き、歓喜と栄光の姿で
お父様の前に敬拝を捧げることのできる
私たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちの心が
私たちの心だけにとどまらないよう許諾してくださり、
私たちの体が
自分だけの体とならないよう許諾してください。
私たちが感じる感情から、
私たちが持っている観念や主義主張まで、すべてのものが
私たちのものとならないよう許諾してください。

私たちから始まったものは一つもなく、
すべてのものが天を根拠として成された事実を
私たちが知っていますので、
この時間、お父様のものとしてすべて提示し、
お父様のものとしてすべて帰し奉ることのできる
私たちとなるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちの一個体は私の心を主張するとしても、
その心だけをもって万象の前に現れることはできないのであり、
私の体といっても
誇らしく万民の前に現れることのできない
自らであることが分かるよう許諾してください。
自分が持っている何をもっても、
自ら万宇宙の前に誇って立つことのできない自らであることを
認定するようにしてください。

そうして、
自分のものをすべて差し出し、
お父様の復活の心情を受けて
お父様の心情に和するようにしてくださり、
お父様の心情に深く食い込むことができるよう
導いてください。

再創造の命令のみ言を歓喜の心情で受けることのできる
懇切な心を許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様の前に捧げるべきものはただ懇切なる心だけですので、
この心をお父様のものとしてすべて受け入れてくださり、
この体をお父様に捧げますので、
一つの生きた祭物とならせてください。
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・一二・二一)

9-13 患難の中でもこの身をお守りくださったわがお父様!

お父様!
あなたのために生きるべき
この地の万民を復帰しようとなさるあなたは、
どれほど悲壮な事情が多かったことでしょうか。

お父様!
み旨を知ったのち、
あなたのために生きようという心が懇切であり、
凄涼で切ない心情が積もりながらも、
そのみ言のままお父様の前に忠誠の道理を立てる者が
この地上に多くないということを思うものです。
天地を創造されたあなたに
そのような事情があると、誰が思ったでしょうか。

お父様!
数多くの民族の中で
かわいそうな統一の群れを守ってくださいましたことに
心から感謝を申し上げます。
私たちがついていくこの道、
他人が排斥し、他人が違うと言うこの道は、
涙なくしては行けない道であり、
死を覚悟して行かなければならない道であることを知るものです。

遅れてではありますが、涙とともに
お父様の前に訴え、現れるようになった
私たち自身であることを思うとき、
一面では悲しく悔しいのですが、
あなたの心情と
近い立場に立ち得るということを思うとき、
心から感謝を申し上げます。

お父様!
今、最後の時期は急変しています。
このような時に
歴史的な因縁で私たちが集められたことを知っています。
ゆえに、きょう勝つべきであり、
あすは開拓すべきですので、
きょうの勝利とあすの開拓を誓うことのできる
天の勇士たちとなるようにしてください。
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

患難の中でもこの身を守ってくださった
私のお父様!
困難な中でお命じになり、
絶望の途上でも
「私がいるから、また行け」と命令されたお父様がいらっしゃったことを、
私ははっきり知るものです。

今、お父様の前に忠誠の道理を果たし、
お父様のご命令どおり従ってきて、
厳しい環境も既に越えてきましたが、
お父様の営まれるみ旨は奥深く、
お父様の摂理は奇妙だと言うしかありません。

お父様!
困難が近づいてくるとき、その背後では
あなたがいつも贈り物を持ってこられるということを知りました。

お父様は打たれる者を愛され、
迫害に耐えて勝利する者を祝福してくださることを知りましたので、
きょうの食口たちが心を尽くし、あなたを見つめる至誠を、
お父様、
記憶してくださり、
この者たちを捨てておかないでください。
懇切にお願い申し上げます。

涙がにじんだこの者たちの行動が、
お父様の心情の園に花を咲かせるようにしてくださり、
お父様がお残しになった十字架路程で、
勝利の盾となることができるよう役事してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今、行くべき復帰の途上に立ったので、
死んでも行かなければならず、
生きたとしても行かなければなりません。
ここにお父様だけが共にいてください。

あるいは倒れてしまうとしても、
あなたを証することができ、
あなたから証され得る
あなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
このすべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六四・一〇・三)

9-14 彷徨する民族の前に祭物とならせてください

お父様!
この三千万民族を哀れにお思いください。
悲しみの谷間を越え、長い歴史路程を経てきて、
道を失って彷徨しながらも
行くべき目的地が分からずにあえいでいたこの民族の前に、
天の義なる新しい便りが伝えられるよう許諾してくださいまして、
新しい復活の祭壇を積むことのできるひと日を許諾してください。
新しい栄光の時間をこの民族の前に許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

足らない私たちをお集めになって、
お父様が民族の前に
祭物となれと命令なさったのを知っていますので、
天の前に責任を果たせなかった
足らない自らを自嘆する立場にとどまるのではなく、
お父様のみ旨の前にすべてのものを捧げる祭物、
一つの爆弾としてサタンの都に攻め込み、爆発することのできる
息子・娘となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

行くべきところが分からずに彷徨する群れは
この民族だけではありませんので、
この地上に生きている数多くの人類の上にも
新しい黎明の鐘の音を鳴らしてくださり、
生命の光を現してください。
お父様の栄光のひと日を紹介することのできる時間が
早く早く来るようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちを呼んでお立てになり、
天の全体的な摂理のみ旨を教えてくださったお父様!
きょう私たちはお父様のみ旨を知りましたので、
私たちがそのみ旨のために行動できるよう、
直接的な能力を行使してください。

躊躇する私たちの足取りを促してくださり、
ためらうこの体を、
お父様、
突き動かしてくださり、
お父様が願われる善の福地に向かい、
新しい覚悟と決心を持って前進また前進することのできる
天の息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五九・三・八)

9-15 謙遜な心で祭物とならせてください

「私はお残しになった善の園に向かっていく人であり、
お残しになった使命のために闘う
天の勇士だ」と言えるようにしてください。

お父様が捜していらっしゃる姿が自らであることを知って、
捜し出されるために努力していることを、
お父様の前に明示できる
各自となるようにしてください。
自ら覚悟し
自ら聖別することのできる姿となりますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
散らばった心を収拾して本郷を慕うことのできる、
再創造のみ手が加えられ得るようにしてくださいまして、
お父様の祝福を相続する前に、まず
お父様の悲しみを相続し、
その悲しみの主人公となって、
お父様の前に壮語して、いで立とうという
覚悟と決心をする姿となりますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

きょう統一の理念を備えて、
人が「そうではない」と言うこの立場に私たちを追い立てられたお父様、
自分が願わないそのひと所に
歩みを促すよう追い立てられたお父様、
善なることを始められる方もお父様であり、
善なることを成就される方もお父様であられることを知っています。

お父様のみ旨と通じなくては、
お呼びになりお集めになるみ旨が
成就し得ないということを知っていますので、
このみ旨の前に水となり、
人となり、
油となることができ、
きょうもあすもみ旨の前に謙遜な祭物となることができるよう
懇切にお願い申し上げます。

悪なる世の中を燃やすことのできる油とならなければならず、
善に対しては温柔謙遜でなければならないことを知っています。

お父様が
このような法度で私たちを訪ねてこられるために、
イエス様が
高くする者は低くされ、
低くする者は高くされると語られ、
犠牲と奉仕と温柔謙遜をもって
天道を立てていかれたということを知っています。

私たちもその中心に徹し、
自らの足らなさを知って
お父様の前に無限に謙遜になることができ、
自分自身の一切のものを祭物として捧げることのできる心情が、
各自の心と体を通して
天の心にまで達することができるよう、許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちの心が
お父様に向かって
無限に走ることができるようにしてくださいまして、
お父様が恋しくてしがみつきたい心と
子供のような心情を備えて、
お父様を無限に欽慕し得る姿となり、
罪悪に染まった一切の主義や一切の観念、
一切の意識が私たちから離れるようにしてください。

願わくは、この時間、
本心が発露され、
本性が発露されて
本然の姿が現れるようお導きください。そして、
お父様がお喜びになることができ、
お父様が再び抱くことができ、
万宇宙とサタンの前に立てて誇ることのできる
私たちとなるよう役事してくださり、
さらに一段階を越えて
お父様の前にこうべを垂れる者たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

不義と悪に対しては、
激怒して我慢することのできない公憤の心情を持ち、
この体が祭壇に上がったとしても、
天倫の開拓者の姿、
立てられた天の精兵として
屈することなく闘う者たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五九・四・一二)

9-16 私たちのすべてのものをお父様の前に捧げさせてください

お父様が来いと言われる道にいで立った私たち、
その道が喜びの道だと思いましたが、
行ってみると限りなく涙を注ぎながら行く道であることが
分かるようになりましたし、
人が知らない中、
天と地を身代わりして恨みの心情を抱かなければならない、
物悲しく寂しく憂いの多い道だということを
知るようになったものです。
その道は生きようとする者が生きられない道であり、
死のうとする者だけが残される道であることを
体恤しないわけにはいきません。

お父様!
ここに集ったあなたの寂しい息子・娘たちを
哀れにお思いください。
この者たちの心に天的な理念が動いているでしょうか。
その理念は自分を中心とした理念でなく、
歴史的な理念であることが分かるようにしてください。

理念を通して動く心情があるでしょうか。
その心情は自分一代でとどまる心情でないことが
分かるようにしてください。

受ける恩賜と感じる恩賜を
この者たちが体恤したとするなら、
今自分を中心として、
自分一人でだけ天の国を成して生きるのではないことが
分かるようにしてください。

このことをお始めになった方があなたでしたので、
自分のすべてのものをお父様のものとして捧げ奉ることのできる
私たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様が来いと言われるその道にいで立ちましたときに、
私たちはすべてのものを
既にお父様の前にお捧げしました。
私たちが持っているすべてのもの、
私たちの心情までもお父様のものとしてお捧げしました。

全体を捧げても喜ぶことのできる一つの姿を
お父様は慕っておられますが、
なくなるものを見て悲しむ私たちとなっていることを
お許しください。
すべてを委ねても無限に喜ぶことのできる心を
持つよう許諾してください。

このような心を所有した者は
お父様の全体を所有する者であり、
このように天に対する懇切なる心情を抱いて行く者は
天と地で勝利するであろうことを知っています。

お父様!
私たちの生活環境からすべてのものを奪っていくのは、
お父様がお喜びになるためではなく、
お父様の全体を私たちに受け継がせるための
摂理のみ旨があったことを知ったものです。
そのような曲折のみ意を持って私たちを訪ねなければならず、
呼ばなければならず、
来いと言わなければならないお父様の心情を知ったものです。

まだ自分を中心とした意識や
感触が残っているとするなら、
今それをみな、お父様の前に出させてください。

そうして、
天と地に存在するすべての万象を眺め、
お父様の前に無限に感謝を捧げることのできる心だけを
私たちの体と心に満たしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五九・五・一七)

9-17 忠・孝・烈の道を行かせてください

お父様!
私にお父様がいなければ、
やはりかわいそうな者であると言えます。
寂しいとすれば、これ以上に寂しい立場はないことを知っています。

友もなく、事情も通じることのできない
荒漠とした荒れ地にお父様が追いやるようになるときに
孤児のような心情で見つめていたお父様の視線を
私が知ったものです。

失った父母の心情をもち、
子供を探すために苦しまれるお父様の姿を
私が見つめました。
それゆえ、今日、この場まで
倒れずに来たことを思うとき、
お父様、
おそれ多いものです。

世の中で誰も私を分かってくれなくとも、
私はお父様をつかんでいることが誇りです。
悲しいときも、私のお父様であられ、
うれしいときも、私のお父様であられました。

しかし、私よりももっと悲しい立場におられる
お父様であることを知りましたので、
もてる力を尽くそうと……。
行く道を振り返り、
私が今まで余力の残っている立場で
忠誠を尽くせなかったという恨が残るかもしれないと思って、悲しい心が
いつもこの体から離れないようにしてください。

きょうもそうであり、
あすもそうであり、
ひと日の休む時間にも自らをむち打ち、
お父様の心情をつかんで涙を流し、
お父様と呼ぶことのできる
その時間を慕うことをあなたはご存じです。

ここにひざまずいた人々の中には
かわいそうな寂しい群れもあります。
お父様。
この者たちは若い青年たちです。
人よりももっと食べたいし、
人よりももっと自慢したいし、
人よりももっと尊敬されたいのが
若者の気質であることを、私はよく知っています。

しかし、この青春時代のすべての欲望をみな地に埋め、
お父様の懐が慕わしくてあえぎながら走ってきた
あなたの息子・娘ですので、
今、手をつかみ、「わが子よ!」と呼ぶことのできる
お父様となってくださり、
今、直接関与なさって
私たちの前途をお守りくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

残されたこの民族的使命と
残されたこの世界的使命が私たちの前にありますので、
どうかここで倒れることなく
最後まで残る者となって、
お父様のみ前に解放の自由と栄光をうたうことのできる
息子・娘となるようお許しくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

復帰の使命を完結するための
子女の名分をもちましたが、
今、再び帰らなければならない私たちの道が残っていますので、
行くまいとしても行かざるを得ない
使命的な基台に向かっていく
この者たちとならなければなりませんので、
行く道をお守りくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。

私をそのような場で保護してくださったので、
この者たちもそのような場で保護してくださる
お父様であることを私が知っています。
そのような試練の中で心配された
お父様であることを私が知っているので、
この者たちもそのような試練の場で保護してくださることを
知っています。

そのような試練とそのような塗炭の苦しみの中で
勝利の場を備え
お父様の前に捧げるときに、
万福の福を加えてくださっても、
不足ではないかとお尋ねになるお父様であることを
私が知りましたので、
この者たちもそのような場で祝福してくださることを
懇切にお願い申し上げます。

お父様、
時は、この地上で長くはないことを知っています。
一度しかない、
私たちにおいては無限な価値の時期を迎えましたので、
この価値の道を逃し、千秋万代に、
あるいは永遠の世界に行って
嘆息する者たちとならないよう、お許しくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

生きている間に、
肉を着ているこの期間において、
すべての精力を傾ける孝子・孝女となるようにしてくださり、
忠臣・烈女になるようにしてくださって、
新しい天地の歴史路程において
この者たちが行った道を孝誠といってくださり、
この者たちが行った道を忠誠といってください。

そうして、
お父様の永遠の栄光が
この者たちの土台の上に
とこしえにとこしえに宿るようお許しくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

万々世の栄光と祝福と権威が
この者たちと愛する子女たちと
全天地に散らばっているあなたの息子・娘たちの上に、
そして、今後、
み旨の前に立てられるべき数多くの人類の上に、
天上の復帰の解怨の前において、
悲しみの心情を抱き、見つめている
数多くの千々万聖徒たちがいる天上にまで
お父様の栄光が共にあってくださり、
特権的恵沢を現してくださって、
新しい栄光の土台で
私たちの群れと全天地を追い立ててくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

そうして、お父様は
真なる真の父母と真の子女と真の食口たちと
真の天地の中心となられて、
心情的な一体を成すことのできる一つの世界を
早く早く成すようお許しください……。

(一九六三・三・二五)

9-18 悲しい歴史に責任をもつ息子・娘にならせてください

お父様、
恨み多い復帰の道が
このように複雑だということを、私たちは知るものです。
しかし、複雑な道をすべて過ごし、
お父様の安息することのできる一つの峠を残し、
踏み越え、闘いきた私たちが
今、希望の日を賛揚することのできる時が近づいたということを
隠然とした中、感じるようになりました。

このすべては私たちが苦労したものではありませんでしたし、
人が知らない中、
無限な苦労の土台の上に、私たちを召して立てるための
お父様の苦労のゆえであることを知っています。

今日、私たちの前に、父母の日を与えてくださいました。
子女の日を与えてくださいました。
万物をつくることのできる、
お父様を中心とした心情に通じることのできる基盤の上で、
一つの家庭を主とした
一つの氏族と民族と世界と天宙を身代わりした
お父様に侍ることのできるこの驚くべき因縁圏内に
私たちを立てられたことに感謝いたします。

この因縁が私を導き得る場で
自分が嘆く者にならないようお許しください。
自分がこの因縁を収拾することができ、
この因縁を導いていける
一つの責任者にならなければならないことを、
私たちが知りましたし、
このような目的を達成するために
このような日々が必要だったことを知りました。

こうして、
億千万の神様の恨み、
人類の恨み、
万物の恨み、
天上の恨みを晴らし、この怨讐の降伏文を受け、
お父様の前に帰し奉るべき
息子・娘の責任を果たすべきなのが
私たちの使命であることを知りました。

今、失ったすべての万物圏内において
立ててあげるべき全体的な内容を
自ら復帰させるにおいて
私たちが責任的活動をしなければならないことを知りました。

今からはお父様を安息させ、
すべての悲しみの歴史は
私たちの時代において
横的な基準の上に、人間たち同士責任を負い、
縦的な基準で栄光だけを帰し奉ることのできる
私たちとなるようお許しくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

今、摂理路程の最後の峠に向かって
越えていくこの時において、
天と地とすべての万物がここに一つになるようにしてくださり、
心情がある所を中心として
すべての勝利の決定的な基盤を築いてくださって、
お父様の栄光の永遠な基準の上に
勝利的な栄光として現れるようお許しくださいますことを、
お父様、懇切にお願い申し上げます。

このために
数多くのあなたの息子・娘たちが、きょうも闘っていますし、
この時間にも、あなたに向かって訴えていますので、
この訴える全体的な内容の心情を自らお聞きくださり、
勝利の成就のひと日をみ旨全体の前に成してくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

このことのために
海外に散らばっているすべてのあなたの息子・娘の上にも
等しい恩賜の圏内で保護してくださり、
その激しい闘いの前に疲れないようお許しください。
最後の栄光のひと日を共に迎える時まで
最後まで耐えて残る群れとなるようお許しくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

今日、この時間まで共にいてくださったことに感謝し、
帰っていく私たちの心と体を通して
私たちが各々もう一度、新しい決心を抱き、
再び新しく収拾された基盤の上に、栄光を身代わりして、
再び天の勝利的な勇士として立つに不足のない
自分自身を見いだすために努力するようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

すべてのことをみ意のままに成してください。
お父様の計画された勝利の栄光だけが
全天宙間に成されるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六三・五・一五)

9-19 この民族と人類と天下に代わる生きた祭物とならせてください

お父様、
ここの幼い花のような青春の時期にあるこの者たちを
記憶してください。
この者たちの唇は汚されてはいません。
この者たちの目はまだ
天の悲しい光を好まない立場にあります。

この者たちの心情から響いてくる鼓動と
それを通して伸びてくる動脈と血肉は
まだサタン世界と接しないでいますので、
この者たちをお父様、あなたのものとしてお受けくださり、
民族のために蒔き、
民族のために見、
民族のために語り、
民族のために闘うことのできる
あなたの息子・娘となるようお許しくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

三十歳を過ぎ、四十歳を越せば、
人生の残りの日が縮小されることを
心配するのが人間ですが、
行く所を心配せず、希望を描くことができるよう
若い時節にとても大きな希望をたっぷりとその心に込め
お父様と無限にささやき、
お父様と無限に同居しながら、
深く高く広く生きることのできる
この若者たちとなるようお許しくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

ここにいる成和の若者たちを、
お父様、
記憶してください。
この者たちが統一教会を代表することのできる生きた祭物、
三千万を代表することのできる生きた祭物、
三十億人類と天下を身代わりすることのできる
生きた祭物になるようにしてください。

また、後代の多くの人の手本となることのできる
生きた祭物となることを新しく誓い、
新たに決意することのできるこの時間となるようにしてくださって、
あすから新しい私として出発することのできる
自分たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、統一教会が、
統一教団が今後、お父様の前に
勝敗の鞭を持ち、
最後の盾として責任を果たすのか、果たせないのかという
このような重大な時期に置かれていることが
分かるようお許しください。
自分がこの地にいなくてはならないということが
分かるようにしてください。

私たちは取るに足りませんが、
人間的な使命を身代わりして
天と共に立ったし、
天の因縁と共に立ちましたので、
小さい者でも
強く雄々しいことを悟るよう許諾してくださり、
無力な者でも
勇猛なことを悟ることのできる者となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

残っている三千万民族、
残っている三十億人類、
残っている数多くの霊界の先祖たちに誰が責任を負うでしょうか。

涙を落としながらひざまずき、両手で合掌し、
心からわき上がる、
血肉が動ずることのできるこのような前進の炎と共に、
天を仰ぎ見、
清い口でお父様の前に
「私を送ってください」と言うことのできる群れを
あなたはどれほど待ち焦がれたことでしょうか。

ここで訴えるこの息子も、それを待ち焦がれたのに、
あなたはどれほど待ち焦がれていたでしょうか。

ここにひれ伏したあなたの息子・娘たちは、どうか
表面だけの群れにならないよう許諾してください。
卑劣な群れにならないよう許諾してください。
お父様のみ前にひれ伏して捧げる祈祷の言葉が
のちの日に、讒訴を受けかねない言葉と
ならないよう許諾してください。

お父様の栄光を表し、
お父様の誇りを表し、
お父様の尊い価値を表すことのできる、
幼い息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

この者たちは恵みを受けた者たちでした。
この者たちは悲しい立場においても、悲しい者ではありませんでした。
なぜなら、
この者たちが悲しくて涙を流すようになれば、
三千万を痛哭させることのできる者であり、
三十億人類を痛哭させることのできる者であるがゆえに、
悲しい者ではありませんでした。

この者たちが死の場に出ていくとしても、
個体が死ぬとしても、三千万をみ旨のために
死なせることのできる者であり、
三十億人類をみ旨のために死なせることのできる者であるがゆえに、
今後、いくら苦痛の場に行くとしても、
この者たちはかわいそうな者ではないことを悟り、
残された責任と使命舞台において
天がとこしえにとこしえに求めていたただ一つの存在として、
信じ、誇ることができ、
信じ、愛することのできる息子・娘となるようお許しくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

万々世の栄光が
成長しているこの者たちの両肘に共にあるようにしてくださり、
三千万とこの人類の前に及ぶ新しい世界の運勢は、
この者たちと共に因縁を結んでください。

目的となさるお父様のみ旨の園の上に大切に抱かれ、
お父様の誇りの懐に抱かれ、
万宇宙を身代わりして立つことのできる
息子・娘たちとなるに不足がないよう、
お父様、
お守りくださり、保護してくださいますことを、
懇切にお願いしながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六三・三・一五)

9-20 お父様のみ前に喜びの実体として捧げられる天の息子・娘とならせてください

無数の国の中、
無数の人々の中、
無数の地域の歴史を経てこられたお父様!
そのうち、一国一民族をお立てになって、
一人を探してこられたお父様の苦労の歴史を
私たちが知りました。
多くの民族のうち、
この民族を記憶してくださり、
多くの民族のうち、
今日、私たち個体を記憶してくださったし、
個体のうち、
とりわけ天が記憶しようとされ、
格別な心情のみ旨を広げようとされるのを知りました。
今まで、そのみ旨の前において、
喜びの実体になれなかったということを知りました。
今、この一基準において、
お父様が喜ぶことのできる実体として捧げることのできる
天の勝利の息子・娘とならなければならないということを、
いま一度、覚悟し、
いま一度、天のみ前に誓わなければなりません。
この三千里半島を舞台にし、
数多くの人類が暮らしているこの地球星を
自分の掌中に収めることを希望の目標として、
力強く出発することのできる息子・娘が
必要だということを知りました。
この国家の情勢が混乱したこの時に
今日、私たちだけでも団結し、
この民族の前において心情を暴露し、
行くところの道を誓うことのできる
私たちとなりました。
残されたこの民族の前に守るべきこの祭壇と
残されたこの民族の前に捧げるべき祭物たる価値を
私たちが刈り取り、
お父様のみ前に実体として捧げるに
不足のない者たちとなるよう許諾してくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
きょう、このひと日全体をお守りくださり、
志された摂理の中で、私たちを残すために
無限にご苦労されたお父様のみ前に感謝を申し上げます。
私たちを導いてこられたみ旨を私たちが裏切らない限り、
み旨が成されて、残され得る群れの立場に
喜びの中、同参できるよう祝福してくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
再び出会う時まで、
お父様の深い愛の懐に
保護してくださることを、懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六三・三・三)

9-21 み意に徹して身もだえする統一祭壇とならせてください

お父様!
お父様が行かれる道が
どうして私たち個人の行く足取りと
同じであり得ましょうか。
また、お父様の内情が
どうして私たちの個人的な内情と通じ得ると感じましょうか。

恨み多い曲折と悲しみの中でも
耐えてこられた私たちのお父様!
そのお父様を眺めることのできない私たちでございます。
お父様を知ることができずに走っていた
愚かな過去の日々を、お許しくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今、世界を審判して新しい歴史を創造していくべき
重大な使命を中心として、
私たちが行くべき方向と
個人的に取るべき生活態度を知っていますので、
お父様、
そのような日を待ち望んでこられたお父様の心情を、
私たちが忘れないようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
統一の群れをここまで追い立てるために、
あなたはどれほど苦労なさいましたでしょうか。
今、これから行くべき私たちの行路には
さまざまな試練が残っているということを知っています。

天がこのように曲折の中で耐えられた心情を
私たちがたどる度ごとに、
お父様を抱き締めて身もだえしても
取り留めようがないという事実を知り、
涙を流しながらお父様を呼んでいるのでございます。

お父様!
きょうも各地に散らばってひと日の勝利を期して出ていく彼らの上に
力となってくださり、盾となってください。

世界に散らばってここに向かって祈祷する群れがいるとしますなら、
その群れが天の願われる所のために行く群れとなって、
あなたの前に祭司長の責任を果たし、
香を焚くことのできる祭壇となるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

あなたの事情に通じることのできる
多くの子女たちとなるようにしてください。
お父様がお立てになった群れに従って怨讐を屈服させ、
勝利の王子王女として祝福を受けて
誇ることのできる子女を、どれほど侍ち望んでおられるかということを、
私たちが忘れないようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

統一の祭壇がたとえひどくみすぼらしく、
何もないように見えるとしましても、
お父様の心情を中心として
身もだえする所となるようにしてください。
また、
神様の事情を中心としては
避けることができず、分かれられない因縁が
ここに宿るようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

私たちは、何も所有したもののない裸ん坊だとしても、
この地上の排斥する群れによって倒れるとしても、
あなたの理念と心情と愛だけを抱き締めて
ひっくり返る所となれば、
ここは必ず
あなたの訪ねてくることのできる所であることを知っていますので、
この因縁に従っていくあなたの子女たちが
一人も落後する者がないようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六六・一二・四)

9-22 世界史的な使命を果たす天の息子・娘となるようにしてください

お父様、
この統一教会をこの地上で発展させるために、
あなたがどれほどご苦労なさったかを思うとき、
私たちは涙なくして
それを考えることはできません。

私がきょう、この場に立つ時まで、
私はいかなる栄光も要求しませんでした。
自らの姿を主張して宣伝し、
自分を弁明し、
誇りたい心は一つもありませんでした。

ただ一つ、恐ろしいことは……。
歴史的な新しい責任を負ったその場を通して、
過去・現在・未来を経ながら、
お父様の心情を抱き、涙を流した人が
過去にいなかったことを嘆きましたし、
兄弟にそのような人がいないことを
嘆く心をもち、
今まで数十年の人生を
お父様のみ旨に従ってきたと申しました。

私がお父様のみ前に恥ずかしくないのは、
お父様の威信を立てるために
人間の威信を余地なく放棄してしまったし、
お父様の威信とお父様の権威を立てるために
自分の位置と環境と、立場も
みな放棄してしまったからです。
それをあなたはよく知っていらっしゃいます。

世界の人間の誰も行くことのできなかった
事情の道を求めていかなければならないと、
身もだえする歴史過程において、
あなたは一つ一つ慰労なさり、
一つ一つつかみながら、
「この道を行く
お前以上に寂しい者がこの地上にいない。
再び行くべき寂しさが残っている」と
勧告なさったお父様のその声を忘れることができません。

反対する声が高まり、
周囲の混乱した環境にぶつかる度に、
その中で涙を落とし、
血を吐く立場にあればあるほど、
その涙を握りしめ、
その血管を握りしめ、
天を見つめ、
お父様を恨む者にはならないと
身もだえしたその事情が
今日、統一教会を養成してきたという事実を、
きょう、集ったあなたの息子・娘たちが
分かるよう許諾してください。

胸が裂けるかのように、
はらわたがねじれるかのように、
語ることのできないお父様の事情を、
私たちは知ったので、
千年の事情をすべて解くことができず、
恨みのため息を抱いています。
この日もお父様に向かって
忠孝の道理を誓わざるを得なかったその事情を、
私たちがいまだに解くことができないでいることを
あなたはよく知っています。

この気持ちをすべて吐き出し、
そのような心情をみな解き、
お父様の息子・娘として
勝利を万邦に誇ることができ、
万世に賛揚することのできるその日を迎え、
お父様が喜ぶことのできるその日、
お父様が誇ることのできるその日を迎えて
忠孝の道理を果たそうというこのような息子・娘たちを
あなたがご覧になってください。

かわいそうな場にあっても、
あなたが捨てなかったことを感謝し、
寂しい者の後ろについてきた彼らも
寂しい者に違いないため、
涙のにじんだ懐でもって保護してくださるので
それ以上苦労したあなたのみ前に
本当に感謝を捧げざるを得ません。

このような心情は民族を越え、
世界のいかなるサタンの運勢を越えるとしても、
私たちだけがもっている誇りであり、
私たちだけがもっている財産であり、
私たちだけがもっている生命の源泉であることを
誇りたく思うものでございます。

周囲から聞こえてくるその話が
私たちの心の感激を一時促すに
とどまらないようお許しくださり、
生命の源泉と生命の動機を振り返って
お父様のみ前にもう一度、あすを約束し、
もう一度、忠孝の道理を果たそうと
決心することのできる新しい約束の動機になるよう
お許しくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

ここにいるあなたの子女たちが
新しい世界に向かって
新しい人生の炎を再び抱き、
帰っていくことのできる契機となるよう
お許しくださり、
この息子たちを生き証人としてくださって、
後代の前に誇ることのできる、
今日、自分の責任を果たして
後孫たちの前に残してあげることのできる
礼物を持とうと、ますます身もだえする
あなたの子女たちとなるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

今、あなたの愛する息子が滞在するその期間まで
一切を自ら主管してくださり、
統一の群れが行く道の前に
あなたの保護と加護をより一層加えてくださって
勝利の基盤を広めることによって
あなたが地上の願いを成就し、
解怨成就するにおいて、なくてはならない
群れとなるようにしてください。
私たちが必要なら、
私たちを涙のある場にお送りくださり、
迫害のある場にお送りください。

民族を身代わりし、
踏まれ、打たれ、追われる場で
お父様を身代わりし、
彼らのために恵みを祈ることのできた聖なる、
イエス様が十字架で亡くなられるときに、
怨讐のために祈祷したその思想を
成してさしあげることのできる、
世界史的な使命を果たす
天の息子・娘となるようにしてくださり、
天の精兵たちとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

この全体の事情を
とこしえにとこしえに深い心に大切にしまい、
個体が私のお父様に侍り、
私の世界と私の後代の前に残すことのできる、
一代においての使命だけでなく、
氏族に通じることのできる使命として
とこしえにとこしえに誇り、
とこしえにとこしえに敬うことのできる
天的なみ旨として残してあげるために、
あらゆる忠孝の道理を果たさせてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
このすべての事情を
真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六八・一・二八)

9-23 身も心もすべて捧げて、残された使命と責任を果たさせてください

お父様! 私たちは何も持ったものがございません。
あなたの前に現れた姿を見ますとき、
丸裸の者たちであり、
お父様に顔を上げることのできない恥ずかしい者たちでございます。

しかし、そのような事情に従って、
かわいそうな事情の中で摂理のみ旨を立ててこられた
あなたの内心と通じ得る、
一つの姿として記憶してくださいますことを
あなたの前に申し上げないわけにはまいりません。

何も持ったもののない
裸の身を持った私たちが、
お父様の全体的な責任を前にし、
行こうとしても行くことができず、
来ようとしても来ることのできない自らを発見し、
落胆と絶望の中で身もだえしなければならない時が来たことを
私たちは知っています。

お父様に対するとき、
両手を挙げて「お父様」と呼ぶべき自らであるにもかかわらず、
自分自身を推し量ってみるとき、
「お父様」と呼ぶことのできない
恥ずかしい者たちであることをよく知っているものです。

あなたが要求する使命は大きいのですが、
私たち自身はあまりに小さく、
あまりに卑劣であり、
あまりに悲惨であることを悟りますとき、
足らない私たちを呼び集められたお父様のかわいそうなことを
心深くに感じながら、
涙しないわけにはいきません。

しかし、私たちは
「この体と心をすべて捧げて生きた祭物となります。
死ぬとしてもみ旨をつかんで死に、
生きるとしてもみ旨をつかんで生きます。
すべてのものをお父様に委ねますので、
この体と心をお受け入れください」と
祈祷を捧げることのできる自分たちとなって、
残された使命と責任を果たし、
恥ずかしい姿を立て直すことのできる
あなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

アダムとエバが、お父様の前に恥ずかしい姿として立つようになったことが
千秋の恨みとなり、
後孫たちに恨みの対象として
今まで嘲弄されてきたという事実を知っています。

今日、統一教会が韓民族の前に現れ、
今まで排斥され、迫害され、悲しみを味わったのです。
私たちは親戚、あるいは兄弟、父母、子女たちに
追われてきた群れでした。
しかし、これは
お父様を見いだすためのものであったという事実を知ったものです。

今、私たちがお父様も失ってしまい、
父母も失ってしまい、親戚も失ってしまい、
国も失ってしまい、世界も失ってしまう者となるのではないかと恐れる
あなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

私たちはこの世の栄光と
この世のすべての人々の喜ぶ道も
みな捨てたものです。
ただ、お父様がお残しになった偉業一つを眺めて、
そのみ業を慕う場所に立ったものです。
しかし、これすらもお父様の前に自信を持って立つことのできない
恥ずかしい姿であることを知るものです。

足らない私たちが
再びお父様の前に召しを受け、
命令を受けるようになるとき、
恥ずかしい姿であることをもう一度感じながら、
死のうと生きようと最後のこの生命を
お父様の前に捧げようと決心する
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六八・七・一四)

9-24 真なる祭物の「私」とならせてください

この世が反対し、この世が理解できない
環境的な基準を打破するために、
私たちは多くの涙の峠を越えました。

物悲しく恨めしい心を持って
復帰の路程を行ったその時の事柄は、
過去のこととしてすべて流れ去りました。

しかし、残された私たち自体は、
お父様の愛の実体として、
そのような結実体として残されなければならないのです。
流れいく歴史とともに
この世の反対に遭って倒れ、
いなくなる群れとなってはならないことを、
私たちははっきり悟らなければなりません。

きょうの「私」は私のための「私」ではないことを
もう一度悟らなければなりません。
私は、歴史を背負うべき私であり、
世界史を開拓すべき私であり、
天情の因縁に責任を負って証すべき私であることを
思うものです。

足らない姿ですが、
お父様、
あなたに捧げるための供え物として、
謹んで捧げられるべき「私」だということを悟る
あなたの息子となり、娘とならなければなりません。

訪ねてこられるお父様の歩みの前に、
落胆の条件と悲しみの条件を加える
あなたの子女たちとならないよう許諾してください。

お父様は希望と生命の因縁をお加えになって
お父様がお喜びになり得る子女、
お父様の栄光を賛揚し、
必ず後代に無限なる福を受け継がせてあげようとして
全世界の前に忠誠を尽くす息子、
そのような娘を
その心でどれほど待ち望んでおられますでしょうか。
これを感じようとする私たちとならなければなりません。

私たちは滅びる群れとなってはなりません。
そのためには
怨讐のすることを見物し
鑑賞だけしていてはなりません。
怨讐と闘わなければなりません。
彼らを打ち、彼らと怨讐になってこそ、
滅ぼうとしても滅ぶことのできない立場に
立つようになるということを知るものです。

悪を許すのがお父様のみ旨ではなく、
悪に属している人を許し愛するのが、
悪を取り除くためのお父様のみ旨であることを
私たちは知っています。

ですので、私たちの責任がどれほど重要であるかを
もう一度感じるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

真は永遠を立証するものであり、
真は永遠とともにあるものであり、
真は永遠なるお父様のすべてのものを
相続するものであることを知ったものです。

それゆえ、お父様は今まで
真なる人になれと言われました。
真なる人となるためには、
真なる言葉を語らなければなりません。
真なる五官を通して感じる感情全体が、
お父様の前に捧げ奉り得る
真なる祭物とならなければなりません。

そうでなくてはならないということを、
原理を通して学んだ私たちですので、
過ぎた日もそうであったし、
現実もそうであり、
未来もそのように捧げ奉り得る道を、
私たちは従って行かなければなりません。

自分一人でも悲しみを知って
寂しい心情を持って
お父様を慰労しなければならないということを感じる息子・娘、
自分の悲しみがあるとしても、
お父様の悲しみがあるのを知って
自分の悲しみを隠し、恥ずかしさを感じることのできる
子女たちとなるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン

(一九七〇・六・七)

9-25 蕩減の祭物として残らず捧げられ得るようにしてください

お父様!
み旨の道を眺め、
私たちがもどかしければもどかしいほど、
苦労なさるお父様がかわいそうだということを感じながら
痛哭することのできる息子・娘の姿を、
夢にだに忘れてしまわないようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

蕩減復帰の路程は受難の道であることを知りました。
涙なくしては行くことのできない道であることを知りましたがゆえに、
涙を流さなくては
み旨に向かい合えず、
涙なくしては
お父様を呼ぶことができないということも知りました。

この国、この民族が滅ぶときは、
この国、この民族全体の悲しみ以上の
悲しみを持たれるお父様であり、
世界が滅ぶときは、
世界の国々が悲しむ以上の悲しみを持たれる
お父様であることを知りました。

それゆえ、その国を栄えさせ、
その世界を栄えさせるとしましても、
すぐにお父様の悲しみを
納めてさしあげることはできないということを知るものです。

ですので、お父様はとてもかわいそうな方であり、
十字架の中の十字架を負った方であるということを知りました。
そのようなあなたにお父様として侍った私たちが、
十字架を負わなかったことが不幸であり、
数多くの怨讐の前に立つべき場を定められなかったことが
不孝な身だということを知る息子・娘たちが、
統一家の中に多くなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

統一家の伝統は
お父様が歴史路程を通してこの地上に主張した
伝統であることを知っています。
この伝統を立てるために
たくさんの受難の道も厭わず、
生涯を捧げて一日のように
あなたのあとに従っていこうと約束した私たちですが、
まだ形と形式を備えられず、
また再びお父様の前に現れたことを受け入れてください。

私たちの姿が足らず、
私たち自体が恥ずかしいのは当然ですが、
私たちによって
民族が滅び、世界が滅びるようになるとするなら、
このとてつもない責任を
お父様が負わなければならないということを思えば思うほど、
お父様は言葉にできないほどかわいそうな方であられることを
知るものです。

そのお父様の前に
心情的に気がかりとなる私たちは
千万回死んでも当然ですが、
今からは一つの祭物となって、
あなたのみ旨の前に支え石とならなければなりません。

そうして、
あなたの心を推し量ることのできる一人の子供であると
叫ぶことのできる立場に立たなければなりません。

このような立場で
蕩減の祭物としてすべてを捧げられ得る道を訪ねていくのが、
統一の子女が行くべき道であり、
勝利の道だということを、
私たちが分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・六・二一)

9-26 より大きなもののために犠牲になれるようにしてください

愛するお父様!
今日私たちが家庭を捜し立てるのは、
家庭の中で安楽に生きる
私たち自身となるためではありません。
家庭を祭物として氏族を捜し立てるためであり、
またその氏族の中で
私たちが安楽に生きようとするのではなく、
氏族を祭物として民族を捜し立てるためであり、
その民族の中心の位置で安逸を要求するのでなく、
民族を祭物として国家を捜し立てるためでございます。

このように国家を捜し立て、
その国家を万国の前に誇るのでなく、
この国家を祭物として捧げて、世界を捜し立てなければなりません。
世界を捜し立てたのちに
お父様の息子とお父様の娘という称号を受けるという、
このようなとてつもない事実を私たちは知りました。
私たちは世界的でなければなりません。
きょう統一教会で主張するものは、
世界的であるだけでなく、
天宙的だということを学びました。
天宙主義の心情に連結され得る
核心的な一つの家庭的な起源をつくらなければなりません。

きょう私たちには、
希望の家庭と希望の世界を身代わりすることができ、
死んだ世界を覚醒させることができ、
世界の基となり得る家庭が必要です。
私たちがそのような主義と思想を持つことのできる
姿となるよう許諾してください。

そうして、
他のどのような民族よりも
世界のために、自分の民族と自分の親族を越えて
世界をより愛し得る心を持った、
それこそ歴史時代になかった
神様の息子・娘の価値を身代わりすることのできる
群れとなるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちは善人の道理を凌駕して、
お父様の前に愛を受けることのできる息子・娘とならなければなりません。
全宇宙の前に立てて称賛され得る
勝利のひと日を迎えて、
その家庭が世界より貴く、
その個人が世界より貴いということを知らなければなりません。

イエス様も「全世界をもうけても、自分の命を損したら、
なんの得になろうか」と言われました。
このように神様の愛を受けるその位置は、
世界を与えても取り換えることのできない息子の位置であり、
娘の位置であることをはっきり悟るようにしてください。

私たちがこのとてつもない道理を探していくにおきまして、
生命を捧げる覚悟をすべきときが
一度や二度ではないということを知らなければなりません。
私の生命よりも世界をもっと愛さなければならず、
私の生命よりも神様をもっと愛すべき
私たちだということを知らなければなりません。
この路程を避けては行く道がないということを
はっきり悟るようにしてください。

近づくすべての試練と困難を
不平不満で受け入れるのではなく、
感謝の心で消化しなければなりません。

お父様の立場で悲惨だった歴史時代を思いながら、
きょうの幸福を賛揚し、
歴史のために生きてあげることができ、
新しい時代を創建することのできる息子・娘となれるよう
祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・八・二一)

9-27 全体のための勝利的祭物の道を行かせてください

いつもあなたが
愛と哀れみと慈悲と許しをもって、
私たちの行く路程の上に
共にいてくださったことを思いますとき、
心から感謝をお捧げいたします。

お父様、
この場に集ったあなたの息子たちは、
統一の運命を分けるべき重大な使命が
両肘に背負わされていることを
自覚する群れです。
歴史上になかった真の路程を心から悟り、
真の実体の祭物としてあなたの前に奉献しようとする姿を、
お父様、
貴くご覧ください。

万民に自分が責任を負っていで立った立場、
民の生命に責任を負っていで立った立場、
あるいは自分が処している所の
多くの生命に責任を負っていで立った立場は、
一人お父様と相関を結ぶべき
祭物の立場であることを知っています。

本当に、お父様の前に捧げられ得る自分の価値が
どういうものであるのかを確定し、
全知全能なる方であり、完全なる方であられるあなたの前に、
完全なる一つの祭物として捧げられることを望む心を持って、
ありとあらゆる精誠を尽くし、
ありとあらゆる忠誠の心を持って生活する
生涯路程とならなければならないということを
私たちは知っています。

私たちは、福を受けるためにこの道を行くよりは、
福を与えるために歩んでいるということを悟らなければなりません。

民族を通して
私たちが幸福な立場に進むために生きるよりも、
私たちを通して
民族を幸福にしなければならない責任を背負ったことを
悟らなければなりません。

私が良くなるために行く道ではなく、
全体を良くするためにいで立った道であることを
私たちは知らなければなりません。

この道を自ら行くにおいて、
私たちが失望し寂しがる立場に立つときごとに、
寂しい民族と寂しい人類と、
寂しい天を身代わりして捧げられ得る体ですので、
私たちは当然寂しくなければならず、
当然孤独でなければならず、
当然犠牲の道を行かなければならないということを、
はっきり悟らなければなりません。

私たちがその誰よりも豊かに暮らすことが
価値のあることではなく、
誰よりも自由な環境にいることが
いいのではございません。

全体を身代わりして祭物的な立場に立って、
自らかわいそうであり、
自ら悔しさにぶつかり、
自ら苦痛にぶつかる立場が、
私自身が滅びないと同時に、
すべての民も天も滅びないようにする立場であることを
私たちは知らなければなりません。

あなたの前に渇望することがあるとするなら、
その渇望は自分一個人に限ったものでなく、
全体を代表してお父様の前に捧げられ得る
祭物圈のための祈祷でなければならないということが
分かるようにしてください。

そうして、
自分の個体を通して自分の家庭が、
自分の家庭を通して自分の教会が
全体を身代わりして祭物となる立場に立つようになるときは、
ここから民族の新しい道が開かれ得るのであり、
世界の新しい光が現れ得るのであり、
お父様の恨めしかった歴史的な路程が
開放され得る起源が造成され得るということを、
私たちがはっきり悟るよう許諾してください。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・八・三〇)

9-28 完全な祭物となり、勝利の凱歌を歌わせてください

お父様!
私たち自体の体と心を
謹んでお父様の前に捧げ、
祭物の実体となるようにしてください。
その祭物の実体は
サタンの条件として残るのでなく、
完全なる祭物、
勝利の復活体として
お父様の前にすべて捧げられなければなりません。

そうして、
お父様が喜ばれ、
私たちが喜ぶことのできる
その日を持たなければならないのが、
きょう統一教会の群れの行くべき運命の道であることが、
はっきり分かるよう許諾してください。

私たちは今まで受難の道を克服してきました。
そのような私たちの前に
倍加した受難の路程が置かれるとしても、
私たちは再び精誠をもって
お父様の前に誓っていくべき者たちです。

私たちがこの道に責任を負わなければ、
その誰も責任を負うことができないということを知っていますので、
前にどんどん置かれいく試練の舞台に向かうために、
誓った心を忘却した私たち自身を
もう一度収拾しようとするよう許諾してくださり、
決意した実体としてもう一度表して、
あなたがご覧になるときに、
誇ることのできる、
信じることのできる息子・娘となるようにしてください。

お父様の心情的な内面に一致した孝子孝女を
捜し出してくる途上において、
お父様の心を慰労してさしあげることのできる
子女とならなければなりませんし、
今からはお父様の苦労の道を引き継がせてくださいと言うことができ、
受難の道を相続することのできる
統一教団の群れとならなければならないということを知りました。

それゆえ、私たちは
もっと苦労できないのが悲しみであり、
もっと受難の道に立てないのが心痛であることを
感じるべき群れであることを思うものです。

この者たちはかわいそうな群れです。
この群れは孤独な群れであり、
寂しい群れです。
寂しい天の道を死守して
天の道に従う者たちでありますがゆえに、
寂しくないわけにはいかない共同的な運命を持ちました。ゆえに、
あなたが必ずこの者たちと共にあることを私は知っています。

あなたを背負って倒れ、
あなたに侍って倒れなければならないのが
私たちの生活であることをはっきり悟り、
勝利のひと日を眺めて、
千秋万古の栄光をあなたを身代わりして私たちが力いっぱい、
精いっぱい、
のどが裂けるほど賛揚し、
勝利の凱歌を歌うことができるようにしてください。
その日のために
そのひとときのために千年の歳月を投入し、
一生を投入することのできる
偉大なあなたの息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・九・五)

9-29 世界的統一の祭壇上で祭物とならせてください

お父様!
韓国の情勢は切迫した時点におかれております。
アジアの情勢ももちろんであり、
世界の情勢も渦の中に
方向を失い回っています。

あなたが一本のひもを下ろされ、
私たちがそのひもをつかんで方向を把握し、
上から下まで
この渦の中から
抜け出なければならないことを知っています。

しかし、気を引き締めて方向を見いだし、
自分の位置を整頓すべき立場に立っていることを
この民族は知ることができずにいます。
この方向の道案内を誰がしなければならないでしょうか。
分かっている者がすべきであるということを知っています。

この息子は人が知ることのできない道を知りましたがゆえに、
生涯を捧げて受難の道を耐えてきました。
知っていることが罪でしたし、
あなたのために生きようということが罪でした。

お父様が愛でもって
誰も来ることのできない位置までお導きくださいましたので、
ここで敗者の苦い杯を飲んで
悲しみの道を行くことはできません。

韓国にいる統一の若い群れたちを
もう一度整備してあなたの前に結束させ、
あなたを中心として南北統一することを
宣言できるよう許諾してください。
東洋と西洋に分立されたものが、
あなたを中心として一つになるよう許諾してください。

天と地が分けられたのを、
天を中心として統一させるべき
かわいそうな祭物の祭壇が残っていることを知っています。
悲惨なこの道を
祭物が連結させなければならないことを知っています。
その祭物が正に
かわいそうな統一教会の群れであることを知っています。

お父様!
個人として分けられた歴史的な個人のすべてのものを、
祭物をもって連結させなければならず、
家庭として分けられた悲惨な家庭のすべてのものを、
祭物をもって連結させなければならず、
民族の分裂相を祭物でもって連結させなければならず、
国家の分裂相を祭物でもって連結させなければならず、
世界の分裂相を祭物でもって連結させなければなりません。

お父様、
これらに責任を負わなければならない
宗教の群れを訪ねてきておられるという事実を
私たちは知っています。
そのような厳粛なる使命を受け継ぐべき群れが
正に統一の群れであることを、
私たちはもう一度自覚しなければなりません。

今、遠からぬ期間に
この驚くべき使命を果たすべき外的、内的基盤を
統一教会が立てていますので、
この厳粛なる使命の前にあらゆる忠孝の道理を誓う
群れとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてのものをみ意のままに成してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

最後の一角まで生きた祭物として捧げ得る
統一の祭壇となるようにしてくださいますことを、
もう一度お父様の前にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七五・一二・二八)

父の祈り 10 復帰編

10-1 歴史の負債を清算する群れとならせてください

お父様!
私たちは堕落した世の中で暮らしながら
万物に負債を負う生活をしており、
家庭において夫婦同士でも
互いに負債を負った者の立場にあることを
私たちは知りませんでした。
父母と対するにおいても
負債を負った者の立場にあることを知りませんでしたし、
永遠なる神様の前にも
口では言えない大きな負債を負っている私たちであることを
知りませんでした。

堕落世界の立場から見ても
当然死ぬべき、
負債を負った私たちでしたし、
万物の前にも負債を負っており、
新郎新婦の理念を立てたイエス・キリストの前にも
負債を負っている私たちでした。
永遠であられる神の愛を身代わりして
負債を返すべき私たちですのに、
負った負債を返そうとはせず、
私一人を中心として心配し嘆息して、
地に対して呪い、
万物に対して呪い、
天に対して呪った私たちです。
どの一部分も、受け入れてもらうことのできない私たちです。

このような人間を再び立てるために、
イエス様は死の道も意に介さずに闘われ、
十字架で殺されました。
それによって、
天倫に積もった負債を返すための二千年の闘いが
まだ終結されないまま、
「審判」という名詞が残るようになったのです。

お父様!
審判の峠を私たちが越えることができるよう、
今までの誤った歴史過程で負った負債を
すべて清算できるよう許諾してください。
負債をすべて返しても余りある者となってこそ、
永遠であられるお父様の前に立つことができるということを
分かるよう許諾してください。

真の父母の負債を返し、
真の夫婦の負債を返し、
真の万物の負債を返した者として
サタンたちの条件を逃れ、
お父様の愛に対する負債、
お父様の願われる
生命に対する負債を返すことのできる生活となり得るよう
早く早く私たちをお導きください。
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

天での役事が地上で成され、
天でのサタンとの闘いが
地上の私たちを通して
勝利できるよう許諾してください。

そうして、
永遠であられるお父様の愛を喜びと栄光をもって感じる
あなたの永遠なる子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

そうして、お父様の前に、
イエス様と聖霊の前に、数多くの先知先烈の前に、
地上の人類の前に、
万物の前において、
恥ずかしくないお父様の愛する子女として、
万物を堂々と主管することのできるお父様の真の息子・娘として
立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・六・一〇)

10-2 先祖たちの残した恨みを踏んで立たせてください

死にあえいでいた私たちが、
お父様が慕わしくてこの日、再び集まりました。
今、私たちの心が
お父様の心にとどまることができるよう許諾してください。
そうして、
私たちの体と心が
お父様のものとして動くことができるようにしてください。

お父様は無限の苦労を意に介されず、
時代時代と世紀世紀を経てこられるとき、
私たちの先祖たちと共にありたいと
どれほど骨を折られ、
先祖たちの行く道を開拓してあげるために
どれほどご苦労なさったでしょうか。

それにもかかわらず、
私たちの先祖たちは、
天の苦労の功績を蹂躙し、
気掛かりな心情を抱かせた
面目のない者たちだったことをお許しください。
先祖たちが誤った罪状が、
千秋の恨みとして残ったことを知りましたし、
恨めしい堕落の行動によって、
六千年の間数多くの人類を塗炭の苦しみの中に追い込んだことを
私たちは知っています。

お父様の心情に背反して悲しませた、
歴史的に先祖たちが誤った心を
私たちが再び相続するのではないかと心配です。
堕落による恨みの峠を越えなければならず、
先祖たちが残した恨みを踏んで立たなければならない
終わりの日に処している私たちですので、
今、私たちの心が
お父様の心にとりこになるよう許諾してくださり、
私たちの体が
お父様の体を身代わりすることのできる
栄光のひと時を許諾してくださいますことを、
お父様、懇切にお願い申し上げます。

お父様の心情に和して涙を流しながら訴える者は、
お父様の事情を身代わりして闘う者は誰でしょうか。
この地に住んでいる人は多くいて、
行動している人類の形態は
たくさんの姿を備えていますが、
お父様の胸に抱いている事情と心情について
議論の相手となり得る一人がいなくて、
悲しみと嘆息の歴史を重ねてこられたお父様であられることを
知っている者が少ないのです。

このような物悲しく口惜しいお父様の内的心情を
私たちは知っていますので、
きょう心を開いて
すべてのものを父のものとして接ぎ木することのできる
時間となるようにしてください。
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五九・七・五)

10-3 しこりを解く天的な指導者とならせてください

天の歴史路程は
解く歴史路程であることを知るものです。
また、
天が解く歴史路程において、
見えない数多くのサタンたちは反対に
縛り付けるための役事をしているということを
私たちは知りました。
解く歴史だと言いましたが、
反対の世界では縛り付ける、
再び新しい所に出ていけないようにするために
縛り付ける歴史の一面もあるということが
分かるようにしてください。

縛るための悲しみの歴史と解くための喜びの歴史が
交差する環境に処している私たち、
体は縛るのを待ち焦がれ、心は解くのを待ち焦がれる
嘆息圏内にいる私たち、
心を掲げ、体を打って、体が心の前に屈服する
喜びのひと時を持つべき
悲しい歴史の終点を見つめている私たちです。
このような自分たちであることを忘却しないようにしてくださり、
このような天運圏内にいる自分たちであることを
忘却しないようにしてくださいまして、
このような復帰摂理の解怨過程に入っている自分たちであることを
忘れてしまわないようにしてください。

今日、お父様を知らない人々の中には、
理念に縛られるのを願う者たちもいますし、
主義や思想、
あるいは人倫道徳に自分の良心と体が縛られるのを
願う者たちもいますが、
本性を通して推し量ってみるなら、
彼らが永遠にお父様の前に立つことのできない
物悲しい環境に処しているのを知るものです。

このような路程を前にして、進んでいく人類の中には
われ知らず染み入る焦りと不安と物悲しい心情を
体恤した者たちが多いのですが、
それを遮る者がいませんので、
お父様、
歴史と共に、
時と共に、
主義と共に喜ぶことができず、
生の原則を知らず、
生の方向を知らず、
生の路程を知らず、
生の目的を知らずにあえぐ人類に、
誰が責任を持ってくれるでしょうか。

私たちは、
私たち同士、互いに解かなければなりません。
しこりがあるとするなら、
解くことが歴史路程の原則であるがゆえに、
イエス様は怨讐に対して
積もった恨みの心情を表すことのできる立場で、
怨讐に対して解こうとなさったので、
怨讐世界を解く解怨の園を建設することのできる
資格者となったということを私たちは知っています。
天もこのことを喜ばれ、
イエス様を復活の場にお立てになったことを知っています。

民族の前で排斥され、
民族が怨讐の立場に立つとしても、
その民族を怨讐視する
私たちとならないようにしてください。
世界が私たちに反対するとしても、
怨讐視せず、
彼らの前に開放された天の心情だけを残しておくために、
怨讐の心情を越え立つことのできる
天的な心情の所有者となるようにしてくださり、
天的な生命の指導者となるようにしてくださいまして、
生命の主管者となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたします。アーメン。

(一九五九・六・一四)

10-4 六千年の忍苦の路程を終結させてください

この上なく尊い天の主人たるお父様!
あなたがおつくりになった万象は、
あなたの理念と共に永遠に共になければならないものであることを
私たちは知るものです。

お父様の理念の前に集って
お父様に侍り、歓喜にあふれて
栄光と共に、
そのおつくりになった天宙が
喜びの対象として捧げる賛揚と共に、
永遠無窮に神様の真の息子・娘となって、
その栄光の中に浸って生きる人間となれなかったのが、
この上なく大きな恨みであることを
私たちは随分前に悟りましたし、
長い間後悔してきました。

私たちはお父様を呼ぶ度ごとに
悲しまれるお父様の事情を感じずにはいられず、
お父様の聖なる姿を仰ぎ見る度ごとに
気遣わずにはいられません。
罪悪ののろしを上げ、天に背反してきた後孫であることを
告げずにはいられないのが
限りなく口惜しく嘆かわしいのです。

このように罪悪を持った私たちをつかむために、
あなたは栄光の心情を希望として残しておかれ、
長い六千年間を耐えて待ち焦がれてこられました。
一日ではない、恨み多い六千年を私たちのために、
私たちの先祖たちのために、
今日地上に住んでいる多くの人間たちのために、
そして天上世界の嘆息圏内にとどまっている
数多くの霊人たちのために苦労してこられた
お父様のその偉大な恩賜を思いますとき、
お父様の前におそれ多く不肖なる罪人であることを
もう一度告げずにはいられません。

お父様!
私たちはとても大きなお父様の愛の前に、
苦労なさるお父様のみ手の前に、
傷つき訪ねてこられたお父様の足跡の前に、
こうべを上げることのできない不肖なる者たちです。
あなたはこれほどまでに
血涙の道を歩んでこられました。
お父様はこのような道に
人間たちが同参してくれることを待ち望まれましたが、
人間たちはその道を避けてきました。
このような悲惨なる事情を共にしたいのが
お父様の心情でしたが、
子供となるべき人間たちは、
希望のそのみ旨を知ることができず、
その心情にくぎを打つことがしばしばでした。

このように不孝極まりない私たちが
お父様の前に再び出てきてひざまずき、
「お父様」と呼んでいるのです。
お父様のその声には
無限の悲しみがにじんでおり、
お父様の心情には
痛嘆で胸の詰まる口惜しい事情が積もっていることを、
私たちは知るものです。
かわいそうなお父様であることを私たちは知るものです。
しかし、お父様のみ旨が残っており、
お父様がそのみ旨を捨てない限り、
私たちもこの道を行きながら
お父様を再びつかまなければなりません。

死亡の波はきょうも休む間もなく
私たちの生活環境を濁らせていますし、
私たちの周囲を占領して
天の栄光を遮っています。
このような時に私たちは
自分がどのような立場にいて、
その立場がどのような位置なのかを
再び肝に銘じなければならないことを知っています。

きょう私たちは
このようにとても大きな摂理のみ旨の前に
召命を受けたのです。
何の功績もなく召命を受けたのです。
何の苦労の業績もなく
この場に来たのです。
お父様の前に捧げる何ものも持つことができず、
この場に来たのです。
しかし、私たちの足らなさを涙でもって、
私たちの悪なるを悔い改めをもって告げ、
お父様を再びつかもうとする
懇切なる心情を持って来たのです。

放蕩息子の事情を哀れにお思いになった、
お父様の歴史的な苦労の因縁を知る私たち、
その因縁を願い
哀れみの心情を侍ち焦がれながら訪ねてきましたので、
もう一度お父様の深い心情で
私たちを縛り付けてください。
そうして、
この世に出て闘うことのできる私たちとして立ててくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちはお父様から
新しい世界史的な役割と使命を引き継ぎ、
私でなければならないという立場で、
責任と使命を背負わなければならないことに
もう一度目覚めなければなりません。
苦労の過ぎし日のすべての歴史を、
この世の罪とともに蕩減してしまい、
新しい希望の園を望みながら、
心と体を再び引き締めて
審判の旗を掲げ、怨讐世界に向かい
整えられた天の精兵として、
行列を成して総進軍しなければならない時が
私たちの前に近づいています。
このような責任と使命が
私たちの双肩にかけられていることを肝に銘じ、
一日、一時間を惜しんで
闘うのに、私たちのすべてを尽くすことのできる
真なる天の精兵たちとなるようにしてくださり、
天の勇士たちとなるようにしてくださいまして、
天の孝子になろうと誓う
真の息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六三・八・一一)

10-5 天宙的な「父母の日」を復帰させてください

お父様が待ち焦がれられた栄光の基台は、
悲しみもなく、
嘆息もなく、
恨みもなく、
お父様の愛を中心とした
真の父母の因縁が染みわたっている所であったことを
私たちは知りました。

歴史的な願いであり、
創造理念の中心である真の父母を、
私たち人類の始祖であるアダムとエバが
誤ることによって失ってしまったその日から、
私たちは孤児となり、
怨讐の懐に抱かれて呻吟する身の上となりました。

お父様は歴史路程を経てこられながら、
個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な
父母の因縁を立てるために苦労し、
六千年史を橋渡しに
天宙史的な終末期を準備して、
再度、平面的に
個人的な勝利の実体父母の価値、
家庭的な勝利の実体父母の価値、
氏族、民族、国家、世界的な勝利の実体父母の価値まで
捜し立てるため、
復帰の恨みのこもった路程を越えてきていることを知りました。

私たちが知らないうちに来られる真の父母が、
開拓者の立場で
恨み多い生涯を送ったことを知りました。
個人、家庭、氏族、民族のために闘争することのできる
現実の舞台を準備してくださったことを考えるとき、
感謝を申し上げます。

お父様!
残った歴史に責任を負ってくださったことに感謝を申し上げます。
お父様、
今まで私たちの前途を行かれながら
開拓者の苦労をなさり、
真の父母をこの地の私たちの前に立ててくださったことを
おそれ多く思うのです。

お父様が苦痛を渡してくださったのは、
私たちを人間の世の中を代表した基準に
連結させてくださるためであり、
真の父母の苦痛を私たちの前に渡してくださったのは、
私たちを覆っているサタンを
屈服させるためであったという事実を
私たちが知りましたので、
その責任を果たそうという、宣誓をする
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

いつ、私たちがひざまずいて個人的な父母に侍り、
家庭的な父母に侍り、
氏族的な父母に侍り、
民族的な父母に侍ったでしょうか。
また、
父母に侍ることのできる真なる自らとなったでしょうか。
そのような自らとなれなかった過去を後悔しながら、
きょうにでもその恨みを復帰する道、
涙の道、
怨讐世界に向かっていく道に
私たちが責任を持つようにしてくださり、
民族的な十字架の道を開拓し、
国家的な十字架の道を開拓して、
父母が来られる道を備えようと決意することのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、残された道は喜んで行きますので、
お父様、
心配しないでください。
十字架に私たちが責任を持ち、
世界をサタンから奪うために忠誠を尽くし、
お父様が喜んで
私たちのあとをついてくることのできる道を
準備できるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

すべての霊界と地上で真を願う善なる民たちが、
み旨のために生きる天の民となって
協助することを宣布しますので、
天と地が公認するようにしてください。
勝利の栄光と賛美と幸福と愛を中心とした
平和の世界が
私たちを通して、
真の父母の名とともに成されることを望んでいますので、
お父様、
その日が早く早く来て、
全天宙的な勝利の日を復帰し、
天宙的なお父様の日を復帰するよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六四・四・一二 第五回「父母の日」)

10-6 復帰させてくださった「万物の日」に感謝を申し上げます

お父様!
天地万物をおつくりになったあなたの心情を、
きょうこの時間おそれ多くも推し量ってみるものでございます。
万物の中心であり、
幸福と喜悦の中心である心情を土台とした家庭の因縁が、
全宇宙の前に結ばれなければならないのが
創造本意の希望であり、目的だということを思うとき、
今日この地は
あなたの願いとあなたの事情と、
またあなたの心情を中心として一体となれないまま
堕落の歴史を重ねてきました。

このようなことを思いながら、
歴史的なすべての足らなさをもう一度悔い改めることのできる
私たちとなるよう導いてください。
死亡の世界からまだ抜け出られないまま、
あすの希望のために
闘いの道に走っていくべき数多くの人間たちを、
お父様、
哀れにお思いください。

また、現世をはねのけ、
お父様が成そうとされた創造理想の地である、本郷の地に向かって
走っている今日の
数多くの聖徒たちを
哀れにお思いくださいますようお願い申し上げます。

過去・現在・未来に責任を負って役事してこられ、
逆境の中の逆境を経てこられたお父様の心には
恨みが多いということを、
お父様、
私たちは知っています。

お父様の心情と理想の前に、数多くの人々が
その永遠なる理念と心情を
賛揚し、歌わなければならなかったにもかかわらず、
あなたの心にくぎを打ってしまった
悲しい過去をたどってみるとき、
あなたの心情がどれほど悲しかったかを感じながら、
あなたの前にこうべを垂れてひざまずき、
贖罪の祭壇を積むべき私たちであることを
もう一度心深く銘記するようにしてください。

お父様!
長い長い歴史路程の中に数多くの日々が流れてきましたが、
そのどのひと日に、あなたが喜ぶことができたでしょうか。
このような歴史の流れの中で、
この地上に真なる「父母の日」を捜し立てられ、
また真なる「万物の日」を捜し立てられました。
お父様、
きょうがちょうどあなたが苦労して捜し立てられた「万物の日」でございます。

お父様!
あなたが苦労してこられた摂理をもう一度回想しながら、
きょうこの日を迎えてみると、
感慨無量の心を禁ずることができないものです。
流れていった路程の中、
悲嘆と悲しみの悲惨なる逆境を歩んできましたが、
あなたの大きな摂理のみ旨の前に
ただ必勝のひと日を約束しながら
準備してきた日々であったということを
改めて感じるものです。

お父様!
過ぎし日の逆境が大きければ大きいほど、
それが今日のとても大きな感謝の条件として
現れるということを思うとき、
千回万回、感謝しなければならない私たちであることを
悟るようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

喜びと栄光のひと日であるきょう、
十分なる恩恵で満たしてくださいますことをお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六六・六・一九 第四回「万物の日」)

10-7 世界的悲しみの障壁を越え立つ子女とならせてください

お父様!
カインとアベルの闘いが始まったその日から、
死亡の土台が居座ったその時から今日まで、
その死亡の世界は消えずにあるのです。
そして、人間たちが
このような環境の束縛を抜け出せない中で、
お父様の闘争の歴史が編まれてきたということを
現在、私たちは感じているのです。

今、嘆息の条件が残っているとするなら、
その条件を解かなければならず、
私たちのすべき苦労が残っているとするなら、
それは誤ったこの土台を整備し
清算すべき苦労であることを
もう一度感じなければなりません。

悲しみの歴史は
善を基本として峠道を続けながら、
今まで起きてはまた悲しみにぶつかって
倒れ、倒れてはまた起き、
またぶつかる歴史として連なってきましたし、
この悲しみの障壁が現世の目前に現れ、
世界的な障壁として残っているということを思うのです。

お父様、
この障壁を退けるためには、
個人だけでは駄目でございます。
志のある数名の同志だけでは駄目です。
そうするために、お父様は
個人を呼び集めて家庭を築かせ、
家庭を呼び集めて氏族を成させ、
氏族を呼び集めて民族を編成させ、
民族を呼び集めて国家を編成させたのです。
国家を成しても、
さらに
一つの統一された世界に向かって
行軍していくことを望むのが、
お父様の願いでした。

しかし、お父様の志された目的どおりに
罪悪を清算し、
あなたのことに責任を負うことのできる
個人と家庭と氏族と民族がなくてはならないということを
私たちは考えなければなりません。

人によって
外的な悲しみの歴史となったにもかかわらず、
この地上に
そのすべてのことに責任を持ち、世界のために身もだえする
お父様の息子・娘がどれほどいるでしょうか。

各自の心情を通してもう一度問い返し、
お父様の前にいま一度新しい姿勢を備える
この時間となるようにしてください。
「哀れみの条件と哀れみの態度を持った」と
お父様が記憶することのできる自分となったかを、
もう一度悟ることのできる
この時間となるようにしてください。

お父様!
あなたは苦しくても私たちの要求にお答えになって、
あるひと時に福を与えることのできる時を
待っておられるお父様であることを、
私たちは知らなければなりません。

このような日々を連結されて、
六千年の間悲しい歴史に対されるお父様の心に
どれほど傷がひどく、
お父様のその心情に
どれほど苦痛がひどかったかを思うものでございます。

このようにゆがんで積もっている心情的な恨みを
解いてあげる者が、どこにいるでしょうか。
真なる孝子でなければならないのであり、
真なる孝女でなければならないのです。
しかし、
家庭を中心とした孝子をもってしても駄目であり、
氏族を中心とした孝子をもってしても駄目であり、
民族を身代わりした孝子をもってしても駄目だということを知っています。

世界を身代わりし、天と地を身代わりして
サタンの前に表し、誇ることのできる
真なる孝子とならなくては、
お父様の心の中に深く刻まれている隠されたその心情を
現すことができないという事実を、
私たちが分かるよう役事してください。

このようにとてつもない内的な苦衷を背負った立場におられる
お父様を思うことができなかった、過去のことを
お許しくださいますことを懇切に願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六七・六・八)

10-8 歴史的な交差点で善の結実を刈り取らせてください

お父様から召されて行く道は
平坦な道ではないことを知りました。
今日、私たちの目の前には
死亡の世界と生命の世界が
交差しているという事実を知るようにしてください。

この歴史的な交差が
私たちの行く方向を混乱させているこの時において、
世界的に宗教者たちが、みな落ちていくこの時において、
天がこのようなものを処理されるときは、
善なる基準を立てておいてお打ちになるということを知っている私たちは、
天の時が
ある基準に到達したということを知っています。

今、私たちが表情と姿勢を引き締めて
青天白日のもとにお父様を呼びながら、
「私たちの時が来た」と
大手を振り、踊りを踊りながらお父様の前に走っていくことのできる
自由の天地が私たちの前に近づくことを思い、
悲しかった過去が喜びに変わることができ、
悔しく悲痛な事実が
燦爛たる天の権威を誇ることのできる時として
変わって訪ねくることを思いますなら、
このすべてのことが、
私たちをこのような立場に追い込まれたそのすべてのことが、
私たちにあなたの心情を相続させようとなさる
お父様の愛であることを知ったのです。

生命と死亡が交差されるこの瞬間に、
生命の権限を持ち、死亡の主権を屈服させることのできる
あなたの息子・娘たちとなるようにしてください。

お父様が蒔かれた善の結実を刈り取るための、
収穫するためのその場を、
私たちが突破しようとしています。
韓国でもそうであり、
日本でもそうであり、
世界の数多くの国家でもそうであることを知っています。

そのような統一の役軍たちの額には汗が流れなければならず、
目には涙が流れなければならず、
その手と体から血を流し、
お父様の前に捧げるべき使命が
残っていることを知っていますので、
私たちがこの道をすべて行き、
お父様が安息することのできるその日を迎える時まで、
死んでまた死ぬことを待ち望む
息子・娘たちとなるようにしてください。
闘いで疲れる者たちとならないで、
闘いに闘おうと決意する
あなたの息子・娘たちとなるようにしてください。
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

恨み多い歴史の悲しみを忘れ、
生命の深い心情を抱き、
自由な天地で
あなたを「お父様!」と、のどが張り裂けるほど呼んでみることのできる
喜びの日をこの地で迎え、
万民の前に誇ることができ、
お父様を高めてさしあげることができ、
勝利の凱歌を歌うことのできる
あなたの息子・娘となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六八・六・九)

10-9 宇宙史的な「子女の日」を迎えるようになったことに感謝いたします

お父様!
きょうは一九六八年十一月二十日、
陰暦で十月一日、
九年前この地上に
新たに「子女の日」を宣布した日です。

その後、数多くの日を送り、たくさんの年を過ごしてきました。
み旨に従っていく路程で、
お父様の捜される
真なる子女の姿を慕いながら
このような場所に参席する度ごとに、
お父様が願われる基準から見ますとき、
私たちの姿は
あまりに差があるということを思えば思うほど、
お父様にお目にかかる面目がありません。
お父様、
私たちを哀れにお思いください。

お父様!
きょうこの日を記念するために
南韓各地に散らばっている多くの子女たちが
この本部に向かって、
精誠を集めてお父様の前に懇切なる心情で
敬拝を捧げていることを知っています。

ただ国内だけでなく、
海外に散らばっている数多くのあなたの子女たちが、
寂しい開拓路程で疲れた体を引きずり、
このひと日に参席する価値を心深く思いながら、
自分たちも韓国の地でこの日を迎えることができることを
懇切なる心情で待ち焦がれ、
この日のために涙を流しながら祈祷していることを知っています。

たとえその立場と環境が各々違うとしましても、
親しく共にあってくださいまして、
彼らの心を察してくださり、
解怨成就してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

悟りの道を行き、精誠を尽くす宗教者たちが
この地上に多くいますので、
彼らが願う位置を探し出し、
子女の栄光を備えるようにしてくださいまして、
解放のひと日を標榜して進む彼らの望みが
必ずこの地上で結実されなければなりませんので、
そこを欽慕し、思う彼らの心を収拾してくださって、
彼らが実際にこの地上でお父様と巡り会い、
私たちと共にこのような日を祝う場に
同参できるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

この地だけでなく、
霊界に行っている数多くの先知先烈たちと私たちの先祖たちが、
この地のために今まで
復帰の蕩減路程を歩んできたことを知っています。
お父様は
一個体が責任を果たせなければ、次の後孫をお立てになって
蕩減復帰の路程を開拓してこられたことを、また知るものです。

霊界に行った数多くの私たちの先祖たちが、
み旨に従い苦労し、公義の土台を立てましたが、
この地上で解怨成就のひと日を持つことができませんでした。
今日、私たちが
この地上で「子女の日」を迎えることにより、
解怨成就することができるという事実を思うとき、
きょう私たちが「子女の日」を迎えたことが、
宇宙史的な意義を持つことを、
はっきり悟るようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

このような式典に参席する度ごとに、形式的で、
この世の在来のような集い、式典として
考えないよう許諾してください。
歴史が生じて以来、初めて
このような記念日が現れたことに
心から感謝し、心から記念申し上げます。

お父様の愛の心情をたどって、
今までとてつもない苦労をされながら
復帰摂理の道を開拓してこられたという事実に対し、
感謝しようとするあなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。

(一九六八・一一・二〇 第九回「子女の日」)

10-10 カインまでも愛することのできる新しい時代を迎えさせてください

お父様!
今、この民族を通して私たちが果たすべき責任が
どのような段階を越え、
世界の情勢と天地が
どのような時点を越えていく瞬間に置かれているかを、
私たちがはっきり分かるようにしてください。

私たちには心があり、
意志があり、骨があり、肉があるのに、
正しい感情を持ち、
天倫の道理を考えることができませんでした。
お父様、私たちが天の忠の道理を、
天の孝の道理を、
天の烈の道理を立てることにより、
お父様が私たちを立てて誇ることのできるその基準を
つくることができるよう許諾してください。
そのためには、私たちが
父母の心情を連結させることのできる基準を越えて、
世界を通して
実を結ぶことのできる心を持つようにしてください。

今までは、アベルだけを愛することのできる
父母時代であったことを知っています。
しかし、私たちは
カインも愛さなければならない心情を持ちましたので、
ここに他の時代になかった、
この世界を救うことのできる
新しい父母の心情が芽生えるという事実を知るものです。
そうして、お父様が新しい歴史的実体の基盤を
ここに立ててくださるという事実をはっきり知り、
不変の姿を持つようにしてください。

自分自身を愛すると同時に世界をより愛し、
アベルを愛すると同時にカインをより愛することのできる
立場に立たなくてはならないという事実を、
はっきり知るようにしてください。
カインなしにはアベルがあり得ず、
カインを屈服することのできる立場に立たなくては
祝福の因縁を
この地上に立てることができないという事実をはっきり知って、
自分自らが行くべき道を行くようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

これからは、
自分一人だけの知識や功績によって
お父様に賞をもらい、推戴されるのではなく、
家庭を中心として
どれくらい天の前に心情的な生活をし、
その家庭でどれくらいお父様の息子・娘として
教育の基盤を備えたかということによって、
お父様から賞をもらい、
推戴されるようになるという事実を分かるようにしてください。

それが、今までこの地上の歴史になかった
新しい横的な家庭の因縁が連結され、
お父様の望みの天国がこの地上に建設されていく
基盤であることを分かるようにしてください。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六九・五・二五)

10-11 世界的奉献の日を成す私たちとならせてください

お父様!
私たち人類の先祖が
お父様の愛の因縁とともに
父母の愛を成し、
一体とならなければならなかったということを知りました。

お父様と人類の先祖と一致した愛を中心として、
そこに万物が四位基台の因縁の中で
一致しなければならなかったということを知りました。
ところが、人類の先祖が堕落することにより、
万物が嘆息圏内に入り、
神様も嘆息しておられるという事実を知っています。

復帰摂理歴史の路程を回顧してみるとき、
人類を復帰するためには必ず
万物を前に立てました。
その万物と共に一つとなり、
そこで神様を中心として
一つとなることができるよう連結してきました。

しかし、個人個人を中心として
そのような因縁を連結させてきましたが、
今日におきましては個人だけでは駄目です。
人類の始祖が夫婦を成す前に堕落したために、
夫婦を中心として神様と連結させることのできる
一つの基準を完結させなければならないということを知るのでございます。

その夫婦を中心としたすべての物は
必ず神様の名を通過しなければならず、
真の父母の名を通過すべき
新しい課題が残っていることを、
私たちがはっきり分かるよう許諾してください。

それを経なくては、
今日
私たちが創造され得なかったという事実を知らなければなりません。
また、善なる物を通して、
神様に属した物を通して
私たちがつくられたのと同様に、
万物が神様と共に一致することができ、
真の父母と共に一致することのできる立場でだけ、
万物の解怨成就が成されるということを知っています。
今日、平面的なこの世では、
世界的な基準の源泉が
家庭を中心として成されるという事実を
はっきり知るよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

そうなり得る物のために
私たちは今まで精誠を尽くすことができず、
物を食べ、使い、残し、管理する一人の人として、
その物をお父様の前に完全に捧げ奉るべきひと日のために
精誠を尽くす生活ができなかったことを、
きょう、もう一度感じるようにしてください。

これらを一つの家庭の因縁から
国家の因縁を経て世界の因縁まで連結させ、
順次お父様の前に奉献することのできる奉献の日が
この地上に必ず現れなければならないということを
知っています。

その時には家庭を通し、
氏族を通し、
民族、国家、世界を通して、挙国的に
人類全体が自分のすべての所有権限と自分の家庭のすべてを
お父様の前に捧げ奉る
祝いの日が成されなければならないということを知るものです。
言い換えれば、天の家庭として入籍される日が
成立しなければならないということを知るものでございます。

お父様!
その日を迎えるために、
自分が持っている一切をお父様の前に根こそぎ捧げ、
自分の体と家庭のすべてをお父様の前に捧げるよう
許諾してください。
そうして天の父母、
すなわち真の父母と因縁を結び、
その愛の懐を通して再び私のものとして分配され、
永遠なる財産の相続者として残されなければならないということが
分かるようにしてくださり、
このようなとてつもない使命が私たちにあるということが
分かるようにしてください。

このようなことが個人的にも起こらなければならず、
家庭、氏族、民族、国家、世界的にも
起こらなければならないということを
知っております。
このことが全世界的に成されるために、
私たちが聖別式を挙行して、
すべてのものを天のものとして連結させていかなければならないということを、
はっきり知る子女たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六九・六・一五 第七回「万物の日」)

10-12 歴史と時代と未来を代表した私たちであることを悟らせてください

お父様!
人間は無限の価値と因縁を持っているという事実を、
私たちはもう一度感じなければなりません。

お父様がご覧になるには、足らない私たちが出てきて
お父様を呼んでいます。
私たち個人がきょうの時代的な存在となるためには、
背後に数多くの先祖たちと
お父様の涙の因縁があったということを
私たちは忘却してはなりません。

今日、世界人類の中から
因縁を中心として
私たちが召されたということを思うときに、
見た目には何でもないような存在であり、
みすぼらしい存在ですが、
歴史を代表し、時代を代表する
とてつもない自分自身だということを
発見することができるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

天があるのも人を愛するためであり、
地があるのも人を愛するためであり、
またお父様が人間をお造りになったのも、
愛するためであることを私たちは知りました。
ですから、お父様が最高に目標とすることは、
全人類を胸に抱き愛したい気持ちが
制裁を受けず、
自由の天地、
自由の環境で
誰にでも行き届くことのできる愛の圏ではないでしょうか。

このようなお父様の摂理的な内容を
私たちが相続し、
直接的な立場で
全人類に向かって叫び、
号泣することのできる者たちとならなければなりません。
そうして、
天の役事が
ここから全世界に広げられ得る動機を
私たちが備えるという事実を、
はっきり知るよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今日、私たちの教会は
新しい歴史的な因縁を中心として、
新しい関係を成して
世界的な発展を遂げています。
このすべてが過去を誇るのでなく、
現実的な社会組織と形態を誇るのでもありません。
歴史的な人を愛し、
時代的な人を愛し、
未来的な人を愛するための立場で、
私たちがこの道を踏み出したということが
分かるよう許諾してください。

真なる愛を受けてみることのできなかった歴史上の先知先烈たち、
あるいは数多くの先祖たちの恨みを
私たち一代で解かなければならず、
きょうこの時代の人を愛せなかったことを、
身代わりして愛し得る立場で
万民が追求する一つの中心とならなければなりません。

そして、
未来に新しい出発の因縁を
ここから連結してあげることのできる一つの決定的な条件として、
人を愛する根本的な内容を持ち
出発できるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六五・一〇・五)

10-13 「子女の日」を期して万人類と多くの霊魂たちを祝福してください

愛するお父様!
きょうは九年目を迎える「子女の日」です。
全国に散らばり、ここに向かって心を込め祈祷する
子女たちの上に、あなたの愛が臨むようにしてください。

お父様!
この日を期して、万民の上に
あなたの聖なる愛のみ手をお広げになり、
祝福してください。
地上にいる万人類だけでなく、
今までの歴史過程で
お父様のみ旨に従った数多くの人々、
またみ旨のために死んでいった数多くの霊魂たちを
祝福してください。

この地上に復活して、蕩減路程を歩んでいくべき
必然的な運命の道が残っていることを知っていますので、
きょう統一教会の活動を中心として、
私たちの動きを中心として
背後で彼らが因縁を結ぶようにしてください。
そうして、
霊界にいる数多くの霊人たちが私たちと一致し、
肉的な基準を中心として
彼らの後孫たちまでも一致させて、
あなたの願われる
統一の国を成すことができるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
あなたのみ旨のために
復帰途上において
責任を負い、来ては逝った数多くの先祖たちの上に、
親しくあなたが解放の役事を起こしてくださり、
地で成されるように
天でも成されるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

そうして、
真の父母の因縁を中心として真なる子女となり、
真なる子女の因縁を中心として
真なる家庭を成し、
真なる家庭によって、
真なる氏族と
真なる民族と
真なる国家と
真なる世界と
真なる天宙へと、
あなたを中心として
前進していくことができるよう許諾してください。
真の父母のみ名によって懇切にお祈りいたしました。アーメン。

(一九六九・一一・一〇 第十回「子女の日」)

10-14 苦難の歴史を解怨成就する統一教会とならせてください

エデンの園でアダムが堕落した時、無念であられた
お父様の心情を私たちは知りました。
そして、
それを復帰するために歩まれた
お父様の四千年の苦労の峠道も
私たちは知りました。

また、
この地上のイスラエル民族の前に犠牲のかがり火、
希望のかがり火としてイエス・キリストを送られた
お父様の深い心を知りました。
復帰のひと日を侍ち焦がれ、
希望の中でイエス様を送られましたが、
民族が反対し環境が歓迎できなかったために、
彼が十字架で死んでいった姿を
眺めなければならなかったお父様の無念の心情も
私たちは知りました。

その日から続いてきた血の歴史は、
今までこの地球星の歴史を染めてきて、
人類の心にその痕跡を残していきました。
そうして、
歴史過程に来ては逝った数多くの先知先烈と殉教の烈士たちは
霊界で
勝利のひと日と解怨成就のひと日を侍ち焦がれておりますが、
彼らが侍ち焦がれている希望の時が正に今この時代、
この瞬間だということを悟り、
この荘厳でとてつもない歴史的な時代に生まれたことを
心から感謝しなければなりません。
そうして、厳粛な使命感に燃えて、
お父様に忠孝の道理を尽くそうと誓う
あなたの息子・娘たちとならなければなりません。

今、統一教団には
地球星で消えようのない
基盤が立てられています。
このために、今まで苦労した子女たちがたくさんいます。
誰とも事情を分かつことのできない
歴史的な悔しい心情を抱き、
三千万民族とこの国この地を中心として、
世界の行くべき道のために
今まで多くのことを克服してきました。
そのような中、私たちを守ってくださったお父様は、
どれほどどれほどご苦労なさいましたでしょうか。
心から感謝を申し上げます。

私たち、
か弱い手をみな集め、
か弱い体をあなたの前にかがめましたので、
新たにお命じください。

私たちが天の使命を背負い
全国各地で血の汗を流した過ぎし日々を記憶しながら、
今後もこの民族を身代わりして
わが教団全体がまた動かなければならないということを知りましたので、
今こそ私たちの
働くべき時が来たことが分かるようにしてください。
今こそ私たちの
闘うべき時が来たことが分かるようにしてください。

そうして、
すべてのものをお父様に捧げ、
ためらうことなくこの国とこの民族の解放のために
駆け出していくことができるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・一・一)

10-15 六千年の復帰歴史を私たちに結実させてください

お父様!
お父様の願われたそのみ旨が
今日の私たちによって実を結ばなければならず、
イエス様の願ったそのみ旨が
きょうの私たちによって実を結ばなければならない
この歴史的な使命を、
私たちが悟るようにしてください。

これが数多くの血の代価を支払って
私たちに相続されたことを思うとき、
ここから
新しい光明の天国を開門し、入城すべき責任が
私たちにあるという事実を分かるようにしてください。

これを願いながらお父様は今まで耐えてこられ、
イエス様と聖霊も耐えてこられ、
また死の道を行き、
数多くの先知先烈たちも
暴悪なる怨讐たちの手に殉教の血を流しながら、
この日を待ち焦がれ耐えてきたという事実を
私たちが分かるようにしてください。

このように歴史的な焦点上に処している
私たち個体の使命がどれほど重大であるかを
悟るようにしてください。
ベツレヘムの一つの郡で寂しく生まれたイエス様も、
お父様から因縁づけられていたことを知っています。

そのみ旨を
今日、韓国の地を中心として
世界に横的に発展させるべき責任が
私たちにあることを思うとき、
この位置がどれほど緊張し、深刻な位置であるかを
私たちが悟るようにしてください。

エデンの園でアダムの失敗によって失ってしまった
そのすべてのものをイエス様をして蕩減復帰させ、
あなたのみ旨を結実させようとした
六千年のお父様の聖なる復帰摂理歴史を
私たちが回想しながら、
きょう私たち自身の心と体を新しく備え、
完全にお父様のみ旨の前に一致することのできる子女たちとして
残されるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・一・三)

10-16 カインを自然屈服させるアベルとならせてください

お父様は今まで、
言葉に言い表せない事情を抱いてこられながら、
その事情をどれほど吐露されたかったでしょうか。
万国家と共に勝利を賛揚することができ、
賛揚とともに栄光を高めることのできる
その日が来ることを願いながら耐えてこられたお父様の前に、
きょうも私たちが謙遜なる姿勢で
アベルの姿を訪ねて進み出ましたので、記憶してください。

アベルはその心全体で、
ただお父様に侍ることだけが目的であり、
お兄さんであるカインを復帰することだけが
目的だということを知りました。
ここで必要なものは
自分に対する自覚ではなく、
お父様に対する新しい自覚であり、
世界に対する新しい自覚だということを知りました。

お父様は絶対的な方であり、
世界の中心であるのを知るものです。
しかし、アベルがカインを屈服させなくては、
お父様が
世界の中心の立場に立てないことを知りましたし、
それを自覚した立場で
お父様を世界の中心として侍ることのできる動機を、
アベルがつくらなければならないという事実を
私たちは知りました。
これが復帰の起点でした。

お父様!
統一教団がこの民族の前において
アベル的な立場に立っているでしょうか。
今、私たちはわが教団を中心とした意識よりも、
お父様のために生きようという意識が強くなければなりません。
教団のために生きる意識よりも
国のために生きようという意識が強くなければなりません。
そうして、
私たちがお父様とその国に心から侍ることができるとき、
カインも屈服させることができるのであり、
お父様にも侍ることができるという事実、
これが復帰の起点だということを
私たちは知らなければなりません。

カインが主管するこの世界を眺めるときに、
お父様、
世界は行くべき道を失ってしまいました。
民主世界の先端に立ってこの世界を指導しているアメリカも
行くべき道を失ってしまいました。
先進国もそのような立場におかれています。

それゆえ、世界は
青少年から壮年、老年に至るまで、
中心をつかめず
四分五裂の障壁にぶつかっています。
ここで私たちが
アベル的な新しい信念の主体となって、
カインを自然屈服させることができなければなりません。
このような環境が世界にやって来ていることを知るときに、
お父様は
新しい世界観を持ったアベルの姿を見れば
とても喜ばれるということが分かるよう許諾してください。

私たちがこのアベルと一つとなるよう許諾してください。
私たち個人がお父様と一つとなり、
私たちの家庭がお父様と一つとなるとき、
カイン世界は屈服するということを知りましたので、
統一教団は「祝福」という名詞を掲げて
個人をお父様の前に結束させ、
家庭をお父様の前に結束させ、
天の側にならせるために
今まで闘ってきました。

この家庭がお父様と一つとなるとき、
サタン世界は自動的に屈服できますし、
この家庭を中心として
一つのイスラエルを創建するために旗を掲げていで立つとき、
世界は自動的に屈服することができるのです。

お父様!
カインを自然屈服させ得る環境が
私たちの目前に至りましたので、
ここで私たちが失望してはなりません。
私たちは自分自身の自覚はもちろん、
カイン世界までも自覚させることのできる自らとならなくては、
世界を一つにすることができないという事実を、
はっきり知る私たちとならなければなりません。
これがアベルの立場であるのを知らなければなりません。

このような事実を知る私たちに、
アベルが備えるべきプライドとアベルが捜し立てるべき権威、
お父様と共に同居することのできる立場が
どのような立場であるかが分かるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・三・一五)

10-17 公的な蕩減路程を歩ませてください

お父様!
今、私たちが行くべき道は漠然とした道ではありません。
より公的な道を探していく生活をする人々が、
歴史を支配することのできる
勝利者となるということを知るものです。
この地上で主権を支配できなかったとしましても、
永遠なる歴史をおいて支配することのできる特権が
与えられるということを知るものです。

このような厳粛なる時間、時間が、
私たちの生活舞台で決定されるという事実を思うなら、
きょう私たちが立っている立場が
恐ろしくおののく立場であり、
私たちの一生もまた
恐ろしくおののく行路であるのを感じるものです。

お父様!
今日、私たちは公的な蕩減路程を行かなければなりません。
個体を投げ捨て、
公的な蕩減路程を行かなければなりません。
あなたは私たちをして
最大の勝利をすることのできる道だけを残させるために、
公的な道を行けとお教えになりました。
この公的な道を行くためには
環境を超越しなければならないがゆえに、
相互いに奉仕し、
ために生きながら行かなければならないことを知るものです。

目的に向かっていく必然的な過程で
迫害と受難の道に遭うとしても、
私たちがより公的な立場に立つようになるときは、
お父様が必ずより強い力を下さって、
それを克服することができるようにしてくださることを知るものです。
私たちには、そのような永遠なる背景があり、
永遠なる一線があるということを
私たちが忘却しないよう許諾してください。

私たちが死ぬとしても、
千倍万倍、栄光の価値で葬ってくださり、
抱いてくださるお父様であることを知りました。
このように私たちの未来には
勝利できる道だけがあることを知るとき、
感謝を捧げざるを得ません。

今、統一家全体が糾合して、
残されたこの民族の運命と世界の運命を身代わりして、
最後に公的な使命を果たすことのできる
聖なる群れとなるよう許諾してください。
このように進む私たちが
日がたつほど力が衰えていくのではなく、
あすの希望の前に
加重された力を持つ群れとなるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・五・二四)

10-18「万物の日」を迎え、恥ずかしい過去を反省させてください

お父様!
この「万物の日」が設定されるときまでの
一九六〇年代を中心として、
誰も知らない闘いの分岐点で、
左に行くのか右に行くのか、
蕩減の因縁を決定しなければならなかったその時を
もう一度回想するものです。

その時祝福した場、
その時因縁を結んだその場はもどかしい場であり、
谷間の中の谷間でした。
その場は
愛する父母が反対し、
兄弟が反対し、
愛の因縁を持った親戚たちが反対した場でした。

このようにすべてのものを失ってしまった谷間に立ち、
お父様に侍り、
身代わりして探し出した価値を持ち、
お父様を中心とした希望の中で
統一教会の家庭の歴史が始められました。

その因縁に従って「父母の日」、
「子女の日」、
「万物の日」が定められました。
このような日を基盤として立てられた日が
「神の日」でございます。
この「神の日」がすなわち「万物の日」となり、
「子女の日」となり、
また「父母の日」とならなければならなかったにもかかわらず、
一日に成されるべき栄光の日が
間隔をおいてつぎはぎに繕われ、
備えられたという事実を思うものです。

このような日を迎える度ごとに、
その背後にある人類の始祖が失敗したことを、
心から悔い改めないわけにはいきません。
お父様、
お許しください。
あらん限りの絹をただそのまま裁断してつくった服のように、
この上なく価値がなければならないにもかかわらず、
つぎはぎの見劣りした服のようになったということが
恥ずかしい事実だということを、
私たちは感じなければなりません。

この日を迎える度ごとに、
ひざまずき涙を流しながら、
かわいそうなあなたに心から同情し、
他の人は孝行できないとしても、
私だけは孝行を尽くすと、
歯を食いしばり、忍耐しながら誓うことのできる
私たちとならせてください。
この日を迎える度ごとに、
多くの人々がこのような誓いをするところに
この日を記念する本意があるという事実を悟る、
あなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

きょうこの場に集ったあなたの息子・娘たちが、
「万物の日」を文字どおりにだけ理解することがないようにしてください。
万物が問題ではなく、
万物が従うことのできる人が問題であり、
その人がお父様に従うことができるかが問題であることを
分かるようにしてください。
そうすることのできる真なる人に治められたいし、
管理されたいのが万物だということを
分かるようにしてください。

世の中を愛し、万物を愛する
あなたの息子・娘たちとなるようにしてください。
誰よりも万物の価値を深く悟り、
万物を管理することのできる
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・六・四 第八回「万物の日」)

10-19 未来の世界とお父様のために生きさせてください

「神の日」を迎えるこの時点におきまして、
栄光の位置におられるお父様、
全体を主導なさる主人であられるお父様、
全能の実体であり絶対者であられるお父様、
生命と愛の理想であられるお父様!
きょう地上にいる足らない群れを
既にあなたの血族として選び定められ、
あなたの後裔として既にお立てになりましたので、
どうか心に抱き、愛してください。
お捨てにならないよう懇切にお願い申し上げます。

お父様がこの者たちをお捨てならないので、
統一教会がアベル的な教団となるのではないでしょうか。
それによって既成教会を抱くのです。
私たちと彼らが一つとなることによって、
アベル基準を通して、
民族がお父様の懐に抱かれるようにしてください。
そうして、この国の解放の土台を成すことのできる
韓民族と三千里半島(=韓半島)とならなければなりません。

そのためには
今日、統一教会員たちは
師を中心として一つとならなければなりません。
自分の欲望のために生まれ、
自分の欲望のために
生きる群れとなってはなりません。

私たちは未来のために生まれ、
お父様のために生まれましたので、
私たちをして
未来の世界のために生き、
お父様のために生きることのできる
聖なる息子・娘たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

きょうひと日、私たちの足らない心を一か所に結んで
あなたの前に捧げますので、お受けください。
きょうこの時間、私たちは
あなたを中心として生命を越えて一体になろうと
誓う心を持って集まりましたので、
お父様、
ここに共にいてください。

授け受けるところでは繁殖が起こると言いますし、
授け受けるところにはお父様が臨在なさると言いますので、
お父様、
今、師の家庭とお父様の祝福を受けた家庭が
一つとなって授け受けることによって、
目覚めることのできないこの国が新しい運気を受け、
解放の門を開けることのできる祝福の土台が、
宗教界とこの民族の上に連結されるようにしてくださり、
この国とこの領土の上に連結されるようにしてください。
アジアにおきまして日本と中国を祝福してくださり、
アメリカとドイツを中心とした世界的な蕩減路程が
早く早く成されるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・一・一)

10-20 摂理の時を知る者とならせてください

お父様!
私たち、時を知る者とならせてください。
摂理の時を知るということは、
本当に骨の折れることであるのを知るものです。
時を知る者となるためには、
罪人の中の罪人の姿をしなければなりませんし、
寂しい者の姿をしなければならないことを知るものです。

悲しい者の立場で、
おなかをすかせた者の立場で、
おなかをすかせた子供がお母さんの乳を思慕する、
そのような思慕の心情を持たなければ、
時を合わせるということがとても難しいことを
私自身がよく知っています。

ここに集っているあなたの息子・娘たちが、
一生において天の時に何度も合わせましたし、
お父様をして、訪ねてこられては
涙を流し、背を向けさせたことが
どれほど多かったかを悟るようにしてください。
不孝者となった過去を清算し、
今からは孝子孝女になろうと身もだえすることのできる
あなたの子女たちとなるよう許諾してください。

孝子にはなれないとしても、
孝子となることに恋い焦がれながら
自分の一身を忘れ、
お父様の前に身もだえする者として
残されようと、覚悟だけでもしなければならないのが
お父様に従い、
時の使命を受け継がなければならないお父様の息子・娘であることを、
切実に分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

あるひと時に私の生死の問題が決定されることが
分からない人間ですので、
いつも注意し、
いつも謙遜に、
いつも犠牲になる心で進む道だけが、
自分を保障し、保護することのできる立場であるのを
私たちは知らなければなりません。

一つの時が過ぎれば、
また一つの怨讐がカインの立場で
私たちを責め立て、私たちの道を遮りますが、
私たちが精誠を尽くしていくようになるときは、
打たれて奪っていくことができるという
証拠的な、発展的途上を眺めるようになるとき、
お父様はやはりかわいそうな方であり、
天の時を知り、天の使命を背負っていく人々は、
お父様が愛さずにはいられない
かわいそうな群れであるのを感じるものです。

お父様がそうであられますがゆえに、
そのような立場にいる息子なら息子、
娘なら娘にいつも同情し、
同じ運命の環境圏の中で
立ち居振る舞いを共になさろうとすることを知るものです。

そのようなお父様に負債を負った立場で侍るのではなく、
慰労する立場で侍るべき責任が、
今日の人間たちにあるということを知るとき、
このような責任を果たすべき使命が
私たち自身にあるということを知らなければなりません。

時に合わせ、時を知る者となることによって、
お父様が賛揚し、
霊界の数多くの先祖たちが私たちに栄光を帰しながら、
この地上に誰それの名前を賛揚することができ、
記憶することのできる貴い群れが、
統一の群れの中にたくさん現れるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

時を知る者となって、必ず時を逃さない、
天と地が記憶することのできる群れとして残され得るよう
祝福してくださいますことを再三お願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・一・三一)

10-21 家庭的蕩減路程を越えさせてください

愛するお父様!
私たちは、お父様の取り戻してこられた基盤が
四位基台の復帰だということを、原理を通して学びました。
一つの完全なる正から分立されたものが、
再び合一することによって、
四位基台が成されるということを悟るようになりました。
四位基台の圏を外れては、
お父様の望まれる創造理想の世界を、
他のどのようなものでもっても成すことができないことを、
原理を通して私たちは知っています。
お父様が望まれる創造目的の完成が
何かと尋ねるとき、
私たちは四位基台の完成だと言っています。

お父様!
今、夫と妻が一つとなった立場にいてこそ、
その息子と娘が一つとなるということを知っています。
お父様の前にきれいに捧げられ得る
責任を成すための使命が統一家に任せられましたので、
お父様、
この群れを愛してください。

お父様!
統一家の家庭が
あなたの信頼することのできる家庭とならなければなりません。
お父様が数千年間受難の道を克服してこられたのも、
このような家庭を掲げて、
家庭が勝利することのできる決定的な相対を
見いだすためであったということを思うとき、
今日、統一家の家庭が全員動員され得る
時代を迎えるようにしてくださったことに
心から感謝を申し上げます。

家庭として越えるべき蕩減路程を越えてこそ、
初めてお父様が喜ばれ得る自由の天地で
支派編成が展開されるようになるということを、
私たちははっきり知りました。
私たちが寝ても覚めても、
どのような立場にいるとしても、
自らの生涯に
生きがいのある価値の一時代を結実することのできる、
最後の時を迎えたということが喜びです。

数多くの先知先烈たちが
このひと時のために希望を持ち、現れては死んでいきました。
彼らが国と世界のために、
み旨とともに闘うことができずに死んでいったのが
天宙の恨みになったことを私たちは知るものです。
そうですので、
私たちは誰よりも恵まれ得る立場に立った家庭となり、
勝利の因縁を持った家庭となりましたことを、
この上なく感謝しようとする息子・娘となるようにしてください。

一線に出て闘っているあなたの愛する子女たち、
ただお父様だけを思い、
お父様だけのために
すべてのものを捧げ奉ることができなければなりません。
彼らが夫と子供をあとに置き、
一線に責任を負い、一日一日開拓していくのは、
証拠的な実績を備えるためですので、
お父様が必ずここに共にあってくださらなければなりません。
彼が伝道するのよりも、
お父様の前に孝行を捧げ奉ることが、
価値がより大きいということを知らなければなりません。

お父様!
この者たちが全人類を身代わりし、この民族を身代わりして
怨讐の世界に行く道におきまして、
結び、切ろうとする聖なる娘たちとなるようにしてください。
六千年の恨みによって
女性たちが権威を見いだすことのできなかった
恥ずかしい歴史を、今、踏み上って、
勝利のひと日を迎えることのできる特権を、
今度の期間を通して
お父様からもらい受けるという事実を
分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・二・一)

10-22 真なる家庭の基を築かせてください

お父様!
統一教会が今まで存続してきましたのは、
誰の力ゆえでもないことを知っています。
それはまずお父様の力によるものであり、
歴史時代において、血の代価を支払ってきた
数多くの先知先烈たちの
功績の土台によるものであることを知るのです。

イエス・キリストが生涯を捧げていった
忠孝の道理の土台が残っていることによって、
今日このような因縁が成立したことを思うものです。
また、
歴史路程の受難の道において、
あなたが私たちの前で
どれほどご苦労なさったかということをよく知っています。
私が寂しい前に
あなたが先に寂しかったし、
私が悲しい事情に処する前に、
先に悲しみに遭遇されたお父様であることをよく知っています。

今、そのような逆境を経て、
今日統一教団を形成し、統一氏族を編成して、
数多くの家庭を前におき、
きょうあなたのみ旨とともに
真なる家庭の因縁を知ることのできる立場に立ったことが、
どれほど高貴なことであるかということを知らなければなりません。

真なる家庭、
それほどまでにあなたが望んだ真なる家庭、
その真なる家庭を築くことによって
真なる民族が形成されるのであり、
真なる家庭の伝統が広がっていくことによって
真なる国家が形成されるのであり、
真なる家庭の因縁を通して
国家を越え、世界に流れていくようになるときに、
真なる世界が形成されるという
とてつもない事実を思うときに、
お父様が記憶なさることができ、
お父様が安息なさることのできる
真なる家庭の基を築かなければならないということを、
この時間はっきり分かるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちの一身が倒れる所は
どれほどの価値があるのかを考えてみるとき、
私たちの体をすべて捧げて
天の解怨成就、
地の解怨成就、
真の父母の解怨成就、
この三大解怨成就だけでなく、
この民族を解怨成就し、
後代の私たちの後孫たちを解怨成就することのできる、
立体的な所願成就の内情が決定されるこのとてつもない立場が、
今日祝福を受けた家庭の立場であることを
分かるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・四・二九)

10-23 嘆息する万物たちが解放を迎える日とならせてください

愛するお父様!
全国に散らばっているあなたの子女たちが、
各自の置かれている場所で精誠を込めて、
この「万物の日」を記念していることを知っています。
本部にいる子女たちも、
九回目を迎える「万物の日」を記念するために
この場に参席いたしました。

このように私たちがこの日を毎年記念するようになったのは、
あなたが旧約時代を通して
祭物を条件として人を連結させたのちに
息子を送られて新約時代を準備するようにされましたし、
新約時代を通して
新しい成約時代の父母の因縁を立てようとなさる
恨み多い復帰の歴史があったからです。
万物は人間より天の前に近い立場で、
中間的な祭物の使命を果たしてくれたということを思うとき、
人が万物より恥ずかしい立場に立ったということを
感じるものです。

今日このような縦的な因縁に従って、
万物を媒介とした立場から息子を媒介とし、
息子を媒介とした立場から父母を媒介として、
父母の愛を中心として
縦的な歴史が横的な出発をみることのできる
この時代圏を迎えることによって、
父母から子供、子供から万物、
このような順次的な過程の秩序を
反対に編んでおかなければならないという事実を
私たちが知るとき、
あなたがつくられた被造世界が
どれほどどれほど貴重かということを、
私たちはいま一度感じるものです。

このような受難の道を経て
カイン・アベルの因縁を、
きょう私たちの時代におきまして、家庭を通し、
氏族を通し、民族を通し、国家を通し、
世界を通してもとがえしておかなければならないのです。
そうしなければ父母の恨みが解かれないという事実を思うとき、
この道を分けていくべきなのが統一教会の使命であり、
統一信徒たちの生活哲学だということを
はっきり知らなければなりません。

足らない者たちがこの場に集いましたが、
この場は世界が注視する場であり、
全霊界が注視する場だということを
私たちははっきり知っています。

善ならぬ自らとなって
お父様の心配の対象となり、
お父様の悲しみの要件となってはならない立場ですので、
お父様、この日が福となるようにしてください。
この日を快くお迎えください。
この日、足らない精誠を込めて式を行うこの場は、
歴史を身代わりする場であり、
時代を身代わりする場であり、
天宙を身代わりする場であり、
父と息子の因縁を結んで過ごすことができ、
あなたを仰ぐことのできる場だということを知っています。

またこの日は、
今まで歴史時代に来ては逝った
数多くの先祖たちが待ち焦がれ望んだ日であり、
万物たちが犠牲圏内で嘆息していたものが
解放を迎え、栄光を現すことのできる日であり、
暗闇の中にあった全世界が、新しい光明をもって
自ら恥ずかしい姿勢を脱ぎ捨て、厳粛なる姿勢でもって
あなたをお父様と呼びながら敬拝することのできる、
体面を備えることのできる日だということを思うとき、
私たちは真実に心を尽くし、精誠を尽くして
この日を祝わなければならず、
息子たる権威と主人たる権威を備え、
お父様の前に
孝行の道理を果たす姿とならなければならないという事実を、
この時間心深く感じることができるようにしてください。

お父様!
きょうこの日を神聖にお受けください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・五・二四 第九回「万物の日」)

10-24 縦的なる歴史的恨みを横的に総蕩減させてください

愛するお父様!
来ては逝く多くの世代の中で、
恨み多い歴史の流れの峠道が
どれほど多かったかを知っています。
その中で真なる志を抱いた
私たちの先祖たちがたくさん死んでいきました。

善なる血を注ぎながら、
ひと時の勝利の日が来るであろうと、
天上を仰ぎみながら死を誓った
歴史的な時代時代を回顧してみるとき、
きょうの縦的な歴史を
横的に総蕩減すべき現実的な使命が、
ここに集った統一教会の教会長たちと、
統一教会に責任を負った私にあるということを思うとき、
この場はお父様の前に不足であり、
お父様の前に申し訳ない場であるのを
私たちは知らなければなりません。

きょうの喜びの場が、
天上の因縁を引き継ぐことのできる場となれないなら、
その喜びの場を私たちは避けなければなりません。
きょうの生活がいくら凄絶で悲惨だとしても、
あなたの血統的な因縁が
連結され、移され得る土台であるなら、
私たちは歯を食いしばっても克服して
その場を守るべき使命があることを知りました。

三時代の使命を、
一点を中心として決定することのできる瞬間は、
私たちの人生の深刻でありながらも確固たる立場で
決定されなければならないのに、
決定的なチャンスを見いだせなかった私たち自身となったということを、
この時間もう一度感じなければなりません。

お父様はいつもそのような立場で
今まで歴史を収拾してこられ、
数多くの私たちの先祖たちを
導いてこられたということを思いますとき、
あなただけがやはりかわいそうな方であることを知りました。
あなたの心の谷間から流れ落ちる悲しみと、
動きいずる動脈の脈拍が
私たちの心を通して、
心情を通して、
心臓を通して響きいずるべきことも
私たちは知っています。

私たちの血はあなたの血によって
動かされ得る血とならなければなりません。
私たちの感情もまた、私たち自身の感情によって
動いてはなりません。
あなたの聖なる感情に同化されて動き得る
自らを発見しなければなりません。

私たちは悲惨なる涙の場で
お父様の心を抱き締め、
お父様の首を抱き寄せ、身もだえしながら
この恨みを解くためにお父様に訴え、
お父様は「お前を捜してきたり」とおっしゃりながら、
互いが話し合う場を持たなければなりません。
あなたの愛する息子・娘がそのような場を持たずには、
霊界に行っても
自分自らの面目を立てることができないということを、
この時間はっきり分かるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

三時代の復活圏を備え、
その責任完結を誓うべき
現在の価値圏内におきまして、
お父様が喜ばれ得る実績を持たなくては、
私たちは帰ることのできないかわいそうな群れであることを、
はっきり分かるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・八・一三)

10-25 歴史的に貴い立場に置かれていることを悟らせてください

お父様!
私たちがこのような場に立つようになりましたのは、
私たちが優れているからではなく、
背後で善なる先祖たちが
とてつもなくも驚くべき血と汗と涙の代価を
支払ったがゆえであることを知るものです。
それゆえ、
今日、時代的な因縁の中で、
このような場で
あなたと出会うことのできる恩賜を受けるようになったことを思うとき、
心から心から感謝を捧げなければなりません。

お父様!
この時代をどれほど待ち焦がれ、
あなたが慕う家庭をどれほど侍ち焦がれ、
子女を抱くためにどれほど骨を折られたでしょうか。
このようなことを思うとき、
もう少し輝き、もう少し価値があり、もう少し栄光を持った姿を
あなたの前に捧げられないことが、
一代の恨みだけでなく、
天宙の恨みになりそうで、心配せずにはいられません。

お父様、
世間知らずのこの者たちをここにこのように集めておいたのは、
それ自体が優れているからではなく、
この者たちが歴史的な因縁を
貴く持っているためですので、
先祖たちを動員してくださって、
時代的使命を促すにおいて、
休まずこの者たちを協助するようにしてくださいますようお願い申し上げます。

今日、私たちが
氏族を代表し、民族を代表して、
天運が望む厳粛なる使命を
各自の肩に背負わされたことを分かるようにしてください。
年を取った人は年を取った人として、
若者は若者として、
老若男女を問わず、
イエス様の恨みとともに人類の恨み、
そして天の恨み、
この三大恨みを解怨成就するのが統一家の使命であり、
真なる食口の名を誇る私たちが
死んでもやり抜くべき本分であり、
使命であり、
責任であるのをよく知っています。

その価値が無限なるものであるがゆえに、
無限なる世界もその価値内に包括されようと
動いてくることを思うときに、
私たちはお父様を呼ぶ前に
お父様という名前すら思うことのできない
申し訳なさを感じなければならず、
おそれ多さを感じなければなりません。
呼び難いお父様であり、
侍り難いお父様であられるのを
私たちは全く知りませんでした。

あなたは私たちに対して厚意と、
広く大きな愛の心と許しの心情を持ち、
万回の犠牲もお恨みにならず、
むしろ私たちの足らなさを心配していらっしゃいます。
そのようなあなたの恩賜の前に、足らない自分を発見する度ごとに、
申し訳ない気持ちとおそれ多い気持ちに徹しなければなりません。
そのような立場で勝利の栄光を占有して
息子の愛を受けることができ、
娘の愛を受けることができるなら、
人間としてそれ以上の願いがどこにあるでしょうか。
そうすることのできる立場が、
人類歴史を身代わりするどのような価値よりも
もっと貴い価値ある立場にあることを、
私たちがはっきり悟るよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・八・二二)

10-26 善霊たちの労苦が実を結ぶようにしてください

お父様!
この地上にいる統一の群れはもちろんですが、
このみ旨を成すために歴史路程で苦労して
霊界に行っている数多くの先祖たちと、
み旨の内なる事情に従って血を流していった数多くの祖先たちを
記憶してください。

この地の拠点を通らなくては、
あなたの本然の世界に臨むことができないということを知っている
霊人たちの勝利の解放を、
お父様は取るに足らない私たちを通して
促していらっしゃるということを知れば知るほど、
私たちがどれほど重大な責任を背負っているかを
なお一層感じなければなりませんし、
私たちの生活が私たち自身だけのために暮らす生活ではなく、
立体的な世界のための生活だという事実を、
私たちはもっとはっきり知らなければなりません。

霊界にいる数多くの霊人たちと天軍天使たちが、
今まであなたの勝利のひと日を望みながら
苦労の路程を克服してきたということを思うとき、
彼らの苦労は私たちによって刈り取られなければならず、
私たちが望む願いは
全世界の人と共に
結実されなければならないということを思うものです。
また、現在この地上に生きている私たちは、
上下に連なり得る責任を
果たさなければならないということを
もう一度感じるものです。

お父様、
あなたの心情を体恤し、
あなたの生命の因縁を高めることのできるその道を、
この地上で決定できなければ、
お父様と数多くの先烈たちが関係を結ぶことができないということを
思うものです。

相互いに孤立した数多くのあなたの子女たちがこの地上にいますが、
この者たちを生命でもって連結させてあげ得る
真なる指導者がいないことを思うとき、
そして前後左右でこの者たちの行く道に同行しながら、
天に侍っていくべき生活的な基盤を
持っていることができないことを私たちが悟るとき、
それでも天が願う基盤を持つことができ、
あなたの心に慰めの対象となり得るのは、
取るに足らない統一の群れであることを感じさせてください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・八・二九)

10-27 後代に善なる先祖として残り得る姿とならせてください

きょうまで私たちが残されたのは、
誰の苦労によるものでもありません。
一切があなたの無限なる愛によるものであることを、
私たちはよく知っています。
過去にもそうでしたし、
今もそうであり、
今後もそうであるべきことを望んでいます。

今後に来る摂理的な使命の分野は
だんだん広げられ、だんだんに大きくなることを思うとき、
過去よりも今よりも、今後、
私たちがお父様の前に精誠を尽くすにおいて、
より一層高く大きな心で
精誠を尽くさなければならず、
このような時点にいる私たち自身は、
不備な姿を持ち、
過去を追求しながら
現実を批判する群れとなってはなりません。

過去を忘れてしまい、
大きな希望を抱き、
現実に迫るすべての障害を押し進み、
すべてのことを処理するのに忙しくあることのできる自らを備えなくては、
天の前に覚えられる群れとは
なり得ないのが当然ですので、
きょう強く雄々しく自分自身を備えて、
悪の世界に対抗し、
最後の激戦場を勝利に導くことのできる
さまざまな準備を備えた天の勇士たちとして、
あなたに信任される兵士たちとして、現れるに
不足のないよう許諾してください。

私たちに
この国、この民族を任せて安心することができ、
この地上にあなたの息子をお立てになって、
この世界の受難の路程を任せて安心することができることを、
どれほどどれほど待ち焦がれたお父様であられたかを
私たちが思うときに、
いつも足らず、不孝極まりない
私たちの先祖たちであったことを悟っています。

私たちも後代の後孫たちから、
天の道の前に忠誠を尽くせなかったという
讒訴を受ける人々となっては絶対になりませんので、
残った人生をお父様のみ旨の前にすべて捧げて
最後のひと日を輝かせ、
この地を離れてお父様の前に行くことのできる
息子・娘たちとなることを願うのが、
終生の要求となることができるように誓うこの時間となり、
生の路程となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・一〇・二四)

10-28 アベル的使命を抱いて世界に向かわせてください

流れていく歴史路程の上で、
あなたの摂理のみ旨は
いつも曲折の運命を避けることのできない
復帰摂理の途上であったことを思うものです。

カイン・アベルを中心とした蕩減復帰において、
アベルの使命を果たす代表者が、
この地でカインを収拾して行かなければならないということを
私たちは知りませんでした。
彼が父母の望む解放の基盤を
拡大させなければならないことを私たちは知りませんでした。
天と地を統一させ得る
神様の心情的解放を備えてさしあげなければならないということを
私たちは知りませんでした。

お父様!
今日統一の群れがこの地上で暮らすのは、
偶然なるあなたの苦労の結果ではないことが分かるようにしてください。
アベルの伝統的な歴史を引き継ぐ統一教会は、
厳粛な使命において、
民族的解放を促すと同時に
善の主権を成就させ、
世界的な解放を完成させるべき使命があるということを
考えないわけにはいきません。

今まで歩んできた道も困難でしたが、
今後私たちが走っていくべき使命路程が
どれほど膨大かということを
より一層感じるものです。
今、私たちは見る目を広げて、
世界に向かって走っていくその基準の前に、
その隊列の前に
恥ずかしい姿を現してはならない時が来ました。

お父様!
私たちが必ず行くべき運命の道は、
世界を復帰するためのものです。
この道をあなたのみ旨とともに出発しますので、
とこしえに福を施してください。
私たちが行く舞台、戦場で百戦百勝させてくださり、
あなたの勝利的天国を解放するに必要な
烈士たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

私たちが民族を目覚めさせると同時に、
世界を覚醒させ、
未来の天国の門を開くにおいて、
中心的な使命を果たす子女たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

万々事の恩賜と愛が、
あなたのみ旨のために心配する群れたちに
いつも共にあることをお祈りしながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七二・五・一八)

10-29 復帰の道にお召しくださったことに感謝を申し上げます

愛するお父様!
歴史の過程がどのように行き違っているかを
知らなかった私たちを覚醒させてくださり、
あなたが探してこられた
恨み多い復帰の道をたどり得る立場に立ててくださったことに
心から感謝を申し上げます。

今、お父様が存在することをはっきり知らなければならず、
本来お父様がつくられた、
本然の堕落しなかった私たちの先祖の基準が
どうだということを知らなければなりません。
家庭と民族と国家と世界が
どうかということを考えるとき、
私たちはお父様の怨讐である
サタン圏内に処していることを知りました。
その父母を通して子供となり、
その血族となり、
その国家と世界人類となっていることを知っています。

この悔しく恨めしいこの立場から、
私たちは勇断を下し、
この世界を切ってしまい、いで立たなければなりません。
そうだといって、善なる世界、
切ってしまった代わりにそのような価値の基準が
現れるのではありません。
悪なる世界を切ってしまい、いで立つようになるときには、
私だけ残ることをはっきり知らなければなりません。

寂しくても天をつかんで寂しがらなければなりません。
歴史時代に私たちの先祖たちが行った道がそうであったために、
私たちもそのような寂しい立場を堅固に守り、
天の願うその願いが何であるかをはっきり知り、
行くべき道を走り抜いていくよう許諾してください。

あなたの前に僕として忠誠を尽くせなかったその道を、
私たちは復帰しなければならず、
養子として責任を完結し切れなかったものを、
私たちは復帰完成しなければならず、
息子と新郎新婦としてあなたの愛を受け継ぐことのできる
父母の立場に立てませんでしたが、
あなたの愛を私たちは受け継がなければなりません。
それが二つとない
あなたのみ旨として願う道であることをはっきり知りましたので、
この道を純粋に行くよう許諾してください。

今、私たちが体を手探りで明らかにするとき、
私たちの手が
お父様が手ずからお造りになった
アダムとエバを身代わりした手であることを感じなければなりません。
私たちの手の中には
お父様の精誠がこもっていることを知らなければなりません。
私たちの姿の中には
お父様の願いとお父様の理想が宿っていることを
はっきり知らなければなりません。
私たちのすべての四肢五体に
お父様の愛の手の跡が残っており、
お父様の精誠と心情のすべてのものが
宿っていることを知り、
自分自体を貴く思うことのできる人と
ならなければなりません。

この価値があまりにも貴いがゆえに、
悪とは相手になり得ない自らであることを
発見するよう許諾してください。
そうして天だけを仰ぎ、天にだけ属し得る
自らとして残るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七二・一〇・二二)

10-30 悪主権の歴史に終止符を打つ私たちとならせてください

お父様!
今、世紀末的な最終点が
私たちの前に近づいています。
今、「私」という一存在は、
私一人の運命として解決し得る
何の力もないことを知るものです。
個人の勝利の道は民族と通じなければならず、
民族の勝利の道は世界と通じなければならず、
世界の勝利の道は天宙とお父様の勝利と
通じなければならない決定的な時代を、
私たちが目前に直視しています。

息苦しい一場面が私たちの前に近づいているこの時に、
私たち自身は
あなたのお望みになるそのような目的と
一致し得る立場に立たなければ、
かわいそうな者たちとなり、
かわいそうな国、
かわいそうな世界となるということを思うものです。
ですので、
心からあなたを慕わなければならず、
あなたに仕え奉りながら
最後の終着点に向かって進むために、
厳粛に努力することのできる自らを
発見しなければなりません。

悪なる世界と善なる世界が行き違っているという事実を、
私たちは知っています。
悪なる地で悪なる人の後孫として生まれた私たちは、
悪なる道を行っていたものを清算し、
善なる道に入らなければならないのが
復帰の道であることを知っています。

帰る道がないがゆえに、
その道は受難の道であらざるを得ません。
行く道の前には個人が遮っており、
家庭、国家、世界が遮っています。
それだけでなく公衆権勢を握ったサタンの権限までも
行く道を遮っているという事実を思うときに、
一生を通してこれをさかのぼっていくということが、
どれほどどれほど不可能に近いかということを
思えば思うほど、
私たちには持てる心と精誠を尽くし、
死を覚悟したとしても
この道を克服し抜かなければならない
義務と責任があることを知りました。

越えていくべき山がいくら高いとしても、
私たちの先祖が滅び、
私たちの先代のすべての国々が
この峠を越えられずに行ったことを思うときに、
私たちは歴史上にない最大の決意をし、
この頂上に向かって走っていかなければならないことを知っています。

それゆえ、
心と思いと精誠を尽くして
あなたを愛さなければなりません。
あなたの前に、私たちは狂わなければなりません。
あなたと一つとならなければなりません。
私たちが不可能なこのような段階から、
可能の役事を起こすことを望むのが
あなたの願いであることを知っていますので、
私たちはこれを克服して突破することのできる、
あなたが誇り、
あなたの愛を受ける堂々たる息子・娘となることを
心で待ち焦がれています。

待ち焦がれる心の位置はたやすいかもしれませんが、
実体を越えるためには生死の判定をつけなければ、
最後の闘いに
決着をつけなければならないということを思いますとき、
私たち自身が備えるべき心の姿勢はできているか、
私たちの体の武装はできているかということを
反省すれば反省するほど、
足らない私たち自身であり、
丸裸の私たち自身です。

ですので、お父様、
私たちの体にあなたの力と能力でよろいを着せてくださり、
私たちの心をあなたの心で一体化させてください。
あなたの身代わりの実体とならなくては、
勝利の克服を誓うことができないという事実を思うときに、
もしそうなれなければ、
私たちのようにかわいそうで悲惨な群れはないという事実を、
私たちは知らなければなりません。

サタンの前に最頂点に立ちましたので、
天の前に最大の協助をすることのできる立場にいますが、
そこは敗北と勝利が行き違う位置であることを知るものです。
ここで敗れる立場に立つときには、
天の前にも怨讐となるという事実を思うときに、
失ってはならない立場であることを知り、
必ず勝利の結果を持ってきて、
あなたが信じていたその基準を越えなければならない
各自の責任があるという事実を、はっきり悟る
この時間となるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七二・一一・五)

10-31 三時代を代表した立場で責任を果たさせてください

誰が歴史を保障することができ、
誰が時代に責任を負うことができ、
誰が未来の一つの新しい関門を
開けることができるかという問題を見るとき、
それは他の人ではない、
私がしなければならないということを思うものです。

このような重大な起点をおいて考えるとき、
これを解決するためにはあまりに微弱で、
あまりに及ばず、あまりに足らない者たちです。
そのような姿で現実の運命、生活的な運命、
生涯的人生路程を持っているのには間違いありませんが、
そのような私として選んでいくべき行路のみ旨を解決することができずに
ひっくり返るという事実は、
個人の悲惨ではなく、
歴史の悲惨な姿であることを知らなければなりません。

一人が敗亡することは
個人の敗亡で終わるのではなく、
歴史的に関係性を持ち、
時代と未来と関係を持つという事実を、
今、私たちははっきり知りました。

「三時代のための責任」というこのとてつもない課題が、
きょう「私」一人を中心として、
前後、左右、上下に
関係しているという事実を思うときに、
神様がおられるならば、私たちは神様を探さなければなりません。
神様と関係を結ばなければなりません。
神様は現在の中心点でも関係を結んでおり、
過去の出発点でも、
未来の出発点でも関係を結んでいるために、
神様をつかんで行く道のほかには、
この道を無難に突破することのできる道がないということを
思うものでございます。

私たちは、悪くても神様、
悲しくても神様、
苦しくても神様、
死地に出掛けても神様と、
すべてのものを天と共に調整し、
天と共に関係を結び、
天と共に選んでいかなければなりません。
このような価値的な道があるなら、
どれほど輝く行路であろうかということを
私たちは全く知りませんでした。

私たちは過去の神様の心情を学びました。
現実的な神様の心情を学んでいます。
未来的な神様の心情がどうかということを学びました。
それだけでなく、
創世前の神様の心情までも私たちは論じました。

このような事実を思いますとき、
この立場がとてつもないと言えば
本当にとてつもない立場であることを知るものです。
このようなとてつもない立場を任されているにもかかわらず、
このとてつもない立場を守れなくなるなら、
このすべての福が
災いとして私を打っていくという事実を知らなければなりません。

この立場がこの上なく福なる立場であると同時に、
この上なく恐ろしい立場であることをいつも思いながら、
一日一日、一生の方向の焦点を合わせて進むのに、
あらゆる努力をし、あらゆる精誠を尽くす
群れとなるべきことをはっきり知りました。

三時代を代表した立場で生きていかなければならないということを、
私たちはいつも感じなければなりません。
私一人が誤れば霊界の道がふさがってしまい、
歴史的な方向がふさがってしまいます。
それだけでなく過去のすべての道もふさがってしまうという事実を、
私たちははっきり知らなければなりません。

私一人、歴史を代表した心情を持って
お父様を慰労してさしあげ、
時代を代表した心情を持って時代的な立場で
寂しい目に遭うお父様を慰労してさしあげ、
未来に対する絶望と失望に包まれている現時点で、
そのようなものを片付けてさしあげなければなりません。

そうして、過去に輝く、現実に輝く、
未来に輝く息子・娘、
お父様が愛するだけでなく
前に立てて誇る堂々たる息子・娘として、
すなわち三時代に輝くことのできる勝利的条件を備えた息子・娘として
残され得るよう、祝福してくださいますことを
懇切にお願いしながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七三・八・一)

10-32 霊界と肉界が喜ぶ日とならせてください

愛するお父様!
きょうは一九七六年二月五日、
陰暦では一月六日、
この日はこの息子が五十六歳を迎える誕生日であり、
あなたの愛する娘が三十三歳を迎える誕生日です。

一九六〇年度に真の父母の名によって、
この地上に新しい出発をみたわが家庭が、
あなたのみ旨の中に立てられ、十六年が過ぎるこの期間に、
あなたが計られたとおりの経綸に従って
勝利のひと日を迎え、
歴史的な一九七六年、きょうこの誕生日を祝えるようになりましたことを、
まずお父様の前に感謝申し上げます。
このすべての環境とこのすべての式をお父様がお受け入れください。

この地上に住んでいる数多くの人類が、
真の父母の生まれた日を
祝えないのが恨みであることを知っています。
霊界にいる数多くの霊人たちも、
真の父母の生まれた日を
祝えないのが恨みであることを知っています。

きょうこの日は、歴史的などのような日よりも、
数多くの人が生まれたその日よりも、
天と地において一つの連結を成す
「父母の日」でございます。
父母が生まれたことを祝い、記念する
ひと日となるという事実を思うとき、
霊界と肉界が一つとなる、
新しい歴史的な転換時期を代表した日であることを
天と地が知り、照覧する
この場であることを知っています。

お父様!
この式典をどれほど期待したかということを思うとき、
お父様が快くこの日を祝ってください。
お父様の名を中心として、
霊界に行っている数多くの善なる霊人たちを祝福してください。
彼らの功績を引き継いで地上に生まれた
数多くの後孫たちの上に祝福をしてくださいまして、
彼らが手ずからこの地上で
真の父母の生まれた日を記念できなかった恨みを、
この時間解かせてください。

この地上に生まれたすべての後孫たちも
真の父母の生まれた日を知ることができませんが、
この地球上で共に神様を中心として、
その先祖たちを中心とした基盤のもとで、
この日を祝うことのできる恩賜を施してください。

お父様の愛の中で真の父母を中心として、
真の父母の愛の中で
人類と全霊界を中心として願われた
創造理想を完結されようというあなたのみ旨の前に、
新しい歴史的なこの時間となったことを思いますとき、
お父様、
お喜びください。
全霊界も歓喜し、
万民の心と心を動かして喜ぶことができるように、
地上世界までその栄光が及ぼされるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

ここに集ったあなたの子女たちを祝福してください。
万国を代表し、万民を代表し、
全天宙を代表して、一つになった立場で
この真の父母の生まれた日を祝うこの喜びを、
霊界にいるすべての霊界たちと、
地上でみ旨を知らない者たちの
恨みの蕩減条件としてお立てになって、
今、真の父母の名前の圏内で統治され得るよう、
あなたの主体的な権限をお広げください。

直接的にカインとアベルが入れ替えられ、
悪なる父母の後孫たちが
善なる父母の後孫たちの前に復帰されて入っていくことにより、
長子の権限を行使することのできる時代に転換させてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

きょう、ここに真の父母の名を持って生まれた日に、
すべての霊界の霊人たちと地上の後孫たちが一つとなることを、
お父様の許諾の中に宣布いたしますので、
一体的な一つの家庭の因縁に従い、
真の父母の家庭の因縁に従い、
神様を代表した真の父母の愛の因縁に従って、
怨讐たちが糾合し、
あるいは分裂した氏族と国々が一つとなって
統一の世界に前進、進軍することができるよう、
霊肉でお父様が直接主管してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

あなたがご計画されたとおりに成してくださり、
この日を親しく
あなたと全天宙が喜ぶ中に、栄光の中に
あなたの祝福を受けながら
記念することのできる日となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
この日のために祈祷し、欽慕するすべての者たちの上に、
千万倍の祝福を加えてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

きょうをお父様の名とともに
喜びで迎えるよう許諾してくださいましたことに感謝申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七六・二・五 ご父母様ご聖誕日)

10-33 サタンの歳訴を越えて新しい時代を迎えさせてください

愛するお父様!
このように復帰歴史が涙で相次いだ歴史であることを、
この息子はよく知っています。
誰も知らない心情の世界をたどり、知ったその日から
誰にも言うことのできない
希望のひと日を慕い、この場まで来ました。
一九七七年二月二十三日、陰暦で一月六日を期して、
あなたが願われたその道をこの地上に設定し、
サタン世界を防御し、
新しい攻勢の時代を迎えました。

流れ落ちていた潮水が、反対に流れていくべき
新しい歴史的時点に置かれています。
お父様、
あなたの創造理想の中、
あなたとアダムとエバと天使世界が一つとなり、
あなたの愛を中心として、
あなたの息子たることを誇ることのできる、
あなたの愛とあなたの相続権を誇ることのできる
本然の基準を、歴史時代を通して捜しこられるための
お父様の苦労をたたえるものです。

取るに足らない韓民族の前に、
取るに足らない幼い子女を呼び立て、
曲折の道をたどらせるのが、
この日を捜してこられたお父様の願いであったということを
思うものです。

その間、あなたを慰労してさしあげられず、
あなたの前に栄光のひと日を備えてさしあげられず、
悲しみの心を残した
過去の数十年間の歴史をもう一度回顧するものです。
しかし、死なず滅びず
この日を持たせてくださったお父様の愛の前に感謝を申し上げます。

今、お父様の名と真の父母の名をもって、
あなたが望んだ創造理想世界において、
アダム圏世界基準、
アダム圏を中心とした天使圏世界基準、
イエス以下全霊界が一つとなって
サタン世界の讒訴基準を防御するという
新しい宣布をいたしますので、
お父様、
この日を快くお受け入れくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

今、統一の群れたち、
原理の道に従ってこの内容を抱き、
この内容をはっきり説明することのできる者たちには、
サタンの讒訴の防御の道を賦与することを宣布いたしましたので、
この世界人類の前に許諾してください。
これにより、きょうの特赦を下してくださり、
あの地獄のどん底まで
光明なるあなたの愛の光と
真の父母の愛の光を照らしてください。
その世界でもあなたを賛揚するよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

私たちの行くすべての歴史路程におきまして
悲しかったことをみな忘れ、愛で許しますので、
人類を抱いてくださり、
反対したキリスト教徒、
反対した韓国、
反対した世界、
反対した共産党まで抱いてください。
あなたの愛で一つにし、
あなたの愛でお残しくださって、
特別にお許しくださいますことをお願い申し上げます。

そうして、人類歴史は一つの大家族を成し、
一つの国を成し、
一つの世界を成して、
あなたの愛の主権でもって統治することのできる
天国として開門し、
入門できるようになったことに感謝を申し上げます。
歴史的なこの時間を快くお受けくださいますことをお願いしながら、
真の父母のみ名によって宣布し、お祈りいたします。
アーメン、アーメン、アーメン。

(一九七七・二・二三 ご父母様ご聖誕日、「地勝日」と天紀元年宣布)

10-34「世界統一国開天日」を宣布いたします

愛するお父様!
歴史の流れは悲痛であり、
あなたの摂理歴史は絶望の歴史でした。
このような原因を提示したのは神様でもなく、万物でもありませんでした。
ただ万物の主人たるアダムとエバと、
天使世界でアダムとエバを管理して
成熟させるべき責任を負った天使長の失敗により、
このように悲惨なる流れを残すようになりました。

このような事実を思いながら、
神様がどれほど悲しかったかを思うときに、
許すことのできない人類の亡国の情を
嘆かずにはいられません。

しかし、お父様は愛であられたがゆえに、
再創造歴史を経るようにして、
本然の創造理想基準を立てるために、
また返す返す歴史時代の悲しい道を
千回万回後戻りしながらでも捨てずに、
投入に投入、
ために生きる立場を中心として、
愛の痕跡のその心が、
千個万個に裂かれたとしても、
自らを忘れ、きょうまで耐えてこられました。
このような偉大なる神様がいることに、
私たちは感謝を捧げずにはいられません。

このような摂理の心情は、
人間が失敗することによって生じたものなので、
人間が悟らなければならないのです。
歴史時代に数多くの先知聖賢たちが現れ、
宗教指導者たちがたくさん来ては逝きましたが、
この心情の谷間に隠れた事情、
この包まれたふろしきを解くことができませんでした。

天のこの悲痛なる原因がどのようになっており、
悪魔の出所の動機がどのようになっており、
歴史時代にサタンが讒訴するそのすべての攻撃の条件が
どのようになっているかを知らないことによって、
これを除去し防御することのできる道が
今まで宗教世界にはありませんでした。

宗教を信じながら、
天を欽慕し、忠孝の道理を誓いながら
命を懸けて闘っていったすべての人々が、
最後になって
わなに落ちてサタンの祭物として消えていったという事実、
蕩減の峠道、
八段階を越えるべき峠で、
多くの人々が犠牲になったことを知っています。

ですので、
歴史時代に宗教の関門を経ていきながら犠牲になった人々に、
霊界を悟らせてください。
そうして、
天に向かい合った忠情の心を再び継承して、
地上のご父母様のために
忠誠を尽くすことのできる心で振り返って、
ご父母様の家庭と一つとなり、
ご父母様の国、
ご父母様の世界、
ご父母様の立てられた
勝利の天国の大道に寄与することによって、
ご父母様の子女たちとご父母様のご家族の因縁を中心として、
絶縁された血統的なすべてものを清算し、
接ぎ木する役事が起こるようにしてください。

彼らの苦労したことと、
彼らが天の前に忠誠を尽くしたすべてのものを、
忘れることのできないその何ものかを条件として、
一つの眷属が彼らを見失うことなく、
天の眷属が行く所に彼らを連れていこうと、
天の前に、
父母の前に、
兄弟の前に懇切に願うことのできる
内的な心情的紐帯、一体感を持たせてください。
そうでなくては、そのようなことが成されませんので、
そうし得る因縁を賦与してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

霊界に先に行ったすべての先祖は長男のようなものであり、
今日地上で暮らす私たちは次男のようなものですので、
一体化を成させてください。
霊肉が一体となり、
カインとアベルが一体となって、
本然の長子権を立てていく縦的なカイン・アベル圈で、
勝利的な足掛かりをつくり、
お父様の解放の求道の道が
連結されることを知っています。

そうですので、
宗教の道を行って、犠牲になった
すべての哀魂たちを呼び起こして、
地上世界の宗教全体の前に
再蕩減することができるようにしてください。
それで、その宗教指導者と一つとなり、
天が協助することによって、
父母に侍ることのできる版図と、
カイン・アベルの長子権を復帰することのできる
基準を立てることにより、
これに伴って解放、解怨することができ、
地上に再臨して統一され得るすべての権限を
ご父母様が願われますので、
彼らに賦与してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

かわいそうだった宗教指導者たちを解放してください。
それだけでなく地方で良心的な道理を備えながら、
その良心どおりに生きようと、
歴史的に道義的な道を残した先祖たちの道を生きようと、
身もだえしながら犠牲になったすべての良心的な人、
善なる人々よ、
みな再臨してください。
それで、地上の実体対象を中心として
霊が協助することにより、
ご父母様に侍り、
天上世界に従って入っていくことのできる門をお開きください。

今、サタンが後退し得る時代となりましたので、
宗教圏内に、
良心圏内に、
それだけでなく今までサタン世界の懐にいた
すべての人々を収拾して、
神様の愛の圏内の眷属として立ててくださり、
真の父母の血族の因縁を結んで、
求道の恵沢を受けることのできる
世界的な運勢圏として立ててください。

大韓民国がオリンピックの時に
統一的な外的基盤が一体化されたのと同じく、
きょう内的神様の心情と一体となったことにより、
カイン・アベル圏勝利の版図を中心として、
外的解放と内的解放が統一圏に前進することを願いますので、
お父様、
この日、この時間、共にいてください。

真の父母の名を持ったこの息子がこの立場に来るまで、
四十余年間身もだえしてきました。
どうしてあなたの苦労の基準に対することができ、
あなたが望んだ願いの基準の前に
行動することができるでしょうか。
そうすることのできない足らなさを自ら感じながら、
日陰のもとで育ちつつ暮らしてきました。
お父様がお捨てにならず、
夜も昼も行くべき道を正してくださり、
環境の困難を開拓して、峠道を越えさせてくださった
多くの隠れた功労の恩賜に感謝を申し上げます。

お父様!
ここまで導くのに、あなたがどれほどご苦労されたでしょうか。
この息子をお許しください。
それと同じく、
私が統一教会を立てる過程で
従ってきた統一の群れたちの過ちを、
この時間お許しくださいますようお願い申し上げます。
今、七日間悔い改めの祈祷をいたします。
私と共にお許しください。
哀れな立場に置かず、この者たちを抱いて、
どうかあなたの願われる旗手の勇士として、
あなたの願われる愛の王子として、
天の祝福を受けて生きていくのに
恥ずかしくない子供たちとして立ててくださいますようお願いします。

父母の名をもって
神様の心情を身代わりし、
手を挙げ祝福した恥ずかしさを補ってくださいますことを、
お父様、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

現れた現象を収拾することのできる道を知らずに
身もだえする事情をご存じのお父様、
私自ら
楽することのできる道を行くことができないことをご存じのお父様、
この者たちに施してくださった愛でもって抱いてくださり、
求道の道を広げてくださり、
この者たちの将来を引き受けてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

私、真の父母の愛によりまして、
天上世界のすべての先祖以上の基準から、
優れた先祖たちと、地上にいる五十億人類を連ねたすべてのもの、
共産世界を越えて
共産世界の責任者ゴルバチョフ、
その次に鄧小平、
アメリカのレーガン大統領は言うまでもなく、
すべてを許すことを宣言しました。

それゆえ、
天に対して必要な条件物を提示しましたので、
これが無駄に終わらないよう許諾してくださり、
両世界を結合することのできる宣布の内容とともに、
お父様の心情圏の中にこれが刻まれ、
解放の世界に突進することのできる原動力として
受け入れてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

復帰摂理に通じ得る統一の転換式を経て、
一週間目に、今南北が統一され、
世界が統一され、
地上天国と天上天国が統一され得る日を、
真の父母の心情的統一圏を全天地の中心にして、
画期的な一点を中心として、
その基盤によって万国の解放、
「世界統一国開天節」を宣布いたしますので、
天と地で耳があり、目があるすべての人々は
聞いて知り、このことに協助して
統一の解放世界に来るようお導きください。

まずは南北の解放からアジアの解放、
世界の解放、
地上世界の解放はもちろん、
天上の地獄解放まで成してください。
そうして、
真の父母の願い、解放とともに
神様の真なる解放世界まで至り得るために、
すべてのものを捧げ、
残された統一の過程を
愛を中心として闘っていかなければなりません。

そのような課題を引き受けましたので、
百二十か国に愛の旗を高め、
今新しい統一の灯台を立て、火をともしますから、
その火が消えないごとくに、
私たちがお父様の前に誓った愛の心が消えないようにしてください。
共に統一王国世界に前進することを誓いますので、
すべてのものをお父様がお受け入れください。

きょう宣布したものを神様が宣布すると同時に、
霊界と肉界の統一的な宣布として受け入れてくださることを、
真のご父母様のみ名によって再度宣布いたしますので、
真の父母と真の子女を中心として永遠に生き、
永遠に総統治することのできる国として、
千年万年永遠に続くべし!
すべてを真のご父母様のみ名によって
祝願とともに宣布いたします! アーメン。アーメン。アーメン。

(一九八八・一〇・三 「世界統一国開天日」)

10-35 勝利と解放の天国が地上に到来することを宣布いたします

今まで、歴史は流れ流れて、
ここまで訪ねてきました。
真の父母から始まった創造理想が
偽りの父母の顕現によって
悲惨な惨状を歴史的過程に残し、
数多くの人々の背後には
死亡の血のにじんだ闘争の歴史が
編まれてきたという事実を、いま一度、回顧しながら、
これを収拾しようとする天が存在すると同時に、
その収拾しようとする事実を台なしにしようとする悪魔がいて、
その悪魔の版図が地上を占領したという事実を知るとき、
天がどれほど寂しく、孤独な立場だったかということを、
私たちは知りました。

地上に水平、平面的な父母の権限をもち、
天使世界まで指導し、収拾して、
天の前に護衛の栄光を帰すべき責任を
果たすことができなかったことにより、
人類はサタンの僕となり、
サタンの血統を受け継いだ息子・娘となって、
逃れようとしても逃れることのできない
恨みの、恨みの、恨みの歴史を編んできたという事実を
いま一度思うとき、
堕落した後孫として生まれた人類は、
恨みの実を受け継いだ群れであり、
天の逆賊の血を受け継いだ群れであることを自認しながら、
自分自らを収拾し、
天の眷属の立場をあがめる心をもち、
真の父母の血肉の因縁を取り戻すための
恨めしい路程が残っていることも知るようになりました。

父母を失った孤児のような立場にある人類は、
悪魔の子女の立場で生まれました。
悪魔の子女の立場に立ちましたが、
悪魔はこの者たちを愛さず、
この者たちを天道に背反しかねない道に追い立てたことによって、
地上地獄と天上地獄が生じるようになりました。
それを恨めしく思われる天を知ることなく、
不孝不忠していた歴史的な人類のすべてを
お許しくださるよう懇切にお願い申し上げます。

これは、偽りの父母となったアダムとエバが
真の愛の因縁に従うことができず、
偽りの愛によって編まれ、
一つの木のように育ち、
数多くの実をこの地上に拡張させたからです。

再びこれを刈り取り、
本然の基準に戻すということは
不可能に近いことでしたが、
条件的な基準を立て、
真の父母の道理を立てるために
血統的に個人から
家庭、氏族、民族を代表して、
天が選民圏を探してきたすべての群れを通して
兄弟から腹中世界、
根源の立場までこれを反対に結び、
真の父母の因縁の道理を
この地上に発生させるための天の苦労が
どれほど大きかったかということを、私たちは知るものです。

イスラエル民族が二千年歴史を
血のにじむ闘争と殉教の血をつなぎ合わせる
恨めしい歴史を踏んできたのちに、
イエス様が本然的に聖別された子女の立場に
ひとり子の権威をもち、
天から初めてこの地上に
送られ得たその日が、
人類の前にどれほど喜びの日であり、
どれほど解放の日であり、
どれほど希望の日であったでしょうか。

しかし、イスラエル民族はそれを知らず、
彼をまた十字架にくぎづけることによって、
天の恨みを加重させると同時に、
サタンの版図を拡張させることによって、
二重に困難な峠を残す歴史路程になりました。

これを復帰するために
キリスト教信者たちが殉教の血をつなぎ合わせ、
祭司長の役割を身代わりするために
孤独と悲しみと迫害の道を耐えながら、
二千年の間、国のない民族、
イスラエル圏を失った国のない民族として
四方に流浪の民となりながら、
多くの犠牲と血を流してきました。

そのような殉教の鮮血をつなぎ合わせ、
今日、歴史時代をもう一度
天の圏に至ることのできる世界版図まで拡張し、
第二次世界大戦を中心として、キリスト教文化圏が
初めて世界を代表した一つの定着地、王権国家を
再臨時代と共に備えることのできる立場に立ちましたが、
使命を果たせなかったことで、
キリスト教とキリスト教を指導していたアメリカは
地に落ちるようになりました。

このようなわけで
今日、統一教会と真の父母の因縁に従う
すべての歴史的な願いのみ旨の前に召されたこの群れは
国を失い、
世界を失い、
立つべき場を失い、寂しい荒野に追い出され、
教会を再び立て、
再び民族を解放し、
世界的版図圏を代表していたキリスト教を再び結んで、
自由世界を代表したアメリカを訪ねて勝利し、
共産圏にまで反対に上がっていき、
迫害の路程で倒れることなく、
今日まで天の保護によって勝利しました。

今、一九九一年七月一日を中心として、
恨めしい歴史的な蕩減路程を片付け、
新しく創造主なる神様と
本然の父母となり得る横的な真の父母に侍り、
左右が一つになり、
南北が一つになり、
すべての宗教圏と政治圏と全部が一つになって、
長子権を受け継ぎ、
父母圏を受け継ぎ、
王権を受け継いで、
本性世界の解放圏を復帰しようとする
すべての宣言が必要なことを、私たちは知るものです。

それだけでなく、
本性を中心として、
真の愛を中心として、
個人的中心であり、
家庭、氏族、民族、国家全体の中心である
真の愛の道理に従い、
絶対的な一つの方向による、
絶対的な目的の帰結である本然的天国は、
地上を代表し、地上で生活した家庭の基盤と
ならなければならないことを知ったので、
統一教会は今、氏族的メシヤを宣布し、
定着しなければならない、
統班撃破という厳粛な使命的課題を前にし、
前進命令を天からお受けしました。

自分たちが立つべき場は、ある教会の責任者ではなく、
連合会の会長ではなく、
今、ご父母様に侍り得る孝子の立場を探さなければならず、
国に侍り得る忠臣の立場を探さなければならず、
世界に侍り得る聖人の立場を探さなければならず、
天地に侍り得る聖子の道理を探さなければならない
立場であることを知りました。
今、このような伝統を家庭から植えなければならない
厳粛な各自の五パーセントの責任分担の完結を
宣言できる時代になりました。

父母の責任所行は既に完結されました。
今日を迎え、
自由世界や共産世界、
あるいは北韓や南韓において
私がすべき責任を果たしました。

今、残されたのは、統一家の群れが、子女たちが、
祝福家庭の子女たちが伝統を受け継ぎ、
それを実践躬行するのに、徹頭徹尾でなければなりません。
それを原理的教育を中心として、実践できる舞台は、
国でもなく、世界でもありません。
五パーセントの責任を完成すべきその責任分担の路程が
家庭基盤であることを、はっきりと宣布するこの時間です。

ですから、お父様、
今、これを強固にしてくださって、
家庭の勝利的覇権をもてない者は
氏族の前に立つことができないのであり、
氏族の前に勝利的覇権をもてない者は
民族の前に立つことができないのであり、
民族の前に勝利的覇権をもてない者は
世界の前に立つことができないのであり、
世界の前に勝利的覇権をもてない者は
天宙の前に立つことができないのであり、
天宙の勝利的覇権をもてない者は
天の前に立つことができないのであり、
天のみ座、王宮に参席できないということを
厳然たる事実として受け入れるようにしてください。

各自の権威を行動すべき
五パーセント完結時代が訪れました。
今からは、サタンの版図も
私たちの左右からすべて消え去ります。
統一家はにょっきりと左右世界の推戴の象徴として、
全人類が推戴すべき環境に追い立てています。
これに侍り、これを受け入れるためには
本然的アダムとエバの家庭において
一族を代表できる群れとなり、
祝福の因縁によって血統を転換させ、
家庭的基盤を新しくし、
革新的な基盤の上に
天の血族の土台から
天の国の基盤になり得る
この場を準備しなければなりません。

各自が恥じることがないよう、体と心が一つになり
男性と女性、父母が一つになり、
父母が一つになった家庭を探し立てるここでのみ、
新しい基地の出発が可能だということを、
統一家のすべての群れは今まで知らずにいました。
今、七月一日から
決定的この峠に向かって進むべき、
自分の家庭と自分の一族を収拾するにおいて
総進軍すべき世界史的時代が
訪れることを分かるようにしてください。

七月一日を中心として
全世界的に氏族的メシヤを宣言する、
そして申請をすることのできる日として策定しましたので、
それを申請したすべての群れは、
前後左右を気にせず
天の眷属の因縁に従い
アダムとエバが失った
長子権復帰と父母権復帰と王権基準を
家庭から鉄柱を打ち込み、
誰も動かすことのできない
勝利の覇権を確立すべき祝福家庭の使命を
忘却しないようお許しくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

このような家庭基準を守ることのできる起源が生まれることによって、
そしてこの土台によって氏族を結び、
民族を結び、
国家を結び、
世界を結び、
天宙を結んで、
天以前まで到達できる道を開放するようお願いしますので、
天のお父様、
この時間、お許しください。

今、この式典に
天のために敬礼したすべての三人ずつの代表たちを
お父様がそのまま任命してください。
真の父母の名と共に全宇宙に宣布いたしますので、
このすべての権限を天が直接掌握してください。
恨み多い歴史的時代で
天の全権全能、全体的行事をすることができなかったのを
真の父母を通して、
真の父母の完成の一条件を立てたその基準を通して復帰し、
万国を治めることのできる時代に越えられるよう
お許しください。

天の前には自由世界、共産世界が存在し得ず、
南北が存在し得ず、
サタンが存在し得ません。
すべての悪の役割を清算し、
歴史と共にこれを埋葬してしまい、
勝利と解放の天国が地上に到来することを、
真の父母の名で地上世界と天上世界に宣布いたしますので、
万代に長く盾としてくださり、主導してくださいますことを、
きょう、七月一日この時間に、
真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン。
真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン。
真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン。

(一九九一・七・一 第一回「七・一節」、神様祝福永遠宣布式)

10-36 天宙全体に安着され得る基盤を奉献いたします

愛するお父様、
きょう、一九九八年五月二十六日、「真の万物の日」午後二時を期し
ご父母様を中心として、
ご父母様としてこの地上で越えるべき蕩減の峠を
すべて越えるようになりました。

六月十三日を期し、
三億六千万双の祝福を中心として、
一年七か月後には
三億六千万双全体が、
国家代表、父母の国と長子の国が一つとなって
全世界が方向を整えて行くべき、
一つの国、宗主国を復帰し、
天国に向かっていくことのできる
高速道路に乗るべき時代が来ました。
ここに
地獄で嘆息していたすべての人たちや
天上世界と地上世界の人たちが
解放され得る時代を迎えるようにしてくださいました。

これはご父母様の恩徳によって、
天が愛することによって、
今、父母の国を立て、
韓国の十二人、
日本の四十名をはじめ、
エバ国の母の国の責任を果たせなかった者を
連結させました。
彼らが決心し、一つとなることによって
四位基台的条件を復帰し、
初めてアメリカを祝福することのできる時代になったので、
今、韓国と日本と台湾とフィリピンとカナダを中心として
連結させました。

これは第二次世界大戦直後に
英国をはじめとするすべての国々が勝利し、
真の父母を中心とした統一王国時代を開くことができたという
その家庭的王国編成をするために、
祝福の道を開拓なさるご父母様の苦労を助けられた
お父様の前に、心から感謝を申し上げます。

夢のような事柄を開拓させる路程を、
お父様がご苦労なさって
開拓してくださったその日々を私が知り、
誰も知ることのできないこの道を、
お父様、
山を越え、海を渡り、
このことのために完成しました。

今まで統一教会の人たちは
冷遇され、涙する路程を歩んできました。
その涙の功によって、
ご父母様の国を条件的に代わりに捧げ、
子女の国を代わりに捧げ、
キリスト教を中心とした統一王国圏を立てることのできる
解放的世界を建設することによって、
南北統一はもちろん、
日本と韓国が一つの国になり、
台湾、フィリピン、カナダが人種を超越するようになったその基準に
アメリカを中心として、一つの家庭的子女の因縁を立て、
神様の愛をいっぱいに受けた上下の愛、
左右の愛、
前後の愛、
家庭的理想の愛の基準を中心として
定着できなかったすべてを、
天下の国を中心として成されることを、
定着、安着できる基盤を
ご父母様が宣布し、
これを成就させた基盤を
お父様の前に奉献いたしますので、
お受けくださいますよう切にお願い申し上げます。

今、お母様が韓国の十二人と
日本を中心とした台湾、フィリピン、カナダの三十六人と連合させ、
一つになる立場に立って、
初めてご父母様の前に
神様の前に
父母と子女が一つになった
この全体の条件的勝利の限界線を越えることのできる
約束の時を迎えて、
このような式を挙行いたしますので、
喜んで受け入れてくださるよう、
切にお願い申し上げます。

進行するすべての条件が
歴史的な宣言となり、
摂理史的な勝利の盾の圏となるようにしてくださり、
愛主権完成の世界に
家庭を越え、国家を越え、天宙全体に
神様が自由往来できる、
サタン世界の痕跡を除去し、
解放的な全体圏内で
愛の覇権を持った主権を持ち、実行できる
愛の大王となるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。

このような「奉献転換式」を宣布いたしますので、
お父様、
お受けください。
真のご父母様のみ名によって、
再度再度再度、宣言、宣言、宣言いたします。
アーメン。アーメン。アーメン。

(一九九八・五・二三 第三十六回「真の万物の日」、奉献転換式)

父の祈り 11 勝利編

11-1 天の精兵とならせてください

お父様!
能力のみ言をもって現れてください。
私たち全部を再びおつくりくださり、
再創造の役事を起こしてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

難しい環境におきまして、
私たち一人一人を呼び立ててくださいましたので、
今、私たちは試練と困難の峠を越えていきます。
今、残っている実践の闘いで
勝利の凱歌を歌う時となりましたので、
お父様、
力に力を加えてくださり、
能力に能力を加えてくださり、
復活の権能をもって現れてください。

暗闇に閉じ込められていた心霊が解放されるよう許諾してくださり、
希望の炎でもって復活させてください。
ふさがった真理の園、
悪が主管したこの世の中、
六千年のお父様の恨みの土台を明らかにして余りある
お父様の生命の炎を許諾してくださいますことを、
わがお父様、懇切にお願い申し上げます。

新しい歴史はお父様を中心として
始められるということを知るものです。
そして、歴史の基準を天に置かなければ、
全体的な歴史の基準とはなり得ないという事実も知るものです。

お父様!
私たちを立ててくださいましたので、
新しい歴史を成就することができるよう許諾してくださり、
新しい時代の天の精兵として立ててくださって、
新しい園を建設して、
歓喜の栄光をお父様に帰し奉ることができるよう
恩賜を許諾してください。

闘いの障壁を切り開き、
先知先烈たちが行ったのと同じ道を尋ね入りました。
困難な道だという道を尋ね入りました。
立ち戻ろうとしても立ち戻ることのできない道に入ってしまいました。
一方的な目標に向かって、
自主的な勇気を持って
闘わなければならない時となったことを知るものです。
最後の情熱をみな傾け、
他人よりも先に旗を揚げ、
サタンに向かって突進することのできる
天の精兵たちとなるよう許諾してください。

お父様!
残された闘いの祭壇を
勝利の祭壇として刈り入れ、
お父様の安息の祭壇、
栄光の祭壇として収拾することのできる時まで、
お父様、
私たちの行く道を守ってくださり、
私たちのとどまっている場所を聖別してくださり、
喜びの勝利の白い旗を、
この民族と全人類の前に立てても余りあるよう
導いてください。
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・四・八)

11-2 ヤコブの路程に倣い勝利の栄光を帰させてください

一つのみ旨を成すための路程が、
万民の知ることのできない寂しい路程であったことを知るとき、
ヤコブが歩んでいった二十一年の生涯が
私たちの信仰の行路として
残っていることを思うとき、
私たちも
ハラン荒野を前にしてラバンの家に向かって歩んでいった
ヤコブの路程を手本として、
み旨の道を歩んでいくよう同情してくださり、
私たちの友となってください。
私たちの行く道を保護してください。

私たちの行く道の前に
多くのサタンが立ちはだかっていることを知っています。
暗闇の権勢が立ちはだかっていることを知っていますので、
愛するお父様、
ヤコブが歩んだ路程を手本として歩もうとする
子女たちの心に、
鉄石のように変わらない一つの中心だけが
残るよう許諾してください。
一片丹心、すべて傾け、天倫のみ旨だけを心に抱き、
肉身のすべての条件を忘れてしまい、
力いっぱい走ることのできる子女たちとなるよう
許諾してください。

そうして、最後の凱歌をお父様の前に帰し奉る時までは、
耐えながら闘っていかなければならない道が残っていますので、
天よ、
力を許諾してくださり、
能力を許諾してくださり、
ヤコブの寂しい心情を受け継ぎ、
地から天の端まで架かったはしごを、
天の天使たちが上り下りするその栄光を眺める恩賜を、
この場に許諾してください。

私たちが最後まで協助なさる天のおられることを
知るよう許諾してくださり、
お父様の忍耐してこられた心情を知るよう許諾してくださいまして、
お父様の永遠のみ旨が成されるその日まで、
闘いの勇者として、
忍耐の勇者として最後まで闘い、
勝利するよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・七・三)

11-3 シオンの栄光が臨むようにしてください

お父様!
シオンの一つの中心を捜し立てるために、
数多くの先祖たちが血を流しながら
お父様の前に心配をかけ、負債を負った事柄を蕩減するために、
今まで闘ってきました。

お父様!
この時間、私たちの心と体に
シオンの栄光が臨むよう許諾してくださり、
永遠にお父様が臨在なさり得るシオンの喜びが
私たちの心に満ちあふれるようにしてください。

私たちが、
お父様が体と心を主管なさり得る
栄光の息子・娘となるとするなら、
私たちにはそれ以上望むこともなく、
それより望みがないことを知っています。

しかし、
永遠であられるお父様のみ手に捕らわれることができなければ、
この地上に
私たちのように寂しくかわいそうな者たちはいないでしょうし、
凄惨な者たちもいないことでしょう。

この時間、傷ついた体と心そのままで
お父様の前に出てきましたので、
お父様、
哀れにお思いくださって、
闘いで引き裂かれた私たちの傷を
治療することができるようにしてくださり、
お父様の心の中に秘められた
愛の味が分かるよう許諾してください。

そうして、天の心に似て、
天の栄光を中心として全体が歌うことができ、
天の栄光を中心として全体が楽しむことができ、
天のみ旨のために
全体が頭を下げることができるよう許諾してください。
わがお父様、
真実にお願い申し上げます。

きょうから持つ希望、
きょうから持つ恨み、
そしてきょうから感じるようになるお父様の愛に感動して、
希望を持って
あすの闘いの峠を越えるようにしてくださり、
生涯路程を行くにおきまして
数多くの怨讐たちの呪いの塀を越えるよう許諾してください。
そうして、
平和の心だけが
私たちの心の中心となるよう許諾してください。
勝利を目指したもどかしい心情だけが、
私たちの生命の中心となって、
この民族を身代わりして闘いの旗を掲げていくのに
不足がないよう許諾してください。

今は終わりの時であり、
人の言葉は必要なく、
人を通したみ言は必要なく、
人を中心としたみ旨は必要のない時であることを
知っています。
ただ永遠なる生命の脈拍を通して働いてくる
お父様の愛のみ言だけが必要なことを
私たちは知っていますので、
私たちがたとえ愛を体恤できない
不安定な立場に処しているとしても、
お父様、
役事してくださり、
火花のような目で監察してくださり、
私たちの心に秘められた喜悦の核心が
現れるようにしてください。
あらゆる恐怖に捕らわれた私たち、
お父様の前に出ていって
悔い改める子女たちとなるよう許諾してください。

お父様のみ手に捕らわれて、
お父様の恩賜に感謝をしようとする者がいるなら、
変わりなくそのような心をとどめるよう許諾してください。
聖なるお父様の前に、
愛の息子・娘だという印を受けて余りある
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、懇切にお願い申し上げます。

生命の動きも一つであり、
恩賜の動きも一つであり、
栄光の顕現も一つであるとするなら、
お父様、
散らばった祭壇を垣根として、
お父様のみ旨を中心として追い立てて、
早く早くこの民族が一つとなることのできる
喜びの祭壇を成してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを愛する主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・一一・一一)

11-4 恨みの城壁を崩し、前進する勝利の勇士とならせてください

数千年の間、先祖たちが
悲しみの城壁を積んできましたが、
この城壁は、日がたてばたつほど低くなるのではなく、
サタンが多くの知恵を使ってこの城壁を高くしています。

今日、全世界人類が、
先祖たちの誤ったこの恨みの城壁を
崩すべき責任を負い、
また私たちも
その責任を負っていることを
知らなければなりません。

イエス様一人が悲しい道を行かれたのは、
イエス様だけの悲しさであると思っていましたが、
その悲しみが
私たちの悲しみとして残っていることを知るとき、
今涙を流しながら天に向かって進むべき
自分自身を発見するものです。

今、
罪に対する切ない心情を抱いて、
先祖たちが犯したすべての罪の城壁を眺めるとき、
あまりにもか弱い自分たちであることを知るようになりましたので、
お父様、
これを押し出すことのできる、お父様の力を
受け継ぎ得るよう許諾してください。

お父様!
寂しい立場にいるとしても、涙の障壁を開拓し、
和動の園を成すようにしてくださり、
お父様が
心で心配してくださっているということを知っている以上、
私たちは躊躇する立場を離れて、
休むことなく前進する者たちとなるよう許諾してください。

今、お父様の命令を奉じていで立った道ですので、
死のうと生きようと所願成就の道に向かって
突っ走ることのできる
天の善なる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、「すべてのものを捨てて私に従いなさい」と言われた
イエス様のみ言に応じることができ、
そこに召しを受けることのできる
息子・娘となるよう許諾してください。

お父様が喜ばれるみ旨の前に、
願われる願いの園に向かって命令されるとき、
躊躇することなく、すべての準備を備えて
ためらわずいで立つことのできる、
天が愛してつかんでくださることのできる
息子・娘たちとならなければなりません。

そうして、
六千年の歴史的な恨みを
私たちが担い、
サタンと闘わなければならない責任がありますので、
新たな覚悟と新たな決心と新たな誓いを備えて、
百折不屈の心、
善なる心を持って闘うことのできる
勝利の勇者たちとなるよう許諾してください。
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・一二・二三)

11-5 天の愛に接ぎ木された収穫者とならせてください

お父様!
天と地が一つの体のようになっていることを、
私たちはみ言を通して知りました。
天は主体であり、
私たちは枝葉であることを考えるときに、
あるひと日、ある一瞬におきましても、
天の愛と生命の津液(=体内からにじみ出る液)を受けなくては
生きることのできない私たちですのに、
今日天のひと枝と葉として生きるべき私たち自体が、
永遠であられる神様から
にじみ出る愛の津液を受けながら
生きることができなかったことをお許しください。

お父様!
今終わりの時となり、審判の日を予告するこの時に、
私たち自体が
完全な根であられるイエス・キリストを中心として
お父様の愛に
接ぎ木され得るよう許諾してください。

永遠であられるお父様の愛と
イエスと聖霊の愛を通して結ばれる愛の実を、
私たち自体で刈り取ることを侍ち焦がれる
お父様であられることを知っておりますが、
私たち自体がそこに到達するためには、
あまりにも及ばず、不完全で未熟で、
お父様の収穫の刈り入れを
ふさぐ者となるのではないかと恐れるものです。

今、私たち自体をお父様にお任せしますので、
お父様!
私たちを育ててくださり、見守ってください。
試練と患難の中で演壇をお守りくださって、
一つの成熟した結実として完結し得るよう許諾してくださり、
永遠であられるお父様の愛のみ手を経て、
永遠の天国を成す結実体となり、
刈り入れてさしあげることのできる
収穫者となるよう許諾してください。

今、私たちを通して
キリストの日を成すことを促しておられることが
分かるよう許諾してくださり、
私たちを立て、
キリストの愛を表そうとなさる時であることが
分かるよう許諾してください。

また、私たち自体を立てて、
二十世紀である今日におきまして、
キリストの患難をつかんでいで立つことを
待ち焦がれておられることが分かるよう許諾してくださり、
お父様、
天城に向かって走っていく私たちの歩みが、
自分を中心としないようお導きくださり、
自分を中心として祈祷する場に
とどまることがないよう許諾してください。

すべての悪が侵犯することのできる要素を退け、
いで立つことができるよう許諾してください。
お父様が運行なさり、
お父様が願われるそのみ旨を成すために、
どのような険しい闘いの道だとしても、
倒れ落胆するしかない道だとしても、
耐えていくことができるよう、
お父様がつかんでくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
今日私たちがイエス様を身代わりして、
イエス様が地上において成すことができなかったことを
身代わりして成すようになるとき、
この民族の前に迫害を受けるようになるとしても、
そのすべてのものを耐えることができるようにしてくださり、
天のために生きるようになるとき、
この地上の人類から侮辱され、
困難を受け、
悲しみを受けるようになるとしても、
十分に克服し、残ることができるようにしてください。

六千年が経過した今日、
イエス様が収穫のひと日を待ち焦がれながら
私たちを呼んでいらっしゃいますので、
私たちを通して
歴史的な悲しみと十字架の血涙の跡を刈り入れられ、
私たちが勝利の盾となることができるように導いてください。
希望の実体であるイエス様が、きょうも
私たちがサタンを主管することのできる資格者となることを
待ち望んでいらっしゃることを
忘れないよう許諾してください。

そうして、
お父様の喜ばしいみ旨を心に抱き、
きょうも天を身代わりして闘わなければならず、
生涯路程を捧げてお父様のみ業を行って、
私一代において使命が終わらなければ、
後孫たちを通してでも
怨讐サタンを屈服させなければならないという決心を抱く
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五六・一二・三〇)

11-6 不変の志操を守る天の精兵とならせてください

神様は善の司令官であると同時に、
悪に対して闘っている、
お一人しかおられない私たちの総司令官であることを
感じるよう許諾してください。

六千年の間変わりなく
休むことなく闘ってこられたお父様の形状に似て、
またイエス・キリストの精誠の路程に倣い、
あなたの体面を立てることのできる
私たち聖徒となるよう許諾してください。

きょう、闘いの過程にとどまっている私たち、
自分を中心とした神様となってくださることを望み、
自分を中心としたイエスと聖霊となってくださいと祈る
愚かな者たちとならないよう悟らせてください。

天の闘いを身代わりし、
その闘いに勝利することのできる
天の精兵として現れるべき私たちであることを知るものです。
ある民族を中心とした精兵や、
ある世界を中心とした精兵となってはなりませんので、
永遠なる天の理想と
不変の愛と
天のみ旨のために、不変の志操を守る
天の精兵たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

六千年の間耐えてこられたお父様が、
私たちに命令をお下しになるときに、
私たちがあなたの心中を察することのできる
価値のある人格者となっていないとするなら、
お父様が親しく
私たちに命令をお下しになることができないことを、
私たちがこの時間知るよう許諾してください。

二千年の間苦労されたイエス・キリストも、
真正で公平で義理堅く、法度にたがうことなく、
天を身代わりすることのできる不変の姿を備えた
栄光の資格者でなければ、親しく命令なさることができなかったということを
私たちが知るよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちに残された宇宙的な願いがあるとするなら、
その願いは、私たちが
宇宙万象の全体的な責任を負うことのできる精兵となって、
全被造万物を解放し、
万人を喜ばせてあげることであると知るようにしてくださり、
天の命令を奉じて責任を果たすことができ、
使命感に酔うことができるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

天のみ旨をこの地上に探し立てるために、
天の法度を知り、宇宙の闘いの法度を知って、
不変の中心を身代わりして、
永遠であられる神様の理想と復帰の栄光が
全被造万物に現れる時まで、
私たちは変わろうとせず、休もうとせず、
ただ闘おうとだけする息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

すべてのものを超越して、
お父様の喜びと栄光だけのために
死の道をも意に介さず、勇進していく天の精兵たちとなるよう、
私たちをお導きくださいますことを祈りながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五七・四・一四)

11-7 最後の闘いに勝利させてください

私たちの心が望む希望は、
永遠であられるお父様の理想の園でしたし、
私たちの体が望むことは、
サタンと闘って勝利した栄光の姿を、
お父様の前に誇ることのできる
ひと日を見いだすことでしたので、
私たちの心がお父様の栄光をまとい、
私たちの体がお父様の形状に似て、
私たちの体と心がお父様の喜びの対象となり、
栄光の姿として現れるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

そのような勝利の息子・娘の形状を備えるべき
私たちだとするなら、
その心をお父様の栄光の前に、
その体をお父様の性相の前に、自らのすべてのものを差し出し、
おそれ多くかしこまった姿でもって
過ぎし日の足らなかった自我を悔い改め、
反省することができるよう導いてください。

お父様!
私たちに心からお父様の愛を欽慕し、
お父様の人格に似ようという心があるとするなら、
きょうのお父様のその悲しみが私たちの悲しみであり、
お父様の切なさが
私たちの切なさになるべきことを知っていますので、
愛するお父様、
そのような私たちとなるよう役事してください。

愛のお父様!
私たちの中に、
体と心が死亡と暗闇の道に
行きつつあるのを知りながらも、
いまだに悔い改めることができずにいる息子・娘たちがいますでしょうか。

お父様、
能力をもって現れてください。
お父様、
力をもって現れてください。
お父様、
再創造の復活の役事を起こしてください。
そうして、
私たちの体と心に、
お父様の無限なる愛の懐に向かって
駆け込むことのできる
能力を備えるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
時間がたてばたつほど、
最後の闘いの日が私たちの目前に来ていることを
知るよう許諾してくださり、
その闘いの場におきまして
落胆する者たちとなることがないよう許諾してください。
お父様を身代わりして
最後の勝利の一基準を立てる時までは、
闘いに闘っていくことのできる
天の精兵たちとなるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

きょうまで私たちと共に悲しまれ、
私たちと共に闘われ、
私たちと共に困難にぶつかってこられたお父様、
今、お父様の望みのひと日を眺めて闘うべき
新たな闘いが、私たちに残っていることを知っていますので、
お父様、
私たちに無限なる能力を注いでくださり、
その闘いに勝つことができるよう役事してくださり、
どうか足らない姿とならないようお助けください。

そうして、
この民族がお父様の愛の懐に抱かれ、
さらには、民族を通して、
この地の数多くの人類がお父様の栄光のひと日を
迎えることができるよう許諾してください。
また、人類を通して
天の千々万聖徒たちまで和動する、
二つではない一つの世界を成し、
お父様の栄光を賛揚し、
お父様の愛を体恤して生きる
新しい復帰の園が、
早く早くこの地上に成され得るよう
役事してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五七・一〇・一三)

11-8 サタンに勝利する天の精兵とならせてください

死んだとしても、あなたの遺業を継承しなければならない
闘いの歴史が
私たちに残っていることを考えるときに、
とどまっている私たち自体をお父様の前に差し出し、
果たして闘うことのできる天の精兵、
闘って勝利することのできる天の精兵となっているのかを、
私たち自らが反問することができるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちが闘うべき怨讐は、
地上のある一人ではなく、
六千年という長い長い歴史過程を経ながら
神様に対して反旗を翻し、
神様を讒訴した、
公衆権勢をつかんだサタンだということを
私たちは知っています。
きょう、このとてつもない怨讐を
お父様の前に屈服させるべき責任と使命が
私たちにあることを思うとき、
私たちは今まであまりにも安逸な生活を願い、
あまりにも恩賜に清かって
お父様の愛ばかり受けようとしたことを悟るものです。
お父様、
お許しください。

怨讐たちを屈服させるためには、
激しい荒波と闘いと十字架の逆境におきましても、
その精神と心が
変わってはならない立場にあるということを、
今まで私たちは忘却していましたが、
今からは変わらない心をつかみ、
億万のサタンに対して一人闘うことのできる
天の精兵となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

このみ旨を奉じていく中、
闘いに疲れてしまった息子・娘がいるでしょうか。
お父様、力を許諾してください。
躊躇する者がいるでしょうか。
お父様の勇気を許諾してください。
そうして、
勝利の目的に向かって走ることができ、
闘いの目標に向かって真っすぐ走っていくことができ、
突進することのできる
愛する息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

最後の接戦を経て、勝利をもって
ゴルゴタの峠を越えるべき責任が私たちにありますので、
お父様の力と心と覚悟と決心を持ち、
このすべての戦場に向かって走っていくことができ、
恨みが積もり勝利することのできる
お父様の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

心がとどまるところがどこなのかを、
お父様の前にあらわにするようにさせてください。
お父様のみ旨を一つの目的体として現し、
サタンと対決して
勝利の基準を現すべき使命を持った息子・娘たちが、
お父様、
ひ弱な立場にいるでしょうか。
力をお与えください。
お父様の前に祈祷し、
天の悲しみをそそる者がいるでしょうか。
お父様、
喜びを許諾してください。
天を見いだそうと心を砕く者がいるでしょうか。
善と公義の役事をもって現れてください。

今、私たちが進むべき闘いの路程におきまして、
障壁が前をふさぐとしても、
一人これに責任を負い、
お父様のみ旨に向かっていくことのできる
お父様の息子・娘となるよう許諾してください。

イエス様が十字架を前にして、
無限の苦痛をお受けになりながらも、
これを克服していかれた勝利の姿に倣い、
私たちも最後の生命をみな捧げてでも、
勝利することのできるお父様の息子・娘の基準を
立てることができるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五七・一〇・二七)

11-9 第三イスラエルを成就させてください

霊界では
第二イスラエルの名で位階が編成されていますが、
今日世界に散らばっているキリスト教が
第二イスラエルの位階を成すことができずにいます。
お父様!
眠っている民族を目覚めさせ、
眠っている世界のキリスト教徒たちを目覚めさせて、
地上で第二イスラエルの祝福を身代わりすることのできる
位階を造成し、
霊界が一つとなり、
今日第三イスラエルを世界的に建設することのできる
選民権を私たちに許諾してください。

そうして、
位階をもって組織された氏族を通して、
民族を通して、
国家を通して世界型まで経ていくべき天的な使命を
私たちが引き継ぎ、
モーセが闘った路程を
私たちが引き継ぐよう許諾してくださり、
イエス様が闘われた路程を私たちが引き継ぎ、
サタンの非難と讒訴を退け、
さらにはお父様に侍ることができるよう許諾してくださり、
お父様の栄光を私たちに許諾してください。
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

神様が選んだ
選民イスラエルの苦難に打ち勝つことのできる
喜びの息子・娘として立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
私たちが
世界カナン復帰路程を成就するよう許諾してくださいまして、
今、サタンとの闘いの路程で、
私たちが一つに結束して勝利するようにしてくださり、
一つの中心的なイエス様のみ意の前に
反逆する群れとならないよう許諾してくださり、
苦労させる群れとならないよう許諾してください。

今、私たちは
天にご心配をかけず、
第三イスラエルを成就しても余りある
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・二・九)

11-10 真なる自由と解放と統一の世界を成させてください

お父様!
自由の園を失ってしまった人間、
解放の園を失ってしまった人間、
統一の園を失ってしまった人間たちを
哀れにお思いください。
失ってしまったすべてのものが、
外的世界において解決されるとだけ思っていましたが、
外的には一定の基準を備えてきながらも、
内的には分裂してきた歴史的な悲しみを
私たちは知りました。

今、問題となる内的な自由の世界、
内的な解放の世界、
内的な統一の世界を勝ち取ることのできる
神様に対する生命の力が、
愛の力が、
理念の力が私たちにみなぎって、
死亡までもあざ笑い、
苦痛と悲しみと悔しさをすべて踏み越えることのできる
一つの心情の基準が、
私たちの心に立てられるようにしてください。

そうして、
心情の世界では
全体の聖徒の自由さを感じることができ、
全体の環境も感じることができ、
全体の生命までも動き出し得るということを
私たちが知るよう許諾してください。

お父様!
きょうの歴史的な世界を眺めるときに、
内的には分裂を助長しながら、
外的にはいかにもそれらしく統一の形態を備え、
物質を中心として
動いてきているということを知るものです。
しかし、内的に見るなら、それとは反対に
精神の窮乏を避けるために、
生命の窮乏を避けるために、
愛の窮乏を避けるために
歴史が流れてきたということを知りました。

お父様!
今日この地上に生きている人間の心と心に、
今、物質的な飢饉と枯渇だけでなく、
物質的な追及だけでなく、
精神的な枯渇と精神的な追及を受けていますので、
これを満たしてやることのできる聖霊の炎、
お父様の生命、
お父様の愛の力を許諾してください。
そして、それが爆発するところにおいてのみ、得ることのできる
内的なすべての生命、
追求した自由の理念までも消化することのできる
お父様の自由の心情、
お父様の解放の心情、
お父様の統一の心情を
私たちに許諾してください。

捜しさまよわれた苦労の歴史路程の前において、
今、私たちの心情に
お父様の心情が爆発するよう許諾してくださり、
お父様の生命力、
お父様の理念、
お父様の愛を中心とした、生命を基盤とした自由、
理念を基盤とした自由、
愛を基盤とした自由、
そしてまた、それらを基盤とした
解放と統一が成されたその全体を所有して、
「お父様!
今こそ慰労をお受けください。
あなたの心がこうだということを知りました」と言いながら、
歴史路程で苦労された
お父様の願いを解怨してさしあげることのできる、
心情的な基盤を備えるよう許諾してください。

そうして、
お父様に侍り、
栄光を受けることのできる
生命と理念と解放を歌うことのできる立場で、
復帰の悲しみと復帰の苦痛と嘆きを解怨する
自由の回復運動を摂理された
お父様の心までもすべて解怨し、
世界の人類全体が
お父様に侍り、自由を歌うことができ、
解放を歌うことができ、
統一を歌うことができる
お父様の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・一〇・一二)

11-11 お父様の前に最後まで残され得る者とならせてください

きょう、私たちがお父様のひざの前に再び集いましたが、
悲しいお父様に
栄光を帰し奉れないのではないかと心配であり、
お父様が望まれるみ旨の前に
とてつもない過ちを見せるのではないかと心配ですので、
お父様、
ふさわしくない私たちであるとするなら、
自ら低い立場に処して
お父様の哀れみを望むことのできる
懇切な心だけでも持つよう許諾してください。

お父様が助けてくださらなければ、
どうして私たちがこの地上で
お父様の栄光を眺めることができ、
お父様の心情に残される私たちとなることができるでしょうか。
そうできなければ、
どうして私たちが許された園のみ旨を眺めることができるでしょうか。

お父様!
あなたの心の中に残され得る群れ、
あなたの心情に和することのできる群れ、
あなたと共に生活することのできる群れとなることを、
私たちは最初から心に描き、
またそのみ旨を見つめてきました。
お父様の前に誓った私たち、
お父様の前に決心した私たち、
そのお父様の命令に
従順になり得る私たち自体となっているかを、
自ら反問してみる
この時間となるよう許諾してください。

終わりの日は近づいていますが、
お父様のために責任を負う群れがいないことをご覧になり、
お父様が嘆息しておられることを知っています。
私たち、
お父様を求め、お父様の栄光を見つめ、
お父様の息子だと、心では自任していますが、
お父様のお残しになったみ旨、
お父様の許諾された摂理、
お父様の闘いの路程におきまして、
ある一分野に責任を負い
現れる群れがないことをご覧になり、
お父様が嘆息していらっしゃることを知っていますので、
お父様、
私たちがこの時間再び
お父様の前に贖罪の祭壇を築き、
痛悔の涙を流すことができるよう許諾してください。

荒野路程で
安息を望む心を持ち、お父様を恨みながら
荒野で倒れてしまったイスラエルの群れを、
私たちは知っています。
今日、私たちはそのような姿とならないために、
この時間お父様のみ手をつかもうと集いましたので、
お父様の栄光に参与する
群れとなるよう導いてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

地に対して苦労する
お父様の息子・娘を探し求めているこの時、
単にお父様に対して自分だけをつかみ、とどまる者たちと
ならないよう許諾してください。
自ら足らなさを感じる私たち、
お父様の祭壇の前に現れることのできない足らない自分たちですが、
み旨のためにゴルゴタの道を最後まで死守できる
あなたの息子・娘となるよう許諾してくださり、
最後まで残される群れとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・一〇・一九)

11-12 すべてのものを克服し、いで立つ天の勇士とならせてください

お父様!
永遠なる生命を動かすためには、
生命は生命でもって動かなければならず、
愛は愛でもって動かなければならないということを
知っています。
お父様、
そうですので、
生命の主体であられるお父様が
生命として現れてくださり、
愛の主体であられるお父様が
愛として現れてください。

私たちはその生命の枯渇を被っていて、
愛の枯渇を被っています。
そうでありながらも、
すべての理念的な面で窮乏なる立場におきまして、
一日の生活すら保護することのできない
足らない者たちです。
天と地に背反して
理念を失ってしまった堕落の恨みを、
私たちが胸に抱いて
きょうも悲しみ、お父様の前にひれ伏しますので、
かわいそうなこの者たちを、
お父様、
抱いてください。

お父様が知らないと言われれば、
誰が私たちを引き受けてくださり、
お父様が捕まえてくださらなければ、
誰が私たちを捕まえてくださるでしょうか。
私たちの前には指導者もなく、師もありませんので、
ただお父様だけが
私たちと共にいてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

私たちが困難なことにぶつかるときや、
悲しいことにぶつかるときごとに、
お父様が私たちの心を慰労するために
苦労なさることを知るとき、
お父様の前に面目ない私たちであることを
申し上げざるを得ないものです。

「行け」と言われる道に従って、
私たちが迫害される歩みをたどるのをご覧になり
涙されるお父様、
申し訳ございません。
「来い」と言われるお父様の召しに応じて、
お父様が歩んでいかれた足跡に従って
いで立った私たちであり、
死の道をも覚悟した私たちですので、
お父様、
死の道が現れるとき、
死亡線を怖がって、
その手前で退く者たちとならないようにしてください。

私たちの体が引き裂かれ、
心がずたずたに引き裂かれる痛みが迫るとしても、
お父様の嘆息が残り、
お父様の恨みが残り、
お父様の愛が残っている限り、
すべてのものを克服していで立つことのできる
天の真なる勇士、
天の真なる息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・一二・二一)

11-13 強く雄々しい天の精兵とならせてください

今、宇宙的な悲しみの歴史路程を清算し、
新しい喜びの歴史を
創造しなければならない時がやって来ました。
お父様、
私たちの力が足りませんので、強い力をお与えくださり、
強い欲望を持つよう許諾してください。
新たな勇猛性を備え、
目標に向かって自信を持って前進することのできる、
天の精兵の姿を備えるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

カナンの地を眺めるヨシュアとカレブに
お父様は「強く雄々しくあれ」と言われました。
怨讐に対しているヨシュアの前に立てられた一つの基準は
「強く雄々しくあれ」というものでしたので、
今日、私たちの姿も強く雄々しく
カナンの都城に向かって
総進撃しなければなりません。

最後の決戦が目前に迫ったこの時、
闇の勢力に対して、
この地上で責任を負って闘うことのできる
息子・娘が必要なことを知っています。
お父様、
ここに集ったあなたの息子・娘が、
そのような責任者となることができるよう許諾してくださることを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

ここに集った息子・娘たちの心と心を
主管してください。
きょう、自らを立てて主張する者がいるでしょうか。
自らのある主義や思想や自らの観念を通し、
自らの認識を通して
お父様に対する者がいますでしょうか。
こうした者はお父様の絶対的な権限が分からない者であり、
お父様の背後の苦痛が分からない者です。

恨みと悲しみで六千年間ふさがっていた死亡の障壁を、
切り開くことができるようにしてください。
そうして、
千々万の聖徒たちが動ずることができ、
三位神を中心とした霊界の数多くの霊人たちが
この時間、歓喜の誦詠を捧げるようにしてください。
万有万象のすべての存在の前に、
復帰と解怨の日を約束し得る
このひと時となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・一二・二一)

11-14 終わりまで耐え努力して最後の結実を結ばせてください

今まであなたのみ旨のために
来ては逝った人々が多くいましたが、
取るに足らない私たちを呼んでこの場に集わせてくださったのは、
あなたのあまりにも大きな恩賜であることを知っていますし、
あなたが私たちをお集めになったのは、
命じようとなさるみ意があってであるということを知っています。
お父様!
この時間、個々人の心霊の上に
あなたの生命のみ言と生命の恩恵をお与えくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちはきょうもあすも、
希望の園を見つめながら
闘いの一路を開拓しなければならない
戦場が残っていることを知っていますので、
私たちの体と心が強く雄々しく
死亡の波をさらって追い出すことができるよう
導いてくださり、
生命の権限を持って復活の恩賜を誇ることのできる
あなたの息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

愛するお父様!
この民族を代表して集う数多くの教団を
祝福してください。
特に寂しい中であなたの前にひざまずき、
懇切に祈祷している食口たちにも、
お父様、
祝福の恩賜をお与えください。
一律的な恩賜のみ手をもって彼らを保護してくださり、
一律的な役事をもって彼らを勧告してくださいまして、
残された闘いの場において、
サタンとの最後の激戦で
敗北する者たちとならないよう保護してくださり、
栄光の凱歌を高く叫び、
お父様の息子・娘だと誇ることができるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

多くの群れがお父様のために努力しましたが、
終わりまで耐えて勝利することができなかったことにより、
その努力と苦労が結実しなかったという事実を知っていますので、
お父様、
終わりまで耐え、終わりまで努力し、
お父様の前に最後の結実を結んでさしあげる時まで、
きょうもあすも、
いや一生をかけたどのような闘いも
意に介さず、前進することのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五九・三・二二)

11-15 善なる実を結ぶ姿とならせてください

お父様!
今まで私たちは、
お父様のみ旨が何であるかを知りませんでした。
歴史的なみ旨も知らず、
時代的なみ旨も知らず、
個人の生涯と生活に対するみ旨も知りませんでした。
しかし、おそれ多くも
歴史的なみ旨を知ることのできる
恩賜を許諾してくださいましたので、感謝を申し上げます。

時代的な心情、
生涯的な心情、
生活的な心情、
時間的な心情までも教えてくださいました恩賜に、
お父様、
本当に感謝をするものです。
この心情を抱いて、
私たちは使徒の門を通過しなければならず、
キリストが行かれたその道に従って、
狭い門から入らなければなりません。

そうして、
死の峠におきまして闘って勝利し、
復活の恩賜を得ても余りある者となり、
再び地上に復活した善の氏族を残し、
実を結ぶようにして初めて
審判を避けることができるというみ言を知っています。

善なる実を結べない木は、
すべて切って捨ててしまうと言われましたので、
善なる木とならなければなりません。
善なる木となって、
善なる実を結ぶ者たちとなるよう許諾してください。

イエス様も善なる実を刈り入れるために
二千年の間闘ってこられたので、
今日の私たちも復活の恩賜に浴して、
善なる木として
善なる実を結ぶことができるようにしてください。
地上にその種を蒔いておき、逝くことのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

これがお父様のみ旨であり、
これが地を訪ねてこられたお父様の目的であり、
これがお父様が闘ってこられた内容であることを知り、
そのみ旨、
その目的、
その内容に徹して生活することができ、
闘うことができ、
お父様をつかむことのできる
私たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お残しになったみ旨をすべて成し、
駆けていくべき道をすべて行って、
主を慰労することができ、
お父様を慰労することのできる
最高の孝子孝女たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五九・四・二六)

11-16 カナンに向かって突進する天の勇兵とならせてください

死亡の波が逆巻く
塗炭の苦しみの中にいる私たち人間は、
この地上に哀れみのひと日をお開きになるために
長い長い歳月の間苦労され、
悔しさにぶつかられながら
闘いの歴史を摂理してこられたお父様の前に、
面目を立てることができず、
お父様が信じようとしても信じることのできない
罪人たちであることを悟るものでございます。

今、エジプト苦役時代のような六千年の歴史を
解放させてください。
栄光のひと時とひと日を約束されたことに感謝を申し上げます。
数多くの先知先烈たちをして、
先に血涙の道を歩むようになさり、
行くべき道はこうだと、
その行くべき方向を指示された時が一、二度ではなかったことを、
私たちは歴史を通してよく知っています。

哀れみのお父様!
愛のお父様!
慈悲のみ手をもって
この地をおつかみになるのは難しいことを
知っている私たちです。
不忠で不備なる者たちですが、
あなたの哀れみを欽慕し、
あなたの愛が慕わしくて
お父様のみ前に出てきましたので、
お受け入れください。
嘆息と悲しみが残っているこの地に
生を受けている私たちを、
哀れにお思いください。
現実の生活にあえいでいる私たちを
哀れにお思いください。

天の心情を抱いて心配する者がいるとするなら、
この地を涙と悲しみをもって
見つめないではいられないはずです。
また、
天のために痛哭しないではいられない心情を、
私たちは痛嘆しないわけにはいきません。

願わくは、
そのような心情に徹し、カナン福地を望む
エジプト苦役路程のような六千年の試練の歴史の嘆息圈を、
お父様、除去させてください。

人間は望み信じ従ってきました。
行く道は苦役の路程であり、
行く足取りは悲しみを促すものであることを
知っていますが、
恨みの堕落行為を犯した人間であるために、
行くまいとしても行かざるを得ないのです。

絶望のどん底であえぐ人間は、
天の約束を知ったその日から、
この死亡のどん底から
抜け出すためにあえいできましたが、
今日までサタン隷下から
抜け出すことができずにいることを知っています。
また、その中に、誰よりも
私たち自身が存在しているということを知っています。

今、生きるために、ただ
生きておられるお父様を呼ぶべき時が来ましたし、
摂理のみ旨をお立てになったお父様のために
忠誠を尽くす息子・娘たちが
現れなければならない時が来ましたので、
不備なる自らを怨嗟し、
不完全なる自分を嘆息し、
不忠なる自らを打ちながら、
きょうもあすも、
その国を立てるためにあえごうと、
懇切なる心情だけでも持つよう許諾してくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
イスラエル六十万大衆が宮中を脱出した時には、
喜びの歓呼の声が天を突きましたが、
その後パロの戦車があとを追ってきた時には
嘆息し、天を恨んだ先祖たちの歩みを
よく知っています。
今日、私たちがお父様の前にいで立つとき、
喜びの心情があるでしょうか。
その心情に反して
天を恨む心情が大きくなるのではないかと
心配です。

どのような曲折と
どのような悲しみにぶつかるとしても、
怨讐たちが罪悪の洞穴を掘って待っているとしても、
粘り強く闘って、
天の精兵らしい志操を喪失しないようにしてくださいますことを、
愛するお父様、
懇切にお願い申し上げます。

行く道には峠もありましょうし、
砂利の多い土地もあるでしょうし、
荒れ地もあるでしょうし、
怨讐たちが私たちをねらうときもあるはずですので、
既に覚悟した決心でもって、
すべてものを意に介さず、
きょうもあすも闘いの一路を開拓し、
約束したカナンの地を解放する時まで、
その心と心に責任を感じ、突進することのできる
天の勇兵たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五九・五・一七)

11-17 サタン世界での勝利のために勇進させてください

お父様!
歴史路程を経てきた私たちが、
自らの反映を世界に転じ、
世界の反映を私たちの一身に備え、
この世界を動かされるお父様に侍ることのできる
孝子、孝女、忠臣となるよう許諾してください。
これがお父様の願いであることを知りました。
私たち、今からでも
み旨のために犠牲になろうという新たな覚悟のもと、
天のみ旨の前に凛々しく立つことのできる
息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

私たちの前に険しい道が訪れ迫害が連なるとしても、
お父様を思い、
寂しさに涙があふれ出るとしても、
お父様を思い、
悲哀の曲折に浸って、身の置き所のないときでも
お父様を思い、
この道は私が行くべき道、
一生の仕事とすべき道と思い、
有り難く思いながら行くことのできる息子・娘となるなら、
私たちは滅びることがないことを知っています。

そのような私たちを通して、
この民族は新たな方向を知る時が来るでしょうし、
世界人類の新たな文化の基準、
新たな視点を立てる時が来ることを知っていますので、
私たち、
天情の因縁を備え、
天的な心情の園を建設するための
ラッパを高らかに吹き、行軍する
勇士たちとなるよう許諾してください。

サタンの終末を見るために、敵陣に向かって総進軍する
あなたの息子・娘となるよう許諾してください。
そうして、天が失ってしまった人間たちを取り戻し、
天の懐に再び帰らせ、
勝利の凱旋歌を歌って余りある
息子・娘となるようにしてくださいますことを、
お父様、懇切にお願い申し上げます。

天が任せようとなさる時代的な偉業、
世界的な偉業、
さらには天宙的な偉業を担うに不足のないよう、
お父様が抱いてくださり、鍛練してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六〇・一〇・一六)

11-18 最後の激戦地で終わりまで変わらない者とならせてください

お父様!
行けと言われた所を訪ねてきました。
来てみると、
最後の闘いが残っていることを
知るようになりました。

約束の地、
カナンの福地を喜びをもって見つめながら進んだ
イスラエル民族の前に、ヨルダン川が横たわっていたように、
私たちの前途にも
最後の闘いが残っていることを知りました。

時を迎え、
一地域に向かって行けという命令を受け、
希望の拠点に向かっていったその群れの前に、
ヨルダン川を渡るための
三日の闘争路程があったことを知りました。

今日まで綿々と続いてきた凄惨な歴史の血痕が、
きょう私たちから
勝利のものとして刈り取られるべきことを知るものです。
お父様!
今は最後の特命を受けて悲壮な覚悟を持ち、
父なる神様の宝座に向かって
厳粛に歩みを踏み出さなければならない
深刻な瞬間であることを知るものです。

私たちの体と心が
私たち自身のものではないことを知りました。
私たちは誰のものであり、
誰のためにこの場にいるのでしょうか。
私たちはお父様のものであり、
お父様のために存在しています。

私たちの補給地は地上ではないことを知りました。
体の補給地は四方性を備えていますが、
心の補給地は
困窮と苦痛と悲しみと悲哀であることを知りました。
これを突き抜け、定着しなければならない
最後の城壁に到達し、
最後の突撃命令を待つ瞬間であることを知りましたので、
この瞬間に、私たちが実を結んで倒れようという
悲壮な覚悟と誓いと信念を持つようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

み旨に背反し、
悲しい歴史路程に
一層悲しみを加えた者たちを打たれる
お父様を、恐れることのできる
私たちとなるようにしてください。
肉がそがれ、骨が折れるとしても、
心に決めた決意が変わることなく、
最後まで残され得る
私たちとなるようにしてください。
不変の中心のために
この体と心すべてが捧げられるとするなら、
何の恨みがあるでしょうか。

寝ようが覚めようが、食べようが飢えようが、
神様の一線を守るべき精兵であることを
忘れないようにしてください。
飢え渇き、病んだ
流れ者のような身であるとしても、
お父様に向かう誓いを
破ることのない群れとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
お父様のみ意のままに成してくださり、
勧告なさったみ旨が
私たちによって結実されるようにしてください。
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六〇・一二・一一)

11-19 死を覚悟していで立ちました

お父様!
特別に時代的な困窮が私たちの前に近づき、
時代的な飢えが私たちの前に近づき、
時代的な絶望と嘆息が私たちの前に近づいてくるとしても、
これを無難に越えていで立つ
天の息子・娘となることができ、
死亡の世界から復活の権勢を備えて、
勝利の旗を立てることのできる
統一の役軍となるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

私たちの中に、足らなくて
お父様のみ意のままに
動ずることのできない者がいるなら、打ってでも
お父様が願われる希望の地の上に立たせてください。
死をもってでも、勝利を立ててみせるというのが
天のみ旨であることを知っていますので、
私たちもそこに歩調を合わせて、
死を覚悟してついていこうという信念だけは
捨てないようにしてください。

イスラエル民族が
カナンの地に向かって行軍するときに、
モーセが倒れる者たちに
むちを取り、打ってでも
荒野路程を越えさせていたなら、
イスラエル六十万大衆は、
荒野ではげたかのえさになりはしなかったでしょう。

この民族全体が心で信じ生活で一つとなって、
離れようとしても離れることのできない因縁の中で、
むちを取って打ってでも私を導いてくださいという
決意と誓いをすることのできる
民族的な運動を展開しなければならない時が来たことを、
私たちはあまりにもよく知っています。

統一の群れたちは、
既に死を覚悟していで立った群れですので、
お父様、
むちを取って打ってでも
カナンの地にお導きください。
死ぬとしても、その場所に行って死のうという
者とならなければなりません。
荒野で倒れてはげたかのえさとなって、
千秋の恨みを残し、歴史的な汚点を残した
先祖たちの二の舞いを踏む者たちとならないようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。

今、私たちが天のみ旨を継承し、
新しいイスラエルの旗を掲げていで立ち、
彼らが行くこと
できなかった十字架の峠に責任を負っていくことのできる
天の息子・娘となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

習慣的な信仰観念の中に
とらわれないようにしてくださり、
日がたてばたつほど、
お父様のための忠誠心と孝の心が
心の中に深く流れるようにしてください。
厳しい環境であればあるほど、一層懇切であり得る真の心情だけが
私たちを主管できるよう祝福してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六二・二・二三)

11-20 世界に向かって勇進する天の勇士とならせてください

お父様!
人々は、
韓国の一角から始まった歴史的なこのみ業が
追われ、追い出され、流れいく水のように
消えてなくなってしまうと思っていましたが、
今、世界的に広まっていき、
日本とアメリカとドイツ、
全世界に問題を巻き起こしています。

しかし、これは
この世界を滅ぼさせるためのものではなく、
サタン世界を滅ぼさせるためのものであることを知っています。
サタン自体をこの地上から追放するための
歴史的な事件であることを知っています。

このようなとてつもない復帰の使命を背負った
天の勇士たちですので、
どうか強く雄々しくあり得るようにお導きください。
お父様がいつも共にいてください。

私たちの背後にはいつも
天の千々万聖徒たちが
背水の陣を敷いているということを知りました。
私たちにはただ前進あるのみですので、
この国のために行かなければならず、
この世界のために行かなければなりません。
全天宙にいる霊人たちまでも
解放すべきとてつもない使命が、
今日、私たちの復帰路程にあることを
はっきり知りましたので、
この道に最後まで従っていくようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
とてつもない歴史の新しい正道が
この地上に現れました。
新しい組織がこの地上で波及し始めたので、
全世界を感動の渦中に追い込み、
勝利の旗を掲げて
お父様を賛揚することのできる世界が
早く早く来なければなりません。

私たちは生命とすべてのものを投入し、
そのために決意した者たちですので、
お父様が願われるままに
言い付け、命令してください。
大洋も躊躇することなく越えていくでしょうし
大陸も横断することでしょう。

私たちが行く道に
あなたの平和のみ手が共にあってください。
勝利の盾が
私たちの周囲にあることを知っていますので、
私たちが行く所ごとに、
お父様の栄光とお父様の実証的な姿を
見せてあげることのできる事件が起こるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

数多くの国を訪問する度ごとに、
私たちの使命がどれほど忙しく、
どれほど切迫しているかを知りますので、
私たちはお父様のために、
より一層忠誠を尽くさなければなりません。

今、この民族のためにだけ生きる時は過ぎ去りました。
世界のために、天宙のために生きるべき時が来たのです。
ですので
私たちの個人的な生活環境を越え、
生命の源泉であり、
愛の源泉であり、
理想の源泉であられるお父様を中心として、
生活圏内で私たちの全体がお父様と接して、
勝利者となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六九・五・四)

11-21 はっきりとした目的意識を持って前進させてください

お父様!
私たちを送られたあなたの願いが何であるかを、
はっきり知るべき時がやって来ましたので、
お父様のその願いと私たち自身が一致し、
私たちがその願いの結果を持って
お父様の前に帰っていかなければならない
重大な責任があるという事実を、
はっきり悟るよう許諾してください。

お父様!
ここに幼い子女たちが集いましたので、
あなたが歴史時代を経てこられながら悲しかった事情がありましたなら、
私たち一人一人の心中に訴えてください。
怨讐と対決する中で、
悔しく口惜しい事実がありますなら、
そのすべてのものを復讐して蕩減し得る一念を、
私たちに移してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様によって始まった私たちでありますがゆえに、
お父様によって生きていくことを願うものです。
ですので、
お父様の前にすべてのものを捧げて従ってきた
私たち各自の心に、
あなたの能力と生命の力がほとばしる
この時間となりますよう許諾してください。

私たちはこの民族の困難を
踏み越えていかなければなりません。
また、私たちは
すべての混乱した環境を収拾していくべき
天の命令を受けた者としての責任が
とても大切なことを知りましたので、
今こそ目的意識に徹頭徹尾徹しなければなりません。

怨讐がこの目的をふさぐときは、
その怨讐を取り除いていかなければならず、
環境が応酬するときには、
その環境を除去していかなければなりません。
このような決意に徹している
一個体が必要だということを、痛感することのできる
あなたの息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

数多くの人々の中から私たちを呼び集められたときは、
あなたの大きなみ意があったことを私たちは知るものです。
格別にあなたの使命を付与なさり、
新しい使命を命令するためのみ意があったことを
知っています。

お父様、
そうですので、
私たち各自の体と心を
お父様の前に完全に捧げて、
最後の前線に向かって駆けていく
天の勇士の姿を備えるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六九・五・一一)

11-22 お父様の国を建設する若者とならせてください

お父様!
ここに集った統一の子女たち、
統一の息子・娘だと自任しているこの若い胸の中に、
何を吹き込まなければならないでしょうか。
統一の名前を嫌い、
統一の道を嫌い、
統一がとどまる場を嫌っては、
統一の子女の威信を立てることができないということを、はっきり知る
あなたの子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

人生は流れいく歳月とともに、
瞬く間に過ぎていくことが分かるようにしてくださり、
流れ者の境涯が
私たちの人生行路に必ず訪ねてくるということを、
私たちが忘却しないよう許諾してください。

朝、太陽が東方から昇るときには、
すべての万物が歓喜してその光に満ちあふれていますが、
数時間以内に
夕日の物悲しい影とともに
その光が痕跡を消すということを知るものです。

同様に、
きょうこの青春時代のすべての貴いものを
誇るのもいいのですが、
それよりは、夕日を迎える前に、
この青春時代に
何かをこの地上に残してから逝こうと身もだえすることのできる、
志ある若者たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

統一の理念を通して歩いていく若い者たちが、
その何に向かっていくのか、
その何に責任を負うのかを考えるとき、
あなたが探し求める人々は気の小さい者たちではないことを、
もう一度感じるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

若き胸と胸に
世界的な実力を備えなければならない時が来て、
新たな道義に燃え、義侠心と意欲に燃えることのできる
勇猛心を中心として闘い、
勝利の決定を備えなければならない時がやって来ました。
このような時に、個人から
家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙にまで
お父様に侍り得る王国の起源を
つくらなければならない、とてつもない使命が
残っていることを知っています。
このような使命が
きょう、時間とともに私たちを促しているのに、
私たちが無感覚な木石のような立場で、
感じることができず、行動することのできない
哀れな者たちとなることがないよう許諾してください。

きょう、私たち自体をこの地が呼んでいますので、
その声を聞くことのできる
人々となるよう許諾してくださり、
韓国の未来像と世界の未来像が
私たちを呼んでいることを知るよう許諾してください。

進むその歩み歩みごとにお父様が勧告してくださり、
お父様が同行する事実が分かるようにしてくださいまして、
全体のすべての結果をあなたと共に感じながら、
あすの希望にあふれんばかりの胸を抱き、
開拓者の使命と開拓者の楽しさを
賛揚していくことのできる若者となるようにしてください。
また、
そのような姿をあなたが待ち焦がれていらっしゃることを
知るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六九・七・六)

11-23 最後の勝利をお父様に捧げ奉る子女とならせてください

お父様!
歴史過程で
数多くの暴風雨と怒涛を押し分けてきながらも残された、
この統一の群れをお守りください。

私たちが行くこの行路の前に、
幸福の港が私たちを待っていることを知るものです。
歓喜と喜びの日を迎えるために、行く途上に
どうして風波がなく、
どうして試練がないといえるでしょうか。

しかし、私たちがどのような試練と苦痛を受けるとしても、
目的と目標を忘れないようにしてください。
いつも方向を透視する立場に立つことができるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
漆黒のような暗闇の中に処しているとしても、
お父様に向かうその心だけは忘れてはなりません。
外的な基準では
すべての方向を失ってしまったとしても、
内的な基準では
その方向を備えることができるようにしてください。
このような方向を備えなくては残され得ず、
困難な苦海のようなこのサタン世界を
決して渡っていくことができないということを、
私たちがはっきり分かるようにしてください。

眠るときにも、休むときにも、
自分自身を忘れ、
心の方向をお父様と一致できるようにしてくださり、
自らを収拾し、導いて、
お父様の協助とともに
私たちが一致して共に行動し、
その結果を見ることができるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

流れいく歳月とともに、
私たちが間違った歴史の流れを阻み、
天の流れを連結させて、
新たな歴史を創建すべき重大な使命が、
私たちの前に置かれていることを知っています。
この使命のために生まれたので、
ただこの使命のために闘い、
この使命のために死ぬことのできる
勇兵となるようにしてくださり、
最後の勝利をお父様のものとして決定し、
捧げることのできるその日を迎えて、
お父様の前に行くことのできる
あなたの子女たちとなるようお導きくださいますことを懇切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六九・七・二七)

11-24 お父様の勝利の国を立てる開拓者とならせてください

お父様!
私たちは
あなたが求められる勝利の国を立てるため、
この体を克服して導き、
すべてのものを捧げていく覚悟をしなければなりません。
あなたがそれほどまでも求めてこられた勝利のひと日を、
私たちは必ず見てから死ななければなりません。
あなたが望まれた勝利の国を、
私たちが必ず建国してから逝くべき責任があることを
痛感しなければなりません。
また、私たちは
その国を立てる
勝利の民族となることを願って進まなければならず、
私たちがそのような民族を創建することのできる、
一つの氏族の姿を身代わりし得る
聖なる群れとならなければなりません。

少数の群れでもって
全体の価値を身代わりしようとするお父様のみ旨の前にあっては、
苦労の過程を経ないわけにはいかず、
鍛練と試練と受難の過程を
経なければならないというのが、
歴史過程の実情であることを考えるとき、
私たちがこの道を
正当に歩んでいくことができるようにしてくださることを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
私たちにお命じください。
今、私たちの心は焦燥しなければならず、
体は一つの所に向かって忙しく走っていかなければなりません。
自ら覚悟し、行きに行くべき姿であることを悟り、
あすの遠い道に向かって走っていかなければなりません。

行くべき道を行くことだけが私たちの責任ではなく、
開拓者の行路を手探りしていくべき責任が
私たちにあるというこの悲しい事情を、
私たちは知らなければなりません。

私たちの前に
喜びと栄光と歓声が待つのではなく、
闘いと悲嘆の曲折と、開拓すべき未開地が
展開されていることを知り、
それを凝視しながら行かなければなりません。

私たちが耐えてきた過去を
誇るのでなく、
今から耐えていくべき自らを
誇ることのできる立場でなければ、
この道を克服していくことができず、
勇士としてあすの勝利を誓うことができないという事実を
知らなければなりません。

私たちは、その国を主管なさり、
その国を愛され、
その国で権限を持たれるお父様に
侍ることのできる日を望みながら行かなければなりません。
私たちが今、そのような環境は持つことができないとしても、
これから近づく試練を越え、
心の世界ではお父様に侍り、
その国を望まなければなりません。
私たちは生活舞台で、
開拓者の使命を
遅らせる群れとなってはならないので、
この時間、再び覚悟するようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今まで私たちはひ弱な群れでした。
ですが、私たちは
手をつなぎ、体と体を合わせ、
心と心を合わせ、
心情と心情を一つに束ねて、
あなたが運行なさることのできる
一つの強固な基盤とならなければなりません。
私たちは千里万里まで飛ばすことのできる
一つのミサイル基地のような
者とならなければなりません。

お父様!
私たちに力をお与えください。
ひ弱な者たちを
同情の心でもって抱き育ててください。
あなたが願われる目的の前に加担することのできる
価値的な内容を
私たちに付与してください。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・一一・一)

11-25 試練を克服して勝利させてください

お父様!
あなたが願われるみ旨を、
きょう統一教団と共に、
この民族と共に成就してください。

あなたが望まれる創造理想を、
全人類が一つとなって
成就しなければならないということを知っています。
一つにするためには、
主役を担う責任者たちがいなくてはならないでしょうし
任せられた責任が大きければ大きいほど、
その責任を果たすべき中心的な存在たちが
そこに対応し、
克服の路程を行かなければならないであろうと思うものです。

今、私たちに任せられた使命が大きければ大きいほど、
現在の立場で強固な土台を築き上げ、
周囲からどのような試練の路程が押し寄せてきたとしても、
これを克服して
消化し、吸収し、除去することのできる
主体的な力の母体と
ならなければならないということを思います。
お父様、
それゆえに私たちはお父様に頼るものです。

お父様は歴史路程を経てこられながら、
私たちが受けている受難と患難よりももっと難しい
受難の峠道を耐えてこられたことを知っています。
そのようなあなたから教訓を受けながら、
あなたが指示なさる命令に従って、
あなたの目的を
勝利的に成してさしあげるために生きていく私たちが、
環境に偏る度ごとに、
私たちを主管なさり、管理してくださる
お父様の手厚い愛を望みながら
従っていますので、
お父様、
このような子女たちを記憶してください。

今後近づく試練の舞台が小さくなるのではなく、
だんだん大きくなるであろうということを思うとき、
私たちが統一すべき力の比重も
大きくなるべきことを知っていますので、
お父様、
私たちが行く道に
あなたの大きく広い愛の心で、
あなたが先に成されながら、
哀れみの心で導いてくださいますことを、
再三お願い申し上げます。

流れていく歳月とともに自分の位置を失ってしまい、
流れる波濤に
押し流されていく人となってはなりません。
流れていく波濤がいくら強いとしても、
それを切り開いて越えていくことのできる
一つの磐石の土台となって、
激しい流れの中でも
自らの姿をはっきり表すことができ、
正体がはっきりしたあなたの子女とならなければなりません。

そうでなくては、
私たちが達成すべき所期の目的と
行くべき道をすべて走破することができないという事実を知り、
一心団結して
お父様が残されたみ旨のために
正道の基準を見つめながら、毎日毎日
開拓者の使命を遅らせないよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七一・三・七)

11-26 ダビデのような雄々しい勇気をもって進ませてください

悲惨な歴史を解怨成就するのか、できないのかという問題が、
今日私たちの進退にかかっているという、
とてつもなくもおそれ多い立場に私たちがいます。
その立場においては、
生きようとしては
神様を身代わりする勝利の将兵として
現れることができないことを知っています。
勇猛な天の勇士が必要な時です。

ヨシュアとカレブを覚醒させ
天がカナンの地を望ませながら、
強く雄々しくあれと促した時が、
正にこのような時でした。

ゴリアテの前にひ弱なダビデを立てたとき、
ダビデは天を信じていで立ちました。
彼の着たものはぼろぼろでした。
牧童の身であり、
家もなく村もなく、
文化と伝統も備えていない
みすぼらしい姿でした。

今日、統一教会の群れもさながらそのような身です。
世界の共産党の前に裸ん坊のような私たちは、
ゴリアテの前に現れたダビデのような群れです。
私たちは棒切れも持っていませんでした。
ぼろの服を着たほかには何もありません。

しかし、お父様を愛する心、
お父様を信ずる心は、
その国に主権を持っている誰よりも強いのです。
その主権を持っている国民の強い力よりも、
お父様をもっと信じています。
お父様、
保護してください。
お守りください。
私たちの運命に決着をつけるべき時が近づいていますので、
行く道をお守りくださり、
お導きください。

あなたが自由の天地を見つめ、
あなたがこの地にお座りになって
蘇生するこの地を、
天地を主管なさり得る日が来ることを望むものです。
これが孝子の心であり、
この道に従う
あなたの子女たちの心であることを知っています。

行くべき道だけが私たちの道であり、
行くべき使命が私たちの使命であることを知ったがゆえに、
今、私たちはまた行かなければなりません。
統一戦線守護のために、
またいで立たなければなりません。

この民族をつかみ、
涙でもって私たちが訴えなければならず、
最後の日が来ると言って、
覚醒してあげるべき責任があることを知っています。
その責任を私たちが果たせない限り、
栄光の国、
栄光の場は近づき得ないことを知っています。
真の栄光のひと日を恋い焦がれた大韓民国の民を
お父様が記憶してください。
この者たちを捨てることなく探し求めてこられたあなたのみ旨が、
恨みを残すことのないよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七二・一一・五)

11-27 強く雄々しく勝利させてください

私たちは神様とサタンが怨讐となったそれを
解決すべき主人公とならなければならず、
媒介体となるべき立場にいるということを考えるとき、
逆境と試練を問題にしない
強く雄々しい群れとならなければならないので、
お父様、
力をお与えください。
強く粘り強い力をお与えください。
決意に燃えても、直ちにそれが消える人とならず、
一日の炎が千年を燃やして余りある、
このような意欲に燃える
天の勇者にしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

幼いダビデの視線には希望の光が差し、
その心には
天の感化を残すことのできる同族愛の心情が
民族を越え、
天にまで至ったことを知っています。
そのように、ここに集ったあなたの幼い子女たちの胸にも
「天を求める道の前に何ごともできないことがない」という
信念に燃えることのできる、
すべての感覚を許諾してください。
五官を許諾してください。

ぶつかって行い、
消化させられないもののない、
そのような自主的な人間にしてください。
環境がこの者たちを占領するのでなく、
環境を占領することのできる主体的な人間として、
お父様、
育ててくださらなければなりません。
そうすることのできる人を、
あなたが必要とすることを知りました。
時が過ぎる前に、
それをすべき歴史的な使命が
私たちの目の前に横たわっています。
これ(=環境)をおいて後退するのでなく、
これを打って押しのけ、除去し、
前進すべき私たちの使命があります。

残されたそのひと日とそのみ旨が私たちを呼んでおり、
人類の解放のひと日を
私たちのために準備なさるお父様の心情が、
私たちを保護しています。
最後の勝利の盾を取り、
天と地を身代わりして勝者の権威を備えた勝勢のある者を、
お父様が誇りたいということを
知っています。

それだけでなく、お父様は私たちを
万民の前に立て、
サタンの前に立て、
「私が愛することのできなかった者を、
私が今、このように愛した」と語ることのできる、
神様の愛を根こそぎ受けるに
不足のない息子・娘となる時まで、
いろいろな受難の道を通して
耐え、闘い、勝って
残されなければならないということを
悟る群れとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

重要な人となるためには、より犠牲になり、
より公的であり、
より自分自らを放棄する立場に立ち、
そうしながら
冒険を断行することのできる人とならなければならないことを
悟るよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七三・六・一〇)

11-28 逆境を突破して勝利させてください

お父様!
長たらしい歴史的な蕩減時代は過ぎていき、
歴史的な新しい時代が私たちの目前に近づいてきました。
そのように手ごわく、そのように威厳を持ち、
私たちに攻勢だったすべての怨讐たちは、
既にみな斜陽の道に近づきつつあるのを目の当たりにします。

天が怨讐たちをそのような立場においておかれるのは、
ひと時に全体を救うため、
摂理の版図を広げるためであり、
清算することのできる一時代の分別基準を
立てるためであることを思うとき、
私たちは彼らのために、
彼らにまでも生きる道を開いてあげなければなりません。

イエス様が十字架で亡くなられるとき、
十字架にくぎを打つローマ兵のために
福を祈ってあげたのと同様に、
私たちは
実体的な現場で実体的に彼らを救ってあげる
救世主の使命を代役することのできる
私たちとなることを、新たにお誓い申し上げます。
出発を誓う時間となったことを心から感謝申し上げます。

教会が問題でなく、
国が問題でなく、
世界が問題でなく、
私自身が問題であることを知り、
私自身の罪を自ら清算して、
天国まで向かうことのできる福地の土台を準備しなくては、
その天国は私とは関係がなく、
いくら統一教会の理念がいいとしても、
この理念と私とは関係を結ぶことができないということが
はっきり分かったと思いますので、
どうか自らを批判しながら、
昔アダムとエバがエデンで堕落したその基準を越えて、
天だけを思うことのできる子女たちとなるようにしてくださり、
光り輝く新たな歴史時代に
入るようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

始めを正しくすることにより、
過程が正しくなるのであり、
終着点が正しくなることを思います。
今後、私たちを導いてくださるお父様のみ旨が、
どれほど歴史時代を見つめながら
現れたみ旨であるかを知り、
お父様が最後の激戦場に立てた私たち自体が、
どれほど強く雄々しくなければならないかということを知りました。

ゴリアテの前に現れたダビデは、
たとえ牧童のみすぼらしい姿であったとしても、
天を貫き、地を貫いて、
天の保護を信じていで立ったがゆえに、
ゴリアテが屈服したことを私たちは知っています。
今日、統一教会はこの上なく小さいものですが、
思想的な基調で見ても、何で見ても、
このゴリアテの前のダビデのような姿を身代わりしようと、
身もだえする群れと
ならなければならないことを知っております。

私たちは強く雄々しくなければなりません。
徹頭徹尾一貫した信念を持ち、
世界のどのようなものであったとしても、突破していくことのできる、
直行することのできる信念に燃える
統一教会の青年男女たちとなるべきことを
強調しています。

その位階に連なっている分子たちが
私たちだということを考えるとき、
歩調を合わせ、
同じ呼吸と同じ脈拍の鼓動の音を聞きながら、
命令の前に順応し、自ら誓って
一線に向かって駆ける
天の勇士たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七五・一・五)

11-29 ホーム・チャーチを通したみ旨の完成を成させてください

万宇宙の中心であられる天にましますお父様!
あなたの理想とともに全被造世界は顕現されましたので、
あなたの愛とともに連結されて、
万宇宙の中心たる人間と
あなたが望む愛の巣を、
この天宙に実現するための
聖なるみ旨の完成を表してください。

このような使命を目の前にして、
創造の偉業を成就させようとされるお父様の前に、
地上の父母として責任を果たすべき人類の始祖たちが
堕落することによって、悲痛なる歴史を編み、
あなたの理想の世界は蹂躙され、
愛の世界は十字架にくぎ付けられましたので、
お父様の歴史的な労苦の前に、
先祖たちを身代わりして謝罪申し上げます。

それだけでなく、
この世界に広がっている人類は、
神様はいないと言い、
神様を知らず、
神様に背く者が多く、
神様はいないという共産主義が膨張する中、
善の基準を混乱させ、
あたかもうそと不義がすべてのものの中心であるかのように
のさばるようになった、
このすべての悲しみの結果に処した人類をかわいそうにお思いになり、
統一教会をお立てになって、
個人を収拾し、家庭を収拾し、
氏族、民族、国家、世界、天宙まで、混乱した
すべての人間像を収拾するために、
今まで地上で苦労されたお父様の労苦を思いながら、
このために来ては逝った歴史的なすべての聖賢たちと
イエス様と再臨時代の真の父母にまで受難の道を行かせた
人類のすべての罪をお許しください。

また、それだけでなく、
今、連結される後孫たちにまで
現世の苦痛と経てきた過去の苦痛を中心として、
蕩減条件の因縁が残されるという
恐ろしさを知っているがゆえに、
私たちはホーム・チャーチを中心として、
それぞれ個人から家庭、氏族、民族、国家を越えて
世界の前にこれを広げ、
蕩減条件の環境をなくすために、
全面的な前進をすることを誓っていますし、
この運動を提示するようにしてくださった恩賜に感謝を申し上げます。

このような使命を果たすために、
統一教会のこの場に集った
各国のすべての中心家庭が先頭に立ち、
伝統を見せてあげ、
行うすべての実例を教えさせてください。
その次には、すべての世界が
ここに従って行動することのできる環境的与件を
望まなければならない責任を遂行するにおいて、
先頭で走っていくよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様がホーム・チャーチのために動ずるように、
地上のホーム・チャーチを中心として
全部が一心となって、
お父様の前に孝行の道理を果たすことにより、
お父様が喜び、
霊界が自ら協助することのできる環境を成させてください。
そうすることによって、
すべての国境を越え、
悪なるサタン世界、
悪なる共産主権までも、良心の召しに従って、
お導きに従って
お父様の国とお父様の家庭に入ってくることができるよう、
祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

そうして、
韓国、日本、アメリカ、ドイツを中心とする
全世界の国家が一つとなって、
お父様の栄光を賛揚することのできる時を
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

きょう成されるすべてのみ業を
お父様が祝福してくださり、
この全体の上に祝福してください。
勝利を賛揚するきょうとなり、
今月と今年となり、
八〇年代となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。
この式典を快く受け入れてください。

万世無窮であられるあなたの勝利が、
きょうから長く伸びていくよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九八二・一・一)

11-30 天意に従って先に立つ若者とならせてください

愛するお父様!
事由も多いあなたのみ前に手探りで立つ度ごとに、
私たちの先祖たちが誤った罪状を、
推し量ることのできないほど多くの痕跡を残した罪を考えるとき、
彼らの後孫として生まれ、この地上に立つようになった事実を
嘆かざるを得ませんでした。

歴史的な過誤も過誤ですが、
現実に生きている四十億の人類たちが、
厳然と存在しておられる神様を前にして、
神様が死んだと叫ぶこの凄惨さを見つめ、
数多くの宗教が自らの任務と使命を果たせない
そのような立場に立っていることに対し、
悲痛にくれておられるという事実を知ったがゆえに、
私たち統一教会員は
この者たちに対して反論の旗を世界に高く掲げ、
防御の領域を広げていかざるを得ませんでした。

国境を越えに越え、
あなたの天意によって歩みながら、
その国、その民族の前に残っている
恨み多い歴史的な塀を壊すために、
夜も昼もなく、前進命令とともに闘争している
統一の群れを記憶してください。

歴史路程に燦然と輝き得る
若い世代の伝統を残すべきその道を知りましたので、
追われ追い回される立場におきましても、
統一の群れが人類を代表して、
このような伝統を後代の前に残すために
身もだえしています。
そのような若い動きが
原理研究会という名の動きであることを知っています。
若者たちが
未来像の力の源泉として見せてあげることができるよう、
天の力が共にあることを知り、
前進を誓いましたので、
この者たちを守り、祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

願わくは、
激しい風がこの者たちの前に吹きつけるようにしてください。
暴風と台風の風が
この者たちをかすめていき、吹き寄せるようにしてください。
その風霜の中で堂々と残り、
勝者の姿を備えた
磐石のような若き青年男女たちとなって、
三千里半島の大学街から出発し始めるとき、
この大韓民国の未来は
絶望ではなく、希望が近づくのを知っています。

きょうを契機として、
一人でも、
一つの生命でも、
一人の若者でも決心するよう許諾してください。
そうして、
正しい伝統を立て、
未来において恥ずかしくない
先祖の使命を果たすことのできる義人の父母、
祖先たちとなることを誓う日となるよう
祝福してください。

そうして
天意によって、
天意に従って
自らの力量に従う権威の価値的代価を
地上に残し、
地上天国実現を永遠なる偉業として受けていくことのできる
若き学徒たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

この者たちが希望に燃えると同時に、
大韓民国の未来に希望を加え、
それだけでなく、
アジアと世界と天宙の天意の道に前進する
力強いその力とともに、
国境を越え、アジアを経て
世界をリードすることのできる若者たちとなることができるよう、
守り、激励し、教え、
導いてくださいますことを再三お願い申し上げながら、
このすべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。
(一九八二・一〇・二四)

11-31 天国建設の精兵であることを自覚させてください

お父様!
心の門を開き、
あなたの召命がどれほどとてつもないものであるかを
一身で知りました。

私たちの体と心を整え、
あなたの召命の前に、
お命じになる命令の前に自らに誓い、
勝利の王子になろうと宣誓することのできる
厳粛な時間となりましたので、
ここにお父様がお座りになって、一つ一つチェックしてくださり、
あなたの子女たる名分を
その心にもう一度再認識するようにしてください。

そうして、
残る最後の頂上の峠を越えるにおいて、
過去のすべての失敗と足らなかったことを忘れ去り、
このひと時の勝利の記録として
全体を身代わりすることができるようにしてくださり、
厚遇なさったあなたの勝利の勝利圏が、
私たちに連結されるよう祝福してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

私たちの意志で消化させることのできる
勝利のひと日を迎えることにより、
ご父母様が備え、神様が備えてくださった
永遠不変の天国企業を相続することのできる
驚くべき事実の前に、感涙しながら
ひれ伏すのみである自らを
発見することができるよう許諾してください。

言葉もなく恐れかしこまり、感謝する涙の生活、
迫害の渦中においても、孤独な立場においても、
あなたのために涙しながら、
心に幸福の喜悦を体恤することのできる
天の一族とならなければなりません。

そのような出発を予告するこの瞬間に、
この者たちの希望と、
この者たちの心にたけるあふれんばかりの決意の心情が
再び爆発するようにしてください。

民族の環境を越えてアジアに、
アジアの環境を越えて世界に、
世界の環境を越えて
天宙のお父様にこの地上で侍り奉る
一つの王国建設の大道を明らかにすることのできる
天の国の精兵であることを自覚するこの時間ですので、
お父様、
どうか各個人をつかんでくださり、
自らの志として消化することのできる、
主体であるあなたの前に子女として、
愛を中心に対象圏を備えることのできる
群れとなるようにしてくださることを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九八三・五・八)

父の祈り 12 統一編

12-1 お父様! この民族の中心となる者は誰でしょうか

お父様!
この民族は飢えた民族でしたし、
頼る所のない民族でしたし、
希望のない民族でしたし、
誇るもののない民族でした。
あるもの一つに頼る度ごとに、
この民族はそれに捕らわれ、
それに蹂躙されてきたのです。
そのような訳で、
この民族に対されるお父様の悲しみが大きかったことを、
私たちは否認することができません。

この民族の歴史を見つめてみるとき、
他の民族たちの侵略によって
数多くの曲折がごちゃごちゃに絡まり、
その時ごとに民たちは
引き裂かれ、蹂躙され、追われ、
凄惨な立場に処したことをあなたはご存じです。

ここに
この民族の血肉を受けた私たちが集いました。
私たちがこの民族の恨みを解くために、
天の前に訴える時が来ました。
この民族が凄惨な境地に置かれ、
生死の岐路で右往左往しているこの局面におきまして、
中心となる者が誰でしょうか。

今、解放の歌を歌うことのできる時が来ましたし、
新しい心情ののろしを揚げ、
行軍のラッパを吹かなければ
ならない時が来たことを知りましたので、
お父様、
志のある青年たちを集めてください。
血の涙を流しながら、この民族のために泣き叫ぶ
あなたの息子・娘たちを集めてください。

私たちはある主義に従って
訴える群れではありません。
それよりは私たちが先に死ぬことをもって肥やしとなり、
この民族の上に
新しい芽として芽生えることができるよう待ち焦がれています。
そのような私たちになろうと、
あなたの前に誓うものです。

ですので、お父様、
語る前に前もって
あなたの心情を体恤することができるようにしてくださり、
あなただけが懇切なる心で
私たちの胸を占領してくださり、
私たちの心情を溶かしてください。
私たちが自分自身を再鑑定し、
自己の存在位置を確定して、
新しい復活の姿として現れるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九五八・六・一九)

12-2 民族の十字架を先に負わせてください

お父様!
哀れみのみ手と慈悲の恩賜を
この民族に許諾してください。
しかし、追われ追い回される群れを通じて
成さなければならないあなたのみ旨があるなら、
この民族をさらに追われ追い回されるようにしてください。
そのような中でこの民族の苦痛を身代わりし、
この民族の困難を身代わりして、
責任感を持っていで立とうとする若い群れたちが出てくることを、
望んでおられるということを知るものです。

死亡の一線であえいでいる人類を見つめ、
涙されるお父様の物悲しさと
この国この民族の物悲しさを、
私たちが分かるようにしてください。
その物悲しさが心情的に結ばれ、
天の恨みが血に連なった泣き声とともに、
ため息とともにこの民族の前に訪れる、恐ろしい時が来ることを
私たちが分かるようにしてくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

民族が困難にぶつかる前に、
私たちがまず困難にぶつからなければならず、
人類が困難にぶつかる前に
私たちがまず
十字架の道を越えていくべきことを知りました。
イエス様も混乱した環境の中で、
天城に向う道を先に歩んだあとで、
その道を行けと言われました。
それがイエス様がお残しになった
福音の内容であることを私たちが知っていますので、
この歴史路程の先端に立って、
すべてのものに責任を負うことのできる
者たちとなるようにしてください。

ぶつかって壊れて倒れる者たちとなることなく、
ぶつかる度ごとに
お父様と心情的な因縁をしっかり結び、
お父様の前に立つことのできる者たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六〇・一二・一一)

12-3 この民族を選んでこられた涙の路程を悟らせてください

この三千里半島を訪ねてこられるまで、
ご苦労なさった歴史路程には、
あなたの血と汗と涙の歴史が
染み付いていることを私たちは知るものです。

人知れずこの民族をお選びになって、
かわいそうな立場に追い立てたのも、
あなたのとても大きな摂理のみ旨があったからであることを
私たちは知るものであり、
あなたに万民の前で
お父様として侍ってさしあげなければならないことをよく知るものです。

悲しいそのお父様が私たちのお父様であり、
苦痛をお受けになったそのお父様が私たちのお父様であり、
この民族が困難な歴史路程を歩みくる度ごとに、
血と涙をのんで、倒れる
数多くの子供たちをつかみ、痛哭されたそのお父様が
私たちのお父様であることを、知らなければならない私たちであるのを
もう一度悟るようにしてください。

あなたは親しく愛と生命のみ手を連ねてくださって、
あなたの息子・娘たちを捜してこられましたし、
開拓者の中の開拓者、
開拓の王として親しく役事してくださいましたが、
きょうこの三千万民族はあなたを知らずにいるのです。
あなたに侍る日を待ち焦がれるべき
民族とならなければならないのに、
そうすることができずにいるのです。
お許しください。

昔も今も、
お父様のみ旨の前に召命を受ける民族が
時代時代を経てくるとき、
歴史的な汚点を残したことをよく知っています。
きょうこの民族の過去の路程を悔いれば悔いるほど、
あなたの心情を一層奉るべきであるにもかかわらず、
そのような立場にいることができないことを
お許しください。

かわいそうなこの民族を
探し出してくださったときまでの、あなたのご苦労が大きければ大きいほど、
それを知っている私たちは、
あなたの前に面目のない姿であることを
感じないわけにはいきません。

お父様!
かわいそうなこの民族の上に、
生命の因縁を結んで役事してください。
全人類の前に
かわいそうな民族であったことを誇ることができ、
苦痛を受けた民族であったことを
誇ることができるようにしてください。
この地上の何ものにも
頼ることができず、誇ることができなかったこの民族が、
天と共に誇り得るひと日が
早く早く臨むよう許諾してください。
懇切にお願い申し上げ、
主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六一・一・一)

12-4 歴史的な恨みを解怨する民族とならせてください

今日、この世界を眺めるとき、
お父様がお喜びになり得る所がどこにあるでしょうか。
そのような中心の基がどのようなものになるのかを、
人類は考えることができずにいます。
その上、歴史的なすべての問題に
責任を負って指導すべきこの国この民族も、
知らずにいるのです。

お父様!
数多くの人間は、自分だけの幸福を求めていて、
数多くの国々も自分の国の国益だけを望んでいますので、
そのすべてのものが
お父様のみ意のまま成されるのではなく、
かえってお父様に悲しみと恨みを加えるものであり、
心情を蹂躙するものです。
分からずにいるこのすべての国家と民族を
哀れにお思いくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

歴史的な悲しみと歴史的な恨みが、
この民族と私たちに染み付いていることを
あなたは知っておられます。
このような歴史的な悔しさを解くべき
あなたの願いが残っているがゆえに、
これを知る私たちが
いで立たなければならないことを知っています。

この国とこの民族のために涙しながら、
この民族の新しい歴史のために
何かをしてみようという者がいないことを
私は知っています。
しかし今、この仕事を担おうとする
統一の役軍たちを呼び集めましたので、
お父様、
この者たちを通してあなたの摂理を収拾してください。

たとえ頼もしい姿は備えられなかったとしても、
お父様がお呼びになる新しい時代のみ声を聞いて
真摯でありながらも震える心、
もどかしい心を持って、
再び願わざる
恨みの土台を残すのではないかと心配していますので、
お父様、
哀れにお思いください。

お父様!
この民族の恨みを記憶してくださらなければなりません。
この民族の凄惨な姿にあなたが責任を負ってくださらなければなりません。
この民族と共にあなたが約束されたその約束を、
この民族から奪われることのないよう
懇切にお願い申し上げながら、
この民族の涙と
この民族の苦衷が、
残された復帰の恨みを解怨する条件となりますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
最後のひと日をおいてお望みになるそのみ旨と理念が、
私たちによって判定されるべき時が近づいていますので、
残された復帰の路程で
民族的な使命を果たすのに
不足がないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六四・一二・二七)

12-5 希望の第三イスラエルとして祝福してください

お父様!
数多くの民族を記憶してくださらなければなりません。
その上、この韓民族はかわいそうな民族ですので、
この時間あなたが祝福してくださり、
この荒廃した三千里半島をあなたがいたわってくださり、
新しい世界に向かって前進することができるよう、
天的な圏内に追い込んでくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

韓国はお父様がお訪ねになることのできる
新しい約束の国であり、
新しいみ旨に対してアベルの祭壇を備えるべき
国であることを知っています。
お父様の前に忠誠を尽くすことが
この国に対するお父様の望まれるところであり、
お父様に対するこの国の本分であり、
この地と数多くの国と数多くの善霊たちに対する
本分であることを知っていますので、
お父様、
哀れみの愛を施してくださり、
この民族とこの国がお父様のみ旨の前にふさわしい民族となり、
希望の第三イスラエルとして
天国を建設するにおいて、なくてはならない
民族となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

この国が立てた天に対する忠孝の道理を
万国が見習い、
お父様の前に忠誠を尽くすことのできるその日が来ることを、
お父様がどれほど待ち焦がれておられるかを
私たちは知っています。
ここに集った多くの子女たちは
そのようなことを心深く感じながら、
そのみ旨が成されることを懇切に願っています。

お父様、
あなたが保護してくださり、はぐくんでくださいまして、
最後の闘いに勝利して
お父様の栄光の場に参席することのできる、
この民とこの民族となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

そうして、
韓国を通して成される世界的な新しい歴史が
全人類に捧げられるようにしてくださり、
同時に人類が望んできた目的を達成し、
お父様が望んでこられた目的を
達成することができるようにしてください。
この国、この民が責任を果たして、
人類の行くべき道を開くことができるようにしてくださり、
そのようなこの国、この民となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

この地の人間はもちろん、
霊界の数多くの霊人たちも地を中心として再臨復活して、
自分たちの解怨成就を待ち焦がれていることを知っています。
お父様、
彼らの願いを聞いてくださり、
この地球星が彼らの願いを成すことのできる
勝利の基となるようにしてください。
そうして、
彼らの協助のもと、
お父様の栄光の世界を成したその場、
カイン・アベル全体が一つとなるその場で
お父様に侍らなければなりません。

お父様!
全天地が
お父様の愛と幸福の中で生きることができるようにしてくださり、
平和の場で
お父様の栄光を賛揚することのできるそのような国、
そのような天宙を成してさしあげられるよう、
力と能力を加えてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六六・一・二)

12-6 この民族を悲しみの歴史に導かれたあなたのみ意を分からせてください

お父様!
韓国の歴史は
悲しみの歴史として続いてきたということを
知っています。
それがこの国の運命だったので、
出発の時から今まで、
あなたが志向なさる最高のゴルゴタの道を
歩んできたことを知っています。

お父様!
この民族が願う度ごとに、
この民族が悟り得る度ごとに、
へし折られる歴史として続いてきたこの民族史を思うとき、
八・一五解放から今まで、
困難な環境を克服し、
私たち自身を完全にお父様に捧げることのできる
圏内にまで入ってきたと思うものです。

この民族の前に新しい希望がなく、
この民族を立てる出発の起源が
お父様からでなかったなら、
この民族において神様はいなかったでしょうし、
この民族は悲惨な終末を迎えたことでしょう。

お父様はこの民族に
国を失うようになさり、
義も失うようになさり、
またこの民族を
三八度線ですっかり引き裂いてしまわれました。
しかし、これが
私たちにすべてのものを完全に取り戻させるための、
あなたのみ旨であったことを知るものです。

お父様の摂理のみ手が
この民族の背後に介在していることを知っていますので、
今、もう一度私たちが姿勢を整え、
お父様の前に贖罪の祭壇を築き、
先祖たちのすべての罪の許しを受けて、
この時代の前に
新しい正装をし、いで立てるようにしてくださり、
福地が呼ぶこの時代の勇士として
いで立てるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六六・三・一三)

12-7 お父様に侍る民族とならせてください

お父様!
三千万民族を記憶してください。
この民族は
事情と事情が絡み合っている内情的な民族であり、
お父様を慕い、
お父様の愛に和合することのできる民族です。

お父様、
幼い子女たちが
三千里の津々浦々で冷遇されながら注いだ血の涙の跡が、
サタンに呪いの基盤として占領されることのないようにしてください。
聖なるその基盤の上に
お父様が名をお呼びになり得る後世たちをお立てになって、
栄光のひと日を迎えて
聖なる至聖所を備え、お父様に侍って
幸福の勝利を賛揚することができるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

これが願いですので、きょうもそのために、
あすもそのために、
余生の全部もそのために捧げられなければなりません。
ですので死んでも、
捧げられたその場で死ぬべきです。
しかし生死の問題は
自分が案ずべきではないことを知っていますので、
残されたみ旨のための心配だけが
私たちの全部となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六七・八・一三)

12-8 お選びになった民族の子女たることに感謝を申し上げます

お父様!
数多くの民族と数多くの地の中で追われた
かわいそうなこの民族を記憶してくださり、
三千里半島の寂しいこの山河を選定され、
摂理の焦点をお立てになろうとされるあなたの聖なるみ旨の前に、
まず感謝を申し上げます。

このみ旨の前に忠誠を尽くし得る群れが
とても貴いということを考えれば考えるほど、
一層面目のなさを感じずにはいられません。

しかし、
お父様の愛の心情は、
完全な子供よりも
不具の子供に一層宿るということを思うとき、
お父様が心配なさるしかない
歴史的背景を持ったこの民族を
お許しくださいますことをお願い申し上げます。

お父様!
統一の子女たちは
今日まで七年という限界線を掲げ、
人の知らない中で
血の涙の出る闘争の歴史を歩んできました。
時には追われ、
時には胸を打って痛哭し、
時には飢えたはらわたを抱え、
お父様の事情を論議してとめどもない涙も流しました。

このようにすべての過去のことが涙で始まりましたが、
それが涙で刈り取られるのでなく、笑いで刈り取られ、
お父様の前に感謝を申し上げ得るひと日を
持てるようになったことは、
すべてお父様のお助けと
保護ゆえだということを考えるとき、
一層感謝を申し上げずにはいられません。

お父様に侍り、
私たちが誇りたい心を
すべて吐露することのできる自由天地が
早く早く成されますことを私たちが一心で哀訴いたしますので、
お父様の前に身をかがめて敬拝を捧げた、
私たちのすべての事情を受け入れてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

誰が何と言いましても、
私たちは何も持たない寂しい者たちです。
あなただけが私たちの味方であり、
あなただけが私たちのものであり、
あなたのために生きているというその事実が、
世の中の億千万金を与えても取り換えられない
貴いものであることを知る私たちとならなければなりません。

お父様!
足らない私たちですが、
先祖たちが全生涯を通して築き上げた功の基盤と
時代的な恵沢により、
きょうこのような立場に立てられましたことを、
心から感謝に思えるようにしてください。
その感謝する心が、私自身だけの立場でない、
過去と現在と未来を通した歴史的な立場で
感謝することができるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

万々事にあなたの恩賜と勝利の栄光が
あるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六七・一二・二四)

12-9 苦難の中でこの民族を探してこられた心情を悟らせてください

愛のお父様!
アダムを失ってしまったその日から、
あなたはあなたが信じることのできる一人を探すために
どれほどご苦労なさいましたでしょうか。
また、お父様を身代わりして
責任を負い、闘ってくれる者をどれほどお探しになり、
お父様の全権を相続することのできる一人を
どれほど待ち焦がれつつ探してこられたでしょうか。

これを考えるとき、
この地上にそのような人がいなかったことが
お父様の悲しみであり、
人類歴史の恨みだったということを、
私たちはもう一度痛感せずにはいられません。

お父様はこのように悲しい歴史の峠道を、
六千年という長い長い歳月の間歩んでこられました。
悲しいときには悲しみをこらえ、
すべてのことに責任を負われた立場で
今日まで少しも休むことなく来られました。

人間たちは暗い夜道であえいでいますが、
お父様はそれよりもひどい暗闇の中で、
人類歴史を摂理してこられるために
心労し心を砕いておられるということを、
私たちがもう一度思い起こすようにしてくださり、
私たちがお父様の前に
面目なく心苦しい自分たちとなっていることを、
悟るようにしてくださいますよう懇切にお願い申し上げます。

またお父様が六千年間
歴史の裏道をさまよいつつ探しこられたその歩みが、
どれほど悲しかったかを
悟るようにしてください。

数多くの民族と国家の前に追われながら、
この国あの国、
この都市あの都市をさまよいながら探しこられた
お父様の苦労の歩みが、
今日この韓国の山河に
とどまるようになった事実を私たちが知るとき、
私たちがお父様の前に
真実に面目ないことをまた感じるものです。

この三千里半島と三千万民族を中心として
お父様の摂理のみ手があったという事実を、
この民族は知ることができませんでした。
この地に来ては逝った私たちの善なる先祖たちも知ることができませんでした。

しかし今、時を迎えてみると、
お父様の摂理のみ手が
この民族を中心として動いてきたという事実を
知るようになりました。

このようなことを考えるとき、
この民族は過去から現在まで、
お父様の前に面目なかったことを申し上げずにはいられません。
その上、お父様の哀れみと愛のみ手に
おそれ多くも対することさえ不足な私たちを、
お父様がその愛の恩賜圏内に立ててくださいましたので、
私たちが真実なる心で
この民族とこの山河と万民を代表した立場で、
お父様に謙遜に敬拝を捧げる
あなたの子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六七・一二・三一)

12-10 韓民族を心配する統一の群れとならせてください

お父様!
高く貴く聖なるあなたの摂理歴史は、
長い長い人類歴史を手探りで来たのです。
お父様、
きょうも私たちを立ててくださり、
世界的な責任を追求なさるあなたの立場が
どれほど凄涼で哀れかを、
私たちが感じることができるようにしてください。

はるか遠くのこの韓国の一角を慕いながら、
今この時間にもこの師を案じつつ
お父様の前に涙で懇切に訴える群れが
世界に散らばっているという事実を思うときに、
この韓国の地の統一祭壇の責任が
どれほど恐ろしくとてつもない立場であるかを
私たちはよく知るものです。

お父様! 韓国を慕う統一の群れの上に
祝福をお与えください。
彼らは韓国を自分の祖国だと心で仰ぎながら、
この地のために
血と汗と涙を流しています。

この地のためには
骨でも埋めたいと思う数多くの群れが
統一の理念とともにあるということを思うとき、
彼らを一か所に束ねて
あなたが願われる一つの国を建てなければならず、
一つの世界的な理念を成就しなければならないので、
そのみ旨を成す時まで、
私たちは耐えて耐えてまた耐えながら行かなければなりません。
六千年のうんざりとするような歴史過程を
黙々と耐えてこられたお父様に倣い、
私たちは無言で耐えながら行かなければなりません。

お父様!
私たちは今また行かなければなりません。
この民族の寂しい事情を抱いて行かなければならず、
この国の荒廃した実情を
もう一度手探りして行かなければなりません。

この民族は
かわいそうな民族になるしかない成り行きでした。
そうですが、
世界の万国に誇るべきお父様の摂理のみ旨が
統一の群れの中にあるという事実を、
誰も知らない中で
私たちが先に知るようになったことを、
お父様の前に真実に感謝申し上げます。

お父様!
その間あなたがどれほど苦労してこられたかを、
私たちが分かるよう許諾してください。
お父様に向かう慕わしさに徹し、
お父様の心情を感じながら、
民族を抱き締めて身もだえする彼らの懇切なる願いが
決して無駄にならないようにしてください。

そうして、
この民族がこのひと時を克服して越えて、
世界に向かって駆けていくことのできる
解放の民族となるようにしてくださり、
ひいては全世界に天国を創建することのできる
第三のイスラエル民族となるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
このすべてを
真のご父母様のみ名によって懇切にお祈りいたしました。アーメン。

(一九六九・五・二)

12-11 本郷の地韓国のためにすべての精誠を尽くさせてください

お父様!
数多くの国の中で、この韓国が
今後人類の心の中に宿る国となることを
私たちは知っています。

きょう私たちが世界人の本郷となり得る
この地に生まれ、
ここでお父様を慕いながらみ言を聞き、
教育を受け、
またここで涙しながら鍛練されるというこの事実が、
どれほどとてつもなく貴いものであるかが
分かるよう許諾してください。

お父様!
今、このような事実が、言葉だけでなく
私たちの目の前に現実として展開される時が来ました。
今、数多くの人々が
本郷を慕う心にあふれて
ここを訪ねくるようになるとき、
彼らの心に新しい炎を加えてくださり、
この本郷のために骨髄が溶けるほど精誠を尽くし、
もう離れたくなくて、
足が離れずに
涙し得るようにしなければならないという事実を、
ここにいる子女たちが分かるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

彼らがここに来て帰ってからは、
ここを観念的に慕い想像する立場ではなく、
実際に見て感じた体験を根本として、
もう一度実感を持って慕うことができるようにしてください。
そうして、
また訪ねてこようと、再度決心することのできる動機と因縁を
ここで彼らの前に残してあげることのできる、
加えてあげることのできる
あなたの子女たちとならなければならないということを、
この本郷の地、韓国の食口たちがはっきり分かるようにしてください。

言葉が通じず、
生活環境が互いに違うとしても、
私たちは表情と感覚でもって
彼らをしてこの本郷の地が一層慕わしく、
一層見たく、
一層暮らしたい内情的な因縁を
感じることができるようにしなければならないことを、
もう一度悟るようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

本郷がどれほど貴く、どれほど価値があるかということを
分かるよう許諾してください。
本郷に暮らしながら、
お父様が記憶することのできる歴史的な価値を
千倍万倍賛揚し、
また、万民の前にこれを誇ることができ、
現すことのできる息子・娘とならなければ、
私たちは悲しみの対象として残され、
またその本郷は本郷としての価値を失ってしまうということを
分かるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

私たちは
韓国民族を中心としてだけ
み旨が成されることを望む立場で
働いてはなりません。
自分を中心として、
自分と関係している人々にだけ
幸福の基盤が築かれなければならないという観念を
持ってはなりません。
民族と国境を越えに越えて、
世界人を抱き、
世界人と共に授け受けることのできる因縁を結ぶため、
心におきまして、生活におきまして、
鍛練するようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。
(一九六九・五・一一)

12-12 韓国を第三イスラエルとして立て得る私たちとならせてください

お父様!
永遠に安息できる本郷の国が
どこなのかを知ることのできない人々が
どれほど多いか、言葉では言い尽くすことができません。
数多くの人々が
自分の国が本郷だと賛揚しながら生きていますが、
子孫万代に永遠なる幸福と安息の土台であると
誇ることのできる国がありませんし、
お父様が永遠に安息できるであろうと
主張することのできる国がこの地上にありません。

お父様!
あなたが待ち焦がれ訪ねてこられた
本然の国と本然の世界が、
あなたの苦労された基盤として残っていますが、
その基盤の上に
あなたの苦労の代価として立てようとされた一つの中心、
全歴史と共に、
全時代と共に、
また未来と共に誇ることのできる
真なる息子・娘がどれほどいるかを考えるときに、
あまりにも不足な数にとどまっていることを
私たちはよく知るものです。

あなたが誇り得る一つの国を建てるために、
数千年の歴史過程を通して
先知先烈たちの
口を通して証しましたが、
イスラエルの国家は
イエス様に悲運のひと日を迎えさせることによって、
痕跡を失ったまま
数多くの国家と民族の前に追われ追い回されました。

今、遅まきながら
お父様の祝福の因縁に従う
数多くの人々を中心として、一つの祭壇を束ねて、
イスラエルとエルサレムを
再びお父様の前に奉献することができるよう
民族的な解放を受けたのです。
そうですが、その民族は
世界の前にお父様の祭壇を備えて
お父様に侍り得る使命を
果たせなくなったことを私たちは知るものです。

現時代の実情を推し量ってみるとき、
お父様の摂理歴史はどのような立場、
どのような国、
どのような人々をして始まり、
運行され終結されるかを考えてみるとき、
この地上の数多くの民族を主導している
先進国家ではないことを、
あなたの心情の歴史を通して如実に知っています。

世界のどのような民族より悲惨な歴史過程を通じながらも、
お父様に向かう一片丹心、
忠誠の心と志操を備えた民族、
あなたのために生きるにおいて不変の姿を備えたそのような民族、
時期と環境は変わっても、
お父様に対する忠誠だけは変わらないそのような民族、
そのような国でなくては、
あなたと人類が求めている
理想の民族と国になることができないという事実を
私たちはよく知るものです。

第三イスラエルの顕現を
私たちはみ言を通して知り、
その第三イスラエルの民たちは
歴史的などのような偉人よりも、
時代的などのような有名人よりも
貴い立場にとどまるようになるという事実を
私たちは知っています。

しかし、真なる意味で
そのような価値を骨肉に染み込むほど知り、
お父様の前にそのような立場を探してさしあげるために
あらゆる精誠と犠牲を尽くし、
その国とその民を成すために
忠誠の道理を尽くそうと、いで立つ人々が
どれほどいるかということを考えるとき、
この時間、私たちはもう一度反省しなければなりません。

お父様!
この韓国を中心とした新しい歴史的な因縁を、
今日私たちを通して証し、
私たちを通して表し、
私たちを通して成就なさりたい
お父様の内的な事情があるとするなら、
今日私たちの個体が
どれほど慎重でなければならない立場であるかを知り、
お父様の前に忠孝の道理を尽くすことのできる
子女たちとなるべきことをはっきり知るようにしてください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六九・五・二五)

12-13 お父様! この国の苦難が終わるようにしてください

恨み多い復帰の峠を
それほどまで越えることが難しいとは誰も知らなかったのです。
その道を今までお父様はどれほど往来されたでしょうか。
来られるときは、希望の息子を見いだそうという希望を持って来られ、
帰られるときは、ひどく落胆して行かれるあなたの姿、
何をもって形容し、
どのような言葉で慰労することができるでしょうか。

お父様!
私たちはあなたがこのかわいそうな韓国の民を、
哀れにお思いくださっているということを知りました。
今までは誰も知りませんでしたが、
今私たちは悲惨な歴史過程を通じ、
涙と血の歴史を編んできた倍達民族(=韓民族)の背後に
お父様がおられたということを知りました。
今、私たちは歴史を回顧するとき、
この民族の悲惨な歴史は
お父様の悲惨さを象徴したものであり、
この民族が世界の強国に囲まれて侵略されたのは、
お父様の寂しい立場と似ていたことを思うものです。

お父様がそれを痛嘆なさって
お訪ねになった一国がありましたが、
それはその国に因縁づけられた一人のお方を
祝福なさろうというものであるのを私たちは知っています。
私たちは大韓民国の歴史と因縁づけられた
お父様の心情を中心として、
突撃し得る立場に立ったことが
不幸だと思ったのです。
しかし今、私たちは
それがとても幸いであることを知りましたので、
お父様の前に感謝を申し上げずにはいられません。

この民族は解放以後に
行くべき道を行くことができませんでした。
この民族を代表したキリスト教が責任を果たすことができず、
この民族はいまだに国連に加わることのできない
名のない国です。
ですのでお父様、
この国の苦難が終わるようにしてください。

私たちはお父様の子女でもあり、
この世の国々が
この国に対して頭を下げ得るその日のために、
厳粛な天の密命を受けた
あなたの密使たちでもあることを知らなければなりません。

お父様!
私は五十年の生涯を通して、
死んでもこの民族を捨てられない
運命を持って生まれたということを知りました。
それゆえ、今日まで排斥される道にあっても、
悲しく寂しく悔しい立場にあっても、
かえってお父様をつかんで慰労したのです。
私にそうすることのできるひと時を持てるようにしてくださった
お父様の恩賜に感謝を申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六九・一〇・四)

12-14 民族の運命に責任を負う強い若者とならせてください

お父様!
恨みが積もった天の歴史的なみ業を
相続させ得る課題が残っている現実におきまして、
厳粛にこの業績を賛揚し、引き継ぐことのできる
あなたの息子・娘であることを自任し、いで立つ群れとなって、
あなたが満足に思うことのできる
子女たちとなるよう許諾してください。

八道(=韓国全土)から群がってきた大学街の若い
あなたの子女たちです。
この者たちが行く道がどのような道でしょうか。
今後、大韓民国の運命に責任を負うべき大学街が
混乱状態にあります。

しかし、今はここに突撃戦を提示して
勝利の立て札を立てるべき時代ですので、
このような時代に私たちは使命を成すべき
お父様の密命を受けた者として、責任を果たすことのできる
天の王子王女たちとなるよう、許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

ここに来た時は、
ただ流れていく若者の姿として、
意志なき歩みで来ましたが、
今帰っていく胸には
誰も運ぶことのできない荷を抱いて行かなければなりません。

民族の恨みを踏み越えていくことのできる祭物として、
血涙の祭壇を経なくては
統合の因縁を結ぶことが難しいということを、
私たちは歴史を通して学びました。
また、私たちは今日私たちの時代に
そうしなければならないことを学びました。
ですので、時々刻々とその使命が促されるこの時代に、
ここに集った若者たちが
彼らの血と肉をこの民族の前に、
この国の津々浦々に
いかりとして下ろすべき責任を果たすために、
お父様に順応しながら、
のろしを揚げていで立つことのできる
天の勇者たちとなるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

これが私たちの時代において越えなければならない、
これがこの時代の若者たちの使命であることをはっきり知り
この責任を果たすために
力の限りを尽くすことができるよう許諾してください。
こぶしをぐっと握り、
新しい光明の朝を建設しようと、いで立つことのできる
天の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

残された日々が私たちを呼び、
かわいそうなこの民族が
私たちを呼んでいることを知っていますので、
学びの環境においても
その責任を果たそうと、ありとあらゆる精誠を尽くす
あなたの子女たちとなるよう許諾してください。
きょうのために生きるのでなく、
あすのために生き得る
あなたの子女たちとなるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

12-15 民族の運命と共にある続一教会とならせてください

お父様!
この民族を天が刈り取ってくださったことに感謝を申し上げます。
今、私たちは
天の新しい中興の機会が
この領土の上に訪ねてくるという事実を知らなければなりません。

お父様の隠れた歴史が
この民族の上に共にあった因縁を知るときに、
私たちはこの民族がかわいそうな民族ではなく、
世界のどのような民族よりも貴い民族であることを知るものです。

この民族の姿が見た目には傷だらけであり、
この領土が見た目には荒廃した三千里の領土ではありますが
この領土とこの民族の中に
天が染み入っているという事実を知り、
私たちはこの民族を愛さなければなりません。
この三千里の領土をつかみ、
お父様の聖なる祭壇としてすべてを捧げ奉ろうと、
血涙を注いで神聖に聖別することのできる
あなたの息子・娘とならなければなりません。

お父様!
この国この民族を私たちは守っていかなければなりません。
私たちが番人となって、
この国この民を守らなければなりません。
現在この国この民族を
守ることのできる人がいないことを知っていますので、
私たちが血涙を流すことを覚悟して
この国を守ろうと身もだえしてきましたし、
この民族を世界的な民族にしようと、
先頭に立って叫んできました。

ですので、このみ業が
偽りとして烙印を押されてはなりません。
聖なる天のみ業が善として出発しましたが、
結果が悪として結ばれるようになるときに、
天が行く道はすべてそうだと、
サタンが讒訴した事実がどれほど多かったでございましょうか。
それを私たちが知っていますので、
きょう統一の子女たちが歩んできた道も、
ただ単に過ぎていく私的な事件として残してはならないことを
はっきり知るよう許諾してください。

お父様!
今、私たちはこの民族を愛し、
この三千里半島を防御しなければなりません。
私たちの体が防弾となり、私たちの体が土城となって、
これを守って保護すべき責任を感じることのできる
あなたの息子・娘となり、
そのような統一教会となるよう許諾してくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九六四・一二・一四)

12-16 民族のために奉仕する息子たちとならせてください

お父様!
人々はこの世の環境で
天を忘れてしまい、
あなたのみ名を忘れながら
不幸にもみ旨と遠ざかった生活をしています。
このような事実がこの堕落した人間世界におきましては、
あまりにも客観的になっているということを知るとき、
私たちが天の使命を
忘れる立場に立つようになるまいかと心配です。

自分自身の前に近づく環境の誘惑に
怨讐のように対することのできる心を持ち、
名誉も権威もすべての全体的な威信も
完全に忘れなければなりません。

お父様!
私たちは誰のために涙し、
誰のために苦労をしたのでしょうか。
あるいは自分のために流した愚かな者がいましたでしょうか。
自分の出世の方便としてこの道を行く人がいるとするなら、
この者は遠くない将来に必ず失敗するということを
私は知っています。
私たちはこのような
愚かな人となってはなりません。

自分が滅び得る立場でも、祖国を思いながら
祖国の主体であられるお父様と共に責任を負ってきながら、
「私がこのような境界線を越えますので、
お父様、
勝利の跡をここに残してください」と言えなければなりません。

すべての民族と心情を通じることができず、
連結することができないこのような哀切な立場においても、
これを克服し、民族のために奉仕することのできる
息子たちとなるようにしてください。
私たちがそのような立場に立つとき、
誰も受けることのできない全体の心情を
すべて引き継ぐことができるという事実を知らなければなりません。

そのような内的な因縁を通してのみ、
お父様の前に祝福を受け、
保護を受け、
愛を受け得る立場に
立てるということを知っています。
自分がそのような立場に立ったとしても、
先祖の歴史的な功績の土台があったがゆえに
そのような立場に立ったということを知り、
謙遜な姿勢を持つ私たちとならなければなりませんし、
先祖がそのような使命を果たせなかったならば、
私たちが身代わりして千万倍その使命を果たそうと、
身もだえすることのできる
あなたの息子たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・二・一六)

12-17 国運を左右する時点において使命を果たさせてください

お父様!
最後の祭壇を決定するための立場は、
祭物を必要とする立場ですので、
死ぬか生きるかという
民族の悪と善を判決すべき摂理のみ旨を中心として、
善悪の基準点が備えられなければならないということを
知るものです。

私たちは国家の運命を中心として
このような立場にあります。
私たちには
既に南北が分かれたことを
どのように今後一致させるかという
障壁が残っていますので、
私たち三千万民族の心深く根付いた
天のための民族精神を中心として、
新しい国民運動として
挙国的な思想運動が必要だということを知りました。

ですので、
この国、この民族が生きるためには
私たちが先に「統一思想」で思想武装をしなければならず、
力の武装をしなければならないということを
私たちは知っています。

悪は力の対決を中心として
相対的な権限を備える前には、
議論できない立場に立っているということを
歴史を通して学びました。
悪は歴史を通していつもそのような結果をもって現れたのです。
それゆえ、私たちが
彼らを凌駕することのできる力の基準を立てなければ、
絶対に彼らは
相対的に運行することのできる環境を
譲歩しないということを知りました。
これが悪が歴史的に歩んできた歩みであることを知るものです。

お父様のために内的に心情一体を成し、
外的に力の基準を備えなければならないと考えたことが、
今現実として近づいています。
このようなときに、私たちは
アジアを中心として
結束させるべき使命に責任を負っているので、
この使命を成就させるためには
一身の疲れを超越しなければならず、
持っている物質もすべて投入しなければなりません。
私たちはお父様のみ旨のために
生命まで捧げることのできる導火線とならなければならず、
そうすることのできる動機とならなければなりません。

怨讐の国をお父様に帰し奉ることができ、
その国を好きになることができなければなりません。
その国のために、かいのある仕事をするために
日本の統一戦線で苦労している
あなたの息子・娘がいます。
そこには霊界があり、
統一教会があり、
勝共連合があるのです。
この者たちを中心として
挙国的な活動を開始していますので、
お父様、
祝福してください。
懇切にお願い申し上げ、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・三・八)

12-18 新しい春の起源を成す群れとならせてください

今後現れる民族の運命を見つめるなら、
絶望が漂っています。
あすのアジアの運命の中で、
最終の使命を決断すべき線上に置かれているのが、
きょうの韓国の運命であることを思うとき、
私たちの運命が
世界人類の中で最高に悲惨だとしても、
ここに訪ねてきた歴史的な秋の節気の限界線を越え、
あすの希望にあふれて
春を迎えることのできる生命力を持ち、
新しく生きていくことのできる
歴史的な生命力を持った一つの結実体が
この地上に現れたとするなら、
私たちに絶望はなく、
あすの新しい朝を迎えることのできる
希望にあふれた巨歩の出発をなすことができるという事実を、
思い起こすようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。

悲しみと喜び、
死と生命が交差しながら、
堕落世界が今まで
歴史的に編まれてきたことを推し量るとき、
この民族が処した悲惨な運命を
悲惨なものとして受け継ぐのではなく、
喜びの歴史として連結させ得る
あすの寵児の姿を慕わなければなりません。
今まで追われ追い回される中でも耐えてきた群れ、
闘いの路程で残された群れが、
この韓国に集まってきたあなたの子女たちであり、
統一の勇士たちであることを思うのです。

私たちには民族のために流した涙があり、
世界のために流した涙があり、
未来の世界のために案じる涙があります。
お父様がそうされたがゆえに、
主体であられるお父様の前に対象の価値を持ち得る
自らの姿であることを自負することのできる実体の権限を持ち、
私たちでなければならないという
自我の信念を自覚し、再闡明し得る
この時間となるよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。

今まで経てきた歴史を回顧してみるなら、
悲しみの歴史ではない、お父様の保護の歴史でした。
私たちの悲しみ以上に
お父様の悲しみが残されたことを感じれば感じるほど、
あすの希望の前に自信を持っていで立つために、
お父様に侍って行かなければならない
私たちの立場です。
その立場は怨讐の矢を受ける立場であり、
悲しみの闘いが漂う立場ですので、
お父様を栄光の中で迎えることができずに嘆いています。

しかし、お父様、
耐えてください。
あすの希望の基盤のために
冬の節気を克服して越えるべき運命の道に立ちましたので、
私たち自体が結合して生命の代価を損傷させることなく
大切に装い、大切に結集しなければなりません。
このような私たちが
春の節気の限界線を越えて立つことのできるその瞬間のために、
生命力を集結し、
外的な実力を備えるようにしてください。

一つの生命を結合してその限界線を越えてこそ、
天と地が保障することのできる主体的基盤となるように、
そのような基準を備えて
新しい春の日の起源を
願うことのできる群れとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・五・三)

12-19 分断された民族の恨みを解怨させてください

お父様!
この国は南と北に分かれています。
民主主義と共産主義の
対決の起点になっています。
ですので、
大韓民国が必然的に行くべき運命の道を
あなたが守ってください。

私たちは
お父様の血の十字架を背負っていくべき
受難の道に踏み入ったのです。
まず打たれる立場に立って
悲しみと寂しさを抱き、身もだえしながらも
あすの勝利を前においていますので、
お父様、
この民族に強さと雄々しさを許諾してください。

落胆と絶望のようなものは一瞬も許さない、
緊張した時点だということを
私たちは知っています。
外的に全国的な情勢がそうですが、
内的に教会のみ旨を中心としても
そのような時点が私たちの目前に見えています。

私たちがカイン国家を屈服させ、
アベル国家の使命を果たさなければ
天国に行くことはできませんので、
このような運命の道を行く私たちを、
お父様、
お守りください。

民族的正気が堕落した世界を脱して、
あなたの心中に埋められていた
愛国愛族の心情を持って
現れるべき時が私たちに近づいてきました。
しかしお父様の心を引き継いで
国を愛し民族を愛する息子が何人ほどいるかと尋ねるとき、
私はお父様の前に涙を流しつつ
悔い改めなければならないことを感じなければならないのです。
お父様、
お許しください。

今まで数多くの血のにじんだ途上において、
民族の恨みを解こうと、先頭に立って
進むその歩みに従ってくる群れたちを眺めるとき、
お父様の心配の対象となる数は多いのですが、
お父様の心配に責任を負うことのできる者は
多くないことを知るものです。
このような者たちを眺めるとき、
私が行くべき未来に
十字架の道がまだ残っているということを感じるものでございます。

お父様!
行くべき十字架の道が残っているために、
今後の路程で力強い歩みでもって、
民族を身代わりして闘いの道を開拓しなければならず、
私たちが行くべき運命の道を開拓しなければなりません。

民族が南と北に分かれており、
民族の分裂とともに
悲しい心情の因縁を持つしかない恨みがありますので、
この恨みを解き、南と北を糾合すべき責任が
私たちにあるということが分かるようにしてくださり、
その責任を果たすようお導きください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(一九七〇・五・三一)

12-20 民族の未来を開拓する主体的な責任者とならせてください

お父様!
取るに足らない私たちを、
あなたの聖なるみ旨の前に立ててくださいますことに感謝を申し上げます。
あなたのみ旨の前に立った私の一存在が、
歴史的な一つの時点で責任を果たして
残され得る人となるようにしてください。

私たちはひと時来ては
そのまま流れていく者ではなく、
歴史的な現時点に影響を及ぼすことのできる内容を提示して、
時代、時代を新しく呼び起こすことのできる
主体的な使命を果たさなければなりません。

お父様が私たちを呼び立てておき、
任せたいと思われるその懇切な心情的事情を
感じられない私たちの姿であるなら、
勧告してください。
今まで捜してこられたあなたの事情を、
愛する子女たちの心の奥深くに
感じるよう許諾してください。

お父様!
この民族はかわいそうな民族ではないでしょうか。
今後この民族が行くべき道はただ一つの道だけですが、
その道を知ることのできない立場に立つとするなら、
この民族は真実にかわいそうな民族であり、
この民族の将来は暗澹となるのです。
このような現実的な情勢を把握し、
未来のアジアと世界の情勢を眺るとき、
私たちはこの民族と大韓民国が行く道を
心配せずにはいられません。

お父様!
今までの歴史が、
この民族を通して
アジアと世界の前に顕現なさる、蕩減の路程を
終わらせるために訪ねきたあなたの歩みであるなら、
この民族の心に生きていてください。
また、
この民族の心にあなたの願いが復活し、
あなたのみ旨とともに一つとなった民族として立ててくださいますことを
懇切にお願い申し上げます。

お父様!
この民族をして
国を愛すまいとしても愛さざるを得ない心を
持つようにしてくださり、
また北韓も愛すまいとしても愛さざるを得ない心が
ほとばしるよう役事してください。

自分自身のために生きる人は
歴史でただ流れていってしまいましたが、
後孫のために、
後代の民族のために、
世界のために生きようという人は
一つの勝利者の姿で現れ、
その歴史を主管する中心として
残されるようになるという事実を知りました。
ですので、
私たちは歴史時代で涙の路程、
血のにじむ闘争の路程を
避けようとする群れとなってはなりません。

どのような困難の中でも
私でなければならないという主体的な責任を負い、
この民族とこの国をつかんで
アジアに影響を及ぼすことのできる新しい群れが、
私たち統一家の群れたちとならなければならないということを
知っています。

そうすることのできる私自身をお父様の前に呼び立て、
そうすることのできる私だということを覚醒するために
この場に参席した私たちだとするなら、
自らの姿があまりにも足らないということを
悟るようにしてください。

かわいそうなこの民族は、過去に血をたくさん流しました。
誰も願わない犠牲の道をこの民族が行ったのは、
この民族をアジアに残そうとした
あなたのみ旨があったがゆえであることを知っています。
そのようなお父様の願いに、
私たちの願いが一致するようにしてくださり、
統一されるようにしてください。
そうして、あなたが
この民族に対して願われたそのみ旨の前に、
忠誠を尽くし得る者たちを
統一の群れの中で見いだしてください。

お父様、
あなたが親しく望み、捜してこられたそのかいを感じることができ、
安息なさり得るこの場となるべきことを、
新しく感じることのできる
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
懇切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。

(一九七〇・六・二一)


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